ビルバオにあるグッゲンハイム美術館とビルバオの街についての記事です。スペインバスク州にあるビルバオは2018年のヨーロッパの最優良都市賞に選ばれた。リュブリャーナとウイーンとビルバオの3都市が最終選考に残っていた中からの最優秀賞。街の規模がちょうど歩いて廻れるサイズで視線に入るすべてのものがとても綺麗。私はもともと「バスク好き」なのですが最近は「ビルバオ好き」になったので仕事用に色々調べたことをまとめました。ビルバオのグッゲンハイム美術館の展示作品、ビルバオの街や再開発ビルバオ効果について書いてみました。
ビルバオはバスク自治州ビスカヤ県の県都。都市の人口35万人だが周りの都市圏の人口を入れると100万人の大都市。北部スペインでは最大の街となる。街の名前ビルバオはバスク語では「ビルボBilbo」道路や街の標識はカスティーリア語(標準スペイン語)とバスク語2カ国語表記。
ビルバオは歴史ある街
ビルバオはグッゲンハイム美術館で有名になったがもとは中世にサンチアゴの巡礼街道として栄えた小さな街。1300年頃にはネルビオン川に沿って発展し海洋交易で栄えた。今も旧市街に行くとサンチアゴ大聖堂や中世の街並み、ネルビオン川沿いには昔の風情が残る。
鉄鉱石で栄えたビルバオには1857年(日本の明治維新よりも10年も前)には鉄道が走りビルバオ銀行(現BBVA銀行の前身)やビルバオ証券取引所が設立されている。ビスカヤ橋は明治25年に創られた運搬橋。当時の先端技術で作られた世界で最も古い運搬橋で現在も公共の交通機関として使われている。
<ビルバオ郊外にあるビスカヤ橋>
<1899年のビルバオ 製鉄工場>
ビルバオは19世紀の中頃付近の山から取れる鉄鉱石の採掘で発展し船でイギリスへ輸出し帰りに石炭を持って帰って来た。これによって製鉄業が発展した工業の中心地となった。
ビルバオは世界で最も成功した再開発の街
鉄鉱石が取れ歴史的に造船が主力だったビルバオは第2次世界大戦後は鉄鋼業で栄えたが次第に重工業の衰退、日本や韓国等との競争で負け、公害とETA(バスクの独立を求める過激派組織)のテロで人口減少が進み失業者があふれてスラム化し煤けたイメージの街になる。
工業都市としての未来が見えない中ビルバオに1983年大洪水が起こり、これを機に工業の街からサービス業へと産業構造の大転換を図ることになる。
1989年にビルバオの都市の再生と文化への投資の計画が始まった。「15億USドル」の総合的な再開発プロジェクトが計画され都市インフラの整備、文化施設の建設や港湾の再整備等18件のプロジェクトが準備された。
ビルバオ新空港や街のインフラの整備
街から9キロの所にあるビルバオ空港を2000年に新しく完成させた。建築はスペイン人建築家サンチアゴ・カラトラーバ氏。イメージは白い鳥が翼を広げて空を見上げる。きれいな流線型のカラトラーバらしいエレガントなデザイン。2002年街へ向かうバイパスが山の中に開通することによってビルバオの街と空港のアクセスが抜群に良くなった。市内の地下鉄と同じICカードBARIKが使える。路線バスに乗れば中心部までたったの15分。
<ノーマン・フォスターによるビルバオメトロの入り口>
地下鉄やトラムを走らせ人の流れを即し、河によって分断されていた労働者地区と富裕層の地区を橋を架けて移動できるようにした。街作りのコンセプトは人の流れ。
<サンチアゴ・カラトラーバのスビスリ橋>
工場の跡地に公園を作り、商業施設や図書館等を整備し、グッゲンハイム美術館の誘致に成功した。自転車道や遊歩道を町中に巡らせ創ることで「人の移動」をコンセプトに入れた街を計画的に時間をかけて完成させた。「ビルバオプラン」は最も成功した街の再開発例と呼ばれている。現在のビルバオは町のいたるところに公園や広場があり人々がくつろぐ姿が街のゆとりとして感じられる。
グッゲンハイム美術館ビルバオ
グッゲンハイム美術館のビルバオ分館。ビルバオが鉄鋼の煤けた街から近代アートの街への変換の起爆剤になったのはこのグッゲンハイム美術館の誘致だった。1997年10月18日に開館。2017年は美術館開館20周年で記念行事が行われ、一か月間ビスカヤの住民は無料で美術館へ招待され普段興味のない人達も随分やって来た。
<住宅街の向こうに見えるグッゲンハイム美術館>
何でもないレンガの集合住宅の向こうに斬新な建物が見える、このグッゲンハイムの見えた方が一番かっこいい、と個人的に思う。
グッゲンハイム財団て何?
