ビルバオとグッゲンハイム美術館<世界で最も成功した再開発の街と近代アート>

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ビルバオは2018年のヨーロッパの最優良都市賞に選ばれた。リュブリャーナとウイーンとビルバオの3都市が最終選考に残っていた中からの最優秀賞。街の規模がちょうど歩いて廻れるサイズで視線に入るすべてのものがとても綺麗。私はもともと「バスク好き」なのですが「ビルバオ好き」になって帰って来たので色々調べたことをまとめました。

ビルバオ旧市街

ビルバオはバスク自治州ビスカヤ県の県都。都市の人口35万人だが周りの都市圏の人口を入れると100万人。北部スペインでは最大の街。街の名前ビルバオはバスク語では「ビルボBilbo」道路や街の標識はカスティーリア語(標準スペイン語)とバスク語2カ国語表記。

ビルバオは歴史ある街

もとは中世にサンチアゴの巡礼街道として栄えた小さな街。1300年頃にはネルビオン川に沿って発展し海洋交易で栄えた。今も旧市街に行くとサンチアゴ大聖堂や中世の街並み、ネルビオン川沿いには昔の風情が残る。

ビルバオ1575年
wikipedia public domain

鉄鉱石で栄えた街は1857年(日本の明治維新よりも10年も前)には鉄道が走りビルバオ銀行(現BBVA銀行の前身)やビルバオ証券取引所が設立されている。ビスカヤ橋は明治25年に創られた運搬橋。当時の先端技術で作られた世界で最も古い運搬橋で現在も公共の交通機関として使われている。

<ビルバオ郊外にあるビスカヤ橋>

ビスカヤ橋

<ビスカヤ橋の記事>

<1899年のビルバオ 製鉄工場>

1899年のビルバオ
Standard Oil Refinery No. 1 in Cleveland, Ohio, 1899 (Wikimedia Commons)

19世紀の中頃付近の山から取れる鉄鉱石の採掘で発展し船でイギリスへ輸出し帰りに石炭を持って帰って来た。これによって製鉄業が発展した工業の中心地。

世界で最も成功した再開発の街

ビルバオ

鉄鉱石が取れ歴史的に造船が主力だったビルバオは第2次世界大戦後は鉄鋼業で栄えたが次第に重工業の衰退、日本や韓国等との競争で負け、公害とETA(バスクの独立を求める過激派組織)のテロで人口減少が進み失業者があふれてスラム化し煤けたイメージの街になる。

工業都市としての未来が見えない中1983年に大洪水が起こり、これを機に工業の街からサービス業へと産業構造の大転換を図ることになる。

1989年に都市の再生と文化への投資の計画が始まる。「15億USドル」の総合的な再開発プロジェクトが計画され都市インフラの整備、文化施設の建設や港湾の再整備等18件のプロジェクトが準備された。

ビルバオ新空港や街のインフラの整備

ビルバオ空港
wikipedia CC
Source Own work
Author Basotxerri

街から9キロの所にあるビルバオ空港を2000年に新しく完成させた。建築家はスペイン人サンチアゴ・カラトラーバ。イメージは白い鳥が翼を広げて空を見上げる。きれいな流線型のカラトラーバらしいエレガントなデザイン。2002年街へ向かうバイパスが山の中に開通することによって街と空港のアクセスが抜群に良くなった。市内の地下鉄と同じICカードBARIKが使える。路線バスに乗れば中心部まで約15分。

<ノーマン・フォスターによるビルバオメトロの入り口>

ビルバオのメトロ

地下鉄やトラムを走らせ人の流れを即し、河によって分断されていた労働者地区と富裕層の地区を橋を架けて移動できるようにした。街作りのコンセプトは人の流れ。

<サンチアゴ・カラトラーバのスビスリ橋>

スビスリ橋

 

工場の跡地に公園を作り、商業施設や図書館等を整備し、グッゲンハイム美術館の誘致に成功した。自転車道や遊歩道を町中に巡らせ創ることで「人の移動」をコンセプトに入れた街を計画的に時間をかけて完成させた。「ビルバオプラン」は最も成功した街の再開発例と呼ばれている。現在のビルバオは町のいたるところに公園や広場があり人々がくつろぐ姿が街のゆとりとして感じられる。

