スペインの歴史ダイジェスト版

いつ頃人類がスペインにたどり着いたかはまだ不明な点が多いが180万年から150万年前と考えられている。20世紀に発見されたいくつかの遺跡の発見の中でアタプエルカ(ブルゴス県)でまとまった人骨が発見され43万年前の物と言われる。(世界遺産)

アルタミラ洞窟

1875年アマチュア考古学者が娘と草原を歩いていると娘が洞窟の中へ入って行って壁画を発見。約2万年前の牛や鹿の後期石器時代マドレーヌ文化のもので生き生きとした生き物たちが描かれている(世界遺産)そのあとフランス・スペイン国境あたりでラスコーなど数々の壁画の発見に繋がる。

(カンタブリア アルタミラの洞窟)

 

巨石文化

紀元前2000年ころの巨石文化。いまだにどういう民族が残したか不明。エーゲ海のクレタ島や地中海のマルタ島などの関連があるかも。主にアルメリアなどの地中海とバレアレス諸島に集中。巨石文化はイベリア半島からヨーロッパに広がりフランスのカルナックやイギリスのストーンヘンジ等へ伝わって行ったと言われる。

( アンテケーラのドルメン)

 

タルテッソス

紀元前1000年ころ南西部グアダルキビール河のほとりに誕生した国。スペインの歴史に謎の部分が多い。旧約聖書に出てくるタルシュス。金銀銅錫の集散地だったが突然姿を消した謎の文化。伝説のアトランティスではないかと言われている。

ケルト・イベロとフェニキア

紀元前900年ころからインドヨーロッパ語族がピレネー山脈を越えて入って来る。先住民族イベロ族と混血を繰り返し今のスペイン人のルーツとみなされるケルト・イベロ族が形成される。又海洋民族のフェニキア人が岩塩や錫を求めてやって来てカディスを建設。

(ケルトの遺跡  ガリシア・サンタ・テクラ)

 

ギリシャ人

フェニキアから幾分か遅れてスペインにやってきたのがギリシャ人。彫像や芸術をスペインにもたらした。土着のものと融合してグレコ・イベリアと言われる美しい様式が生まれた。アリカンテの近くで出土したエルチェの婦人像がその代表.。

(エルチェの婦人像 マドリッド国立考古学博物館。)

カルタゴとローマ

フェニキアの植民地カルタゴがスペインに入って来るとギリシャ人を駆使し今のイビサを建設、シチリアにまで支配権を拡大しローマと衝突。そしてポエニ戦争が始まる。第1回ポエニ戦争は新興国ローマが勝利。負けた将軍がイベリア半島に移住する。その息子がハンニバル。第2回ポエニ戦争は28歳のハンニバルが像を連れてピレネー・アルプスを越えてローマへ進軍するがローマの勝利。そして第3回ポエニ戦争でカルタゴは破壊される。そのあとイベリア半島にローマ人が入ってくる。

ローマの支配

かなりの抵抗もあり200年の歳月をかけて制圧し半島をイベリア半島はローマ化。アウグストゥス帝の時代から5賢帝の時代に多くの寺院や水道橋、劇場などが作られる。オリーブやマグロの塩漬け、小麦、ワイン、金や銀がイベリア半島からローマに輸出される。 。

(メリダの劇場)イタリア半島以外で最も大きな遺跡

キリスト教の伝来とビシゴート

紀元後1世紀中頃スペインにキリスト教が伝来。最初は殉教者を多く出すが次第に深く根差していく。ローマ帝国が分裂し末期状態になりゲルマン民族の大移動。スペインにはビシゴート族がやって来てビシゴート王国。その首都がトレド。

ビシゴートは先住民のイスパノ・ローマと融合しカトリックに改宗。ビシゴートは内紛が多く血なまぐさい事件が続き政治は不安定、民衆の不満に乗じてイスラム教徒がやって来る。

イスラムの侵入

スペインの歴史がほかのヨーロッパと違うのがここから。711年イベリア半島を虎視眈々と狙っていたアラブ系ベルベル人を主力とするイスラム教徒(サラセン帝国・首都シリア)がジブラルタル海峡を渡って半島に侵入。