グッゲンハイム家はスイスに起源を持つユダヤ系ドイツ人の家系。後にアメリカに移民したマイアー・グッゲンハイム一家は鉱山の経営と精錬で財を成した。マイアー・グッゲンハイムの息子ソロモン・ロバート・グッゲンハイムが66歳で引退し現代アートのコレクターとなる。財団が設立されニューヨークのマンハッタンに美術館を開館。5番街の現在地に移ったのは1949年。別途姪のペギーグッゲンハイムがベネチアの館を購入し自身のコレクションを公開。彼女の死後ペギーグッゲンハイムコレクションとして同財団が運営。
<ニューヨーク五番街のグッゲンハイム美術館・フランク・ロイド・ライト建築>
最初は1939年に自動車ショールームを改装してグッゲンハイム氏のコレクションを公開した。1959年に上記写真の本館が開館。建築はフランク・ロイド・ライト氏。しばらくは本館のみの運営だったが1988年に館長がトーマス・クレンズ氏になり美術館を国際的に広げ行く戦略のひとつがビルバオ。
グッゲンハイム・ビルバオは開館した時は5つ目の美術館だったが現在運営中のグッゲンハイム美術館3館中のひとつとなる。
(グッゲンハイム・ラスベガス、グッゲンハイム・エルミタージュ、ドイツ・グッゲンハイムは閉館。グッゲンハイムヘルシンキは建設中止、グッゲンハイムアブダビは現在建設停中)
グッゲンハイム財団のグローバル戦略
グッゲンハイム財団の理事会が世界的な美術館グループを創造する計画を採択した「グローバル戦略」が決定した、丁度その時バスク州政府からビルバオ市の再開発への参加の要請があった。お互いの利害関係が上手くリンクした相思相愛の結果、数か月の交渉の末基本合意が結ばれた。
グッゲンハイム・ビルバオ
グッゲンハイムビルバオがある場所はスペイン国鉄のコンテナ置き場や造船所があった一帯でアバンドイラと呼ばれる地帯。1993年にスペイン内外から5人が招待され指名コンペが行われアメリカに住むアルゼンチン人のシーザーペリの案が入選。遊歩道やショッピングセンタ―、ホテルなどのシンプルな案が採用された。写真右端の高層ビルはシーザーペリの設計、イーベル・ドローラ(エネルギー会社)本社ビル。
グッゲンハイム美術館誘致の条件
条件は1億USドルの建設費用をバスク自治州が負担すること、5000万USドルを作品の新規購入費用に充てる事、グッゲンハイム財団に展示会一回あたり2000万USドルを支払う事。美術館年間予算1200万USドルを補助することなど。受け入れ側にとって負担の大きいこれらすべてを承諾しバスク州とビスカヤ県とビルバオ市で賄った。
建築に8900万USドルか使われ予算も日程も予定通り建設された。開館後すぐに世界中からビルバオに観光客が訪れ最初の3年間に400万人5億ユーロの経済効果を得る。バスク政府は観光客がホテルやレストラン、ショッピングで使う金額は年間1億ユーロになり支払った以上の恩恵があったとしている。2005年のビルバオ年間観光客数が5万人、現在年間約100万人の観光客を受け入れており最も成功した都市再開発の例で「ビルバオ効果」などと呼ばれている。今も都市計画は続いていて、街は活気あふれ未来へ目を向けている。
計画当社は「財力に任せて作品を買いあさるアメリカの美術館」をビルバオに置くことに懐疑的な人が多かったが結果を見て納得の住民が増えたのは間違いない。
建築家フランク・オー・ゲイリー
グッゲンハイム・ビルバオのコンペには日本人の建築家、磯崎新氏、オーストリアのクープ・ヒメウブロイ氏が参加。バスク州政府とグッゲンハイム財団による審査でフランク・オーゲイリー氏の案が採択された。
フランク・オー・ゲイリー氏はユダヤ系カナダ人。現在はアメリカ合衆国のロサンゼルスを本拠とする。1929年生まれ。本人は否定するが脱構造主義の旗手と呼ばれプリツカー賞や日本の高松宮殿下記念世界文化賞などの賞で評価を受ける。
ソフトウェア技術に精通し航空力学・機械設計ソフトを建築に使い複雑な形を現実の構造にするのに解決している。技術がゲイリーの建築に追いついた形だ。
フランク・オー・ゲイリーはビルバオの近くの山に登ったり飛行機から見下ろして街の地形に最もふさわしい建築を考えた。