グッゲンハイム美術館ビルバオ

グッゲンハイム美術館のビルバオ分館。鉄鋼の煤けた街から近代アートの街への変換の起爆剤になったのはこのグッゲンハイム美術館の誘致だった。1997年10月18日に開館。2017年は美術館開館20周年で記念行事が行われ、一か月間ビスカヤの住民は無料で美術館へ招待されました。

<住宅街の向こうに見えるグッゲンハイム美術館>

グッゲンハイム・ビルバオ

何でもないレンガの集合住宅の向こうに斬新な建物が見える、このグッゲンハイムの見えた方が一番かっこいい、と個人的に思う。

グッゲンハイム財団て何?

グッゲンハイム家はスイスに起源を持つユダヤ系ドイツ人の家系。後にアメリカに移民したマイアー・グッゲンハイム一家は鉱山の経営と精錬で財を成した。マイアー・グッゲンハイムの息子ソロモン・ロバート・グッゲンハイムが66歳で引退し現代アートのコレクターとなる。財団が設立されニューヨークのマンハッタンに美術館を開館。5番街の現在地に移ったのは1949年。別途姪のペギーグッゲンハイムがベネチアの館を購入し自身のコレクションを公開。彼女の死後ペギーグッゲンハイムコレクションとして同財団が運営。

<ニューヨーク五番街のグッゲンハイム美術館・フランク・ロイド・ライト建築>

ニューヨークグッゲンハイム美術館
wikipedia
Source Own work
Author Jean-Christophe BENOIST

最初は1939年に自動車ショールームを改装してグッゲンハイム氏のコレクションを公開した。1959年に上記写真の本館が開館。建築はフランク・ロイド・ライト氏。しばらくは本館のみの運営だったが1988年に館長がトーマス・クレンズ氏になり美術館を国際的に広げ行く戦略のひとつがビルバオ。

グッゲンハイム・ビルバオは開館した時は5つ目の美術館だったが現在運営中のグッゲンハイム美術館3館中のひとつとなる。

(グッゲンハイム・ラスベガス、グッゲンハイム・エルミタージュ、ドイツ・グッゲンハイムは閉館。グッゲンハイムヘルシンキは建設中止、グッゲンハイムアブダビは現在建設停中)

グッゲンハイム財団のグローバル戦略

グッゲンハイム財団の理事会が世界的な美術館グループを創造する計画を採択した「グローバル戦略」が決定した、丁度その時バスク州政府からビルバオ市の再開発への参加の要請があった。お互いの利害関係が上手くリンクした相思相愛の結果、数か月の交渉の末基本合意が結ばれた。

グッゲンハイム・ビルバオ

ここはスペイン国鉄のコンテナ置き場や造船所があった一帯でアバンドイラと呼ばれる。1993年にスペイン内外から5人が招待され指名コンペが行われアメリカに住むアルゼンチン人のシーザーペリの案が入選。遊歩道やショッピングセンタ―、ホテルなどのシンプルな案が採用された。写真右端の高層ビルはシーザーペリの設計、イーベル・ドローラ(エネルギー会社)本社ビル。

ビルバオの街
wikipedia CC
Source Own work
Author Andrea Bocchino www.andreabocchino.it
誘致の条件

条件は1億USドルの建設費用をバスク自治州が負担すること、5000万USドルを作品の新規購入費用に充てる事、グッゲンハイム財団に展示会一回あたり2000万USドルを支払う事。美術館年間予算1200万USドルを補助することなど。受け入れ側にとって負担の大きいこれらすべてを承諾しバスク州とビスカヤ県とビルバオ市で賄った。

グッゲンハイム美術館

 

 

建築に8900万USドルか使われ予算も日程も予定通り建設された。開館後すぐに世界中からビルバオに観光客が訪れ最初の3年間に400万人5億ユーロの経済効果を得る。バスク政府は観光客がホテルやレストラン、ショッピングで使う金額は年間1億ユーロになり支払った以上の恩恵があったとしている。2005年のビルバオ年間観光客数が5万人、現在年間約100万人の観光客を受け入れており最も成功した都市再開発の例で「ビルバオ効果」などと呼ばれている。今も都市計画は続いていて、街は活気あふれ未来へ目を向けている。

