マドリード(バラハス)空港からマドリード市内へ移動。<ターミナル4の場合>

マドリードの空港ターミナル4から市内への行き方を説明します。マドリードの空港は4つのターミナルに分かれてる。注意は使う航空会社のグループごとでターミナル1から4に分かれているので国際線や国内線というターミナルは無い。どの航空会社に乗るかで違うので確認してから出発しましょう。

空港ターミナルは4つに分かれている


マドリードのバラハス空港は4つに分かれている。国際線国内線という分け方ではなくエアーラインのグループごとで分けてありアジアや中米系のターミナル1、スカイ・チームやスター・アライアンスグループはターミナル2、ターミナル3は殆ど未使用でイベリア航空等ワンワールドグループが使っているターミナル4となる。
この記事ではイベリア航空を中心としたワンワールドが使っているターミナル4の到着から市内への行き方を説明します。
ターミナル4を利用する主なエアーライン=イベリア航空、英国航空、日本航空のコードシェア便、フィンランド航空、ラン・チリ航空、エミレーツ航空
*欧州系航空会社(ドイツルフトハンザ航空、アリタリア航空、エアーフランス航空、KLMオランダ航空はターミナル2に到着します。)
こちらの記事をご覧ください。

マドリード空港ターミナル4


広々としたターミナル4はイギリス人の建築家ロジャージェームスの建築。
外の太陽光線がターミナルに降り注ぐ斬新なデザイン。そしてハイテク技術が使われている空港です。
マドリード空港ターミナル4
荷物を受け取り外に出ると迎えの人たちで賑わう到着ホールへ。
*逆コースはこちら。市内からターミナル4。

 

 

空港から市内へ移動する方法は4つ


マドリードバラハス空港から市内へ移動する方法は4つ。タクシー、エクルプレスバス、メトロ、レンフェとなります。その4つの方法を説明します。

 一番安心なのはタクシー均一料金30€

 タクシーはマドリッド市内M30という環状線の中は均一料金で空港から市内は30ユーロ。4人まで乗れますが大きなスーツケース4つは車のトランクに積みきれないので4人の場合は荷物のサイズによっては分かれて乗車になります。ホテルが大体どこにあるのか確認しましょう。マドリードの地図をグーグルマップで見ると大きな環状高速道路があります。それがM30です。
M30外だとタクシーメーター移動ですがそんなに大きな違いはなく場所によっては30ユーロ以内で着くこともあります。
タクシーは安全です。心配いりませんので深夜や、早朝又不安な場合はお勧めします。たったの30ユーロで安全に宿泊地まで行ってくれるのですから安全はお金に変えられません。
 チップは上げなくても大丈夫。荷物が特に重いとか多い場合1ユーロ位で大丈夫です。
下の写真は到着ロビー。正面真っ直ぐ外に出るとタクシー乗り場です。
ターミナル4到着ロビーからタクシー乗り場
エクスプレスバス<空港各ターミナルと市内を走る24時間対応のバス。>

上記写真の出口を出て横断歩道を渡って右に行くと24時間バス乗り場。5ユーロでシベーレス広場経由アトーチャ駅へ。<注意・時間によってはシベーレス広場止まりです。>
*支払いはユーロ現金のみ。50ユーロ、100ユーロ紙幣は断られますのであらかじめ10ユーロ紙幣5ユーロ紙幣や小銭を用意しておきましょう。
空港バス
*空港と市内を15分から20分間隔で走っているエクスプレスバス。市内まで約30分で到着します。
*前から乗って乗るときにドライバーに5ユーロ払う。切符は念のため降りるまで失くさないように。時々正しい切符をもっているかの検査に来ます。
* 大きな荷物置き場もあり快適です。
*シベーレス広場に着けば流しのタクシーや地下鉄5号線バンコ・デ・エスパーニャ。又はグランビア、ソル広場迄すぐです。
 *終点アトーチャ駅まで行けばアトーチャ・レンフェ駅から地下鉄1号線、鉄道で各方面、路線バスやタクシー等があります。(時間によってはシベーレスまで)
バスの時刻表写真
空港バス時刻表
*24時間走っていて15分から20分間隔ですが夜中は本数が少し減ります。
*空港バスのルートと時刻表バス会社ホームページに別ウィンドウでジャンプ。

 

メトロ(地下鉄)とレンフェ(スペイン国鉄) 

到着ホールから表示板に従って右側に降りるエスカレーター。メトロ(地下鉄)とレンフェ(スペイン国鉄)のマークがついている。
地下に降りると地下鉄とスペイン国鉄
降りていくとメトロ地下鉄とレンフェRenfe国鉄の駅です。手前がメトロ奥が国鉄。
メトロと国鉄
どっちがいいかは行き先次第。行先がどちらが便利か調べておきましょう。
 メトロ(スリに注意)
広告

メトロは頻繁に走っていて朝06時05頃から夜中01:30頃まで。スリに注意してください。
深夜早朝はもちろん昼間の盗難も多いので注意。
 メトロ路線図
2017年10月よりチャージ型のプリペイドカード(日本のスイカやイコカ)タイプに変わりました。ムルティーという日本のsuica と同じチャージ式です。一度しか乗らない場合もこれを2,5€で購入する必要があります。
マドリードメトロカード
一旦買うとこのカードにチャージして何人でも一緒に1枚のカードで使えます。自販機はタッチパネルで英語も選べます。係りの人がいるのでわからなければ手伝ってもらえます。
メトロの切符販売機

 

<マドリード地下鉄の乗り方と切符の買い方の記事です>

マドリードの地下鉄(メトロ)乗り方や切符の買い方。(注意)2018年ICカード導入で紙の切符は無くなりました

国鉄<レンフェ>注意2019年11月まで一部工事

*マドリードのセルカニーアスCercanias空港から市内に入る一部の区間が2019年6月から11月までの工事に入った。
*空港からチャマルティンまでは一本で移動できるので行先がチャマルティン方面で良ければセルカニーアスを利用。
スペイン国鉄マドリード空港行きの工事
筆者作成マドリード空港行き鉄道の工事

空港からチャマルティンまでは通常運行です。切符売り場の先に出発時間の掲示板。チャマルティンからソルやアトーチャのセルカニーアスに乗り換え、メトロに乗り換え、又はタクシー等。

マドリード空港ターミナル4
筆者撮影
*****ここから先は工事をしていない時用の記事*********
 段差も少なく大きな荷物の時は私はレンフェに乗ります。
国鉄(レンフェ)空港から市内は大体1時間約4本。市内まで2,60ユーロ(行き先によって変わります)がメトロよりスリは少なく段差もあまりないのでお勧めです。。
チャマルティン駅まで11分、ヌエボス・ミニステリオ駅まで18分アトーチャ駅 まで28分 プリンシペピオ駅まで38分  (始発05:58最終22:57)
マドリード・レンフェ近郊線路線図。空港ターミナル4は中央より少し右上の青い字でC-1と書いてあるところ。ヌエボス・ミニステリオから地下鉄の10号線やシルクラールに乗り換え、レコレトスで降りればシベーレス広場迄3分。アトーチャ駅やプリンシペピオ駅を通ります。メトロより比較的盗難少なく広くゆったりしているので座れる確率も高いです。
マドリードレンフェ近郊線路線図


切符はタッチパネルの自販機で。行先をアルファベット順で選んで購入。ここも係りの人がいるのでわからなければ手伝ってもらえます。

 

まとめ


マドリードの空港は市内から14キロと近くいろんな方法でアクセスできるので便利です。空港から長距離バスに乗る場合はAlzaというバス会社も乗り入れているのでサンセバスティアンやビルバオ、セビージャに行く場合もターミナル4から直接バルに乗ることが出来ます。

*到着早々スリなどに注意して下さい。地元の普通の人々はとっても真面目で親切です。外国からきているプロのスリ集団が空港や観光地、ホテルなどで活躍しています。

タクシー、エクスプレス・バス、地下鉄、レンフェと4つの方法があるので行先と好みで選んでください。

ターミナルが航空会社のグループによって分かれているので調べてから出発しましょう。

楽しい旅を~ブエンビアへ!

スペイン旅行のベストシーズン<スペインの気候と祝祭日>旅行の予定をたてる前に

スペインは北半球なので一年間の四季は日本と同じ春夏秋冬。雨季は秋から冬。内陸と海岸部でかなり気温や天候は違う。マドリードから北部は冬は雪が降るところもあり内陸で標高が高いので乾燥した厳しい寒さ。バルセローナは緯度は高いが地中海の影響を受け冬も夏も穏やかだが湿度がある。アンダルシアは南部だがグラナダはシエラネバダ山脈があり街の標高も高いので冬は冷える。同じアンダルシアでもセビージャやマラガは冬も比較的温暖で夏は暑い。

<ベストシーズンはいつ?>


 

 

大雑把に言えば春と秋がベストシーズンです。例えば5月か10月なら過ごしやすく日照時間も長くさわやかな気候です。実は非常に難しい質問でスペインは大きな国で場所によって随分気候が異なる。夏はアンダルシアのセビージャなどは午後の最高気温は40度を超えるが北のピレネーやアストゥリアスは24度位。アンダルシアでも太陽海岸のマルベージャは最高気温と最低気温の差が少なく18度から28度くらいで海岸線なのに湿度も少なく過ごしやすく一年中ベストシーズン。冬は内陸の標高の高い地域ブルゴス、ソリアは非常に寒い。マドリードは朝マイナス5度くらいまで下がることもあり非常に厳しい寒さが続く。一方バルセロナ等の地中海の影響を受けるところは最低気温16度くらいなので温暖で穏やか。(平均気温なので年に何日か寒波がやってきたり温暖な年があったりします)その分夏は湿度が高い。

5月のある同じ日に太陽海岸で25度で真夏の服装をしていて北部のブルゴスに行くと2度だったことがあります。

春は3月後半にサマータイムになり比較的暖かくなっていきます。ただ三寒四温を繰り返し安定するのは5月中旬。マドリードから北部は山岳地帯なので年によっては6月前半まで寒くなる年もある。秋は9月頃から少し過ごしやすくなり10月いっぱいまで青空の広がる過ごしやすい季節です。

雨が降るのは秋から冬にかけてですが比較的降りやすい程度で(年によってかなり違います)5月頃から10月頃まで天候が安定するとほとんど降らない

という事でスペインは大きな国でどこに行くかでかなり気温が違います。

<春はベストシーズン>注意は復活祭に重なると超混みます。ホテルも取りにくく値段も高い。

年によって気候はかなり違いますが春は通常過ごしやすくサマータイムが始まる(3月末)ので一日が長くなり旅行シーズンとしてはベスト。ヨーロッパの人も動き始めるので観光地は混み始めます。お花も一度に咲きはじめ町は華やかになります。ピレネー山脈やピコスデエウロパ山脈は4月はまだ雪が降ることも。6月20日から学校が夏休みになるのでその少し前は季節もいいしまだ込み合う前で夏至の頃は日照時間が長いので一日を有効に使えます。

<注意>復活会は移動祝祭日で毎年変わります。春分の後の満月の日が起点なので旅行計画を立てる前にチェックしましょう。ヨーロッパの人が動くのでどこも大変混みあいますモニュメントはお休みになるところがある反面キリスト受難の山車を見たりスペインの別の一面を楽しめます

(下)5月から6月のアンダルシアの風景のビデオ。ひまわりが楽しめます。

<夏は行くところによってベストシーズン>

ヨーロッパの人達のバカンスが始まると海岸線やピレネー山脈のリゾート地はスペイン全国どこも込み合いホテルも値段が上がります。一番混むのは7月後半から8月いっぱい。海岸線は一週間単位の予約の所も多く1泊2泊では取れないホテルもあります。夏も年によって涼しいときもありますが南の内陸(セビージャ・コルドバなどは非常に暑いです)観光するならなるべく午前中にして午後はのんびり過ごしましょう。夏至の頃太陽が沈むのは22時です。午後の17時は日本では夕方ですがスペインの太陽はてっぺんで一番熱い時間です。海岸線にホテルを取って午前中は観光午後は海でのんびりというのが理想。がそんなにのんびりした予定が立てられないケースの場合午前中街で観光その場合午後は移動。新幹線やバス、飛行機で暑い時間移動してその後ホテルに入って休憩してから出かける予定にする。スペインのほとんどのホテルはチェックアウト12時です。大きなスーツケースは宿泊ホテルで無料で預かって貰えます。

*注意*夏の午後の15時から18時はまだ太陽はてっぺんで一番暑い時間なのでこの時間に観光を入れると本当に暑さで倒れます。

マドリード等内陸の大都会真夏はオフシーズンになるのでホテルの値段が下がります。これはこれで狙いめでベストシーズンと言ってもいいかも(最近は観光客の増加傾向でキャンペーン値段は減りましたがチェックしてみる価値ありです)

スペイン北部ー<バスク・カンタブリア・アストゥリアス・ガリシア>ーは真夏も最高気温が24度くらいで朝は寒いくらいです。真夏でもしっかり防寒具が必要です。一日に気温差があり午後は30度を超えることもあります。さわやかな気候が続き雨もあまり降らないので北スペインは夏がベストシーズン

<注意>北部以外は大変暑いので無理のないよう行程を組みましょう。午後に気温が上がります。17時18時もまだ太陽は容赦なくギラギラ輝いています。お水をたくさん飲んで体調管理に気をつけましょう。内陸部は気温は高いですが乾燥しているので以外と過ごしやすいです。

<秋はベストシーズン>

秋は少し暑さも和らいで過ごしやすくなります。紅葉も楽しめまだまだ日照時間は長く南部は日中は暑いのでビーチにも沢山お客さんは来ています。10月末までサマータイムなので真夏のバカンスの人がいなくなり旅行には狙いめの良い時期でベストシーズンです。ピレネーやピコスデエウロパの山岳部はそろそろ雪が降ったりお天気は崩れるので注意しましょう。突然寒くなることもあるので週間天気予報などを見て持っていく服等は注意しましょう。

 

広告

<冬はオフシーズン>クリスマス休暇を除く

 

冬は日照時間も短く雨も降りやすく寒いのでオフ・シーズンです。ただ毎日降るわけではないので幸運に左右されます。クリスマスから年末年始を外せばホテルや航空運賃なども値段が下がるので狙いめ。2月から3月なら南の方は暖かくなりもう泳
いでいる北方のヨーロッパ人もいます。

12月に入るとどこの街もクリスマスのイルミネーションが始まりとてもきれいです。イルミネーションは12月初旬から1月6日まで。

<注意>スペインのクリスマスは全て何もかも閉まります

12月24日はカレンダー上は平日ですが20時頃には町は人が少なくなりお店も殆ど閉まります。12月25日は祝日で商店レストランともすべてお休みです。どちらも中華なら開いているので何もないときは中華を探しましょう。美術館博物館などもすべて閉まります。12月31日はホテルのレストランなどはたいてい<ガラディナー>予約制のパーティー(カテゴリー4つ星5つ星ホテル)有名レストランなどもパーティーになるので行くなら予約が必要です。値段は相当高くなりますので確認要です。1月1日も祝日美術館博物館含めすべてお休み。1月2日から平日です。1月5日の夜各町でパレードが行われます。当方の三賢者が子供たちにプレゼントを持ってやってきます。1月6日は祝日(東方三賢者の日)でこの日も美術館博物館含めすべてお休みです。

この時期に旅行する場合はどの町もイルミネーションがとてもきれいなので楽しめます。教会はすべての人に手を広げていますのでミサなどに参加するのもいい思い出になるでしょう。(マナーに注意・大切なお祈りの場です。クリスマスは宗教行事。多くの人の大切な場ですのでマナーに気をつけましょう。

アルハンブラ宮殿に行く場合は予定が決まり次第予約を入れましょう。

旅行の予定にグラナダのアルハンブラ宮殿を入れる場合、現在入場予約制です。ヨーロッパの連休やバカンスの時期と重なると入場券がとりにくくなり時期によっては3か月以上前でないと取れない時も有ります。予定が決まり次第ネットで予約しましょう。注意:2018年5月から入場時に本人確認の為パスポートチェックが有ります。

 

天気予報のページです

スペインの天気予報のページこのままクリックすると今日の全国の気温。都市名を入れると詳しく調べることが出来ます。

https://www.eltiempo.es/

<全国共通固定祝日>連休の並びで変更になる年もあります


1月1日、1月6日、5月1日、8月15日、10月12日、11月1日、12月6日、12月8日、12月25日

<と移動祝祭日復活祭>

3月から4月に復活祭聖木曜日、聖金曜日,地域によっては聖金曜日と復活の月曜日

<各州の休みと市の休み>

各州の休み1日と各市の休み2日(5月3日はアンダルシアの日や7月25日はサンチアゴの日等地域の祝日があります)

<本当のベストシーズン>

という事で行く地域によって随分多様性があり同じ季節でも気温に差があり、またその年によって天候もずいぶん違います。それぞれの季節に良さがあって暑い国に熱いときに行き寒い国に寒いときに行くと色んな「何故」がわかることがあります。ベストシーズンはお休みがうまく取れてタイミングがあったときかもしれません。

日本より天候が良く変わり変化が激しいので夏も長袖のパーカー等、冬もTシャツ等スーツケースに入れてきましょう。

スペイン旅行の準備とモデルコース、旅行に必要な物は何?

マドリッド 空港ターミナル2から市内と市内から空港の行き方の説明

この記事ではマドリードの空港ターミナル2から市内と市内から空港ターミナル2への行き方を説明
日本からマドリードにヨーロッパ系航空会社での到着だとほとんど他ターミナル2を利用となる。
*ターミナル2航空会社:エアーフランス航空、ルフトハンザドイツ航空、KLMオランダ航空、スイス航空、アリタリア航空、ブリュッセル航空等主要ヨーロッパエアーライン各社
ここではマドリードのバラハス空港ターミナル2から市内への移動、市内からターミナル2への移動を説明。

マドリード・バラハス空港


マドリードのバラハス空港4つのターミナルがある。国際線国内線という分け方ではなくエアーライン・グループごとにターミナルが分かれている。
*ターミナル1 中国航空や大韓航空、エジプト航空トルコ航空など
*ターミナル2 スター・アライアンスとスカイチーム
*ターミナル3 未使用
*ターミナル4イベリア航空と英国航空などワンワールドを中心としたグループは
この記事で説明するターミナル2に乗りいれているスター・アライアンスとスカイチームはヨーロッパ系航空会社
ヨーロッパのシェンゲン協定の国は国境が無いのでマドリードからパリやフランクフルトへは国内線扱いです。最初のヨーロッパ到着地で入国、パスポートコントロールを受けるのでマドリッド到着時、出発時はパスポート検査は無い。
各エアーラインがチェックイン手続きや飛行機に登場時に身分証明書の提示を要求するのでチェックイン時と搭乗時にパスポートのチェックが有る。
イベリア航空を中心にワンワールドグループのターミナル4については別に記事が有りますので参照してください。

マドリッド市内から空港ターミナル4への行き方4つの方法

マドリード空港ターミナル2から市内


空港ターミナル2から市内は4つの方法

 ここでは基本の4つの方法を説明。タクシー、エクスプレスバス、メトロ、レンフェ(スペイン国鉄)を説明します

タクシー

無事到着後荷物を取って外へ出たら左へ
しばらくまっすぐ進みます
右側に出口が見えたらタクシー乗り場とバス乗り場
タクシーとバス乗り場
タクシー乗り場
タクシーは安全です。値段は均一料金で30€。空港から市内マドリッド環状線道路M30の内側は均一料金 30ユーロ。
*Ⅿ30はマドリード市内の外側をぐるりと走っている高速道路。ホテルがそれより内側だと均一料金です。それ以外はタクシーメーター制。大体30ユーロ位で到着です。
タクシーは安全です。特に夜や早朝、貴重品やスーツケースを持っての移動は目立ちます。公共の交通機関よりタクシーは目的地まで確実に連れて行ってくれるので安心です。タクシードライバー以外に4人乗れるがスーツケースの大きいのが4つはひとつのタクシーには積みきれないので分乗になる。

エクスプレスバス

市内と空港間を24時間エクスプレスバスが走る。5€で空港からシベーレス広場経由でアトーチャ駅まで約30分。タクシー乗り場の横の横断歩道渡るとバス停、スペイン語でParada de Autob パラーダ デ アウトブス。
バス乗り場へ
この横断歩道を渡るとバス乗り場、した写真の黄色いマークの所で待つ。
(注意:時間帯によってはシベーレス止まり)
エクスプレスバス
24時間運行15分から20分間隔。深夜は少し減ります。前から乗ってドライバーに5ユーロ支払います。
*50€紙幣で1人分の切符は断られる。10€紙幣等小さい紙幣を準備。
*カードは使えない
*切符はバスを降りるまで失くさないように。時々検査員がやって来て正確な切符を持っていないと罰金です。
空港バス
*バス会社の公式ページ
シベーレスまで乗ればグランビア通りや地下鉄5番線のバンコ・デ・エスパーニャが近い。終点まで乗るとアトーチャ駅なので新幹線、地下鉄1号線や他のレンフェ(スペイン国鉄)に乗ることが可能
空港近辺ホテルシャトル
 空港近くのホテルの場合シャトルバスがあるケースが多いです。
このバス停から更に進むとシャトルバス用のバス停があります。空港近くのホテルでもシャトルバスが無いケースもあるのでそれぞれのホテルの条件から調べてください。

