スペインのクリスマス時期のお店やレストラン情報と過ごし方。意外と注意は12月24日の夜。

 

 

年末年始のお休みを利用してクリスマス時期にスペインを訪れる方も多いと思う。スペインのクリスマスは12月24日から1月6日まで続きお店や商店やレストランが閉まってしまう日がある。旅行に来る方は観光やお食事にショッピング注意が必要。

スペイン・クリスマス時期の祝日扱いの日や注意事項とイベント


クリスマスシーズン注意事項箇条書き

*12月24日はカレンダー上は平日ですが店は早く閉まり飲食店も夕食は開け無い所がある。マドリードは20時頃からタクシーも少なくなりメトロは22時までで終了。地方都市はタクシーは無いと思った方がいい。

*12月25日と1月1日はモニュメントと商店は休み。飲食店はマドリードは少しは開く。

*12月25日と1月1日にマドリードにいるならトレドやセゴビアへ行くのはひとつの方法。バスは動いているので時刻や行き方を調べておく。又は日本のオペレーターの会社のバスツアーに問い合わせる。

*12月31日カウントダウンには赤い下着を付けてブドウを食べる事!(作法は記事に書いてあります)

*1月6日も祝日でお店やモニュメントは休み。

*クリスマスのイルミネーションはスペイン全土で11月最後の週末から1月6日まで楽しめる。


12月6日祝日

この日はクリスマスとは関係なくスペインの憲法記念日にあたる日。12月8日も祝日なので7日を休みにして連休にする人が多く前日の午後から町から外へ出る主要幹線道路が混む。マドリードの中心部=セントロとサラマンカ地区の商店は営業する。

12月8日聖母の無原罪の御宿りの祝日

聖母マリアの無原罪の御宿りを祝う日で全国祝日。6日の憲法記念日と合わせて連休にする人が多い。各教会でミサが行われる。マドリードの中心部=セントロとサラマンカ地区の商店は営業する。

12月初旬の日曜日毎年恒例サンタのマラソン

マドリードでは毎年12月初旬の日曜日にクスマス恒例のサンタクロースのマラソンがある。朝9時にプラド美術館の前のムリーリョの広場から出発ネプチューンの広場シベーレスからコロン広場を北上してプラド美術館まで(コースは毎年多少変わります)全員サンタクロースの恰好をして走るので時間が上手く会えば見るのは楽しいと思います。

 

12月22日は宝くじの発表

スペインのクリスマスの宝くじは毎年12月22日に発表される。朝9時から全国テレビ放映される。沢山の当選者数で世界一の当選金額を誇る宝くじ発表の日。抽選会はテレビでも放映される。⇚嬉しくて泣きながらシャンパンを仲間と飲んでいる無邪気なスペイン人たちを見て楽しめます。

**注意は12月24日の夜**

カレンダー上は平日だが夜から閉める店が多い。スペイン人にとって12月24日の夕食は家族と過ごす一番大切な日で殆どの店舗が早めに閉め(20時頃)レストランも夕食は開けない所が多い。

*2019年マドリードのサンミゲール市場は10時から19時までと公式発表。19時までという意味は19時には従業員は帰るという意味です。めちゃ混むこと間違いなし。

*マヨール広場近くのマッシュルーム屋なども昼間は開いているが夜は早めに終了。

*マドリードの各広場でやっているクリスマスの露店も15時位で終了する。

*プラド美術館は10時から14時まで。

*ソフィア王妃芸術センターは休み。

*他の地方都市はまず全部閉まると思っておいた方がいい。ホテルにバルやレストランが付いていたら何時まで開いているかをあらかじめチェックしましょう。

*中国人はクリスマスは関係ないので営業する。どこも無ければ夕食は中華を探すべし!

*新幹線や飛行機も30分位は早めに到着します。⇚パイロットも早く帰りたい。

*路線バスやメトロも早く終了します。⇚従業員は家族が大事。

予定している様々なモニュメントの開閉情報を調べておくといいでしょう。

クリスマス・イブとクリスマスの当日は教会でミサがある

クリスマスの時期は教会で様々なミサが行われる。泊まっているところの近くに教会があったら是非のぞいてみましょう。

スペイン人は正装して教会に行くので少しはきれいにして行く方が好ましいでしょう。クリスマスのミサは約1時間くらい。

*後ろの方にいて邪魔にならないように途中で出ても大丈夫。

*ミサの間はみんなが立ったら立ってみんなが座ったら座る。最後に周りの人と握手して献金が回って来るので小銭を入れます。

*聖体拝領(白い丸いパンを口に入れる)は洗礼を受けた人だけなので興味本位で行くのは遠慮しましょう。

 

12月25日は祝日

クリスマスの当日はカレンダー上祝日です。商店もモニュメントも休みになるので注意です。レストランは意外と開いているところがありマドリード・サンミゲール市場は2019年は12時から24時と公式発表。お昼頃から多少開ける飲食店が有るが地方都市は閉まっているところが多い。

*マドリードの中心部もこの日は休みで全ての商店と美術館や博物館は閉まります。

*タクシーは少なくなるが走っている。鉄道や飛行機、バスなども早く終了する。

*レストランによってはクリスマス特別ディナーをやっているところある。

*サンミゲール市場は2019年12時から24時営業、すぐ横のマヨール広場界隈も開けている飲食店やお土産物屋がある。

12月26日(注意・州によって違う)

マドリード、アンダルシアなど殆どの州でこの日は平日になりますがカタルーニャ州(バルセロナが有る州)等は祝日です。カタルーニャ州で飲食店は営業するところがかなりありますが一般商店は閉まります。

12月30日

マドリードでは31日のカウントダウンの練習がある。

この10年位本番に失敗が無いようにPreuvas=プレウバスといって本番の練習をする。

2019年は12月30日の昼の12時と夜の0時にプエルタデルソルで鐘を鳴らして練習があると発表がありました。

12月31日

プラド美術館は10時から14時

ソフィア王妃芸術センターは休み

マドリード、サンミゲール市場は2019年10時から19時営業と公式発表。

マドリードのカウントダウンは夜中の12時に12個の鐘をききながら12個のブドウを食べる。

カウントダウンが行われるのはマドリードはソル広場=Puerta del Sol

メトロのソルの駅は21時から安全上閉鎖されるので近くの駅から歩くことになる。マドリードのメトロは夜中まで運行。ホテルをソル近くに取ると混み過ぎて帰れなかったりうるさくて眠れなかったりすると思います。

*このところのヨーロッパで起こったテロの警戒で警察が沢山出ています。大きなリュックやガラス瓶やナイフなどは持って行けません。一旦21時にソルから外へ出されて改めて入場になります。

ソル広場の時計台の鐘が12個なるのを聞きながらぶどうを12個食べるのが習慣で12月なるとスーパーマーケットでぶどうを売っている。レストランで食事をしたら12個のぶどうをプレゼントしてくれる。各テレビ局でソル広場が映され各家庭でもテレビを見ながらぶどうを食べる。

タブラオや有名レストラン、ホテルはガラディナー

フラメンコのタブラオやレストラン、ホテルなどは大みそかの特別ガラディナーを準備している。特別料金になるのは間違いないがそれなりに楽しめるので宿泊するホテルや行きたいタブラオの公式ページから調べて予約をしておくのも良い。

*高級ホテルなどはドレスコードが有るので注意。

*フラメンコのタブラオもヨーロッパ人はかなりグレードの高い服装で来る。

12個のブドウを食べるときの注意と作法

*皮をむいて種を取って準備しておいて大丈夫。

*最近は12個入りの缶詰とかも売っている。

*ソル広場にいたら鐘は絶対聞こえない。

*最初に3個のゴ~ンゴ~ンゴ~ンは準備の音なのでここで食べ始めない。

*シャンパングラスにいつも使っている指輪などを入れておく。

*ブドウを食べる間右足を前に出すが足を交差はさせてはいけない。

*赤い下着を身に着けておく。この時期下着売り場などで売られている。

*一番大事なのは願い事をするのを忘れない事。

1月1日

祝日で商店、デパート、美術館等のモニュメントは全てお休みです。

マドリードは飲食店は午後から少しは開く。

見つからなければやはり中華を探す。

サンミゲール市場は2020年1月1日12時から24時営業と公式発表。それ以外のお店は不明ですがマドリードは多少開くが地方都市はほぼ開いていないと思います。

1月1日のみ祝日で2日からは平日になります。

トレドやセゴビアに行くのもいいでしょう。路線バスは動くのでモニュメントはしまっていても街全体が素敵なのでそれなりに楽しめる。

1月5日の夜は大きなパレード

平日で通常通りですが夜に大きなパレードがある。

 

スペインのクリスマスは年明けの1月6日まで続きます。東方の三賢者がイエスキリストの誕生をお祝いしにベツレヘムの馬小屋にプレゼントを持って着いた日が1月6日。スペイン語ではEl dia de Reyes Magosと言ってスペイン人にクリスマスプレゼントを持ってくるのは東方の三賢者たち。1月5日の夜には大きなイベントが各地で行われ東方の三賢者のパレードが有る。必ずテレビでも放送されます。

マドリードのパレードのコースは毎年ヌエボス・ミニステリオからシベーレス広場まで。18時半に出発して20時頃にシベーレス広場へ次々到着し歌や踊りなどのある大きなイベントで子供連れでスペイン人たちは楽しみに行く。これもテレビでも放映される。多分日本の皆さんが想像している「パレード」よりずっと盛大で豪華です。無料でこれを市民に提供できるのが凄い事だと毎年感心します。

マドリード以外の各都市でもパレードが行われるので宿泊地で確認すると良い。

最後にプレゼントを買う人の為に中心部のデパートは23時までオープン。

1月6日は祝日

この日の夜中でクリスマスは終了しイルミネーションもこの日までとなります。祝日でデパートや商店や美術館博物館は休み。飲食店は営業します。家族で食事に来るスペイン人たちでどこもレストランはいっぱいになります。

「年末年始、クリスマス時期にマドリードにいる人へ」イルミネーションを徒歩と路線バスで楽しむルートを考えた

マドリードのイルミネーションを動画で紹介しています。参考にどうぞ〜

まとめ

日本と違ってかなり宗教色の強いクリスマスです。というか本来のクリスマスですね。12月24日の夜と12月25日、1月1日は全てお休みなのであらかじ考慮して楽しく過ごしてください。

