メキシコ周遊、メキシコシティーとユカタン半島のマヤ遺跡の旅の記録

メキシコ旅行へ行ってきた。5年ほど前に仕事で周遊して以来、今回もユカタン半島を中心に遺跡巡りの旅。自分の忘備録とコース作りの参考になるかもなので公開しておきます。

メキシコ旅行、メキシコシティー とユカタン半島のマヤ遺跡、旅の記録と一般インフォメーション

メキシコシティー出入国


 

*メキシコビザ:30日以内の観光は不要。

*メキシコ入国時パスポート:入国時点で残存有効期間が滞在日数以上必要。

*メキシコ入国は簡単で機内で配られる書類をパスポートに挟んで入国管理官のところへ。

*質問されたのは「観光できたのか?」だけだった。

*書類の半片を返してくれるので無くさないように。

*出国時にその半片の書類が必要。

*出国時のパスポートコントロールはなく手荷物検査の手前でその半片の書類とパスポート搭乗券のチェックのみ。

 

メキシコ両替事情


*日本からはUSドルを持参がベスト。(一部の両替所以外は日本円の取り扱いはない)

*メキシコシティーの空港で現地通過にある程度両替しておくことをお勧めする。

*↑メキシコシティーの空港の両替が一番レートが良かった。後で足りなくてトゥルムやメリダでも両替したがメキシコシティー の空港のレートが一番良かった。

メキシコシティー空港の到著ロビーに両替屋が並んでいる(写真下)。私は早朝に到着したが既に両替所は沢山開いていた。レートが表示されているので一番いいところで並んで両替を。

100ドル紙幣ならこのレートだが20ドルや10ドル紙幣なら少し悪いというのがあるらしいがとにかく空港のレートが一番いい。

<メキシコシティー空港の両替所>

メキシコシティー空港
筆者撮影

写真下は両替所のレート。1ドルがいくらになるかが書いてあるので数字が多い方がレートがいい。2種類あるのは売りと買いの値段。

<メキシコシティー空港の両替所>

メキシコシティー空港両替所
筆者撮影

 

*地方都市はホテルでも両替え出来なかったしメキシコシティー空港のヒルトンホテルでさえも両替できなかった。

*ドルで受けてくれるところはレートが非常に悪かった。

ということで現金があった方が便利で通過価値も高いのである程度両替えして置きましょう。

*もちろんクレジットカードも使えますが小さなお店や露店は不可。

*クレジットカードでキャッシングする方法もいいと思う。

*クレジットカードを利用するのは大手ホテルなど信頼のあるところのみにした。

↑スキミングや値段の間違いやごまかしを防ぐため(それほど人は悪くなさそうだったが念のため)

メキシコチップ事情


メキシコのはチップの習慣がしっかり根付いている。目安の料金を書いておく。ホテルのメイドさんやレストランなどの人たちの収入が大変低くチップは彼らの生活の大きな一部なので払ってあげましょう。

*レストランは支払った料金の10%〜15%

*ホテルでポーターに荷物を運んでもらったら一個20ペソくらい。

*枕チップ20ペソ

*トイレに人がいたら5ペソ(遺跡や博物館はかなりの確率で必要)

メキシコ旅行その他色々注意事項など


*なるべく乾季に旅行することを進める

*メキシコシティーでは流しのタクシーには乗らない事

*水道水は飲まない事

*屋台の食事は食べない事

メキシコ旅行トイレ事情


*トイレの清潔さはそのお店やホテルのカテゴリーにそのまま直結。

*トイレットペーパーは流さない(ある程度のホテルの客室などは大丈夫だが横に大きなゴミ箱などがある場合はそちらへ。管が細くつまってしまう。

*トイレットペーターを少し手元に持っておくといい=ユカタン半島のトイレ事情は悪くまず綺麗では無く便座がない、トイレットペーパーがない、手を洗う水が出ないもあった。

メキシコ旅行持ち物あったらいい物


*日除け帽子

*日焼け止め

*虫除けスプレー

*貴重品袋(腹巻型や首からかけるタイプ)

*手の除菌アルコールの携帯用。

*リュックやポシェット型のバッグ(遺跡観光は両手が空く方が写真を撮ったりが便利)

*バックパッカーならトイレットペーパーをロールごと少し持ってきてもいいかも。

 

旅の記録ーメキシコ・テオティワカンとユカタン半島の旅の記録


1日目メキシコシティーへ

私はマドリード発イベリア航空メキシコシティー 行き23:55分発.

12月24日の23時55分発のイベリア航空、キャンセルされないか本気で心配したけれど予定通り出発。夜中は南米行きのフライトが中心だった。

マドリード空港たーみなる4
筆写撮影

ラウンジで少し休憩眠ってしまわないようワインも少し控えめにした。メキシコシティー 行きイベリア航空6409便は予定通り出発

機材はエアバス340、ビジネスクラスは窓側1列、中央2列で快適だった。イベリア航空ビジネスクラスの機内ギブアウェイにスリッパなしでした。

イベリア航空メキシコ行き
筆写撮影

大西洋の上を飛び約12時間でメキシコシティー、ニューヨークの上空をかすめて南へ降っていった。

メキシコ旅行
筆写撮影

メキシコシティー入国も出国も簡単だった

メキシコシティーの入国も出国も非常に簡単だ。メキシコシティーに到着して飛行機を降りたら人の流れに従い移動していく。通路の上の警察のマークや荷物のマークに従って進んでいく。(出発はパスポートコントロールさえ無かった)

<メキシコシティー空港>

メキシコシティー
筆写撮影

メキシコシティーのパスポートコントロール=入国審査は外国人とメキシコ人に分かれていて外国人(日本人)はこれ=Extran jeros エクストランヘロの方に並ぶ。

<メキシコシティー空港ターミナル2到着>

メキシコ旅行
筆写撮影

必要なのはパスポートと入国カードのみ。半片を返してくれるので出国時に必要らしく大事に保管。

<メキシコシティー空港ターミナル2到着>

メキシコ旅行
筆写撮影

荷物のところに行ったらもうすでにスーツケースは並んでいた。

<メキシコシティー空港ターミナル2到着>

メキシコ旅行
筆写撮影

メキシコシティー到着してパスポート検査を受けて荷物のところへ人の流れのまま移動。電車もバスもなく迷いようがない。

<メキシコシティー空港ターミナル2到着>

メキシコ旅行
筆写撮影

税関は素通りで税関員と目も合わなかった。そのまま到着ロビーの外へ出ていく。

*時によっては荷物をスキャンしたりスーツケースを開けることもあるようです。

<メキシコシティー空港ターミナル2到着>

メキシコ旅行
筆写撮影

メキシコシティー空港「ヒルトンホテル」ヒルトン・エアーポート・メキシコシティー

合流するお客様が到着するまで私はホテルで休憩。メキシコシティー空港ターミナル1にあるヒルトンホテル。

メキシコシティー空港のヒルトンホテルは空港ターミナル1の8番のゲート(写真下)横からエスカレーターで上に登る。

<メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル>

メキシコシティー空港ヒルトンホテル
筆者撮影

ホテルのHのマークの矢印(写真下)があるので目印にこのエスカレーターを上へ登る。これさえ見逃さなければ簡単です。

<メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル>

メキシコシティー空港ヒルトンホテル
筆者撮影

エスカレーターを登るとヒルトンホテルのロゴが見えてきた。

<メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル>

メキシコシティー空港ヒルトンホテル
筆者撮影

エレベーターで3階で降りたらホテルロビー。チェックインを済ませてお部屋へ。両替はやっていません。

<メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル>

メキシコシティー空港ホテルヒルトン
筆者撮影

メキシコシティー空港ヒルトンホテル、ホテルはこのフロアーのみで写真下はホテル廊下。

<メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル>

メキシコシティ空港ホテルヒルトン
筆者撮影

部屋は質素だが充分快適で清潔。コーヒーメーカーとアイロン、バスルームはバスタブはあるがお湯は貯められないようになっていた。エコロジーか?

<メキシコシティー空港ヒルトンホテルの部屋>

メキシコシティー空港ヒルトンホテル
筆者撮影

コーヒーメーカーで早速いただきました。

<メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル>

メキシコシティー空港ヒルトンホテル
筆者撮影

洗面所は必要最小限のもののみ。スリッパと歯ブラシは必要なら持ってきてくれる、と思う。なんでもエコロジーで無駄なものはない。日本の色々置いてあって全て使い捨てはやり過ぎなんだなと感じる。

メキシコシティー、空港ヒルトンホテル
筆者撮影

私は日本からのANAが着くまで休憩です。


2日目メキシコシティー市内観光

お客様と合流しメキシコシティーの観光へ出発。空港から市内は約30分。

メキシコシティーの中心部はアステカ帝国の神殿があった重要な場所だった。16世期にコルテスが征服後スペイン人たちが建てた建物が残る。

下写真は広場前で清めの儀式をする先住民。20ペソだったので日本円で140円ほどでした。モグサの様な香りの香でパタパタと身体中を清めて最後に螺貝で頭の後ろで音を出して終了でした。

<メキシコシティー、ソカロ広場>

メキシコシティー
筆写撮影

メトロポリタン大聖堂は1563年に着工し1681年完成。スペイン人はどこにでも同じ物を建てるな、と思ったがそれは古代ローマ人も同じだった。

<メキシコシティー、メトロポリタン・カテドラル>

メキシコシティー大聖堂
筆写撮影

内部はバロック装飾で飾られている

テンプロマヨールはアステカ時代の都、ティノチティトランの中央神殿だった。

1913年カテドラルの裏側で地下へ続く階段が発見された。さらに1979年に8トンある石像が発見される。これをきっかけに発掘が始まりここがアステカ帝国のティノチティトランの中央神殿であることがわかった。

<メキシコシティー、テンプロマヨール>

メキシコシティー、テンプロマヨール
筆写撮影

地下の遺跡は祝日で見学できず、残念。

メキシコシティー、シェラトンホテル・マリア・イサベル

メキシコシティーの宿泊はシェラトン・マリアイサベル。レフォルマ通り独立記念塔のすぐそばにあるアメリカンスタイルのホテル。

<メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベルのロビー>

メキシコシティーシェラトンホテル
筆者撮影

部屋はツインのシングルユース。

<メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル部屋>

メキシコシティーシエラトンホテル
筆者撮影

メキシコはどうやらコーヒーメーカーやアイロン台などが標準でお部屋にあるみたいです。部屋でゆっくりお茶を飲んだりできるのは嬉しい。

<メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル>

メキシコシティーシェラトンホテル
筆者撮影

ベッドサイドにはusb充電器が付いていた。これはありがたい。バスルームのバスタブはやはりお湯が溜められなくなっていた。

<メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル>

メキシコシティーシェラトンホテル
筆者撮影

今日はクリスマスでホテルのレストランは1カ所のみ営業、21時には閉まりますということでホテルの1階レストランで夕食。働いている人がみんな陽気で親切で快適な滞在だった。

*今回一番心配したのがクリスマスや大晦日の食事事情だった。旅行会社に問い合わせたがあまり明確な回答がなかった。今日は12月25日だったのでレストランは1つだけ空いていて21時頃には閉まるとのこと。これなら充分でした。

<メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル内レストラン>

メキシコシティーシェラトンホテルレストラン
筆者撮影

ワインはメキシコのワインを頼んだ。なんと1597年創設されたワイナリーというカサ・マデロのワイン3V。1597年ということはスペイン人が入植した頃に創設されたということ。調べてみると南北アメリカで最古のワイナリーだそう。

<メキシコのワイン、カサ・マデロの3V>

メキシコシティーシェラトンホテル、レストラン
筆写撮影

食後はホテルのバーでテキーラをいただくことに。テキーラも色々種類があるらしくバーマンのお兄さんに勧められながら試した。

<メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベルのバー>

メキシコシティー
筆者撮影

3日目テオティワカン遺跡と国立人類学博物館

メキシコシティーのシェラトンホテルの朝食。朝7時からで朝食会場2カ所。今日は2階のイタリアンレストランでいただきました。

<メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベルの朝食レストラン>

メキシコシティー、シェラトンホテル
筆写撮影

果物や野菜、メキシコ料理も揃ったビュッフェ

<メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル朝食レストラン>

メキシコシティー、シェラトンホテル朝食
筆写撮影

果物が豊富なのは嬉しい、パパイヤは最高に美味しかった。

<メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル朝食レストラン>

メキシコシティー 、シェラトンホテル
筆写撮影

テオティワカン

メキシコシティー から車で30分の距離にある遺跡。テオティワカンは紀元前2世紀に建造されたメキシコ最大の宗教都市。テオティワカンは謎の民族が作っていて8世紀に謎の滅亡をしている、アステカでもマヤでもない民族。進んだ数学や天文学の知識を持っていた。

<メキシコ、テオティワカン>

テオティワカン遺跡
筆写撮影

後にやってきたアステカ人たちは巨大なピラミッドを見て驚き「これは神が創ったに違い」ないと信じ彼らの神話の舞台にした。

アステカの言葉でテオティワカン=太陽の都市と呼ばれた、と言われていたが実は最近アステカの文字の解読が進みテオワカンと読むことがわかった。テオワカンなら意味は神々の都市となるらしい。

<メキシコ・テオティワカン>

テオティワカン遺跡
筆写撮影

写真下は月の神殿から太陽の神殿を眺める。月の神殿の方が少し小高くなっていて雨が降ると水は向こうに流れ川に流れ込むようになっている。

真っ直ぐ南北に伸びる道路は東の方角に15度30分傾いている。

2017年に月のピラミッド前の広場から地下にトンネルがあることがわかっているがまだ内部には調査は入っていないという

<メキシコ・テオティワカン>

テオティワカン遺跡
筆写撮影

写真下は神官の住居跡でほぼ完璧に修復されている。月の神殿で祭儀に携わった人物の家であろうといわれている。

<メキシコ・テオティワカン・ ケツァルパパトル宮殿>

テオティワカン遺跡
筆者撮影

<メキシコ・テオティワカン・ケツァルパパトル宮殿>

テオティワカン・ケツァルパパトル宮殿
筆者撮影

こちらはケッツアルコアトル神殿。ケツァルコアトルは羽の生えた蛇を意味し。

*2003年の大雨でケツァルコアトル神殿の前の広場に穴が見つかりそこからつながるトンネルが発見された。レーダーで調査をすると約20メートルの深さに100メートルほどの長さのトンネルがありケツァルコアトル神殿の真下まで繋がっていることがわかった。そこから石像が見つかりさらに調査は進められ3つの部屋にヒスイや黒曜石トルコ石の奉納物がそして後ろ手に縛られた137体の人骨が見つかっている。

