「堺」への旅の記録、鉄砲鍛冶と茶の湯と南蛮人

堺は戦国時代の自治都市で商人たちが納めた豊かな街だった。明との貿易で栄え鉄砲が伝来するとあっという間に鍛冶屋たちが大量の鉄砲を作り火薬の原料の貿易にも手を染めた。キリスト教が伝わった頃豊かな商人が茶の湯を楽しみ活躍していた。フランシスコ・ザビエルがしばらくお世話になった豪商「日比谷了慶」がキリスト教徒に改宗しているという。そんな堺の街が見たくて行って来た旅の記録

堺へ

神戸からJRで大阪駅へ、環状線に乗り換え新今宮から南海電車で堺東に到着。大阪駅以外は混雑は無く堺に着くと人はのんびりしていて親切だった。

南海電鉄の堺東駅を降りるとインフォメーションが有ったのでそこで色々教えていただいた。街を動くのにバスに自由に乗れるフリーパス切符は2種類あったが土地勘が無いのどちらがいいか不明なまま500円の安い方を購入。バスと路面電車に乗り放題でモニュメントは割引があって結構便利でした。

まずは徒歩で堺市役所の21階展望台へ。ここに少し展示が有るのとまずは高い所から町を見てみよう。10時からボランティアのガイドさんがいて色々教えていただいた。

堺市役所
堺の旅、筆者撮影

実は私が見たかった時代の堺の街は応仁の乱と大坂夏の陣で焼けてしまい残っていなかった。その後徳川幕府によって堺の街は再建された。大和河も江戸時代に付け替えが行われ当時の港は埋め立てられていた。代二次世界大戦でも戦火を受けておりそんな中も古いお寺や神社が良く残ったと思う。

堺市役所の展望台から仁徳天皇陵が綺麗に見えるが今回の旅の目的は堺の商人と茶の湯なので今回はここから見るだけです。

堺の街
堺、筆者撮影

早速先ほど購入した一日切符を使ってこの黄色いバスで移動。市役所前から大小路(オオショウジ)まで。大小路は当時の国境でここから北は摂津の国、南は和泉の国だった。

堺のバス
堺、筆者撮影

西高野街道は平安時代からの京都や大阪から高野山への街道。元は天皇や貴族を中心に行われた高野山詣でが次第に庶民の参道となったそう。

ここから今度は路面電車に乗り替える。この電車は天王寺まで40分程で行けるらしい。

 

高須神社という駅で降りて鉄砲鍛冶屋敷へ向かう。この地域が戦国時代の鉄砲鍛冶が住んでいたところらしい。

風情のある建物が残る地区で散策していて楽しい。そして知らない街を歩くとウキウキする。

 

種子島に火縄銃が伝わった後堺の商人が種子島で銃の作り方を覚えて帰って来た。元々産業技術が盛んだった堺で火縄銃が大量に作られるようになったのは偶然ではない。この界隈に沢山の鉄砲鍛冶が住んでいたんだと嬉しくなった。

<堺、鉄砲鍛冶屋敷跡>

鉄砲鍛冶屋敷は中には入れず外から見るだけだったが戦国時代の堺の活気ある街を想像しながら散策した。この近くに鉄砲町という町名が残る。

 

 

伝統のある刃物屋が続く。想像だが江戸時代になって平和になると鉄砲が使われなくなり技術者たちは再び刃物を作りはじめ今に至るのではないか、と思ったりした。

 

戦国時代の街は残っていないが江戸時代初期の町屋が残るというので行ってみた。そんなに大きくは違わないだろう。

内部は蔵や茶室や縁側等が保存されていてボランティアガイドの方が歴史の事などを説明してくださった。今も個人の所有という400年前の屋敷は木の梁がしっかり組まれていて中に入ると安ど感がある創りで良く戦争で焼けなかったと感心した。

 

路面電車に2駅ほど乗りザビエル公園へ。

 

堺の商人が活躍した頃はこの近くに港が有りフランシスコ・ザビエルがお世話になった日比谷了慶(ヒビヤリョウケイ)のお屋敷はここに有ったらしい。何かの本で読んだのだが「当時の木造の屋敷としては珍しく3階建てだった」とあったのを記憶している。ガイドの方に聞くと「3階建てなら蔵だったのかも」という返事だった。木造住宅はあり得ないようだ。蔵に茶室があったりそこでミサを挙げたりした話も何かで読んだ記憶が有る。茶室の神聖さとカトリックのミサが結びついても不思議はないと思う。

<ザビエル公園>

 

公園に白い敷石が有りここが堺の港だったと書いてあった。

ザビエル公園の先に堀が有った。もちろんこの堀は宣教師の時代より後だが堺はベニスのようだとイエズス会の宣教師が書き残している。町中に堀が巡らされ荷が運ばれていたに違いない。

更に路面電車に乗って千利休屋敷跡へ。この電車は何回も乗りました。10分おきくらいに来て解り易いので旅行者に便利だった。

路面電車
筆者撮影

宿院という名は室町時代からの呼び名らしく当地に有る住吉大社の御旅所を宿院と呼んだという説がある。

堺、筆者撮影

日比谷了慶と千利休が交流が有ったはずでザビエル公園がある了慶の屋敷から利休の屋敷まで約850メートル徒歩10分の距離。もっと近いと想像していたが歩ける距離ではあると思ったが、千利休の屋敷もここだったかは定かではない。

千利休は堺の豪商の長男として生まれた。利休は秀吉の政権下で力を持ち内政にも影響力を持った。切腹を強いられた理由には諸説あるが秀吉の朝鮮出兵に反対だった事が上げられている。

結局朝鮮出兵の失敗が関ケ原になり堺は大坂夏の陣で焼け野原になる。徳川家康の時代を迎え堺の街は再建された。新しい街が都市計画の元創られ千利休の屋敷がどこだったかは判っていないらしい。

 

「さかい利晶の杜」は千利休や茶の湯の事が詳しく展示されていた。利休の利と堺出身の与謝野晶子の晶で「利晶の杜」のようだ。

 

南宗寺(ナンシュウジ)

大きな境内のお寺で明日はお祭りらしく準備が始まっていた。千利休が修行をしたお寺だそうで今もお茶会で有名。広大な敷地に枯山水の庭等があった。

 

最後に堺市博物館へ。ここだけ場所が離れていて時間を気にしながら大急ぎで歩いて行った。仁徳天皇陵の近くで広大な森の中にあった。展示場はそう大きくは無いので1時間もあれば見れる感じ。映像が2回が行われるようでひとつは見逃してしまった。もう一度ゆっくり見に来たい博物館でしたので又来ます。

 

博物館の中もボランティアのガイドさんがいらして色々教えていただいた。一番説明したかったのは古代みたいでしたが戦国時代あたりの事を沢山質問して丁寧に対応してくださいました。

この屏風は住吉祭の神輿が堺へ渡って来る様子が描かれた見事なもので当時の堺の街の様子が良くわかる。

 

火縄銃の仕組みが図解。日本に火縄銃が伝わったときに種子島の刀鍛冶が自力で解決できなかったのがネジだった。どこにネジが使われていたのがが詳細にわかる。

日本の地図に都と堺が描かれていた。

 

もう暗くなったが最後に開口神社(アグチジンジャ)に行って御参りをした。海に向かって口を開けるという意味らしい。海と交易委とかかわって来た堺らしいネーミングだと思った。この神社の横の会所で堺の有力商人の代表が集まり街の自治を行った。いわゆる「会合衆」の会合だ。与謝野晶子が子供の頃遊んだという。

 

丸一日良く動いた。神戸まで今日中に帰れる時間だけれど余韻に浸りたいので堺に泊まることにした。ネットで見つけたビジネスホテルは堺市役所近くのダイワロイネット堺東。このホテル・グループは一度仙台で泊まった事が有ったので即決。ロビーが広々していて安心感があった。ダブルルーム一泊10400円。場所が良く清潔で安くて満足でした。

 

夜は近くの飲み屋街へ行った。昭和な感じのアーケード街はスペインのバル街みたいで沢山の人がビールを片手につまみを取って語り合っていた。リラックスしたムードで提灯が素敵でレトロ。

 

チリのワインで乾杯して本日は無事終了です。

最後に

東洋のベニスと呼ばれた堺に南蛮人や宣教師が活躍した時代の物を求めて旅をした。応仁の乱と大坂夏の陣で火の海になり私が見たかった時代の物は何も残っていなかった。堺の豪商たちの富や財産も焼かれて悔しい思いをし泣いた人達もいただろう。しかしその後も堺の技術産業は残り今も「日本の物づくりの街」の代表だ。形がある物を丁寧に作っている人を見ると安心する。街は思った以上にしっとりとして綺麗だった。

キャンピングカーの週末小旅行、サント・ドミンゴ・デ・シロスのグレゴリオ聖歌とログローニョのお祭り。

リオハのログローニョがお祭りらしい出かけよう、ついでにサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のグレゴリオ聖歌を聞きに行くのだ~と急に決めて出発した。9月の週末2泊3日私たちのキャンピングカーの旅の記録。

9月15日マドリードからサント・ドミンゴ・デ・シロス228キロ

15時出発。午前中夫の仕事が終わるのを待ちお弁当を作って今回は久しぶりに北に向かうブルゴス街道。あ、今日は土曜日だった。まだ9月の夏休みの人達が出かける時期、お天気は快晴。

ブルゴス街道
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへキャンピングカーの旅

実はもう少し早く出発する予定が充電器探しに時間がかかって遅くなる。探し物をしている時間が私の人生のほとんどだ。

ブルゴス街道をしばらく走ると山、スペインはどちらに走っても山だ、グアダラマ山脈を超えてカスティーリア・レオン州へ。

街道
筆者撮影、キャンピングカーでサントドミンゴデシロスの旅

ソモス・シエラの1400メートルの峠を超えカスティーリア・レオン州に入る、と、突然大雨、それもびっくりする程の豪雨。2分くらいの雨の中を走ったおかげで車が綺麗になった。

街道
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへ

ブルゴス街道から州道に入って途中カレルエガの村へ寄ってみる。スペインの最も美しい村のひとつに選ばれた事があるらしい。サント・ドミンゴ・デ・グスマンが12世紀に創設した修道院がある街。紛らわしいが今日行くサント・ドミンゴ・デ・シロスの聖ドミンゴとは別の聖人。

カレルエガ
筆者撮影、カレルエガ

小さな街に大きな修道院、スペインでは良くある事だけれど村より修道院がうんと大きい。カスティーリア・レオン州はレコンキスタの中心、激戦地域でイスラム教徒から奪い返した土地に教会や修道院が作られキリスト教徒が入植して街を作って行った。丁度エル・シドが活躍した時代の修道院です、が入場はしないで前に進みます。

カレルエガの街
筆者撮影、カレルエガ

 

カスティーリア・レオンはどこまでも平らで大きい。畑が続きぶどうからヒマワリに変わった。

街道
筆者撮影

平らな景色から次第に山に入りまず目指すのはジェクラ渓谷。

街道
筆者撮影

カーブが続いてそろそろかな~と思っていたら突然着いたみたいで標識も案内板も無い。トンネルを越えて行き過ぎてもう一度戻って車を止める。

ジェクラ渓谷入り口
筆者撮影、ジェクラ渓谷

 

戻って行ってトンネルの手前に結構大きな駐車場、もちろん無料。スペインはどこも無料の駐車場が多くて、人を雇うより安いからなのかと思うが、めんどくさいのが本音かも。

ジェクラ渓谷
筆者撮影ジェクラ渓谷

(写真下)BAJADA A LA YECLAバハーダ・ア・ラ・ジェクラ、ジェクラへの降り口の文字が壁に書いてある。ここを右下に降りていく。

ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷

1キロ位に渡ってジェクラ河に浸食された渓谷に遊歩道が作られている。

ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷

大人ひとりがやっと歩けるほどの幅の切り立った崖になっているが遊歩道なので歩くのは普通の靴で問題ない。向こうから人が来たら少し広い所ですれ違う。

ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷
ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷

最期まで歩いて約15分くらい、帰り道は上に登ってトンネルの中を歩くものありだけど同じ道を戻る事にしよう。近くを歩いていた人達もどうやら同じ考えみたいで戻って来た。もうここから目指すサント・ドミンゴ・デ・シロスは3キロほど。

サント・ドミンゴ・デ・シロスへの街道
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへ
<サント・ドミンゴ・デ・シロス>

ブルゴスから60キロ程南にある小さな街。元々修道院が有ったようだが10世紀にコルドバのアルマンスールにより破壊され街は荒れ果てていた。11世紀にリオハのサン・ミジャン・デ・コゴージョの修道士ドミンゴによりこの荒廃した修道院は修復された。19世紀の永代財産解放令により再び荒廃したがフランスからのベネディクト会の修道士たちがやって来て再び修道院は復活し今に至る。

 

サント・ドミンゴ・デ・シロスの街の手前に無料の駐車場、ここに車を止めて城壁沿いを3分程歩いていく。

サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへ

ここで有名なのは修道院のロマネスク回廊とグレゴリオ聖歌のミサ。ロマネスクの回廊は今日はもう閉まっているのでサン・セバスティアン教会へ。19時30分のミサが始まるので早速入りましょう。中は残念ながら写真は禁止。ミサは参列者が随分がいたが私たちの様な観光客っぽい人が多く途中で出ていく人も。20人程の修道士たちはそんな事全く気にしていない、というかまるで誰も参列していない様な独特の世界を作り上げていてグレゴリオ聖歌のミサは執り行われた。私が知っている教会のミサとは違って司祭がワインを飲んだり参列者に聖体拝領も無いミサだった。

 

シロスのサンセバスティアン教会
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

夕食はお弁当の残りで済ませ夜のミサは21時。昼間と違って地元の人が多く静かなミサ、夕刻のミサとは別のグレゴリオ聖歌が歌われやはり修道士は20人ほど。同じく参列者の事などは気にしていなくワインも聖体拝領も無い、ミサのやり方は少し違って香炉の煙を最初に修道士たちに向けて、その後参列者の方にも。なんだか有り難い感じでした。

夜の教会
筆者撮影、シロスのサンセバスティアン教会

9月16日 サント・ドミンゴ・デ・シロスからログローニョへ199キロ

早朝のミサは6時から。夫は昨日から行かない宣言していたのでひとりで行って来た。私を入れて6人の参列者で祭壇の方に手招きされた。私以外の来ていた人達は慣れた様子で前の祭壇の聖歌隊席へ進んでいく。私は遠慮しようとしたら再び手で招かれたので仕方なく祭壇の方へ進んで修道士の方々と同じ聖歌隊席へ上がった。「日曜日の早朝だから?「」何が始まるの?」と心臓の音が教会中響くんではと思うほどドキドキした。誰にも質問も出来ず誰も何も話さない、聖歌が書かれた紙を渡されて約1時間程のミサは進行して分からないまま歌を歌った。音が頭の中をぐるぐる回り独特の感覚、一生忘れない体験になった。教会を出た後も頭の中でグレゴリオ聖歌が鳴っていた。

次のミサも参加しよう次は9時から、と思っていたら8時だったみたいで行ったら終わっていた、これは残念。仕方ないのですぐそこの丘に登って行く。(修道院のホームページと実際の時間が違ったので行く方は再度現地で最確認してください。教会の入り口内部に書いてあります)

サント・ドミンゴ・デ・シロスの丘へ
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

登り坂に十字架が置いてあってゴルゴダの丘の再現なのかもしれない。丘の上には小さな礼拝堂と聖母像が有った。

筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

10分くらい登ると丘の上から街が見渡せる。街より修道院の方がうんと大きい。

丘の上から修道院
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

次のミサは11時、ネット上は12時になっていて危うく見逃すところ。日曜日の11時のミサの参列者は地元の人が多く静謐なムードで行われた。ワインも聖体拝領も寄付金の袋も回って来る長いミサだった。毎日ことごとく決まりに従って行われていて1年間位通ったら色々な事がわかるかも、と思った。4回ミサに通って毎回歌われるグレゴリオ聖歌は違ってミサのやり方も違い決まりに従って荘厳に執り行われた。マドリードに戻ってこれを書いているが頭の中でまだグレゴリオ聖歌が鳴り続けている。

 

ミサが終わり次はロマネスクの回廊を見に行く。修道院の回廊は日曜日は12時から13時半までしか見れない。ミサが終わって直ぐに回廊の方へ移動したらもう既に沢山の人が入った後のようだった。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

スペイン語で説明を聞きながらここの修道院のガイドさんと回る。この回廊は以前2度来ているが大抵の修道院やお城のガイドさんの説明は人によってかなり違って当たりはずれがある。日本の様なマニュアルなんてないと思う。そしてここはあまり面白かった記憶が無い。というかよく意味が解らなかったナ~と思いながら順番が来るのを待った。ミサに出ていた若い修道士のひとりが私たちの担当の様で案内されクラウストロ(回廊)に20人くらいで移動。外国人(英国人?)に丁寧に「説明はスペイン語なので自由に回って貰っても大丈夫」と英語で言っていた。最近の修道士は英語もうまいんだと感心、語学留学とか行ったんだろうか。そして説明は面白かった。修道士目線で、でも堅苦しくは無くて興味深く言葉に心が通っていた。

サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

ここの回廊の彫刻家の名前はわかっていない。2人の別の人物=マエストロによって創られ最初のマエストロの方が技術的に素晴らしい。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

写真下は有名な「エマオの道」12世紀とは思えない技法で衣装の透明感やイエス・キリストの振り返った感じや話しかける弟子の動きなどが素晴らしい。瞳には石が入っていたそう。

サント・ドミンゴ・デ・シロス回廊
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院

イエスキリストの埋葬と聖トーマスがキリストの傷に指を入れる場面

サント・ドミンゴ・デ・シロスの回廊
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

午後のミサに行くか少し悩んだ、がもういい事にしてお昼はラーメンです。グレゴリオ聖歌とラーメン、えらいギャップです。

キャンピングカーでラーメン
筆者撮影、キャンピングカーでラーメン

さてログローニョのお祭りへ行きましょう。ここから175キロ、ぶどう畑が続く中をドライブ。

 

ぶどう畑
筆者撮影、シロスからログローニョ

リオハ州はログローニョ県しかない小さな州でもちろんリオハのワインの産地。

ログローニョへの街道
筆者撮影、シロスからログローニョ

秋のぶどうの収穫祭サン・マテオ祭り、サンマテオの日は9月21日で一番盛り上がるらしいが仕事が有るので仕方がない明日は帰る。泊まるところはあらかじめ夫のキャンピングカーの旅のバイブル=FURGOで調べた川の横の大きな無料駐車場。キャンピングカーも沢山来ていてここに止めた。しばらくしたら満杯になったので早めに来ておいてよかった。

ログローニョ駐車場
筆者撮影、ログローニョ

中心部へ移動したらもうすでに盛り上がっていて太鼓の音で頭の中のグレゴリオ聖歌は消えて心は一気にヒートアップ。

ログローニョのお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

 

太鼓の音は自分の中の原始的な何を奮い立たせる気がする。復活祭に太鼓を夜通し叩く村が有るけど、そこのグループなのか?リオハは太鼓が有名なのかまた調べてみる事にします。

ログローニョお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

 

ムリエタ広場で「煮込み料理が無料」書いてあったので行ったら既に鍋は空っぽ。スペイン人に絶対かなわない事「無料の時の根性」。からっぽの鍋を見てがっくりして次へ移動。

