ホアキン・ソローリャ美術館は光の画家ソローヤがマドリードで暮らした家、小さな素敵な美術館です。

スペイン、バレンシア出身の画家ホアキン・ソローリャ(ホアキン・ソロージャ、ソローヤ)は「光の画家」と呼ばれスペイン印象派を代表する画家だ。ソローリャの人生で一番幸せな時期に家族で住んでいたマドリードの住居が「国立ソローリャの家美術館」として公開されている。個人の家と言うこともあり小さなセンスの良い美術館で入場料も3€で楽しめます。

ホアキン・ソローリャ美術館マドリード


ホアキン・ソローリャ美術館 Musoe Joaquin Sorolla

ソローリャ美術館はマドリードの上品な地区にある小さな美術館。ホアキン・ソローリャ(ソロージャ、ソローヤ)が家族と住んでいた家がそのまま美術館になっている。

ホアキン・ソローリャの家美術館は43歳でソローリャがマドリードに購入し家族で生活していた家で画家の一番幸せな時期に暮らした家。ホアキン・ソローリャ亡きあと婦人が家ごと提供して美術館になった。

ソローリャ美術館場所と行き方

マドリード北部チャンベリ地区

最寄メトロ:10号線Gregorio Marañónから徒歩5分

ホアキンソローリャ美術館
筆者作成

画家の名前はソローヤ?ソロージャ?ソローリャ?

画家の名前はホアキン・ソローリャなのかソロージャなのかソローヤなのか?混乱している方もあるかもしれない。

スペイン語には英語に無いアルファベットがいくつかあり「LL」でひとつのアルファベットだ。ここで使われるSOROLLAのLLAはヤとジャとリャの間の発音で、ソローヤ、ソロージャ、ソローリャとネットで検索しても様々だ。

Paellaパエ―ジャやSevillaセビージャの時と同じLLA。日本語のウィキペディアではソローリャで出てくるのでこの記事ではここからソローリャで統一する。

ソローリャの家美術館

43歳でホアキン・ソローリャが購入した家に現在はソローリャの作品が展示されている小さな美術館。入口の庭や噴水はアンダルシア風でソローリャがアンダルシアに行った時に見たアルハンブラ宮殿の中庭やセビージャの庭園のイメージを丁寧にここに再現した。

<ホアキン・ソローリャの家美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

中庭の神秘性(そう、中庭には神秘性があるんです)や噴水、花、静寂、ひだまりの中で水の音が楽しめる。庭だけなら無料で入れるのでお天気が良い日は家族やカップルで来ている人々がいる。

ホアキン・ソローリャはこの家を建てるのに建築家と細部に至るまで話し合いながら一緒に意見を出して造ったという。この庭も庭師と一緒に植木を植えた事もあった。自分の中にこんな家にしたいという具体的なイメージを持って丹精込めて作った家。私もそれくらいこだわった家に住んでみたい、と心から感じた。

画家はこの庭でも絵を描いたので様々な場所で絵が描けるスペースがあり良く考えて造られている。

<ホアキン・ソローリャの家美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館museo corola
筆写撮影

ホアキン・ソローリャが亡くなったあと未亡人になったクロティルデの希望で美術館になり初代館長が息子のホアキン。1951年には息子のホアキン・ソローリャがすべての財産を寄贈し国立美術館になった後所蔵作品が増えた。

ソローリャの家セラミックとパティオ

ホアキン・ソローリャ美術館に入ると切符売り場の横にセラミックが置かれた部屋がある。内側はアンダルシア風パティオになっていて後で見る画家のアトリエに光が入る設計。

パティオはスペイン語で中庭の事、南スペインのアンダルシアに行くと素敵なパティオが日常に使われている。ここはアンダルシア風のパティオになっていて、内部の部屋にも光が当たり、風が流れ、閉ざされた空間に安心感がある。

<ホアキン・ソローリャの家美術館Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

壁の下の方のセラミックはタラベラ焼き又はバレンシアのマニセス焼き。展示されているのはすべてソローリャのコレクション。物を集める趣味の人が結構いるが良くこんなに集めたものだと思う。

<ホアキン・ソローリャの家美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

 

ホアキン・ソローリャの家美術館の所蔵絵画と内部を説明


ソローリャ美術館は画家の仕事場と生活していた部分に分かれる。順に解説していく事にします。

最初の部屋は絵の保管場所だった  SALA 1

ホアキン・ソローリャの家美術館の最初の部屋は絵を保管したところだった。壁の赤い色は当時そのままという。この色は置いてある絵画が引き立つ色だそうだが実際インパクトがあって確かに絵画が浮き上がって見える。この感性がすごいなと思った。