<メキシコ・テオティワカン・ケツァルコアトル神殿>

隠れたようにつくられたケツアルコアトル神殿は羽のある蛇の彫刻が周りに沢山あり神秘的な姿を間近に見えて独特なムード。

<メキシコ・テオティワカン・ケツァルコアトル神殿>

 

*テオティワカン遺跡は広大でかなり歩きます。日陰が少ないので帽子は必須

ランチはメキシコシティー市内のEl Fogoncito

エルフォゴンシートは軽くメキシコ料理が食べられるチェーン店のようでこぢんまりとした店舗でタコスやスープがいただける。タコスも色々な種類があった。

<メキシコシティーレストラン、エルフォゴンシート>

メキシコシティーのレストラン
筆者撮影

前菜にソパデトルティージャをハーフポーションで

<メキシコシティーエルフォゴンシート>

タコスを2種類いただきました」。

<メキシコシティーエルフォゴンシート>

 

ソルというビールは日本のビールに似た味だった。

<メキシコシティ、エルフォゴンシート>

メキシコシティー国立民族学博物館

午後は国立民族学博物館へ。メキシコシティーを訪れたら見逃せないポイントのひとつのモニュメント。1964年に建設されたというから驚きだ。メキシコ全土から集められた考古学的・民族史的な物で埋め尽くされた博物館はとても1日では堪能できない。

<メキシコシティー国立民族学博物館>

 

写真下はかつてのメキシコシティー 、アステカ帝国の首都の姿。湖上に浮かぶティノチティトランから道が伸び街には市があり繁栄していた。この上に今のメキシコシティー中心部、大聖堂などが造られている。

<メキシコシティー国立民族学博物館のティノチティトランの想像図>

 

アステカカレンダーと呼ばれる巨大な円盤。メキシコシティーの中心部の大聖堂の修復工事中に発見された。

<メキシコシティー、国立民族学博物館>

 

マヤ室にはパレンケのパカル王の墓の複製。墓自体は今もパレンケのピラミッドの地下に眠るがヒスイのマスクと副葬品はこちらが本物。

<メキシコシティー、国立民族学博物館>

発見された時はバラバラになっていた物を調査研究の末付け合わせた。王の口の中にもヒスイ。マヤではヒスイは最も高貴なマテリアルだった。

<メキシコシティー、国立民族学博物館。

 

この博物館にはトルテカ室やオアハカ室などに分かれていてそれぞれの文明の神殿や彫刻が展示されていて1週間くらいかけて回りたいと思った。

国立宮殿でディエゴ・リベラの壁画を見る

メキシコシティーの歴史地区にある国立宮殿はアステカを滅ぼしたエルナンコルテスが自身の宮殿として作った建物。コルテスはここにあったアステカの皇帝の居城を壊して建築した。

入場にパスポートなどの身分証明書が必要

<メキシコシティー、国立宮殿ディエゴリベラの壁画>

宮殿の正面階段壁面にディエゴリベラが10年をかけて描いたメキシコの歴史が描かれている。

<メキシコシティー、国立宮殿ディエゴリベラ壁画>

 

夜はホテル近くのショーがあるレストランへ。マリアッチや踊りなどを楽しみながら食事をした。ショーの料金は少額で食事代で楽しめ、見に来ていたのは地元のメキシコ人ばかりだった。

<メキシコシティーのショーレストラン>

 

4日目メキシコシティーからビジャエルモサ〜ラ・ベンタ野外博物館〜パレンケ


今日はユカタン半島へ移動。メキシコシティー・ベニートファレス国際空港へ。市内から空港は約30分ほどで到着。アエロメヒコは空港ターミナル1から出発、チェックインを済ませ待合室へ。

<メキシコシティー空港ターミナル1>

AM507、10:05発約1時間30分でビジャエルモサ空港到着。機内サービスは無料の飲み物。

<ビジャエルモサ行きアエロメヒコの機材>

ラ・ベンタ野外博物館

ここはタバスコ州、ビジャエルモッサ空港から20分ほどでラベンタ野外博物館に到着。元々はメキシコ湾岸地帯で発見されたオルメカ文明の遺跡でそのあたりに油田が発見され破壊されていく遺跡を守るためにここに移動した。

<メキシコ、ユカタン半島ラ・ベンタ野外博物館>

オルメカ文明は紀元前1200年頃から紀元前後に栄えた文明。アメリカ大陸でも初期の文明。への字の口が特徴だが人間とジャガーの融合だという。ジャガー信仰や球技など後のマヤ文明に影響を与えているという。

<メキシコ、ユイカタン半島ラ・ベンタ野外博物館>

オルメカというのはナワトル語で「ゴムの人」という意味。巨石文明が有名だが沼地に巨大な石をどうやっては運んだんだろう。

写真下は猿、上空を見ているように見えるが実際は建物の上に水平に置かれていた。

<メキシコ、ユカタン半島ラ・ベンタ野外博物館>

軽く食事の後ビジャエルモサからパレンケは車で144キロ約1時間30分の距離。到着後パレンケのホテルへ。

メキシコの地図、ビジャエルモサからパレンケ
筆写作成

パレンケのホテル

パレンケはブティックホテル・ピエドラ・デ・アグア、直訳すると「水の石」と言う名前。小さなブティク・ホテルで森の中というかジャングルの中にある素敵なホテルだった。

<メキシコ・パレンケのホテル・ピエドラデアグア>

メキシコ、パレンケのホテル
筆者撮影

 

まわりはジャングルで朝はどこからか動物の声が聞こえてくる。ジャガーがいるのかもしれない雰囲気だった。

<メキシコ・パレンケのホテル・ピエドラデアグア>

ホテルにレストランがないので夕食は歩いて2分の隣のレストランでピザで終了。

5日目パレンケの遺跡〜チカンナ

ホテルの朝食は7時から。果物とパンの簡単な朝食だったけどとっても美味しかった。お手製のチョコのペーストやジャムどれもとても美味でした。

<メキシコ・パレンケのホテル・ピエドラデアグアの朝食>

メキシコ、パレンケホテル
筆者撮影

パレンケの遺跡へ

ホテルからパレンケの遺跡は車で10分ほど。ジャングルの中、チャパス州に位置するパレンケは7世紀に最盛期を迎えた都市の遺跡。メキシコシティー国立人類学博物館で見たパカル王の墓はここから見つかった。

<メキシコ・パレンケの遺跡>

紀元前からあった都市らしいが最も栄えたのは7世紀頃のパカル王とその息子の時代。写真下は碑文の神殿。この中からマヤ文字が刻まれた石板が600個以上発見されたので碑文の神殿と呼ばれる。

<パレンケ碑文の神殿>

パレンケの遺跡碑文の神殿
筆者撮影

碑文の神殿の床のくぼみから穴を発見したメキシコ人考古学者が約3年間かけて瓦礫を取り除きトンネルを下へ下へ掘っていきパカル王の墓を発見した。

<メキシコ・パレンケの遺跡>

隣にあるのが赤の女王の神殿で中から赤く塗られた女性のミイラが発見されている。発見当初はパカル王の母ではないかと言われていたが近年のDNA調査の結果パカル王との血縁関係はないことがわかっている。ならパカル王の妻か?パカル王の息子の墓が見つかればさらにDNA調査ができるが期待が膨らむのみだ。

<パレンケの赤の女王の墓>

パレンケの赤の女王の墓
筆者撮影

宮殿と呼ばれる建物にはお風呂や天文台があったようだ。

<メキシコ・パレンケの遺跡、宮殿>

パレンケの遺跡
筆者撮影

遺跡から降っていく道に住居跡や滝があって20分ほどの下の散策は探検隊になった気分で楽しかった。

<メキシコ・パレンケの遺跡>

 

パレンケからチカンナは356キロ5時間ほどの距離。

<メキシコの地図、パレンケからチカンナ>

メキシコの地図パレンケからチカンナ
筆写作成

途中のドライブインで休憩。ハマイカという飲み物を試した。ハイビスカスのお茶に色々混ぜた飲み物で健康にいいという。

<メキシコ、ユカタン半島の旅、ハマイカという飲み物>

メキシコ
筆者撮影

 

チカンナ・エコ・ロッジ

ここもジャングルの中に作られていて2階建てのバンガロータイプで自然の中にいる爽快さがうれしい。

<メキシコ、ユカタン半島チカンナエコロッジ>

メキシコ、ユカタン半島、チカンナ・エコエコロッジ
筆者撮影

<メキシコ、ユカタン半島・チカンナ・エコロッジ>

メキシコユカタン半島、チカンナ・エコロッジ
筆者撮影

お部屋はシンプルだが快適でした。バスルームはシャワーのみ、置いてある物はエコロジーな感じ。

<メキシコユカタン半島・チカンナ・エコロッジ>

メキシコ、ユカタン半島、エコロッジ
筆者撮影

<メキシコユカタン半島・チカンナ・エコロッジ>

メキシコユカタン半島、チカンナ・エコ・ロッジ
筆者撮影

ジャングルの中で周りに何もないのでロッジの中に一軒だけあるレストランで夕食。お食事は期待していなかったけど美味しかった。

<メキシコユカタン半島・チカンナエコロッジ>

メキシコユカタン半島、チカンナ・エコ・ロッジ
筆者撮影

サラダと海老の煮込み、ジャングルの中でこんなに美味しい物を頂けるとは思っていなかった。

<メキシコユカタン半島・チカンナ・エコロッジ>

メキシコユカタン半島、チカンナ・エコ・ロッジ
筆者撮影

6日目チカンナ連泊ーバランク遺跡、チカンナ遺跡、べカン遺跡


朝食は7時から、いつも朝食は一番に行くので誰もいないのだが今日は既に待っている人たちがいた。早い出発の人たちはどこまでいくんだろう。

<チカンナ・エコロッジ朝食>

メキシコユカタン半島、チカンナ・エコ・ロッジ
筆者撮影

ヨーロッパ人のツアーなのか家族旅行なのか15人くらいのグループがいた。朝食は毎日パパイヤなど果物が豊富で美味しい。

<チカンナ・エコロッジ・朝食>

メキシコユカタン半島、チカンナ・エコ・ロッジ
筆者撮影

今日は小さな3つの遺跡バラムク遺跡、チカンナ遺跡、ベカン遺跡を回る。

バラムク遺跡

バラムクはマヤ後でジャガーの家を表すという。

<メキシコ、ユカタン半島バランク遺跡>

メキシコユカタン半島、バランク遺跡
筆者撮影

この遺跡が有名になったのは1990年に発見された漆喰彫刻。マヤの中でも最も綺麗に保存されている物という。

<メキシコユカタン半島、バランク遺跡>

メキシコユカタン半島、
筆者撮影

<メキシコユカタン半島、バランク遺跡>

メキシコユカタン半島、べカン遺跡
筆者撮影

<メキシコユカタン半島、バランク遺跡>

メキシコユカタン半島、べカン遺跡
筆者撮影

 

チカンナ遺跡

蛇の口の家という意味だそう。小さな遺跡だった。

<メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡>

メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡
筆写撮影

入り口からジャングルの中をしばらく歩いていく。

<メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡>

メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡
筆者撮影

写真下はリオ・ベック様式の壁面装飾。雨の神チャックがいる。

<メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡>

メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡
筆者撮影

写真下は蛇が大きく口を開けているようなデザインの宮殿。

<メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡>

メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡
筆者撮影

 

ベカン遺跡

<メキシコユカタン半島、べカン遺跡>

メキシコユカタン半島、べカン遺跡
筆者撮影

べカンはカラクムルの衛星都市だった。規模の大きいピラミッドがいくつかあるが小さな遺跡だ。

ここは周りに掘りがあり他に例がない。最初の頃は防衛の為と思われていたが現在では雨季の水の氾濫をコントロールする治水の為と考えられている。

 

<メキシコユカタン半島、べカン遺跡>

メキシコユカタン半島、べカン遺跡
筆者撮影

しばらくジャングルを歩いていくと建造物が見えてくる。ここの建造物の特徴はリオベック様式。

<メキシコユカタン半島、べカン遺跡>

メキシコユカタン半島、べカン遺跡
筆者撮影

7日目チカンナ〜カラクムル遺跡〜バカラルへ


昨日いたヨーロッパ人のグループは出発してしまったのか今日は静かな中の朝食。やっぱりパパイヤをいただきます。

<メキシコユカタン半島・チカンナエコロッジ>

メキシコユカタン半島、チカンナ・エコ・ロッジ
筆者撮影

 

カラクムル遺跡があるジャングルの保護地区まで車で15分、そこからまだ30分ほど車で移動して遺跡の入り口。

<メキシコ・ユカタン半島・からクムル遺跡>

メキシコユカタン半島、カラクムル遺跡
筆者撮影

まだそこから30分ほど歩いてやっと遺跡が見えてきた。

チューインガムの会社がガムの木を探していてたまたま見つけたらしいがジャングルの中に巨大都市空間。いまだに発掘されているのはほんの一部だけだ。

<メキシコ・ユカタン半島・カラクムル遺跡>

メキシコユカタン半島、カラクムル遺跡
筆者撮影

ピラミッドに登ると遠くまでジャングルが見渡せて向こうにピラミッドが見える。この中にジャガーが4000頭くらい生息するらしい。

<メキシコユカタン半島・カラクムル遺跡>

メキシコユカタン半島、カラクムル遺跡
筆者撮影

ジャングルに飲み込まれている遺跡や埋もれたピラミッドがあちらこちらにある。遺跡のマヤ文字や彫刻が削り取られていて痛々しい。

<メキシコユカタン半島・カラクムル遺跡>

メキシコユカタン半島、カラクムル遺跡
筆者撮影

遺跡のすぐ外のホテルでランチ。建物がマヤの民家風で素敵だった。

<メキシコユカタン半島・カラクムル遺跡>

メキシコユカタン半島、カラクムル遺跡
筆者撮影

カラクムルからバカラルは241キロ、車で3時間50分。

 

