アルハンブラ宮殿グラナダ王国<イスラム建築の最高芸術>

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南スペイン・アンダルシア地方のグラナダにある世界遺産。「宮殿」という言葉から受けるヨーロッパの王宮とは違い全体が一つの都市を構成していた。スペイン・イスラム芸術の最高峰。見学する季節や時刻で随分印象が変わる。できればゆっくりした時間の中で太陽の位置で変わって行く影の動きや噴水の水の音、ヘネラリーフェから風に乗ってやって来る花の香を感じたい。

アルハンブラ宮殿
wikipedia cc Alejandro Mantecón-Guillén

アルハンブラの歴史背景

西暦711年ジブラルタル海峡を渡ってやって来たイスラム教徒により西ゴート王国が滅ぼされイベリア半島はイスラム化した。南スペインはアル・アンダルスと呼ばれシリアのダマスカスのウマイヤ朝支配下にはいる。ところが本家のシリアで革命が起こりウマイヤ朝が倒された(750年アッバース革命)。シリアからウマイヤ家の王子が1人逃げて来てコルドバを首都に後期ウマイヤ朝を始める(756年)。

<コルドバ・メスキータ内部>

メスキータ

 

コルドバカリフ王国は10世紀アブデラーマン3世の時にシリアから独立。メスキータ(回教寺院)はさらに拡大され街には大学や図書館、病院があった。後期ウマイヤ朝はその後11代250年の間は大きな内紛も無くスペイン・イスラム王朝は栄華を極めヨーロッパのどの国とも比較できないほどの洗練された先進地域となる。

<コルドバの街、当時の面影が残る白い村>

コルドバの旧市街

11世紀初頭の権力闘争によりコルドバ・カリフ王国は分裂。後期ウマイヤ朝は1031年滅亡。北の方からキリスト教徒のレコンキスタ(国土回復戦争)が始まっていた。

<最初のキリスト教徒が勝利を得たコバドンガ>

コバドンガ

トレドは再びキリスト教徒の手に落ち南スペインはタイファと呼ばれる小さなイスラム諸国が出来る。グラナダもその一つだった。北アフリカのアルモラビデ族がイスラム教徒の支援に入りいくつかの地域を支配下におさめる。12世紀にはアルモアデ族が入って来て領土を取り戻すがキリスト教徒軍はナバス・デ・トロサの戦いでイベリア半島北半分を取り戻した。イベリア半島のイスラム教徒の斜陽の時代、この混乱期にグラナダの丘の上に創られたのがアルハンブラ宮殿。

アルハンブラ宮殿ナスル王朝

「モハメッド・イブン・アラマール・イブン・ナスル」のちの「モハメッド1世」はハエンのアルホナの領主。ここはキリスト教徒との前線地帯だ。時代はコルドバが1236年に陥落しセビージャも間もなく陥落という頃。斜陽のイスラム教徒の王朝として1238年前述の「モハメッド1世」が始めたのがナスル王朝(日本は鎌倉時代)。

<グラナダ最初の王モハメッド1世>

最初の王モハメッド

「モハメッド1世」はグラナダの丘の上に既にあった要塞を居城と決める。キリスト教徒に勝利するのは不可能と読んだ彼は協定を結ぶに至る(1246年対カスティーリア王フェルナンド3世)。カスティーリア王国に税金を支払いグラナダを首都とするアルメリアからジブラルタルまでの地域の独立が謳われていた。すでにあった要塞を改築し60年かけて水道を設置しアルカサバ(要塞)を拡張し宮殿を創った。(その宮殿部分は後に壊されて現存していない。)「モハメッド1世」の外交政策というと聞こえがいいがあらゆる周りの敵たちの顔色を窺いながらの外交。その息子「モハメッド2世」と2代70年の間にグラナダ王国は基礎を固めアルカサバを拡張していった。これがアルハンブラ宮殿の誕生。この時代は宮殿という華麗な物ではなく守りの城、要塞だった。