スペイン語でメリークリスマスはFeliz Navidad 「フェリース・ナビダー」と出会った人には声をかけてみてください。お店でもホテルのチェックインの時でもレストランでもみんなに使えます!1月6日まで使える挨拶です。

年末年始はスリが増えるので注意しましょう。

では Feliz Navidad~

「年末年始、クリスマス時期にマドリードにいる人へ」イルミネーションを徒歩と路線バスで楽しむルートを考えた

スペインはカトリックの国なので一年の一番大切な行事はクリスマスになる。イルミネーションは11月最後の週末から翌年の1月6日の夜中までスペイン中の街で飾られ華やかになる。折角この時期にマドリードにいるあなたの為にイルミネーションを徒歩と路線バスを使って楽しむコースを考えてみた。

マドリードのイルミネーションツアー


実はナビルッスというイルミネーションバスがある

実はマドリード市がやっているイルミネーション専用のオープンバスが街を走る。11月29日から1月6日まで市内の綺麗なところを走るイルミネーションバスNAVILUZナビルッス。EMTというマドリードの市バスがやっていて値段も大人4€、65歳以上と7歳から11歳は2€

切符はネット販売のみ

下はナビルッスの公式ページ。参考にしてください。スペイン語と英語があります。

https://naviluz.emtmadrid.es/es/

ナビルッスバス
筆者撮影

2019年12月今のところまだ日によっては残席があるが今日はこの時期スペイン・マドリードにいるあなたの為に徒歩と路線バスで綺麗なところを廻るコースを紹介します。

イルミネーションの主な場所

商店街が多い所にマドリードのクリスマス・イルミネーションは集中していて主に以下の2か所。

*中心部のプエルタ・デル・ソルからグランビアに抜ける道、マヨール通り、グランビア通りとその界隈

*サラマンカ地区のセラーノ通りとベラスケス通り、ゴヤ通り

2018年クリスマス・イルミネーションの期間と時間

11月23日から1月6日

*日曜日から水曜日:18時から23時

*木曜日から土曜日と祝日の前日:18時から00時

*12月25日、1月1日、1月6日:18時から0時

*12月24日、1月5日:18時から03時

*12月31日:18時から06時

 

マドリード路線バスの乗り方

綺麗なところで何回か乗ったり降りたりするなら一日のツーリストパスを購入して昼間から乗り倒す。このコースで行けば2回のバス代だけで充分楽しめるので毎回ひとり1.5€払うかICカード既に持っていれば10回券回数券か1人なら2回券を入れておきドライバーの横の機械にタッチする。10回券回数券で複数人でも使えるのでお得です。

*ICカードはマドリード地下鉄の駅で購入。何度か乗るつもりなら10回券がお得です。

*バスが来たら手を挙げて乗りたい意思表示。

*バス停に列はないがスペイン人達は何となく自分は誰の後ろにいて誰の前にいると把握している。高齢者や弱い人には先に行かせる等の暗黙の了解で何となく流れる。

*前から乗って後ろから降りる。乗る時にドライバーに支払いをするが紙幣は5€以下のみなのであらかじめ準備しておく。2人ならドス3人ならトレスと言ってまとめ払いも大丈夫。(まず挨拶オラ~を忘れず)

*マドリード地下鉄のICカードを持っている場合はドライバーのすぐ横に有るこの機械にカードをタッチ。2人なら2度ピッピッとやるけどユックリね、ここはスペイン。ブルーの明るい画面の下の楕円の部分にタッチです。

マドリードバスの機械
筆者撮影

*現金で払うと紙の切符をくれる。降りるまで失くさない事。時々抜き打ち検査があり持っていないと無賃乗車とみなされ罰金。

*降りる前にボタンを押してここで降りたい意思表示をする。慣れない街で分からなくて降りそびれても一駅位歩いて戻ればなんとかなるので恐れず乗りましょう。

*乗っている住民に声をかけて教えてもらえば大抵周りの人みんなで「ここだ~」とか「未だだ~」とか「次だ~」とか言って助けてくれる。

 

ではソルから暫くは徒歩コース

ここはプエルタ・デル・ソル、通称ソル広場と呼ぶ。スペイン語では「SOL」日本語では「太陽の門広場」と言いスペインのゼロキロ地点になっている。メトロの1号線2号線3号線と鉄道の近郊線が通っているのでソル広場から始める事にする。

凄い人なのでスリに注意

ソル広場
筆者撮影

ここからマヨール広場までは歩いて5分。右側赤いのが時計台(皆さん行くときは赤くないと思う)時計台を背にして左に歩いていくとマックが有る。(最後にマヨール広場に戻りバルへ行く予定なら次の項目<ソルからカジャオ広場へ>のに進んでください)

目印のマック
筆者撮影

マックから斜めに伸びている道を歩いていく。通りの名前はポスタス通り。昔郵便を積んだ郵便馬車が通った道だ。真っ直ぐマヨール通りを歩いても良いので行きと帰り違う道を通るといいですね~

ポスタス通り
筆者撮影

少し歩くとこんなイルミネーションで左右にお店が続く。

マヨール広場へ
筆者撮影


まずはマヨール広場へ。毎年イルミネーションは違ったものになり2018年はなんだか地味でいつもより少し寂しいです。

マヨール広場イルミネーション
筆者撮影

 

クリスマスのマヨール広場はクリスマス・マーケットが出ている。ドイツやベルギーに比べるとちょっとショボいですがそれなりに楽しい。スペインのクリスマスはベレン人形というイエス・キリストの誕生の場面の人形を飾るので殆どの店舗でベレン人形が置かれている。この辺りはスリが結構いるので気をつけて~。

マヨール広場のクリスマスマーケット
筆者撮影

ソルからカジャオ広場へ徒歩

再びソル広場に戻りグランビアに向かう道に向かいます。建物の上にTIO PEPEの看板がある左側の道プレシアードス通りをカジャオ広場に向けて歩きます。

*この道はクリスマス期大変混むので18時から22時までは一方通行です。プレシアードスはソルからカジャオ広場向き、隣のカルメン通りはカジャオ広場からソルへ向けての一方通行。

ソル広場
筆者撮影


カジャオ広場迄プレシアードス通りを歩いてグランビアに出たら右へ少し歩く。グランビアの今年のイルミネーションは星空を掴む猫。

グランビアイルミネーション
筆者撮影

グランビアのバス停から1番か74番のバス

グランビアを少し右に向かって歩くとバス停。

今日は1番が74番のバスを使います。この2つのバスはグランビア通りを端から端まで走るのでグランビアの他の所からでも乗ることが出来る。バス停に乗りたいバスの番号が有るのを確認して待ちましょう。

グランビア・カジャオのバス停

グランビア、クリスマス、イルミネーション
筆者撮影

目印は向かい側にTOUSの路面店

グランビアのバス停
筆者撮影

バスはグランビアを走りシベーレス広場を通過します。

 

シベーレスCiberes広場はレアルマドリードが優勝したらお祝いする広場でマドリードの象徴になっている。広場の真ん中に豊穣の女神像。

シベーレス広場イルミネーション
筆者撮影

シベーレス広場からアルカラ門を通り

アルカラ門、イルミネーション
筆者撮影

バスはベラスケス通りを北上します。

ベラスケス通り、イルミネーション
筆者撮影

バスの中のテレビ画面にバス停と天気予報が交互に表示される。次はベラスケスとオルテガ・イ・ガセットと表示される。「降ります」の意思表示でボタンを押すと次止まりますマークがつく。

バスの表示
筆者撮影

 

オルテガ・イ・ガセットとベラスケスの交差点で降りるとベラスケス通りを向こう側へ渡って行く。写真はベラスケス通りのイルミネーション。道を渡ってオルテガ・イ・ガセット通りをセラーノ通りまで歩きます。

ベラスケス通り、イルミネーションん
筆者撮影

オルテガ・イ・ガセット通りは高級ブランド店が並ぶ。今年は何故かイルミネーション地味でした。ゴヤ通りで降りてもいいかも・・・ですが

オルテガ通りイルミネーション
筆者撮影

5分くらい歩くと大きな通りと交差するのがセラーノ通り。地元のデパートのイルミネーションが見えたらデパート側へ渡る。

デパートは22時まで他のお店も20時30とか21時まで開いていますのでお買い物を楽しんでも良いですね~

セラーノ通りイルミネーション
筆者撮影

道を渡って左にデパートの前を少し歩くとバス停がある。

セラーノ通りのバス停
筆者撮影

1番か74番に乗り再びグランビア通りに戻ります。

セラーノ通りバス停
筆者撮影

セラーノ通りのイルミネーションはこんな感じです。

セラーノ通りイルミネーション
筆者撮影

このバスはセラーノを下りアルカラ門を通過してシベーレス広場からグランビア・カジャオ更にスペイン広場を通過します。またカジャオ広場で降りてマヨール方面のバル街へ戻ってもいいし気に入ったところでイルミネーションを楽しんでも良い。まだお店が開いていればショッピングも良いですね~素敵な夜を~

イルミネーションは毎年11月の最後の週末に始まり1月6日の夜中までです。

*1月5日は夜18時頃から大きなパレードがヌエボス・ミニステリオからシベーレスに向かってあるのでバスのルートが変わります。

*年末はスリなどが特に増えるので特に注意して楽しんで下さい。

年末年始は意外な日にレストランが閉まったり美術館が休みだったりしますのでその情報をまとめてみました。

スペインのクリスマス時期のお店やレストラン情報と過ごし方。意外と注意は12月24日の夜。

 

バスとメトロは同じICカードで乗れます。購入の仕方の記事です。マドリードのメトロと路線バスは同じICカードが使えます。

マドリードの地下鉄(メトロ)乗り方や切符の買い方。(注意)2018年ICカード導入で紙の切符は無くなりました

印象派って何?を簡単に説明してみた

印象派の絵は人気がある、モネやゴッホやルノワールやゴーギャン、どれもうっとり幸せな気分にしてくれる優しい絵画たちだ。印象派の絵は日本だけでなくアメリカやヨーロッパでも大変人気があるジャンルなのです。このページでは「印象派とは何?」を簡単にわかりやすく解説してみる事にした。

印象派


まずは印象派って?