メトロ

空港のターミナル2のメトロは駅が遠いのでスーツケースなど大きな荷物だとお勧めしません。
先程のタクシー乗り場で外に出ずに真っ直ぐ進む
しばらくはT2 salidas metroという表示
メトロ
突然右後ろに戻る登っていくムービングウォーク
ムービングウォーク
メトロの表示
後はメトロと表示があるので下に降りていくとメトロの駅
広告
メトロの切符
メトロの切符は紙の切符が無くなりすべてMultiというICカードになりました。一度しか使わなくても2ユーロのMultiを購入する必要があります。日本のSuica やicocaと同じプリペイド型のカードです。複数人でも使うことが可能です。空港サプリメントが3ユーロ別にかかります。
マドリードメトロカード
空港の自動販売機でまずMulti付の切符を購入してください。
自動販売機はタッチパネル。英語を選べます。この後も何度か乗るようなら10回券を購入してもよいと思います。
メトロの切符自販機

<マドリードの地下鉄(メトロ)乗り方と切符の買い方2018年最新版>

 

スペイン国鉄<レンフェ>の場合⇐2019年6月から一部工事

*2019年6月から11月市内から空港を結ぶ一部の路線で工事が始まりました。乗換が多くなるので荷物が多い場合はお勧めしていません。空港ターミナル4からチャマルティンまでは乗り換えなし。

ターミナル2にはレンフェは来ていないので空港間の無料バスでターミナル4まで移動してからレンフェ鉄道に乗ってください。

長距離バスもターミナル4からになります。外に空港のターミナル間を移動している無料シャトルバス乗り場が有るのでそれで移動します。

 

市内からマドリード空港ターミナル2へ


タクシー

タクシーは均一料金で30ユーロです。流しを拾っても安全です。ホテルなどから電話で呼んでもらっても30ユーロ均一料金です。

エクスプレスバス
 アトーチャ駅かシベーレス広場から5ユーロです。

*50ユーロ札は受け取って貰えないのであらかじめ小さくしておきましょう。

*貰った切符はバスを降りるまで保管しておきましょう。

アトーチャ駅のエクスプレスバス乗り場

アトーチャ駅は非常に大きく出口が沢山ある。大きく分けると新幹線の乗りいれているPuerta de Atochaプエルタ・デ・アトーチャ側と近郊線が乗りいれているCercaniasセルカニアスに分かれる。エクスプレスバスが発着するのはCercaniasセルカニアス側。

タクシーでアトーチャ駅に行く場合はエクスプレスバスとタクシードライバーに告げる。

地下鉄や近郊線、新幹線(Ave)で到着したらCercaniasセルカニアスへ移動し外へ出る。

下の写真はCercanias近郊線の出口を出たところ

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

下の写真の標識の上の文字Salidaは出口、その下の小さな字Avda Ciudad de Barcelonaの方へ移動。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

上に上って行くエスカレーターがあるので地上へ出る

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

外へ出ると路線バスのバス停がある。左後ろを振り返ると大きな時計が付いた塔が見える。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

バスがいないとわかりにくいかもしれないが写真のバスの後ろの大きな時計を目印に。

マドリード空港行きエクスプレスバス
筆者撮影

横から見るとこんな感じ。

空港行きエクスプレスバス
筆者撮影

空港に着くと到着ロビーのある地上階につくので出発(salida)ロビーの有る1階(日本の2階)へ移動。

メトロ

メトロ8号線でターミナル1,2に行くことが出来ます。早朝6時頃から深夜0時ころまで動いています。スリなどに注意してください。

空港サプリメント3ユーロが必要になります。切符を買う時又は到着地でも自動販売機で手続きが出来ます。

スペイン国鉄<レンフェ>

ターミナル2にレンフェは来ていないので市内からレンフェでターミナル4へ移動後空港内の無料シャトルバスで移動。または市内からレンフェでヌエボス・ミニステリオまでその後地下鉄8号線でターミナル2までとなります。

 

マドリッド市内から空港ターミナル4への行き方4つの方法

 

マドリッド・バラハス空港ターミナル4へのマドリード市内からの行き方を説明します。マドリードの空港は市内から14キロしか離れていないので他のヨーロッパ主要都市に比べても近くて便利です。注意は空港ターミナルは4つに分かれていて乗る航空会社グループによってターミナル1から4まで有るのでどこに行くのか先に知っておきましょう。国際線と国内線という分け方ではなくエアーラインのグループごとに分かれています。通常Eチケットに出発ターミナルが記載されています。各ターミナル間を無料のバスが巡回しています。

ここでは市内からターミナル4への行き方の4つの方法を説明します。

マドリードのバラハス空港ターミナル4はワンワールドグループすなわちイベリア航空、フィンランド航空、英国航空等とそのコードシェア便(日本航空のロンドンから等)、エミレーツ、ダカール等が使っています。ターミナル4からは無料バスが他の各ターミナルへ巡回しています。

マドリード市内からターミナル4に行くには4つの方法。①タクシー、②エクスプレスバス、③レンフェ(スペイン国鉄)、④地下鉄(メトロ)の順で説明します。どこから出発するかで一番便利な方法を選んでください。

*逆ルート*

日本などからターミナル4に飛行機で到着後、空港から市内への移動の場合はこちらの記事をクリック

マドリード(バラハス)空港からマドリード市内へ移動。<ターミナル4の場合>

マドリードの空港ターミナル2の場合の記事はこちら

マドリッド 空港ターミナル2から市内と市内から空港の行き方の説明

タクシーは安全です

やはり安心安全はタクシー。M30環状線高速道路内は30ユーロ均一。ホテルなどから電話で読んでもらっても同じ値段、均一料金です。街の流しのタクシーも沢山走っていてマドリードは流しのタクシーも安全ですので乗って大丈夫です。朝や午後のラッシュアワーは少し渋滞があり30分~40分、それ以外の時間は20分位で空港まで着きます。

マドリードの流しのタクシーは上に緑のランプがついていれば空車、又はドライバーの横に緑色の字でLIBREと出ていると空車。

マドリードタクシー
筆者撮影

流しのタクシー止め方:手を挙げて止めるのは日本と同じ。ドアーは自分で開閉する。

チップ:荷物が重いとか沢山ある、またはずいぶん待たせたなどの時は少額チップを払う事もあるが1€とか2€の少額で大丈夫です。荷物重いのが2つあったら1€とかでとっても喜んでくれます。

ドライバー以外に4人乗れますがスーツケース大きいの4つは車のトランクに乗りきらないのでもう一台必要です。。荷物のサイズと車のトランクのサイズのよります。

ドライバーにスペイン語で「アエロプエルト、テルミナル・クアトロ ・ポル・ファボール。」又は英語で「エアポート・ターミナル4・プリーズ」と言ってください。タクシーは危険は無く怖くないですので安心して乗って大丈夫です。

エクスプレス・バス

次はエクスプレスバス。5ユーロで市内から空港へ約30分で運んでくれる。

始発アトーチャ駅からシベーレス広場経由で空港へ(時間によってはシベーレス広場発があるので注意)空港到着するとターミナル1・2・3・4の順に止まります。

バスの前から乗ってドライバーに5ユーロ支払う。50€紙幣20€紙幣は断られます(おつりが無い等)。10ユーロ紙幣か5ユーロ紙幣を準備しておきましょう。(50€紙幣で8人分払うとか20€紙幣で3人分払うなら大丈夫)

*切符は最後まで無くさないようにしてください。(時々抜きうち検査。正しい切符を持っていないと罰金です)

アトーチャ駅空港行きバス乗り場

アトーチャ駅のエクスプレスバスの乗り場は少しわかりにくいので説明します。空港行きバスの表示は無い。アトーチャ駅にどこから到着するかで違ってくるがセルカニーアスCercanias=スペイン国鉄近郊線の標識を探す。セルカニーアスCercanias=スペイン国鉄近郊線の改札からエスカレーターで上に登って行くと写真下の所に着ける。

アトーチャ駅のバス乗り場の写真

空港行きエクスプレスバス
筆者撮影

 

 

 

 

 

写真はセルカニーアスCercaniasの改札出口。ここから地上階にエスカレーターで登って行く。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

表示はこんな感じで下の写真の表示の上の文字の小さい字Salida Avda Ciudad de Barcelonaの方へ進み上に上るエスカレーターを見つけてください。標識文字下のPuerta de Atochaは新幹線Aveの方への案内なので注意です。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

エスカレーターに乗って地上階へ登って行く。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

登り切ると市バスの乗り場が有るのでこの景色が見えたら左後ろへ振り返ると空港行きバス乗り場。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

バスの後ろに塔の上に時計が見えるので目印に。

マドリード空港行きエクスプレスバス
筆者撮影

 

アトーチャ駅からの時刻表の写真です。上が平日,下が土日祝日になります。早朝深夜も走っている24時間バスで空港まで約30分。15分から20分の間隔で走っています。上が月から金、下が日曜祝日。

時刻表
(注意)時間によってはシベーレスのみ。時刻表で確認できます。

*バス会社の公式ページです。別ウィンドウで開きます。

<空港行きエクスプレスバス路線と時刻pdf>

 

バスはターミナル1,2,3,4の順で止まります。到着ロビー(地上階)に着くので出発ロビー(1階)へ登って下さい。出発Departures又はスペイン語でSalidasを目指す。

 

電車<レンフェ>2019年11月まで一部工事有で注意

工事最新情報*2019年6月1日から11月未明まで空港行きの一部が工事に入ります。アトーチャ駅~レコレトス~ヌエボス・ミニステリオが工事に。

スペイン国鉄マドリード空港行きの工事
筆者作成マドリード空港行き鉄道の工事

<この工事中にレンフェを使っていくなら以下の3つの方法>

*「アトーチャ~ソル~チャマルティン」と「チャマルティン~空港ターミナル4」は通常通り運行。(ターミナル2にはいかないので空港間のバスを利用)

*アトーチャ~ソル~チャマルティンまで行きメトロ10号線でヌエボスミニステリオ、メトロ8号線に乗り換えて空港ターミナル1、2かターミナル4に行く。

*レンフェが代替え無料バスを運行。「アトーチャ駅~レコレトス~ヌエボスミニステリオ」ヌエボスミニステリオからレンフェに乗ってターミナル4に。乗り場は下を参照

<レンフェの無料代替えバス乗り場アトーチャ駅>

赤い丸のParada SE EMT

アトーチャ駅バス乗り場
筆者作成鉄道工事中の代替えバス乗り場

<レコレトス通りの代替えバス乗り場>

写真下の赤い丸にParada SE EMTと書かれたところ。

レコレトスのバス乗り場
筆者作成、鉄道工事中のバス乗り場

<ヌエボス・ミニステリオの代替えバス乗り場>

写真の赤い丸の中にParada SE EMTと書かれた所。

ヌエボス・ミニステリオからアトーチャに行く無料バスです。

ヌエボスミニステリオの代替えバス乗り場
筆者作成代替えバス乗り場

 

*******以下は工事していない時の通常状態の場合の記事です******

その次におすすめはRenfeスぺイン国鉄です。私は個人的にこれを一番使っています。地下鉄よりスリも少なく比較的すいているので安心です。段差も少なく大きな荷物があるときなどはメトロよりレンフェの方が楽でしょう。

どこから空港に行くかにもよりますがアトーチャ駅 ヌエボス・ミニステリオ駅からだと乗り換えなしで2.6ユーロです。

<スペイン国鉄近郊線の路線図>空港は中央より少し右上のC-1と薄い青で書いてあるところです。

マドリードレンフェ近郊線路線図

 

アトーチャ駅からだと30分でターミナル4に着きます。電車の内部の写真。時刻によりますが比較的すいているので大きなスーツケースを持っていても安心です。

通勤時間帯(8時~8時30分)はプリンシペピオ~アトーチャ~ヌエボスミニステリオ~又はアトーチャ~ソルは混んでいます。

スペイン国鉄ターミナル4
メトロ(スリに注意)

最後にメトロ(地下鉄)ヌエボスミニステリオから地下鉄8号線で空港ターミナル1,2と4に行くことが出来ます。どこから乗るかによって地下鉄が便利な場合は利用することになりますね。ほかの方法に比べてスリが一番多いので注意してください。

メトロ路線図。

メトロ路線図

メトロの切符は2017年よりICカード式になりました。Multiというカードを購入しそこにチャージしていくタイプで日本のsuica やicocaと同じです。紙の切符が無いので一回しか乗らなくてもMultiを購入する必要があります。一枚買えば複数人で使うことが可能です。

*空港の場合3ユーロの空港サプリメントが必要になります。出発の切符購入時でも到着の空港でも機械でムルティーカードに追加できます。

マドリードメトロカード

切符は自動販売機でタッチパネルです。画面の左上に英語を選べる所が有ります。解らなければ係員がいるので教えてもらってください。

メトロの切符自販機

どこから移動するかで一番いい方法を選んでください。

<マドリード地下鉄の乗り方と切符の買い方の記事>

マドリードの地下鉄(メトロ)乗り方や切符の買い方。(注意)2018年ICカード導入で紙の切符は無くなりました

 

ターミナル4

 

チェックインカウンターはモニターで探すことが出来ます。ターミナルが大きいので出発時刻の2時間前に空港に着けるように行くことをお勧めします。スペインの連休前後等チェックインカウンターが非常に混んでいることもあります。

ターミナル4は機能的な空港で建築も素敵です。
リチャード・ジェームスというイタリア生まれのイギリス人建築家の傑作。
波打った天井が建物にリズムを与えていて音楽が聴こえてきそうです。

ターミナル4
太陽の自然光が入るように工夫されています。
ターミナル4太陽光が入る
ガウディを意識したような自然界の森と木と木漏れ日なんでしょうか

木漏れ日
ファーストフード店で使いそうな黄色が全然安物っぽくなくて外に行くほど
色のグラディエーションがブルーになって行く。
建築も楽しめるターミナルです。

手荷物検査の中


シェンゲン内(ヨーロッパの関税協定)のフライトH,J,K,は中に入るとすぐエスカレーターを降りて出発時刻30分前にゲートへ。H5やJ13という風にアルファベットの後に数字が出ます。各モニターに約50分前位に発表されます。エスカレーターを降りていくとサラやマンゴ、ロエベ、マックスマラ、靴屋等様々なブティックが入っています。

パスポート・コントロールがあるフライト(シェンゲン外、イベリア航空で日本とかエミレーツでドバイへ等)のフライトはM,R,S,Uと書いた方へ進む(電気自動車に乗ります)。パスポートコントロールを受けてサテライトの方へ。こちらのショップは免税店でお酒や香水などが中心です。ブティックを見たい場合は先に済ませてから電車に乗りましょう。

注意:パスポートコントロールは時間がかかり混む事がありますので余裕を見て移動してください。

 

マドリード(バラハス)空港からマドリード市内へ移動。<ターミナル4の場合>

プラド美術館の廻り方。エルグレコ、ベラスケス、ゴヤ、ベネチア絵画等 無駄なく回る地図付き解説。  

プラド美術館の廻り方を解説します。プラド美術館は約2万点のコレクションが有る大きな美術館です。プラド美術館で見逃してはいけない作品を無駄なく鑑賞して約1時間~1時間30分で次へ移動できるように考えました。南のムリーリョ門から出るとレイナソフィア芸術センター(ピカソのゲルニカが有ります)迄歩いて10分、ゴヤの入り口の方からティッセンボルネミッサ美術館へ徒歩5分です。

 

プラド美術館の入口は2か所


プラド美術館には2か所の入り口がある。切符売り場の上に有るゴヤの入り口とサン・ヘロニモス教会横のヘロニモスの入り口。(下写真右側のムリーリョの入り口は学校団体専用)

pラド美術館館内図
museo del prado

写真下のゴヤの銅像(後姿)の向こうに見えるのがプラド美術館切符売り場。切符売り場の両側から階段を登るとゴヤの入り口。左の方に教会がありそちらに進むとヘロニモスの入り口が有る。

南側にムリーリョ門があり(入場は学校のグループ専用)があり出ることは出来るのでプラドの後ソフィア王妃芸術センターに歩いて行くならムリーリョの出口から出ると徒歩10分位で到着できる。

プラド美術館周辺図
筆者作成

 

プラド美術館ゴヤの入り口の方からネプチューンの噴水を反対側にわたるとティッセンボルネミッサ美術館でこの辺りはアート好きには嬉しい黄金の三角地帯です。

プラド美術館フラ・アンジェリコとルネッサンス展始まりました

フラアンジェリコとフィレンツェの初期ルネッサンス展

プラド美術館フラアンジェリコ展
筆者作成プラド美術館フラアンジェリコ展場所

フラアンジェリコの受胎告知の修復が終了したのに合わせ特別展。常設展の切符で入れますが時間の指定を受ける必要がある。

*入場券を買う時に「フラ・アンジェリコの特別展に入りますか?」又は聞いてくれない事も多々あるので「フラ・アンジェリコ?」とこちらから言えばいい。時間はこちらから「xx時は空いてる?」と聞いてもいいし指定された時間で良ければ入場券に時間が印字される。⇩写真は15時30分の予約。

プラド美術館切符にフラアンジェリコの入場指定
筆者作成

*ネットで既に印刷した切符を持っている場合はヘロニモスからはいり手荷物検査後左側のEDUCACIONのカウンターに持って行き時間指定を受ける。

プラド美術館フラアンジェリコ展
筆者作成

ヘロニモスの入り口入ったところのモニターに時間が表示される。これは12時の予約の人の時間が表示されているモニター。

赤い壁の向こう側にエスカレーターがある。登って行ったところで入場時間が描かれた切符を持って入場。

プラド美術館フラアンジェリコ展
筆者撮影

<フラ・アンジェリコ展場所>

プラド美術館フラ・アンジェリコ展場所
筆者作成プラド美術館フラアンジェリコ展場所

ヘロニモスの入り口から入り左側のエスカレーターを登ったところ。目玉は修復が終わった受胎告知。鮮やかなブルーが甦りました。小さな展示場なのでサックリ見るだけなら20分程で見学できます。

プラド美術館フラアンジェリコ展
筆者作成プラド美術館フラアンジェリコ展場所

プラド美術館最寄りメトロ


プラド美術館に行くにはメトロ2号線<セビージャ>または<バンコ・デ・エスパーニャ>から徒歩10分。1号線<アトーチャ>からも徒歩10分。バンコ・デ・エスパーニャからシベーレス〜プラドの遊歩道と歩くと綺麗なところを見ながらの散歩道。

 

プラド美術館の開館時間および休館日

毎日10:00から20:00(日曜祝日~19:00、1月6日、12月24日31日~14:00)休刊日1月1日、5月1日、12月25日

プラド美術館に無料で入るなら

プラド美術館は閉館時間2時間前から毎日無料になる。入場料15€が無料になるのは魅力的だ。平日18時~と日曜祝日17時~は毎日無料。30分~45分前には列ができる始めるので早めに行って少し並ぶ覚悟でどうぞ。

プラド美術館空いている時間

無料じゃなくていいのでゆっくり鑑賞したい方は意外と空いているのは13時、14時、15時頃のお昼時です。

手荷物検査があります

プラド美術館入場時に手荷物検査が有ります。空港と同じ要領で体は機械を通り、荷物も機械を通します。持って入れないのは危険物、刃物類、自撮り棒、大きなカバンやリュック等で入り口に荷物預け(Consigna=コンシグナ)が有り無料で預けることが出来る。水はカバンに入っていれば持って入れる。

*カバンを預けても貴重品は念のため自分で持ちましょう。

入場は2か所、ゴヤの切符売り場上又はヘロニモス教会下

プラド美術館所蔵品は約2万点のコレクションで常設展だけで12000点の展示。美術好きの方は2日間くらいゆっくり鑑賞してもいいですがあまり時間がない方の為にさっくりコースで約1時間~1時間半くらいで回れるようにご案内します。私のプラド美術館おすすめ絵画を無駄なく回ります。

 

ヘロニモスから入りエレベータ―で1階(日本の2階)へ移動後上地図の左の方へ移動する。

プラド美術s館内部
筆者撮影

又はゴヤの入り口(日本の2階)から入るとまずはベネチア絵画が並ぶ。

プラド美術館館内図
プラド美術館館内図筆者作成

当時のスペイン国王カルロス5世とフェリペ2世のコレクションだったもので膨大なコレクション。ティチアーノ、ティントレット、大きな作品ばかりを見ながら移動。ベネチアは人間が海に石を積み上げて創った人工的な街で自然が少ないので鮮やかな色に憧れた。油彩画の綺麗な色の神話がや聖書の物語を堪能します。

ティントレット

*ティントレットはイタリアルネッサンスの画家。ティチアーノの弟子にあたりベロネーゼと共にベネチア絵画を代表する画家。

弟子たちの足を洗うキリスト(25番の部屋) 1547年ころ。床の絵タイルで遠近法が効果的。右の方に弟子の足を洗うキリスト。左には裏切者ユダが。遠景に当時のベネチアの街。

*実はこの絵が面白いのは絵をどこから見ても絵を見る人が中心になる。左右に大きく動きながら絵を見てみてください。どちらから見てもテーブルがいつも自分の方を向いている不思議な絵です。

 

プラド美術館ティントレット
museo del prado

エル・グレコ

プラド美術館スペイン3大巨匠のひとりがエル・グレコ。上記ティントレットと共にベネチアのティチアーノの工房で働き学んだ。ベネチアからスペインにやって来てトレドで活躍したが生まれはギリシャのクレタ島。スペイン国王フェリペ2世に仕えたかったがエル・グレコの絵はフェリペ2世の好みではなかった。その後トレドに移住して活躍した。注文主が教会だったのでほとんどが聖書の場面や教会の祭壇画だったもの。

下は受胎告知1570年ころ(9Bの部屋)。左が聖母マリア右のほう上空から降りてきた大天使ガブリエル。天上界では天使たちがお祝いの音楽を奏でている。

 

プラド美術館エル・グレコ、受胎告知
museo del prado

 

隣の部屋(8Bの部屋)にエル・グレコの数少ない肖像画。胸に手を置く騎士の肖像。ジーッと見つめると穏やかな声で話しだしそうです。胸に置く手の形はエル・グレコがよく使った真ん中指と薬指をつけた形。