バカラル到着。このキンタナロー州は時差が1時間、途中で時計を進めた。

バカラルのホテルMBH MAYA

バカラルの街から数キロ離れたところにある新しいホテル。湖の前にあって建物は3カ所に分かれていた。レセプシオンは掘立小屋で館内電話はなく用事があったら携帯からかけてきてくださいといわれちょっとびっくりした。

<メキシコユカタン半島、バカラルのホテルMBH MAYA>

メキシコユカタン半島、バカラル
筆者撮影

綺麗な湖の前、湖の色が変わっていくのがお部屋から見えた。

<メキシコユカタン半島・バカラルのホテルMBH MAYA>

メキシコユカタン半島、バカラル
筆者撮影

<メキシコユカタン半島・バカラルのホテル MBH マヤ>

メキシコユカタン半島
筆者撮影

お部屋は湖の前に面していて建物が3つに分かれていた。ここものんびり長期滞在すると良さがもっとわかるだろうなあ〜。建物の最上階にジャグージの設備とバーがあった。

<メキシコユカタン半島・バカラルホテル MBH MAYA>

バカラルのホテル
筆者撮影

 

ホテル近くには何もないというか歩いてはとてもどこにも行けないのでホテルのレストランで。別棟の小さな小屋のテラス席のレストラン。英国人風の家族が食事をしていた。

<メキシコユカタン半島、バカラルのホテルMBH MAYA>

メキシコユカタン半島、バカラル
筆者撮影

 

7日目バカラル〜トゥルム遺跡〜コバ遺跡〜バジャドリ


朝食は昨日の同じ敷地内の小屋レストラン。

<メキシコユカタン半島、バカラルのホテル>

丁寧に果物をカットして出してくれました。ホテルの人たちみんなとっても感じよかった。

 

今日はトゥルム遺跡とコバ遺跡の見学。トゥルム遺跡はバカラルから200キロほど北へ、車で2時間20分ほど。

メキシコユカタン半島地図
筆写作成

珍しく海の近くにある遺跡だ。海を久しぶりに見た、カリブ海。カンクンに近いこともあってビーチ客で賑わっていた。マヤ文明末期に栄えた都市。

<メキシコユカタン半島、トゥルム遺跡>

後に行くコバ遺跡の主要な港として用いられた。遺跡の横で海に入れるようでビーチに沢山人がいた。

<メキシコユカタン半島・トゥルム遺跡>

トゥルム遺跡からコバ遺跡は47キロ約40分。

メキシコユカタン半島地図
筆写作成

 

<メキシコユカタン半島・コバ遺跡>

コバは600年から900年頃栄えた都市。写真下h42メートルあるピラミッド

<メキシコユカタン半島、コバ遺跡>

コバ遺跡
筆写撮影

遺跡の面積は非常に大きいようだが開放されているのはほんの一部。内部はレンタサイクルや自転車の人力車で観光できる。

 

<メキシコユカタン半島・コバ遺跡>

 

コバから今日の宿泊地バジャドリへは60キロ、車で50分。

メキシコユカタン半島地図
筆写作成

バジャドリのホテルColonteコロンテ


バジャドリで宿泊したホテル・コロンテは外から見たら民家のような建物。今もユカタン半島の村にある藁葺きの家のような外観で建築家を含む仲間で始めたホテルだという。

<メキシコユカタン半島・バジャドリのホテルコロンテ>

お部屋は質素ですがとてもセンスが良く小さなお庭がついていた。虫がいそうで外には出なかったが。

<メキシコユカタン半島・バジャドリのホテルコロンテ>

内装も木が沢山使われていて日本の古い家屋にいるような安心感。

<メキシコユカタン半島・バジャドリのホテルコロンテ>

部屋の中にハンモックがかけてあったので広げてみた。ゆかたんの人は家でもハンモックで寝るという。

<メキシコユカタン半島・バジャドリのホテルコロンテ>

今日は12月31日、意外と街のレストランも普通に営業しているところがあったが私たちはホテルのレストランで夕食にした。

 

9日目バジャドリ〜チチェンイツァ〜メリダ


朝、バジャドリの街を少しお散歩。中心部はコロニアル調=スペイン人が入植してきた時に故郷のような街を作った感じでヨーロッパ的。

<メキシコユカタン半島・バジャドリの街並>

教会は閉まっていて入れなかった、1月1日なので初詣でもできたらなあと思ったが叶わず。

<メキシコユカタン半島・バジャドリの街並>

ホテルの朝食は果物と卵や野菜、質素だったが丁寧で美味しかった。

<メキシコユカタン半島、バジャドリのホテル・コロンテ>

バジャドリのホテルコロンテ
筆者撮影

バジャドリからチチェンイツァへ

バジャドリからチチェンイツァは42キロ車で45分の距離。

メキシコユカタン半島地図
筆写作成

途中セノーテへ、洞窟の中の透明な水が綺麗だった。泳げるらしくすでにカップルが泳いでいた。冷たいのかな?

この辺りはセノーテが沢山ありセノーテ同士も繋がっていたりするみたいだ。

マヤ文明は大河のないところにできた珍しい古代文明と言われるがセノーテが大河の代わりをしていたのかもしれない。

<セノーテ>

チチェンイツァもカンクンから来れるので人気のある遺跡だ。詳しくは様々なところに書かれているので省略。そのうちマヤの遺跡や文明の詳しいページを作りたいと思う日々。

<メキシコユカタン半島・チチェンイツァ遺跡>

メリダ、ホテル・ハイアットリージェンシー

メリダの北部、アメリカンスタイルのホテルやショッピングセンターが近くにあり便利で環境がいいところだった。

<メキシコユカタン半島・メリダ、ホテル・ハイアットリージェンシー>

ロビーも広々していて快適なホテルでした。

<メキシコユカタン半島、ホテル・ハイアットリージェンシー>

<メキシコユカタン半島、メリダ、ホテル・ハイアットリージェンシー>

メリダ、ホテル・ハイアットリージェンシー
筆者撮影

充電関係も枕元にUSBがあって申し分なし。

10日目メリダ連泊 ウシュマル遺跡


久しぶりに大きな街に宿泊、ホテルもアメリカンで大きなハイアットリージェンシーなので朝食もしっかりビュッフェです。これだけ大きなホテルでも両替はやっていませんと言われた。ホテルの迎えに両替屋があったので明日行ってみよう。

<メリダ、ハイアットリージェンシーホテル朝食>

メリダ、ハイアットリージェンシー朝食
筆者撮影

インターナショナルな物以外にメキシコ料理も日替わりで数種類あった。

<メリダ、ハイアットリージェンシーホテル朝食>

メリダ、ハイアットリージェンシー朝食
筆者撮影

果物も豊富だったけれど今までに比べると固かったり熟してなかったりで残念。

<メリダ、ハイアットリージェンシーホテル朝食>

メリダ、ハイアットリージェンシー朝食
筆者撮影

今日は日帰りでカバー遺跡とウシュマル遺跡へ。

カバー遺跡は小さな遺跡であまり人がいなくて空気が荒れていないというかとても良かった。カバーは後に行くウシュマルと主従関係にあったという。

水が少ないところなので水の神チャックの彫刻が壁中に施されていた。

<メキシコユカタン半島、カバー遺跡>

メキシコユカタン半島、カバー遺跡
筆者撮影

 

 

チャックの後ろに人物像。おそらくここの王や支配者かも。独特の手の形でまるで宇宙船を操縦しているようだとも言われているらしい。カバーはマヤ語で強い手の男。

<メキシコユカタン半島、カバー遺跡>

メキシコユカタン半島、カバー遺跡
筆者撮影

ウシュマル遺跡へ

ウシュマルは700年頃から1100年頃に栄えた。文字が残されていない為あまりよくわかっていない。

写真下は魔法使いのピラミッド。遺跡に入るとまず目に入る巨大なピラミッドだ。今まで見てきたピラミッドと形が全く違って曲線がエレガントだ。実はこれは後ろ姿。

<メキシコユカタン半島、ウシュマル遺跡>

正面の方に回るとチャック、雨の神が沢山彫刻されている。雨の少ないところなので大切にされたのかもしれない。

<メキシコユカタン半島、ウシュマル遺跡>

鳥の彫刻が珍しい。後で亀も出てきた。

<メキシコユカタン半島、ウシュマル遺跡>

メキシコユカタン半島、ウシュマル遺跡
筆写撮影

11日目メリダ〜メキシコシティー


メリダの市内から空港は車で15分ほどの距離。空港は思ったよりは立派でお店やカフェなどが沢山。

<メキシコ・ユカタン半島・メリダの空港>

<メキシコシティー・

 

フリーダカロ美術館

食事の後はコヨアカン地区でフリーダカロ美術館へ。フリーダが生まれて生活をしてここで生涯を終えた家がフリーダカロ美術館になっている。

<メキシコシティー・フリーダカロ美術館>

筆者撮影

初期の作品やフリーダの子供の頃の写真、部屋や道具、衣装や寝室などが展示されていた。ここでフリーダは病気になったり夫に裏切られたり立ち直ったりした。

<メキシコシティー、フリーダカロ美術館>

フリーダカロの実際に使っていた道具が並ぶアトリエ。

<メキシコシティー、フリーダカロ美術館>

メキシコシティー、フリーダカロ美術館
筆者撮影

ディエゴリベラの壁画館

ディエゴリベラのアラメダ公演の日曜の午後の夢という作品。もともとこの作品はホテルのロビーに描かれていたものだが1985年の地震でホテルが壊れ壁画だけを守るためにここへ展示場を作り移動させた。

<メキシコシティー、リベラの壁画>

巨大な作品のなかにメキシコの著名人たちが登場しリベラやフリーダカロ、シケイロスなどが登場する。

<メキシコシティー、リベラの壁画>

 

リベラの壁画博物館近くでは地元のセニョールたちがチェスをうっていた。この辺の名物らしい。穏やかな雰囲気の中でセニョールたちも話しかけてきたり写真を撮らせてくれたりしてしばらく交流したいムードだった。

あっちでもこっちでもチェスを打っている、人だかりができているところは接戦なのか友達なのか。

ホテルへ移動

夕刻、初日に宿泊したシェラトンホテルに移動して夜まで休憩。ほんの数時間だけれどもシャワーを浴びてベッドで休みます。

初日に食事をしたレストランに戻ったら同じスタッフがいて何だか嬉しかった。帰ってきたっていうか居場所があるって嬉しいものだ。

<メキシコシティーシェラトンホテル、レストラン>

夜中のANAのフライトに合わせて空港へ行きチェックイン。ANAはフライトは夜中の01時出発で空港に22時頃に移動。空港まで行けばANAの日本人スタッフがアテンドしてくれここからもう日本です。

その後私は再び空港のヒルトンホテルへ移動して休みます。

朝はホテルで朝食後空港へ、徒歩で移動できるのはありがたい。イベリア航空のチェックインをしてマドリードへ。

 

チェックインの時に初日に返却された書類が搭乗券に付けられて保安検査でチェックを受けるのみ。出国は至って簡単でびっくり。

飛行機が出発してから高い山が見えてきた。メキシコシティー近くに5000メートル級の山があると聞いていた。雪が積もっているみたい。

大西洋を再び超えてスペインへ帰っていきます。

 

メキシコとユカタン半島のマヤ遺跡の旅のまとめ


実はこの記事を書け上げるのにほぼ1ヶ月かかった。マヤの遺跡は不明なところが多く調べようと思うと深みに入ってしまい最後にもうやめようかと思ったが自分の忘備録になるので書き上げることにした。一度に沢山見たので記憶があやふやな部分もかなりあり是非もう一度ゆっくりいきたいなと思うこの頃。

北スペインの旅、サン・セバスティアンからブルゴス、レオンとサンチアゴへお仕事の旅の記録

お客様と北スペインを廻って来た。サン・セバスティアンからブルゴスからサント・ドミンゴ・デ・シロスの修道院そしてレオンとサンチアゴ等を見学して現地7泊8日。今回のお客様は4年前に南スペインとポルトガル、その後ペルーを一緒に旅行した方。「お盆休みに北スペイン」とご希望があり旅した記録、ほぼ自分用忘備録ですが北スペイン旅行のコース作りの参考になると思うので公開します。

 

<お盆の時期の注意>

*8月のお盆の季節はヨーロッパの人もバカンスで大量に動く時期なので何でも予約は早めに、特に飛行機とホテル。

*レストラン等はスペインの場合バカンスの時期に長期に閉める場合があるので注意が必要。サン・セバスティアンやビルバオの星付きレストランで8月に休む店が沢山。

 

北スペインの旅、8月にサン・セバスティアンからブルゴス、レオンとサンチアゴへ


1日目成田空港からイベリア航空でマドリード、合流してサン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルへ。

成田空港からのイベリア航空が50分遅れての到着。乗り継ぎが1時間45分なので50分遅れだと55分で移動だ、間に合わないかも、と朝から本当~に心配したが何とかぎりぎりで搭乗できた、というか飛行機が待ってくれていた。

あらかじめマドリード空港のカスタマー・サービスで乗り継ぎフライトに東京便が送れいている連絡と到着時に案内を頼んだがどこまでワークしたかは不明。

マドリード~サンセバスティアンはプロペラ機とジェット機の場合がある。今回はプロペラ機。マドリードから約1時間20分でサンセバスティアン到着。

イベリア航空、サンセバスティアン行き
筆者撮影

大型観光バスよりちょっと大きいくらいの感じの飛行機。雲の上から夕陽が綺麗。

サンセバスティアン行きのイベリア航空
筆者撮影

お客様はビジネスクラスでしたが座席番号1が最後部席で飲み物が出ただけでした。値段いくら違うんでしょ~?