印象派は19世紀後半にフランスで画家達が集まって始めた新しい芸術運動。光の変化や空気の色などを画家各自の「印象」を通して描いた。それまでの伝統的な美術界に革新をもたらした。と言うあたりが一番簡単な説明。

印象派の特徴は?

時間による光の変化を描こうとした。

写真に出来ない風景を描こうとした。

戸外での作成を始めた。

風景や農民や普通の人や街並みを描いた。

短い筆のストロークや重ね合わせた色を使った。

日本の浮世絵に影響を受けた。

では印象派についてもう少し


実は風景画はヨーロッパでは高尚なジャンルでは無かった

美術の世界は保守的で権威的だ。長い間ヨーロッパで画家達は聖書や神話や王様を描いていた。

ヨーロッパ各地にアカデミーが作られ、フランスではフランス王立アカデミーが権威を持っていた。古典や宗教画又は国王の肖像画などの分野のみが「アカデミーな世界」で「高尚な絵画」として認められていた。

風景画は「高尚な絵画」のジャンルには無かったのだ。長い西洋絵画の歴史の中で「綺麗な風景画を見てうっとり」して「素敵ね~」「この絵好きだわ~」というのはつい最近になってからの絵の楽しみ方なのです。

本来画家は「サロン」に絵を出展した

伝統的で権威的な美術の世界で絵画はサロンに出展するものだった。サロンは部屋と言う意味のフランス語。

サロンの歴史は古くルイ14世の時代に始まった。フランスの王族が芸術家たちを保護して宮殿等を装飾させるために創った組織。更にそのメンバーが若いアーティストを育てる組織がアカデミー=国立美術学校になった。

アカデミーの学生達が自分の作品をパリのベルサイユ宮殿のサロン・カレという部屋で展示した。サロンは部屋と言う意味で、サロン・カレはカレの部屋。その部屋=サロンに定冠詞をつけル・サロンと呼ばれるようになる。

フランス革命の後はサロンに誰でも参加できるようになったが、参加するには厳しい審査が行われ実力だけでなくコネやチャンスが必要だった。

サロンに出展出来ない画家が展覧会を開いたのが印象派展の始まり

最初の印象派展は無名の画家達が自分たちで開いた展示販売会。厳しい審査やコネやチャンスが無い若い画家達が自分たちの作品を自由に展示でき販売したり有名になれる展覧会を自費で始めた。みんなでお金を出し合って展示会を開き作品が売れたら売り上げの中から出したお金に応じて利益を分け合った。

この展覧会が後に印象派展と呼ばれるもので第1回目が1874年の第1回印象派展でその後も続き合計8回開催されている。

モネもマネも有名になりたかったし稼ぎたかったのだ。

印象派と言う名前の由来

実は印象派と言う名前は印象派の画家達が名乗ったのではなく批評家に悪口として言われた言葉だった。

前述したパリで1874年アーティスト達が自分たちの展覧会を行った。後にこの展覧会は第1回印象派展と呼ばれるが上述したように最初は画家彫刻家たちの共同出資の展覧会だった。

この展覧会でモネの「印象・日の出」という作品が出展された。

モネ。印象、日の出
By クロード・モネ – art database, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23750619

その後当時の新聞「シャリバリ」の記事に「印象主義者の展覧会」という題で「なんとひどい展覧会なんだ」という辛口の記事がルイ・ルロワという人物によって書かれた。この言葉が後に印象派展と言う呼び名になる。

印象派の筆触分割

色は混ぜると濁り暗くなる。透明感を出すために混ぜるのをやめてみた、これが筆触分割。混ぜないで上から早いタッチで色を重ねていく描きかただ。これはスペインの巨匠ベラスケス(17世紀)が既に使っていた描き方だがフランスのエドワール・マネがプラド美術館を見学した時にベラスケスの絵画を見て学んだ。(全ての印象派の画家が筆触分割を使ったわけでは無い)

チューブ絵の具の発明と蒸気機関車

さらにそれまで絵の具は外に持ち出せないものだった。チューブの絵の具が発明され(1840年)画家達が画材道具を持って外で絵を描くようになった。朝の光のやわらかさや雨上がりの一瞬の光を自分の印象を通して描くようになった。

又蒸気機関車の発達で画家達が遠くへ行けるようになったのも風景画を描くようになったことに拍車をかけた。

ジャポニズムと印象派

ゴッホ花魁
wikipedia public domain
Van Gogh Museum

19世紀ジャポニズムと言ってヨーロッパで日本が爆発的に流行った事が有った。パリの女性達が扇子やうちわを持ち日本の着物をガウン変わり着ているのがかっこよかった。

ジャポニズムと浮世絵

日本の鎖国が解けたのが1854年、印象派展の20年前だ。この頃に日本の美術工芸品が大量に欧米に渡っている。輸出された物の中に陶器があり陶器を割れない為に包む紙に浮世絵が使われていた。今も引っ越しの時に陶器を新聞紙で包んだりする、その包み紙が浮世絵だったのだ。これを見たヨーロッパの画家達が遠近法のない絵画を見て驚愕した。

パリ万博1867年
wikipedia public domain

更に1867年にパリで万国博覧会が行われた。写真上はパリ万博にての日本の代表団。日本はこの万博に初めて参加しているがこの時日本は未だ幕末、ちょんまげに羽織袴の幕府の要人たちが刀を差してパリの街を闊歩した。

浮世絵の印象派への影響

ヨーロッパ絵画は描くときに決まり事がある。遠近法や明暗法や構図の取り方などだ。大事な物は真ん中にあってそこには必ずストーリーや意味があった。西洋絵画が長い間に蓄積して来た規則や哲学が存在した。

広重、大はしあけたの夕立ち
wikipedia Pubulic Domain
Brooklyn Museum

ところが浮世絵は取るに足りないものを描き中心が無い。身近なモチーフを独特の描き方で表現し、紙や顔料も随分と違っていて非常に斬新で驚かれた。

これらを積極的に取り入れたのがゴッホやモネやドガやピサロだった。

北斎漫画

前述した日本の陶器がヨーロッパに運ばれるときの緩衝材に浮世絵が使われたと書いた。その中に北斎漫画があった。北斎漫画というのは北斎のスケッチ画集。絵手本と言って画学生の為の絵の教本で全15編に4000図が収められているらしい。

北斎漫画
By Katsushika Hokusai – Michener, James A. (1958) Hokusai Sketchbooks: Selections from the Manga, Rutland, Vermont & Tokyo: Charles E. Tuttle Company, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2311356

これらを見たヨーロッパ人たち特にフランス人の印象派の画家達に非常に影響を与えた。

伝統的な遠近法を使わずに、大事な物を大きく書いたり、大事な物が端の方にあったり、非常に平面的だったり、そしてテーマは自由なのだ。こんな絵を描いても良いのかと驚愕した。

ゴッホと浮世絵

ゴッホが何百枚かの浮世絵の版画を購入していた事が判っている。弟のテオへの手紙に浮世絵のすばらしさを語っている。写真下は広重の作品をゴッホが自分なりに描いたもの。ヨーロッパには無い絵の描きかたでゴッホは夢中になり他にも沢山の浮世絵風の物を描いている。

ゴッホ、梅の開花、広重の模写
wikipedia Public Domain

ゴッホがその後アルルに引っ越したのも日本的な明るい素材を求めての移動だった。その他の作品にも日本的な物や浮世絵の影響がみられるのがゴッホの作品だ。

印象派まと


印象派を簡単に説明してみようとしましたがバックグラウンドを解説していくと深みにはまりました。

印象派とは19世紀、伝統的な西欧絵画の中のアウトロー的な存在だった。彼らは当時は全く評価されていなかった画家集団だった。

カメラの発明により写実的な絵画の世界を写真が行うようになり絵画に出来ない世界を絵に描こうとした画家達だ。

日本の浮世絵に影響を受け遠近法も明暗法も使わない新しい絵画の世界が始まった。

印象派の始まりから絵画の世界はもっと自由になって変化を遂げていく事になる。

 

 

シュルレアリスムを簡単にわかりやすく説明してみた

シュルレアリスムというと最初にダリやミロの絵を思い浮かべる人が多いと思う。スペインの近代画家のピカソ、ミロ、ダリを理解しようとすると必ず出てくる言葉がシュルレアリズムだ。

シュルレアリスムは20世紀の芸術運動で無意識の世界を扱った、もともとは自動書記=オートマティスムと言って文章を自動的に描いていきそのスピードを速めるという実験から始まった。この記事ではちょっと難しいシュルレアリスムを簡単にわかりやすく解説してみる。

シュルレアリスムとは


シュルレアリスムの前にシュルレアルとは?

シュルレアルはフランス語、Surシュルは接頭語の「~の上」にと言う意味でここでは「~の上」=「超」という意味で使われている。レアルは現実なのでシュルレアルは超現実。

日本で時々広告等のキャッチコピー等に使われる「シュールな~」というとあまりにも現実から離れた非現実的な現象と言う意味だ。本来のシュルレアルというのはその逆で滅茶苦茶現実的という意味の「超現実」。「超早い」「超安い」とか「超かわいい」と言う時に使う「超」なので滅茶苦茶に現実という超現実の事をシュルレアルという。

シュルレアリスムはシュールではないのです。

という事で「シュールな世界」「シュールな絵画」など日本では奇抜で想定を超えたという意味で使われる「シュール」はシュルレアリスムの本来の意味から離れて独り歩きをしてしまった。

そしてシュール・レアリスムという言い方は間違いで正しくはシュルレアリスム。シュルレアルでひとつの単語でそれがイスム=主義という言葉が付いてシュルレアル主義。シュールで切り離さないしシュール・レアリスムではなくシュルレアリスムなのです。

シュルレアリスムは最初は文章だった

アンドレ・ブルトン

シュルレアリスト、アンドレ ブルトン
De Henri Manuelhttp://obviousmag.org/dos_vestigios_da_medusa/174breton.jpg, Dominio público, Enlace

シュルレアリスムはアンドレ・ブルトンというフランス人が始めた芸術運動。アンドレ・ブルトンは詩人で文学者で大学では医学と心理学を学んだ。

アンドレ・ブルトンは第一次世界大戦の時に精神病院で務めているが、この時の体験がシュルレアリスムの登場に大きく影響を与えているだろう。精神病院で戦争のストレスで苦しむ兵士にフロイトの精神分析の自動書記に触れ後の自動記述=オートマティスムに展開していく。

