グアダルーペの正式名称はサンタ・マリア・デグアダルーペ、ポルトガルと国境を接するエストレマドゥーラ州はスペインの西部地域。広大な高原地帯に樫林が続く雄大な景色の中動物たちが放牧されている。のどかな風景に突然現れる巨大な建物がグアダルーペの修道院だ。小さな街には大きすぎる修道院で全スペイン語圏の守護聖母マリアが今も信仰の対象となっている。日本からの天正遣欧使節団も滞在したカトリック信仰上重要な街がグアダルーペ。スペインの魅力は各地域の独特の景色や田舎の小さな素朴な街にある。エストレマドゥーラは地味ながら綺麗な小さな街が沢山残る。サンタ・マリア・デ・グアダルーペを紹介します。
サンタ・マリア・デ・グアダルーペ
エストレマドゥーラ州、カセレス県、人口2500人、標高640メートル。マドリードから250キロ。近くにカサレスやトゥルヒージョ、プラセンシア等綺麗な小さな街がある。グアダルーペの街の名前はアラビア語で隠れた河。グアダルーペの街の名前は正式にはサンタ・マリア・デ・グアダルーペ。メキシコにも聖母の出現があったグアダルーペ寺院がある。
伝説
ヒル・コルデロという名の牛飼いが大切な牛が1頭足りない事に気が付いた。深い森の中を何日も探していると樫の木の下に既に息絶えた牛が横たわっていた。せめて皮でも取って帰ろうと羊飼いはナイフを取り出し牛の胸に十字の切れ目を入れた。すると牛が突如生き返り立ち上がった。驚く羊飼いの前に今度は聖母マリアが現れ「怖れるな。我は神の母。村に戻り村人に告げこの場所を掘らせなさい。」牛飼いは言われた通り村に戻り疑う村人を連れ聖母の現れたところへ戻った。村人たちを連れてその場所を掘るとそこに美しい聖母の像が現れた。羊飼いと村人はそこに石を積み上げて小さな祠を作った。それがグアダルーペの修道院の始まりとなる。
黒いマリア
肌が茶色いマリアは実はいくつも存在しその起源をケルト信仰と結び付ける説もある。又は聖書外典に聖母が「私は褐色、そして美しい」で始まる詩編がある事などから肌が茶色いマリアが有るとされる。カタルーニャにあるモンセラ修道院やマドリードのアルムデナ大聖堂のマリア像も褐色、テネリフェやサラマンカ県のカボコのマリア像等褐色のマリアは他にも存在するがグアダルーペのマリア像は黒い。グアダルーペのマリア像がいつ誰の手で作られたかは定かではない。一説によると聖ルカが彫りセビージャの大司教へ贈ったという。8世紀スペインにイスラム教徒が来た時に教会の僧侶たちが大切なものを異教徒から守るために山奥の洞穴や土の中に隠した。もちろんその中にマリア像があった。時は流れ長い年月の間に忘れ去られ牛飼いに発見された。発見の話は忽ち人々の間で広まり国王の耳に入った。1340年噂を聞いたカスティージャの国王アルフォンソ11世がグアダルーペのマリアに祈るとその直後のサラードの戦いでイスラム教徒を撃破。感謝の祈りをささげここに壮大な修道院を築くことになる。それ以来歴代の国王に崇拝されるマリアとなり対イスラムの守護聖母として信仰され民衆にあがめられることとなる。
15世紀から17世紀には巡礼地となり最後のイスラム王国グラナダを陥落させたスペインの絶対的な信仰の対象となる。コロンブスも大航海の前にグアダルーペのマリアに加護を祈り到着したカリブ諸島のひとつにグアダルーペと名付け新大陸でのキリスト教化の象徴ともなった。新大陸から連れてこられたインディオ達は修道院の前のサンタマリア広場の噴水で最初の洗礼を受け、旅の無事を感謝したコロンブスはグアダルーペに巡礼をした。サンティアゴ・デ・コンポステーラの聖ヤコブやサラゴサの柱のマリアと同等のスペインのレコンキスタの象徴。
