マドリードに出来たタベルナ・ソルサルの定食15€は超お得。創作料理のシェフがマドリードにタベルナを開業。

マドリードの中心部オペラ座の近くに130年の歴史のあるローカルを改装して開店したばかりのタベルナ・ソルサルTaberna Zorzal。スペインの全国紙エル・ムンドEL MUNDOやアーベーセーABCなどに記事になっていて気になっていた。お昼の定食が15€というので行くしかないと試してきた。(タベルナはレストランより少し気さくなムードの飲食店を言います)創作料理のシェフがスペイン伝統料理に挑戦です。

タベルナ・ソルサル

タベルナ・ソルサル外観
タベルナ・ソルサル・筆者撮影

シェフはイバン・サエス氏Iván Sáez。既にマリード市北部のデスエンカハというレストランで成功しているらしい。調理学校卒業後に修業したレストランがマドリードのエル・アンパロやサラカイン、バスク州ギプスコアのムガリッツ、同じくバスク州サン・セバスチャンのクールサールやベラサテギというから一流所のレストランを渡り歩いたようだ。その後マドリードではサーランダZalandaで影響を受け、分子料理や真空調理等を学んだ。サーランダはスペイン広場の近くにあった小さなレストランで突然ミシュランの星付きになり当時レストラン界で話題をさらったのが2003年頃と思う。サーランダが引っ越したローカルにソルサルを営業していたのが記憶にあるが私は一度も中には入らなかった。スペインの経済破綻やらでいつの間にか無くなっていたがいろんなところで活躍し成功してマドリードに伝統料理のタベルナをオープンするに至ったようだ。

メニュー・デル・ディア(お昼の定食)

入り口の看板に手書きの今日メニュー・デル・ディア(定食)の内容。

黒板にメニュー
タベルナ・ソルサル・筆者撮影

メニュー・デル・ディア(定食)は平日のお昼のみで15€。前菜、メイン、デザートそれぞれ2つから選べるようになっている。定食を試しに来た人が入りきれずに並んでいる日が有ると聞いたので念のため予約をして行った。13時30分に開店でいつもの様に一番に入店。ソルサルは渡り鳥の名前で店内に入ると黄金のソルサルがいた。私たちはこの黄金の鳥の下の席に案内された。

タベルナ・ソルサル内部
タベルナ・ソルサル・筆者撮影

ローカルは随分歴史あるが内部は綺麗に改装されていた。昔のタベルナのムードを残しつつ壁の絵が斬新。天井には大きなお皿の装飾にソルサルの渡り鳥の絵。

タベルナ・ソルサル内部
タベルナ・ソルサル・筆者撮影

席に案内されたらカルタ(お品書き)が出て来たので一通り目を通すけど今日は家を出る時から「15€の定食」を食すと心に決めて来た。ラボ・デ・トロ(オックス・テイル)とかコロッケが美味しいとエル・ムンド紙(スペイン全国紙)には書いてあったなあと微妙に心が動く。

タベルナ・ソルサル、メニュー
タベルナ・ソルサル

カルタ、お品書きはスペイン語のみ。一皿の値段は10€~20€、デグスタシオンが32€なので悪くはない。

お品書き
タベルナ・ソルサル・筆者撮影

飲み物は聞かれずボトルのお水を置いて行ってくれた。ボトルもソルサルの名前入り。今日はアルコール無し、お水で行きます。

お水
タベルナ・ソルサル・筆者撮影

 

アミューズ
アミューズ
タベルナ・ソルサル・筆者撮影

定食なのにアミューズが出て来た。ポテトのクリームに豚肉の乾燥させたものが入っている。

前菜2種から選ぶ

カモの燻製のフレッシュパスタ。幅の広いパスタに少し和風の味付。

前菜、パスタ
タベルナ・ソルサル・筆者撮影

マグロの燻製入りビチソワ。

前菜
タベルナ・ソルサル・筆者撮影
メイン料理2種から選ぶ

メイン料理は今日の魚とミンチボール。魚はサーモンかメルルーサだったのでメルルーサを頼んだ。メルルーサは温度調理と真空調理で内部までふんわりジューシーになる魚のひとつ。

メイン
タベルナ・ソルサル・筆者撮影

アルボンディガ(ミンチボール)はチキンのミンチボールと小さなポテトで和食みたいだった。甘味はもしかしたら味醂を使っているのかもしれない。

メイン
タベルナ・ソルサル・筆者撮影
デザート2種から選ぶ

チーズケーキとフルーツサラダが選べたけどお店の人から「チーズケーキ好きなら絶対気に入るッ」と強く押され2人ともチーズケーキになりました。”激うま”でした。

デザート
タベルナ・ソルサル・筆者撮影
精算、ラ・クエンタ

定食15€x2で30€の請求。お水は無料でした。

精算
タベルナ・ソルサル・筆者撮影
場所

住所Calle Sta.Clara10 Madrid 電話912017391

レストランのホームページ

http://www.tabernaelzorzal.com/

メトロ・オペラから徒歩2分。ソル広場やスペイン広場からも徒歩圏内。

 

まとめ

このレベルで15€は安い。伝統料理とのうたい文句ですがかなり斬新な伝統料理。ア・ラ・カルタを試していないので何とも言えませんが。オペラのすぐ近く、中心部で場所が便利、何かのついでに訪問できるのが良い。次回はラボ・デ・トロ(オックステール)やコロッケを試しに是非とも夜にア・ラ・カルタで再訪します。人気が出て値段が上がったり予約が取れなくなったりする前にどうそ~。

夏のピレネー登山とウエスカの村々,2018年7月16日~24日

5月に続いて今年2回目のウエスカのピレネー・アラゴネス(アラゴン側ピレネー)へ行って来た。目的はオルデッサのゴーリツ小屋の横でキャンプとモンテ・ペルディード(フランス語でモンペルデュー)の登山、ウエスカのピレネー界隈の村を見る事、その旅の記録。ピレネー山脈の魅力はあまり人の手が入っていない野性味。登山電車やケーブルカーが無く素朴で野性的な自然が残り世界中から山を愛する登山家たちがやってくる聖地です。

7月16日:1日目マドリードから登山起点のトルラ・オルデッサまで486キロ

朝からお弁当作って10時15分出発。そろそろ渋滞もない時間、マドリードからサラゴサ街道へ。

マドリード出発
筆者撮影

お天気予報を一週間前から見ていたけどピレネーは毎日雨、気温は5度から17度。雨だったら他に行く?山はやめる?とか言いながらの出発だった。そしてやっぱり曇って来た。

サラゴサ街道182キロメートル地点、ここでガソリン満タンにします。何故か他よりリッター5セントは安い。

高速道路のガソリンスタンド
筆者撮影

知られていないけどスペインは山岳国。マドリードからどっちに走っても山を越えていくことになる。ウエスカ近くの工事が終わればもうピレネーも少し近くなるね。

途中の街道
筆者撮影

15時15分ブロト(Broto)に到着。486キロを5時間、全部国道、有料道路無しだから有り難い。ブロトの川沿いの広場でお弁当を食べて休憩。雨の予報はどこいったか晴天だ。

<ブロトBrotoにある川の横の広場>

ブロト
筆者撮影

少し休憩したら明日のバスの切符を買いにトルラ(Torla)に行こう。夏のハイシーズンだから明日並ぶかもしれないしね。とトルラ(Torla)へ移動して明日の登山の起点になるプラデラまでの切符を買う。

<トルラ・オルデッサTorla Ordesaの山と教会>

トルラ
筆者撮影

切符は往復で4.5€

*トルラ・オルデッサから登山口のプラデラまで。このバスは7月と8月のみ。

<トルラからプラデラ行きのバスの切符>

切符
筆者撮影

 

今日はトルラ・オルデッサの駐車場に止めて寝る事に。夜はトルラの街で夕食。可愛いパティオが有るバルに入る。

トルラのバル
筆者撮影

 

キノコ入りのロンガニーサはひとつ1ユーロ。手作りらしく美味しかった。

トルラのバルでロンガニーサ
筆者撮影

山の中の村だけどイカ・フライが有ったので一皿

トルラのバルでイカのフライ
筆者撮影

ビールとワイン2杯づつで合計17€。安ッ。スイスに比べて飲食が安いのもスペイン・ピレネーの魅力。

ガソリン代 69.37€

バス代8€

夕食代17€

宿泊費なし

7月17日:2日目トルラからコラ・デ・カバージョ経由ゴーリツまで登山

朝は早く目が覚めた。世界遺産のオルデッサ国立公園にあるモンテ・ペルディード(3、355m)の山を目指します。途中のゴーリツでモンテ・ペルディードの行きと帰りにテントで寝る予定。5時に起きて荷物の準備、始発のバスに並んでいる人が既にいてみんなの本気度がわかった。慌てて準備して6時半に並んで7時のバスに乗ろう。

切符売り場は5時45分から開いている。暗いうちから登山客は動き始めていた。

<早朝のトルラ・オルデッサのバスの切符売り場>

トルラ
筆者撮影

*バスは7月と8月のみ運行。それ以外の時期は自分の車でプラデラまで移動できる。車が無い場合は村のタクシー利用になる。

<6時30分には7時のバスに乗る人の列>

トルラのバス乗り場
筆者撮影

大きな荷物は持って乗れないので各自でバスの荷物入れに積み込む。

トルラのバス乗り場
筆者撮影

バスから時々動物が見えるので窓から目を凝らす。約20分でプラデラ到着。

最初は林の中を歩いて行く。登りも緩やかで気持ちのいいハイキング。大きなロープを持った人に合うのは岩登りらしい。いくらでも岩登り出来るところがある。

オルデッサ公園
筆者撮影

暫くはブナ林の中、気持ちのいい軽い登りの山道を登って行く

オルデッサハイキング
筆者撮影

<ソアソの滝  Cascada de Soaso>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

プラデラ・デ・ソアソ。ここまでくるとコラ・デ・カバジョはもうすぐ。私たちはここでお弁当。昨日の残りのお弁当とカレーとパンとチーズ。

<プラデラ・デ・ソアソPradera de Soaso>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

コラ・デ・カバージョは馬のしっぽという意味の滝。ここまで来て戻るコースが一般的。プラデラの登山口から往復16キロで、朝出れば夕方には戻れる危険の少ないハイキングコースだ。今日の私たちはこの滝の上に登って行く。

<コラ・デ・カバージョの滝Cola de caballo>

コラ・デ・カバージョ
筆者撮影

滝に向かって右の方からこの岩を登って行くと鎖場です。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

落ちたら命は無いかも・・・というところが続く。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

買ったばかりのiPhone「落としたらどうしようッ」と思いながらカメラとiPhoneの2つ持ちで撮影を続けるも、その後夫に取り上げられました。「危ない!」確かに。

オルデッサのハイキング
筆者撮影
オルデッサのハイキング
筆者撮影

次第に空気も薄くなりスピードが落ちて後から来た人に抜かれていった。コラ・デ・カバージョから登る事2時間半でついにゴーリツ小屋が見えて来た。到着13時。朝7時半から歩きはじめ5時間半で登り口のプラデラからゴーリツ小屋。

<ゴーリツ小屋 Refugio Goriz>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

テントが張れるのは19時から朝8時までという規則らしい。夕食前にテントを張り今日はゴーリツ小屋で暖かいものを食べよう。座席に限りがあるので予約が必要でした。*山小屋に宿泊する場合は早めに予約しましょう。

ゴーリツ小屋の横にテント
筆者撮影

明日のお弁当の準備、アルファ米のおにぎりの賞味期限切れまくっていました。

オルデッサのハイキング
筆者撮影

19時からゴーリツ小屋の夕食は前菜ガルバンソ。

ゴーリツ小屋の夕食
筆者撮影

チキンのロースト

ゴーリツ小屋の夕食
筆者撮影

とチョコレートムースでした。

夕食代17.5Ⅹ2=35€

ロッカー代 3€(明日テントは置いて行く為)

夜中に見た星空はとっても綺麗で天の川がはっきり見えた一生忘れない星空だった。

7月18日:3日目ゴーリツ小屋からモンテ・ペルディードを目指すが雪で断念してブロトに戻る。

朝冷たいコーヒー(水で溶いたインスタント)を飲んで8時出発。そしてひたすら山を登って行く。

<ゴーリツ小屋から更に登って行くと岩場>

モンテペルディードへ
筆者撮影

振り返ると氷河に削られた谷が綺麗に見える。標高が高くなると高山植物が小さくなってきた。

<ピレネー登山は高山植物も楽しみのひとつ>

ピレネーの高山植物
筆者撮影

そしてまた岩登りが続く。これってハイキングとは絶対呼ばない、ゼーゼー言いながら登って行きます。

<モンテ・ペルディードはもっと右の方、霧で見えない>

モンテペルディードへ
筆者撮影

だんだん雪が増えて来た。ゴーリツ小屋で既に聞いていたので想像はしていたけどピッケルもアイゼンも無くストックさえ2人で1個な私たち。

モンテペルディードへ
筆者撮影

無理、11時頃にモンテペルディードが見えるけど霧も沢山出て来たのでここで帰ります宣言。夫はまだ行きたそうだったけどね。

雪渓を降りてきた人に上の様子を聞いた。彼らも途中であきらめて降りて来たらしい。今年は雪が多い。マドリードの近くのセルセディージャの人達だった。

モンテペルディードへ
筆者撮影

 

お弁当を食べてあとはひたすら降りていくが、下りがつらいのだ。石がゴロゴロで弱り切った足に気を抜くとズルッと滑るので気が抜けない。辛い中時々遠くを見ると氷河が削った谷が綺麗に見える。

<オルデッサ渓谷とソアソ谷>

モンテペルディードへ
筆者撮影

帰りは鎖場じゃない方から降りると遠くにコラ・デ・カバージョの滝が見えた。その上にはモンテペルディード。あの雪のあたりから降りて来たんだ~。

<コラ・デ・カバージョの滝とピレネーの山々>

オルデッサのハイキング
筆者撮影

その横に岩場の鎖の所をさっきの人達が降りていくのが見える。昨日あんなところ登ったんだとびっくり。

<コラ・デ・カバージョの滝の上の岩場、鎖場の所>

ピレネーオルデッサの岩場
筆者撮影

高山植物が沢山咲いているが疲れ切っていて余裕なし。悔しいのは野生のエーデルワイスが群生していて力を振り絞って近づいて写真を取ったけど、ピンボケでした。

<エーデルワイスの群生、力尽きていてピンボケ>

野生のエーデルワイス
筆者撮影

 

17時30分にプラデロに到着。20キロ以上8時間半登って下った。あ、バスが見えた~生きて帰れてよかった。

 

モンテペルディードへ
筆者撮影

トルラからブロトに戻って今日はホテルに泊まろう。友達アントニオ氏のホテルに行って部屋が空いていたら泊まることに。夜は近くのピザ屋で夕食。疲れ果てホテルも夕食も写真撮るのを忘れるが登山からの生還のお祝い。

夕食 ブロト 22.70€

宿泊費なし(アントニオが払ってくれた)

7月19日:ブロトからネリン、テージャのドルメン、レビージャの山の中で宿泊

朝の気温13度。9時に出発して今日はどこへ向かう。夫の大好きな登りのカーブの山道を進んでいく。

アラゴンの山の中
筆者撮影

ウエスカの山の中には小さな村が沢山あって夏は登山客や避暑の人達でにぎわっているが冬は雪に閉ざされる。山に囲まれた景色はペルーの聖なる谷のようだ。

ピレネーの村
筆者撮影

ネリンのロマネスク教会。パロキア(教区教会)と書いてあったので使っているみたい。向こうにピレネー山脈が見える。

ネリンのロマネスク教会
筆者撮影

 

