マドリード海軍博物館

海軍博物館

マドリード、スペイン海軍総本部の横にある博物館。カラベラ船やキャラック船の時代から無敵艦隊そして最近にいたるまでの船の模型が展示してあります。船好きでなくても美しい船の模型は圧巻、充分楽しめる博物館です。プラド美術館すぐそばなのでマドリッドで時間があれば是非お勧めです。

展示は時代ごとで最初は北海や地中海で活躍していた船やベネチア艦隊の船から始まる。

船の発展が良くわかる

1200年代のノルウェー船模型

1200年代地中海の貿易船模型

1300年代地中海の貿易船模型

 

ベネチアのカラック船模型 1500年ころ

スペインのカラック船模型 1500年ころ

 

カラック船

カラック船(キャラック船)は15世紀に地中海で開発された帆船。スペインではNaoポルトガルではNauと呼ばれた。ずんぐりしているが大西洋の高波でも耐えられた。もともとは物資、貨物を運ぶため貿易船として開発されたが戦闘用にも甲板が安定していて砲台を置くことも可能だった。ただあまりにも大きく突風での転覆や回転性能などの小回りの弱点があった。

 

カラベル船(カラベラ船)

もともとは北ヨーロッパで開発された商業船。13世紀から14世紀頃イタリアのジェノバ3で開発される。基本3本マストで3角帆を装備した外洋航海可能な帆船。スペインではCoca と呼ばれる。50トンから200トンの間で当時は中型船。ポルトガルのエンリケ航海王の時代に大西洋へ航海が始まり遠洋航海用に開発された。バルトロメオ・ディアスの喜望峰発見はこのt船。コロンブスの1回目は3隻のうち2隻がカラベル船1隻はカラック船。高い操舵性を持つことから探検活動が盛んになった主にスペイン・ポルトガルの探検家達に愛用された。

サンタ・マリア号模型

カラック船コロンブスの第1回目の航海。

ニーニャ号模型

カラベル船 コロンブスの第1回目航海

天球技や地球儀

 

1492年コロンブスはイサベル女王の援助のもとインドを目指してパロス港を出港。サンタマリア号(カラック船)に提督のコロンブス、ピンタ号とニーニャ号にピンソン家族が航海長として乗船し船員集めもピンソン家族に依頼。イサベル女王からの援助だけでは資金が足りなかったので船主たちに援助してもらう必要があり。ピンソン家族は熟達した船乗り達で彼の貢献なしでは大陸発見はあり得なかった。

六分儀 オリジナル18世紀

天体や物標の高度末平方向の角度を測るための道具。弧が60度なので360分の6で六分儀と呼ばれる。今でもほとんど形が変わっていないのが凄い。

使い方が良くわからないけど当時のいろんな道具が色々展示されています。

レパントの海戦

左端がローマ法王ピオ5世 館内の照明が光ってうまく写真がうまく取れない。

1571年今のギリシャのレパント沖での戦い。ヨーロッパ史初めての大海戦だった戦争。オスマントルコの地中海での前進を防ぐためにスペイン、ベネチア、ローマ法王、スペイン配下のイタリア諸都市、マルタ騎士団などが参加しキリスト教徒軍の勝利。

ガレー船

主に人力で櫂を漕いで進む軍船。古代からあった船の形。レパントの海戦が双方がこのガレー船で激戦を繰り広げた。構造が複雑で建造費が高くつき水封の調達が難しくなりレパントの海戦がガレー船の頂点だったと言われる。

 

 

ガレー船模型

ドン・ファン・デ・アストゥリアス

レパントの海戦でキリスト教連合艦隊総司令官。24歳だった。フェリペ2世の腹違いの弟。かっこよくて女性にもてもて。スコットランドのメアリースチュアートとの結婚話が持ち上がり本人はスコットランド国王になれるので乗り気で熱望。そのころにペストかチフスで死去。

 

 

