今回は日本からのお客様とパリで合流してペルーを周遊。4年前にもペルーを仕事で周遊したがペルーは非常に奥が深く興味は尽きない。自分の忘備録として今回のペルーの旅の記録を残しておくことにした。
Contents
行程について
クスコの標高が高く高山病になるケースが多いので高度調整にウルバンバ2泊とマチュピチュ2泊をクスコの前にいれた。(いきなりクスコ滞在は変更してもらった)旅程に余裕がないと難しいができればクスコ観光は後回し、又クスコからマチュピチュ日帰り等は避けた方が良いと思う。
ペルー注意事項
*リマの治安は良くないので注意。リマでは流しのタクシーは絶対に乗らない事。クスコやマチュピチュ、ウルバン等は治安問題なし。
*全国どこでも水道水は飲まない事、ミネラルウォーターを購入。ある程度のレベルのホテルにはサービスで部屋に置いてある。
*両替は空港より市内の両替屋の方が良い。ドルが通じるところが多いが現地通貨が有る方が便利なのである程度両替すると便利。
持って行くと良いもの
日焼け止め、帽子、虫よけスプレー、薄手のダウンジャケット(夏でも冬でも)、リュック、小さめのボストンバックか小ぶりのスーツケース(マチュピチュ行きの列車に大きなカバンは持って入れない)。
服装
今回はペルーは真冬にあたる8月中旬の旅行でしたが赤道に近いためほぼ平均20度~25度位。クスコの朝は7度、昼間は24度、マチュピチュは17度から25度で朝以外は暑かった。日差しは強く日陰になると寒いので脱いだり着たりできる様にTシャツの上にフリース、その上にゴアテックス、念のため薄手のダウンで温度調整。
前回は6月の旅行でペルーは秋にあたるが殆ど同じような気温でした。
高山病
クスコとその近郊に3400メートル~3900メートル地点があり人によっては高山病の症状が出る。ゆっくり歩く、酸素を沢山体に取り入れるが大切。ヨガ呼吸の様にゆっくり体内に酸素を取り入れる準備をリマ出発時からやっておく。薬は現地でも買えるが作用が強く手が痺れるなど副作用。日本から手に入れるならダイアモクス(緑内障の薬)が高山病に効くと言われているが高山病予防薬としては処方されない。私は銀杏の葉のエキス(スペインで購入)をパリの空港から毎日水に溶かして飲んでいた。効くかどうかは賛否両論だが日本の山岳登山会のホームページでも紹介されているので興味がある方は参考にするとよい。日本でも購入できる。高山病の症状は同じ人が同じ高度で出るときや出ない時が有るそう。一番大事なのはあまり心配しない事、体調管理のような気がする。クスコへ出発が決まったら日常から深い呼吸と適度な運動を意識するといいと思う。
前泊:パリ8月7日
マドリードからパリ行きの飛行機が2時間遅れでパリ到着が00:30分。空港内シャトルの最終が01:00なので正直ヒヤッとしたが何とかホテル到着。シャワーを浴びて2時間位眠れるか・・・いや一睡もできず出発。
ノボテル・エアーポートはシャルル・ドゴール・ターミナル3、空港内シャトル降りてすぐにあるのでアクセスが良くホテルは清潔で広々していた。
1日目8月8日
パリの空港で早朝に合流しリマ行きの便が出るラウンジで朝食。パリから12時間なのでパリ東京と同じくらいの距離を大西洋上を飛びカリブ海上空からリマへ入る。
機材はボーイング777/300。
ペルー入国は簡単でパスポートのみ、税関も書類無しで検査なしで通過。リマは治安が悪く車の渋滞もひどい。渋滞中に車の窓を割られて貴重品を取られるケースが有ると聞き緊張感が走った。
ホテルは治安の良い住宅街ミラフローレス地区。今日はチェックイン後すぐお部屋に。
ホテル・ベルモント・ミラフローレス・パーク
バスルームはバスタブとシャワーブースが分かれたタイプ。
