スペイン人を4人連れて日本を旅した記録2018年10月5日~12日

スペイン人を4人も連れて日本に行くことになった。ピレネーのオルデッサに住むアントニオ夫妻とその友達バレンシアのカルロス夫妻に私たち夫婦が同行した旅の記録。

スペイン人4人を連れて日本へ行った旅の記録


2018年10月5日マドリード出発

日本は巨大台風の後で被害がスペインでも連日報道されるなか、次の台風が来ている。心配しながらの出発だったが今回の台風はとりあえず日本海から抜けていくようだ。マドリードの空港でアントニオ達と合流し後はバレンシアのカルロス達がイベリアで到着するのを待つのみ。

ところが早速トラブルだ。バレンシアからイベリア航空が遅れているというカルロス達から連絡。乗り継げなかったらどうしよう。と心配したが、何とか無事乗り継げマドリードの空港で合流、アントニオはワイン6本購入。日本に美味しいワイン無いと知り持って歩く覚悟。

このワインは後半まで持ち歩くことになる。出発前に生ハムとワインで乾杯。

飛行機乗る前に「どれだけ食べて飲むネン~」というくらい注文していました

2018年10月6日成田着、箱根へ

長かったフライト、マドリード発のイベリア航空は13時間30分で成田到着。イベリアのエコノミーは初めて乗ったがかなり狭いのと機材も小さいので後ろの方に行っても立っていられる場所も無く14時間は長い、と思った。アントニオとカルロスはどちらも不動産業やらホテル業やらやっている経営者ですごいお金持ちなんですがビジネスにする?って聞いたけど「いやエコノミーでいいでしょっ」て、望んでエコノミー。お金持ちって時々不思議だ。

成田空港で両替後移動

為替はスペインの各銀行より成田の方がレートが良いので成田で両替。その間に大きなスーツケースを明後日の京都のホテルへ送る。「台風の影響で荷物の運送が遅れています」間に合わないかもと言われた。東京駅までは京成バスで1000円、これは他のリムジンバスより安い。成田のジャパンレールパスの交換場所がいつも混んでいるの東京駅までバスで移動した。東京駅は巨大で迷ったが何とかジャパンレールパスの手続きと列車の予約を終えて駅構内のすし屋へ。定食の寿司は安くて美味しかった。全員満足。

 

東京から小田原へ新幹線で移動。JRパスはグリーン車にしたので快適。小田原からタクシーで旅館へ。タクシー代1台5600円。本当は登山電車に乗ると喜ぶと思ったが連休で混んでいる中並んだり待ったりはダメな人達なのでタクシーを選んで正解だった。

今日の宿泊は小涌園天悠

 

チェックインを済ませて近くの滝へ15分程で移動。

最初は車が走る道路をかなりあるく、標識があまりなくて着けるか心配したがグーグルマップを頼りに旅館から下り15分ほど。

 

 

温泉に入るかと思って温泉のある旅館を選んだがどうやら彼らは無理らしい。スペイン人は驚くほどの綺麗好きで温泉が衛生的観念で無理なんだと思った。(この人達は最後まで一度も共同の温泉には入らずでした。)

宿泊した小涌園は各部屋に露天風呂。最近の流行で部屋に露天をつける旅館が増えたががベランダの露天風呂はどうなんだろうと思った。一応温泉がでましたので足湯だけしました。

お部屋は洋風の和室。大型ホテルでアジア系の宿泊客が多いせいか従業員もアジア系の人が沢山で日本語があまり通じない。一泊一部屋6万円超にしてはソフトの部分がもう少し足りない印象。チェックインに時間がかかり過ぎ色々頼んだ事が出来ていなかった等色々これから改善できる点多し。

 

夕食のレストランでマドリードの空港で買ったワインを飲もうと思って持ち込み料を聞いたら5000円。20€のワインに5000円の持ち込み料はあほらしいとホテルのワインを頼む事にした。

食事は満足で浴衣を着て全員でテーブルを囲む。

夜は彼らはマッサージへ。

 

10月7日箱根から京都

箱根でジャンボタクシーを3時間チャーター。事前に伊豆箱根交通にメールで問い合わせて9人乗りのジャンボタクシーを3時間で25、560円で予約。バスに並んだり待ったりする人達ではないので予約してよかった。ひとり頭にすると4500円ほどで快適だ。モーターボートをチャーターしようと思ったが台風の影響で船は運休。日本の連休と重なって渋滞が有るのを考えて予定を立てる。箱根神社だけじゃなく九頭竜神社まで行くつもりがどこでも楽しむスペイン人たちは時間がかかって箱根神社でタイムアウト。

箱根はロープ―ウェイとか乗らなくても充分楽しめた。

小田原から新幹線で新横浜へ(小田原駅に泊まる新幹線は少ないので新横浜に戻り京都行に乗り換える)ランチは新横浜駅構内の千房でお好み焼き。

ホテルは祇園の真ん中にあるザセレスティン京都祇園。狭い土地をうまく利用して京都らしさのある作りだった。JR京都駅から送迎バスで15分。

入り口を入ると地下にいったん降りたところがレセプション。大浴場もあって快適だった。未だ新しいからか従業員は不慣れな感じでミス連発。日本でミスが続くのに少し驚いた。それも単純なミスと連絡の悪さ。

アントニオの最初からのリクエストは「神戸牛が食べたい」。そして「最後の日だとリベンジが出来ないので早めに」という事で京都の最初の夜に神戸に本店があるモーリヤへ。

神戸牛だアワビだシャンパンだ、ワインだと全員で22万円少し。

鉄板焼きの担当の方も感じが良く満足。最初にワインを頼んでから出てくるのに随分待った以外は良かった。

 

夕食後はホテルのバーへ。全員上機嫌で行ったがバーの男性のアテンドが大変感じ悪く全員でさっさと部屋へ戻る。あまりに失礼だったのであとでレセプシオンに忠言だけしてに行った。

 

10月8日京都観光

最初の予定では保津川下りへ行くつもりだったが台風の影響で中止。祇園のスターバックスで朝食を済ませ人力車で京都の観光。高台寺前から1時間1台17500円。

アントニオは人力車の仕事は非人道的な扱いで「信じられない、可愛そうだ、あり得ない」と最後に全員にチップを払っていた。タクシーで三十三間堂に行きランチは八坂神社近くの王将の餃子と焼きそばにした。午後は自由行動でアントニオは私にマッサージを招待してくれた。

 

夕食はステーキのコースをホテルで。

ワインの持ち込みを最初5000円と言われていたが何故か無料にしてくれた。ここでやっと2本のワインを消費。初日に予約を入れたのに入っていなくてもう一度入れたら時間が違っていた等々のお詫びかもしれない。

 

10月8日京都から高野山へ

ホテルの朝食は予約していないで大丈夫と言われていたのにカルロス達はレストラン入り口で止められたと連絡。慌てて降りて説明するがこのホテルは何かと連絡が悪い。

チェックアウトの時に支配人が出て来て様々な不具合を謝ってくれた。初日のバーの飲み物代を返金しますと言われたが断った。飲んだんだからそれはいらない。東京のホテルにスーツケースを送る料金を払ってくれた。

タクシーで京都駅へ向かい今日は高野山へ行く。

乗り換えの新今宮でジャンジャン横町へ。「治安悪くないかな~怖いおじさんに絡まれたりしないかな?」と思ったけどみんな親切だった。串カツ屋が並ぶ通りをネットで調べた有名な「ダルマ」に行こうとしたら後ろから自転車押した大阪人のセニョーラが「あんたらダルマ行くんちゃう?ダルマよりこっちの方がおいしいで~そこならび」と教えてもらった八重勝。既に列が出来ていたが後ろに着いた。

二度付禁止の店で外国人連れなのでさらに厳しい監視の目を感じた。

こういう店はヨーロッパにないので随分楽しんだ。

 

どこに行っても大きな声でしゃべって何でも楽しむ人達だ。

南海の駅に戻り高野山へ。電車内で「扉が開きます~」のアナウンスが気に入ってヒラキマス~ヒラキモス~とスペイン語の活用形にして笑っていた。

 

かなり急勾配の登山電車。

 

極楽橋から南海バスで宿坊へ。10月の旅行を4月頃から予定を立てたが宿坊は予約が難しかった。唯一3部屋予約が可能だった熊谷寺は奥の院にも近いので決めた。少し値段が高めだったが2階の奥の部屋で他の人達が来ない所にある部屋。

カルロスは190センチの身長なので浴衣がミニ。

畳で寝るというか床で寝るのはどうか心配したがそれなりに楽しんだ。奥の院は神秘的で幻想的で全員喜んでいた。

 

帰りのバスを待っているところにタクシードライバーが営業に来ていて明日6人乗れるタクシーを2時間貸切る。

 

 

10月9日高野山から城崎温泉へ

朝の法要に出席したのは私たち日本人だけだった。ここの住職はちょっと修業が足りない。プンプンいつも怒っていてお説教にもそれが伝わって来た。一緒にいる修行僧は大変だろう。これも修行という事か。

朝食の後約束通り大型タクシーが待ってくれていた。お任せで帰りの電車の時間まで色々連れて行ってくれた。

大阪へ出てランチは大阪駅構内でスパゲッティとかハンバーグ。

大阪から城崎温泉へ特急で。

城崎温泉はあいにくの雨。旅館は志賀直哉も宿泊したという創業300年の旅館三木屋。和洋室が2部屋あって日本庭園に面している。

夕食はカニと松坂牛の懐石料理。

 

ここの楽しみは温泉巡りだけどスペイン人には無理だった。共同のお風呂に入るというのが無理の様で夜は散歩に出かけた。

 

10月10日

城崎温泉から大阪行き特急

グリーン車で大声でずっとしゃべり続けた結果車内の日本人夫人にうるさいと注意され、それでもしゃべり続けたため車掌に言いつけられ車内アナウンスされたが気が付かないスペイン人たちでした。

新大阪駅でラーメンのランチ後東京へ。東京でもう一度神戸牛というリクエストだったけど銀座で調べると随分高くあのペースで食べたら100万円くらい行くぞ~と脅したら諦めた。で代替え案は何故かブラジル料理。

東京のホテルは三井ガーデンホテル銀座。ホテルのロビーから銀座の夜景が見える。

選んだポイントはロケーションと成田空港行きのリムジンバスが止まる事。銀座の真ん中にあり狭いがセンスのいいホテルだった。

ちょっとランクの上のビジネスホテル位の感じだが満足。アントニオは部屋が狭いのでスイートに変更。

「渋谷の交差点に行きたい」とリクエストがあったのでタクシーで渋谷へ。東京のタクシードライバーはみんな親切だった。近距離はもっと嫌がられたりするのかと恐れていたが全く問題なかった。

 

10月11日東京

朝は秋葉原へ行ってお買い物。高級時計などは決して安くないとスペイン人。良く知っていいるなと感心。侍と書いたTシャツやら仏像やらを買っていた。

タクシーで浅草へ移動。

ランチは浅草でお好み焼き。ネットで探した「つる次郎」というお店へ。

お好み焼きが気に入っていたのでリピート。だけれど東京でお好み焼きは大丈夫かと心配したが美味しかったです。

 

午後は自由行動でアントニオはマッサージを頼むが80歳くらいの年配の女性で気の毒になって途中で帰って貰ったそう。夕食はイタリアンへ。最後の夜どこかに飲みに行きたいというかと思っていたが明日が早いのでおとなしく解散だった。

 