往時のセビージャの街。大型船が大聖堂のすぐ横まで入っていた様子がわかる。

 

 

ホワン・デ・コサの地図 オリジナル1500年

この博物館の目玉はこれのようです。

ヨーロパで初めて新大陸を地図に描いた人物。左側がアメリカ大陸。コロンブスの1回目と2回目の航海に随行。合計8回の新大陸の航海に随行している。現コロンビアで先住民族に槍で刺されて死亡。

ラクダがかわいい

 

おしゃれな携帯用磁石 18世紀

インク壺。18世紀。揺れる船内で報告書や手紙を書くのは大変だったでしょうね。

 

ガレオン船

カラック船が発展した形式。4-5本の帆柱を備え1列から2列の砲列を持つ。」荷物が多く詰めてカラックよりスマートなので速度が出る。これがのち大量の砲を備えた戦列艦に発展していく。風の力で走るので漕ぎ手がいらないのでスペースが大きく物資を多く運べた。スペインのガレオンは派手さを意識し性能は悪くスピードもあまり出なかったので海賊の襲撃に弱かった。

 

ガレオン船 17世紀終わりから18世紀

ガレオン船 17世紀終わりから18世紀初め

 

この後スペインは凋落の時代を迎えるので負けた戦争はあまり展示なしでした。知らない海戦の絵も沢山ありオランダ・イギリスに相当やられたなあという感想。

インフォメーション

航海博物館 住所 paseo del Prado5 プラド美術館からすぐ

時間 火曜から日曜 10時から19時 8月10時から15時

入場無料 寄付金3ユーロ



いつも空いていて喧騒から離れて楽しめる博物館です。船やスペインの歴史をゆっくり堪能できます。大航海時代や無敵艦隊の頃を思いながら船乗りたちの夢や絶望が伝わって来る思いです。船好きでなくても楽しめる博物館です。

ピカソのゲルニカ(ソフィア王妃芸術センター)

ゲルニカ

ピカソの「ゲルニカ」という作品がある。

 

現在マドリッドにある近代美術館「ソフィア・王妃芸術センター」の珠玉の逸品。
「Centro de arte Reyna Sofia」

 

「ゲルニカ」は人類にとって非常に大切な作品。

もうこの美術館から出ることは無い。

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この写真自分で撮ったものです。

以前撮影が許可されていた時期があって。
もっと色々撮ればよかった。
その許可は直ぐに無くなってしまったから。

ピカソ

「ピカソ」と聞くと何をイメージしますか?
「変な絵を描く人?」
「歪んだ顔を描く奇人?」

 

丁度写真機が小型化して画家たちが失業した時代があった。
それまでの既存の写実画をカメラがやってくれる時代がやってきた。

 

神様は全てを準備して天才をこの世に送り込む。

ゲルニカは町の名前

「ゲルニカ」は町の名前
パイス・バスク (バスク州)にある工場も無ければ武器も作っていない今も存在する小さな町の名前。

スペイン内戦

スペイン内戦、または市民戦争と呼ばれる悲惨な戦争があった。
内戦なのでスペイン人同士が戦った戦争です。

第一次大戦後国内で民衆の不満が高まり共和派と保守派の対立が大きくなり
国王アルフォンソ13世の亡命、内政の混乱、フランコの登場。

内戦が始まると列強各国が集まって会議を開くが結局は自国の利益が大事。イギリス・フランスはスペインが共産国になるのは困るので不干渉政策。当時ドイツでヒットラー、イタリアでムッソリーニが登場していた。彼らは反乱軍フランコに援助をはじめる。最後にロシアがスペイン共和国軍に援助を決めスペイン内戦は後ろに大国が先端技術を実験する場。今のシリアの内戦と同じで後ろに大国や魔の商人達の思惑が絡んだ代理戦争になる。