ログローニョお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

ではバル街へ行こう。「ラウレル通り」にバルが沢山あるらしいのでグーグルマップを頼りに行くとすごい人。楽団も来ていてどこのバルも賑やかだ。

ログローニョお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

「カーニャ」(小さいコップのビール)と頼んだら大きなビールが来た。お店の人に聞いたらマドリードのカーニャはここではコルトと呼ぶらしい。

ログローニョ、バル街
筆者撮影、ログローニョお祭り

ピンチョをいくつか頼んで移動。

ログローニョ、バル
筆者撮影、ログローニョお祭り

3軒目のバルはみんなこれソロミージョを頼んでいた(写真下)。手前は岩塩で焼きピーマンとサラダ付きで3ユーロ60セント。どこもピンチョのレベルが高いのはバスクが近いからに違いない。サン・セバスティアンまで行かなくてもログローニョで充分ピンチョ巡りが楽しめることが分かった。値段も安くてお店の人がみんなとても感じが良くてログローニョ目茶気に入りました。

ログローニョのバル
筆者撮影、ログローニョのバル

明日は平日らしいがお祭りはまだまだ続く。私たちはもう沈没です。歩いて駐車場へ。おやすみなさい。

9月17日、ログローニョからソリア経由でマドリードへ

朝起きたら車が殆ど無くなっていて街はもう動き出していた。お祭り楽しくてまだ今日もいたいけど明日は仕事だ、帰らなければ。

キャンピングカーで泊まった駐車場
筆者撮影、ログローニョ

「エッ?」とビックリしたのはここでハンモックで寝ている人がいた。スペイン人はやらないと思うのでどこかよその国の人?。駐車場でテーブル出したり椅子出したりはスペインでは禁止で警察が来たら罰金です。

ログローニョの泊まった駐車場
筆者撮影、ログローニョ

車はドイツナンバーだけど「ドイツ人ではありません」と書いてあった。ある意味深い。

ログローニョの泊まった駐車場
筆者撮影、ログローニョ

ではマドリードに向かいましょう。ここからはソリアに向かって走って行く。この街道は初めて通る凄い景色だ。

ソリアへ向かう街道
筆者撮影、ソリアへ

山を切り開いて道路が出来ていて山の上に時々村が見え隠れする。

ソリアへの街道
筆者撮影、ソリアへ

そして暫く走るとどこまでも平らになるカスティーリア・レオン。

ソリアへの街道
筆者撮影、ソリアへ

途中ソリアの手前、ヌマンシアに寄って帰ろうと遺跡に登って行ったら今日は月曜日でお休みでした。ヌマンシアはローマ人が来た時に最後まで抵抗して8か月間の籠城戦の後、自ら街に火を付け力尽きた街。以前来たときは入り口は無く勝手に入れた記憶が有るけど有料になったみたい。見るのはその後のローマが作った遺跡だし・・・と負け惜しみ。月曜日はみんなお休みなんです。

ヌマンシアの遺跡
筆者撮影、ヌマンシア

ソリアで少し散策して帰る事にした。いつも通過してしまう街だ。ロマネスクの教会が残っていてここはサントド・ミンゴ教会。

ソリア、サントドミンゴ教会
筆者撮影、ソリア

入り口のタンパンに見事にロマネスク彫刻が残る。しばらくふたりで口を開けて見とれた。

ソリア、サントドミンゴ教会
筆者撮影、ソリア
サントドミンゴ教会のタンパン
筆者撮影、ソリア

ソリアの街の中心部へ歩いてバルで朝食。スペインでは良く食べ物にフォークが刺さって来る。トルティージャ・エスパニョーラとコーヒーで2ユーロ40セント。

バルで朝食
筆者撮影、ソリア

その近くのサン・ファンデ・ラバネラ教会も一部ロマネスク。

ソリア、サンファンデラバネラ教会
筆者撮影、ソリア

丘の上に登って行くと教会が有った。

丘の上の礼拝堂
筆者撮影、エルミータ

ドゥエロ河が見える展望台になっているところから町が綺麗に見えてアントニオ・マチャードに捧げた碑。

丘の上から
筆者撮影、ソリア

アントニオ・マチャードは19世紀の終わりから20世紀の初めのスペインの詩人で生まれはセビージャだがカスティーリア地方の雄大な美しさを詩に書いている。この丘によく登って来たらしい。

ソリアの丘からドゥエロ河
筆者撮影、ソリア

サン・ファン・デ・ドゥエロにはイスラムの影響を受けた回廊が有るらしいがここも月曜日はお休み。サン・サトゥリオの僧院も閉まっているけど1キロ程川のほとりを歩いてみた。

ソリアの景色
筆者撮影、ソリア

修道士サンサトゥリオが瞑想した岩の上に僧院があって中は18世紀のフレスコ画が有名らしい。また機会があれば戻って来ましょう。

ソリア
筆者撮影、ソリア

さあ帰りましょう。ここからマドリードは230キロ程。マドリードで家の近くのテラスで無事帰着のお祝いをして終了。

 

使ったお金ガソリン代70€、その他65€

合計135€

走行距離 554キロ

という私たちのキャンピングカーの旅の記録でした。

 

ペルーの旅、聖なる谷とマチュピチュ、クスコの旅の記録2018年8月8~17日

今回は日本からのお客様とパリで合流してペルーを周遊。4年前にもペルーを仕事で周遊したがペルーは非常に奥が深く興味は尽きない。自分の忘備録として今回のペルーの旅の記録を残しておくことにした。

行程について

クスコの標高が高く高山病になるケースが多いので高度調整にウルバンバ2泊とマチュピチュ2泊をクスコの前にいれた。(いきなりクスコ滞在は変更してもらった)旅程に余裕がないと難しいができればクスコ観光は後回し、又クスコからマチュピチュ日帰り等は避けた方が良いと思う。

ペルー注意事項

*リマの治安は良くないので注意。リマでは流しのタクシーは絶対に乗らない事。クスコやマチュピチュ、ウルバン等は治安問題なし。

*全国どこでも水道水は飲まない事、ミネラルウォーターを購入。ある程度のレベルのホテルにはサービスで部屋に置いてある。

*両替は空港より市内の両替屋の方が良い。ドルが通じるところが多いが現地通貨が有る方が便利なのである程度両替すると便利。

持って行くと良いもの

日焼け止め、帽子、虫よけスプレー、薄手のダウンジャケット(夏でも冬でも)、リュック、小さめのボストンバックか小ぶりのスーツケース(マチュピチュ行きの列車に大きなカバンは持って入れない)。

服装

今回はペルーは真冬にあたる8月中旬の旅行でしたが赤道に近いためほぼ平均20度~25度位。クスコの朝は7度、昼間は24度、マチュピチュは17度から25度で朝以外は暑かった。日差しは強く日陰になると寒いので脱いだり着たりできる様にTシャツの上にフリース、その上にゴアテックス、念のため薄手のダウンで温度調整。

前回は6月の旅行でペルーは秋にあたるが殆ど同じような気温でした。

高山病

クスコとその近郊に3400メートル~3900メートル地点があり人によっては高山病の症状が出る。ゆっくり歩く、酸素を沢山体に取り入れるが大切。ヨガ呼吸の様にゆっくり体内に酸素を取り入れる準備をリマ出発時からやっておく。薬は現地でも買えるが作用が強く手が痺れるなど副作用。日本から手に入れるならダイアモクス(緑内障の薬)が高山病に効くと言われているが高山病予防薬としては処方されない。私は銀杏の葉のエキス(スペインで購入)をパリの空港から毎日水に溶かして飲んでいた。効くかどうかは賛否両論だが日本の山岳登山会のホームページでも紹介されているので興味がある方は参考にするとよい。日本でも購入できる。高山病の症状は同じ人が同じ高度で出るときや出ない時が有るそう。一番大事なのはあまり心配しない事、体調管理のような気がする。クスコへ出発が決まったら日常から深い呼吸と適度な運動を意識するといいと思う。

 

前泊:パリ8月7日


マドリードからパリ行きの飛行機が2時間遅れでパリ到着が00:30分。空港内シャトルの最終が01:00なので正直ヒヤッとしたが何とかホテル到着。シャワーを浴びて2時間位眠れるか・・・いや一睡もできず出発。

パリ空港ホテル
筆者撮影、パリ空港ホテル

ノボテル・エアーポートはシャルル・ドゴール・ターミナル3、空港内シャトル降りてすぐにあるのでアクセスが良くホテルは清潔で広々していた。

1日目8月8日


パリの空港で早朝に合流しリマ行きの便が出るラウンジで朝食。パリから12時間なのでパリ東京と同じくらいの距離を大西洋上を飛びカリブ海上空からリマへ入る。

航路の写真
筆者撮影

機材はボーイング777/300。

ペルー入国は簡単でパスポートのみ、税関も書類無しで検査なしで通過。リマは治安が悪く車の渋滞もひどい。渋滞中に車の窓を割られて貴重品を取られるケースが有ると聞き緊張感が走った。

ホテルは治安の良い住宅街ミラフローレス地区。今日はチェックイン後すぐお部屋に。

ホテル・ベルモント・ミラフローレス・パーク

ミラフローレスのホテル
筆者撮影

バスルームはバスタブとシャワーブースが分かれたタイプ。

ミラフローレスのホテル
筆者撮影、ホテル

 

夜にお腹が減りルームサービスでMakisushi巻き寿司、を取ったら仰々しく銀のお盆にお花が着いて凄いのが来た。一番驚いたのはチーズとアボガドが入った巻き寿司がフライになっていてびっくりした。巻き寿司と思って食べなければ美味しい。

リマホテルのルームサービス
筆者撮影

ビールはリマでは珍しくクスケーニャ

クスケーニャビール
筆者撮影

おやすみ~(食べてすぐ寝る、相撲取りへの道だ~)

2日目:8月9日

朝食は見晴らしのいい11階でビュッフェ。ペルーは国土の60%がジャングルで様々な果物が豊富な国でどれも美味しそう。

リマホテル朝食会場
筆者撮影

ホテルの前はきれいな広場でその向こうは太平洋が広がる。リマの天気はいつも薄曇りらしくスカッと晴れることは少ないという。

リマホテル前の広場
筆者撮影

ホテルを出発して空港へ。朝8時から既に渋滞。空港まで25キロが1時間、ミラフローレス地区から空港に行くとまるで別の国の間を走っている様に街のムードが変わって行く。

リマの渋滞
筆者撮影

空路リマからクスコへ。前日LATAM航空ウェブ・チェックインしていたので手続きはスムーズ。ペルーの国内線手荷物検査でペットボトルの水は持って行ける。リマ・クスコ間は約1時間30分、ほぼ1時間ごと頻繁に出ている。

ペルー国内線飛行機
筆者撮影

機内食は有料、離陸と共にメニューが配られてきた。

ラタム機内食メニュー
筆者撮影

 

クスコ空港到着ロビー。標高が高いのでゆっくり歩きましょう。

クスコ空港到着
筆者撮影

リマと違ってクスコの空はすっきり青かった。

クスコの空港
筆者撮影

クスコの空港を出発のち、標高3500メートルから3900メートルの地帯を移動、周りには雪をかぶったアンデス山脈が続く。

アンデスの景色
筆者撮影

山の間に時々村があり素朴な人々の生活が垣間見える。

アンデスの景色
筆者撮影

ウルバンバに到着。先に両替とランチ。中央アジアの街見たいな懐かしい感じ。

アンデスの景色
筆者撮影

地元の人ばかりの小さな店での最初の食事はペルー定番のロモサルタード、子牛の肉と野菜の煮込み料理に白いご飯。中華料理みたい。

ウルバンバのランチ、ロモサルタード
筆者撮影

チチャモラーダはペルーの国民的飲み物。紫トウモロコシとパイナップルの皮を煮込んでシナモンで味付け。

チチャモラーダ
筆者撮影

 

聖なる谷に有るウルバンバは小さな村。クスコとマチュピチュの間に有り標高2800メートル。前述したが標高0メートルのリマから標高3400メートルのクスコに飛行機で飛ぶと体に負担がかかる。日程に余裕があれば高度調整に丁度いい。私たちはタンボ・デル・インカというリゾートホテルに2泊して時差と高度に順応しながら付近の遺跡や村の観光をする。

宿泊はスターウッド・ホテルリゾートのタンボ・デル・インカ。斬新な木造の建築が村の景色によく溶け込んでいる居心地のいいホテル。

ホテル、タンボ・デル・インカ
筆者撮影

天井が高くどこにカメラを向けても絵になるホテルだ

ホテル、タンボ・デル・インカ
筆者撮影

午後はウルバンバの街散策

ウルバンバの街
筆者撮影

街の規模が小さくぶらっとお散歩するには丁度いい。

ウルバンバの街
筆者撮影

オート三輪が主流でそれぞれ色とりどり。

ウルバンバ
筆者撮影

ホテル入り口は警備の人がいつもいて出入りする人のコントロールをしているから安心だ。

ホテル入り口
筆者撮影

 

タンボ・デル・インカ・ホテルの敷地内を散策すると駅が有った。早朝ここからマチュピチュ行きの列車が出るのでここに宿泊して日帰りでマチュピチュの人もいるのかも。

ウルバンバの駅
筆者撮影

夕食は近くのレストラン、トレス・ケロスへ。入口は素朴な民家のような感じ。素朴過ぎて階段が揺れて怖かった。

トレスケロス
筆者撮影

 

内装は斬新で来ていたのはヨーロッパの人達ばかり。食前酒はピスコ・サワー。ピスコというぶどうの蒸留酒と卵の白身のカクテル。

ピスコサワー
筆者撮影

主菜のみの注文でキノコのリゾットと

トレスケロス
筆者撮影

マスの焼いたの

トレスケロス食事
筆者撮影

タンボ・デル・インカのお部屋

タンボデルインカ室内
筆者撮影
タンボデルインカの室内
筆者撮影

バスルームは大きなバスタブの横に排水溝の有るシャワーブース。

タンボデルインカの室内
筆者撮影

3日目:8月10日


ホテル朝食はローカルメニューや豊富な果物。

ホテル朝食
筆者撮影

地元のお料理コーナー

ホテル朝食
筆者撮影

ハチの巣ごとのはちみつ

ホテル朝食
筆者撮影

 

 

今日は聖なる谷の観光。聖なる谷はアンデスの谷間の肥沃な大地。作物が豊富で神々が住むのにふさわしい所だ。聖なる谷が夜空に映ったのが天の川なのか、天の川が降臨したのが聖なる谷なのかな・・・と思った。

マラス塩田はインカの古い時代から塩を供給していた。アンデスがもともと海の中に有ったので山の中から暖かい塩水が流れて来ていて今も豊富に塩が取れる。何万年か前の海水と思うと地球の神秘を感じる。お土産にマラスのお塩を買った。他の物もここが一番安かった。

マラス塩田
筆者撮影

モライ遺跡はインカの農業試験場だった。標高3500メートルの所から地形を利用して段々畑が作られており標高差100メートルの所で異種交配や高度の違いでの作物の研究をしていた。

モライ遺跡
筆者撮影

写真ではわかりにくいが一番下までの標高差は100メートル、ひとつの段が約1メートル温度差は5度。ここでトウモロコシやジャガイモなどの品種改良を行った。

チンチェーロ村はクスコから30キロほどに有る標高3700メートルの村。

チンチェーロ村
筆者撮影

階段を上るとさすがに息が切れる。今は観光収入がかなり町を潤しているようでお土産物屋が沢山。同じものでも随分値段が違うので行きと帰りにリサーチした方が良いかも。村人や子供の写真を撮ると1ソル程のチップが必要だ。

チンチェーロ村
筆者撮影

インカの街の石畳はどこも日本の城下町を思い出す。

チンチェーロの村
筆者撮影

インカ時代の神殿が有ったところはスペイン人によって教会が作られており今も使っているようだった。ヨーロパ人はいつも傲慢だ。

チンチェーロ村
筆者撮影

ケチュア族の村で織物の説明を受けた。自然の食物や虫で色を付けて手で織って行く方法はおそらく2000年位前から変わっていないのではないか。

ケチュア族の村
筆者撮影

ケチュア族の人々の髪の毛はみんな真っ黒で年配の方々も白髪の人がまずいない。アンデスの山で採れる芋で髪を洗うらしいがそれは市場では売られていないので山に探しに行くしかないみたいだ。タケノコ掘りの名人みたいな人がいるのだろうか。

ケチュア族の村
筆者撮影

昼はウルバンバに戻ってランチは地元のローストチキンの店

ウルバンバ
筆者撮影

ペルー人はローストチキンが大好きらしい。あらゆるところにローストチキンの店が有る。

ローストチキン
筆者撮影

午後はホテルに戻って休憩、夕食はホテルのメイン・ダイニング。ケーナとサンポ―ニャの演奏は本当に素敵だった。ここでやっぱり「コンドルは飛んでいく」聞きたいですね。

ホテルレストラン
筆者撮影

マスとワインで軽く夕食。あ、写真撮るの忘れて一口お先にいただきました。失礼。

ホテルレストラン
筆者撮影

4日目:8月11日


大きなスーツケースはホテルに預けて出発。マチュピチュ行きの列車は5キロ以上の荷物はだめらしい。それでも持って来ているヨーロッパ人もいたけど。朝はピサックの村のマーケットへ。元々は物々交換の場だった広場で今はお土産物ばかり。

ピサックの村
筆者撮影

途中村のチチャ屋で休憩。チチャはトウモロコシの発泡酒で古代アンデスの時代から儀式に使っていたお酒。今もペルーでは良く飲まれている。

チチャ屋
筆者撮影

エコケ人形が壁に飾ってあった。ペルーのラッキーアイテムで週に2度タバコを吸わせると願いをかなえてくれるらしい。

エコケ人形
筆者撮影

オリャンタイタンボの遺跡の見学。インカ時代に戦略的に重要な地点だった。

オリャンタイタンボ
筆者撮影

巨大な石の神殿が頂上に残る。向こうの山からこの巨大な石を運んで創ったという神殿。石の表面にピューマの浮彫があったらしい。

オリャンタイタンボ
筆者撮影
オリャンタイタンボ
筆者撮影

下の街には石組の綺麗な街が残る

オリャンタイタンボ
筆者撮影

お昼は広場に面したレストランにて

オリャンタイタンボ
筆者撮影

今日もペルー定番料理、アヒ・デ・ガジーナ。チキンに黄色いピーマンソースにお米添え

ランチ
筆者撮影

ペルーレイル15:37発ビスタドーム1時間30分でアグアス・カリエンテスへ。社内では飲み物とスナックのサービスが有った。

ペルーレイル
筆者撮影

アグアスカリエンテスはスペイン語で熱い水。古くから温泉が出る。

アグアス・カリエンテス村
筆者撮影

ホテルは駅のすぐ近くのエル・マピ。日本の山にあるホテルみたいな感じでシャワーのみの簡素なホテル。結構激しい雨が降り出し寒いので今日はホテルで夕食。夕食はホテル側のサービスで付けてくれたと旅行会社から聞いたがグラスワインが一杯1000円近くでビックリ仰天、しかもレシート無しでちょっとムッとした。けどこんな遠くまで運んできたから仕方ない、日本でも山の上は値段が高いのだ。「明日は外で食べるぞッ」と心に決めた。でも食事はちゃんとしていて美味しかった。

ホテル・マチュピチュ
筆者撮影

ホテル・エル・マピ

ホテル・エル・マピ
筆者撮影

壁が薄いお部屋で廊下の音や隣の音が良く聞こえて眠れないか、と心配したけど3時間ほどぐっすり眠って目が覚めた。毎日2時30分頃に目が覚める。スペインの9時30分、時差ボケは続く。人間3時間も熟睡すれば何とかなると、自分を慰める。

5日目:8月12日


昨日の大雨は夢だったのか、と思うほどの快晴だ。日曜日で地元の観光客も多いので少し早めにホテルを出発してバス停で並ぶ。朝7時半に列の最後尾についた。

マチュピチュバス停
筆者撮影

この日の注意はバスに乗るのも遺跡に入るにもパスポートが必要。長い列だったがバスは頻繁にやって来て30分程で乗れた。バス会社は1社で独占企業、官民合弁らしい。くねくねの登り坂を約30分登って行くともうすでに沢山の人がやって来ている。