ウエスカはどこの村も煙突が可愛い。思わずパチリ。

ピレネーの村
筆者撮影

ネリンからバスが出ていて1時間程バス移動しそこからゴーリツ小屋まで歩く登山コースも有るらしい。こんな大きなバスが行くんだとびっくり。

ピレネーの村
筆者撮影

片側一車線、横は崖の中央線のない山道をどんどん進んでいく。ヒエッ~

ピレネーの村
筆者撮影

向こうに昨日登っていたピレネーの山が見える。

<モンテ・ペルディードが向こうに見える>

ピレネーの村
筆者撮影

ビオ(VIO)の村、途中羊の大群を連れたおじさんとピレネー犬。

ピレネーの村
筆者撮影

「何頭ですか~?」と聞くと「500頭かなあ。」と返事が返って来た。ピレネー犬はまだ3歳。もっと大きくなって100キロくらいになるそう。「ビオにはどのくらいの家族が住んでるの?」「年中いるのは2家族かな」

ビオで羊飼いとピレネー犬
筆者撮影

「ピレネー犬はおとなしくて頭が良い。」「この子は未だ3歳だけどね。まだもっと大きくなって100キロ位になるかな。」という事でした。

ビオで羊飼いとピレネー犬
筆者撮影

おじさんと別れて山の中に入って行く。こんな道ばっかり。

アラゴン、ウエスカの道路
筆者撮影

山の中に紀元前2500年のドルメンが残る。これはおそらく埋葬に使ったもので内部から副葬品が出て来ているらしい。

<テージャのドルメン Dolmen de Tella>

テージャのドルメン
筆者撮影

 

今日の宿泊はこの近くのレビージャ(REVILLA)の村の横。

ピレネーの村
筆者撮影

ランチはサラダとカップ焼きそば

夕食
筆者撮影

この谷には猛禽類で有名らしい。ケブランタ・ウエソ(髭鷲)は動物の骨を空から落として割って骨髄を食べる翼を広げると3メートル近くにもなる大きな鳥。谷を大きな鳥が旋回しているのを見るのは独特の感覚を呼びさます。

レビージャの山の中
筆者撮影

 

夜は缶詰とパンとサラダとこの景色。

ピレネーの聖なる谷の景色は時間と共に色が変化していき私の持つボキャブラリーでは表現できないくらい美しい夜は更けていった。お休みピレネー

ピレネーの村
筆者撮影

移動距離 71キロ

使ったお金、なし

 

7月20日:ミラベルの谷からアインサ、湖の横で宿泊

今日も快晴。いつぞやの天気予報はすべてはずれ。

ピレネーの村
筆者撮影

下って行くと分かれ道があってガタガタ道だけどすれ違う車が入って行ったので付いて行った。

レビージャから分かれ道
筆者撮影

広場に沢山車が止まっていて沢下りや岩登りの人達がいた。私は今日はもう歩かない日と決めたので川のそばでのんびり、夫は山に登って行って綺麗な滝が有ったと言っていた。

ピレネーのふもと
筆者撮影

 

さあ前に進もう。アインサAinsaは随分昔に行ったけど記憶の彼方なので再訪することに。2つの河の合流地点の高台にあるアインサは元は小さな王国の首都だった。今も城壁に囲まれる小さな街。

<アインサAinsaの街並み>

アインサ
筆者撮影

街を散策して良い時間になったので食事場所を探す。知らないツーリスティックな街ではなるべく地元の人が入っている店を探すが鉄則。

<アインサAinsa>

アインサ
筆者撮影

私はロンガニーサとポテトと卵の一皿のプラトス・コンビナードス(ひとさら料理)

アインサ
筆者撮影

夫はメニュー・デル・ディア(今日の定食)でアスパラガスと子牛の頬肉

アインサの食事
筆者撮影

メニューにはワインと水がついて2人で25ユーロ

帰り道にこの地域のワイン、ソモンターノSomontanoの賞を取ったワインがオファーで3.9€、これは買いでしょ。

ソモンターノのワイン
筆者撮影

 

今日はどこで泊まるか放浪しているうちに湖の横で道が無くなった。こんなところでユーターン出来るのかドキドキしたが何とかぐるりと方向を替えここに今日は泊まろう。

湖
筆者撮影

ダム湖だけどエメラルドグリーン。

湖の横にキャンピングカーを止めた
筆者撮影

 

誰も絶対来ない湖の横

湖の横
筆者撮影

パンとトマトと缶詰の夕食。湖はエメラルドグリーン、真っ青な空はオレンジ色に変わって来た。カリブ海みたいな色の湖でした。

使ったお金

アインサ・ランチ25ユーロ

アインサ駐車料金1ユーロ

宿泊費 なし

7月21日:バルバストロとアルケサル、トーレシウダからブロト

今日も快晴。この近くに「オプス・デイ」の聖地が有るらしいから行ってみたいなあ。オプスの創始者、聖ホセ・マリア・エスクリバはバルバストロ出身らしい、じゃあまずはトマトで有名なバルバストロへ行ってみよう。

ウエスカの道路
筆者撮影

市が立つ日だったみたいで街の真ん中の広場で野菜くだもの市が開催中。

バルバストロの朝市
筆者撮影

バルバストロのトマテ・ロサ(ピンク・トマト)は巨大な甘いトマト。

バルバストロ朝市
筆者撮影

その市の行われていた広場に聖ホセ・マリア・エスクリバの生家が有った。

バルバストロの聖ホセマリア・エスクリバの生誕地
筆者撮影

バルバストロのインフォメーションで勧められたアルケサルへ向かう。計画なんて全然ないから行き当たりばったりだ。

アルバストロからアルケサル
筆者撮影

スペインで最も美しい街に選ばれた事が有るらしい。岩に張り付いた小さな街で川沿いの沢下りも有名らしい。

<アルケサルArquesal>

アルケサル
筆者撮影

川沿いに降りていくのは無料だけど安全の為に3€のヘルメットと保険に入ることを奨励していた。途中まで歩いてみたが誰もヘルメットなんてしていない。この国の人達はいつもこう。私たちは途中まで降りて戻って来た。

アルケサル
筆者撮影

アルケサル(Arquesal)の丘の上の教会にはロマネスクの回廊と彫刻が少し残っていた。

アルケサル
筆者撮影

ではオプス・デイの聖地へ向かおう。オプス・デイはダビンチ・コードでは怪しいセクタ扱いだがカトリックの組織のひとつ。スペイン人のホセ・マリア・エスクリバが創始者で彼は現在カトリック教会からサント(聖人)に聖別されている。そのオプスデイの聖地がトーレシウダにある。

<トーレシウダのサンクチュアリ>

トーレシウダ
筆者撮影

子供の頃のホセ・マリア・エスクリバが病気になったときこの黒いマリア様にお祈りして救われたという。今日もたくさんの巡礼グループが来ていた。ルルドやサラゴサ等を交えた聖母マリアの巡礼ルートが有るようだ。

トーレシウダの黒いマリア
筆者撮影

トーレシウダを後にしブロトへ戻ろう。途中で広場が有ったのでお昼にする。どこにでも無料で車を止めて休めるところがあるのはありがたい。

途中でランチ
筆者撮影

ちょっと暑いですがカップラーメンでランチにします。

休憩にカップラーメン
筆者撮影

そして切り開かれた山の中をドライブ。

ブロトへ移動の道路
筆者撮影

ブロトに着いた。ここで休憩、川が流れる広いスペースで普段は村のサッカーやイベントに使われているらしい。夏はキャンピングカーが何台も止まっている。

ブロトの広場
筆者撮影

夕食はレトルトのカレーと缶詰のイワシ、パンとチーズとワインです。

今日はここの広場で泊まります。キャンピングカーが沢山やって来たので登山家に有名な場所らしい。みんな明日モンテ・ペルディードに登るのかも。後でアントニオに聞いたら「キャンプは禁止になっているけど誰も気にしていない」らしい。「禁止するほど人が来るのはスペインでは普通」だって。そのとおり!

アインサで買った3.9€のワインは結構美味しかった。

ブロトの夜
筆者撮影

そして静かな夜は更けていった。

ブロトの広場
筆者撮影

使ったお金

果物代 13ユーロ

ワイン 3.9ユーロ

宿泊費 0ユーロ

7月22日:ブエサからブロト、アジェルベの廃村

今日も快晴。午後までのんびりまったりする予定がうちの夫はじっとしていられない性格でやっぱり移動する事に。近くのブエラ(Buela)の村へ。

ブロト
筆者撮影

ここも小さな石の村で何家族も住んでいないと思う。

ブエラの村
筆者撮影
ブエラ
筆者撮影

村の中にサンチアゴの道の標識。

ブエラにあるサンチャゴの道の標識
筆者撮影

ブエラから山道が峠まで続いているらしく又してもジープしか行かないような道に入って行った。どのくらい走ったか道はどんどん狭く荒々しく、携帯の電波も圏外になり私が無口になったのを悟った夫は途中で引き返してくれたが、私がいなければ峠まできっと行っただろう・・・

山道
筆者撮影

ブロトに降りてピッツェリアでランチ。

ブロトのピッツェリア
筆者撮影

アントニオが迎えに来てくれるところまで車で行ってここに車を置いて行く。3日間放置して大丈夫かなあ・・・

ブロト
筆者撮影

17時30分、時間通りジープの音がした。アントニオは時間に正確だ。これはスペインでは凄い事。この可愛いジープに乗って20分でアジェルベに到着。アジェルベはアントニオが廃村を丸々購入して村を改装中の静寂な彼のサンクチュアリ。そこで2泊するらしい。

アントニオのジープ
筆者撮影

 

5月に来た時にはまだ無かったテラスが出来ていた。ワインと景色を楽しみながらのひと時。

アジェルベのテラス
筆者撮影

夏でも夜の山は急に寒くなって来た。暖炉に火を入れてしばらくここで話をして夜の暗い中アントニオは山道をジープで帰って行った。タフです。

アジェルベの廃村
筆者撮影

 

7月23日:アジェルベの廃村でのんびり過ごす

山の朝はさわやかだ。聞こえてくるのは鳥の声と遠くからの川の流れと風の音。

アジェルベの廃村
筆者撮影

アルフォンソとワンちゃん達はいつも一緒だ。アルフォンソはここで働く若者、都会が嫌いでここに流れ着いた。ワンちゃんがいっぴき増えていた。

アルフォンソと犬たち
筆者撮影

 

平日は毎日3人の工事の人達がやって来て村の改修工事。道路も瓦礫に埋もれていたのをアントニオが私費で開通させた。お昼は工事の人達と一緒に地元の野菜ボラハ(Borraja)とポテトの煮込み。ボラハ(Borraja)はスペイン北部で良く使う野菜、うちの夫が料理してくれた。

アジェルベの廃村で昼食
筆者撮影

夜はアントニオがバーベキュー用にチュレタ・デ・コルデロ(子羊のあばら肉)を持って来た。「チュレタ(あばら)ばっかりを注文すると高いんだよ」と言っていたが見事に全部あばら肉。

アジェルベの廃村でバーベキュー
筆者撮影

慣れた手つきで火を起こしてバーベキュー。

アジェルベの廃村
筆者撮影

夏の夜はなかなか更けず21時30分頃に少し暗くなってきた。

アジェルベの廃村でバーベキュー
筆者撮影

 

真っ暗になるのは23時過ぎ。向こうの明かりがついた村はアシン・デ・ブロト。少しは大きな村のようで50人くらいは住んでいるのかも。月が輝いた素敵な夜でした。

アジェルベの廃村
筆者撮影

お休みアジェルベ。

7月24日:アジェルベからマドリードへ

おはようアジェルベ。今日は歩いて車まで降りて行く。1時間ほどの山道を下って行く。車は大丈夫かなあ。

アジェルベの廃村
筆者撮影

ちょっとだけ心配したけど車は3日間ここで無事に待っていてくれた。

アジェルベの廃村
筆者撮影

帰り道の正面にモンダルエゴの山が見える。暫くこの景色もお別れです。向こうから乗馬の子供達が来るのはアントニオの従妹がやっている乗馬スクール。車を止めて挨拶。

アジェルベからブロト
筆者撮影

今日も快晴だ、さあマドリードへ向かいましょう。ガソリン1回もいれていないけどマドリードまで大丈夫かなあ。いつもの安いガソリンスタンドまでこのまま行けるでしょうか。

 

マドリードへ向かう道路
筆者撮影

マドリードまで183キロの所で車がチーンと鳴った。ガソリンあと少しの合図。ドキドキしたけど何とか間に合って満タンにしてマドリードへ。ガソリン112€

ガソリンスタンド
筆者撮影

15時55分到着。490キロを5時間45分で家に到着。

近所のバルでお祝いにビールとトルティータ・デカマロン。旅は無事に帰れば成功なのです。夏の短いピレネーの旅は終了。

マドリードのバルでお祝い
筆者撮影

全走行距離1353キロメートル

使ったお金合計348€

最後に

夏のピレネーは爽やかで気持ちよくおすすめです。モンテ・ペルディードまでは余程の登山好き山好きのコースですがコラ・デ・カバージョの滝までなら軽いハイキングコースなので万人向けですね。

支倉常長率いる慶長使節団とサン・ファン・バウティスタ号出港まで。日本とスペインの交流の歴史

 

慶長遣欧使節団。代表は支倉常長(はせくらつねなが)43歳、仙台藩士。江戸時代に伊達政宗の遣いの侍達がメキシコ経由でスペインとローマに旅をした。キリスト教禁止令が出ている時代おそらく江戸幕府との密約があったのではと想像されている。日本政府からの公式の使節としては最初の使節団で2013年には400年祭を記念して両国間で様々なイベントが行われた。日本が作ったガレオン船サン・ファン・バウティスタ号で月の浦港を出港し太平洋を航海してメキシコまで行きスペインの船に乗り換えて大西洋を渡り本国スペインへ上陸。地中海を渡りローマではローマ法王に謁見して日本に戻った7年に渡る侍の旅の物語。非常に長くなるのでここではサン・ファン・バウティスタ号の出港までを書いています。

時代背景


当時のヨーロッパ

スペインとポルトガルが大航海時代を先行しており世界を2分して争っていた。スペインはフィリピンを植民地にし1年から2年をかけて太平洋を渡りフィリピンのマニラとヌエバ・エスパーニャと呼ばれたメキシコのアカプルコを大型船マニラ・ガレオンで西回りの香辛料貿易を行っていた。西回りの航路はマゼランによって既に1521年に発見されている。ポルトガルは喜望峰を通りインド航路からマカオへ行く東回りの香辛料貿易を行っておりどちらも既に日本にやって来ていた。

下地図は白線がスペインのマニラ・ガレオンの航路、青線がポルトガルの航路。

マニラガレオン航路
By World_Topography.jpg: NASA/JPL/NIMAderivative work: Uxbona (talk) – World_Topography.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10344087

時代はプロテスタント(新教)諸国が登場しカトリック国スペインを苦しめていた。海上の支配権をめぐりスペインポルトガルが揉めていたが、スペインのフェリペ2世がポルトガル王位を手に入れ制海権を支配する中、今度は新興国が参加し始める。イギリスとオランダは対スペインで結束をはじめスペインのフェリペ2世はイギリス女王エリザベス1世との結婚を画策するが失敗。カトリック国のフランスも対スペインで動く。ネーデルランドがスペインに対し独立戦争を開始すると後ろからイギリスはそれを支援した。そこでフェリペ2世は大艦隊をイギリスに向けドーバー海峡で両国の激突したアルマダの海戦(1588年)はスペインの敗北で終わる。

