ヒエロニムス・ボス(ボッス)は現オランダの「ス・ヘルトーヘン・ボス」で生まれた画家。実は生年や画家の詳しい生涯についてあまりわかっていない。イタリアのレオナルド・ダビンチとほぼ同時代の画家だ。後にサルバドールダリ達のシュルレアリストたちに絶賛され見直された画家である。現存するボスの真筆とみなされているのは25点ほどの油彩画と20点余りの素描のみ。ヒエロニムス・ボスの作品と謎に迫ってみた。
ヒエロニムス・ボス(1450?~1516)
ヒエロニムス・ボスの生誕地
ボスは現在のオランダにあるス・ヘルトーヘン・ボスという小さな街で生まれている。グーグルマップで調べてみるとアムステルダムから88キロほど南に下った車で1時間の街だ。
ヒエロニムス・ボスの生きた街は現在人口14万人程でオランダの北ブラバント地方に属する。当時は毛織物産業で豊かに繁栄しておりブルゴーニュ公国に含まれた。祖父も父も画家の家系で父親の兄弟も画家だった事が解っている。
イタリアではルネッサンス時代に入り絵画では遠近法が確立しレオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)がヘリコプターを飛ばそうとしていた時代にヒエロニムス・ボスは想像を超える魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界を描いている。
今から500年も前のヨーロッパ、神が世界のすべてを支配していた。闇の中には悪魔たちが今よりも身近にいたに違いない。町のゴシック教会には多くの魔物が彫刻されておりこれらは人々に地獄の恐ろしさを感じさせていたはずだ。イタリアでルネッサンスの画家達がこの世の春を謳歌している頃、アルプスの北ネーデルランドでは神秘的なゴシック主義の作品が好まれグロテスクな悪魔が人々の生活を支配していた。
<ブルゴーニュの教会のガーゴイル達>
ヒエロニムス・ボスの時代に既にボスは人気画家で工房を抱え弟子達を使って制作していたようだが多くの作品が後の宗教改革や戦争で壊されているのは残念だ。ボスの時代に工房作だけではなく追従者や偽物が既に出回っていたらしい。ボスは当時それくらいの人気画家だったという事だ。
同時代のネーデルランドの画家に「ヤン・ファンアイク」「バンデル・ウェイデン」「ピーター・ブリューゲル」がいる。
ヒエロニムス・ボスの生涯
ボスの生涯は不明な部分が多く生年も正確にはわかっていない。断片的な事実を組み合わせ、想像の中である程度の事が判っているのみなのだ。
ヒエルニムス・ボスは画家の家系に生まれている。正式名はヒエロニムス・ファン・アーケン(Jheronimus van Aken)。通称私たちが読んでいる「ボス」「ボッス」という名前は出生地から来る。ボスは署名をしていない作品も多く、又署名があっても偽物もあり画家の署名がある中で真筆は8点程らしい。
ヒエロニムス・ボスの祖父も父も3人の兄弟たちも全員画家だったが家族達の明確にわかっている作品は残っていない。唯一ボスの生誕地ス・ヘルトーヘン・ボス(s-Hertohenboch)の現大聖堂のフレスコ画の壁画がボスの祖父の物といわれている。
ヒエロニムス・ボスは子供のころから家族の元で修業時代を過ごしておりス・ヘルトーヘン・ボスは当時毛織物産業で賑わった豊かな街だった。資産家の娘と結婚し画家としての名声も手に入れ工房に弟子を持って作成をしていた。
ヒエロニムス・ボスは聖母マリア兄弟会という宗教団体に入っておりそこからの注文の仕事も有った。聖母マリア兄弟会は富裕層や社会的地位の高い人達の集まりだったようでボス本人も教養があり社会的地位が高かったと想像できる。作風からボスはキリスト教異端説や異色の画家説を唱える専門家もいるが敬虔なカトリック信者だったに違いないと私個人的に考えている。
<ヒエロニムス・ボスの葬儀が行われた大聖堂>
1516年に画家ボスはス・ヘルトーヘン・ボスで亡くなりシント・ヤンス大聖堂の聖母マリア兄弟会の礼拝堂で葬儀が行われた。ボス夫妻に子供はいなかった。
ヒエロニムス・ボスの注文主とコレクター
スペイン国王フェリペ2世