プラド美術館エル・グレコ、胸に手を置く騎士
museo del prado

 

写真下:エル・グレコ最後の作品である羊飼いたちの礼拝(10Bの部屋)はトレドにあるサント‣ドミンゴ・エル・アンティグオ教会の祭壇画として描かれた。最晩年の絵なので色に深みが出て光源をキリストのみに絞り、周りの人にあたる光の研究。暗い教会の中で信者の視線は赤子キリストへ集まるように描いている。

 

プラド美術館エル・グレコ
museo del prado

宗教画は私たち日本人にはあまりなじみが無く敬遠されがちですがちょっとだけ知識があると楽しんで鑑賞できます。プラド美術館の絵画で読み解く聖書の記事。

聖書と絵画。絵画で読み解く新約聖書。宗教画を楽しもう。

ティチアーノ

プラド美術館、中央回廊に戻るとベネチアの巨匠ティチアーノのカルロス5世とフェリペ2世。馬に乗っているのがカルロス5世。遺産相続で大帝国を手に入れた国王で神聖ローマ帝国皇帝。この時代がスペイン・ハプスブルグ帝国の頂点だった。

<ティチアーノ作カルロス5世騎馬像>

プラド美術館ティチアーノ、カルロス5世
museo del prado

カルロス5世の生涯の記事です。

カルロス5世(スペイン史カルロス1世)神聖ローマ帝国皇帝。スペインの黄金時代

 

フェリペ2世はその息子。さらにポルトガル領土を手に入れて日本に宣教師をたくさん送ってきた国王。「太陽の沈まない国」スペインの大帝国の時代。

  < ティチアーノ作フェリペ2世肖像画>

プラド美術館ティチアーノ、フェリペ2世
museo del prado

フェリペ2世の生涯をまとめた記事です。

フェリペ2世「スペイン・日の沈む事無き大帝国」の国王

ベラスケス

プラド美術館3大巨匠のひとりベラスケス。有名な作品ラス・メニーナス1656年(12番の部屋)は必見。真ん中に王女マルガリータ。

プラド美術館内図
筆者作成

ラス・メニーナスの左側に画家本人ベラスケスが絵筆を持ってこちらを見て立っている。奥の鏡の中にフェリペ4世国王夫妻。光の扱いによる部屋の空間表現、絵の中の動きや時間の経過、衣装の素材感等を感じてください。そして鏡の中に映っているのはあなた自身と思って絵の前に立ってください。向こう側の人たちがこちらを見ていたことに気が付きます。

 

プラド美術館ベラスケス、ラスメニーナス
museo del prado

*絵に近づいたり離れたりして見てみると離れれば離れる程絵の奥行が増していきます。

このラス・メニーナスはプラド美術館の中でも特別扱いの作品です。是非ともゆっくり鑑賞して帰ってください。

画家ベラスケスと当時のスペインの歴史記事です。

ベラスケスの作品と生涯。斜陽のスペイン・ハプスブルグの歴史をベラスケスの絵画で説明

ムリーリョ

ベラスケスと同時代に活躍したムリーリョは美しい聖母マリアの絵で有名。「無原罪の御宿り」(16番17番の部屋)の聖母は当時の人々の心の支えになった。

プラド美術館ムリーリョ
museo del prado

ムリーリョは南スペインのセビージャで活躍した画家。薄もやの中にいる様な神秘的な絵を描き特に外国で人気があった。

 

プラド美術館ムリーリョ

La Inmaculada del Escorial
MURILLO, BARTOLOMÉ ESTEBAN
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

ムリーリョの絵画と生涯をまとめた記事です。

ムリーリョ(バルトロメオ・エステバン・ムリーリョ)プラド美術館17世紀黄金世紀の巨匠たち

ルーベンス

 

中央回廊に戻り前進するとピーター・ポール・ルーベンスの絵画が並ぶ(28~28番あたり)。

プラド美術館ムリーリョ
museo del prado

写真下はルーベンスの三美神。プラド美術館の中で有名な作品です。三人の女神たちが与えあって慈しみあっている人間の理想の関係。女性の肌の色が透明感があって綺麗です。今だとちょっと太めの女性達ですが当時の流行とルーベンスの個人的な好み。左端の女性がルーベンスの二度目の結婚相手。53歳の時16歳のエレーヌ・フールマンと再婚。

プラド美術館ルーベンス、三美神
museo del prado

 

ゴヤ

更にこの回廊を進んでいくと突き当りにゴヤの絵が置かれている。プラド美術館3大巨匠最後の1人はゴヤです。

プラド美術館館内図
筆者作成

突き当りの部屋(32番の部屋)に有るカルロス4世と家族の肖像画は1800年に描かれたゴヤの出世作。ゴヤが仕えた王様とその家族。女性達の衣装の色の透明感がとってもきれいです。左端後ろの方からこちらを見ているのが画家本人。ゴヤの近代性は人間の内面描写。ここにいる人々の内面が解るように描かれていて国王の表情からのんきそうな人柄がよく出ている。

プラド美術館ゴヤ、カルロス4世とその家族
museo del prado

 

この部屋から右の方へ、通路を横切り左へ行くと裸のマハと着衣のマハ(36番の部屋)。プラド美術館の目玉の作品ですがこの2枚は良く貸し出されます。見るポイントは裸の方の透明感やゴヤの絵の肌色の独特の美しさ。謎の多い作品ででなぜ裸体画を描いたか、2枚の絵のタッチの違い、裸の方の首から上が不自然なのはなぜ?モデルはアルバ公爵夫人という貴族の女性説が有力だが未だに数々の謎が有る作品です。*現在裸のマハはプラド美術館200年祭特別展に入っています。着衣は常設展に残っています。

 

プラド美術館ゴヤのマハ
museo del prado

 

廊下の方に出て少し進むと階段。下の図の右の方39の部屋の横の階段を降りる。

プラド美術館館内図
筆者作成

下の階に降りていくと日本の1階部分に到着。

プラド美術館地上階の地図

階段を降りて10メートル程歩いて右手の部屋へ入ると左右に部屋にゴヤの晩年の作品。1808年5月2日と5月3日という大作(64番65番の部屋)と黒い絵シリーズ(67番の部屋)が並ぶ。

プラド美術館館内図
museo del prado 筆者作成

晩年のゴヤの作品。写真は5月3日。ナポレオン戦争でマドリードにフランス軍がやって来て民衆が処刑された。戦争が終わってからゴヤが描いたもので人類が描いた最初の「ヒーローがいない戦争画」マネやピカソに影響を与えた作品。

プラド美術館ゴヤ5月3日
museo del prado

 

ゴヤの黒い絵シリーズは晩年のゴヤは聴覚を失い戦争で人間嫌いになり、町の郊外に一軒の家を購入しそこで一人暮らす中家中の壁に絵を描いていた。

写真はわが子を食らうサトゥルノス。

プラド美術館ゴヤ、わが子を食らうサトゥルヌス
museo del prado

 

ボルドーのミルク売り(64番の部屋)。ボルドーに亡命したゴヤが亡くなる前に描いた最後の絵だと言われているがいまだに偽物説も。綺麗な作品で亡くなる前の作品ならゴヤの心はこの絵のようだったかも。涙が出そうになる優しさのある作品です。

プラド美術館ゴヤ、ボルドーのミルク売り
museo del prada

 

もしもう少し時間が許せばここから中央に戻ってあと1点。

 

ヒエロニムス・ボス快楽の園

快楽の園(56Aの部屋)現オランダにあるスヘルトーヘン・ボス出身の画家。サルバドール・ダリ達(シュル・レアリスト)に影響を与えた作品。

プラド美術館館内図
筆者作成

1500年頃まだ絵画は教会の聖書の場面が中心だったころに不思議な魑魅魍魎とした世界をユーモラスに描いていて一つ一つのモチーフはまるで今のアニメやゲームに使えるくらい斬新で面白い。両側の翼の後ろにも絵が描かれている。扉を閉めると地球が現れます。この作品もプラド美術館の宝と言われている。

ヒエロニムス・ボス、快楽の園

 

プラド美術館まとめ


スペイン旅行でマドリードにいるならば時間が無くても絶対におすすめがプラド美術館です。時間の無い方の為に有名どころを迷子にならずに無駄なく回れるようにコースを作りました。

まだまだ素晴らしい作品があるプラド美術館ですが今日の所はこの辺で。


 

ギリシャ神話を少し知っているだけで美術館は数倍楽しくなります。絵画で楽しめるようにギリシャ神話をプラド美術館の作品を中心に紹介しています。

ギリシャ神話は面白い。絵画で楽しむギリシャ神話。(プラド美術館を中心に)

マドリード観光、散策モデルコースとおすすめバル、初めてのマドリードなら外せないスペイン広場からマヨール広場、そしてバル街へ

マドリードの中心部だけなら歩いて楽しめる。この記事ではスペイン広場から始めて簡単な散策のあとにおすすめのバル巡り、マドリード散策モデルコースを作ってみました。最後にサンミゲール市場とマッシュルーム屋さんやマヨール広場でバル巡りを楽しんでください。

歩いて楽しむマドリード散策コース


スペイン広場(Plaza de España)⇐2019年6月から工事が始まりました。

スペイン広場は2019年6月から約2年間の改修工事が始まりました。周りが高い塀に囲まれて近づけなくなっています。次の項目エジプトの神殿から観光を始めてください。

スペイン広場
メトロ10番線と3番線「プラサ・デ・エスパーニャ」下車。グランビア通りや王宮のすぐ近くで街の中心です。スペイン広場というとローマが有名ですがマドリッドのスペイン広場が本家本元です。

スペイン中どこにでもスペイン広場がありますがマドリードのスペイン広場はドン・キホーテとサンチョ・パンサで有名です。写真中央。

この2人はラ・マンチャの男という小説の主人公達で左が憂い顔の騎士ドン・キホーテ。当時流行の騎士道精神の本を読みすぎて頭がおかしくなって自分も本の中に出てくる騎士の様な気がして旅に出た。となりでロバに乗っているのが一緒に来た従士のサンチョ・パンサ。約400年前の小説に出てくる主人公たちが出迎えてくれます。後ろの白い石像は作者のミゲール・セルバンテスです。

時期によってはお店が出ていたりイベントをやっていたりしますがマドリードを訪れた世界中の人達が必ず写真を一枚とる場所だそうです。

マドリード歩いて楽しむコースをビデオで

エジプトの神殿(Templo de Debod)

スペイン広場のメトロの出口から10分ほど歩いて行くとなんとエジプトの神殿がある公園がある。

Templo de Debod=デボ神殿という名のナイル川にあった2000年以上前の神殿で無料で入る事が出来る。

アスワン・ハイ・ダムを造る時水没する事になった沢山のモニュメントのひとつ。
それらを救うためにスペイン政府が援助したお礼にエジプト政府から贈られた。
「神殿のプレゼント」なので桁外れの贈り物です。
マドリードにあるエジプトの神殿マドリードにあるエジプトの神殿
入場無料無料。上記写真に開館時間が出ています。

4月1日~9月30日10時~2時と午後6時~8時、            10月1日~3月31日10時~2時と午後4時~6時。           土曜日曜祝日は9時30分~午後8時。                   休館日:月曜、1月1日、6日5月1日12月25日。

内部に入るとヒエログリフ(象形文字)が綺麗に残っている。
アメン神に捧げた神殿で2400年ほど前のもの。内部一番奥に石室があり秋分の日と秋分の日は朝日が真っ直ぐここに届く設計。二階に上がるとナイル川沿岸の地形図が展示されています。

神殿から外へ出て広場の奥の方へ行くとマドリードの郊外の森が展望できます。夕方来ると夕陽がとっても綺麗でマドリード夕日絶景のスポットです。(夏は夕日になるのが22時とかですが・・・)

王宮(Palacio Real)

再びスペイン広場方面に戻り東に向かうと歩いて13分ほどでマドリード王宮があるオリエンテ広場へ


王宮

マドリード王宮ともオリエンテ宮殿とも呼ばれてる白い綺麗な宮殿。1738年日本の江戸時代、徳川吉宗の頃に作られた王宮、現在は迎賓館。

特に公式行事が無いときは公開されているので入場することが可能。ブルボンの王様達が夏の初め暮らした王宮で内部は殆どそのまま公開されている。家具や絵画、天井画、晩餐会の大広間は現在も使われている。入口は上記写真の一番向こう側(アルムデナ大聖堂側)から。

入場時手荷物検査あり。内部の最初階段を登るまで写真撮影可能。王様達の暮らしたお部屋になるところから写真禁止。

冬季(10月~3月)10時~午後6時                   夏季(4月~9月)10時~午後8時

休館日 1月1日、1月6日、5月1日、10月12日、12月24日(15時で閉館)12月25、12月31日。さらに各公式行事、又予告なく閉鎖することが有ります。

 

プラサ・デ・オリエンテ(Plaza de Oriente)

王宮の前の綺麗な広場がオリエンテ広場(Plaza de Oriente)。お散歩する人達でいつも賑わっている。

マドリードのオリエンテ広場
De Luis García (Zaqarbal) – Trabajo propio, Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=789047

中央の騎馬像はフェリペ4世、プラド美術館の名作「ラス・メニーナス」の鏡の中にいるスペイン王でベラスケスの絵をもとに作った。

オリエンテ広場のフェリペ4世像
筆者撮影

 

ベラスケスが描いたフェリペ4世騎馬像
De Diego Velázquez – [1], Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4727424
注意:このあたりにスリが観光客に混じって時々やってきます。上手に隙を狙って知らないうちにお財布をすって行くプロの外国からきているスリ集団に注意。乱暴ではないのでちょっと気をつければ大丈夫です。

オペラ座を左に見ながら進むとカフェ・オリエンテというエレガントなカフェレストランがある。ここでお茶をするのもおすすめ。

カフェオリエンテ

朝食や食事も出来て夜は王宮を見ながらワインも楽しめます。スペイン国王もお食事に来る有名店。

このあたり王宮が見えるところに素敵なレストランやカフェテリアが沢山ある。夜は王宮の間接照明を楽しめる。(夏は暗くなるのは22事以降です)

王宮からラマレス広場                                                  (palacio Real~Plaza de Ramales)

王宮を背中に右のほうへ、緩やかな登坂を登って行くと
その先に可愛いパン屋さん。お散歩中のわんちゃん駐車出来ますの看板。

かわいいパン屋さん、ワンちゃんパーキング

広場にはベラスケスのパネルが
ここはベラスケスが埋葬されていた教会があったそう
ナポレオン戦争で破壊され画家のお墓は今も行くえ不明。

ベラスケスが埋葬されていた教会あと

サンティアゴ広場からサンミゲール市場へ

ラマレス広場から右手の方にサンチアゴ通りの方へ歩いて行くとサンチアゴ教会(Iglecia de Santiago)。マドリッドからサンティアゴの道を始める人はここからです。


サンティアゴ教会を背中にサンティアゴ通りを歩きます。小さなレストランや小売店が並ぶ良いムードの通りです。ちょっと路地に入るとルティエール(楽器工房)やゴヤが住んでいた家が残る。

ルティエール
ゴヤが住んでいた家
大きな通りにでたらそこはマヨール通り(Calle Mayor)。

マヨールはスペイン語で大きなという意味でマドリッドが首都になった頃に造られた大通り。フェリペ2世がトレドからマドリードに首都を移動したころに作られた通りです。

16世紀頃日本は戦国時代に作られた街が残るのがこのあたりです。。

サン・ミゲール市場(Mercado San Miguel)

目指すはサン・ミゲール市場。昔は本当に生鮮食料品を扱う市場だったが今はマドリッド人気スポットの飲食店が入るフードコートになっている。
中に色んなバルが入っていてここだけで充分楽しめます。随分混んでいるのと少し値段は高めで最近は地元の人は来ないツーリスティック。バルの人もあまり感じ良くないのが残念で私は行かなくなった。

朝の10時から夜0時ころまで毎日開いているので。真ん中に座れるように椅子とテーブルがあるのであちらこちらで買ったものをそこで座って楽しめる。ただいつも満員。

サンミゲール市場サンミゲール市場

広告

*サン・ミゲール市場のトイレは中で飲食したレシートを持って行けば無料。

マヨール広場(Plaza Mayor)

通りを挟んで四角いマヨール広場に行こう。1617年に造られた広場でお祝いの式典やお祭り、魔女裁判などに使った広場で今もクリスマスマーケットやワインまつり等年中賑やかです。真ん中の騎馬像はフェリペ3世。江戸時代に伊達藩の遣いが謁見した王様。

マヨール広場
マヨール広場
哀愁あるスパイダーマン。こういう路上アーティストも楽しめます。

 

サン・ミゲール市場の横の下り坂にはメソンと呼ばれる居酒屋は全部
昼12時頃から開き始め夜中まで営業。

アルコ・デ・クチジェロス(arco de cuchilleros)

 

アルコデクチジェロスはこの通りの名前。マヨール広場とサンミゲール市場の間のこの通りは洞窟のような細長い居酒屋風の飲食店が並びます。このあたりのレストランをメソン=mezonと呼びここは地元の人達も訪れる古くからあるバル街。

マッシュルーム屋さんやスペインオムレツ屋等が並ぶ。

マドリード・アルコ・デ・クチジェロス

マッシュルーム専門店(Mezon del chanmipinion)

メソン・デル・チャンピニオンに行ってみよう。マッシュルームの鉄板焼きを100年以上焼き続ける店だ。ここは人気店でいつもお客さんで混みあっているがみんなお目当てはマッシュルーム、そんなに長居はしないので少し待てば大丈夫。

マドリードマッシュルーム屋

 

メゾンデルチャンピニオン

メゾン・デ・チャンピニオンは細長い小さなお店。入ってすぐはカウンターでスペイン人は立ったままビールやワインにマッシュルームを2~3人に一皿で食べたらすぐに立ち去る。奥に小さなお部屋があって座ることも可能。少し混んでいてもお店の人に座りたい風のジェスチャーをすれば理解してくれて空いたら案内してくれる。

<マッシュルーム屋奥の座れるところ、壁にマッシュルーム>

マッシュルーム

 

マッシュルームだけなのでみんなそんなに長くはいないので少し待てば大丈夫。スペイン人はギューギューに無茶苦茶混んでいてもカウンターですが。

<入ってすぐのカウンターの所>写真は割と空いていた日です。

マッシュルーム屋

アツアツのマッシュルームを鉄板で焼いて岩塩とハムとオイルだけで調理。絶妙の美味しさなので是非とも試してください。

マッシュルーム

鉄板の熱気でガラスが曇った中ひたすらマッシュルームを焼き続けるおじさん。

マッシュルーム

注文の仕方:先に飲み物、その後食べるものをを頼みましょう。2人でマッシュルーム一皿でも十分です。ほかにチーズやハムとしし唐ピーマンが有ります。これも鉄板焼きでとっても美味しいですよ。指さして頼んでください。

<しし唐ピーマン・pimiento de Padron>

マッシュルーム屋

マッシュルーム以外にもこのあたりに昔から続くお店が並んでいますので何件も梯子しながら楽しめます。

ヘミングウェイが通った有名店Botin

ギネスブックに載っているレストランで同じメニューを300年近く出し続けている。ヘミングウィーが絶賛したので人気が高まりアメリカ人がマドリードで絶対に来るお店。

名物はっ子豚の丸焼きで生後3週間以内の子豚をさっくりお料理。母親のミルクだけしか飲んでいないのでお肉に臭みが無くミルクの味と言われている。

子豚がダメな人が一緒の場合の為に魚や野菜料理なども有ります。

年中絶対予約しないと無理なお店です。行くと決めたら予約をしましょう。

<ボティンでメニューを見る人達>
ヘミングウェーが通った子豚料理屋ボティン

<ギネスブック>ヘミングウィーが通った子豚料理屋のギネスブック

1725年からの営業で約300年同じメニューで勝負しているのでギネスブックに登録されている。

<ボティンBotin> 住所 Calle arco de cuchilleros 17  電話913664217

時間 営業毎日13:00~16:00 20:00~0:00

私のおすすめは、最初に生ハム(ハモンイベリコ)はシェアーで、前菜にニンニクスープ(ソパ・カステジャーナ)メインに子豚(コチニージョ)ワインはハウスワイン(ビノ・デラ・カサ)が安くておいしい。約1人45ユーロ位。

 

マヨール広場界隈

マヨール広場に面してテラスのお店が沢山有ります。

マヨール広場からトレド通り(Calle Toledo)の方へ(奥に教会が見えるアーチです。)上の広場のフレスコ画の有る建物を背中にして下って行く通り。

<むこうにサンイシドロ教会が見えるアーチを下るとトレド通り>

エビのアヒージョ専門店が支店を出しました。100年エビのアヒージョ作り続ける「カサ・デル・アブエロ」

テラス席はいつもいっぱいですが

カサデアブエロ マヨール広場

店内は割と空いていてエビ以外にも色々あります。そろそろ疲れて来て座りたい感じだったらこちらへ。二階にもテーブル席が有るので座れる確率高いです。

 

カサデアブエロ マヨール広場

エビのアヒージョgambas al ajillo

カサデルアブエロ マヨール広場

これは絶対美味しいので試して帰ってくださいね。

下はマドリードのおすすめバルの記事です、参考にどうぞ。

マドリードおすすめバル6軒、昔ながらの地元人気店をご紹介します<バル編です>

 

この地区の飲食店の大体の営業時間

ほぼ年中無休(12月24日、25日、1月1日は休み)

サンミゲール市場は10時から1時

マッシュルーム屋さん等バルやメゾンは昼12時から1時

レストランは13時から16時、20時から24時

バルで一息ついたらプエルタ・デル・ソル、ソル広場へ

ここからソル広場はすぐそこ。ソル広場(puerta del sol)プエルタ・デル・ソルにには地元のデパート(エル・コルテ・イングレス)やお店、地下鉄の駅スペイン国鉄の駅がある。