ビシゴート王国の崩壊。イスラム教徒は寛大な政策を取りキリスト教徒と共存したのが半島征服をたやすくした。イスラム教徒は半島南部を支配。その地域はシリアのウマイヤ朝支配下のアル・アンダルスと呼ばれる。キリスト教徒として人頭税などを払う人をモサラベ、イスラム教徒に改宗した人をムラディと呼ぶ。

スペインの歴史をもう少し詳しく>>ビシゴートからイスラムの侵入               <西ゴート(ビシゴート)王国の崩壊>

 

スペインの歴史アルアンダルスについての記事 <アル・アンダルス、スペインでイスラム支配が始まった>

後期ウマイヤ朝

シリアで続いていたウマイヤ朝が革命で倒されアッバース朝に。首都はダマスカスからバグダッドへ。カリフの座を追われたウマイヤ家の血を引く王子がスペインに逃げてくる。そしてコルドバを首都に後期ウマイヤ朝。正当の王子がやって来てスペインでイスラム王朝が始まった。その時に作られた回教寺院がメスキータ。後に929年アブ・ドラーマン3世は自らをカリフ(王)としアルアンダルスをウマイヤ朝カリフ王国とする。コルドバは栄華を極め数学、医学、天文学、化学などの中心なる。

後期ウマイヤ朝についての歴史の記事 後期ウマイヤ朝

(コルドバ メスキータ)

レコンキスタと聖ヤコブの遺体の発見

イスラム化しなかった北スペインの山岳地帯でビシゴートの貴族の末裔ペラーヨは722年コバドンガの戦いで初めてイスラム教徒を撃破。

(コバドンガ  サンタ・クエバ)

レコンキスタの始まり。アストゥリアス王国を作りイスラム社会からの避難民やフランスからの貴族戦士たちを受け入れ戦って土地を奪い返していく。フランスではカール大帝が戴冠しレコンキスタを始めていた。ちょうどそのころ聖ヤコブの遺骸の発見。

白い馬に跨った聖ヤコブがイスラム教徒と戦ってくれる奇跡が起こる。「神はそれを望んでおられる」というスローガンのもとレコンキスタが進んでいく。1031年コルドバの陥落1248年セビージャ陥落。

スペインの統一とグラナダの陥落

キリスト教徒がレコンキスタを進めながら少しずつ国がまとまって行きカスティーリアの王女とアラゴン・カタルーニャの王子フェルナンドの結婚でほぼ統一。イスラムの最後の砦はグラナダ王国。カスティーリア王国に高額の税金を払う立場を取ながらアルハンブラ宮殿で千一夜物語が繰り広げられていた。22代254年間続くスペインの歴史に残った最後のイスラム王朝。

(アルハンブラ宮殿ライオンの中庭)

1481年キリスト教徒軍がグラナダ攻撃をはじめ1492年に陥落。その年にコロンブスがイサベル女王の援助のもと西回り航海へ。大航海時代の幕開け。

黄金時代

カトリック両王の5人の子供たちは成長すると政略結婚の駒となるが不運に見舞われていく。長男ホワンは結婚式の途中で亡くなり長女イサベルはポルトガル王に嫁ぐが産褥死。その息子もすぐに死去。次女ホワナはブルゴーニュ公フィリップ美公と結婚。王位継承者となるがフリップ美公突然の死のあと発狂(カルロス5世の母親)一番下のカタリーナの結婚相手はイギリスのヘンリー7世の息子アーサーと結婚も数か月後に死別。その弟ヘンリー8世と再婚するが彼に愛人ができ離婚されロンドン塔に幽閉。その娘がメアリー・チューダー。愛人の娘がエリザベス1世。     発狂したホアナは6人の子供を産みその長男に王位継承権が移動。カルロス5世(カルロス1世)遺産相続でスペイン、アメリカ大陸、南イタリア、とハプスブルグ領土を手に入れる。ここからスペインの歴史の黄金時代。

(カルロス5世。ティチアーノ  プラド美術館)

 

カルロス五世の息子がフェリペ2世。ポルトガル領土を手に入れスペインの領土は最高に。日の沈まぬ大帝国。スペインの歴史の黄金時代。日本からこの王様に合わせるため九州のキリシタン大名の子供たち天正遣欧少年使節がやって来る。イギリスのエリザベス女王との敵対関係の末無敵艦隊が英国海軍に負けたのもこの王様の時。慎重王と呼ばれた寡黙で冷静、威厳のある国王です。

