キャンピングカーの週末小旅行、サント・ドミンゴ・デ・シロスのグレゴリオ聖歌とログローニョのお祭り。

リオハのログローニョがお祭りらしい出かけよう、ついでにサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院のグレゴリオ聖歌を聞きに行くのだ~と急に決めて出発した。9月の週末2泊3日私たちのキャンピングカーの旅の記録。

9月15日マドリードからサント・ドミンゴ・デ・シロス228キロ

15時出発。午前中夫の仕事が終わるのを待ちお弁当を作って今回は久しぶりに北に向かうブルゴス街道。あ、今日は土曜日だった。まだ9月の夏休みの人達が出かける時期、お天気は快晴。

ブルゴス街道
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへキャンピングカーの旅

実はもう少し早く出発する予定が充電器探しに時間がかかって遅くなる。探し物をしている時間が私の人生のほとんどだ。

ブルゴス街道をしばらく走ると山、スペインはどちらに走っても山だ、グアダラマ山脈を超えてカスティーリア・レオン州へ。

街道
筆者撮影、キャンピングカーでサントドミンゴデシロスの旅

ソモス・シエラの1400メートルの峠を超えカスティーリア・レオン州に入る、と、突然大雨、それもびっくりする程の豪雨。2分くらいの雨の中を走ったおかげで車が綺麗になった。

街道
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへ

ブルゴス街道から州道に入って途中カレルエガの村へ寄ってみる。スペインの最も美しい村のひとつに選ばれた事があるらしい。サント・ドミンゴ・デ・グスマンが12世紀に創設した修道院がある街。紛らわしいが今日行くサント・ドミンゴ・デ・シロスの聖ドミンゴとは別の聖人。

カレルエガ
筆者撮影、カレルエガ

小さな街に大きな修道院、スペインでは良くある事だけれど村より修道院がうんと大きい。カスティーリア・レオン州はレコンキスタの中心、激戦地域でイスラム教徒から奪い返した土地に教会や修道院が作られキリスト教徒が入植して街を作って行った。丁度エル・シドが活躍した時代の修道院です、が入場はしないで前に進みます。

カレルエガの街
筆者撮影、カレルエガ

 

カスティーリア・レオンはどこまでも平らで大きい。畑が続きぶどうからヒマワリに変わった。

街道
筆者撮影

平らな景色から次第に山に入りまず目指すのはジェクラ渓谷。

街道
筆者撮影

カーブが続いてそろそろかな~と思っていたら突然着いたみたいで標識も案内板も無い。トンネルを越えて行き過ぎてもう一度戻って車を止める。

ジェクラ渓谷入り口
筆者撮影、ジェクラ渓谷

 

戻って行ってトンネルの手前に結構大きな駐車場、もちろん無料。スペインはどこも無料の駐車場が多くて、人を雇うより安いからなのかと思うが、めんどくさいのが本音かも。

ジェクラ渓谷
筆者撮影ジェクラ渓谷

(写真下)BAJADA A LA YECLAバハーダ・ア・ラ・ジェクラ、ジェクラへの降り口の文字が壁に書いてある。ここを右下に降りていく。

ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷

1キロ位に渡ってジェクラ河に浸食された渓谷に遊歩道が作られている。

ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷

大人ひとりがやっと歩けるほどの幅の切り立った崖になっているが遊歩道なので歩くのは普通の靴で問題ない。向こうから人が来たら少し広い所ですれ違う。

ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷
ジェクラ渓谷
筆者撮影、ジェクラ渓谷

最期まで歩いて約15分くらい、帰り道は上に登ってトンネルの中を歩くものありだけど同じ道を戻る事にしよう。近くを歩いていた人達もどうやら同じ考えみたいで戻って来た。もうここから目指すサント・ドミンゴ・デ・シロスは3キロほど。

サント・ドミンゴ・デ・シロスへの街道
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへ
<サント・ドミンゴ・デ・シロス>

ブルゴスから60キロ程南にある小さな街。元々修道院が有ったようだが10世紀にコルドバのアルマンスールにより破壊され街は荒れ果てていた。11世紀にリオハのサン・ミジャン・デ・コゴージョの修道士ドミンゴによりこの荒廃した修道院は修復された。19世紀の永代財産解放令により再び荒廃したがフランスからのベネディクト会の修道士たちがやって来て再び修道院は復活し今に至る。