マチュピチュ
筆者撮影

遺跡の中にお手洗いは無いので外の有料トイレへ。2018年現在2ソル、4年前は1ソルだった。これも独占、ほかにチョイスは無い。

マチュピチュ
筆者撮影

遺跡の入り口でパスポートの名前と入場券の名前のチェック。今は午前と午後は別の切符購入が必要になった。

マチュピチュ
筆者撮影

最初に階段をかなり登るが登り切るとあとはそうでもない。普通のスニーカーで充分だ。ヨーロピアンはゴム草履の人もいた。2400メートルの地点なので空気もそんなに薄いわけではない。

マチュピチュ
筆者撮影

太陽の神殿

マチュピチュ
筆者撮影

マチュピチュの観光は大体3時間から3時間半で現在見れる遺跡の重要な部分は見学できる。マチュピチュについては別途記事にする予定・・・多分

ランチは遺跡入り口に唯一あるサンクチュアリー・ロッジにてビュッフェ。

マチュピチュ
筆者撮影

午後の入場券もエージェントが用意してくれていたので再入場し今度はインカ橋まで歩く。

マチュピチュ
筆者撮影

インカ道を飛脚は1日200キロ走れたそうだがこの狭い危険な道をフルマラソンの5倍の距離。そういえばインカの人々は肺が大きくヘモグロビンの量が多いと何かで読んだ。人間は標高が高い地域で暮らしたほうが健康になるのではと思った。

マチュピチュ
筆者撮影

堪能してさあ帰ろうとバス停の方に行くと長蛇の列。今朝の3倍はある。鉄道に乗って帰る人はハイシーズンは帰りのバスの待ち時間要注意ですね。私たちはもう一泊アグアス・カリエンテスなのであきらめてのんびり並んで帰りました。バスは頻繁に来るので長い列でも思ったより早く進んで1時間弱程でバスに乗れた。たまたま後ろに並んだカップルが日本の方でウルグアイにお仕事で駐在中で夏休み中だそう。

マチュピチュ
筆者撮影
マチュピチュ
筆者撮影

ホテルに戻り一息ついて夕食は今日は外へ。昨日の轍は踏まないぞ。ホテルすぐ前にあるインカ・ワシはトゥリップアドバイザーでも評価が高い。

マチュピチュ夕食
筆者撮影

疲れ切っていたのか食事内容写真撮り忘れたああああ~なので美味しかった頭の記憶のみ

おやすみなさい~

今日も食べてすぐ寝るパターンですが夜中の3時頃から眠れない。

6日目:8月13日

マチュピチュ初8時15分のペルー・レイル展望列車

マチュピチュ・ペルーレイル
筆者撮影

帰りは最高の天気でベロニカ山等雪をかぶったアンデスの山が見えた。同じ席に日本から個人旅行している女性と一緒になった。日本からメキシコ経由で来たそう。

マチュピチュ
筆者撮影

オリャンタイタンボの駅ではコレクティーボ(乗り合いバス)とタクシーが凄いエネルギッシュに営業していた。前を行く大きな荷物を持った人達はインカ道トレッキングの人の荷物やテントを運ぶポーターさん達。途中4000メートルくらいの所があるらしく標高の高い所を大きな荷物を持ってさっさと歩けるんでしょうね。

 

マチュピチュ
筆者撮影

 

オリャンタイタンポから車で再びウルバンバへ移動し荷物を取って聖なる谷をドライブ。途中の高台の聖なる谷が良く見えるレストランでランチ。

聖なる谷が見えるレストラン
筆者撮影

チキンのフライとサラダとジャガイモ

レストランの食事
筆者撮影

クスコ近くで遺跡の観光。タンボマチャイ遺跡は標高が富士山と同じくらいでさすがに急ぐと心臓がどきどきした。

タンボマチャイ遺跡
筆者撮影

この水はインカ時代から流れ続けている聖なる泉。その水源は今も謎だそう。石の組み方がとても丁寧。

タンボマチャイ遺跡
筆者撮影
タンボマチャイ遺跡
筆者撮影

標高3765メートル・・・これを見た後頭がクラクラした。

タンボマチャイ遺跡
筆者撮影

 

直ぐ近くのケンコー遺跡へ。インカ時代の宗教儀式が行われた場所。

ケンコー遺跡
筆者撮影

巨大な石灰岩が重なって置かれている。今まで見て来た他の遺跡とは違う何かを感じる。

ケンコー遺跡
筆者撮影

内部に石を削った王座。これはガイドブックの写真。

ケンコー遺跡
筆者撮影

天上の神コンドルや地下の神である蛇に捧げる神殿や大地の神ピューマを現す石など特別な儀式を行ったところに違いない。

ケンコー遺跡
筆者撮影、ケンコー遺跡

 

クリスト・ブランコ(白いキリスト像)からはクスコの街が綺麗に見えた。

白いキリスト像
筆者撮影

クスコの街並み。街が広がって山の方まで家が作られている。

白いキリスト像からクスコの街
筆者撮影

サクサイワマン遺跡へ。ケチュア語で満腹のハヤブサだそう。インカ帝国の第9代皇帝パチャクティの命令で1438年頃から建設が始まり約50年後に完成したと言われる。

サクサイワマカン遺跡
筆者撮影

巨大な石をどうやって持ってきたのか未だに謎が多い遺跡だ。インカの天上・地上・地下の世界を現す3段に積まれており遺跡を構成する石はリャマや蛇等の形をしたものが有る。

サクサイマワカン遺跡
筆者撮影

クスコの街と周りの遺跡で伏せたピューマの形をしていたという説がありサクサイワマン遺跡はピューマの頭にあたる。下の写真の左の方の①にあたるのがサクサイワマン遺跡、真ん中あたりのⒷが現在の大聖堂があるアルマス広場。空から見たところを意識して創られた街という事なのか・・・謎は深まるばかり。

その後市場に行った。ペルーの人達は良く働く。女性達、特に高齢の女性達も市場で沢山働いていた。

クスコの市場
筆者撮影
クスコ市場
筆者撮影

ホテルはクスコ中心部にあるマリオット・エル・コンベント。教会と修道院の建物を利用して創られているエレガントなホテル。お部屋の中は酸素が送られていて2400メートル位の酸素量だそう。

クスコホテル
筆者撮影

夕食は日本人経営のペルー料理レストラン、プカラへ徒歩10分。今日のペルーレイルで同席だった日本人の女性と偶然会ってなんだかうれしかった。

クスコのプカラレストラン
筆者撮影

マリオット・エル・コンベントの部屋

クスコのマリオットホテル
筆者撮影
クスコ、マリオットホテル
筆者撮影

置いてある家具は16世紀頃のスペインの物でスペイン人たちはこんな立派な家具まで本国から船で持って来ていたのかと驚く。

クスコ、マリオットホテル
筆者撮影

7日目:8月14日


クスコの観光はマチュピチュ博物館から。コップを持つ手は何か宗教行事に使ったのか。

 

クスコ、マチュピチュ博物館
筆者撮影

高貴な人々は幼少の頃から頭を機械で挟んで細長くしたらしい。宇宙人かと思った。メキシコでもこれと同じものを見たので何らかの形で影響しあったに違いない。

クスコ、マチュピチュ博物館
筆者撮影

サント・ドミンゴ教会はインカ時代の太陽の神殿の上にスペイン人が創った教会。地震で教会部分は壊れ内部からインカ時代の神殿が姿を現した。

サントドミンゴ教会入り口
筆者撮影、サントドミンゴ教会

内部は石が丁寧に綺麗に組まれていて精密さに驚く

サントドミンゴ教会
筆者撮影

遺跡の一部が置いてあり石切り口や水路を作った後が良くわかった。

サントドミンゴ教会
筆者撮影

神殿の内部は金で覆われていたらしくそれらはピサロ達によってすべて奪われ金の延べ棒になり本国へ運ばれていった。スペイン各地でよく見る金がたっぷり使われた教会の祭壇はこれらの金が使われている。

対応の神殿の石組
筆者撮影、クスコ太陽の神殿

サント・ドミンゴ教会のすぐ前に有るレストランでランチとなった。

クスコレストラン
筆者撮影

ペルー料理のちょっとづつ色々盛り合わせ

クスコランチ
筆者撮影

毎日欠かさず飲んでるチチャモラーダ。

クスコのランチ
筆者撮影

レストランの内部もインカの石組だった。

クスコ
筆者撮影

破壊されなければ街中に神殿や黄金の宮殿が有った荘厳な首都だったに違いなくスペイン人が憎らしくなった。有名な12角の石。

クスコ
筆者撮影

日本の城下町みたいな景色。インカ帝国のすべてがクスコに集まるように創られた道だった。

クスコ
筆者撮影

この石どうやって作ったんだろう。

クスコ
筆者撮影

精巧に組まれた石は技術もすごいがどれもとても美しかった。

クスコの石組
筆者撮影、クスコ
クスコの石組
筆者撮影、クスコ

歴史博物館にはクスコから発見された様々な物が展示されていた。これ持って帰りたいなあ~というのがいっぱいあった。

クスコ歴史博物館
筆者撮影、クスコ

石臼にピューマの彫刻

クスコ歴史博物館
筆者撮影、クスコ

 

夕食はホテルで頂きました。

クスコ夕食
筆者撮影

サーモンの照り焼き

クスコ夕食
筆者撮影

牛肉400グラム、ヒィエー大きくてびっくりだ。

クスコ夕食
筆者撮影

標高が高い街は慣れれば快適だ、クスコは素敵な街でもうリマに行かなくても良い位の気分になっていた。

おやすみなさ~い、今日も食べてすぐ寝る関取りへの道です。

8日目:8月15日


クスコの空港へ。ウェブチェックインは必須だ。普通のカウンターは長蛇の列になっていた。待合室はほとんどヨーロッパの観光客だった。

クスコの空港
筆者撮影、クスコの空港

リマに到着してまずランチは地元の人気店「メルカード」

リマレストラン
筆者撮影
リマのレストラン
筆者撮影

ウニの前菜

リマのレストラン
筆者撮影

白身魚とアジアンヌードル

リマレストラン
筆者撮影

いくらのスパゲッティ

リマのレストラン
筆者撮影

お食事の後は天野博物館へ行った。天野芳太郎は1898年(明治31年)秋田県生まれの日本の実業家。第2次世界大戦より前にパナマに渡り戦時中は強制送還されたが再びペルーに渡り事業を始めた。アンデスの文明に興味を持ち様々な研究もした天野氏のコレクションが納められている。内部なJAICAの方が説明してくださった。当時の日本人は私たちより国際的で行動力のある魅力的な人が結構いたんだなあ~かっこいい。

天野博物館
筆者撮影

織物が中心だが土器や壺なども沢山あった。ぽっちゃりが可愛い入れ物。どれも持って帰りたい。

天野博物館
筆者撮影

これなんだったか忘れたけどとっても気に入ったのでパチリ。

天野博物館
筆者撮影

アルマス広場の大聖堂。「どこにでも作れるようなものを作ってどこにもないものを壊した」と嘆いたのはコルドバのメスキータ内部に作った大聖堂を見たスペイン王カルロス5世だが、これを見ても同じことを言ったに違いない。

リマ、大聖堂
筆者撮影

現在の大統領官邸は元はピサロのお屋敷だった。

リマ大統領官邸
筆者撮影

ラファエル・ラルコ・エレーラ博物館はイタリア系移民の家族でもともと広大な農園を持つ事業家だった。付近で取れる土器を集めるうちに考古学に興味を持った。コレクションが多すぎて整理されずにまるで倉庫の様に保管されている場所。

ラルコ博物館
筆者撮影

黄金の装飾品は圧巻。儀式に使った物。

ラルコ博物館
筆者撮影

ホテルは初日に泊まったミラフローレス地区のベルモント・ホテルにチェックイン。

リマ、ベルモンテ・ミラフローレス
筆者撮影

夕食はホテルのメイン・ダイニングへ。バスキアみたいな斬新な絵が壁中に描かれていた。

リマ夕食
筆者撮影

海老のグラタン

ホテル夕食
筆者撮影

キノコのラビオリ

ホテル夕食
筆者撮影

 

9日目:8月16日


今日は最終日。夜のパリ行きの飛行機までの時間を利用してリマ郊外のパチャカマック遺跡観光。インカ人が定住するより400年前に大きな宗教都市があったらしい。

パチャカマック遺跡
筆者撮影

まだまだ発掘中でどこでも掘ればいくらでも出てくる感じ。

パチャカマック遺跡
筆者撮影

ランチはバランコ地区のレストラン。昭和のムードというかキューバのレストランみたいだ。

リマランチ
筆者撮影

これはウエベーラというこの辺りのビーチで食べる朝ごはんだそうで魚の卵をフライにしたのと玉ねぎがパンにはさんであるだけのシンプルなものだけど滅茶苦茶美味しかった。

リマ、ランチ
筆者撮影

ロモ・サルタードの麺版。アジアっぽいテイスト。

リマ、ランチ
筆者撮影

アサード・デ・ティラはペルーの伝統料理。向こう側がお肉で手前は豆。隣のセニョールたちもこれを頼んでいた。

リマ、ランチ
筆者撮影

バランコ地区はアーティストが多く住むリマでも人気の住宅街。ちょっとスノッブなお店も沢山ある。

 

バランコ地区
筆者撮影

予定終了、空港へ向かいます。

エアーフランス483でパリへ。機材はボーイング・トリプルセブン777/200。帰りの飛行機で一番眠れてペルー時間に体がピタッとあいました。マドリードに帰ってからしばらく時差ボケで苦しむ事になりそうです。

エアーフランス
筆者撮影
帰りの機内
筆者撮影

 

ペルー忘備録

*ケチュア語話者は多分500万人。たぶんというのは政府も正確に把握していない。その中にケチュア語しか話せない人達も相当数いる。

*アンデスには人類未踏の地が沢山あって探せばマチュピチュの様な遺跡は沢山出てくる。

*アマゾン川と聞くとブラジルのイメージだが源流はペルーから流れる。

*アマゾンには近代人と接触していない人々が住んでいる地区もある。スペイン人たちさえ危険で寄り付かなかった。というのもアマゾンには危険な動物が沢山いるので弓や槍等の武器を持っていて闘争的で近づけなかった。

*もし彼らと接触したら我々が持っている菌などですぐに汚染されてしまう。

*ペルー人はスペインの映画を見るとき字幕スーパーをつける。同じスペイン語でもわからない言い回し等が多すぎるらしい。

*ペルーは海抜0メートルから海抜5000メートルのアンデス、アマゾンのジャングル等がある多様な国でした。

キャンピングカーでサンルーカルのビーチ競馬とポルトガルとグアダルーペの夏祭り、2018年8月

サンルーカルのビーチ競馬と休みの日程がはまるなんてまさかの奇跡だ!何年も前から行ってみたいけど行ってなかったお祭り。これは「行くしかない」と何も調べず飛び出した。カディス県のサンルーカル・デ・バラメダとついでにポルトガルのサンビセンテ岬、帰り道にエストレマドゥーラ県のグアダルーペへキャンピングカーで旅した記録。

 

1日目:8月21日マドリード~サンルーカル661キロ

朝10時、夫が朝の仕事に行っている間にお弁当を作って出発。マドリードからカディス方面は南へ向かうアンダルシア街道と南西へ向かうエストレマドゥーラ街道があるが今回はエストレマドゥーラ街道で移動。

マドリードから出発の道路
筆者撮影、エストレマドゥーラ街道

 

途中トルヒージョを通る、インカ帝国を破壊したピサロはトルヒージョ出身。コンキスタドーレス達はこのエストレマドゥーラ出身者が多いのだけれど何故なんだろう。「ここはとっても貧しかったから」というだけでは納得できない。他にも貧しい地域は有ったのにここだけ突出している。少しだけ街の中心部へ行ってピサロの写真をパチリ。

ピサロ像
筆者撮影、トゥルヒージョのピサロ像

ピサロは出生もあまり定かな事はわかっていなくて父親は軍人だったようだが母親は召使い?、生まれた家も定かではない。ペルーで仲間割れした末相手を殺害し、その親族に暗殺された。その遺体はペルーに残る。

トゥルヒージョ
筆者撮影、トゥルヒージョ

トゥルヒージョがあるこの街道はメリダからセビージャに続く銀の道に繋がっている。アステカを滅ぼしたコルテスはメリダ近くメデジンの出身。コロンブスの新大陸発見後のスペインの船はセビージャに入港していてセビージャには多くの一攫千金を求めた人々が集まっていた。そこからの様々な人や情報がエストレマドゥーラには銀の道を通り入って来ていたはずだ、と何となく腑に落ちた。さあ前に進もう、今日は650キロの移動だ。

エストレマドゥーラ街道
筆者撮影

トゥルヒージョから約152キロのサフラに少し寄ってみる、と夫。サフラは支倉常長の同行者の侍がキリスト教に改宗しディエゴ・ハラミーニョ何某かの家臣になったが給金の支払いを断られ奴隷のように焼き印を押された云々の話がある。侍の日本名は定かでないが髷を切ってキリスト教徒になっていた。スペイン国王に提訴し日本に帰る許可を得てメキシコまで向かったらしいがその後の消息は不明らしい。何のあてもなく街が見たくて立ち寄った。

サフラのパラドール
筆者撮影、サフラのパラドール

サフラの街に入るとすぐ大きなお城が見えて来た。15世紀の建築を後に改装、現在は国営ホテルになっている。サフラはエストレマドゥーラ州だけどアンダルシアの様な街並みだ。

サフラの街並み
筆者撮影、サフラの街

途中お弁当を食べてカディス県サンルーカルのビーチ近くのキャンプ場到着18時20分、まだ夏の太陽は頭の上。サンルーカルから4キロの隣町のキャンプ場、というか駐車場にキャンピングカーの為の設備があるACという施設。

キャンプ場
筆者撮影、チクラナキャンプ場

想像したよりちゃんとキャンプ場で天幕を張ったりテーブルを出したり皆さん長期滞在者みたいだ。車一台12€なので家族全員で来れば家にいるより安いかもしれない。私たちは残りのお弁当を食べて少しお昼寝。ここはスペイン人家族のが多いから話声が大きいなあ、夏休み満喫風。

すぐそこが大西洋、海に沈む夕日を見に行った。夏の夕陽は21時過ぎ。

大西洋に沈む夕日
筆者撮影、チピオナ

近くでビールを買ってきて無事の到着をお祝いした。一本70セント。

夜のキャンプ場
筆者撮影

隣のキャンピングカーのセニョーラの声がとても大きくて内緒話できないタイプの人だね、他人の話が全部聞こえるのもあまり居心地がいいものではない、ちょっと出かけよう。キャンプ場の横に有るバルでマンサニージャ小瓶一本6€。この辺はシェリー酒のなかでも更に独特のコクがあるマンサニージャが主流。

マンサニージャ
筆者撮影

明日はゆっくりだから夜更かしの一日目終了。おやすみ~

移動距離 661キロ

有料道路7.3€

ガソリン35€

ビール2.1€

マンサニージャ6€

2日目:8月22日 サンルーカルのビーチ競馬、連泊日

朝はのんびり8時頃まで寝ていた。競馬が18時からなのでお昼頃に出発してサンルーカルに向かう。4キロ離れているのでこの日差しの中歩くのはやめてバスに乗る。時刻表を信じたのが間違いで13時40分のバスが来たのは14時10分だった。地元っぽい人は14時頃に来ていたのは遅れるのを読んでいたのかは不明。