構造は鉄骨、その上に2㎜の亜鉛メッキが貼られ表面にチタンが貼られている。チタンはアメリカ製、イタリアで加工。複雑な構造を解析するため航空機などに使うコンピュータープログラムcatiaが使われた。
表面には平らな面が一切なくチタンの板がうねる。チタンは強く、錆びにくく、軽い、が細工が難しい。そして高額である。丁度ロシアの宇宙開発が下火になりチタンの値段が下がったという条件がそろった。
石とガラスとチタニウムの不思議な建物の全体像は咲き始める花の様にも、川に浮かぶ船の様にも、そして表面のチタンは魚の鱗のようでもある。フランク・オー・ゲイリーはユダヤ教の宗教的な儀式で家族で魚を食べる事が度々あった。子供の頃の記憶に何か独特の感覚があったようで魚をテーマにしたほかの作品もある。
<神戸にあるフィッシュダンス フランク・オー・ゲイリー>
フィッシュダンスは神戸開港120年を記念して創られた作品。フランク・オー・ゲイリー設計、安藤忠雄監修。海のそばにあるので亜鉛メッキが錆び、神戸市が勝手にピンクに塗り替えて(鯉だから?)作者から「作品に対する侮辱」と大クレームが来て塗りなおしたという経緯がある。今も神戸のメリケンパークにさりげなく元の色で置いてあります。
脱構造主義について少しだけ
もともと脱構造主義は哲学用語。フランス人の哲学者ジャック・デリダの著書「脱構築」という思想に影響を受けている。既存の床と壁で創られたありきたりの建築からの脱皮で長い間アンビルド建築(建てられない建築)と呼ばれてきたが技術の進歩で現実化するようになった。イラク出身のザハアディド氏、日本では磯崎新氏、安藤忠雄氏、等が有名。
グッゲンハイム美術館には外にも作品(これらは無料で見れる)
パピー <ジェフクーンズ>
<秋の着替えの後のパピー>
ウエスト・ハイランド・ホワイト・テリア(犬)。年に2回だけ衣装替えします。春の方が花の色が鮮やか。内部から水をあげるシステムと一番上にも水が散布され機械が付いている。身長12.4メートルの巨大な子犬は美術館のシンボルになっている。
<春の着替えの後のパピー>
もともとはドイツの展示会用に創られた。鉄の骨組みはいったん解体されオーストラリアでステンレス・スティールの骨組みに作り直し灌漑設備を付け再建された。1997年にソロモン・グッゲンハイム財団が購入。ジェフクーンズいわく「アートというのは見た人が幸せな気分になればそれでいいのだ」だそうです。
除幕式の日に庭師に変装したテロリストが爆弾を仕掛けようとしたがビルバオ警察が未遂で発見といういわく付で今はまさにビルバオの新しい顔のひとつ。
ママン <ルイーズ・ブルジョア>
足の長い独特のスタイルの母蜘蛛は今にも動き出しそう。作者はフランスのソルボンヌ大学卒業の数学者。絶妙なバランスの巨大な蜘蛛のお腹には卵がいて大理石製。ルイーズブルジョアは子供の時から蜘蛛が好きで良く見ていた。複雑な環境で育った子供時代の母親に対する愛情や切なさがこの蜘蛛になった。
霧の彫刻<中谷芙二子・ナカヤフジコ>
毎時0分に約5分間美術館の後ろ側の橋から霧が噴出する。風の少ない日はグッゲンハイム美術館が神秘的な霧で包まれる。アートとテクノロジー、自然とアートのコラボレーション。北海道出身のアーティストは父親が氷雪の研究者で世界的に有名な中谷宇吉郎。ナカヤフジコは霧の作品で自然と私たちの関わりを作品にしている。1970年の大阪万博ペプシ館ですでに霧の作品を展示。水の粒子や消えていくもの、自然界の変化を美術作品にすることで自然との共生を訴える。
火の噴水<イブ・クライン>
若くして亡くなったフランス人イブ・クラインの1961年の作品。毎日18時30分に池から火が噴出する。夏はこの時間まだ明るいのでインパクトが小さいが冬は暗い中水の中から火が噴き出て迫力がある。
チューリップ<ジェフクーンズ>
ジェフクーンズについては賛否両論。「チープだ、悪趣味だ、売名行為だ」等さんざん言われているが今一番稼いでいるアメリカ現代アーティストのひとり。まるで「ネットでの炎上を狙ったツイート」の様に話題性に事欠かないアーティスト。スキャンダルも「チープに消費されていくアート」としてその短命ささえも売りにしている?チューリップはセレブレイションという一連の作品のひとつ。ステンレス・スティールを彩色したもの。子供の頃の誕生日や祝い事の楽しい思い出などを作品にしてある巨大なチューリップ。