計画当社は「財力に任せて作品を買いあさるアメリカの美術館」をビルバオに置くことに懐疑的な人が多かったが結果を見て納得の住民が増えたのは間違いない。

建築家フランク・オー・ゲイリー

コンペには日本人の建築家、磯崎新、オーストリアのクープ・ヒメウブロイが参加。バスク州政府とグッゲンハイム財団による審査でフランク・オーゲイリーの案が採択された。

フランク・オー・ゲイリーはユダヤ系カナダ人。現在はアメリカ合衆国のロサンゼルスを本拠とする。1929年生まれ。本人は否定するが脱構造主義の旗手と呼ばれプリツカー賞や日本の高松宮殿下記念世界文化賞などの賞で評価を受ける。

建築家フランクオーゲイリー
¹Source http://www.flickr.com/photos/nationalbuildingmuseum/5489221895/?edited=1
Author National Building Museum; photo by Paul Morigi

ソフトウェア技術に精通し航空力学・機械設計ソフトを建築に使い複雑な形を現実の構造にするのに解決している。技術がゲイリーの建築に追いついた形だ。

フランク・オー・ゲイリーはビルバオの近くの山に登ったり飛行機から見下ろして街の地形に最もふさわしい建築を考えた。

ビルバオの街とグッゲンハイム

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構造は鉄骨、その上に2㎜の亜鉛メッキが貼られ表面にチタンが貼られている。チタンはアメリカ製、イタリアで加工。複雑な構造を解析するため航空機などに使うコンピュータープログラムcatiaが使われた。

グッゲンハイム・ビルバオ

 

表面には平らな面が一切なくチタンの板がうねる。チタンは強く、錆びにくく、軽い、が細工が難しい。そして高額である。丁度ロシアの宇宙開発が下火になりチタンの値段が下がったという条件がそろった。

グッゲンハイム・ビルバオ

石とガラスとチタニウムの不思議な建物の全体像は咲き始める花の様にも、川に浮かぶ船の様にも、そして表面のチタンは魚の鱗のようでもある。フランク・オー・ゲイリーはユダヤ教の宗教的な儀式で家族で魚を食べる事が度々あった。子供の頃の記憶に何か独特の感覚があったようで魚をテーマにしたほかの作品もある。

<神戸にあるフィッシュダンス フランク・オー・ゲイリー>

フィッシュダンス
wikipedia CC
Source Own work
Author 663highland

フィッシュダンスは神戸開港120年を記念して創られた作品。フランク・オー・ゲイリー設計、安藤忠雄監修。海のそばにあるので亜鉛メッキが錆び、神戸市が勝手にピンクに塗り替えて(鯉だから?)作者から「作品に対する侮辱」と大クレームが来て塗りなおしたという経緯がある。今も神戸のメリケンパークにさりげなく元の色で置いてあります。

脱構造主義について少しだけ

もともと脱構造主義は哲学用語。フランス人の哲学者ジャック・デリダの著書「脱構築」という思想に影響を受けている。既存の床と壁で創られたありきたりの建築からの脱皮で長い間アンビルド建築(建てられない建築)と呼ばれてきたが技術の進歩で現実化するようになった。イラク出身のザハアディド氏、日本では磯崎新氏、安藤忠雄氏、等が有名。

 グッゲンハイム美術館には外にも作品(これらは無料で見れます)
パピー <ジェフクーンズ>

<秋の着替えの後のパピー>

グッゲンハイム・パピー

ウエスト・ハイランド・ホワイト・テリア(犬)。年に2回だけ衣装替えします。春の方が花の色が鮮やか。内部から水をあげるシステムと一番上にも水が散布され機械が付いている。身長12.4メートルの巨大な子犬は美術館のシンボルになっている。

<春の着替えの後のパピー>

パピー グッゲンハイム

もともとはドイツの展示会用に創られた。鉄の骨組みはいったん解体されオーストラリアでステンレス・スティールの骨組みに作り直し灌漑設備を付け再建された。1997年にソロモン・グッゲンハイム財団が購入。ジェフクーンズいわく「アートというのは見た人が幸せな気分になればそれでいいのだ」だそうです。

除幕式の日に庭師に変装したテロリストが爆弾を仕掛けようとしたがビルバオ警察が未遂で発見といういわく付で今はまさにビルバオの新しい顔のひとつ。

 