10月12日

成田空港へ。ホテルのすぐ前からリムジンバスで成田空港へ。荷物はホテルの人が運んでくれ丁寧な対応だった。チェックインを済ませて彼らは帰って行きました。

*スペイン人は何でも楽しむ。

*温泉はダメな人も多いかも。

*食事も毎回懐石料理や豆腐や魚だとつらいみたいでステーキが食べたいようだ。

*お好み焼きが随分気に入った。

スペインのクリスマス時期のお店やレストラン情報と過ごし方2018。意外と注意は12月24日の夜。

年末年始のお休みを利用してこの時期にスペインを訪れる方も多いと思う。スペインのクリスマスは12月24日から1月6日まで続きお店や商店やレストランが閉まってしまう日がある。旅行に来る方は観光やお食事にショッピング注意が必要です。

スペイン・クリスマス時期の祝日扱いの日や注意事項とイベント


クリスマスシーズン注意事項箇条書き

*12月24日は早めに店は閉まり飲食店も夕食は開け無い所がある。

*12月25日と1月1日はモニュメントと商店は休み。飲食店はマドリードは少しは開く。

*12月25日と1月1日にマドリードにいるならトレドやセゴビアへ行くのはひとつの方法。バスは動いているので時刻や行き方を調べておく。又は日本のオペレーターの会社のバスツアーに問い合わせる。

*12月31日カウントダウンには赤い下着を付けてブドウを食べる事!(作法は記事に書いてあります)

*1月6日も祝日でお店やモニュメントは休み。


12月6日祝日

この日はクリスマスとは関係なくスペインの憲法記念日にあたる日。12月8日も祝日なので7日を休みにして連休にする人が多く前日の午後から町から外へ出る主要幹線道路が混む。マドリードの中心部=セントロとサラマンカ地区の商店は営業する。

12月8日聖母の受胎告知の日

聖母マリアに大天使ガブリエルが降りて来た受胎告知の日。全国祝日で6日の憲法記念日と合わせて連休にする人が多い。各教会でミサが行われる。マドリードの中心部=セントロとサラマンカ地区の商店は営業する。

12月9日毎年恒例サンタのマラソン

普通の日曜日です。マドリードでは毎年クリスマス恒例のサンタクロースのマラソンある。2018年は12月9日、朝9時にプラド美術館の前のムリーリョの広場から出発。ネプチューンの広場シベーレスからコロン広場を北上してプラド美術館まで。全員サンタクロースの恰好をして走るので時間が上手く会えば見るのは楽しいと思います。

12月9日に戦慄のリベルタ杯決勝戦がマドリードで20時30分

アルゼンチンのブエノスアイレスの2チームが南米チームの決勝戦に残った。仲の悪い2チームで過去には多くの怪我人や亡くなった方が出た事件もある。先日ファンらが選手のバスへの投石で試合が中止になり何故かマドリードのサンチアゴ・ベルナベウで決勝戦が開催されることになった。試合は20時30分から。どちらのファンも過激で有名なのでどちらが負けても大変な事になりそうです。この日にマドリードにいる方は注意が必要です。

12月22日は宝くじの発表

スペインのクリスマスの宝くじは毎年12月22日に発表される。沢山の当選者数で世界一の当選金額を誇る宝くじ発表の日。抽選会はテレビでも放映される。

注意は12月24日の夜

カレンダー上は平日だが夜から閉める店が多い。スペイン人にとって12月24日の夕食は家族と過ごす一番大切な日で殆どの店舗が早めに閉め(20時頃)レストランも夕食は開けない所が多い。

*2018年マドリードのサンミゲール市場は公式ページによると10時から19時30分まで開いていると出ている。19時30分までという意味は19時30分には従業員は帰るという意味です。

*マドリードの各広場でやっているクリスマスの露店も15時位で終了する。

*プラド美術館は10時から14時まで。

*ソフィア王妃芸術センターは休み。

*他の地方都市はまず全部閉まると思っておいた方がいい。ホテルにバルやレストランが付いていたら何時まで開いているかをあらかじめチェックしましょう。

*中国人はクリスマスは関係ないので営業する。どこも無ければ夕食は中華を探すべし!

*新幹線や飛行機も30分位は早めに到着します。

*路線バスやメトロも早く終了します。

予定している様々なモニュメントの開閉情報を調べておくといいでしょう。

クリスマス・イブとクリスマスの当日は教会でミサがある

クリスマスの時期は教会で様々なミサが行われる。泊まっているところの近くに教会があったら是非のぞいてみましょう。スペイン人は正装して教会に行くので少しはきれいにして行く方が好ましいでしょう。クリスマスのミサは約1時間くらい。後ろの方にいれば邪魔にならないよう途中で入ったり出たりしても大丈夫です。みんなが立ったら立ってみんなが座ったら座る。最後に周りの人と握手して献金が回って来るので小銭を入れます。聖体拝領(白い丸いパンを口に入れる)は洗礼を受けた人だけなので興味本位で行くのは遠慮しましょう。

 

12月25日は祝日

クリスマスの当日はカレンダー上祝日です。商店もモニュメントも休みになるので注意です。レストランは意外と開いているところがありマドリード・サンミゲール市場は公式ページによると2018年は12時から24時まで開いています。お昼頃から多少開ける飲食店が有るが地方都市は閉まっているところが多い。

*マドリードの中心部もこの日は休みで全ての商店と美術館や博物館は閉まります。

*タクシーは少なくなるが走っている。鉄道や飛行機、バスなども早く終了する。

*レストランによってはクリスマス特別ディナーをやっているところもある。

12月30日

実は31日のカウントダウンの練習がある。2018年の公式発表はまだないがこの10年位本番に失敗が無いように練習をする。昨年は12月30日の昼の12時と夜の12時そして31日の昼の12時と3度の練習の後本番に至っていて市民もブドウやチョコレートを持って集まって来る。宿泊のホテルや周りの人に聞いて調べてください。まだ公式発表がどこにも書かれていませんが絶対今年もやると思う。

12月31日

プラド美術館は10時から14時

ソフィア王妃芸術センターは休み

昼の12時にソル広場でカウントダウンの練習(2018年の公式発表はまだないですが・・・)

カウントダウンは夜中の12時に12個の鐘をききながら12個のブドウを食べる。

カウントダウンが行われるのはマドリードはソル広場。メトロのソルの駅は21時から安全上閉鎖されるので近くの駅から歩くことになる。マドリードのメトロは夜中まで運行。ホテルをソル近くに取ると混み過ぎて帰れなかったりうるさくて眠れなかったりすると思います。

*このところのヨーロッパで起こったテロの警戒で警察が沢山出ています。大きなリュックやガラス瓶やナイフなどは持って行けません。一旦21時にソルから外へ出されて改めて入場になります。

ソル広場の時計台の鐘が12個なるのを聞きながらぶどうを12個食べるのが習慣で12月なるとスーパーマーケットでぶどうを売っている。レストランで食事をしたら12個のぶどうをプレゼントしてくれる。各テレビ局でソル広場が映され各家庭でもテレビを見ながらぶどうを食べる。

タブラオや有名レストラン、ホテルはガラディナー

フラメンコのタブラオやレストラン、ホテルなどは大みそかの特別ガラディナーを準備している。特別料金になるのは間違いないがそれなりに楽しめるので宿泊するホテルや行きたいタブラオの公式ページから調べて予約をしておくのも良い。高級ホテルなどはドレスコードが有るので注意。フラメンコのタブラオもヨーロッパ人はかなりグレードの高い服装で来る。

12個のブドウを食べるときの注意と作法

*皮をむいて種を取って準備しておいて大丈夫。

*最近は12個入りの缶詰とかも売っている。

*ソル広場にいたら鐘は絶対聞こえない。

*最初に3個のゴ~ンゴ~ンゴ~ンは準備の音なのでここで食べ始めない。

*シャンパングラスにいつも使っている指輪などを入れておく。

*ブドウを食べる間右足を前に出すが足を交差はさせてはいけない。

*赤い下着を身に着けておく。この時期下着売り場などで売られている。

*一番大事なのは願い事をするのを忘れない事。

1月1日

祝日で商店、デパート、美術館等のモニュメントは全てお休みです。

マドリードは飲食店は午後から少しは開く。

見つからなければやはり中華を探す。

サンミゲール市場は公式ページで2019年1月1日12時から24時営業と出ています。それ以外のお店は不明ですがマドリードは多少開くが地方都市はほぼ開いていないと思います。

1月1日のみ祝日で2日からは平日になります。

1月5日の夜は大きなパレード

平日で通常通りですが夜に大きなパレードがある。

 

スペインのクリスマスは年明けの1月6日まで続きます。東方の三賢者がイエスキリストの誕生をお祝いしにベツレヘムの馬小屋にプレゼントを持って着いた日が1月6日。スペイン語ではEl dia de Reyes Magosと言ってスペイン人にクリスマスプレゼントを持ってくるのは東方の三賢者たち。1月5日の夜には大きなイベントが各地で行われ東方の三賢者のパレードが有る。必ずテレビでも放送されます。

マドリードの2018年のパレードのコースはヌエボス・ミニステリオからシベーレス広場まで。18時半に出発して20時頃にシベーレス広場へ次々到着し歌や踊りなどのある大きなイベントで子供連れでスペイン人たちは楽しみに行く。これもテレビでも放映される。多分日本の皆さんが想像している「パレード」よりずっと盛大で豪華です。無料でこれを市民に提供できるのが凄い事だと毎年感心します。

マドリード以外の各都市でもパレードが行われるので宿泊地で確認すると良い。

最後にプレゼントを買う人の為に中心部のデパートは24時までオープン。

1月6日は祝日

この日の夜中でクリスマスは終了しイルミネーションもこの日までとなります。祝日でデパートや商店や美術館博物館は休み。飲食店は営業します。家族で食事に来るスペイン人たちでどこもレストランはいっぱいになります。

「年末年始、クリスマス時期にマドリードにいる人へ」イルミネーションを徒歩と路線バスで楽しむルートを考えた

まとめ

日本と違ってかなり宗教色の強いクリスマスです。というか本来のクリスマスですね。12月24日の夜と12月25日、1月1日は全てお休みなのであらかじ考慮して楽しく過ごしてください。

スペイン語でメリークリスマスはFeliz Navidad 「フェリース・ナビダー」と出会った人には声をかけてみてください。お店でもホテルのチェックインの時でもレストランでもみんなに使えます!1月6日まで使える挨拶です。

年末年始はスリが増えるので注意しましょう。

では Feliz Navidad~

マドリードから日帰りでセゴビアへ行った旅の記録

知人の義理の御両親が来ているが知人たちが「仕事が忙しくてどこにも連れていけないのでお願いできませんか?」と突然連絡が入り丁度体が開いていたので半日でマドリードからセゴビアへ行って来た旅の記録です。

*行きは新幹線で帰りはバスにした。

*新幹線はチャマルティン駅から出発。

*新幹線の切符の値段は時間によってかなり違うので安い時間を選んだので10時15分発になった。

*ネットで購入しようとすると個人情報をかなり入れ無いと購入できないのでアトーチャ駅にあらかじめ購入に行った。

*バスは片道1時間10分で4.05€、新幹線は片道約30分で安い時間帯で12.90€

マドリードから半日日帰りセゴビアの旅


チャマルティン駅から

チャマルティン駅
筆者撮影

マドリードにレンフェ(スペイン国鉄)の主要駅はアトーチャ駅とチャマルティン駅。AVEアベと呼ばれる新幹線はほとんどがアトーチャ駅から出るが北に向かうセゴビア行きのAVEはチャマルティンから出発なので注意が必要。