 

ソルからプラド美術館迄歩いて15分、美術鑑賞するのも良しソル界隈でお買い物を楽しむもよし。下の記事はソル広場界隈のショッピング案内です。

マドリードでショッピングならまず中心部セントロ地区へ。マドリード・セントロ徹底調査。スペイン・ブランドがここで完結。

アルハンブラ宮殿の歴史と技術と観光の仕方、グラナダ王国<イスラム建築の最高芸術>

 

アルハンブラ宮殿は南スペインのグラナダにある世界遺産。その技術と観光の仕方と歴史についてまとめました。「宮殿」という言葉から受けるヨーロッパの王宮とは違い全体が一つの「都市」を構成するスペイン・イスラム芸術の最高峰。見学する季節や時刻で随分印象が変わる。できればゆっくりした時間の中で太陽の位置で変わって行く影の動きや噴水の水の音、ヘネラリーフェから風に乗ってやって来る花の香を感じたい。

注意:アルハンブラ宮殿は現在入場予約制。非常に予約が取りにくいので予定が決まり次第ネットで予約を入れましょう。ページ最後に予約先アドレスがあります。

アルハンブラ宮殿
wikipedia cc Alejandro Mantecón-Guillén

アルハンブラ宮殿


アルハンブラ宮殿注意事項

アルハンブラ宮殿は現在入場時間予約制。当日券枠は少なく希望の時間に入れない事も。

*時間の予約はナスール(ナサリエス)宮殿の入場の事。時間に遅れると絶対入れません。

*アルハンブラ宮殿入場時に身分証明書が必要。

*ヘネラリーフェに関しては午前と午後に分かれているだけ。午前午後はナスール宮殿の予約の時間に準じる。

*アルハンブラ宮殿内カルロス5世宮は無料で自由に入れる。

*それ以外の敷地内も入場券なしで自由に歩ける。

*写真はフラッシュなしで撮れる。

アルハンブラ宮殿見取り図
筆者作成

アルハンブラ宮殿見学

アルハンブラ宮殿は計画性を持って創られた宮殿ではなく何世代にも渡って増改築を重ねた都市複合体。化粧漆喰やタイル、天井や儚い水の音等を楽しみながら進んでいきましょう。順路になっているのでそれに従って進んでいくと以下の順にみることが出来ます。

アルハンブラ宮殿カルロス5世の宮殿

自由に入れるので時間のあるところで見学。内部の博物館に彫刻や寄木の扉等が展示されている。この丸い中庭は音響が最高に良いので6月にグラナダ音楽祭の会場になる。

アルハンブラ宮殿見取り図
筆者作成

<アルハンブラ宮殿カルロス5世宮>

アルハンブラ宮殿内カルロス5世宮殿
筆者撮影

アルハンブラ宮殿・入場券のチェック

カルロス5世宮の少し先に個人とグループは別に入場口が作られている。そこでアルハンブラ宮殿の入場券のバーコードのチェック。指定時間より早くは入れない、又指定時間から30分の間に入らないと入場できないので注意。アルハンブラ宮殿見学中切符は合計4回チェックがあるので最後まで失くさないように。

アルハンブラ宮殿入場券
筆者撮影
アルハンブラ宮殿メスアール宮から見学
アルハンブラ宮殿見学用地図
筆者作成

アルハンブラ宮殿に現存する中で一番古い部屋。そしておそらくアルハンブラ宮殿の中で一番改造を強いられている場所なので往時の姿は留めていない。この部屋には裁判所があったがキリスト教徒の時代に変更がされ礼拝堂として使われた。奥にはミヒラブというメッカの方角を示す窪み。アラビア文字や漆喰彫刻、天井の寄木細工が繊細で美しい。

<メスアール宮入口・壁面全体が幾何学模様>

アルハンブラ宮殿メスアール宮
筆者撮影

 

アルハンブラ宮殿コマレス宮

「大使の間」と呼ばれる大広間を含むコマレス宮はアルハンブラ宮殿の中で最も重要な核をなすもの。アラヤネスの中庭(写真下)には大きな池がありそこに映るコマレスの塔は水の上にあるように見える。

アルハンブラ、コマレス宮
筆者撮影
アルハンブラ宮殿大使の間

アルハンブラ宮殿にやって来た使節と王が謁見に使った大広間。天井は寄木細工で満天の星空をイメージして創られている。平面すべてに漆喰のアラベスク模様。弱小国になっていたグラナダが最高の見栄を切って外交官たちと謁見をした。明るい外からやって来た使節はうす暗い大広間に入り目がくらむ。後ろと前の光で王が光輝いて見える仕組みだった。この部屋でコロンブスがイサベル女王から宝石箱を受け取ったと言われている。

<アルハンブラ大使の間の天井・白は象牙が使われている>

アルハンブラ宮殿コマレス宮殿
筆者撮影

アルハンブラ宮殿の技術

アリカタード<石を使った象嵌>

アリカテ(ペンチの様な物)でタイルを切り取り組み合わせていく。模様はすべて幾何学模様。タイル作りのプロセスは粘土の分離から。土を細かく砕き水と混ぜこねて形にしていく。モザイクの為には発色が肝心。緑には銅青、コバルト黄色には鉄とマンガン。赤の混合の秘密は今もわからない。かまどを作り木材を燃やして900度の温度で24時間かけて焼き24時間かけてさました。

アリカタード
筆者撮影

神秘学と数学

アルハンブラ宮殿はイスラム教徒達の生活の場、偶像崇拝の禁止の為イスラム装飾は生き物の形を作らない。基本的には反復するリズム、果てしなく繰り返される模様が空間を埋め尽くし無限を感じさせる。

アルハンブラ、アラベスク模様
筆者撮影

二次元空間における回転対称性を分類するとその数は17種類しかない。このアルハンブラ宮殿ではすべての回転対象を使って壁面を飾っている。

<私が一番気に入っているタイル。水の動きの様に見える>

アルハンブラ、モザイク
筆者撮影

 

アラベスク模様の基本はユークリッド幾何学。ピタゴラス(BC582頃~496)が体系化しアルジャワリ(800-860)が拡張した三角法の基礎。または我々の手の届かないところに永遠不滅の完璧な存在があるとするプラトン(BC427~347)のイデア論がアラベスクの発展に影響している。

アルハンブラ
筆者撮影

 

四角形は四つの等辺を持っていることから自然界の等しく重要な要素と考えられていた。土、空気、火、水の四大元素。どの一つを欠いても物質世界は滅亡する。正四角形を重ねた八角の星はイスラム教徒が好んで使った形。インドで発見されたゼロをヨーロッパに運んできたのもイスラム教徒。「アラビア数字」という進んだ数学はアラビア人がヨーロッパへ運んだ。

アルハンブラ宮殿
筆者撮影

 

アルハンブラ宮殿 ライオンの中庭

ここからはアルハンブラ宮殿内のスルタン達(王達)のプライベートな空間。列柱の森が砂漠のオアシスを感じさせる。

ライオンの中庭
筆者撮影

12頭のライオンは12角形の水盤を支えている。ライオンは10世紀から11世紀頃のものだと想定されている。口から水を出すライオンは太陽を現わす円盤を支え12頭は黄道帯の12宮であり12か月である。4x3の12も古代から良く使われた数。12頭のライオンはソロモンの神殿にあった12頭の鉄の牡牛であり海を支えている。この海は天空の水がめも表していて海でもあり天空でもある。

ライオンの口からは水が出るためには水圧が必要。アルハンブラ宮殿は丘の頂上に創られておらず中腹にある。丘の頂点には今も貯水池がありシエラネバダから水路によって水が貯められている。それぞれの場所に必要な水が流れるよう標高差と管の太さで水量と水圧の計算がされている。

アルハンブラと光

アルハンブラ宮殿の建築は完璧に東西南北を向いている。それによって窓から入る光が時間を教えてくれる。もともと不規則な地形を谷や起伏を埋め立てることによって整列させてある。

夏のグラナダの太陽は容赦なく高い所から照らしつける。高い位置で運行する太陽が各部屋には差し込まないので夏は涼しい。冬の低い位置で運行する太陽はより奥の部屋にま光を届けるので冬は暖かくなる。

アルハンブラ
筆者撮影

アルハンブラ宮殿鍾乳石飾り

イスラム建築の天井に良く使われるのが鍾乳石飾り。イスラム教創始者モハメッドは最初は迫害を受けていた。しばらく鍾乳洞の洞窟の中で隠れて暮らしていた時に大天使ガブリエルからコーランのインスピレーションを授かったことに由来する。アルハンブラ宮殿のライオンの中庭に面するに「二姉妹の間」の天井も鍾乳石様式で飾られている。平面図は四角形だが八角形の星の形にし5416の断片を張り合わせてある。当時はさらにその上の窓は色ガラスで時刻と共に光が移り変わっていくように創られている。天井に移される光が動くイメージ。空間の中の際限のない変化は天空をイメージしたもの。

<二姉妹の部屋の天井、窓には色ガラス壁は彩色されていた>

アルハンブラ宮殿2姉妹の間の天井
筆者撮影

アルハンブラ宮殿の庭「ヘネラリーフェ」

アルハンブラ宮殿見取り図
筆者作成

アルハンブラの建物から外へ出て順路を20分程登って行くとヘネラリーフェ(Generalife)に着く。アラビア語で楽園という意味の庭園。当時とはかなり様子は変えられているとはいえ庭園の本質は失われていない。楽園と同時にアルハンブラに住む王家への食糧を供給する農園や果樹園だった。そして小高いヘネラリーフェに香りの良い果樹や花を植えて宮殿に良い香りが流れる仕組みになっていた。

アセキアの中庭

内側に向いて作られた庭が安心感を与え水の音が心地よい。真夏のうだる暑さの中でもここは水と風の流れで涼しいように高度や方角を計算し設計されていいる。最近の発見では雨の音を再現するための管もあったようだ。

<アセキアの中庭・水の音が心地よい>

アセキアのパティオ
筆者撮影

水とイスラム教徒

飲み水や宗教儀式の清め、入浴等イスラム教徒は当時のキリスト教徒よりも水と密接に繋がっていた。農業や庭園への供給の為に用水路をくまなく創り水を供給した。王宮だけではなく市街地にも街の人々の為の灌漑設備が創られていた。

砂漠で水は宝、色の無い砂漠の民には花々の極彩色は憧れの対象。アルハンブラは水と色をふんだんに使った宝と夢の宮殿都市。

広告

アルハンブラ宮殿入場券<絶対予約要です>

アルハンブラ宮殿当日券は早朝から並んでも買えないケースが続出ですの予定が決まったらネットで予約を入れてください。

<予約の仕方>

2017年から予約の仕方が変更になっています。下の公式ページ(日本語)から予約が出来ます。予約が大変難しくなっているので予定が決まり次第予約をしておくことをお勧めします。

Alhambra De Granada.org
以前は代行サービスで購入できましたが現在本人(最高10枚まで)しか購入できなくなり入場時に本人確認の為のパスポートのチェックが有ります。

アルハンブラ宮殿行き方

まずはグラナダへ

グラナダへはマドリードから飛行機で1時間、バルセロナから約1時間30分

マドリードから路線バスで約5時間

鉄道(新幹線は工事中ですがまだ未開通)。

マラガから路線バスで約2時間15分

セビージャから路線バスで3時間

コルドバから路線バスで2時間15分

*モデルコース:マドリードから新幹線(アベ)でコルドバへ移動(約1時間45分)コルドバから路線バスでグラナダへ(2時間15分)

グラナダ市内からアルハンブラ宮殿

*徒歩:ヌエバ広場(Plaza Nueva)からゴメレス坂を25分くらい登って行くと裁きの門。門から中に入れるが切符売り場は更に城壁沿いに15分くらい登って行く必要がある。

*バス:グラナダ市内を走るC3アルハンブラバスに乗ると切符売り場まで。カテドラル前やヌエバ広場にバス停がある。

*タクシー:ヌエバ広場にタクシー乗り場。

 

アルハンブラ宮殿の歴史

イスラム教徒がやって来た

西暦711年ジブラルタル海峡を渡ってやって来たイスラム教徒により西ゴート王国が滅ぼされイベリア半島はイスラム化した。南スペインはアル・アンダルスと呼ばれシリアのダマスカスのウマイヤ朝支配下にはいる。ところが本家のシリアで革命が起こりウマイヤ朝が倒された(750年アッバース革命)。シリアからウマイヤ家の王子が1人逃げて来てコルドバを首都に後期ウマイヤ朝を始める(756年)。

<コルドバ・メスキータ内部>

メスキータ
筆者撮影

 

コルドバ・カリフ王国は10世紀アブデラーマン3世の時にシリアから独立。コルドバのメスキータ(回教寺院)はさらに拡張され街には大学や図書館、病院があった。後期ウマイヤ朝はその後11代250年の間は大きな内紛も無くコルドバ・イスラム王朝は栄華を極めヨーロッパのどの国とも比較できないほどの洗練された先進地域となった。

<コルドバの街、当時の面影が残る白い村>

コルドバの旧市街
筆者撮影

レコンキスタが始まる

11世紀初頭の権力闘争によりコルドバ・カリフ王国は分裂し後期ウマイヤ朝は1031年滅亡。北の方からキリスト教徒のレコンキスタ(国土回復戦争)が始まっていた。

<最初のキリスト教徒が勝利を得たコバドンガ>

コバドンガ
筆者撮影

トレドは再びキリスト教徒の手に落ち南スペインはタイファと呼ばれる小さなイスラム諸国が出来る。グラナダもその一つだった。北アフリカのアルモラビデ族がイスラム教徒の支援に入りいくつかの地域を支配下におさめる。12世紀にはアルモアデ族が入って来て領土を取り戻すがキリスト教徒軍はナバス・デ・トロサの戦いでイベリア半島北半分を取り戻した。イベリア半島のイスラム教徒の斜陽の時代、この混乱期にグラナダの丘の上に創られたのがアルハンブラ宮殿。

アルハンブラ宮殿ナスル王朝

「モハメッド・イブン・アラマール・イブン・ナスル」のちの「モハメッド1世」はハエンのアルホナの領主。ここはキリスト教徒との戦いの前線地帯だ。時代はコルドバが1236年に陥落しセビージャも間もなく陥落という頃。斜陽のイスラム教徒の王朝として1238年前述の「モハメッド1世」が始めたのがナスル王朝(日本は鎌倉時代)、グラナダ王国の始まり。

アルハンブラ宮殿の建築

<グラナダ最初の王モハメッド1世>

アルハンブラ宮殿、最初の王モハメッド

「モハメッド1世」はグラナダの丘の上に既にあった要塞を居城と決める。キリスト教徒に勝利するのは不可能と読んだ彼は協定を結ぶに至る(1246年対カスティーリア王フェルナンド3世)。カスティーリア王国に税金を支払いグラナダを首都とするアルメリアからジブラルタルまでの地域の独立が謳われていた。すでにあった要塞を改築し60年かけて水道を設置しアルカサバ(要塞)を拡張し宮殿を創った。(その宮殿部分は後に壊されて現存していない。)「モハメッド1世」の外交政策というと聞こえがいいがあらゆる周りの敵たちの顔色を窺いながらの外交。その息子「モハメッド2世」と2代70年の間にグラナダ王国は基礎を固めアルカサバを拡張していった。これがアルハンブラ宮殿の誕生。この時代は宮殿という華麗な物ではなく守りの城、要塞だった。

<アルハンブラ・アルカサバ>

アルカサバ
wiki Alcazaba in Alhambra, Granada
Author Michal Osmenda

アルハンブラ黄金時代

ナスル王朝の全盛期は「ユースフ1世」(1333年~54)とその息子「モハメッド5世」(1354年~91)の時代。「ユースフ1世」の時代にコマレス宮を中心とする部分が創られモハメッド5世の時にアルハンブラ宮殿内のライオンの中庭を中心とする建物が創られた。今見るアルハンブラ宮殿の主要の部分。

<水面に映るコマレス宮殿>

コマレス宮殿
筆者撮影

<ライオンの中庭は王達のプライベートな空間>

ライオンの中庭
筆者撮影

スルタンの力は絶大で王国の重要人物で構成される諮問委員会、裁判所が存在した。グラナダの街にはマドラサ(コーラン解釈の学校)や病院が置かれた。絹・織物市場や穀物取引所があり商業も盛んであった。「モハメッド5世」の後ナスル朝は約100年存続するがアルハンブラ宮殿以外の新しい建物はほとんど創られていない。

グラナダ王国の資金源

<ジブラルタル海峡>

ジブラルタル海峡
筆者撮影

ジブラルタル海峡は地中海と大西洋の入り口。当時そこを持っていたグラナダ王国は地中海の海上貿易に影響力を持っていた。その当時の海洋国家ジェノバは西地中海の制海権を持っておりジブラルタル海峡を越えられるかどうかは死活問題。グラナダ王国と条約を結び資金を援助し優遇措置を得ていた。ジェノバからの資金がグラナダ王国の経済やアルハンブラ宮殿で生活する王達を支えていた。

<1400年頃のジェノバ共和国の支配地域と海路>

1400年ころジェノバの支配権
Kayac1971
Permission
(Reusing this file)
GFDL e Creative Commons CC-BY-SA tutte le versioni (3.0, 2.5, 3.0, e 1.0), sono l’autore

 

斜陽のグラナダ王国

美しいアルハンブラ宮殿内部では次第に快楽的な生活が主流になる。長い繁栄と平和に退廃した無能な王が続き有力軍人達の対立でグラナダ王国内部の混乱。レコンキスタが続く中キリスト教国カスティーリアがジブラルタル海峡を略奪。それまでの資金源が奪われた。さらに敵対していたカスティーリアとアラゴンが王子王女の結婚によって連合国家になる。これがイサベルとフェルナンドの結婚(1469年)

カトリック両王の結婚

グラナダ王国内部

アルハンブラの内部では骨肉の争いが起こっていた。歴史から学ぶことは多い。すべての王国の崩壊は内部から始まる。

広告

国王は息子に裏切られる

国王アブルハサン(ムルアセン)の息子ボアブディル(モハメッド12世)はその母アイーシャと協力して反乱を起こし父王の王位を奪う。実はアイーシャはイスラム創始者モハメッドの血を引く高貴なお方。最初はモハメッド11世と結婚していたがその死後アブルハサンと結婚してボアブディルが生まれている。国王アブルハサンはキリスト教徒の美しい娘に恋をする。改宗奴隷だったイサベル・デ・ソリスを寵愛し妻にし王妃アイーシャと息子ボアブディルは苦渋の中で辛酸をなめていた。

アルハンブラ最後の王ボアブディル

母アイーシャと結託しボアブディルは父から王位を奪い取る。王としていざ戦争へ出かけるが1483年キリスト教徒とのルセーナの戦いで捕虜になり再び父王アブル・ハサンが復帰。キリスト教徒側は相手側の内部の揉め事を知っていたようで、内乱で自滅するのを計算しボアブディルにカスティーリアへの税金の約束を取り付けグラナダへ戻す。グラナダでは叔父ザガルが実権を握っており再び内戦となる。1485年ボアブディルは戦況不利と悟るとキリスト教徒側に逃げ込んだ。叔父のザガンがモハメッド13世として即位。ボアブディルはキリスト教徒と手を組み叔父ザガルと戦争。ザガルが降伏し再びボアブディルはグラナダ王としてアルハンブラ宮殿へ復帰できると信じていたようだがキリスト教徒はグラナダからの全撤退を求めた。ボアブディルが裏切られたと気づいた時には既に打つ手は無かった。包囲されたアルハンブラ宮殿は1492年1月2日無血開城。

<上院議会場にあるアルハンブラ宮殿の陥落の絵19世紀プラディージャ>

グラナダの陥落
De Francisco Pradilla – See below., Dominio público, Enlace

アルハンブラの陥落

ひとつの歴史の終焉。1237年から1492年255年の間に21人の国王達が千一夜物語を過ごした夢のまた夢は終わった。アルハンブラ宮殿の陥落。

ボアブディルが一族郎党を引き連れシエラネバダを超えるとき最後に振り返りアルハンブラを見て涙した。母アイーシャは「おまえが男として守り切れなかったアルハンブラを見て女のように泣くがよい」と言ったそう。その峠は今も「ススピロ・デ・モーロ」「モーロ人の溜息」と呼ばれている。

<グラナダ議会場にあるボアブディル家族のアルハンブラ宮殿からの撤退>           白い服の女性が母アイーシャ

アイーシャ・アルハンブラ宮殿の出発
Aixa, de blanco en el centro de la obra de Manuel
Gómez-Moreno (1880), pintada en Roma

 

<最後の王ボアブディル>

ボアブディル王

ボアブディルはシエラネバダの山岳地帯に領土を与えられたがモロッコのフェズまで行きそこで暮らして生涯を終える。今もシエラネバダのアルプハラにグラナダの落人たちが住んでいた白い村が残る。

<シエラネバダのアルプハラにある白い村>

アルプハラス
筆者撮影

その後のアルハンブラ宮殿

最も輝かしき戦利品アルハンブラ宮殿に入ったキリスト教徒たちはその美しさに驚愕した。カトリック両王の孫カルロス5世はアルハンブラ宮殿を帝国の中心にする予定だった。すでにアメリカ大陸を手に入れハプスブルグ領土も手に入れたカルロス5世皇帝にはアフリカをも含む大帝国の野望があった。時代はコンスタンティノープルが陥落してオスマン・トルコが東地中海で勢力を持っている頃。ウィーン攻略をしたトルコのシュレイマン大帝に攻撃を仕掛けるのに格好の場所だった。