ママン <ルイーズ・ブルジョア>

ママン

足の長い独特のスタイルの母蜘蛛は今にも動き出しそう。作者はフランスのソルボンヌ大学卒業の数学者。絶妙なバランスの巨大な蜘蛛のお腹には卵がいて大理石製。ルイーズブルジョアは子供の時から蜘蛛が好きで良く見ていた。複雑な環境で育った子供時代の母親に対する愛情や切なさがこの蜘蛛になった。

霧の彫刻<中谷芙二子・ナカヤフジコ>

霧

毎時0分に約5分間美術館の後ろ側の橋から霧が噴出する。風の少ない日はグッゲンハイム美術館が神秘的な霧で包まれる。アートとテクノロジー、自然とアートのコラボレーション。北海道出身のアーティストは父親が氷雪の研究者で世界的に有名な中谷宇吉郎。ナカヤフジコは霧の作品で自然と私たちの関わりを作品にしている。1970年の大阪万博ペプシ館ですでに霧の作品を展示。水の粒子や消えていくもの、自然界の変化を美術作品にすることで自然との共生を訴える。

火の噴水<イブ・クライン>

火の作品

若くして亡くなったフランス人イブ・クラインの1961年の作品。毎日18時30分に池から火が噴出する。夏はこの時間まだ明るいのでインパクトが小さいが冬は暗い中水の中から火が噴き出て迫力がある。

チューリップ<ジェフクーンズ>

チュ―リップ

ジェフクーンズについては賛否両論。「チープだ、悪趣味だ、売名行為だ」等さんざん言われているが今一番稼いでいるアメリカ現代アーティストのひとり。まるで「ネットでの炎上を狙ったツイート」の様に話題性に事欠かないアーティスト。スキャンダルも「チープに消費されていくアート」としてその短命ささえも売りにしている?チューリップはセレブレイションという一連の作品のひとつ。ステンレス・スティールを彩色したもの。子供の頃の誕生日や祝い事の楽しい思い出などを作品にしてある巨大なチューリップ。

内部

内部は常設展と巡回展で運営されていて常設展も入れ替えが行われる。巡回展はグッケンハイム財団の持つ近代アートを中心に展示される。以下2作品は常設展の中で恒常的にあるもの。

マターオブタイム(リチャードセラ)
リチャーセラ
© FMGB Guggenheim Bilbao Museoa, 2017

この巨大な部屋はリチャードセラの作品を置くために創られ、これらの巨大な作品はこの部屋に置くために制作された「サイト・スペシフィック・アート」=「場所限定作品」。鉄の街だったビルバオにふさわしい鉄の巨大オブジェ。巨大な何百トンの鉄の板は一部を除いてくぎ打ちされておらず微妙なバランスの中で置かれている。中に入ることが出来る彫刻というのは非常に珍しく60度の傾きは内側に向いたり外側に離れたり中に入ると独特な感覚。歩き回って時間と空間の歪の中で楽しんでいる人達も作品の一部。動かない彫刻が空間を切り取って動いているような不思議な感覚を体験できる。ドイツの工房で作り陸路ビルバオまで運び部屋の奥からクレーンなどを使って設置した。奥の部屋で模型やビデオで作品の事が説明されている。

インスタレーション・フォー・ビルバオ(ジェニーホルツアー)
ビルバオインスタレーション
Jenny Holzer
Installation for Bilbao, 1997
Electronic LED sign, 9 columns
Site-specific dimensions
Guggenheim Bilbao Museoa

ワードアート=言葉を使ったアート作品で、サイトスペシフィック作品=場所限定なのでここに置かれる為にだけ創られた。発光ダイオードの光の文字がまるで証券取引場のような感じを見る人に与えるが一つ一つの簡単な言葉が心を打つ。エイズの基金に使われた言葉が繰り返し大地から湧いてきては天から降って来る。「I love you」「I touch you」「I hate you」等の簡単な言葉が次々地面から湧いては消えていく。作者はグッゲンハイム美術館のこの曲線のある場所が随分気に入ったそう。表面は光が反射する素材を選び色が変わると部屋全体のムードががらりと変わる。建築の曲線と反射する光も作品の一部。