<アルマダの海戦>

アルマダの戦い
wikipedia public domain

フェリペ2世没後即位したフェリペ3世は政治に関心が薄い王で日の沈む事無き大帝国スペインの斜陽の時代が始まる。フェリペ2世1598年没、同年大阪城では豊臣秀吉が亡くなっている。

リーフデ号とウイリアム・アダムス

対スペインで動くイギリスのエリザベス女王がアジア圏の貿易に目を付けていた頃だった。イギリス人ウイリアム・アダムスは子供の頃船大工に弟子入りするが造船より航海術に興味を持ち海軍に入る。フランシス・ドレークの指揮下アルマダの海戦に参加している。その後も航海の仕事でオランダ人船員たちと交流を深めロッテルダムから極東を目指す航海に弟と参加した。5隻で出港するが嵐やスペイン船の攻撃や赤痢や原住民で散々な目に合い唯一残ったリーフデ号は日本の大分の島に漂着した(1600年4月29日大分県豊後臼杵の黒島)。

<リーフデ号>

リーフデ号
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=298229

日本は大量に積んでいた武器や弾薬、火縄銃を没収、イエズス会の宣教師たちはオランダ人とイギリス人を海賊と忠言し即刻処刑するように要請したが家康はこれを無視。ウイリアム・アダムスとヤン・ヨーステンは徳川家康に気に入られ後に江戸に招かれる。その約半年後の関ケ原の合戦で家康が勝利を得たのは小早川秀秋の寝返りだけでなくリーフデ号から没収した大量の武器弾薬を使えたことが有利に働いた。ウイリアム・アダムスはその後三浦按針(みうら あんじん)と名乗り家康に仕え幾何学や数学、造船や航海術等の知識を授けた。

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スペイン船の漂着

1609年マニラからアカプルコに向かうマニラ・ガレオンが台風で千葉の海岸に打ち上げられ、乗船していたドン・ロドリーゴ一行は地元住民に助けられた。場所は九十九里浜の中ほどにある御宿(おんじゅく)。ドン・ロドリーゴはスペインの貴族でフィリピンの臨時総督在任中にマニラで日本人暴動が起こった際に徳川家康に書簡を送った周知の人物だった。次期総督との交代の為マニラからアカプルコへ向かう船旅で難破するが地元民に助けられ大名・本田忠元(ほんだ ただもと)の歓待を受け江戸城で家康に会見している。ウイリアム・アダムス(三浦按針)が建造したガレオン船サン・ブエナ・ベントゥーラの提供を受けアカプルコへ帰還して行った。約1年間の日本滞在時の事をドン・ロドリーゴ日本見聞録として執筆している。

 

家康の目的

この時家康は幕府の船を提供しているがその見返りに銀の精錬技術を持った技師の派遣を申し入れている。返答は精錬した銀の大半をスペインが手に入れるというもので話の折り合いがつかなかった。

*メキシコの精錬技術:銀は鉱石のなかで金と一緒になっており日本ではこの分離に苦労していた。メキシコでは化学反応を利用し水銀を混ぜるアルガマム法(パティオ法)を利用していた。

*スペイン国王フェリペ3世がその礼にとビスカイーノに届けさせた一台の置時計は今も静岡市久能山東照宮に保管されている。

セバスティアン・ビスカイーノ
ビスカイーノ肖像
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=374036

上記ドン・ロドリーゴの救済の礼を述べる為ーという名目で日本にやって来たのがセバスティアン・ビスカイーノだった。セバスティアン・ビスカイーノはスペインの探検家でマニラ・ガレオンの貿易商人だが今回は大使の役割。徳川家康はメキシコの鉱山技術に興味がありその要請に沿ったものだったがスペイン側はキリスト教の布教が前提で最終合意は至らなかった。ビスカイーノは後に支倉と共にサン・ファン・バウティスタ号でヌエバ・エスパーニャに戻る。ビスカイーノが日本に来た本当の目的は日本の近郊にあると信じられていた金銀島の探索だった。1611年にサン・フランシスコ号で神奈川県の浦賀に到着し徳川秀忠と家康に謁見し沿岸部の測量の許可を得て仙台に向かい仙台城で伊達政宗に会う。この時通訳をしたのがスペイン人修道士ルイス・ソテロだった。測量中に三陸大地震に遭遇しているが船の上だったので無事だった強運の持ち主。金銀島は見つからずヌエバ・エスパーニャへ戻る途中暴風雨に逢い船は破損し日本に滞在し帰国のチャンスを狙っていた。

 

ルイス・ソテロ

セビージャ出身のルイス・ソテロはフランシスコ会の修道士。支倉と共に後にスペインとローマ迄旅をするキーパーソン。サラマンカ大学で学びフランシスコ会修道会に入りヌエバ・エスパーニャ(現メキシコ)からマニラに渡りそこで日本人キリスト教徒の指導をしながら日本語を学んだ。1603年にフィリピン総督の書簡を携えて徳川家康に謁見。上記座礁船のドン・ロドリーゴとの通訳も務めた。伊達政宗との出会いは政宗の側室の病気を治療した事による。

伊達政宗


伊達政宗1567年~1636年

生まれは山形県米沢市。戦国大名で伊達家の17代党首、仙台藩の初代藩主。4歳の時に天然痘で右目を失明。秀吉が天下統一に向かうと秀吉の配下に入り朝鮮出兵にも従軍。関ケ原の戦いでは徳川家康側についた。1601年に仙台城を築城し初代仙台藩主として君臨。朝鮮出兵時の伊達藩のいで立ちが奇抜で「伊達な、伊達者」という言葉になったという。政宗は南蛮文化に興味を持っていたようでサテンやビードロ、合羽や象牙を所有していた。デザインが南蛮風の陣羽織が複数現存する。

伊達政宗像
筆者撮影
慶長大地震

1611年12月に大地震が東北地方を襲ったことが分かっている。2011年東北大震災規模の地震で大きな津波がおこり仙台藩の沿岸部は大きく被害を受けた。政宗公は仙台の復興の一環としてマニラからメキシコのルートに仙台を挟み貿易港として栄えるという計画を考えた。

もともと日本と外国の貿易はポルトガルの貿易商人のルートでインドのゴアからマカオを経由し西日本の大名を中心に行われていた。ところがスペイン人修道士アンドレス・デ・ウルダネータがメキシコからフィリピンまで大西洋を横断する航路を発見した(1565年)。

<アンドレス・ウルダネータ>

アンドレス・ウルダネータ
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1185086

ウルダネータはバスク人探検家。後にアウグスティーノ会の修道士になりフィリピンからアカプルコにいたる航路を開拓。この航路は「ウルダネータ航路」と呼ばれこれによりスペインのマニラ・ガレオン貿易が発達する。伊達政宗はこのメキシコ・マニラ間に仙台を組み込む貿易の計画を立てていた。

造船と銀の精錬方法

伊達政宗の狙いのひとつは海洋先進国のスペインからガレオン船の建造方法や船の操作方法を手に入れたかった。幕府は既にウイリアム・アダムスの協力により外洋船を創っており伊達藩も造船技術を手に入れたかった。又家康も興味を示した銀の精錬方法をメキシコから直接手に入れたかった。ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)で行われている化学変化を用いる銀の精錬法アルガマ法を学んで来るという目的が有った。

討幕説

スペインやメキシコ、ローマのキリスト教徒と組んで伊達政宗は幕府を倒そうとしていたかも、という説があるらしい。もしもここでスペインと政宗が江戸幕府を倒していたら日本の歴史は随分違ったものだったと、想像するのも悪くはない。

江戸幕府のキリスト教対策


伴天連追放令
徳川家康
By 大阪城天守閣, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9558314

遣欧使節が出発する前年1612年に江戸幕府は直轄地でのキリスト教の禁止を命じ、さらに翌年1613年にはそれを全国に広げ伴天連追放令を出している。慶長使節団が出発する半年前の事だ。この時にソテロは信者の元に救援に行き自分も火あぶりの刑に処せられることになった。足元に木がくべられた時に伊達政宗の嘆願の書簡が届き助かっている。この禁教令で高山右近らは国外追放されるが取り締まりが本格的に厳しくなるのは家康亡き後の1619年の禁教令からとなる。

サン・セバスティアン号

江戸幕府はキリスト教は禁止するが海外との交易には興味を持っておりビスカイーノの提案によりメキシコとの通商の交渉の準備を進めていた。家康はリーフデ号をモデルにウイリアム・アダムスに命じ船を建造。サン・セバスティアン号と命名し出発の準備をしていた。約100トンのサン・セバスティアン号はルイス・ソテロを船長に1612年浦賀を出発するが暴風雨と積荷が重すぎて船は沈没している。

この頃から家康はオランダとの関係を優先しはじめスペイン人ビスカイーノの立場は微妙なものになって行った。またビスカイーノの本来の目的「金銀島を探し出す」が家康の耳に入り次第にスペインに腹を立て冷淡になっている。オランダは貿易のみを求めておりスペイン・ポルトガルはキリスト教の布教も強く求めてくる。オランダ、イギリスはスペインの悪口を吹聴し次第に幕府の交易と興味はオランダへ傾いていく。

支倉常長(はせくら・つねなが)1571年~1622年?

支倉常長は600石の知行を持ち伊達政宗に仕えた伊達藩士。秀吉の朝鮮出兵も同行している。航海と外国での経験と共に万が一不成功に終わった場合を考慮しての人選だった。

サン・ファン・バウティスタ号の建造
サン・ファン・バウティスタ号
筆者撮影

立場が悪くなりメキシコへも帰れないビスカイーノに政宗は新しい話を持ち出し手を組んだ。ここにサン・ファン・バウティスタ号の建造とメキシコ行きの準備が整った。当時の日本には太平洋を渡れる船を作る技術は無くビスカイーノの知識と技術を手に入れ海外との貿易を目指したかったのが伊達政宗だった。

船の建造は仙台石巻の牡鹿半島にある月の浦港(つきのうらこう)。一年半の歳月をかけて大工や鍛冶屋や荷役がかかわった震災復興大事業となった。*船の建造地としては雄勝町(おがつちょう)呉壺(くれつぼ)説もある。

ビスカイーノは早く日本を発ちたいが簡単に船の先端技術を教える気は無くわざとマストを少し短くし帆を大きく扱いにくく創らせている。

サンファンバウティスタ号の出港


サンファンバウティスタ号
筆者撮影

船の大きさは約500トン。

全長55.35m

最大幅11.25m

吃水約3.8m

メインマストの高さ32.43m

これだけの船を45日間で完成させている。

180人の乗組員の中には幕府の役人、仙台藩士、商人達等日本人140人とスペイン人航海士など40人がいた。海賊に遭遇した時の為大砲24砲を備えた武装商船だった。

1613年(慶長18年)10月28日満月の日、政宗公からスペイン王やローマ法王に充てた書状を持った支倉常長、ルイス・ソテロ、セバスティアン・ビスカイーノを乗せたサン・ファン・バウティスタ号は満月の夜出港していった。

続く

石巻のサン・ファン・バウティスタ号、慶長使節団の船の復元船を見に行ってきました。

船の名前はサン・ファン・バウティスタ号(洗礼者ヨハネ号)というガレオン船。江戸時代にメキシコ経由でスペインとローマへ行った侍たちがいた。宮城県月の浦港からメキシコのアカプルコまでを約500トン級のガレオン船で約3か月かけて旅をしている。このガレオン船を数少ない資料から再現して展示しているのが三陸の石巻にあるサン・ファンパーク。2011年の東日本大震災とその後の強風で被害にあい随分傷みが激しい。船の損傷が激しく2020年には解体という記事も読んだので慌てて見に行って来た。神戸から日帰りを目指したが無理、途中のローカル線の乗り継ぎが悪く片道7時間以上かけ滞在時間1時間半という旅の記録。

慶長使節団とは


1613年伊達政宗の命により支倉常長率いる使節団がメキシコへ向けて出発。同乗したのは支倉常長(はせくら・つねなが)代表およびスペイン人宣教師のルイス・ソテロとスペイン人探検家のセバスティアン・ビスカイーノ、常長(つねなが)一行仙台藩の藩士と商人達、幕府の役人と船大工や散髪屋兼外科医や奴隷もいたらしく総勢180人。使節の目的は通商貿易と銀の抽出技術を手に入れる事が目的。最近の説では伊達政宗はキリスト教徒と共に討幕の計画を立てていたというのもあるようだ。当時のメキシコはヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)と呼ばれスペイン領土としてメキシコ副王が統治していた。一行はメキシコにしばらく滞在するがスペイン側は日本でキリスト教徒達が迫害を受けている事を知っておりメキシコ副王にスペイン国王フェリペ3世の許可が必要と言われる。一行はアカプルコから陸路ベラクルス(大西洋側)へ移動しスペイン船に乗り換え、セビージャ港から本国スペインに上陸。その後マドリードでスペイン国王フェリペ3世に謁見しフランスの地中海を経由しローマへ向かう。ローマ法王パウルス5世に謁見している。再びセビージャ経由で大西洋を超えてサン・ファンバティスタ号は彼らを迎えマニラに戻る。その後のサン・ファン・バウティスタ号はマニラでスペインへ売却されたというが詳細は不明。

サンファン・バウティスタ号の航路
筆者撮影

彼らの旅が凄いのは400年前に大西洋と太平洋両方を越えている事だ。

石巻サン・ファン館


上記の支倉常長率いる慶長使節団が宮城県石巻の月の浦からメキシコまで大西洋を往復した船、サン・ファンバウ・ティスタ号が復元され1993年に進水した。ところが2011年の東日本大震災の津波で大きな被害を受け重要な展示物も流されてしまったそう。船は激しく破壊されたが船自体の流出は免れていた。ところが今度は震災翌月の強風でマストが折れ大きな損傷を受けていた。

サンファンパーク
筆者撮影

大震災後カナダのブリティッシュ・コロンビア州から木材提供の打診がありベイマツや杉が寄贈された。2013年に修復が終わり慶長使節出港400年祭に合わせて再び一般公開を果たす。

サン・ファン館内部


サン・ファン・バウティスタ号

現在老朽化が激しく船内に入れず外から見るだけでした。9個の丸の九曜紋は伊達政宗の紋章のひとつ。(ひとつというのは伊達政宗は他にも紋章を持っていた)。船の全長約55メートル、最大幅約11メートル、メインマストの高さ32メートル。

サンファン館のサン・ファン・バウティスタ号
筆者撮影

実際のサン・ファン・バウティスタ号の出発地は月の浦港なのでここからまだ12キロほど移動したところ。新説で月の浦港は石巻の月の浦ではない説もあるようです。

サン・ファン・バウティスタ号
筆者撮影
サンファン・シアター

ハイビジョンで支倉常長の旅の再現と津波の後に作られた慶長の大津波に関しての2種類の映像約20分。特に400年前の慶長大津波の説は新しい視点で伊達政宗が何故慶長使節団を派遣したか等が解り易く紹介されている。この2本の映像を見るだけで慶長使節の事が良く理解できこれは楽しかった。

展示室

写真や模型で使節団の事が展示されている。2011年の東日本大震災でかなりの展示物が流されたのは本当に残念。サンファンバウティスタ号の模型が数種置かれている。

サンファン・パーク船の模型
筆者撮影

 

解り易いように写真や展示物で支倉常長や慶長使節団の事が説明されていて面白かった。

サンファンパーク展示物
筆者撮影

行き方:仙台からJRかバス


仙台~石巻

JR仙台駅から東北本線仙石東北ライン快速で石巻まで約1時間。1時間に1本程度の電車。他に宮城交通ミヤコ―バスで仙台から石巻行きがある。

下:クリックすると仙台から仙石線時刻表

http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301331/down1_04101011.htm