チャマルティン駅
筆者撮影

今日乗るアベは10時15分発のValladolidバジャドリ―行き。念のため少し余裕を持って9時45分頃チャマルティン駅に到着した。アベの切符の値段は時間によってかなり違うので買う時に調べてから行くことをお勧めする。たったの30分しか乗らないのにほぼ倍くらいの値段の違いです。

出発の20分ほど前にゲートが決まり掲示板にホーム番号が表示された。一番右端の方の17番はアベ専用のホーム。

チャマルティン駅
筆者撮影

ホームに降りたところで荷物の検査がある。空港程の検査ではなく液体物は大丈夫。

チャマルティン駅
筆者撮影

時間通りチャマルティン駅をを出発したアベは約30分でセゴビアに到着。山の中をトンネルを掘って創られた線路なのであまり景色が良くない。帰りはやっぱりバスにしよう。

セゴビア行きのアベの中
筆者撮影

殆どトンネルの中だが時間が短いのは良い。駅の名前はセゴビア・ギオマールで一瞬不安になるがセゴビアはアベではこの駅しかない。

セゴビア行きアベの中
筆者撮影

人の流れに沿って駅の外へ出ていく。

セゴビアの駅
筆者撮影

外に出たところにタクシーと路線バスが待っていた。

セゴビアギオマールの駅
筆者撮影

路線バスはどちらに乗っても大丈夫

バスはL11とL12 が止まっていたがL11は満員だったのでL12に乗った。L11 は水道橋行きでL12 はバスターミナル行き。バスに15分程揺られて市内のバスターミナルへ。値段は1人2€。タクシーでも水道橋迄10€位で着くので4人くらいいればタクシーでもいいと思う。今回は座れそうだから「バスも乗ってみましょうか~」とバスにしてみた。

セゴビアの駅
筆者撮影

バスはバスターミナルには入らず道の反対側で止まる。バスターミナルと言っても小さなバスの待合所。帰りはここからマドリード行きに乗る。少し歩くと水道橋が見えて来る。

セゴビアの観光は兎に角水道橋

バスターミナルから方角が解らなければアクエドゥクト?と聞いてみよう。バスが止まるところから5分程で水道橋が見えて来る。

セゴビアの水道橋

少し歩いて水道橋の始まりのあたり等を見学。

セゴビア水道橋
筆者撮影

次第に道路の方が下って行き水道橋が上に高くなって行くのが解る。

セゴビア水道橋
筆者撮影

今度は水道橋の横にあるタクシー乗り場からタクシーでアルカサールが良く見えるところへ移動。ここの正式の名前はミラドール・デ・フエンシスラMirador de Fuencislaという。

アルカサールの展望場所

セゴビアのアルカサール
筆者撮影

セゴビア城は入場も出来るが今回は入らなくても良いですという事で外からだけにした。

タクシーでマヨール広場まで行きあとはもう一度水道橋へ戻る。タクシー代は水道橋からお城の展望場所経由マヨール広場で8.5€だった。

セゴビアのタクシー
筆者撮影

マヨール広場から大聖堂を外から見て(ここも内部は見なくていいですという事で)水道橋迄ゆっくり下り坂になる。

セゴビア大聖堂
筆者撮影

メインストリートには昔のお屋敷やお店が続く。

とげの家
筆者撮影

マヨール広場から15分ほど歩くと前方に水道橋が再び見えて来る。

セゴビア水道橋
筆者撮影

今度は水道橋の横の階段を上まで登って行きましょう。

セゴビアの水道橋
筆者撮影

水道橋の上には登れないがかなり高い位置から水道橋を見ることが出来る。

セゴビア水道橋
筆者撮影

ここから水は街に入り写真下の車の後ろの部分が水路が下に下がって水をここから水槽に貯めたところ。

セゴビア水道橋
筆者撮影

水路は意外と狭くこんな感じ。

セゴビア水道橋
筆者撮影

お食事は子豚

セゴビアの名物は子豚の丸焼き。有名店が水道橋のたもとにあるが沢山は食べられないという事で水道橋のたもとにある小さなバルで少しだけ試していただくことにした。あらかじめたくさん食べれないので子豚をひとつだけ試してみたいのでいいかしらと聞いたら「ノープロブレム」

セゴビアのランチ
筆者撮影

ワインとニンニクスープを注文。

セゴビアランチ
筆者撮影

子豚はこれを3人でシェアーします。

セゴビアランチ
筆者撮影

グリーンアスパラとエビと卵の料理

セゴビアランチ
筆者撮影

バスでマドリードへ

バスターミナルに移動してマドリード行きの切符を購入。切符売り場は一か所しかない。マドリード行きは割と頻繁に出ていて気をつけるのは直行便と村を経由するのが有る。直行はディレクトDirecto。

セゴビアバスターミナル
筆者撮影

マドリード行きのバスはどこから出るの?と聞くと「その辺~」と指を刺されて、まあスペインでは良くあることかとその辺で待つ事に。割と時間ぎりぎりにバスが入って来た。座席は自由でWi-Fi付きだった。(つながらなかったけど・・・)

セゴビアバスターミナル
筆者撮影

バスは約⒈時間程でモンクロア・バスターミナルに到着。マドリードモンクロアバスターミナルは地下鉄4号線と6号線のMoncloaモンクロアと乗りいれている。

セゴビアからマドリードのバス
筆者撮影

レンフェとバスのページ

renfeはスペイン国鉄の事。公式ページはこちらから

http://www.renfe.com/

AVANZA BUS=マドリードーセゴビアのルートをやっているバス会社の公式ページ。かなり頻繁にバスは出ているが注意はあちらこちら経由するバスが有るので直行=DIRECTO=ディレクトを見る。もちろん小さな村を経由しながら行くのも良いものですが。

https://www.avanzabus.com/linea-madrid-segovia/horarios-madrid-segovia/

ローマ時代の水道橋の技術について書いている記事です。

ローマ時代2000年前に水は無料だった、セゴビアで古代ローマ人の土木技術インフラ堪能

日帰りセゴビアまとめ

朝10時15分にチャマルティンを出てセゴビア観光とランチを食べて16時頃にマドリードに戻ってきました。朝もっと早くから動けばさらに効率よく回れる。バスターミナルから水道橋が近いので往復バスも有りだと思う。値段もバスの方がうんと安い。マドリードからセゴビアに日帰りで行く方の参考に書きました。

「年末年始、クリスマス時期にマドリードにいる人へ」イルミネーションを徒歩と路線バスで楽しむルートを考えた

スペインはカトリックの国なので一年の一番大切な行事はクリスマスになる。イルミネーションは11月最後の週末から翌年の1月6日の夜中までスペイン中の街で飾られ華やかになる。折角この時期にマドリードにいるあなたの為にイルミネーションを徒歩と路線バスを使って楽しむコースを考えてみた。

マドリードのイルミネーションツアー


実はナビルッスというイルミネーションバスがある

実はマドリード市がやっているイルミネーション専用のオープンバスが街を走る。11月29日から1月6日まで市内の綺麗なところを走るイルミネーションバスNAVILUZナビルッス。EMTというマドリードの市バスがやっていて値段も4€。

しかし切符はネット販売のみで発売後1週間で売り切れました。

下はナビルッスの公式ページ。参考にしてください。スペイン語と英語があります。

https://naviluz.emtmadrid.es/es/

ナビルッスバス
筆者撮影

というわけで今日はこの時期スペイン・マドリードにいるあなたの為に徒歩と路線バスで綺麗なところを廻るコースを紹介します。

イルミネーションの主な場所

商店街が多い所にマドリードのクリスマス・イルミネーションは集中していて主に以下の2か所。

*中心部のプエルタ・デル・ソルからグランビアに抜ける道、マヨール通り、グランビア通りとその界隈

*サラマンカ地区のセラーノ通りとベラスケス通り、ゴヤ通り

2018年クリスマス・イルミネーションの期間と時間

11月23日から1月6日

*日曜日から水曜日:18時から23時

*木曜日から土曜日と祝日の前日:18時から00時

*12月25日、1月1日、1月6日:18時から0時

*12月24日、1月5日:18時から03時

*12月31日:18時から06時

 

マドリード路線バスの乗り方

綺麗なところで何回か乗ったり降りたりするなら一日のツーリストパスを購入して昼間から乗り倒す。このコースで行けば2回のバス代だけで充分楽しめるので毎回ひとり1.5€払うかICカード既に持っていれば10回券回数券か1人なら2回券を入れておきドライバーの横の機械にタッチする。10回券回数券で複数人でも使えるのでお得です。

*ICカードはマドリード地下鉄の駅で購入。何度か乗るつもりなら10回券がお得です。

*バスが来たら手を挙げて乗りたい意思表示。

*バス停に列はないがスペイン人達は何となく自分は誰の後ろにいて誰の前にいると把握している。高齢者や弱い人には先に行かせる等の暗黙の了解で何となく流れる。

*前から乗って後ろから降りる。乗る時にドライバーに支払いをするが紙幣は5€以下のみなのであらかじめ準備しておく。2人ならドス3人ならトレスと言ってまとめ払いも大丈夫。(まず挨拶オラ~を忘れず)

*マドリード地下鉄のICカードを持っている場合はドライバーのすぐ横に有るこの機械にカードをタッチ。2人なら2度ピッピッとやるけどユックリね、ここはスペイン。ブルーの明るい画面の下の楕円の部分にタッチです。

マドリードバスの機械
筆者撮影

*現金で払うと紙の切符をくれる。降りるまで失くさない事。時々抜き打ち検査があり持っていないと無賃乗車とみなされ罰金。

*降りる前にボタンを押してここで降りたい意思表示をする。慣れない街で分からなくて降りそびれても一駅位歩いて戻ればなんとかなるので恐れず乗りましょう。

*乗っている住民に声をかけて教えてもらえば大抵周りの人みんなで「ここだ~」とか「未だだ~」とか「次だ~」とか言って助けてくれる。

 

ではソルから暫くは徒歩コース

ここはプエルタ・デル・ソル、通称ソル広場と呼ぶ。スペイン語では「SOL」日本語では「太陽の門広場」と言いスペインのゼロキロ地点になっている。メトロの1号線2号線3号線と鉄道の近郊線が通っているのでソル広場から始める事にする。

凄い人なのでスリに注意

ソル広場
筆者撮影

ここからマヨール広場までは歩いて5分。右側赤いのが時計台(皆さん行くときは赤くないと思う)時計台を背にして左に歩いていくとマックが有る。(最後にマヨール広場に戻りバルへ行く予定なら次の項目<ソルからカジャオ広場へ>のに進んでください)

目印のマック
筆者撮影

マックから斜めに伸びている道を歩いていく。通りの名前はポスタス通り。昔郵便を積んだ郵便馬車が通った道だ。真っ直ぐマヨール通りを歩いても良いので行きと帰り違う道を通るといいですね~

ポスタス通り
筆者撮影

少し歩くとこんなイルミネーションで左右にお店が続く。

マヨール広場へ
筆者撮影


まずはマヨール広場へ。毎年イルミネーションは違ったものになり2018年はなんだか地味でいつもより少し寂しいです。

マヨール広場イルミネーション
筆者撮影

 