バス内部
筆者撮影

バスに約30分揺られてサンルーカルへ。途中はかなり大きな別荘ばかりだった。空き地が時々あるけど10年後にはすべて別荘になっているだろう。

バス停から目指すカビルド広場は近くだった。バルやレストランが沢山ある広場で大変な賑わいだ。

サンルーカルのカビルド広場
筆者撮影、サンルーカルのカビルド広場

バルビノというバルに入った。日本の朝の満員電車位の混み方のバル。カウンターまでたどり着けるか・・・

サンルーカルのバル
筆者撮影

トルティータ・デ・カマロン(小エビが入った天ぷら)とエビの茹でたのを注文。水を頼んだら隣のセニョールが「アグア?何という冒涜」と言ってワインをおごってくれた。

トルティータ
筆者撮影

早く出かけ過ぎた、この暑い中どこで時間を過ごしましょう・・・・街をあても無く散策する。

サンルーカルのカビルド広場
筆者撮影

広場やパティオ、白い町並み。

サンルーカルの街並み
筆者撮影

14世紀のムデハル様式の教会サンタ・マリア・デ・ラ・オ教会。最後のオはどういう意味なのかな?もちろんお昼休みで入れません。

その先にメディナシドニア宮殿、内部見学はもうできないけどお茶が飲めるみたいです。ここで休憩しましょ。

メディナシドニア宮殿内部
筆者撮影、サンルーカル、メディナシドニア宮殿

細部にわたり手が行き届いたお屋敷で中が喫茶店。

錬鉄細工
筆者撮影、メディナシドニア宮殿

錬鉄細工が素敵でした。

メディナシドニア宮殿
筆者撮影、メディナシドニア宮殿

17時頃そろそろ浜辺に向かって出発。知らない街を歩くのは楽しい。この辺りはアンダルシアン種の馬が有名でこの建物は馬の飼育場みたいだった。馬に走る速さだけでなく美しさを求めて品種改良を繰り返し創られたのがアンダルシアン種の馬。

サンルーカルの街並み
筆者撮影

ここはプラタ通りという名前。プラタ(銀)通りは南米からもたらされた銀を扱った商人が住んだに違いない。サンルーカルは大航海時代に多くの船が出港している。ここからグアダルキビール川をさかのぼってセビージャへ戻って行った。セビージャにはピミエンタ(胡椒)通りがある。胡椒は当時貴重品で胡椒富豪が登場した。

サンルーカルの街
筆者撮影

銀通りの横にはたばこ屋。タバコも南米からコロンブスが持って帰って来た。

サンルーカルの街並み
筆者撮影

さあビーチへ行こう。まだ太陽はてっぺんだし、パラソルは無いし日陰なんてありそうにない。

サンルーカルのビーチ
筆者撮影

いつもの事だけれど、ちゃんと調べて来ていないので大体の想像だけで動く私たち。17時30頃にビーチに来たらまだみんな楽しそうに泳いでた。

サンルーカルのビーチ
筆者撮影

多分ここを馬が走るところにビニールの柵、ここから見るんだね。準備のいい人はパラソルとか椅子とか冷蔵庫とか持ってとっくに場所取りしているけど隙間は有るのでどこでも見れそう。歩いていたらテレビカメラを持った人が立っている所が丁度カーブになっている。絶対ここが写真撮るのにいいに違いない、ここに決めた。

サンルーカルのビーチ競馬
筆者撮影、サンルーカルビーチ競馬

周りの人に聞いてだんだんわかって来たのは今日は8回のレース。まずは次のレースで走る馬が左から右へ移動を始めた。これで馬の調子やジョッキーの感じを見て子供達がやっている小屋で馬券を買う。

サンルーカルのビーチ競馬
筆者撮影

レースは約30分毎。馬は本物のサラブレッド。

サンルーカルのビーチ競馬
筆者撮影、サンルーカルのビーチ競馬
サンルーカル、ビーチ競馬
筆者撮影、サンルーカルビーチ競馬

私も馬券を買ってみる事に。一口50セント。当たったら3倍の配当のようだ。馬券売り場は手作り風の小屋で子供たちが営業。

サンルーカルのビーチ競馬
筆者撮影

馬券を買うとおまけが着いてきた。子供たちの手作りの可愛いものがいっぱいおいてあって「好きなの選んでね~」

サンルーカル、馬券
筆者撮影

隣のセニョールは地元の人みたいで小さな息子と一緒に馬の事をあーだこーだ言いながら見ている。こうやって育って行くんだね。

ビーチ競馬
筆者撮影、サンルーカルビーチ競馬

 

馬券売り場は何か所もあってそれぞれ手作り感たっぷり。

サンルーカルビーチ競馬
筆者撮影

最後のレースだけゴール地点で見る事に。21時になったのでもうほとんど太陽は水平線。8月の干潮になるこの時期のこの時間に終わるように設定されているようだ。

サンルーカルビーチ競馬
筆者撮影

ゴールの所は正面から馬の写真が撮れるかと思ったがそうでもなく障害物が多すぎ。写真撮りたい人はやはり真ん中あたりのカーブがおすすめです。

サンルーカルビーチ競馬
筆者撮影

ひとつだけゴール地点にいて良かったのは終わった馬が夕日を背にパドックに戻って行くのが見れた。どれもとっても美しい馬で間近に見れたのは興奮した。

サンルーカルビーチ競馬
筆者撮影

「さあ道が混む前に帰ろう」と歩いていたら幸運にもタクシーが通った。キャンプ場横のバルに直行して夕食。21時45分頃まだ誰も来ていない。この辺りはマドリードより更に夕食が遅い。

ビーチのバル
筆者撮影

懲りずにトルティータ・デ・カマロン。ここは一個1ユーロ。

サンルーカルビーチ
筆者撮影

アボガドのサラダとマグロの煮物を頼んだ

サンルーカル、夕食
筆者撮影

ランチ20€

お水2€

タクシー11€

夕食15€

3日目:8月23日サンルーカル~サンビセンテ岬427キロ

おはようサンルーカル。朝食はキャンピングカーで済ませ、隣の声が大きいセニョーラが起きる前に出発しよう。支払いに行った夫がイチジクを貰ってきたというか許可を取って自分で木からもぎ取って来たらしい。甘くておいしい~

サンルーカルのイチジク
筆者撮影

今からどこに行くかまだ決まっていないけど「サンルーカルの河口が見たい」と私。グアダルキビール河が大西洋に流れるところで大航海時代の船が行き交った場所だ。

サンルーカルの河口
筆者撮影

馬で朝のお散歩中の人とすれ違った。セニョリート風の優雅なオーラのある人達だった。この辺の馬主さんたちかも・・・。ここからドニャーナに行く船が出るみたいだ。ドニャーナは国立公園で世界遺産にも指定されている自然保護区。

サンルーカルの塩通り
筆者撮影

サンルーカルのサル(塩)通り。昔はここで塩を取ったのか塩問屋が住んでいたのか。海岸沿いにバルがたくさん並んでいて夜は賑やかに違いない。海にたたずむセニョールはこの辺の親分みたいな風格だった。

サンルーカルの河口
筆者撮影、サンルーカルの河口

小さな教会は入れなかったけど中をのぞくと船を守る綺麗な聖母像。船乗りたちがここで旅の安全をお祈りして出港していったのかも、と思った。

支倉常長一行は帰り道に随分ここで滞在したようだ。その頃にこの教会があったかは不明。

サンルーカル河口の教会
筆者撮影、サンルーカルの教会

「暑いのがもう嫌だ」と夫がいうのでポルトガルのサンビセンテ岬は涼しいに違いない、と突然予定外の隣の国へ行くことにした。私たちには計画というものが無い、よく言えば自由だ。

サンルーカルからポルトガルへ道路
筆者撮影、サンルーカルからポルトガルへ

その前にパロス・デラ・フロンテーラでコロンブスが滞在したラ・ラビダ修道院に寄って行こう。前回来たときに入れなかったのを後悔していた。

サンルーカルからポルトガルの街道
筆者撮影

だめだ~サンルーカルでのんびりしすぎた。このまま行っても修道院はお昼休みなのでポルトガルに直行することに又しても予定変更。ガソリンはスペイン側の方が安いので入れていく。

国境はもちろん無い、注意はポルトガル以外の車は国境を越えたところでクレジットカードの登録が必要。有料道路を通ると自動的に引き落とされる仕組み。この手続きをしておかないと警察に捕まると罰金らしい。前回は要領が解らず時間がかかったけど今日は係りの人がやってくれて簡単だった。夏のピークだからなのかも・・・ポルトガル到着~

ポルトガルへ
筆者撮影ポルトガルへ

サグレス岬はエンリケ航海王子が航海学校を作ったと言われているところ。写真の白い建物だけれど実際航海学校を風と海流の強いここに作ったわけは無く、学者を集めて地理や海流やコンパスの使い方や風の向きなどを研究したところだった。

サグレス岬
筆者撮影、サグレス岬

凄い景色だけどカメラには収まりきれません。

ビセンテ岬
筆者撮影

直ぐ近くのサンビセンテ岬へ移動。今日はここでランチにします。サラダを作って買って来たホットドッグとで簡単に。

サグレス岬でランチ
筆者撮影、サグレス岬

イギリス人がやっているドイツの白ソーセージのホットドッグ。サグレス岬の証明書付で一個3.5€

ランチにホットドッグ
筆者撮影

サンルーカルがあんなに暑かったのは夢だったか、ここは風が強くて寒い。下北半島みたいな強い風が吹く。

サンビセンテ岬
筆者撮影、サンビセンテ岬

キャンピングカーがどんどんやって来てあっという間に駐車場はいっぱいになった。ポーランドから来ているキャンピングカーが有った。遠いなあ。

ビセンテ岬
筆者撮影、ビセンテ岬、ポルトガル

サンビセンテ岬からの夕陽は綺麗だった。海に沈んでいく太陽に何かを感じない人はいないだろう。

サンビセンテ岬からの夕日
筆者撮影、サンビセンテの夕日

夕食はキャンピングカーでカップ焼きそば。ロマンチックな夕陽とのギャップが凄い。

 

移動距離427キロ

キャンプ場2日 24€

ガソリン 60€

ホットドッグ 7€

4日目:8月24日サンビセンテからマサゴン460キロ

アルガルベ地方は以前に既にゆっくり回っていてファロやアルブフェイラはもう行ったので何処に行こう?調べていたらビーチ沿いに岩礁の凄い景色があるみたい。ここに行きたい~

アルガルベの景色
筆者撮影、アルガルベ、ポンタデピエダデ

何か所か見れる場所が有るがポンタ・デ・ピエダードという灯台に行ってみる事にした。どこでも無料で駐車できるのは有り難い。人を使ったり管理する方がお金がかかるという事か?

凄いッ不思議なな寄峰奇岩の景色が続く。

ポンタデピエダード景色
筆者撮影、ポンタデピエダード

安全の為に遊歩道が作られているけれどここからだと絶景は見えない。

ポンタデピエダード
筆者撮影

どこにでも同じような事を考える人がいる様で誰かが壊していった隙間から崖っぷちに行ってみよう。

ポンタデピエダード
筆者撮影、ポンタデピエダド

岩の上を歩けるようになっていて時々危険なところもあるけれどこれは凄い景色。

奇峰奇岩
筆者撮影

海岸から船で廻れるみたいで沢山小さな船が出ていた。私たちは一時間くらい上から歩いて景色を堪能。

ポンタデピエダード景色
筆者撮影、ポンタデピエダデ

ほぼ帰り道に夫が「サングラスがない~」ちょっと戻って来ると言って探しに行ってちゃんと見つけて来たのには感心した。いつも私が落としたものを必ず見つけて帰って来る。これは才能、能力。

ポンタデピエダード景色
筆者撮影

随分景色を堪能した。「船はもう乗らなくていいねえ~」どこかでランチしましょ。ポルティマオという町が近いのでそこに移動。南ポルトガルらしい綺麗な街だった。

ポルティマオの街
筆者撮影、ポルティマオ

昔は漁村だったと思うけど今はヨットハーバーがあるリゾート地

ポルティマオの街
筆者撮影、ポルティマオ

中心部のレストランで私はイカの炭火焼き、夫はスズキのグリル

ポルティマオ、イカ焼き
筆者撮影、ポルティマオ

この後結局スペインに戻ることに。ポルトガルは小さいのだ、少し走ればすぐ国境。あ、ラ・ラビダ修道院に閉まる前に着けそうだからパロス・デラ・フロンテーラへ行こう。「間に合った~」ここはコロンブスが国境を越えてスペインに入ったときに滞在している。ポルトガル王から西回り航海の援助を断られ失意の中息子のディエゴとここで滞在した。今日私たちが通った街道あたりを通ったに違いない。

ラ・ラビダ修道院
筆者撮影、ラ・ラビダ修道院

ここの修道院長がコロンブスの夢のような話に耳を傾けイサベル女王に紹介してくれた。バジャドリのシマンカスにあるコロンブス関連の書類のコピーなどが展示されている。コロンブスのイサベル女王あての手紙や日記、新大陸航海の様々な文物が展示されている。

コロンブス関係書類
筆者撮影、シマンカス文書館のコロンブス関係の書類のコピー

イサベル女王が発行したコロンブスのパスポートのコピー。

コロンブスのパスポート
筆者撮影、イサベル女王発行のコロンブスのパスポートコピー

ピンソン兄弟もここでコロンブスと話したはずだ。ピンソン兄弟はパロス・デラ・フロンテーラの船主一家でピンソン兄弟の協力なしにはコロンブスの最初の航海の出発はあり得なかった。この町ではコロンブスよりピンソンの方が人気だ。

ララビダ修道院内部
筆者撮影、ラ・ラビダ修道院

近くの港にコロンブスが第一回目に使った3隻の船の実物大の模型がある。外からパチリ。

サンタマリア号模型
筆者撮影、サンタマリア号

今日も海の近くに泊まりたい、今日はこの近くで泊まるところを探そう。

マサゴンの標識
筆者撮影

 

「そうそう、マサゴンという面白い名前の町があって~」そのへんで泊まるところ探してみましょう。と行ってみたら以前に泊まったところだった。記憶から完全に抜けていた。ここも無料の駐車場があった事を思い出す。

ビーチで宿泊
筆者撮影、

既に沢山キャンピングカーで家族連れが来ていた。夏のシーズンだからねえ。

夕食は横に有るチリンギート(屋台のバル)で海を眺めながら。

マサゴンの夕陽
筆者撮影

ワインとイワシとトルティータ・デ・カマロンで夕食

夕食のイワシ
筆者撮影

野菜不足なのでトマトサラダを追加。滅茶苦茶美味しいトマトでした。

夕食のトマト
筆者撮影

ワインは今日はボトルでたのんだのでほろ酔い気分でおやすみなさ~い。

マサゴンの夜
筆者撮影

移動距離:460キロ

ポルティマオ駐車2.6€

ポルティマオランチ23.5€

ララビダ修道院7€

駐車場チップ1€

マサゴン夕食 22€

5日目:8月25日マサゴンからグアダルーペ440キロ

おはよう大西洋、今日は海とお別れして内陸に向かいます。

マサゴンの朝日
筆者撮影

アンダルシアは隅々まで広大な畑で水田や果物畑が続く

マサゴンの畑
筆者撮影

この辺りでガソリンを入れていこう値段が安い。

マサゴンのガソリンスタンド
筆者撮影

 

セビージャ方面の高速道路へ乗りエストレマドゥーラを北上する。メリダは古代ローマの遺跡が綺麗に残る世界遺産。イタリア半島以外では一番多く完璧に遺跡が残る。今日はここは通過して先に進みます。

 

カディスからの高速道路
筆者撮影

メデジンは征服者コルテスの出身地。コルテスは今のメキシコ、アステカを滅ぼした。ここのローマの遺跡を見ていこう。

メデジン
筆者撮影

丘の上に大きな要塞が有り街には様々な時代の教会や遺跡が残る。要塞はアラブ風だ。

メデジンの遺跡
筆者撮影

中世の教会の中がオフィスになっていてローマの遺跡が展示されていた。ここに入らなければ無料で要塞に登っていける。

メデジンのローマ遺跡
筆者撮影

ローマの悲劇や喜劇に使った面

メデジンの遺跡の面
筆者撮影

ローマの劇場は2003年頃に綺麗に修復したと内部のビデオで説明が有った。

メデジンのローマ遺跡
筆者撮影、メデジンの遺跡

小さな遺跡なので観光は直ぐに終了、上の要塞は暑いので省略。

スペインは多様だ、景色はどんどん移り変わり畑が樫の木林になった。この辺りはイベリコ豚の放牧地で有名なハブーゴ村も近い。黒豚いないかな?

この道路は銀の道と並行して走っているので銀の道高速道路。ローマ時代に北スペインから銀や鉱物等をセビージャまで運び船に積んでローマ迄運ぶために作ったた銀の道ビア・デラ・プラータ。

銀の道高速道路
筆者撮影

最後は山道をグアダルーペに向かって登って行く。グアダルーペは標高640メートルにある聖地。16世紀に日本からの少年使節も宿泊している。

グアダルーペへ
筆者撮影
グアダルーペの標識
筆者撮影

グアダルーペについたら大変な人だかりでどうやらお祭りらしい。石の広場に砂が敷かれていてところどころに鉄の柵が有るのは闘牛か牛追いが有るに違いない。

グアダルーペ
筆者撮影

今日はパラドールに泊まろうと決めていたので何とか街に入ったけどパラドールの駐車場は天井が低くて無理、パラドールの人に教えてもらったところへ行こうとすると前にも後ろにも進めなくなり周りの人が集まって来た。10秒ほどでグアルディア・シビル(スペイン国家治安警察隊)がやって来たのは誰かが電話してくれたのかも。

救出され安全に車を止められるところに誘導してくれてた。グアルディア・シビルさんいつも悪口言っていてごめんなさい。とっても親切で笑顔で感じ良かったです。

パラドールにチェックインを済ませてお昼ご飯は街で食べよう。

グアダルーペのパラドール
筆者撮影

街はとっても小さい。

グアダルーペの街
筆者撮影

適当に街を歩きまわってあとは夫の野生の勘で決めるのが我が家風。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

入り口にフランシスコ・カノというバイオリニストが住んでいたとセラミックが貼ってある。ここが良い、ここにしよう、知らない音楽家だけどね。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

 

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

入り口のバルは小さいけれども中は奥まで広く家族連れが沢山食事中だった。レストランは地元の人が多い店が間違いない。

アミューズにモルシージャ(豚の血入りソーセージ)とパテ。どちらも美味しい。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

前菜は焼きピーマンのサラダをシェアーで

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

私はイベリコのセクレトの炭焼き。セクレトは秘密という意味で豚の脇腹のあたりを言うらしい。イベリコ豚の中で一番おいしいと言われている部分。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

夫はアスパラとエビの卵あえ。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

デザートはチーズケーキをひとつだけ。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

食後酒はレストランのおごり。リンゴが入ったリキュール。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

合計34.80€

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

食後は少しお部屋で休憩します。私のラッキーナンバー13号室。

グアダルーペ、パラドール
筆者撮影

部屋の入り口の横にはスルバランの絵の模写。グアダルーペに来たひとつの理由は修道院にあるスルバランが見たかった。部屋に帰るたびにこの絵が見れたのは嬉しかった。

グアダルーペ、パラドール
筆者撮影

夜の闘牛祭りは18時30分と言われた。いろんな人に念のため確認したらみんな18時30分と言ったが始まったのは19時頃だった。

ゴヤの版画集に出てくるみたいな村の闘牛祭り。

グアダルーペの村の闘牛
筆者撮影

子供連れも一緒にやんややんやと騒いで牛をはやし立て襲ってきたら必死に逃げる。

グアダルーペの闘牛祭り
筆者撮影

牛のさばきがうまい人が何人かいてびっくりした。

グアダルーペの村祭り
筆者撮影

暑い中何頭か見て疲れたので途中でホテルに戻った。テラスでビールとおつまみで簡単な夕食。

グアダルーペのパラドールの部屋
筆者撮影

部屋のテラスからお庭とメイン・ダイニングが見える。優雅にお食事をする人達のナイフが食器にあたる音と噴水の音が響いていて優雅。

グアダルーペのパラドール
筆者撮影

21時頃ギターのコンサートが始まった。ルイス・マヌエル・モレーノというエストレマドゥーラでは有名なギタリスタだそう。さっきの喧騒とは別世界、月がほぼ満月でとっても素敵な夜でした。あ、夫は先に寝てしまいましたが・・・トホホ

