ビスカヤ橋 世界遺産

「橋」と思って行くとこれは「橋」なのかと悩む

頭の中にある「橋」の概念をまずは取り去って行きましょう。120年以上前にこんな発想で橋を作った人がいた。ビルバオから12キロ。ビルバオは鉄鉱石が取れてローマ時代から重要な街。鉱工業で栄えたビルバオに沢山の大型船が入ってくる。

明治26年完成 120年以上前の技術

丁度ここは労働者地区ポルトガレテと対岸の富裕層地区ゲッチョを往来する人々の為に渡し舟があった。橋を架けると下を大型船が通れない、背の高い橋にすると急勾配で登れない。そこで橋ではなくてゴンドラが往来する運搬橋が架けられた。
1893年日本は明治26年エッフェル塔が1889年完成なのでその4年後です。

下の写真の白い四角いのがゴンドラでここに車と人が乗り川のあちら側とこちら側を行き来する。渡し舟がぶら下がっているイメージ。

渡るのは公共の交通機関ですが別料金で上に上ることも出来ます。両方の橋げたにエレベーター。売店で切符を買って歩いて渡ることができます。5ユーロ位。時々エレベーターが壊れて反対側からしか降りれなかったりします。

当時の革新的な技術を用いた鉄製のワイヤーが使われている。
164メートルの距離を2分弱かけて渡る。6台の自動車と300人の人を運ぶことができ24時間大体8分毎。運賃はビルバオの交通と一体化しているためバスや地下鉄と同じ切符が使える。

 

残念ながら写真がいいのが行方不明で携帯に残っていたものですが。

 

建築家はエッフェルの弟子

建築家はアルベルト・パラシオ。パリのエッフェル塔の建築家ギュスターフ・エッフェルの弟子。エッフェルは鉄の技師。鉄の技術がこの橋を支えた。アルベルト・パラシオはほかにマドリッドスペイン銀行、クリスタル宮殿、アトーチャ駅を作っている。

運搬橋

船を通すために橋を高くすると急こう配を登って行くか導入経路を長くする必要がある。それを解消できたのが運搬橋。現在もフランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、ロシアに運搬橋が現存する。その最古がビスカヤ橋。

行き方

ビルバオから地下鉄 ゲッチョ側最寄りarreta ,ポルトガレテ最寄り portugalete なの行きはゲッチョで降りてビスカヤ橋を渡ってポルトガレテから戻ってくる、またはその逆。どちらも橋の近辺にバルやスーパー、公衆トイレあり。

ビルバオはメトロ2本しか線ががないのでわかりやすい                      <L1>arreta <L2>portugalete。

 

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サン・セバスチャン 世界一の美食の街

サン・セバスティアン

バスクにサン・セバスチャンという小さな人口18万人くらいの街があります。

その小さな街の30キロ以内にミシュラン星付きレストラン約30件

人口比星付きレストランが1番多い街だそうです。
バスク語では「ドノスティア」が街の名前

 

サンセバスティアン、バルの看板
ピレネー山脈とビスケー湾にギュッと囲まれた美しい街で
入江は貝殻の形をしていてその名も「ラ・コンチャ」=「貝殻」
近くの丘に登ると地形が良くわかる。

 

サンセバスティアン

ヌエバ・コシーナ

19世紀にスペインの上流階級の人達が避暑にやってくるようになった。
別荘が出来、ホテルが作られ、料理人が必要になり始めは地元の主婦や
小さな定食屋のコック達が腕をふるっていた。

もともと海あり山あり食材の豊かな土地。美味しいものを食べる事にかけては元々定評の地域。写真はアルザックの前菜。お皿に盛られたアートです。
アルザック前菜アルザック前菜アルザック
フランスの「ヌーベル・キュイジーヌ」流行の頃この街出身の若い料理人達がその洗礼を受け
修行をして「ヌエバ・コシーナ」として新しい料理を開発し発表。

 

更にカタルーニャのジローナに有った「エル・ブジ」のオーナーシェフ「セニョール・アドリアン」が日本の懐石料理に夢中になり日本の「旨味」「タタキ」「ユヅ」等が紹介される。

ちなみにこのアドリアンさん。お店は超人気で「予約が最も取れないレストランNo.1」だったのに突然お店を畳んで「もっとお料理の研究がしたい」と引退。

今ももしかして日本の何処かで美味しい物を食べて研究しているかも。

凄いのはさすがスペイン、横の連携。

レシピを秘密にせず公開してみんなで切磋琢磨しみるみるあっという間に世界一の美食の街になった。

 

「分子料理法」や「温度調理」
今までに無かった概念、料理法がどんどん開発されそのレシピはすぐに公開され共有される。

 

星付きレストランは日曜、祝日お休み。8月はしっかり従業員を休ませバカンスに入る。
「掻き入れ時」なんて感覚は全く持ち合わせていません。
休みはしっかり取って美味しい物を研究し提供する姿勢は
全くブレていなくて徹底している。
レストラン業を「商売」だと思っていないんだと思うんです。
これは「アート」なんだと。

お金に支配されない「美学」を持っている。

バルのレベルがすごい

旧市街にはバルが所狭しと並んでいてそのレベルは高級店並み。
ピンチョスやタパスと言われる小皿料理を低価格で楽しめる。

 

バルのタパスサンセバスティアンのバルサンセバスティアンのバル
こんな街世界他にどこかにありますか?