夜にお腹が減りルームサービスでMakisushi巻き寿司、を取ったら仰々しく銀のお盆にお花が着いて凄いのが来た。一番驚いたのはチーズとアボガドが入った巻き寿司がフライになっていてびっくりした。巻き寿司と思って食べなければ美味しい。
ビールはリマでは珍しくクスケーニャ
おやすみ~(食べてすぐ寝る、相撲取りへの道だ~)
2日目:8月9日
朝食は見晴らしのいい11階でビュッフェ。ペルーは国土の60%がジャングルで様々な果物が豊富な国でどれも美味しそう。
ホテルの前はきれいな広場でその向こうは太平洋が広がる。リマの天気はいつも薄曇りらしくスカッと晴れることは少ないという。
ホテルを出発して空港へ。朝8時から既に渋滞。空港まで25キロが1時間、ミラフローレス地区から空港に行くとまるで別の国の間を走っている様に街のムードが変わって行く。
空路リマからクスコへ。前日LATAM航空ウェブ・チェックインしていたので手続きはスムーズ。ペルーの国内線手荷物検査でペットボトルの水は持って行ける。リマ・クスコ間は約1時間30分、ほぼ1時間ごと頻繁に出ている。
機内食は有料、離陸と共にメニューが配られてきた。
クスコ空港到着ロビー。標高が高いのでゆっくり歩きましょう。
リマと違ってクスコの空はすっきり青かった。
クスコの空港を出発のち、標高3500メートルから3900メートルの地帯を移動、周りには雪をかぶったアンデス山脈が続く。
山の間に時々村があり素朴な人々の生活が垣間見える。
ウルバンバに到着。先に両替とランチ。中央アジアの街見たいな懐かしい感じ。
地元の人ばかりの小さな店での最初の食事はペルー定番のロモサルタード、子牛の肉と野菜の煮込み料理に白いご飯。中華料理みたい。
チチャモラーダはペルーの国民的飲み物。紫トウモロコシとパイナップルの皮を煮込んでシナモンで味付け。
聖なる谷に有るウルバンバは小さな村。クスコとマチュピチュの間に有り標高2800メートル。前述したが標高0メートルのリマから標高3400メートルのクスコに飛行機で飛ぶと体に負担がかかる。日程に余裕があれば高度調整に丁度いい。私たちはタンボ・デル・インカというリゾートホテルに2泊して時差と高度に順応しながら付近の遺跡や村の観光をする。
宿泊はスターウッド・ホテルリゾートのタンボ・デル・インカ。斬新な木造の建築が村の景色によく溶け込んでいる居心地のいいホテル。
天井が高くどこにカメラを向けても絵になるホテルだ
午後はウルバンバの街散策
街の規模が小さくぶらっとお散歩するには丁度いい。
オート三輪が主流でそれぞれ色とりどり。
ホテル入り口は警備の人がいつもいて出入りする人のコントロールをしているから安心だ。
タンボ・デル・インカ・ホテルの敷地内を散策すると駅が有った。早朝ここからマチュピチュ行きの列車が出るのでここに宿泊して日帰りでマチュピチュの人もいるのかも。
夕食は近くのレストラン、トレス・ケロスへ。入口は素朴な民家のような感じ。素朴過ぎて階段が揺れて怖かった。
内装は斬新で来ていたのはヨーロッパの人達ばかり。食前酒はピスコ・サワー。ピスコというぶどうの蒸留酒と卵の白身のカクテル。
主菜のみの注文でキノコのリゾットと
マスの焼いたの
タンボ・デル・インカのお部屋
バスルームは大きなバスタブの横に排水溝の有るシャワーブース。
3日目:8月10日
ホテル朝食はローカルメニューや豊富な果物。
地元のお料理コーナー
ハチの巣ごとのはちみつ
今日は聖なる谷の観光。聖なる谷はアンデスの谷間の肥沃な大地。作物が豊富で神々が住むのにふさわしい所だ。聖なる谷が夜空に映ったのが天の川なのか、天の川が降臨したのが聖なる谷なのかな・・・と思った。