<プラド美術館にあるカルロス5世ティチアーノ作>

カルロス5世
museo del prado

しかしアメリカ大陸の発見後経済的関心が大西洋に移りフェリペ2世は父王カルロス5世の宮殿造営を引き継ぐがそれは終わることはなかった。

19世紀ロマン派の時代

<19世紀の版画に出てくるライオンの中庭>

アルハンブラ19世紀版画
El Patio De Los Leones 1833 David Roberts

時は流れ人々の記憶にさえなくなったアルハンブラ宮殿は廃墟となり忘れ去られた。そこにロマ族が住み浮浪者が滞在しこの城を気に留める者はいなかった。そして更に時は変わりロマン派の時代。古いお城などが見直されていたころアメリカ人作家ワシントンアービングがロシア人の友人とアルハンブラを訪れ旅行記と城にまつわる物語を出版した。「アルハンブラ物語」1832年初版、1851年改定版がベストセラーとなりアルハンブラ宮殿は広く世界に知られることになった。

<アメリカ人作家ワシントンアービング>

ワシントンアービング

 

アルハンブラ宮殿まとめ

アルハンブラ宮殿はスペインで最も入場者が多く切符の入手が難しい世界遺産です。アルハンブラ内部は光の動きや水の音を楽しみながら見学してください。

カミーノ・デ・サンチアゴをサリアからサンチアゴまで歩いた私達の旅の記録

サンチアゴの道をサリアから115キロ歩いてきた私たちの旅の記録。夫に「カミーノを歩く」仕事が入ったのだ。秋にサンチアゴの道を日本からのお客様と100キロ歩くという。それでは時間があるうちに下見に行っておこうどうせ行くなら「2人で楽しみましょう」と私も同行することになったその旅の記録。

私たちのサンチアゴの道の記録


マドリードからサリア

5月14日、この日は夫が仕事だったので出発は午後になった。待っている間に私は弁当を準備して13時45分マドリードを出発。キャンピングカーで国道6号線通称コル―ニャ街道をひたすら走る。

マドリードからサリアへ移動
筆者撮影
マドリードからサリア

マドリードからサリアまでは517キロほとんど高速道路で快適。

今回キャンピングカーにしたのはサリアでの前泊と後泊が出来るのが理由。マドリードを出て休憩したのはガソリンを入れた1回のみで18時32分サリアのマグダレーナ修道院に到着した。517キロを4時間45分だ、悪くは無い、いやいやこれは上等です。

サンチアゴの道 サリア
筆者撮影 サンチアゴの道
サリア マグダレーナ修道院

早速マグダレナ修道院でクレデンシアル(巡礼者手帳)にハンコを押してもらう。スタート地点のハンコ押印の儀式だ。サンチアゴ・デ・コンポステーラで巡礼証明書を作るにはクレデンシアルのスタート地点のハンコとその日付、毎日の宿泊地と更に最低1個のハンコが規則。

サンチアゴの道サリアのハンコ
筆者撮影サンチアゴの道

 

19時前、この時期スペインの太陽はまだまだ上の方にある、サリアの街を少し散策しよう。

サリアの街の入り口
筆者撮影、サリア

夕陽が当たってマグダレナ修道院の壁に文字の影が出来てなんだかとても綺麗。

サンチアゴの道
筆者撮影

巡礼路の街なので道に沿って建物が続く。先に「道」が出来てあとから「街」が出来た様子が良くわかる。街道沿いはアルベルゲとバルとお土産物店が続く。サンチアゴの巡礼者達は沿道の街の重要な資金源に違いない、今も昔も。巡礼者には街道の街が無くては歩き続けられないのだからお互い支えあっている関係だ。

サンチアゴの道、サリアの街
筆者撮影

「サリアに車で着く途中家具の販売場が多かったなあ」この辺りの樫の木の木彫り職人が昔から有名なんだと思う。素敵な物があったが明日から歩くので無事帰ってきたらお土産に何か買おうか(これは結局忘れてしまって何も買わずに帰った)。バルの入り口にも木彫りの看板が素敵。ではここのバルに入ります。

サンチアゴの道出発地サリア
筆者撮影

サリアに無事到着のお祝い。「おっ」ペレグリーナ(巡礼者の女性名詞)という名のビールがあった。

サリアのバルで巡礼者という名のビール
筆者撮影サンチアゴの道

でも今日はリベイロ(ガリシア産)の白ワインをいただきます。つまみにトルティージャがでた。

サンチアゴの道、サリアのバル
筆者撮影サンチアゴの道

さあ早く休みましょう。明日は人生初の21.5キロを歩くのだ、早く起きて暗いうちから出発です。

サンチアゴの道、サリア
筆者撮影サンチアゴの道

今日はマグダレナ修道院の横にキャンピングカーを止めて眠ります。おやすみサリア。

カミーノ1日目、サリアからポルトマリン21.5km

朝7時30頃出発。本当はもっと朝早く暗い時間に出発する予定が遅くなった。いつも適当な私たちの旅はこうだ。カミーノは早く出発して早く着くが基本らしい。公的なアルベルゲは早くいっぱいになるので(今の所パブリックのアルベルゲに泊まる予定)早く出発して早く到着するというのが掟のようだが、まあいいね。何とかなる、てか結局どっちでもいいのだ。

サリア マグダレーナ修道院
筆者撮影 サリア マグダレーナ修道院

ストックは夫が持っていた山登りのものを持ってきたが重さを計ったら300グラムもあって最後まで悩んだ。「2本あると良い」とどこかに書いてあったが2本で600グラムになってしまう。5日間で荷物の重さ6キロ以上、もう減らせるものはない。

サンチアゴの道の出発
筆者撮影サンチアゴの道

出発間際に300グラムのストックを車に残し夫が木の棒で以前に作ってくれたものを持って行くことにした。これなら邪魔になれば途中で捨てられる。

では出発7時30分、朝の太陽が気持ちいい、今日は快晴だ。出発はマグダレナ修道院を正面に見て右の方に歩いていくと➡がすぐにあるので迷うことは無い。

サンチアゴの道 サリア
筆者撮影サンチアゴの道サリア・マグダレーナ修道院

マグダレナ修道院からサリアの街を出てしばらく下って行く。

サンチアゴの道
筆者撮影 サンチアゴの道 サリアから出発

軽いトレッキングコースの様な道で木が茂っている中を歩いていく。すれ違う人や追い抜いていく人に声をかけると書いてあった。「ブエン・カミーノ~」ちゃんと返事が戻って来る「ブエン・カミーノ~」今始めたばかりの新参者なのにベテラン気取りだ。

サンチアゴの道 サリアから
筆者撮影 サンチアゴの道 サリアから出発

矢印やモホンMojon(サンチアゴの道にある石の道しるべ)がしっかりあって探して目的地に着くゲームに参加している気分だ。

サンチアゴの道の道しるべ
筆者撮影、サンチアゴの道の道しるべ

緩やかな登りのある気がしげった道で歩きやすいハイキングコースといった感じだ。

サリアからサンチアゴの道
筆者撮影 サリアから

ヨーロッパからの人が多いなと感じる。スペイン人より英語を話す人が多いかも。ドイツ語やフランス語、スペイン語はメキシコの人や、ポルトガル語はブラジルからの人達にもあった。アジアからは韓国からの巡礼者が圧倒的に多い。

サンチアゴの道 サリアからポルトマリン
筆者撮影

途中怪しい東欧風女性3人組が署名を求めていた。マドリードの地下鉄で観光客を獲物と狙う集団に似ているなあと思っていたら、前を歩いていたイギリス人風男性は署名して寄付金をねだられていた。「こんなところにまで出没するのか・・・」とちょっと気持ちが引き締まった。

サリアからポルトマリン
筆者撮影

カミーノを歩く人達は皆善良で通り過ぎる村の人も親切なので人を信用しきった心のすきを狙ってくるところがプロだ。「すべてを信用しすぎない警戒」は必要だと思った。

歩き続けると登りもあるが木蔭の多い歩きやすい道が続く。

サンチアゴの道、サリアを出て歩く道
筆者撮影 カミーノ

「1日に最低2個のハンコを押して目的地に行くこと」と書いてあったな。途中様々なところで「ハンコ=Selloセージョあります」と書いてある。「ふんふん、これだな」カフェテリアや教会等でクレデンシアルにハンコを押す事でちゃんと歩いた証明になるようだ。

サリアを出て約2時間で「Perscalloペルスカージョ」の矢印で道路を超える

サンチアゴの道、ペルスカージョ
筆者撮影

交差点から1キロ程のところにパン屋さんがやっているカフェを発見、やっと休める、「休憩だ~」ハンコを押してコーヒーとビスコッチョをいただきます。そしてお手洗いへ。

サンチアゴの道サリアから2時間で休憩
筆者撮影

ビスコッチョは日本のカステラの原型。ここで作っているに違いない、目茶美味しかった。今までの人生で食べたビスコッチョで一番だ。

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

ここで夫はメモ帳もボールペンも用意していなかったことが判明。「ボールペン貸して~」「え~」「誰の下見やってんの?ったく」まあ、いつもの事なのですが。

ここから10分程歩いたところにもう少し大きなバル・レストラン。ここはキッチンもあって食事も出来るようだ。

サンチアゴの道、ペルスカージョの後の休憩所
筆者撮影

さっきの所はパン屋さんだけれどこちらはレストランなのでお食事メニューも充実していた。

私たちはガイドブックも無しで歩いているので見つけたところですぐに休憩してしまうが最初の所は混んでいてお手洗いも並んでから。そして少し歩くともう1軒、いや2軒そちらが空いていたケースは数えきれない、調べることは大事だと痛感。

サンチアゴの道、ペルスカージョの後のバル
筆者撮影

ガリシアの農耕地を見ながら前に進みます。きれいな景色を見ると幸せな気分になれるんだなあ。

サンチアゴの道、街道の風景
筆者撮影

暫く歩いたので荷物を降ろして休憩。昨日の残りのおにぎりと茹で卵を平らげた。お菓子や果物、スナックをいつも出しやすい所で持っていると休憩の時に楽しめていいですね。口に何か食べ物を入れた時に人間の脳の幸福ホルモンがジワッと出てくるな等と日常ではあまり感じない事を思う。

サンチアゴの道
筆者撮影

後ろから日本語が聞こえて来てびっくりして「あら、こんにちは~」と話しかけた。別々に歩いている女性2人で色んな所で一緒になってまた再会したばかりらしい。ひとりで歩く人が多いなあ・・・

暫く歩くとなんだか人だかりが出来ていて「何?」って覗いたら「わあ~ここからサンチアゴまで100キロ」のモホン=石の道しるべでした。800キロ歩いてきた人は感慨深いだろうなアと思いながら私も「ペルドーンすみません」小さくなって一枚パチリ。さっき歩き始めたばかりですが・・・

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

その後1キロ程歩くと、なんだろ?ここは?

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

ここで休憩してください無料ですと書いてある。

サンチアゴの道 無料休憩所
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴまで99キロ地点位の所に無料の休憩所。地元の農家が場所を提供してくれていて飲み物や食べ物、お手洗いも使わせてくれる。これはありがたい、なんか陽気なセニョールが「Corazon grande a compartir=広い心は分け合いましょう」と言っている。

サンチアゴの道、無料休憩所
筆者撮影

Donacion=寄付金と書いたところに少額入れていくようになっていて私たちも3€程の小銭を入れた。全然入れない人もいたり紙幣が入っていたり人の事は気にしないで自分に払えるだけ払えばいいという事だ。飲み物や果物やお菓子等、有り難い。

サンチアゴの道
筆者撮影

ログローニョから来たカップルと同席になった。去年のサン・マテオ祭楽しかった話で少し盛り上がった。さあ出発しましょう。

サンチアゴの道
筆者撮影 サンチアゴの道

十字架に石を積んでいるのは神社の鳥居に石を置くのと似ているなあ。人間の行動は深い深い所で繋がっているのかもしれない。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

最後はずっと太陽が当たる道だ。有り難いのは西に向かって歩くので午後になるまで顔に日が当たらない。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

時々地図が置いてあって現在地を確認できる。ポルトマリンまであと少しだ。アメリカに住んでいる韓国人のセニョールが「日本人ですか」と片言の日本語で話しかけてきてしばらく話しながら歩いた。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

矢印が二つに分かれていてどっちでも着けるみたい。左は歴史的な道で右は迂回路なのか?

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

歴史的な道を行きます。

サンチアゴの道、歩く巡礼者
筆者撮影、サンチアゴの道

「うわ~」ポルトマリンの街が見えて来た、写真で見たことがあるやつだ。「すごいッ、着いたんだ」ゆっくりだけど歩けば着く、当たり前だけど感動した、21キロも歩いたんだと驚いた。

サンチアゴの道
筆者撮影

ポルトマリンの標識が嬉しい。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

「到着だ~」とここで脱力しかけたらなんとこの階段を登って行くらしい。階段の下で力尽きた人が何人か座っていた。みんな冗談を言ったり声をかけていく。「ここは関所か?」「上まで頑張ったらビールをおごるから頑張れ!」とか言っているのはスペイン人たち。こういう他人と冗談を言い合える人間同士の距離感が好きだ。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

階段を登って更に登り坂をが待っていた、がんばれ。ポルトマリンの看板があった。「写真撮って~」とラテン・アメリカ風のスペイン語を話す女性に頼まれた。ひとりで歩いているらしい。「はいはい、パチリ」スマホの画面中央が割れていて旅の長さを想像させた。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

パブリックのアルベルゲに到着14:30、という事は21キロを7時間かけて到着。「この時間だと遅すぎでもう泊まれないかもね~私はホテルでも良いよ~(にっこり)」と言いながらアルベルゲに入って聞いてみたら「まだベッドありますよ」にちょっとがっかり。受付でクレデンシアルと身分証明書を見せて6€x2を支払う。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

ハンコを押してもらい荷物を降ろし到着した実感に浸る。

使い捨てのシーツを渡され部屋番号を言われた。部屋だけ決まっていてベッドはどこを使っても良いらしい。「今月は未だ空いているのよ、来月から混むわね。」と受付の女性。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

出口に近いベッドの下の段を2つキープして混む前にシャワーを浴びます。「え~うそでしょ」夫がシャワージェルを持って来て無いって。「私のを使う?」「少ししか持って来て無いのに~」「ったく~」

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

シャワーブース。予想通りシャンプーとか置くところなし。ベンチだけあったので脱いだ服はそこに置けた。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

「S字フックがあると便利」と友達に言われて持ってきた、ここで活躍。念のため貴重品はシャワー室の中まで持参した。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

 

公共スペースは広々していて綺麗に掃除されている。スペインはどこも掃除が行き届いている自信がある、と私が威張ることでもないが・・・

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

キッチンには鍋が一つ置いてあった。後ほど韓国人のグループがラーメンを作って鍋ごと食べていた。ズルズル音をさせ食べていて韓国も音をさせて食べるんだと勉強になった。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

裏側の庭に洗濯機と洗濯場、800キロの長旅の人はありがたいでしょうね。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

選択物干し場もあり洗濯バサミはみんな自前のようでした。無い人の洗濯物は落ちていたので。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

一息ついたら街へ出かけて9月の仕事で夫のグループが宿泊するホテルを見に行って下調べ。

近くにあったサンペドロ教会、でも閉まっている。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

街の中心部に商店やスーパー、バルやレストランが集まっている。ロマネスク様式のサン・ホアン教会や市役所があるあたりがセントロ=中心部だ。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

サン・ホアン教会、ロマネスクの入り口の彫刻が素敵で見とれる。

 

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

サン・ホアン教会の入り口の彫刻は両手を口にくわえて「あわわ~」って言ってる感じが気に入った。この足はどうなっているんだろう、としばらく考え込んだ。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

街にお店が何軒かあり必要な物はたいてい購入できる、サンダル、ストック、寝袋、雨具、シャンプー、日焼け止め。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

途中であったスペイン人の3人組に声をかけられた。「モニカ~(私?)ジントニック飲んでるぞ~」途中の山道で1人が膝が痛そうに歩いていてポルトマリンに着いたら「ジントニックで洗礼だ」と言っていた人達だ。

教会の前のバル・レストランで夕食をいただきます。Platos Combinadosプラトス・コンビナードスはお皿にお肉も野菜も乗った一品で終われる代物。頼んだのと違うのが来たけど注文を取りに来た店主らしきセニョールは肩をすくめるのみでした。

サンチアゴの道 ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

「ガリシア人はケチ」とよくカステジャーノ達が言うのはこれに違いない。お店で働くラテン・アメリカ人風のカマレラに「店主は耳が悪いんじゃない?」と言ったら、「そうだそうだ、本当にそうなのよ」と笑いながら激しく同意していた。向こうにいる店主にはそれも聞こえていないみたいだった。

サンチアゴの道ポルトマリンの夕食
筆者撮影サンチアゴの道

機嫌を直してアルバリーニョの白ワインで無事到着を乾杯。教会ビューで色々2人でお喋りして過ごす夕食、ひとり人旅の人はどうやって時間を過ごすんでしょう。まだ明るいけれど明日の準備をして早く寝ましょう。誘眠剤と耳栓とアイマスクで私はベッドに入った後すぐに記憶が無い。

サンチアゴの道2日目<ポルト・マリンからパラス・デ・レイ22キロ>

気が付いたら朝だった、それくらい良く眠れた。朝6時前に起きて暗いうちから準備。6時30分に出発。夫は隣の人の巨大いびきで眠れなかった様子。しかも出発前の友人の引っ越しの手伝いの後遺症でギックリ腰の前兆らしい、お気の毒。

サンチアゴの道 ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

暗いうちから沢山の人達が無言でキビキビ準備していて不思議とこちらの気分も高揚してくる。「静かにちゃんとキビキビしなくちゃッ」懐中電灯が役立った。

サンチアゴの道、ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

6時25分ポルトマリンのアルベルゲを出発。まだ暗い中出発するとなんか頑張っています感あって嬉しい。

サンチアゴの道、ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

暫く軽い登りが続く。雨が降りそうだ。後で調べると5キロの道のりで200メートルほどの高低差の所を登って行く。あ~少し明るくなって来た、景色が綺麗で森の臭いが変わって行く。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

見晴らしが良い所でみんなポンチョをつけ始めた、霧雨が顔にあたる。手がかじかんで冷たい。最後に家に手袋を置いてきたけれど有っても良かった。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

歩き始めて約2時間(7.7キロ)サンチアゴまで84キロ地点にカフェ。ここまで休憩するところ全くなし。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

暖かいコーヒー飲みましょう、混んでいるけど仕方が無い。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

カフェ・コン・レーチェ(ミルクコーヒー)とパン・トスタード・コン・アセイテ(トーストにオリーブオイル)で朝食。暖かいコーヒーでホ~ッと一息。暖かい物を口にすると落ち着くね~。他の旅人たちも皆顔がほころんでいる。カフェx2とトスタードx2で5€60C

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

そこから1キロ程歩いたところにもアルベルゲ・カフェがあった。ハンコだけ押したけれどあまり感じが良くなかったなあ。「巡礼者は迷惑なのか?」とちょっとムッとなった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

そしてさらにしばらく歩いたところに木蔭があるカフェがあった。素敵な木蔭でここまで頑張ればよかった。調べていないので毎回混んでいる一個目に入る私たち。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

今日は木のあまり木が無いコースなのかなあ、登りも多い

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

石の道しるべに数字がかいてある。サンチアゴまで79.957キロ、当たり前だけれど確実に減っているのでダイエットみたいで嬉しい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

暫く歩くとサンチアゴまで78、1キロ、間違いなく歩けば数字は減って行く。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

 

ポルトマリンを出て約3時間半ほどの所に割と大きなバル・レストランventas o cruceiro。ここはアルベルゲもやって重要な宿場町なのかも、自転車を沢山積んだ車が止まっている。ここから自転車をレンタル出来るんだろうか。バルの中に入るとプラトス・コンビナードスやタパスがあって休憩や食事にもよさそうだった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

すぐ後ろに小さな礼拝堂があった。中にいた随分年配のセニョールが「ここはテンプル騎士団の管轄なんだよ」と色々説明してくれた。「ハンコを押すときに手を添えて押したい所に持って行って欲しい」と言われて初めて目が不自由な事が判った。小銭を入れる箱があったので少額置いてきた。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

教会の横にクルセイロ(石の十字架の目印)と大きな樫の木。大きな木を見ると嬉しくなる。時間があれば木の下でお昼寝がしたい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

ポルトマリンから4時間30分程は歩いたか、小さな村の建物の入り口の果物にフリーと書いてある。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

と中に入って行ったら「コーヒーやお手洗いどうぞ。ハンコもありますハグもします」と書いてある。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

キリスト教系の組織みたいだけれど後で勧誘されるか?と少し構えたが心配無用だった。少し座らせてもらってコーヒーをいただきお手洗いを借りた。他の巡礼者と少し会話をして寄付金箱に小銭を入れて出てきた。「グラシアス」「ブエン・カミーノ」

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

外にfuente del peregurino巡礼者の泉と書いてある。水を自由にくめるようになっていた。有り難い。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

ここの下り坂は自転車の人はいいなあ。さっきのアルベルゲの所からレンタルで移動する人達なのか。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

 

12時を過ぎてもう目的地パラスデレイにもう入るみたい。既に5時間半は歩いたわけだ。村らしくなって来た。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

これはトウモロコシを乾かして保存する入れ物らしい。ネットで検索した時に出てていた~、と嬉しい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

で、もう街かと思ったがまだ街道が続く

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

パラスデレイに入る手前に9月のグループが宿泊するホテルがあったので先にチェックに入った。わあ~素敵な所~私もここが良いなあ・・・でも予算オーバーでしょうね。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

昨日眠れなかった夫は「今日はアルベルゲには泊まらないぞッ」と言っているので「やった~」とペンシオンか個室のアルベルゲを探す。ネットで調べて個室で部屋40€の所があった。

パラスデレイの街の入り口にあるO Castelo。重い荷物と20キロの移動で疲れ切った体で入ったら階段が待っていた。そこまでは調べきれなかった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

部屋にはベッドが5つだけどお2人でお使いください。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

想定通りシャワーのみでしたが、清潔で静かで快適でした。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

キッチンも自由にどうぞという事で夜はここで食べようか?