クリスマスのマヨール広場はクリスマス・マーケットが出ている。ドイツやベルギーに比べるとちょっとショボいですがそれなりに楽しい。スペインのクリスマスはベレン人形というイエス・キリストの誕生の場面の人形を飾るので殆どの店舗でベレン人形が置かれている。この辺りはスリが結構いるので気をつけて~。

マヨール広場のクリスマスマーケット
筆者撮影

ソルからカジャオ広場へ徒歩

再びソル広場に戻りグランビアに向かう道に向かいます。建物の上にTIO PEPEの看板がある左側の道プレシアードス通りをカジャオ広場に向けて歩きます。

*この道はクリスマス期大変混むので18時から22時までは一方通行です。プレシアードスはソルからカジャオ広場向き、隣のカルメン通りはカジャオ広場からソルへ向けての一方通行。

ソル広場
筆者撮影


カジャオ広場迄プレシアードス通りを歩いてグランビアに出たら右へ少し歩く。グランビアの今年のイルミネーションは星空を掴む猫。

グランビアイルミネーション
筆者撮影

グランビアのバス停から1番か74番のバス

グランビアを少し右に向かって歩くとバス停。

今日は1番が74番のバスを使います。この2つのバスはグランビア通りを端から端まで走るのでグランビアの他の所からでも乗ることが出来る。バス停に乗りたいバスの番号が有るのを確認して待ちましょう。

グランビア・カジャオのバス停

グランビア、クリスマス、イルミネーション
筆者撮影

目印は向かい側にTOUSの路面店

グランビアのバス停
筆者撮影

バスはグランビアを走りシベーレス広場を通過します。

 

シベーレスCiberes広場はレアルマドリードが優勝したらお祝いする広場でマドリードの象徴になっている。広場の真ん中に豊穣の女神像。

シベーレス広場イルミネーション
筆者撮影

シベーレス広場からアルカラ門を通り

アルカラ門、イルミネーション
筆者撮影

バスはベラスケス通りを北上します。

ベラスケス通り、イルミネーション
筆者撮影

バスの中のテレビ画面にバス停と天気予報が交互に表示される。次はベラスケスとオルテガ・イ・ガセットと表示される。「降ります」の意思表示でボタンを押すと次止まりますマークがつく。

バスの表示
筆者撮影

 

オルテガ・イ・ガセットとベラスケスの交差点で降りるとベラスケス通りを向こう側へ渡って行く。写真はベラスケス通りのイルミネーション。道を渡ってオルテガ・イ・ガセット通りをセラーノ通りまで歩きます。

ベラスケス通り、イルミネーションん
筆者撮影

オルテガ・イ・ガセット通りは高級ブランド店が並ぶ。今年は何故かイルミネーション地味でした。ゴヤ通りで降りてもいいかも・・・ですが

オルテガ通りイルミネーション
筆者撮影

5分くらい歩くと大きな通りと交差するのがセラーノ通り。地元のデパートのイルミネーションが見えたらデパート側へ渡る。

デパートは22時まで他のお店も20時30とか21時まで開いていますのでお買い物を楽しんでも良いですね~

セラーノ通りイルミネーション
筆者撮影

道を渡って左にデパートの前を少し歩くとバス停がある。

セラーノ通りのバス停
筆者撮影

1番か74番に乗り再びグランビア通りに戻ります。

セラーノ通りバス停
筆者撮影

セラーノ通りのイルミネーションはこんな感じです。

セラーノ通りイルミネーション
筆者撮影

このバスはセラーノを下りアルカラ門を通過してシベーレス広場からグランビア・カジャオ更にスペイン広場を通過します。またカジャオ広場で降りてマヨール方面のバル街へ戻ってもいいし気に入ったところでイルミネーションを楽しんでも良い。まだお店が開いていればショッピングも良いですね~素敵な夜を~

イルミネーションは毎年11月の最後の週末に始まり1月6日の夜中までです。

*1月5日は夜18時頃から大きなパレードがヌエボス・ミニステリオからシベーレスに向かってあるのでバスのルートが変わります。

*年末はスリなどが特に増えるので特に注意して楽しんで下さい。

年末年始は意外な日にレストランが閉まったり美術館が休みだったりしますのでその情報をまとめてみました。

スペインのクリスマス時期のお店やレストラン情報と過ごし方2018。意外と注意は12月24日の夜。

 

バスとメトロは同じICカードで乗れます。購入の仕方の記事です。マドリードのメトロと路線バスは同じICカードが使えます。

マドリードの地下鉄(メトロ)乗り方や切符の買い方。(注意)2018年ICカード導入で紙の切符は無くなりました

マドリード旧市街のサン・ミゲール・バシリカ教会は国の歴史的建造物

マドリードの旧市街を歩くと賑やかなバル街に中世の教会や修道院が同居している。マヨール広場あたりは特に古い地区で散策しながら教会に入ってみるのも良いものだ。マイナーな場所ですがマドリード旧市街にある「サン・ミゲール・バシリカ教会」について調べました。

サン・ミゲール・バシリカ教会


サン・ミゲール・バシリカの歴史

12世紀、まだマドリードが寒村だったころアルフォンソ8世の命により殉教聖人フストとパストール聖人達を祀る教会が作られた。今もここの通りの名前はサン・フスト通りと呼ぶ。

サンフスト通り
筆者撮影サンフスト通り

*サン・フストとパストールはローマ時代の迫害で304年に殉教した子供達。スペインのアルカラ・デ・エナレスで7歳と9歳で殉教した。(子供達のはずなのにこのパネルが何故おじさんなんだろうと疑問に思って色々探したけど答えはまだ見つかりません。)

12世紀のマドリードはイスラム教徒から街を奪い返したばかりの頃。レコンキスタの真っ最中だった町にはせっせと教会が作られていった。サン・フスト・イ・パストール教会は古いマドリードに4番目に建てられた教会となる。(サンタ・マリア教会、サン・アンドレス教会、サン・ペドロ教会の次)

時代は移り変わり1738年時代はスペイン国王フェリペ5世の晩年の頃、スペイン王家がブルボン朝に変わったばかりの王様だ。マヨール広場で大きな火災があり被害は教会にまで及んだ。

マヨール広場の火災
museo historia de Madrid

 

火災で教会は廃墟になったその場所にフェリペ5世の妃イサベル・デ・ファルネシアの命により建てられたのが現在のサン・ミゲール教会。この時はまだ普通の教会だった。トレド大司教だったドン・ルイス・デ・ブルボンはフェリペ5世とイサベル王妃の末の息子で彼の為に1739年教会の再建が始まる。日本は江戸期徳川吉宗公の時代。ドン・ルイス・デ・ブルボンは8歳で既にトレド大司教と枢機卿の位を持っていた。当時の王家や貴族の世界で長男以外の息子達が生涯働かずに食べていける為聖職者の位を与えることは普通にあった。しかし8歳で枢機卿というのはギネスブックに載っているらしい。

*ドン・ルイス・デ・ブルボンはチンチョン伯爵とも呼ばれるフェリペ5世の2度目の結婚で生まれた3男。子供の時から聖職者になるよう教育されるが異母兄のフェルナンド6世が亡くなると次の王位を狙い兄王カルロス3世に疎まれマドリードから離れた僻地に飛ばされている。芸術愛好家で音楽家ボッケリーニや画家ゴヤの庇護者だった。

<ゴヤ作ドン・ルイス・デ・ブルボン>

ゴヤによるドンルイス肖像画
wikipedia public domain

 

教会が完成したのは1745年、イタリア人建築家ジャコモ・ボナビアと複数の芸術家たちによって建てられたイタリア・バロック様式の建築。その時もサン・フスト・イ・パストール教会と呼ばれていた。

サンミゲールバシリカ正面
筆者撮影、サンミゲールバシリカ

1790年に再びこの辺りを大きな火災が襲いその後のナポレオンの時代の略奪により近くにあったサンミゲール教会(今のサン・ミゲール市場に有った教会)と統合し両方の教区の人々がお祈りできる場所をここに確保した。

バシリカに昇格

1885年に現在の国会議事堂の場所に有ったイタリア人用の慈善病院と礼拝堂を壊した時、バチカンとスペインで話し合いが行われ大司教館の横にあるサンフスト教会をローマ直轄とした。その時のローマ法王レオ13世が自らの守護聖人大天使サン・ミゲールに捧げた教会とし1930年に小バシリカになったという。

バシリカとは

実はここは普通の教会(スペイン語でイグレシア)ではなくバシリカと呼ばれる。バシリカとはもともとは建築様式の事を言い古代ギリシャ・ローマ時代に集会に使われた建物の事を言う。ギリシャ語で「王の列柱廊」を意味するバシリケーという言葉から来ている説があるがいまだ諸説あるようだ。

カトリック教会でバシリカと呼ぶには実はきちんとした決まりがある。ローマ法王からの公式文書により特権を交付された教会の事で一般の教会より特別な4つの権利を与えられている。

①一般の教会より上位の教会として扱われる権利

②オンブレリーノを備える権利(ローマ法王専用の傘でオンブレリーノOmbrellinoはイタリア語。ラテン語でUmbraculum又はConopeoとも呼ぶ)

オンブレリーノ
Description
Français : Ombrellino de la basilique saint Sauveur de Rennes.
Date 4 November 2011
Source Own work
Author EdouardHue

③ティンタンタナパリウムというローマ法王を象徴する鐘を持つ権利。

ティンタンタナパリウム
De Pymouss – Trabajo propio, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21444050

 

④ミサの時に特別のカッパ(Capa magna)を着用する権利。

 

バシリカには大バシリカと小バシリカとバシリカがあり大バシリカは世界に4つしかなく全てローマに有る。(サン・ピエトロ、サンタ・マリア・マッジョーレ、サン・パオロ、サン・ジョバンニ・ラテラノ)小バシリカとバシリカは世界に約1500あり大半がヨーロッパ、スペイン国内に100以上ある。小バシリカとバシリカの違いは不明。

建築

建物の構造はラテン十字形でイタリア人建築家のジャコモ・ボナビアによって始まり関係者何人かが関わり完成している。マドリッドに有る教会で唯一のイタリアバロックの正面を持つ。壁の一部は今も12世紀のサンフスト教会の物が使われている。

サンミゲールバシリカの正面
筆者撮影、サンミゲールバシリカ

(写真下)正面の木の扉の上にサン・フストとパストールの殉教シーンが浮き彫りになっている。

バシリカサンミゲールの浮彫
筆者撮影、バシリカ・サン・ミゲール

すぐ右となりの建物は同じ時代に出来た大司教館で今も使われている。ローマ法王がマドリードに滞在する時の宿泊場所になるそうだ。

 

教会と司教館の間に「パンの小道=Pasadizo de pannecillo」がある。ドン・ルイス枢機卿が貧しい人にここの通りの窓からパンを上げたところだそう。

パンネシート通りのパネル
筆者撮影、バシリカ・サン・ミゲール

内部

内部はラテン十字形で両側に8個の礼拝堂。一番奥にはサン・ミゲール(日本では聖ミカエルと呼ぶ)の主祭壇。

教会内部
筆者撮影、サンミゲールバシリカ

写真下のキリスト磔刑像は18世紀、聖母像は20世紀の物で毎年復活祭の日曜日の山車で外へ出される。

教会内部の礼拝堂
筆者撮影

天井画はフレスコ画。暗くて見えにくいがサンフストとパストールの栄光という題名でゴンザレス・ベラスケス兄弟によって描かれた。

サンミゲールバシリカの天井
筆者撮影、バシリカ・サン・ミゲル

オプスデイの創始者のホセ・マリア・エスクリバ・バランゲールに捧げた礼拝堂。ホセ・マリアがマドリードに来たとき最初のミサをここであげている。

音楽家ルイージ・ボッケリーニが埋葬されていた

音楽家ボッケリーニはイタリアのルッカで生まれた作曲家でチェロ演奏者。パリで成功していたがスペイン王家に招かれドン・ルイス王子専属演奏者兼作曲家として活躍する。ドン・ルイスのお気に入りだったが1785年にドンルイスが亡くなったあとは失職し寂しい後世を送り1805年にマドリードで亡くなっている。ドン・ルイスにちなんでこの教会に埋葬されていたがムッソリーニの要請で1927年に生誕地イタリアのルッカに戻された。