ヒエロニムス・ボスの最も熱心なコレクターはスペイン国王フェリペ2世(1527年~1598年)で現在のプラド美術館やエル・エスコリアル修道院、パルド―宮殿に多くのボスの作品が展示されている。
<フェリペ2世ティチアーノ作>
フェリペ2世の手元に来るまで
だがフェリペ2世の時代既にボスは天国の住人だ。フェリペ2世の手元にヒエロニムス・ボスの絵が来るのを知るには少し歴史の知識が必要だ。
フェリペ2世のコレクションの一部はスペイン貴族ディエゴ・デ・ゲバラの持ち物だった。
ディエゴ・デ・ゲバラはスペインの貴族でネーデルランドで生涯の多くの時間を過ごし歴代の君主に仕えた人物。この時代ネーデルランドはスペインの領土だった。ディエゴ・デ・ゲバラはボスの作品を所蔵しており所蔵品の多くはディエゴ・デ・ゲバラの庶子フェリペ・デ・ゲバラに受け継がれた。フェリペ・デ・ゲバラは人文主義者で美術に造詣が有った人物らしい。その死後フェリペ2世が買い取った。
ヒエロニムス・ボスが活躍したネーデルランドはブルゴーニュ公国に含まれる。フランス東部のブルゴーニュ公国は羊毛産業で栄えフィリップ善良公の時代大変な先進地域だった。ネーデルランドを手に入れシャルル突進公の娘マリード・ブルゴーニュが後継者となる。
マリー・ド・ブルゴーニュの結婚相手がハプスブルグ家のマクシミリアン1世。仲睦まじい2人の長男のフィリップ美公(1478~1506)はネーデルランドを統治する。
<マクシミリアン1世とマリ―ドブルゴーニュと家族>
フィリップ美公は後スペインの王女ファナ(別名狂女ファナ)と結婚する人物でスペインにやって来るなり傍若無人の振舞いの末何故か突然死している。麻疹にかかったとも暗殺されたとも言われている。
1504年フィリップ美公がヒエロニムス・ボスに「最後の審判」を注文して前金をボスが受け取っている事が判っているがこの祭壇画が完成したかどうかは不明だ。フィリップ美公の長男カルロス(1500~1558)は後に神聖ローマ帝国皇帝になるが幼い頃のカルロスの摂政マルガレーテ(1480~1530)はボスの「聖アントニウスの誘惑」を所蔵していたようだ。
マルガレーテはフィリップ美公の妹でスペインの皇太子ホワン(イサベル女王とフェルナンド王の長男)と結婚するが半年で未亡人になり祖国へ戻り再婚。再び未亡人となり甥のカルロス(後のカルロス5世)の摂生をした人物。マルガレーテは義理母のイサベル女王と親交があり生涯にわたりお互い尊敬しあっていた。
これらのボスの作品の所持者たちはみんな敬虔なカトリック信者で禁欲的な人々だった。
ヒエロニムス・ボスの生きた時代背景
15世紀末のヨーロッパは戦争が多く病気が流行り世紀末感が漂っていた。オスマントルコがコンスタンティノープルを陥落させ人々は日々震撼とした中で生きていた。魔女や悪魔が信じられており魔女狩りや魔女裁判が行われていた頃だった。
終末観の中で人々はこの世の終わりや最後の審判を恐れていた、又はそれでも地獄を恐れず快楽的な生きかたをする人々を戒める必要があったのかもしれない。
<ヒエロニムス・ボス、最後の審判部分>
スペイン王女ファナがブルゴーニュに嫁いだ時に「ブルゴーニュの民衆の享楽的な生活に驚いた」と記録がある。あまりにもひどいのでファナ王女とお連れたちは修道院に引っ越して暮らしている。
<スペイン女王ファナ1世、狂女ファナ>
意外に思われるかもしれないが当時のスペインは宗教的で禁欲的な国民性でフランドルは快楽的だった。
<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑部分>
終末観が漂う時代に人々の正しい生き方を問う書物が既に書かれていた、人々にそれを視覚的に訴える絵を描いたと考えても不自然ではないと思う。
ヒエロニムス・ボスが描く人間像
ボスが描く醜い人間
それにしてもヒエロニムス・ボスの作品は独特だ。特に人間の醜悪の表情の表現が極めている。神の威厳や崇高性より人間の醜さを多く表現している。同時代の全ての画家が神の栄光を描いていた時代だった。
<ヒエロニムス・ボス、受難>
人間が持つ恐ろしさ、人の心の奥に潜む醜さが漂う。