<ホアキン・ソローリャ美術館Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

今はソローリャの様々な時代の作品が展示されている。いくつかの作品を見ていく事にしましょう。

<クロティルデ、ソローリャ美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

ソローリャの生涯にわたってモデルになったのは妻クロティルデ。黒い夜会に行くような衣装に自信たっぷりの優雅さ。

***ソローリャの妻クロティルデ***

ソローリャの妻クロティルデは画家の絵の販売や細かい会計の仕事、子供の世話や重要な顧客や上流階級のお客さんたちとの交流等なんでもこなした。ソローリャにとって女神でモデルで頼れる相談役で仕事の相棒ですべてだった。さらに英語とフランス語が出来たというので当時の女性ではかなりのインテリ。

ソローリャが仕事で一人で旅をしたときは手紙を毎日の様に書いて約3000通が保存されているという。仲の良い夫婦だったんだなあ。

<ソローリャの自画像、ソローリャ美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

(写真上)ソローリャの8枚ある自画像のひとつで妻クロティルデに贈るために描いた。1909年に、アメリカのイスパニックソサイアティで高い評価を得て成功した頃の作品で自信にあふれている。

<画家の子供達、ソローリャ美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

写真上はソローリャとクロティルデの間に生まれた3人の子供たち。愛情に溢れた作品。

<裸婦1892年、ソローリャ美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

写真上の「裸婦」はまだホアキン・ソローリャ29歳の頃の初期の作品。モデルはもちろん妻クロティルデ。先に見た妻の肖像画や自画像より17年程前の作品で伝統的でアカデミックな技術を駆使しているのが他の作品と比べても良くわかる。まだ若いソローヤが絵の基本的な描き方を駆使して完成させた。美術館では絵の肌の色、うなじのタッチ、白いシーツ、床の色、床の水の感じを見てください。

 

<馬と少年、ソローリャ美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

(写真上)当時のバレンシアの貧しい少年達は裸で海で馬の掃除を手伝ってお小遣い稼ぎをしていた。馬の耳が切れている構図が面白い。絵画というより写真的な画面の取り方。

***ソローリャの絵の特徴***

*絵画と言うより写真的な切り取り方。上の絵の馬の耳が切れている、表現したかったのは馬の全身より海の光や少年の肌の色。

*光の扱い、逆光や順光、カメラの光のアングルを絵画に持ち込んだ。

*水の透明度や光が当たった時の水の一瞬の輝きを表現した

ニューヨーク・ヒスパニック・ソサイアティ

画家ホアキン・ソローリャの成功はヒスパニック・ソサイアティーからの注文と評価によるところが大きい。

ニューヨークにあるヒスパニック・ソサイアティーは1904年アメリカ人の超富裕者のアーチャー・ミルトン・ハンティントン氏によって設立された協会。ハミルトン氏によって設立されたスペイン文化芸術を研究し展示する総合博物館兼図書館からソローリャは大きな作品を多数注文を受けた。

創設者のハミルトン氏の両親は鉄道・造船の財閥だが本人はビジネスに興味がなく子供の時に両親との欧州旅行でイギリスへ立ち寄った時にスペインについての本に出会いスペイン愛に目覚めた。まずはスペインに行く前にスペインの歴史や文化を猛研究し2000冊もの本を読みアラビア語までも勉強してからスペインへ旅をしたという変わり者。そのハミルトン氏のコレクションは膨大でスペイン、ポルトガルやアラブ文化、中南米諸国からフィリピンに至る書画骨董宝石や絵画をコレクションしたものを展示している。