JR仙台駅
筆者撮影

JR石巻駅はアニメの聖地らしくアニメファンがいっぱいいた。石ノ森章太郎さんが宮城出身らしく石ノ森漫画館という施設があるようで駅に到着するなりアニメの世界。

JR石巻駅
筆者撮影
JR石巻駅
筆者撮影

 

石巻の駅から乗り継いでJRの石巻線というローカル線で行くつもりが乗り継ぎ1時間30分とあまりに長いので駅前から45分後に出る宮城交通ミヤコ―バスに乗る。乗り場2番。注:このバスがサンファンパーク前に止まるのは土日のみ。平日は汐見台から歩く。

JR石巻駅
筆者撮影

ミヤコ―バス鮎川線平日時刻表

http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/59b790df-fa40-4c6e-97d1-7d8fc0a80203/

ミヤコ―バス鮎川線土日時刻表

http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/59b790ea-ba80-475d-ac1a-3958c0a80203/

サンファンパーク行き方
筆者撮影

 

JRの場合は石巻線で石巻から2つめ「渡波・わたのは」で降りて徒歩25分又はタクシー5分

渡波駅
筆者撮影
渡波駅
筆者撮影

JR石巻線時刻表

http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301431/down1_04202031.htm

渡波駅
筆者撮影

 

渡波駅前にタクシー

JR渡波駅
筆者撮影

タクシーがいない場合はタクシー会社に電話

jr渡波駅 タクシー電話番号
筆者撮影

歩く場合は駅を後ろにしてまっすぐ10分直進してこの橋を渡る。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

渡りきったら右に曲がる。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

入り江沿いをしばらく歩いていく。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

入り江から左に曲がり最後は登り坂。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

登り坂を7分くらいで到着です。登りがつらい場合は行きはタクシーを使うと良いでしょう。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

下:サンファンパーク公式ページです

https://www.santjuan.or.jp/

まとめ


以前から石巻のサン・ファン・バウティスタ号を見ようと思っていたのですがあまりにも不便で後回しにしていました。震災で損傷し、船が修復されたら行こうと思っていたら船の老朽化が激しく2020年に解体の話が新聞に出ていて慌ててやって来ました。丁度支倉常長の慶長使節をまとめようと調べていたところで色々勉強になりました。乗り継ぎが大変でしたが単線のローカル線も楽しく石巻のリアス海岸も美しかったです。展示場も楽しく映像も楽しめました。興味がある方は解体される前にどうぞ~。仙台市博物館(仙台青葉城横)と合わせてみると慶長使節団についてさらに深まります。

キャンピングカーでピレネー山脈オルデッサ国立公園とアジェルベの廃村へ。2018年5月24日~28日

 

ピレネー山脈のオルデッサは夫の大好きなデスティネーションのひとつで私たちは度々訪れる。フランスとスペインの国境を形成するピレネー山脈は3000メートル級の山が430㎞にわたってそびえ地中海側から大西洋側へ横断するハイキングコースや様々な登山道、スキー場がある国立公園だ。オルデッサがスペインの国立公園になって2018年は100周年祭にあたる。”オルデッサ・イ・モンテ・ペルディード国立公園”として1918年にスペインで最初に設置された2か所の国立公園のひとつにあたる(もうひとつはピコス・デ・エウロパ国立公園)。世界遺産としてはフランス側にまたがる「ピレネー山脈のモン・ペルデュ」として1997年に複合遺産に指定されている。そのピレネーの山の中に友人のアントニオ氏が廃村丸々全部を購入して修復をはじめ村の再生を目指してルーラルハウスを建築中なのでキャンピングカーで尋ねに行って来た。

 

5月24日:1日目マドリードからトルラ・オルデッサとブハルエロ502キロ

お弁当を作って朝10時にキャンピングカーで出発。5月にマドリードが曇り空なんて事は珍しいし目的地オルデッサの天気予報は雨なのだ。ポンチョと傘とお弁当を持って出発。

キャンピングカーの旅オルデッサ
筆者撮影

暫く走っているうちに青空が見えて来た。ほらね晴れた。ガソリンはソリアに入ると不思議と値段が安い。巷ではRepsolが一番質が良いと言われているのでなるべく探すのはRepsolだ。ここは1L=1,229€、他より格段安い(他は1,28から1,3€)。サラゴサ街道180キロ地点覚えておこう。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

安いので車がゴボゴボ言うまで満タンにして出発。

キャンピングカー
筆者撮影

マドリードからサラゴサ経由、ウエスカを通りピレネーに入って行くが途中はまだ工事中。この工事が終わったら随分近くなるねえ。でもあと何年かかるんだろう。

ウエスカの道路
筆者撮影

険しい山と悪天候で工事が出来る時期が非常に短いのだ。

 

15時30分にトルラTorlaの駐車場到着。約500キロを5時間半ほどで全て無料の道路だから有り難い。トルラはオルデッサに登る起点になる村で大きな駐車場やインフォメーションがあり綺麗なお手洗いがある。ここで休憩してお弁当をいただきます。

トルラの駐車場
筆者撮影

トルラの教会と後ろに氷河に削られたピレネー山脈。この景色を見ただけでも来てよかったと言う気分になった。

トルラ駐車場
筆者撮影

トルラからオルデッサ、そして更に山深くへ入って行く。普通車で行けるのか?と思うような道をしばらくドライブ。ほとんど対向車は無い、というかみんな恐れをなしてここには入ってこないのだ。

オルデッサからモンダルエゴへ
筆者撮影

はじめのうちだけは舗装されているが途中からそれも無くなり水たまりと石ころの中を30分くらいの移動。

ピレーネ―キャンピングカーの旅
筆者撮影

ブハルエロに到着。山小屋とキャンプ場があってここの駐車場で今日は泊まろう。ピレネーの谷間で横に清流、簡単に来れないので人が少なく空気が荒れていなくて聖地みたいなところです。

オルデッサからモンダルエゴ
筆者撮影

フランス国境はすぐそこでサンチアゴの道の一部でもある。


ブハルエロの山小屋は通年営業、今はオフシーズンだがすでに宿泊している登山客もいた。

モンダルエゴ
筆者撮影

ここの山小屋の食事は美味しいのだ。夕食はキノコのリゾットと白豆の煮ものと赤ワインをグラスで幸福な気分になった。

モンダルエゴの山小屋の夕食
筆者撮影

この山奥でこの値段でこんなおいしいものが合計22€50cent。

モンダルエゴの夕食
筆者撮影

21時頃やっと少し暗くなってきた。風の音と川の流れ、鳥の鳴き声しか聞こえない贅沢な環境。テレビも無く電話も繋がらず、Wi-Fiは20時間で1ユーロだったけどしょっちゅう切れて長い長いパスワードを永遠に入れ直し続けるがついに力尽き、寝ます。

モンダルエゴ
筆者撮影

 

5月25日:2日目ブハルエロからブロト14キロ

鳥の鳴き声で目が覚める朝は贅沢だ、おはようブハルエロ。

ブハルエロ
筆者撮影

山小屋でコーヒーとクロワッサンの朝食。昨日の夕食時にも隣にいたカップルとしばらく会話をする。カタラン人のリタイヤーしたご夫妻でレリダから来た人達だった。いつも自分たちの畑で作った野菜などオーガニックな物を食べているので昨日のここの食事の後少し胸焼けがしたそうだ。

モンダルエゴ
筆者撮影

 

私たちは昨晩「美味しいね~」と感動したので笑顔の後ろにショックは隠せなかった。最初はピレネーの事や食事の事等あたりさわりのない会話をしていたが次第にカタルーニャの歴史やら独立やらちょっと複雑な話になってしまった。が、生のカタラン人の話が聞けたのは興味深かった。彼らは独立支持者だった。別れを告げ、私たちは昨日の道を戻って行く。

 

モンダルエゴ
筆者撮影

ブロト(Broto)で昼食前にアントニオ氏と合流。今度は本物のジープが待っていた。アントニオ氏は今ではホテルを複数経営しサラゴサに家も数件持つ実業家だが子供のころは父親に連れられて羊飼いや博労(バクロウ)として働いていた。学校なんか行ってないよと常々言っている。

そのアントニオがピレネーの廃村ごとまとめて購入し再生している。工事を始めて3年位、やっと宿泊するところが完成したその廃村へジープで向かう。

アジェルベ・デ・ブロトAjerbe de brotoは1976年頃に最後の家族が去った後、もう誰も住まない廃村になった。山の中の不便なところで元は100人ほどの人口があり自給自足の生活をしていた。友人のアントニオ氏が数年前に村ごと購入し修復を始めた。スペイン語で「カプリチョッソ」、「気まぐれ」で始めたらしい。

ピレネーアジェルベ
筆者撮影

私たちに「どれでもひとつ家をくれる」というが舗装道路がないので資材を運ぶのも大変で修復に何年もかかるだろう。修復の費用は「最低500万円くらい」と軽く言われたが私たちには大金だし年に何回来れるだろう。一年の半分は雪に閉ざされる所だ。ジープも必要になる。

ピレネーアジェルベ
筆者撮影

アントニオはここを本当に愛しているので村の隅々まで見せてくれ熱く語ってくれた。

アジェルベ
筆者撮影

何回も「1日過ごせば好きになるよ、でも2日過ごすともっと違う何かが見えるって」

アジェルベ
筆者撮影

今年は雪が沢山残っていた。そう、先週も雪だったのでアントニオの工事は進まないのだ。

ピレネー山脈
筆者撮影

 

今日はブロトに戻りアントニオ経営の小さなホテルで宿泊。夜遅くマドリードから来る友人たちと合流して夕食。アントニオはこれからジープで廃村に戻り明日の私たちのベッド用マットレスを運ぶと言っていた。タフやなあ。

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5月26日:3日目ブロトからアジェルベへ

朝、ブロトのホテルからアントニオのジープに乗り再び凄いガタガタ道を山へ移動。8時30分出発でほぼ予定通りだ。(スペイン人と過ごしていて予定通りというのは凄い事なのだ!)今日は霧で何も見えないが見えなくても前進あるのみらしい。どんどん登って行く。

ピレネー
筆者撮影

霧で前があまり見えないカーブの道で横は崖、大きな石が転がっている。落石注意なんてもちろん書いてないし書いてあっても意味が無い。今、私の上に落ちてこなかった幸運を喜ぶのみだ。

ピレネー山脈
筆者撮影

昨日は遠くの山まで見えたが今日は霧の中、暫くしたら車を止めて焚火が始まった。勝手に火をつけていいのか!とか日本だと問題になるのかもしれないけど、どうやらアントニオは村を買ったのではなくて山ごと買ったらしい。ここはアントニオの持ち物なのだ。

ピレネーの旅
筆者撮影

「雨が降るよ」とアントニオ。風や空気で天気がわかるらしい。突然先を急ぎアントニオの村アジェルベに到着。パンとチーズとワインとハムのランチ。山でいただくと本当においしい。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

いくつかの建物の修復は終わっていてカマドが有る調理室が出来ていた。日本のいろりの様な石のかまどに大きな切株が燃えていてここでお肉を焼いたりスープを温めたりできるし建物全体の暖房にもなっていて中は暖かいエコなシステムだ。アントニオが目指すのは昔のまま。

この村にいろんな家族が住んでいて様々な人生があった、もう既にいない人達の知らない人生に思いを馳せる。

アジェルベ
筆者撮影

アルフォンソはアントニオがスカウトして来てここで働きながら暮らしている若者。アントニオも毎日家に帰るのでアルフォンソは羊みたいな犬とここで2人暮らし。「ここの暮らしは気に入っている。山は孤独だけど都会はもっと孤独だよ。」と話していた。アルフォンソの人生に何が有ったんだろう。

アジェルベの村
筆者撮影

羊の様なワンちゃんは怪我をしていた子犬をアルフォンソが拾って育てたという。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

「じゃあみんなはシエスタの時間。僕は家族と過ごすからまた明日~」とアントニオは行ってしまった。そうだ今日は日曜日だった、スペイン人にとって家族と過ごす大切な日に付き合わせてしまった事に気が付いた。私たちは言われた通りシエスタ、そして夜まではのんびり、本当にのんびり何もしない贅沢な時間を鳥の声を聴きながら過ごした。アントニオが言った通り1日でここが好きになった。

アジェルベの村
筆者撮影

夕食はアルフォンソのしきりでバーベキュー。

ピレネーの廃村、アジェルベ
筆者撮影

ロンガニーサというアラゴンの渦巻きソーセージと子羊のあばら肉の炭火焼き。

キャンピングカーの旅、アジェルベのバーベキュー
筆者撮影

寝室はベッドが12個程でこの大きなマットレスを昨日の夜に運んでくれたらしい。あの石がゴロゴロの山道を夜中に・・・だ。

アジェルベの寝室
筆者撮影

寝室の下は談話室で暖炉に火が燃えていて建物全体が温まる暖房システムになっている。

ピレネーアジェルベの村
筆者撮影

夕食後いつ眠ったかの記憶も無く起きたら朝でした。

5月27日:4日目アジェルベからブロト

山の朝は気持ちが良い。アントニオの予言通りあと1泊してもいい様な気分になっていた。

朝8時、約束通りアントニオがジープで迎えに来た、時間通りだ。今日はお天気は随分良いみたい。

キャンピングカーの旅、アジェルベ
筆者撮影

お天気も良いので歩いて途中まで降りていくことになった。植物や鳥などを見ながらケモノ道をハイキング。

大きな鷹のツガイが飛んでいくのが見えた。

ピレネーオルデッサ
筆者撮影

鳥や花を楽しみながらの1時間ほどの下り道のハイキングを楽しんだ。

ピレネーの村アジェルベ
筆者撮影

ジープに乗りオルデッサが見えるところへ移動する。

世界遺産はピレネーの山奥の峻厳な環境に適応しながら暮らしてきた牧畜や段々畑なども含まれる。今も世界遺産の中を牛飼い達が牛を移動しながら暮らしているのだ。

ピレネー、オルデッサ
筆者撮影

私たちはジープを止めて少し歩く。

キャンピングカーの旅、アジェルベ
筆者撮影

30分程歩いて行くと谷の底にオルデッサの河と滝が見えた。森林限界の感じからここは2300メートル位の標高。氷河に削られた険しい景色。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

動物がいるよ。アントニオは大きな双眼鏡で鳥や動物を見つけて教えてくれるマサイ族みたいだ。

ピレネー山脈、オルデッサ
筆者撮影

「えっ」アントニオが急ぎはじめた。「急ごう!濡れたくないなら」と言われジープに戻る。雨が来るらしい。道はあるようなないようなところだったので一人残されたら大変だ、絶対一人では帰れない。

ジープで山を下りてアントニオが生まれた村に行く。すれ違う人全員アントニオの友達か親戚らしい。誰かとすれ違うたびに話し込んでいる。

ピレネーの村
筆者撮影

 

午後はシエスタの時間が設定されていた。スペインでは大切な事のひとつだ。ホテルに戻って休憩していたら天気が崩れ大きな氷の塊が降って来た。アントニオの天気予報はスペインの国営放送より正確だ。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

夕食はアントニオのお兄さんが経営しているレストランでペロチコという小さなキノコと炭火で焼いた大きな骨付き肉で旅の最後を祝いアントニオと別れた。

ブロトの夕食
筆者撮影

5月28日:4日目ブロトからマドリード470キロ

今日は帰らなければ。午後まで時間があるのでオルデッサのハイキングコースの最初だけ歩いてみた。本当は往復17キロの「コラ・デ・カバージョ」まで行く有名なコース。最初の滝まで約1時間。高山植物も少し咲き始めている川に沿ったなだらかなコース。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