ドイツのヒットラーとスペインのフランコの利害関係が一致。バスク地方は鉄鉱石や石炭などが取れ造船などもやっている重工業地帯。そこを手に入れようと思ったドイツのヒットラーがコンドル部隊を送って来る。一般市民に対し飛行機から無差別に爆弾を落とし街を陥落させる威力の練習場とする。

ゲルニカ

ゲルニカは小さな町です。
町のお祭りの日を選んで着飾って出てきた民衆に向かいフランコに要請されたドイツのコンドル部隊が無差別に民衆に向けて爆弾を落とした。

 

町は焼け野原になり人々は希望を失い家族を殺された。
家は焼かれ子供達は死んでいった。
若者は夢を奪われ未来を失った。残ったのは絶望と憎しみ。

パリ万博

丁度その頃スペイン人のアーティスト達はパリに亡命していた。
ピカソやミロ達。

 

そのパリで7度目の国際万国博覧会が行われることに。万国博覧会のテーマは「科学技術と日常生活の芸術」科学がメインのテーマ。
亡命スペイン人アーティスト達が助け合って祖国のパビリオンに飾るものを
準備し始めていた。

ゲルニカの爆撃

1937年4月26日ゲルニカの爆撃。
小さな小さな町をドイツのコンドル部隊が2時間半にわたって爆撃。当時飛行機が発明されたころ人々は大きな爆音を立ててやって来る飛行機さえも驚いてみたに違いない。そこから爆弾が投下された。お祭りを楽しみにやって来た民衆に向けて。

暫くして飛行機がいなくなった後防空壕に避難した人たちが戻ったようだ。死体の中から家族を探し怪我人を助けたりしているところにもう一度飛行機が戻って来て低空飛行をはじめ機関銃を持った兵士が民衆を狙い撃ちした。

 

爆撃後の廃墟の写真が新聞に発表されピカソはしばらく沈黙した。
そして構想を全て変更し6月4日にこの作品を完成させた。

ピカソからのメッセージ

縦3,5メートル横7,8メートルの巨大な作品には今もピカソからのメッセージ
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ある時ナチスドイツがピカソに「あなたが描いたんですか」
と聞きに来た。
ピカソの返事は
「違いますよ、あなた達がやったんです」

 

1937年パリ万博のテーマ
「科学技術と日常生活の芸術」
科学技術を絶賛する万博にこの作品がスペイン館に置かれた意味は大きい。

ソフィア王妃芸術センターアクセス

メトロ一号線アトーチャ駅から徒歩3分

プラド美術館から徒歩10分(paseo del Prado)

ガラスのエレベータの間を入っていくと切符売り場です。

開館時間、休館日、無料の時間等

月曜~土曜 10時―21時(火曜日休館日)

日曜 10時~19時

休館日 火曜日(1月1日、6日、5月15日、12月24,25日31日変更有)

平日の19時からと日曜13時30分から無料

写真撮影ーゲルニカとその周りの部屋は全部禁止。                       それ以外はフラッシュなしで。 ビデオは禁止。

 

入場するのにセキュリティーチェック

空港とほぼ同じ要領だと思ってください。(液体のものは持って入れます。)

大きなカバン、大きめのリュックサック、刃物、棒状の長いものはダメ。

杖の先が金属のものはダメ(先がゴムのものは大丈夫)

荷物を預けるところがあります。

念のため貴重品は出しましょう。

日曜日の朝はラストロへ、マドリードの蚤の市

マドリードの地元の人達に長年愛されている蚤の市、スペイン語でエル・ラストロという。朝の9時から15時頃までバーゲン会場の様ににぎわっている。エル・ラストロはマヨール広場から歩いて行くとずっと下り坂。日曜日の午前中マドリードにいたらラストロへ行こう。

日曜日マドリードにいたらラストロに行こう


日曜日の朝の蚤の市=ラストロ

日曜日午前中のマドリッドの蚤の市の事をラストロと呼ぶ。こんなもの売れるのかちう物から日常品や衣料品、キッチン用品や骨董品。その中にもキラッ光る宝物が見つかるかも。

ソル広場から歩いても充分行けるしマヨール広場から又は地下鉄ラ・ラティーナからならすぐです。午前中だけですが朝10時頃から15時頃まで。そうスペインの午前中は15時までランチを食べるまでを午前中。12時過ぎると大混雑です。スリに注意!