サンチアゴの道パラスデレイのペンション
筆者撮影サンチアゴの道

シャワーを浴びて夫に私流の「ぎっくり腰の調整体操」を享受した。具合が良くなったので街に出よう。スーパーで夕食用の食糧を買いこみお昼はレストランで食べましょう。美味しい物を探すのは夫の仕事で感が良いのか外れることは滅多にない。

「ここが良い」パラスデレイの街の中心(と言っても知らずに通り過ぎそうな中心部)にあるレストランの定食をいただくことに

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

10€で前菜・メイン・デザートがそれぞれチョイスできてワインもついている定食メニュー・デル・ディアだ。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

前菜はガルバンソ=ひよこ豆にした。暖かい物でしっかり胃袋に届くものが食べたい気分だ。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

お皿はガリシアの磁気サルガデロスに統一されていた。メインに子牛のグリル。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートにティラミス

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

ワインはラベル無しのリベイロ(ガリシア)の赤が1本「どん」と真ん中に。フルーツジュースの様で軽くて美味しかった。スペイン人のひとりで歩いているセニョーラが食事に入って来て挨拶をした。今日は色んな所で一緒になった。

食事のあとガイドブックを購入した。2種類あったけど薄くて軽いミシュランの物にした。もっと早く購入しておくべきだった。

サンチアゴの道ガイドブック
筆者撮影サンチアゴの道のガイドブック

 

ペンションに帰ってお昼寝、洗濯、明日の準備をして夕食はテラスでワインとサラダと買って来たハムとかで軽く済ませる。

サンチアゴの道パラスデレイのホテルで自炊

お昼にしっかり食べたのでお腹は減っていない、軽くて充分。

サンチアゴの道パラスデレイの夕食
筆者撮影サンチアゴの道

「食べたら寝るだけ」という素敵にシンプルな毎日。これが人間の生きる本当の姿に違いない。何も心配事は無い、あす起きたら歩けばいいのだ。

夫「誘眠剤~ちょうだい」私「え~自分の分しか持って来て無いし・・」「ったく」

 

サンチアゴの道3日目<パラスデレイからアルスーア29.5キロ>

 

とにかく良く眠れた。夫もぐっすり眠れ腰の痛みも良いらしい。起きたらベッドの横に荷物が散らかっていて自分でビックリした。兎に角寝たらしい、それくらい疲れていた。

ベッドの枕元にあった。Levantate con energia y peregurina con alegria. 韻を踏んでいて元気が出るのでこれを呪文に今日の約30キロを乗り切ろう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

夫がキッチンでコーヒーとパンの朝食を準備してくれた。暖かいコーヒーを飲めるだけでありがたいと思える。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

7時20分出発、出発は予定より遅いけど充分休んだので満足。今日も少し小雨。もし今日30キロ歩ければ1日余裕が出来てサンチアゴで1泊泊まれるのだ、やってみよう。無理なら途中で泊まればいい。

 

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

宿場町らしい風景、雨上がりの湿った空気も悪くない。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

それにしてもひとりで歩く人が多いなあ。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

私たちはずっと話しながら歩いていてそれも楽しいけれど、ひとりの人は心の深い深い所まで旅をしながら歩いているのかも。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

「あれっ」人だかりが出来ている、「なになに?」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

どうやらクレデンシアルのセージョに蝋の押印をしてくれるらしい。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

「日本人か?」と聞かれた。「そうだよ」と答えると「来年東京に行く。パラリンピックだ」それで彼が車いすだったことに気が付いた。La Huella 足跡という意味の蝋を付けてくれた。「スエルテ~幸運をね~」と言い合った。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

そこにバルがあったのでコーヒーを飲んでお手洗いを使っていく。コーヒー1€20x2

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

直ぐさきにもバルがあって、どうやらここと仲が悪いらしく向こうからしきりにラッパの音で牽制していてこっちのバルの主人も何だかんだ言い返している。なんか松竹新喜劇みたい。こっちのバルにみんなが入って行くので次のバルはそれが面白くなくて悪口を言い合っているらしい。カミーノは人生の道やなあと実感する。色んな人達が道にいてそこには様々なドラマがある。

少し先に教会、この村の教区教会のようで入り口入ったところでセージョを押してもらって少し小銭を入れる。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

 

モホンの上に履きつぶした靴を置いて行くのが流行りなのか。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

いよいよメリデに着いた。パラスデレイから15キロ地点で9月のグループはここで宿泊だ。街に入る手前に橋が架かっている綺麗な街だ。15キロなんて何でもない。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

橋のたもとのバルレストランが良い感じだった。9月はここでランチも良いねとメニューを見せてもらった。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

国道の方に行って9月のグループの宿泊ホテルをチェック。ホテルのオーナーはとても感じの良い人で色々教えてくれた。メリデはタコが有名でホテルの近くの店を教えてくれたのに今更いかなかったことに後悔している。この日は30キロ歩くので気持ちに余裕が無かったのだ。さあ前に進もう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

メリデを出たらまた木が茂った綺麗な街道。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

自転車に荷物を積んで引っ張るのも大変でしょうね。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

メリデを出て4.5キロでボネンテという村、教会があり国道と交差している。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

暫く登り坂が続き次の村カスタニェーダの集落にバルがあった。14時になってお腹も減ったので休憩しましょう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

一つ目はやめて次のバルに入って「トルティージャでも食べましょう」と荷物を置いて座ったら「トルティージャは無い」と愛想悪く言われてしまった。前のバルにはもう戻りたくないし、ちょっとしょんぼりしながら前に進む。「ガリシア人愛想悪すぎっ」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

川のほとりにベンチが有ったのでここで休憩する事にした。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

昨日買った缶詰とマドリードから持ち歩いている生ハムと昨日の残りのパン。これで充分美味しいランチになった。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

森の中を歩いて行く。時間によって森の臭いが違うのだ。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

アルスーアの標識が見えた。

 

あともう少しの所からまさかの登り坂。もう気力のみで一歩一歩、前は見ないで自分の足だけを見て歩いて行きそして到着した。歩けば着くんだと知った。

9月のツアーの下見をしたペンションで力尽きもう立てない。値段を聞いたら少し安くしてくれるというしここに泊まる事にした。ペンション・ア・ルア部屋40€で朝食別。明日食べるんだったら朝食もひとり3€でいいよ。優しさが身に染みた。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

部屋の写真も撮り忘れ次の朝に取ったので乱れた状態です。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

バスルームはもちろんシャワーのみですが熱いお湯が充分でました。

 

お掃除も行き届いた清潔なお部屋でした。

 

巡礼の街はどこも先に道が出来た後街が出来たので細長い。道沿いに宿場町が発展していったのが良くわかる。

街の中心部ではガイタ(ガリシアのバグパイプ)のコンクールの様で村人が集まっていた。

30キロも歩いたからにはお祝いをしなければ。夕食は美味しい所をみつけましょう。ネットで検索したらここが一番というので来てみたのが「カサ・ネネ」「Casa NENE」

19時30分頃予約なしで入ったら「今は満席、15分位まったら何とかなる」と言う。結局30分位待って「忘れられている?」って頃にどうぞと2階に。「やっぱりガリシア人て愛想悪いよね~」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

2階に案内され、なんと小さなレストランでこれは待っても仕方ないと納得。 ほとんどが道を歩いている人達のようだけれどちょっと綺麗な服装の人もいてちゃんと着替えを持って来ているんだねえ、と感心した。

メニューはどれも今風のメルカード創作料理風。前菜にエビのフライ

何を食べたのか全く記憶にない一品

ソロミージョ牛肉のフィレの焼いた料理

ワインはガリシアのゴデージョというぶどうの白ワインを一本

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

食事の後の記憶が殆どなく起きたら朝だった。何と平和な毎日なんでしょう。

サンチアゴの道4日目アルスーアからオーペドローソ19km

朝食は7時から、と言われ混んでいると困ると急いでやってきたら誰もいなかった。昨日のレセプションの女性がキッチンにいて「卵食べる?」

サンチアゴの道アルスアのペンション
筆者撮影サンチアゴの道

簡単なブッフェだが果物もあって巡礼者には充分だ。さっきキッチンで卵作ってた女性はもうホテルの方のレセプションで出発のお客さんの手続きをしていた。スペイン人働かないって言ってる人誰?

7時45分アルスーア出発

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

今日は雨は大丈夫な感じ。2.4キロ40分位歩いたプレグントゥーニョに1件目のカフェ更に20分程でもう一軒カフェがあった。

サンチアの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

昨日の雨で道はぬかるんでいるが今日は足に豆が出来て靴を履くと痛いので靴下を履いてトレッキング用のサンダルを履いて歩いた。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

遠くから「ジントニック~」と聞こえてきた。ポルトマリンで合ったスペイン人の3人組のセニョールたちだ。見違えるほどのスピードで歩いていった。ジントニックを飲んだら元気になるよとか言っていたなあ。なんだか戦友にあった気分だ。

アルスアから6キロ地点、2時間半位でカルサダという集落にカフェ。お手洗いが女性の方が壊れていて列が出来ていた。ジントニックのおじさん達はここで休憩らしい。私たちはもう少し進んでみよう。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ビール瓶で作った門があるバル。ビール瓶に日付と名前がはいっている。沢山の人達が飲んでいったビールに歴史。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ビール瓶で作った免罪の門プエルタ・デ・ぺルドンと書いてある。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

更に先にはアルベルゲの壁に巡礼者の履きつぶした靴を植木鉢にして飾ってあった。靴は巡礼の象徴やね。800キロ歩いたら潰れるのかな。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

時々で会う逆向きに歩く人、何故なんだろう。サンチアゴは後ろ。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

次の村ボアビスタに着いた。休憩所があるみたいなので覗いてみる。ここは写真屋さんもやっていて記念写真を撮ったらサンチアゴで受け取れるという。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

外にポートレート写真が飾ってある。Casa da boaVista眺めが良い家かな、ガリシア語はほとんどポルトガル語やね。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

建物の中はとっても素敵でお手洗いも男女別で綺麗。農家がやっているんだと思う、広い農地が見えるテラスでコーヒーをいただき休憩。荷物を降ろすとホッと一息だコーヒー2杯で3€80centは少し高めかもしれないが美味しいコーヒーでした。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

更に2キロ程歩いたところに村があった。Salcedaサルセダ。サンチアゴまで28キロ位の地点。定食8€は安いけど見るだけ。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ここから1キロ弱位、サンチアゴまで27.3キロ位の所で国道に面したところにもう一軒。広いParrilladaと書いてある炭焼きもやる本格的レストラン。

更に2キロほどでレストランがありこの辺りは休憩するところは沢山あった。

あとサンチアゴまで25.026キロ。少しづつ近づいている。必ず減って行くのが嬉しい。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ

13時ア・ルアに着いた。ここはは9月のグループが宿泊するところ。5時間程で18キロ歩いたことになる。素敵なペンションはお掃除終わったばかりみたいなので扉の外から9月のグループの件で少し話をした。サンチアゴの道のペンションはどこも13時頃には入れるようだ。みんな早く出ていって早く着くからという事ですね。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

あと1キロで本日の目的地オーペドロ―ソに到着です。「今日はどうしよう?」「せっかく寝袋背負って歩いているのでもう一泊位アルベルゲに泊まってみようか?」と私たちの意見がまとまりパブリックのアルベルゲに行ってみる。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

丁度ペドローソの街に入ってすぐにアルベルゲがあった。

サンチアゴの道オーペドロ―サ
筆者撮影サンチアゴの道

なんだか機嫌が悪そうなセニョーラが受付け「ベッドは有ります」。身分証明書とクレデンシアルを見せてひとり6€x2を支払い使い捨てシーツを受け取る。

サンチアゴの道オーペドロ―サのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

ベッド番号32と33、2段ベッドの上と下だ。ベッドの準備をしてシャワーを浴びて洗濯をして出かけます。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

公共エーリアは広々していた。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

コイン式の洗濯機。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

洗濯物を干すのも競争率は高い、既にいっぱいだ。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

ここのアルベルゲが良かったのはベッドごとに電気があった。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

今夜の睡眠用に誘眠剤を買いに薬局に行った。私が持ってきたのは飲み切ったので購入する。

サンチアゴの道オーペドローサの薬局
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴの道らしく足の豆用品が全面に出ていた。

サンチアゴの道オーペドローサの薬局
筆者撮影サンチアゴの道

ランチは薬局で夫が美味しい店を教えてもらっていた。地元民に聞くのが一番だ。薬局からも近い「お肉ならここ」と言われたらしい。Asador Pedrouzo

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

入ったところは満席だったが奥の方に案内された。お肉のメニューでサラダとデザートもついてひとり15€。アツアツの鉄板で自分で焼きながらいただく。

美味しいハウスワインもついてサラダとポテトフライ。

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートにチーズケーキ。

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

話しかけてきたのはアメリカに住む中国人。去年日本に行ってとても気に入ったので又行きたいらしい。サンチアゴの道はフランスから歩いているという。

ランチにしっかり食べたのでもう夕食はいらない感じだった。明日の準備をして果物とピスタッチオで終了して早くねます。今日は夫も誘眠剤を飲んで眠れるでしょうか。

サンチアゴの道5日目ペドローソからサンチアゴ20キロ

今日はサンチアゴに着くので周りの人達もみんななんだかソワソワしている気がする。早くから動きはじめて6時頃にはざわついていた。夫も今日は眠れたようだ。持っていたコーヒーを電子レンジで沸かしたお湯で作ってくれた。6時50分出発。街を出るのに矢印が無くて少し遠回りをしたようだ。昨日のレストランの方から行けばよかった。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

早朝の森の臭いや鳥の声、毎日歩いているから少しわかって来た。時間によって森の臭いが変わって行くのだ。歩いているときに胸の奥の方からフツフツ沸き上がって来る幸福感に満たされる。脳から出る幸福ホルモンとは別のシステムの様な感じでもっと原子的な人間の根源の奥深い所から湧きだしてくるような不思議な感覚だ。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

せっかく買ったガイドブックに出ているSan Antonという村は通過しなかった。このガイドブックなんだかあちらこちらで違っているなあ。1時間程歩いたところにバル、トンネルを超えてもう一軒バル。私たちは休憩なしで歩く

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

その後軽い登り、しばらく行くとまた人だかり。覗いてみたら蝋のハンコを押してくれるらしい。並んでいるからここは通り過ぎる。もうハンコも随分集まったしね。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

モホンに大きな石を積み上げた人、すごい力持ち。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴ空港の近くを歩く。飛行機が降りてくるのが間近に見えた。

空港の敷地の金網のすぐ横がサンチアゴの道なんだ、というか「道」の方が先にあったんだよね。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

Labacollaラバコジャの村に入ったところに2軒バルがあった。休憩しよう。コーヒー2とドーナッツ2で4.6€

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

大きな豪邸が続く住宅街を歩く、登りが続く。

 

キャンプ場があってそこに売店とレストランがあった。もうこの辺りはサン・マルコになる。サンチアゴはすぐそこだ。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

キャンプ場から更に1キロほど歩いたところにもレストランがあった。ここは街にあるようなレストランでメニューをみたら食べてみたくなるようなものがある。この先のサンマルコに泊まって次の日サンチアゴに入るような予定ならここでランチもいいと思う。私たちはサンチアゴに本日中に着きたいので前に進んだ。

サン・マルコ教会に到着。ここはサンチアゴの観光をするときにグループのお客様と時々やって来る所でモンテ・ゴソのすぐ近くだ。ローマ法王ヨハネパウロ2世が1998年に訪れた記念のモニュメントがある。そして世界のカトリックの若者の祭典が行われたときに大きなアルベルゲが作られた。にここで宿泊して明日の早朝にサンチアゴに入る人も多いに違いない。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ、サンマルコの教会
筆者撮影サンチアゴの道

サンマルコ教会から少し巡礼の道から外れていつものモンテゴソのモニュメントに行った。旅行会社のサンチアゴの観光のパンフに乗っているところなのでここはバスでやって来て写真を撮る場所、実際カミーノを歩いている人はあまり行かないようだ。天皇陛下が皇太子だった時に日西友好行事で訪問されて遊歩道が綺麗に整備された。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

ここからサンチアゴ・デ・コンポステーラの街まで「たったの5キロ」が随分長く感じた。歩くところが今までの様なウキウキする綺麗な森じゃないからだと思う。

サンチアゴの道、サンチアゴ・デ・コンポステーラ
筆者撮影サンチアゴの道

車が走る大きな道路やスーパーやガソリンスタンドを見ながら、サンチアゴの街は大都会なんだと感じた。マドリードから直接到着した時の印象と同じ町に入った時の感じ方がこんなに違うんだねえ。

旧市街に入って行くポルタ・ド・カミーニョに着いた、かつてここには巡礼者が街に入る城門があった。今は名前だけが残るここからサンチアゴの旧市街に入る。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

巡礼の門を入るとセルバンテス広場を通り抜け大聖堂に到着だ。

サンチアゴのサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

こんなに待ち焦がれたサンチアゴの到着なのに、もう終わってしまうんだと大聖堂に近づくほどに切なくなった。「泣いてしまう程嬉しい」に違いないと想像していたので自分の心の動きに動揺した。心が空っぽになったのだ。

サンチアゴの道サンチアゴ・デ・コンポステラ
筆者撮影サンチアゴの道

大聖堂は現在工事中で中に入れるのはプラテリアの入り口からで9時から20時のみ。まずはサンチアゴ様にご挨拶をします。リュックをその辺に「ぽいっ」と置いて中に入った。

サンチアゴの道サンチアゴデコンポステーラ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴ様のお墓にご挨拶に行こうと思ったらものすご~く混んでいた、私たちはもう少し後で戻ることにして巡礼オフィスに向かいます。この時間は巡礼者が皆歩いて着くので混むんですね。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

巡礼オフィスも大混雑で40分程並んで証明書を手に入れました。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

別途3€支払うと「歩いたキロ数を書いた証明書」がでる。カウンターで何か聞かれたらこれですが夫よく話を聞いていなくて「シーシーはいはい」と言って購入していた。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

ランチはこの近くの評判が良いレストランに予約なしで行ってみたら「この席で良かったらどうぞ」と案内された。

A Horta do Obradoiro オブラドイロ広場から徒歩すぐの所。

サンチアゴの道サンチアゴのレストランオルタドオブラドイロ
筆者撮影サンチアゴの道

イカスミのリゾット

サンチアゴの道サンチアゴのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

オックステール

サンチアゴの道サンチアゴのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートはガリシアのデザートでフィジョア、クレープの中にクリームやアイスクリームが入っている。

宿泊はモナステリオ・サンフランシスコ・ホテル、最後だけちょっといいホテルに泊まりたかった。

サンチアゴの道、サンチアゴサンフランシスコホテル
筆者撮影サンチアゴの道

ネットでホテルの公式ページから探すと巡礼者値段で割引料金一泊朝食付きダブル・ルーム1部屋175€。

サンチアゴの道サンチアゴ、サンフランシスコ修道院ホテル
筆者撮影サンチアゴの道サンフランシスコホテル

 

休憩の後午後に大聖堂に入ったら随分空いていてゆっくりサンチアゴ様にご挨拶をしてきました。膝をついてお墓に向き合ったら空っぽになった心がじわじわと何かで満たされていって涙が出た。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

翌日、サリアに戻ります

久しぶりのホテルでのんびりできた。チェックアウトをして朝からもう一度大聖堂に戻りサンチアゴ様に挨拶をした。あとは帰るのが惜しくてサンチアゴ・デ・コンポステーラの街をうろうろ。時間があればフィニステーレまで行ったに違いないが帰らなくては、仕事が待っている。サンチアゴの台所「アバスト市場」のタコ屋は月曜も開くらしいので行ってみた。(スペインでは市場の魚屋は月曜日休みなので)

サンチアゴの道、サンチアゴのアバスト市場のタコ屋
筆者撮影サンチアゴの道

新市街地に出来ているメルカード・ラ・ガリシア―ナはマドリードのサンミゲール市場の様なフードコート仕立て。寿司屋もあった。

サンチアゴの道サンチアゴの
筆者撮影サンチアゴの道

バスターミナルに早めに歩いて行って15時30分のルーゴ行きのバスに乗りましょう。窓口に誰も来なくて心配になったが14時45分窓口に人がやって来た。切符を買う時に「サリアまで行くんだけど~」といったらサリア直行があるけど「15時発はあっちの会社」「エーあと2分」とダッシュしたのは私たちだけでは無かった。調べ方が甘かったが、ぎりぎり間に合った。

 

サンチアゴからサリアは約3時間のバスの旅。5日間かけて歩いた距離をバスで3時間で戻るのは不思議な気分だ、歩いた道とは違うルートだけれど。

サリアのバスターミナルに到着。

マグダレナ修道院まで歩いて戻って行った。キャンピングカーが無事待っていてくれた、少しだけ心配していたので安心。

一緒に歩いた杖は家まで持って帰る、もう捨てられない。

サンチアゴの道サリアに戻ったところ
筆者撮影サンチアゴの道サリアのマグダレナ修道院

車のエンジンを掛けて、さあ出発。この時期は22時頃まで明るいので行けるところまで行って休もう。

 

途中お腹が減ったのでラーメンを作っていただきます。

 

カスティーリア・レオンに入るとどこまでも平ら。カミーノもここはつらいだろうなあ。

私は途中記憶を失っていたが気が付いたらマドリードに帰って来ていた。12:30マドリードの家に無事到着。

サンチアゴの道の旅を3分間のビデオにまとめてあります。

カミーノが終わって

あっという間のサンチアゴの道の旅でした。マドリードで日常に戻ってこれを書いているが、まだ歩いていた時の森の臭いや鳥の声を思い出す。辛かったけど重い荷物を持って道を歩いている時が幸せだったと後から気が付いた。道は人生なんだなあ。