グアダルーペのパラドール
筆者撮影

ガソリン代108€

メデジン入場料7€

ランチ35€

夜のビール3€

8月26日:グアダルーペからマドリード258キロ

朝食は街のバルでコーヒーを飲もうと出かけたが日曜日の朝、どこも開いていない。無理か「帰ろう・・・」と思ったら一軒だけ人でごった返しているバルが有った。

グアダルーペ
筆者撮影

ここに入ろう。チュロスが人気らしくみんな大量に買って持って帰るみたい。私たちもチュロスを。これってポラスのサイズだけど?って聞くと「チュロスはぐるぐる巻いていいるのを言うのよ」と返事が「ごもっとも」コーヒーも美味しかった。コーヒー2つとチュロス3つで3€

グアダルーペの朝食バル
筆者撮影

帰り道に修道院に付随するオスペデリアを見に行った。今も修道士が生活している修道院の一部がホテルになっていて今回パラドールとどちらにしようか悩んだ。2つ星でショボいと哀しいからやめたけど遜色なしで次回はこちらに泊まってみよう。値段もうんと安い。

 

グアダルーペ、オスペデリア
筆者撮影

オスペデリアの中庭、今も10人ほどのフランシスコ会の修道士が生活しているという。

グアダルーペのオスペデリア
筆者撮影

建物の回廊も修道院らしい。レセプシオンのセニョールが親切に色々見せてくれた。また泊まりに来ます、有難う。

グアダルーペのオスペデリア
筆者撮影

いよいよグアダルーペの修道院へ。10時からと聞いたので少し早めに切符売り場へ。「入場は人数がある程度集まってからになりますので10時30分に入口へ。」と言われた、結局10時30分からなのね。その間に教会へ。

グアダルーペ教会
筆者撮影

グアダルーペの黒いマリア像。すべてのイスパニックの守護聖母。修道院の観光の最後にカマリンに入ると、このマリア像がくるりと回るようになっていてすぐ近くで拝むことが出来る。

グアダルーペ黒いマリア様
筆者撮影

一人の牛飼いが迷子になった牛を探していると聖母が現れここを掘るように街の司祭に告げる様に、そして司祭がやって来てここを掘ると聖母像が発見された。その場所に小さな聖堂を作り時代と共に発展したのがグアダルーペの始まり。アルフォンソ11世はグアダルーペのマリアに加護を求めた後にサラードの戦いでイスラム教徒との戦いに勝った。それ以来スペインのレコンキスタの中心になった聖母像。

グアダルーペの教会
筆者撮影

コロンブスが最初の航海から戻った後神のご加護に感謝するためにグアダルーペに巡礼に来ている。南米の先住民たちが教会前で洗礼を受けていたところでもある。教会の中に洗礼を受けるインディオの絵、心がチクリと痛んだ。

グアダルーペ修道院
筆者撮影

内部はこの中庭以外写真撮影禁止。大体40人くらいのグループでスペイン語の説明を聞きながら観光。お目当てのスルバランの絵は最後の方の礼拝堂だったがそれ以外にも素晴らしい絵画や彫刻作品が有った。

グアダルーペ
筆者撮影

毎年9月8日がグアダルーペの聖母の日でプロセシオン(山車)が出るという。修道院の観光は1時間少し、ホテルのチェックアウト12時ぎりぎりになった。急いでパラドールに戻り荷物をまとめてチェックアウト。

グアダルーペのパラドール
筆者撮影

レセプシオンの人が「昨日は本当にごめんなさい」「ってなにがあったかしら?」どうやら昨日到着時に車を止められずにグアルディアシビルに救助された件らしい。「大丈夫、そんなこともありますよね~ッもう忘れてたし」。というか謝られたことにびっくりした。

さあ車に戻ろう。狭い坂道の段差があるところに止めたので大丈夫かな。

グアダルーペ
筆者撮影

こんな状態で車は無事でした。

さあ帰りましょう。帰り道の街道の途中に展望台があった。巡礼者がここからグアダルーペを見て歓喜したところらしい。

グアダルーペ
筆者撮影

小さな街に大きな修道院。街より修道院の方がうんと大きい。

グアダルーペ
筆者撮影

横に小さな礼拝堂。グアダルーペへの巡礼者たちがここまで来た感謝の祈りをささげたところ。

グアダルーペ
筆者撮影

この辺りはコルク樫の林。ドングリが出来る樫の木だが皮がコルクになるので剥がされた後が木の下の部分で赤茶色になっている。約9年位でまた皮が厚くなる。ワインのふたや住宅の暖房材などに使う。

グアダルーペ近郊のクルミ樫
筆者撮影

マドリードに向かう道に出た。今回は予定より一日早く家に帰る。旅は無事に帰れば成功です。

マドリードに向かう高速
筆者撮影

走行距離:258キロ

コーヒー3€

ホテル130€

修道院10€

 

合計走行距離2065キロメートル

使ったお金合計542€

最後に

サンルーカルのビーチ競馬は長年の夢だったので本当に行けて良かった。ただ一つ残念なのは写真を撮ることに夢中になって競馬を楽しめなかったし馬をゆっくり見ていない。競馬をずっとカメラのレンズ越しで見ていた事かな。また行きたいと言ったら夫は卒倒するかもです。18時から21時まで炎天下で全部のレースを見ましたが20時頃少し太陽が傾いてから見に行っても良いかもしれない。ピサロやコルテスやコロンブスは予定外だったけど丁度ペルーに行った後だったので頭の中で色々繋がった旅でした。

 

 

夏のピレネー登山とウエスカの村々,2018年7月16日~24日

5月に続いて今年2回目のウエスカのピレネー・アラゴネス(アラゴン側ピレネー)へ行って来た。目的はオルデッサのゴーリツ小屋の横でキャンプとモンテ・ペルディード(フランス語でモンペルデュー)の登山、ウエスカのピレネー界隈の村を見る事、その旅の記録。ピレネー山脈の魅力はあまり人の手が入っていない野性味。登山電車やケーブルカーが無く素朴で野性的な自然が残り世界中から山を愛する登山家たちがやってくる聖地です。

7月16日:1日目マドリードから登山起点のトルラ・オルデッサまで486キロ

朝からお弁当作って10時15分出発。そろそろ渋滞もない時間、マドリードからサラゴサ街道へ。

マドリード出発
筆者撮影

お天気予報を一週間前から見ていたけどピレネーは毎日雨、気温は5度から17度。雨だったら他に行く?山はやめる?とか言いながらの出発だった。そしてやっぱり曇って来た。

サラゴサ街道182キロメートル地点、ここでガソリン満タンにします。何故か他よりリッター5セントは安い。

高速道路のガソリンスタンド
筆者撮影

知られていないけどスペインは山岳国。マドリードからどっちに走っても山を越えていくことになる。ウエスカ近くの工事が終わればもうピレネーも少し近くなるね。

途中の街道
筆者撮影

15時15分ブロト(Broto)に到着。486キロを5時間、全部国道、有料道路無しだから有り難い。ブロトの川沿いの広場でお弁当を食べて休憩。雨の予報はどこいったか晴天だ。

<ブロトBrotoにある川の横の広場>

ブロト
筆者撮影

少し休憩したら明日のバスの切符を買いにトルラ(Torla)に行こう。夏のハイシーズンだから明日並ぶかもしれないしね。とトルラ(Torla)へ移動して明日の登山の起点になるプラデラまでの切符を買う。

<トルラ・オルデッサTorla Ordesaの山と教会>

トルラ
筆者撮影

切符は往復で4.5€

*トルラ・オルデッサから登山口のプラデラまで。このバスは7月と8月のみ。

<トルラからプラデラ行きのバスの切符>

切符
筆者撮影

 

今日はトルラ・オルデッサの駐車場に止めて寝る事に。夜はトルラの街で夕食。可愛いパティオが有るバルに入る。

トルラのバル
筆者撮影

 

キノコ入りのロンガニーサはひとつ1ユーロ。手作りらしく美味しかった。

トルラのバルでロンガニーサ
筆者撮影

山の中の村だけどイカ・フライが有ったので一皿

トルラのバルでイカのフライ
筆者撮影

ビールとワイン2杯づつで合計17€。安ッ。スイスに比べて飲食が安いのもスペイン・ピレネーの魅力。

ガソリン代 69.37€

バス代8€

夕食代17€

宿泊費なし

7月17日:2日目トルラからコラ・デ・カバージョ経由ゴーリツまで登山

朝は早く目が覚めた。世界遺産のオルデッサ国立公園にあるモンテ・ペルディード(3、355m)の山を目指します。途中のゴーリツでモンテ・ペルディードの行きと帰りにテントで寝る予定。5時に起きて荷物の準備、始発のバスに並んでいる人が既にいてみんなの本気度がわかった。慌てて準備して6時半に並んで7時のバスに乗ろう。

切符売り場は5時45分から開いている。暗いうちから登山客は動き始めていた。

<早朝のトルラ・オルデッサのバスの切符売り場>

トルラ
筆者撮影

*バスは7月と8月のみ運行。それ以外の時期は自分の車でプラデラまで移動できる。車が無い場合は村のタクシー利用になる。

<6時30分には7時のバスに乗る人の列>

トルラのバス乗り場
筆者撮影

大きな荷物は持って乗れないので各自でバスの荷物入れに積み込む。

トルラのバス乗り場
筆者撮影

バスから時々動物が見えるので窓から目を凝らす。約20分でプラデラ到着。

最初は林の中を歩いて行く。登りも緩やかで気持ちのいいハイキング。大きなロープを持った人に合うのは岩登りらしい。いくらでも岩登り出来るところがある。

オルデッサ公園
筆者撮影

暫くはブナ林の中、気持ちのいい軽い登りの山道を登って行く

オルデッサハイキング
筆者撮影

<ソアソの滝  Cascada de Soaso>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

プラデラ・デ・ソアソ。ここまでくるとコラ・デ・カバジョはもうすぐ。私たちはここでお弁当。昨日の残りのお弁当とカレーとパンとチーズ。

<プラデラ・デ・ソアソPradera de Soaso>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

コラ・デ・カバージョは馬のしっぽという意味の滝。ここまで来て戻るコースが一般的。プラデラの登山口から往復16キロで、朝出れば夕方には戻れる危険の少ないハイキングコースだ。今日の私たちはこの滝の上に登って行く。

<コラ・デ・カバージョの滝Cola de caballo>

コラ・デ・カバージョ
筆者撮影

滝に向かって右の方からこの岩を登って行くと鎖場です。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

落ちたら命は無いかも・・・というところが続く。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

買ったばかりのiPhone「落としたらどうしようッ」と思いながらカメラとiPhoneの2つ持ちで撮影を続けるも、その後夫に取り上げられました。「危ない!」確かに。

オルデッサのハイキング
筆者撮影
オルデッサのハイキング
筆者撮影

次第に空気も薄くなりスピードが落ちて後から来た人に抜かれていった。コラ・デ・カバージョから登る事2時間半でついにゴーリツ小屋が見えて来た。到着13時。朝7時半から歩きはじめ5時間半で登り口のプラデラからゴーリツ小屋。

<ゴーリツ小屋 Refugio Goriz>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

テントが張れるのは19時から朝8時までという規則らしい。夕食前にテントを張り今日はゴーリツ小屋で暖かいものを食べよう。座席に限りがあるので予約が必要でした。*山小屋に宿泊する場合は早めに予約しましょう。

ゴーリツ小屋の横にテント
筆者撮影

明日のお弁当の準備、アルファ米のおにぎりの賞味期限切れまくっていました。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

19時からゴーリツ小屋の夕食は前菜ガルバンソ。

ゴーリツ小屋の夕食
筆者撮影

チキンのロースト

ゴーリツ小屋の夕食
筆者撮影

とチョコレートムースでした。

夕食代17.5Ⅹ2=35€

ロッカー代 3€(明日テントは置いて行く為)

夜中に見た星空はとっても綺麗で天の川がはっきり見えた一生忘れない星空だった。

7月18日:3日目ゴーリツ小屋からモンテ・ペルディードを目指すが雪で断念してブロトに戻る。

朝冷たいコーヒー(水で溶いたインスタント)を飲んで8時出発。そしてひたすら山を登って行く。

<ゴーリツ小屋から更に登って行くと岩場>

モンテペルディードへ
筆者撮影

振り返ると氷河に削られた谷が綺麗に見える。標高が高くなると高山植物が小さくなってきた。

<ピレネー登山は高山植物も楽しみのひとつ>

ピレネーの高山植物
筆者撮影

そしてまた岩登りが続く。これってハイキングとは絶対呼ばない、ゼーゼー言いながら登って行きます。

<モンテ・ペルディードはもっと右の方、霧で見えない>

モンテペルディードへ
筆者撮影

だんだん雪が増えて来た。ゴーリツ小屋で既に聞いていたので想像はしていたけどピッケルもアイゼンも無くストックさえ2人で1個な私たち。

モンテペルディードへ
筆者撮影

無理、11時頃にモンテペルディードが見えるけど霧も沢山出て来たのでここで帰ります宣言。夫はまだ行きたそうだったけどね。

雪渓を降りてきた人に上の様子を聞いた。彼らも途中であきらめて降りて来たらしい。今年は雪が多い。マドリードの近くのセルセディージャの人達だった。

モンテペルディードへ
筆者撮影

 

お弁当を食べてあとはひたすら降りていくが、下りがつらいのだ。石がゴロゴロで弱り切った足に気を抜くとズルッと滑るので気が抜けない。辛い中時々遠くを見ると氷河が削った谷が綺麗に見える。

<オルデッサ渓谷とソアソ谷>

モンテペルディードへ
筆者撮影

帰りは鎖場じゃない方から降りると遠くにコラ・デ・カバージョの滝が見えた。その上にはモンテペルディード。あの雪のあたりから降りて来たんだ~。

<コラ・デ・カバージョの滝とピレネーの山々>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

その横に岩場の鎖の所をさっきの人達が降りていくのが見える。昨日あんなところ登ったんだとびっくり。

<コラ・デ・カバージョの滝の上の岩場、鎖場の所>

ピレネーオルデッサの岩場
筆者撮影

高山植物が沢山咲いているが疲れ切っていて余裕なし。悔しいのは野生のエーデルワイスが群生していて力を振り絞って近づいて写真を取ったけど、ピンボケでした。

<エーデルワイスの群生、力尽きていてピンボケ>

野生のエーデルワイス
筆者撮影

 

17時30分にプラデロに到着。20キロ以上8時間半登って下った。あ、バスが見えた~生きて帰れてよかった。

 

モンテペルディードへ
筆者撮影

トルラからブロトに戻って今日はホテルに泊まろう。友達アントニオ氏のホテルに行って部屋が空いていたら泊まることに。夜は近くのピザ屋で夕食。疲れ果てホテルも夕食も写真撮るのを忘れるが登山からの生還のお祝い。

夕食 ブロト 22.70€

宿泊費なし(アントニオが払ってくれた)

7月19日:ブロトからネリン、テージャのドルメン、レビージャの山の中で宿泊

朝の気温13度。9時に出発して今日はどこへ向かう。夫の大好きな登りのカーブの山道を進んでいく。

アラゴンの山の中
筆者撮影

ウエスカの山の中には小さな村が沢山あって夏は登山客や避暑の人達でにぎわっているが冬は雪に閉ざされる。山に囲まれた景色はペルーの聖なる谷のようだ。

ピレネーの村
筆者撮影

ネリンのロマネスク教会。パロキア(教区教会)と書いてあったので使っているみたい。向こうにピレネー山脈が見える。

ネリンのロマネスク教会
筆者撮影

 

ウエスカはどこの村も煙突が可愛い。思わずパチリ。

ピレネーの村
筆者撮影

ネリンからバスが出ていて1時間程バス移動しそこからゴーリツ小屋まで歩く登山コースも有るらしい。こんな大きなバスが行くんだとびっくり。

ピレネーの村
筆者撮影

片側一車線、横は崖の中央線のない山道をどんどん進んでいく。ヒエッ~

ピレネーの村
筆者撮影

向こうに昨日登っていたピレネーの山が見える。

<モンテ・ペルディードが向こうに見える>

ピレネーの村
筆者撮影

ビオ(VIO)の村、途中羊の大群を連れたおじさんとピレネー犬。

ピレネーの村
筆者撮影

「何頭ですか~?」と聞くと「500頭かなあ。」と返事が返って来た。ピレネー犬はまだ3歳。もっと大きくなって100キロくらいになるそう。「ビオにはどのくらいの家族が住んでるの?」「年中いるのは2家族かな」

ビオで羊飼いとピレネー犬
筆者撮影

「ピレネー犬はおとなしくて頭が良い。」「この子は未だ3歳だけどね。まだもっと大きくなって100キロ位になるかな。」という事でした。

ビオで羊飼いとピレネー犬
筆者撮影

おじさんと別れて山の中に入って行く。こんな道ばっかり。

アラゴン、ウエスカの道路
筆者撮影

山の中に紀元前2500年のドルメンが残る。これはおそらく埋葬に使ったもので内部から副葬品が出て来ているらしい。

<テージャのドルメン Dolmen de Tella>

テージャのドルメン
筆者撮影

 

今日の宿泊はこの近くのレビージャ(REVILLA)の村の横。

ピレネーの村
筆者撮影

ランチはサラダとカップ焼きそば

夕食
筆者撮影

この谷には猛禽類で有名らしい。ケブランタ・ウエソ(髭鷲)は動物の骨を空から落として割って骨髄を食べる翼を広げると3メートル近くにもなる大きな鳥。谷を大きな鳥が旋回しているのを見るのは独特の感覚を呼びさます。

レビージャの山の中
筆者撮影

 

夜は缶詰とパンとサラダとこの景色。

ピレネーの聖なる谷の景色は時間と共に色が変化していき私の持つボキャブラリーでは表現できないくらい美しい夜は更けていった。お休みピレネー

ピレネーの村
筆者撮影

移動距離 71キロ

使ったお金、なし

 

7月20日:ミラベルの谷からアインサ、湖の横で宿泊

今日も快晴。いつぞやの天気予報はすべてはずれ。

ピレネーの村
筆者撮影

下って行くと分かれ道があってガタガタ道だけどすれ違う車が入って行ったので付いて行った。

レビージャから分かれ道
筆者撮影

広場に沢山車が止まっていて沢下りや岩登りの人達がいた。私は今日はもう歩かない日と決めたので川のそばでのんびり、夫は山に登って行って綺麗な滝が有ったと言っていた。

ピレネーのふもと
筆者撮影

 

さあ前に進もう。アインサAinsaは随分昔に行ったけど記憶の彼方なので再訪することに。2つの河の合流地点の高台にあるアインサは元は小さな王国の首都だった。今も城壁に囲まれる小さな街。

<アインサAinsaの街並み>

アインサ
筆者撮影

街を散策して良い時間になったので食事場所を探す。知らないツーリスティックな街ではなるべく地元の人が入っている店を探すが鉄則。

<アインサAinsa>

アインサ
筆者撮影

私はロンガニーサとポテトと卵の一皿のプラトス・コンビナードス(ひとさら料理)