 

ラストロ行きかた「マヨール広場かラティーナから」

<マヨール広場から>

マヨール広場からだと下写真フレスコ画のある方を背中にアーチをくぐって下って行く。

下の写真がマヨール広場。このフレスコ画がある方を背中に

マヨール広場
plaza mayor 筆者撮影

アーチの向こうにサンイシドロ教会。マドリッドの守護聖人サンイシドロを祀る教会です。  教会の方に向かって歩いていく

マヨール広場のアーチ
マヨール広場、筆者撮影

 

教会の少し先がラストロ。ずっと下って行けば迷子になりません。

旧市街は通りの名前がセラミックに描かれていてこれも楽しめます。ここはトレド通り。calle de Toled

トレド通り
トレド通り、筆者撮影

 

 

暫くすると分かれ道。真っ直ぐ下っていきます。

分かれ道
ラストロへ、筆者撮影

 

エストゥディオ通り
エストゥディオ通り、筆者撮影

エストゥディオ通り

<メトロ・ラ・ラティーナから>

<メトロ5号線・ラ・ラティーナ>降りたらすぐ屋台がいっぱい見え始める。ここはマルドナーダ通り。

メトロ5号線ラ・ラティーナ
ラティーナの地下鉄、筆者撮影

この通りを人が沢山いる方に歩いて行けばラストロの中心部に着ける。

マルドナド通り

 

ラストロの中心 プラサ・デ・カスコーロ

マヨールからの下り坂とラティーナからの道が合流するのがこの広場。カスコーロ広場。plaza de cascorro

このあたりがラストロの中心になります。

真っ直ぐ下って行くメインの通りが<リベラ・デ・クルティドーレス>Ribera de Curtidores皮なめし職人という意味で今も何件かの皮のなめしのお店が残る。

ラストロの中心カスコーロ広場

とにかく坂道を下っていこう。玉石混合ですが目で楽しめます。あ、スリに気をつけてね。

リベラ・デ・クルティドーレスの通りのセラミック。皮なめし職人が働いている絵です。

リベラ・デ・クルティドーレス通り

ラストロの店
ラストロ、筆者撮影

 

ラストロ、メイン通りの店
ラストロ、筆者撮影

 

メインの下り坂から路地を少右へし入ると骨董品屋さんが多い地区へ。

アマソナ通り<calle Amazona>

 

アマソナ通りの骨董品店
ラストロ、筆者撮影

 

ラストロ骨董品店
ラストロ、筆者撮影

さらに進むと広場に出る。この界隈本格的な骨とう品店が並ぶ

ラストロ、骨董品店
ラストロ、筆者撮映

老舗のバルでイワシはいかが

骨董品屋に混じって老舗のバル。ラストロに来たら絶対ここに入ろう。イワシをその場で焼いて食べれる。バル・サントゥルセ  Bar Santurce 看板壊れてるけど・・・気にしてないのが素敵。安くておいしい。

バル、サントゥルセ看板

イワシ一皿3.9ユーロ

イワシ

再びメインの下り坂の方に戻っていく

ラストロ、メインの下り坂
ラストロ、筆者撮影

 

このあたりは大体似たようなお店が多い。

ラストロ下り坂の店

 

右手の方に骨董品店が入る建物。一階と二階本格的な家具とかの合間に小さな小物。

ラストロ骨董品店
ラストロ、筆者撮影

動かなくてもデコレーションに使えそう

ラストロ
ラストロ、筆者撮影

 