 

サント・ドミンゴ・デ・シロスの街の手前に無料の駐車場、ここに車を止めて城壁沿いを3分程歩いていく。

サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロスへ

ここで有名なのは修道院のロマネスク回廊とグレゴリオ聖歌のミサ。ロマネスクの回廊は今日はもう閉まっているのでサン・セバスティアン教会へ。19時30分のミサが始まるので早速入りましょう。中は残念ながら写真は禁止。ミサは参列者が随分がいたが私たちの様な観光客っぽい人が多く途中で出ていく人も。20人程の修道士たちはそんな事全く気にしていない、というかまるで誰も参列していない様な独特の世界を作り上げていてグレゴリオ聖歌のミサは執り行われた。私が知っている教会のミサとは違って司祭がワインを飲んだり参列者に聖体拝領も無いミサだった。

 

シロスのサンセバスティアン教会
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

夕食はお弁当の残りで済ませ夜のミサは21時。昼間と違って地元の人が多く静かなミサ、夕刻のミサとは別のグレゴリオ聖歌が歌われやはり修道士は20人ほど。同じく参列者の事などは気にしていなくワインも聖体拝領も無い、ミサのやり方は少し違って香炉の煙を最初に修道士たちに向けて、その後参列者の方にも。なんだか有り難い感じでした。

夜の教会
筆者撮影、シロスのサンセバスティアン教会

9月16日 サント・ドミンゴ・デ・シロスからログローニョへ199キロ

早朝のミサは6時から。夫は昨日から行かない宣言していたのでひとりで行って来た。私を入れて6人の参列者で祭壇の方に手招きされた。私以外の来ていた人達は慣れた様子で前の祭壇の聖歌隊席へ進んでいく。私は遠慮しようとしたら再び手で招かれたので仕方なく祭壇の方へ進んで修道士の方々と同じ聖歌隊席へ上がった。「日曜日の早朝だから?「」何が始まるの?」と心臓の音が教会中響くんではと思うほどドキドキした。誰にも質問も出来ず誰も何も話さない、聖歌が書かれた紙を渡されて約1時間程のミサは進行して分からないまま歌を歌った。音が頭の中をぐるぐる回り独特の感覚、一生忘れない体験になった。教会を出た後も頭の中でグレゴリオ聖歌が鳴っていた。

次のミサも参加しよう次は9時から、と思っていたら8時だったみたいで行ったら終わっていた、これは残念。仕方ないのですぐそこの丘に登って行く。(修道院のホームページと実際の時間が違ったので行く方は再度現地で最確認してください。教会の入り口内部に書いてあります)

サント・ドミンゴ・デ・シロスの丘へ
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

登り坂に十字架が置いてあってゴルゴダの丘の再現なのかもしれない。丘の上には小さな礼拝堂と聖母像が有った。

筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

10分くらい登ると丘の上から街が見渡せる。街より修道院の方がうんと大きい。

丘の上から修道院
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

次のミサは11時、ネット上は12時になっていて危うく見逃すところ。日曜日の11時のミサの参列者は地元の人が多く静謐なムードで行われた。ワインも聖体拝領も寄付金の袋も回って来る長いミサだった。毎日ことごとく決まりに従って行われていて1年間位通ったら色々な事がわかるかも、と思った。4回ミサに通って毎回歌われるグレゴリオ聖歌は違ってミサのやり方も違い決まりに従って荘厳に執り行われた。マドリードに戻ってこれを書いているが頭の中でまだグレゴリオ聖歌が鳴り続けている。

 

ミサが終わり次はロマネスクの回廊を見に行く。修道院の回廊は日曜日は12時から13時半までしか見れない。ミサが終わって直ぐに回廊の方へ移動したらもう既に沢山の人が入った後のようだった。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