<アルハンブラ・アルカサバ>

アルカサバ
wiki Alcazaba in Alhambra, Granada
Author Michal Osmenda

 

ナスル王朝の全盛期は「ユースフ1世」(1333年~54)とその息子「モハメッド5世」(1354年~91)の時代。「ユースフ1世」の時代にコマレス宮を中心とする部分が創られモハメッド5世の時にライオンの中庭を中心とする建物が創られた。今見るアルハンブラ宮殿の主要の部分。

<水面に映るコマレス宮殿>

コマレス宮殿

<ライオンの中庭は王達のプライベートな空間>

ライオンの中庭

スルタンの力は絶大で王国の重要人物で構成される諮問委員会、裁判所が存在した。グラナダの街にはマドラサ(コーラン解釈の学校)や病院が置かれた。絹・織物市場や穀物取引所があり商業も盛んであった。「モハメッド5世」の後ナスル朝は約100年存続するが新しい建物はほとんど創られていない。

グラナダ王国の資金源

<ジブラルタル海峡>

ジブラルタル海峡

ジブラルタル海峡は地中海と大西洋の入り口。当時そこを持っていたグラナダ王国は地中海の海上貿易に影響力を持っていた。その当時の海洋国家ジェノバは西地中海の制海権を持っておりジブラルタル海峡を越えられるかどうかは死活問題。グラナダ王国と条約を結び資金を援助し優遇措置を得ていた。ジェノバからの資金がグラナダ王国の経済やアルハンブラ宮殿で生活する王達を支えていた。

<1400年頃のジェノバ共和国の支配地域と海路>

1400年ころジェノバの支配権
Kayac1971
Permission
(Reusing this file)
GFDL e Creative Commons CC-BY-SA tutte le versioni (3.0, 2.5, 3.0, e 1.0), sono l’autore

 

斜陽のグラナダ王国

美しいアルハンブラ宮殿内部では次第に快楽的な生活が主流になる。長い繁栄と平和に退廃した無能な王が続き有力軍人達の対立でグラナダ王国内部の混乱。レコンキスタが続く中キリスト教国カスティーリアがジブラルタル海峡を略奪。それまでの資金源が奪われた。さらに敵対していたカスティーリアとアラゴンが王子王女の結婚によって連合国家になる。これがイサベルとフェルナンドの結婚(1469年)

カトリック両王の結婚

グラナダ王国内部

アルハンブラの内部では骨肉の争いが起こっていた。歴史から学ぶことは多い。すべての王国の崩壊は内部から始まる。

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<国王は息子に裏切られる>

国王アブルハサン(ムルアセン)の息子ボアブディル(モハメッド12世)とその母アイーシャは協力して反乱を起こし王位を奪う。実はアイーシャはイスラム創始者モハメッドの血を引く高貴なお方。最初はモハメッド11世と結婚していたがその死後アブルハサンと結婚してボアブディルが生まれている。国王アブルハサンはキリスト教徒の美しい娘に恋をする。改宗奴隷だったイサベル・デ・ソリスを寵愛し妻にし王妃アイーシャと息子ボアブディルは苦渋の中で辛酸をなめていた。

母アイーシャと結託しボアブディルは父から王位を奪い取りる。王としていざ戦争へ出かけるが1483年キリスト教徒とのルセーナの戦いで捕虜になり再び父王アブル・ハサンが復帰。キリスト教徒側は相手側の内部の揉め事を知っていたようだ。内乱で自滅するのを計算しボアブディルにカスティーリアへの税金の約束を取り付けグラナダへ戻す。グラナダでは叔父ザガルが実権を握っており再び内戦となる。1485年ボアブディルは戦況不利と悟るとキリスト教徒側に逃げ込んだ。叔父のザガンがモハメッド13世として即位。ボアブディルはキリスト教徒と手を組み叔父ザガルと戦争。ザガルが降伏し再びボアブディルはグラナダ王としてアルハンブラ宮殿へ復帰できると信じていたようだがキリスト教徒はグラナダからの全撤退を求めた。ボアブディルが裏切られたと気づいた時には既に打つ手は無かった。包囲されたアルハンブラ宮殿は1492年1月2日無血開城。

