絵画で聖書が読めたら楽しい、現在も小説よりアニメの方が好きな人も沢山いるに違いないしそれは500年前も同じだった。美術館にある宗教画は字が読めない人にも聖書がわかるように描かれた。絵画で聖書を読んでいこうという記事です。
聖書を知ったら絵画はもっと楽しい
ヨーロッパの美術館は宗教画が満載だ。でも宗教画が好きな日本人は私はあまり見たことがない。でも、ちょっとだけ知っていると美術館はもっと楽しくなります。
まずは、聖書って?
聖書はキリスト教の聖典→聖書には旧約聖書と新約聖書が有る
旧約→人類の歴史
実は分厚い聖書の75パーセントは旧約聖書で占められていて天地創造から始まる旧約は興味深いが読み解くのにはかなりの知識と忍耐が必要になる。
新約→イエス・キリストの生涯
新約聖書の方はイエス・キリストの生涯が中心で馴染ある題材の物が多く親しみやすい。
<12世紀のギリシャ語の新約聖書>
新約聖書はギリシャ語で書かれているって知ってる?
新約聖書は当時の共通語のギリシャ語で書かれている、新約聖書は大体紀元50年から120年頃に書かれていて、聖書の中に登場する人々が話していたアラム語やへブル語ではなく、さらにすでにローマ帝国の時代だったにもかかわらずラテン語ではなくギリシャ語で書かれている。
弟子たちはこの物語がより広い世界で読まれるためにギリシャ語を選んだ。それほどギリシャ語は当時の広い世界で使われていた言語だった。
素晴らしい科学の発見を日本語で発表するより英語で論文を書く方が多くの人に読まれると考えれば理解できる。後にギリシャ語からラテン語に訳された。
このページでは新約聖書の物語をプラド美術館の絵画を中心に受胎告知やイエスキリストの誕生等をみて行きます。
聖書と絵画:受胎告知
「おめでとう、恵まれたお方。主があなたと共におられます。」ナザレの大工ヨセフと婚約していたマリアの所に大天使ガブリエルが現れてこう言ったと新約聖書に記述があります。
受胎告知は非常に人気がある場面で様々な時代に様々な作品が描かれている。ここでは何人かの画家の作品を見ながら国際ゴシックからバロックまでを並べて時代によって絵画が変換していった様子をご紹介。
受胎告知
①聖母マリアが聖書を読んでいたところに天使が降りて来たので聖書が描かれる。
②マリアは驚いているか怖がっている、または恥じらっている、または受け入れている。
③純粋を現す白いユリが描かれる。
④マリアの衣装は赤い服にブルーのマント(時には逆又はほかの色なども有る)
*実は旧約聖書の「イザヤ書」に「見よ乙女が身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエル(神は我々と共におられます。という意味)と呼ばれる」という記述がありマリアはそこを読んでいた。新約聖書にはマリアが聖書を読んでいたとは書かれていなく実は初期の絵画には出てこない。11世紀頃から次第に描かれるようになってきた。
受胎告知の日は3月25日。クリスマス(イエス・キリストの誕生)の9か月前で、中世ヨーロッパで使っていたカエサル歴の一年の始まりの日だった。そのすべての始まりの日に聖母マリアは受胎告知を受けた。
<シモーネ・マルティーニ、1333年、ウフィツイ美術館>
聖母マリア、嫌がってる?
シモーネ・マルティーニはイタリアのシエナの画家で国際ゴシック期に属す。
同じ時代のフィレンツェの画家たちが現実の世界を正確に描いたのと対照的に優雅な動きや現実にはあり得ない神の世界を可視化して宗教画を残している。
この作品は板に金箔を使ったもので左側の天使の後ろ側に揺れる布地がシエナらしい優美な動き。マリアは驚いて怖がっている。
聖母が恥じらいながら振り返って「え?な、な、なんですか?」とジワリと逃げ腰な動作が感じられる。天使の衣装の後ろ側が揺れて動いているのがたまらなく好きです。
天使がユリではなくオリーブを持っているのはユリの花が政敵フィレンツェの象徴なのであえてユリは向こうに置いたという説がある。
184センチx210センチという巨大な板に描かれたテンペラ画でその前に立つだけで迫力に煽られそうになる祭壇画です。
<受胎告知、フラアンジェリコ、1425年頃、プラド美術館>
90年ほど経ったので絵画が発展しているのがわかります?