スペイン語で説明を聞きながらここの修道院のガイドさんと回る。この回廊は以前2度来ているが大抵の修道院やお城のガイドさんの説明は人によってかなり違って当たりはずれがある。日本の様なマニュアルなんてないと思う。そしてここはあまり面白かった記憶が無い。というかよく意味が解らなかったナ~と思いながら順番が来るのを待った。ミサに出ていた若い修道士のひとりが私たちの担当の様で案内されクラウストロ(回廊)に20人くらいで移動。外国人(英国人?)に丁寧に「説明はスペイン語なので自由に回って貰っても大丈夫」と英語で言っていた。最近の修道士は英語もうまいんだと感心、語学留学とか行ったんだろうか。そして説明は面白かった。修道士目線で、でも堅苦しくは無くて興味深く言葉に心が通っていた。

サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

ここの回廊の彫刻家の名前はわかっていない。2人の別の人物=マエストロによって創られ最初のマエストロの方が技術的に素晴らしい。

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

写真下は有名な「エマオの道」12世紀とは思えない技法で衣装の透明感やイエス・キリストの振り返った感じや話しかける弟子の動きなどが素晴らしい。瞳には石が入っていたそう。

サント・ドミンゴ・デ・シロス回廊
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院

イエスキリストの埋葬と聖トーマスがキリストの傷に指を入れる場面

サント・ドミンゴ・デ・シロスの回廊
筆者撮影、サント・ドミンゴ・デ・シロス

午後のミサに行くか少し悩んだ、がもういい事にしてお昼はラーメンです。グレゴリオ聖歌とラーメン、えらいギャップです。

キャンピングカーでラーメン
筆者撮影、キャンピングカーでラーメン

さてログローニョのお祭りへ行きましょう。ここから175キロ、ぶどう畑が続く中をドライブ。

 

ぶどう畑
筆者撮影、シロスからログローニョ

リオハ州はログローニョ県しかない小さな州でもちろんリオハのワインの産地。

ログローニョへの街道
筆者撮影、シロスからログローニョ

秋のぶどうの収穫祭サン・マテオ祭り、サンマテオの日は9月21日で一番盛り上がるらしいが仕事が有るので仕方がない明日は帰る。泊まるところはあらかじめ夫のキャンピングカーの旅のバイブル=FURGOで調べた川の横の大きな無料駐車場。キャンピングカーも沢山来ていてここに止めた。しばらくしたら満杯になったので早めに来ておいてよかった。

ログローニョ駐車場
筆者撮影、ログローニョ

中心部へ移動したらもうすでに盛り上がっていて太鼓の音で頭の中のグレゴリオ聖歌は消えて心は一気にヒートアップ。

ログローニョのお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

 

太鼓の音は自分の中の原始的な何を奮い立たせる気がする。復活祭に太鼓を夜通し叩く村が有るけど、そこのグループなのか?リオハは太鼓が有名なのかまた調べてみる事にします。

ログローニョお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

 

ムリエタ広場で「煮込み料理が無料」書いてあったので行ったら既に鍋は空っぽ。スペイン人に絶対かなわない事「無料の時の根性」。からっぽの鍋を見てがっくりして次へ移動。

ログローニョお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

ではバル街へ行こう。「ラウレル通り」にバルが沢山あるらしいのでグーグルマップを頼りに行くとすごい人。楽団も来ていてどこのバルも賑やかだ。

ログローニョお祭り
筆者撮影、ログローニョお祭り

「カーニャ」(小さいコップのビール)と頼んだら大きなビールが来た。お店の人に聞いたらマドリードのカーニャはここではコルトと呼ぶらしい。

ログローニョ、バル街
筆者撮影、ログローニョお祭り

ピンチョをいくつか頼んで移動。

ログローニョ、バル
筆者撮影、ログローニョお祭り

3軒目のバルはみんなこれソロミージョを頼んでいた(写真下)。手前は岩塩で焼きピーマンとサラダ付きで3ユーロ60セント。どこもピンチョのレベルが高いのはバスクが近いからに違いない。サン・セバスティアンまで行かなくてもログローニョで充分ピンチョ巡りが楽しめることが分かった。値段も安くてお店の人がみんなとても感じが良くてログローニョ目茶気に入りました。