<上院議会場にあるグラナダの陥落の絵19世紀プラディージャ>

グラナダの陥落
De Francisco Pradilla – See below., Dominio público, Enlace

ひとつの歴史の終焉。1237年から1492年255年の間に21人の国王達が千一夜物語を過ごした夢のまた夢は終わった。アルハンブラの陥落。

ボアブディルが一族郎党を引き連れシエラネバダを超えるとき最後に振り返りアルハンブラを見て涙した。母アイーシャは「おまえが男として守り切れなかったアルハンブラを見て女のように泣くがよい」と言ったそう。その峠は今も「ススピロ・デ・モーロ」「モーロ人の溜息」と呼ばれている。

<グラナダ議会場にあるボアブディル家族のアルハンブラからの撤退>           白い服の女性が母アイーシャ

アイーシャ・アルハンブラの出発
Aixa, de blanco en el centro de la obra de Manuel
Gómez-Moreno (1880), pintada en Roma

 

<最後の王ボアブディル>

ボアブディル王

ボアブディルはシエラネバダの山岳地帯に領土を与えられたがモロッコのフェズまで行きそこで暮らして生涯を終える。今もシエラネバダのアルプハラにグラナダの落人たちが住んでいた白い村が残る。

<シエラネバダのアルプハラにある白い村>

アルプハラス

その後のアルハンブラ宮殿

最も輝かしき戦利品アルハンブラ宮殿に入ったキリスト教徒たちはその美しさに驚愕した。カトリック両王の孫カルロス5世はアルハンブラ宮殿を帝国の中心にする予定だった。すでにアメリカ大陸を手に入れハプスブルグ領土も手に入れたカルロス5世皇帝にはアフリカをも含む大帝国の野望があった。時代はコンスタンティノープルが陥落してオスマン・トルコが東地中海で勢力を持っている頃。ウィーン攻略をしたトルコのシュレイマン大帝に攻撃を仕掛けるのに格好の場所だった。

<プラド美術館にあるカルロス5世ティチアーノ作>

カルロス5世

しかしアメリカ大陸の発見後経済的関心が大西洋に移りフェリペ2世は父王カルロス5世の宮殿造営を引き継ぐがそれは終わることはなかった。

19世紀ロマン派の時代

<19世紀の版画に出てくるライオンの中庭>

アルハンブラ19世紀版画
El Patio De Los Leones 1833 David Roberts

時は流れ人々の記憶にさえなくなったアルハンブラ宮殿は廃墟となり忘れ去られた。そこにロマ族が住み浮浪者が滞在しこの城を気に留める者はいなかった。そして更に時は変わりロマン派の時代。古いお城などが見直されていたころアメリカ人作家ワシントンアービングがロシア人の友人とアルハンブラを訪れ旅行記と城にまつわる物語を出版した。「アルハンブラ物語」1832年初版、1851年改定版がベストセラーとなりアルハンブラ宮殿は広く世界に知られることになった。

<アメリカ人作家ワシントンアービング>

ワシントンアービング

アルハンブラ宮殿見学順序

現在入場時間予約制。時間の予約はナスール朝宮殿の入場の事。ヘネラリーフェに関しては午前と午後に分かれている。カルロス5世宮は無料で自由に入れる。写真はフラッシュなしで撮れます。

 

アルハンブラ宮殿は計画性を持って創られた宮殿ではなく何世代にも渡って増改築を重ねた都市複合体。化粧漆喰やタイル、天井や儚い水の音等を楽しみながら進んでいきましょう。順路になっているのでそれに従って進んでいくと以下の順にみることが出来ます。