修道院には医学学校や病院、図書館、学校等が併設され学問の分野でもスペイン中に知れ渡っていた。その図書館だった建物が現在はパラドールになっている。
衰退
18世紀になりスペイン帝国の衰退とともにグアダルーペ修道院も衰退を始める。19世紀にはナポレオン率いるフランス軍がスペインに入って来た時グアダルーペの修道院も略奪に逢い大半の財宝は失われた。
フランシスコ会による再建
廃墟化したグアダルーペ修道院を再建したのはフランシスコ会の修道士たちだった。1908年彼らはここに住み修復を始める。今も10人のフランシスコ会の修道士が生活している。
教会
14世紀の修道院創設の時からある教会。主祭壇の中央に聖母マリアが祭られている。18世紀に内部は手が加えられた。教会だけなら無料で入れる。
修道院見学
見学は40人位の人数が集まってから修道院のガイドが各部屋の鍵を開けたり閉めたり誘導しながら約1時間ほどで見学、スペイン語のみ。中庭のみ写真撮影可能。参事会室に108冊の聖歌本、一冊の重さは48キロ~50キロでヒラトリオというぐるりと回る台に載せてゆっくり動かしながら聖歌をうたった。旧食堂には司祭服の展示、中のひとつはイサベル女王の時代の物。絵画彫刻展示室にはペドロ・デ・メーナののエッコホモ像、象牙のキリスト像、ゴヤの小作品で「獄中の懺悔」、スルバランやエルグレコ等素晴らしいコレクションが展示されている。聖具室にはスルバランの聖ヒエロニムスの生涯や修道士たちを描いた11点。最後に階段を登って行くとカマリンという小さな部屋へ。修道士の説明で壁のルーカジョルダノの絵画や周りの旧約聖書の勇敢な女性達の彫刻の話の後奥の部屋の扉があく。グアダルーペのマリア像がくるりと回り聖母の祈りが始まる。信者の皆さんは銀製のマリア像にキスをするが遠慮しても大丈夫。
内部は写真不可、中庭のみ写真可。
宿泊
街にはオスタルや簡易の宿泊施設が沢山あるのでお祭りの時でなければ着いてから探してもいくらでもありそう。
グアダルーペのパラドール
修道院から坂道を上ったところにあるパラドールは14世紀頃は学問の中心だった。15世紀に巡礼者の病院として使われていた建物。
内部は綺麗に改装されていて快適。スタンダードのダブルルーム。
バスルームは大理石で広々していた。
お庭に向かってテラスが付いていたのでビールで乾杯
カーテンも素朴な模様で部屋のムードとよくあっている。
お部屋にはグアダルーペのマリアのセラミック
回廊は修道院のようなムード
お庭もあって夏の夜は外のお食事が素敵です
私たちが泊まった日はギターの演奏があってテラスから楽しめた。
オスペデリア・デ・モナステリオ
修道院の一部が2つ星のホテルになっている。今回は私たちはパラドールに泊まったが見に行ったらとっても親切に案内してくれた。2つ星なので躊躇したがパラドールと遜色ないように見えたので次回はこちらに泊まってみたい。値段がパラドールより3割ほど安いのでお買い得だと思う。
オスペデリア共有部分。
寝室は質素だが綺麗でお部屋も充分広い
バスルームもバスタブ付き
大きなバンケット会場は結婚式やパーティに使える。
バンケット会場にかかるタペストリー。タラベラ焼きの壺なのか綺麗な焼き物が並ぶ大きなタペストリーはいつの時代の物なんだろう。
壁にグアダルーペのマリアのセラミックがかかっている。
行き方
マドリードの南バスターミナル(estacion sur de autobus)から毎日朝8時と午後15時の2回。運行スケジュールは変更が有るので必ず確認してください。