セクシー栓抜き

ラストロ、栓抜き
ラストロ、筆者撮影

又メイン通りに戻るとここはポスターに自分の名前を入れてもらえる。お土産にいいかも

ラストロ、ポスターのお土産
ラストロ、筆者撮影

かわいい絵皿が沢山。

ラストロ、かわいい絵皿
ラストロ、筆者撮影

このまま下って行くと大きな広場と通り出る。

ラストロ,plaza de campillo
ラストロ、筆者撮影

大通り沿いは電機や工具類でいつもおじさん達でいっぱい。

工具屋さんとおじさん達
ラストロ、筆者撮影

家や車の修理に必要な小さな道具が見つかる。

家や車ン修理に使う道具
ラストロ、筆者撮影

 

後はメトロかバスで次の目的地へ

ここまで来たら右に行くと<メトロ5号線>プエルタ・デ・トレド左に行くと<メトロ3号線>エンバハドーレス。又はラストロのバス停があるので「C1」のバスに乗ればスペイン広場まで行けます。今日は右の方へ行ってみるとこんな感じ。

右に曲がってメトロ5号線へ
ラストロ、筆者撮影

ここまで来たら右の方に回り込むと<メトロ5号線>プエルタ・デ・トレド。オペラ、カジャオ迄乗り換えなし。

メトロ5号線プエルタ・デ・トレド
メトロ、プエルタデトレド、筆者撮影

左の方に道を渡るとバス停。3番のバスに乗ると王宮の手前、マヨール広場、ソル、グランビアまで行けます。

プエルタ・デ・トレド3番バス停
バス停3番、筆者撮影

3番のバスはソルまで

バスも乗りなれると景色がよく見えて楽しい。乗り方は前から乗って後ろから降りる。降りる駅の前にボタンで合図。地下鉄と同じICカードで乗れます。なければドライバーの所で一人一回1,5ユーロ支払って切符は降りるまで失くさないように。

 

<マドリッド観光ルート>ソルからプラド美術館へ散策ルート

マドリードを歩いてソルからプラド美術館まで

今日はソルから

以前にスペイン広場からマヨールを歩いているので今日はソルからプラド迄歩いていましょう

SOLソル広場の正式名称はPuerta del Solプエルタ・デル・ソル=日本語にすると太陽の門広場。スペインの「0キロ」地点。今日はここからスタート。

「太陽の門」もともとここに城門があったが今は取り払われてい名前だけが残った。 すべてのスペインの道路はここから計られています。日本の東京の日本橋にあたるところ。

 

16世紀マドリードが首都になった頃は国王が住む宮殿から朝の太陽が昇るのが見えたそう。今は名前のみ残る。

 

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地元の人は「Sol」「ソル」=「太陽}と呼ぶ。記念にゼロキロ地点足で踏んでいく人が沢山です。

良く地元の人が待ち合わせに使うマドリッドのクマ。

昔この辺りは森だった。マドローニョ(ヤマモモ)の木が茂っていて
クマが実を食べているところがマドリッド市の紋章
マドリッド市に関係のあるものにはこのマークが付いています。

 

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例えばこれはゴミ箱
このように色々なところにこの紋章が付いています。
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地下鉄1号線2号線3号線 と国鉄(Renfe)が乗り入れています。
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地元デパートやお店や飲食店がいっぱいでこの辺りをセントロと呼ぶ

ソルからカジャオ(日曜祝日もお店開いています)

ソル(sol)からカジャオ(callao)はヨーロッパで1番混んでいる通り

この辺は日曜日、祝日もお店が開いています。

12月25日と1月1日のみお休みなので1年間363日営業です。
この通りにはスペイン・ブランド各種
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カジャオ(Callao)までお店が続きます。
レアル・マドリッドのオフィシャルショップも近く
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スペイン系・デパート エル・コルテ・イングレス「El Corte Ingles」
この会社はソルにあった小さな仕立て屋さんだった。
コルテはカットという意味でイングレスはイギリス。
「英国仕立て」と言う意味のデパートです。