イベリア航空サンセバスティアン行き
筆者撮影

 

55分の乗り継ぎで人は走ったくらいなのでスーツケースは絶対に間に合わない?と思っていたが奇跡的に全部出てきた。スペイン恐るべし。

空港からサン・セバスティアンの街まで20分程移動。ホテル、マリア・クリスティーナ、チェックイン。

<サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナホテル>

サンセバスティアン、ホテル、マリアクリスティーナ
筆者撮影

サン・セバスティアンのホテル、マリア・クリスティーナはサン・セバスティアン唯一の5つ星ホテル。

<サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアン、マリアクリスティーナホテル
筆者撮影

サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテルは1912年開業だが近年リノベーションを行って使い勝手が良くなった。現在はマリオット・グループのラグジュアリー・コレクションに入っていてエレガントなとっても素敵なホテルです。

今ホテルの値段は時期により激しく変動し、残りの部屋が少なくなるほど高くなって行く航空券と同じシステム。予定が決まれば早めに予約するに越したことはないです。

<サンセバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルロビー>

サン・セバスティアン、マリアクリスティーナホテル
筆者撮影

サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルの詳細を動画にしてみました。参考にしてください。

2日目は車でサン・セバスティアンからビルバオとビスカヤ橋、サントゥルセの鰯とゲルニカ

サン・セバスティアンからビルバオ

サン・セバスティアンからビルバオは約100キロ、車で約1時間10分位。路線バスも頻繁に出いている。さあ車の準備が出来た。出発しよう。

サンセバスティアン、マリアクリスティーナホテル前
筆者撮影

お天気予報は雨だったが時々パラパラふる程度。ホテルの傘をお借りして持って行く。8月でも朝の気温は14度位、日中は日差しが強く23度くらいまで上昇。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館観光。大きなワンちゃんはジェフ・クーンズの作品。年に2度お花が変えられる。内部からお水が出るシステム。

<ビルバオ・グッゲンハイム美術館のプピー>

グッゲンハイム美術館
筆者撮影

建築家はフランク・オー・ゲイリー。航空機の設計に使うコンピューターシステムで脱構造主義の建築を作る。素材は薄く伸ばしたチタン。

グッゲンハイム美術館
筆者撮影

ビルバオとグッゲンハイム美術館についての記事です。

ビルバオとグッゲンハイム美術館<世界で最も成功した再開発ビルバオ効果の街と近代アート>

 

ランチはサントゥルセの漁師の街まで移動。サントゥルセ(バスク語サントゥルツイ)はビルバオ湾の入り口に面する港湾都市。火力発電所がある。

レストランは港近くのHogar de Pescador オガール・デ・ぺスカドール

サントゥルセのレストラン
筆者撮影

テラス席は予約が出来ないので上の階レストランに予約をいれた。テラスは既に満席状態。予約の13時半に上の階のレストランに行ったらお店の人にびっくりされた。時間が早すぎるのだ。(スペイン人のランチは14時30分くらいからです。)

<サントゥルセ・オガール・デ・ぺスカドール>

サントゥルセのレストラン
筆者撮影

手長えびとエビのどっちが迷ってお店の人にお勧めか聞いたら「絶対エビッ」甘く新鮮でトロットロッ~。

<サントゥルセのレストランにて>

サントゥルセのレストラン
筆者撮影

もちろんイワシを頼みます!これも新鮮でおいしかった。スペインの古い歌に「ビルバオからサントゥルセ~イワシ、イワシ~」というのがあるのです。

<サントゥルセのレストランにて>

サントゥルセのレストランでいわし
筆者撮影

帰り道に世界遺産ビスカヤ橋に車ごと乗車して対岸に渡ることにする。

<ビスカヤ橋>

ビスカヤ橋
筆者撮影

ビスカヤ橋は世界で最も古い運搬橋。日本の明治26年に完成した。ポルトガレーテの労働者がゲッチョの富裕層の地区に働きに行くのに渡し舟しかなかった。

<ビスカヤ橋がある地区、サントゥルセ~ポルトガレテ~ゲッチョの地形>

ビスカヤ橋の架かっている周辺地図
筆者撮影

人々の往来の為に橋を架けると大きな船が入れなくなる。ここはビルバオに向かって大型船が入って来るところだ。解決策として考えられたのがこの運搬橋。写真下のぶら下がっているゴンドラに人と車が乗る。

<ビスカヤ橋>

ビスカヤ橋
筆者撮影

これだけは説明を聞いてもピンと来ないので自分の目で見る事をお勧めします。ビルバオからメトロで来ることが可能だ。

ビスカヤ橋についての詳しい説明はこちらの記事をどうぞ。

ビスカヤ橋は世界遺産、ビルバオからメトロで簡単にいけます

 

サン・セバスティアンに戻るにはまだ少し早いので「ゲルニカに行ってみましょうか?」

ゲルニカはスペイン内戦の時に爆撃を受け破壊された小さな街。非武装の街をナチス・ドイツの空軍が飛行機から爆弾を落として一般市民が犠牲になった。

有名なピカソの「ゲルニカ」はこの町の名前。パリ万博のスペイン館の為にピカソが描いたもので、そのパリ万博は科学を絶賛する「科学と芸術」というテーマだった。

「私たちの生活を素晴らしい未来へ連れて行ってくれる」はずの「科学」が無差別に民衆に向かい爆弾を落とした。その衝撃的な事実を世界中に知らせる為「科学」を絶賛する万博に発表した作品がゲルニカ。現在はピカソのゲルニカはマドリードのソフィア王妃芸術センターにあります

<ゲルニカにあるゲルニカのセラミックの複製>

ゲルニカにあるゲルニカの陶板
筆者撮影

ピカソのゲルニカと同じサイズで作られたセラミックが壁に飾られている。すぐ近くの議事堂も見学することが出来る。議事堂はバスクの自治の象徴。そこには爆撃から奇跡的に焼け残った聖木が置かれている。

<ゲルニカの聖木>

ゲルニカに残る聖木
筆者撮影

ではサン・セバスティアンに戻りましょう。サンセバスティアンの街の両側に小高い山がある。モンテ・イゲルドとモンテ・ウルグル(下の地図参照)その間に貝殻の形ののコンチャ湾がある地形。

サンセバスティアンの地図

 

モンテイゲルドはフニクラ(登山列車)か車で登ることが出来、もうひとつのモンテ・ウルグルは徒歩で登ることが出来る。今日は車でイゲルド山にやって来た。

サンセバスティアン、コンテ・イゲルド
筆者撮影

コンチャ湾が綺麗に見える絶景ポイントです。山は遊園地になっていて家族連れがゴーカートに乗ったり急流すべりを楽しんだり。

夕食はサン・セバスティアンの港の漁師の店へ。モンテ・ウルグルのふもとはサンセバスティアンの港になっている。

<サン・セバスティアンの港>

サン・セバスティアン、港
筆者撮影

漁師の店が何軒かあり夏しか営業していない所が殆どですが一部冬もやっている。

<サン・セバスティアンの港>

サン・セバスティアンの港
筆者撮影

サン・セバスティアンというとバル街と星付きレストランばかり紹介されていますが港のレストランもおすすめですよ~。

<サン・セバスティアンの港>

サンセバスティアン、港のレストラン
筆者撮影

チャングーロはサンセバスティアン料理、わたりカニの味噌を玉ねぎやトマトなどで調理した味噌の部分がおいしい。

<サン・セバスティアン料理のチャングーロ>

サンセバスティアン
筆者撮影

店主のおじさんが鰹の料理を御馳走してくれた。後は大きなヒラメをグリルでいただきました。(写真撮り忘れ)

おやすみなさい~

サン・セバスチャン・美食の街の歴史と美味しいおすすめバルと港の漁師のレストラン

3日目サン・セバスティアンからフランス・バスクへ

今日は国境を超えてフランス側へ行く。遠い方へから行きましょうと、サンセバスティアン⇒ビアリーツ⇒サンジャンドリューズ⇒オンダリビアと移動する。

サンセバスティアンからフランスバスクの地図
筆者作成

サン・セバスティアンからビアリーツまでは車で約1時間。ビアリーツはナポレオン3世が妻のエウヘニア(スペイン人貴族)と訪れて大変気に入った所。その後沢山のフランス人貴族たちが訪れるようになった優雅な街。ホテル・ド・パレやエウジェニー教会、聖母の岩などを見学した。

ビアリーツ、聖母の岩
筆者撮影

 

バカンス客でどこも随分賑やかだ。30分程移動してサン・ジャン・ド・リューズ(スペイン語だとサン・ホアン・デ・ルッス)

サンジャンドリューズ
筆者撮影

国境を超えただけで言葉も習慣もフランス式に変わる。そしてフランスでは12時にランチがいただけるのだ。予約した店はTXULUPAルイ14世の館のすぐ近く。

タコのグリル

舌平目のグリルなどをいただいた。

サンジャンドリューズのレストラン
筆者撮影

国境超えて20分位の所なのに食事の時間だけでなく、お値段も一気にフランス式になった。スペインは安くて美味しい良い国やな、と改めて感じる。

食事の後ルイ14世の館を見学。ルイ14世がスペインの王女と結婚式を挙げた時に3か月程滞在した建物で今も当時の持ち主が所有だそう。フランス人のガイドさんが英語で色々説明してくれて楽しかった。

 

サン・ジャン教会はバスク風の建築で教会には珍しく木で作られている。ルイ14世とスペインの王女の結婚式がここで行われた。今も地元の人々がやって来る教区教会になっている。

サンジャンドリューズの教会
筆者撮影

お買い物はエスパドリーユやバスク・リネン、お菓子等。

サンジャンドリューズ
筆者撮影

ルイ14世の結婚式にお菓子を出したアダムで作っている焼き菓子が今のマカロンの元になったそう。

<サンジャンドリューズのアダム>

サンジャンドリューズのお菓子屋アダム
筆者撮影

 

スペイン側へ戻ってオンダリビアへ、サン・セバスティアン空港はこの街にある。サン・セバスティアンから23キロ程、フランスとの国境の街だ。新市街地のバル街も楽しいが今日は旧市街だけ。

オンダリビア
筆者撮影

サン・セバスティアンに戻り夕食は地元のバルで

サンセバスティアンのバル
筆者撮影

では、おやすみなさい~

4日目サンセバスティアンからブルゴス、サント・ドミンゴ・デ・シロス、レオン

今日はマリア・クリスティーナホテルをチェックアウトをして移動日。移動距離が約560キロというスケジュール。

サンセバスティアンからブルゴス、レオン地図
筆者撮影

シロスの修道院がお昼休みで14時に閉まる。再び開くのが16時30分、それに合わせて時間の調整をする。

サンセバスティアンからブルゴスへ
筆者撮影

サン・セバスティアンからブルゴスは214キロ約2時間15分。バスク州からカスティーリア・レオン州に入った。景色が変わって行く。

エル・シドの銅像。エル・シドはレコンキスタの時の英雄。古い映画でチャールトンヘストンとソフィアローレンの物があるがまた新しい映画が作られるようだ。

ブルゴスのエルシド
筆者撮影

プラタナスの並木道が遊歩道になっている。スペインの街はどこも緑が多く遊歩道が広く取られていてゆったり人が歩いている。森の中に街がある。

ブルゴスの遊歩道
筆者撮影

凄い人だと思ったら、今日ブエルタ・エスパーニャ(自転車競技)がブルゴスから始まる開会式の真っ最中だ。

ここはサンタマリア門。ブルゴスの街に入る城門。

ブルゴス、サンタマリア門
筆者撮影

沢山の選手達がウォーミングアップで走っている。

ブルゴス、サンタマリア門
筆者撮影

ブルゴスは大聖堂が世界遺産だ。フェリペ2世が神の御業と称えた荘厳な建築。

ブルゴス大聖堂
筆者撮影

内部は様々な祭壇や彫刻、絵画等があり、中央考査部の天井の透かしが素晴らしい。その下にエルシドが埋葬されている。

ブルゴス大聖堂
筆者撮影

 

ランチは大聖堂近くのRincon de Espanaリンコン・デ・エスパーニャ。子羊の炭火焼きやグリーンアスパラ等何皿かをシェアーしていただいた。

ブルゴスのレストラン
筆者撮影

 

サント・ドミンゴデ・シロスの村へ60キロ移動する。村の人口250人ほどだがこの街が有名になったのは修道士たちによって歌われるグレゴリオ聖歌と修道院にあるロマネスクの回廊。

サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影

それとロマネスク回廊を見学する。ロマネスク彫刻は柱頭彫刻を楽しむがここでは角のパネルが素晴らしい。800年程前に修道僧たちが歩きながら祈った四角い回廊をクラウストロという。

<サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院クラウストロ>

<サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊クラウストロ>

 

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊
筆者撮

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院とグレゴリオ聖歌についての記事です

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院<ロマネスク回廊とグレゴリオ聖歌>

ホテルはマヨール広場に面するNHcoleccion Plaza Mayor。古い建物をうまく利王して内部は綺麗に改装されていて快適でした。

レオン。nhホテルプラサマヨール
筆者撮影

シングルで狭いですが私には充分、清潔で使いやすいホテルでした。ホテルのスタッフもとっても感じよかった。ロケーションがマヨール広場内というのが最強です。

<レオンのホテルの部屋>

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

<レオンのホテルのバスルーム>

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

 

夕食は直ぐ近くのバリオ・ウメドBarrio Humedo、飲食店街へ。サンマルティン広場は22時というのに家族連れでどこも賑わっていた。・

レオン、サンマルティン広場
筆者撮影

レオンの知り合いに教えてもらったタベルナは座る席がもうなかったのでその向かい側の店に入った。どこで食べても絶対美味しいのだ。

レオンのサンマルティン広場
筆者撮影

生のホワイトアスパラ(缶詰ではない)を茹でてオリーブオイルとマヨネーズ。

レオンのレストラン
筆者撮影

有機のトマトだそうです。甘くて美味しかった

レオンのレストラン
筆者撮影

お肉やデザートもいただきましたが写真撮り忘れ。エントレコットEntrecotサーロインステーキもとっても美味しかったです。

おやすみなさい。

レオン、マヨール広場
筆者撮影

 

5日目レオンの観光後オーセブレイロ峠、コル―ニャ経由でサンチアゴデコンポステーラ

レオンからコル―ニャとサンチアゴ
筆者撮影

ホテルNHプラサマヨールの朝食。簡単でしたが充分。

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

今日は週に2回の朝市の日だった。ホテル前のマヨール広場に周辺の農家が生鮮食料品を運んで来て売っている。

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

ホテルから大聖堂は徒歩5分くらい。大聖堂はゴシック様式で内部の壁を極力少なくすることによって窓を大きく開けてステンドグラスを使った。コバルトを使うと青くなる等、職人たちの経験値が弟子に継承され何年もかけて創られた。