カルロス5世の宮殿

自由に入れるので時間のあるところで見学。内部の博物館に彫刻や寄木の扉等が展示されている。この丸い中庭は音響が最高に良いので6月にグラナダ音楽祭の会場になる・。

カルロス5世宮殿

入場券のチェック

カルロス5世宮の少し先に個人とグループは別に入場口が作られている。そこでアルハンブラ入場券のバーコードのチェック。指定時間より早くは入れない。30分間の指定時間から遅れると入場できないので注意。切符は合計4回チェックがあるので最後まで失くさないように。

アルハンブラ入場券

メスアール宮

現存する中で一番古い部屋。おそらくアルハンブラの中で一番改造を強いられている場所なので往時の姿は留めていない。この部屋には裁判所があったがキリスト教徒の時代に変更がされ礼拝堂として使われた。奥にはミヒラブというメッカの方角を示す窪み。アラビア文字や漆喰彫刻、天井の寄木細工。

<メスアール宮入口・壁面全体が幾何学模様>

マスアール

 

コマレス宮

大使の間と呼ばれる大広間を含むコマレス宮はアルハンブラの中で最も重要な核をなすもの。アラヤネスの中庭には大きな池がありそこに映るコマレスの塔は水の上にあるように見える。

アルハンブラ、コマレス宮

大使の間

アルハンブラ宮殿にやって来た使節と王が謁見に使った大広間。天井は寄木細工で満天の星空をイメージして創られている。平面すべてに漆喰のアラベスク模様。弱小国になっていたグラナダが最高の見栄を切って外交官たちと謁見をした。明るい外からやって来た使節はうす暗い大広間に入り目がくらむ。後ろと前の光で王が光輝いて見える仕組みだった。この部屋でコロンブスがイサベル女王から宝石箱を受け取ったと言われている。

<大使の間の天井・白は象牙が使われている>

コマレス宮殿

 

アリカタード<石を使った象嵌>

アリカテ(ペンチの様な物)でタイルを切り取り組み合わせていく。模様はすべて幾何学模様。タイル作りのプロセスは粘土の分離から。土を細かく砕き水と混ぜこねて形にしていく。モザイクの為には発色が肝心。緑には銅青、コバルト黄色には鉄とマンガン。赤の混合の秘密は今もわからない。かまどを作り木材を燃やして900度の温度で24時間かけて焼き24時間かけてさました。

アリカタード

神秘学と数学

偶像崇拝の禁止の為イスラム装飾は生き物の形を作らない。基本的には反復するリズム、果てしなく繰り返される模様が空間を埋め尽くし無限を感じさせる。

アルハンブラ、アラベスク模様

二次元空間における回転対称性を分類するとその数は17種類しかない。このアルハンブラ宮殿ではすべての回転対象を使って壁面を飾っている。

<私が一番気に入っているタイル。水の動きの様に見える>

アルハンブラ、モザイク

 

アラベスク模様の基本はユークリッド幾何学。ピタゴラス(BC582頃~496)が体系化しアルジャワリ(800-860)が拡張した三角法の基礎。または我々の手の届かないところに永遠不滅の完璧な存在があるとするプラトン(BC427~347)のイデア論がアラベスクの発展に影響している。

アルハンブラ

 

四角形は四つの等辺を持っていることから自然界の等しく重要な要素と考えられていた。土、空気、火、水の四大元素。どの一つを欠いても物質世界は滅亡する。正四角形を重ねた八角の星はイスラム教徒が好んで使った形。インドで発見されたゼロを運んできたのもイスラム教徒。アラビア数字と呼ぶが進んだ数学はアラビア人がヨーロッパへ運んだ。

アルハンブラ宮殿

 

 ライオンの中庭

ここからはスルタンのプライベートな空間。列柱の森が砂漠のオアシスを感じさせる。

ライオンの中庭

12頭のライオンは12角形の水盤を支えている。ライオンは10世紀から11世紀頃のものだと想定されている。口から水を出すライオンは太陽を現し12頭は黄道帯の12宮であり12か月である。4x3の12も良く使われた数。12頭のライオンはソロモンの神殿にあった12頭の鉄の牡牛であり海を支えている。この海は天空の水がめも表していて海でもあり天空でもある。