地元デパート・カジャオ店グルメコーナー

エル・コルテ・イングレス・グラン・ビア通り寄りにあるカジャオ店9階にグルメコーナー

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ワインの品そろえも一流です。
写真は「ベガ・シシリア」の「バルブエナ」
「ベガ・シシリア」はスペイン・カスティーリャ・レオン州にある有名なワイナリー
原産地呼称制度デノミナシオン・デル・オリヘンのリベラ・デル・ドゥエロに所在。
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同じ「ベガ・シシリア」でも「ウニコ」(unico)2007年は215ユーロ
こちらはこのワイナリーの旗艦銘柄。
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他にももっと安い普段飲みのワインも数々あります。
産地ごとに置いてあるので探しやすい。
スペインワインは安くて美味しいので定評が有ります。
黒トリュフ等高級食材も揃います。
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各種バルも入っていて夕方は地元民で賑わいます。
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大きなテラス。外に出ると絶景です。
ここでお茶して休憩も良いですね。
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グランビアを歩こう

スペイン広場からアルカラ通りとの交差点まで1.6キロ。目抜き通りです。
カジャオからグラン・ビアをシベーレスまでゆっくり歩いても15分くらい
途中世界で1番豪華なマック。
元宝石店です。
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入り口は神殿風、中に入ると大理石張りでエレガント
同じお値段でお得感たっぷり。
グラン・ビアもこの辺りまで来ると110年前の建物がそのまま利用されていて
建築見ながら楽しく散策できます。
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シベーレス広場

 

グランビアからさらにアルカラ通りを進むとゴージャスなシベーレス広場

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シベーレスは広場の真ん中にある女神の名前。二頭のライオンに引かれた神話の女神で豊かさを象徴とする神様そして幸運の神様。
レアル・マドリッドが優勝するとここでお祝いもちろん選手もやってきます。
2010ワールドカップでナショナル・チームが優勝した時もここでキャプテン・カシージャスが優勝杯を捧げた。

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正面の立派な建物は元郵便局です。
しつこいですが郵便局だったんですよ〜〜

 

今はパラシオ・デ・シベーレス(シベーレス宮殿)と呼ばれ市役所が使っています
中に入って上の方までエレベーターで上がれます。手荷物検査がありますが無料です。

展望が良いバル、レストランもありますよ。

プラドの遊歩道へ

広場から綺麗な遊歩道街路樹が見事です。
ゴヤの時代に造られたパセオ・デ・プラド(プラドの遊歩道)
プラタナスの幹が200年前の道ということを証明しています。

 

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無名戦士のお墓

ナポレオン戦争で戦った民衆を祀った無名戦士のお墓オベリスク前に火が灯っていてこの場所自体が民衆の処刑場になったところです。

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ネプチューンの噴水

ネプチューンは海の神様。マドリッドのもう1つのチーム、アトゥレティコ・マドリッドが優勝するとここでお祝いです。マドリードのサッカーというとレアルマドリードが有名ですが地元人気チームのアトゥレティコは貧乏なのにレアル・マドリッドと互角に戦う凄いチームです。下町の人気チーム。なかなか優勝できないのでファンを「Sfridores」苦しむ人々と呼ぶ。

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ティッセン・ボルネミッサ美術館

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ミュージアムショップ迄は自由に入れます。
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元貴族のお屋敷をラファエル・モネオ(スペイン・ナンバーワン建築家)が改築。
月曜日12時半から無料です。
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ティッセン男爵2代の個人のコレクションだった物です。
遺産相続で作品がバラバラになってしまわないようにという希望で
スペイン文科省に売り渡された。個人のコレクションとは思えない膨大で質のいい作品を鑑賞出来ます。

 

プラド美術館

ネプチューンを挟んで反対側にプラド美術館
閉館2時間前から入場無料(平日18時から日曜17時から)
無料でも切符売り場には並びますのでそれぞれ各時間の30分〜40分前には並びましょう。
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