レオン大聖堂
筆者撮影

ガウディの作品がカタルーニャ地方外に3つあるうちのひとつがレオンにあるカサ・ボティン。注文住宅で現在は銀行の所有になっている。

レオン、カサ・ボティネス
筆者撮影

カサ・ボティンに向かってガウディさんがベンチに座って仕事をしていた。

レオンにあるガウディ、カサボティンの前
筆者撮影

 

レオンを出発してセブレイロ峠へ。セブレイロはサンチアゴの道を歩く人達を苦しめる最後の険しい峠にある村。

<サンチアゴの道のモホンという道しるべ>

オーセブレイロ峠
筆者撮影

セブレイロはサンチアゴの道を歩く人達を苦しめる険しい峠にある小さな街。街にはケルト人たちが残した丸い石組に藁ぶきの屋根を付けるパジョサ有る。冬歩く人はきついだろうな~

<セブレイロ峠にあるパジョサ>

セブレイロ峠のパジョサ
筆者撮影

パジョサはケルトの残した住居の形。丸く積み上げた石組の上に藁の屋根。今も住居として使われている。

 

セブレイロで毎回来るレストランが「今日は食事は出せないよッ」「え~」「あっちの店に行ったら?」と教えてくれた店に入った。

ガリシアのスープでカルド・ガジェゴ、素朴なスープで美味しいのです。サンチアゴ

オーセブレイロ峠、ソパガジェゴ
筆者撮影

イカのリング揚げとエンパナディージャというガリシアのパイ、ポークソテーをいただいた。

オーセブレイロの食事
筆者撮影

 

ガリシア人は愛想が悪いので有名だ。少し話すと打ち解けるのですが他のスペインの地域の人に比べて最初のとっつきが悪い。ここのセニョーラも最初は愛想無かったけどだんだん打ち解けて一緒に写真。後で写真を見たらにっこり笑ってくれていた。

コル―ニャへ。ヘラクレスの塔は世界遺産。これは灯台で中にローマ時代の灯台がある。2世紀には存在が知られていたというから驚きだ。アレキサンドリアの大灯台をモデルにしたと言う。

コル―ニャのヘラクレスの塔
筆者撮影

コル―ニャの観光はサックリにしてサンチアゴへ向かいます。

サンチアゴに着く前にモンテ・ゴソへ。ここはサンチアゴを目指して歩いてきた人々が最初にサンチアゴの大聖堂を目にする丘で「歓喜の山」と呼ばれている。

モンテ・ゴソ、歓喜の丘
筆者撮影

最終目的地サンチアゴに到着、オブラドイロ広場は凄い人。

サンチアゴの大聖堂
筆者撮影

サンチアゴは大聖堂の横にあるパラドール(国営ホテル)に宿泊。イサベル女王によって創られた救護院。サンチアゴの道を歩く巡礼者の為の病院兼宿泊施設だった。

サンチアゴデコンポステーラのパラドール
筆者撮影

夕食はホテルで。

サンチアゴデコンポステーラ、パラドール
筆者撮影

夕食は前菜とメイン、デザート各5種の中から選べるようになっていた。

前菜はトマトと人参の冷製スープ

サンチアゴデコンポステーラ、パラドールの夕食
筆者撮影

子牛のステーキは思ったよりボリュームが凄かった。

サンチアゴデコンポステーラ、パラドールの夕食
筆者撮影

夜は大聖堂に照明があたり綺麗に輝きます。明日が満月だそう、大聖堂の横にお月さまという想定外の景色にうっとり。

サンチアゴデコンポステーラ、大聖堂
筆者撮影

<サンチアゴのパラドールの廊下>

サンチアゴデコンポステーラ、パラドール
筆者撮影

<サンチアゴのパラドールの部屋>

サンチアゴデコンポステーラ、パラドール部屋
筆者撮影

パラドール泊

6日目サンチアゴの観光

サンチアゴの観光は大聖堂が中心。

大聖堂の現在の正面が18世紀の物でロマネスクの門がその中にある。傷みが激しくずっと修復をしていたが今年から予約制で見学が可能になった。

サンチアゴ大聖堂の栄光の門
CC BY-SA 3.0 wikipedia

あらかじめ栄光の門の入場を予約して見学。説明はスペイン語のみ、約30分間の栄光の門と10分かん彫刻家の展示場で移動もいれて約45分の見学。

ランチはパラドールすぐ近くのLa carreta、魚介類のレストランです。

サンチアゴのレストラン、ラ・カレータ
筆者撮影

前菜に魚介のスープ、あとはシェアーしていただきます。

ガリシアに来たらこれ、タコのガリシア風

サンチアゴのレストランでタコ
筆者撮影

小ぶりのホタテ貝。

サンチアゴのレストラン、ホタテ貝
筆者撮影

ムール貝のワイン蒸し

サンチアゴのレストラン
筆者撮影

後はサンチアゴの街の散策とお買い物でのんびり過ごしました。

最後の夕食はパラドールにて

タコのパテとカルパッチョ

サンチアゴのパラドールの夕食
筆者夜はパラドールにて

アサリとタコの煮込み料理

サンチアゴのパラドールの夕食
筆者撮影

ピアノの演奏も素敵でした。

サンチアゴデコンポステーラ
筆者撮影

8月15日、聖母マリア昇天祭で満月、奇跡が起こりそうな素敵な夜でした。

7日目サンチアゴからマドリード経由で日本

サンチアゴ空港は市内から車で15分くらい。

サンチアゴデコンポステーラの空港
筆者撮影

飛行機は約1時間でマドリードへ。

マドリード空港ターミナル4
筆者撮影

ターミナル4のサテライトへ移動しお見送りしてお別れ。

楽しい旅でした~Hasta Pronto.

北スペイン、バスクからサンチアゴの旅まとめ


8月の中旬でも北スペインは朝の気温14度、雨が降ったり寒かったりだった。持ち物に傘と軽めのジャケット、でも日差しは強いので帽子も必要。ジャケットの脱げば半袖になれるような服装がベスト。現地7泊の短い旅行でしたが海や山やフランスや色々バリエーションのある旅になりました。

この旅の動画版です。

 

カミーノ・デ・サンチアゴをサリアからサンチアゴまで歩いた私達の旅の記録

サンチアゴの道をサリアから115キロ歩いてきた私たちの旅の記録。夫に「カミーノを歩く」仕事が入ったのだ。秋にサンチアゴの道を日本からのお客様と100キロ歩くという。それでは時間があるうちに下見に行っておこうどうせ行くなら「2人で楽しみましょう」と私も同行することになったその旅の記録。

私たちのサンチアゴの道の記録


マドリードからサリア

5月14日、この日は夫が仕事だったので出発は午後になった。待っている間に私は弁当を準備して13時45分マドリードを出発。キャンピングカーで国道6号線通称コル―ニャ街道をひたすら走る。

マドリードからサリアへ移動
筆者撮影
マドリードからサリア

マドリードからサリアまでは517キロほとんど高速道路で快適。

今回キャンピングカーにしたのはサリアでの前泊と後泊が出来るのが理由。マドリードを出て休憩したのはガソリンを入れた1回のみで18時32分サリアのマグダレーナ修道院に到着した。517キロを4時間45分だ、悪くは無い、いやいやこれは上等です。

サンチアゴの道 サリア
筆者撮影 サンチアゴの道
サリア マグダレーナ修道院

早速マグダレナ修道院でクレデンシアル(巡礼者手帳)にハンコを押してもらう。スタート地点のハンコ押印の儀式だ。サンチアゴ・デ・コンポステーラで巡礼証明書を作るにはクレデンシアルのスタート地点のハンコとその日付、毎日の宿泊地と更に最低1個のハンコが規則。

サンチアゴの道サリアのハンコ
筆者撮影サンチアゴの道

 

19時前、この時期スペインの太陽はまだまだ上の方にある、サリアの街を少し散策しよう。

サリアの街の入り口
筆者撮影、サリア

夕陽が当たってマグダレナ修道院の壁に文字の影が出来てなんだかとても綺麗。

サンチアゴの道
筆者撮影

巡礼路の街なので道に沿って建物が続く。先に「道」が出来てあとから「街」が出来た様子が良くわかる。街道沿いはアルベルゲとバルとお土産物店が続く。サンチアゴの巡礼者達は沿道の街の重要な資金源に違いない、今も昔も。巡礼者には街道の街が無くては歩き続けられないのだからお互い支えあっている関係だ。

サンチアゴの道、サリアの街
筆者撮影

「サリアに車で着く途中家具の販売場が多かったなあ」この辺りの樫の木の木彫り職人が昔から有名なんだと思う。素敵な物があったが明日から歩くので無事帰ってきたらお土産に何か買おうか(これは結局忘れてしまって何も買わずに帰った)。バルの入り口にも木彫りの看板が素敵。ではここのバルに入ります。

サンチアゴの道出発地サリア
筆者撮影

サリアに無事到着のお祝い。「おっ」ペレグリーナ(巡礼者の女性名詞)という名のビールがあった。

サリアのバルで巡礼者という名のビール
筆者撮影サンチアゴの道

でも今日はリベイロ(ガリシア産)の白ワインをいただきます。つまみにトルティージャがでた。

サンチアゴの道、サリアのバル
筆者撮影サンチアゴの道

さあ早く休みましょう。明日は人生初の21.5キロを歩くのだ、早く起きて暗いうちから出発です。

サンチアゴの道、サリア
筆者撮影サンチアゴの道

今日はマグダレナ修道院の横にキャンピングカーを止めて眠ります。おやすみサリア。

カミーノ1日目、サリアからポルトマリン21.5km

朝7時30頃出発。本当はもっと朝早く暗い時間に出発する予定が遅くなった。いつも適当な私たちの旅はこうだ。カミーノは早く出発して早く着くが基本らしい。公的なアルベルゲは早くいっぱいになるので(今の所パブリックのアルベルゲに泊まる予定)早く出発して早く到着するというのが掟のようだが、まあいいね。何とかなる、てか結局どっちでもいいのだ。

サリア マグダレーナ修道院
筆者撮影 サリア マグダレーナ修道院

ストックは夫が持っていた山登りのものを持ってきたが重さを計ったら300グラムもあって最後まで悩んだ。「2本あると良い」とどこかに書いてあったが2本で600グラムになってしまう。5日間で荷物の重さ6キロ以上、もう減らせるものはない。

サンチアゴの道の出発
筆者撮影サンチアゴの道

出発間際に300グラムのストックを車に残し夫が木の棒で以前に作ってくれたものを持って行くことにした。これなら邪魔になれば途中で捨てられる。

では出発7時30分、朝の太陽が気持ちいい、今日は快晴だ。出発はマグダレナ修道院を正面に見て右の方に歩いていくと➡がすぐにあるので迷うことは無い。

サンチアゴの道 サリア
筆者撮影サンチアゴの道サリア・マグダレーナ修道院

マグダレナ修道院からサリアの街を出てしばらく下って行く。

サンチアゴの道
筆者撮影 サンチアゴの道 サリアから出発

軽いトレッキングコースの様な道で木が茂っている中を歩いていく。すれ違う人や追い抜いていく人に声をかけると書いてあった。「ブエン・カミーノ~」ちゃんと返事が戻って来る「ブエン・カミーノ~」今始めたばかりの新参者なのにベテラン気取りだ。

サンチアゴの道 サリアから
筆者撮影 サンチアゴの道 サリアから出発

矢印やモホンMojon(サンチアゴの道にある石の道しるべ)がしっかりあって探して目的地に着くゲームに参加している気分だ。

サンチアゴの道の道しるべ
筆者撮影、サンチアゴの道の道しるべ

緩やかな登りのある気がしげった道で歩きやすいハイキングコースといった感じだ。

サリアからサンチアゴの道
筆者撮影 サリアから

ヨーロッパからの人が多いなと感じる。スペイン人より英語を話す人が多いかも。ドイツ語やフランス語、スペイン語はメキシコの人や、ポルトガル語はブラジルからの人達にもあった。アジアからは韓国からの巡礼者が圧倒的に多い。

サンチアゴの道 サリアからポルトマリン
筆者撮影

途中怪しい東欧風女性3人組が署名を求めていた。マドリードの地下鉄で観光客を獲物と狙う集団に似ているなあと思っていたら、前を歩いていたイギリス人風男性は署名して寄付金をねだられていた。「こんなところにまで出没するのか・・・」とちょっと気持ちが引き締まった。

サリアからポルトマリン
筆者撮影

カミーノを歩く人達は皆善良で通り過ぎる村の人も親切なので人を信用しきった心のすきを狙ってくるところがプロだ。「すべてを信用しすぎない警戒」は必要だと思った。

歩き続けると登りもあるが木蔭の多い歩きやすい道が続く。

サンチアゴの道、サリアを出て歩く道
筆者撮影 カミーノ

「1日に最低2個のハンコを押して目的地に行くこと」と書いてあったな。途中様々なところで「ハンコ=Selloセージョあります」と書いてある。「ふんふん、これだな」カフェテリアや教会等でクレデンシアルにハンコを押す事でちゃんと歩いた証明になるようだ。

サリアを出て約2時間で「Perscalloペルスカージョ」の矢印で道路を超える

サンチアゴの道、ペルスカージョ
筆者撮影

交差点から1キロ程のところにパン屋さんがやっているカフェを発見、やっと休める、「休憩だ~」ハンコを押してコーヒーとビスコッチョをいただきます。そしてお手洗いへ。

サンチアゴの道サリアから2時間で休憩
筆者撮影

ビスコッチョは日本のカステラの原型。ここで作っているに違いない、目茶美味しかった。今までの人生で食べたビスコッチョで一番だ。

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

ここで夫はメモ帳もボールペンも用意していなかったことが判明。「ボールペン貸して~」「え~」「誰の下見やってんの?ったく」まあ、いつもの事なのですが。

ここから10分程歩いたところにもう少し大きなバル・レストラン。ここはキッチンもあって食事も出来るようだ。

サンチアゴの道、ペルスカージョの後の休憩所
筆者撮影

さっきの所はパン屋さんだけれどこちらはレストランなのでお食事メニューも充実していた。

私たちはガイドブックも無しで歩いているので見つけたところですぐに休憩してしまうが最初の所は混んでいてお手洗いも並んでから。そして少し歩くともう1軒、いや2軒そちらが空いていたケースは数えきれない、調べることは大事だと痛感。

サンチアゴの道、ペルスカージョの後のバル
筆者撮影

ガリシアの農耕地を見ながら前に進みます。きれいな景色を見ると幸せな気分になれるんだなあ。

サンチアゴの道、街道の風景
筆者撮影

暫く歩いたので荷物を降ろして休憩。昨日の残りのおにぎりと茹で卵を平らげた。お菓子や果物、スナックをいつも出しやすい所で持っていると休憩の時に楽しめていいですね。口に何か食べ物を入れた時に人間の脳の幸福ホルモンがジワッと出てくるな等と日常ではあまり感じない事を思う。

サンチアゴの道
筆者撮影

後ろから日本語が聞こえて来てびっくりして「あら、こんにちは~」と話しかけた。別々に歩いている女性2人で色んな所で一緒になってまた再会したばかりらしい。ひとりで歩く人が多いなあ・・・

暫く歩くとなんだか人だかりが出来ていて「何?」って覗いたら「わあ~ここからサンチアゴまで100キロ」のモホン=石の道しるべでした。800キロ歩いてきた人は感慨深いだろうなアと思いながら私も「ペルドーンすみません」小さくなって一枚パチリ。さっき歩き始めたばかりですが・・・

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

その後1キロ程歩くと、なんだろ?ここは?