今年は水量が凄い。雨が多い春だったので滝の水流がとんでもなく多い。

 

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

山から下りてピレネーの登山の起点トルラTorlaへ。街の名前はトルラ・オルデッサに変更された。人口300人ほどの街だが廃村から来たらえらく都会に感じる。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

レストランやホテルも有り夏の登山シーズンは人口が5倍に増える。

トルラの街
筆者撮影

そろそろトルラを出発してマドリードへ戻らなくては。途中どこかでランチでも食べてゆっくり帰りましょう。

キャンピングカーの旅、帰り道
筆者撮影

天気は目まぐるしく変わって行き前方は晴れているのにバックミラーに映る雨雲。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

そしてついに雨雲に追いつかれ降り始めた。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

タイヤが2センチは浮いて走ってる感じで怖かったですが無事にマドリードに帰着。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

19時30分無事到着。毎回外から戻って来るとマドリードが巨大な街に感じられる。アントニオに無事に帰ったよと電話を入れたら「来週も来る?」と本気で言っていた。

走行距離:980キロ(キャンピングカーの移動距離)

使ったお金:約540€

 

リポイ(リポール)Ripoll の街とサンタマリア修道院のロマネスクの彫刻

 

リポーイ(リポール)Ripollはカタルーニャ州ジローナ県にあるピレネーふもとの小さな街。カタラン語だとリポイと呼びスペイン語だとリポールで日本語はリポールやリポーイ等様々のよう。バルセロナから近郊電車で約2時間で到着できる小さな街。ビック(VIC)と絡めて周遊の旅にするのも良いしその後ピレネーに入るのも良いと思う。ロマネスクのサンタマリア修道院の彫刻が有名です。この辺りはバリバリ独立派地域で独立旗=エステラーダがどこにでもあるが観光する分には関係なく人々は他の小さなスペインの街と同じで親切で素朴で人懐っこい。

リポイ(リポール)


リポイ(リポール)バルセロナから行き方と時刻表

バルセロナのサンツ駅から近郊線で約2時間なのでバルセロナから日帰りや途中のビックとリポイで終日で遠足、又はピレネーの方へ移動も絡めて周遊コースに入れると旅行の幅が広がる。。

下はバルセロナ近郊線の時刻表

http://www.renfe.com/GA/viajeros/cercanias/barcelona/index.html

スペイン国鉄Renfeのバルセロナ近郊線の時刻表。OrigenをBarcelona santz,DestinoをRipoll Fechaに希望の日にちを入れると時刻表が出てくる。

リポイ(リポール)歴史

リポーイ(リポール)は5世紀にゲルマン民族の大移動の時、西ゴート王国の支配下に入り、その後南からイスラム教徒がやって来てピレネーを超えフランス迄遠征した時に支配を受ける。フランク王国のカール大帝がイスラム教徒を破り今のフランスからカタルーニャへやって来て現在のバルセローナを占領した。そして砦を創り辺境領を置いたのがバルセロナ伯爵領の始まりとなる。878年にギフレ1世多毛王(Wifred el Velloso)がバルセロナ伯爵に任じられる。(ギフレ1世が初代カタルーニャ君主)。888年にバルセロナ伯ギフレ1世はカタルーニャをイスラム教徒から奪回しリポイに聖母マリアに捧げるベネディクト会の修道会を創らせた。

リポイ(リポール)中世の図書館

リポーイ(リポール)の図書館はキリスト教世界でも最も蔵書の多い図書館だった。ローマやトレドとも交流が有り、キリスト教の宗教書や神学書にとどまらず非キリスト教的な古代ギリシャの文献や科学書の写本を数多く所有していた。オリバ修道院長の登場により文化の中心地となり人々は遠くからやって来た。修道士ジェルベールはフランスのオーリヤックからリポーイ(リポール)にやって来て音楽や数学を学んだ。修道士ジェルベールは後にローマ法王になった人物。

リポイ(リポール)サンタマリア修道院


開館時間

夏、4月から9月:10時から14時、16時から19時

冬、10月から3月:10時から13時30分、15時30分から18時

日曜祝日:10時から14時

休館:12月25日、26日、1月6日

 

リポイのサンタマリア修道院は当時のものとしては現在の教会正面の入り口と回廊のみが残る。最初の教会は9世紀に。オリバ修道院長が1032年に聖別した。

見どころは正面のロマネスク入り口

12世紀半ばに創られた正面のロマネスク入り口は石で掘られた聖書。旧約聖書の様々な場面とペテロとパウロの物語。

リポイ、サンタマリア修道院
筆者撮影

正面は旧約聖書の場面が多い。モーゼのエジプト脱出やソロモン王等。

リポイ、サンタマリア修道院
筆者撮影

アーチの入り口付近は四季を現す彫刻で写真は秋に豚にいっぱい食べ物を食べさせているところ。

リポイサンタマリア修道院
筆者撮影

脱穀しているところやブドウの収穫等の日常とカレンダーが可愛い。

リポイサンタマリア修道院
筆者撮影

 

回廊(クラウストロ)

回廊(クラウストロ)の柱頭彫刻も時間忘れて楽しめる。教会側に近い方が一番古いもの。

リポイサンタマリア修道院
筆者撮影

中世の教会彫刻にかなり頻繁に人魚が出てくるのは何故なんだろう。

リポイサンタマリア修道院
筆者撮影

天使が笛を吹くのに思いっきり口をプーっとしている感じが出ている。

サンタマリア修道院
筆者撮影
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街はコンパクト


ピレネーのふもとの街リポイはコンパクトで歩いてすぐに回れる。サンタマリア修道院から旧市街はすぐ、広場やお店等を見ながら散策。

リポイの街
筆者撮影

少し坂を上るとアントニオガウディ―のお弟子さんが作った小さな礼拝堂が有る。ジョアン・ルビオ氏の1912年の作品。

リポイの教会ガウディ―の弟子作
筆者撮影

おとぎの国に出てきそうな可愛い礼拝堂。

リポイの教会、ガウディ―の弟子作
筆者撮影

アントニオガウディは鉄の細工などを柔らかい仕上げにしたが、細部にガウディ―の影響がみられる。

リポイ、教会、ガウディ―の弟子の作品
筆者撮影

駅の近くのサンチアゴカラトラバの橋

リポイ、サンチアゴ・カラトラバの橋
筆者撮影

リポイまとめ


ピレネーのふもとの街リポイは小さな街でさっと見るだけなら2時間ほどで廻ってしまう。圧巻はサンタ・マリア修道院でロマネスク好きの方なら時間を忘れて楽しめるでしょう。スペインは地方都市に行くとまだまだ昔のスペインが残っていて人々は素朴でみんな驚くほど親切で人懐っこい。バルセロナにいて一日時間があれば是非近郊の小さな街へ足を延ばしてみてください。

ビック(VIC)はバルセロナから日帰りできる小さなお勧めの街

 

ビックはバルセロナから70キロ北にあり鉄道で1時間30分で到着出来る中世が残る小さな街。スペインの魅力は地方都市にありせっかくスペインに来ているのにバルセロナやマドリードだけで終わるのはもったいない。是非とも近郊の小さな都市にも行ってみよう。ビックは治安も良く物価も安いので一泊するのも良いと思う。年中ホテル不足のバルセロナより安く宿泊できること間違いなし。今日はバルセロナから鉄道で簡単に行ける中世の街ビックを紹介します。

ビック


ビックの歴史

2世紀頃にローマ人が元々あった街を利用して小高い丘の上に神殿を作り街を発展させた。ゲルマン民族の大移動でビシゴート族はそれらの神殿を利用して城郭を作った。イスラム教徒がしばらく支配するが街は再び9世紀ギフレ多毛王の時にキリスト教徒の手に入り大聖堂が11世紀に作られた。18世紀のスペイン王位継承戦争でブルボンのフェリペ5世に反乱を起こした最初の街でその後カタルーニャの自治権は奪われた経緯が有るのでこの辺りは非常に強い反中央でカタラン独立の意識が強い。

バルセロナから鉄道で

バルセロナ・サンツ駅からR3号線で1時間14分から1時間35分。乗り換えなし。

下はバルセロナ近郊線の時刻表。Origen をBarcelona Santsに、 DestinoをVicにしてfechaに希望の日にちを入れると時刻表が出てきます。かなり頻繁に出ていますが帰りの時間のチェックも忘れずに!

http://www.renfe.com/viajeros/cercanias/barcelona/

駅についたら徒歩でマヨール広場を目指す

まずはビックのマヨール広場を目指そう。鉄道の駅から徒歩6分程で到着する。スペインの街には(カタルーニャの街にも)たいてい大きな広場マヨール広場があり昔から人が集まったり式典を行ったりした。ビックのマヨール広場で日曜日と火曜日は市が立つ。広場のムードはイタリアの中部の街に似ている。近くにインフォメーションが有るので地図をもらって観光を始めると良い。

ビックの街
筆者撮影

珍しいのは広場が土なんです。石では無く土が敷き詰められている。

*この辺りはカタルーニャ独立意識の強い地域で独立旗が多いですが街は平静で人々は親切です。

 

ビックの街
筆者撮影
旧市街を散策

ビックの街はバルセロナの旧市街のゴシック地区と似ている。坂道のある小さな街で入り組んだ細い通りにお店やレストランがあり治安もいいのでうろうろあてもなく歩いてお買い物をしたりバルに入ったり楽しめる。

ビックの街
筆者撮影

あてもなく中世の街をさまよい歩くのは楽しいものです。

ビックのローマ神殿

ビックのローマ神殿:毎日11時から13時、18時から20時、日曜日18時から20時、月曜定休日

街の一番小高い丘にあたるところにある2世紀ころのローマ神殿。897年にギフレ王により城郭となりその後モンカダ家により城は住居として使われた。その後大聖堂の司祭たちの住居として使われていたが一時は刑務所にも使われたという。1882年にモンカダ城が壊れた折偶然中から神殿が発見され修復した。スペイン国内に現存する完璧な姿で残るローマ神殿は2つしかないらしくそのひとつはこのビックのローマ神殿。2016年には地下に通路が発見されておりローマ時代に神殿の中央から水を50メートル先の広場へ運ぶための物ではないかと想像されている。神殿のまわり一帯にまだ発見されていない遺跡が多く眠っているはずだ。今は街が管理する展示会場として使われているので無料で入れる。

ビックのローマ神殿
筆者撮影
ビック大聖堂

ビック大聖堂の正面は新古典様式(ネオクラッシック様式)で18世紀終わりから19世紀初めにかけて作られた。

ビックの街
筆者撮影

 

ビック大聖堂の鐘楼と地下納骨堂は11世紀のロマネスク時代の物が残る。地下納骨堂は内部から有料で入ることが可能。

ビック大聖堂
筆者撮影

 

ビック大聖堂内部は無料で自由に見学可。ミサの時間は入場は可能だが写真や観光は遠慮しましょう。静かにミサに出席するのは問題なしです。

ビック大聖堂内部
筆者撮影

内部の壁画はカタルーニャの画家ジュセップ・マリア・セルトの作品。1930年から描きはじめたが内戦で焼けてしまった。セルトは戦後すぐに筆を執り再び描きはじめ完成させた。彼はこの大聖堂の中に埋葬されている。

ビック大聖堂内部
筆者撮影
ビック司教区美術館
ビック司教区美術館
De Joanjoc – Foto pròpia (Own work), Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2254531

ビック司教区美術館入場時間

<4月から9月>

火曜から土曜:10時から19時、日曜祝日:10時から14時

<10月から3月>

火曜から金曜:10時から13時、15時から18時、土曜10時から19時、日曜祝日:10時から14時

ビック司教区美術館は大聖堂の横にある美術館でビックの近隣の教会にあった芸術作品が展示されている。ロマネスクからゴシック、ルネッサンス等の彫刻や絵画など29000点が展示されている。ロマネスクファンは必見の美術館です。

<ビック司教区美術館のホームページ>

https://www.museuepiscopalvic.com/es

 

ローマ神殿からビック・カテドラルは徒歩2分、カテドラルからビック司教区美術館はすぐ横。

 

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それ以外

街にはモデルニズム建築が点在していてそれも楽しい。モデルニズモは19世紀に流行した建築様式で当時のカタルーニャのリッチ層が建築家に家や家具を作らせた。フランスのアールヌーボーやオーストリアのセセッションの時代で今はガウディ―が有名だが当時はガウディはその中の一人の建築家に過ぎなかった。カタルーニャ全般(他の都市にも)に19世紀のモデルニズモの建築物が残る。

ビックのモデルニズモ建築
筆者撮影

川が流れる街でロマネスクの橋、Puente Quaralt=クワラルト橋はビックにかかる唯一の橋だった。度々戦争と街の拡大で破壊され最後の破壊はスペイン内戦でその後に修復された。

ビック
筆者撮影

ビックのレストランとバル


私たちはビックのマヨール広場でお散歩中の地元の女性に教えてもらったおすすめレストランで食事をした。教えてもらったバルの方は地元人気店で満員で入れず外から見るだけに。マヨール広場界隈にいくつも飲食店がありどこで食べても美味しいはず。

DI VICNUS

火曜から日曜:13時から15時30分、21時から23時30分

月曜定休日

マヨール広場からすぐのカタルーニャ料理レストラン

ビックのレストラン
筆者撮影

 

DI VICNUS店内

ビック、レストラン
筆者撮影
ビックのレストラン
筆者撮影

 

前菜は2種類を2人でシェアー

トマトのタルタルとパルメザンチーズの前菜

ビックのレストラン
キャンピングカーの旅

キノコのリゾット

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

メインにエントレコット一皿を2人でシェアー

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

 

合計約54€とチップを3€ 置いてきました。来ているお客さん達はリッチ層な感じでムードのいいレストラン。お料理のカテゴリーとレストランの雰囲気でこの値段は安い。

レストランDI VICNUSのお店のホームページ

http://www.divicnus.com/gastronomic

BARMUTET

8時30分から23時まで毎日営業

DI VICNUSのすぐ向かい側にあるバル。実はこちらのバルに入りたかったけど21時頃はすでに満員でとても入れず。お散歩のセニョーラに勧めてもらったバルです。ワインのボトルが沢山並んでて魅力的でした。

ビック、レストラン
筆者撮影

小さなバルはワイン片手に語り合う人達で賑やかでした。。

ビック、レストラン
筆者撮影

ビックのバルBarmutetのホームページ

http://www.barmutet.cat/

最後に


私たちはキャンピングカーの旅でコスタ・ブラバに行く途中に、実はついでに行ったビックだった。街はこじんまりしていて綺麗で治安も良く人もみんな親切でした。あまり観光客もいないので街がざわついていなく、食事が美味しく人値段も安くまた絶対にリピートしたい街となりました。バルセロナから近いので旅行中の方はちょっとビックに足を延ばしてみてはいかがでしょう。

キャンピングカーでカタルーニャからアラゴンの旅2018年5月10日~16日

2012年から夫氏手作りキャンピングカーでスペインとヨーロッパの旅をしています。自分の忘備録として旅を記録に残し、どなたか読んでくださるか不明ですが公開することにしました。

キャンピングカーの旅2018年5月。今年は悪天候が続き旅に出れない春だった。やっと2人とも1週間の休みというか、正確には仕事が無い1週間が有ったのでで以前から行きたかったコスタ・ブラバのアンプリアスの遺跡とカタルーニャを巡って来た旅の記録。

マドリードからビックへ(5月10日)