<ヒエロニムス・ボス、受難>
まるで世の中で一番恐ろしいのは人間だと言わんばかりのグロテスクな表情。
<ヒエロニムス・ボス、受難>
実はこれらの醜い人間たちは全て宗教画の中に出てくる。この作品は「受難」、イエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘を登って行く周りにいる人間たちだ。左から右に移動しながら人々がひどい言葉を浴びせかけているのが聞こえてくるようだ。(このバレンシア美術館の受難は工房作と言われている)
<ヒエロニムス・ボス、受難>
ボスの描く愚かな人間と教訓的作品
手品師又はいかさま師
ヒエロニムス・ボスの描く人間には醜い人間と共に愚かな人々が多く登場する。
<ヒエロニムス・ボス、手品師1494年?1502年?工房説もあり>
右側の赤い服の手品師はカップと真珠の手品を披露しようとしているところだ。すぐ下にいる犬は道化師の恰好をしていて男の腰にぶら下げた篭からフクロウが覗いている。フクロウは邪悪のシンボルだ。
<ヒエロニムス・ボス、手品師部分>
向かえにいる間抜け顔の人物。よく見ると口の中から蛙が覗いており手品のテーブルにも蛙がいる。蛙は汚れや悪を象徴する又は騙される男の愚かさを象徴しているのだろう。
その周りの様々な階級の人間たちの視線はばらばらだ。
<ヒエロニムス・ボス、手品師部分>
騙される男の後ろではメガネの男が腰にぶら下げた財布を盗もうとしている。
愚者の石の除去
<ヒエロニムス・ボス、愚者の石の除去1486年以降>
ヒエロニムス・ボスのこの作品はプラド美術館所蔵の小作品。愚者が頭が悪いのは石が詰まっているからでその石を取り除いてもらっている様子。これは実は当時の馴染のテーマで当時の娯楽に寸劇が上演されていたらしい。左側の男はニセ医者で頭に逆さに被った漏斗(ジョウゴ)は他のボスの作品にも出てくる。逆さの漏斗(ジョウゴ)は偽や倒錯を意味する。
<ヒエロニムス・ボス、愚者の石の除去部分>
ネーデルランドでは「頭の石を取り除く」は詐欺を働くという意味があるという。
これらの作品を見て思うのは今も昔も人間はあまり変わっていない。騙すワルや騙される間抜け、それに対する感じ方や考え方も500年前のヨーロッパも今の日本もそれほど違わない気がしている。
阿呆船又は愚者の船
「阿呆船」又は「愚者の船」と訳された下の作品は現在ルーブル美術館所蔵でトゥリプティクス=三連祭壇画の一部だった。
<ヒエロニムス・ボス、愚者の船 1510-15年頃>
<ヒエロニムス・ボス阿呆船拡大図>
10人の様々種類の人々が小舟に乗って彷徨っているが中央の修道士と音楽を奏でる修道女が上からぶら下がったパンを食べながら歌っている。
<ヒエロニムス・ボス、阿呆船部分>
左下の方では船の外側の飲み物を取ろうとする男を女が壺で殴ろうとしているようだ。
<ヒエロニムス・ボス、阿呆船部分>
上の帆では旗にイスラム教徒の三日月が見えその下に七面鳥が括りつけられているが男がそれをナイフで奪おうとしている。その下の怪しい男は1人で酒を飲んでいるようだ。(写真下)
<ヒエロニムス・ボス、阿呆船部分>
文学に見る阿呆船
実はこのようなモチーフは15~16世紀の北方ヨーロッパの文学や絵画に散見されるようだ。人文主義者セバスティアン・ブラントの寓意詩「愚者の船(阿呆船)」を描いたのではないかという説がある。セバスティアン・ブラントの「愚者の船(阿呆船)」は1494年に発表された風刺小説。
<セバスティアン・ブラントの愚者の船>
愚者の楽園ナラゴニアに向かう愚か者たちの物語。ありとあらゆる階層の狂った人々が一隻の船に乗り合わせ阿呆国ナラゴニアを目指す。欲張りや無作法者や権力に固執する者など当時の教会の腐敗や権力者を風刺した物語。さらにその続編「阿呆女たちの船」がジョス・ド・バードによって書かれこれらの著作が作品の源であると考えられている。
<エラスムスの痴愚神礼賛>
1509年に執筆され1511年に初版が刊行された痴愚神礼賛はネーデルランド出身のデジデリウス・エラスムスがトーマスモアの客人としてロンドンにいた時に書いている。痴愚の女神が当時の人々の生活や聖職者の偽善を風刺した書物。