後ろ側は同じ言葉がバスク語でブルーの発光ダイオードで繰り返される。使うことを禁止されたバスク語が後ろ側に使われることが作者からのメッセ―ジになっている。バスク語になると部屋がブルーに暗く輝き哀しい思い出で満ちる。じっと座って言葉を読んでいると湧いては消えていく言葉の繰り返しに不思議な感情がこみ上げてくる。

その他

巡回展が中心で一年間を通して様々な特別展が行われる。

建築があまりにもインパクトがあるので作品が霞んで見えると言われているが他にも抽象芸術や彫刻など近代アートが楽しめる。ロシア人マルク・ロスコ―、アメリカ人アンディーウォーホールやバスキア、カタラン人のタピエスの壁画、バスク人のオテイサ、チジーダの彫刻。

その他のビルバオ見どころ

ビルバオ美術館

ビルバオ美術館
wikipedia CC
Source Own work
Author MuseoBBAABilbao

2001年に改装され12世紀から近代までの作品が展示されている。エルグレコ、ムリーリョ、スルバラン、ゴヤ等スペイン絵画やクラナッハ、ゴーギャン、フランシスベーコン、広重とコレクションの幅は広く静かな中でゆっくり絵画を堪能できます。絵画好きなら足を運んでみては。

<ゴーギャン洗濯女>

ゴーギャン洗濯女
Laveuses à Arles. (Lavanderas en Arlés)
museo de bibao

旧市街

1300年ころにはサンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼街道の街として栄えていた。旧市街の中心にサンチアゴ教会がある。元は七つの通りと呼ばれていたようにサンチアゴ教会の周りに七つの通りが今もある。通りの名前も昔のままで風情がある。

<18世紀の絵と今も全く変わっていない>

中世のビルバオ
Public Domain
File:Bilboko irudi historikoa.jpg
Created: 18th century

旧市街は小さく店舗が沢山集まっていてショッピングも楽しめる。大聖堂とヌエバ広場やリベラ市場バスク博物館等を見ながら歩くと楽しい。

<旧市街の一角>

ビルバオ旧市街

リベラ市場は1929年に創られた当時ヨーロッパ最大のマーケット。現在もビルバオの胃袋になっていて2011年に改装が行われ上の階には飲食店が入った。

<リベラ市場は生鮮食料品と上の階にはバル>

リベラ市場

スペインの古い街には石の広場が残り何世紀も人が集まった。ビルバオのヌエバ広場は美味しいバルが集まっている。

<ヌエバ広場>

ヌエバ広場

ヌエバ広場のバル

<ヌエバ広場のバル グレ・トキのピンチョ>

グレトキはピンチョコンクールで優勝経験がある有名バル。

ヌエバ広場のバル グレトキ

スビスリ橋と磯崎アテア

<手前の橋がスビスリ橋で奥のツインタワーが磯崎アテア>

スビスリ橋と磯崎アテア

橋は1997年開通。サンチアゴカラトラーバらしい流線型の美しい橋で、川で分断されていた街の右岸と左岸を繋いだ。「スビスリ」はバスク語で「白い橋」という意味。雨の日に表面がツルツル滑ると住人のクレームが付いたり建築家が向こうに出来た磯崎アテアに向かって自分の橋が架かっているようで不満だなどと街に訴訟を起こしたりと何かと話題になった。

磯崎アテアは2008年に完成した日本人建築家磯崎新氏とバスク人建築家のイニャキ・アウレコエチェアによる複合ビル。アテアはゲートという意味。もともと税関の仮置き場だった行程差のある不規則な土地に創られた。83メートル23階建てでバスクでは一番高い建築となっている。

アルチャンダ展望台へ

<アルチャンダ展望台からグッゲンハイム美術館と街>

ビルバオの街とグッゲンハイム

スビスリ橋から山側の方へ少し歩くとフニクラの駅がある。ビルバオのmetroICカードが使える。登山電車でアルチャンダへ。

フニクラ駅

1915年に開業した登山電車。15分おきに運行していて約3分で山頂駅に。山の上にもレストランがある。ここからビルバオの街が見渡せる。

フニクラ

サン・マメス・サッカー場

アトゥレティック・ビルバオ

1898年設立のチームなので100年以上の歴史。ほかのスペインリーグのチームとの違いはこのチームのユースからの選手かバスク地方のクラブから来た選手しかいない。(バスク人の純潔主義で有名ですがバスク人でなくてもバスクのユース以下のクラブでプレーしていれば入団できるようです。)限られた人数からの選手達なのに常にトップレベル。もちろん一度も2軍に落ちたことが無いのが誇りの名門チーム。