このバシリカは現在スペイン国の歴史的建造物に指定されている。

サン・ミゲール・バシリカの詳細

場所*calle de San Justo 4  旧市街マヨール広場近く

 


時間:

冬の平日9時45分から13時15分/17時30分から21時15分

冬の祝日9時45分から14時15分/18時から21時15分

夏の平日9時45分から13時15分/18時から21時15分

夏の祝日 9時45分から13時30分/18時30分から21時15分

入場無料

ミサの時間は写真は遠慮しましょう

マドリード、マヨール広場は旧市街の中心。周りにバルやメゾンやお土産物屋がどっさり。

マドリード首都になったのは割と最近の事、と言っても16世紀、そしてその頃町の整備が行われた。中心部にあるマヨール広場界隈はその頃に造られている。それ以来様々なお祭りや行事に使われマドリードを訪れた人々が必ずやって来るマヨール広場とその界隈についての記事です。

マドリード、マヨール広場


マヨール広場Plaza Mayor

マヨールはスペイン語で大きなという意味。マドリードの旧市街の中心にあり一年間を通して様々なイベントやお祭りが行われるがマヨール広場に面した建物は今も住居として使われている。

 

マドリードマヨール広場
マドリード、マヨール広場、筆者撮影

広場の真ん中の騎馬像はフェリペ3世。日本からの侍達が謁見した王様だ。この騎馬像はマドリードの狩猟場に有ったものをイサベル2世の時にここへ移動させた。

マヨール広場歴史

マドリードが首都になるよりもっともっと前マドリードにキリスト教徒が住みはじめ要塞を作った。次第にここはアラバル広場と呼ばれ「市」が開かれる重要な場所となり様々な地方からやって来る道の交差点になっていた。16世紀マドリードを帝国の首都に決めたフェリペ2世の命でこの広場の刷新が行われることになりファン・デ・エレーラにより設計が行われたが実際に工事が始まったのは次の王フェリペ3世の時だった。かつて魚市場だったところはカサ・デ・パナデリアというパンのコントロール局で今は名前だけがの残る。表面に神話画が描かれ地上階にインフォメーションが入る建物だ。

マヨール広場
マドリード、マヨール広場、筆者撮影

 

大きな火災が3度起こりこの広場は度々改修されている。1790年の火災の後ファン・デ・ビジャヌエバにより広場は再建され9か所のアーチが作られ1854年にほぼ今の形になった。9か所のアーチのひとつクチジェロス門から階段を下りるとクチジェロス通りに出る。クチジェロはナイフという意味でこの辺りはナイフ職人が住んでおり広場内の肉屋に刃物を納めていた。この階段を下りていくとレストラン街へ通じる。

マヨール広場
マドリード、マヨール広場、筆者撮影

 

マヨール広場界隈のバルやレストラン

広場の中

広場のなかにはテラスが有り一年中食事やお茶を楽しむ人で賑わっている。全体的に値段は高めでツーリスト・プライスです!だが夏の夜長や気候のいい時にテラスでビールを飲むのも良いものだ。スリや置き引きに注意しましょう。テーブルの上のスマホや椅子に掛けたカバンは狙われます。クリスマスの時期はテラスは無い。

サンミゲール市場

広場の西側の門から出るとそこはサンミゲール市場。元は生鮮食料品の市場だった。中心部は住民が次第に少なくなり再開発されて今は市場だった建物の中に飲食店が入る。年中朝から深夜まで大変な賑わいだ。

サンミゲール市場
マドリード、マヨール広場横、サンミゲール市場

生ハムやピンチョや魚介類やワインやタコやこの中で完結できる。いつも非常に混んでいるので座れないと思った方が良い。

サンミゲール市場
マドリード、マヨール広場横、サンミゲール市場、筆者撮影

ここならパエリアをタパスで少量だけの注文が可能だ。(パエリアはお米料理専門店で食べる場合最低2人前からになる)

マドリード、マヨール広場、サンミゲール市場、筆者撮影

サン・ミゲール市場の中も値段は高めでツーリスティックです。殆どが観光客で地元のマドリードの人は行かない。でも中は色んなものがあって楽しいので一軒ワインとピンチョを楽しんで次へ行ってはいかがでしょう。

この地区でしっかりレストランでお食事の場合別記事でバスク料理レストラン

マドリードの中心部バスク料理人気レストラン<ピミエント・ベルデ>

クチジェロス通りのメゾン

サンミゲール市場を出てすぐに横(マヨール広場との間の道)の通りを下って行くとメゾンという洞窟の様な飲食店が続く。チャンピニオンというマッシュルーム屋もここにあってそれ以外も居酒屋風の店が続く。マッシュルーム屋は地元の人もやって来る人気店。

クチジェロス通りのメゾン街
マドリード、マヨール広場、クチジェロス通り、筆者撮影

 

更に坂道を下ると有名レストランも

上記のクチジェロス門から下る階段と合流する道には沢山飲食店が続く。ダニエラはコシードで有名。年内入ってすぐはバルもあってつまみやピンチョスがある。

マヨール広場近くのレストラン
マドリード、マヨール広場界隈、筆者撮影

ボティンはギネスブックにも乗っている子豚の丸焼き専門店。ヘミングウェイが通ったという事でアメリカ人観光客が非常に多いレストラン。予約をして行かないとまず入れません。

マドリードマヨール広場
マドリード、マヨール広場界隈レストラン、筆者撮影

アルパルガタという麻布のサンダルやスニーカー屋も何軒もあります。

マドリードマヨール広場アルパルガタ
マドリード、マヨール広場、筆者撮影
トレド通りから下ると

クチジェロス門の左となりの門から出るとトレド通り。この通りも沢山飲食店があり私のおすすめはエビのアヒージョ屋です。

マドリード、マヨール広場
マドリード、マヨール広場筆者撮影

カサ・デ・アブエロは市内に3軒あるエビのアヒージョ100年の老舗。

マドリード、マヨール広場
マドリード、マヨール広場、エビ屋、筆者撮影

日曜日のマヨール広場

日曜日は古切手コイン市が開かれマニアたちが毎週集まる。ここから道を下って行くとラストロ(蚤の市)も近いことから地元民もマヨール広場から蚤の市へと流れていく。

マヨール広場日曜日
マドリード、マヨール広場、筆者撮影

 

クリスマスのマヨール広場

クリスマスの時期はクリスマスマーケットとイルミネーションで賑やかになる。クリスマスマーケットとイルミネーションは11月の最後の週末から1月5日夜まで。クリスマスマーケットはベレン人形というキリストの誕生の場面のお人形や置き物、パーティー用のグッズ等。

マヨール広場のクリスマスマーケット
マドリード、マヨール広場のクリスマス、筆者撮影

 

復活祭のマヨール広場

復活祭は毎年移動する移動祝祭日で3月から4月頃にキリストの受難の1週間山車が出る。旧市街の教会の山車はほとんどがマヨール広場を通過する。スケジュールはネットやインフォメーションで調べることが出来る。

復活祭の山車
マドリード、マヨール広場、復活祭、筆者撮影

マヨール広場行き方

マヨール広場は旧市街の真ん中にある。ソルSOLから徒歩5分、オペラOPERAから徒歩10分、スペイン広場から徒歩15分。界隈には飲食店やお土産品地元の人が集まるバルなどがあり一年中賑やかです。マドリードを訪れたら是非ともマヨール広場を楽しみましょう。

カバ・バハ通りまで下ってみよう。

更に下りの坂道を5分下って行くとカバ・バハ通りへ。ここは更にディープで300メートルの細い通りにバルや人気レストランが並ぶ。日本のガイドブックには紹介されていないですが安全です。別記事で2軒おすすめバルを紹介しています。

マドリード中心部のカバ・バハ通りの美味しいバル2軒、カバ・バハ通りは300メートルに50軒の飲食店。

マヨール広場まとめ


マドリードの旧市街のど真ん中にあるマヨール広場。お祭りの時やお祭りでない時もここに来れば楽しめる。お土産屋さんやバルやレストラン等が沢山あるのでマドリードに滞在するなら是非ともマヨール広場を散策して楽しんでください。

スリは必ずいるので気をつけましょう

旅行で使うスペイン語、機内やホテルで即使える便利で簡単な表現集

スペイン語を使ってみよう。ここではスペインおよびスペイン語圏を旅行する時に使えるスペイン語を集めてみました。スペイン本国のスペイン語なので南米諸国は少し違う事が有ります。

スペイン旅行で使える簡単なスペイン語集


知らない人でもお店でもまずは挨拶

まずは挨拶 オラ~

一番最初に覚えなくてはいけない単語がHOLA=オラです。もっとも簡単で誰もが使っている言葉で知らない人でも最初に挨拶をします。HOLA=オラは英語のハローみたいな気さくな挨拶です。にっこり笑って挨拶しましょう。

 

挨拶はHola オラ

お店に入った時やエレベーターで一緒になった人等知らない人でも挨拶をしましょう。オラ~だけでも大丈夫です。

おはようございます=Buenos dias=ブエノス・ディアス

こんにちは=Buenas tardes=ブエナス・タルデス

こんばんわ、おやすみなさい=Buenas noches=ブエナス・ノーチェス

スペイン人は朝起きてからお昼ご飯を食べ終わるまでがブエノス・ディアス、その後夕食を食べ終わるまではブエナス・タルデス、ベッドで横になるまでがブエナス・ノーチェスです。

ありがとう=Gracias グラシアス

発音は簡単、カタカナで書いた通りそのまま発音しましょう。

この3つの単語を使いこなせばなんとかなる


出来ますか?Pudeo プエド?

本来はプエドの後に動詞を付けて

食べていいですか?Puedo comer プエド・コメール?

取っても良いですか?Puedo coger?プエド・コヘール?

飲んでも良いですか?Puedo beber?プエド・ベベール?

等と動詞のプエドの後に原型をつけて~出来ますかと使う助動詞だがプエド?だけで指さしたりジェスチャーで充分わかって貰える使える単語。

有りますか?Hay? アイ?

部屋は有りますか?Hay habitacion?アイ・アビタシオン?

パンは有りますか?Hay pan?アイ・パン?

お水は有りますか?Hay agua?アイ・アグア?

アイの後ろに欲しい物をつけるだけで簡単に使える。

通路側の席あるかすか?Hay asiento en el pasillo?アイ・アシエント・エン・エル・パシージョ?