オートマティスム=自動書記とは

アンドレ・ブルトンが実験した自動書記=オートマティスムはとにかく何も考えずに文章を書く。そしてそのスピードをどんどん速くしていくと超越的な文章になって行く。余分な物が無くなって次第に物事の本質や心の深い深い部分=無意識の世界に到着する。又は超越な存在と繋がって行く、という感じだ。

理性や社会や立場や常識を取り払って人間の思考を表に出していく。私たちの考えや行動は理性や立場によっていつも拘束されているのだ。そこからの開放を目指した。

文章を書くのはシュルレアリスムだ

そういえば書くという行為自体が自動的だ。手紙にせよレポートにせよ文章を書いているときに最初から構成をすべてきちんと作って書いているケースの方が少ないのではないか。自然に自動的に頭の中にある物を組み立てて書いていくうちに文章が出来ていく、又は手が勝手に文章を書いていく感じは誰にでもあるだろう。

これは無意識の部分から泉の様に溢れてくるワードを手が書いていく作業。

そう、書くという行為は無意識とつながっているのだ。

アンドレ・ブルトンは自動書記の実験をしながらどんどん書くスピードを速くする実験をしてその文章を発表した。そしてシュルレアリスムが始まった。

フロイトの影響

アンドレブルトンが第一次世界大戦で精神的に壊れた兵士の治療にあたりフロイトの精神分析に出会っている。当時フランスではフロイトは未だあまり知られていなかった。

個人の意識より無意識や夢、偶然性などを重視したフロイトの無意識の世界がシュルレアリスムに大きく影響を与えている。

アンドレ・ブルトンが自動記述で書いた溶ける魚

1924年にブルトンがシュルレアリスム宣言と共に刊行した作品。自動記述で書いていったものが刊行された。内容はブルトンの記憶の泉から湧きだした物語。

シュルレアリスムの絵は大きく分けると2種、ミロ型とダリ型⇚私が勝手に分けました

*ミロ型*

自動記述を利用し自意識が介在出来ない状況下で絵を描き無意識の世界を表現。具象的な物が無く記号的なイメージで抽象画に近づいていく。

ミロの壁画
wikipedia Public Domain

*ダリ型*

不条理な世界やあり得ない組み合わせを写実的に絵に描いた。夢や無意識の世界でしか起こらない奇妙な世界を様々な作品にした。

サルバドール ダリ 
wikipedia Public Domain

シュルレアリスムは絵画だけではなく本や映画や彫刻や写真等幅広い芸術作品になっている。

シュルレアリスムまとめ


ダリやミロ等の絵画からシュルレアリスムを理解しようとする場合が多いと思うが絵から入るとなぜこんな不思議な作品を画家が描いたのか悩む。本来は文章から始まり自動記述を理解すると何故シュルレアリスムの絵画があの様な不思議な作品になって行ったかが理解できる。

シュルレアリスムを理解するのに無意識や自動記述は避けて通れない事柄なのです。芸術家たちがもっと深い深い所へ、遠い世界へ到達しようとした作品がシュルレアリスムの絵や彫刻や映画になった。

旧約聖書に挑戦⑤バベルの塔の物語、こうして人の言葉はバラバラになったのです

旧約聖書の創世記11章1節から9節に出てくる短いお話がバベルの塔の物語。ノアの箱舟の後の人間たちが登場し非常に難解で解釈も様々だ。

旧約聖書の創世記バベルの塔の物語


旧約聖書、創世記のバベルの塔

バベルの塔、ブリューゲル
By ピーテル・ブリューゲル – Levels adjusted from File:Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Tower_of_Babel_(Vienna)_-_Google_Art_Project.jpg, originally from Google Art Project., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22179117

この物語は絵画やテーマやゲームでも聞いた事がある人が多いのではないか。旧約聖書の創世記のノアの箱舟の物語の後に続く短い物語だ。バベルと言う名前はへブル語で混乱を現す言葉から来ているそう。

旧約聖書バベルの塔はノアの箱舟の後の物語

洪水の後神は人間に約束をされた。「私はもう二度と洪水を起こさない。産めよ増えよ地に満ちよ」

そしてそしてノアは洪水の後350年生き950歳で神に召された。

バベルの塔の聖書部分

聖書を読んでいこう<旧約聖書創世記第10章>

ノアの子セム、ハム、ヤぺテの系図は次の通り。洪水の後彼らに子が生まれた。

ヤぺテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤリン、トマル、メセク、テラス。ゴメルの子孫は・・・と延々と名前が続き、人間が増えて洪水の後様々な土地に分かれて住んでいた。

バベルの塔の絵
wikipedia Public Domain

<旧約聖書創世記第11章>

全地は同じ言語で同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得てそこに住んだ。

彼らは互いに言った。

「さあ、レンガを造って火で焼こう」

こうして彼らは石の代わりにレンガを得て、漆喰のかわりにアスファルトを得た。

彼らはまた言った。

「さあ、街を造り塔を建てよう、その塔の先がを天に届くほどの。そして我々は名を上げて、全地の表に散るのを逃れよう。消え去ることが無いように」

神は降りて来て人をバラバラにして多言語にした

バベルで混乱する人間の版画
wikipedia Public Domain

時に神は降りて来て人の子たちの建てる街と塔を見て言われた。

「民はひとつで、皆同じ言葉である。彼らは既にこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはやこのままでは済まないであろう。さあ、我々は下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」

こうして神は人をすべての地に散らされたので彼らは街を造るのをやめた。これによってその街の名はバベルと呼ばれた。神がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。

旧約聖書バベルの塔の解釈

バベルの塔の解釈は「人間が塔を造り神に挑戦しようとしたので神は塔を壊した」というのが一般的な解釈。

今では実現不可能な計画の事をバベルの塔という。

バベルの塔は歴史?

バベルの塔の話は神話とする説が支配的だ。そしてバベルの塔という言葉は聖書には出てこない。

「人はそこに街と塔を築いた。街の名はバベル」

というのが聖書の記述だ。

バベルはヘブライ語で「ごちゃまぜ」という意味、アッカド語では「神の門」を意味するという。

バベルの塔があった場所は?

旧約聖書でバベルと呼ばれた場所は現在のイラクの首都バグダッドの南に位置していて後にバビロンを呼ばれる。この地域にはジグラットと呼ばれる巨大な遺跡が発見されておりバベルの塔はジグラットだったと考えられている。

ジグラット

シュメール人たちは元々山岳に住んでいた。彼らが平地に降りて来たときに高い所で祈れるように神殿を造ったという説がある。

チグリス・ユーフラテスの両河にはさまれる肥沃な土地はメソポタミアと呼ばれ世界最古の文明の地だ。メソポタミアはギリシャ語で両河の間という意味だそう。

河によってもたらされた肥沃な大地だがこの大河は度々氾濫を起こし激しい洪水をもたらした。

洪水に備える高い塔=ジグラットを造ったという説は納得が出来る。

バベルの塔は7階建て

ある説ではバベルの塔は7層で高さ90メートル、最上階には神殿があった。バベルの塔の7層は各曜日を示しておりその曜日が太陽の周りを廻る惑星と対応していたという。

もしかしたらこれがバベルの塔かもというのがある

バビロンにあるエテメンアンキのジクラットは一辺が90メートルの正方形、高さも90メートルという巨大な建築物。このジグラットの内部に焼きレンガやアスファルトが使われていてこれこそが旧約聖書に出てくるバベルの塔という説がある。紀元前7世紀ネブカドネザル2世の時に完成した。

バベルは歴史か神話か

バベルの塔がジグラットなのはどうやら信憑性がありそうだ。物語は後からついてきたとしても。今も沢山のジグラットが残るという。これらのジグラットは後にペルシャの征服とアレキサンダー大帝の遠征で廃れていったらしい。

聖書はこの辺りから実在した歴史上の王や街や史実との関わり合いが現実化して来たがいまだ謎は多い。

旧約聖書の創世記はこの後多くの子孫が生まれそしてアブラハムが生まれる。

 

旧約聖書に挑戦④洪水の物語とノアの箱舟

この「旧約聖書に挑戦」では①創世記の天地創造から②アダムとイブの楽園追放、③ではカインとアベルの物語で人類の最初の殺人事件が起こった。そしてここでは④洪水の物語を扱います。このノアの箱舟の洪水の物語は旧約聖書の創世記の中で初めて史実と関連付けられており考古学者たちの好奇心を長い間刺激し続けている。

旧約聖書、洪水の物語とノアの箱舟


旧約聖書、洪水の物語

旧約聖書の創世記、アダムとイブの物語で神はこの世には悪が力を増したと告げる。アダムとイブの息子のカインは弟アベルを殺し人類最初の殺人事件が起きた。その後人間は増えていくが悪がこの世にはびこり神はそれらの悪を洗い流すため大洪水を起こされた。

旧約聖書アダムとイブの子孫たち

アダムとイブの最初の2人の子供がカインとアベル。アベルはカインに殺されカインは神に追放された。アダムとエバは再び子供を授かり何世代もの後にその子孫たちは世界中に満ちた。しかし世の中は乱れ暴虐に満ちた。全ての人が道を乱していた。

神は深く嘆き

「私が造った人間たちを滅ぼしてしまおう。動物も鳥もすべて。あれらを造った事を私は後悔している」

旧約聖書、神の心に叶う男ノア

ノアの箱舟、動物たちの乗船
De Edward Hicks, American, 1780 – 1849 (1780 – 1849) – Artist/Maker (American)Nació en: Langhorne, Pennsylvania, United States. Murió en: Newtown, Pennsylvania, United States.Detalles del artista en Google Art Project – aQFz9qNv8QS26Q en el Instituto Cultural de Google resolución máxima, Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21886421

そんな邪悪な世界でただ一人の男だけが神の心に叶う者だった。

その男の名はノアといった。

神はノアに言われた。

「私はこの世界を洗い流してしまうつもりだ。お前は特別な船を造りなさい。大きな箱の形をした船を。船は糸杉の木で作り中に沢山の部屋を造りなさい。内側と外側はアスファルトで塗り3つの階を造り横に扉をひとつ付なさい。この地上の物は全て滅ぼされるが私はあなたと特別な契約を結ぶことにする」

