北スペインの旅、サン・セバスティアンからブルゴス、レオンとサンチアゴへお仕事の旅の記録

お客様と北スペインを廻って来た。サン・セバスティアンからブルゴスからサント・ドミンゴ・デ・シロスの修道院そしてレオンとサンチアゴ等を見学して現地7泊8日。今回のお客様は4年前に南スペインとポルトガル、その後ペルーを一緒に旅行した方。「お盆休みに北スペイン」とご希望があり旅した記録、ほぼ自分用忘備録ですが北スペイン旅行のコース作りの参考になると思うので公開します。

 

<お盆の時期の注意>

*8月のお盆の季節はヨーロッパの人もバカンスで大量に動く時期なので何でも予約は早めに、特に飛行機とホテル。

*レストラン等はスペインの場合バカンスの時期に長期に閉める場合があるので注意が必要。サン・セバスティアンやビルバオの星付きレストランで8月に休む店が沢山。

 

北スペインの旅、8月にサン・セバスティアンからブルゴス、レオンとサンチアゴへ


1日目成田空港からイベリア航空でマドリード、合流してサン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルへ。

成田空港からのイベリア航空が50分遅れての到着。乗り継ぎが1時間45分なので50分遅れだと55分で移動だ、間に合わないかも、と朝から本当~に心配したが何とかぎりぎりで搭乗できた、というか飛行機が待ってくれていた。

あらかじめマドリード空港のカスタマー・サービスで乗り継ぎフライトに東京便が送れいている連絡と到着時に案内を頼んだがどこまでワークしたかは不明。

マドリード~サンセバスティアンはプロペラ機とジェット機の場合がある。今回はプロペラ機。マドリードから約1時間20分でサンセバスティアン到着。

イベリア航空、サンセバスティアン行き
筆者撮影

大型観光バスよりちょっと大きいくらいの感じの飛行機。雲の上から夕陽が綺麗。

サンセバスティアン行きのイベリア航空
筆者撮影

お客様はビジネスクラスでしたが座席番号1が最後部席で飲み物が出ただけでした。値段いくら違うんでしょ~?

イベリア航空サンセバスティアン行き
筆者撮影

 

55分の乗り継ぎで人は走ったくらいなのでスーツケースは絶対に間に合わない?と思っていたが奇跡的に全部出てきた。スペイン恐るべし。

空港からサン・セバスティアンの街まで20分程移動。ホテル、マリア・クリスティーナ、チェックイン。

<サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナホテル>

サンセバスティアン、ホテル、マリアクリスティーナ
筆者撮影

サン・セバスティアンのホテル、マリア・クリスティーナはサン・セバスティアン唯一の5つ星ホテル。

<サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアン、マリアクリスティーナホテル
筆者撮影

サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテルは1912年開業だが近年リノベーションを行って使い勝手が良くなった。現在はマリオット・グループのラグジュアリー・コレクションに入っていてエレガントなとっても素敵なホテルです。

今ホテルの値段は時期により激しく変動し、残りの部屋が少なくなるほど高くなって行く航空券と同じシステム。予定が決まれば早めに予約するに越したことはないです。

<サンセバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルロビー>

サン・セバスティアン、マリアクリスティーナホテル
筆者撮影

サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルの詳細を動画にしてみました。参考にしてください。

2日目は車でサン・セバスティアンからビルバオとビスカヤ橋、サントゥルセの鰯とゲルニカ

サン・セバスティアンからビルバオ

サン・セバスティアンからビルバオは約100キロ、車で約1時間10分位。路線バスも頻繁に出いている。さあ車の準備が出来た。出発しよう。

サンセバスティアン、マリアクリスティーナホテル前
筆者撮影

お天気予報は雨だったが時々パラパラふる程度。ホテルの傘をお借りして持って行く。8月でも朝の気温は14度位、日中は日差しが強く23度くらいまで上昇。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館観光。大きなワンちゃんはジェフ・クーンズの作品。年に2度お花が変えられる。内部からお水が出るシステム。

<ビルバオ・グッゲンハイム美術館のプピー>

グッゲンハイム美術館
筆者撮影

建築家はフランク・オー・ゲイリー。航空機の設計に使うコンピューターシステムで脱構造主義の建築を作る。素材は薄く伸ばしたチタン。

グッゲンハイム美術館
筆者撮影

ビルバオとグッゲンハイム美術館についての記事です。

ビルバオとグッゲンハイム美術館<世界で最も成功した再開発ビルバオ効果の街と近代アート>

 

ランチはサントゥルセの漁師の街まで移動。サントゥルセ(バスク語サントゥルツイ)はビルバオ湾の入り口に面する港湾都市。火力発電所がある。

レストランは港近くのHogar de Pescador オガール・デ・ぺスカドール

サントゥルセのレストラン
筆者撮影

テラス席は予約が出来ないので上の階レストランに予約をいれた。テラスは既に満席状態。予約の13時半に上の階のレストランに行ったらお店の人にびっくりされた。時間が早すぎるのだ。(スペイン人のランチは14時30分くらいからです。)

<サントゥルセ・オガール・デ・ぺスカドール>

サントゥルセのレストラン
筆者撮影

手長えびとエビのどっちが迷ってお店の人にお勧めか聞いたら「絶対エビッ」甘く新鮮でトロットロッ~。

<サントゥルセのレストランにて>

サントゥルセのレストラン
筆者撮影

もちろんイワシを頼みます!これも新鮮でおいしかった。スペインの古い歌に「ビルバオからサントゥルセ~イワシ、イワシ~」というのがあるのです。

<サントゥルセのレストランにて>

サントゥルセのレストランでいわし
筆者撮影

帰り道に世界遺産ビスカヤ橋に車ごと乗車して対岸に渡ることにする。

<ビスカヤ橋>

ビスカヤ橋
筆者撮影

ビスカヤ橋は世界で最も古い運搬橋。日本の明治26年に完成した。ポルトガレーテの労働者がゲッチョの富裕層の地区に働きに行くのに渡し舟しかなかった。

<ビスカヤ橋がある地区、サントゥルセ~ポルトガレテ~ゲッチョの地形>

ビスカヤ橋の架かっている周辺地図
筆者撮影

人々の往来の為に橋を架けると大きな船が入れなくなる。ここはビルバオに向かって大型船が入って来るところだ。解決策として考えられたのがこの運搬橋。写真下のぶら下がっているゴンドラに人と車が乗る。

<ビスカヤ橋>

ビスカヤ橋
筆者撮影

これだけは説明を聞いてもピンと来ないので自分の目で見る事をお勧めします。ビルバオからメトロで来ることが可能だ。

ビスカヤ橋についての詳しい説明はこちらの記事をどうぞ。

ビスカヤ橋は世界遺産、ビルバオからメトロで簡単にいけます

 

サン・セバスティアンに戻るにはまだ少し早いので「ゲルニカに行ってみましょうか?」

ゲルニカはスペイン内戦の時に爆撃を受け破壊された小さな街。非武装の街をナチス・ドイツの空軍が飛行機から爆弾を落として一般市民が犠牲になった。

有名なピカソの「ゲルニカ」はこの町の名前。パリ万博のスペイン館の為にピカソが描いたもので、そのパリ万博は科学を絶賛する「科学と芸術」というテーマだった。

「私たちの生活を素晴らしい未来へ連れて行ってくれる」はずの「科学」が無差別に民衆に向かい爆弾を落とした。その衝撃的な事実を世界中に知らせる為「科学」を絶賛する万博に発表した作品がゲルニカ。現在はピカソのゲルニカはマドリードのソフィア王妃芸術センターにあります

<ゲルニカにあるゲルニカのセラミックの複製>

ゲルニカにあるゲルニカの陶板
筆者撮影

ピカソのゲルニカと同じサイズで作られたセラミックが壁に飾られている。すぐ近くの議事堂も見学することが出来る。議事堂はバスクの自治の象徴。そこには爆撃から奇跡的に焼け残った聖木が置かれている。

<ゲルニカの聖木>

ゲルニカに残る聖木
筆者撮影

ではサン・セバスティアンに戻りましょう。サンセバスティアンの街の両側に小高い山がある。モンテ・イゲルドとモンテ・ウルグル(下の地図参照)その間に貝殻の形ののコンチャ湾がある地形。

サンセバスティアンの地図

 

モンテイゲルドはフニクラ(登山列車)か車で登ることが出来、もうひとつのモンテ・ウルグルは徒歩で登ることが出来る。今日は車でイゲルド山にやって来た。

サンセバスティアン、コンテ・イゲルド
筆者撮影

コンチャ湾が綺麗に見える絶景ポイントです。山は遊園地になっていて家族連れがゴーカートに乗ったり急流すべりを楽しんだり。

夕食はサン・セバスティアンの港の漁師の店へ。モンテ・ウルグルのふもとはサンセバスティアンの港になっている。

<サン・セバスティアンの港>

サン・セバスティアン、港
筆者撮影

漁師の店が何軒かあり夏しか営業していない所が殆どですが一部冬もやっている。

<サン・セバスティアンの港>

サン・セバスティアンの港
筆者撮影

サン・セバスティアンというとバル街と星付きレストランばかり紹介されていますが港のレストランもおすすめですよ~。

<サン・セバスティアンの港>

サンセバスティアン、港のレストラン
筆者撮影

チャングーロはサンセバスティアン料理、わたりカニの味噌を玉ねぎやトマトなどで調理した味噌の部分がおいしい。

<サン・セバスティアン料理のチャングーロ>

サンセバスティアン
筆者撮影

店主のおじさんが鰹の料理を御馳走してくれた。後は大きなヒラメをグリルでいただきました。(写真撮り忘れ)

おやすみなさい~

サン・セバスチャン・美食の街の歴史と美味しいおすすめバルと港の漁師のレストラン

3日目サン・セバスティアンからフランス・バスクへ

今日は国境を超えてフランス側へ行く。遠い方へから行きましょうと、サンセバスティアン⇒ビアリーツ⇒サンジャンドリューズ⇒オンダリビアと移動する。

サンセバスティアンからフランスバスクの地図
筆者作成

サン・セバスティアンからビアリーツまでは車で約1時間。ビアリーツはナポレオン3世が妻のエウヘニア(スペイン人貴族)と訪れて大変気に入った所。その後沢山のフランス人貴族たちが訪れるようになった優雅な街。ホテル・ド・パレやエウジェニー教会、聖母の岩などを見学した。

ビアリーツ、聖母の岩
筆者撮影

 

バカンス客でどこも随分賑やかだ。30分程移動してサン・ジャン・ド・リューズ(スペイン語だとサン・ホアン・デ・ルッス)

サンジャンドリューズ
筆者撮影

国境を超えただけで言葉も習慣もフランス式に変わる。そしてフランスでは12時にランチがいただけるのだ。予約した店はTXULUPAルイ14世の館のすぐ近く。

タコのグリル

舌平目のグリルなどをいただいた。

サンジャンドリューズのレストラン
筆者撮影

国境超えて20分位の所なのに食事の時間だけでなく、お値段も一気にフランス式になった。スペインは安くて美味しい良い国やな、と改めて感じる。

食事の後ルイ14世の館を見学。ルイ14世がスペインの王女と結婚式を挙げた時に3か月程滞在した建物で今も当時の持ち主が所有だそう。フランス人のガイドさんが英語で色々説明してくれて楽しかった。

 

サン・ジャン教会はバスク風の建築で教会には珍しく木で作られている。ルイ14世とスペインの王女の結婚式がここで行われた。今も地元の人々がやって来る教区教会になっている。

サンジャンドリューズの教会
筆者撮影

お買い物はエスパドリーユやバスク・リネン、お菓子等。

サンジャンドリューズ
筆者撮影

ルイ14世の結婚式にお菓子を出したアダムで作っている焼き菓子が今のマカロンの元になったそう。

<サンジャンドリューズのアダム>

サンジャンドリューズのお菓子屋アダム
筆者撮影

 

スペイン側へ戻ってオンダリビアへ、サン・セバスティアン空港はこの街にある。サン・セバスティアンから23キロ程、フランスとの国境の街だ。新市街地のバル街も楽しいが今日は旧市街だけ。

オンダリビア
筆者撮影

サン・セバスティアンに戻り夕食は地元のバルで

サンセバスティアンのバル
筆者撮影

では、おやすみなさい~

4日目サンセバスティアンからブルゴス、サント・ドミンゴ・デ・シロス、レオン

今日はマリア・クリスティーナホテルをチェックアウトをして移動日。移動距離が約560キロというスケジュール。

サンセバスティアンからブルゴス、レオン地図
筆者撮影

シロスの修道院がお昼休みで14時に閉まる。再び開くのが16時30分、それに合わせて時間の調整をする。

サンセバスティアンからブルゴスへ
筆者撮影

サン・セバスティアンからブルゴスは214キロ約2時間15分。バスク州からカスティーリア・レオン州に入った。景色が変わって行く。

エル・シドの銅像。エル・シドはレコンキスタの時の英雄。古い映画でチャールトンヘストンとソフィアローレンの物があるがまた新しい映画が作られるようだ。

ブルゴスのエルシド
筆者撮影

プラタナスの並木道が遊歩道になっている。スペインの街はどこも緑が多く遊歩道が広く取られていてゆったり人が歩いている。森の中に街がある。

ブルゴスの遊歩道
筆者撮影

凄い人だと思ったら、今日ブエルタ・エスパーニャ(自転車競技)がブルゴスから始まる開会式の真っ最中だ。

ここはサンタマリア門。ブルゴスの街に入る城門。

ブルゴス、サンタマリア門
筆者撮影

沢山の選手達がウォーミングアップで走っている。

ブルゴス、サンタマリア門
筆者撮影

ブルゴスは大聖堂が世界遺産だ。フェリペ2世が神の御業と称えた荘厳な建築。

ブルゴス大聖堂
筆者撮影

内部は様々な祭壇や彫刻、絵画等があり、中央考査部の天井の透かしが素晴らしい。その下にエルシドが埋葬されている。

ブルゴス大聖堂
筆者撮影

 

ランチは大聖堂近くのRincon de Espanaリンコン・デ・エスパーニャ。子羊の炭火焼きやグリーンアスパラ等何皿かをシェアーしていただいた。

ブルゴスのレストラン
筆者撮影

 

サント・ドミンゴデ・シロスの村へ60キロ移動する。村の人口250人ほどだがこの街が有名になったのは修道士たちによって歌われるグレゴリオ聖歌と修道院にあるロマネスクの回廊。

サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影

それとロマネスク回廊を見学する。ロマネスク彫刻は柱頭彫刻を楽しむがここでは角のパネルが素晴らしい。800年程前に修道僧たちが歩きながら祈った四角い回廊をクラウストロという。

<サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院クラウストロ>

<サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊クラウストロ>

 

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊
筆者撮

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院とグレゴリオ聖歌についての記事です

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院<ロマネスク回廊とグレゴリオ聖歌>

ホテルはマヨール広場に面するNHcoleccion Plaza Mayor。古い建物をうまく利王して内部は綺麗に改装されていて快適でした。

レオン。nhホテルプラサマヨール
筆者撮影

シングルで狭いですが私には充分、清潔で使いやすいホテルでした。ホテルのスタッフもとっても感じよかった。ロケーションがマヨール広場内というのが最強です。

<レオンのホテルの部屋>

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

<レオンのホテルのバスルーム>

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

 

夕食は直ぐ近くのバリオ・ウメドBarrio Humedo、飲食店街へ。サンマルティン広場は22時というのに家族連れでどこも賑わっていた。・

レオン、サンマルティン広場
筆者撮影

レオンの知り合いに教えてもらったタベルナは座る席がもうなかったのでその向かい側の店に入った。どこで食べても絶対美味しいのだ。

レオンのサンマルティン広場
筆者撮影

生のホワイトアスパラ(缶詰ではない)を茹でてオリーブオイルとマヨネーズ。

レオンのレストラン
筆者撮影

有機のトマトだそうです。甘くて美味しかった

レオンのレストラン
筆者撮影

お肉やデザートもいただきましたが写真撮り忘れ。エントレコットEntrecotサーロインステーキもとっても美味しかったです。

おやすみなさい。

レオン、マヨール広場
筆者撮影

 

5日目レオンの観光後オーセブレイロ峠、コル―ニャ経由でサンチアゴデコンポステーラ

レオンからコル―ニャとサンチアゴ
筆者撮影

ホテルNHプラサマヨールの朝食。簡単でしたが充分。

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

今日は週に2回の朝市の日だった。ホテル前のマヨール広場に周辺の農家が生鮮食料品を運んで来て売っている。

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

ホテルから大聖堂は徒歩5分くらい。大聖堂はゴシック様式で内部の壁を極力少なくすることによって窓を大きく開けてステンドグラスを使った。コバルトを使うと青くなる等、職人たちの経験値が弟子に継承され何年もかけて創られた。

レオン大聖堂
筆者撮影

ガウディの作品がカタルーニャ地方外に3つあるうちのひとつがレオンにあるカサ・ボティン。注文住宅で現在は銀行の所有になっている。

レオン、カサ・ボティネス
筆者撮影

カサ・ボティンに向かってガウディさんがベンチに座って仕事をしていた。

レオンにあるガウディ、カサボティンの前
筆者撮影

 

レオンを出発してセブレイロ峠へ。セブレイロはサンチアゴの道を歩く人達を苦しめる最後の険しい峠にある村。

<サンチアゴの道のモホンという道しるべ>

オーセブレイロ峠
筆者撮影

セブレイロはサンチアゴの道を歩く人達を苦しめる険しい峠にある小さな街。街にはケルト人たちが残した丸い石組に藁ぶきの屋根を付けるパジョサ有る。冬歩く人はきついだろうな~

<セブレイロ峠にあるパジョサ>

セブレイロ峠のパジョサ
筆者撮影

パジョサはケルトの残した住居の形。丸く積み上げた石組の上に藁の屋根。今も住居として使われている。

 

セブレイロで毎回来るレストランが「今日は食事は出せないよッ」「え~」「あっちの店に行ったら?」と教えてくれた店に入った。

ガリシアのスープでカルド・ガジェゴ、素朴なスープで美味しいのです。サンチアゴ

オーセブレイロ峠、ソパガジェゴ
筆者撮影

イカのリング揚げとエンパナディージャというガリシアのパイ、ポークソテーをいただいた。

オーセブレイロの食事
筆者撮影

 

ガリシア人は愛想が悪いので有名だ。少し話すと打ち解けるのですが他のスペインの地域の人に比べて最初のとっつきが悪い。ここのセニョーラも最初は愛想無かったけどだんだん打ち解けて一緒に写真。後で写真を見たらにっこり笑ってくれていた。

コル―ニャへ。ヘラクレスの塔は世界遺産。これは灯台で中にローマ時代の灯台がある。2世紀には存在が知られていたというから驚きだ。アレキサンドリアの大灯台をモデルにしたと言う。

コル―ニャのヘラクレスの塔
筆者撮影

コル―ニャの観光はサックリにしてサンチアゴへ向かいます。

サンチアゴに着く前にモンテ・ゴソへ。ここはサンチアゴを目指して歩いてきた人々が最初にサンチアゴの大聖堂を目にする丘で「歓喜の山」と呼ばれている。

モンテ・ゴソ、歓喜の丘
筆者撮影

最終目的地サンチアゴに到着、オブラドイロ広場は凄い人。

サンチアゴの大聖堂
筆者撮影

サンチアゴは大聖堂の横にあるパラドール(国営ホテル)に宿泊。イサベル女王によって創られた救護院。サンチアゴの道を歩く巡礼者の為の病院兼宿泊施設だった。

サンチアゴデコンポステーラのパラドール
筆者撮影

夕食はホテルで。

サンチアゴデコンポステーラ、パラドール
筆者撮影

夕食は前菜とメイン、デザート各5種の中から選べるようになっていた。

前菜はトマトと人参の冷製スープ

サンチアゴデコンポステーラ、パラドールの夕食
筆者撮影

子牛のステーキは思ったよりボリュームが凄かった。

サンチアゴデコンポステーラ、パラドールの夕食
筆者撮影

夜は大聖堂に照明があたり綺麗に輝きます。明日が満月だそう、大聖堂の横にお月さまという想定外の景色にうっとり。

サンチアゴデコンポステーラ、大聖堂
筆者撮影

<サンチアゴのパラドールの廊下>

サンチアゴデコンポステーラ、パラドール
筆者撮影

<サンチアゴのパラドールの部屋>

サンチアゴデコンポステーラ、パラドール部屋
筆者撮影

パラドール泊

6日目サンチアゴの観光

サンチアゴの観光は大聖堂が中心。

大聖堂の現在の正面が18世紀の物でロマネスクの門がその中にある。傷みが激しくずっと修復をしていたが今年から予約制で見学が可能になった。

サンチアゴ大聖堂の栄光の門
CC BY-SA 3.0 wikipedia

あらかじめ栄光の門の入場を予約して見学。説明はスペイン語のみ、約30分間の栄光の門と10分かん彫刻家の展示場で移動もいれて約45分の見学。

ランチはパラドールすぐ近くのLa carreta、魚介類のレストランです。

サンチアゴのレストラン、ラ・カレータ
筆者撮影

前菜に魚介のスープ、あとはシェアーしていただきます。

ガリシアに来たらこれ、タコのガリシア風

サンチアゴのレストランでタコ
筆者撮影

小ぶりのホタテ貝。

サンチアゴのレストラン、ホタテ貝
筆者撮影

ムール貝のワイン蒸し

サンチアゴのレストラン
筆者撮影

後はサンチアゴの街の散策とお買い物でのんびり過ごしました。

最後の夕食はパラドールにて

タコのパテとカルパッチョ

サンチアゴのパラドールの夕食
筆者夜はパラドールにて

アサリとタコの煮込み料理

サンチアゴのパラドールの夕食
筆者撮影

ピアノの演奏も素敵でした。

サンチアゴデコンポステーラ
筆者撮影

8月15日、聖母マリア昇天祭で満月、奇跡が起こりそうな素敵な夜でした。

7日目サンチアゴからマドリード経由で日本

サンチアゴ空港は市内から車で15分くらい。

サンチアゴデコンポステーラの空港
筆者撮影

飛行機は約1時間でマドリードへ。

マドリード空港ターミナル4
筆者撮影

ターミナル4のサテライトへ移動しお見送りしてお別れ。

楽しい旅でした~Hasta Pronto.

北スペイン、バスクからサンチアゴの旅まとめ


8月の中旬でも北スペインは朝の気温14度、雨が降ったり寒かったりだった。持ち物に傘と軽めのジャケット、でも日差しは強いので帽子も必要。ジャケットの脱げば半袖になれるような服装がベスト。現地7泊の短い旅行でしたが海や山やフランスや色々バリエーションのある旅になりました。

この旅の動画版です。

 

カミーノ・デ・サンチアゴをサリアからサンチアゴまで歩いた私達の旅の記録

サンチアゴの道をサリアから115キロ歩いてきた私たちの旅の記録。夫に「カミーノを歩く」仕事が入ったのだ。秋にサンチアゴの道を日本からのお客様と100キロ歩くという。それでは時間があるうちに下見に行っておこうどうせ行くなら「2人で楽しみましょう」と私も同行することになったその旅の記録。

私たちのサンチアゴの道の記録


マドリードからサリア

5月14日、この日は夫が仕事だったので出発は午後になった。待っている間に私は弁当を準備して13時45分マドリードを出発。キャンピングカーで国道6号線通称コル―ニャ街道をひたすら走る。

マドリードからサリアへ移動
筆者撮影
マドリードからサリア

マドリードからサリアまでは517キロほとんど高速道路で快適。

今回キャンピングカーにしたのはサリアでの前泊と後泊が出来るのが理由。マドリードを出て休憩したのはガソリンを入れた1回のみで18時32分サリアのマグダレーナ修道院に到着した。517キロを4時間45分だ、悪くは無い、いやいやこれは上等です。

サンチアゴの道 サリア
筆者撮影 サンチアゴの道
サリア マグダレーナ修道院

早速マグダレナ修道院でクレデンシアル(巡礼者手帳)にハンコを押してもらう。スタート地点のハンコ押印の儀式だ。サンチアゴ・デ・コンポステーラで巡礼証明書を作るにはクレデンシアルのスタート地点のハンコとその日付、毎日の宿泊地と更に最低1個のハンコが規則。

サンチアゴの道サリアのハンコ
筆者撮影サンチアゴの道

 

19時前、この時期スペインの太陽はまだまだ上の方にある、サリアの街を少し散策しよう。

サリアの街の入り口
筆者撮影、サリア

夕陽が当たってマグダレナ修道院の壁に文字の影が出来てなんだかとても綺麗。

サンチアゴの道
筆者撮影

巡礼路の街なので道に沿って建物が続く。先に「道」が出来てあとから「街」が出来た様子が良くわかる。街道沿いはアルベルゲとバルとお土産物店が続く。サンチアゴの巡礼者達は沿道の街の重要な資金源に違いない、今も昔も。巡礼者には街道の街が無くては歩き続けられないのだからお互い支えあっている関係だ。

サンチアゴの道、サリアの街
筆者撮影

「サリアに車で着く途中家具の販売場が多かったなあ」この辺りの樫の木の木彫り職人が昔から有名なんだと思う。素敵な物があったが明日から歩くので無事帰ってきたらお土産に何か買おうか(これは結局忘れてしまって何も買わずに帰った)。バルの入り口にも木彫りの看板が素敵。ではここのバルに入ります。

サンチアゴの道出発地サリア
筆者撮影

サリアに無事到着のお祝い。「おっ」ペレグリーナ(巡礼者の女性名詞)という名のビールがあった。

サリアのバルで巡礼者という名のビール
筆者撮影サンチアゴの道

でも今日はリベイロ(ガリシア産)の白ワインをいただきます。つまみにトルティージャがでた。

サンチアゴの道、サリアのバル
筆者撮影サンチアゴの道

さあ早く休みましょう。明日は人生初の21.5キロを歩くのだ、早く起きて暗いうちから出発です。

サンチアゴの道、サリア
筆者撮影サンチアゴの道

今日はマグダレナ修道院の横にキャンピングカーを止めて眠ります。おやすみサリア。

カミーノ1日目、サリアからポルトマリン21.5km

朝7時30頃出発。本当はもっと朝早く暗い時間に出発する予定が遅くなった。いつも適当な私たちの旅はこうだ。カミーノは早く出発して早く着くが基本らしい。公的なアルベルゲは早くいっぱいになるので(今の所パブリックのアルベルゲに泊まる予定)早く出発して早く到着するというのが掟のようだが、まあいいね。何とかなる、てか結局どっちでもいいのだ。

サリア マグダレーナ修道院
筆者撮影 サリア マグダレーナ修道院

ストックは夫が持っていた山登りのものを持ってきたが重さを計ったら300グラムもあって最後まで悩んだ。「2本あると良い」とどこかに書いてあったが2本で600グラムになってしまう。5日間で荷物の重さ6キロ以上、もう減らせるものはない。