という場合にも使えますね~

お願いしますPor fabvor ポルファボール

英語のプリーズにあたる言葉で様々な場面で便利。道を譲ってほしいときや何か尋ねたいとき、お願いしたいときに使える日本語のスミマセンとお願いしますを一緒にした言葉。

これらの3つはこの下の様々なシチュエーションでも紹介します。是非覚えましょう。

機内で使うスペイン語


機内にて呼びかけ

ヨーロッパでは働いている人とお客様は対等です。何かを頼む時も丁寧にお願いをしましょう。あまりぞんざいな態度は教育が無い人と思われ無視されたり嫌な顔されたりしてしまいます。

すみません=Disculpe=ディスクルぺ

ディスクルぺは大変丁寧な呼びかけで相手に「お願いしてもよろしいですか?」というニュアンスです。相手が何かしていたり誰かと話しているのを中断したりする時に使えます。

すみません=Perdon=ぺルドン

これもスミマセ~ンと呼びかけに使えます。ちょっとに簡単に謝る場合にも使えます。日本語のすみませんと同じですね。後ろのドンにアクセントをつけていいます。

お願いします=Por favor=ポル・ファボール

上にも出て来たポル・ファボールは色んなシチュエーションで使える便利な言葉。英語のプリーズにあたります。この3つのうちどれか1つでも使えれば完璧です。

機内で冷たい飲み物をスペイン語で注文

飛行機が水平飛行になると冷たい飲み物が運ばれてきます。

係:何を飲まれますか?=Que desea tomar?=ケ・デセア・トマール?

 

*お水を下さい un vaso de agua, por favor

ウン・バソ・デ・アグア・ポルファボール

*ビールを下さい。una cerveza, por favor

ウナ・セルベッサ・ポルファボール

*赤ワインを下さい un vino tinto por favor

ウン・ビノ・ティント・ポルファボール

*白ワインを下さい un vino blanco por favor

ウン・ビノ・ブランコ・ポルファボール

ワインに関しては機内は小さなボトルなのでボトルで~とかグラスデ~という言葉を省いています。

*オレンジジュ-スを下さい。un  zumo de naranja por favor

ウン・スーモ・デ・ナランハ・ポルファボール

有りますか?の言い方 アイ~?

最初に紹介した便利な言葉がここで活躍

アイ?有りますか?

*カバは有りますか?Hay cava?

アイ・カバ?

*リンゴジュースは有りますか?=Hay zumo de manzana?

アイ・スーモ・デ・マンサーナ?

*毛布はありますか?Hay manta?

アイ・マンタ?

アイ?は簡単でとっても使える表現です。

便利な単語「できますか?プエド?」を使おう

「プエド?」は英語の「can I」にあたる。その後に何もつけなくてもジェスチャーで理解されスペイン人も良く使う。座席の通路側に誰かがいて自分の座席はその奥なので座席を指さして「プエド?」長いフライトの途中ギャレーに行って飲み物を指して「プエド?」で「これ飲めますか?」クレジットカードを出して「プエド?」で「使えますか?」

出来ますか?Puedo?

プエド?

で指さすだけ・・・

機内で食事の時間  キエロ・ア~私は~が欲しい

冷たい飲み物のサービスが終わると次はお食事が運ばれてきます。長距離便なら大抵チョイスメニューが有りますね。

お食事何にされますか?Que desea ? 何にしますか?

(座席の背もたれを戻すのが礼儀です。前の人が倒したままだったらクルーに合図して戻してもらいましょう。)

*日本食をお願いします Quiero a  comida Japonesa por favor

キエロ・ア・コミーダ・ハポネサ・ポルファボール

(全部言わなくてもハポネス・ポルファ・ボールで充分です)

*洋食をお願いします Quiero a comida occidental por favor

キエロ・ア・コミーダ・オクシデンタル・ポルファボール

(省略でオクシデンタル・ポル・ファボール、エウロペオ・ポルファボール)

*チキンをお願いします Quiero a plato de pollo por favor

キエロ・ア・プラト・デ・ポージョ・ポルファボール

(省略してポージョ・ポルファボール)

*魚をお願いします Quiero a plato de pescado por favor

キエロ・ア・プラト・デ・ぺスカード・ポルファボール

(ぺスカード・ポル・ファボール)

*肉をお願いします Quiero a plato de carne por favor

キエロ・ア・プラト・デ・カルネ・ポルファボール

(カルネ・ポル・ファボール)

 

飛行機や空港に関連したスペイン語の単語

飛行機 Avión アビオン

空港Aeropuerto アエロプエルト

航空会社 compañía de aero línea コンパニーアデアエレオ

座席  asiento アシエント

搭乗券Targetabed embarque タルヘタ・デ・エンバルケ

搭乗口 puerta de embarque プエルタ・デ・エンバルケ

搭乗時間 hora de embarque オラデエンバルケ

手荷物検査 contorl dela seguridad コントロールデラセグリダッ

ホテルで使うスペイン語


チェックイン

私:こんにちは田中です Hola soy Tanaka

オラ・ソイ・タナカ

私:2泊予約しています Tengo una reserva de dos noches

テンゴ・ウナ・レゼルバ・デ・ドス・ノーチェス

ホテル:貴方のパスポートを見せてください Su passaporte por favor

ス・パサポルテ・ポル・ファボール

ホテル:あなたのクレジットカードがギャランティーの為必要です

Nesecito una targeta de credito para la garantia

ネセシート・ウナ・タルヘタ・デ・クレジト・パラ・ラ・ガランティア

私:わかりました De acuerdo

デ・アクエルド

私:朝食はついていますか Tengo desayuno incluido?

テンゴ・デサユーノ・インクルイード?

私:荷物を預かって貰えますか? Se puede guardar mi maleta?

セ・プエデ・グアルダール・ミ・マレータ?

ホテルでトラブル

~が出来ませんはNo puedo~

プエド~の否定形なのでノープエドでジェスチャーや物を指せばわかって貰える便利な言い方です

*部屋の扉が開きません No puedo abrir la puerta

ノー・プエド・アブリール・ラ・プエルタ

鍵を見せて「ノープエド」で伝わります。

 

~が使えませんはNo funciona ノー・フンシオナは物が動かない時に使える

*テレビが見れませんNo funciona la television de mi habitacion

ノー・フンシオナ・ラ・テレビシオン・デ・ミ・アビタシオン

*電気が付きません No funciona la luz de mi habitacion

ノー・フンシオナ・ラ・ルース・デ・ミアビタシオン

~が有りませんNo hay ノーアイ

*シャンプーが付いていませんNo hay champu en mi habitacion

ノー・アイ・チャンプー・エン・ミ・アビタシオン

*コップが部屋に有りませんNo hay vaso en mi habitacion.

ノー・アイ・バソ・エン・ミ・アビタシオン

チェックアウト

ホテル:冷蔵庫の使いましたか?Ha cogido algo de minibar?

ア・コヒード・アルゴ・デ・ミニバー?

私:いえ何も使っていません  No 、no he cogido nada

ノー・ノー・エ・コヒード・ナダ

タクシーで


タクシーは手動で扉を開ける。一応いいですか?と聞いてから乗りましょう。ここでもプエド?が活躍。もちろん先に挨拶オラ~。

*乗って良いですか?Puedo?

プエド?

正確にはPuedo subir ですがプエド?で充分通じます。

~へ行きたいは「ア~」で充分通じる

ア+目的地で充分通じる

*プラド美術館にお願いします A  Museo de Prado por favor.

ア・ムセオ・デ・プラド・ポル・ファボール

*この住所にお願いします A este direccion por favor.

ア・エステ・ディレクシオン・ポル・ファボール

*空港にお願いします A aeropuerto por favor

ア・アエロプエルト・ポルファボール

 

*クレジットカード使えますか?Se puede pagar con la targeta de cregit?

セ・プエデ・パガール・コン・ラ・タルヘータ・デ・クレジト?

こんなに長いのはとっさに出て来ないという方ははプエド?と言ってクレジットカードを見せましょう。便利な単語プエド?

*おつりはいりません Se quede con la vuelta

セ・ケデ・コン・ラ・ブエルタ

もっと簡単に

*これでいいです Ya esta!

ジャ・エスタ!

タクシーのチップはほんの少額で大丈夫です。おつりの中から端数を切り上げて支払う程度です。

それ以外で知っていると便利な言い方

~はどこですか?Donde esta~ドンデ・エスタ?

*トイレはどこですか? Donde esta el servicio ?

ドンデ・エスタ・エル・セルビッシオ?

*いくらですか?Cuanto cuesta?

クアント・クエスタ?又はクアント?だけでも充分。

ポイントになる3つの単語プエド?、アイ?、ポルファボール


沢山書きましたがいきなりそんなに覚えられなくても挨拶のオラ、出来ますかのプエド?、有りますかのアイ?お願いしますのポルファボールこの3つを使えればかなり便利ですね。後はありがとうのグラシアス。スペイン語圏はどこに行っても人は親切で感じ良いので積極的にスペイン語を使うと旅がもっと広がります。

バルで使えるスペイン語<旅行中に便利な簡単なスペイン語・バル編>

 

中世の自治都市「堺」の商人、鉄砲と茶の湯と南蛮人のお話

鉄砲と茶の湯と南蛮人、「堺」という町でこの三つが繋がった。戦国時代の堺は財力を蓄えた商人たちが活躍する自治都市で日本最大の物流の拠点で情報センターだった。そこに種子島から火縄銃が伝わり鉄砲鍛冶たちが登場する。既に鋳物や刀を作っていた堺でヒット商品となった鉄砲と火薬の原料の貿易で豪商が登場する。裕福な商人達は茶の湯を楽しみ茶室で秘密のトップ会合を行った。その茶室に宣教師が招待されミサが行われたという。自治都市「堺」と鉄砲と茶の湯と南蛮人について調べてみた。

鉄砲と茶の湯と南蛮人

倭寇と王直と種子島

倭寇という海賊集団がいた(後期倭寇)。彼らは東アジアで中国沿岸部から朝鮮半島を荒らしていた。今の私たちよりももっとインターナショナルで九州から瀬戸内海を拠点として中国人と朝鮮人に日本人やポルトガル人も含むグローバルな海賊集団だった。その中に王直(おうちょく)という海賊 の親分がいた。

「王直」は海禁政策の明で密貿易をやっては逃げて大いに儲けていたちょっとしたワルだった。日本人の信頼を得て五島から平戸に移り住んでいた「王直」がチャーターしたジャンク船が1543年種子島に漂着した。

中国のジャンク船
wikipedia public domain

専門家は漂着かわざわざやって来たかで意見が分かれている。その船に乗っていたのがポルトガル商人達。インド航路発見後のポルトガルはアジアへ進出して商人達が活躍していた。種子島の領主と南蛮人は王直の筆談で砂浜に字を書いて通訳とし交渉が行われた。当時の種子島の領主は種子島時堯(ときたか)という16歳、交渉が成立して手に入れたのが鉄砲、火縄銃だった。

種子島銃
Arquebus.(Tanegashima Hinawajyu・Japanese:種子島火縄銃)
this The Arquebus is in the Portugal Pavilion in Expo 2005 Aichi Japan.
Photo by Gnsin

この時購入した火縄銃の値段は2丁で2千両、今のお金に換算して2億円という説がある。購入した鉄砲を種子島の鍛冶屋に「同じものが作れるように」と命令が下った。矢板金兵衛清定という鍛冶屋は試行錯誤の末何とか同じような物を作れるようになったが自分で解決できなかったのが「ネジ」だと言われる。苦悩した鍛冶屋は一年待って翌年やって来た別の南蛮人に娘を嫁に出して「ネジ」の作り方を手に入れたという説がある。日本人は自分たちで鉄砲を作った最初のアジア人となる。