マラス塩田はインカの古い時代から塩を供給していた。アンデスがもともと海の中に有ったので山の中から暖かい塩水が流れて来ていて今も豊富に塩が取れる。何万年か前の海水と思うと地球の神秘を感じる。お土産にマラスのお塩を買った。他の物もここが一番安かった。
モライ遺跡はインカの農業試験場だった。標高3500メートルの所から地形を利用して段々畑が作られており標高差100メートルの所で異種交配や高度の違いでの作物の研究をしていた。
写真ではわかりにくいが一番下までの標高差は100メートル、ひとつの段が約1メートル温度差は5度。ここでトウモロコシやジャガイモなどの品種改良を行った。
チンチェーロ村はクスコから30キロほどに有る標高3700メートルの村。
階段を上るとさすがに息が切れる。今は観光収入がかなり町を潤しているようでお土産物屋が沢山。同じものでも随分値段が違うので行きと帰りにリサーチした方が良いかも。村人や子供の写真を撮ると1ソル程のチップが必要だ。
インカの街の石畳はどこも日本の城下町を思い出す。
インカ時代の神殿が有ったところはスペイン人によって教会が作られており今も使っているようだった。ヨーロパ人はいつも傲慢だ。
ケチュア族の村で織物の説明を受けた。自然の食物や虫で色を付けて手で織って行く方法はおそらく2000年位前から変わっていないのではないか。
ケチュア族の人々の髪の毛はみんな真っ黒で年配の方々も白髪の人がまずいない。アンデスの山で採れる芋で髪を洗うらしいがそれは市場では売られていないので山に探しに行くしかないみたいだ。タケノコ掘りの名人みたいな人がいるのだろうか。
昼はウルバンバに戻ってランチは地元のローストチキンの店
ペルー人はローストチキンが大好きらしい。あらゆるところにローストチキンの店が有る。
午後はホテルに戻って休憩、夕食はホテルのメイン・ダイニング。ケーナとサンポ―ニャの演奏は本当に素敵だった。ここでやっぱり「コンドルは飛んでいく」聞きたいですね。
マスとワインで軽く夕食。あ、写真撮るの忘れて一口お先にいただきました。失礼。
4日目:8月11日
大きなスーツケースはホテルに預けて出発。マチュピチュ行きの列車は5キロ以上の荷物はだめらしい。それでも持って来ているヨーロッパ人もいたけど。朝はピサックの村のマーケットへ。元々は物々交換の場だった広場で今はお土産物ばかり。
途中村のチチャ屋で休憩。チチャはトウモロコシの発泡酒で古代アンデスの時代から儀式に使っていたお酒。今もペルーでは良く飲まれている。
エコケ人形が壁に飾ってあった。ペルーのラッキーアイテムで週に2度タバコを吸わせると願いをかなえてくれるらしい。
オリャンタイタンボの遺跡の見学。インカ時代に戦略的に重要な地点だった。
巨大な石の神殿が頂上に残る。向こうの山からこの巨大な石を運んで創ったという神殿。石の表面にピューマの浮彫があったらしい。
下の街には石組の綺麗な街が残る
お昼は広場に面したレストランにて
今日もペルー定番料理、アヒ・デ・ガジーナ。チキンに黄色いピーマンソースにお米添え
ペルーレイル15:37発ビスタドーム1時間30分でアグアス・カリエンテスへ。社内では飲み物とスナックのサービスが有った。
アグアスカリエンテスはスペイン語で熱い水。古くから温泉が出る。
ホテルは駅のすぐ近くのエル・マピ。日本の山にあるホテルみたいな感じでシャワーのみの簡素なホテル。結構激しい雨が降り出し寒いので今日はホテルで夕食。夕食はホテル側のサービスで付けてくれたと旅行会社から聞いたがグラスワインが一杯1000円近くでビックリ仰天、しかもレシート無しでちょっとムッとした。けどこんな遠くまで運んできたから仕方ない、日本でも山の上は値段が高いのだ。「明日は外で食べるぞッ」と心に決めた。でも食事はちゃんとしていて美味しかった。
ホテル・エル・マピ