アインサ
筆者撮影

夫はメニュー・デル・ディア(今日の定食)でアスパラガスと子牛の頬肉

アインサの食事
筆者撮影

メニューにはワインと水がついて2人で25ユーロ

帰り道にこの地域のワイン、ソモンターノSomontanoの賞を取ったワインがオファーで3.9€、これは買いでしょ。

ソモンターノのワイン
筆者撮影

 

今日はどこで泊まるか放浪しているうちに湖の横で道が無くなった。こんなところでユーターン出来るのかドキドキしたが何とかぐるりと方向を替えここに今日は泊まろう。

湖
筆者撮影

ダム湖だけどエメラルドグリーン。

湖の横にキャンピングカーを止めた
筆者撮影

 

誰も絶対来ない湖の横

湖の横
筆者撮影

パンとトマトと缶詰の夕食。湖はエメラルドグリーン、真っ青な空はオレンジ色に変わって来た。カリブ海みたいな色の湖でした。

使ったお金

アインサ・ランチ25ユーロ

アインサ駐車料金1ユーロ

宿泊費 なし

7月21日:バルバストロとアルケサル、トーレシウダからブロト

今日も快晴。この近くに「オプス・デイ」の聖地が有るらしいから行ってみたいなあ。オプスの創始者、聖ホセ・マリア・エスクリバはバルバストロ出身らしい、じゃあまずはトマトで有名なバルバストロへ行ってみよう。

ウエスカの道路
筆者撮影

市が立つ日だったみたいで街の真ん中の広場で野菜くだもの市が開催中。

バルバストロの朝市
筆者撮影

バルバストロのトマテ・ロサ(ピンク・トマト)は巨大な甘いトマト。

バルバストロ朝市
筆者撮影

その市の行われていた広場に聖ホセ・マリア・エスクリバの生家が有った。

バルバストロの聖ホセマリア・エスクリバの生誕地
筆者撮影

バルバストロのインフォメーションで勧められたアルケサルへ向かう。計画なんて全然ないから行き当たりばったりだ。

アルバストロからアルケサル
筆者撮影

スペインで最も美しい街に選ばれた事が有るらしい。岩に張り付いた小さな街で川沿いの沢下りも有名らしい。

<アルケサルArquesal>

アルケサル
筆者撮影

川沿いに降りていくのは無料だけど安全の為に3€のヘルメットと保険に入ることを奨励していた。途中まで歩いてみたが誰もヘルメットなんてしていない。この国の人達はいつもこう。私たちは途中まで降りて戻って来た。

アルケサル
筆者撮影

アルケサル(Arquesal)の丘の上の教会にはロマネスクの回廊と彫刻が少し残っていた。

アルケサル
筆者撮影

ではオプス・デイの聖地へ向かおう。オプス・デイはダビンチ・コードでは怪しいセクタ扱いだがカトリックの組織のひとつ。スペイン人のホセ・マリア・エスクリバが創始者で彼は現在カトリック教会からサント(聖人)に聖別されている。そのオプスデイの聖地がトーレシウダにある。

<トーレシウダのサンクチュアリ>

トーレシウダ
筆者撮影

子供の頃のホセ・マリア・エスクリバが病気になったときこの黒いマリア様にお祈りして救われたという。今日もたくさんの巡礼グループが来ていた。ルルドやサラゴサ等を交えた聖母マリアの巡礼ルートが有るようだ。

トーレシウダの黒いマリア
筆者撮影

トーレシウダを後にしブロトへ戻ろう。途中で広場が有ったのでお昼にする。どこにでも無料で車を止めて休めるところがあるのはありがたい。

途中でランチ
筆者撮影

ちょっと暑いですがカップラーメンでランチにします。

休憩にカップラーメン
筆者撮影

そして切り開かれた山の中をドライブ。

ブロトへ移動の道路
筆者撮影

ブロトに着いた。ここで休憩、川が流れる広いスペースで普段は村のサッカーやイベントに使われているらしい。夏はキャンピングカーが何台も止まっている。

ブロトの広場
筆者撮影

夕食はレトルトのカレーと缶詰のイワシ、パンとチーズとワインです。

今日はここの広場で泊まります。キャンピングカーが沢山やって来たので登山家に有名な場所らしい。みんな明日モンテ・ペルディードに登るのかも。後でアントニオに聞いたら「キャンプは禁止になっているけど誰も気にしていない」らしい。「禁止するほど人が来るのはスペインでは普通」だって。そのとおり!

アインサで買った3.9€のワインは結構美味しかった。

ブロトの夜
筆者撮影

そして静かな夜は更けていった。

ブロトの広場
筆者撮影

使ったお金

果物代 13ユーロ

ワイン 3.9ユーロ

宿泊費 0ユーロ

7月22日:ブエサからブロト、アジェルベの廃村

今日も快晴。午後までのんびりまったりする予定がうちの夫はじっとしていられない性格でやっぱり移動する事に。近くのブエサ(Buesa)の村へ。

ブロト
筆者撮影

ここも小さな石の村で何家族も住んでいないと思う。

ブエラの村
筆者撮影
ブエラ
筆者撮影

村の中にサンチアゴの道の標識。

ブエラにあるサンチャゴの道の標識
筆者撮影

ブエサから山道が峠まで続いているらしく又してもジープしか行かないような道に入って行った。どのくらい走ったか道はどんどん狭く荒々しく、携帯の電波も圏外になり私が無口になったのを悟った夫は途中で引き返してくれたが、私がいなければ峠まできっと行っただろう・・・

山道
筆者撮影

ブロトに降りてピッツェリアでランチ。

ブロトのピッツェリア
筆者撮影

アントニオが迎えに来てくれるところまで車で行ってここに車を置いて行く。3日間放置して大丈夫かなあ・・・

ブロト
筆者撮影

17時30分、時間通りジープの音がした。アントニオは時間に正確だ。これはスペインでは凄い事。この可愛いジープに乗って20分でアジェルベに到着。アジェルベはアントニオが廃村を丸々購入して村を改装中の静寂な彼のサンクチュアリ。そこで2泊するらしい。

アントニオのジープ
筆者撮影

 

5月に来た時にはまだ無かったテラスが出来ていた。ワインと景色を楽しみながらのひと時。

アジェルベのテラス
筆者撮影

夏でも夜の山は急に寒くなって来た。暖炉に火を入れてしばらくここで話をして夜の暗い中アントニオは山道をジープで帰って行った。タフです。

アジェルベの廃村
筆者撮影

 

7月23日:アジェルベの廃村でのんびり過ごす

山の朝はさわやかだ。聞こえてくるのは鳥の声と遠くからの川の流れと風の音。

アジェルベの廃村
筆者撮影

アルフォンソとワンちゃん達はいつも一緒だ。アルフォンソはここで働く若者、都会が嫌いでここに流れ着いた。ワンちゃんがいっぴき増えていた。

アルフォンソと犬たち
筆者撮影

 

平日は毎日3人の工事の人達がやって来て村の改修工事。道路も瓦礫に埋もれていたのをアントニオが私費で開通させた。お昼は工事の人達と一緒に地元の野菜ボラハ(Borraja)とポテトの煮込み。ボラハ(Borraja)はスペイン北部で良く使う野菜、うちの夫が料理してくれた。

アジェルベの廃村で昼食
筆者撮影

夜はアントニオがバーベキュー用にチュレタ・デ・コルデロ(子羊のあばら肉)を持って来た。「チュレタ(あばら)ばっかりを注文すると高いんだよ」と言っていたが見事に全部あばら肉。

アジェルベの廃村でバーベキュー
筆者撮影

慣れた手つきで火を起こしてバーベキュー。

アジェルベの廃村
筆者撮影

夏の夜はなかなか更けず21時30分頃に少し暗くなってきた。

アジェルベの廃村でバーベキュー
筆者撮影

 

真っ暗になるのは23時過ぎ。向こうの明かりがついた村はアシン・デ・ブロト。少しは大きな村のようで50人くらいは住んでいるのかも。月が輝いた素敵な夜でした。

アジェルベの廃村
筆者撮影

お休みアジェルベ。

7月24日:アジェルベからマドリードへ

おはようアジェルベ。今日は歩いて車まで降りて行く。1時間ほどの山道を下って行く。車は大丈夫かなあ。

アジェルベの廃村
筆者撮影

ちょっとだけ心配したけど車は3日間ここで無事に待っていてくれた。

アジェルベの廃村
筆者撮影

帰り道の正面にモンダルエゴの山が見える。暫くこの景色もお別れです。向こうから乗馬の子供達が来るのはアントニオの従妹がやっている乗馬スクール。車を止めて挨拶。

アジェルベからブロト
筆者撮影

今日も快晴だ、さあマドリードへ向かいましょう。ガソリン1回もいれていないけどマドリードまで大丈夫かなあ。いつもの安いガソリンスタンドまでこのまま行けるでしょうか。

 

マドリードへ向かう道路
筆者撮影

マドリードまで183キロの所で車がチーンと鳴った。ガソリンあと少しの合図。ドキドキしたけど何とか間に合って満タンにしてマドリードへ。ガソリン112€

ガソリンスタンド
筆者撮影

15時55分到着。490キロを5時間45分で家に到着。

近所のバルでお祝いにビールとトルティータ・デカマロン。旅は無事に帰れば成功なのです。夏の短いピレネーの旅は終了。

マドリードのバルでお祝い
筆者撮影

全走行距離1353キロメートル

使ったお金合計348€

最後に

夏のピレネーは爽やかで気持ちよくおすすめです。モンテ・ペルディードまでは余程の登山好き山好きのコースですがコラ・デ・カバージョの滝までなら軽いハイキングコースなので万人向けですね。

石巻のサン・ファン・バウティスタ号、慶長使節団の船の復元船を見に行ってきました。

船の名前はサン・ファン・バウティスタ号(洗礼者ヨハネ号)というガレオン船。江戸時代にメキシコ経由でスペインとローマへ行った侍たちがいた。宮城県月の浦港からメキシコのアカプルコまでを約500トン級のガレオン船で約3か月かけて旅をしている。このガレオン船を数少ない資料から再現して展示しているのが三陸の石巻にあるサン・ファンパーク。2011年の東日本大震災とその後の強風で被害にあい随分傷みが激しい。船の損傷が激しく2020年には解体という記事も読んだので慌てて見に行って来た。神戸から日帰りを目指したが無理、途中のローカル線の乗り継ぎが悪く片道7時間以上かけ滞在時間1時間半という旅の記録。

慶長使節団とは


1613年伊達政宗の命により支倉常長率いる使節団がメキシコへ向けて出発。同乗したのは支倉常長(はせくら・つねなが)代表およびスペイン人宣教師のルイス・ソテロとスペイン人探検家のセバスティアン・ビスカイーノ、常長(つねなが)一行仙台藩の藩士と商人達、幕府の役人と船大工や散髪屋兼外科医や奴隷もいたらしく総勢180人。使節の目的は通商貿易と銀の抽出技術を手に入れる事が目的。最近の説では伊達政宗はキリスト教徒と共に討幕の計画を立てていたというのもあるようだ。当時のメキシコはヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)と呼ばれスペイン領土としてメキシコ副王が統治していた。一行はメキシコにしばらく滞在するがスペイン側は日本でキリスト教徒達が迫害を受けている事を知っておりメキシコ副王にスペイン国王フェリペ3世の許可が必要と言われる。一行はアカプルコから陸路ベラクルス(大西洋側)へ移動しスペイン船に乗り換え、セビージャ港から本国スペインに上陸。その後マドリードでスペイン国王フェリペ3世に謁見しフランスの地中海を経由しローマへ向かう。ローマ法王パウルス5世に謁見している。再びセビージャ経由で大西洋を超えてサン・ファンバティスタ号は彼らを迎えマニラに戻る。その後のサン・ファン・バウティスタ号はマニラでスペインへ売却されたというが詳細は不明。

サンファン・バウティスタ号の航路
筆者撮影

彼らの旅が凄いのは400年前に大西洋と太平洋両方を越えている事だ。

石巻サン・ファン館


上記の支倉常長率いる慶長使節団が宮城県石巻の月の浦からメキシコまで大西洋を往復した船、サン・ファンバウ・ティスタ号が復元され1993年に進水した。ところが2011年の東日本大震災の津波で大きな被害を受け重要な展示物も流されてしまったそう。船は激しく破壊されたが船自体の流出は免れていた。ところが今度は震災翌月の強風でマストが折れ大きな損傷を受けていた。

サンファンパーク
筆者撮影

大震災後カナダのブリティッシュ・コロンビア州から木材提供の打診がありベイマツや杉が寄贈された。2013年に修復が終わり慶長使節出港400年祭に合わせて再び一般公開を果たす。

サン・ファン館内部


サン・ファン・バウティスタ号

現在老朽化が激しく船内に入れず外から見るだけでした。9個の丸の九曜紋は伊達政宗の紋章のひとつ。(ひとつというのは伊達政宗は他にも紋章を持っていた)。船の全長約55メートル、最大幅約11メートル、メインマストの高さ32メートル。

サンファン館のサン・ファン・バウティスタ号
筆者撮影

実際のサン・ファン・バウティスタ号の出発地は月の浦港なのでここからまだ12キロほど移動したところ。新説で月の浦港は石巻の月の浦ではない説もあるようです。

サン・ファン・バウティスタ号
筆者撮影
サンファン・シアター

ハイビジョンで支倉常長の旅の再現と津波の後に作られた慶長の大津波に関しての2種類の映像約20分。特に400年前の慶長大津波の説は新しい視点で伊達政宗が何故慶長使節団を派遣したか等が解り易く紹介されている。この2本の映像を見るだけで慶長使節の事が良く理解できこれは楽しかった。

展示室

写真や模型で使節団の事が展示されている。2011年の東日本大震災でかなりの展示物が流されたのは本当に残念。サンファンバウティスタ号の模型が数種置かれている。

サンファン・パーク船の模型
筆者撮影

 

解り易いように写真や展示物で支倉常長や慶長使節団の事が説明されていて面白かった。

サンファンパーク展示物
筆者撮影

行き方:仙台からJRかバス


仙台~石巻

JR仙台駅から東北本線仙石東北ライン快速で石巻まで約1時間。1時間に1本程度の電車。他に宮城交通ミヤコ―バスで仙台から石巻行きがある。

下:クリックすると仙台から仙石線時刻表

http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301331/down1_04101011.htm

JR仙台駅
筆者撮影

JR石巻駅はアニメの聖地らしくアニメファンがいっぱいいた。石ノ森章太郎さんが宮城出身らしく石ノ森漫画館という施設があるようで駅に到着するなりアニメの世界。

JR石巻駅
筆者撮影
JR石巻駅
筆者撮影

 

石巻の駅から乗り継いでJRの石巻線というローカル線で行くつもりが乗り継ぎ1時間30分とあまりに長いので駅前から45分後に出る宮城交通ミヤコ―バスに乗る。乗り場2番。注:このバスがサンファンパーク前に止まるのは土日のみ。平日は汐見台から歩く。

JR石巻駅
筆者撮影

ミヤコ―バス鮎川線平日時刻表

http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/59b790df-fa40-4c6e-97d1-7d8fc0a80203/

ミヤコ―バス鮎川線土日時刻表

http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/59b790ea-ba80-475d-ac1a-3958c0a80203/

サンファンパーク行き方
筆者撮影

 

JRの場合は石巻線で石巻から2つめ「渡波・わたのは」で降りて徒歩25分又はタクシー5分

渡波駅
筆者撮影
渡波駅
筆者撮影

JR石巻線時刻表

http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301431/down1_04202031.htm

渡波駅
筆者撮影

 

渡波駅前にタクシー

JR渡波駅
筆者撮影

タクシーがいない場合はタクシー会社に電話

jr渡波駅 タクシー電話番号
筆者撮影

歩く場合は駅を後ろにしてまっすぐ10分直進してこの橋を渡る。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

渡りきったら右に曲がる。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

入り江沿いをしばらく歩いていく。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

入り江から左に曲がり最後は登り坂。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

登り坂を7分くらいで到着です。登りがつらい場合は行きはタクシーを使うと良いでしょう。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

下:サンファンパーク公式ページです

https://www.santjuan.or.jp/

まとめ


以前から石巻のサン・ファン・バウティスタ号を見ようと思っていたのですがあまりにも不便で後回しにしていました。震災で損傷し、船が修復されたら行こうと思っていたら船の老朽化が激しく2020年に解体の話が新聞に出ていて慌ててやって来ました。丁度支倉常長の慶長使節をまとめようと調べていたところで色々勉強になりました。乗り継ぎが大変でしたが単線のローカル線も楽しく石巻のリアス海岸も美しかったです。展示場も楽しく映像も楽しめました。興味がある方は解体される前にどうぞ~。仙台市博物館(仙台青葉城横)と合わせてみると慶長使節団についてさらに深まります。

キャンピングカーでピレネー山脈オルデッサ国立公園とアジェルベの廃村へ。2018年5月24日~28日

 

ピレネー山脈のオルデッサは夫の大好きなデスティネーションのひとつで私たちは度々訪れる。フランスとスペインの国境を形成するピレネー山脈は3000メートル級の山が430㎞にわたってそびえ地中海側から大西洋側へ横断するハイキングコースや様々な登山道、スキー場がある国立公園だ。オルデッサがスペインの国立公園になって2018年は100周年祭にあたる。”オルデッサ・イ・モンテ・ペルディード国立公園”として1918年にスペインで最初に設置された2か所の国立公園のひとつにあたる(もうひとつはピコス・デ・エウロパ国立公園)。世界遺産としてはフランス側にまたがる「ピレネー山脈のモン・ペルデュ」として1997年に複合遺産に指定されている。そのピレネーの山の中に友人のアントニオ氏が廃村丸々全部を購入して修復をはじめ村の再生を目指してルーラルハウスを建築中なのでキャンピングカーで尋ねに行って来た。

 

5月24日:1日目マドリードからトルラ・オルデッサとブハルエロ502キロ

お弁当を作って朝10時にキャンピングカーで出発。5月にマドリードが曇り空なんて事は珍しいし目的地オルデッサの天気予報は雨なのだ。ポンチョと傘とお弁当を持って出発。

キャンピングカーの旅オルデッサ
筆者撮影

暫く走っているうちに青空が見えて来た。ほらね晴れた。ガソリンはソリアに入ると不思議と値段が安い。巷ではRepsolが一番質が良いと言われているのでなるべく探すのはRepsolだ。ここは1L=1,229€、他より格段安い(他は1,28から1,3€)。サラゴサ街道180キロ地点覚えておこう。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

安いので車がゴボゴボ言うまで満タンにして出発。

キャンピングカー
筆者撮影

マドリードからサラゴサ経由、ウエスカを通りピレネーに入って行くが途中はまだ工事中。この工事が終わったら随分近くなるねえ。でもあと何年かかるんだろう。

ウエスカの道路
筆者撮影

険しい山と悪天候で工事が出来る時期が非常に短いのだ。

 

15時30分にトルラTorlaの駐車場到着。約500キロを5時間半ほどで全て無料の道路だから有り難い。トルラはオルデッサに登る起点になる村で大きな駐車場やインフォメーションがあり綺麗なお手洗いがある。ここで休憩してお弁当をいただきます。

トルラの駐車場
筆者撮影

トルラの教会と後ろに氷河に削られたピレネー山脈。この景色を見ただけでも来てよかったと言う気分になった。

トルラ駐車場
筆者撮影

トルラからオルデッサ、そして更に山深くへ入って行く。普通車で行けるのか?と思うような道をしばらくドライブ。ほとんど対向車は無い、というかみんな恐れをなしてここには入ってこないのだ。

オルデッサからモンダルエゴへ
筆者撮影

はじめのうちだけは舗装されているが途中からそれも無くなり水たまりと石ころの中を30分くらいの移動。

ピレーネ―キャンピングカーの旅
筆者撮影

ブハルエロに到着。山小屋とキャンプ場があってここの駐車場で今日は泊まろう。ピレネーの谷間で横に清流、簡単に来れないので人が少なく空気が荒れていなくて聖地みたいなところです。