実は祭壇画だった
最近の研究でこの絵はトリプティクス=三連祭壇画で写真下の「快楽と大食いの寓意」「守銭奴の死」「放蕩息子」は同じ祭壇画を構成していたと考えられている。カトリックの<7つの大罪>と<4つの終わり>を現す祭壇画だった。
<ヒエロニムス・ボス、快楽と大食いの寓意>
中央にあった「カナの婚宴」は現存しておらず「快楽と大食の寓意」と「阿呆船」が左側、右側に「守銭奴の死」そして中央後ろに放蕩息子があったという説があるがいまだ研究者の間では決定的ではないようだ。
<ヒエロニムス・ボス、守銭奴の死>
守銭奴の死はカトリックの7つの大罪のひとつ欲深さを描いたもの。異常な執着を持つ欲深い守銭奴が強欲に富を貯める様と死神がやって来た場面を描く。
<ヒエロニムス・ボス、放蕩息子>
ロッテルダムの美術館蔵の本作品は四角い中に円形の絵だった物が後年に4隅が切り取られ8角形になったと考えられている。ルカ福音書の「放蕩息子」と考える説と「放浪者」と呼ぶ研究者もいる。この絵はトリプティクス=三連祭壇画の後ろ側にあったと考えられている。
ヒエロニムス・ボスの卵と楽器と楽譜
ヒエロニムス・ボスの絵によく出てくるテーマに卵と楽器と楽譜がある。ボスの卵は何を象徴しているのだろう。生命の誕生や原点なんだろうか。またはもっと深い深い醜いドロッとした生々しい何かなのかもしれない。
ヒエロニムス・ボス・卵のコンサート
下の絵は卵のコンサート。1480年頃のボスの初期の作品で現在はフランスのリールの美術館所蔵。卵の中から修道士に導かれた異様な人々が楽譜を見ながら歌っている。
<ヒエロニムス・ボス、卵のコンサート>
左下には楽器を持った動物と修道士からお金が入った袋を盗もうとしている男。その右下には猿が笛を吹いている。左下は卵の下から手が出ていて焼き魚に手をかけているが魚を焼いていたのはなんと猫だ。
<ヒエロニムス・ボス、卵のコンサート部分>
楽譜から生えている木には蛇が巻き付いている。歌っている人物の頭の上に建物とフクロウ。頭にジョウゴを被る男(他のボスの作品にも出てくる)、手前の人物はハープを弾いているようだが顔がゆがんでいるのは聞くも堪えない音なのか。いったいどんな歌を歌っているのだろう。
<ヒエロニムス・ボス、卵のコンサート部分>
実はこの楽譜の音楽は研究されていて15世紀の不敬な愛の歌、人々は神に祈らずに愛の歌を歌っている。卵の右下には紳士が裸の女性とテーブルを共にしている。
<ヒエロニムス・ボス、卵のコンサート部分>
ヒエロニムス・ボス、最後の審判の卵
写真下のヒエロニムス・ボスの作品はウィーンの美術アカデミー付属美術館所蔵で1506年頃(諸説あり)の作品。左から右に物語が展開していく三連祭壇画。
<ヒエロニムス・ボス、最後の審判>
最期の審判はカトリックの人生観で人生を終わる時に裁判が行われ天国か地獄に落とされる。卵は矢に刺されておりそこから生き物の頭と足が出ている。
<ヒエロニムス・ボス、最後の審判部分>
ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑の卵
<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑>
このテーマはボスが描き続けた主題のひとつで3世紀のエジプトで裕福な家庭に生まれた聖アントニウスが財産を捨て荒野で修業を続けた。神に祈る聖アントニウスを悪魔たちがありとあらゆる方法で誘惑しようとする場面だ。11世紀に疫病が流行った時に聖アントニウスに祈ると救われるという奇跡が起こったそうでそれ以来病を治す聖人として崇められた。
この作品は三連祭壇画で左側に修行する聖アントニウスを空高く担ぎ上げ墜落させた。聖アントニウスを助けている赤い服の男性が画家ボス本人という説がある。
<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑部分>
その下に卵と鳥の様な生き物が描かれている。
<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑部分>