サンチアゴの道の出発
筆者撮影サンチアゴの道

出発間際に300グラムのストックを車に残し夫が木の棒で以前に作ってくれたものを持って行くことにした。これなら邪魔になれば途中で捨てられる。

では出発7時30分、朝の太陽が気持ちいい、今日は快晴だ。出発はマグダレナ修道院を正面に見て右の方に歩いていくと➡がすぐにあるので迷うことは無い。

サンチアゴの道 サリア
筆者撮影サンチアゴの道サリア・マグダレーナ修道院

マグダレナ修道院からサリアの街を出てしばらく下って行く。

サンチアゴの道
筆者撮影 サンチアゴの道 サリアから出発

軽いトレッキングコースの様な道で木が茂っている中を歩いていく。すれ違う人や追い抜いていく人に声をかけると書いてあった。「ブエン・カミーノ~」ちゃんと返事が戻って来る「ブエン・カミーノ~」今始めたばかりの新参者なのにベテラン気取りだ。

サンチアゴの道 サリアから
筆者撮影 サンチアゴの道 サリアから出発

矢印やモホンMojon(サンチアゴの道にある石の道しるべ)がしっかりあって探して目的地に着くゲームに参加している気分だ。

サンチアゴの道の道しるべ
筆者撮影、サンチアゴの道の道しるべ

緩やかな登りのある気がしげった道で歩きやすいハイキングコースといった感じだ。

サリアからサンチアゴの道
筆者撮影 サリアから

ヨーロッパからの人が多いなと感じる。スペイン人より英語を話す人が多いかも。ドイツ語やフランス語、スペイン語はメキシコの人や、ポルトガル語はブラジルからの人達にもあった。アジアからは韓国からの巡礼者が圧倒的に多い。

サンチアゴの道 サリアからポルトマリン
筆者撮影

途中怪しい東欧風女性3人組が署名を求めていた。マドリードの地下鉄で観光客を獲物と狙う集団に似ているなあと思っていたら、前を歩いていたイギリス人風男性は署名して寄付金をねだられていた。「こんなところにまで出没するのか・・・」とちょっと気持ちが引き締まった。

サリアからポルトマリン
筆者撮影

カミーノを歩く人達は皆善良で通り過ぎる村の人も親切なので人を信用しきった心のすきを狙ってくるところがプロだ。「すべてを信用しすぎない警戒」は必要だと思った。

歩き続けると登りもあるが木蔭の多い歩きやすい道が続く。

サンチアゴの道、サリアを出て歩く道
筆者撮影 カミーノ

「1日に最低2個のハンコを押して目的地に行くこと」と書いてあったな。途中様々なところで「ハンコ=Selloセージョあります」と書いてある。「ふんふん、これだな」カフェテリアや教会等でクレデンシアルにハンコを押す事でちゃんと歩いた証明になるようだ。

サリアを出て約2時間で「Perscalloペルスカージョ」の矢印で道路を超える

サンチアゴの道、ペルスカージョ
筆者撮影

交差点から1キロ程のところにパン屋さんがやっているカフェを発見、やっと休める、「休憩だ~」ハンコを押してコーヒーとビスコッチョをいただきます。そしてお手洗いへ。

サンチアゴの道サリアから2時間で休憩
筆者撮影

ビスコッチョは日本のカステラの原型。ここで作っているに違いない、目茶美味しかった。今までの人生で食べたビスコッチョで一番だ。

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

ここで夫はメモ帳もボールペンも用意していなかったことが判明。「ボールペン貸して~」「え~」「誰の下見やってんの?ったく」まあ、いつもの事なのですが。

ここから10分程歩いたところにもう少し大きなバル・レストラン。ここはキッチンもあって食事も出来るようだ。

サンチアゴの道、ペルスカージョの後の休憩所
筆者撮影

さっきの所はパン屋さんだけれどこちらはレストランなのでお食事メニューも充実していた。

私たちはガイドブックも無しで歩いているので見つけたところですぐに休憩してしまうが最初の所は混んでいてお手洗いも並んでから。そして少し歩くともう1軒、いや2軒そちらが空いていたケースは数えきれない、調べることは大事だと痛感。

サンチアゴの道、ペルスカージョの後のバル
筆者撮影

ガリシアの農耕地を見ながら前に進みます。きれいな景色を見ると幸せな気分になれるんだなあ。

サンチアゴの道、街道の風景
筆者撮影

暫く歩いたので荷物を降ろして休憩。昨日の残りのおにぎりと茹で卵を平らげた。お菓子や果物、スナックをいつも出しやすい所で持っていると休憩の時に楽しめていいですね。口に何か食べ物を入れた時に人間の脳の幸福ホルモンがジワッと出てくるな等と日常ではあまり感じない事を思う。

サンチアゴの道
筆者撮影

後ろから日本語が聞こえて来てびっくりして「あら、こんにちは~」と話しかけた。別々に歩いている女性2人で色んな所で一緒になってまた再会したばかりらしい。ひとりで歩く人が多いなあ・・・

暫く歩くとなんだか人だかりが出来ていて「何?」って覗いたら「わあ~ここからサンチアゴまで100キロ」のモホン=石の道しるべでした。800キロ歩いてきた人は感慨深いだろうなアと思いながら私も「ペルドーンすみません」小さくなって一枚パチリ。さっき歩き始めたばかりですが・・・

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

その後1キロ程歩くと、なんだろ?ここは?

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

ここで休憩してください無料ですと書いてある。

サンチアゴの道 無料休憩所
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴまで99キロ地点位の所に無料の休憩所。地元の農家が場所を提供してくれていて飲み物や食べ物、お手洗いも使わせてくれる。これはありがたい、なんか陽気なセニョールが「Corazon grande a compartir=広い心は分け合いましょう」と言っている。

サンチアゴの道、無料休憩所
筆者撮影

Donacion=寄付金と書いたところに少額入れていくようになっていて私たちも3€程の小銭を入れた。全然入れない人もいたり紙幣が入っていたり人の事は気にしないで自分に払えるだけ払えばいいという事だ。飲み物や果物やお菓子等、有り難い。

サンチアゴの道
筆者撮影

ログローニョから来たカップルと同席になった。去年のサン・マテオ祭楽しかった話で少し盛り上がった。さあ出発しましょう。

サンチアゴの道
筆者撮影 サンチアゴの道

十字架に石を積んでいるのは神社の鳥居に石を置くのと似ているなあ。人間の行動は深い深い所で繋がっているのかもしれない。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

最後はずっと太陽が当たる道だ。有り難いのは西に向かって歩くので午後になるまで顔に日が当たらない。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

時々地図が置いてあって現在地を確認できる。ポルトマリンまであと少しだ。アメリカに住んでいる韓国人のセニョールが「日本人ですか」と片言の日本語で話しかけてきてしばらく話しながら歩いた。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

矢印が二つに分かれていてどっちでも着けるみたい。左は歴史的な道で右は迂回路なのか?

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

歴史的な道を行きます。

サンチアゴの道、歩く巡礼者
筆者撮影、サンチアゴの道

「うわ~」ポルトマリンの街が見えて来た、写真で見たことがあるやつだ。「すごいッ、着いたんだ」ゆっくりだけど歩けば着く、当たり前だけど感動した、21キロも歩いたんだと驚いた。

サンチアゴの道
筆者撮影

ポルトマリンの標識が嬉しい。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

「到着だ~」とここで脱力しかけたらなんとこの階段を登って行くらしい。階段の下で力尽きた人が何人か座っていた。みんな冗談を言ったり声をかけていく。「ここは関所か?」「上まで頑張ったらビールをおごるから頑張れ!」とか言っているのはスペイン人たち。こういう他人と冗談を言い合える人間同士の距離感が好きだ。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

階段を登って更に登り坂をが待っていた、がんばれ。ポルトマリンの看板があった。「写真撮って~」とラテン・アメリカ風のスペイン語を話す女性に頼まれた。ひとりで歩いているらしい。「はいはい、パチリ」スマホの画面中央が割れていて旅の長さを想像させた。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

パブリックのアルベルゲに到着14:30、という事は21キロを7時間かけて到着。「この時間だと遅すぎでもう泊まれないかもね~私はホテルでも良いよ~(にっこり)」と言いながらアルベルゲに入って聞いてみたら「まだベッドありますよ」にちょっとがっかり。受付でクレデンシアルと身分証明書を見せて6€x2を支払う。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

ハンコを押してもらい荷物を降ろし到着した実感に浸る。

使い捨てのシーツを渡され部屋番号を言われた。部屋だけ決まっていてベッドはどこを使っても良いらしい。「今月は未だ空いているのよ、来月から混むわね。」と受付の女性。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

出口に近いベッドの下の段を2つキープして混む前にシャワーを浴びます。「え~うそでしょ」夫がシャワージェルを持って来て無いって。「私のを使う?」「少ししか持って来て無いのに~」「ったく~」

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

シャワーブース。予想通りシャンプーとか置くところなし。ベンチだけあったので脱いだ服はそこに置けた。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

「S字フックがあると便利」と友達に言われて持ってきた、ここで活躍。念のため貴重品はシャワー室の中まで持参した。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

 

公共スペースは広々していて綺麗に掃除されている。スペインはどこも掃除が行き届いている自信がある、と私が威張ることでもないが・・・

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

キッチンには鍋が一つ置いてあった。後ほど韓国人のグループがラーメンを作って鍋ごと食べていた。ズルズル音をさせ食べていて韓国も音をさせて食べるんだと勉強になった。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

裏側の庭に洗濯機と洗濯場、800キロの長旅の人はありがたいでしょうね。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

選択物干し場もあり洗濯バサミはみんな自前のようでした。無い人の洗濯物は落ちていたので。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

一息ついたら街へ出かけて9月の仕事で夫のグループが宿泊するホテルを見に行って下調べ。

近くにあったサンペドロ教会、でも閉まっている。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

街の中心部に商店やスーパー、バルやレストランが集まっている。ロマネスク様式のサン・ホアン教会や市役所があるあたりがセントロ=中心部だ。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

サン・ホアン教会、ロマネスクの入り口の彫刻が素敵で見とれる。

 

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

サン・ホアン教会の入り口の彫刻は両手を口にくわえて「あわわ~」って言ってる感じが気に入った。この足はどうなっているんだろう、としばらく考え込んだ。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

街にお店が何軒かあり必要な物はたいてい購入できる、サンダル、ストック、寝袋、雨具、シャンプー、日焼け止め。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

途中であったスペイン人の3人組に声をかけられた。「モニカ~(私?)ジントニック飲んでるぞ~」途中の山道で1人が膝が痛そうに歩いていてポルトマリンに着いたら「ジントニックで洗礼だ」と言っていた人達だ。

教会の前のバル・レストランで夕食をいただきます。Platos Combinadosプラトス・コンビナードスはお皿にお肉も野菜も乗った一品で終われる代物。頼んだのと違うのが来たけど注文を取りに来た店主らしきセニョールは肩をすくめるのみでした。

サンチアゴの道 ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

「ガリシア人はケチ」とよくカステジャーノ達が言うのはこれに違いない。お店で働くラテン・アメリカ人風のカマレラに「店主は耳が悪いんじゃない?」と言ったら、「そうだそうだ、本当にそうなのよ」と笑いながら激しく同意していた。向こうにいる店主にはそれも聞こえていないみたいだった。

サンチアゴの道ポルトマリンの夕食
筆者撮影サンチアゴの道

機嫌を直してアルバリーニョの白ワインで無事到着を乾杯。教会ビューで色々2人でお喋りして過ごす夕食、ひとり人旅の人はどうやって時間を過ごすんでしょう。まだ明るいけれど明日の準備をして早く寝ましょう。誘眠剤と耳栓とアイマスクで私はベッドに入った後すぐに記憶が無い。

サンチアゴの道2日目<ポルト・マリンからパラス・デ・レイ22キロ>

気が付いたら朝だった、それくらい良く眠れた。朝6時前に起きて暗いうちから準備。6時30分に出発。夫は隣の人の巨大いびきで眠れなかった様子。しかも出発前の友人の引っ越しの手伝いの後遺症でギックリ腰の前兆らしい、お気の毒。

サンチアゴの道 ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

暗いうちから沢山の人達が無言でキビキビ準備していて不思議とこちらの気分も高揚してくる。「静かにちゃんとキビキビしなくちゃッ」懐中電灯が役立った。

サンチアゴの道、ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

6時25分ポルトマリンのアルベルゲを出発。まだ暗い中出発するとなんか頑張っています感あって嬉しい。

サンチアゴの道、ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

暫く軽い登りが続く。雨が降りそうだ。後で調べると5キロの道のりで200メートルほどの高低差の所を登って行く。あ~少し明るくなって来た、景色が綺麗で森の臭いが変わって行く。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

見晴らしが良い所でみんなポンチョをつけ始めた、霧雨が顔にあたる。手がかじかんで冷たい。最後に家に手袋を置いてきたけれど有っても良かった。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

歩き始めて約2時間(7.7キロ)サンチアゴまで84キロ地点にカフェ。ここまで休憩するところ全くなし。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

暖かいコーヒー飲みましょう、混んでいるけど仕方が無い。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

カフェ・コン・レーチェ(ミルクコーヒー)とパン・トスタード・コン・アセイテ(トーストにオリーブオイル)で朝食。暖かいコーヒーでホ~ッと一息。暖かい物を口にすると落ち着くね~。他の旅人たちも皆顔がほころんでいる。カフェx2とトスタードx2で5€60C

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

そこから1キロ程歩いたところにもアルベルゲ・カフェがあった。ハンコだけ押したけれどあまり感じが良くなかったなあ。「巡礼者は迷惑なのか?」とちょっとムッとなった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

そしてさらにしばらく歩いたところに木蔭があるカフェがあった。素敵な木蔭でここまで頑張ればよかった。調べていないので毎回混んでいる一個目に入る私たち。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

今日は木のあまり木が無いコースなのかなあ、登りも多い

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

石の道しるべに数字がかいてある。サンチアゴまで79.957キロ、当たり前だけれど確実に減っているのでダイエットみたいで嬉しい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

暫く歩くとサンチアゴまで78、1キロ、間違いなく歩けば数字は減って行く。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

 

ポルトマリンを出て約3時間半ほどの所に割と大きなバル・レストランventas o cruceiro。ここはアルベルゲもやって重要な宿場町なのかも、自転車を沢山積んだ車が止まっている。ここから自転車をレンタル出来るんだろうか。バルの中に入るとプラトス・コンビナードスやタパスがあって休憩や食事にもよさそうだった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

すぐ後ろに小さな礼拝堂があった。中にいた随分年配のセニョールが「ここはテンプル騎士団の管轄なんだよ」と色々説明してくれた。「ハンコを押すときに手を添えて押したい所に持って行って欲しい」と言われて初めて目が不自由な事が判った。小銭を入れる箱があったので少額置いてきた。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

教会の横にクルセイロ(石の十字架の目印)と大きな樫の木。大きな木を見ると嬉しくなる。時間があれば木の下でお昼寝がしたい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

ポルトマリンから4時間30分程は歩いたか、小さな村の建物の入り口の果物にフリーと書いてある。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

と中に入って行ったら「コーヒーやお手洗いどうぞ。ハンコもありますハグもします」と書いてある。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

キリスト教系の組織みたいだけれど後で勧誘されるか?と少し構えたが心配無用だった。少し座らせてもらってコーヒーをいただきお手洗いを借りた。他の巡礼者と少し会話をして寄付金箱に小銭を入れて出てきた。「グラシアス」「ブエン・カミーノ」

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

外にfuente del peregurino巡礼者の泉と書いてある。水を自由にくめるようになっていた。有り難い。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

ここの下り坂は自転車の人はいいなあ。さっきのアルベルゲの所からレンタルで移動する人達なのか。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

 

12時を過ぎてもう目的地パラスデレイにもう入るみたい。既に5時間半は歩いたわけだ。村らしくなって来た。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

これはトウモロコシを乾かして保存する入れ物らしい。ネットで検索した時に出てていた~、と嬉しい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

で、もう街かと思ったがまだ街道が続く

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

パラスデレイに入る手前に9月のグループが宿泊するホテルがあったので先にチェックに入った。わあ~素敵な所~私もここが良いなあ・・・でも予算オーバーでしょうね。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

昨日眠れなかった夫は「今日はアルベルゲには泊まらないぞッ」と言っているので「やった~」とペンシオンか個室のアルベルゲを探す。ネットで調べて個室で部屋40€の所があった。

パラスデレイの街の入り口にあるO Castelo。重い荷物と20キロの移動で疲れ切った体で入ったら階段が待っていた。そこまでは調べきれなかった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

部屋にはベッドが5つだけどお2人でお使いください。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

想定通りシャワーのみでしたが、清潔で静かで快適でした。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

キッチンも自由にどうぞという事で夜はここで食べようか?

サンチアゴの道パラスデレイのペンション
筆者撮影サンチアゴの道

シャワーを浴びて夫に私流の「ぎっくり腰の調整体操」を享受した。具合が良くなったので街に出よう。スーパーで夕食用の食糧を買いこみお昼はレストランで食べましょう。美味しい物を探すのは夫の仕事で感が良いのか外れることは滅多にない。

「ここが良い」パラスデレイの街の中心(と言っても知らずに通り過ぎそうな中心部)にあるレストランの定食をいただくことに

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

10€で前菜・メイン・デザートがそれぞれチョイスできてワインもついている定食メニュー・デル・ディアだ。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

前菜はガルバンソ=ひよこ豆にした。暖かい物でしっかり胃袋に届くものが食べたい気分だ。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

お皿はガリシアの磁気サルガデロスに統一されていた。メインに子牛のグリル。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートにティラミス

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

ワインはラベル無しのリベイロ(ガリシア)の赤が1本「どん」と真ん中に。フルーツジュースの様で軽くて美味しかった。スペイン人のひとりで歩いているセニョーラが食事に入って来て挨拶をした。今日は色んな所で一緒になった。

食事のあとガイドブックを購入した。2種類あったけど薄くて軽いミシュランの物にした。もっと早く購入しておくべきだった。

サンチアゴの道ガイドブック
筆者撮影サンチアゴの道のガイドブック

 

ペンションに帰ってお昼寝、洗濯、明日の準備をして夕食はテラスでワインとサラダと買って来たハムとかで軽く済ませる。

サンチアゴの道パラスデレイのホテルで自炊

お昼にしっかり食べたのでお腹は減っていない、軽くて充分。

サンチアゴの道パラスデレイの夕食
筆者撮影サンチアゴの道

「食べたら寝るだけ」という素敵にシンプルな毎日。これが人間の生きる本当の姿に違いない。何も心配事は無い、あす起きたら歩けばいいのだ。

夫「誘眠剤~ちょうだい」私「え~自分の分しか持って来て無いし・・」「ったく」

 

サンチアゴの道3日目<パラスデレイからアルスーア29.5キロ>

 

とにかく良く眠れた。夫もぐっすり眠れ腰の痛みも良いらしい。起きたらベッドの横に荷物が散らかっていて自分でビックリした。兎に角寝たらしい、それくらい疲れていた。

ベッドの枕元にあった。Levantate con energia y peregurina con alegria. 韻を踏んでいて元気が出るのでこれを呪文に今日の約30キロを乗り切ろう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

夫がキッチンでコーヒーとパンの朝食を準備してくれた。暖かいコーヒーを飲めるだけでありがたいと思える。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

7時20分出発、出発は予定より遅いけど充分休んだので満足。今日も少し小雨。もし今日30キロ歩ければ1日余裕が出来てサンチアゴで1泊泊まれるのだ、やってみよう。無理なら途中で泊まればいい。

 

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

宿場町らしい風景、雨上がりの湿った空気も悪くない。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

それにしてもひとりで歩く人が多いなあ。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

私たちはずっと話しながら歩いていてそれも楽しいけれど、ひとりの人は心の深い深い所まで旅をしながら歩いているのかも。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

「あれっ」人だかりが出来ている、「なになに?」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

どうやらクレデンシアルのセージョに蝋の押印をしてくれるらしい。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

「日本人か?」と聞かれた。「そうだよ」と答えると「来年東京に行く。パラリンピックだ」それで彼が車いすだったことに気が付いた。La Huella 足跡という意味の蝋を付けてくれた。「スエルテ~幸運をね~」と言い合った。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

そこにバルがあったのでコーヒーを飲んでお手洗いを使っていく。コーヒー1€20x2

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

直ぐさきにもバルがあって、どうやらここと仲が悪いらしく向こうからしきりにラッパの音で牽制していてこっちのバルの主人も何だかんだ言い返している。なんか松竹新喜劇みたい。こっちのバルにみんなが入って行くので次のバルはそれが面白くなくて悪口を言い合っているらしい。カミーノは人生の道やなあと実感する。色んな人達が道にいてそこには様々なドラマがある。

少し先に教会、この村の教区教会のようで入り口入ったところでセージョを押してもらって少し小銭を入れる。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

 

モホンの上に履きつぶした靴を置いて行くのが流行りなのか。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

いよいよメリデに着いた。パラスデレイから15キロ地点で9月のグループはここで宿泊だ。街に入る手前に橋が架かっている綺麗な街だ。15キロなんて何でもない。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

橋のたもとのバルレストランが良い感じだった。9月はここでランチも良いねとメニューを見せてもらった。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

国道の方に行って9月のグループの宿泊ホテルをチェック。ホテルのオーナーはとても感じの良い人で色々教えてくれた。メリデはタコが有名でホテルの近くの店を教えてくれたのに今更いかなかったことに後悔している。この日は30キロ歩くので気持ちに余裕が無かったのだ。さあ前に進もう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

メリデを出たらまた木が茂った綺麗な街道。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

自転車に荷物を積んで引っ張るのも大変でしょうね。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

メリデを出て4.5キロでボネンテという村、教会があり国道と交差している。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

暫く登り坂が続き次の村カスタニェーダの集落にバルがあった。14時になってお腹も減ったので休憩しましょう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

一つ目はやめて次のバルに入って「トルティージャでも食べましょう」と荷物を置いて座ったら「トルティージャは無い」と愛想悪く言われてしまった。前のバルにはもう戻りたくないし、ちょっとしょんぼりしながら前に進む。「ガリシア人愛想悪すぎっ」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

川のほとりにベンチが有ったのでここで休憩する事にした。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

昨日買った缶詰とマドリードから持ち歩いている生ハムと昨日の残りのパン。これで充分美味しいランチになった。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

森の中を歩いて行く。時間によって森の臭いが違うのだ。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

アルスーアの標識が見えた。

 

あともう少しの所からまさかの登り坂。もう気力のみで一歩一歩、前は見ないで自分の足だけを見て歩いて行きそして到着した。歩けば着くんだと知った。

9月のツアーの下見をしたペンションで力尽きもう立てない。値段を聞いたら少し安くしてくれるというしここに泊まる事にした。ペンション・ア・ルア部屋40€で朝食別。明日食べるんだったら朝食もひとり3€でいいよ。優しさが身に染みた。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

部屋の写真も撮り忘れ次の朝に取ったので乱れた状態です。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

バスルームはもちろんシャワーのみですが熱いお湯が充分でました。

 

お掃除も行き届いた清潔なお部屋でした。

 

巡礼の街はどこも先に道が出来た後街が出来たので細長い。道沿いに宿場町が発展していったのが良くわかる。

街の中心部ではガイタ(ガリシアのバグパイプ)のコンクールの様で村人が集まっていた。

30キロも歩いたからにはお祝いをしなければ。夕食は美味しい所をみつけましょう。ネットで検索したらここが一番というので来てみたのが「カサ・ネネ」「Casa NENE」

19時30分頃予約なしで入ったら「今は満席、15分位まったら何とかなる」と言う。結局30分位待って「忘れられている?」って頃にどうぞと2階に。「やっぱりガリシア人て愛想悪いよね~」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

2階に案内され、なんと小さなレストランでこれは待っても仕方ないと納得。 ほとんどが道を歩いている人達のようだけれどちょっと綺麗な服装の人もいてちゃんと着替えを持って来ているんだねえ、と感心した。

メニューはどれも今風のメルカード創作料理風。前菜にエビのフライ

何を食べたのか全く記憶にない一品

ソロミージョ牛肉のフィレの焼いた料理

ワインはガリシアのゴデージョというぶどうの白ワインを一本

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

食事の後の記憶が殆どなく起きたら朝だった。何と平和な毎日なんでしょう。

サンチアゴの道4日目アルスーアからオーペドローソ19km

朝食は7時から、と言われ混んでいると困ると急いでやってきたら誰もいなかった。昨日のレセプションの女性がキッチンにいて「卵食べる?」

サンチアゴの道アルスアのペンション
筆者撮影サンチアゴの道

簡単なブッフェだが果物もあって巡礼者には充分だ。さっきキッチンで卵作ってた女性はもうホテルの方のレセプションで出発のお客さんの手続きをしていた。スペイン人働かないって言ってる人誰?