壁が薄いお部屋で廊下の音や隣の音が良く聞こえて眠れないか、と心配したけど3時間ほどぐっすり眠って目が覚めた。毎日2時30分頃に目が覚める。スペインの9時30分、時差ボケは続く。人間3時間も熟睡すれば何とかなると、自分を慰める。
5日目:8月12日
昨日の大雨は夢だったのか、と思うほどの快晴だ。日曜日で地元の観光客も多いので少し早めにホテルを出発してバス停で並ぶ。朝7時半に列の最後尾についた。
この日の注意はバスに乗るのも遺跡に入るにもパスポートが必要。長い列だったがバスは頻繁にやって来て30分程で乗れた。バス会社は1社で独占企業、官民合弁らしい。くねくねの登り坂を約30分登って行くともうすでに沢山の人がやって来ている。
遺跡の中にお手洗いは無いので外の有料トイレへ。2018年現在2ソル、4年前は1ソルだった。これも独占、ほかにチョイスは無い。
遺跡の入り口でパスポートの名前と入場券の名前のチェック。今は午前と午後は別の切符購入が必要になった。
最初に階段をかなり登るが登り切るとあとはそうでもない。普通のスニーカーで充分だ。ヨーロピアンはゴム草履の人もいた。2400メートルの地点なので空気もそんなに薄いわけではない。
太陽の神殿
マチュピチュの観光は大体3時間から3時間半で現在見れる遺跡の重要な部分は見学できる。マチュピチュについては別途記事にする予定・・・多分
ランチは遺跡入り口に唯一あるサンクチュアリー・ロッジにてビュッフェ。
午後の入場券もエージェントが用意してくれていたので再入場し今度はインカ橋まで歩く。
インカ道を飛脚は1日200キロ走れたそうだがこの狭い危険な道をフルマラソンの5倍の距離。そういえばインカの人々は肺が大きくヘモグロビンの量が多いと何かで読んだ。人間は標高が高い地域で暮らしたほうが健康になるのではと思った。
堪能してさあ帰ろうとバス停の方に行くと長蛇の列。今朝の3倍はある。鉄道に乗って帰る人はハイシーズンは帰りのバスの待ち時間要注意ですね。私たちはもう一泊アグアス・カリエンテスなのであきらめてのんびり並んで帰りました。バスは頻繁に来るので長い列でも思ったより早く進んで1時間弱程でバスに乗れた。たまたま後ろに並んだカップルが日本の方でウルグアイにお仕事で駐在中で夏休み中だそう。
ホテルに戻り一息ついて夕食は今日は外へ。昨日の轍は踏まないぞ。ホテルすぐ前にあるインカ・ワシはトゥリップアドバイザーでも評価が高い。
疲れ切っていたのか食事内容写真撮り忘れたああああ~なので美味しかった頭の記憶のみ
おやすみなさい~
今日も食べてすぐ寝るパターンですが夜中の3時頃から眠れない。
6日目:8月13日
マチュピチュ初8時15分のペルー・レイル展望列車
帰りは最高の天気でベロニカ山等雪をかぶったアンデスの山が見えた。同じ席に日本から個人旅行している女性と一緒になった。日本からメキシコ経由で来たそう。
オリャンタイタンボの駅ではコレクティーボ(乗り合いバス)とタクシーが凄いエネルギッシュに営業していた。前を行く大きな荷物を持った人達はインカ道トレッキングの人の荷物やテントを運ぶポーターさん達。途中4000メートルくらいの所があるらしく標高の高い所を大きな荷物を持ってさっさと歩けるんでしょうね。
オリャンタイタンポから車で再びウルバンバへ移動し荷物を取って聖なる谷をドライブ。途中の高台の聖なる谷が良く見えるレストランでランチ。
チキンのフライとサラダとジャガイモ
クスコ近くで遺跡の観光。タンボマチャイ遺跡は標高が富士山と同じくらいでさすがに急ぐと心臓がどきどきした。
この水はインカ時代から流れ続けている聖なる泉。その水源は今も謎だそう。石の組み方がとても丁寧。
標高3765メートル・・・これを見た後頭がクラクラした。
直ぐ近くのケンコー遺跡へ。インカ時代の宗教儀式が行われた場所。
