ホセ・デ・リベラ(スペイン語名)又はジュゼップ・ディ・リベラ(イタリア語読み)は17世紀のスペインの画家。プラド美術館で鑑賞できる巨匠のひとりだ。スペイン国王フェリペ4世の頃、同時に個性のある天才画家たちが多く登場した時代をスペイン17世紀黄金世紀と呼ぶ。エルグレコ、ベラスケス、スルバラン、ムリーリョ等プラド美術館でおなじみの画家たちが同時期に登場している。リベラはスペインでは認められずスペイン領だったイタリアのナポリで活躍した画家。異彩を放つホセ・デ・リベラについて紹介します。
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ホセ・デ・リベラ(ジュゼップ・ディ・リベラ)
<1591-1652>
リベラはスペインの地中海側にある商業都市バレンシア近郊のハティバで靴職人の子として生まれる。17世紀のバレンシアは豊かな商業都市として栄えていた。対抗宗教改革の時代に登場したバレンシア大司教(ファン・デ・リベラ)の元多くの教会や修道院が作られ、その壁を飾る宗教画が作成され画家たちが集まった。フランシスコ・デ・リバルタはバレンシアを代表する画家として大司教の寵愛を得多くの作品を描いている。ホセ・デ・リベラは若いときフランシスコ・デ・リバルタに師事したという。
リベラは若い頃に弟とイタリアに移住しているが移住時期などについてはわかっていない。1611年(20歳頃)にパルマ公の絵を描いており、1615年(24歳頃)にはイタリアのローマに滞在していた事は確実。その頃にはリベラは既にカラバッジオの影響を受けた作品を描いていた。1616年にナポリへ移住し活躍している。「ホセ」はスペイン名で「ジュゼップ」はそれのイタリア語なのでホセ・デ・リベラ又はジュゼップ・ディ・リベラ又はイタリア語のニックネーム「ロ・エスパニョレット」で知られた。絵に署名を残すときは「スペイン人」または「バレンシア人」と書きリベラは終生スペイン人であることを誇りにしていたが祖国では評価されず異国で活躍し客死した。
作品
現存するリベラの初期の作品は「味覚」1615年頃にローマで描いた人間の五感のシリーズ。良く太った大食漢の庶民的な男が赤ら顔で食卓についている。衣装や食卓の様々な静物の質感が素晴らしく再現されている。
<味覚、1615年、ハートフォード、ウォッズワース・アシーニアム>
ローマでリベラは北方出身の画家たちと寝食を共にしていたことが判っておりその影響がみられる。
<執筆の聖ヘロニモ、1615年、プラド美術館>
(上)聖ヘロニモは聖書をラテン語に訳した聖人。テネブリズモの技法、カラバッジョの明暗法が既にみられる。
1616年夏にリベラはローマからナポリに移住。当時スペイン副王領として貿易で栄えていたナポリはインターナショナルな活気ある街だった。カラバッジオの影響を大いに受け明暗法を駆使した作品を描いている。代々のナポリ副王にもスペイン人であるという事で重用され活躍する。
リベラの描く聖人たちは地元の漁師や貧しい浮浪がモデルになり人間臭いのが特徴。聖人達さえも理想化せずに皺や皮膚のたるみまでも現実的に赤裸々に描き出した。特に1620-30年代の作品に顕著にその特徴がみられる。
<聖アンドレス、1630年頃、プラド美術館>
(上)聖アンドレは兄のペテロと共にガリラヤの漁師だった。イエス・キリストに最初についていった弟子でギリシャのパトラスで捕らえられ拷問に会いⅩ型の十字架に掛けられたが絶命するまで周りの人に説教を続けた。節くれだった手の皺やお腹の肉のたるみ等、聖人を描くにもかかわらず理想とはかけ離れたナポリの漁師がそこにいる。
<デモクリトス、1629-31年頃、プラド美術館>
(上)「笑う哲学者」と通称される作品。ナポリ副王だったアルカラ公爵の為に制作。古代の哲学者のデモクリトスを、ぼろをまとった現実の世界の庶民として描いた。今にも話し始めそうなこちらを見つめる眼差しや親しみやすい笑顔が親近感を与える。左手に紙を持ち右手にコンパスを持つのでアルキメデスとも呼ばれていた。顔や節くれだった手の皺の描写がやはりナポリの漁師を思わせる。
<アッシジの聖フランシスコの幻視、1636-38年、プラド美術館>
(上)対抗宗教改革の頃に好まれたテーマ、頭蓋骨は改悛や謙虚を象徴する。天使が持つ透明なガラスの水は純粋さを現す。透明感に画家の技量がみられる。明暗法が使われているが次第に絵のタッチが柔らかく変化している。リベラは若い頃にローマでラファエロの作品に感銘を受けている。またローマ=ボローニャ派の画家たちがナポリに到着しており次第に彼らの影響をを受け激しいリアリズムから脱却する。
<天使による聖ペテロの開放、1639年、プラド美術館>
(上)激しいテネブリズムから脱却した1630年代後半の作品。捕らわれた聖ペテロに天使が合わられた場面。ヤコブの夢と連作で描かれた。
悔悛のマグダラのマリア、1641年、プラド美術館>
(上)リベラの作品に聖母マリアや聖女たちの作品は少ないのはスルバランやムリーリョとの大きな違いとなる。数少ない聖女画の代表作。明るい背景の曇り空で美しい聖女を甘美に描いている。
まとめ
対抗宗教改革のヨーロッパで厳しい検閲などが行われていた時代背景もありリベラの描く作品は厳格な宗教感が漂う。自国で成功できずにナポリへ渡りスペイン人であることを最後まで誇りに活躍をした画家。祖国に帰らずナポリで最後を迎えた。生前から多くの作品がスペインへ送られた事もありプラド美術館でリベラ様々な時代の作品を鑑賞することが出来る。