ノアは神が言われた通りにした。

神はまたノアに言われた。

「私はあなたと契約を結ぼう。あなたはあなたの妻と子供、子の妻達と共に箱舟に入りなさい。全ての生き物の中からつがいを箱舟の中に入れてその命を保たせなさい。全ての種類の生き物が再び地で産み育つように」

ノアはその通りにした。

洪水が起きる

システィーナ礼拝堂の大洪水の天井画、ミケランジェロ
wikipedia Public Domain

 

ノアは家族と動物、鳥たちと共に箱舟に入った。7日の後に洪水が始まった。

洪水が起こったときノアは6百歳だった。雨は40日間昼も夜もやまずに降り続き水は山を覆った。地上の動くものすべて、鳥も家畜も獣も地に這う物も、全ての人も皆滅びこの世から拭い去られた。

水は150日間にわたり地上にみなぎった。

ノアと共に箱舟に守られたものだけが助かった。

神はノアを忘れなかった

何日も過ぎた後、神は風を送られた。嵐の雲は吹き散らされ水はゆっくりと引いて行った。

水が地から引いて150日の後の7月17日、箱舟はアララトの山にとどまった。水は更に引いて10月になり山々の頂が見える様になった。

40日経ってノアは箱舟の窓を開いて渡りカラスを放った。渡りカラスはあちらこちらへ飛び回った。

それからノアは鳩を放った。鳩は足を止めるところが見つからずに箱舟のノアの所へ戻って来た。

それから7日経ってノアは再び鳩を放った。鳩は夕方になってノアの元に戻って来るとオリーブの若葉をくちばしにくわえていた。

更に7日待って鳩を放ったところもうその鳩はノアの所には戻ってこなかった。

数日が過ぎ水は更に引きノアは周りに土を見る事が出来た。

神はノアに言われた。

「さあ、お前と妻、息子とその妻たちは箱舟から出るがよい。そして全ての動物と鳥を自由にしてやりなさい。そうすれば彼らは子を産み地に広がって行くであろう」

そしてノアはそのようにした。

約束の虹

約束の虹
wikipedia Public Domain

それからノアは祭壇を築き洪水から守ってくださった神に感謝をした。

神は喜ばれノアに約束された。

「もう2度とこのような形で世を滅ぼしたりしない。人は弱く、悪の誘惑を退けられない事を私は知っている。約束しよう、この世が続く限りいつも種をまくときが有り、収穫の時があることを。寒いときも暑いときも、夏も冬も昼も夜もあることを。生きとし生けるものはこの言葉を信じて良い。だから、産み、育て、この地を生き物で満たすのだ。約束のしるしとして、私は大地に虹をかけよう。空が雲に覆われて暗いとき、虹のアーチがかかったなら、それは私が言った事を覚えているという印である。全ての生き物と人への約束を私は決して忘れないし破らない」

おなじ虹を見ても

私はこの旧約聖書の部分が好きだ。旧約聖書のこの部分を知っていれば虹を見るたびに神の約束を思い出すだろう。「ああ綺麗な虹が出ている」で終わるより「旧約聖書で神は人間をもう苦しめないと約束してくれた虹が出ている」と思って虹を見ると随分深いものがある。

旧約聖書創世記ノアと神との契約

神はノアとその子らを祝福して言われた。

「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這う全ての物、海の全ての魚は恐れおののいて、あなた方の支配に服し、すべての生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。先に青草をあなた方に与えたように、私はこれらの物を見なあなた方に与える。しかし肉を、その命である地のままで、食べてはならない。あなた方の命の血を流すものにあ、私は必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟であるひとにも私は人の命の為に、報復するであろう」

「私があなた方とたてるこの契約によりもはや二度と洪水は起こらない。これはあなた方およびあなた方と主にいるすべての生き物との間に世々限りなく、虹は私が立てる契約のしるしである」

洪水の話は歴史なのか神話なのか

実は似たような洪水の話は古代のあらゆるところに残っているという。その洪水伝説のなかで旧約聖書の洪水の物語と共通点が多いのがバビロニア神話のギルガメッシュ叙事詩。

ギルガメッシュ叙事詩は紀元前3000年頃にメソポタミアで書かれており世界最古の物。旧約聖書より2000年位前に書かれた物語だ。

箱舟のサイズは黄金比

ノアの箱舟のサイズの比率は30:5:3.これは旧約聖書に記述されている具体的な数字。この比率は今も大型タンカー等を造る時に使う最適な比率であるというのは驚きだ。

ノアの箱舟が着いた山は?

旧約聖書、創世記にはノアの箱舟が着いたアララトの山は古代アルメニアの地域にあると記されている。現在のトルコにアララトという山がありそこがノアの箱舟が着いた所だという説が最も有力だ。

ノアの箱舟が発見された?

長い間多くの探検家がノアの箱舟を探していた。2010年に中国とトルコ探検家チームがトルコのアララト産の山頂付近で船の木片を発見したと発表している。表九400メートル地点で発見された構造物で炭素年代測定を行ったところ4800年前の物と確認されたらしい。

旧約聖書ノアの箱舟まとめ

どうやら洪水があった事は事実。だが地球規模の洪水ではなく地域的な洪水が何度か起こってその物語が様々な民族で継承されていたのに違いない。箱舟の遺構が本物なら巨大な船を作る技術や多くの動物と150日間も箱舟で生活できたのかと疑問はまだまだ残る。

旧約聖書に挑戦⑤バベルの塔の物語、こうして人の言葉はバラバラになったのです

 

 

 

旧約聖書に挑戦③カインとアベルの物語

旧約聖書に挑戦③はカインとアベルの兄弟の物語。小説やドラマに取り入れられるこの物語は人類最初の殺人事件だ。人間の神への愛や嫉妬、嘘や罪と罰がテーマになっている。

旧約聖書、カインとアベルの物語


カインとアベルはアダムとエバの息子たち

アダムとエバは楽園を追放されたあと子供を授かった。兄カインが生まれた後弟アベルも生まれた。カインは土を耕すものになりアベルは羊を飼うものとなった。

時が立ちカインとアベルは神に捧げものをする。兄カインは地の産物を神に捧げ、弟アベルは羊の群れの中の初子の最も肥えた物を捧げた。

神は不公平

神はアベルとその捧げものを喜ばれたがカインとその捧げものは喜ばれなかった。カインは憤りそして顔を伏せた。

神はカインに言った。

「なぜ顔を伏せるのですか?正しい事をしているのでしたら顔を上げなさい。もし正しい事をしていないのでしたら罪が門口に待ち伏せをしています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」

嫉妬したカインはアベルを誘って出かける

カインは弟アベルに言った。

「さあ野原へ行こう」

カインとアベル、ルーベンス
wikipedia Public Domain

 

そこでカインはアベルを襲った。これが人類最初の殺人事件。

神はカインに言われた。

「あなたの弟アベルは何処にいますか?」

カインは答えた。

「知りません。私が弟の番人でしょうか?」

カインとアベルの15世紀の絵
Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=431380

神は言われた。

「あなたは何をしたのですか?あなたの弟の血の声が土の中から私に叫んでいます。あなたは呪われこの土地を離れなければなりません。この土地はあなたの手から弟アベルの血を受けたからです。あなたが土地を耕しても土地はもはやあなたの為には実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」

カインは追放される

カインとアベル
museo del Prado

カインは神に言った

「私の罰は重くて背負いきれません。あなたは私をこの土地から追放されました。私は地上の放浪者となり私を見つける人は私を襲うでしょう」

神は言われた。

「いや、そうではない。誰でもカインを襲うものは7倍の復讐を受けるでしょう」

神はカインが襲われないように彼に印をつけられた。そしてカインはエデンの東、ノドの地に住んだ。

カインの子供が生まれ子孫が増える

カインは妻を持ち子供が生まれた。その子の名前はエノクといった。エノクに子供が生まれその子にも子供が生まれた。

 

カインの子孫が全ての職業の元

カインの子孫が物を造る職業人の祖先となったと旧約聖書にある。

カインの子孫が築いたエノクの街に3人の兄弟がいた。トバルカイン、ヤバル、ユバル。それぞれ鍛冶屋、遊牧民、音楽家の祖先。

カインと言う名前も鍛冶屋鋳造者を意味する。

 

アダムにも再び子が生まれた

アベルは殺されカインは追放された。2人の息子を失い悲しみに暮れるアダムとイブに神は子を授けた。その子の名前はセツといった。アダムはその他に2人の子供を得て930歳まで生きた。その後9代後にノアが産まれた。

理解に苦しむカインとアベルの物語

この物語の意味や教訓は何だろう。

カインも神に捧げものをしたのに何故神はカインの捧げものを喜ばなかったのか。心理学ではカイン・コンプレックスという言葉も有る。親からの愛情の差による兄弟間の嫉妬の事だ。

アベルは持っている物の中で一番良いものを神に捧げたがカインの贈り物はそうではなかった。「顔を伏せた」とあるのは心にやましい何かがあった、神に捧げたものが一番良いものではなかったのかもしれない。

旧約聖書に挑戦④洪水の物語とノアの箱舟

一神教の神はキビシイ、そしてすぐ怒るし不公平なのだ

旧約聖書の神は人間を罰して追放するのだ。アダムとエバをエデンの園から追い出した時もそうだった。大体最初から不公平で理不尽だ。

旧約聖書の神は完ぺきではないのだ。すぐに怒るし、だいたい不公平でやる事が理不尽だ。

でもその後どうやら人間にチャンスは取っておいてくれるようで、聖書によるとその後の人類は追放されたアダムとイブの子孫と、これも追放されたカインの子孫なのだから。

ここに「日本人と神」と「キリスト教徒(ユダヤ教徒、イスラム教も含め)と神」の関わり合いの違いがあり、考え方の違いの根本があるかもしれない。

 

旧約聖書に挑戦②エデンの園の物語ーアダムとイブは神と共に暮らしていたんです

旧約聖書の最初の5つの章はモーゼ5書と呼ばれモーゼが書いたと伝えられている。実際は異なる時代の合成文書であるという説もあるようで今も謎の世界だ。旧約聖書の創世記は天地創造から始まりエデンの園やノアの箱舟等のどこかで聞いたことがあるお話。このページではエデンの園のアダムとイブの物語を楽園追放までを読み物にしてみた。