 

サンチャゴの道をサリアからサンチアゴ・デ・コンポステーラまで115キロ歩く人の色々まとめ

カミーノ・デ・サンチャゴ=サンチアゴの道は1000年以上も人々が歩き続けている巡礼街道で世界遺産。この記事はサンチアゴの道で一番有名なカミーノ・フランセス=フランスの道をサリアからサンチアゴまで115キロ歩く人の為の解説書。私は歩いて本当に良かった、足が痛くなったけど足はそのうち治る。大きな悟りが直ぐに与えられるわけでは無いけれど「どうしよう、無理!やっぱりやめよう」ともし迷っている人がいたら恐がらずに是非最初の一歩を踏み出して歩いてみると良いと思いまとめた記事です。

サンチアゴの巡礼道「カミーノ・デ・サンチアゴ」を115キロを歩く


サンチアゴの道とは

サンチアゴの道はスペイン北西部にある聖地サンチアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼街道。1000年以上前から続いている巡礼路でいくつかの道があるが一番有名なのがフランスの道。

サンチアゴの道フランスの道ルート
筆者作成サンチアゴの道

ピレネー山脈のフランス側から約800キロの巡礼街道。サンチアゴ・デ・コンポステーラは聖ヤコブの遺体が埋葬されたカトリックの聖地。スペイン語で道をカミーノという。サンチアゴの道をカミーノ・デサ・ンチアゴ、略して定冠詞を付けて「エル・カミーノ」と呼ぶ。

サンチアゴの道<エル・カミーノ>の歴史

サンチアゴとは

イエス・キリストの12弟子のひとり聖ヤコブの事をスペイン語でサンチアゴという。イエス・キリスト亡き後スペインに布教にやって来たと言われているがその後エルサレムでヘロデ・オアグリッパにより首を切られて殉教。サンチアゴの弟子たちによりその遺体は船に乗せられ「行先は神のおぼしめしのまま」と天使に導かれガリシアに埋葬された、という言い伝えがあった。

サンチアゴの道、聖ヤコブの遺骸を運ぶ弟子たち
筆者撮影サンチアゴの道パドロンの教会にあるメダル

9世紀のある星が瞬く美しい夜に羊飼いたちが星の真下に洞窟を発見そこに聖ヤコブの遺骸を見つけた。

その時代スペインではイスラム教徒から領土を奪い返すレコンキスタの戦争をやっていた、聖ヤコブはキリスト教徒を守る守護聖人となり「神はそれを望んでおられる」と宗教的な情熱と結びついてヨーロッパ全体に広がって行った。サンチアゴ・マタ・モーロと呼ばれレコンキスタの象徴になって行った。

聖ヤコブ
筆者撮影

 

歩くのに必要なのはクレデンシアル

クレデンシアルとは

クレデンシアルは巡礼者の通行証、巡礼者のパスポートになる。巡礼者用の宿泊施設アルベルゲの泊まったりサンチアゴデコンポステーラに到着して巡礼証明書を発行してもらう時に必要になる。

従来は自分が通う地区の教区教会で発行していた。現在はエル・カミーノにある教会や巡礼事務所やアルベルゲで発行してもらう。

クレデンシアルを持っていると観光施設の割引があったりホテルも巡礼者料金がある場合がある。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*アルベルゲに泊まるにはクレデンシアルが必要

*サンチアゴ到着後に巡礼証明書を発行するのに毎日2か所のハンコを押してサンチアゴに到着する必要がある。

クレデンシアル
筆者撮影サンチアゴの道

 

*クレデンシアルを日本で手に入れる

日本のサンチアゴの道友の会で発行している。料金1000円。

日本のサンチアゴの道友の会のクレデンシアルを購入できるページです。

http://www.camino-de-santiago.jp/credential/get.html

 

*クレデンシアルをマドリードで手に入れる

マドリードでクレデンシアルを手に入れる方法は2つ。

①マドリード王宮近くのサンチアゴとサンホワンバウティスタ教会で無料で発行。

Real Iglesia Parroquial de Santiago y SanJuan Bautista

住所 Calle santiago24

寄付金が必要。クレデンシアル発行の後「お参りしてください」といわれるので後ろにあるサンチアゴ像でお参りをして1€~2€、もちろんもっと沢山でも。

月曜から土曜10時から13時、18時から20時

日曜、祝日11時から13時、18時から20時

*パスポートやDNI等身分証明書。

*巡礼を始める場所と日付けを聞かれる。

*本人のみ可能

 

②マドリードのサンチアゴ友の会で発行ー2€

Asociacion de Amigos de los Caminos de Santiago de Madrid

住所 Calle de Carretas14

火曜日と木曜日19時から21時

水曜日11時から13時

*パスポートやDNI等の身分証明書

*身分証明書のコピーで代理申請可能

*2€の手数料が必要

*クレデンシアルをカミーノで手に入れる

各地の巡礼事務所やアルベルゲ、教会などでもクレデンシアルを発行している。マグダレナ修道院も発行するアルベルゲのリストに出てくる。私は「万が一行ったら無かった」という事を想定して念のためマドリードで入手しておいた。

 

巡礼証明書La Compostelaをもらうには最低100キロ歩く事

*サンチアゴの道は沢山の道がありどの道を歩いても良いしどこから始めても良い。

*サンチアゴの道を歩いた証明書=La Compostelaをもらうには徒歩で最低100キロ、自転車と馬は最低200キロと規定がある。

*毎日カミーノを歩きながら最低2か所のSELLO=ハンコをクレデンシアル(巡礼手帳)に押し、日付も書く事。

クレデンシアル
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴに到着後巡礼事務所に持って行くと巡礼証明書(無料)が発行される。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

 

 

マドリードからサリアへの行き方

マドリードからサリアへの移動は私たちはキャンピングカーで移動しサリアのマグダレーナ修道院の前に車を置いて5日間で歩き路線バスでサリアに戻って来た。在住者で車ありならこれが一番無駄が無いはず。

レッカー車の会社が車をサリアからサンチアゴに200€で移動してくれるサービスがあった。サリアに車を置いてサンチアゴに着いたら車をピックアップできるサービスだ。結局200€は勿体ないので私たちは路線バスでサリアに戻ったが便利なサービスではある。

マドリードからサリアにバスや鉄道で移動

日本や他の国からマドリードに入りサリアに行く方法は3つ。簡単でおすすめは①の長距離バスでルーゴ、乗り換えてサリア

①マドリードからルーゴ行きの長距離バスにのり(約6時間30分~7時間)ルーゴからサリア行きの路線バス(約30分)に乗り換える。

*マドリードからルーゴ(LUGO)

バス会社ALSA  マドリード南バスターミナルからEstacion sur de autobuses

(ALSAはマドリードのバラハス空港ターミナル4からも出発している)

ALSAの時間を調べるページにリンクします。出発地と目的地を英語やドイツ語、フランス語も選べる。

ALSA

 

*ルーゴからサリア(SARRIA)

ルーゴに着いたらMonbusのバスに乗り換える。バス会社Monbusのページ。出発地と目的地を入れて日付を選択、右上から英語も選べる。

https://www.monbus.es/en

②マドリードからサンチアゴまで路線バス又は飛行機、鉄道で行き、サンチアゴのバスターミナルからサリア行きのバス会社Monbusのバスに乗る。

バス会社Monbusのページ。出発地点と目的地、日付けを入れると時間が出てきます。右上の所から英語も選べる。

https://www.monbus.es/en

③マドリード・チャマルティン駅からサリア行きのスペイン国鉄Renfeに乗る。本数が少なく日によって時間が違うので注意。

*月曜から金曜と日曜はトレン・ホテルという夜行寝台列車が出る。マドリード・チャマルティン発22時30分サリア着朝6時50分51€90c(時間や値段は季節や連休などに変更があるので必ず確認してください)

スペイン国鉄Renfeのページです。出発地と目的地、日付を入れて検索できます。

http://renfe.com

サリアのバスターミナルから

サリアのバスターミナルからカミーノの出発地点マグダレーナ修道院アルベルゲまでは徒歩15分、最後に少し登りがある。

サリアの街にはさまざまなタイプの宿泊施設があるのでそれぞれの旅に合った所を探すと良い。

サンチアゴの道サリアのバス駅
筆者撮影サンチアゴの道

サリアのバスターミナルはバスの出る時間くらいしか人はいない。タクシーもいなかった。お手洗いは無料で使える。駅を出てすぐにスーパーマーケット有。

(写真下)正面の丘の上に有るのがマグダレーナ修道院アルベルゲ。丘の上なので最後は少し登坂になる。

サンチアゴの道サリアから
筆者撮影サンチアゴの道

歩道にサンチアゴの道の象徴ホタテのモザイクで気分は盛り上がります。

サンチアゴの道
筆者撮影サンチアゴの道

サリアのマグダレナ修道院アルベルゲ

マグダレナ修道院のアルベルゲについて

一泊10€

ベッド数110

予約可

時間11時から23時、出発は6時から8時30分の間

営業は3月15日から11月2日まで

(下)ホームページ日本語で見れます

http://www.alberguesdelcamino.com/ja/sarria/albergue-monasterio-de-la-magdalena/

サンチアゴの道持ち物と持って行って良かった物

ここでは5~6日間でサリアから115キロを歩く場合の持ち物リスト。アルベルゲにも泊まる場合もありで必要な物。パスポートやお金クレジットカードなど基本的な物以外でまとめてあります。予算があってすべてホテルやペンションに泊まるならシャンプーやS字フック選択物干しは不要。

荷物はなるべく軽くする努力が必要。女性で6キロ~7キロ位までが良いと思う。

*リュック=私は40Lのリュックををマドリードのデカトロンで30€ほどで購入した。サイズは30Lでも充分だが私は別の機会にも使えるように大きめのを購入した。なるべく軽いのを選ぶといい。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*クレデンシアル巡礼者用のパスポート

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*寝袋(私は既に持っていたオールシーズン用で行ったが1.1キロもあった、冬以外はもう少し軽いのでもいい)新しく買いたくなかったのでこれ。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*小さなバッグ(クレデンシアルやお金などすぐに出せるように)この黒いバッグはマドリードの中国人ショップで2€位、貴重品とクレデンシアルとスマホ、リップクリーム等をここに入れていた。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*歩く靴=履きなれた靴で登山靴かトレッキング用の靴の裏がしっかりしたもの。砂利道やぬかるみもあるくが急な山道は無い。

*日焼け止めクリーム。写真下は私が普段から使っているスペインのAveneの色付きのSPF50。これ一本で一か月は持つ絶対焼けないすぐれもの。6€50c位スペイン各地の薬局で購入できる。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*帽子、登山用の布地の物と悩んだ末麦わら帽子にした。マドリードのマヨール広場近くで10€。折りたためるのでいらない時はリュックに入れられる。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*ポンチョ=リュックごと頭からかぶれるタイプのもの。

*トレッキング用のサンダル(豆が出来て靴を履けないとき、シャワーの時とスリッパ兼用)途中で足に豆が出来た靴が履けなかったので靴下をはいた上にこのサンダルで歩いた。トレッキング用サンダルで検索すると沢山出てきます。

サンチアゴの道持ち物
筆者作成サンチアゴの道持ち物

*トレッキング用のストック=絶対合った方がいい、心の支えにもなった。なるべく軽めのを一本は最低持って行くと転ばぬ先の杖になる。

*S字フック=アルベルゲでシャワーを浴びるときに貴重品をシャワーブースの中にかけたりシャンプーなどをかけるのに使う。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

*洗濯物干し=靴下や下着等洗濯したものを干す場所が確保できない場合があるのでなるべく軽い物をひとつ持って行った。

サンチアゴの道持ち物
筆者作成サンチアゴの道持ち物

*バッテリーバンク=私は持って行ってよかった。個人的にスマホをよく使うので毎日充電が必要、アルベルゲでコンセントがベッドの近くにない、コンセントは既に誰かに確保されていた等。

サンチアゴの道の持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*耳栓とアイマスク=アルベルゲでのイビキ対策用

*軽い誘眠剤=私はスペインの薬局で売っているDormidinaを持って行った。似たようなものがカミーノの薬局でも購入できる。

サンチアゴの道持ち物
筆者作成サンチアゴの道持ち物

 

*登山用パンツ2本=今履いているパンツと予備を1本。ポケットが沢山ついている速乾性の物が便利。

*スポーツブラとシャツや下着=干しててあまりセクシーじゃないのを探した。でもヨーロピアンは気にしていない模様。

*パジャマ兼部屋着のシャツとジャージのうすいの

*薄いダウンジャケット

*山用のヤッケ

*虫刺されパッチ=どこでやられたか不明だがのみかダニにやられた。

*小さい懐中電灯=暗い中準備する時用。スマホのバッテリーを使いたくないので。

大抵の物は現地でも購入できる。常備薬、虫刺されパッチはスペインにないので日本からどうぞ。

大丈夫、心配せずに出発しよう

「荷物を持ってそんなに歩ける?」「途中で歩けなくなったら大変だし」と思って躊躇している場合は現地に色々なサービス(以下)があって何とかなるので最初の一歩を歩きだすといいと思う。スペイン語が判らなくても各地簡単な英語が通じ絶対に誰かが助けてくれる。一歩足を前に出せば何とかなる。

*荷物は運んでくれるサービスがあり3€で次の目的地に持って行ってくれる。

*タクシーも電話番号がいろんなところに書いてあり途中で呼ぶことが出来る。

*歩けばとにかく着く。

巡礼なのか

巡礼というと禁欲的なイメージが有るが目的地に着くため毎日歩くゲームだ。様々な思いの人達が同じ方向に歩くことによって何かを手に入れる。手に入るのは今ではなくもっと遠い将来かもしれない、いや重い荷物を背負って歩いたから大きな代償が与えられるかは不明だ。ただ帰って来てから感じるのは歩いていた時が一番幸せだった。目的は「富士山に登りたい」や「サグラダファミリアが見たい」と同じでいいと思う。宗教的な解釈に縛られる事無くただ歩くために行く、そして目的地だけは用意されているのだ、それがサンチアゴの道。

サンチアゴに着いたらサンチアゴ様にハグをしましょう

大聖堂の中央祭壇の横から階段を登ると聖ヤコブ像に後ろからハグが出来る。

サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂内部
筆者撮影サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂

その後反対側から階段を降りると地下にサンチアゴ様のお墓がある。

サンチアゴの道サンチアゴの大聖堂内部
筆者撮影サンチアゴの道サンチアゴの大聖堂

サンチアゴ・デ・コンポステーラに到着したらサンチアゴの大聖堂に埋葬されるサンチアゴのお像にハグをして地下にあるお墓詣りをします。カトリック教徒でなくても大丈夫。サンチアゴの道はもともとサンチアゴ様詣で、その為に歩いたのだからご挨拶しましょう。

大聖堂は9時から20時、入り口はプラテリアの門のみ(現在工事中の為)

サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂
筆者作成サンチアゴ大聖堂入り口

 

*2019年はサンチアゴ大聖堂内部は工事中でミサは行われない。したがってボタフメイロも無い。巡礼者用のミサはサンフランシスコ教会で12時から。

*工事は2020年7月に終了予定。次の聖年2021年に向けての工事。

*栄光の門は予約制で約45分のガイディングツアーのみ。栄光の門を見る場合は当日では予約はほぼ不可能。ネットから早めの予約することをお勧めする。

*栄光の門は13世紀サンチアゴの大聖堂の入り口だった。ロマネスクの素晴らしい彫刻で聖人達の表情や動きなど12世紀の物とは思えないが素晴らしさ。10年間の修復を終えて公開された。

 

サンチアゴの聖年

7月25日が日曜日になる年をサンチアゴの聖年=アニョ・サントという。聖年にだけ免罪の門から大聖堂に入ることが出来そこから入った人には多くの罪が許される。

サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂の免罪の門
筆者撮影サンチアゴの道

次の聖年は2021年。最近では1993年、1999年、2004年、2010年が聖年で免罪の門が開けられた。2016年はローマ法王からの特別聖年という事で一年間免罪の門が開けられた。

サンチアゴに着いて巡礼証明書をもらう場所

サンチアゴの大聖堂があるオブラドイロ広場から徒歩3分の所。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

パラドールから下り坂と階段を降りて右に曲がった所に入り口。巡礼者が到着する13時頃は混みあっているので並びたくない場合は少し時間をずらして入ると良い。

*入り口でクレデンシアルのチェックがある。

*内部は撮影禁止

*証明書は無料。

*別途何キロ歩いたかの証明書が必要か聞かれる。3€で発行してくれる。

サンチアゴの道巡礼証明書
筆者撮影サンチアゴの道の巡礼証明書

サンチアゴ大聖堂から巡礼事務所徒歩3分

サンチアゴの道の旅を3分のビデオにまとめてあります。

サンチアゴの道をサリアから歩いて感じた事

*カミーノは荷物を作る所から始まっていた。要らないものをどんどんリュックから出していくときに「道」の本質が見えて来た。

*毎日朝早く歩き始めると森の中の臭いが時間によって変わって行くのがわかったし鳥の鳴き方が雨の日や曇りの日で違って聞こえた。景色がキラキラ輝いて巡礼者が歩く音や肌に感じた空気は一生忘れない。

*ゆっくりでも歩けば着くことに驚いた。30キロも歩いたのは人生で初めてだったがとにかく歩いて行けば着くという単純な事に感動した。

*サンチアゴに着いたら不思議と哀しくなった。心が空っぽになって脱力した。到着した事で目的を失ってしまったことに気がついた。

*思い返すと毎日重い荷物を持って苦しいと思いながら歩いていた時が一番幸せだった。

*ひとりで歩いている人が多くてずっと一人で歩くともっと心の深い深い所まで旅が出来るのではと思った。

*次はピレネーを超えて歩きたい、冬もいいかも、と夢は膨らんだ。

 

スペインとポルトガルの旅、マラガ,マルベージャからリスボンとポルトの旅の記録2019年

ポルトガルに久しぶりに行って来た。今回のお客様は2年前にバスク地方を一緒に旅行した方。「今年のゴールデンウィークに南スペインからポルトガルに」と打診がありプライベートカーで旅した記録、自分用忘備録。

 

日程はマドリード新幹線でマラガ、車でマルベージャ、リスボン、オビドス、コインブラ、ポルト


1日目イベリア航空にてマドリードに到着

お客様は成田空港からマドリードまでイベリア航空直行便にて18時30分到着。この時期はまだまだ太陽は空の上にある。イベリア航空の直行便は座席数が少なく特にビジネスクラスは17席しかないので半年以上前に航空券だけ先に購入していただいた。兎に角東京マドリード間イベリア航空は今スペイン人達の訪日観光で人気で非常に取りにくい。旅は中身は何とかなるという事。

ポルトガルの旅
筆者撮影

宿泊ホテルは老舗の5つ星ウェリントンホテル。高級住宅街サラマンカ地区にあり闘牛祭の時は有名闘牛士が宿泊するホテルだ。マドリードの5つ星ホテルの中ではこじんまりしていて私個人的に好きなホテルのひとつ。

<マドリード、ウェリントンホテル入り口>

ポルトガルの旅、
筆者撮影

チェックインの後ホテルの近くのバルに出かける。アルボラ(albora)はミシュランのレッドガイドで星ひとつのレストラン。そのアルボラのバル部門でワインと生ハムをいただくことに。ここはいつも混むので開店20時30分に入って何とか座れた。

<マドリード、ミシュラン星付きレストランアルボラ>

ミシュラン星付きレストラン、アルボラ
筆者撮影、Madrid albora

 

「お腹はあまり減っていないです」との事で軽く生ハムを。ここはホセリート(Joselito)のビンテージ物(年代もの)の生ハムがあって2013年14年15年と選べる。どの年のが良いか聞いたら「2014年が最高」とお店の支配人。ではそれでお願いします。

<マドリード、ミシュラン星付きレストラン・アルボラの生ハム>

マドリードの星付きレストランのバル、アルボラの生ハム
筆者撮影 albora jamon iberico

ワインと生ハムでしばらくお話をして外に出たらすっかり暗くなっていた。

<マドリード、ミシュラン星付きレストラン、アルボラ>

マドリード、ミシュラン星付きレストラン、アルボラ
筆者撮影

もう一軒バルのはしごをご希望でアルボラの迎えにあるColonial de Goya。テラスでワインとおつまみ。爽やかな風が吹いてテラスが気持ちいい時期になりました。

<マドリード、バル・レストラン、コロニアル・デ・ゴヤ>

バル・レストラン、コロニアルデゴヤ
筆者撮影、Colonial de Goya

グラスの赤ワインとおつまみを注文。前の旅行の思い出や今回の旅行の事などをしばらく楽しく過ごして終了

マドリードのバル・レストランのテラスでつまみとワイン
筆者撮影、バル・レストラン、コロニアル・デ・ゴヤ

ウェリントンホテル

マドリード ウェリントンホテルのレセプシオン。

マドリード、ホテル・ウェリントン
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントン

マドリードウェリントンホテルの部屋。

マドリード、ホテル・ウェリントンの部屋
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントンの部屋

バスルームの洗面所は2つ付いたタイプ。

マドリード・ホテル・ウェリントンバスルーム
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントン

 