<サンマメス球場>

ビルバオサンマメス球場
wikipedia CC
Source Own work
Author Euskaldunaa

 

 ビルバオ・アクセス

ビルバオ空港から市内を結ぶ3247番のバス。空港と中心部Plaza de Moyua又はtermibus(バスターミナル)へ。

ビルバオ市バス

ビルバオへはマドリードやバルセロナから飛行機で1時間。サン・セバスティアンからバスで1時間30分ー2時間。

ビルバオ空港へはイベリア航空、ブエリング航空、英国航空、エアーフランス、ルフトハンザ、アリタリア、ブリュッセル航空、スイス航空、タップポルトガル航空、トルコ航空、等が乗りいれている。

ビルバオの街

新市街や旧市街に個性的なバルが沢山ありそれだけでも来る価値あり。さらに美術館や様々な建築など街を目で楽しめる。

<新市街の人気バル、ビニャ・デ・エンサンチェのピンチョ>

720分料理したイベリコ豚。小皿で3.5ユーロでした。

タパス

治安がよく街がきれいでアクセスが抜群。ツーリスティック過ぎず生活感のあるところがいい。サン・セバスティアンは最近人気で随分混んでいるがビルバオはまだ静かで日常感たっぷり。そして物価はサンセバスティアンより安い。次回は「サントゥルセ(漁村)までイワシを食べに行こう」と心に決めた。

(バスクが潤沢に資金を使えるのは税収入を自分たちで使える権利を持っていて一部を中央政府に納入。バスク州だけのBDPはヨーロッパ平均より上。不満の多いカタルーニャとの違いがこれです。)

 

 

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ビスカヤ橋 世界遺産

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「橋」と思って行くとこれは「橋」なのかと悩む

頭の中にある「橋」の概念をまずは取り去って行きましょう。120年以上前にこんな発想で橋を作った人がいた。ビルバオから12キロ。ビルバオは鉄鉱石が取れてローマ時代から重要な街。鉱工業で栄えたビルバオに沢山の大型船が入ってくる。

明治26年完成 120年以上前の技術

丁度ここは労働者地区ポルトガレテと対岸の富裕層地区ゲッチョを往来する人々の為に渡し舟があった。橋を架けると下を大型船が通れない、背の高い橋にすると急勾配で登れない。そこで橋ではなくてゴンドラが往来する運搬橋が架けられた。
1893年日本は明治26年エッフェル塔が1889年完成なのでその4年後です。

下の写真の白い四角いのがゴンドラでここに車と人が乗り川のあちら側とこちら側を行き来する。渡し舟がぶら下がっているイメージ。

渡るのは公共の交通機関ですが別料金で上に上ることも出来ます。両方の橋げたにエレベーター。売店で切符を買って歩いて渡ることができます。5ユーロ位。時々エレベーターが壊れて反対側からしか降りれなかったりします。

当時の革新的な技術を用いた鉄製のワイヤーが使われている。
164メートルの距離を2分弱かけて渡る。6台の自動車と300人の人を運ぶことができ24時間大体8分毎。運賃はビルバオの交通と一体化しているためバスや地下鉄と同じ切符が使える。

 

残念ながら写真がいいのが行方不明で携帯に残っていたものですが。

 

建築家はエッフェルの弟子

建築家はアルベルト・パラシオ。パリのエッフェル塔の建築家ギュスターフ・エッフェルの弟子。エッフェルは鉄の技師。鉄の技術がこの橋を支えた。アルベルト・パラシオはほかにマドリッドスペイン銀行、クリスタル宮殿、アトーチャ駅を作っている。

運搬橋

船を通すために橋を高くすると急こう配を登って行くか導入経路を長くする必要がある。それを解消できたのが運搬橋。現在もフランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、ロシアに運搬橋が現存する。その最古がビスカヤ橋。