ログローニョのバル
筆者撮影、ログローニョのバル

明日は平日らしいがお祭りはまだまだ続く。私たちはもう沈没です。歩いて駐車場へ。おやすみなさい。

9月17日、ログローニョからソリア経由でマドリードへ

朝起きたら車が殆ど無くなっていて街はもう動き出していた。お祭り楽しくてまだ今日もいたいけど明日は仕事だ、帰らなければ。

キャンピングカーで泊まった駐車場
筆者撮影、ログローニョ

「エッ?」とビックリしたのはここでハンモックで寝ている人がいた。スペイン人はやらないと思うのでどこかよその国の人?。駐車場でテーブル出したり椅子出したりはスペインでは禁止で警察が来たら罰金です。

ログローニョの泊まった駐車場
筆者撮影、ログローニョ

車はドイツナンバーだけど「ドイツ人ではありません」と書いてあった。ある意味深い。

ログローニョの泊まった駐車場
筆者撮影、ログローニョ

ではマドリードに向かいましょう。ここからはソリアに向かって走って行く。この街道は初めて通る凄い景色だ。

ソリアへ向かう街道
筆者撮影、ソリアへ

山を切り開いて道路が出来ていて山の上に時々村が見え隠れする。

ソリアへの街道
筆者撮影、ソリアへ

そして暫く走るとどこまでも平らになるカスティーリア・レオン。

ソリアへの街道
筆者撮影、ソリアへ

途中ソリアの手前、ヌマンシアに寄って帰ろうと遺跡に登って行ったら今日は月曜日でお休みでした。ヌマンシアはローマ人が来た時に最後まで抵抗して8か月間の籠城戦の後、自ら街に火を付け力尽きた街。以前来たときは入り口は無く勝手に入れた記憶が有るけど有料になったみたい。見るのはその後のローマが作った遺跡だし・・・と負け惜しみ。月曜日はみんなお休みなんです。

ヌマンシアの遺跡
筆者撮影、ヌマンシア

ソリアで少し散策して帰る事にした。いつも通過してしまう街だ。ロマネスクの教会が残っていてここはサントド・ミンゴ教会。

ソリア、サントドミンゴ教会
筆者撮影、ソリア

入り口のタンパンに見事にロマネスク彫刻が残る。しばらくふたりで口を開けて見とれた。

ソリア、サントドミンゴ教会
筆者撮影、ソリア
サントドミンゴ教会のタンパン
筆者撮影、ソリア

ソリアの街の中心部へ歩いてバルで朝食。スペインでは良く食べ物にフォークが刺さって来る。トルティージャ・エスパニョーラとコーヒーで2ユーロ40セント。

バルで朝食
筆者撮影、ソリア

その近くのサン・ファンデ・ラバネラ教会も一部ロマネスク。

ソリア、サンファンデラバネラ教会
筆者撮影、ソリア

丘の上に登って行くと教会が有った。

丘の上の礼拝堂
筆者撮影、エルミータ

ドゥエロ河が見える展望台になっているところから町が綺麗に見えてアントニオ・マチャードに捧げた碑。

丘の上から
筆者撮影、ソリア

アントニオ・マチャードは19世紀の終わりから20世紀の初めのスペインの詩人で生まれはセビージャだがカスティーリア地方の雄大な美しさを詩に書いている。この丘によく登って来たらしい。

ソリアの丘からドゥエロ河
筆者撮影、ソリア

サン・ファン・デ・ドゥエロにはイスラムの影響を受けた回廊が有るらしいがここも月曜日はお休み。サン・サトゥリオの僧院も閉まっているけど1キロ程川のほとりを歩いてみた。

ソリアの景色
筆者撮影、ソリア

修道士サンサトゥリオが瞑想した岩の上に僧院があって中は18世紀のフレスコ画が有名らしい。また機会があれば戻って来ましょう。

ソリア
筆者撮影、ソリア

さあ帰りましょう。ここからマドリードは230キロ程。マドリードで家の近くのテラスで無事帰着のお祝いをして終了。

 

使ったお金ガソリン代70€、その他65€

合計135€

走行距離 554キロ

という私たちのキャンピングカーの旅の記録でした。