(フェリペ2世 ティチアーノ  プラド美術館)

 

日本から伊達藩の使い支倉常長が謁見した国王。  ここから政治にあまり興味のない世襲制の国王が続く。

(フェリペ3世 ベラスケス プラド美術館)

 

 

フェリペ4世 最初の結婚がフランスのブルボンの王女。その娘がフランス国王ルイ14世に嫁ぐ。2回目の結婚相手は姪でオーストリアハプスブルグの王女。生まれた長女がマルガリータ王女。ベラスケスのラスメニーナスの中央にいる女の子。

(ベラスケス・フェリペ4世とラスメニーナス ベラスケス プラド美術館)

 

スペインハプスブルグの終焉

次に生まれた長男がカルロス2世。

(カルロス2世 カレーニョ・デ・ミランダ プラド美術館)

スペインの代々のハプスブルグ家は親戚同士の婚姻を繰り返す。フェリペ4世の息子カルロス2世はその結果体が弱くてんかん持ち。子供がないまま1700年に死去。ブルボンとも親戚関係を持っていたこともあり王位継承権を巡ってハプスブルグ対ブルボンの戦争になる。結果ブルボンの勝利。ルイ14世の孫がフェリペ5世として即位。スペイン・ブルボン朝の始まり。この戦争でスペインはジブラルタルをイギリスに割譲。いまだにイギリス領土です。

スペイン側からこの先がイギリス

カルロス4世とフェルナンド7世

フェリペ5世の息子カルロス3世は立派な王様だったが次のカルロス4世は世襲制の無能な国王。ゴヤのカルロス4世の家族の肖像画に登場。真ん中より少し右。この時代にナポレオン戦争。次に国王になるのがさらに無能なフェルナンド7世。左から2番目。

(カルロス4世と家族 ゴヤ プラド美術館)

 

フェルナンド7世は娘しかいなかったのでブルボンの王位継承の法律を変え女王にする。イサベル2世として即位。その息子ががアルフォンソ12世。米西戦争の敗北キューバの独立プエルトリコの割譲、フィリピンの売却。16世紀の日の沈まぬ国は斜陽の時代を突き進む。 アルフォンソ13世は16歳で即位するも国内の民族問題モロッコの反乱、アナーキストの台頭、そして亡命。

(アルフォンソ13世 トーマス・マルティン スペイン歴史アカデミー)

 

スペイン内戦

左右両勢力の対立激化政治家の暗殺事件そして軍事クーデター。スペインは長い内戦に突入。内戦でヘミングウィーやジョージオーウェル等が国際旅団でスペインにやって来る。多くの知識人階層が外国に亡命。芸術家たちもフランスに亡命する。ピカソやミロなどがパリ万博に作品を展示し戦争の悲劇を人々に訴える。 バスク地方のゲルニカの爆撃 。

この戦争は1939年反乱軍の勝利で終わりスペインはフランコの独裁政権が始まる。独裁政権下はバスクやカタルーニャは自分たちの言葉を話す事も禁止され抑圧をうける。国連から脱退。冷戦時にアメリカが反共反ロシアでスペインに近づいてきて北太平洋条約機構に加盟。フランコは晩年中道政策を取り始める。 1975年独裁者フランコが死去し前国王ホアン・カルロスが即位。議会を開いて首相を任命し議会制民主主義の国になる。 1992年バルセロナ・オリンピックとセビリア万博が行われ世界に近代スペインを表明。同じ年にオリンピックと世界万博が同時に行われたのは史上初めてだったそうです。

現代

国民一人当たりのGDPは日本とほぼ同じ。平均寿命日本とほぼ同じ。食物自給率120パーセント。官民連携事業の受注世界一。世界の交通事業の40パーセントを請け負う。

 


まとめ

長いスペインの歴史を5分で読めるようにまとめてみました。各項目ごとに詳しい歴史を書いて行きます。旅をするのに少しだけ歴史を知っていると見るもの訪れるところの価値もグッと上がって行きます。楽しい旅を~