旧約聖書エデンの園の物語


旧約聖書の創世記2番目のお話はエデンの園

旧約聖書の創世記の天地創造で神は7日間をかけて世界と人間を造り1日休まれた。

下の絵はプラド美術館にあるボスの快楽の園両側の木の扉を閉めた状態。天地創造の地球、植物が創られ始めたところ。

ヒエロニムスボスの快楽の園
By ヒエロニムス・ボス – Originally uploaded to the English Wikipedia by w:User:Blankfaze., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=148810

旧約聖書ーそして神は人間を造った

神が世界を造ったときそこには植物は無く雨も降らず耕す人もいなかった。神は土を手に取り人間を造った。神はその鼻に息を吹き込むとその男は生きた。

神は東の方、エデンにひとつの園を設けて造った人をそこに置かれた。神はエデンの園に「見ると美しく食べるとおいしい木」を土からはえさせ、さらに園の中央には「命の木と善悪を見分ける知恵を与える木」をはえさせた。

神はそこが彼の家になるようにして男に言われた。

「この園の世話をしなさい。ここはお前が必要な物を何でも与えてくれるであろう」

「だがひとつだけ、やってはいけない事が有る。この善悪を知る木の実だけは食べてはならない。この実を食べると死んでしまうだろう」

それから神は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。彼に合う助けてを与えよ」そこで神は土を手に取り全ての動物と鳥とを形作られた。

神はそれらを男のもとに連れて来てそれぞれに名前を付けるように言われてた。そこで男は全ての動物と全ての鳥に名前を付けたがそれらの中には男の仲間になり助け手になる物はいなかった。

そこで神は男を深く眠らせ、彼が眠っている間にそのあばら骨を取りそこから女を形作られた。男は神が造られた女を見た時、自分が本当の助け手を得たことを知った。

下の絵はプラド美術館にあるボスの快楽の園の部分、神がアダムにエバを合わせた場面。

ヒエロニムス・ボスのエバの創造
By ヒエロニムス・ボス – Galería online, Museo del Prado., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45147809

「ああ、私はやっと自分と同じ種類の物を見つけた。これは私の骨の骨、肉の肉。男から取ったものだからこれを女と名付けよう」

男は女と一緒にいる事が嬉しくてたまらなかった。ふたりとも裸であったか恥ずかしいとは思わなかった。

下の絵は同じくプラド美術館のボスの快楽の園の左側部分。様々な生きとし生ける生き物と神とアダムとイブが描かれている。

ヒエロニムスボス、快楽の園部分
By ヒエロニムス・ボス – Galería online, Museo del Prado., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45147809

旧約聖書ーエデンの園、禁断の実

蛇は神が造られたこの世の物でもっともずる賢い生き物だった。ある日園の中で座っている女に蛇は近づいて囁いた。

「ひとつ聞きたい事が有るのです。神様はこの園のどの木の実も食べてはいけないとおっしゃったのですか?」

女は答えた「どの木の実を食べてもいいのよ。園の真ん中にある木の実以外はね。死んでしまわないように」

蛇は声を出さずに笑って体を震わせた。「それは本当の事ではないよ。神様は貴方たちを騙すためにそういわれたのさ。あなたたちがこの実を食べたら善悪を知って神の様になってしまうからね」

女は木の実を見た。すると木の実は大変美しく、見つめているうちに神の様に賢くなるって素晴らしいと思えてきた。

彼女は木の実を取って食べ、男にも与えた。

その実を食べたとたんに彼らは自分が裸であることが恥ずかしいと思いイチジクの葉を取って腰を覆った。

下の絵はプラド美術館にあるドイツのデューラーのアダムとイブ。イブの横に禁断の実と蛇が描かれている。

デューラーのアダムとイブ
Galería online del Museo del Prado de Madrid
wikipedia Public Domain

夕方になって神は園に来られた。男と女は木の間に隠れた。

神は2人を探しに来られ「お前たちはどこにいるのだ?」と大きな声で呼ばれた。

男は「いらっしゃるのが判ったので隠れました。裸でしたので」

神は悲しい声で「お前たちが裸だと誰が言ったのか?お前たちはあの禁じられた木の実を食べたのだね」

男は神に

「女が私にあの木の実をくれました」

神は女に聞いた

「なぜそんな事をしたのか?」

女はうなだれて答えた

「蛇が私を騙したのです」

旧約聖書ー楽園追放

ギュスターブ・ドレ楽園追放
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=81967

神は蛇に言われた。

「お前はこの事をしたので全ての生き物の中で最も呪われる。お前は腹で這い歩き一生チリを食べるであろう。私はお前と女に恨みを置く。人々はお前を忌み嫌いお前の頭を踏み砕き、お前は毒のある歯で人の踵に噛みつくであろう」

次に神は女に言われた。

「お前は苦しまなければならない。私はお前の産みの苦しみを大きくする。あなたは夫に従い彼はあなたを治めるであろう」

最後に男に言われた

「あなたは私が食べてはいけないといった木の実を食べたのであなたは一生苦しんで地から食べ物を取る。収穫を得る為に辛く苦しい労働をしなければならない。地は茨とアザミを強くはびこらせお前の必要な植物を枯らそうとする。辛く苦しい労働の一生が終わるとお前の肉体は土に帰るであろう」

アダムという名の男は妻の名をエバと名付けた。

神はアダムとエバに動物の皮で作った服を与えエデンの園から彼らを追放させた。

それから園の東に羽の生えた生き物ケルビムと燃える剣を据えられた。

もうこれで誰も命の木に近づくことは出来なくなった。

旧約聖書に挑戦③カインとアベルの物語

旧約聖書エデンの園の物語最後に

旧約聖書に挑戦します。難解で長文の旧約聖書、内容は人類の創造から始まって読み進めると意外と面白い物語になっている。分厚い旧約聖書を手に取るチャンスがある人は少ないかもしれないがヨーロッパ旅行をするなら少しだけ知っていると絵画等の理解にとても役に立つ。

旧約聖書に挑戦①創世記の天地創造の物語。神は7日間かけて世界を造って休まれた。

旧約聖書はユダヤ教徒とキリスト教徒の聖典である。旧約の約は約束の約で神との約束の書。ユダヤ教徒にとっては唯一の聖書で旧約という言葉はキリスト教徒が付けた名前。

旧約聖書は39巻によって構成されていてイエス・キリストが生まれるより400年位前までのイスラエルの歴史が書かれている。この旧約聖書を少しずつ解りやすくまとめてみる事にした。この記事では旧約聖書の最初の天地創造を読みやすい物語にしてみた。

旧約聖書の天地創造


旧約聖書、はじまりは天地創造の物語

旧約聖書の天地創造は聖書を開くと最初のページに書かれている物語で神が6日間かけて地球の色々や人間を造り7日目に休んだと書かれている。

人間は古くから世界のすべてがどのようにして始まったのかを理解しようとした。その疑問に答えを与えようとしたのが旧約聖書の天地創造だ。

旧約聖書、創世記の天地創造を読んでみる

旧約聖書、創世記第一章

初めに神は天と地を創造された。地は形なくむなしく闇が淵の表にあり神の霊が水の表を覆っていた。

1日目-光

神は言われた。「光あれ」すると光ができ神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け闇を夜、光を昼と呼ばれた。夜が過ぎ朝が来た。1日目が終わった。

2日目ー空と水

それから神は言われた。「水の間に大空があって水と水を分けよ。」そのようになった神はその大空を天と名付けた。夕となり朝となった。第2日目が終わった。

下の写真はヒエロニムス・ボスの快楽の園、扉部分を閉めた状態。創世記の天地創造の人間が作られる前の世界だと言われている。

ヒエロニムスボスの快楽の園
By ヒエロニムス・ボス – Originally uploaded to the English Wikipedia by w:User:Blankfaze., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=148810

神はまた言われた。水はひとつの所に集まり乾いた土地が現れるように。神はその乾いた地を陸と名付け水の集まったところを海と名付けられた。神は見て良しとされた。

3日目ー植物

神はまた言われた。全ての種類の実がなる果樹を地にはえさせよ。そしてそのようになった。地に植物が生まれた。夕となり朝となった。第3日目が終わった。

下写真はミケランジェロの水と大地の分離・システィーナ礼拝堂。サンピエトロ寺院のミケランジェロの天地創造の部分。

システィーナ礼拝堂の天地創造
By ミケランジェロ・ブオナローティ – Web Gallery of Art[1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1551130
4日目-太陽と月と星

神はまた言われた。空に昼と夜を分け、1年の季節を分ける光があるように。そしてそのようになった。神は昼を照らすように太陽を創られ夜を照らすように月を造られた。神は星も造られた。すべてが良かった。夜が過ぎ朝が来た。4日目が終わった。

下の写真はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画の天地創造、太陽、月、植物の創造。

ミケランジェロ天地創造、星と月

5日目-水と空の生き物

神は言われた。「水には生き物があふれるように、空には鳥たちが群がるように」神は海の生き物とあらゆる種類の鳥を造られた。何もかもが良かった。夜が過ぎ朝が来た。5日目が終わった。

6日目-人間

神は言われた。「何もかもすべて良いのこの世界の世話をする人間を作ろう」人は神に似たものに造られそこに住むために神は美しい世界を与えられた。神は喜ばれた。夜が過ぎ朝が来た。6日目が終わった。

このようにして宇宙のすべてが完全になった。

7日目-休息

7日目までにすべてを終えられ神は休息された。神は7日目を祝福されその日を他の日とは違った特別の日とした。

 

旧約聖書の創世記はいつ書かれた?

いつ旧約聖書の創世記が書かれたかは聖書には書いてないが紀元前1440年から1400年頃。イスラエル人がエジプトを脱出してモーセの死までの期間だと言われている。

旧約聖書の創世記は誰が書いた?