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

ここで休憩してください無料ですと書いてある。

サンチアゴの道 無料休憩所
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴまで99キロ地点位の所に無料の休憩所。地元の農家が場所を提供してくれていて飲み物や食べ物、お手洗いも使わせてくれる。これはありがたい、なんか陽気なセニョールが「Corazon grande a compartir=広い心は分け合いましょう」と言っている。

サンチアゴの道、無料休憩所
筆者撮影

Donacion=寄付金と書いたところに少額入れていくようになっていて私たちも3€程の小銭を入れた。全然入れない人もいたり紙幣が入っていたり人の事は気にしないで自分に払えるだけ払えばいいという事だ。飲み物や果物やお菓子等、有り難い。

サンチアゴの道
筆者撮影

ログローニョから来たカップルと同席になった。去年のサン・マテオ祭楽しかった話で少し盛り上がった。さあ出発しましょう。

サンチアゴの道
筆者撮影 サンチアゴの道

十字架に石を積んでいるのは神社の鳥居に石を置くのと似ているなあ。人間の行動は深い深い所で繋がっているのかもしれない。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

最後はずっと太陽が当たる道だ。有り難いのは西に向かって歩くので午後になるまで顔に日が当たらない。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

時々地図が置いてあって現在地を確認できる。ポルトマリンまであと少しだ。アメリカに住んでいる韓国人のセニョールが「日本人ですか」と片言の日本語で話しかけてきてしばらく話しながら歩いた。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

矢印が二つに分かれていてどっちでも着けるみたい。左は歴史的な道で右は迂回路なのか?

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

歴史的な道を行きます。

サンチアゴの道、歩く巡礼者
筆者撮影、サンチアゴの道

「うわ~」ポルトマリンの街が見えて来た、写真で見たことがあるやつだ。「すごいッ、着いたんだ」ゆっくりだけど歩けば着く、当たり前だけど感動した、21キロも歩いたんだと驚いた。

サンチアゴの道
筆者撮影

ポルトマリンの標識が嬉しい。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

「到着だ~」とここで脱力しかけたらなんとこの階段を登って行くらしい。階段の下で力尽きた人が何人か座っていた。みんな冗談を言ったり声をかけていく。「ここは関所か?」「上まで頑張ったらビールをおごるから頑張れ!」とか言っているのはスペイン人たち。こういう他人と冗談を言い合える人間同士の距離感が好きだ。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

階段を登って更に登り坂をが待っていた、がんばれ。ポルトマリンの看板があった。「写真撮って~」とラテン・アメリカ風のスペイン語を話す女性に頼まれた。ひとりで歩いているらしい。「はいはい、パチリ」スマホの画面中央が割れていて旅の長さを想像させた。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

パブリックのアルベルゲに到着14:30、という事は21キロを7時間かけて到着。「この時間だと遅すぎでもう泊まれないかもね~私はホテルでも良いよ~(にっこり)」と言いながらアルベルゲに入って聞いてみたら「まだベッドありますよ」にちょっとがっかり。受付でクレデンシアルと身分証明書を見せて6€x2を支払う。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

ハンコを押してもらい荷物を降ろし到着した実感に浸る。

使い捨てのシーツを渡され部屋番号を言われた。部屋だけ決まっていてベッドはどこを使っても良いらしい。「今月は未だ空いているのよ、来月から混むわね。」と受付の女性。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

出口に近いベッドの下の段を2つキープして混む前にシャワーを浴びます。「え~うそでしょ」夫がシャワージェルを持って来て無いって。「私のを使う?」「少ししか持って来て無いのに~」「ったく~」

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

シャワーブース。予想通りシャンプーとか置くところなし。ベンチだけあったので脱いだ服はそこに置けた。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

「S字フックがあると便利」と友達に言われて持ってきた、ここで活躍。念のため貴重品はシャワー室の中まで持参した。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

 

公共スペースは広々していて綺麗に掃除されている。スペインはどこも掃除が行き届いている自信がある、と私が威張ることでもないが・・・

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

キッチンには鍋が一つ置いてあった。後ほど韓国人のグループがラーメンを作って鍋ごと食べていた。ズルズル音をさせ食べていて韓国も音をさせて食べるんだと勉強になった。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

裏側の庭に洗濯機と洗濯場、800キロの長旅の人はありがたいでしょうね。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

選択物干し場もあり洗濯バサミはみんな自前のようでした。無い人の洗濯物は落ちていたので。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

一息ついたら街へ出かけて9月の仕事で夫のグループが宿泊するホテルを見に行って下調べ。

近くにあったサンペドロ教会、でも閉まっている。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

街の中心部に商店やスーパー、バルやレストランが集まっている。ロマネスク様式のサン・ホアン教会や市役所があるあたりがセントロ=中心部だ。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

サン・ホアン教会、ロマネスクの入り口の彫刻が素敵で見とれる。

 

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

サン・ホアン教会の入り口の彫刻は両手を口にくわえて「あわわ~」って言ってる感じが気に入った。この足はどうなっているんだろう、としばらく考え込んだ。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

街にお店が何軒かあり必要な物はたいてい購入できる、サンダル、ストック、寝袋、雨具、シャンプー、日焼け止め。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

途中であったスペイン人の3人組に声をかけられた。「モニカ~(私?)ジントニック飲んでるぞ~」途中の山道で1人が膝が痛そうに歩いていてポルトマリンに着いたら「ジントニックで洗礼だ」と言っていた人達だ。

教会の前のバル・レストランで夕食をいただきます。Platos Combinadosプラトス・コンビナードスはお皿にお肉も野菜も乗った一品で終われる代物。頼んだのと違うのが来たけど注文を取りに来た店主らしきセニョールは肩をすくめるのみでした。

サンチアゴの道 ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

「ガリシア人はケチ」とよくカステジャーノ達が言うのはこれに違いない。お店で働くラテン・アメリカ人風のカマレラに「店主は耳が悪いんじゃない?」と言ったら、「そうだそうだ、本当にそうなのよ」と笑いながら激しく同意していた。向こうにいる店主にはそれも聞こえていないみたいだった。

サンチアゴの道ポルトマリンの夕食
筆者撮影サンチアゴの道

機嫌を直してアルバリーニョの白ワインで無事到着を乾杯。教会ビューで色々2人でお喋りして過ごす夕食、ひとり人旅の人はどうやって時間を過ごすんでしょう。まだ明るいけれど明日の準備をして早く寝ましょう。誘眠剤と耳栓とアイマスクで私はベッドに入った後すぐに記憶が無い。

サンチアゴの道2日目<ポルト・マリンからパラス・デ・レイ22キロ>

気が付いたら朝だった、それくらい良く眠れた。朝6時前に起きて暗いうちから準備。6時30分に出発。夫は隣の人の巨大いびきで眠れなかった様子。しかも出発前の友人の引っ越しの手伝いの後遺症でギックリ腰の前兆らしい、お気の毒。

サンチアゴの道 ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

暗いうちから沢山の人達が無言でキビキビ準備していて不思議とこちらの気分も高揚してくる。「静かにちゃんとキビキビしなくちゃッ」懐中電灯が役立った。

サンチアゴの道、ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

6時25分ポルトマリンのアルベルゲを出発。まだ暗い中出発するとなんか頑張っています感あって嬉しい。

サンチアゴの道、ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

暫く軽い登りが続く。雨が降りそうだ。後で調べると5キロの道のりで200メートルほどの高低差の所を登って行く。あ~少し明るくなって来た、景色が綺麗で森の臭いが変わって行く。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

見晴らしが良い所でみんなポンチョをつけ始めた、霧雨が顔にあたる。手がかじかんで冷たい。最後に家に手袋を置いてきたけれど有っても良かった。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

歩き始めて約2時間(7.7キロ)サンチアゴまで84キロ地点にカフェ。ここまで休憩するところ全くなし。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

暖かいコーヒー飲みましょう、混んでいるけど仕方が無い。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

カフェ・コン・レーチェ(ミルクコーヒー)とパン・トスタード・コン・アセイテ(トーストにオリーブオイル)で朝食。暖かいコーヒーでホ~ッと一息。暖かい物を口にすると落ち着くね~。他の旅人たちも皆顔がほころんでいる。カフェx2とトスタードx2で5€60C

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

そこから1キロ程歩いたところにもアルベルゲ・カフェがあった。ハンコだけ押したけれどあまり感じが良くなかったなあ。「巡礼者は迷惑なのか?」とちょっとムッとなった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

そしてさらにしばらく歩いたところに木蔭があるカフェがあった。素敵な木蔭でここまで頑張ればよかった。調べていないので毎回混んでいる一個目に入る私たち。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

今日は木のあまり木が無いコースなのかなあ、登りも多い

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

石の道しるべに数字がかいてある。サンチアゴまで79.957キロ、当たり前だけれど確実に減っているのでダイエットみたいで嬉しい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

暫く歩くとサンチアゴまで78、1キロ、間違いなく歩けば数字は減って行く。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

 

ポルトマリンを出て約3時間半ほどの所に割と大きなバル・レストランventas o cruceiro。ここはアルベルゲもやって重要な宿場町なのかも、自転車を沢山積んだ車が止まっている。ここから自転車をレンタル出来るんだろうか。バルの中に入るとプラトス・コンビナードスやタパスがあって休憩や食事にもよさそうだった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

すぐ後ろに小さな礼拝堂があった。中にいた随分年配のセニョールが「ここはテンプル騎士団の管轄なんだよ」と色々説明してくれた。「ハンコを押すときに手を添えて押したい所に持って行って欲しい」と言われて初めて目が不自由な事が判った。小銭を入れる箱があったので少額置いてきた。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

教会の横にクルセイロ(石の十字架の目印)と大きな樫の木。大きな木を見ると嬉しくなる。時間があれば木の下でお昼寝がしたい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

ポルトマリンから4時間30分程は歩いたか、小さな村の建物の入り口の果物にフリーと書いてある。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

と中に入って行ったら「コーヒーやお手洗いどうぞ。ハンコもありますハグもします」と書いてある。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

キリスト教系の組織みたいだけれど後で勧誘されるか?と少し構えたが心配無用だった。少し座らせてもらってコーヒーをいただきお手洗いを借りた。他の巡礼者と少し会話をして寄付金箱に小銭を入れて出てきた。「グラシアス」「ブエン・カミーノ」

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

外にfuente del peregurino巡礼者の泉と書いてある。水を自由にくめるようになっていた。有り難い。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

ここの下り坂は自転車の人はいいなあ。さっきのアルベルゲの所からレンタルで移動する人達なのか。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

 

12時を過ぎてもう目的地パラスデレイにもう入るみたい。既に5時間半は歩いたわけだ。村らしくなって来た。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

これはトウモロコシを乾かして保存する入れ物らしい。ネットで検索した時に出てていた~、と嬉しい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

で、もう街かと思ったがまだ街道が続く

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

パラスデレイに入る手前に9月のグループが宿泊するホテルがあったので先にチェックに入った。わあ~素敵な所~私もここが良いなあ・・・でも予算オーバーでしょうね。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

昨日眠れなかった夫は「今日はアルベルゲには泊まらないぞッ」と言っているので「やった~」とペンシオンか個室のアルベルゲを探す。ネットで調べて個室で部屋40€の所があった。

パラスデレイの街の入り口にあるO Castelo。重い荷物と20キロの移動で疲れ切った体で入ったら階段が待っていた。そこまでは調べきれなかった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

部屋にはベッドが5つだけどお2人でお使いください。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

想定通りシャワーのみでしたが、清潔で静かで快適でした。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

キッチンも自由にどうぞという事で夜はここで食べようか?