市場

時間あったら市場もおすすめです。
Mercado La Brexa

 

市場 la brexa
市場魚売り場
魚売り場の展示
これって生け花に近いものかも。

行き方

バス

alsa    空港ターミナル4-アベニーダ・アメリカから5時間30分

アベニーダ・アメリカ発  8:00,9:00、11:00、13:00、15:00、16:00、17:00、   19:00、21:30、23:30                                          値段36.45ユーロ~52.55ユーロ

時間と値段は2017年6月現在。変更あるのでalsa のページから確認してください。切符も買えます。下がバス会社のページ。

https://www.alsa.es/rutas/madrid-san-sebastian.htm

飛行機

ターミナル4からイベリア航空又は子会社エアーノストラム1時間15分マドリッド発8:05,9:20,11:45,15:35,19:10,20:05 値段は片道70~379ユーロ早めに探すと格安で購入できることも。イベリアで日本からマドリッドならオントゥーがつけられるので購入旅行会社に相談してください。一応イベリア航空のウェブページ

http://iberia.com

トリップアドバイザーでおいしいお店のを口コミ

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バスクについての記事はこちら スペインは多民族国家。バスク人が住むパイス・バスク

<バスク地方>バスク人が住むパイス・バスク。スペインは多民族国家

パイス・バスク

スペイン17州のひとつ「パイス・バスク州。」ピレネー山脈の麓からビスケー湾にかけバスク人が住んでいる地。彼らはそこを「エウスカル・ドゥナック」と呼ぶ。「バスク語を話す人」と言う意味のバスク語。

 

バスク
スペイン人が来るよりもっと前から住んでいた人達。半島がローマ化して行った時も組み込まれずローマ人を追い返した勇敢な民族だ。ローマの後にやって来た西ゴートもバスク人の反乱に手を焼いている。反骨精神旺盛で簡単に強いほうに転がらない。そして今もスペインからの独立を求めている。フランス側にもフランスバスクという地域があってバスク人が住んでいる。国境という概念が無かったころから住んでいる人達です。バスクは一度も国を持ったことはない。

バスク語

バスク語は言語系統不明でインド・ヨーロッパ語族には入らない。旧ロシア連邦のジョージア共和国(グルジア共和国)で話している言葉と似通っているらしいがまだまだ学者の間でも共通の見解はない。

日本語との共通点を指摘している学者もいるが不明。

 

パイス・バスク地方の人口は215万人しか居なくバスク語話者はたったの60万人程。その言葉が8個の方言に分かれているので学者達を悩ませている。人口の60パーセントが血液型RHマイナスと言う特殊性だそうです。

 

バスクの家
バスクはフランス側にもフランス・バスクがあって近代国家の国境で分断されている地域。
人口比率はスペイン側80パーセント、フランス側20パーセント。

 

フランス・バスクの街、サンジャン・デ・リューズ

世界で活躍

この少数民族が優秀で勇敢。個性的で凄い。世界史に出てくるレベルのバスク人が大勢います。

 

大航海時代世界一周したのはセバスチャン・エルカノ(マゼランは途中で亡くなっています。)イエズス会の創設者イグナチウス・デ・ロヨラ。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル。日本人の魂を持っていたソーブール・カンドウ神父。(フランス・バスク)広島で被爆しながら日本人の為に活躍したペドロ・アルーペ神父。音楽家サラサーテや哲学者ミゲール・デ・ウナムノ・・・

 

そしてサッカーの「アトゥレティコ・ビルバオ」は選手はバスク人だけの強豪チームです。
肉体的特徴はガッチリ体格が良く首が太め、鼻が鷲鼻で野性味ある。

 

独裁者の時代は弾圧

フランコの独裁政権下は抑圧されバスク語を話すことを禁止された。

大きな街ではほとんどバスク語を聞くことは無かったようです。しかし山あいの村では家族の間で大切に話し継がれていた。



独裁者亡き後再び民族運動が起こり今は学校でもテレビでもアニメでもバスク語が使われるようになりました。

今はスペインの法律で2カ国語併記が決まっているので道路標識や案内にスペイン語とバスク語が併記されている。右がスペイン語左がバスク語。

 

スペイン語とバスク語併記の看板

スペインの中で最も豊かな地域

山があって谷があって海があって作物が豊かで景色にリズムがある。人々は働き者で勤勉だ。バスクだけのGDPはヨーロッパ平均よりうんと上を行く。多くの日本の人たちが持つスペインのイメージとは、たぶん程遠い。バスク発祥の大きな金融会社やエネルギー会社はヨーロッパでも上位の優良企業。

スペインというとフラメンコと闘牛とパエリアだと思っていませんか?

スペインも民族問題を抱える多民族国家なのです。そして多面性を持った国なのです。

写真はパサイアという入江の村。ヴィクトール・ユーゴーが暫く住んでいた家がある。向こう側に行くのに船で渡ります。バスク独立の旗がなびいていた。

バスクは食べ物が美味しい。豊かで海と山に囲まれているので素材が豊か。景色も変化に富んでいて楽しめます。工業都市ビルバオにはグッゲンハイム美術館、フランスとの国境サンセバスティアンには個性的なレストラン。フランスバスクまでもすぐ近くなので周りの街の見学もしながら楽しめる地域です。