巨大な石灰岩が重なって置かれている。今まで見て来た他の遺跡とは違う何かを感じる。
内部に石を削った王座。これはガイドブックの写真。
天上の神コンドルや地下の神である蛇に捧げる神殿や大地の神ピューマを現す石など特別な儀式を行ったところに違いない。
クリスト・ブランコ(白いキリスト像)からはクスコの街が綺麗に見えた。
クスコの街並み。街が広がって山の方まで家が作られている。
サクサイワマン遺跡へ。ケチュア語で満腹のハヤブサだそう。インカ帝国の第9代皇帝パチャクティの命令で1438年頃から建設が始まり約50年後に完成したと言われる。
巨大な石をどうやって持ってきたのか未だに謎が多い遺跡だ。インカの天上・地上・地下の世界を現す3段に積まれており遺跡を構成する石はリャマや蛇等の形をしたものが有る。
クスコの街と周りの遺跡で伏せたピューマの形をしていたという説がありサクサイワマン遺跡はピューマの頭にあたる。下の写真の左の方の①にあたるのがサクサイワマン遺跡、真ん中あたりのⒷが現在の大聖堂があるアルマス広場。空から見たところを意識して創られた街という事なのか・・・謎は深まるばかり。
その後市場に行った。ペルーの人達は良く働く。女性達、特に高齢の女性達も市場で沢山働いていた。
ホテルはクスコ中心部にあるマリオット・エル・コンベント。教会と修道院の建物を利用して創られているエレガントなホテル。お部屋の中は酸素が送られていて2400メートル位の酸素量だそう。
夕食は日本人経営のペルー料理レストラン、プカラへ徒歩10分。今日のペルーレイルで同席だった日本人の女性と偶然会ってなんだかうれしかった。
マリオット・エル・コンベントの部屋
置いてある家具は16世紀頃のスペインの物でスペイン人たちはこんな立派な家具まで本国から船で持って来ていたのかと驚く。
7日目:8月14日
クスコの観光はマチュピチュ博物館から。コップを持つ手は何か宗教行事に使ったのか。
高貴な人々は幼少の頃から頭を機械で挟んで細長くしたらしい。宇宙人かと思った。メキシコでもこれと同じものを見たので何らかの形で影響しあったに違いない。
サント・ドミンゴ教会はインカ時代の太陽の神殿の上にスペイン人が創った教会。地震で教会部分は壊れ内部からインカ時代の神殿が姿を現した。
内部は石が丁寧に綺麗に組まれていて精密さに驚く
遺跡の一部が置いてあり石切り口や水路を作った後が良くわかった。
神殿の内部は金で覆われていたらしくそれらはピサロ達によってすべて奪われ金の延べ棒になり本国へ運ばれていった。スペイン各地でよく見る金がたっぷり使われた教会の祭壇はこれらの金が使われている。
サント・ドミンゴ教会のすぐ前に有るレストランでランチとなった。
ペルー料理のちょっとづつ色々盛り合わせ
毎日欠かさず飲んでるチチャモラーダ。
レストランの内部もインカの石組だった。
破壊されなければ街中に神殿や黄金の宮殿が有った荘厳な首都だったに違いなくスペイン人が憎らしくなった。有名な12角の石。
日本の城下町みたいな景色。インカ帝国のすべてがクスコに集まるように創られた道だった。
この石どうやって作ったんだろう。
精巧に組まれた石は技術もすごいがどれもとても美しかった。
歴史博物館にはクスコから発見された様々な物が展示されていた。これ持って帰りたいなあ~というのがいっぱいあった。
石臼にピューマの彫刻
夕食はホテルで頂きました。
サーモンの照り焼き
牛肉400グラム、ヒィエー大きくてびっくりだ。
標高が高い街は慣れれば快適だ、クスコは素敵な街でもうリマに行かなくても良い位の気分になっていた。
おやすみなさ~い、今日も食べてすぐ寝る関取りへの道です。
8日目:8月15日