朝、仕事の後11時マドリード出発。マドリードから目的のアンプリアスまでは756キロあるので今日は途中のVICビックまで行くことにする。マドリードはスペインのほぼ中央にあるのでどこに行くのも遠いけどどこに行くのも便利。天候は5月中旬というのにまだ不安定。

マドリードからカタルーニャ途中
キャンピングカーの旅

 

マドリードから国道2号線(A2)通称サラゴサ街道。国道なのでほとんど無料の快適な道路でマドリードを出ればほとんど渋滞なし。

マドリードからの道路
キャンピングカーの旅

サラゴサからレリダは一部有料道路に入る。12,70€

途中2回休憩してビック到着。

ビックの街はバルセロナのゴシック地区に似ているなあ。小雨の中ビックの散策。大聖堂博物館はもう閉まっていて明日の10時まで開かないので今回は無理でした。ロマネスクの壁画があるみたいなので又来たい。

ビックの街
筆者撮影

スペインのキャンピングカー・サイト(FURGO)であらかじめ調べていた駅近くのカレフール横の駐車場で止めて夕食へ。今日は無料駐車場泊。*FURGOは夫氏のバイブルで口コミでヨーロッパ中のキャンピング地が紹介されている。

ビック駐車場
キャンピングカーの旅

夜旧市街まで徒歩10分程。マヨール広場で犬の散歩中のセニョーラに夫が「どこか美味しいレストラン教えてください」と勧めてもらったDI・VICNUSへ。場違いな服装でちょっと躊躇したけどお店の人に「旅行中でこんな服装でもいいですか?」と聞いたら快諾してくれた。どこに行ってもみんな人はとても親切で感じが良い。

ビックのレストラン、ディビクヌス
筆者撮影

トマトと生ハム

ビックのレストラン
キャンピングカーの旅

キノコのリゾット

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

エントレコット

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

地元のワイン

夕食代53、79€

本日走行距離646キロ

歩いた距離:11キロ

ビックからリポーイ、アンプリアス(2日目)

ビックからリポーイは37キロ約30分の距離。雪が積もったピレネー山脈が見える。フランス国境はすぐそこだ。ジローナ県はカタランのバリバリ独立派が多いところなのでどこも独立旗と政治犯釈放を求める黄色いリボンが目立つ。お天気はいまいちで寒い。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

リポーイの中心部まで車で入れて、とりあえず止めたけど白い点線の所は料金を払うんだろうか?9時までは不要なはずだし誰かに聞こうとコーヒーを飲みに入ったカフェテリアで「今日はお祭りだからどこでも止めて大丈夫」と教えてもらう。凄い!、見たかったロマネスク彫刻があるサンタマリア修道院すぐ横だ。

リポーイ
筆者撮影

サンタマリア修道院のロマネスク彫刻は圧巻。しかもお祭りで無料で入場。11時からミサが始まるのでそれまでに内部をゆっくり見学。

リポーイサンタマリア修道院
筆者撮影

クラウストロの柱頭彫刻も時間を忘れて楽しんだ。

サンタマリア修道院、リポーイ
筆者撮影

修道院の食事のテーブルで祈っているのか泣いているのか。

リポーイのサンタマリア修道院
筆者撮影

天使が笛を吹くのに思いっきり口をプーッとしてる感じが可愛い。

サンタマリア修道院
筆者撮影

 

街を歩き回って丘の方でガウディのお弟子さんが作った小さな礼拝堂を発見。

リポーイ
筆者撮影

サンチアゴ・カラトラーバの橋があるというので片道1キロほど歩いて行って来た。曲線がカラトラーバらしく綺麗な橋だがあまり大切にされていない感じ。随分街の端の方だし時間が無ければわざわざ来なくてもいいと思う。

リポーイの橋
筆者撮影

リポーイを出発し綺麗な中世の街べサルを目指す。リポーイからべサルは51キロ約50分。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

べサル(Besalu)の街。小さな綺麗な街をあてもなく散策。

べサル
筆者撮影

川に囲まれた小さな街で地元では有名らしく沢山の観光客が散策していた。レストランやお土産物屋が並ぶ賑やかな街だ。独立旗が目立つがスペイン語も結構聞こえて来た。

べサルの街
筆者撮影

べサルからアンプリウスは約46キロ、40分。アンプリウスは遺跡のすぐ横に無料の駐車場があった。沢山のキャンピングカーが既に止まっていたので私たちも今日はここで泊まる感じ。

アンプリウス
キャンピングカーの旅

遺跡はキャンピングカーを止めた駐車場のすぐ横なので見学に出発。アンプリアスは国内唯一のギリシャとローマの遺跡が両方隣同士に残っているケース。

アンプリアスの遺跡
筆者撮影

ギリシャ遺跡の中を2時間以上歩きローマの遺跡につく頃にはもうくたくた。このローマの遺跡はまだ20%しか発掘されていないらしい。掘ったらいくらでも出てくるけど土の中にいてもらった方がきっと安心安全で格安なんだと思う。ローマ遺跡に着く頃にはどうでもよくなっていて省略して戻った。

アンプリアスの遺跡
筆者撮影

コスタ・ブラバの海岸沿いの遺跡なので5月でもうすでにリゾート客が来ていた。お昼は遺跡の横のチリンギート(露店)でボカディージョ(サンドイッチ)

アンプリアス
キャンピングカーの旅

夜は歩いてサン・マルティの街へ。最初にギリシャ人が住み着いた島だったところが今は陸続きになっている。ギリシャ人が来るより前のイベロ族の遺跡もあるという話だった。

アンプリウスの横のサンマルティ
筆者撮影

丘の上の小さな街で広場に3軒レストランが並ぶ。どこも似たようなメニューで一番混んでいる店で夕食。

アンプリアス夕食
筆者撮影

ほろ酔い気分で約1キロキャンピングカーの駐車場までの散歩道。夜のコスタブラバの海岸線。「海が見たい」と今年の春から言っていたら実現したなあ。言ったら実現するとか何かで読んだけどこういう事なのか?

コスタブラバの夜
キャンピングカーの旅

移動距離151キロ

食事代:昼ボカディージョ10,50€、夕食37€

歩いた距離:16キロ

アンプリアスからダリの家ポルト・リガドとフランス・カタランへ(3日目)

朝起きたらキャンピングカーが増えていた。夜中にやって来たらしい。

アンプリアスの駐車場
キャンピングカーの旅

さて今日はどこへ行くかコーヒー飲みながら会議。朝起きてお湯沸かしからコーヒー入れるのも夫の仕事です。私は起きたらコーヒー飲むだけ。

キャンピングカー内部
キャンピングカーの旅

お隣のフランス人もそろそろ朝食でセニョールがせっせと準備中。イスとテーブルが出てくるところがうちとはえらい違う。奥さんはテーブルのセットが出来た頃に起きてくる感じ。

アンプリアスの駐車場
キャンピングカーの旅

 

最初の予定ではピレネー・カタランに向かうつもりが雪が降っているらしく地中海で過ごす事に予定変更。

カタルーニャの地図
キャンピングカーの旅

お天気予報では今日は強風と雨。気温も低く寒い、5月中旬というのにだ・・・。アンプリアスを出発しコスタ・ブラバをフランス方面へ北上しダリの故郷へ向かおう。

アンプリアス出発して移動中
キャンピングカーの旅

途中夫氏がこの辺りに「運河があるリゾートの街が有るはずだ」というので探してみる。ローセスのあたりはプライベートジェット用の空港やヨット店が続く高級リゾート地。エル・ブジ(既に閉店した有名レストラン)もこの近くで営業していたのが良くわかった。

グーグルマップで見ると桟橋が続く所がありこれだ!エンポリオブラバという地名らしい。

エンポリオブラバの地図
キャンピングカーの旅

アンプリアスからエンポリオ・ブラバ22キロ約20分がちょっと迷子になり随分うろうろした。

ベネチアの現代版で自宅まで船で行ける様に設計されている。何と1973年に開発されたリゾート地というからびっくり。

エンポリオブラバ
キャンピングカーの旅

コスタ・ブラバはコスタ・デル・ソルよりも高級なリゾート地(マルベージャは別として)が多く海岸線殆どがとんでもないリッチな人達に買い占められている。広大な別荘の前にプライベートの船。今のペースで100回生まれ変わって働いても買えない、人生なんて不公平にできていると納得。

エンポリオブラバ
キャンピングカーの旅

エンポリオ・ブラバで驚愕したあとは出発してダリの家ポルト・リガドへ向かう。26キロ約40分カーブが続く片側一車線の道を延々とドライブする。雨じゃなくてよかった。そして夫はカーブ好きなのだ。

ポルトリガドへのくねくね道
キャンピングカーの旅

ポルト・リガドは素朴な漁村だった。入り江のこんな小さな漁村が残っていてこれは奇跡だ。この辺りはほとんど高級別荘から庶民層のマンションと隅々までリゾート開発されていてがっかりしていたところだったので小さな素朴な漁村が新鮮だ。

ポルトリガド
キャンピングカーの旅

ダリがアメリカから戻ってガラと暮らすために購入した家が今はダリの家美術館になっている。卵とU字の棒はダリの作品によく出てくるモチーフ。

ダリの家美術館入場料11€

予約制になっているが少し待って入場。大きな荷物はダリ美術館の前に預けるところがある。(ネットで予約できるがしなくても少し待てば入れると思う)中は少人数ごとでガイドと説明を聞きながら移動。私たちはカスティーリア語とフランス語の説明で廻る。カタラン人がいたのでガイドさんが「外国人(私たちの事)はカタラン語わからないのでカステジャーノで説明してもいいかしら」と聞いていた。なるほど、これでクレームなしだ。

ポルトリガド
キャンピングカーの旅

ダリの家美術館内部はダリが使った部屋や道具などがそのまま残りダリの遊び心が随所にみられる。

ポルトリガド
キャンピングカーの旅

 

ポルト・リガドからカダケスは徒歩でも行けるようだがキャンピングカーで移動。カダケスにはダリの父親が持っていた別荘がありダリの初期の絵に頻繁に出てくる街だ。有料駐車場に車を止めて街を散策。カダケスはポート・リガドより随分大きな街の印象を受けた。

カダケスのダリ
筆者撮影

ダリ家の別荘を探して海岸線をさまよい歩く。見つからないのでついに夫は海の前の扉が開いていた豪邸の中へ入って聞いている。私は随分驚いたが豪邸のセニョールは優しい紳士で丁寧に教えてくれた。

カダケスの街
筆者撮影

今はダリ家とは関係のない家族の所有で独立旗が揺れていた。すぐ横にガリシア・ロルカに捧げた碑。学生時代のロルカがダリを訪ねて来たらしい。2人はここでどんな話をしたんだろう。

カダケスのロルカに捧げた碑
キャンピングカーの旅

 

そして風が吹き滅茶苦茶寒い中、意地で海の前のテラスで震えながらした食事は美味しかった。カタルーニャはどこも安くておいしい。

ランチ
キャンピングカーの旅

パエリアとブティファラとお水とノンアルコールビールで27.5€

ダリの絵に残る教会迄登って行く。昔はここも小さな漁村で丘の上だけに村が有ったんだろうなあ。

カダケスの街
キャンピングカーの旅

丘に登ると街と入り江が綺麗に見渡せる。カダケスは入り江と丘に囲まれた優しい綺麗な街だった。ダリはここで幸せな青年時代の夏休みを家族と過ごしたし、この教会にも来たはずだとか考えながら村を歩いた。

カダケスの街
キャンピングカーの旅

駐車料金2,35€(4時間くらいは止めていたと思うけど安い)

カダケスでは場所が無く泊まれないので今日の宿泊地を探して岬へ登って行く。キャンピングカーの旅では毎回岬の灯台あたりに景色が良い無料の駐車場に泊まる。岬好きの私たちはクレウス岬へぐるぐる曲道を進めていった。

クレウス岬
キャンピングカーの旅

やっとの思いで岬についたが風が強くて止めているキャンピングカーが揺れ危険を感じる程だ。ビュービュー風の音で居心地が悪くこれは眠れないだろうと又しても移動する事に決定し今日は放浪の日となる。

クレウス岬
キャンピングカーの旅

それではフランスまで行ってしまおうと突然予定変更。フランス・カタランのペルピニャンの街が見たいと私が言い出す始末。優しい夫は良いよと出発するが途中の道が渋滞の様でさらに予定変更して国境のスペイン側のドライブインで休憩してバーガーキングで夕食となった。マックよりバーガーキングが美味しいとか言いながらわびしい夕食を何とか盛り上げる。

途中の休憩所
キャンピングカーの旅

ここで泊まる話も出たが、休憩所の設備はフランス側の方が断然良いので国境を越えてから泊まることにする。工事渋滞も幾分緩和したようなので出発。あ、ガソリンはスペインの方が安いのでスペイン側でいれるのを忘れずに!。

フランス国境
キャンピングカーの旅

それにしても雨と風と寒さでこれはピレネーに行かなくて良かった。スペインフランス国境はこんな感じで何もなく通過。

フランス国境
キャンピングカーの旅

フランス・カタランに入ったのでフランス語でようこそカタルーニャへと書いてある。ああ、こういうのが見たかったから来たんです。

フランス国境
キャンピングカーの旅

 

さあ高速道路の最初のエーリアに入って泊まることに。フランスはどこも設備が良くキャンピングカー用に広い場所が用意されている。ベンチや汚水を流すところもある。カフェテリアに行けば大抵Wi-Fiも繋がり場所によってはシャワーもついているのだ。

フランス側の休憩所
キャンピングカーの旅

私たちが着いた時、既にキャンピングカーが何台も止まっていた。トラックとは分けて場所が作って有り泊まってくださいという感じで周りに木陰とテーブルとベンチ。

フランス側の休憩所
キャンピングカーの旅

バス程の大きなキャンピングカーに小さな車を牽引してる車はドイツナンバー。大きすぎて動きにくいと思うけど中は快適でしょうね。キャンプ場についたら小さな車で街の観光やお買い物に行く、フランスかドイツの年配者のキャンピングカーでよく見るタイプだ。

フランス側の休憩所
キャンピングカーの旅

私たちは今日はここで就寝です。

移動距離184キロ

ガソリン代60€、駐車場:2.35€、有料道路:2.50€

食事:昼食28€、夕食18€(バーガーキング)

歩いた距離:11キロ

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ペルピニャンからコスタ・ブラバへ(4日目)

静かでぐっすり眠れた。風はピレネーから吹いているのか冷たい。コーヒーを飲んで出発。

ペルピニャンへの途中
キャンピングカーの旅

ペルピニャンはフランス・カタランの中心の街。スペイン風の城門から町に入る。30年戦争でフランス軍に侵攻されその後のピレネー条約でフランス領となる。カタルーニャはスペイン側とフランス側に分断された民族なのだ。

ペルピニャン
キャンピングカーの旅

道の標識はフランス語とカタラン語の併記。

ペルピニャン
キャンピングカーの旅

それにしても寒いのでやっぱりスペインへ戻りましょう。帰り道に独立旗を発見してここまで来た甲斐あったような気がする不思議な心境。

ペルピニャン
キャンピングカーの旅

ペルピニャンを出発してから駅にダリの絵があることが判明し愕然となる。ダリはパリへ行くたびに通るペルピニャンの駅に随分思い入れがあったらしい。またペルピニャンに来ることは有るんだろうか。行き当たりばったりの旅をしているとこうなる。

スペインへ向かう帰り道は国道を走ってみた。景色は国道の方が断然良い。雪のピレネー山脈が見える。しつこいようだがピレネーに行かなくて良かった。行っていたら今頃凍えているに違いない。