旧約聖書の中の創世記から申命記までの最初の5巻は「モーセ5書」と呼ばれモーセによって書かれたと考えられている。創世記以外のモーセ5書はモーセが生きた時代の出来事でモーセが記したと考えられているが創世記については未だモーセは生まれていない。へブル人の記録が粘土板に残されていたものや霊感で神から与えられたものを書いたのではと考えられている。旧約聖書のモーセ5書をモーセが書いたを否定する学者もいて今だ謎。

旧約聖書に挑戦②エデンの園の物語ーアダムとイブは神と共に暮らしていたんです

旧約聖書の創世記、天地創造まとめ

これが旧約聖書の一番最初に書かれている天地創造。神が7日間かけて世界を造り人間を造って休まれた。だから1週間は7日間で日曜日はお休みなのです。旧約聖書の創世記の天地創造は様々な絵画の主題にもなってるので身近に感じられるテーマ。

マドリード・アトーチャ駅の解説書、新幹線乗り場やメトロとの連絡口、空港行きエクスプレスバスの乗り場を図解入りで説明

アトーチャ駅はマドリードからスペイン新幹線AVEや各種特急、マドリードの空港ターミナル4と市内を繋ぐセルカニアス(国鉄近郊線=Cercanias)、メトロ(地下鉄)等が集まるマドリードの中心的な駅。マドリードの空港行き24時間バスもアトーチャ駅から出発する。旅する人が判りやすいようにアトーチャ駅の解説書を作ってみた。長い記事なので目次から必要な項目へジャンプできます。

マドリード・アトーチャ駅の場所と構造


アトーチャ駅の場所

アトーチャ駅の場所はマドリードの南寄りにありプラド美術館から約1キロ南、徒歩15分の非常に便利なところにある。

メトロ、スペイン国鉄近郊線セルカニアス、路線バスとスペイン新幹線が乗りいれていてアクセスは抜群だ。

<アトーチャ駅場所>

マドリード、アトーチャ駅
筆者作成

アトーチャ駅の構造

アトーチャ駅はかまぼこ型の駅舎で1992年まで現在植物園の所まで鉄道が入っていた終着型の駅舎。

写真下、旧駅舎は現在植物園になっていて飲食店や切符売り場等がある。1992年までここまで線路が入っていたのだ。

この写真はアトーチャ駅2階の入り口から撮ったもの。写真の奥の明るいアーチが見える所から外に出るとソフィア王妃芸術センターが正面に見える。

<アトーチャ駅旧駅舎>

アトーチャ駅構内
筆者撮影

下図を見ていただくとアトーチャ駅のかまぼこ型というのが理解できると思う。図の右下の方の赤い字<出入り口0階>から外へ出たらソフィア王妃芸術センターが道路の向こうに見える。

上の写真は下の図の左にある赤い字<出入り口2階>からソフィア王妃芸術センター側の出口に向けて撮ったもの。

<アトーチャ駅構造図>

アトーチャ駅構造
筆者作成

下の写真はソフィア王妃芸術センター側の入り口、ここから入ると植物園になっている旧駅舎の中に入る。

<アトーチャ駅入り口>

アトーチャ駅
筆者撮影

アトーチャ駅は3階建て

アトーチャ駅建物内部は3階建てで、下の図の様に0階1階2階となっている。

<アトーチャ駅構造図>

アトーチャ駅構内図
筆者作成

スペイン新幹線AVEに乗るホームは全て0階だが待合室に入る出発口すなわち手荷物検査場が2か所、行先によって0階と1階に分かれている。

*0階=トレド、バレンシア等

*1階=バルセロナ、コルドバ、セビージャ、マラガ等

手荷物検査を受けた後待合室で待つ。待合室に無料トイレとカフェ等がある。

新幹線出発時刻の30分程前にゲートが発表されるのでそこでもう一度切符のチェックを受けてホームへ移動する。

上の構内図、左下の方からメトロとセルカニアス(国鉄近郊線)に0階で繋がっている。

上の構内図、左上の方に空港行き24時間エクスプレス・バスの乗り場がある。

 

アトーチャ駅に乗り入れているメトロ、セルカニアス、AVE、空港行きバス


アトーチャ駅には①メトロ②スペイン国鉄近郊線Cercaniasセルカニアスと③スペイン新幹線AVE、④24時間空港バス乗り場がある。

それぞれを詳しく説明していきます。

メトロは1号線のアトーチャ・レンフェ

メトロは青い線1号線、Atocha Renfeアトーチャ・レンフェという駅。1号線ソル駅(SOL)から4つ目のAtocha Renfeアトーチャ・レンフェがアトーチャ駅。

<マドリード、メトロAtocha Renfe>

アトーチャ、メトロの駅
筆者作成

メトロ1号線のアトーチャ・レンフェのメトロの駅と鉄道のアトーチャ駅とは構内で繋がっている。写真下の赤い矢印の先の方にメトロのアトーチャ・レンフェの改札口がある。

<アトーチャ駅構造図>

アトーチャ駅
筆者作成

 

マドリードのメトロは各駅にエレベーターが設置されているのでスーツケースがあってもアクセスは問題なし。スーツケースを持っていると目立つのでスリに注意です。

<メトロ、アトーチャ・レンフェ、>

アトーチャ駅メトロ
筆者撮影

地下鉄の出口Salidaの標識と別にAscensorアッセンソールの矢印がエレベーター、大きなスーツケースを持っていたらこの標識を見つけましょう。

<メトロ・アトーチャ・レンフェ駅>

アトーチャ駅、メトロ
筆者撮影

本来は車いすや高齢者、ベビーカー用に作られているがスーツケースでも遠慮なく使って大丈夫。スペインでは弱い人を優先させる習慣があるので廻りの様子を見て使ってください。

<メトロ、アトーチャ・レンフェ駅エレベータ―>

アトーチャ駅メトロのエレベーター
筆者撮影

逆コースでスペイン新幹線AVEや長距離鉄道でアトーチャ駅に着いて地下鉄に乗るならメトロのアトーチャ・レンフェへ行くのはメトロの標識を探すだけだ。

<メトロ、アトーチャ・レンフェ>

メトロでソルからアトーチャに着いて1階の新幹線乗り口へ行くには近道がある

実はメトロでSolソルからアトーチャに着いたら旧駅舎まで行かずに新幹線1階の乗り換え口へ直接行く事が出来る。

メトロのアトーチャ・レンフェを1号線でSolソルから来たら一番近い出口はここ。Estacion Ferrocarril=鉄道駅、Cercanias=国鉄近郊線の方へ進む。スーツケースがあればAsensor=エレベーターへ。

<アトーチャ駅、セルカニアス>

出口に来るとCercanias=セルカニアス国鉄近郊線の標識。

<アトーチャ駅、セルカニアスの標識>

アトーチャ駅
筆者撮影

メトロ、アトーチャ・レンフェの改札を出たら標識はまだCercaniasのみ。AveアベとかPuerta de Atochaプエルタ・デ・アトーチャとかは無い。

<アトーチャ駅、セルカニアスの標識>

アトーチャ駅
筆者撮影

Cercaniasセルカニアス、Estacion De Ferrocarilエスタシオン・フェロカリルに向かっていく。

<アトーチャ駅、標識>

アトーチャ駅
筆者撮影

このまま真っ直ぐ進んでいく

<アトーチャ駅、新幹線乗り換え口>

アトーチャ駅
筆者撮影

写真下の右側、AVEの出発ロビーのモニターが見える。その向こうに1階の待合室に入る手荷物検査場。

<アトーチャ駅、新幹線乗り換え口>

アトーチャ駅
筆者撮影

1階の乗り換え口の手荷物検査が見えて来た、バルセロナやセビージャ、マラガ方面へ出発ならここから入ると一番近い。メトロの改札から2分の移動。

<アトーチャ駅、新幹線1階乗り口>

アトーチャ駅
筆者撮影

下の図の赤い丸印の所にいる。1階の横の方から手荷物検査を受けて待合室に入る事が出来る。

<マドリード、アトーチャ駅1階乗り換え口>

アトーチャ駅
筆者作成

近道で行くとアトーチャ駅の植物園になっている旧駅舎は見れない。時間があってアトーチャ駅旧駅舎を見に行くなら一旦Cercanias=セルカニアスの方へエスカレーターを降りてPuerta de Atochaの標識を見ながら移動になります。

近郊線=Cercanias=セルカニアス

スペイン国鉄Renfeレンフェのマドリード近郊線の事をスペイン語でCercaniasセルカニアスという。マドリード市内と郊外の都市や空港ターミナル4を結んでいる。

<セルカニアス路線図>

アトーチャ駅セルカニアス
筆者作成

マドリードの市内を歩いていても踏み切りや立体交差が無いがマドリードの地下にメトロと別に国鉄のセルカニアスも走っているのだ。

<セルカニアス・アトーチャ駅>

アトーチャ駅セルカニアスのホーム
筆者撮影

セルカニアスでアトーチャ駅に着いたらメトロはこっちとホームの足元に書いてある。ここにはAVEや空港行きバスの表示は無いのでメトロの方へ出ていく。

<セルカニアス・アトーチャ駅のホームにあるメトロへの表示>

アトーチャ駅セルカニアス
筆者撮影

 

Salidaはスペイン語で出口の事、メトロはあっちの矢印。

アトーチャ駅
筆者撮影

アトーチャ駅のセルカニアス出口の改札。

アトーチャ駅
筆者撮影

下の図はアトーチャ駅のセルカニアスの位置。メトロの駅より少し手前にセルカニアスの駅がある。

<アトーチャ駅、セルカニアス位置>

アトーチャ駅
筆者作成

写真下の奥の明るい方に登って行くと空港行きの24時間バス乗り場に行くことが出来る。

<アトーチャ駅、セルカニアス改札口>

アトーチャ駅
筆者撮影

スペイン新幹線AVEに乗るなら改札を出て左の方へ進む。

<アトーチャ駅、セルカニアスの位置>

アトーチャ駅
筆者撮影

新幹線の乗り口はPuerta de Atochaプエルタ・デ・アトーチャの標識に向かって進む。

<アトーチャ駅、プエルタ・デ・アトーチャの標識>

アトーチャ駅、プエルタデアトーチャ
筆者撮影

 

:補足1市内の移動はセルカニアスの方がメトロより便利な事が有る:

市内の移動はアトーチャからなら行先によってはメトロに乗るよりセルカニアスに乗る方が早い事が有る。例えばマドリード北にあるチャマルティン駅へアトーチャ駅から行くなら絶対レンフェの方がメトロやタクシーより早くて便利だ。