例えば遠近法が使われている、二次元の世界に三次元が描けている。
現実のフィレンツェの部屋のムードを宗教画に取り入れることでより一層物語を現実的に描いた。
フラ・アンジェリコは質素なドメニコ会修道士。その「祈る姿が美しく、キリスト磔刑図絵を描くときはうっすら涙をを流していた。」と伝えられいつも「天使のような微笑みを讃えていた」。フラ・アンジェリコの本名はグイード・ディ・ピエトロ。
未だ国際ゴシックの特色を残す作品で彼の10点ほど現存する受胎告知の一枚。
左側の天使の衣装の曲線が美しく、天使が本当に今空から降りて来て衣装が揺れている。左側には旧約聖書のアダムとイブの楽園の追放が描かれている。
<受胎告知、レオナルド・ダビンチ、1472年頃、ウフィツイ美術館>
さらに50年ほど経った、50年弱しか経っていないとは思えない程の現実感。
え?よく見ると、聖母の右手が長いんです。
この絵は壁の上の方に置かれる予定で描かれ、見る人の位置を考えての事と言われている。
この作品は師匠のベロッキオとの共同作だがレオナルド20歳頃のおそらくデビュー作。
お約束通り左に天使、手にユリの花を持って右側の聖書を読むマリアに表れている。
レオナル・ド・ダビンチは科学者や発明家としても活躍をした天才で絵画で完成されたものは実は15点程で非常に少ない。完璧主義でその興味は多岐に渡りあらゆる方面で天才的だった。
部屋の中で行われている場面だが遠景が綺麗に遠くまで描かれてるのは受胎告知としては珍しい。
<受胎告知、エルグレコ、1570年、プラド美術館>
エルグレコも受胎告知を沢山描いていて現存するのが14点。
今までと大きな違い?
マリアと天使の位置に注目していただきたい。他の画家達の作品はマリアが右側で天使が左側にいた。エルグレコは全ての受胎告知でこのように描いているが理由は諸説で良くはわかっていない。
ちょっと、「ぽっちゃり」してません?
エル・グレコがまだベネチアにいたころの作品で、若い頃のエル・グレコはぽっちゃりした絵を描いていた。26センチx20センチのは大変小さな作品。
床の線に注目してください!
床の大理石の線で遠近法、向こうに向かって線を一つの点に向かって狭めていく透視技法。後ろの遠景にベネチアの街が見える。鮮やかな色彩もティチアーノやティントレット等の影響。
<受胎告知、エルグレコ、プラド美術館>
同じ画家の絵?というくらい描き方が変わった。
突風が起こって天使がヒュ〜っと風と一緒に降りてきた感じ、聖母はびっくりして振り返ったところ。
天上界の天使たちがまさに綺麗な音楽を奏でていて絵を見て音楽を感じるってすごいなって思いませんか。
この絵もマリアが左側です。
受胎告知と呼ばれているが実際は聖母に神の子が宿ったその瞬間を描いたものでエル・グレコらしい美しい色で神秘の世界が描かれている。
聖母マリアのモデルはエル・グレコの奥様です。
エルグレコの聖母はいつも同じ女性がモデルで後にエルグレコの妻になったヘロニマというトレドの女性。
キリスト教徒同士だがエルグレコはギリシャ正教徒だったため正式の結婚は許されなかった。エル・グレコは受胎告知を生涯にわたって描いているがこの作品はドーニャ・マリア・アラゴン学院大祭壇画用に描かれたもので6枚の絵画で構成される大きな祭壇になる予定だった。これはおそらく中央に置かれるはずだったもの。
<受胎告知、ムリーリョ、1660年、プラド美術館>
最初のシモーネマルティーニから330年も経過した。
写真さえ超えた?