2番目の部屋は顧客を案内した販売展示室 SALA2

この2番目の部屋は絵を買いに来た顧客を案内する部屋だった。当時はホアキン・ソローリャが描いた最新の絵画を壁全体に隙間なくかけていたという。

現在はホアキン・ソローリャの家族の絵が中心にかけられている。

壁のタピスや置物なども当時のまま保存されている。

愛情いっぱいの家族の絵が置かれていて写真下はクロティルデと3人の子供たち。思わず微笑んでしまう作品だ。実はこの絵は未完成なので所々色が塗られていない。

<画家の家族、ソローリャ美術館>

ソロージャ美術館
筆者撮影

<クロティルデ、ソローリャ美術館>

ソロージャ美術館
筆者撮影

家族の記録にもなっているソローリャが描く彼の家族の作品は愛情溢れていて見ていて微笑ましい。家族大好き奥さん大好きなのが伝わってくる。

3番目の部屋 SALA3

この部屋はパティオ(下の切符売り場の横の中庭)に面しふんだんに光を取り入れられたソローリャの仕事場。天井からも光が入る構造で光にこだわった画家らしい設計だ。

イーゼルや筆や絵の具もすべてソローヤが使っていたものが置いてある。当時は今よりもっと沢山の絵がかかっていたというからびっくりだ。

<画家の道具、ソローリャ美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

写真下:中央の大きな作品はソローリャの作品が沢山ある中でも有名な妻クロティルデとマリア。海岸線の眩しい光と海の風を感じる。

<クロティルデとマリア、ホアキン・ソローヤ美術館 Museo Sorolla>

ホアキン・ソローヤ美術館
筆者撮影

写真下は作品を拡大して。バレンシアのマルバロッサ海岸、光と影、海の風を感じる。やはり水平線を描いていない写真の切り取りのような構図。

<クロティルデとマリア、ホアキンソローリャ美術館Museo  Sorolla>

ホアキンソローリャ美術館
Wikipediaより

<グレーの衣装のクロティルデ、ソローリャ美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

35歳のクロティルデ、全体に暗いグレーの色が使われている。衣装はソロージャがパリに行った時に流行っていた衣装を手紙で知らせてそれを創らせたという。(ウエスト細い・・・)

<クロティルデ、ソローリャ美術館 Museo Sorolla>

ソロージャ美術館
筆者撮影

顔だけアップにしてみた。この絵は私個人的にとっても好きで、絵画全体は暗い色調でグレーが使われているがクロティルデの顔、次の瞬間笑顔に満たされる表情が画面全体を明るくしている。微笑みながら今にも何か話し出しそうでこちらに歩いてきている感じ。

<ソローリャ最後の作品、ホアキン・ソローリャ美術巻Museo Sorolla>

ホアキン・ソローヤ美術館

(写真上)これだけが家族ではない人物がモデルになっている作品。ソローリャの友人の奥さん、画家はこれを書いている時に人が訪ねてきて、外に出る時に倒れた。脳溢血だったらしい。

その後マドリードの西にあるセルセディージャという小さな村へ引っ越し療養する。家族はソローリャに絵を描かせようとするが2度と筆を持たなかった。

その3年後に60歳で永眠。

2階は寝室だった、現在は特別展の展示室

2階へ登る階段の壁にも作品が展示されている。

<ホアキン・ソローリャ美術館Musoe Sorolla>

ホアキンソローリャ美術館
筆者撮影

2階の部屋は家族の寝室だった。

現在はホアキン・ソローリャの様々な作品の特別展。普段展示されていない習作やデッサンなど時期によって様々な展示会が行われている。

下へ降りて生活の部屋

リビングルームに家具や絵画や彫刻、奥にある黒い衣装のクロティルデはベラスケスの様な筆遣い。(下写真右奥)

ホアキン。ソローヤ美術館
筆者撮影

半円形の窓は東向きで当時は周りにビルは無く朝日がたっぷり部屋に入った。

ホアキンソローヤ美術館
筆者撮影

食堂

壁の上の方の絵はソロージャが描いた。生地に油絵を描いて壁に縫い合わせた。

食堂の上からのランプはティファニー製。宝石商ティファニーはソロージャの顧客だった。ティファニーの創業者の息子ルイス・カムフラート・ティファニーはアメリカのアールヌーボーの第一人者でその人物が作ったランプ。

 

光の画家ホアキン・ソローリャの人生

(1863〜1923)


ソローリャの生まれはバレンシア

ホアキン・ソローリャは1863年にバレンシアで生まれる。バレンシアの貧しい家庭の生まれだった。2歳の時に両親がコレラで亡くなり母方の叔母の家に一歳違いの弟と世話になった。

ソローリャの叔父は鍵を造る職人で12歳の時に叔父さんの仕事を手伝いながら夜に芸術学校に通う。

1879年15歳でバレンシアの名門美術学校サン・カルロスで友達になったのが写真家アントニオ・ガルシア・ペレスの息子、その手伝いのアルバイトを始めた。被写体に光を当てる仕事でこれが後のソローリャの絵に写真的な逆光や光が使われ、画家の光の描き方の原点はここにある。

その写真家の娘が後にソローリャの妻になるクロティルデ。

1881年〜82年にマドリードを訪れプラド美術館のベラスケスやリベラ、エルグレコなどの模写をしている。初期のソローリャの作品にベラスケス風のものが散見される。

ソローリャはいつも完璧を目指す人だったという。

ホアキン・ソローリャ美術館まとめ


マドリードには数多くの美術館博物館があるがホアキン・ソローリャ美術館はとっても小さな美術館で画家の家だったのでお呼ばれした気分で楽しむと良い。絵が好きなら是非ともおすすめです。