アトーチャ駅セルカニアス
筆者撮影

:補足2アベに乗る時と降りた後セルカニアスが無料になる:

スペイン新幹線AVEで到着してセルカニアスに乗る場合とその逆、セルカニアスに乗ってアトーチャ駅へ行ってスペイン新幹線AVEに乗る場合は無料で乗ることが出来る。

タッチパネルに触れる

アトーチャ駅の切符の機械
筆者撮影

Combinadosというボタンにタッチ

アトーチャ駅切符の機械
筆者撮影

行先を選んでタッチ。アルファベット順になっているのでSolソルとかChamartinチャマルティンとか。

アトーチャ駅切符の機械
筆者撮影

光っているところに切符のコードをかざす。

アトーチャ駅切符の機械
筆者撮影

無料の切符が出てくる。これでそのまま改札を通ることが出来る。行先がセビージャならセビージャ到着時にも市内のセルカニアスなら同じ方法で切符を出す事が可能。

アトーチャ駅切符
筆者撮影

(距離に制限があるので市内のみ、出発まで3時間以上ある場合などは使えない)

スペイン新幹線=AVE

旅行している人でアトーチャ駅に来るのはスペイン新幹線AVEに乗る人が殆どだろう。

注意:一部のAVEと特急はチャマルティン駅出発なので切符を見て確認しましょう。

アトーチャ駅の構造の所で説明しているがここにジャンプして来た方もあるので再び。

スペイン新幹線AVEアベの出発口(手荷物検査を受けて待合室に入るゲート)は0階と1階の2か所に分かれている。

*0階はトレド、バレンシア等、

*1階はバルセロナ、コルドバ、セビージャ、マラガ等

*スペイン語で、0階=Planta Bajaと1階=Primera Plantaと表示。空港の様に出発ゲート表示モニターがあるのでそれで確認できる。下写真参照

アトーチャ駅
筆者撮影

*出発口の所で切符のバーコードのチェック、その後手荷物検査。(お水など液体物を持っていても大丈夫)

アトーチャ駅スペイン新幹線アベの切符売り場

スペイン新幹線の切符を現地で購入する人もいるかもしれない。トレド行きなら予定に合わせてマドリードで買う事もあるので切符売り場の説明もしておく。

上から見た写真だとこの位置。0階の壁沿い。

アトーチャ駅新幹線切符売り場
筆者撮影

新幹線切符売り場は構造図ではこの位置です。

アトーチャ駅、スペイン新幹線切符売り場
筆者作成

アトーチャ駅切符売り場スペイン語で=Venta de billetes

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

明日以降の出発の場合はこの機械でまず番号札を手に入れる。

アトーチャ駅、切符売り場
筆者撮影

写真下、タッチパネルになっているのでタッチ。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

写真下Venta Anticipada=明日以降の切符販売、右の方の国旗を触ると英語やフランス語に変わる。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

写真下、番号が書いた紙を取ってモニターを見て自分の順番を待つ。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

何番の人はどこのカウンターに行くという案内版。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

Salida Proxima Hora=直ぐに出発の新幹線の場合はここに並ぶ。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

 

新幹線アベに乗るのにタクシーでアトーチャ駅に到着した場合

スペイン新幹線AVEに乗るのにタクシーでアトーチャ駅に向かう場合が多いと思う。

アトーチャ駅
筆者撮影

タクシードライバーに「Estacion de Atocha,AVE、エスタシオン・デ・アトーチャ・アベ」と言うと上の図の「2階の出入り口」の所で降りる事になる。

スペイン新幹線AVEに乗る場合はここからアトーチャ駅に入るのが一番わかりやすい。

アトーチャ駅、タクシーを降りたところ
筆者撮影

タクシーを降りてアトーチャ駅構内に入ると写真下の赤い字「2階出入り口」の所から入る。1階出発口なら1つ下へ、0階出発口なら2つ下へ移動して矢印の方へ。(左右にエレベーターもあるので使いやすい方を利用すると良い)

アトーチャ駅構造
筆者作成

アトーチャ駅タクシーを降りて構内に入ったところ、ここは2階。

アトーチャ駅
筆者撮影

 

アトーチャ駅の1階新幹線乗り場からセビージャへアベでの移動を動画で説明しています。

メトロかセルカニアスでアトーチャ駅に着いた場合

メトロかセルカニアスで着いたらPuerta de Atochaプエルタデアトーチャの標識を探して0階か1階の出発口へ。

アトーチャ駅構内
筆者作成

写真下の標識の様にPuerta  de Atochaプエルタ・デ・アトーチャがスペイン新幹線AVEの乗り場。

アトーチャ駅標識
筆者撮影

メトロとセルカニアスからプエルタ・デ・アトーチャに移動すると先に0階の出発口がある。Salida Planta Baja とゲートが13,14,15ですの標識。

<アトーチャ駅、0階出発口>

マドリード、アトーチャ駅
筆者撮影

ここで切符を見せてバーコードかQRコードのチェックを受け手荷物検査の後待合室へ。

<アトーチャ駅、0階の出発口>

マドリード、アトーチャ駅
筆者撮影

バルセロナやセビージャへ行く1階の出発なら更に進んでから右の方へ移動

<アトーチャ駅、0階から1階へ移動>

アトーチャ駅
筆者撮影

動く歩道のスロープを登って行き1階の出発口へ

<アトーチャ駅、1階へ上るスロープ>

アトーチャ駅
筆者撮影

写真下、表示はSalidas Planta 1

<アトーチャ駅、1階の出発口の手荷物検査場>

アトーチャ駅
筆者撮影

アトーチャ駅空港行きエクスプレス・バス乗り場

アトーチャ駅から空港行きのエクスプレス・バスに乗る乗り場が判りにくい。スペイン国鉄Renfeと関係が無いのアトーチャ駅構内に「空港エクスプレス・バス乗り場」への表示が全く無いのだ。

*空港行きエクスプレスバス乗り場はスペイン国鉄近郊線=セルカニアスから地上に登った所。写真下はアトーチャ駅のセルカニアスの改札口。奥の明るい方へエスカレーターで登って行く。

<アトーチャ駅、セルカニアス改札口>

アトーチャ駅
筆者撮影

<アトーチャ駅、セルカニアス改札すぐのエスカレーター>

アトーチャ駅、セルカニアス
筆者撮影

円筒形のガラスの建物の中に上に登って行くエスカレーターがあるので地上階まで移動する。

<セルカニアス改札すぐのエスカレーター>

アトーチャ駅、空港行きエクスプレスバス乗り場
筆者撮影

*下の地図の空港行きエクスプレス・バスの乗り場、かまぼこ型の旧駅舎2階の出入り口すぐ近くです。旧駅舎から2階まで登って外へ出ても空港バス乗り場に行くことが出来る。

アトーチャ駅構内

この地図の様にソフィア王妃芸術センターの入り口の反対側。スペイン国鉄近郊線Cercaniasセルカニアスの改札から地上へ上がったところにマドリード空港行きエクスプレス・バスの乗り場がある。

アトーチャ駅構造
筆者作成

目印はレンガの丸い建物のすぐ横。この建物がスペイン国鉄近郊線セルカニアスの入り口になりその横にマドリード空港行きの24時間バス乗り場がある。

アトーチャ駅、空港行きバス乗り場
筆者撮影

動画でアトーチャ駅の空港行き24時間エクスプレス・バスの乗り場を解説しています。

アトーチャ駅の荷物預けロッカー

アトーチャ駅には荷物を預けるところがある。場所は旧駅舎の植物園、バーガーキングの近く。

アトーチャ駅の荷物預け
筆者撮影

スペイン語でConsigna=コンシグナ

アトーチャ駅荷物預け
筆者撮影

先に危険物チェックの手荷物検査を受ける。

アトーチャ駅荷物ロッカー
筆者撮影

入り口に現金のみと書いてある。

アトーチャ駅荷物預け
筆者撮影

サイズによって値段が4段階に分かれている。

アトーチャ駅荷物預け
筆者撮影

時間は5時30分から22時20分。

アトーチャ駅の荷物預け
筆者撮影

アトーチャ駅のトイレ

アトーチャ駅のトイレは手荷物検査の中にそれぞれ無料のトイレがある。手荷物検査より外側だと有料のトイレが旧駅舎の植物園になっている部分にある。

アトーチャ駅の有料トイレ
筆者作成

60セント支払って中に入る様になっていて有料だけありいつも綺麗に清掃されている。

アトーチャ駅近辺のバル

アトーチャ駅の中にもバルや飲食店、バーガーキングもある。すぐ横にあるメンデスアルバロ通りに行くと地元の人も行くバルやレストランが並ぶ。

<アトーチャ駅構内図>

アトーチャ駅
筆者作成

下図の様に0階のメトロの反対方向に出口がある。

<アトーチャ駅、構内図>

アトーチャ駅、メンデス・アルバロ通り
筆者撮影

表示はSalida Mendez Alvaro サリーダ・メンデス・アルバロ。ここから外へ出ると地元の人達が行く庶民的なバルやレストランが何軒か並ぶ。

<アトーチャ駅、メンデス・アルバロ通りへの出口>

アトーチャ駅
筆者撮影

<アトーチャ駅横、メンデス・アルバロ通り>

アトーチャ駅、メンデスアルバロ通り
筆者撮影

メンデス・アルバロ通りにあるバル・レストラン、この先に何軒か並んでいるので気に入った所へどうぞ。

<アトーチャ駅横、メンデス・アルバロ通り>

アトーチャ駅、メンデスアルバロ通り
筆者撮影

写真でメニューが出ている店もあって定番の物なら大体ある。

<アトーチャ駅横、メンデス・アルバロ通り>

アトーチャ駅外、メンデスアルバロ通り
筆者撮影

 

アトーチャ駅まとめ


アトーチャ駅を利用する人の参考書を作ってみた。アトーチャ駅に行くのはスペイン新幹線に乗る場合が多いと思うが乗換や空港行きのエクスプレス・バスを利用する場合もあると思いそれぞれのパターンを想定して書いてみた。アトーチャ駅は世界の素敵な駅のひとつ。列車に乗る予定が無くても是非見に行ってください。