この時代の画家たちの作品は写実画どころか写真さえ超えている。現実の世界に登場しそうな程の写実の中で行われる聖書の場面を絵画に真摯に描いた。
スペインのバロック画家バルトロメオ・エステバン・ムリーリョは南スペインのセビージャで生まれた。画面全体が薄もやに包まれたような幻想的な作品で甘美な天使や聖母マリアを多く描いた画家。
中央に精霊を現す白い鳩が飛んでいてマリアの右側に純潔を現す白いユリとさっきまで読んでいた聖書。
胸の前で手を合わせる驚きながら受け入れている風の聖母。手前に手仕事用の篭が置いてあるのはムリーリョの作品の共通点でさっきまで手仕事をしていた現実感を出している。
マリアはムリーリョの奥様
ムリーリョの聖母マリアもエルグレコと同じでいつも同一人物がモデル。聖母マリアや天使たちが甘美で美しく当時のヨーロッパで大変人気が有ったのがムリーリョの作品。
聖母マリアの問題点「えっ、問題あるの?」はい、あるんです。
聖母マリアってそんなに偉かったの?ってことが問題になっている。聖母マリアは聖書の中での扱いは少なくプロテスタント諸派は聖人化していない。
でも、人間が求めているのは許してくれる存在、女神、母性的な優しさなんです。
ユダヤ教やキリスト教の唯一神の神は厳しい父親的な神で人間にすぐに罰を与える。
スペインの各教会には美しいマリア像が人々の信仰の対象に、今もなっている。
<マカレナのマリア、セビリア>
聖書と絵画:聖母のエリザベス訪問
聖書に出てくる聖母が天使から受胎告知を受けたころ親戚のエリザベスも懐妊した。受胎告知の折に聖母はこれを天使から告げられる。
エリザベスは長年子供が出来ず年老いていたのでマリアは神の力に驚きエリザベスを訪問した。(ここでは日本で使われているエリザベスを使いましたがスペイン語ではイサベルです)
<聖母のエリザベス訪問、ラファエル工房、1517年、プラド美術館>
ラファエロ・サンティは若くして成功し異例なほどの大規模な工房を経営していた。37歳で死去した惜しまれる画家のひとり。マリアの画家と呼ばれたラファエルの描く聖母マリアは美しい。
工房の弟子の作品だがおそらくラファエルの手も入っているだろう。右側のマリアの美しい表情などにラファエルらしい繊細な魅力がある。背景の風景にヨルダン川で洗礼者ヨハネによって洗礼を受けるイエスキリストが描かれている。
聖書と絵画:キリストの誕生、羊飼いの礼拝
聖書に「さあ、ベツレヘムへ行って主がお知らせくださった出来事を見てこようではないか!」の記述がある。
イエス・キリストが誕生したころイスラエルはローマ帝国の支配下にはいっており初代皇帝アウグストゥスの時代。「人口調査をせよ」との命令が出たので人々は自分の故郷へ帰って行った。
ヨセフはダビデの家系でその血統だったのでユダヤのベツレヘムというダビデの街へ帰って行った。すでにマリアは身ごもっており月が満ち男の子を産んだ。
羊飼いたちが群れの番をして野宿をしていると天使が現れた。「今日ダビデの街で救い主がお生まれになった。あなた方は飼い葉おけに寝ている赤ん坊を見つけるであろう」(ルカによる福音書)ベツレヘムにある家畜小屋で羊飼いたちはマリアとヨセフと幼子を見つけ天使が言ったお告げが本当だったと語り合った。
羊飼いたちの礼拝は14世紀中頃から盛んに描かれるようになった場面。
<羊飼いたちの礼拝、エル・グレコ、1612年、プラド美術館>
これはエル・グレコが亡くなる直前に描いた画家最後の作品。トレドにある小さな教会の祭壇画の為に描かれエル・グレコの葬儀がこの祭壇画の前でおこなわれた。
鮮やかな色彩と光の使い方に晩年のエルグレコの熟練がみられる美しい作品。現実の世界を超えた超越的な物を感じさせる。天上界の天使たちが集まって来ている。大きな工房で弟子を雇っていたエルグレコだがこの作品は隅々にいたるまで画家本人の作と言われている。
<羊飼いの礼拝、ムリーリョ、1650年頃、プラド美術館>
ムリーリョのマリアは甘美で美しく、お祝いに駆け付けた人々は当時の現実の世界にどこにでもいたであろう人々。エル・グレコの現実の世界を超越した作風と対照的。
あえて天使のいない空間に身近なの出来事のような感じを与える。犠牲を現す羊が右にいて登場人物の視線がすべてキリストに注がれているが、左端の牛だけがこちらを向いている。
聖書と絵画、東方三賢者の礼拝
「ユダヤの王としてお生まれになられた方はどこでしょう。東の方でその星を見たので拝みにやってきました」イエスはユダヤのヘロデ王の時代に生まれた。その時東方から3人の賢者がヘロデ王のもとに来て尋ねた。
ヘロデ王はたまたま王になっていたが本物の王が生まれると聞いて動揺し偉い学者を集めてその子がどこで生まれるかを調べさせた。と聖書の中に書かれている「ベツレヘムの馬小屋です」これは実は旧約聖書に書いてある物語。ヘロデ王は三賢者に「その子を見つけたら教えいただきたい。私も言って拝みたい。」と伝えた。