グッゲンハイム・ビルバオ内部
グッゲンハイム・ビルバオ内部は常設展と巡回展で運営されていて常設展も入れ替えが行われる。巡回展はグッケンハイム財団の持つ近代アートを中心に展示される。以下2作品は常設展の中で恒常的にあるもの。
マターオブタイム(リチャードセラ)
マター・オブ・タイムがある巨大な部屋はリチャードセラの作品を置くために創られ、これらの巨大な作品はこの部屋に置くために制作された「サイト・スペシフィック・アート」=「場所限定作品」。鉄の街だったビルバオにふさわしい鉄の巨大オブジェ。巨大な何百トンの鉄の板は一部を除いてくぎ打ちされておらず微妙なバランスの中で置かれている。中に入ることが出来る彫刻というのは非常に珍しく60度の傾きは内側に向いたり外側に離れたり中に入ると独特な感覚。歩き回って時間と空間の歪の中で楽しんでいる人達も作品の一部。動かない彫刻が空間を切り取って動いているような不思議な感覚を体験できる。ドイツの工房で作り陸路ビルバオまで運び部屋の奥からクレーンなどを使って設置した。奥の部屋で模型やビデオで作品の事が説明されている。
インスタレーション・フォー・ビルバオ(ジェニーホルツアー)
インスタレーション・フォー・ビルバオはワードアート=言葉を使ったアート作品で、サイトスペシフィック作品=場所限定なのでここに置かれる為にだけ創られた。発光ダイオードの光の文字がまるで証券取引場のような感じを見る人に与えるが一つ一つの簡単な言葉が心を打つ。エイズの基金に使われた言葉が繰り返し大地から湧いてきては天から降って来る。「I love you」「I touch you」「I hate you」等の簡単な言葉が次々地面から湧いては消えていく。作者はグッゲンハイム美術館のこの曲線のある場所が随分気に入ったそう。表面は光が反射する素材を選び色が変わると部屋全体のムードががらりと変わる。建築の曲線と反射する光も作品の一部。
後ろ側は同じ言葉がバスク語でブルーの発光ダイオードで繰り返される。使うことを禁止されたバスク語が後ろ側に使われることが作者からのメッセ―ジになっている。バスク語になると部屋がブルーに暗く輝き哀しい思い出で満ちる。じっと座って言葉を読んでいると湧いては消えていく言葉の繰り返しに不思議な感情がこみ上げてくる。
グッゲンハイム・ビルバオ展示品その他
巡回展が中心で一年間を通して様々な特別展が行われる。
建築があまりにもインパクトがあるので作品が霞んで見えると言われているが他にも抽象芸術や彫刻など近代アートが楽しめる。ロシア人マルク・ロスコ―、アメリカ人アンディーウォーホールやバスキア、カタラン人のタピエスの壁画、バスク人のオテイサ、チジーダの彫刻。
その他のビルバオ見どころ
ビルバオ美術館
2001年に改装され12世紀から近代までの作品が展示されている。エルグレコ、ムリーリョ、スルバラン、ゴヤ等スペイン絵画やクラナッハ、ゴーギャン、フランシスベーコン、広重とコレクションの幅は広く静かな中でゆっくり絵画を堪能できます。絵画好きなら足を運んでみては。
<ゴーギャン洗濯女>
ビルバオ旧市街
1300年ころにはサンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼街道の街として栄えていた。旧市街の中心にサンチアゴ教会がある。元は七つの通りと呼ばれていたようにサンチアゴ教会の周りに七つの通りが今もある。通りの名前も昔のままで風情がある。
<18世紀の絵と今も全く変わっていない>
旧市街は小さく店舗が沢山集まっていてショッピングも楽しめる。大聖堂とヌエバ広場やリベラ市場バスク博物館等を見ながら歩くと楽しい。
<旧市街の一角>
リベラ市場は1929年に創られた当時ヨーロッパ最大のマーケット。現在もビルバオの胃袋になっていて2011年に改装が行われ上の階には飲食店が入った。
<リベラ市場は生鮮食料品と上の階にはバル>