オルデッサからモンダルエゴ
筆者撮影

フランス国境はすぐそこでサンチアゴの道の一部でもある。


ブハルエロの山小屋は通年営業、今はオフシーズンだがすでに宿泊している登山客もいた。

モンダルエゴ
筆者撮影

ここの山小屋の食事は美味しいのだ。夕食はキノコのリゾットと白豆の煮ものと赤ワインをグラスで幸福な気分になった。

モンダルエゴの山小屋の夕食
筆者撮影

この山奥でこの値段でこんなおいしいものが合計22€50cent。

モンダルエゴの夕食
筆者撮影

21時頃やっと少し暗くなってきた。風の音と川の流れ、鳥の鳴き声しか聞こえない贅沢な環境。テレビも無く電話も繋がらず、Wi-Fiは20時間で1ユーロだったけどしょっちゅう切れて長い長いパスワードを永遠に入れ直し続けるがついに力尽き、寝ます。

モンダルエゴ
筆者撮影

 

5月25日:2日目ブハルエロからブロト14キロ

鳥の鳴き声で目が覚める朝は贅沢だ、おはようブハルエロ。

ブハルエロ
筆者撮影

山小屋でコーヒーとクロワッサンの朝食。昨日の夕食時にも隣にいたカップルとしばらく会話をする。カタラン人のリタイヤーしたご夫妻でレリダから来た人達だった。いつも自分たちの畑で作った野菜などオーガニックな物を食べているので昨日のここの食事の後少し胸焼けがしたそうだ。

モンダルエゴ
筆者撮影

 

私たちは昨晩「美味しいね~」と感動したので笑顔の後ろにショックは隠せなかった。最初はピレネーの事や食事の事等あたりさわりのない会話をしていたが次第にカタルーニャの歴史やら独立やらちょっと複雑な話になってしまった。が、生のカタラン人の話が聞けたのは興味深かった。彼らは独立支持者だった。別れを告げ、私たちは昨日の道を戻って行く。

 

モンダルエゴ
筆者撮影

ブロト(Broto)で昼食前にアントニオ氏と合流。今度は本物のジープが待っていた。アントニオ氏は今ではホテルを複数経営しサラゴサに家も数件持つ実業家だが子供のころは父親に連れられて羊飼いや博労(バクロウ)として働いていた。学校なんか行ってないよと常々言っている。

そのアントニオがピレネーの廃村ごとまとめて購入し再生している。工事を始めて3年位、やっと宿泊するところが完成したその廃村へジープで向かう。

アジェルベ・デ・ブロトAjerbe de brotoは1976年頃に最後の家族が去った後、もう誰も住まない廃村になった。山の中の不便なところで元は100人ほどの人口があり自給自足の生活をしていた。友人のアントニオ氏が数年前に村ごと購入し修復を始めた。スペイン語で「カプリチョッソ」、「気まぐれ」で始めたらしい。

ピレネーアジェルベ
筆者撮影

私たちに「どれでもひとつ家をくれる」というが舗装道路がないので資材を運ぶのも大変で修復に何年もかかるだろう。修復の費用は「最低500万円くらい」と軽く言われたが私たちには大金だし年に何回来れるだろう。一年の半分は雪に閉ざされる所だ。ジープも必要になる。

ピレネーアジェルベ
筆者撮影

アントニオはここを本当に愛しているので村の隅々まで見せてくれ熱く語ってくれた。

アジェルベ
筆者撮影

何回も「1日過ごせば好きになるよ、でも2日過ごすともっと違う何かが見えるって」

アジェルベ
筆者撮影

今年は雪が沢山残っていた。そう、先週も雪だったのでアントニオの工事は進まないのだ。

ピレネー山脈
筆者撮影

 

今日はブロトに戻りアントニオ経営の小さなホテルで宿泊。夜遅くマドリードから来る友人たちと合流して夕食。アントニオはこれからジープで廃村に戻り明日の私たちのベッド用マットレスを運ぶと言っていた。タフやなあ。

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5月26日:3日目ブロトからアジェルベへ

朝、ブロトのホテルからアントニオのジープに乗り再び凄いガタガタ道を山へ移動。8時30分出発でほぼ予定通りだ。(スペイン人と過ごしていて予定通りというのは凄い事なのだ!)今日は霧で何も見えないが見えなくても前進あるのみらしい。どんどん登って行く。

ピレネー
筆者撮影

霧で前があまり見えないカーブの道で横は崖、大きな石が転がっている。落石注意なんてもちろん書いてないし書いてあっても意味が無い。今、私の上に落ちてこなかった幸運を喜ぶのみだ。

ピレネー山脈
筆者撮影

昨日は遠くの山まで見えたが今日は霧の中、暫くしたら車を止めて焚火が始まった。勝手に火をつけていいのか!とか日本だと問題になるのかもしれないけど、どうやらアントニオは村を買ったのではなくて山ごと買ったらしい。ここはアントニオの持ち物なのだ。

ピレネーの旅
筆者撮影

「雨が降るよ」とアントニオ。風や空気で天気がわかるらしい。突然先を急ぎアントニオの村アジェルベに到着。パンとチーズとワインとハムのランチ。山でいただくと本当においしい。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

いくつかの建物の修復は終わっていてカマドが有る調理室が出来ていた。日本のいろりの様な石のかまどに大きな切株が燃えていてここでお肉を焼いたりスープを温めたりできるし建物全体の暖房にもなっていて中は暖かいエコなシステムだ。アントニオが目指すのは昔のまま。

この村にいろんな家族が住んでいて様々な人生があった、もう既にいない人達の知らない人生に思いを馳せる。

アジェルベ
筆者撮影

アルフォンソはアントニオがスカウトして来てここで働きながら暮らしている若者。アントニオも毎日家に帰るのでアルフォンソは羊みたいな犬とここで2人暮らし。「ここの暮らしは気に入っている。山は孤独だけど都会はもっと孤独だよ。」と話していた。アルフォンソの人生に何が有ったんだろう。

アジェルベの村
筆者撮影

羊の様なワンちゃんは怪我をしていた子犬をアルフォンソが拾って育てたという。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

「じゃあみんなはシエスタの時間。僕は家族と過ごすからまた明日~」とアントニオは行ってしまった。そうだ今日は日曜日だった、スペイン人にとって家族と過ごす大切な日に付き合わせてしまった事に気が付いた。私たちは言われた通りシエスタ、そして夜まではのんびり、本当にのんびり何もしない贅沢な時間を鳥の声を聴きながら過ごした。アントニオが言った通り1日でここが好きになった。

アジェルベの村
筆者撮影

夕食はアルフォンソのしきりでバーベキュー。

ピレネーの廃村、アジェルベ
筆者撮影

ロンガニーサというアラゴンの渦巻きソーセージと子羊のあばら肉の炭火焼き。

キャンピングカーの旅、アジェルベのバーベキュー
筆者撮影

寝室はベッドが12個程でこの大きなマットレスを昨日の夜に運んでくれたらしい。あの石がゴロゴロの山道を夜中に・・・だ。

アジェルベの寝室
筆者撮影

寝室の下は談話室で暖炉に火が燃えていて建物全体が温まる暖房システムになっている。

ピレネーアジェルベの村
筆者撮影

夕食後いつ眠ったかの記憶も無く起きたら朝でした。

5月27日:4日目アジェルベからブロト

山の朝は気持ちが良い。アントニオの予言通りあと1泊してもいい様な気分になっていた。

朝8時、約束通りアントニオがジープで迎えに来た、時間通りだ。今日はお天気は随分良いみたい。

キャンピングカーの旅、アジェルベ
筆者撮影

お天気も良いので歩いて途中まで降りていくことになった。植物や鳥などを見ながらケモノ道をハイキング。

大きな鷹のツガイが飛んでいくのが見えた。

ピレネーオルデッサ
筆者撮影

鳥や花を楽しみながらの1時間ほどの下り道のハイキングを楽しんだ。

ピレネーの村アジェルベ
筆者撮影

ジープに乗りオルデッサが見えるところへ移動する。

世界遺産はピレネーの山奥の峻厳な環境に適応しながら暮らしてきた牧畜や段々畑なども含まれる。今も世界遺産の中を牛飼い達が牛を移動しながら暮らしているのだ。

ピレネー、オルデッサ
筆者撮影

私たちはジープを止めて少し歩く。

キャンピングカーの旅、アジェルベ
筆者撮影

30分程歩いて行くと谷の底にオルデッサの河と滝が見えた。森林限界の感じからここは2300メートル位の標高。氷河に削られた険しい景色。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

動物がいるよ。アントニオは大きな双眼鏡で鳥や動物を見つけて教えてくれるマサイ族みたいだ。

ピレネー山脈、オルデッサ
筆者撮影

「えっ」アントニオが急ぎはじめた。「急ごう!濡れたくないなら」と言われジープに戻る。雨が来るらしい。道はあるようなないようなところだったので一人残されたら大変だ、絶対一人では帰れない。

ジープで山を下りてアントニオが生まれた村に行く。すれ違う人全員アントニオの友達か親戚らしい。誰かとすれ違うたびに話し込んでいる。

ピレネーの村
筆者撮影

 

午後はシエスタの時間が設定されていた。スペインでは大切な事のひとつだ。ホテルに戻って休憩していたら天気が崩れ大きな氷の塊が降って来た。アントニオの天気予報はスペインの国営放送より正確だ。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

夕食はアントニオのお兄さんが経営しているレストランでペロチコという小さなキノコと炭火で焼いた大きな骨付き肉で旅の最後を祝いアントニオと別れた。

ブロトの夕食
筆者撮影

5月28日:4日目ブロトからマドリード470キロ

今日は帰らなければ。午後まで時間があるのでオルデッサのハイキングコースの最初だけ歩いてみた。本当は往復17キロの「コラ・デ・カバージョ」まで行く有名なコース。最初の滝まで約1時間。高山植物も少し咲き始めている川に沿ったなだらかなコース。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

今年は水量が凄い。雨が多い春だったので滝の水流がとんでもなく多い。

 

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

山から下りてピレネーの登山の起点トルラTorlaへ。街の名前はトルラ・オルデッサに変更された。人口300人ほどの街だが廃村から来たらえらく都会に感じる。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

レストランやホテルも有り夏の登山シーズンは人口が5倍に増える。

トルラの街
筆者撮影

そろそろトルラを出発してマドリードへ戻らなくては。途中どこかでランチでも食べてゆっくり帰りましょう。

キャンピングカーの旅、帰り道
筆者撮影

天気は目まぐるしく変わって行き前方は晴れているのにバックミラーに映る雨雲。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

そしてついに雨雲に追いつかれ降り始めた。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

タイヤが2センチは浮いて走ってる感じで怖かったですが無事にマドリードに帰着。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

19時30分無事到着。毎回外から戻って来るとマドリードが巨大な街に感じられる。アントニオに無事に帰ったよと電話を入れたら「来週も来る?」と本気で言っていた。

走行距離:980キロ(キャンピングカーの移動距離)

使ったお金:約540€

 

キャンピングカーでカタルーニャからアラゴンの旅2018年5月10日~16日

2012年から夫氏手作りキャンピングカーでスペインとヨーロッパの旅をしています。自分の忘備録として旅を記録に残し、どなたか読んでくださるか不明ですが公開することにしました。

キャンピングカーの旅2018年5月。今年は悪天候が続き旅に出れない春だった。やっと2人とも1週間の休みというか、正確には仕事が無い1週間が有ったのでで以前から行きたかったコスタ・ブラバのアンプリアスの遺跡とカタルーニャを巡って来た旅の記録。

マドリードからビックへ(5月10日)

朝、仕事の後11時マドリード出発。マドリードから目的のアンプリアスまでは756キロあるので今日は途中のVICビックまで行くことにする。マドリードはスペインのほぼ中央にあるのでどこに行くのも遠いけどどこに行くのも便利。天候は5月中旬というのにまだ不安定。

マドリードからカタルーニャ途中
キャンピングカーの旅

 

マドリードから国道2号線(A2)通称サラゴサ街道。国道なのでほとんど無料の快適な道路でマドリードを出ればほとんど渋滞なし。

マドリードからの道路
キャンピングカーの旅

サラゴサからレリダは一部有料道路に入る。12,70€

途中2回休憩してビック到着。

ビックの街はバルセロナのゴシック地区に似ているなあ。小雨の中ビックの散策。大聖堂博物館はもう閉まっていて明日の10時まで開かないので今回は無理でした。ロマネスクの壁画があるみたいなので又来たい。

ビックの街
筆者撮影

スペインのキャンピングカー・サイト(FURGO)であらかじめ調べていた駅近くのカレフール横の駐車場で止めて夕食へ。今日は無料駐車場泊。*FURGOは夫氏のバイブルで口コミでヨーロッパ中のキャンピング地が紹介されている。

ビック駐車場
キャンピングカーの旅

夜旧市街まで徒歩10分程。マヨール広場で犬の散歩中のセニョーラに夫が「どこか美味しいレストラン教えてください」と勧めてもらったDI・VICNUSへ。場違いな服装でちょっと躊躇したけどお店の人に「旅行中でこんな服装でもいいですか?」と聞いたら快諾してくれた。どこに行ってもみんな人はとても親切で感じが良い。

ビックのレストラン、ディビクヌス
筆者撮影

トマトと生ハム

ビックのレストラン
キャンピングカーの旅

キノコのリゾット

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

エントレコット

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

地元のワイン

夕食代53、79€

本日走行距離646キロ

歩いた距離:11キロ

ビックからリポーイ、アンプリアス(2日目)

ビックからリポーイは37キロ約30分の距離。雪が積もったピレネー山脈が見える。フランス国境はすぐそこだ。ジローナ県はカタランのバリバリ独立派が多いところなのでどこも独立旗と政治犯釈放を求める黄色いリボンが目立つ。お天気はいまいちで寒い。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

リポーイの中心部まで車で入れて、とりあえず止めたけど白い点線の所は料金を払うんだろうか?9時までは不要なはずだし誰かに聞こうとコーヒーを飲みに入ったカフェテリアで「今日はお祭りだからどこでも止めて大丈夫」と教えてもらう。凄い!、見たかったロマネスク彫刻があるサンタマリア修道院すぐ横だ。

リポーイ
筆者撮影

サンタマリア修道院のロマネスク彫刻は圧巻。しかもお祭りで無料で入場。11時からミサが始まるのでそれまでに内部をゆっくり見学。

リポーイサンタマリア修道院
筆者撮影

クラウストロの柱頭彫刻も時間を忘れて楽しんだ。

サンタマリア修道院、リポーイ
筆者撮影

修道院の食事のテーブルで祈っているのか泣いているのか。

リポーイのサンタマリア修道院
筆者撮影

天使が笛を吹くのに思いっきり口をプーッとしてる感じが可愛い。

サンタマリア修道院
筆者撮影

 

街を歩き回って丘の方でガウディのお弟子さんが作った小さな礼拝堂を発見。

リポーイ
筆者撮影

サンチアゴ・カラトラーバの橋があるというので片道1キロほど歩いて行って来た。曲線がカラトラーバらしく綺麗な橋だがあまり大切にされていない感じ。随分街の端の方だし時間が無ければわざわざ来なくてもいいと思う。

リポーイの橋
筆者撮影

リポーイを出発し綺麗な中世の街べサルを目指す。リポーイからべサルは51キロ約50分。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

べサル(Besalu)の街。小さな綺麗な街をあてもなく散策。

べサル
筆者撮影

川に囲まれた小さな街で地元では有名らしく沢山の観光客が散策していた。レストランやお土産物屋が並ぶ賑やかな街だ。独立旗が目立つがスペイン語も結構聞こえて来た。

べサルの街
筆者撮影

べサルからアンプリウスは約46キロ、40分。アンプリウスは遺跡のすぐ横に無料の駐車場があった。沢山のキャンピングカーが既に止まっていたので私たちも今日はここで泊まる感じ。

アンプリウス
キャンピングカーの旅

遺跡はキャンピングカーを止めた駐車場のすぐ横なので見学に出発。アンプリアスは国内唯一のギリシャとローマの遺跡が両方隣同士に残っているケース。

アンプリアスの遺跡
筆者撮影

ギリシャ遺跡の中を2時間以上歩きローマの遺跡につく頃にはもうくたくた。このローマの遺跡はまだ20%しか発掘されていないらしい。掘ったらいくらでも出てくるけど土の中にいてもらった方がきっと安心安全で格安なんだと思う。ローマ遺跡に着く頃にはどうでもよくなっていて省略して戻った。

アンプリアスの遺跡
筆者撮影

コスタ・ブラバの海岸沿いの遺跡なので5月でもうすでにリゾート客が来ていた。お昼は遺跡の横のチリンギート(露店)でボカディージョ(サンドイッチ)

アンプリアス
キャンピングカーの旅

夜は歩いてサン・マルティの街へ。最初にギリシャ人が住み着いた島だったところが今は陸続きになっている。ギリシャ人が来るより前のイベロ族の遺跡もあるという話だった。

アンプリウスの横のサンマルティ
筆者撮影

丘の上の小さな街で広場に3軒レストランが並ぶ。どこも似たようなメニューで一番混んでいる店で夕食。

アンプリアス夕食
筆者撮影

ほろ酔い気分で約1キロキャンピングカーの駐車場までの散歩道。夜のコスタブラバの海岸線。「海が見たい」と今年の春から言っていたら実現したなあ。言ったら実現するとか何かで読んだけどこういう事なのか?