行き方

ビルバオから地下鉄 ゲッチョ側最寄りarreta ,ポルトガレテ最寄り portugalete なの行きはゲッチョで降りてビスカヤ橋を渡ってポルトガレテから戻ってくる、またはその逆。どちらも橋の近辺にバルやスーパー、公衆トイレあり。

ビルバオはメトロ2本しか線ががないのでわかりやすい                      <L1>arreta <L2>portugalete。

 

TripAdvisor (トリップアドバイザー)


 

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サン・セバスチャン 世界一の美食の街

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サン・セバスティアン

バスクにサン・セバスチャンという小さな人口18万人くらいの街があります。

その小さな街の30キロ以内にミシュラン星付きレストラン約30件

人口比星付きレストランが1番多い街だそうです。
バスク語では「ドノスティア」が街の名前

 

サンセバスティアン、バルの看板
ピレネー山脈とビスケー湾にギュッと囲まれた美しい街で
入江は貝殻の形をしていてその名も「ラ・コンチャ」=「貝殻」
近くの丘に登ると地形が良くわかる。

 

サンセバスティアン

ヌエバ・コシーナ

19世紀にスペインの上流階級の人達が避暑にやってくるようになった。
別荘が出来、ホテルが作られ、料理人が必要になり始めは地元の主婦や
小さな定食屋のコック達が腕をふるっていた。

もともと海あり山あり食材の豊かな土地。美味しいものを食べる事にかけては元々定評の地域。写真はアルザックの前菜。お皿に盛られたアートです。
アルザック前菜アルザック前菜アルザック
フランスの「ヌーベル・キュイジーヌ」流行の頃この街出身の若い料理人達がその洗礼を受け
修行をして「ヌエバ・コシーナ」として新しい料理を開発し発表。

 

更にカタルーニャのジローナに有った「エル・ブジ」のオーナーシェフ「セニョール・アドリアン」が日本の懐石料理に夢中になり日本の「旨味」「タタキ」「ユヅ」等が紹介される。

ちなみにこのアドリアンさん。お店は超人気で「予約が最も取れないレストランNo.1」だったのに突然お店を畳んで「もっとお料理の研究がしたい」と引退。

今ももしかして日本の何処かで美味しい物を食べて研究しているかも。

凄いのはさすがスペイン、横の連携。

レシピを秘密にせず公開してみんなで切磋琢磨しみるみるあっという間に世界一の美食の街になった。

 

「分子料理法」や「温度調理」
今までに無かった概念、料理法がどんどん開発されそのレシピはすぐに公開され共有される。

 

星付きレストランは日曜、祝日お休み。8月はしっかり従業員を休ませバカンスに入る。
「掻き入れ時」なんて感覚は全く持ち合わせていません。
休みはしっかり取って美味しい物を研究し提供する姿勢は
全くブレていなくて徹底している。
レストラン業を「商売」だと思っていないんだと思うんです。
これは「アート」なんだと。

お金に支配されない「美学」を持っている。

バルのレベルがすごい

旧市街にはバルが所狭しと並んでいてそのレベルは高級店並み。
ピンチョスやタパスと言われる小皿料理を低価格で楽しめる。

 

バルのタパスサンセバスティアンのバルサンセバスティアンのバル
こんな街世界他にどこかにありますか?

市場

時間あったら市場もおすすめです。
Mercado La Brexa

 

市場 la brexa
市場魚売り場
魚売り場の展示
これって生け花に近いものかも。

行き方

バス

alsa    空港ターミナル4-アベニーダ・アメリカから5時間30分

アベニーダ・アメリカ発  8:00,9:00、11:00、13:00、15:00、16:00、17:00、   19:00、21:30、23:30                                          値段36.45ユーロ~52.55ユーロ

時間と値段は2017年6月現在。変更あるのでalsa のページから確認してください。切符も買えます。下がバス会社のページ。

https://www.alsa.es/rutas/madrid-san-sebastian.htm

飛行機

ターミナル4からイベリア航空又は子会社エアーノストラム1時間15分マドリッド発8:05,9:20,11:45,15:35,19:10,20:05 値段は片道70~379ユーロ早めに探すと格安で購入できることも。イベリアで日本からマドリッドならオントゥーがつけられるので購入旅行会社に相談してください。一応イベリア航空のウェブページ

http://iberia.com

トリップアドバイザーでおいしいお店のを口コミ

TripAdvisor (トリップアドバイザー)
バスクについての記事はこちら スペインは多民族国家。バスク人が住むパイス・バスク

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<バスク地方>バスク人が住むパイス・バスク。スペインは多民族国家