7時45分アルスーア出発

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

今日は雨は大丈夫な感じ。2.4キロ40分位歩いたプレグントゥーニョに1件目のカフェ更に20分程でもう一軒カフェがあった。

サンチアの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

昨日の雨で道はぬかるんでいるが今日は足に豆が出来て靴を履くと痛いので靴下を履いてトレッキング用のサンダルを履いて歩いた。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

遠くから「ジントニック~」と聞こえてきた。ポルトマリンで合ったスペイン人の3人組のセニョールたちだ。見違えるほどのスピードで歩いていった。ジントニックを飲んだら元気になるよとか言っていたなあ。なんだか戦友にあった気分だ。

アルスアから6キロ地点、2時間半位でカルサダという集落にカフェ。お手洗いが女性の方が壊れていて列が出来ていた。ジントニックのおじさん達はここで休憩らしい。私たちはもう少し進んでみよう。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ビール瓶で作った門があるバル。ビール瓶に日付と名前がはいっている。沢山の人達が飲んでいったビールに歴史。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ビール瓶で作った免罪の門プエルタ・デ・ぺルドンと書いてある。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

更に先にはアルベルゲの壁に巡礼者の履きつぶした靴を植木鉢にして飾ってあった。靴は巡礼の象徴やね。800キロ歩いたら潰れるのかな。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

時々で会う逆向きに歩く人、何故なんだろう。サンチアゴは後ろ。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

次の村ボアビスタに着いた。休憩所があるみたいなので覗いてみる。ここは写真屋さんもやっていて記念写真を撮ったらサンチアゴで受け取れるという。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

外にポートレート写真が飾ってある。Casa da boaVista眺めが良い家かな、ガリシア語はほとんどポルトガル語やね。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

建物の中はとっても素敵でお手洗いも男女別で綺麗。農家がやっているんだと思う、広い農地が見えるテラスでコーヒーをいただき休憩。荷物を降ろすとホッと一息だコーヒー2杯で3€80centは少し高めかもしれないが美味しいコーヒーでした。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

更に2キロ程歩いたところに村があった。Salcedaサルセダ。サンチアゴまで28キロ位の地点。定食8€は安いけど見るだけ。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ここから1キロ弱位、サンチアゴまで27.3キロ位の所で国道に面したところにもう一軒。広いParrilladaと書いてある炭焼きもやる本格的レストラン。

更に2キロほどでレストランがありこの辺りは休憩するところは沢山あった。

あとサンチアゴまで25.026キロ。少しづつ近づいている。必ず減って行くのが嬉しい。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ

13時ア・ルアに着いた。ここはは9月のグループが宿泊するところ。5時間程で18キロ歩いたことになる。素敵なペンションはお掃除終わったばかりみたいなので扉の外から9月のグループの件で少し話をした。サンチアゴの道のペンションはどこも13時頃には入れるようだ。みんな早く出ていって早く着くからという事ですね。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

あと1キロで本日の目的地オーペドロ―ソに到着です。「今日はどうしよう?」「せっかく寝袋背負って歩いているのでもう一泊位アルベルゲに泊まってみようか?」と私たちの意見がまとまりパブリックのアルベルゲに行ってみる。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

丁度ペドローソの街に入ってすぐにアルベルゲがあった。

サンチアゴの道オーペドロ―サ
筆者撮影サンチアゴの道

なんだか機嫌が悪そうなセニョーラが受付け「ベッドは有ります」。身分証明書とクレデンシアルを見せてひとり6€x2を支払い使い捨てシーツを受け取る。

サンチアゴの道オーペドロ―サのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

ベッド番号32と33、2段ベッドの上と下だ。ベッドの準備をしてシャワーを浴びて洗濯をして出かけます。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

公共エーリアは広々していた。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

コイン式の洗濯機。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

洗濯物を干すのも競争率は高い、既にいっぱいだ。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

ここのアルベルゲが良かったのはベッドごとに電気があった。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

今夜の睡眠用に誘眠剤を買いに薬局に行った。私が持ってきたのは飲み切ったので購入する。

サンチアゴの道オーペドローサの薬局
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴの道らしく足の豆用品が全面に出ていた。

サンチアゴの道オーペドローサの薬局
筆者撮影サンチアゴの道

ランチは薬局で夫が美味しい店を教えてもらっていた。地元民に聞くのが一番だ。薬局からも近い「お肉ならここ」と言われたらしい。Asador Pedrouzo

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

入ったところは満席だったが奥の方に案内された。お肉のメニューでサラダとデザートもついてひとり15€。アツアツの鉄板で自分で焼きながらいただく。

美味しいハウスワインもついてサラダとポテトフライ。

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートにチーズケーキ。

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

話しかけてきたのはアメリカに住む中国人。去年日本に行ってとても気に入ったので又行きたいらしい。サンチアゴの道はフランスから歩いているという。

ランチにしっかり食べたのでもう夕食はいらない感じだった。明日の準備をして果物とピスタッチオで終了して早くねます。今日は夫も誘眠剤を飲んで眠れるでしょうか。

サンチアゴの道5日目ペドローソからサンチアゴ20キロ

今日はサンチアゴに着くので周りの人達もみんななんだかソワソワしている気がする。早くから動きはじめて6時頃にはざわついていた。夫も今日は眠れたようだ。持っていたコーヒーを電子レンジで沸かしたお湯で作ってくれた。6時50分出発。街を出るのに矢印が無くて少し遠回りをしたようだ。昨日のレストランの方から行けばよかった。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

早朝の森の臭いや鳥の声、毎日歩いているから少しわかって来た。時間によって森の臭いが変わって行くのだ。歩いているときに胸の奥の方からフツフツ沸き上がって来る幸福感に満たされる。脳から出る幸福ホルモンとは別のシステムの様な感じでもっと原子的な人間の根源の奥深い所から湧きだしてくるような不思議な感覚だ。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

せっかく買ったガイドブックに出ているSan Antonという村は通過しなかった。このガイドブックなんだかあちらこちらで違っているなあ。1時間程歩いたところにバル、トンネルを超えてもう一軒バル。私たちは休憩なしで歩く

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

その後軽い登り、しばらく行くとまた人だかり。覗いてみたら蝋のハンコを押してくれるらしい。並んでいるからここは通り過ぎる。もうハンコも随分集まったしね。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

モホンに大きな石を積み上げた人、すごい力持ち。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴ空港の近くを歩く。飛行機が降りてくるのが間近に見えた。

空港の敷地の金網のすぐ横がサンチアゴの道なんだ、というか「道」の方が先にあったんだよね。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

Labacollaラバコジャの村に入ったところに2軒バルがあった。休憩しよう。コーヒー2とドーナッツ2で4.6€

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

大きな豪邸が続く住宅街を歩く、登りが続く。

 

キャンプ場があってそこに売店とレストランがあった。もうこの辺りはサン・マルコになる。サンチアゴはすぐそこだ。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

キャンプ場から更に1キロほど歩いたところにもレストランがあった。ここは街にあるようなレストランでメニューをみたら食べてみたくなるようなものがある。この先のサンマルコに泊まって次の日サンチアゴに入るような予定ならここでランチもいいと思う。私たちはサンチアゴに本日中に着きたいので前に進んだ。

サン・マルコ教会に到着。ここはサンチアゴの観光をするときにグループのお客様と時々やって来る所でモンテ・ゴソのすぐ近くだ。ローマ法王ヨハネパウロ2世が1998年に訪れた記念のモニュメントがある。そして世界のカトリックの若者の祭典が行われたときに大きなアルベルゲが作られた。にここで宿泊して明日の早朝にサンチアゴに入る人も多いに違いない。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ、サンマルコの教会
筆者撮影サンチアゴの道

サンマルコ教会から少し巡礼の道から外れていつものモンテゴソのモニュメントに行った。旅行会社のサンチアゴの観光のパンフに乗っているところなのでここはバスでやって来て写真を撮る場所、実際カミーノを歩いている人はあまり行かないようだ。天皇陛下が皇太子だった時に日西友好行事で訪問されて遊歩道が綺麗に整備された。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

ここからサンチアゴ・デ・コンポステーラの街まで「たったの5キロ」が随分長く感じた。歩くところが今までの様なウキウキする綺麗な森じゃないからだと思う。

サンチアゴの道、サンチアゴ・デ・コンポステーラ
筆者撮影サンチアゴの道

車が走る大きな道路やスーパーやガソリンスタンドを見ながら、サンチアゴの街は大都会なんだと感じた。マドリードから直接到着した時の印象と同じ町に入った時の感じ方がこんなに違うんだねえ。

旧市街に入って行くポルタ・ド・カミーニョに着いた、かつてここには巡礼者が街に入る城門があった。今は名前だけが残るここからサンチアゴの旧市街に入る。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

巡礼の門を入るとセルバンテス広場を通り抜け大聖堂に到着だ。

サンチアゴのサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

こんなに待ち焦がれたサンチアゴの到着なのに、もう終わってしまうんだと大聖堂に近づくほどに切なくなった。「泣いてしまう程嬉しい」に違いないと想像していたので自分の心の動きに動揺した。心が空っぽになったのだ。

サンチアゴの道サンチアゴ・デ・コンポステラ
筆者撮影サンチアゴの道

大聖堂は現在工事中で中に入れるのはプラテリアの入り口からで9時から20時のみ。まずはサンチアゴ様にご挨拶をします。リュックをその辺に「ぽいっ」と置いて中に入った。

サンチアゴの道サンチアゴデコンポステーラ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴ様のお墓にご挨拶に行こうと思ったらものすご~く混んでいた、私たちはもう少し後で戻ることにして巡礼オフィスに向かいます。この時間は巡礼者が皆歩いて着くので混むんですね。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

巡礼オフィスも大混雑で40分程並んで証明書を手に入れました。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

別途3€支払うと「歩いたキロ数を書いた証明書」がでる。カウンターで何か聞かれたらこれですが夫よく話を聞いていなくて「シーシーはいはい」と言って購入していた。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

ランチはこの近くの評判が良いレストランに予約なしで行ってみたら「この席で良かったらどうぞ」と案内された。

A Horta do Obradoiro オブラドイロ広場から徒歩すぐの所。

サンチアゴの道サンチアゴのレストランオルタドオブラドイロ
筆者撮影サンチアゴの道

イカスミのリゾット

サンチアゴの道サンチアゴのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

オックステール

サンチアゴの道サンチアゴのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートはガリシアのデザートでフィジョア、クレープの中にクリームやアイスクリームが入っている。

宿泊はモナステリオ・サンフランシスコ・ホテル、最後だけちょっといいホテルに泊まりたかった。

サンチアゴの道、サンチアゴサンフランシスコホテル
筆者撮影サンチアゴの道

ネットでホテルの公式ページから探すと巡礼者値段で割引料金一泊朝食付きダブル・ルーム1部屋175€。

サンチアゴの道サンチアゴ、サンフランシスコ修道院ホテル
筆者撮影サンチアゴの道サンフランシスコホテル

 

休憩の後午後に大聖堂に入ったら随分空いていてゆっくりサンチアゴ様にご挨拶をしてきました。膝をついてお墓に向き合ったら空っぽになった心がじわじわと何かで満たされていって涙が出た。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

翌日、サリアに戻ります

久しぶりのホテルでのんびりできた。チェックアウトをして朝からもう一度大聖堂に戻りサンチアゴ様に挨拶をした。あとは帰るのが惜しくてサンチアゴ・デ・コンポステーラの街をうろうろ。時間があればフィニステーレまで行ったに違いないが帰らなくては、仕事が待っている。サンチアゴの台所「アバスト市場」のタコ屋は月曜も開くらしいので行ってみた。(スペインでは市場の魚屋は月曜日休みなので)

サンチアゴの道、サンチアゴのアバスト市場のタコ屋
筆者撮影サンチアゴの道

新市街地に出来ているメルカード・ラ・ガリシア―ナはマドリードのサンミゲール市場の様なフードコート仕立て。寿司屋もあった。

サンチアゴの道サンチアゴの
筆者撮影サンチアゴの道

バスターミナルに早めに歩いて行って15時30分のルーゴ行きのバスに乗りましょう。窓口に誰も来なくて心配になったが14時45分窓口に人がやって来た。切符を買う時に「サリアまで行くんだけど~」といったらサリア直行があるけど「15時発はあっちの会社」「エーあと2分」とダッシュしたのは私たちだけでは無かった。調べ方が甘かったが、ぎりぎり間に合った。

 

サンチアゴからサリアは約3時間のバスの旅。5日間かけて歩いた距離をバスで3時間で戻るのは不思議な気分だ、歩いた道とは違うルートだけれど。

サリアのバスターミナルに到着。

マグダレナ修道院まで歩いて戻って行った。キャンピングカーが無事待っていてくれた、少しだけ心配していたので安心。

一緒に歩いた杖は家まで持って帰る、もう捨てられない。

サンチアゴの道サリアに戻ったところ
筆者撮影サンチアゴの道サリアのマグダレナ修道院

車のエンジンを掛けて、さあ出発。この時期は22時頃まで明るいので行けるところまで行って休もう。

 

途中お腹が減ったのでラーメンを作っていただきます。

 

カスティーリア・レオンに入るとどこまでも平ら。カミーノもここはつらいだろうなあ。

私は途中記憶を失っていたが気が付いたらマドリードに帰って来ていた。12:30マドリードの家に無事到着。

サンチアゴの道の旅を3分間のビデオにまとめてあります。

カミーノが終わって

あっという間のサンチアゴの道の旅でした。マドリードで日常に戻ってこれを書いているが、まだ歩いていた時の森の臭いや鳥の声を思い出す。辛かったけど重い荷物を持って道を歩いている時が幸せだったと後から気が付いた。道は人生なんだなあ。

 

スペインとポルトガルの旅、マラガ,マルベージャからリスボンとポルトの旅の記録2019年

ポルトガルに久しぶりに行って来た。今回のお客様は2年前にバスク地方を一緒に旅行した方。「今年のゴールデンウィークに南スペインからポルトガルに」と打診がありプライベートカーで旅した記録、自分用忘備録。

 

日程はマドリード新幹線でマラガ、車でマルベージャ、リスボン、オビドス、コインブラ、ポルト


1日目イベリア航空にてマドリードに到着

お客様は成田空港からマドリードまでイベリア航空直行便にて18時30分到着。この時期はまだまだ太陽は空の上にある。イベリア航空の直行便は座席数が少なく特にビジネスクラスは17席しかないので半年以上前に航空券だけ先に購入していただいた。兎に角東京マドリード間イベリア航空は今スペイン人達の訪日観光で人気で非常に取りにくい。旅は中身は何とかなるという事。

ポルトガルの旅
筆者撮影

宿泊ホテルは老舗の5つ星ウェリントンホテル。高級住宅街サラマンカ地区にあり闘牛祭の時は有名闘牛士が宿泊するホテルだ。マドリードの5つ星ホテルの中ではこじんまりしていて私個人的に好きなホテルのひとつ。

<マドリード、ウェリントンホテル入り口>

ポルトガルの旅、
筆者撮影

チェックインの後ホテルの近くのバルに出かける。アルボラ(albora)はミシュランのレッドガイドで星ひとつのレストラン。そのアルボラのバル部門でワインと生ハムをいただくことに。ここはいつも混むので開店20時30分に入って何とか座れた。

<マドリード、ミシュラン星付きレストランアルボラ>

ミシュラン星付きレストラン、アルボラ
筆者撮影、Madrid albora

 

「お腹はあまり減っていないです」との事で軽く生ハムを。ここはホセリート(Joselito)のビンテージ物(年代もの)の生ハムがあって2013年14年15年と選べる。どの年のが良いか聞いたら「2014年が最高」とお店の支配人。ではそれでお願いします。

<マドリード、ミシュラン星付きレストラン・アルボラの生ハム>

マドリードの星付きレストランのバル、アルボラの生ハム
筆者撮影 albora jamon iberico

ワインと生ハムでしばらくお話をして外に出たらすっかり暗くなっていた。

<マドリード、ミシュラン星付きレストラン、アルボラ>

マドリード、ミシュラン星付きレストラン、アルボラ
筆者撮影

もう一軒バルのはしごをご希望でアルボラの迎えにあるColonial de Goya。テラスでワインとおつまみ。爽やかな風が吹いてテラスが気持ちいい時期になりました。

<マドリード、バル・レストラン、コロニアル・デ・ゴヤ>

バル・レストラン、コロニアルデゴヤ
筆者撮影、Colonial de Goya

グラスの赤ワインとおつまみを注文。前の旅行の思い出や今回の旅行の事などをしばらく楽しく過ごして終了

マドリードのバル・レストランのテラスでつまみとワイン
筆者撮影、バル・レストラン、コロニアル・デ・ゴヤ

ウェリントンホテル

マドリード ウェリントンホテルのレセプシオン。

マドリード、ホテル・ウェリントン
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントン

マドリードウェリントンホテルの部屋。

マドリード、ホテル・ウェリントンの部屋
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントンの部屋

バスルームの洗面所は2つ付いたタイプ。

マドリード・ホテル・ウェリントンバスルーム
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントン

 

2日目マドリードからマルベージャ

ウェリントンホテルの朝食は朝7時から。エレガントなレストランは朝食にしか使っていな。

ホテル ウェリントンの朝食会場
筆者撮影、マドリード、ホテル・ウェリントン

果物や甘い物、ハムソーセージ等がそろったブッフェの朝食です。

ホテル ウェリントンの朝食
筆者撮影

ホテルを出発してマドリード・アトーチャ駅に到着。アトーチャ駅の構内は1886年に完成した頃のまま使われており内部は熱帯植物園になっている。

アトーチャ駅内部
筆者撮影、アトーチャ駅

スペインは新幹線に乗る時手荷物検査がある。持っている手荷物やスーツケース、ハンドバック等をすべて機械に通す。飛行機程の厳しい検査ではないので水やクリーム状の物は問題なし。

 

列車が出るホームは出発の約30分程前に掲示板にでるのは空港とほぼ同じ要領。もともとスペイン新幹線AVEのコンセプトは飛行機のサービスを地上で。座席はプレフェレンテというビジネスクラス仕様なのでアトーチャ駅のラウンジを利用。飲み物を自由に取れてここも空港のラウンジを意識して作られている。

アトーチャ駅のビップルーム
筆者撮影、アトーチャ駅

出発の訳30分程前になるとホームが掲示板に発表になる。アトーチャ駅には改札は無く発表されたホーム番号に列が出来るのでそこに並んで係り切符を見せバーコードのチェックを受ける。

アトーチャ駅
筆者撮影、アトーチャ駅

スペイン新幹線AVEのプレフェレンテクラスの座席はA通路、BC

スペイン新幹線内部
筆者撮影

各座席に充電ができるよう各種のソケットが付いていた。日本のタイプも大丈夫。

スペイン新幹線
筆者撮影

暫くするとメニューが配られてきて朝食です。さっきホテルでいただいたばかりですが。

スペイン新幹線、食事メニュー
筆者撮影

今回は朝なので朝食だけれどランチの時間ならもう少ししっかりしたものが出る。

スペイン新幹線、食事
筆者撮影

9時35分にマドリード、アトーチャ駅を出たアベは12時22分マラガ、マリア・サンブラーノ駅到着。ドライバーと合流の後、ランチ場所に移動。今日は総選挙の日曜日、スペイン人達は選挙の後家族で食事に行くので混む前に先に食事をしておきましょう。

マラガ駅
筆者撮影

マラガ市内から東に海沿いを移動したEL TINTEROエル・ティンテロに到着。マラガの海岸沿いにあるレストランでお天気がいいので海の見えるテラス席で。

マラガ レストラン エル ティンテロ
筆者撮影

地元では知られたマリスケリアで小さなイワシが墨で焼かれていく。

マラガのレストラン イワシを焼くところ
筆者撮影

暫くしたら随分混んできた。

マラガ レストラン エル・ティンテロ
筆者撮影

エルティンテロはキッチンで準備が出来た食べ物をカマレロ(ウェイター)が運んでくるのを好きなものを取る飲茶の様なシステム。イカなら「カマレロ~カマレロはいらんかい?」とか「イワシが焼けたよ~イワシ~アツアツのイワシ~」とか言いながら席を廻って来るのが面白い。

マラガのエルティンテロ
筆者撮影

食事のあとはマラガの街を少し散策しましょう。絵を描くお客様なのでピカソ美術館とピカソの生家を訪れた。

マラガのピカソの生家
筆者撮影

マラガはフェニキア人ややって来て作った街。その後カルタゴやローマ等がやって来ていて街にローマの遺跡、その上に有るのはイスラム時代の要塞跡。

マラガのローマの遺跡
筆者撮影

このままマルベージャに行くには少し早いので白い村ミハスに行ってみた。地中海沿岸にはイスラム教徒の時代に人々が暮らした美しい白い村が沢山ある。少しだけ綺麗なところを散策。

ミハスの白い村
筆者撮影

ミハスは随分観光地化しすぎてもうあまり面白くは無いけれど絵的には良い所が沢山ある。

ミハスの白い村
筆者撮影

ミハスからマルベージャは車で約30分で到着。ホテルはマルベージャの市内のアマレ。

マルベージャ ホテル アマレ

マルベージャ、ホテル・アマレは比較的新しいホテルでここに宿泊するのは初めて。街の東橋の方にありホテルはビーチのすぐ前。近くにスーパーもあり立地は非常に便利。

マルベージャアマレビーチロビー
筆者撮影

ホテルは機能的でインテリアはミニマリスタ。

 

マルベージャ ホテル アマレビーチロビー
筆者撮影

マルベージャ、ホテル・アマレの部屋。シンプルで狭いけれど海に面したお部屋なので充分満足。

マルベージャ ホテルアマレの部屋
筆者撮影

バスタブなしのシャワーオンリーだったけど一泊なので問題なし。シャワーブースが透明の壁で同宿者がいるとどうなんだろうと思ったがちゃんと目隠しも出来るようになっていた。

マルベージャ ホテル アマレ 部屋
筆者撮影 マルベージャ ホテルアマレ

マルベージャ、ホテル・アマレのテラスからは地中海が見える。

マルベージャ ホテル アマレ部屋
筆者撮影 マルベージャ ホテル アマレ

夕食は徒歩で行けるところにした。レストラン・サンチアゴはマルベージャの老舗高級マリスケリア(魚介類料理レストラン)、念のため予約を入れておいた。時間が有ったのでレストランに先乗りして海側の座席を予約。

マルベージャのレストラン サンチアゴ内
筆者撮影 マルベージャ レストラン サンチアゴ

前菜に魚介のスープ(sopa de marisco)。コクと深みがあって美味しい、家では出ない味だ。

マルベージャ レストラン サンティアゴ
筆者撮影 マルベージャ レストラン サンティアゴ

ウナギの稚魚アングーラス(angulas)。アングーラスはマドリードだと「当日じゃ無理」とか「季節外れで今は無理」とか言われる一品。場所柄セレブな人達が多いので持っているのか?味付けはアヒージョ、オリーブオイルとニンニクのソテー。

marbella restaurante santiago
筆者撮影 マルベージャ レストラン サンティアゴ

ウナギが取れなくなり日本のすり身の技術でほぼ似たような食感の物が作れる。Gulas(グラス)として食材店で販売されている。技術的には目を入れる事が出来るらしいが本物との区別の為にすり身のGulasグラスには目はつけない。こちらは二つ目が入った本物です。

ウナギの稚魚
筆者撮影

メインにセントージョを注文。日本のタラバカニに似た種類だけど味は少しさっぱりだった。

Marbella resutaurante santiago
筆者撮影、マルベージャ サンティアゴ レストラン

3日目マルベージャからリスボン

朝少し早く目が覚めたのでひとりで海辺をお散歩した。波の音が気持ちいい。

Marbella
筆者撮影

今日はリスボンまで690キロの移動の日。軽めに朝食をいただいて出発する。朝食レストランは果物や卵料理やハム類など豪華でした。

Marbella hotel amare
筆者撮影

私は朝は基本果物のみ。ホテルのブッフェはついつい色々食べたくなってしまうのでまず先に果物を取ってお腹を満足させてから他の物少しいただく。食べ過ぎない為の私の戦略。

Marbella Hotel Amare
筆者撮影

さあ移動です。マルベージャからセビージャは200キロの距離。車で2時間程で到着してスペイン広場を見学。

Sevilla Plaza Espana
筆者撮影

アルフォンソXIII世ホテルでお茶をしてから馬車に乗った。

Sevilla
筆者撮影

約40分程で街を廻ってくれる。パッカパッカという馬車のリズムで緑の公園を廻って心地いい時間でした。

セビージャの馬車観光
筆者撮影

今日は移動が長いので食事は早めに軽く頂きます。カテドラル近くのラ・アソテアはセビージャに3軒店舗がある創作タパスで有名な店。

セビージャ バル・アソテア
筆者撮影

オープンしてすぐに入ったがしばらくすると満席になった。

セビージャのバル アソテアの内部
筆者撮影

これはcoquinaコキーナという小さい貝とアーティチョーク、地中海沿岸で取れるシジミくらいの大きさの貝でオリーブオイルとニンニクで炒めてある。

セビージャのアソテアでコキーナス
筆者撮影

Carabineroカラビネーロのオーブン焼き。カラビネーロは赤い大きめのエビでスペインの高級食材だ。全長30センチくらいの大きな真っ赤な海老でウエルバで取れる。カラビネーロはエビだけど味はカニの様で甘みがあり美味

セビージャのアソテアでカラビネーロ
筆者撮影

食事をしたら出発。今日は長い移動日なので国境を超えて次の目的地Faroファロへ。スペインとポルトガルの国境は検査も無く通過。時差が一時間あるので時計をポルトガル時間に変える。

ポルトガルのファロはアルガルベ地方の小さな可愛い街でローマ時代から都市があった。

ポルトガルのファロの街並み
筆者撮影

当てもなく街を彷徨うがどこにカメラを向けても絵になる。軽くスケッチをしながら散策をしてここは出発。

ポルトガルのファロの街
筆者撮影

 

ファロからリスボンは278キロ、リスボンは大都会だ。標識が出てくる頃から車も増えてきた。

ポルトガルの高速道路
筆者撮影

ポルトガル人はのんびりしているのに車の運転は乱暴でヨーロッパで一番交通事故が多い街がリスボン。どっちから車が飛び出してくるか予想が出来ない。

リスボンのホテルはぺスタナパレス。19世紀の宮殿でカカオで財を成した富豪のお屋敷。マドンナが暮らしていた事もあるという。今はぺスタナグループのホテルでぺスタナはサッカーのクリスティアンロナルドも経営者の一人だ。

大きなお庭もありプールもついている。

リスボン ホテル ペスタナ パレス
筆者撮影

共有エーリアがエレガントで部屋から外に出るたびにサロンを通過するがこの空間が気分が良い。

リスボン ホテル ペスタナ パレス
筆者撮影

部屋はセミダブルのベッドルームでリネンも良いものが使われていて快適だった。

リスボン ぺスタナパレス部屋
筆者撮影

バスルームは洗面台が2つ付いたタイプに大きめのバスタブ。

リスボン ぺスタナパレス 部屋
筆者撮影

 

本日は疲れたので夕食はホテルでいただきます。

リスボン ホテル ぺスタナ パレス
筆者撮影

辛口のスパークリングワイン

リスボン ホテル ぺスタナ パレスの夕食
筆者撮影

魚介のスープ

リスボン ホテル ぺスタナパレス 夕食
筆者撮影

これは何をいただいたのか記憶が無く写真だけ存在。

リスボン ぺスタナパレス 夕食
筆者撮影

これもお肉系だったと思います

リスボン ぺスタナパレス 夕食
筆者撮影

長い移動で疲れ切っていたのか、でもホテル夕食にして正解でした。

 

4日目リスボン

リスボンホテル ペスタナパレス 朝食
筆者撮影

リスボンのホテル、ペスタナパレスの朝食。エレガントな朝食会場です。

リスボン ホテル ペスタナパレス 朝食
筆者撮影

ビュッフェも豊富で素敵なレストランなので朝から気分が良い。

リスボン ペスタナパレス 朝食
筆者撮影

リスボン今日は終日あるので最初にグローリア線のケーブルに乗る。今も地元の人に使われているが観光客でいっぱいだった。生活している人は迷惑だろうな~と。

 

リスボンのトラム
筆者撮影

車両は落書きですごいことになっていて夜止めている間に書かれてしまうそう。あっという間にサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台まで。5分も乗っていないのに3€80セントは高いな。地元の人は定期を持っていて観光の皆さんはツーリストカードで乗っているみたいなので一回ごと買うと割高になる。

リスボンのトラム
筆者撮影

丘の上からリスボンの街がきれいに見える。

リスボン
筆者撮影

街中の石畳が白と黒の大理石で丁寧に敷き詰められていた。雨の日は滑るでしょうね。

リスボンの街
筆者撮影

中心部まで下って行くとストリートアーチストが歌っていた。その歌がお客様のすでに故人の奥様がお風呂で良く謳っていた曲だそうで「きっと今奥様一緒に旅行中ですね~」旅をしていると不思議な事は良く起きる。

ロシオ駅の後ろ側にあるレストランでランチ。

リスボンのランチレストラン
筆者撮影

 