ペルピニャンからスペインへ
キャンピングカーの旅

 

国境を越えてスペイン側へ。ここの国境も全く何もなくただ通過。

国境
キャンピングカーの旅

スペイン帰国。たったの一日のフランスでも兎に角スペインに帰って来ると安心する、カタルーニャでもバスクでも良いのです。普段「ったくスペインは~」とか言っていてもスペインに帰ると安心するのだ。100%日本人ですが心はスペイン人なのです。

国境
キャンピングカーの旅

 

行先が定まらない中フィゲーラスに何年かぶりに行きましょうと突然言い出す私。良いよという優しい夫。ダリにゆかりの地を訪ねているのでフィゲーラスのダリ劇場美術館へ行くことにする。ペルピニャンからフィゲーラスは58キロ約1時間。

フィゲーラスのダリ劇場美術館
キャンピングカーの旅

入場料:14€

かなり混んでいるがここも予約するほどではないと思う。本日日曜日ですが入場券を購入してすぐに入場できた。

内部は玉石混合だがやはり初期の作品がかなり見れるのは嬉しい。丁度行って来たカダケスの風景が有った。

フィゲーラス、ダリ劇場美術館
筆者撮影

丁度この部屋の地下にダリのお墓が有る。深い眠りから先日起されてしまったダリだが又黄泉の国へ戻れたかしらと思いを馳せる。

フィゲーラス、ダリ劇場美術館
筆者撮影
フィゲーラス、ダリ劇場美術館
筆者撮影

ダリを堪能したのでプボールにもこの際行ってしまう事にした。プボールはダリが妻のガラにプレゼントしたお城が有り内部が見学できる博物館になっている。フィゲーラスからプボールは39キロ約35分。ナビが無ければ絶対に着けない様な所だった。

プボールへ
キャンピングカーの旅

ダリがガラにこのお城をプレゼントした折ガラは「あなたからの申し出のお城を受け取ることにします。ただ貴方が私を訪ねるのは書面で許可を取ってからにしてください」と手紙を書いている。2人の関係は一体どういう感じだったのか、一生に一度くらい言ってみたいセリフです。

プボールのダリ・ガラお城博物館入場料:8€

プボール城
筆者撮影

ガラが生前使っていたベッドをガラ亡きあとのダリは使用した。孤独な晩年の日々の中、火災でダリが死にかけたのもこの部屋だった。

プボル城
筆者撮影

広い庭園には象が3頭。初期のダリの聖アントニオの幻想に出てくる足が長い象がまるで庭園を自由に歩き回っているみたいだった。

プボール城
筆者撮影

地下にガラのお墓。ダリは自分も横に埋葬されるつもりで並んで作ったが最晩年のダリの意志でフィゲーラスの劇場美術館にダリは埋葬された。本当にダリの意志だったのかは実は不明。

プボール城ガラのお墓
キャンピングカーの旅

ダリの寂しさを共感してしまい最後はメランコリックな気分になったが、美味しい香りに誘われお城の前にあるレストランに移動。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

レストランのメニューの表紙はダリの絵。店内に昔の新聞が貼ってありダリも訪れた店のようだ。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

前菜にグリーアスパラのグリル。黄色いソースはロメスコソース。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

日曜日のお昼15時頃という事もあってレストランは満席に近い。この小さな村のどこからこれだけの人々がやって来たんだろう。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

子羊の炭焼き

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

ブティファラ(カタランソーセージ)も炭火焼きで美味しい。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

デザートにチーズケーキと飲み物はガス入りの水35,80€

プボールを出発してパルス(Pals)という小さな村を訪ねる。コスタ・ブラバの典型的なゴシックの小さな村。

パルス
キャンピングカーの旅
パルスの村
キャンピングカーの旅

さて今日は海の側で泊まりたいと私。どこか適当にドライブしていたら良い所有るでしょうとコスタブラバの海岸線へ出るが行けども行けども別荘地帯で私たちを拒否するような門構えの豪邸ばかり。とても車を止めて泊まれそうなところがない。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

延々と海に向かって別荘地が続く中を放浪。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

こんな景色を独り占めして豪邸が作られていて年に3か月とかしか使わないんでしょッとひとりごちる。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

Faro= 灯台という標識を見つけ登ってみるといい感じで広場があって泊まれそうだ。眺めも良いのでここにしよう。Faro de Parafrugell de San Sebastiaというところに止める。灯台はレストランになっていて更に上にホテルが有った。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

ホテルはそれほど豪華には見えなかったが一泊270€、私が休憩している間に夫は調べに行って仰天して戻って来た。どっちにしても泊まらないから大丈夫よ。山の上にイベロ族の遺跡が有った。

イベロの遺跡
キャンピングカーの旅

さてカップラーメンのディナーがやって来た。お湯さえ沸かせば手軽にいただけるのでキャンピングカーの旅には欠かせないアイテムだ。できれば日本製のものが美味しいので日本帰国時にはたんまり買って来る。

カップラーメン
キャンピングカーの旅

キャンピングカーの窓からコスタブラバの夜景。寒くて外に出たくないので車からパチリ。夜景ビスタで今夜はいい夢見れそう。

コスタブラバの夜景
キャンピングカーの旅

深い眠りの中、夜中に車の横に若者集団が集まり暫くお喋りしていたのは夢か?と思ったが夫もやっぱり声を聴いたというので現実らしい。

移動距離:182キロ

入場料合計:30€

食事:41€

歩いた距離:12キロ

 

コスタ・ブラバから内陸へ(5日目)

朝は毎日早く目が覚める。コーヒーを飲んで出発7時30分。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

コスタ・ブラバの海岸線をドライブ。さてどこへ行こうか。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

サン・フェリウはコスタ・ブラバでも有名な街なのでちょっと見てみる事に。海岸線にはカフェテリアが並びヨットハーバーがある。

サンフェリウ
キャンピングカーの旅

10世紀のベネディクト会の修道院跡。サンフェリウはこの修道院から始まった。

サンフェリウ
キャンピングカーの旅

曲がりくねったカーブが続くが時々海に向けてスペースがあって車を止めて景色が楽しめる。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

水のブルーが透明。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

 

トッサ・デ・マールの入り江とお城が見えて来た。

コスタブラバ
筆者撮影

入り江の海岸線にレストランが並ぶ漁港。お城へ登って行こう。

トッサデマール
キャンピングカーの旅

水平線の向こうはコルシカ島だそう。ここに立つとカタルーニャは地中海の島々を制覇していたというのが良く理解できる。ここで冷たい飲み物を飲みました。景色代込なので高かった。

トッサデマール
キャンピングカーの旅

この辺りは海岸線には宿泊出来ない事がやっと理解でき内陸を目指す事にした。もうマドリードに向けて移動、折り返し地点。地図を見て適当に良さげなところをあて物の様に探す。カルダス・デ・マラビージャにローマの遺跡があり温泉が出るらしい。行ってみよう。

ローマ時代の浴場後が有った。小さな遺跡で無料です。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

ビッチーカタランの温泉付きホテルがあって驚いた。19世紀の建物で当時の上流階級の社交場だったそうです。水着持って来ていないし今回は見るだけ。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

村役場みたいなところの広場のレストランで定食をただきます。12,5€は田舎の村にしては高いねえ。そして注文するまでに15分くらい待ち、出てくるのにさらに15分。まあのんびりしています。高いだとか遅いだとかブツブツ言っていたら一人分の前菜のスモークサーモンがドンと置かれた。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

メインのヒラメのオーブン焼きは丸々ヒラメが一匹でびっくり。もちろん一人分です。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

私はエビのカクテルとマッシュルームのグラタンを頂きました。

デザートのアイスクリーム。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

 

泊まるところを求めてさらに移動していると遠くにモンセラが見えて来た。ロヨラが瞑想したマンレサはこの先だけど今回は通過。

キャンピングカーで移動
キャンピングカーの旅

内陸になるとだんだん道が真っ直ぐになって来た。広いからいくらでも道路が作れる。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

タレーガという知らない村の駐車場、作曲家の名前と同じなので来てみたが何という事無い村でした。トラックが沢山止まっている村のパーキングで止めて今日はここで寝ます。

駐車場
キャンピングカーの旅

移動距離:300キロ

ランチ:25€、トッサデマールの展望台飲み物:8€

歩いた距離:9キロ

サラゴサとピエドラ修道院(6日目)

ぐっすり眠りコーヒーを飲んで出発。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

レリダ近くになると畑に果物やオリーブ、時々ぶどう。豊かな農産品の生産地。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

いつも通過だけするレリダの街に入ってみよう。丘の上に大きなお城と教会の塔が見える。

レイダ
キャンピングカーの旅

丘の上にあるのは旧大聖堂で後陣はロマネスク。この辺りは18世紀の戦争でかなり被害を受けたようだ。

レイダ
キャンピングカーの旅

お城から市街地が良く見える。どこでも高い所に登るに限るね。スペイン王位継承戦争でカタルーニャがコテンパンにやられたときにこの町もフランスとスペインの軍によって破壊され併合された。哀しい歴史は300年前でも語り継がれている。

レイダ
キャンピングカーの旅

レリダの観光はこれくらいで、さあスペインへ戻ろう(カタルーニャもスペインですが)。スペインに入ると早速牛の看板。これはオスボルネ社のブランデーの看板だけれどもスペイン・ナショナリズムの象徴とされ、カタルーニャやバスクでは見ないし作ってもすぐ壊される。

キャンピングカーにて
キャンピングカーの旅

サラゴサに到着。今迄と違って駐車するのに苦労した。サラゴサは大きな町だ。写真はサラゴサのピラール聖堂。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

街の入り口にローマの街道の遺跡。ローマ時代サラゴサはカエサル・アウグスタと呼ばれた重要な街だった。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

ローマの劇場跡が住宅街にありどこでも掘ったら遺跡が出てきそう。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

サラゴサのピラール聖堂は聖母マリアが生前に現れた唯一の奇跡。聖ヤコブのところにジャスパーの柱と共に現れここに教会を作りなさいと現れた。その柱がこの白い布地の中にある。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

ゴヤの銅像と後ろにLa Seu=大聖堂。ゴヤはサラゴサの近くの村で生まれている。ピラール聖堂の天井画のいくつかはゴヤの作品。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

サラゴサを出発しモナステリオ・デ・ピエドラへ向かう。乾燥したアラゴンに突然現れる水脈。周りも次第に果樹園が増えて来る。この辺りは温泉ALHAMA de Aragon=アルハマ・デ・アラゴンの保養地で有名だ。

キャンピングカーにて
キャンピングカーの旅

ピエドラ修道院到着。無料駐車場に車を止める。今日はここで泊まるようですね。パウロ・コエーリョの作品に出てくるピエドラ河はここです。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

キャンピングカーにある物で簡単な食事。

キャンピングカーにて
キャンピングカーの旅

ピエドラ修道院自然公園

入場料:16€

今年は雪と雨の多かった冬なので水量が想像以上。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

約1時間30分程でゆっくり楽しめた。クロアチアのプリトビッツエ公園を小さくしたような所です。まわりは月面の様なアラゴンなのにこの大量の水はいったいどこからやって来るのだろう。

下の写真は上から滝つぼを見下ろしている。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

滝が何層も続く不思議な景色でここは地上の楽園。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

駐車場は20時頃で誰もいなくなり今日はここで宿泊です。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

旅にはいつもバイオリンを持参で場所があったら演奏、というか練習。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

夕食はカップ焼きそばでチーンとちょっと沈む。いやいやこれ美味しい,又買って来ようっと。

キャンピングカーの食事
キャンピングカーの旅

移動距離:330キロ

途中コーヒーとクロワッサン:8€

ガソリン:70€

高速代:14,70€

歩いた距離:12キロ

マドリードへ(7日目)

鳥の声で目覚めるのは悪くないものだ。誰もいない森の中でさわやかな目覚めは今日も良い1日になりそうな気がしてくる。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

高速道路までしばらく果樹園や湖を見ながらのドライブ。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅
アラゴンの景色
キャンピングカーの旅

早く出発しすぎてマドリードで渋滞にはまる・・・トホホなパターン。

本日走行距離:236キロ

合計走行距離:2031キロ

使ったお金2人で約600€

無事帰宅。旅は帰って来るところが有るからこそ楽しいし無事に帰ればそれで成功に違いない。次の旅までアスタプロント~

マドリードでショッピングならまず中心部セントロ地区へ。マドリード・セントロ徹底調査。スペイン・ブランドがここで完結。

 

旅をすると楽しみのひとつはお買い物。マドリードでショッピングを楽しめる地区はいくつかに分かれているが大雑把に分けると中心部のセントロとチュエカ地区、セラーノ通りがあるサラマンカ地区とその近くのゴヤ地区、学生街が近いプリンセサ地区になる。今日は殆どの人が行くであろうセントロ地区Centroのプレシアードス通りを中心にお買い物が楽しめるセントロ(中心部)のショッピングゾーンを紹介します。

マドリードの中心部、セントロCentro


ソルから始める

スペイン語でCentro セントロは中心という意味で英語のCenterセンターにあたる。そのど真ん中はプエルタ・デル・ソル=Puerta del sol広場、通称ソル=Sol。ここを中心に解説します。

<地下鉄ソルの表示、ソルは太陽という意味>

マドリード中心部ソル
筆者撮影
Puerta del Sol

ソルsolはマドリードの超ど真ん中。全ての道はここから図っているゼロキロ地点にあたるのがPuerta del Sol=プエルタ・デル・ソルという名のソル広場だ。地元の人はSolソルと呼んでいる。長い名前は「太陽の門広場」という意味でもともと「太陽の門」という城門が有った。ソル広場から道が分かれていてどの通りに行ってもお店がいっぱいありいつも賑やかだ。目印は時計がついている建物マドリード州政府庁。

<時計がある建物はマドリード州政府庁>

マドリード中心部
筆者撮影

建物の前の道路にゼロキロと書いた地点がある。

マドリード中心部
筆者撮影

各国から来た旅行者の人達がみんな記念に踏んでいく場所です。

写真下:ゼロキロの所に立ち、時計がある建物を背中側にしてソル広場を見るとTIO PEPEティオぺぺの看板がある建物がある。(TIO PEPEは有名なシェリー酒の名前)

マドリード中心部
筆者撮影

TIO PEPEの建物の左側がプレシアードス通り、右側がカルメン通り。まずプレシアードス通りから歩いてみます。

(お買い物の前にスペインのタックスフリーについて少しだけ)

一店舗で90,16€を超えるお買い物をした場合タックスフリーの手続きが出来る場合がある。書類を作りEU最終出発地の税関にて書類に押印してもらい後から消費税が戻って来る。こちらから言わない限りお店はやってくれないので金額によっては書類作成をしましょう。「タックスフリー・プリーズ」で大丈夫。約10%から14%の消費税が後から戻ります。EU外で消費する場合の免税なのでEU外の国のパスポートが必要(コピーで代用できる場合が多い)。

セントロ地区のsolからcallaoへの「プレシアードス通り」は王道の中の王道

ソル広場からカジャオ広場に伸びている通りプレシアードス通り=Calle Preciados =カジェ・プレシアードスは中心部の中でも一番人気のショッピング通り。約400メートルにお店がぎっしりだ。

地図:カジャオ広場からソル広場へのプレシアードス通り

 

まずはソル広場からプレシアードス通りへ入ると地元のデパートEl Corte Ingles=エル・コルテ・イングレスの本店がある。

マドリードショッピング
筆者撮影
*エル・コルテ・イングレス(地元デパート)ソル本店

純スペインのデパートで各大都市に店舗がある。本店はここソル店。

営業時間:平日朝10時~22時/日祝11時~21時(12月25日、1月1日、1月6日5月1日は休業)