ライオンの口からは水が出るためには水圧が必要。アルハンブラ宮殿は丘の頂上に創られておらず中腹にある。丘の頂点に今も貯水池がありシエラネバダから水路によって水が貯められている。それぞれの場所に必要な水が流れるよう標高差と管の太さで水量と水圧の計算がされている。

アルハンブラと光

アルハンブラの建築は完璧に東西南北を向いている。それによって窓から入る光が時間を教えてくれる。もともと不規則な地形を谷や起伏を埋め立てることによって整列させてある。

夏のグラナダの太陽は容赦なく高い所から照らしつける。高い位置で運行する太陽が各部屋には差し込まないので夏は涼しい。冬の低い位置で運行する太陽はより奥の部屋にま光を届けるので冬は暖かくなる。

アルハンブラ

鍾乳石飾り

イスラム建築の天井に良く使われるのが鍾乳石飾り。イスラム教創始者モハメッドは最初は迫害を受けていた。しばらく鍾乳洞の洞窟の中で隠れて暮らしていた時に大天使ガブリエルからコーランのインスピレーションを授かったことに由来する。アルハンブラ・ライオンの中庭に面するに「二姉妹の間」の天井も鍾乳石様式で飾られている。平面図は四角形だが八角形の星の形にし5416の断片を張り合わせてある。当時はさらにその上の窓は色ガラスで時刻と共に光が移り変わっていくように創られている。天井に移される光が動くイメージ。空間の中の際限のない変化は天空をイメージしたもの。

<に姉妹の部屋の天井、窓には色ガラス壁は彩色されていた>

アルハンブラ

ヘネラリーフェ

アラビア語で楽園という意味の庭園。当時とはかなり様子は変えられているとはいえ庭園の本質は失われていない。楽園と同時にアルハンブラに住む王家への食糧を供給する農園や果樹園だった。そして小高いヘネラリーフェに香りの良い果樹や花を植えて宮殿に良い香りが流れる仕組みになっていた。

<アセキアの中庭>

内側に向いて作られた庭が安心感を与え水の音が心地よい。真夏のうだる暑さの中でもここは水と風の流れで涼しいように高度や方角を計算し設計されていいる。最近の発見では雨の音を再現するための管もあったようだ。

<アセキアの中庭・水の音が心地よい>

アセキアのパティオ

<水とイスラム教徒>

飲み水や宗教儀式の清め、入浴等イスラム教徒は当時のキリスト教徒よりも水と密接に繋がっていた。農業や庭園への供給の為に用水路をくまなく創り水を供給した。王宮だけではなく市街地にも街の人々の為の灌漑設備が創られていた。

砂漠で水は宝、色の無い砂漠の民には花々の極彩色は憧れの対象。アルハンブラは水と色をふんだんに使った宝と夢の宮殿都市。

アルハンブラ宮殿入場券

当日券は早朝から並んでも買えないケースが続出ですのでなるべく予定が決まったらネットで予約を入れることをお勧めします。

<予約の仕方>

下がアルハンブラ宮殿公式ページです。スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語が選べます。ちょっと複雑なので少し調べてから購入しましょう。種類や予約の仕方、最適な時間等ブログに書いている方もあるようです。

https://www.alhambra.org/en/buy-alhambra-tickets.html

スペインの歴史をまとめた記事です。5分で読めます。 スペインの歴史ダイジェスト版

イスラム王朝のあたりの歴史の記事です 後期ウマイヤ朝・コルドバカリフ王国の繁栄

 

代行サービス等色々あるようですのでご自分の一番いい方法を探して切符を手に入れましょう。光の動きや水の音、流れる風の向き等快適さを計算しつくされています。五感すべてを使って感じてお持ち帰りください。