*2丁のうちのもうひとつは紀州の根来寺(ねごろじ)の津田監持(つだけんもつ)という僧侶に献上され紀州でも生産されていく。当時の寺は今の大学の様なところで根来寺の僧侶は僧兵で知識人で寺には経済力も有った。根来寺と島津家は主従関係に有り鉄砲は島津家経由で和歌山に至った。根来寺と僧兵の事もイエズス会司祭ルイス・フロイスの書簡によって詳しく本部に書き送られている。

根来寺
Description
English: Pagoda of Negoro-ji is Japan’s National Treasure, in Iwade, Wakayama prefecture, Japan
日本語: 根来寺大塔は日本の国宝, 和歌山県岩出市
Camera: Sony DSLR-A100
Date 23 June 2007
Source Own work
Author 663highland

堺の港と産業

応仁の乱で兵庫の港が衰退し日明貿易の中継地点となったのが堺だった。堺は瀬戸内海航路の起点で山口、九州、土佐へ向かう船が物を運び日本最大の物流の拠点となっていた。金属産業が古くから栄え鋳物産業の国内の中心だった堺では刀や武具を伝統的に製造をしていた。そこに火縄銃が伝わり堺で大量に生産されるようになったのにはこれらの基礎が有った。

堺と技術

既に古墳時代に堺には鉄を鋳造する技術が大陸から入って来ていた。堺の仁徳天皇陵を造営する工事用にスキやクワなどの土木工事用の道具が必要になり大量に作られた。その技術が平安時代には刀となり継承されていた。

堺の刃物
堺市立博物館似て筆者撮影

河内鋳物師(かわちいもじ)とは鋳造物を作るプロの職人集団。飛鳥時代に大陸からやって来たと考えられているが12世紀から15世紀にかけ堺に多くの工房を構えた。鋳造物は金属を溶かして鋳型に流し込み鍋や鎌やお寺の鐘などを創る。鎌倉大仏や奈良の大仏、お寺の梵鐘を作るのに活躍した専門家が境にいた。

堺の商人は薩摩から種子島そして琉球と船を操り商売をし広い範囲で活躍する。時は戦国時代、堺の商人達は都市を堀で固め自分たちで守り運営していた。選ばれたエリート商人たちが会合衆(エゴウシュウ又はカイゴウシュウ)となり独自の町の運営をした自治都市だった。

写真下はオルテリウス作成の日本地図にSAKAYと堺が描かれている。オルテリウスはフランドル人の世界地図製作者で1595年版に日本地図が追加された。ヨーロッパにおける最初の日本地図であるとされている。

オルテリウスの日本地図に堺
堺市博物館展示のオルテリウス日本地図、筆者撮影

下写真は堺の開口神社(アグチ・ジンジャ)。会合衆の会合の場となった神社。1535年には境内の念仏寺の修復に堺の有力者が寄付をしているがその中に千利休の名が残る

開口神社
堺開口神社、筆者撮影
堺と鉄砲
鉄砲の作り方
堺の鉄砲、筆者撮影

橘屋又三郎は堺の商人。火縄銃が伝わった頃の種子島に1年か2年滞在し鉄砲の作り方を学んだ。彼は「鉄砲又」(てっぽうまた)と呼ばれ堺に鉄砲の作り方を伝えた。頭が良いのはこれを独り占めせず分業にして大量生産できるようにした。日本の産業の「分業して大量生産」はここから始まっている。鉄砲の製造と使用は瞬く間に広まり石山本願寺の戦い(1570年)には8000邸の銃が使われ長篠の合戦で信長は武田軍を破る。その後日本人は独自の方法で銃の性能を高めていった。日本の工業技術の基礎が既に堺にあった。

<和歌山市立博物館にある石山の戦いの配陣図>

石山本願寺の戦い配陣図
wikipedia public domain

 

江戸時代は戦争が無くなったので鉄砲は進化しなかったと言われているがその後も鉄砲に象嵌を入れたり豪華になる。武器としては進化しなかったが装飾品としては作られていった。

<堺市博物館に並ぶ江戸時代の鉄砲>

堺の鉄砲
江戸時代の堺の鉄砲、筆者撮影
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堺の鉄砲鍛冶は江戸時代にも続いて多くの鉄砲を生産している。戦いは無くなったが参勤交代の時に武士は銃を持ったので用途は様々でも江戸時代に作り続けられていた。

堺鉄砲鍛冶屋の屋敷
堺江戸時代の鉄砲鍛冶屋、筆者撮影

フランシスコ・ザビエル

ヨーロッパでは宗教改革の反動でイエズス会が結成された。世界宣教を目指すイエズス会がアジアへキリスト教を布教するために宣教師を派遣。

フランシスコ・ザビエル
wikipedia public domain

フランシスコ・ザビエルはポルトガル船に乗りインド航路を通りインドに滞在後東南アジアに向かいマラッカで日本人と出会っている。アンジロウかヤジロウという名の鹿児島出身の日本人で日本で犯罪を犯して悔悛しておりザビエルを探して逢いにやって来た。頭が良いアンジロウを気に入ったザビエルは彼と日本を目指す事にし船で日本へ向かった。鹿児島から長崎、山口、と移動し1550年(天文9年)海路「堺」に到着した。堺の有力商人が日比屋了珪(ヒビヤリョウケイ)に紹介状を書いて渡してくれた。

日比屋了珪(ヒビヤリョウケイ)

日比屋了珪についてはあまり良くわかっていないらしい。今の堺のザビエル公園(戎公園)に屋敷を構えており当時はそこが堺の貿易港だったという。当時にしては珍しい3階建ての屋敷、あるいは蔵を持っていたという。

<堺のザビエル公園>

堺のザビエル公園
堺のザビエル公園、筆者撮影

 

日比屋了珪はザビエルの保護者となり自ら1564年に受洗し洗礼名をディエゴとした。堺の豪商で有力者なので茶人だったしすぐ近くに千利休の屋敷も有った。京都にいる小西隆佐という堺の豪商に手紙を書きザビエルを紹介している。小西隆佐は後にルイス・フロイス(日本史を書いたイエズス会司祭)に逢い京都で最初にキリシタンになった人物。

*ルイス・フロイスはイエズス会ポルトガル人司祭。文筆と語学の才能がありイエズス会の通信の仕事をする。日本で布教をしながら日本語を学び信長や秀吉に謁見している。彼は日本でのイエズス会の記録を残す命を受け「日本史」や「信長公記」等がある。この時代の通算してまとまった日本の歴史はフロイスの記録や耶蘇会通信ではじめて知ることが出来る。

日比屋了珪とルイス・デ・アルメイダ

イエズス会士ルイス・フロイスとルイス・デ・アルメイダは1565年に豊後から堺の日比屋了珪の元を訪れている。この時アルメイダは健康を害しており堺に留まり日比屋了珪の屋敷で世話になった。健康を回復したアルメイダは別れの時に日比屋了珪から宝を見せられた。「彼らはある粉末にした草を飲むためその茶碗を使い・・・それは茶と呼ばれ・・・」と報告書に茶の事が出てくる。何よりも彼を驚かせたのはヨーロッパ人は金銀宝石を喜ぶが日本人は「古いひびが入った椀」にイエズス会日本支部の年間予算程を払い、それを使った神聖な儀式を大切にしている事だった。

ルイス・デ・アルメイダ
聖母文庫、森本繁著ルイス・デ・アルメイダ表紙から

*ルイス・デ・アルメイダはもともとリスボンで医学を学んでいた。その後貿易に従事し莫大な財産を手にした。日本でイエズス会宣教師の慈善活動に感銘して宣教師になる。後に大分でライ病患者や間引きされる子供達の為に病院を作り外科技術を伝えた人物。大分に彼の名前が付けられたアルメイダ病院がある。

茶の湯と宣教師

日本でのキリスト教の布教を成功させるためにイエズス会の宣教師たちは日本の事を事細かくリサーチし本部へ手紙を書き送っている。茶室や茶の湯の事も報告書に詳しく記載されている。堺の豪商は茶人で宣教師たちは彼らと交流を持ち神聖な茶室にて親睦を行ったと考えても不自然ではない。カトリックのミサで使う布地の扱いと茶の帛紗(ふくさ)の使い方の共通性は以前から指摘されている。

茶室
茶室の再現、筆者撮影
耶蘇会日本通信(やそかいにほんつうしん)

日本で活躍したイエズス会宣教師たちが事細かく日本の事を本部に報告している。それらをまとめた書簡をその後日本に行くイエズス会士の為に出版したのが耶蘇会日本通信。日本の布教のためのノウハウ集。その中に堺の事をガスパール・ビレラという司祭が「堺の街は豊かで東洋のベニスのようだ」と書いている。

*ガスパール・ビレラはポルトガル人のイエズス会司祭。インドのゴアから大分の豊後で布教。平戸から京都に向かい教会を作っている。その後京都を追い出され堺へ向かい畿内を中心に活躍したポルトガル人司祭。

 

火薬と鉛

鉄砲が作れても火薬と玉が無いと武器としては意味が無い。球を作るための鉛は日本国内にもあったが東南アジアや中国から輸入した。イエズス会やその後やって来るオランダ商人達もこの貿易に参入する。

火薬の原料は硫黄、木炭、硝石、で日本国内では硝石が取れないのでインドからの輸入になる。先に出て来た「倭寇の王直」は硝石の取引をはじめて大儲けをしている。

信長と堺

豊かな堺を信長が手に入れたいと思っても不思議ではない。天下を取りたい信長にとって堺の財力と鉄砲を利用したかった。信長は軍資金を堺に要求し包囲された堺は最初は抵抗するが条件をのむ。表面上は信長に屈服した堺だったが堺の茶人今井宗久は信長に茶の湯を教え信長の絶大な信頼を手にいれ天下統一を支えた。その後千利休が秀吉の元で政治に関係していった。

南蛮人が描かれた屏風
堺歴史博物館の屏風に南蛮人、筆者撮影

堺へ行った時の旅の記録です。

「堺」への旅の記録、鉄砲鍛冶と茶の湯と南蛮人

 

最後に

千利休、今井宗久、津田宋及ら天下の茶人が顔をそろえた堺に人が集まり物が集まり文化が栄えた。日本一の情報センターにイエズス会の宣教師が滞在していた時代の何かが見たくて堺に行ったが大坂夏の陣で堺は焼き払われ残っているのは江戸時代以降の街並みだった。江戸時代1610年には平戸からオランダ船で最初の日本の茶がヨーロッパに向けて輸出された。

 

 

 

 

アメリカの土地の名前にスペイン語が沢山あるのをまとめてみた

スペイン語がアメリカ合衆国の町や州の名前に多く使われているのをご存じだろうか。特にアメリカの西海岸の町の名前に多いのは大航海時代にスペイン人達が入植して開拓していったから。ロス・アンジェルスやサン・フランシスコ、ネバダ州やコロラド州等意外と多い。ここではアメリカ合衆国の土地につけられたスペイン語の名前を紹介します。

アメリカの地名にスペイン語が沢山

Los Angeles

ロス・アンジェルスはアメリカ西海岸の大都会。名前は天使たちという意味のスペイン語。Losは男性名詞の定冠詞の複数形。Angeles は天使。スペイン語の発音はロスアンヘレス。正確には天使の女王である聖母マリアの街。正式には El Pueblo de Nuestra Señora la Reina de los Ángeles

San Francisco

サン・フランシスコもアメリカ西海岸の町でロス・アンジェルスと並んでアメリカ合衆国西海岸の大都会。聖フランシスコという聖人にちなんだ名前から取られた。カトリックのフランシスコ会の修道士によって築かれた街。