日本のデパート程の高級感は無いが大抵の物はここに来れば手に入る。スーパーマーケットは他のスーパーより少し良い食材を中心にそろえている。スーパーとは別にグルメクラブ=Club de gourmetという食料品コーナーには高級感のある食材がそろう。

*地下鉄(メトロ)で来た場合プレシアードス通り方面に出ればエルコルテイングレスに直接入ることも可能。出口=Salidaがいくつかあるので  Preciados、Zona Comercial方面へ向かう。

写真下:地下鉄の出口の標識Salida。さらに下に矢印が付いてC.Preciados=プレシアードス通りとZona Comercial=お買い物ゾーンと出ている。

マドリード中心部
筆者撮影

写真下:Centro Comercialの方へ進むとデパートへPreciados方面に進むとショッピング通りプレシアードス通りに出る。

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

写真下:地下鉄からそのままデパートへ入れる入り口

マドリード中心部
筆者撮影

ここではデパートに入らずにプレシアードス通りへ出てみます。

プレシアードス通りはいつもショッピングやお散歩の人でいっぱい。ヨーロッパで一番混んでいる通りです。

<MANGO/マンゴ>

マドリードショッピング
筆者撮影

写真上:エル・コルテ・イングレスの向かい側にスペイン・ブランドの洋服MANGOマンゴ。ZARAサラより少しだけ上のブランド。大衆ブランドだがデザインを重視し靴やバッグやアクセサリー等トータルファッションを目指す。

写真下:ストラディバリウスはZaraサラグループの姉妹ブランドでガールズ・ファッション。母親受けのいいハイティーン用ファッションブランド。

<Stradivarius/ストラディバリウス>

マドリードショッピング
筆者撮影

写真下:ZARAは日本ではザラと呼んでいるがサラと発音。マドリードの中心部に何軒かあるので動きやすい所で入るとよいですね。日本より値段はかなり安いです。

<ZARA/サラ >

マドリードショッピングサラ
筆者撮影

写真下:PULL&BEARもZARAグループの姉妹ブランド。こちらはアメリカンカジュアルに近い品揃えでジーニングカジュアル。

<PULL&BEAR/プル&ベアー>

ショッピング、マドリード
筆者撮影

写真下:BershkaベルシュカもやはりZARAグループの姉妹ブランド。ティーンエイジャー向けの男女のストリート・ファッション・ブランド。

<Bershka/ベルシュカ>

マドリードショッピング
筆者撮影

写真下:Camperはスペインのシューズ・メーカーで日本にも進出している。履きやすいレザースニーカーが有名でメンズもレディスも定評がある。

<CAMPER/カンペール>

マドリードショッピング
筆者撮影

個人商店の靴屋もあって掘り出し物が見つかるかも。

ショッピングマドリード
筆者撮影

 

写真下:Desigualデスイグアルも市内に何軒も有るスペインブランド。かなり派手な色のシャツやジャケット等個性的なデザインのものが見つかる。デスイグアルが有るのがカジャオ広場でその先の大通りがグランビア通り。

<Desigual/デスイグアル>

マドリードショッピング
筆者撮影

ここまで来たらカジャオ広場に到着。

地下鉄(メトロ)のカジャオ駅(Callao)の向こうに見える大通りがグラン・ビアGran via通り。カジャオには地下鉄3号線と5号線が乗りいれ。

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影
ソルからカルメン通り(プレシアードス通りとほぼ平行してカジャオ広場へ)

<カルメン通り>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

 

下の地図は同じくソルからカジャオだがカルメン通りから。ほぼ平行にプレシアードス通りがあるので気に入ったお店を見ながらあっちやこっちへ行きながらお買い物を楽しむと良いですね。

カルメン通りに入るとすぐにサッカーのレアル・マドリードのオフィシャル・ショップがある。

<レアル・マドリード・オフィシャルショップ>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

写真下:スペイン・ブランドの中で日本未上陸のトゥルッコ。サラやマンゴより少しだけ大人ブランドでレディスファッション。ワンピースやブラウス等可愛いデザインの物がそろう。

<TRUCCO/トゥルッコ>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

写真下:マンゴはプレシアードス通りと同じ店舗のカルメン側入り口。

<MANGO/マンゴ>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

カルメン通りは靴屋が多く安価なスペインの靴が沢山。スペインは靴の生産国です。気に入ったのが見つかれば絶対お買い得。

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

ロキシタンはフランスのブランドですがスペンでも人気。シャワージェルやシャンプー、トリートメント等。

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

サラとベルシュカはプレシアードス通りの同じ店舗のカルメン通り側入り口。

<ZARA/サラ、Bershka/ベルシュカ>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

個人商店の靴屋が沢山あります。日本にないような綺麗な色の皮の靴が安い。

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影
マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

フランス系の音楽CDと書籍のFnac。カメラのメモリーや電子機器なども揃う。

<Fnac/フナック>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

エル・コルテ・イングレス(地元デパート)のカジャオ店。ここは最上階に行くと高級食材とフードコートが入っている。景色が良いので登ってみることをお勧めする。

<エル・コルテ・イングレス・カジャオ店>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

 

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カジャオからグランビア通りを右に行ってみる

カジャオ(Callao)3号線の地下鉄の入り口の向こうはグランビア通り

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

カジャオ広場からグランビア通りを右に行くとファスト・ファッションの大型店舗が続く。

カジャオ広場から右に行くとすぐにH&M

<H&M/エイチ&エム>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

グランビア通り道の反対側には大きなZARAこの並びに大型ファストファッション店舗が並ぶ

<ZARA / サラ・グランビア店>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

サラの並びにマンゴ、プリマーク、H&Mと大型ファストファッションブランドが並ぶ。

マドリード中心部ショッピング
筆者撮

 

写真下:プリマーク(英語プライマーク)はアイルランドの激安ファストファッションで日本未上陸。もと劇場だった建物6階全てプリマークで何でもびっくるするほど安い。

<PRIMARKプリマーク、グランビア店>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

写真下:カサ・デ・リブロは大型本屋、マドリードで一番大きな本屋です。プリマークのグランビアをはさんで向かい側にある。ここに来れば大抵の書籍は見つかる。スペイン語で漫画を見たいならここの地下に漫画コーナーがある。

<Casa de Libro/カサ・デ・リブロ>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影
カジャオ広場からグランビア通りを左へ

カジャオ広場から左へは下り坂でスペイン広場迄5分くらいで到着。

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

カジャオ広場からグランビア通りをスペイン広場迄650メートル下り坂。ここは劇場と飲食店が多い。

カジャオ広場からスペイン広場迄のグランビア通り約600メートルは劇場が多くなる。カジャオ広場から横断歩道を渡ってグランビアをスペイン広場方面へ歩いてみる。

GEOXジオックスは呼吸する靴で有名なイタリア発のレザースニーカーのメーカー。靴の裏部分の特殊技術で汗などを外に出すが水は中に入ってこない。

<GEOX/ジオックスグランビア店>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

カンペールは先ほどのプレシアードス通りに比べるとグランビア店は比較的すいている。

<CAMPER/カンペール、グランビア店>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

靴屋が続きこれはアルパラガタスはブラジル発の大衆的シューズメーカー。日本の草履をヒントに作られたそう履き心地抜群のリラックス型シューズ。ハリウッドのスターたちが履いている。

<ARPARGATUS/アルパルガタス、グランビア店>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

クラークスは英国発の歴史あるシューズメーカー。最高の履き心地で有名。

<Clarksクラークス、グランビア店>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

 

道路の反対側にはアトゥレティコ・マドリードのオフィシャル・ショップ。サッカーファンなら知っているマドリードの地元人気チームのオフィシャルショップ。

<アトゥレティコ・マドリード・オフィシャルショップ>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

この辺りは劇場が多くミュージカルやバレエ、コンサートが一年中行われている。ライオンキングはマドリードでも人気でロングランしています。切符はかなり前に購入しないと取れません。

<ライオンキング、グランビアの劇場>

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

グランビア通りから奥の背の高いビルがあるところがスペイン広場。

マドリード中心部ショッピング
筆者撮影

スペイン広場まで行くと地下鉄10号線、6号線、3号線が通る。

ソルからオペラ方面アレナル通り

ソル広場から王宮やオペラの方面へ行くならアレナル通りの歩行者天国をショッピングしながら行ける。解り易いようにもう一度ソルへ戻ってみる事にする。

マドリード中心部
筆者撮影

時計台の建物を背中側にして左を見ると道は二つある。写真下の建物の右側の通りがアレナル通り=Calle Arenalで歩行者天国になっていてオペラ座やマドリード王宮迄徒歩10分程の距離。

マドリードショッピング
筆者撮影

 

地図はソルからアレナル通りをオペラまで


アレナル通りに近づくと白い柱の上にマリブランカの石像。この先がアレナル通り。

マドリードショッピング
筆者撮影

レザースニーカーのカンペールがある。

マドリードショッピング
筆者撮影

PRONOVIAS/プロノビアスはスペイン発のウエディング・ドレスのショップ

マドリードショッピング
筆者撮影

Desigualデスイグアルはカジャオ広場にもあるスペイン・ブランドの個性的で派手なファッション。

マドリードショッピング
筆者撮影

Women`s secretウィメンズシークレットはスペイン・ブランドの女性用の下着や水着ショップ。日本未上陸です。

マドリードショッピング
筆者撮影

APLAUSOアプラウソはマドリードに何軒かある靴ショップ。様々なメーカーの物がそろう。

マドリードショッピング
筆者撮影

教会の横に時代を感じさせる古本屋が有る。この通りがサン・イネス通りで有名なチョコラーテ・コン・チュロスの店サン・イネスはこの古本屋の通りを入ったところにある。

マドリードショッピング
筆者撮影

写真下:通りの突き当りの建物がオペラ座でその向こうにマドリード王宮がある。

マドリードショッピング
筆者撮影

最後に


マドリードの中心部ソル広場界隈でのショッピング通りを紹介しました。この辺りでほとんどのスペイン・ブランドのお買い物できますね。殆どの店舗が日曜日と祝日も営業し、お昼休みも無いので非常に便利です。

営業時間:10時~22時、日祝:11時~21時(店舗により多少違う)

1月1日、1月6日、5月1日、12月25日、は休業。

観光客を狙ったスリがいますのでくれぐれも盗難に注意してお買い物を楽しんでください。

 

マドリードで噂のイタリアン・レストラン「ドン・ジョバンニ」へ行って来た

 

スペインで美味しいイタリアン・レストランは以前は希少価値だった。地中海をはさんで向かい側の国なのにパスタの文化がスペインには無いのだ。マドリードでイタリアン・レストランに入ってパスタを頼んで失敗するケースが続出だったがここ最近本格的なイタリアンが増えて来た。最近は何軒か美味しいパスタが頂けるレストランがあるが今日は最近マドリードで話題になっているシチリア人の経済学者が経営するイタリアン・レストラン、ドン・ジョバンニに行って来た。

ドン・ジョバンニ・イタリアン・レストラン


イタリアン・レストランのシェフは経済学者

オーナーシェフはシチリア島出身の経済学者アンドレア・トゥルバレーリョ氏。パスタの原料こだわり材料はイタリアまで買いに行くそう。さらに卵は重要と丁寧な業者を選んで購入しているという事だ。数学者らしくレシピの数字を守れば必ず美味しくできるという考え方で丁寧に数字に従って作っているらしい。

ドン・ジョバンニ

ドン・ジョバンニ・レストラン入り口は普通のスペインにどこにでもあるバル・レストラン風。場所も普通の市内の住宅街なので特に用事が無ければわざわざ来ない地区だ。

ドン・ジョバンニ・レストラン
筆者撮影

14時に予約をしたが早めに到着した。実は当日朝レストランから予約の確認の電話がかかって来て驚いた。13時半ころ、開店早々でまだどなたも来ていませんが今日も満席だそう。今のうちにレストランに了解を得て店内の写真を撮らせていただいた。

ドン・ジョバンニ・レストラン
筆者撮影

かなり広い店舗でざっくり見て100人くらいは座席があるでので想像していたのより随分大きなレストランだ。20席位の厨房が見える個室もあるという事。

ドン・ジョバンニ・レストラン
筆者撮影

ではいよいよ注文しましょう。メニューの表紙はオーナー、アンドレア氏の似顔絵。奥の壁にも額に入った似顔絵がかかっている。

ドン・ジョバンニ・レストラン
筆者撮影

まずはワインを頼む事に。シチリア出身のシェフなのでシチリア・ワインのリーズナブルな値段の物をお願いした。スペインでは20€位の所が普段飲みの値段(お財布具合で皆さん違いますが)でこれは18€。スペイン語で言うなら「Una botella de vino tinto recommendable de Sicilia,con un precio adecuado, por favor」となる。

 

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

シチリアのワインはあまり知られていないが結構美味しい。

ワインと一緒にアペリティボが出てきました。パリパリのパンはサルデーニャ島のパンでパーネ・カラザウ、下にハムが置いてある。スペインだとパンの上にハムだねと言いながらいただきました。他のテーブルを見ると別のアペリティボのテーブルも。

レストラン・ドン・ジョバンニ
筆者撮影

メニューにない「fuera de carta」「フエラ・デ・カルタ」をヘッドウェイターが口頭で。言われるままにおすすめの前菜「ブッラータ」「Burrata」という水牛のチーズを注文。ブッラータはフレッシュチーズでモッツァレーラの仲間。モッツァレーラ・チーズの中に更に中に生クリームを押し込めて袋詰め(本来はツルボランの葉)した濃厚なチーズ。

滅茶苦茶美味しいですが濃厚過ぎて2人では辛かったが、ほぼ完食。

<ブッラータ・チーズは2人でシェアー>

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

シェアーはスペイン語で「compartir」=「コンパルティール」

スペイン語で注文すると「vamos a compartir una de Burrta entre dos」となる。

パンいりますかと聞かれたので「Si」と答えると今度はピザ地のパンでニンニク風味のオリーブオイルがかかっている。想定外のパンでイタリアのどの地域のパンなの分かりませんが美味しかったです。

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影
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パスタはレストランお勧めの「イカとアサリのリングイーニちょっとピリ辛」「linguine con calamares y almejas un poco picante」と夫はやっぱりスパゲッティーはトマトソースに限ると「スパゲティー・ボロネーゼ」「espagueti bolonese」を注文。

<イカとアサリのリングイーニちょっとピリ辛>

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

<スパゲッティ・ボロネーゼ>

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

予定ではこの後お肉を注文するつもりでしたがお店の人に止められてやめて良かった、もう不可能でした。周りの人達も前菜にサラダ、メインにパスタ、その後デザートやコーヒーで終了の人が多かったです。

デザートにティラミスをひとつだけ注文しました。

<デザートのティラミス>

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

精算は合計で78,30€、チップは3€おいてきました。スペイン語で清算は「la cuenta ,por favor」「ラ・クエンタ、ポルファボール」

 

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

パスタのレベルが格別でした。ピザも美味しいらしいのでまたリピートします。今話題のイタリアン・レストランなので行く方は予約必須です。

ドン・ジョバンニ・レストラン・データ

場所はレティーロ公園の南側、アトーチャ駅から少し東の方へ移動したところ。アグマール・ホテル近く。

住所:Paseo de la Reina Cristina 23,Madrid

電話:91-434 8338

時間:13:30~16:00/20:30~0:00

月曜日定休

<レストラン公式ページ>

http://www.dongiovanni.es/

<レストラン地図>

 

ブエン・アプロベッチョ~