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パイス・バスク

スペイン17州のひとつ「パイス・バスク州。」ピレネー山脈の麓からビスケー湾にかけバスク人が住んでいる地。彼らはそこを「エウスカル・ドゥナック」と呼ぶ。「バスク語を話す人」と言う意味のバスク語。

 

バスク
スペイン人が来るよりもっと前から住んでいた人達。半島がローマ化して行った時も組み込まれずローマ人を追い返した勇敢な民族だ。ローマの後にやって来た西ゴートもバスク人の反乱に手を焼いている。反骨精神旺盛で簡単に強いほうに転がらない。そして今もスペインからの独立を求めている。フランス側にもフランスバスクという地域があってバスク人が住んでいる。国境という概念が無かったころから住んでいる人達です。バスクは一度も国を持ったことはない。

バスク語

バスク語は言語系統不明でインド・ヨーロッパ語族には入らない。旧ロシア連邦のジョージア共和国(グルジア共和国)で話している言葉と似通っているらしいがまだまだ学者の間でも共通の見解はない。

日本語との共通点を指摘している学者もいるが不明。

 

パイス・バスク地方の人口は215万人しか居なくバスク語話者はたったの60万人程。その言葉が8個の方言に分かれているので学者達を悩ませている。人口の60パーセントが血液型RHマイナスと言う特殊性だそうです。

 

バスクの家
バスクはフランス側にもフランス・バスクがあって近代国家の国境で分断されている地域。
人口比率はスペイン側80パーセント、フランス側20パーセント。

 

フランス・バスクの街、サンジャン・デ・リューズ

世界で活躍

この少数民族が優秀で勇敢。個性的で凄い。世界史に出てくるレベルのバスク人が大勢います。

 

大航海時代世界一周したのはセバスチャン・エルカノ(マゼランは途中で亡くなっています。)イエズス会の創設者イグナチウス・デ・ロヨラ。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル。日本人の魂を持っていたソーブール・カンドウ神父。(フランス・バスク)広島で被爆しながら日本人の為に活躍したペドロ・アルーペ神父。音楽家サラサーテや哲学者ミゲール・デ・ウナムノ・・・

 

そしてサッカーの「アトゥレティコ・ビルバオ」は選手はバスク人だけの強豪チームです。
肉体的特徴はガッチリ体格が良く首が太め、鼻が鷲鼻で野性味ある。

 

独裁者の時代は弾圧

フランコの独裁政権下は抑圧されバスク語を話すことを禁止された。

大きな街ではほとんどバスク語を聞くことは無かったようです。しかし山あいの村では家族の間で大切に話し継がれていた。



独裁者亡き後再び民族運動が起こり今は学校でもテレビでもアニメでもバスク語が使われるようになりました。

今はスペインの法律で2カ国語併記が決まっているので道路標識や案内にスペイン語とバスク語が併記されている。右がスペイン語左がバスク語。

 

スペイン語とバスク語併記の看板

スペインの中で最も豊かな地域

山があって谷があって海があって作物が豊かで景色にリズムがある。人々は働き者で勤勉だ。バスクだけのGDPはヨーロッパ平均よりうんと上を行く。多くの日本の人たちが持つスペインのイメージとは、たぶん程遠い。バスク発祥の大きな金融会社やエネルギー会社はヨーロッパでも上位の優良企業。

スペインというとフラメンコと闘牛とパエリアだと思っていませんか?

スペインも民族問題を抱える多民族国家なのです。そして多面性を持った国なのです。

写真はパサイアという入江の村。ヴィクトール・ユーゴーが暫く住んでいた家がある。向こう側に行くのに船で渡ります。バスク独立の旗がなびいていた。

バスクは食べ物が美味しい。豊かで海と山に囲まれているので素材が豊か。景色も変化に富んでいて楽しめます。工業都市ビルバオにはグッゲンハイム美術館、フランスとの国境サンセバスティアンには個性的なレストラン。フランスバスクまでもすぐ近くなので周りの街の見学もしながら楽しめる地域です。

 

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