Las Vegas

ラス・ベガスはカジノで有名なアメリカのネバダ州にある町。Las はスペイン語の女性名刺につける定冠詞、Vegaは豊かな肥沃な大地という意味のスペイン語。19世紀にモルモン教徒が付近のネバダ砂漠のなかで窪んだオアシスを見つけた。肥沃なベガの複数形がラス・ベガス。砂漠の中の肥沃な土地。

Nevada

カジノの町ラス・ベガスが有るネバダ州のネバダはスペイン語で雪が積もったという意味の女性形容詞。州の西側にある山をシエラ・ネバダ=雪が積もったと呼んだことに由来する。

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Sierra Nevada

シエラネバダはネバダ州にある山の名前でスペイン南部のグラナダにも同じ名前の山が有る。シエラは山脈の事でネバダは雪が積もったという意味。雪が積もった山という意味のスペイン語から来ている。スペイン側では半島最高峰の山。

Colorado

コロラド州はアメリカ西部にあるロッキー山脈がある地域。コロラドは色が付いたという意味のスペイン語。コロールが色という意味のスペイン語の名詞。コロールが形容詞になるとコロラド。ロッキー山脈から流れる川の色が赤く濁っているので先住民が「色が付いた」と呼んでいた川をスペイン語で「リオ・コロラド」と呼んだ事に由来。

Florida

フロリダ州はアメリカの南東部に位置しバハマ諸島やキューバが近い。フロリダは花が咲いたという意味のスペイン語。フロールが花の事でその形容詞になる。大航海時代ポンセ・デ・レオンはコロンブスの第2回目の航海に同行した探検家だった。カリブ海からフロリダ半島に到着した時が4月で花が咲き乱れていたという説と復活祭の花の過ぎ越し祭りの時ラ・パスクア・フロリダだったという説がある。

El Paso

エルパソはテキサス州にある街の名前。パソは通り道や難所、峠などという意味。今もアメリカ合衆国でスペイン語圏の人が多く暮らす町。

Rio Grande

リオ・グランデは上記エルパソに流れる川の名前。大きな川という意味のスペイン語。リオは川でグランデは大きな。

Fresno

フレズノはアメリカのカリフォルニア州にある都市の名前。スペイン語でトネリコという植物の事。スペイン語だと「フレスノ」と発音し「ス」は濁らない。

スペイン語のアメリカの土地名まとめ

私たち日本人に馴染のある有名な町や州ばかり集めましたがアメリカの地名でサンやサンタが付くのはほとんどスペイン語。カリフォルニアを中心として西海岸地帯には他にも沢山のスペイン語起源の土地が沢山あります。サンノゼ、サンタモニカ、サンディエゴ等数えたらきりがない程あります。

日本語になっているスペイン語の記事です

スペイン語がこんなに沢山日本語に!<日本語になっているスペイン語をまとめてみました>

 

「堺」への旅の記録、鉄砲鍛冶と茶の湯と南蛮人

堺は戦国時代の自治都市で商人たちが納めた豊かな街だった。明との貿易で栄え鉄砲が伝来するとあっという間に鍛冶屋たちが大量の鉄砲を作り火薬の原料の貿易にも手を染めた。キリスト教が伝わった頃豊かな商人が茶の湯を楽しみ活躍していた。フランシスコ・ザビエルがしばらくお世話になった豪商「日比谷了慶」がキリスト教徒に改宗しているという。そんな堺の街が見たくて行って来た旅の記録

堺へ

神戸からJRで大阪駅へ、環状線に乗り換え新今宮から南海電車で堺東に到着。大阪駅以外は混雑は無く堺に着くと人はのんびりしていて親切だった。

南海電鉄の堺東駅を降りるとインフォメーションが有ったのでそこで色々教えていただいた。街を動くのにバスに自由に乗れるフリーパス切符は2種類あったが土地勘が無いのどちらがいいか不明なまま500円の安い方を購入。バスと路面電車に乗り放題でモニュメントは割引があって結構便利でした。

まずは徒歩で堺市役所の21階展望台へ。ここに少し展示が有るのとまずは高い所から町を見てみよう。10時からボランティアのガイドさんがいて色々教えていただいた。

堺市役所
堺の旅、筆者撮影

実は私が見たかった時代の堺の街は応仁の乱と大坂夏の陣で焼けてしまい残っていなかった。その後徳川幕府によって堺の街は再建された。大和河も江戸時代に付け替えが行われ当時の港は埋め立てられていた。代二次世界大戦でも戦火を受けておりそんな中も古いお寺や神社が良く残ったと思う。

堺市役所の展望台から仁徳天皇陵が綺麗に見えるが今回の旅の目的は堺の商人と茶の湯なので今回はここから見るだけです。

堺の街
堺、筆者撮影

早速先ほど購入した一日切符を使ってこの黄色いバスで移動。市役所前から大小路(オオショウジ)まで。大小路は当時の国境でここから北は摂津の国、南は和泉の国だった。

堺のバス
堺、筆者撮影

西高野街道は平安時代からの京都や大阪から高野山への街道。元は天皇や貴族を中心に行われた高野山詣でが次第に庶民の参道となったそう。

ここから今度は路面電車に乗り替える。この電車は天王寺まで40分程で行けるらしい。

 

高須神社という駅で降りて鉄砲鍛冶屋敷へ向かう。この地域が戦国時代の鉄砲鍛冶が住んでいたところらしい。

風情のある建物が残る地区で散策していて楽しい。そして知らない街を歩くとウキウキする。

 

種子島に火縄銃が伝わった後堺の商人が種子島で銃の作り方を覚えて帰って来た。元々産業技術が盛んだった堺で火縄銃が大量に作られるようになったのは偶然ではない。この界隈に沢山の鉄砲鍛冶が住んでいたんだと嬉しくなった。

<堺、鉄砲鍛冶屋敷跡>

鉄砲鍛冶屋敷は中には入れず外から見るだけだったが戦国時代の堺の活気ある街を想像しながら散策した。この近くに鉄砲町という町名が残る。

 

 

伝統のある刃物屋が続く。想像だが江戸時代になって平和になると鉄砲が使われなくなり技術者たちは再び刃物を作りはじめ今に至るのではないか、と思ったりした。

 

戦国時代の街は残っていないが江戸時代初期の町屋が残るというので行ってみた。そんなに大きくは違わないだろう。

内部は蔵や茶室や縁側等が保存されていてボランティアガイドの方が歴史の事などを説明してくださった。今も個人の所有という400年前の屋敷は木の梁がしっかり組まれていて中に入ると安ど感がある創りで良く戦争で焼けなかったと感心した。

 

路面電車に2駅ほど乗りザビエル公園へ。

 

堺の商人が活躍した頃はこの近くに港が有りフランシスコ・ザビエルがお世話になった日比谷了慶(ヒビヤリョウケイ)のお屋敷はここに有ったらしい。何かの本で読んだのだが「当時の木造の屋敷としては珍しく3階建てだった」とあったのを記憶している。ガイドの方に聞くと「3階建てなら蔵だったのかも」という返事だった。木造住宅はあり得ないようだ。蔵に茶室があったりそこでミサを挙げたりした話も何かで読んだ記憶が有る。茶室の神聖さとカトリックのミサが結びついても不思議はないと思う。

<ザビエル公園>

 

公園に白い敷石が有りここが堺の港だったと書いてあった。

ザビエル公園の先に堀が有った。もちろんこの堀は宣教師の時代より後だが堺はベニスのようだとイエズス会の宣教師が書き残している。町中に堀が巡らされ荷が運ばれていたに違いない。

更に路面電車に乗って千利休屋敷跡へ。この電車は何回も乗りました。10分おきくらいに来て解り易いので旅行者に便利だった。

路面電車
筆者撮影

宿院という名は室町時代からの呼び名らしく当地に有る住吉大社の御旅所を宿院と呼んだという説がある。

堺、筆者撮影

日比谷了慶と千利休が交流が有ったはずでザビエル公園がある了慶の屋敷から利休の屋敷まで約850メートル徒歩10分の距離。もっと近いと想像していたが歩ける距離ではあると思ったが、千利休の屋敷もここだったかは定かではない。

千利休は堺の豪商の長男として生まれた。利休は秀吉の政権下で力を持ち内政にも影響力を持った。切腹を強いられた理由には諸説あるが秀吉の朝鮮出兵に反対だった事が上げられている。

結局朝鮮出兵の失敗が関ケ原になり堺は大坂夏の陣で焼け野原になる。徳川家康の時代を迎え堺の街は再建された。新しい街が都市計画の元創られ千利休の屋敷がどこだったかは判っていないらしい。

 

「さかい利晶の杜」は千利休や茶の湯の事が詳しく展示されていた。利休の利と堺出身の与謝野晶子の晶で「利晶の杜」のようだ。

 

南宗寺(ナンシュウジ)

大きな境内のお寺で明日はお祭りらしく準備が始まっていた。千利休が修行をしたお寺だそうで今もお茶会で有名。広大な敷地に枯山水の庭等があった。

 

最後に堺市博物館へ。ここだけ場所が離れていて時間を気にしながら大急ぎで歩いて行った。仁徳天皇陵の近くで広大な森の中にあった。展示場はそう大きくは無いので1時間もあれば見れる感じ。映像が2回が行われるようでひとつは見逃してしまった。もう一度ゆっくり見に来たい博物館でしたので又来ます。

 

博物館の中もボランティアのガイドさんがいらして色々教えていただいた。一番説明したかったのは古代みたいでしたが戦国時代あたりの事を沢山質問して丁寧に対応してくださいました。

この屏風は住吉祭の神輿が堺へ渡って来る様子が描かれた見事なもので当時の堺の街の様子が良くわかる。

 

火縄銃の仕組みが図解。日本に火縄銃が伝わったときに種子島の刀鍛冶が自力で解決できなかったのがネジだった。どこにネジが使われていたのがが詳細にわかる。

日本の地図に都と堺が描かれていた。

 

もう暗くなったが最後に開口神社(アグチジンジャ)に行って御参りをした。海に向かって口を開けるという意味らしい。海と交易委とかかわって来た堺らしいネーミングだと思った。この神社の横の会所で堺の有力商人の代表が集まり街の自治を行った。いわゆる「会合衆」の会合だ。与謝野晶子が子供の頃遊んだという。

 

丸一日良く動いた。神戸まで今日中に帰れる時間だけれど余韻に浸りたいので堺に泊まることにした。ネットで見つけたビジネスホテルは堺市役所近くのダイワロイネット堺東。このホテル・グループは一度仙台で泊まった事が有ったので即決。ロビーが広々していて安心感があった。ダブルルーム一泊10400円。場所が良く清潔で安くて満足でした。

 

夜は近くの飲み屋街へ行った。昭和な感じのアーケード街はスペインのバル街みたいで沢山の人がビールを片手につまみを取って語り合っていた。リラックスしたムードで提灯が素敵でレトロ。

 

チリのワインで乾杯して本日は無事終了です。

最後に

東洋のベニスと呼ばれた堺に南蛮人や宣教師が活躍した時代の物を求めて旅をした。応仁の乱と大坂夏の陣で火の海になり私が見たかった時代の物は何も残っていなかった。堺の豪商たちの富や財産も焼かれて悔しい思いをし泣いた人達もいただろう。しかしその後も堺の技術産業は残り今も「日本の物づくりの街」の代表だ。形がある物を丁寧に作っている人を見ると安心する。街は思った以上にしっとりとして綺麗だった。