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シエラ・ネバダの綺麗な村

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スペインは山岳国

知られていませんがスペインはヨーロッパではスイスについでの山岳国。

多くの地域では冬は雪に閉ざされる。

大きな山脈が国内を分断していて交通機関が発達していなかった頃に

山に分断されたそれぞれの地域で独特の文化が育っていった。

アンダルシア

南スペイン・アンダルシア地方
なんとなく私達外国人の持つスペインのイメージにぴったりな所です。

人々はのんびりしていて陽気で人懐っこい。
人が集まると輪が出来て誰か歌い誰かが踊りだしそうだ。

 

そのアンダルシアに「グラナダ」という町がある。

私にとっては特別な町。
町中にお花の香りとイスラムの残像。

自分の記憶の中に「香り」が克明に残っているのはグラナダだけなんです。

イスラム教徒は香りのいいお花を好んで植えていった。
少し小高い丘の上に。
だから風が香りを運んでくる。

シエラネバダ

スペインは山岳国でいがいと沢山の山がある。                           一番南、アンダルシアにシエラ・ネバダ。
最高峰はムルアセン3478メートル

シエラは山、ネバダは雪が積もったという意味

シエラ・ネバダは冬にはたっぷりと雪を積もらせ地中海の風を堰き止めるので         冬のグラナダは底冷えがするほど寒い。

ヨーロッパで1番緯度の低いところにあるスキー場                         お天気がいいとスキー場から地中海が見える。

アルプハーラス

この山の中に綺麗な村が点在する。
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1492年アルハンブラ宮殿がキリスト教徒により陥落したあとのイスラム教徒達が
隠れ住んだ村。
こんな山の中までは追ってこなかった。
段々畑に作物を作ってひっそり暮らしていた村です。
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Alpujarras アルプハラスの村々
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グラナダから車で2時間ほど。
中央の線もないような曲がりくねった登り坂を延々と。
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Lanjaron ランハロン1085m 〜Pampaneira パンパネイラ1296m〜
Bubion ブビオン1296m〜Capileira カピレイラ1436m
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と真っ白い綺麗な村がつづく
スペインで1番の長寿村でもあります。
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グラナダからアルプハーラス行き方

グラナダバスターミナルEstacion de Autobus からアルサAutobus Alsa
10:00発 12:00発 16:30発 各村を通り
時刻は変更あります。www.alsa.es
Alsaというバス会社の公式ホームページから確認できます。

 

カピレイラまでには約2時間〜2時間30分
タクシーだとランハロン51ユーロ
パンパネイラ76ユーロ
ブビオン80ユーロ
カピレイラ82ユーロ
それぞれ時間や曜日によって多少変わります。
目安だと思って下さい。

 

小さなホテルやレストランが何軒かあります。
山好きなら8キロくらいで山小屋まで。
昨年の5月まだ雪の中でした
標高2500メートル以上はアイゼン・ピッケル要

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カディス

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カディス

なんとも旅情をそそる名前の街だ。

南スペイン、アンダルシア州の西側。

周りは大西洋に囲まれた港湾都市。
image.jpeg
太陽の光は垂直に街を照らし
白壁に反射して眩しい。
image.png
ヨーロッパ最古の街
紀元前1100年頃にフェニキア人がやって来て造った。
フェニキアはいまのレバノンからシリアの一角。
イスラエルのすぐ北側にある。
エジプトやバビロニアに挟まれているので
高度な古代文明の影響を受け都市国家を作っていた。
image.png
貿易商人で交易で栄えた民族だ。
直線距離で5000キロは離れている。
物が動くと文化や文明も一緒に移動するのは今も同じだ。
彼らが今に残したのがフェニキアン・アルファベット。

 

それまでの表意文字を音を表す表音文字に変えた。
後のローマ人が取り入れたのがいまのローマ字になる。

 

街の考古学博物館に行くとフェニキア人の見事な石棺が残る。
海に囲まれているので古くからの船乗りの街で
コロンブスもここから2度出航している。
image.jpeg
スペイン黄金時代のインディアス艦隊はセビリアを出航すると
カディスを経由して新大陸へ向かった。
タバコや絹や金銀宝石が本国へ運ばれスペインを豊かにした
200年続いた超進んだ輸送システムだったらしい。
時々イギリスやオランダの海賊にやられたけど。