三人の賢者が出発すると東の方から星が出て彼らを導いた。そしてその星の止まった家に入ると赤ん坊のイエスが飼い葉桶の中に眠っていて捧げものとして黄金,乳香、没薬を贈った。三賢者は帰り道にはヘロデに合わずに帰って行った。
三人というのは聖書には記述は無く後からつけられた。
<東方三賢者の礼拝、ベラスケス、1619年、プラド美術館>
ベラスケス20歳頃の作品でまだセビージャにいたころに描かれた初期のもの。
登場人物のモデルはマリアが結婚した妻のファナ、幼子イエスキリストはこの年に生まれた娘のフランシスカ、手前にひざまずくのが画家ベラスケス、背後の横顔の老人が師匠のパチェーコ。絵を描くのにモデルが必要なので画家たちの身近な人々が度々モデルになった。
<東方三賢者の礼拝、ルーベンス、1628年、プラド美術館>
ルーベンス壮年期の作品。ベルギーのアントワープ市庁舎を飾るための物だった。オランダの独立戦争の休戦協定を記念して描かれた作品で休戦の平和の喜びが画面全体に出ている。
衣装の描写も丁寧で三賢者が持つプレゼントも豪華に描かれている。右端の少し上に馬上に乗るのがルーベンス本人。この作品を後にスペイン国王が購入しスペインに渡ったあとルーベンスがスペインに再訪した折に自分を付け加えた。
聖書と絵画:エジプト逃亡
「立って、幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして貴方に知らせるまでそこに留まりなさい。ヘロデが幼子を探し出して殺そうとしている。」
ヨセフの夢に天使が現れヨセフはエジプトに逃亡、ヘロデはベツレヘムにいる二歳以下の男の子を殺したが予言によってイエス・キリストは助かった「やっぱりヨセフは偉い!」という事になっている。
*幼児虐殺は「旧約聖書のエレミヤ書」の中にも出てくる場面。旧約の出来事が予言の様に繰り返された・・・となる記述は新約聖書に多いがこの幼児虐殺はマタイによる福音書のみに出てくる場面で歴史的事実は不明。ヘロデ大王は実在した人物で紀元前4年に亡くなっている。キリストの誕生を西暦0年とすると整合性に疑問が残る部分なのです。今の歴史学者はイエスキリストが生まれたのは紀元前7世紀から4世紀の説を取っている。300年も開きがある。
<エジプト逃亡、エル・グレコ、1570年、プラド美術館>
アニメのようで愛らしい作品。風景がこれほど沢山描かれたエル・グレコの作品は珍しい。未だエル・グレコがベネチアにいたころの習作で17センチx21センチの小さな板に描かれたもの。
<エジプト逃亡、ムリーリョ、1647年、デトロイト美術館>
幼子イエスの顔が写実的でまさに生まれたばかりの赤ちゃん。ムリーリョ30歳頃の作品。登場する人々の衣装は17世紀の庶民が来ていた衣装をまとっている。ヨセフはたいていどの宗教画でも扱いが軽いのですがこのヨセフは随分かっこいい。
ベラスケスの初期の東方三賢者に出てくる幼児キリストと非常に似ている。
聖書と絵画、無原罪の御宿り
無原罪の御宿りは聖書には出てこない題材でカトリック独特の信仰のひとつ。
キリスト教の考え方では人間はみな生まれながらにして罪を持って生まれてくる。旧約聖書に出てくるアダムとイブが神との約束を破って禁断の実を取って以来私たちは罪深いのです。
<エヴァ、デューラー プラド美術館>
神の怒りは収まらず私たちはエデンの園から追放され、日々労働をしなければ食べ物を得ることが出来なくなり、女性は苦しんで子供を産み、人はみな年老いて死んでいく。
<アダムとイブの追放、ゴヤ、1771年、プラド美術館>
が、マリアは母親に宿った時に既に汚れの無い「無原罪」だった。
よく誤解される「マリアがキリストを宿した時に無原罪だった」ではなく、「聖母マリアがその母アナに宿った時に無原罪だった」その御宿りをお祝いする日が12月8日となりカトリックの祝日です。
聖母マリアのお誕生日は9月25日、なので計算は合うようになっています。。
<無原罪の御宿り、ムリーリョ、1678年、プラド美術館>
無原罪の御宿りのマリアは白い服にブルーのベール。下弦の三日月がお約束ですがムリーリョは上弦の三日月にのせた。
綺麗なマリア像はこの時代大変人気があり厳しい父親的な神から受け入れていくれる女神や母親的な信仰対象を求めていた人々に受け入れられていく。
「無原罪の御宿り」の教義に関しては度々公会議で議論され、異端になりかけたこともあった。イエス・キリストは救世主で罪なき神の子だがその母親までも罪なき人にするのはどうか・・・・、というわけです。
正式にカトリックの教義になったのは1854年ローマ法王ピオ9世の時。反宗教的な社会情勢に対抗しての策とも言われているが随分反対もあったようです。
*ちなみにこのピオ9世は史上最長のローマ法王在位の方でいイタリア統一運動やナポレオン3世や大変な時代を乗り切った。日本の「26聖人」を聖別したのはこの方です。
カトリックの国では12月8日は祝日で本来この日からクリスマスの準備が始まり12月25日のキリストの誕生から東方三賢者の日1月6日までがクリスマスとなります。この時期カトリックの国を旅行する方は祝日の注意が必要です。