スペインの古い街には石の広場が残り何世紀も人が集まった。ビルバオのヌエバ広場は美味しいバルが集まっている。
<ヌエバ広場>
スビスリ橋と磯崎アテア
<手前の橋がスビスリ橋で奥のツインタワーが磯崎アテア>
橋は1997年開通。サンチアゴカラトラーバらしい流線型の美しい橋で、川で分断されていた街の右岸と左岸を繋いだ。「スビスリ」はバスク語で「白い橋」という意味。雨の日に表面がツルツル滑ると住人のクレームが付いたり建築家が向こうに出来た磯崎アテアに向かって自分の橋が架かっているようで不満だなどと街に訴訟を起こしたりと何かと話題になった。
磯崎アテアは2008年に完成した日本人建築家磯崎新氏とバスク人建築家のイニャキ・アウレコエチェアによる複合ビル。アテアはゲートという意味。もともと税関の仮置き場だった行程差のある不規則な土地に創られた。83メートル23階建てでバスクでは一番高い建築となっている。
アルチャンダ展望台へ
<アルチャンダ展望台からグッゲンハイム美術館と街>
スビスリ橋から山側の方へ少し歩くとフニクラの駅がある。ビルバオのmetroICカードが使える。登山電車でアルチャンダへ。
1915年に開業した登山電車。15分おきに運行していて約3分で山頂駅に。山の上にもレストランがある。ここからビルバオの街が見渡せる。
サン・マメス・サッカー場
アトゥレティック・ビルバオ
1898年設立のチームなので100年以上の歴史。ほかのスペインリーグのチームとの違いはこのチームのユースからの選手かバスク地方のクラブから来た選手しかいない。(バスク人の純潔主義で有名ですがバスク人でなくてもバスクのユース以下のクラブでプレーしていれば入団できるようです。)限られた人数からの選手達なのに常にトップレベル。もちろん一度も2軍に落ちたことが無いのが誇りの名門チーム。
<サンマメス球場>
ビルバオ・アクセス
ビルバオ空港から市内を結ぶ3247番のバス。空港と中心部Plaza de Moyua又はtermibus(バスターミナル)へ。
ビルバオへはマドリードやバルセロナから飛行機で1時間。サン・セバスティアンからバスで1時間30分ー2時間。
ビルバオ空港へはイベリア航空、ブエリング航空、英国航空、エアーフランス、ルフトハンザ、アリタリア、ブリュッセル航空、スイス航空、タップポルトガル航空、トルコ航空、等が乗りいれている。
ビルバオのバル
新市街や旧市街に個性的なバルが沢山ありそれだけでも来る価値あり。さらに美術館や様々な建築など街を目で楽しめる。
ラ・ビニャ・デ・エンサンチェla viña de ensanche
ビルバオ新市街地にある地元人気バル「ラ・ビニャ・エンサンチェ」はピンチョのレベルがとんでもなく高い。一つ一つの料理が高級レストランのレベルで地元の人でいつもいっぱいだ。
720分料理したイベリコ豚。小皿で3.5ユーロでした。
ビルバオのビニャ・デ・エンサンチェの店内はいつも地元の人達でいっぱい。
ラ・ビニャ・デ・エンサンチェのホーム・ぺージ
http://www.lavinadelensanche.com/es/
ビルバオグッゲンハイム美術館からラビ―ニャデエンサンチェは徒歩13分
グレトキ gure toki
ヌエバ広場にあるバル・ラ・グレトキはピンチョコンクールで優勝もしたことがある有名バル。ちょっとおしゃれなピンチョがカウンターに並んでいる。
グレトキのピンチョ
グレトキのホームページ
ビルバオ・グッゲンハイムからプラサヌエバのグレトキへ徒歩20分
ビルバオまとめ
ビルバオは治安がよく街がきれいでアクセスが抜群に良い。街の規模が丁度よくツーリスティック過ぎず生活感のあるところが又気分が良い。サン・セバスティアンは最近人気で随分混んでいるがビルバオはまだ静かで日常感たっぷり。そして物価はサンセバスティアンより安いのでバル巡りも安く楽しめる。
ビルバオ効果で世界の成功例となったひとつはバスクの経済力だ。バスクが潤沢に資金を使えるのは税収入を自分たちで使える権利を持っていて一部を中央政府に納入する。バスク州だけのBDPはヨーロッパ平均より高い。
*独立問題で燃えているカタルーニャがスペイン政府に求めている事のひとつが税金の徴収権。