マグロ漁

海沿いを60キロくらいでバルバテBarbateという漁師町
「アルマドラバ」というマグロ漁をやっている。

 

2000年の歴史のある漁でかなり野性的。
何隻もの船でマグロを囲い込んで行き
ジャックナイフを持った漁師たちが海の中にジャンプしてマグロを仕留める。
格闘技型漁師。
この仕留め方が魚の味を左右するらしい。
image.jpeg
解禁は5月中旬頃
捕獲したマグロはあっという間に最新冷凍技術で東京の築地市場へ移動する。
お寿司食べる時スペインの格闘技型漁師達に思いを馳せて下さいませ。

 

そろそろ対岸にアフリカが見えてくる。
ジブラルタルはあと少しだ。
image.jpeg

行き方

マドリッド・アトーチャ駅から Alivia 特急一部新幹線で4時間

イベリア航空  Jerez dela Frontera 空港から50キロ

 

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すぐそこにアフリカが見える

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ジブラルタル海峡

たったの14キロメートル
もうそこにアフリカが見える。
地中海と大西洋の入り口

アフリカとヨーロッパの地図
ここをマグロが通るのをすでに古代ローマ人が獲って
塩漬けにしてローマへ送っていた。
遺跡が残っている
ローマの遺跡、マグロの塩漬け
四角い石の入れ物でマグロの塩漬けを作ったようだ。

ジブラルタルはイギリス領

海峡の岩山のあたりはイギリス領。
今もパスポート検査がある。
国境は歩いて渡る。
面積7平方キロメートルに3万3000人のイギリス人が住んでいる。
と言っても醸し出すムードはアンダルシア人で英語とスペイン語のバイリンガル。
今も両国の扁桃腺になっているデリケートなところです。

 

そういえばイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃の新婚旅行
ここから出発だったのでスペイン政府は遺憾の意を表明しました。

 

ジブラルタルはイギリス領

歴史

ここがイギリス領になったのは約300年前
スペイン・ハプスブルク家最後の国王が1700年世継ぎを残さず亡くなった。
カルロス2世。
カルロス2世
プラド美術館にあるラス・メニーナスのマルガリータ王女の弟です。
プラド美術館、ラス・メニーナス
父親フェリペ4世とウィーンの王女マリアーナの間に生まれた。
この2人実は叔父と姪の関係。
3歳まで話せず7歳まで歩けず末端肥大症で癲癇持ち。
2度結婚するが子供ないまま39歳で他界

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ヨーロッパ大混乱の末戦争になった。
この王様1つだけ良いことをしてくれた
「1700年という覚えやすい年に亡くなった事だ」
これは私じゃなくて歴史学者達が言っている。

 

フェリペ4世の最初の妃がフランス王女
2人の間の娘が太陽王ルイ14世に嫁いでいるから話はややこしくなった。
どっちが王位継承するの〜〜
と戦争になった。

 

「スペイン王位継承戦争」
代々のハプスブルク支配を嫌った各国がフランスに味方をして
このときちゃっかりイギリスが上手く立ち回り

 

戦略上重要な地中海と大西洋の入り口の片足を持って行った。
地中海の入り口地図
未だにイギリス領土です。
毎日7千人のスペイン人が国境を越えて働きに行く。
Brexitのときは95,9パーセントがEU残留に票を投じた。

スペイン側は直ぐ
「ジブラルタルスペイン返還でもわが政府は構わない」
と発表したが
ジブラルタル首相は「見当違いも甚だしい。絶対スペインの一部にはならない」
という声明。

 

ただ国境を封鎖されれば往来は船か飛行機のみの孤島。
この辺りのスペイン側は多くのイギリス人リタイヤー組が別荘を持っている。
今後のBrexitの準備でイギリス人がスペイン国籍を取るケースが増えているという。

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