サンチアゴの道パラスデレイのペンション
筆者撮影サンチアゴの道

シャワーを浴びて夫に私流の「ぎっくり腰の調整体操」を享受した。具合が良くなったので街に出よう。スーパーで夕食用の食糧を買いこみお昼はレストランで食べましょう。美味しい物を探すのは夫の仕事で感が良いのか外れることは滅多にない。

「ここが良い」パラスデレイの街の中心(と言っても知らずに通り過ぎそうな中心部)にあるレストランの定食をいただくことに

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

10€で前菜・メイン・デザートがそれぞれチョイスできてワインもついている定食メニュー・デル・ディアだ。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

前菜はガルバンソ=ひよこ豆にした。暖かい物でしっかり胃袋に届くものが食べたい気分だ。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

お皿はガリシアの磁気サルガデロスに統一されていた。メインに子牛のグリル。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートにティラミス

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

ワインはラベル無しのリベイロ(ガリシア)の赤が1本「どん」と真ん中に。フルーツジュースの様で軽くて美味しかった。スペイン人のひとりで歩いているセニョーラが食事に入って来て挨拶をした。今日は色んな所で一緒になった。

食事のあとガイドブックを購入した。2種類あったけど薄くて軽いミシュランの物にした。もっと早く購入しておくべきだった。

サンチアゴの道ガイドブック
筆者撮影サンチアゴの道のガイドブック

 

ペンションに帰ってお昼寝、洗濯、明日の準備をして夕食はテラスでワインとサラダと買って来たハムとかで軽く済ませる。

サンチアゴの道パラスデレイのホテルで自炊

お昼にしっかり食べたのでお腹は減っていない、軽くて充分。

サンチアゴの道パラスデレイの夕食
筆者撮影サンチアゴの道

「食べたら寝るだけ」という素敵にシンプルな毎日。これが人間の生きる本当の姿に違いない。何も心配事は無い、あす起きたら歩けばいいのだ。

夫「誘眠剤~ちょうだい」私「え~自分の分しか持って来て無いし・・」「ったく」

 

サンチアゴの道3日目<パラスデレイからアルスーア29.5キロ>

 

とにかく良く眠れた。夫もぐっすり眠れ腰の痛みも良いらしい。起きたらベッドの横に荷物が散らかっていて自分でビックリした。兎に角寝たらしい、それくらい疲れていた。

ベッドの枕元にあった。Levantate con energia y peregurina con alegria. 韻を踏んでいて元気が出るのでこれを呪文に今日の約30キロを乗り切ろう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

夫がキッチンでコーヒーとパンの朝食を準備してくれた。暖かいコーヒーを飲めるだけでありがたいと思える。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

7時20分出発、出発は予定より遅いけど充分休んだので満足。今日も少し小雨。もし今日30キロ歩ければ1日余裕が出来てサンチアゴで1泊泊まれるのだ、やってみよう。無理なら途中で泊まればいい。

 

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

宿場町らしい風景、雨上がりの湿った空気も悪くない。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

それにしてもひとりで歩く人が多いなあ。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

私たちはずっと話しながら歩いていてそれも楽しいけれど、ひとりの人は心の深い深い所まで旅をしながら歩いているのかも。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

「あれっ」人だかりが出来ている、「なになに?」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

どうやらクレデンシアルのセージョに蝋の押印をしてくれるらしい。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

「日本人か?」と聞かれた。「そうだよ」と答えると「来年東京に行く。パラリンピックだ」それで彼が車いすだったことに気が付いた。La Huella 足跡という意味の蝋を付けてくれた。「スエルテ~幸運をね~」と言い合った。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

そこにバルがあったのでコーヒーを飲んでお手洗いを使っていく。コーヒー1€20x2

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

直ぐさきにもバルがあって、どうやらここと仲が悪いらしく向こうからしきりにラッパの音で牽制していてこっちのバルの主人も何だかんだ言い返している。なんか松竹新喜劇みたい。こっちのバルにみんなが入って行くので次のバルはそれが面白くなくて悪口を言い合っているらしい。カミーノは人生の道やなあと実感する。色んな人達が道にいてそこには様々なドラマがある。

少し先に教会、この村の教区教会のようで入り口入ったところでセージョを押してもらって少し小銭を入れる。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

 

モホンの上に履きつぶした靴を置いて行くのが流行りなのか。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

いよいよメリデに着いた。パラスデレイから15キロ地点で9月のグループはここで宿泊だ。街に入る手前に橋が架かっている綺麗な街だ。15キロなんて何でもない。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

橋のたもとのバルレストランが良い感じだった。9月はここでランチも良いねとメニューを見せてもらった。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

国道の方に行って9月のグループの宿泊ホテルをチェック。ホテルのオーナーはとても感じの良い人で色々教えてくれた。メリデはタコが有名でホテルの近くの店を教えてくれたのに今更いかなかったことに後悔している。この日は30キロ歩くので気持ちに余裕が無かったのだ。さあ前に進もう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

メリデを出たらまた木が茂った綺麗な街道。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

自転車に荷物を積んで引っ張るのも大変でしょうね。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

メリデを出て4.5キロでボネンテという村、教会があり国道と交差している。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

暫く登り坂が続き次の村カスタニェーダの集落にバルがあった。14時になってお腹も減ったので休憩しましょう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

一つ目はやめて次のバルに入って「トルティージャでも食べましょう」と荷物を置いて座ったら「トルティージャは無い」と愛想悪く言われてしまった。前のバルにはもう戻りたくないし、ちょっとしょんぼりしながら前に進む。「ガリシア人愛想悪すぎっ」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

川のほとりにベンチが有ったのでここで休憩する事にした。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

昨日買った缶詰とマドリードから持ち歩いている生ハムと昨日の残りのパン。これで充分美味しいランチになった。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

森の中を歩いて行く。時間によって森の臭いが違うのだ。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

アルスーアの標識が見えた。

 

あともう少しの所からまさかの登り坂。もう気力のみで一歩一歩、前は見ないで自分の足だけを見て歩いて行きそして到着した。歩けば着くんだと知った。

9月のツアーの下見をしたペンションで力尽きもう立てない。値段を聞いたら少し安くしてくれるというしここに泊まる事にした。ペンション・ア・ルア部屋40€で朝食別。明日食べるんだったら朝食もひとり3€でいいよ。優しさが身に染みた。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

部屋の写真も撮り忘れ次の朝に取ったので乱れた状態です。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

バスルームはもちろんシャワーのみですが熱いお湯が充分でました。

 

お掃除も行き届いた清潔なお部屋でした。

 

巡礼の街はどこも先に道が出来た後街が出来たので細長い。道沿いに宿場町が発展していったのが良くわかる。

街の中心部ではガイタ(ガリシアのバグパイプ)のコンクールの様で村人が集まっていた。

30キロも歩いたからにはお祝いをしなければ。夕食は美味しい所をみつけましょう。ネットで検索したらここが一番というので来てみたのが「カサ・ネネ」「Casa NENE」

19時30分頃予約なしで入ったら「今は満席、15分位まったら何とかなる」と言う。結局30分位待って「忘れられている?」って頃にどうぞと2階に。「やっぱりガリシア人て愛想悪いよね~」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

2階に案内され、なんと小さなレストランでこれは待っても仕方ないと納得。 ほとんどが道を歩いている人達のようだけれどちょっと綺麗な服装の人もいてちゃんと着替えを持って来ているんだねえ、と感心した。

メニューはどれも今風のメルカード創作料理風。前菜にエビのフライ

何を食べたのか全く記憶にない一品

ソロミージョ牛肉のフィレの焼いた料理

ワインはガリシアのゴデージョというぶどうの白ワインを一本

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

食事の後の記憶が殆どなく起きたら朝だった。何と平和な毎日なんでしょう。

サンチアゴの道4日目アルスーアからオーペドローソ19km

朝食は7時から、と言われ混んでいると困ると急いでやってきたら誰もいなかった。昨日のレセプションの女性がキッチンにいて「卵食べる?」

サンチアゴの道アルスアのペンション
筆者撮影サンチアゴの道

簡単なブッフェだが果物もあって巡礼者には充分だ。さっきキッチンで卵作ってた女性はもうホテルの方のレセプションで出発のお客さんの手続きをしていた。スペイン人働かないって言ってる人誰?

7時45分アルスーア出発

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

今日は雨は大丈夫な感じ。2.4キロ40分位歩いたプレグントゥーニョに1件目のカフェ更に20分程でもう一軒カフェがあった。

サンチアの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

昨日の雨で道はぬかるんでいるが今日は足に豆が出来て靴を履くと痛いので靴下を履いてトレッキング用のサンダルを履いて歩いた。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

遠くから「ジントニック~」と聞こえてきた。ポルトマリンで合ったスペイン人の3人組のセニョールたちだ。見違えるほどのスピードで歩いていった。ジントニックを飲んだら元気になるよとか言っていたなあ。なんだか戦友にあった気分だ。

アルスアから6キロ地点、2時間半位でカルサダという集落にカフェ。お手洗いが女性の方が壊れていて列が出来ていた。ジントニックのおじさん達はここで休憩らしい。私たちはもう少し進んでみよう。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ビール瓶で作った門があるバル。ビール瓶に日付と名前がはいっている。沢山の人達が飲んでいったビールに歴史。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ビール瓶で作った免罪の門プエルタ・デ・ぺルドンと書いてある。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

更に先にはアルベルゲの壁に巡礼者の履きつぶした靴を植木鉢にして飾ってあった。靴は巡礼の象徴やね。800キロ歩いたら潰れるのかな。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

時々で会う逆向きに歩く人、何故なんだろう。サンチアゴは後ろ。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

次の村ボアビスタに着いた。休憩所があるみたいなので覗いてみる。ここは写真屋さんもやっていて記念写真を撮ったらサンチアゴで受け取れるという。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

外にポートレート写真が飾ってある。Casa da boaVista眺めが良い家かな、ガリシア語はほとんどポルトガル語やね。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

建物の中はとっても素敵でお手洗いも男女別で綺麗。農家がやっているんだと思う、広い農地が見えるテラスでコーヒーをいただき休憩。荷物を降ろすとホッと一息だコーヒー2杯で3€80centは少し高めかもしれないが美味しいコーヒーでした。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

更に2キロ程歩いたところに村があった。Salcedaサルセダ。サンチアゴまで28キロ位の地点。定食8€は安いけど見るだけ。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ここから1キロ弱位、サンチアゴまで27.3キロ位の所で国道に面したところにもう一軒。広いParrilladaと書いてある炭焼きもやる本格的レストラン。

更に2キロほどでレストランがありこの辺りは休憩するところは沢山あった。

あとサンチアゴまで25.026キロ。少しづつ近づいている。必ず減って行くのが嬉しい。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ

13時ア・ルアに着いた。ここはは9月のグループが宿泊するところ。5時間程で18キロ歩いたことになる。素敵なペンションはお掃除終わったばかりみたいなので扉の外から9月のグループの件で少し話をした。サンチアゴの道のペンションはどこも13時頃には入れるようだ。みんな早く出ていって早く着くからという事ですね。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

あと1キロで本日の目的地オーペドロ―ソに到着です。「今日はどうしよう?」「せっかく寝袋背負って歩いているのでもう一泊位アルベルゲに泊まってみようか?」と私たちの意見がまとまりパブリックのアルベルゲに行ってみる。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

丁度ペドローソの街に入ってすぐにアルベルゲがあった。

サンチアゴの道オーペドロ―サ
筆者撮影サンチアゴの道

なんだか機嫌が悪そうなセニョーラが受付け「ベッドは有ります」。身分証明書とクレデンシアルを見せてひとり6€x2を支払い使い捨てシーツを受け取る。

サンチアゴの道オーペドロ―サのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

ベッド番号32と33、2段ベッドの上と下だ。ベッドの準備をしてシャワーを浴びて洗濯をして出かけます。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

公共エーリアは広々していた。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

コイン式の洗濯機。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

洗濯物を干すのも競争率は高い、既にいっぱいだ。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

ここのアルベルゲが良かったのはベッドごとに電気があった。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

今夜の睡眠用に誘眠剤を買いに薬局に行った。私が持ってきたのは飲み切ったので購入する。

サンチアゴの道オーペドローサの薬局
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴの道らしく足の豆用品が全面に出ていた。

サンチアゴの道オーペドローサの薬局
筆者撮影サンチアゴの道

ランチは薬局で夫が美味しい店を教えてもらっていた。地元民に聞くのが一番だ。薬局からも近い「お肉ならここ」と言われたらしい。Asador Pedrouzo

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

入ったところは満席だったが奥の方に案内された。お肉のメニューでサラダとデザートもついてひとり15€。アツアツの鉄板で自分で焼きながらいただく。

美味しいハウスワインもついてサラダとポテトフライ。

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートにチーズケーキ。

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

話しかけてきたのはアメリカに住む中国人。去年日本に行ってとても気に入ったので又行きたいらしい。サンチアゴの道はフランスから歩いているという。

ランチにしっかり食べたのでもう夕食はいらない感じだった。明日の準備をして果物とピスタッチオで終了して早くねます。今日は夫も誘眠剤を飲んで眠れるでしょうか。

サンチアゴの道5日目ペドローソからサンチアゴ20キロ

今日はサンチアゴに着くので周りの人達もみんななんだかソワソワしている気がする。早くから動きはじめて6時頃にはざわついていた。夫も今日は眠れたようだ。持っていたコーヒーを電子レンジで沸かしたお湯で作ってくれた。6時50分出発。街を出るのに矢印が無くて少し遠回りをしたようだ。昨日のレストランの方から行けばよかった。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

早朝の森の臭いや鳥の声、毎日歩いているから少しわかって来た。時間によって森の臭いが変わって行くのだ。歩いているときに胸の奥の方からフツフツ沸き上がって来る幸福感に満たされる。脳から出る幸福ホルモンとは別のシステムの様な感じでもっと原子的な人間の根源の奥深い所から湧きだしてくるような不思議な感覚だ。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

せっかく買ったガイドブックに出ているSan Antonという村は通過しなかった。このガイドブックなんだかあちらこちらで違っているなあ。1時間程歩いたところにバル、トンネルを超えてもう一軒バル。私たちは休憩なしで歩く

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

その後軽い登り、しばらく行くとまた人だかり。覗いてみたら蝋のハンコを押してくれるらしい。並んでいるからここは通り過ぎる。もうハンコも随分集まったしね。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

モホンに大きな石を積み上げた人、すごい力持ち。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴ空港の近くを歩く。飛行機が降りてくるのが間近に見えた。

空港の敷地の金網のすぐ横がサンチアゴの道なんだ、というか「道」の方が先にあったんだよね。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

Labacollaラバコジャの村に入ったところに2軒バルがあった。休憩しよう。コーヒー2とドーナッツ2で4.6€

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

大きな豪邸が続く住宅街を歩く、登りが続く。

 

キャンプ場があってそこに売店とレストランがあった。もうこの辺りはサン・マルコになる。サンチアゴはすぐそこだ。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

キャンプ場から更に1キロほど歩いたところにもレストランがあった。ここは街にあるようなレストランでメニューをみたら食べてみたくなるようなものがある。この先のサンマルコに泊まって次の日サンチアゴに入るような予定ならここでランチもいいと思う。私たちはサンチアゴに本日中に着きたいので前に進んだ。