Cozinha da Estacao駅のキッチンという意味のレストラン。

リスボンの駅のレストラン
筆者撮影

子羊のあばらのグリル

リスボンのランチ
筆者撮影

牛肉のソテー

リスボンのランチ
筆者撮影

食後はアルファマ地区を散策。車でポルタ・ド・ソルまで行って坂道を下りながら。

リスボン、アルファマ地区
筆者撮影

細い通りの向こうにテージョ川が見える

リスボン アルファマ地区
筆者撮影

夜はファドが楽しめるお店に。スペインのフラメンコと同じで地元の人が楽しむファドのレストランはもう存在しない、と言われその中でも団体の来ないお店を進めてもらった。Sr Vinhoはミスターワインと言う意味のポルトガル語。こじんまりした店で開店は20時だが歌は21時から。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

小さなレストランがあっという間にいっぱいになった。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

食事は野菜のスープ

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

バカリャウ(タラ)のカタプラーナ。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

女性が3曲歌って休憩が入り男性が3曲。このまま夜中まで続くようだが私たちはこれで失礼します。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

 

5日目リスボンからポルト

リスボンからポルトへ、途中オビドスとコインブラを経由して行く。リスボンからオビドスは車で1時間なのでリスボンから日帰りも可能。駐車場にはリスボンからのツアーのバスが止まっていた。オビドスは今回のお客様の想いでの場所で40年前にアマポーラが咲いていた原っぱを探しに行く。

オビドスの街
筆者撮影

昨日までの太陽はどこに行ってしまったのか雲が出て風がビュービュー吹いて寒い。

オビドスの街
筆者撮影

城壁の中を散策してお城まで登って行く。お城は現在ポウサーダ(国営ホテル)になっている。高台から軽くスケッチをして思い出の原っぱを探すけれども見つからず、人が多くて寒くてちょっとがっかりされた様子で「もう行きましょう」、内心「ほっ」としたのはオビドスのランチにしなくて良かった。

オビドスの街
筆者撮影

オビドスからコインブラは135キロ、1時間15分ほどで到着。大学の図書館の入場が予約制で取りにくいらしいのでコインブラ大学の総合図書館へ。旧コインブラ大学の広場だけなら無料で入れる。図書館のみ時間指定なので入る場合は先に図書館の時間を予約する事。私たちはランチの後に戻って来る事にした。

コインブラ大学
筆者撮影

コインブラ大学の入り口「鉄の門」。ここから入って中庭を見学するだけなら切符は必要なし。中世の大学生はこの門を入ったら学問の事しか考えてはいけなかったという。

コインブラ
筆者撮影

今日はコインブラ大学の今年の卒業予定の学生たちが記念撮影をする日だったようで学部ごとにマントを着て写真を撮っていた。

コインブラ大学
筆者撮影

学生さん達みんなピッカピカに輝いていました。

坂道を下って大聖堂の横のレストランで軽くランチをいただきます。

コインブラの大聖堂
筆者撮影

大学生も来る小さな食堂。OTrovadorオ・トロバドールは中世の吟遊詩人という意味。小さなレストランは平日は学生さん達も来るらしい。

コインブラのランチ
筆者撮影

野菜のクリームスープ

コインブラのランチ
筆者撮影

黒豚のオーブン焼き

コインブラのランチ
筆者撮影

食事の後もう一度大学に戻って図書館の予約の時間までを過ごす。広場の中央にディニス一世。コインブラ大学は1290年にディニス1世によって創設された。

コインブラ大学
筆者撮影

この広場の奥に行くとコインブラの街とモンデゴ川。

コインブラ大学
筆者撮影

図書館は広場の奥の方の右側階段を降りたところから。予約の時間が来たら順次中に入り最初は学生牢から見学。中世の大学は大学独自の法律で運営されておりそれを破った学生が閉じ込められた牢獄。

コインブラ大学
筆者撮影

コインブラ大学見学のあとはコインブラの街を軽く散策。坂道を下って行く。

コインブラの旧市街
筆者撮影

ポルトガル人は川が流れる入り江の街が好きやね~橋を渡って対岸にコインブラの街並みを見る。

コインブラの街
筆者撮影

コインブラを出発しポルトへ向かう。120キロ約1時間20分。ポルトは明日終日あるのでまず街を対岸から見学するためにガイア地区に向かう。この地区はポルトワインのワイナリーがある所で先にポルトワインを一杯いただくことに。

ポルト
筆者撮影

ポルトを流れるドウロ川。

ポルト
筆者撮影

ガイア地区に沢山の飲食店があり今日は祝日で家族連れが沢山。

ポルト
筆者撮影

ポルトのホテルは中心部近くのインファンタ・ザクレス。ロケーションも満足な落ち着いたヨーロピアンスタイルのホテル。

ポルト ホテルインファンテ サグレス
筆者撮影

古いホテルは隅々まで贅沢で階段の手すりなども素敵でした。

ポルト ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

エレベーターは旧式の扉を自分で開けるタイプ。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

入ると椅子が有るのは気に入った。2階まで登る短い時間、毎回座っていました。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

お部屋はシンプルな作りでデスク廻りが使いにくいのはヨーロッパの古いホテルにありがちですね。ここでパソコン開けて仕事する想定のない時代のホテルなので仕方が無い。

ホテル・ポルト・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

バスルームもクラッシック。今回は1人部屋なのでいいけれど洗面台がひとつでした。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

夕食はホテルから徒歩でレストランアバディアドポルト。ここはネットで見つけたレストラン。ポルトガル風オジヤをいただきにきました。

ポルトのレストラン
筆者撮影

一応電話で予約をしておいた。結構大きな店舗だったがすぐにいっぱいになった。ツーリスティックな感じではなく地元のポルトの人達も沢山来ていた。

ポルトのレストラン アバディアドポルト
筆者撮影 ポルトのレストラン アバディア ド ポルト

大変美味しかったので又ここはリピートします。

ポルトのレストラン アバディア ド ポルトで魚介のオジヤ
筆者撮影 ポルトのレストラン アバディア ド ポルト

私たちが出るころには入り口に列が出来ていた。できれば予約していくことをお勧めします。

6日目ポルト滞在

ポルトのホテル、インファンテ・ザクレスの朝食。ヨーロッパ調のサロン。

ポルト ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

ポルトガルに来たらやっぱりこれでしょ。パシュテル・デ・ナタ。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

果物も豊富でした。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

ポルトの観光は川の河口まで車で移動。要塞があった。要塞の名前がサン・フランシスコ・ザビエルなのでちょっと降りてみた。

ポルト観光
筆者撮影

要塞の先の村が漁師町と聞いたが随分近代的な建物が続いていてポルトの人達の別荘や週末用のマンションのようだった。グーグルマップを見ていたら市場があるようなので行ってみましょう。

ポルト
筆者撮影

魚市場に様々な魚、これはエイ?これ食べるんだ、ポルトガル人。

ポルト
筆者撮影

ポルト中心部に戻って大聖堂まで車で移動して後は徒歩で下って行きます。

ポルトの街
筆者撮影

ポルトも入り江の丘に作られた街。頂上に大聖堂があるのでここから下って行けば旧市街を見ながら川まで登りなしで散策が出来る。

ポルトの街
筆者撮影

入り組んだ街並みが面白くどこを見ても絵になる景色。

ポルトの街
筆者撮影

ドーロ川まで下って対岸に昨日のガイア地区が見える。

ポルトの街
筆者撮影

ランチはタコ飯屋に。Casa Areixoカーサアレイショは随分前に来て気に入っていたのでここは是非「お客様にタコ飯を」と予約をしておいた。

ポルトの街
筆者撮影

12時開店と同時に入店。ゴールデンウィークで日本の方が沢山来られていた。皆さんどうして目を合わせないんだろう、と思った。どっちかというの目をそらすというか視界に入れない感じなのが不思議だった。軽く笑顔とか会釈とか、挨拶すればいいのにと思うのですが・・・誰とも挨拶できずに寂しかった。

ポルトのタコ飯屋
筆者撮影

タコ飯はタコの入ったご飯とタコのフライ。これで2人前

ポルトのタコ飯屋
筆者撮影

厨房、写真撮らせてください~

ポルトのタコ飯屋
筆者撮影

食事の後はドーロ川クルーズに。50分のショートクルーズ。

ポルト ドゥエロ川遊覧船
筆者撮影

暑い時間でしたがやはりデッキで船旅を楽しみました。

ポルト ドゥエロ川遊覧船
筆者撮影

隣にいたのはスペイン人カップルでバスクのピルバオの人達だった。写真撮る時に邪魔にならないように動いてくれたりで少し会話をした。

ポルト ドゥエロ川遊覧船
筆者撮影

ホテルで軽く休憩の後徒歩で夕食に行く途中サン・ベニート駅へ。セラミックが綺麗な駅で写真スポット。

ポルト 駅
筆者撮影

行きたかったレストランが今日は満席でこちらへ。Cozinha dos Loilosコシーナドロイロス。早く着いたらまだ従業員の食事中でした。すみません。

 

ポルト、レストラン
筆者撮影

旅の最後のお食事を発泡性ワインで乾杯

ポルト
筆者撮影

豚肉の骨付きリブ

ポルト レストラン
筆者撮影

パスタをいただきました。

ポルト レストラン
筆者撮影

最後にポルトワインで仕上げてホテルに戻ります。一人で最後にポルトの夜景を取りにドン・ルイス1世橋に戻る。

ポルトの夜景
筆者撮影

 

 

7日目ポルトからマドリード経由で日本へ

ポルトの市内から空港は15分程で到着。

ポルトの空港
筆者撮影

最後にポルトの空港でパシュテル・デ・ナタとコーヒーで仕上げました。

ポルト
筆者撮影

マラガからポルトガルの旅のビデオです

スペインとポルトガルの旅のまとめ

随分久しぶりのポルトガルだったがあまり変わっていなくてホッとした。ポルトガルの人々は穏やかで優しい感じが伝わって来た。スペインと世界を分割した野心があった大国のイメージは皆無だ。ポルトガルまた行きます。

 

スペイン人を4人連れて日本を旅した記録2018年10月5日~12日

スペイン人を4人も連れて日本に行くことになった。ピレネーのオルデッサに住むアントニオ夫妻とその友達バレンシアのカルロス夫妻に私たち夫婦が同行した旅の記録。

スペイン人4人を連れて日本へ行った旅の記録


2018年10月5日マドリード出発

日本は巨大台風の後で被害がスペインでも連日報道されるなか、次の台風が来ている。心配しながらの出発だったが今回の台風はとりあえず日本海から抜けていくようだ。マドリードの空港でアントニオ達と合流し後はバレンシアのカルロス達がイベリアで到着するのを待つのみ。

ところが早速トラブルだ。バレンシアからイベリア航空が遅れているというカルロス達から連絡。乗り継げなかったらどうしよう。と心配したが、何とか無事乗り継げマドリードの空港で合流、アントニオはワイン6本購入。日本に美味しいワイン無いと知り持って歩く覚悟。

このワインは後半まで持ち歩くことになる。出発前に生ハムとワインで乾杯。

飛行機乗る前に「どれだけ食べて飲むネン~」というくらい注文していました

2018年10月6日成田着、箱根へ

長かったフライト、マドリード発のイベリア航空は13時間30分で成田到着。イベリアのエコノミーは初めて乗ったがかなり狭いのと機材も小さいので後ろの方に行っても立っていられる場所も無く14時間は長い、と思った。アントニオとカルロスはどちらも不動産業やらホテル業やらやっている経営者ですごいお金持ちなんですがビジネスにする?って聞いたけど「いやエコノミーでいいでしょっ」て、望んでエコノミー。お金持ちって時々不思議だ。

成田空港で両替後移動

為替はスペインの各銀行より成田の方がレートが良いので成田で両替。その間に大きなスーツケースを明後日の京都のホテルへ送る。「台風の影響で荷物の運送が遅れています」間に合わないかもと言われた。東京駅までは京成バスで1000円、これは他のリムジンバスより安い。成田のジャパンレールパスの交換場所がいつも混んでいるの東京駅までバスで移動した。東京駅は巨大で迷ったが何とかジャパンレールパスの手続きと列車の予約を終えて駅構内のすし屋へ。定食の寿司は安くて美味しかった。全員満足。

 

東京から小田原へ新幹線で移動。JRパスはグリーン車にしたので快適。小田原からタクシーで旅館へ。タクシー代1台5600円。本当は登山電車に乗ると喜ぶと思ったが連休で混んでいる中並んだり待ったりはダメな人達なのでタクシーを選んで正解だった。

今日の宿泊は小涌園天悠

 

チェックインを済ませて近くの滝へ15分程で移動。

最初は車が走る道路をかなりあるく、標識があまりなくて着けるか心配したがグーグルマップを頼りに旅館から下り15分ほど。

 

 

温泉に入るかと思って温泉のある旅館を選んだがどうやら彼らは無理らしい。スペイン人は驚くほどの綺麗好きで温泉が衛生的観念で無理なんだと思った。(この人達は最後まで一度も共同の温泉には入らずでした。)

宿泊した小涌園は各部屋に露天風呂。最近の流行で部屋に露天をつける旅館が増えたががベランダの露天風呂はどうなんだろうと思った。一応温泉がでましたので足湯だけしました。

お部屋は洋風の和室。大型ホテルでアジア系の宿泊客が多いせいか従業員もアジア系の人が沢山で日本語があまり通じない。一泊一部屋6万円超にしてはソフトの部分がもう少し足りない印象。チェックインに時間がかかり過ぎ色々頼んだ事が出来ていなかった等色々これから改善できる点多し。

 

夕食のレストランでマドリードの空港で買ったワインを飲もうと思って持ち込み料を聞いたら5000円。20€のワインに5000円の持ち込み料はあほらしいとホテルのワインを頼む事にした。

食事は満足で浴衣を着て全員でテーブルを囲む。

夜は彼らはマッサージへ。

 

10月7日箱根から京都

箱根でジャンボタクシーを3時間チャーター。事前に伊豆箱根交通にメールで問い合わせて9人乗りのジャンボタクシーを3時間で25、560円で予約。バスに並んだり待ったりする人達ではないので予約してよかった。ひとり頭にすると4500円ほどで快適だ。モーターボートをチャーターしようと思ったが台風の影響で船は運休。日本の連休と重なって渋滞が有るのを考えて予定を立てる。箱根神社だけじゃなく九頭竜神社まで行くつもりがどこでも楽しむスペイン人たちは時間がかかって箱根神社でタイムアウト。

箱根はロープ―ウェイとか乗らなくても充分楽しめた。

小田原から新幹線で新横浜へ(小田原駅に泊まる新幹線は少ないので新横浜に戻り京都行に乗り換える)ランチは新横浜駅構内の千房でお好み焼き。

ホテルは祇園の真ん中にあるザセレスティン京都祇園。狭い土地をうまく利用して京都らしさのある作りだった。JR京都駅から送迎バスで15分。

入り口を入ると地下にいったん降りたところがレセプション。大浴場もあって快適だった。未だ新しいからか従業員は不慣れな感じでミス連発。日本でミスが続くのに少し驚いた。それも単純なミスと連絡の悪さ。

アントニオの最初からのリクエストは「神戸牛が食べたい」。そして「最後の日だとリベンジが出来ないので早めに」という事で京都の最初の夜に神戸に本店があるモーリヤへ。

神戸牛だアワビだシャンパンだ、ワインだと全員で22万円少し。

鉄板焼きの担当の方も感じが良く満足。最初にワインを頼んでから出てくるのに随分待った以外は良かった。

 

夕食後はホテルのバーへ。全員上機嫌で行ったがバーの男性のアテンドが大変感じ悪く全員でさっさと部屋へ戻る。あまりに失礼だったのであとでレセプシオンに忠言だけしてに行った。

 

10月8日京都観光

最初の予定では保津川下りへ行くつもりだったが台風の影響で中止。祇園のスターバックスで朝食を済ませ人力車で京都の観光。高台寺前から1時間1台17500円。

アントニオは人力車の仕事は非人道的な扱いで「信じられない、可愛そうだ、あり得ない」と最後に全員にチップを払っていた。タクシーで三十三間堂に行きランチは八坂神社近くの王将の餃子と焼きそばにした。午後は自由行動でアントニオは私にマッサージを招待してくれた。

 

夕食はステーキのコースをホテルで。

ワインの持ち込みを最初5000円と言われていたが何故か無料にしてくれた。ここでやっと2本のワインを消費。初日に予約を入れたのに入っていなくてもう一度入れたら時間が違っていた等々のお詫びかもしれない。

 

10月8日京都から高野山へ

ホテルの朝食は予約していないで大丈夫と言われていたのにカルロス達はレストラン入り口で止められたと連絡。慌てて降りて説明するがこのホテルは何かと連絡が悪い。

チェックアウトの時に支配人が出て来て様々な不具合を謝ってくれた。初日のバーの飲み物代を返金しますと言われたが断った。飲んだんだからそれはいらない。東京のホテルにスーツケースを送る料金を払ってくれた。

タクシーで京都駅へ向かい今日は高野山へ行く。

乗り換えの新今宮でジャンジャン横町へ。「治安悪くないかな~怖いおじさんに絡まれたりしないかな?」と思ったけどみんな親切だった。串カツ屋が並ぶ通りをネットで調べた有名な「ダルマ」に行こうとしたら後ろから自転車押した大阪人のセニョーラが「あんたらダルマ行くんちゃう?ダルマよりこっちの方がおいしいで~そこならび」と教えてもらった八重勝。既に列が出来ていたが後ろに着いた。

二度付禁止の店で外国人連れなのでさらに厳しい監視の目を感じた。

こういう店はヨーロッパにないので随分楽しんだ。

 

どこに行っても大きな声でしゃべって何でも楽しむ人達だ。

南海の駅に戻り高野山へ。電車内で「扉が開きます~」のアナウンスが気に入ってヒラキマス~ヒラキモス~とスペイン語の活用形にして笑っていた。

 

かなり急勾配の登山電車。

 

極楽橋から南海バスで宿坊へ。10月の旅行を4月頃から予定を立てたが宿坊は予約が難しかった。唯一3部屋予約が可能だった熊谷寺は奥の院にも近いので決めた。少し値段が高めだったが2階の奥の部屋で他の人達が来ない所にある部屋。

カルロスは190センチの身長なので浴衣がミニ。

畳で寝るというか床で寝るのはどうか心配したがそれなりに楽しんだ。奥の院は神秘的で幻想的で全員喜んでいた。

 

帰りのバスを待っているところにタクシードライバーが営業に来ていて明日6人乗れるタクシーを2時間貸切る。

 

 

10月9日高野山から城崎温泉へ

朝の法要に出席したのは私たち日本人だけだった。ここの住職はちょっと修業が足りない。プンプンいつも怒っていてお説教にもそれが伝わって来た。一緒にいる修行僧は大変だろう。これも修行という事か。

朝食の後約束通り大型タクシーが待ってくれていた。お任せで帰りの電車の時間まで色々連れて行ってくれた。

大阪へ出てランチは大阪駅構内でスパゲッティとかハンバーグ。

大阪から城崎温泉へ特急で。

城崎温泉はあいにくの雨。旅館は志賀直哉も宿泊したという創業300年の旅館三木屋。和洋室が2部屋あって日本庭園に面している。

夕食はカニと松坂牛の懐石料理。

 

ここの楽しみは温泉巡りだけどスペイン人には無理だった。共同のお風呂に入るというのが無理の様で夜は散歩に出かけた。

 

10月10日

城崎温泉から大阪行き特急

グリーン車で大声でずっとしゃべり続けた結果車内の日本人夫人にうるさいと注意され、それでもしゃべり続けたため車掌に言いつけられ車内アナウンスされたが気が付かないスペイン人たちでした。

新大阪駅でラーメンのランチ後東京へ。東京でもう一度神戸牛というリクエストだったけど銀座で調べると随分高くあのペースで食べたら100万円くらい行くぞ~と脅したら諦めた。で代替え案は何故かブラジル料理。

東京のホテルは三井ガーデンホテル銀座。ホテルのロビーから銀座の夜景が見える。

選んだポイントはロケーションと成田空港行きのリムジンバスが止まる事。銀座の真ん中にあり狭いがセンスのいいホテルだった。

ちょっとランクの上のビジネスホテル位の感じだが満足。アントニオは部屋が狭いのでスイートに変更。

「渋谷の交差点に行きたい」とリクエストがあったのでタクシーで渋谷へ。東京のタクシードライバーはみんな親切だった。近距離はもっと嫌がられたりするのかと恐れていたが全く問題なかった。

 

10月11日東京

朝は秋葉原へ行ってお買い物。高級時計などは決して安くないとスペイン人。良く知っていいるなと感心。侍と書いたTシャツやら仏像やらを買っていた。

タクシーで浅草へ移動。

ランチは浅草でお好み焼き。ネットで探した「つる次郎」というお店へ。

お好み焼きが気に入っていたのでリピート。だけれど東京でお好み焼きは大丈夫かと心配したが美味しかったです。

 

午後は自由行動でアントニオはマッサージを頼むが80歳くらいの年配の女性で気の毒になって途中で帰って貰ったそう。夕食はイタリアンへ。最後の夜どこかに飲みに行きたいというかと思っていたが明日が早いのでおとなしく解散だった。

 

10月12日

成田空港へ。ホテルのすぐ前からリムジンバスで成田空港へ。荷物はホテルの人が運んでくれ丁寧な対応だった。チェックインを済ませて彼らは帰って行きました。

*スペイン人は何でも楽しむ。

*温泉はダメな人も多いかも。

*食事も毎回懐石料理や豆腐や魚だとつらいみたいでステーキが食べたいようだ。

*お好み焼きが随分気に入った。

マドリードから日帰りでセゴビアへ行った旅の記録

知人の義理の御両親が来ているが知人たちが「仕事が忙しくてどこにも連れていけないのでお願いできませんか?」と突然連絡が入り丁度体が開いていたので半日でマドリードからセゴビアへ行って来た旅の記録です。

*行きは新幹線で帰りはバスにした。

*新幹線はチャマルティン駅から出発。

*新幹線の切符の値段は時間によってかなり違うので安い時間を選んだので10時15分発になった。

*ネットで購入しようとすると個人情報をかなり入れ無いと購入できないのでアトーチャ駅にあらかじめ購入に行った。

*バスは片道1時間10分で4.05€、新幹線は片道約30分で安い時間帯で12.90€

マドリードから半日日帰りセゴビアの旅


チャマルティン駅から

チャマルティン駅
筆者撮影

マドリードにレンフェ(スペイン国鉄)の主要駅はアトーチャ駅とチャマルティン駅。AVEアベと呼ばれる新幹線はほとんどがアトーチャ駅から出るが北に向かうセゴビア行きのAVEはチャマルティンから出発なので注意が必要。

チャマルティン駅
筆者撮影

今日乗るアベは10時15分発のValladolidバジャドリ―行き。念のため少し余裕を持って9時45分頃チャマルティン駅に到着した。アベの切符の値段は時間によってかなり違うので買う時に調べてから行くことをお勧めする。たったの30分しか乗らないのにほぼ倍くらいの値段の違いです。

出発の20分ほど前にゲートが決まり掲示板にホーム番号が表示された。一番右端の方の17番はアベ専用のホーム。

チャマルティン駅
筆者撮影

ホームに降りたところで荷物の検査がある。空港程の検査ではなく液体物は大丈夫。

チャマルティン駅
筆者撮影

時間通りチャマルティン駅をを出発したアベは約30分でセゴビアに到着。山の中をトンネルを掘って創られた線路なのであまり景色が良くない。帰りはやっぱりバスにしよう。

セゴビア行きのアベの中
筆者撮影

殆どトンネルの中だが時間が短いのは良い。駅の名前はセゴビア・ギオマールで一瞬不安になるがセゴビアはアベではこの駅しかない。

セゴビア行きアベの中
筆者撮影

人の流れに沿って駅の外へ出ていく。

セゴビアの駅
筆者撮影

外に出たところにタクシーと路線バスが待っていた。

セゴビアギオマールの駅
筆者撮影

路線バスはどちらに乗っても大丈夫

バスはL11とL12 が止まっていたがL11は満員だったのでL12に乗った。L11 は水道橋行きでL12 はバスターミナル行き。バスに15分程揺られて市内のバスターミナルへ。値段は1人2€。タクシーでも水道橋迄10€位で着くので4人くらいいればタクシーでもいいと思う。今回は座れそうだから「バスも乗ってみましょうか~」とバスにしてみた。

セゴビアの駅
筆者撮影

バスはバスターミナルには入らず道の反対側で止まる。バスターミナルと言っても小さなバスの待合所。帰りはここからマドリード行きに乗る。少し歩くと水道橋が見えて来る。

セゴビアの観光は兎に角水道橋

バスターミナルから方角が解らなければアクエドゥクト?と聞いてみよう。バスが止まるところから5分程で水道橋が見えて来る。

セゴビアの水道橋

少し歩いて水道橋の始まりのあたり等を見学。

セゴビア水道橋
筆者撮影

次第に道路の方が下って行き水道橋が上に高くなって行くのが解る。

セゴビア水道橋
筆者撮影

今度は水道橋の横にあるタクシー乗り場からタクシーでアルカサールが良く見えるところへ移動。ここの正式の名前はミラドール・デ・フエンシスラMirador de Fuencislaという。

アルカサールの展望場所

セゴビアのアルカサール
筆者撮影

セゴビア城は入場も出来るが今回は入らなくても良いですという事で外からだけにした。

タクシーでマヨール広場まで行きあとはもう一度水道橋へ戻る。タクシー代は水道橋からお城の展望場所経由マヨール広場で8.5€だった。

セゴビアのタクシー
筆者撮影

マヨール広場から大聖堂を外から見て(ここも内部は見なくていいですという事で)水道橋迄ゆっくり下り坂になる。

セゴビア大聖堂
筆者撮影

メインストリートには昔のお屋敷やお店が続く。

とげの家
筆者撮影

マヨール広場から15分ほど歩くと前方に水道橋が再び見えて来る。

セゴビア水道橋
筆者撮影

今度は水道橋の横の階段を上まで登って行きましょう。

セゴビアの水道橋
筆者撮影

水道橋の上には登れないがかなり高い位置から水道橋を見ることが出来る。

セゴビア水道橋
筆者撮影

ここから水は街に入り写真下の車の後ろの部分が水路が下に下がって水をここから水槽に貯めたところ。

セゴビア水道橋
筆者撮影

水路は意外と狭くこんな感じ。

セゴビア水道橋
筆者撮影

お食事は子豚

セゴビアの名物は子豚の丸焼き。有名店が水道橋のたもとにあるが沢山は食べられないという事で水道橋のたもとにある小さなバルで少しだけ試していただくことにした。あらかじめたくさん食べれないので子豚をひとつだけ試してみたいのでいいかしらと聞いたら「ノープロブレム」

セゴビアのランチ
筆者撮影

ワインとニンニクスープを注文。

セゴビアランチ
筆者撮影

子豚はこれを3人でシェアーします。

セゴビアランチ
筆者撮影

グリーンアスパラとエビと卵の料理

セゴビアランチ
筆者撮影

バスでマドリードへ

バスターミナルに移動してマドリード行きの切符を購入。切符売り場は一か所しかない。マドリード行きは割と頻繁に出ていて気をつけるのは直行便と村を経由するのが有る。直行はディレクトDirecto。