ヒエロニムス・ボス、トゥヌクダルスの幻視の卵
<ボス、トゥヌクダルスの幻視・ラザロ・ガルディアーノ美術館蔵>
上の絵はトゥヌクダルスの幻視(マドリードのラザロ・ガルディアーノ美術館蔵)スペイン語ではトンダロの幻視=vision de Tondaloと呼ぶ。工房作と言われているが左上にやはり卵が描かれている。
<ボス、トゥヌクダルスの幻視部分>
卵から黒い煙が上っていて割れた卵の中に人がいる。
*トゥヌクダルス(トンダロ)の幻視は12世紀にアイルランドの修道士が1148~49年頃に執筆した物語。放蕩三昧の若き騎士トゥヌクダルスがある日友人の家に呼ばれ食事をしているときに意識不明になりあの世の淵を体験してとんでもない拷問を受けて改心した。今度は天使が彼を最高の天国がのぞける所に案内し肉体に戻って来た後その体験を口述したという内容。後にダンテの神曲に影響を与えたという物語。
<ボス、トゥルヌダルスの幻視部分>
<トゥヌスダルスの幻視ウィキペディアより一部抜粋>
トゥヌクダルスと天使が先へ進むと氷の張った湖の上に2本の脚、2つの翼、長い首、鉄のくちばし、鉄の蹄の火を噴く獣を見た。獣は魂を食べて胃袋で拷問したのち氷上に魂を産み落とした。・・・・
この物語に出てくる地獄の魔物たちはまさにボスの作品に出てくる生き物達だ。
ヒエロニムス・ボス、快楽の園の卵と楽器と楽譜
写真下はマドリードのプラド美術館にある快楽の園。ボス最晩年(1503~4年頃)の作品だ。スペイン国王フェリペ2世が晩年生活をしたエルエスコリアル修道院の寝室に置いて自分を戒めていた作品だ。この作品だけでも長い記事になりそうな興味深い生き物が沢山出てくる。
<ヒエロニムス・ボス、快楽の園>
左がエデンの園、中央が現生、右側が地獄と理解されているその地獄中にいる卵人間。
割れた卵の中が居酒屋になっている。振り返る男の顔がボス本人ではないかという説がある。
<ヒエロニムス・ボス、快楽の園部分>
卵の下には音楽家たちと楽譜が出てくる。音楽は快楽への入り口、当時の音楽は教会の祈り以外は堕落した快楽への入り口。
<ヒエロニムス・ボス、快楽の園>
リュートの下の楽譜に描かれている音楽は悪魔の音程「トライトーン」だと言う。トライトーンは不協和音で気持ちが不安になる音程、当時教会はトライトーンを禁止していた。楽譜の隣の人物のお尻にまで楽譜があって鼻で笛を吹く生き物が演奏している、何とも不気味な光景だ。
ボスの卵とダリの卵
後のシュルレアリストたちに影響を与えたのがボスの作品だ。サルバドール・ダリの卵はおそらくボスの作品からの影響でダリの様々な作品に卵が出てくる。写真下はフィゲーラスのダリ劇場美術館の卵。
写真下はカダケスにあるダリの家美術館にある卵。
彼らを魅了した卵の魅力はその生命力なのか神秘なのか、又はもっとドロッとした隠微なイメージなのか。スーパーに並ぶ卵の無機質さとはかけ離れている。
ヒエロニムス・ボスが描く生き物たち
今まで見て来たようにボスの時代は地獄や悪魔や恐ろしい生き物が身近にいて伝説や物語が身近にあったに違いない。トゥヌクダルスの幻視の様な恐ろしい煉獄や地獄や拷問、阿呆船や痴愚神礼賛の様な面白い話が他にもあったに違いない。
<ヒエロニムス・ボス、快楽の園部分>
それにしても不思議な生き物たちを無数に描いたボスの果てしない想像力に驚愕する。
<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑部分>
今、目の前に真っ白い画用紙を渡されて一体何を描くことが出来るか、私たちの想像力は本来乏しいのだ。
ヒエロニムス・ボスまとめ
500年も前の絵とは思えない興味深い作品を数々描いたボスだが画家のプライベートな事はあまりわかっていない。もっと多くの作品を残しているはずだが消失したのは残念だ。ひとつの作品だけでも読み解いていくと長い長い記事になるのでここでは画家の全体像を考察してみた。
マドリードのプラド美術館で快楽の園を中心とする10点の作品を見ることが出来る。快楽の園や聖アントニウスの誘惑などはそれぞれでひとつのテーマとして記事にしたいと思案中。