2日目マドリードからマルベージャ

ウェリントンホテルの朝食は朝7時から。エレガントなレストランは朝食にしか使っていな。

ホテル ウェリントンの朝食会場
筆者撮影、マドリード、ホテル・ウェリントン

果物や甘い物、ハムソーセージ等がそろったブッフェの朝食です。

ホテル ウェリントンの朝食
筆者撮影

ホテルを出発してマドリード・アトーチャ駅に到着。アトーチャ駅の構内は1886年に完成した頃のまま使われており内部は熱帯植物園になっている。

アトーチャ駅内部
筆者撮影、アトーチャ駅

スペインは新幹線に乗る時手荷物検査がある。持っている手荷物やスーツケース、ハンドバック等をすべて機械に通す。飛行機程の厳しい検査ではないので水やクリーム状の物は問題なし。

 

列車が出るホームは出発の約30分程前に掲示板にでるのは空港とほぼ同じ要領。もともとスペイン新幹線AVEのコンセプトは飛行機のサービスを地上で。座席はプレフェレンテというビジネスクラス仕様なのでアトーチャ駅のラウンジを利用。飲み物を自由に取れてここも空港のラウンジを意識して作られている。

アトーチャ駅のビップルーム
筆者撮影、アトーチャ駅

出発の訳30分程前になるとホームが掲示板に発表になる。アトーチャ駅には改札は無く発表されたホーム番号に列が出来るのでそこに並んで係り切符を見せバーコードのチェックを受ける。

アトーチャ駅
筆者撮影、アトーチャ駅

スペイン新幹線AVEのプレフェレンテクラスの座席はA通路、BC

スペイン新幹線内部
筆者撮影

各座席に充電ができるよう各種のソケットが付いていた。日本のタイプも大丈夫。

スペイン新幹線
筆者撮影

暫くするとメニューが配られてきて朝食です。さっきホテルでいただいたばかりですが。

スペイン新幹線、食事メニュー
筆者撮影

今回は朝なので朝食だけれどランチの時間ならもう少ししっかりしたものが出る。

スペイン新幹線、食事
筆者撮影

9時35分にマドリード、アトーチャ駅を出たアベは12時22分マラガ、マリア・サンブラーノ駅到着。ドライバーと合流の後、ランチ場所に移動。今日は総選挙の日曜日、スペイン人達は選挙の後家族で食事に行くので混む前に先に食事をしておきましょう。

マラガ駅
筆者撮影

マラガ市内から東に海沿いを移動したEL TINTEROエル・ティンテロに到着。マラガの海岸沿いにあるレストランでお天気がいいので海の見えるテラス席で。

マラガ レストラン エル ティンテロ
筆者撮影

地元では知られたマリスケリアで小さなイワシが墨で焼かれていく。

マラガのレストラン イワシを焼くところ
筆者撮影

暫くしたら随分混んできた。

マラガ レストラン エル・ティンテロ
筆者撮影

エルティンテロはキッチンで準備が出来た食べ物をカマレロ(ウェイター)が運んでくるのを好きなものを取る飲茶の様なシステム。イカなら「カマレロ~カマレロはいらんかい?」とか「イワシが焼けたよ~イワシ~アツアツのイワシ~」とか言いながら席を廻って来るのが面白い。

マラガのエルティンテロ
筆者撮影

食事のあとはマラガの街を少し散策しましょう。絵を描くお客様なのでピカソ美術館とピカソの生家を訪れた。

マラガのピカソの生家
筆者撮影

マラガはフェニキア人ややって来て作った街。その後カルタゴやローマ等がやって来ていて街にローマの遺跡、その上に有るのはイスラム時代の要塞跡。

マラガのローマの遺跡
筆者撮影

このままマルベージャに行くには少し早いので白い村ミハスに行ってみた。地中海沿岸にはイスラム教徒の時代に人々が暮らした美しい白い村が沢山ある。少しだけ綺麗なところを散策。

ミハスの白い村
筆者撮影

ミハスは随分観光地化しすぎてもうあまり面白くは無いけれど絵的には良い所が沢山ある。

ミハスの白い村
筆者撮影

ミハスからマルベージャは車で約30分で到着。ホテルはマルベージャの市内のアマレ。

マルベージャ ホテル アマレ

マルベージャ、ホテル・アマレは比較的新しいホテルでここに宿泊するのは初めて。街の東橋の方にありホテルはビーチのすぐ前。近くにスーパーもあり立地は非常に便利。

マルベージャアマレビーチロビー
筆者撮影

ホテルは機能的でインテリアはミニマリスタ。

 

マルベージャ ホテル アマレビーチロビー
筆者撮影

マルベージャ、ホテル・アマレの部屋。シンプルで狭いけれど海に面したお部屋なので充分満足。

マルベージャ ホテルアマレの部屋
筆者撮影

バスタブなしのシャワーオンリーだったけど一泊なので問題なし。シャワーブースが透明の壁で同宿者がいるとどうなんだろうと思ったがちゃんと目隠しも出来るようになっていた。

マルベージャ ホテル アマレ 部屋
筆者撮影 マルベージャ ホテルアマレ

マルベージャ、ホテル・アマレのテラスからは地中海が見える。

マルベージャ ホテル アマレ部屋
筆者撮影 マルベージャ ホテル アマレ

夕食は徒歩で行けるところにした。レストラン・サンチアゴはマルベージャの老舗高級マリスケリア(魚介類料理レストラン)、念のため予約を入れておいた。時間が有ったのでレストランに先乗りして海側の座席を予約。

マルベージャのレストラン サンチアゴ内
筆者撮影 マルベージャ レストラン サンチアゴ

前菜に魚介のスープ(sopa de marisco)。コクと深みがあって美味しい、家では出ない味だ。

マルベージャ レストラン サンティアゴ
筆者撮影 マルベージャ レストラン サンティアゴ

ウナギの稚魚アングーラス(angulas)。アングーラスはマドリードだと「当日じゃ無理」とか「季節外れで今は無理」とか言われる一品。場所柄セレブな人達が多いので持っているのか?味付けはアヒージョ、オリーブオイルとニンニクのソテー。

marbella restaurante santiago
筆者撮影 マルベージャ レストラン サンティアゴ

ウナギが取れなくなり日本のすり身の技術でほぼ似たような食感の物が作れる。Gulas(グラス)として食材店で販売されている。技術的には目を入れる事が出来るらしいが本物との区別の為にすり身のGulasグラスには目はつけない。こちらは二つ目が入った本物です。

ウナギの稚魚
筆者撮影

メインにセントージョを注文。日本のタラバカニに似た種類だけど味は少しさっぱりだった。

Marbella resutaurante santiago
筆者撮影、マルベージャ サンティアゴ レストラン

3日目マルベージャからリスボン

朝少し早く目が覚めたのでひとりで海辺をお散歩した。波の音が気持ちいい。

Marbella
筆者撮影

今日はリスボンまで690キロの移動の日。軽めに朝食をいただいて出発する。朝食レストランは果物や卵料理やハム類など豪華でした。

Marbella hotel amare
筆者撮影

私は朝は基本果物のみ。ホテルのブッフェはついつい色々食べたくなってしまうのでまず先に果物を取ってお腹を満足させてから他の物少しいただく。食べ過ぎない為の私の戦略。

Marbella Hotel Amare
筆者撮影

さあ移動です。マルベージャからセビージャは200キロの距離。車で2時間程で到着してスペイン広場を見学。

Sevilla Plaza Espana
筆者撮影

アルフォンソXIII世ホテルでお茶をしてから馬車に乗った。

Sevilla
筆者撮影

約40分程で街を廻ってくれる。パッカパッカという馬車のリズムで緑の公園を廻って心地いい時間でした。

セビージャの馬車観光
筆者撮影

今日は移動が長いので食事は早めに軽く頂きます。カテドラル近くのラ・アソテアはセビージャに3軒店舗がある創作タパスで有名な店。

セビージャ バル・アソテア
筆者撮影

オープンしてすぐに入ったがしばらくすると満席になった。

セビージャのバル アソテアの内部
筆者撮影

これはcoquinaコキーナという小さい貝とアーティチョーク、地中海沿岸で取れるシジミくらいの大きさの貝でオリーブオイルとニンニクで炒めてある。

セビージャのアソテアでコキーナス
筆者撮影

Carabineroカラビネーロのオーブン焼き。カラビネーロは赤い大きめのエビでスペインの高級食材だ。全長30センチくらいの大きな真っ赤な海老でウエルバで取れる。カラビネーロはエビだけど味はカニの様で甘みがあり美味

セビージャのアソテアでカラビネーロ
筆者撮影

食事をしたら出発。今日は長い移動日なので国境を超えて次の目的地Faroファロへ。スペインとポルトガルの国境は検査も無く通過。時差が一時間あるので時計をポルトガル時間に変える。

ポルトガルのファロはアルガルベ地方の小さな可愛い街でローマ時代から都市があった。

ポルトガルのファロの街並み
筆者撮影

当てもなく街を彷徨うがどこにカメラを向けても絵になる。軽くスケッチをしながら散策をしてここは出発。

ポルトガルのファロの街
筆者撮影

 

ファロからリスボンは278キロ、リスボンは大都会だ。標識が出てくる頃から車も増えてきた。

ポルトガルの高速道路
筆者撮影

ポルトガル人はのんびりしているのに車の運転は乱暴でヨーロッパで一番交通事故が多い街がリスボン。どっちから車が飛び出してくるか予想が出来ない。

リスボンのホテルはぺスタナパレス。19世紀の宮殿でカカオで財を成した富豪のお屋敷。マドンナが暮らしていた事もあるという。今はぺスタナグループのホテルでぺスタナはサッカーのクリスティアンロナルドも経営者の一人だ。

大きなお庭もありプールもついている。

リスボン ホテル ペスタナ パレス
筆者撮影

共有エーリアがエレガントで部屋から外に出るたびにサロンを通過するがこの空間が気分が良い。

リスボン ホテル ペスタナ パレス
筆者撮影

部屋はセミダブルのベッドルームでリネンも良いものが使われていて快適だった。

リスボン ぺスタナパレス部屋
筆者撮影

バスルームは洗面台が2つ付いたタイプに大きめのバスタブ。

リスボン ぺスタナパレス 部屋
筆者撮影

 

本日は疲れたので夕食はホテルでいただきます。

リスボン ホテル ぺスタナ パレス
筆者撮影

辛口のスパークリングワイン

リスボン ホテル ぺスタナ パレスの夕食
筆者撮影

魚介のスープ

リスボン ホテル ぺスタナパレス 夕食
筆者撮影

これは何をいただいたのか記憶が無く写真だけ存在。

リスボン ぺスタナパレス 夕食
筆者撮影

これもお肉系だったと思います

リスボン ぺスタナパレス 夕食
筆者撮影

長い移動で疲れ切っていたのか、でもホテル夕食にして正解でした。

 

4日目リスボン

リスボンホテル ペスタナパレス 朝食
筆者撮影

リスボンのホテル、ペスタナパレスの朝食。エレガントな朝食会場です。

リスボン ホテル ペスタナパレス 朝食
筆者撮影

ビュッフェも豊富で素敵なレストランなので朝から気分が良い。

リスボン ペスタナパレス 朝食
筆者撮影

リスボン今日は終日あるので最初にグローリア線のケーブルに乗る。今も地元の人に使われているが観光客でいっぱいだった。生活している人は迷惑だろうな~と。

 

リスボンのトラム
筆者撮影

車両は落書きですごいことになっていて夜止めている間に書かれてしまうそう。あっという間にサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台まで。5分も乗っていないのに3€80セントは高いな。地元の人は定期を持っていて観光の皆さんはツーリストカードで乗っているみたいなので一回ごと買うと割高になる。

リスボンのトラム
筆者撮影

丘の上からリスボンの街がきれいに見える。

リスボン
筆者撮影

街中の石畳が白と黒の大理石で丁寧に敷き詰められていた。雨の日は滑るでしょうね。

リスボンの街
筆者撮影

中心部まで下って行くとストリートアーチストが歌っていた。その歌がお客様のすでに故人の奥様がお風呂で良く謳っていた曲だそうで「きっと今奥様一緒に旅行中ですね~」旅をしていると不思議な事は良く起きる。

ロシオ駅の後ろ側にあるレストランでランチ。

リスボンのランチレストラン
筆者撮影

 

Cozinha da Estacao駅のキッチンという意味のレストラン。

リスボンの駅のレストラン
筆者撮影

子羊のあばらのグリル

リスボンのランチ
筆者撮影

牛肉のソテー

リスボンのランチ
筆者撮影

食後はアルファマ地区を散策。車でポルタ・ド・ソルまで行って坂道を下りながら。

リスボン、アルファマ地区
筆者撮影

細い通りの向こうにテージョ川が見える

リスボン アルファマ地区
筆者撮影

夜はファドが楽しめるお店に。スペインのフラメンコと同じで地元の人が楽しむファドのレストランはもう存在しない、と言われその中でも団体の来ないお店を進めてもらった。Sr Vinhoはミスターワインと言う意味のポルトガル語。こじんまりした店で開店は20時だが歌は21時から。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

小さなレストランがあっという間にいっぱいになった。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

食事は野菜のスープ

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

バカリャウ(タラ)のカタプラーナ。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

女性が3曲歌って休憩が入り男性が3曲。このまま夜中まで続くようだが私たちはこれで失礼します。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

 

5日目リスボンからポルト

リスボンからポルトへ、途中オビドスとコインブラを経由して行く。リスボンからオビドスは車で1時間なのでリスボンから日帰りも可能。駐車場にはリスボンからのツアーのバスが止まっていた。オビドスは今回のお客様の想いでの場所で40年前にアマポーラが咲いていた原っぱを探しに行く。

オビドスの街
筆者撮影

昨日までの太陽はどこに行ってしまったのか雲が出て風がビュービュー吹いて寒い。

オビドスの街
筆者撮影

城壁の中を散策してお城まで登って行く。お城は現在ポウサーダ(国営ホテル)になっている。高台から軽くスケッチをして思い出の原っぱを探すけれども見つからず、人が多くて寒くてちょっとがっかりされた様子で「もう行きましょう」、内心「ほっ」としたのはオビドスのランチにしなくて良かった。

オビドスの街
筆者撮影

オビドスからコインブラは135キロ、1時間15分ほどで到着。大学の図書館の入場が予約制で取りにくいらしいのでコインブラ大学の総合図書館へ。旧コインブラ大学の広場だけなら無料で入れる。図書館のみ時間指定なので入る場合は先に図書館の時間を予約する事。私たちはランチの後に戻って来る事にした。

コインブラ大学
筆者撮影

コインブラ大学の入り口「鉄の門」。ここから入って中庭を見学するだけなら切符は必要なし。中世の大学生はこの門を入ったら学問の事しか考えてはいけなかったという。

コインブラ
筆者撮影

今日はコインブラ大学の今年の卒業予定の学生たちが記念撮影をする日だったようで学部ごとにマントを着て写真を撮っていた。

コインブラ大学
筆者撮影

学生さん達みんなピッカピカに輝いていました。

坂道を下って大聖堂の横のレストランで軽くランチをいただきます。

コインブラの大聖堂
筆者撮影

大学生も来る小さな食堂。OTrovadorオ・トロバドールは中世の吟遊詩人という意味。小さなレストランは平日は学生さん達も来るらしい。

コインブラのランチ
筆者撮影

野菜のクリームスープ

コインブラのランチ
筆者撮影

黒豚のオーブン焼き

コインブラのランチ
筆者撮影

食事の後もう一度大学に戻って図書館の予約の時間までを過ごす。広場の中央にディニス一世。コインブラ大学は1290年にディニス1世によって創設された。

コインブラ大学
筆者撮影

この広場の奥に行くとコインブラの街とモンデゴ川。

コインブラ大学
筆者撮影

図書館は広場の奥の方の右側階段を降りたところから。予約の時間が来たら順次中に入り最初は学生牢から見学。中世の大学は大学独自の法律で運営されておりそれを破った学生が閉じ込められた牢獄。

コインブラ大学
筆者撮影

コインブラ大学見学のあとはコインブラの街を軽く散策。坂道を下って行く。

コインブラの旧市街
筆者撮影

ポルトガル人は川が流れる入り江の街が好きやね~橋を渡って対岸にコインブラの街並みを見る。

コインブラの街
筆者撮影

コインブラを出発しポルトへ向かう。120キロ約1時間20分。ポルトは明日終日あるのでまず街を対岸から見学するためにガイア地区に向かう。この地区はポルトワインのワイナリーがある所で先にポルトワインを一杯いただくことに。

ポルト
筆者撮影

ポルトを流れるドウロ川。

ポルト
筆者撮影

ガイア地区に沢山の飲食店があり今日は祝日で家族連れが沢山。

ポルト
筆者撮影

ポルトのホテルは中心部近くのインファンタ・ザクレス。ロケーションも満足な落ち着いたヨーロピアンスタイルのホテル。

ポルト ホテルインファンテ サグレス
筆者撮影

古いホテルは隅々まで贅沢で階段の手すりなども素敵でした。

ポルト ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

エレベーターは旧式の扉を自分で開けるタイプ。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

入ると椅子が有るのは気に入った。2階まで登る短い時間、毎回座っていました。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

お部屋はシンプルな作りでデスク廻りが使いにくいのはヨーロッパの古いホテルにありがちですね。ここでパソコン開けて仕事する想定のない時代のホテルなので仕方が無い。

ホテル・ポルト・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

バスルームもクラッシック。今回は1人部屋なのでいいけれど洗面台がひとつでした。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

夕食はホテルから徒歩でレストランアバディアドポルト。ここはネットで見つけたレストラン。ポルトガル風オジヤをいただきにきました。

ポルトのレストラン
筆者撮影

一応電話で予約をしておいた。結構大きな店舗だったがすぐにいっぱいになった。ツーリスティックな感じではなく地元のポルトの人達も沢山来ていた。

ポルトのレストラン アバディアドポルト
筆者撮影 ポルトのレストラン アバディア ド ポルト

大変美味しかったので又ここはリピートします。

ポルトのレストラン アバディア ド ポルトで魚介のオジヤ
筆者撮影 ポルトのレストラン アバディア ド ポルト

私たちが出るころには入り口に列が出来ていた。できれば予約していくことをお勧めします。

6日目ポルト滞在

ポルトのホテル、インファンテ・ザクレスの朝食。ヨーロッパ調のサロン。

ポルト ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

ポルトガルに来たらやっぱりこれでしょ。パシュテル・デ・ナタ。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

果物も豊富でした。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

ポルトの観光は川の河口まで車で移動。要塞があった。要塞の名前がサン・フランシスコ・ザビエルなのでちょっと降りてみた。

ポルト観光
筆者撮影

要塞の先の村が漁師町と聞いたが随分近代的な建物が続いていてポルトの人達の別荘や週末用のマンションのようだった。グーグルマップを見ていたら市場があるようなので行ってみましょう。

ポルト
筆者撮影

魚市場に様々な魚、これはエイ?これ食べるんだ、ポルトガル人。

ポルト
筆者撮影

ポルト中心部に戻って大聖堂まで車で移動して後は徒歩で下って行きます。

ポルトの街
筆者撮影

ポルトも入り江の丘に作られた街。頂上に大聖堂があるのでここから下って行けば旧市街を見ながら川まで登りなしで散策が出来る。

ポルトの街
筆者撮影

入り組んだ街並みが面白くどこを見ても絵になる景色。

ポルトの街
筆者撮影

ドーロ川まで下って対岸に昨日のガイア地区が見える。

ポルトの街
筆者撮影

ランチはタコ飯屋に。Casa Areixoカーサアレイショは随分前に来て気に入っていたのでここは是非「お客様にタコ飯を」と予約をしておいた。

ポルトの街
筆者撮影

12時開店と同時に入店。ゴールデンウィークで日本の方が沢山来られていた。皆さんどうして目を合わせないんだろう、と思った。どっちかというの目をそらすというか視界に入れない感じなのが不思議だった。軽く笑顔とか会釈とか、挨拶すればいいのにと思うのですが・・・誰とも挨拶できずに寂しかった。

ポルトのタコ飯屋
筆者撮影

タコ飯はタコの入ったご飯とタコのフライ。これで2人前

ポルトのタコ飯屋
筆者撮影

厨房、写真撮らせてください~

ポルトのタコ飯屋
筆者撮影

食事の後はドーロ川クルーズに。50分のショートクルーズ。

ポルト ドゥエロ川遊覧船
筆者撮影

暑い時間でしたがやはりデッキで船旅を楽しみました。

ポルト ドゥエロ川遊覧船
筆者撮影

隣にいたのはスペイン人カップルでバスクのピルバオの人達だった。写真撮る時に邪魔にならないように動いてくれたりで少し会話をした。

ポルト ドゥエロ川遊覧船
筆者撮影

ホテルで軽く休憩の後徒歩で夕食に行く途中サン・ベニート駅へ。セラミックが綺麗な駅で写真スポット。

ポルト 駅
筆者撮影

行きたかったレストランが今日は満席でこちらへ。Cozinha dos Loilosコシーナドロイロス。早く着いたらまだ従業員の食事中でした。すみません。

 

ポルト、レストラン
筆者撮影

旅の最後のお食事を発泡性ワインで乾杯

ポルト
筆者撮影

豚肉の骨付きリブ

ポルト レストラン
筆者撮影

パスタをいただきました。

ポルト レストラン
筆者撮影

最後にポルトワインで仕上げてホテルに戻ります。一人で最後にポルトの夜景を取りにドン・ルイス1世橋に戻る。

ポルトの夜景
筆者撮影

 

 

7日目ポルトからマドリード経由で日本へ

ポルトの市内から空港は15分程で到着。

ポルトの空港
筆者撮影

最後にポルトの空港でパシュテル・デ・ナタとコーヒーで仕上げました。

ポルト
筆者撮影

スペインとポルトガルの旅のまとめ

随分久しぶりのポルトガルだったがあまり変わっていなくてホッとした。ポルトガルの人々は穏やかで優しい感じが伝わって来た。スペインと世界を分割した野心があった大国のイメージは皆無だ。ポルトガルまた行きます。