セゴビアバスターミナル
筆者撮影

マドリード行きのバスはどこから出るの?と聞くと「その辺~」と指を刺されて、まあスペインでは良くあることかとその辺で待つ事に。割と時間ぎりぎりにバスが入って来た。座席は自由でWi-Fi付きだった。(つながらなかったけど・・・)

セゴビアバスターミナル
筆者撮影

バスは約⒈時間程でモンクロア・バスターミナルに到着。マドリードモンクロアバスターミナルは地下鉄4号線と6号線のMoncloaモンクロアと乗りいれている。

セゴビアからマドリードのバス
筆者撮影

レンフェとバスのページ

renfeはスペイン国鉄の事。公式ページはこちらから

http://www.renfe.com/

AVANZA BUS=マドリードーセゴビアのルートをやっているバス会社の公式ページ。かなり頻繁にバスは出ているが注意はあちらこちら経由するバスが有るので直行=DIRECTO=ディレクトを見る。もちろん小さな村を経由しながら行くのも良いものですが。

https://www.avanzabus.com/linea-madrid-segovia/horarios-madrid-segovia/

ローマ時代の水道橋の技術について書いている記事です。

ローマ時代2000年前に水は無料だった、セゴビアで古代ローマ人の土木技術インフラ堪能

日帰りセゴビアまとめ

朝10時15分にチャマルティンを出てセゴビア観光とランチを食べて16時頃にマドリードに戻ってきました。朝もっと早くから動けばさらに効率よく回れる。バスターミナルから水道橋が近いので往復バスも有りだと思う。値段もバスの方がうんと安い。マドリードからセゴビアに日帰りで行く方の参考に書きました。

「堺」への旅の記録、鉄砲鍛冶と茶の湯と南蛮人

堺は戦国時代の自治都市で商人たちが納めた豊かな街だった。明との貿易で栄え鉄砲が伝来するとあっという間に鍛冶屋たちが大量の鉄砲を作り火薬の原料の貿易にも手を染めた。キリスト教が伝わった頃豊かな商人が茶の湯を楽しみ活躍していた。フランシスコ・ザビエルがしばらくお世話になった豪商「日比谷了慶」がキリスト教徒に改宗しているという。そんな堺の街が見たくて行って来た旅の記録

堺へ

神戸からJRで大阪駅へ、環状線に乗り換え新今宮から南海電車で堺東に到着。大阪駅以外は混雑は無く堺に着くと人はのんびりしていて親切だった。

南海電鉄の堺東駅を降りるとインフォメーションが有ったのでそこで色々教えていただいた。街を動くのにバスに自由に乗れるフリーパス切符は2種類あったが土地勘が無いのどちらがいいか不明なまま500円の安い方を購入。バスと路面電車に乗り放題でモニュメントは割引があって結構便利でした。

まずは徒歩で堺市役所の21階展望台へ。ここに少し展示が有るのとまずは高い所から町を見てみよう。10時からボランティアのガイドさんがいて色々教えていただいた。

堺市役所
堺の旅、筆者撮影

実は私が見たかった時代の堺の街は応仁の乱と大坂夏の陣で焼けてしまい残っていなかった。その後徳川幕府によって堺の街は再建された。大和河も江戸時代に付け替えが行われ当時の港は埋め立てられていた。代二次世界大戦でも戦火を受けておりそんな中も古いお寺や神社が良く残ったと思う。

堺市役所の展望台から仁徳天皇陵が綺麗に見えるが今回の旅の目的は堺の商人と茶の湯なので今回はここから見るだけです。

堺の街
堺、筆者撮影

早速先ほど購入した一日切符を使ってこの黄色いバスで移動。市役所前から大小路(オオショウジ)まで。大小路は当時の国境でここから北は摂津の国、南は和泉の国だった。

堺のバス
堺、筆者撮影

西高野街道は平安時代からの京都や大阪から高野山への街道。元は天皇や貴族を中心に行われた高野山詣でが次第に庶民の参道となったそう。

ここから今度は路面電車に乗り替える。この電車は天王寺まで40分程で行けるらしい。

 

高須神社という駅で降りて鉄砲鍛冶屋敷へ向かう。この地域が戦国時代の鉄砲鍛冶が住んでいたところらしい。

風情のある建物が残る地区で散策していて楽しい。そして知らない街を歩くとウキウキする。

 

種子島に火縄銃が伝わった後堺の商人が種子島で銃の作り方を覚えて帰って来た。元々産業技術が盛んだった堺で火縄銃が大量に作られるようになったのは偶然ではない。この界隈に沢山の鉄砲鍛冶が住んでいたんだと嬉しくなった。

<堺、鉄砲鍛冶屋敷跡>

鉄砲鍛冶屋敷は中には入れず外から見るだけだったが戦国時代の堺の活気ある街を想像しながら散策した。この近くに鉄砲町という町名が残る。

 

 

伝統のある刃物屋が続く。想像だが江戸時代になって平和になると鉄砲が使われなくなり技術者たちは再び刃物を作りはじめ今に至るのではないか、と思ったりした。

 

戦国時代の街は残っていないが江戸時代初期の町屋が残るというので行ってみた。そんなに大きくは違わないだろう。

内部は蔵や茶室や縁側等が保存されていてボランティアガイドの方が歴史の事などを説明してくださった。今も個人の所有という400年前の屋敷は木の梁がしっかり組まれていて中に入ると安ど感がある創りで良く戦争で焼けなかったと感心した。

 

路面電車に2駅ほど乗りザビエル公園へ。

 

堺の商人が活躍した頃はこの近くに港が有りフランシスコ・ザビエルがお世話になった日比谷了慶(ヒビヤリョウケイ)のお屋敷はここに有ったらしい。何かの本で読んだのだが「当時の木造の屋敷としては珍しく3階建てだった」とあったのを記憶している。ガイドの方に聞くと「3階建てなら蔵だったのかも」という返事だった。木造住宅はあり得ないようだ。蔵に茶室があったりそこでミサを挙げたりした話も何かで読んだ記憶が有る。茶室の神聖さとカトリックのミサが結びついても不思議はないと思う。

<ザビエル公園>

 

公園に白い敷石が有りここが堺の港だったと書いてあった。

ザビエル公園の先に堀が有った。もちろんこの堀は宣教師の時代より後だが堺はベニスのようだとイエズス会の宣教師が書き残している。町中に堀が巡らされ荷が運ばれていたに違いない。

更に路面電車に乗って千利休屋敷跡へ。この電車は何回も乗りました。10分おきくらいに来て解り易いので旅行者に便利だった。

路面電車
筆者撮影

宿院という名は室町時代からの呼び名らしく当地に有る住吉大社の御旅所を宿院と呼んだという説がある。

堺、筆者撮影

日比谷了慶と千利休が交流が有ったはずでザビエル公園がある了慶の屋敷から利休の屋敷まで約850メートル徒歩10分の距離。もっと近いと想像していたが歩ける距離ではあると思ったが、千利休の屋敷もここだったかは定かではない。

千利休は堺の豪商の長男として生まれた。利休は秀吉の政権下で力を持ち内政にも影響力を持った。切腹を強いられた理由には諸説あるが秀吉の朝鮮出兵に反対だった事が上げられている。

結局朝鮮出兵の失敗が関ケ原になり堺は大坂夏の陣で焼け野原になる。徳川家康の時代を迎え堺の街は再建された。新しい街が都市計画の元創られ千利休の屋敷がどこだったかは判っていないらしい。

 

「さかい利晶の杜」は千利休や茶の湯の事が詳しく展示されていた。利休の利と堺出身の与謝野晶子の晶で「利晶の杜」のようだ。

 

南宗寺(ナンシュウジ)

大きな境内のお寺で明日はお祭りらしく準備が始まっていた。千利休が修行をしたお寺だそうで今もお茶会で有名。広大な敷地に枯山水の庭等があった。

 

最後に堺市博物館へ。ここだけ場所が離れていて時間を気にしながら大急ぎで歩いて行った。仁徳天皇陵の近くで広大な森の中にあった。展示場はそう大きくは無いので1時間もあれば見れる感じ。映像が2回が行われるようでひとつは見逃してしまった。もう一度ゆっくり見に来たい博物館でしたので又来ます。

 

博物館の中もボランティアのガイドさんがいらして色々教えていただいた。一番説明したかったのは古代みたいでしたが戦国時代あたりの事を沢山質問して丁寧に対応してくださいました。

この屏風は住吉祭の神輿が堺へ渡って来る様子が描かれた見事なもので当時の堺の街の様子が良くわかる。

 

火縄銃の仕組みが図解。日本に火縄銃が伝わったときに種子島の刀鍛冶が自力で解決できなかったのがネジだった。どこにネジが使われていたのがが詳細にわかる。

日本の地図に都と堺が描かれていた。

 

もう暗くなったが最後に開口神社(アグチジンジャ)に行って御参りをした。海に向かって口を開けるという意味らしい。海と交易委とかかわって来た堺らしいネーミングだと思った。この神社の横の会所で堺の有力商人の代表が集まり街の自治を行った。いわゆる「会合衆」の会合だ。与謝野晶子が子供の頃遊んだという。

 

丸一日良く動いた。神戸まで今日中に帰れる時間だけれど余韻に浸りたいので堺に泊まることにした。ネットで見つけたビジネスホテルは堺市役所近くのダイワロイネット堺東。このホテル・グループは一度仙台で泊まった事が有ったので即決。ロビーが広々していて安心感があった。ダブルルーム一泊10400円。場所が良く清潔で安くて満足でした。

 

夜は近くの飲み屋街へ行った。昭和な感じのアーケード街はスペインのバル街みたいで沢山の人がビールを片手につまみを取って語り合っていた。リラックスしたムードで提灯が素敵でレトロ。

 

チリのワインで乾杯して本日は無事終了です。

最後に

東洋のベニスと呼ばれた堺に南蛮人や宣教師が活躍した時代の物を求めて旅をした。応仁の乱と大坂夏の陣で火の海になり私が見たかった時代の物は何も残っていなかった。堺の豪商たちの富や財産も焼かれて悔しい思いをし泣いた人達もいただろう。しかしその後も堺の技術産業は残り今も「日本の物づくりの街」の代表だ。形がある物を丁寧に作っている人を見ると安心する。街は思った以上にしっとりとして綺麗だった。

キャンピングカーの週末小旅行、サント・ドミンゴ・デ・シロスのグレゴリオ聖歌とログローニョのお祭り。

リオハのログローニョがお祭りらしい出かけよう、ついでにサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のグレゴリオ聖歌を聞きに行くのだ~と急に決めて出発した。9月の週末2泊3日私たちのキャンピングカーの旅の記録。

9月15日マドリードからサント・ドミンゴ・デ・シロス228キロ

15時出発。午前中夫の仕事が終わるのを待ちお弁当を作って今回は久しぶりに北に向かうブルゴス街道。あ、今日は土曜日だった。まだ9月の夏休みの人達が出かける時期、お天気は快晴。

ブルゴス街道
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへキャンピングカーの旅

実はもう少し早く出発する予定が充電器探しに時間がかかって遅くなる。探し物をしている時間が私の人生のほとんどだ。

ブルゴス街道をしばらく走ると山、スペインはどちらに走っても山だ、グアダラマ山脈を超えてカスティーリア・レオン州へ。

街道
筆者撮影、キャンピングカーでサントドミンゴデシロスの旅

ソモス・シエラの1400メートルの峠を超えカスティーリア・レオン州に入る、と、突然大雨、それもびっくりする程の豪雨。2分くらいの雨の中を走ったおかげで車が綺麗になった。

街道
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへ

ブルゴス街道から州道に入って途中カレルエガの村へ寄ってみる。スペインの最も美しい村のひとつに選ばれた事があるらしい。サント・ドミンゴ・デ・グスマンが12世紀に創設した修道院がある街。紛らわしいが今日行くサント・ドミンゴ・デ・シロスの聖ドミンゴとは別の聖人。

カレルエガ
筆者撮影、カレルエガ

小さな街に大きな修道院、スペインでは良くある事だけれど村より修道院がうんと大きい。カスティーリア・レオン州はレコンキスタの中心、激戦地域でイスラム教徒から奪い返した土地に教会や修道院が作られキリスト教徒が入植して街を作って行った。丁度エル・シドが活躍した時代の修道院です、が入場はしないで前に進みます。

カレルエガの街
筆者撮影、カレルエガ

 

カスティーリア・レオンはどこまでも平らで大きい。畑が続きぶどうからヒマワリに変わった。

街道
筆者撮影

平らな景色から次第に山に入りまず目指すのはジェクラ渓谷。

街道
筆者撮影

カーブが続いてそろそろかな~と思っていたら突然着いたみたいで標識も案内板も無い。トンネルを越えて行き過ぎてもう一度戻って車を止める。

ジェクラ渓谷入り口
筆者撮影、ジェクラ渓谷

 

戻って行ってトンネルの手前に結構大きな駐車場、もちろん無料。スペインはどこも無料の駐車場が多くて、人を雇うより安いからなのかと思うが、めんどくさいのが本音かも。

ジェクラ渓谷
筆者撮影ジェクラ渓谷

(写真下)BAJADA A LA YECLAバハーダ・ア・ラ・ジェクラ、ジェクラへの降り口の文字が壁に書いてある。ここを右下に降りていく。

ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷

1キロ位に渡ってジェクラ河に浸食された渓谷に遊歩道が作られている。

ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷

大人ひとりがやっと歩けるほどの幅の切り立った崖になっているが遊歩道なので歩くのは普通の靴で問題ない。向こうから人が来たら少し広い所ですれ違う。

ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷
ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷

最期まで歩いて約15分くらい、帰り道は上に登ってトンネルの中を歩くものありだけど同じ道を戻る事にしよう。近くを歩いていた人達もどうやら同じ考えみたいで戻って来た。もうここから目指すサント・ドミンゴ・デ・シロスは3キロほど。

サント・ドミンゴ・デ・シロスへの街道
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへ
<サント・ドミンゴ・デ・シロス>

ブルゴスから60キロ程南にある小さな街。元々修道院が有ったようだが10世紀にコルドバのアルマンスールにより破壊され街は荒れ果てていた。11世紀にリオハのサン・ミジャン・デ・コゴージョの修道士ドミンゴによりこの荒廃した修道院は修復された。19世紀の永代財産解放令により再び荒廃したがフランスからのベネディクト会の修道士たちがやって来て再び修道院は復活し今に至る。

 

サント・ドミンゴ・デ・シロスの街の手前に無料の駐車場、ここに車を止めて城壁沿いを3分程歩いていく。

サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへ

ここで有名なのは修道院のロマネスク回廊とグレゴリオ聖歌のミサ。ロマネスクの回廊は今日はもう閉まっているのでサン・セバスティアン教会へ。19時30分のミサが始まるので早速入りましょう。中は残念ながら写真は禁止。ミサは参列者が随分がいたが私たちの様な観光客っぽい人が多く途中で出ていく人も。20人程の修道士たちはそんな事全く気にしていない、というかまるで誰も参列していない様な独特の世界を作り上げていてグレゴリオ聖歌のミサは執り行われた。私が知っている教会のミサとは違って司祭がワインを飲んだり参列者に聖体拝領も無いミサだった。

 

シロスのサンセバスティアン教会
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

夕食はお弁当の残りで済ませ夜のミサは21時。昼間と違って地元の人が多く静かなミサ、夕刻のミサとは別のグレゴリオ聖歌が歌われやはり修道士は20人ほど。同じく参列者の事などは気にしていなくワインも聖体拝領も無い、ミサのやり方は少し違って香炉の煙を最初に修道士たちに向けて、その後参列者の方にも。なんだか有り難い感じでした。

夜の教会
筆者撮影、シロスのサンセバスティアン教会

9月16日 サント・ドミンゴ・デ・シロスからログローニョへ199キロ

早朝のミサは6時から。夫は昨日から行かない宣言していたのでひとりで行って来た。私を入れて6人の参列者で祭壇の方に手招きされた。私以外の来ていた人達は慣れた様子で前の祭壇の聖歌隊席へ進んでいく。私は遠慮しようとしたら再び手で招かれたので仕方なく祭壇の方へ進んで修道士の方々と同じ聖歌隊席へ上がった。「日曜日の早朝だから?「」何が始まるの?」と心臓の音が教会中響くんではと思うほどドキドキした。誰にも質問も出来ず誰も何も話さない、聖歌が書かれた紙を渡されて約1時間程のミサは進行して分からないまま歌を歌った。音が頭の中をぐるぐる回り独特の感覚、一生忘れない体験になった。教会を出た後も頭の中でグレゴリオ聖歌が鳴っていた。

次のミサも参加しよう次は9時から、と思っていたら8時だったみたいで行ったら終わっていた、これは残念。仕方ないのですぐそこの丘に登って行く。(修道院のホームページと実際の時間が違ったので行く方は再度現地で最確認してください。教会の入り口内部に書いてあります)

サント・ドミンゴ・デ・シロスの丘へ
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

登り坂に十字架が置いてあってゴルゴダの丘の再現なのかもしれない。丘の上には小さな礼拝堂と聖母像が有った。

筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

10分くらい登ると丘の上から街が見渡せる。街より修道院の方がうんと大きい。

丘の上から修道院
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

次のミサは11時、ネット上は12時になっていて危うく見逃すところ。日曜日の11時のミサの参列者は地元の人が多く静謐なムードで行われた。ワインも聖体拝領も寄付金の袋も回って来る長いミサだった。毎日ことごとく決まりに従って行われていて1年間位通ったら色々な事がわかるかも、と思った。4回ミサに通って毎回歌われるグレゴリオ聖歌は違ってミサのやり方も違い決まりに従って荘厳に執り行われた。マドリードに戻ってこれを書いているが頭の中でまだグレゴリオ聖歌が鳴り続けている。

 

ミサが終わり次はロマネスクの回廊を見に行く。修道院の回廊は日曜日は12時から13時半までしか見れない。ミサが終わって直ぐに回廊の方へ移動したらもう既に沢山の人が入った後のようだった。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

スペイン語で説明を聞きながらここの修道院のガイドさんと回る。この回廊は以前2度来ているが大抵の修道院やお城のガイドさんの説明は人によってかなり違って当たりはずれがある。日本の様なマニュアルなんてないと思う。そしてここはあまり面白かった記憶が無い。というかよく意味が解らなかったナ~と思いながら順番が来るのを待った。ミサに出ていた若い修道士のひとりが私たちの担当の様で案内されクラウストロ(回廊)に20人くらいで移動。外国人(英国人?)に丁寧に「説明はスペイン語なので自由に回って貰っても大丈夫」と英語で言っていた。最近の修道士は英語もうまいんだと感心、語学留学とか行ったんだろうか。そして説明は面白かった。修道士目線で、でも堅苦しくは無くて興味深く言葉に心が通っていた。

サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

ここの回廊の彫刻家の名前はわかっていない。2人の別の人物=マエストロによって創られ最初のマエストロの方が技術的に素晴らしい。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

写真下は有名な「エマオの道」12世紀とは思えない技法で衣装の透明感やイエス・キリストの振り返った感じや話しかける弟子の動きなどが素晴らしい。瞳には石が入っていたそう。

サント・ドミンゴ・デ・シロス回廊
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院

イエスキリストの埋葬と聖トーマスがキリストの傷に指を入れる場面

サント・ドミンゴ・デ・シロスの回廊
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

午後のミサに行くか少し悩んだ、がもういい事にしてお昼はラーメンです。グレゴリオ聖歌とラーメン、えらいギャップです。

キャンピングカーでラーメン
筆者撮影、キャンピングカーでラーメン

さてログローニョのお祭りへ行きましょう。ここから175キロ、ぶどう畑が続く中をドライブ。

 

ぶどう畑
筆者撮影、シロスからログローニョ

リオハ州はログローニョ県しかない小さな州でもちろんリオハのワインの産地。

ログローニョへの街道
筆者撮影、シロスからログローニョ

秋のぶどうの収穫祭サン・マテオ祭り、サンマテオの日は9月21日で一番盛り上がるらしいが仕事が有るので仕方がない明日は帰る。泊まるところはあらかじめ夫のキャンピングカーの旅のバイブル=FURGOで調べた川の横の大きな無料駐車場。キャンピングカーも沢山来ていてここに止めた。しばらくしたら満杯になったので早めに来ておいてよかった。

ログローニョ駐車場
筆者撮影、ログローニョ

中心部へ移動したらもうすでに盛り上がっていて太鼓の音で頭の中のグレゴリオ聖歌は消えて心は一気にヒートアップ。

ログローニョのお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

 

太鼓の音は自分の中の原始的な何を奮い立たせる気がする。復活祭に太鼓を夜通し叩く村が有るけど、そこのグループなのか?リオハは太鼓が有名なのかまた調べてみる事にします。

ログローニョお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

 

ムリエタ広場で「煮込み料理が無料」書いてあったので行ったら既に鍋は空っぽ。スペイン人に絶対かなわない事「無料の時の根性」。からっぽの鍋を見てがっくりして次へ移動。

ログローニョお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

ではバル街へ行こう。「ラウレル通り」にバルが沢山あるらしいのでグーグルマップを頼りに行くとすごい人。楽団も来ていてどこのバルも賑やかだ。

ログローニョお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

「カーニャ」(小さいコップのビール)と頼んだら大きなビールが来た。お店の人に聞いたらマドリードのカーニャはここではコルトと呼ぶらしい。

ログローニョ、バル街
筆者撮影、ログローニョお祭り

ピンチョをいくつか頼んで移動。

ログローニョ、バル
筆者撮影、ログローニョお祭り

3軒目のバルはみんなこれソロミージョを頼んでいた(写真下)。手前は岩塩で焼きピーマンとサラダ付きで3ユーロ60セント。どこもピンチョのレベルが高いのはバスクが近いからに違いない。サン・セバスティアンまで行かなくてもログローニョで充分ピンチョ巡りが楽しめることが分かった。値段も安くてお店の人がみんなとても感じが良くてログローニョ目茶気に入りました。

ログローニョのバル
筆者撮影、ログローニョのバル

明日は平日らしいがお祭りはまだまだ続く。私たちはもう沈没です。歩いて駐車場へ。おやすみなさい。

9月17日、ログローニョからソリア経由でマドリードへ

朝起きたら車が殆ど無くなっていて街はもう動き出していた。お祭り楽しくてまだ今日もいたいけど明日は仕事だ、帰らなければ。

キャンピングカーで泊まった駐車場
筆者撮影、ログローニョ

「エッ?」とビックリしたのはここでハンモックで寝ている人がいた。スペイン人はやらないと思うのでどこかよその国の人?。駐車場でテーブル出したり椅子出したりはスペインでは禁止で警察が来たら罰金です。

ログローニョの泊まった駐車場
筆者撮影、ログローニョ

車はドイツナンバーだけど「ドイツ人ではありません」と書いてあった。ある意味深い。

ログローニョの泊まった駐車場
筆者撮影、ログローニョ

ではマドリードに向かいましょう。ここからはソリアに向かって走って行く。この街道は初めて通る凄い景色だ。

ソリアへ向かう街道
筆者撮影、ソリアへ

山を切り開いて道路が出来ていて山の上に時々村が見え隠れする。

ソリアへの街道
筆者撮影、ソリアへ

そして暫く走るとどこまでも平らになるカスティーリア・レオン。

ソリアへの街道
筆者撮影、ソリアへ

途中ソリアの手前、ヌマンシアに寄って帰ろうと遺跡に登って行ったら今日は月曜日でお休みでした。ヌマンシアはローマ人が来た時に最後まで抵抗して8か月間の籠城戦の後、自ら街に火を付け力尽きた街。以前来たときは入り口は無く勝手に入れた記憶が有るけど有料になったみたい。見るのはその後のローマが作った遺跡だし・・・と負け惜しみ。月曜日はみんなお休みなんです。

ヌマンシアの遺跡
筆者撮影、ヌマンシア

ソリアで少し散策して帰る事にした。いつも通過してしまう街だ。ロマネスクの教会が残っていてここはサントド・ミンゴ教会。

ソリア、サントドミンゴ教会
筆者撮影、ソリア

入り口のタンパンに見事にロマネスク彫刻が残る。しばらくふたりで口を開けて見とれた。

ソリア、サントドミンゴ教会
筆者撮影、ソリア
サントドミンゴ教会のタンパン
筆者撮影、ソリア

ソリアの街の中心部へ歩いてバルで朝食。スペインでは良く食べ物にフォークが刺さって来る。トルティージャ・エスパニョーラとコーヒーで2ユーロ40セント。

バルで朝食
筆者撮影、ソリア

その近くのサン・ファンデ・ラバネラ教会も一部ロマネスク。

ソリア、サンファンデラバネラ教会
筆者撮影、ソリア

丘の上に登って行くと教会が有った。

丘の上の礼拝堂
筆者撮影、エルミータ

ドゥエロ河が見える展望台になっているところから町が綺麗に見えてアントニオ・マチャードに捧げた碑。

丘の上から
筆者撮影、ソリア

アントニオ・マチャードは19世紀の終わりから20世紀の初めのスペインの詩人で生まれはセビージャだがカスティーリア地方の雄大な美しさを詩に書いている。この丘によく登って来たらしい。

ソリアの丘からドゥエロ河
筆者撮影、ソリア

サン・ファン・デ・ドゥエロにはイスラムの影響を受けた回廊が有るらしいがここも月曜日はお休み。サン・サトゥリオの僧院も閉まっているけど1キロ程川のほとりを歩いてみた。

ソリアの景色
筆者撮影、ソリア

修道士サンサトゥリオが瞑想した岩の上に僧院があって中は18世紀のフレスコ画が有名らしい。また機会があれば戻って来ましょう。

ソリア
筆者撮影、ソリア

さあ帰りましょう。ここからマドリードは230キロ程。マドリードで家の近くのテラスで無事帰着のお祝いをして終了。

 

使ったお金ガソリン代70€、その他65€

合計135€

走行距離 554キロ

という私たちのキャンピングカーの旅の記録でした。

 

ペルーの旅、聖なる谷とマチュピチュ、クスコの旅の記録2018年8月8~17日

今回は日本からのお客様とパリで合流してペルーを周遊。4年前にもペルーを仕事で周遊したがペルーは非常に奥が深く興味は尽きない。自分の忘備録として今回のペルーの旅の記録を残しておくことにした。

行程について

クスコの標高が高く高山病になるケースが多いので高度調整にウルバンバ2泊とマチュピチュ2泊をクスコの前にいれた。(いきなりクスコ滞在は変更してもらった)旅程に余裕がないと難しいができればクスコ観光は後回し、又クスコからマチュピチュ日帰り等は避けた方が良いと思う。