クスコの空港へ。ウェブチェックインは必須だ。普通のカウンターは長蛇の列になっていた。待合室はほとんどヨーロッパの観光客だった。
リマに到着してまずランチは地元の人気店「メルカード」
ウニの前菜
白身魚とアジアンヌードル
いくらのスパゲッティ
お食事の後は天野博物館へ行った。天野芳太郎は1898年(明治31年)秋田県生まれの日本の実業家。第2次世界大戦より前にパナマに渡り戦時中は強制送還されたが再びペルーに渡り事業を始めた。アンデスの文明に興味を持ち様々な研究もした天野氏のコレクションが納められている。内部なJAICAの方が説明してくださった。当時の日本人は私たちより国際的で行動力のある魅力的な人が結構いたんだなあ~かっこいい。
織物が中心だが土器や壺なども沢山あった。ぽっちゃりが可愛い入れ物。どれも持って帰りたい。
これなんだったか忘れたけどとっても気に入ったのでパチリ。
アルマス広場の大聖堂。「どこにでも作れるようなものを作ってどこにもないものを壊した」と嘆いたのはコルドバのメスキータ内部に作った大聖堂を見たスペイン王カルロス5世だが、これを見ても同じことを言ったに違いない。
現在の大統領官邸は元はピサロのお屋敷だった。
ラファエル・ラルコ・エレーラ博物館はイタリア系移民の家族でもともと広大な農園を持つ事業家だった。付近で取れる土器を集めるうちに考古学に興味を持った。コレクションが多すぎて整理されずにまるで倉庫の様に保管されている場所。
黄金の装飾品は圧巻。儀式に使った物。
ホテルは初日に泊まったミラフローレス地区のベルモント・ホテルにチェックイン。
夕食はホテルのメイン・ダイニングへ。バスキアみたいな斬新な絵が壁中に描かれていた。
海老のグラタン
キノコのラビオリ
9日目:8月16日
今日は最終日。夜のパリ行きの飛行機までの時間を利用してリマ郊外のパチャカマック遺跡観光。インカ人が定住するより400年前に大きな宗教都市があったらしい。
まだまだ発掘中でどこでも掘ればいくらでも出てくる感じ。
ランチはバランコ地区のレストラン。昭和のムードというかキューバのレストランみたいだ。
これはウエベーラというこの辺りのビーチで食べる朝ごはんだそうで魚の卵をフライにしたのと玉ねぎがパンにはさんであるだけのシンプルなものだけど滅茶苦茶美味しかった。
ロモ・サルタードの麺版。アジアっぽいテイスト。
アサード・デ・ティラはペルーの伝統料理。向こう側がお肉で手前は豆。隣のセニョールたちもこれを頼んでいた。
バランコ地区はアーティストが多く住むリマでも人気の住宅街。ちょっとスノッブなお店も沢山ある。
予定終了、空港へ向かいます。
エアーフランス483でパリへ。機材はボーイング・トリプルセブン777/200。帰りの飛行機で一番眠れてペルー時間に体がピタッとあいました。マドリードに帰ってからしばらく時差ボケで苦しむ事になりそうです。
ペルー忘備録
*ケチュア語話者は多分500万人。たぶんというのは政府も正確に把握していない。その中にケチュア語しか話せない人達も相当数いる。
*アンデスには人類未踏の地が沢山あって探せばマチュピチュの様な遺跡は沢山出てくる。
*アマゾン川と聞くとブラジルのイメージだが源流はペルーから流れる。
*アマゾンには近代人と接触していない人々が住んでいる地区もある。スペイン人たちさえ危険で寄り付かなかった。というのもアマゾンには危険な動物が沢山いるので弓や槍等の武器を持っていて闘争的で近づけなかった。
*もし彼らと接触したら我々が持っている菌などですぐに汚染されてしまう。
*ペルー人はスペインの映画を見るとき字幕スーパーをつける。同じスペイン語でもわからない言い回し等が多すぎるらしい。
*ペルーは海抜0メートルから海抜5000メートルのアンデス、アマゾンのジャングル等がある多様な国でした。