コスタブラバの夜
キャンピングカーの旅

移動距離151キロ

食事代:昼ボカディージョ10,50€、夕食37€

歩いた距離:16キロ

アンプリアスからダリの家ポルト・リガドとフランス・カタランへ(3日目)

朝起きたらキャンピングカーが増えていた。夜中にやって来たらしい。

アンプリアスの駐車場
キャンピングカーの旅

さて今日はどこへ行くかコーヒー飲みながら会議。朝起きてお湯沸かしからコーヒー入れるのも夫の仕事です。私は起きたらコーヒー飲むだけ。

キャンピングカー内部
キャンピングカーの旅

お隣のフランス人もそろそろ朝食でセニョールがせっせと準備中。イスとテーブルが出てくるところがうちとはえらい違う。奥さんはテーブルのセットが出来た頃に起きてくる感じ。

アンプリアスの駐車場
キャンピングカーの旅

 

最初の予定ではピレネー・カタランに向かうつもりが雪が降っているらしく地中海で過ごす事に予定変更。

カタルーニャの地図
キャンピングカーの旅

お天気予報では今日は強風と雨。気温も低く寒い、5月中旬というのにだ・・・。アンプリアスを出発しコスタ・ブラバをフランス方面へ北上しダリの故郷へ向かおう。

アンプリアス出発して移動中
キャンピングカーの旅

途中夫氏がこの辺りに「運河があるリゾートの街が有るはずだ」というので探してみる。ローセスのあたりはプライベートジェット用の空港やヨット店が続く高級リゾート地。エル・ブジ(既に閉店した有名レストラン)もこの近くで営業していたのが良くわかった。

グーグルマップで見ると桟橋が続く所がありこれだ!エンポリオブラバという地名らしい。

エンポリオブラバの地図
キャンピングカーの旅

アンプリアスからエンポリオ・ブラバ22キロ約20分がちょっと迷子になり随分うろうろした。

ベネチアの現代版で自宅まで船で行ける様に設計されている。何と1973年に開発されたリゾート地というからびっくり。

エンポリオブラバ
キャンピングカーの旅

コスタ・ブラバはコスタ・デル・ソルよりも高級なリゾート地(マルベージャは別として)が多く海岸線殆どがとんでもないリッチな人達に買い占められている。広大な別荘の前にプライベートの船。今のペースで100回生まれ変わって働いても買えない、人生なんて不公平にできていると納得。

エンポリオブラバ
キャンピングカーの旅

エンポリオ・ブラバで驚愕したあとは出発してダリの家ポルト・リガドへ向かう。26キロ約40分カーブが続く片側一車線の道を延々とドライブする。雨じゃなくてよかった。そして夫はカーブ好きなのだ。

ポルトリガドへのくねくね道
キャンピングカーの旅

ポルト・リガドは素朴な漁村だった。入り江のこんな小さな漁村が残っていてこれは奇跡だ。この辺りはほとんど高級別荘から庶民層のマンションと隅々までリゾート開発されていてがっかりしていたところだったので小さな素朴な漁村が新鮮だ。

ポルトリガド
キャンピングカーの旅

ダリがアメリカから戻ってガラと暮らすために購入した家が今はダリの家美術館になっている。卵とU字の棒はダリの作品によく出てくるモチーフ。

ダリの家美術館入場料11€

予約制になっているが少し待って入場。大きな荷物はダリ美術館の前に預けるところがある。(ネットで予約できるがしなくても少し待てば入れると思う)中は少人数ごとでガイドと説明を聞きながら移動。私たちはカスティーリア語とフランス語の説明で廻る。カタラン人がいたのでガイドさんが「外国人(私たちの事)はカタラン語わからないのでカステジャーノで説明してもいいかしら」と聞いていた。なるほど、これでクレームなしだ。

ポルトリガド
キャンピングカーの旅

ダリの家美術館内部はダリが使った部屋や道具などがそのまま残りダリの遊び心が随所にみられる。

ポルトリガド
キャンピングカーの旅

 

ポルト・リガドからカダケスは徒歩でも行けるようだがキャンピングカーで移動。カダケスにはダリの父親が持っていた別荘がありダリの初期の絵に頻繁に出てくる街だ。有料駐車場に車を止めて街を散策。カダケスはポート・リガドより随分大きな街の印象を受けた。

カダケスのダリ
筆者撮影

ダリ家の別荘を探して海岸線をさまよい歩く。見つからないのでついに夫は海の前の扉が開いていた豪邸の中へ入って聞いている。私は随分驚いたが豪邸のセニョールは優しい紳士で丁寧に教えてくれた。

カダケスの街
筆者撮影

今はダリ家とは関係のない家族の所有で独立旗が揺れていた。すぐ横にガリシア・ロルカに捧げた碑。学生時代のロルカがダリを訪ねて来たらしい。2人はここでどんな話をしたんだろう。

カダケスのロルカに捧げた碑
キャンピングカーの旅

 

そして風が吹き滅茶苦茶寒い中、意地で海の前のテラスで震えながらした食事は美味しかった。カタルーニャはどこも安くておいしい。

ランチ
キャンピングカーの旅

パエリアとブティファラとお水とノンアルコールビールで27.5€

ダリの絵に残る教会迄登って行く。昔はここも小さな漁村で丘の上だけに村が有ったんだろうなあ。

カダケスの街
キャンピングカーの旅

丘に登ると街と入り江が綺麗に見渡せる。カダケスは入り江と丘に囲まれた優しい綺麗な街だった。ダリはここで幸せな青年時代の夏休みを家族と過ごしたし、この教会にも来たはずだとか考えながら村を歩いた。

カダケスの街
キャンピングカーの旅

駐車料金2,35€(4時間くらいは止めていたと思うけど安い)

カダケスでは場所が無く泊まれないので今日の宿泊地を探して岬へ登って行く。キャンピングカーの旅では毎回岬の灯台あたりに景色が良い無料の駐車場に泊まる。岬好きの私たちはクレウス岬へぐるぐる曲道を進めていった。

クレウス岬
キャンピングカーの旅

やっとの思いで岬についたが風が強くて止めているキャンピングカーが揺れ危険を感じる程だ。ビュービュー風の音で居心地が悪くこれは眠れないだろうと又しても移動する事に決定し今日は放浪の日となる。

クレウス岬
キャンピングカーの旅

それではフランスまで行ってしまおうと突然予定変更。フランス・カタランのペルピニャンの街が見たいと私が言い出す始末。優しい夫は良いよと出発するが途中の道が渋滞の様でさらに予定変更して国境のスペイン側のドライブインで休憩してバーガーキングで夕食となった。マックよりバーガーキングが美味しいとか言いながらわびしい夕食を何とか盛り上げる。

途中の休憩所
キャンピングカーの旅

ここで泊まる話も出たが、休憩所の設備はフランス側の方が断然良いので国境を越えてから泊まることにする。工事渋滞も幾分緩和したようなので出発。あ、ガソリンはスペインの方が安いのでスペイン側でいれるのを忘れずに!。

フランス国境
キャンピングカーの旅

それにしても雨と風と寒さでこれはピレネーに行かなくて良かった。スペインフランス国境はこんな感じで何もなく通過。

フランス国境
キャンピングカーの旅

フランス・カタランに入ったのでフランス語でようこそカタルーニャへと書いてある。ああ、こういうのが見たかったから来たんです。

フランス国境
キャンピングカーの旅

 

さあ高速道路の最初のエーリアに入って泊まることに。フランスはどこも設備が良くキャンピングカー用に広い場所が用意されている。ベンチや汚水を流すところもある。カフェテリアに行けば大抵Wi-Fiも繋がり場所によってはシャワーもついているのだ。

フランス側の休憩所
キャンピングカーの旅

私たちが着いた時、既にキャンピングカーが何台も止まっていた。トラックとは分けて場所が作って有り泊まってくださいという感じで周りに木陰とテーブルとベンチ。

フランス側の休憩所
キャンピングカーの旅

バス程の大きなキャンピングカーに小さな車を牽引してる車はドイツナンバー。大きすぎて動きにくいと思うけど中は快適でしょうね。キャンプ場についたら小さな車で街の観光やお買い物に行く、フランスかドイツの年配者のキャンピングカーでよく見るタイプだ。

フランス側の休憩所
キャンピングカーの旅

私たちは今日はここで就寝です。

移動距離184キロ

ガソリン代60€、駐車場:2.35€、有料道路:2.50€

食事:昼食28€、夕食18€(バーガーキング)

歩いた距離:11キロ

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ペルピニャンからコスタ・ブラバへ(4日目)

静かでぐっすり眠れた。風はピレネーから吹いているのか冷たい。コーヒーを飲んで出発。

ペルピニャンへの途中
キャンピングカーの旅

ペルピニャンはフランス・カタランの中心の街。スペイン風の城門から町に入る。30年戦争でフランス軍に侵攻されその後のピレネー条約でフランス領となる。カタルーニャはスペイン側とフランス側に分断された民族なのだ。

ペルピニャン
キャンピングカーの旅

道の標識はフランス語とカタラン語の併記。

ペルピニャン
キャンピングカーの旅

それにしても寒いのでやっぱりスペインへ戻りましょう。帰り道に独立旗を発見してここまで来た甲斐あったような気がする不思議な心境。

ペルピニャン
キャンピングカーの旅

ペルピニャンを出発してから駅にダリの絵があることが判明し愕然となる。ダリはパリへ行くたびに通るペルピニャンの駅に随分思い入れがあったらしい。またペルピニャンに来ることは有るんだろうか。行き当たりばったりの旅をしているとこうなる。

スペインへ向かう帰り道は国道を走ってみた。景色は国道の方が断然良い。雪のピレネー山脈が見える。しつこいようだがピレネーに行かなくて良かった。行っていたら今頃凍えているに違いない。

ペルピニャンからスペインへ
キャンピングカーの旅

 

国境を越えてスペイン側へ。ここの国境も全く何もなくただ通過。

国境
キャンピングカーの旅

スペイン帰国。たったの一日のフランスでも兎に角スペインに帰って来ると安心する、カタルーニャでもバスクでも良いのです。普段「ったくスペインは~」とか言っていてもスペインに帰ると安心するのだ。100%日本人ですが心はスペイン人なのです。

国境
キャンピングカーの旅

 

行先が定まらない中フィゲーラスに何年かぶりに行きましょうと突然言い出す私。良いよという優しい夫。ダリにゆかりの地を訪ねているのでフィゲーラスのダリ劇場美術館へ行くことにする。ペルピニャンからフィゲーラスは58キロ約1時間。

フィゲーラスのダリ劇場美術館
キャンピングカーの旅

入場料:14€

かなり混んでいるがここも予約するほどではないと思う。本日日曜日ですが入場券を購入してすぐに入場できた。

内部は玉石混合だがやはり初期の作品がかなり見れるのは嬉しい。丁度行って来たカダケスの風景が有った。

フィゲーラス、ダリ劇場美術館
筆者撮影

丁度この部屋の地下にダリのお墓が有る。深い眠りから先日起されてしまったダリだが又黄泉の国へ戻れたかしらと思いを馳せる。

フィゲーラス、ダリ劇場美術館
筆者撮影
フィゲーラス、ダリ劇場美術館
筆者撮影

ダリを堪能したのでプボールにもこの際行ってしまう事にした。プボールはダリが妻のガラにプレゼントしたお城が有り内部が見学できる博物館になっている。フィゲーラスからプボールは39キロ約35分。ナビが無ければ絶対に着けない様な所だった。

プボールへ
キャンピングカーの旅

ダリがガラにこのお城をプレゼントした折ガラは「あなたからの申し出のお城を受け取ることにします。ただ貴方が私を訪ねるのは書面で許可を取ってからにしてください」と手紙を書いている。2人の関係は一体どういう感じだったのか、一生に一度くらい言ってみたいセリフです。

プボールのダリ・ガラお城博物館入場料:8€

プボール城
筆者撮影

ガラが生前使っていたベッドをガラ亡きあとのダリは使用した。孤独な晩年の日々の中、火災でダリが死にかけたのもこの部屋だった。

プボル城
筆者撮影

広い庭園には象が3頭。初期のダリの聖アントニオの幻想に出てくる足が長い象がまるで庭園を自由に歩き回っているみたいだった。

プボール城
筆者撮影

地下にガラのお墓。ダリは自分も横に埋葬されるつもりで並んで作ったが最晩年のダリの意志でフィゲーラスの劇場美術館にダリは埋葬された。本当にダリの意志だったのかは実は不明。

プボール城ガラのお墓
キャンピングカーの旅

ダリの寂しさを共感してしまい最後はメランコリックな気分になったが、美味しい香りに誘われお城の前にあるレストランに移動。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

レストランのメニューの表紙はダリの絵。店内に昔の新聞が貼ってありダリも訪れた店のようだ。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

前菜にグリーアスパラのグリル。黄色いソースはロメスコソース。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

日曜日のお昼15時頃という事もあってレストランは満席に近い。この小さな村のどこからこれだけの人々がやって来たんだろう。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

子羊の炭焼き

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

ブティファラ(カタランソーセージ)も炭火焼きで美味しい。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

デザートにチーズケーキと飲み物はガス入りの水35,80€

プボールを出発してパルス(Pals)という小さな村を訪ねる。コスタ・ブラバの典型的なゴシックの小さな村。

パルス
キャンピングカーの旅
パルスの村
キャンピングカーの旅

さて今日は海の側で泊まりたいと私。どこか適当にドライブしていたら良い所有るでしょうとコスタブラバの海岸線へ出るが行けども行けども別荘地帯で私たちを拒否するような門構えの豪邸ばかり。とても車を止めて泊まれそうなところがない。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

延々と海に向かって別荘地が続く中を放浪。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

こんな景色を独り占めして豪邸が作られていて年に3か月とかしか使わないんでしょッとひとりごちる。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

Faro= 灯台という標識を見つけ登ってみるといい感じで広場があって泊まれそうだ。眺めも良いのでここにしよう。Faro de Parafrugell de San Sebastiaというところに止める。灯台はレストランになっていて更に上にホテルが有った。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

ホテルはそれほど豪華には見えなかったが一泊270€、私が休憩している間に夫は調べに行って仰天して戻って来た。どっちにしても泊まらないから大丈夫よ。山の上にイベロ族の遺跡が有った。

イベロの遺跡
キャンピングカーの旅

さてカップラーメンのディナーがやって来た。お湯さえ沸かせば手軽にいただけるのでキャンピングカーの旅には欠かせないアイテムだ。できれば日本製のものが美味しいので日本帰国時にはたんまり買って来る。

カップラーメン
キャンピングカーの旅

キャンピングカーの窓からコスタブラバの夜景。寒くて外に出たくないので車からパチリ。夜景ビスタで今夜はいい夢見れそう。

コスタブラバの夜景
キャンピングカーの旅

深い眠りの中、夜中に車の横に若者集団が集まり暫くお喋りしていたのは夢か?と思ったが夫もやっぱり声を聴いたというので現実らしい。

移動距離:182キロ

入場料合計:30€

食事:41€

歩いた距離:12キロ

 

コスタ・ブラバから内陸へ(5日目)

朝は毎日早く目が覚める。コーヒーを飲んで出発7時30分。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

コスタ・ブラバの海岸線をドライブ。さてどこへ行こうか。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

サン・フェリウはコスタ・ブラバでも有名な街なのでちょっと見てみる事に。海岸線にはカフェテリアが並びヨットハーバーがある。

サンフェリウ
キャンピングカーの旅

10世紀のベネディクト会の修道院跡。サンフェリウはこの修道院から始まった。

サンフェリウ
キャンピングカーの旅

曲がりくねったカーブが続くが時々海に向けてスペースがあって車を止めて景色が楽しめる。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

水のブルーが透明。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

 

トッサ・デ・マールの入り江とお城が見えて来た。

コスタブラバ
筆者撮影

入り江の海岸線にレストランが並ぶ漁港。お城へ登って行こう。

トッサデマール
キャンピングカーの旅

水平線の向こうはコルシカ島だそう。ここに立つとカタルーニャは地中海の島々を制覇していたというのが良く理解できる。ここで冷たい飲み物を飲みました。景色代込なので高かった。

トッサデマール
キャンピングカーの旅

この辺りは海岸線には宿泊出来ない事がやっと理解でき内陸を目指す事にした。もうマドリードに向けて移動、折り返し地点。地図を見て適当に良さげなところをあて物の様に探す。カルダス・デ・マラビージャにローマの遺跡があり温泉が出るらしい。行ってみよう。

ローマ時代の浴場後が有った。小さな遺跡で無料です。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

ビッチーカタランの温泉付きホテルがあって驚いた。19世紀の建物で当時の上流階級の社交場だったそうです。水着持って来ていないし今回は見るだけ。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

村役場みたいなところの広場のレストランで定食をただきます。12,5€は田舎の村にしては高いねえ。そして注文するまでに15分くらい待ち、出てくるのにさらに15分。まあのんびりしています。高いだとか遅いだとかブツブツ言っていたら一人分の前菜のスモークサーモンがドンと置かれた。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

メインのヒラメのオーブン焼きは丸々ヒラメが一匹でびっくり。もちろん一人分です。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

私はエビのカクテルとマッシュルームのグラタンを頂きました。

デザートのアイスクリーム。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

 

泊まるところを求めてさらに移動していると遠くにモンセラが見えて来た。ロヨラが瞑想したマンレサはこの先だけど今回は通過。

キャンピングカーで移動
キャンピングカーの旅

内陸になるとだんだん道が真っ直ぐになって来た。広いからいくらでも道路が作れる。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

タレーガという知らない村の駐車場、作曲家の名前と同じなので来てみたが何という事無い村でした。トラックが沢山止まっている村のパーキングで止めて今日はここで寝ます。

駐車場
キャンピングカーの旅

移動距離:300キロ

ランチ:25€、トッサデマールの展望台飲み物:8€

歩いた距離:9キロ

サラゴサとピエドラ修道院(6日目)

ぐっすり眠りコーヒーを飲んで出発。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

レリダ近くになると畑に果物やオリーブ、時々ぶどう。豊かな農産品の生産地。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

いつも通過だけするレリダの街に入ってみよう。丘の上に大きなお城と教会の塔が見える。

レイダ
キャンピングカーの旅

丘の上にあるのは旧大聖堂で後陣はロマネスク。この辺りは18世紀の戦争でかなり被害を受けたようだ。

レイダ
キャンピングカーの旅

お城から市街地が良く見える。どこでも高い所に登るに限るね。スペイン王位継承戦争でカタルーニャがコテンパンにやられたときにこの町もフランスとスペインの軍によって破壊され併合された。哀しい歴史は300年前でも語り継がれている。

レイダ
キャンピングカーの旅

レリダの観光はこれくらいで、さあスペインへ戻ろう(カタルーニャもスペインですが)。スペインに入ると早速牛の看板。これはオスボルネ社のブランデーの看板だけれどもスペイン・ナショナリズムの象徴とされ、カタルーニャやバスクでは見ないし作ってもすぐ壊される。

キャンピングカーにて
キャンピングカーの旅

サラゴサに到着。今迄と違って駐車するのに苦労した。サラゴサは大きな町だ。写真はサラゴサのピラール聖堂。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

街の入り口にローマの街道の遺跡。ローマ時代サラゴサはカエサル・アウグスタと呼ばれた重要な街だった。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

ローマの劇場跡が住宅街にありどこでも掘ったら遺跡が出てきそう。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

サラゴサのピラール聖堂は聖母マリアが生前に現れた唯一の奇跡。聖ヤコブのところにジャスパーの柱と共に現れここに教会を作りなさいと現れた。その柱がこの白い布地の中にある。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

ゴヤの銅像と後ろにLa Seu=大聖堂。ゴヤはサラゴサの近くの村で生まれている。ピラール聖堂の天井画のいくつかはゴヤの作品。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

サラゴサを出発しモナステリオ・デ・ピエドラへ向かう。乾燥したアラゴンに突然現れる水脈。周りも次第に果樹園が増えて来る。この辺りは温泉ALHAMA de Aragon=アルハマ・デ・アラゴンの保養地で有名だ。

キャンピングカーにて
キャンピングカーの旅

ピエドラ修道院到着。無料駐車場に車を止める。今日はここで泊まるようですね。パウロ・コエーリョの作品に出てくるピエドラ河はここです。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

キャンピングカーにある物で簡単な食事。

キャンピングカーにて
キャンピングカーの旅

ピエドラ修道院自然公園

入場料:16€

今年は雪と雨の多かった冬なので水量が想像以上。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

約1時間30分程でゆっくり楽しめた。クロアチアのプリトビッツエ公園を小さくしたような所です。まわりは月面の様なアラゴンなのにこの大量の水はいったいどこからやって来るのだろう。

下の写真は上から滝つぼを見下ろしている。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

滝が何層も続く不思議な景色でここは地上の楽園。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

駐車場は20時頃で誰もいなくなり今日はここで宿泊です。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

旅にはいつもバイオリンを持参で場所があったら演奏、というか練習。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

夕食はカップ焼きそばでチーンとちょっと沈む。いやいやこれ美味しい,又買って来ようっと。

キャンピングカーの食事
キャンピングカーの旅

移動距離:330キロ

途中コーヒーとクロワッサン:8€

ガソリン:70€

高速代:14,70€

歩いた距離:12キロ

マドリードへ(7日目)

鳥の声で目覚めるのは悪くないものだ。誰もいない森の中でさわやかな目覚めは今日も良い1日になりそうな気がしてくる。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

高速道路までしばらく果樹園や湖を見ながらのドライブ。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅
アラゴンの景色
キャンピングカーの旅

早く出発しすぎてマドリードで渋滞にはまる・・・トホホなパターン。

本日走行距離:236キロ

合計走行距離:2031キロ

使ったお金2人で約600€

無事帰宅。旅は帰って来るところが有るからこそ楽しいし無事に帰ればそれで成功に違いない。次の旅までアスタプロント~