ペルー注意事項

*リマの治安は良くないので注意。リマでは流しのタクシーは絶対に乗らない事。クスコやマチュピチュ、ウルバン等は治安問題なし。

*全国どこでも水道水は飲まない事、ミネラルウォーターを購入。ある程度のレベルのホテルにはサービスで部屋に置いてある。

*両替は空港より市内の両替屋の方が良い。ドルが通じるところが多いが現地通貨が有る方が便利なのである程度両替すると便利。

持って行くと良いもの

日焼け止め、帽子、虫よけスプレー、薄手のダウンジャケット(夏でも冬でも)、リュック、小さめのボストンバックか小ぶりのスーツケース(マチュピチュ行きの列車に大きなカバンは持って入れない)。

服装

今回はペルーは真冬にあたる8月中旬の旅行でしたが赤道に近いためほぼ平均20度~25度位。クスコの朝は7度、昼間は24度、マチュピチュは17度から25度で朝以外は暑かった。日差しは強く日陰になると寒いので脱いだり着たりできる様にTシャツの上にフリース、その上にゴアテックス、念のため薄手のダウンで温度調整。

前回は6月の旅行でペルーは秋にあたるが殆ど同じような気温でした。

高山病

クスコとその近郊に3400メートル~3900メートル地点があり人によっては高山病の症状が出る。ゆっくり歩く、酸素を沢山体に取り入れるが大切。ヨガ呼吸の様にゆっくり体内に酸素を取り入れる準備をリマ出発時からやっておく。薬は現地でも買えるが作用が強く手が痺れるなど副作用。日本から手に入れるならダイアモクス(緑内障の薬)が高山病に効くと言われているが高山病予防薬としては処方されない。私は銀杏の葉のエキス(スペインで購入)をパリの空港から毎日水に溶かして飲んでいた。効くかどうかは賛否両論だが日本の山岳登山会のホームページでも紹介されているので興味がある方は参考にするとよい。日本でも購入できる。高山病の症状は同じ人が同じ高度で出るときや出ない時が有るそう。一番大事なのはあまり心配しない事、体調管理のような気がする。クスコへ出発が決まったら日常から深い呼吸と適度な運動を意識するといいと思う。

 

前泊:パリ8月7日


マドリードからパリ行きの飛行機が2時間遅れでパリ到着が00:30分。空港内シャトルの最終が01:00なので正直ヒヤッとしたが何とかホテル到着。シャワーを浴びて2時間位眠れるか・・・いや一睡もできず出発。

パリ空港ホテル
筆者撮影、パリ空港ホテル

ノボテル・エアーポートはシャルル・ドゴール・ターミナル3、空港内シャトル降りてすぐにあるのでアクセスが良くホテルは清潔で広々していた。

1日目8月8日


パリの空港で早朝に合流しリマ行きの便が出るラウンジで朝食。パリから12時間なのでパリ東京と同じくらいの距離を大西洋上を飛びカリブ海上空からリマへ入る。

航路の写真
筆者撮影

機材はボーイング777/300。

ペルー入国は簡単でパスポートのみ、税関も書類無しで検査なしで通過。リマは治安が悪く車の渋滞もひどい。渋滞中に車の窓を割られて貴重品を取られるケースが有ると聞き緊張感が走った。

ホテルは治安の良い住宅街ミラフローレス地区。今日はチェックイン後すぐお部屋に。

ホテル・ベルモント・ミラフローレス・パーク

ミラフローレスのホテル
筆者撮影

バスルームはバスタブとシャワーブースが分かれたタイプ。

ミラフローレスのホテル
筆者撮影、ホテル

 

夜にお腹が減りルームサービスでMakisushi巻き寿司、を取ったら仰々しく銀のお盆にお花が着いて凄いのが来た。一番驚いたのはチーズとアボガドが入った巻き寿司がフライになっていてびっくりした。巻き寿司と思って食べなければ美味しい。

リマホテルのルームサービス
筆者撮影

ビールはリマでは珍しくクスケーニャ

クスケーニャビール
筆者撮影

おやすみ~(食べてすぐ寝る、相撲取りへの道だ~)

2日目:8月9日

朝食は見晴らしのいい11階でビュッフェ。ペルーは国土の60%がジャングルで様々な果物が豊富な国でどれも美味しそう。

リマホテル朝食会場
筆者撮影

ホテルの前はきれいな広場でその向こうは太平洋が広がる。リマの天気はいつも薄曇りらしくスカッと晴れることは少ないという。

リマホテル前の広場
筆者撮影

ホテルを出発して空港へ。朝8時から既に渋滞。空港まで25キロが1時間、ミラフローレス地区から空港に行くとまるで別の国の間を走っている様に街のムードが変わって行く。

リマの渋滞
筆者撮影

空路リマからクスコへ。前日LATAM航空ウェブ・チェックインしていたので手続きはスムーズ。ペルーの国内線手荷物検査でペットボトルの水は持って行ける。リマ・クスコ間は約1時間30分、ほぼ1時間ごと頻繁に出ている。

ペルー国内線飛行機
筆者撮影

機内食は有料、離陸と共にメニューが配られてきた。

ラタム機内食メニュー
筆者撮影

 

クスコ空港到着ロビー。標高が高いのでゆっくり歩きましょう。

クスコ空港到着
筆者撮影

リマと違ってクスコの空はすっきり青かった。

クスコの空港
筆者撮影

クスコの空港を出発のち、標高3500メートルから3900メートルの地帯を移動、周りには雪をかぶったアンデス山脈が続く。

アンデスの景色
筆者撮影

山の間に時々村があり素朴な人々の生活が垣間見える。

アンデスの景色
筆者撮影

ウルバンバに到着。先に両替とランチ。中央アジアの街見たいな懐かしい感じ。

アンデスの景色
筆者撮影

地元の人ばかりの小さな店での最初の食事はペルー定番のロモサルタード、子牛の肉と野菜の煮込み料理に白いご飯。中華料理みたい。

ウルバンバのランチ、ロモサルタード
筆者撮影

チチャモラーダはペルーの国民的飲み物。紫トウモロコシとパイナップルの皮を煮込んでシナモンで味付け。

チチャモラーダ
筆者撮影

 

聖なる谷に有るウルバンバは小さな村。クスコとマチュピチュの間に有り標高2800メートル。前述したが標高0メートルのリマから標高3400メートルのクスコに飛行機で飛ぶと体に負担がかかる。日程に余裕があれば高度調整に丁度いい。私たちはタンボ・デル・インカというリゾートホテルに2泊して時差と高度に順応しながら付近の遺跡や村の観光をする。

宿泊はスターウッド・ホテルリゾートのタンボ・デル・インカ。斬新な木造の建築が村の景色によく溶け込んでいる居心地のいいホテル。

ホテル、タンボ・デル・インカ
筆者撮影

天井が高くどこにカメラを向けても絵になるホテルだ

ホテル、タンボ・デル・インカ
筆者撮影

午後はウルバンバの街散策

ウルバンバの街
筆者撮影

街の規模が小さくぶらっとお散歩するには丁度いい。

ウルバンバの街
筆者撮影

オート三輪が主流でそれぞれ色とりどり。

ウルバンバ
筆者撮影

ホテル入り口は警備の人がいつもいて出入りする人のコントロールをしているから安心だ。

ホテル入り口
筆者撮影

 

タンボ・デル・インカ・ホテルの敷地内を散策すると駅が有った。早朝ここからマチュピチュ行きの列車が出るのでここに宿泊して日帰りでマチュピチュの人もいるのかも。

ウルバンバの駅
筆者撮影

夕食は近くのレストラン、トレス・ケロスへ。入口は素朴な民家のような感じ。素朴過ぎて階段が揺れて怖かった。

トレスケロス
筆者撮影

 

内装は斬新で来ていたのはヨーロッパの人達ばかり。食前酒はピスコ・サワー。ピスコというぶどうの蒸留酒と卵の白身のカクテル。

ピスコサワー
筆者撮影

主菜のみの注文でキノコのリゾットと

トレスケロス
筆者撮影

マスの焼いたの

トレスケロス食事
筆者撮影

タンボ・デル・インカのお部屋

タンボデルインカ室内
筆者撮影
タンボデルインカの室内
筆者撮影

バスルームは大きなバスタブの横に排水溝の有るシャワーブース。

タンボデルインカの室内
筆者撮影

3日目:8月10日


ホテル朝食はローカルメニューや豊富な果物。

ホテル朝食
筆者撮影

地元のお料理コーナー

ホテル朝食
筆者撮影

ハチの巣ごとのはちみつ

ホテル朝食
筆者撮影

 

 

今日は聖なる谷の観光。聖なる谷はアンデスの谷間の肥沃な大地。作物が豊富で神々が住むのにふさわしい所だ。聖なる谷が夜空に映ったのが天の川なのか、天の川が降臨したのが聖なる谷なのかな・・・と思った。

マラス塩田はインカの古い時代から塩を供給していた。アンデスがもともと海の中に有ったので山の中から暖かい塩水が流れて来ていて今も豊富に塩が取れる。何万年か前の海水と思うと地球の神秘を感じる。お土産にマラスのお塩を買った。他の物もここが一番安かった。

マラス塩田
筆者撮影

モライ遺跡はインカの農業試験場だった。標高3500メートルの所から地形を利用して段々畑が作られており標高差100メートルの所で異種交配や高度の違いでの作物の研究をしていた。

モライ遺跡
筆者撮影

写真ではわかりにくいが一番下までの標高差は100メートル、ひとつの段が約1メートル温度差は5度。ここでトウモロコシやジャガイモなどの品種改良を行った。

チンチェーロ村はクスコから30キロほどに有る標高3700メートルの村。

チンチェーロ村
筆者撮影

階段を上るとさすがに息が切れる。今は観光収入がかなり町を潤しているようでお土産物屋が沢山。同じものでも随分値段が違うので行きと帰りにリサーチした方が良いかも。村人や子供の写真を撮ると1ソル程のチップが必要だ。

チンチェーロ村
筆者撮影

インカの街の石畳はどこも日本の城下町を思い出す。

チンチェーロの村
筆者撮影

インカ時代の神殿が有ったところはスペイン人によって教会が作られており今も使っているようだった。ヨーロパ人はいつも傲慢だ。

チンチェーロ村
筆者撮影

ケチュア族の村で織物の説明を受けた。自然の食物や虫で色を付けて手で織って行く方法はおそらく2000年位前から変わっていないのではないか。

ケチュア族の村
筆者撮影

ケチュア族の人々の髪の毛はみんな真っ黒で年配の方々も白髪の人がまずいない。アンデスの山で採れる芋で髪を洗うらしいがそれは市場では売られていないので山に探しに行くしかないみたいだ。タケノコ掘りの名人みたいな人がいるのだろうか。

ケチュア族の村
筆者撮影

昼はウルバンバに戻ってランチは地元のローストチキンの店

ウルバンバ
筆者撮影

ペルー人はローストチキンが大好きらしい。あらゆるところにローストチキンの店が有る。

ローストチキン
筆者撮影

午後はホテルに戻って休憩、夕食はホテルのメイン・ダイニング。ケーナとサンポ―ニャの演奏は本当に素敵だった。ここでやっぱり「コンドルは飛んでいく」聞きたいですね。

ホテルレストラン
筆者撮影

マスとワインで軽く夕食。あ、写真撮るの忘れて一口お先にいただきました。失礼。

ホテルレストラン
筆者撮影

4日目:8月11日


大きなスーツケースはホテルに預けて出発。マチュピチュ行きの列車は5キロ以上の荷物はだめらしい。それでも持って来ているヨーロッパ人もいたけど。朝はピサックの村のマーケットへ。元々は物々交換の場だった広場で今はお土産物ばかり。

ピサックの村
筆者撮影

途中村のチチャ屋で休憩。チチャはトウモロコシの発泡酒で古代アンデスの時代から儀式に使っていたお酒。今もペルーでは良く飲まれている。

チチャ屋
筆者撮影

エコケ人形が壁に飾ってあった。ペルーのラッキーアイテムで週に2度タバコを吸わせると願いをかなえてくれるらしい。

エコケ人形
筆者撮影

オリャンタイタンボの遺跡の見学。インカ時代に戦略的に重要な地点だった。

オリャンタイタンボ
筆者撮影

巨大な石の神殿が頂上に残る。向こうの山からこの巨大な石を運んで創ったという神殿。石の表面にピューマの浮彫があったらしい。

オリャンタイタンボ
筆者撮影
オリャンタイタンボ
筆者撮影

下の街には石組の綺麗な街が残る

オリャンタイタンボ
筆者撮影

お昼は広場に面したレストランにて

オリャンタイタンボ
筆者撮影

今日もペルー定番料理、アヒ・デ・ガジーナ。チキンに黄色いピーマンソースにお米添え

ランチ
筆者撮影

ペルーレイル15:37発ビスタドーム1時間30分でアグアス・カリエンテスへ。社内では飲み物とスナックのサービスが有った。

ペルーレイル
筆者撮影

アグアスカリエンテスはスペイン語で熱い水。古くから温泉が出る。

アグアス・カリエンテス村
筆者撮影

ホテルは駅のすぐ近くのエル・マピ。日本の山にあるホテルみたいな感じでシャワーのみの簡素なホテル。結構激しい雨が降り出し寒いので今日はホテルで夕食。夕食はホテル側のサービスで付けてくれたと旅行会社から聞いたがグラスワインが一杯1000円近くでビックリ仰天、しかもレシート無しでちょっとムッとした。けどこんな遠くまで運んできたから仕方ない、日本でも山の上は値段が高いのだ。「明日は外で食べるぞッ」と心に決めた。でも食事はちゃんとしていて美味しかった。

ホテル・マチュピチュ
筆者撮影

ホテル・エル・マピ

ホテル・エル・マピ
筆者撮影

壁が薄いお部屋で廊下の音や隣の音が良く聞こえて眠れないか、と心配したけど3時間ほどぐっすり眠って目が覚めた。毎日2時30分頃に目が覚める。スペインの9時30分、時差ボケは続く。人間3時間も熟睡すれば何とかなると、自分を慰める。

5日目:8月12日


昨日の大雨は夢だったのか、と思うほどの快晴だ。日曜日で地元の観光客も多いので少し早めにホテルを出発してバス停で並ぶ。朝7時半に列の最後尾についた。

マチュピチュバス停
筆者撮影

この日の注意はバスに乗るのも遺跡に入るにもパスポートが必要。長い列だったがバスは頻繁にやって来て30分程で乗れた。バス会社は1社で独占企業、官民合弁らしい。くねくねの登り坂を約30分登って行くともうすでに沢山の人がやって来ている。

マチュピチュ
筆者撮影

遺跡の中にお手洗いは無いので外の有料トイレへ。2018年現在2ソル、4年前は1ソルだった。これも独占、ほかにチョイスは無い。

マチュピチュ
筆者撮影

遺跡の入り口でパスポートの名前と入場券の名前のチェック。今は午前と午後は別の切符購入が必要になった。

マチュピチュ
筆者撮影

最初に階段をかなり登るが登り切るとあとはそうでもない。普通のスニーカーで充分だ。ヨーロピアンはゴム草履の人もいた。2400メートルの地点なので空気もそんなに薄いわけではない。

マチュピチュ
筆者撮影

太陽の神殿

マチュピチュ
筆者撮影

マチュピチュの観光は大体3時間から3時間半で現在見れる遺跡の重要な部分は見学できる。マチュピチュについては別途記事にする予定・・・多分

ランチは遺跡入り口に唯一あるサンクチュアリー・ロッジにてビュッフェ。

マチュピチュ
筆者撮影

午後の入場券もエージェントが用意してくれていたので再入場し今度はインカ橋まで歩く。

マチュピチュ
筆者撮影

インカ道を飛脚は1日200キロ走れたそうだがこの狭い危険な道をフルマラソンの5倍の距離。そういえばインカの人々は肺が大きくヘモグロビンの量が多いと何かで読んだ。人間は標高が高い地域で暮らしたほうが健康になるのではと思った。

マチュピチュ
筆者撮影

堪能してさあ帰ろうとバス停の方に行くと長蛇の列。今朝の3倍はある。鉄道に乗って帰る人はハイシーズンは帰りのバスの待ち時間要注意ですね。私たちはもう一泊アグアス・カリエンテスなのであきらめてのんびり並んで帰りました。バスは頻繁に来るので長い列でも思ったより早く進んで1時間弱程でバスに乗れた。たまたま後ろに並んだカップルが日本の方でウルグアイにお仕事で駐在中で夏休み中だそう。

マチュピチュ
筆者撮影
マチュピチュ
筆者撮影

ホテルに戻り一息ついて夕食は今日は外へ。昨日の轍は踏まないぞ。ホテルすぐ前にあるインカ・ワシはトゥリップアドバイザーでも評価が高い。

マチュピチュ夕食
筆者撮影

疲れ切っていたのか食事内容写真撮り忘れたああああ~なので美味しかった頭の記憶のみ

おやすみなさい~

今日も食べてすぐ寝るパターンですが夜中の3時頃から眠れない。

6日目:8月13日

マチュピチュ初8時15分のペルー・レイル展望列車

マチュピチュ・ペルーレイル
筆者撮影

帰りは最高の天気でベロニカ山等雪をかぶったアンデスの山が見えた。同じ席に日本から個人旅行している女性と一緒になった。日本からメキシコ経由で来たそう。

マチュピチュ
筆者撮影

オリャンタイタンボの駅ではコレクティーボ(乗り合いバス)とタクシーが凄いエネルギッシュに営業していた。前を行く大きな荷物を持った人達はインカ道トレッキングの人の荷物やテントを運ぶポーターさん達。途中4000メートルくらいの所があるらしく標高の高い所を大きな荷物を持ってさっさと歩けるんでしょうね。

 

マチュピチュ
筆者撮影

 

オリャンタイタンポから車で再びウルバンバへ移動し荷物を取って聖なる谷をドライブ。途中の高台の聖なる谷が良く見えるレストランでランチ。

聖なる谷が見えるレストラン
筆者撮影

チキンのフライとサラダとジャガイモ

レストランの食事
筆者撮影

クスコ近くで遺跡の観光。タンボマチャイ遺跡は標高が富士山と同じくらいでさすがに急ぐと心臓がどきどきした。

タンボマチャイ遺跡
筆者撮影

この水はインカ時代から流れ続けている聖なる泉。その水源は今も謎だそう。石の組み方がとても丁寧。

タンボマチャイ遺跡
筆者撮影
タンボマチャイ遺跡
筆者撮影

標高3765メートル・・・これを見た後頭がクラクラした。

タンボマチャイ遺跡
筆者撮影

 

直ぐ近くのケンコー遺跡へ。インカ時代の宗教儀式が行われた場所。

ケンコー遺跡
筆者撮影

巨大な石灰岩が重なって置かれている。今まで見て来た他の遺跡とは違う何かを感じる。

ケンコー遺跡
筆者撮影

内部に石を削った王座。これはガイドブックの写真。

ケンコー遺跡
筆者撮影

天上の神コンドルや地下の神である蛇に捧げる神殿や大地の神ピューマを現す石など特別な儀式を行ったところに違いない。

ケンコー遺跡
筆者撮影、ケンコー遺跡

 

クリスト・ブランコ(白いキリスト像)からはクスコの街が綺麗に見えた。

白いキリスト像
筆者撮影

クスコの街並み。街が広がって山の方まで家が作られている。

白いキリスト像からクスコの街
筆者撮影

サクサイワマン遺跡へ。ケチュア語で満腹のハヤブサだそう。インカ帝国の第9代皇帝パチャクティの命令で1438年頃から建設が始まり約50年後に完成したと言われる。

サクサイワマカン遺跡
筆者撮影

巨大な石をどうやって持ってきたのか未だに謎が多い遺跡だ。インカの天上・地上・地下の世界を現す3段に積まれており遺跡を構成する石はリャマや蛇等の形をしたものが有る。

サクサイマワカン遺跡
筆者撮影

クスコの街と周りの遺跡で伏せたピューマの形をしていたという説がありサクサイワマン遺跡はピューマの頭にあたる。下の写真の左の方の①にあたるのがサクサイワマン遺跡、真ん中あたりのⒷが現在の大聖堂があるアルマス広場。空から見たところを意識して創られた街という事なのか・・・謎は深まるばかり。

その後市場に行った。ペルーの人達は良く働く。女性達、特に高齢の女性達も市場で沢山働いていた。

クスコの市場
筆者撮影
クスコ市場
筆者撮影

ホテルはクスコ中心部にあるマリオット・エル・コンベント。教会と修道院の建物を利用して創られているエレガントなホテル。お部屋の中は酸素が送られていて2400メートル位の酸素量だそう。

クスコホテル
筆者撮影

夕食は日本人経営のペルー料理レストラン、プカラへ徒歩10分。今日のペルーレイルで同席だった日本人の女性と偶然会ってなんだかうれしかった。

クスコのプカラレストラン
筆者撮影

マリオット・エル・コンベントの部屋

クスコのマリオットホテル
筆者撮影
クスコ、マリオットホテル
筆者撮影

置いてある家具は16世紀頃のスペインの物でスペイン人たちはこんな立派な家具まで本国から船で持って来ていたのかと驚く。

クスコ、マリオットホテル
筆者撮影

7日目:8月14日


クスコの観光はマチュピチュ博物館から。コップを持つ手は何か宗教行事に使ったのか。

 

クスコ、マチュピチュ博物館
筆者撮影

高貴な人々は幼少の頃から頭を機械で挟んで細長くしたらしい。宇宙人かと思った。メキシコでもこれと同じものを見たので何らかの形で影響しあったに違いない。

クスコ、マチュピチュ博物館
筆者撮影

サント・ドミンゴ教会はインカ時代の太陽の神殿の上にスペイン人が創った教会。地震で教会部分は壊れ内部からインカ時代の神殿が姿を現した。

サントドミンゴ教会入り口
筆者撮影、サントドミンゴ教会

内部は石が丁寧に綺麗に組まれていて精密さに驚く

サントドミンゴ教会
筆者撮影

遺跡の一部が置いてあり石切り口や水路を作った後が良くわかった。

サントドミンゴ教会
筆者撮影

神殿の内部は金で覆われていたらしくそれらはピサロ達によってすべて奪われ金の延べ棒になり本国へ運ばれていった。スペイン各地でよく見る金がたっぷり使われた教会の祭壇はこれらの金が使われている。

対応の神殿の石組
筆者撮影、クスコ太陽の神殿

サント・ドミンゴ教会のすぐ前に有るレストランでランチとなった。

クスコレストラン
筆者撮影

ペルー料理のちょっとづつ色々盛り合わせ

クスコランチ
筆者撮影

毎日欠かさず飲んでるチチャモラーダ。

クスコのランチ
筆者撮影

レストランの内部もインカの石組だった。

クスコ
筆者撮影

破壊されなければ街中に神殿や黄金の宮殿が有った荘厳な首都だったに違いなくスペイン人が憎らしくなった。有名な12角の石。

クスコ
筆者撮影

日本の城下町みたいな景色。インカ帝国のすべてがクスコに集まるように創られた道だった。

クスコ
筆者撮影

この石どうやって作ったんだろう。

クスコ
筆者撮影

精巧に組まれた石は技術もすごいがどれもとても美しかった。

クスコの石組
筆者撮影、クスコ
クスコの石組
筆者撮影、クスコ

歴史博物館にはクスコから発見された様々な物が展示されていた。これ持って帰りたいなあ~というのがいっぱいあった。

クスコ歴史博物館
筆者撮影、クスコ

石臼にピューマの彫刻

クスコ歴史博物館
筆者撮影、クスコ

 

夕食はホテルで頂きました。

クスコ夕食
筆者撮影

サーモンの照り焼き

クスコ夕食
筆者撮影

牛肉400グラム、ヒィエー大きくてびっくりだ。

クスコ夕食
筆者撮影

標高が高い街は慣れれば快適だ、クスコは素敵な街でもうリマに行かなくても良い位の気分になっていた。

おやすみなさ~い、今日も食べてすぐ寝る関取りへの道です。

8日目:8月15日


クスコの空港へ。ウェブチェックインは必須だ。普通のカウンターは長蛇の列になっていた。待合室はほとんどヨーロッパの観光客だった。

クスコの空港
筆者撮影、クスコの空港

リマに到着してまずランチは地元の人気店「メルカード」

リマレストラン
筆者撮影
リマのレストラン
筆者撮影

ウニの前菜

リマのレストラン
筆者撮影

白身魚とアジアンヌードル

リマレストラン
筆者撮影

いくらのスパゲッティ

リマのレストラン
筆者撮影

お食事の後は天野博物館へ行った。天野芳太郎は1898年(明治31年)秋田県生まれの日本の実業家。第2次世界大戦より前にパナマに渡り戦時中は強制送還されたが再びペルーに渡り事業を始めた。アンデスの文明に興味を持ち様々な研究もした天野氏のコレクションが納められている。内部なJAICAの方が説明してくださった。当時の日本人は私たちより国際的で行動力のある魅力的な人が結構いたんだなあ~かっこいい。

天野博物館
筆者撮影

織物が中心だが土器や壺なども沢山あった。ぽっちゃりが可愛い入れ物。どれも持って帰りたい。

天野博物館
筆者撮影

これなんだったか忘れたけどとっても気に入ったのでパチリ。

天野博物館
筆者撮影

アルマス広場の大聖堂。「どこにでも作れるようなものを作ってどこにもないものを壊した」と嘆いたのはコルドバのメスキータ内部に作った大聖堂を見たスペイン王カルロス5世だが、これを見ても同じことを言ったに違いない。

リマ、大聖堂
筆者撮影

現在の大統領官邸は元はピサロのお屋敷だった。

リマ大統領官邸
筆者撮影

ラファエル・ラルコ・エレーラ博物館はイタリア系移民の家族でもともと広大な農園を持つ事業家だった。付近で取れる土器を集めるうちに考古学に興味を持った。コレクションが多すぎて整理されずにまるで倉庫の様に保管されている場所。

ラルコ博物館
筆者撮影

黄金の装飾品は圧巻。儀式に使った物。

ラルコ博物館
筆者撮影

ホテルは初日に泊まったミラフローレス地区のベルモント・ホテルにチェックイン。

リマ、ベルモンテ・ミラフローレス
筆者撮影

夕食はホテルのメイン・ダイニングへ。バスキアみたいな斬新な絵が壁中に描かれていた。

リマ夕食
筆者撮影

海老のグラタン

ホテル夕食
筆者撮影

キノコのラビオリ

ホテル夕食
筆者撮影

 

9日目:8月16日


今日は最終日。夜のパリ行きの飛行機までの時間を利用してリマ郊外のパチャカマック遺跡観光。インカ人が定住するより400年前に大きな宗教都市があったらしい。

パチャカマック遺跡
筆者撮影

まだまだ発掘中でどこでも掘ればいくらでも出てくる感じ。

パチャカマック遺跡
筆者撮影

ランチはバランコ地区のレストラン。昭和のムードというかキューバのレストランみたいだ。

リマランチ
筆者撮影

これはウエベーラというこの辺りのビーチで食べる朝ごはんだそうで魚の卵をフライにしたのと玉ねぎがパンにはさんであるだけのシンプルなものだけど滅茶苦茶美味しかった。

リマ、ランチ
筆者撮影

ロモ・サルタードの麺版。アジアっぽいテイスト。

リマ、ランチ
筆者撮影

アサード・デ・ティラはペルーの伝統料理。向こう側がお肉で手前は豆。隣のセニョールたちもこれを頼んでいた。

リマ、ランチ
筆者撮影

バランコ地区はアーティストが多く住むリマでも人気の住宅街。ちょっとスノッブなお店も沢山ある。

 