サン・マルコ教会に到着。ここはサンチアゴの観光をするときにグループのお客様と時々やって来る所でモンテ・ゴソのすぐ近くだ。ローマ法王ヨハネパウロ2世が1998年に訪れた記念のモニュメントがある。そして世界のカトリックの若者の祭典が行われたときに大きなアルベルゲが作られた。にここで宿泊して明日の早朝にサンチアゴに入る人も多いに違いない。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ、サンマルコの教会
筆者撮影サンチアゴの道

サンマルコ教会から少し巡礼の道から外れていつものモンテゴソのモニュメントに行った。旅行会社のサンチアゴの観光のパンフに乗っているところなのでここはバスでやって来て写真を撮る場所、実際カミーノを歩いている人はあまり行かないようだ。天皇陛下が皇太子だった時に日西友好行事で訪問されて遊歩道が綺麗に整備された。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

ここからサンチアゴ・デ・コンポステーラの街まで「たったの5キロ」が随分長く感じた。歩くところが今までの様なウキウキする綺麗な森じゃないからだと思う。

サンチアゴの道、サンチアゴ・デ・コンポステーラ
筆者撮影サンチアゴの道

車が走る大きな道路やスーパーやガソリンスタンドを見ながら、サンチアゴの街は大都会なんだと感じた。マドリードから直接到着した時の印象と同じ町に入った時の感じ方がこんなに違うんだねえ。

旧市街に入って行くポルタ・ド・カミーニョに着いた、かつてここには巡礼者が街に入る城門があった。今は名前だけが残るここからサンチアゴの旧市街に入る。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

巡礼の門を入るとセルバンテス広場を通り抜け大聖堂に到着だ。

サンチアゴのサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

こんなに待ち焦がれたサンチアゴの到着なのに、もう終わってしまうんだと大聖堂に近づくほどに切なくなった。「泣いてしまう程嬉しい」に違いないと想像していたので自分の心の動きに動揺した。心が空っぽになったのだ。

サンチアゴの道サンチアゴ・デ・コンポステラ
筆者撮影サンチアゴの道

大聖堂は現在工事中で中に入れるのはプラテリアの入り口からで9時から20時のみ。まずはサンチアゴ様にご挨拶をします。リュックをその辺に「ぽいっ」と置いて中に入った。

サンチアゴの道サンチアゴデコンポステーラ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴ様のお墓にご挨拶に行こうと思ったらものすご~く混んでいた、私たちはもう少し後で戻ることにして巡礼オフィスに向かいます。この時間は巡礼者が皆歩いて着くので混むんですね。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

巡礼オフィスも大混雑で40分程並んで証明書を手に入れました。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

別途3€支払うと「歩いたキロ数を書いた証明書」がでる。カウンターで何か聞かれたらこれですが夫よく話を聞いていなくて「シーシーはいはい」と言って購入していた。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

ランチはこの近くの評判が良いレストランに予約なしで行ってみたら「この席で良かったらどうぞ」と案内された。

A Horta do Obradoiro オブラドイロ広場から徒歩すぐの所。

サンチアゴの道サンチアゴのレストランオルタドオブラドイロ
筆者撮影サンチアゴの道

イカスミのリゾット

サンチアゴの道サンチアゴのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

オックステール

サンチアゴの道サンチアゴのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートはガリシアのデザートでフィジョア、クレープの中にクリームやアイスクリームが入っている。

宿泊はモナステリオ・サンフランシスコ・ホテル、最後だけちょっといいホテルに泊まりたかった。

サンチアゴの道、サンチアゴサンフランシスコホテル
筆者撮影サンチアゴの道

ネットでホテルの公式ページから探すと巡礼者値段で割引料金一泊朝食付きダブル・ルーム1部屋175€。

サンチアゴの道サンチアゴ、サンフランシスコ修道院ホテル
筆者撮影サンチアゴの道サンフランシスコホテル

 

休憩の後午後に大聖堂に入ったら随分空いていてゆっくりサンチアゴ様にご挨拶をしてきました。膝をついてお墓に向き合ったら空っぽになった心がじわじわと何かで満たされていって涙が出た。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

翌日、サリアに戻ります

久しぶりのホテルでのんびりできた。チェックアウトをして朝からもう一度大聖堂に戻りサンチアゴ様に挨拶をした。あとは帰るのが惜しくてサンチアゴ・デ・コンポステーラの街をうろうろ。時間があればフィニステーレまで行ったに違いないが帰らなくては、仕事が待っている。サンチアゴの台所「アバスト市場」のタコ屋は月曜も開くらしいので行ってみた。(スペインでは市場の魚屋は月曜日休みなので)

サンチアゴの道、サンチアゴのアバスト市場のタコ屋
筆者撮影サンチアゴの道

新市街地に出来ているメルカード・ラ・ガリシア―ナはマドリードのサンミゲール市場の様なフードコート仕立て。寿司屋もあった。

サンチアゴの道サンチアゴの
筆者撮影サンチアゴの道

バスターミナルに早めに歩いて行って15時30分のルーゴ行きのバスに乗りましょう。窓口に誰も来なくて心配になったが14時45分窓口に人がやって来た。切符を買う時に「サリアまで行くんだけど~」といったらサリア直行があるけど「15時発はあっちの会社」「エーあと2分」とダッシュしたのは私たちだけでは無かった。調べ方が甘かったが、ぎりぎり間に合った。

 

サンチアゴからサリアは約3時間のバスの旅。5日間かけて歩いた距離をバスで3時間で戻るのは不思議な気分だ、歩いた道とは違うルートだけれど。

サリアのバスターミナルに到着。

マグダレナ修道院まで歩いて戻って行った。キャンピングカーが無事待っていてくれた、少しだけ心配していたので安心。

一緒に歩いた杖は家まで持って帰る、もう捨てられない。

サンチアゴの道サリアに戻ったところ
筆者撮影サンチアゴの道サリアのマグダレナ修道院

車のエンジンを掛けて、さあ出発。この時期は22時頃まで明るいので行けるところまで行って休もう。

 

途中お腹が減ったのでラーメンを作っていただきます。

 

カスティーリア・レオンに入るとどこまでも平ら。カミーノもここはつらいだろうなあ。

私は途中記憶を失っていたが気が付いたらマドリードに帰って来ていた。12:30マドリードの家に無事到着。

サンチアゴの道の旅を3分間のビデオにまとめてあります。

カミーノが終わって

あっという間のサンチアゴの道の旅でした。マドリードで日常に戻ってこれを書いているが、まだ歩いていた時の森の臭いや鳥の声を思い出す。辛かったけど重い荷物を持って道を歩いている時が幸せだったと後から気が付いた。道は人生なんだなあ。

 

スペインとポルトガルの旅、マラガ,マルベージャからリスボンとポルトの旅の記録2019年

ポルトガルに久しぶりに行って来た。今回のお客様は2年前にバスク地方を一緒に旅行した方。「今年のゴールデンウィークに南スペインからポルトガルに」と打診がありプライベートカーで旅した記録、自分用忘備録。

 

日程はマドリード新幹線でマラガ、車でマルベージャ、リスボン、オビドス、コインブラ、ポルト


1日目イベリア航空にてマドリードに到着

お客様は成田空港からマドリードまでイベリア航空直行便にて18時30分到着。この時期はまだまだ太陽は空の上にある。イベリア航空の直行便は座席数が少なく特にビジネスクラスは17席しかないので半年以上前に航空券だけ先に購入していただいた。兎に角東京マドリード間イベリア航空は今スペイン人達の訪日観光で人気で非常に取りにくい。旅は中身は何とかなるという事。

ポルトガルの旅
筆者撮影

宿泊ホテルは老舗の5つ星ウェリントンホテル。高級住宅街サラマンカ地区にあり闘牛祭の時は有名闘牛士が宿泊するホテルだ。マドリードの5つ星ホテルの中ではこじんまりしていて私個人的に好きなホテルのひとつ。

<マドリード、ウェリントンホテル入り口>

ポルトガルの旅、
筆者撮影

チェックインの後ホテルの近くのバルに出かける。アルボラ(albora)はミシュランのレッドガイドで星ひとつのレストラン。そのアルボラのバル部門でワインと生ハムをいただくことに。ここはいつも混むので開店20時30分に入って何とか座れた。

<マドリード、ミシュラン星付きレストランアルボラ>

ミシュラン星付きレストラン、アルボラ
筆者撮影、Madrid albora

 

「お腹はあまり減っていないです」との事で軽く生ハムを。ここはホセリート(Joselito)のビンテージ物(年代もの)の生ハムがあって2013年14年15年と選べる。どの年のが良いか聞いたら「2014年が最高」とお店の支配人。ではそれでお願いします。

<マドリード、ミシュラン星付きレストラン・アルボラの生ハム>

マドリードの星付きレストランのバル、アルボラの生ハム
筆者撮影 albora jamon iberico

ワインと生ハムでしばらくお話をして外に出たらすっかり暗くなっていた。

<マドリード、ミシュラン星付きレストラン、アルボラ>

マドリード、ミシュラン星付きレストラン、アルボラ
筆者撮影

もう一軒バルのはしごをご希望でアルボラの迎えにあるColonial de Goya。テラスでワインとおつまみ。爽やかな風が吹いてテラスが気持ちいい時期になりました。

<マドリード、バル・レストラン、コロニアル・デ・ゴヤ>

バル・レストラン、コロニアルデゴヤ
筆者撮影、Colonial de Goya

グラスの赤ワインとおつまみを注文。前の旅行の思い出や今回の旅行の事などをしばらく楽しく過ごして終了

マドリードのバル・レストランのテラスでつまみとワイン
筆者撮影、バル・レストラン、コロニアル・デ・ゴヤ

ウェリントンホテル

マドリード ウェリントンホテルのレセプシオン。

マドリード、ホテル・ウェリントン
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントン

マドリードウェリントンホテルの部屋。

マドリード、ホテル・ウェリントンの部屋
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントンの部屋

バスルームの洗面所は2つ付いたタイプ。

マドリード・ホテル・ウェリントンバスルーム
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントン

 

2日目マドリードからマルベージャ

ウェリントンホテルの朝食は朝7時から。エレガントなレストランは朝食にしか使っていな。

ホテル ウェリントンの朝食会場
筆者撮影、マドリード、ホテル・ウェリントン

果物や甘い物、ハムソーセージ等がそろったブッフェの朝食です。

ホテル ウェリントンの朝食
筆者撮影

ホテルを出発してマドリード・アトーチャ駅に到着。アトーチャ駅の構内は1886年に完成した頃のまま使われており内部は熱帯植物園になっている。

アトーチャ駅内部
筆者撮影、アトーチャ駅

スペインは新幹線に乗る時手荷物検査がある。持っている手荷物やスーツケース、ハンドバック等をすべて機械に通す。飛行機程の厳しい検査ではないので水やクリーム状の物は問題なし。

 

列車が出るホームは出発の約30分程前に掲示板にでるのは空港とほぼ同じ要領。もともとスペイン新幹線AVEのコンセプトは飛行機のサービスを地上で。座席はプレフェレンテというビジネスクラス仕様なのでアトーチャ駅のラウンジを利用。飲み物を自由に取れてここも空港のラウンジを意識して作られている。

アトーチャ駅のビップルーム
筆者撮影、アトーチャ駅

出発の訳30分程前になるとホームが掲示板に発表になる。アトーチャ駅には改札は無く発表されたホーム番号に列が出来るのでそこに並んで係り切符を見せバーコードのチェックを受ける。

アトーチャ駅
筆者撮影、アトーチャ駅

スペイン新幹線AVEのプレフェレンテクラスの座席はA通路、BC

スペイン新幹線内部
筆者撮影

各座席に充電ができるよう各種のソケットが付いていた。日本のタイプも大丈夫。

スペイン新幹線
筆者撮影

暫くするとメニューが配られてきて朝食です。さっきホテルでいただいたばかりですが。

スペイン新幹線、食事メニュー
筆者撮影

今回は朝なので朝食だけれどランチの時間ならもう少ししっかりしたものが出る。

スペイン新幹線、食事
筆者撮影

9時35分にマドリード、アトーチャ駅を出たアベは12時22分マラガ、マリア・サンブラーノ駅到着。ドライバーと合流の後、ランチ場所に移動。今日は総選挙の日曜日、スペイン人達は選挙の後家族で食事に行くので混む前に先に食事をしておきましょう。

マラガ駅
筆者撮影

マラガ市内から東に海沿いを移動したEL TINTEROエル・ティンテロに到着。マラガの海岸沿いにあるレストランでお天気がいいので海の見えるテラス席で。

マラガ レストラン エル ティンテロ
筆者撮影

地元では知られたマリスケリアで小さなイワシが墨で焼かれていく。

マラガのレストラン イワシを焼くところ
筆者撮影

暫くしたら随分混んできた。

マラガ レストラン エル・ティンテロ
筆者撮影

エルティンテロはキッチンで準備が出来た食べ物をカマレロ(ウェイター)が運んでくるのを好きなものを取る飲茶の様なシステム。イカなら「カマレロ~カマレロはいらんかい?」とか「イワシが焼けたよ~イワシ~アツアツのイワシ~」とか言いながら席を廻って来るのが面白い。

マラガのエルティンテロ
筆者撮影

食事のあとはマラガの街を少し散策しましょう。絵を描くお客様なのでピカソ美術館とピカソの生家を訪れた。

マラガのピカソの生家
筆者撮影

マラガはフェニキア人ややって来て作った街。その後カルタゴやローマ等がやって来ていて街にローマの遺跡、その上に有るのはイスラム時代の要塞跡。

マラガのローマの遺跡
筆者撮影

このままマルベージャに行くには少し早いので白い村ミハスに行ってみた。地中海沿岸にはイスラム教徒の時代に人々が暮らした美しい白い村が沢山ある。少しだけ綺麗なところを散策。

ミハスの白い村
筆者撮影

ミハスは随分観光地化しすぎてもうあまり面白くは無いけれど絵的には良い所が沢山ある。

ミハスの白い村
筆者撮影

ミハスからマルベージャは車で約30分で到着。ホテルはマルベージャの市内のアマレ。

マルベージャ ホテル アマレ

マルベージャ、ホテル・アマレは比較的新しいホテルでここに宿泊するのは初めて。街の東橋の方にありホテルはビーチのすぐ前。近くにスーパーもあり立地は非常に便利。

マルベージャアマレビーチロビー