バランコ地区
筆者撮影

予定終了、空港へ向かいます。

エアーフランス483でパリへ。機材はボーイング・トリプルセブン777/200。帰りの飛行機で一番眠れてペルー時間に体がピタッとあいました。マドリードに帰ってからしばらく時差ボケで苦しむ事になりそうです。

エアーフランス
筆者撮影
帰りの機内
筆者撮影

 

ペルー忘備録

*ケチュア語話者は多分500万人。たぶんというのは政府も正確に把握していない。その中にケチュア語しか話せない人達も相当数いる。

*アンデスには人類未踏の地が沢山あって探せばマチュピチュの様な遺跡は沢山出てくる。

*アマゾン川と聞くとブラジルのイメージだが源流はペルーから流れる。

*アマゾンには近代人と接触していない人々が住んでいる地区もある。スペイン人たちさえ危険で寄り付かなかった。というのもアマゾンには危険な動物が沢山いるので弓や槍等の武器を持っていて闘争的で近づけなかった。

*もし彼らと接触したら我々が持っている菌などですぐに汚染されてしまう。

*ペルー人はスペインの映画を見るとき字幕スーパーをつける。同じスペイン語でもわからない言い回し等が多すぎるらしい。

*ペルーは海抜0メートルから海抜5000メートルのアンデス、アマゾンのジャングル等がある多様な国でした。

キャンピングカーでサンルーカルのビーチ競馬とポルトガルとグアダルーペの夏祭り、2018年8月

サンルーカルのビーチ競馬と休みの日程がはまるなんてまさかの奇跡だ!何年も前から行ってみたいけど行ってなかったお祭り。これは「行くしかない」と何も調べず飛び出した。カディス県のサンルーカル・デ・バラメダとついでにポルトガルのサンビセンテ岬、帰り道にエストレマドゥーラ県のグアダルーペへキャンピングカーで旅した記録。

 

1日目:8月21日マドリード~サンルーカル661キロ

朝10時、夫が朝の仕事に行っている間にお弁当を作って出発。マドリードからカディス方面は南へ向かうアンダルシア街道と南西へ向かうエストレマドゥーラ街道があるが今回はエストレマドゥーラ街道で移動。

マドリードから出発の道路
筆者撮影、エストレマドゥーラ街道

 

途中トルヒージョを通る、インカ帝国を破壊したピサロはトルヒージョ出身。コンキスタドーレス達はこのエストレマドゥーラ出身者が多いのだけれど何故なんだろう。「ここはとっても貧しかったから」というだけでは納得できない。他にも貧しい地域は有ったのにここだけ突出している。少しだけ街の中心部へ行ってピサロの写真をパチリ。

ピサロ像
筆者撮影、トゥルヒージョのピサロ像

ピサロは出生もあまり定かな事はわかっていなくて父親は軍人だったようだが母親は召使い?、生まれた家も定かではない。ペルーで仲間割れした末相手を殺害し、その親族に暗殺された。その遺体はペルーに残る。

トゥルヒージョ
筆者撮影、トゥルヒージョ

トゥルヒージョがあるこの街道はメリダからセビージャに続く銀の道に繋がっている。アステカを滅ぼしたコルテスはメリダ近くメデジンの出身。コロンブスの新大陸発見後のスペインの船はセビージャに入港していてセビージャには多くの一攫千金を求めた人々が集まっていた。そこからの様々な人や情報がエストレマドゥーラには銀の道を通り入って来ていたはずだ、と何となく腑に落ちた。さあ前に進もう、今日は650キロの移動だ。

エストレマドゥーラ街道
筆者撮影

トゥルヒージョから約152キロのサフラに少し寄ってみる、と夫。サフラは支倉常長の同行者の侍がキリスト教に改宗しディエゴ・ハラミーニョ何某かの家臣になったが給金の支払いを断られ奴隷のように焼き印を押された云々の話がある。侍の日本名は定かでないが髷を切ってキリスト教徒になっていた。スペイン国王に提訴し日本に帰る許可を得てメキシコまで向かったらしいがその後の消息は不明らしい。何のあてもなく街が見たくて立ち寄った。

サフラのパラドール
筆者撮影、サフラのパラドール

サフラの街に入るとすぐ大きなお城が見えて来た。15世紀の建築を後に改装、現在は国営ホテルになっている。サフラはエストレマドゥーラ州だけどアンダルシアの様な街並みだ。

サフラの街並み
筆者撮影、サフラの街

途中お弁当を食べてカディス県サンルーカルのビーチ近くのキャンプ場到着18時20分、まだ夏の太陽は頭の上。サンルーカルから4キロの隣町のキャンプ場、というか駐車場にキャンピングカーの為の設備があるACという施設。

キャンプ場
筆者撮影、チクラナキャンプ場

想像したよりちゃんとキャンプ場で天幕を張ったりテーブルを出したり皆さん長期滞在者みたいだ。車一台12€なので家族全員で来れば家にいるより安いかもしれない。私たちは残りのお弁当を食べて少しお昼寝。ここはスペイン人家族のが多いから話声が大きいなあ、夏休み満喫風。

すぐそこが大西洋、海に沈む夕日を見に行った。夏の夕陽は21時過ぎ。

大西洋に沈む夕日
筆者撮影、チピオナ

近くでビールを買ってきて無事の到着をお祝いした。一本70セント。

夜のキャンプ場
筆者撮影

隣のキャンピングカーのセニョーラの声がとても大きくて内緒話できないタイプの人だね、他人の話が全部聞こえるのもあまり居心地がいいものではない、ちょっと出かけよう。キャンプ場の横に有るバルでマンサニージャ小瓶一本6€。この辺はシェリー酒のなかでも更に独特のコクがあるマンサニージャが主流。

マンサニージャ
筆者撮影

明日はゆっくりだから夜更かしの一日目終了。おやすみ~

移動距離 661キロ

有料道路7.3€

ガソリン35€

ビール2.1€

マンサニージャ6€

2日目:8月22日 サンルーカルのビーチ競馬、連泊日

朝はのんびり8時頃まで寝ていた。競馬が18時からなのでお昼頃に出発してサンルーカルに向かう。4キロ離れているのでこの日差しの中歩くのはやめてバスに乗る。時刻表を信じたのが間違いで13時40分のバスが来たのは14時10分だった。地元っぽい人は14時頃に来ていたのは遅れるのを読んでいたのかは不明。

バス内部
筆者撮影

バスに約30分揺られてサンルーカルへ。途中はかなり大きな別荘ばかりだった。空き地が時々あるけど10年後にはすべて別荘になっているだろう。

バス停から目指すカビルド広場は近くだった。バルやレストランが沢山ある広場で大変な賑わいだ。

サンルーカルのカビルド広場
筆者撮影、サンルーカルのカビルド広場

バルビノというバルに入った。日本の朝の満員電車位の混み方のバル。カウンターまでたどり着けるか・・・

サンルーカルのバル
筆者撮影

トルティータ・デ・カマロン(小エビが入った天ぷら)とエビの茹でたのを注文。水を頼んだら隣のセニョールが「アグア?何という冒涜」と言ってワインをおごってくれた。

トルティータ
筆者撮影

早く出かけ過ぎた、この暑い中どこで時間を過ごしましょう・・・・街をあても無く散策する。

サンルーカルのカビルド広場
筆者撮影

広場やパティオ、白い町並み。

サンルーカルの街並み
筆者撮影

14世紀のムデハル様式の教会サンタ・マリア・デ・ラ・オ教会。最後のオはどういう意味なのかな?もちろんお昼休みで入れません。

その先にメディナシドニア宮殿、内部見学はもうできないけどお茶が飲めるみたいです。ここで休憩しましょ。

メディナシドニア宮殿内部
筆者撮影、サンルーカル、メディナシドニア宮殿

細部にわたり手が行き届いたお屋敷で中が喫茶店。

錬鉄細工
筆者撮影、メディナシドニア宮殿

錬鉄細工が素敵でした。

メディナシドニア宮殿
筆者撮影、メディナシドニア宮殿

17時頃そろそろ浜辺に向かって出発。知らない街を歩くのは楽しい。この辺りはアンダルシアン種の馬が有名でこの建物は馬の飼育場みたいだった。馬に走る速さだけでなく美しさを求めて品種改良を繰り返し創られたのがアンダルシアン種の馬。

サンルーカルの街並み
筆者撮影

ここはプラタ通りという名前。プラタ(銀)通りは南米からもたらされた銀を扱った商人が住んだに違いない。サンルーカルは大航海時代に多くの船が出港している。ここからグアダルキビール川をさかのぼってセビージャへ戻って行った。セビージャにはピミエンタ(胡椒)通りがある。胡椒は当時貴重品で胡椒富豪が登場した。

サンルーカルの街
筆者撮影

銀通りの横にはたばこ屋。タバコも南米からコロンブスが持って帰って来た。

サンルーカルの街並み
筆者撮影

さあビーチへ行こう。まだ太陽はてっぺんだし、パラソルは無いし日陰なんてありそうにない。

サンルーカルのビーチ
筆者撮影

いつもの事だけれど、ちゃんと調べて来ていないので大体の想像だけで動く私たち。17時30頃にビーチに来たらまだみんな楽しそうに泳いでた。

サンルーカルのビーチ
筆者撮影

多分ここを馬が走るところにビニールの柵、ここから見るんだね。準備のいい人はパラソルとか椅子とか冷蔵庫とか持ってとっくに場所取りしているけど隙間は有るのでどこでも見れそう。歩いていたらテレビカメラを持った人が立っている所が丁度カーブになっている。絶対ここが写真撮るのにいいに違いない、ここに決めた。

サンルーカルのビーチ競馬
筆者撮影、サンルーカルビーチ競馬

周りの人に聞いてだんだんわかって来たのは今日は8回のレース。まずは次のレースで走る馬が左から右へ移動を始めた。これで馬の調子やジョッキーの感じを見て子供達がやっている小屋で馬券を買う。

サンルーカルのビーチ競馬
筆者撮影

レースは約30分毎。馬は本物のサラブレッド。

サンルーカルのビーチ競馬
筆者撮影、サンルーカルのビーチ競馬
サンルーカル、ビーチ競馬
筆者撮影、サンルーカルビーチ競馬

私も馬券を買ってみる事に。一口50セント。当たったら3倍の配当のようだ。馬券売り場は手作り風の小屋で子供たちが営業。

サンルーカルのビーチ競馬
筆者撮影

馬券を買うとおまけが着いてきた。子供たちの手作りの可愛いものがいっぱいおいてあって「好きなの選んでね~」

サンルーカル、馬券
筆者撮影

隣のセニョールは地元の人みたいで小さな息子と一緒に馬の事をあーだこーだ言いながら見ている。こうやって育って行くんだね。

ビーチ競馬
筆者撮影、サンルーカルビーチ競馬

 

馬券売り場は何か所もあってそれぞれ手作り感たっぷり。

サンルーカルビーチ競馬
筆者撮影

最後のレースだけゴール地点で見る事に。21時になったのでもうほとんど太陽は水平線。8月の干潮になるこの時期のこの時間に終わるように設定されているようだ。

サンルーカルビーチ競馬
筆者撮影

ゴールの所は正面から馬の写真が撮れるかと思ったがそうでもなく障害物が多すぎ。写真撮りたい人はやはり真ん中あたりのカーブがおすすめです。

サンルーカルビーチ競馬
筆者撮影

ひとつだけゴール地点にいて良かったのは終わった馬が夕日を背にパドックに戻って行くのが見れた。どれもとっても美しい馬で間近に見れたのは興奮した。

サンルーカルビーチ競馬
筆者撮影

「さあ道が混む前に帰ろう」と歩いていたら幸運にもタクシーが通った。キャンプ場横のバルに直行して夕食。21時45分頃まだ誰も来ていない。この辺りはマドリードより更に夕食が遅い。

ビーチのバル
筆者撮影

懲りずにトルティータ・デ・カマロン。ここは一個1ユーロ。

サンルーカルビーチ
筆者撮影

アボガドのサラダとマグロの煮物を頼んだ

サンルーカル、夕食
筆者撮影

ランチ20€

お水2€

タクシー11€

夕食15€

3日目:8月23日サンルーカル~サンビセンテ岬427キロ

おはようサンルーカル。朝食はキャンピングカーで済ませ、隣の声が大きいセニョーラが起きる前に出発しよう。支払いに行った夫がイチジクを貰ってきたというか許可を取って自分で木からもぎ取って来たらしい。甘くておいしい~

サンルーカルのイチジク
筆者撮影

今からどこに行くかまだ決まっていないけど「サンルーカルの河口が見たい」と私。グアダルキビール河が大西洋に流れるところで大航海時代の船が行き交った場所だ。

サンルーカルの河口
筆者撮影

馬で朝のお散歩中の人とすれ違った。セニョリート風の優雅なオーラのある人達だった。この辺の馬主さんたちかも・・・。ここからドニャーナに行く船が出るみたいだ。ドニャーナは国立公園で世界遺産にも指定されている自然保護区。

サンルーカルの塩通り
筆者撮影

サンルーカルのサル(塩)通り。昔はここで塩を取ったのか塩問屋が住んでいたのか。海岸沿いにバルがたくさん並んでいて夜は賑やかに違いない。海にたたずむセニョールはこの辺の親分みたいな風格だった。

サンルーカルの河口
筆者撮影、サンルーカルの河口

小さな教会は入れなかったけど中をのぞくと船を守る綺麗な聖母像。船乗りたちがここで旅の安全をお祈りして出港していったのかも、と思った。

支倉常長一行は帰り道に随分ここで滞在したようだ。その頃にこの教会があったかは不明。

サンルーカル河口の教会
筆者撮影、サンルーカルの教会

「暑いのがもう嫌だ」と夫がいうのでポルトガルのサンビセンテ岬は涼しいに違いない、と突然予定外の隣の国へ行くことにした。私たちには計画というものが無い、よく言えば自由だ。

サンルーカルからポルトガルへ道路
筆者撮影、サンルーカルからポルトガルへ

その前にパロス・デラ・フロンテーラでコロンブスが滞在したラ・ラビダ修道院に寄って行こう。前回来たときに入れなかったのを後悔していた。

サンルーカルからポルトガルの街道
筆者撮影

だめだ~サンルーカルでのんびりしすぎた。このまま行っても修道院はお昼休みなのでポルトガルに直行することに又しても予定変更。ガソリンはスペイン側の方が安いので入れていく。

国境はもちろん無い、注意はポルトガル以外の車は国境を越えたところでクレジットカードの登録が必要。有料道路を通ると自動的に引き落とされる仕組み。この手続きをしておかないと警察に捕まると罰金らしい。前回は要領が解らず時間がかかったけど今日は係りの人がやってくれて簡単だった。夏のピークだからなのかも・・・ポルトガル到着~

ポルトガルへ
筆者撮影ポルトガルへ

サグレス岬はエンリケ航海王子が航海学校を作ったと言われているところ。写真の白い建物だけれど実際航海学校を風と海流の強いここに作ったわけは無く、学者を集めて地理や海流やコンパスの使い方や風の向きなどを研究したところだった。

サグレス岬
筆者撮影、サグレス岬

凄い景色だけどカメラには収まりきれません。

ビセンテ岬
筆者撮影

直ぐ近くのサンビセンテ岬へ移動。今日はここでランチにします。サラダを作って買って来たホットドッグとで簡単に。

サグレス岬でランチ
筆者撮影、サグレス岬

イギリス人がやっているドイツの白ソーセージのホットドッグ。サグレス岬の証明書付で一個3.5€

ランチにホットドッグ
筆者撮影

サンルーカルがあんなに暑かったのは夢だったか、ここは風が強くて寒い。下北半島みたいな強い風が吹く。

サンビセンテ岬
筆者撮影、サンビセンテ岬

キャンピングカーがどんどんやって来てあっという間に駐車場はいっぱいになった。ポーランドから来ているキャンピングカーが有った。遠いなあ。

ビセンテ岬
筆者撮影、ビセンテ岬、ポルトガル

サンビセンテ岬からの夕陽は綺麗だった。海に沈んでいく太陽に何かを感じない人はいないだろう。

サンビセンテ岬からの夕日
筆者撮影、サンビセンテの夕日

夕食はキャンピングカーでカップ焼きそば。ロマンチックな夕陽とのギャップが凄い。

 

移動距離427キロ

キャンプ場2日 24€

ガソリン 60€

ホットドッグ 7€

4日目:8月24日サンビセンテからマサゴン460キロ

アルガルベ地方は以前に既にゆっくり回っていてファロやアルブフェイラはもう行ったので何処に行こう?調べていたらビーチ沿いに岩礁の凄い景色があるみたい。ここに行きたい~

アルガルベの景色
筆者撮影、アルガルベ、ポンタデピエダデ

何か所か見れる場所が有るがポンタ・デ・ピエダードという灯台に行ってみる事にした。どこでも無料で駐車できるのは有り難い。人を使ったり管理する方がお金がかかるという事か?

凄いッ不思議なな寄峰奇岩の景色が続く。

ポンタデピエダード景色
筆者撮影、ポンタデピエダード

安全の為に遊歩道が作られているけれどここからだと絶景は見えない。

ポンタデピエダード
筆者撮影

どこにでも同じような事を考える人がいる様で誰かが壊していった隙間から崖っぷちに行ってみよう。

ポンタデピエダード
筆者撮影、ポンタデピエダド

岩の上を歩けるようになっていて時々危険なところもあるけれどこれは凄い景色。

奇峰奇岩
筆者撮影

海岸から船で廻れるみたいで沢山小さな船が出ていた。私たちは一時間くらい上から歩いて景色を堪能。

ポンタデピエダード景色
筆者撮影、ポンタデピエダデ

ほぼ帰り道に夫が「サングラスがない~」ちょっと戻って来ると言って探しに行ってちゃんと見つけて来たのには感心した。いつも私が落としたものを必ず見つけて帰って来る。これは才能、能力。

ポンタデピエダード景色
筆者撮影

随分景色を堪能した。「船はもう乗らなくていいねえ~」どこかでランチしましょ。ポルティマオという町が近いのでそこに移動。南ポルトガルらしい綺麗な街だった。

ポルティマオの街
筆者撮影、ポルティマオ

昔は漁村だったと思うけど今はヨットハーバーがあるリゾート地

ポルティマオの街
筆者撮影、ポルティマオ

中心部のレストランで私はイカの炭火焼き、夫はスズキのグリル

ポルティマオ、イカ焼き
筆者撮影、ポルティマオ

この後結局スペインに戻ることに。ポルトガルは小さいのだ、少し走ればすぐ国境。あ、ラ・ラビダ修道院に閉まる前に着けそうだからパロス・デラ・フロンテーラへ行こう。「間に合った~」ここはコロンブスが国境を越えてスペインに入ったときに滞在している。ポルトガル王から西回り航海の援助を断られ失意の中息子のディエゴとここで滞在した。今日私たちが通った街道あたりを通ったに違いない。

ラ・ラビダ修道院
筆者撮影、ラ・ラビダ修道院

ここの修道院長がコロンブスの夢のような話に耳を傾けイサベル女王に紹介してくれた。バジャドリのシマンカスにあるコロンブス関連の書類のコピーなどが展示されている。コロンブスのイサベル女王あての手紙や日記、新大陸航海の様々な文物が展示されている。

コロンブス関係書類
筆者撮影、シマンカス文書館のコロンブス関係の書類のコピー

イサベル女王が発行したコロンブスのパスポートのコピー。

コロンブスのパスポート
筆者撮影、イサベル女王発行のコロンブスのパスポートコピー

ピンソン兄弟もここでコロンブスと話したはずだ。ピンソン兄弟はパロス・デラ・フロンテーラの船主一家でピンソン兄弟の協力なしにはコロンブスの最初の航海の出発はあり得なかった。この町ではコロンブスよりピンソンの方が人気だ。

ララビダ修道院内部
筆者撮影、ラ・ラビダ修道院

近くの港にコロンブスが第一回目に使った3隻の船の実物大の模型がある。外からパチリ。

サンタマリア号模型
筆者撮影、サンタマリア号

今日も海の近くに泊まりたい、今日はこの近くで泊まるところを探そう。

マサゴンの標識
筆者撮影

 

「そうそう、マサゴンという面白い名前の町があって~」そのへんで泊まるところ探してみましょう。と行ってみたら以前に泊まったところだった。記憶から完全に抜けていた。ここも無料の駐車場があった事を思い出す。

ビーチで宿泊
筆者撮影、

既に沢山キャンピングカーで家族連れが来ていた。夏のシーズンだからねえ。

夕食は横に有るチリンギート(屋台のバル)で海を眺めながら。

マサゴンの夕陽
筆者撮影

ワインとイワシとトルティータ・デ・カマロンで夕食

夕食のイワシ
筆者撮影

野菜不足なのでトマトサラダを追加。滅茶苦茶美味しいトマトでした。

夕食のトマト
筆者撮影

ワインは今日はボトルでたのんだのでほろ酔い気分でおやすみなさ~い。

マサゴンの夜
筆者撮影

移動距離:460キロ

ポルティマオ駐車2.6€

ポルティマオランチ23.5€

ララビダ修道院7€

駐車場チップ1€

マサゴン夕食 22€

5日目:8月25日マサゴンからグアダルーペ440キロ

おはよう大西洋、今日は海とお別れして内陸に向かいます。

マサゴンの朝日
筆者撮影

アンダルシアは隅々まで広大な畑で水田や果物畑が続く

マサゴンの畑
筆者撮影

この辺りでガソリンを入れていこう値段が安い。

マサゴンのガソリンスタンド
筆者撮影

 

セビージャ方面の高速道路へ乗りエストレマドゥーラを北上する。メリダは古代ローマの遺跡が綺麗に残る世界遺産。イタリア半島以外では一番多く完璧に遺跡が残る。今日はここは通過して先に進みます。

 

カディスからの高速道路
筆者撮影

メデジンは征服者コルテスの出身地。コルテスは今のメキシコ、アステカを滅ぼした。ここのローマの遺跡を見ていこう。

メデジン
筆者撮影

丘の上に大きな要塞が有り街には様々な時代の教会や遺跡が残る。要塞はアラブ風だ。

メデジンの遺跡
筆者撮影

中世の教会の中がオフィスになっていてローマの遺跡が展示されていた。ここに入らなければ無料で要塞に登っていける。

メデジンのローマ遺跡
筆者撮影

ローマの悲劇や喜劇に使った面

メデジンの遺跡の面
筆者撮影

ローマの劇場は2003年頃に綺麗に修復したと内部のビデオで説明が有った。

メデジンのローマ遺跡
筆者撮影、メデジンの遺跡

小さな遺跡なので観光は直ぐに終了、上の要塞は暑いので省略。

スペインは多様だ、景色はどんどん移り変わり畑が樫の木林になった。この辺りはイベリコ豚の放牧地で有名なハブーゴ村も近い。黒豚いないかな?

この道路は銀の道と並行して走っているので銀の道高速道路。ローマ時代に北スペインから銀や鉱物等をセビージャまで運び船に積んでローマ迄運ぶために作ったた銀の道ビア・デラ・プラータ。

銀の道高速道路
筆者撮影

最後は山道をグアダルーペに向かって登って行く。グアダルーペは標高640メートルにある聖地。16世紀に日本からの少年使節も宿泊している。

グアダルーペへ
筆者撮影
グアダルーペの標識
筆者撮影

グアダルーペについたら大変な人だかりでどうやらお祭りらしい。石の広場に砂が敷かれていてところどころに鉄の柵が有るのは闘牛か牛追いが有るに違いない。

グアダルーペ
筆者撮影

今日はパラドールに泊まろうと決めていたので何とか街に入ったけどパラドールの駐車場は天井が低くて無理、パラドールの人に教えてもらったところへ行こうとすると前にも後ろにも進めなくなり周りの人が集まって来た。10秒ほどでグアルディア・シビル(スペイン国家治安警察隊)がやって来たのは誰かが電話してくれたのかも。

救出され安全に車を止められるところに誘導してくれてた。グアルディア・シビルさんいつも悪口言っていてごめんなさい。とっても親切で笑顔で感じ良かったです。

パラドールにチェックインを済ませてお昼ご飯は街で食べよう。

グアダルーペのパラドール
筆者撮影

街はとっても小さい。

グアダルーペの街
筆者撮影

適当に街を歩きまわってあとは夫の野生の勘で決めるのが我が家風。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

入り口にフランシスコ・カノというバイオリニストが住んでいたとセラミックが貼ってある。ここが良い、ここにしよう、知らない音楽家だけどね。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

 

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

入り口のバルは小さいけれども中は奥まで広く家族連れが沢山食事中だった。レストランは地元の人が多い店が間違いない。

アミューズにモルシージャ(豚の血入りソーセージ)とパテ。どちらも美味しい。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

前菜は焼きピーマンのサラダをシェアーで

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

私はイベリコのセクレトの炭焼き。セクレトは秘密という意味で豚の脇腹のあたりを言うらしい。イベリコ豚の中で一番おいしいと言われている部分。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

夫はアスパラとエビの卵あえ。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

デザートはチーズケーキをひとつだけ。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

食後酒はレストランのおごり。リンゴが入ったリキュール。

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

合計34.80€

グアダルーペのレストラン
筆者撮影

食後は少しお部屋で休憩します。私のラッキーナンバー13号室。

グアダルーペ、パラドール
筆者撮影

部屋の入り口の横にはスルバランの絵の模写。グアダルーペに来たひとつの理由は修道院にあるスルバランが見たかった。部屋に帰るたびにこの絵が見れたのは嬉しかった。

グアダルーペ、パラドール
筆者撮影

夜の闘牛祭りは18時30分と言われた。いろんな人に念のため確認したらみんな18時30分と言ったが始まったのは19時頃だった。

ゴヤの版画集に出てくるみたいな村の闘牛祭り。

グアダルーペの村の闘牛
筆者撮影

子供連れも一緒にやんややんやと騒いで牛をはやし立て襲ってきたら必死に逃げる。

グアダルーペの闘牛祭り
筆者撮影

牛のさばきがうまい人が何人かいてびっくりした。

グアダルーペの村祭り
筆者撮影

暑い中何頭か見て疲れたので途中でホテルに戻った。テラスでビールとおつまみで簡単な夕食。

グアダルーペのパラドールの部屋
筆者撮影

部屋のテラスからお庭とメイン・ダイニングが見える。優雅にお食事をする人達のナイフが食器にあたる音と噴水の音が響いていて優雅。

グアダルーペのパラドール
筆者撮影

21時頃ギターのコンサートが始まった。ルイス・マヌエル・モレーノというエストレマドゥーラでは有名なギタリスタだそう。さっきの喧騒とは別世界、月がほぼ満月でとっても素敵な夜でした。あ、夫は先に寝てしまいましたが・・・トホホ

グアダルーペのパラドール
筆者撮影

ガソリン代108€

メデジン入場料7€

ランチ35€

夜のビール3€

8月26日:グアダルーペからマドリード258キロ

朝食は街のバルでコーヒーを飲もうと出かけたが日曜日の朝、どこも開いていない。無理か「帰ろう・・・」と思ったら一軒だけ人でごった返しているバルが有った。

グアダルーペ
筆者撮影

ここに入ろう。チュロスが人気らしくみんな大量に買って持って帰るみたい。私たちもチュロスを。これってポラスのサイズだけど?って聞くと「チュロスはぐるぐる巻いていいるのを言うのよ」と返事が「ごもっとも」コーヒーも美味しかった。コーヒー2つとチュロス3つで3€

グアダルーペの朝食バル
筆者撮影

帰り道に修道院に付随するオスペデリアを見に行った。今も修道士が生活している修道院の一部がホテルになっていて今回パラドールとどちらにしようか悩んだ。2つ星でショボいと哀しいからやめたけど遜色なしで次回はこちらに泊まってみよう。値段もうんと安い。

 

グアダルーペ、オスペデリア
筆者撮影

オスペデリアの中庭、今も10人ほどのフランシスコ会の修道士が生活しているという。

グアダルーペのオスペデリア
筆者撮影

建物の回廊も修道院らしい。レセプシオンのセニョールが親切に色々見せてくれた。また泊まりに来ます、有難う。

グアダルーペのオスペデリア
筆者撮影

いよいよグアダルーペの修道院へ。10時からと聞いたので少し早めに切符売り場へ。「入場は人数がある程度集まってからになりますので10時30分に入口へ。」と言われた、結局10時30分からなのね。その間に教会へ。

グアダルーペ教会
筆者撮影

グアダルーペの黒いマリア像。すべてのイスパニックの守護聖母。修道院の観光の最後にカマリンに入ると、このマリア像がくるりと回るようになっていてすぐ近くで拝むことが出来る。

グアダルーペ黒いマリア様
筆者撮影

一人の牛飼いが迷子になった牛を探していると聖母が現れここを掘るように街の司祭に告げる様に、そして司祭がやって来てここを掘ると聖母像が発見された。その場所に小さな聖堂を作り時代と共に発展したのがグアダルーペの始まり。アルフォンソ11世はグアダルーペのマリアに加護を求めた後にサラードの戦いでイスラム教徒との戦いに勝った。それ以来スペインのレコンキスタの中心になった聖母像。

グアダルーペの教会
筆者撮影

コロンブスが最初の航海から戻った後神のご加護に感謝するためにグアダルーペに巡礼に来ている。南米の先住民たちが教会前で洗礼を受けていたところでもある。教会の中に洗礼を受けるインディオの絵、心がチクリと痛んだ。

グアダルーペ修道院
筆者撮影

内部はこの中庭以外写真撮影禁止。大体40人くらいのグループでスペイン語の説明を聞きながら観光。お目当てのスルバランの絵は最後の方の礼拝堂だったがそれ以外にも素晴らしい絵画や彫刻作品が有った。

グアダルーペ
筆者撮影

毎年9月8日がグアダルーペの聖母の日でプロセシオン(山車)が出るという。修道院の観光は1時間少し、ホテルのチェックアウト12時ぎりぎりになった。急いでパラドールに戻り荷物をまとめてチェックアウト。

グアダルーペのパラドール
筆者撮影

レセプシオンの人が「昨日は本当にごめんなさい」「ってなにがあったかしら?」どうやら昨日到着時に車を止められずにグアルディアシビルに救助された件らしい。「大丈夫、そんなこともありますよね~ッもう忘れてたし」。というか謝られたことにびっくりした。

さあ車に戻ろう。狭い坂道の段差があるところに止めたので大丈夫かな。

グアダルーペ
筆者撮影

こんな状態で車は無事でした。

さあ帰りましょう。帰り道の街道の途中に展望台があった。巡礼者がここからグアダルーペを見て歓喜したところらしい。

グアダルーペ
筆者撮影

小さな街に大きな修道院。街より修道院の方がうんと大きい。

グアダルーペ
筆者撮影

横に小さな礼拝堂。グアダルーペへの巡礼者たちがここまで来た感謝の祈りをささげたところ。

グアダルーペ
筆者撮影

この辺りはコルク樫の林。ドングリが出来る樫の木だが皮がコルクになるので剥がされた後が木の下の部分で赤茶色になっている。約9年位でまた皮が厚くなる。ワインのふたや住宅の暖房材などに使う。

グアダルーペ近郊のクルミ樫
筆者撮影

マドリードに向かう道に出た。今回は予定より一日早く家に帰る。旅は無事に帰れば成功です。

マドリードに向かう高速
筆者撮影

走行距離:258キロ

コーヒー3€

ホテル130€

修道院10€

 

合計走行距離2065キロメートル

使ったお金合計542€

最後に

サンルーカルのビーチ競馬は長年の夢だったので本当に行けて良かった。ただ一つ残念なのは写真を撮ることに夢中になって競馬を楽しめなかったし馬をゆっくり見ていない。競馬をずっとカメラのレンズ越しで見ていた事かな。また行きたいと言ったら夫は卒倒するかもです。18時から21時まで炎天下で全部のレースを見ましたが20時頃少し太陽が傾いてから見に行っても良いかもしれない。ピサロやコルテスやコロンブスは予定外だったけど丁度ペルーに行った後だったので頭の中で色々繋がった旅でした。

 

 

夏のピレネー登山コラ・デ・カバジョからモンテ・ペルディードとウエスカの村々2018年7月

5月に続いて今年2回目のウエスカのピレネー・アラゴネス(アラゴン側ピレネー)へ行って来た。目的はオルデッサのゴーリツ小屋の横でキャンプとモンテ・ペルディード(フランス語でモンペルデュー)の登山、ウエスカのピレネー界隈の村を見る事、その旅の記録。ピレネー山脈の魅力はあまり人の手が入っていない野性味。登山電車やケーブルカーが無く素朴で野性的な自然が残り世界中から山を愛する登山家たちがやってくる聖地です。

7月16日:1日目マドリードから登山起点のトルラ・オルデッサまで486キロ

朝からお弁当作って10時15分出発。そろそろ渋滞もない時間、マドリードからサラゴサ街道へ。

マドリード出発
筆者撮影

お天気予報を一週間前から見ていたけどピレネーは毎日雨、気温は5度から17度。雨だったら他に行く?山はやめる?とか言いながらの出発だった。そしてやっぱり曇って来た。

サラゴサ街道182キロメートル地点、ここでガソリン満タンにします。何故か他よりリッター5セントは安い。

高速道路のガソリンスタンド
筆者撮影

知られていないけどスペインは山岳国。マドリードからどっちに走っても山を越えていくことになる。ウエスカ近くの工事が終わればもうピレネーも少し近くなるね。

途中の街道
筆者撮影

15時15分ブロト(Broto)に到着。486キロを5時間、全部国道、有料道路無しだから有り難い。ブロトの川沿いの広場でお弁当を食べて休憩。雨の予報はどこいったか晴天だ。

<ブロトBrotoにある川の横の広場>

ブロト
筆者撮影

少し休憩したら明日のバスの切符を買いにトルラ(Torla)に行こう。夏のハイシーズンだから明日並ぶかもしれないしね。とトルラ(Torla)へ移動して明日の登山の起点になるプラデラまでの切符を買う。

<トルラ・オルデッサTorla Ordesaの山と教会>

トルラ
筆者撮影

切符は往復で4.5€

*トルラ・オルデッサから登山口のプラデラまで。このバスは7月と8月のみ。

<トルラからプラデラ行きのバスの切符>

切符
筆者撮影

 

今日はトルラ・オルデッサの駐車場に止めて寝る事に。夜はトルラの街で夕食。可愛いパティオが有るバルに入る。

トルラのバル
筆者撮影

 

キノコ入りのロンガニーサはひとつ1ユーロ。手作りらしく美味しかった。

トルラのバルでロンガニーサ
筆者撮影

山の中の村だけどイカ・フライが有ったので一皿

トルラのバルでイカのフライ
筆者撮影

ビールとワイン2杯づつで合計17€。安ッ。スイスに比べて飲食が安いのもスペイン・ピレネーの魅力。

ガソリン代 69.37€

バス代8€

夕食代17€

宿泊費なし

7月17日:2日目トルラからコラ・デ・カバージョ経由ゴーリツまで登山

朝は早く目が覚めた。世界遺産のオルデッサ国立公園にあるモンテ・ペルディード(3、355m)の山を目指します。途中のゴーリツでモンテ・ペルディードの行きと帰りにテントで寝る予定。5時に起きて荷物の準備、始発のバスに並んでいる人が既にいてみんなの本気度がわかった。慌てて準備して6時半に並んで7時のバスに乗ろう。

切符売り場は5時45分から開いている。暗いうちから登山客は動き始めていた。

<早朝のトルラ・オルデッサのバスの切符売り場>

トルラ
筆者撮影

*バスは7月と8月のみ運行。それ以外の時期は自分の車でプラデラまで移動できる。車が無い場合は村のタクシー利用になる。

<6時30分には7時のバスに乗る人の列>

トルラのバス乗り場
筆者撮影

大きな荷物は持って乗れないので各自でバスの荷物入れに積み込む。

トルラのバス乗り場
筆者撮影

バスから時々動物が見えるので窓から目を凝らす。約20分でプラデラ到着。

最初は林の中を歩いて行く。登りも緩やかで気持ちのいいハイキング。大きなロープを持った人に合うのは岩登りらしい。いくらでも岩登り出来るところがある。

オルデッサ公園
筆者撮影

暫くはブナ林の中、気持ちのいい軽い登りの山道を気分のいいキングコースを行く

オルデッサハイキング
筆者撮影

<ソアソの滝  Cascada de Soaso>

水の音が近づいてきて爽快な気分になる。ソアソの滝のあたりは石段を登って行くが滝を見たり水辺に行ったり楽しみながらマイペースで。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

プラデラ・デ・ソアソ。滝が終わり広々した野原、ここまでくるとコラ・デ・カバジョはもうすぐ。私たちはここでお弁当。昨日の残りのお弁当とカレーとパンとチーズ。

<プラデラ・デ・ソアソPradera de Soaso>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

コラ・デ・カバージョは馬のしっぽという意味の滝。ここまで来て戻るハイキングコースが一般的。プラデラの登山口から往復16キロで、朝出れば夕方には戻れる危険の少ないハイキングコースだ。今日の私たちはこの滝の上に登って行く。

<コラ・デ・カバージョの滝Cola de caballo>

コラ・デ・カバージョ
筆者撮影

滝に向かって右の方からこの岩を登って行くと鎖場です。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

落ちたら命は無いかも・・・というところが続く。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

買ったばかりのiPhone「落としたらどうしようッ」と思いながらカメラとiPhoneの2つ持ちで撮影を続けるも、その後夫に取り上げられました。「危ない!」確かに。

オルデッサのハイキング
筆者撮影
オルデッサのハイキング
筆者撮影

次第に空気も薄くなりスピードが落ちて後から来た人に抜かれていった。コラ・デ・カバージョから登る事2時間半でついにゴーリツ小屋が見えて来た。到着13時。朝7時半から歩きはじめ5時間半で登り口のプラデラからゴーリツ小屋。

<ゴーリツ小屋 Refugio Goriz>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

テントが張れるのは19時から朝8時までという規則らしい。夕食前にテントを張り今日はゴーリツ小屋で暖かいものを食べよう。座席に限りがあるので予約が必要でした。*山小屋に宿泊する場合は早めに予約しましょう。

ゴーリツ小屋の横にテント
筆者撮影

明日のお弁当の準備、アルファ米のおにぎりの賞味期限切れまくっていました。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

19時からゴーリツ小屋の夕食は前菜ガルバンソ。

ゴーリツ小屋の夕食
筆者撮影

チキンのロースト

ゴーリツ小屋の夕食
筆者撮影

とチョコレートムースでした。

夕食代17.5Ⅹ2=35€

ロッカー代 3€(明日テントは置いて行く為)

ロッカー代節約してロッカー周りに山の様に荷物が放置されていた。誰も取らないのでいいけど。

夜中に見た星空はとっても綺麗で天の川がはっきり見えた一生忘れない星空だった。

7月18日:3日目ゴーリツ小屋からモンテ・ペルディードを目指すが雪で断念してブロトに戻る。

朝冷たいコーヒー(水で溶いたインスタント)を飲んで8時出発。そしてひたすら山を登って行く。

<ゴーリツ小屋から更に登って行くと岩場>

モンテペルディードへ
筆者撮影

振り返ると氷河に削られた谷が綺麗に見える。標高が高くなると高山植物が小さくなってきた。

<ピレネー登山は高山植物も楽しみのひとつ>

ピレネーの高山植物
筆者撮影

そしてまた岩登りが続く。これってハイキングとは絶対呼ばない、ゼーゼー言いながら登って行きます。

<モンテ・ペルディードはもっと右の方、霧で見えない>

モンテペルディードへ
筆者撮影

だんだん雪が増えて来た。ゴーリツ小屋で既に聞いていたので想像はしていたけどピッケルもアイゼンも無くストックさえ2人で1個な私たち。

モンテペルディードへ
筆者撮影

無理、11時頃にモンテペルディードが見えるけど霧も沢山出て来たのでここで帰ります宣言。夫はまだ行きたそうだったけどね。

雪渓を降りてきた人に上の様子を聞いた。彼らも途中であきらめて降りて来たらしい。今年は雪が多い。マドリードの近くのセルセディージャの人達だった。

モンテペルディードへ
筆者撮影

 

お弁当を食べてあとはひたすら降りていくが、下りがつらいのだ。石がゴロゴロで弱り切った足に気を抜くとズルッと滑るので気が抜けない。辛い中時々遠くを見ると氷河が削った谷が綺麗に見える。

<オルデッサ渓谷とソアソ谷>

モンテペルディードへ
筆者撮影

帰りは鎖場じゃない方から降りると遠くにコラ・デ・カバージョの滝が見えた。その上にはモンテペルディード。あの雪のあたりから降りて来たんだ~。

<コラ・デ・カバージョの滝とピレネーの山々>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

その横に岩場の鎖の所をさっきの人達が降りていくのが見える。昨日あんなところ登ったんだとびっくり。

<コラ・デ・カバージョの滝の上の岩場、鎖場の所>

ピレネーオルデッサの岩場
筆者撮影

高山植物が沢山咲いているが疲れ切っていて余裕なし。悔しいのは野生のエーデルワイスが群生していて力を振り絞って近づいて写真を取ったけど、ピンボケでした。

<エーデルワイスの群生、力尽きていてピンボケ>

野生のエーデルワイス
筆者撮影

 

17時30分にプラデロに到着。20キロ以上8時間半登って下った。あ、バスが見えた~生きて帰れてよかった。

 

モンテペルディードへ
筆者撮影

トルラからブロトに戻って今日はホテルに泊まろう。友達アントニオ氏のホテルに行って部屋が空いていたら泊まることに。夜は近くのピザ屋で夕食。疲れ果てホテルも夕食も写真撮るのを忘れるが登山からの生還のお祝い。

夕食 ブロト 22.70€

宿泊費なし(アントニオが払ってくれた)

7月19日:ブロトからネリン、テージャのドルメン、レビージャの山の中で宿泊

朝の気温13度。9時に出発して今日はどこへ向かう。夫の大好きな登りのカーブの山道を進んでいく。

アラゴンの山の中
筆者撮影

ウエスカの山の中には小さな村が沢山あって夏は登山客や避暑の人達でにぎわっているが冬は雪に閉ざされる。山に囲まれた景色はペルーの聖なる谷のようだ。

ピレネーの村
筆者撮影

ネリンのロマネスク教会。パロキア(教区教会)と書いてあったので使っているみたい。向こうにピレネー山脈が見える。

ネリンのロマネスク教会
筆者撮影

 

ウエスカはどこの村も煙突が可愛い。思わずパチリ。

ピレネーの村
筆者撮影

ネリンからバスが出ていて1時間程バス移動しそこからゴーリツ小屋まで歩く登山コースも有るらしい。こんな大きなバスが行くんだとびっくり。

ピレネーの村
筆者撮影

片側一車線、横は崖の中央線のない山道をどんどん進んでいく。ヒエッ~

ピレネーの村
筆者撮影

向こうに昨日登っていたピレネーの山が見える。

<モンテ・ペルディードが向こうに見える>

ピレネーの村
筆者撮影

ビオ(VIO)の村、途中羊の大群を連れたおじさんとピレネー犬。

ピレネーの村
筆者撮影

「何頭ですか~?」と聞くと「500頭かなあ。」と返事が返って来た。ピレネー犬はまだ3歳。もっと大きくなって100キロくらいになるそう。「ビオにはどのくらいの家族が住んでるの?」「年中いるのは2家族かな」

ビオで羊飼いとピレネー犬
筆者撮影

「ピレネー犬はおとなしくて頭が良い。」「この子は未だ3歳だけどね。まだもっと大きくなって100キロ位になるかな。」という事でした。

ビオで羊飼いとピレネー犬
筆者撮影

おじさんと別れて山の中に入って行く。こんな道ばっかり。

アラゴン、ウエスカの道路
筆者撮影

山の中に紀元前2500年のドルメンが残る。これはおそらく埋葬に使ったもので内部から副葬品が出て来ているらしい。

<テージャのドルメン Dolmen de Tella>

テージャのドルメン
筆者撮影

 

今日の宿泊はこの近くのレビージャ(REVILLA)の村の横。

ピレネーの村
筆者撮影

ランチはサラダとカップ焼きそば

夕食
筆者撮影

この谷には猛禽類で有名らしい。ケブランタ・ウエソ(髭鷲)は動物の骨を空から落として割って骨髄を食べる翼を広げると3メートル近くにもなる大きな鳥。谷を大きな鳥が旋回しているのを見るのは独特の感覚を呼びさます。

レビージャの山の中
筆者撮影

 

夜は缶詰とパンとサラダとこの景色。

ピレネーの聖なる谷の景色は時間と共に色が変化していき私の持つボキャブラリーでは表現できないくらい美しい夜は更けていった。お休みピレネー

ピレネーの村
筆者撮影

移動距離 71キロ

使ったお金、なし

 

7月20日:ミラベルの谷からアインサ、湖の横で宿泊

今日も快晴。いつぞやの天気予報はすべてはずれ。

ピレネーの村
筆者撮影

下って行くと分かれ道があってガタガタ道だけどすれ違う車が入って行ったので付いて行った。

レビージャから分かれ道
筆者撮影

広場に沢山車が止まっていて沢下りや岩登りの人達がいた。私は今日はもう歩かない日と決めたので川のそばでのんびり、夫は山に登って行って綺麗な滝が有ったと言っていた。

ピレネーのふもと
筆者撮影

 

さあ前に進もう。アインサAinsaは随分昔に行ったけど記憶の彼方なので再訪することに。2つの河の合流地点の高台にあるアインサは元は小さな王国の首都だった。今も城壁に囲まれる小さな街。

<アインサAinsaの街並み>

アインサ
筆者撮影

街を散策して良い時間になったので食事場所を探す。知らないツーリスティックな街ではなるべく地元の人が入っている店を探すが鉄則。

<アインサAinsa>

アインサ
筆者撮影

私はロンガニーサとポテトと卵の一皿のプラトス・コンビナードス(ひとさら料理)

アインサ
筆者撮影

夫はメニュー・デル・ディア(今日の定食)でアスパラガスと子牛の頬肉

アインサの食事
筆者撮影

メニューにはワインと水がついて2人で25ユーロ

帰り道にこの地域のワイン、ソモンターノSomontanoの賞を取ったワインがオファーで3.9€、これは買いでしょ。

ソモンターノのワイン
筆者撮影

 

今日はどこで泊まるか放浪しているうちに湖の横で道が無くなった。こんなところでユーターン出来るのかドキドキしたが何とかぐるりと方向を替えここに今日は泊まろう。

湖
筆者撮影

ダム湖だけどエメラルドグリーン。

湖の横にキャンピングカーを止めた
筆者撮影

 

誰も絶対来ない湖の横

湖の横
筆者撮影

パンとトマトと缶詰の夕食。湖はエメラルドグリーン、真っ青な空はオレンジ色に変わって来た。カリブ海みたいな色の湖でした。

使ったお金

アインサ・ランチ25ユーロ

アインサ駐車料金1ユーロ

宿泊費 なし

7月21日:バルバストロとアルケサル、トーレシウダからブロト

今日も快晴。この近くに「オプス・デイ」の聖地が有るらしいから行ってみたいなあ。オプスの創始者、聖ホセ・マリア・エスクリバはバルバストロ出身らしい、じゃあまずはトマトで有名なバルバストロへ行ってみよう。

ウエスカの道路
筆者撮影

市が立つ日だったみたいで街の真ん中の広場で野菜くだもの市が開催中。

バルバストロの朝市
筆者撮影

バルバストロのトマテ・ロサ(ピンク・トマト)は巨大な甘いトマト。

バルバストロ朝市
筆者撮影

その市の行われていた広場に聖ホセ・マリア・エスクリバの生家が有った。

バルバストロの聖ホセマリア・エスクリバの生誕地
筆者撮影

バルバストロのインフォメーションで勧められたアルケサルへ向かう。計画なんて全然ないから行き当たりばったりだ。

アルバストロからアルケサル
筆者撮影

スペインで最も美しい街に選ばれた事が有るらしい。岩に張り付いた小さな街で川沿いの沢下りも有名らしい。

<アルケサルArquesal>

アルケサル
筆者撮影

川沿いに降りていくのは無料だけど安全の為に3€のヘルメットと保険に入ることを奨励していた。途中まで歩いてみたが誰もヘルメットなんてしていない。この国の人達はいつもこう。私たちは途中まで降りて戻って来た。

アルケサル
筆者撮影

アルケサル(Arquesal)の丘の上の教会にはロマネスクの回廊と彫刻が少し残っていた。

アルケサル
筆者撮影

ではオプス・デイの聖地へ向かおう。オプス・デイはダビンチ・コードでは怪しいセクタ扱いだがカトリックの組織のひとつ。スペイン人のホセ・マリア・エスクリバが創始者で彼は現在カトリック教会からサント(聖人)に聖別されている。そのオプスデイの聖地がトーレシウダにある。

<トーレシウダのサンクチュアリ>

トーレシウダ
筆者撮影

子供の頃のホセ・マリア・エスクリバが病気になったときこの黒いマリア様にお祈りして救われたという。今日もたくさんの巡礼グループが来ていた。ルルドやサラゴサ等を交えた聖母マリアの巡礼ルートが有るようだ。

トーレシウダの黒いマリア
筆者撮影

トーレシウダを後にしブロトへ戻ろう。途中で広場が有ったのでお昼にする。どこにでも無料で車を止めて休めるところがあるのはありがたい。

途中でランチ
筆者撮影

ちょっと暑いですがカップラーメンでランチにします。

休憩にカップラーメン
筆者撮影

そして切り開かれた山の中をドライブ。

ブロトへ移動の道路
筆者撮影

ブロトに着いた。ここで休憩、川が流れる広いスペースで普段は村のサッカーやイベントに使われているらしい。夏はキャンピングカーが何台も止まっている。

ブロトの広場
筆者撮影

夕食はレトルトのカレーと缶詰のイワシ、パンとチーズとワインです。

今日はここの広場で泊まります。キャンピングカーが沢山やって来たので登山家に有名な場所らしい。みんな明日モンテ・ペルディードに登るのかも。後でアントニオに聞いたら「キャンプは禁止になっているけど誰も気にしていない」らしい。「禁止するほど人が来るのはスペインでは普通」だって。そのとおり!

アインサで買った3.9€のワインは結構美味しかった。

ブロトの夜
筆者撮影

そして静かな夜は更けていった。

ブロトの広場
筆者撮影

使ったお金

果物代 13ユーロ

ワイン 3.9ユーロ

宿泊費 0ユーロ

7月22日:ブエサからブロト、アジェルベの廃村

今日も快晴。午後までのんびりまったりする予定がうちの夫はじっとしていられない性格でやっぱり移動する事に。近くのブエサ(Buesa)の村へ。

ブロト
筆者撮影

ここも小さな石の村で何家族も住んでいないと思う。

ブエラの村
筆者撮影
ブエラ
筆者撮影

村の中にサンチアゴの道の標識。

ブエラにあるサンチャゴの道の標識
筆者撮影

ブエサから山道が峠まで続いているらしく又してもジープしか行かないような道に入って行った。どのくらい走ったか道はどんどん狭く荒々しく、携帯の電波も圏外になり私が無口になったのを悟った夫は途中で引き返してくれたが、私がいなければ峠まできっと行っただろう・・・

山道
筆者撮影

ブロトに降りてピッツェリアでランチ。

ブロトのピッツェリア
筆者撮影

アントニオが迎えに来てくれるところまで車で行ってここに車を置いて行く。3日間放置して大丈夫かなあ・・・

ブロト
筆者撮影

17時30分、時間通りジープの音がした。アントニオは時間に正確だ。これはスペインでは凄い事。この可愛いジープに乗って20分でアジェルベに到着。アジェルベはアントニオが廃村を丸々購入して村を改装中の静寂な彼のサンクチュアリ。そこで2泊するらしい。

アントニオのジープ
筆者撮影

 

5月に来た時にはまだ無かったテラスが出来ていた。ワインと景色を楽しみながらのひと時。

アジェルベのテラス
筆者撮影

夏でも夜の山は急に寒くなって来た。暖炉に火を入れてしばらくここで話をして夜の暗い中アントニオは山道をジープで帰って行った。タフです。

アジェルベの廃村
筆者撮影

 

7月23日:アジェルベの廃村でのんびり過ごす

山の朝はさわやかだ。聞こえてくるのは鳥の声と遠くからの川の流れと風の音。

アジェルベの廃村
筆者撮影

アルフォンソとワンちゃん達はいつも一緒だ。アルフォンソはここで働く若者、都会が嫌いでここに流れ着いた。ワンちゃんがいっぴき増えていた。

アルフォンソと犬たち
筆者撮影

 

平日は毎日3人の工事の人達がやって来て村の改修工事。道路も瓦礫に埋もれていたのをアントニオが私費で開通させた。お昼は工事の人達と一緒に地元の野菜ボラハ(Borraja)とポテトの煮込み。ボラハ(Borraja)はスペイン北部で良く使う野菜、うちの夫が料理してくれた。

アジェルベの廃村で昼食
筆者撮影

夜はアントニオがバーベキュー用にチュレタ・デ・コルデロ(子羊のあばら肉)を持って来た。「チュレタ(あばら)ばっかりを注文すると高いんだよ」と言っていたが見事に全部あばら肉。

アジェルベの廃村でバーベキュー
筆者撮影

慣れた手つきで火を起こしてバーベキュー。

アジェルベの廃村
筆者撮影

夏の夜はなかなか更けず21時30分頃に少し暗くなってきた。