マドリードに美術館や博物館が沢山あるが私が個人的に一番好きなのがここで紹介するマドリード国立考古学博物館。名前が堅苦しいので敬遠されがちだが素晴らしい王家のコレクションで先史時代からフェニキアやカルタゴや古代ローマ、中世キリスト教美術、イスラム芸術、等が一同に展示されていてここでスペインの歴史を一気に楽しめる博物館です。入場料はたったの3ユーロ、いつも比較的すいていて場所もセラーノ通りのコロンブス広場のすぐそばなのでショッピングのついでに軽く立ち寄ってスペインの歴史や古代や中世美術を堪能しませんか。
マドリード国立考古学博物館
筆者撮影
<マドリード国立考古学博物館の歴史>
マドリードの国立考古学博物館は王家所有の考古学コレクションを保管する目的でイサベル2世の命で1867年に設立された。スペインの歴代の王達の膨大なコレクションを整理分類展示するため1892年コロンブスのアメリカ航海400年祭に合わせて完成。近くのコロンブス広場やコロンブスの塔もその時の物。2008年から閉館していたが2014年に改装工事が終了し再オープンした。改装工事の設計はマドリードの建築設計事務所FRADE ARQUITECTOによる。広々した斬新な設計です。
国立考古学博物館場所:Calle Serrano,13 コロン広場すぐ横
時間:9時半から20時、日曜日9時半から15時
休館日:月曜日
アルタミラ洞窟模型
アルタミラの洞窟の模型は国立考古学博物館建物の手前の入り口から降りていくが入場券が必要なので一旦博物館内へ入り入場券を手に入れてから入る。
<アルタミラ洞窟の模型の降り口はこの牛のマーク>
筆者撮影
アルタミラについて少しだけ
北部スペイン、カンタブリア地方にある洞窟壁画。約2万年前(一説にはもっと前)の旧石器時代の人間が洞窟の天井に牛や鹿を生き生きと描いている。旧石器時代の人間は本能的で「生きる」事のみをを主体に生活していたと考えられていたがアルタミラの発見で当時の人間のエステティカ=美学が見直された。
筆者撮影
自然の岩の凹凸を利用して生き生きと沢山のビソンテが動いているように描かれている。マドリードの国立考古学博物館のレプリカは非常に良く創られているので是非入ってみてください。(カンタブリアのアルタミラの洞窟も本物は現在入場はほぼ不可能で現地で入場するのは完璧に再現されたレプリカを見学する)
マドリード国立考古学博物館館内
建物の中に入ると広々としたホール。インフォメーションで無料の内部地図をもらえる。真っ直ぐ進むと切符売り場。
筆者撮影
入って右側にインフォメーションデスクがある。
筆者撮影
<国立考古学博物館内部>
歴史の時代ごとに展示されており0階1階2階と全部見るか、又は目標を決めて見たい時代へ直行。(0階が日本の1階・地上階になる)
0階=先史時代
1階=原始時代、イベリア半島古代フェニキア、タルテッソス、ローマ等
2階=中世キリスト教、ギリシャ、エジプト
0階(地上階)は先史時代の歴史
絵画や映像を使って人類の発展の様子が展示されている。先史時代から旧石器時代、石器時代、青銅器という風に時代ごとに展示されている。PREHISTORIA=先史時代というのは大雑把に言ってしまうと文字を持つ前の人類。
筆者撮影
写真下はアウストラピテクス・アファレンシス。猿人で約390万年前から290万年前に存在した化石人類の人骨の模型。
筆者撮影
通称はルーシーで1974年にエチオピアで発見された化石人骨。ルーシーと言う名前は当時流行していたビートルズの「Lucy in the sky with daiamons」から取られた。全身の約40%にあたる骨がまとまって見つかったケースで有名。2足歩行を始めた私たちの祖先だ。
私たちの祖先が2足歩行をはじめ道具を使い脳が大きくなって次第に食べるだけじゃなくて祈る事をはじめ、死んだ人を敬い死んだ後困らないように副葬品を墓に入れ、畑を耕して家畜を飼い衣服をこだわりお椀に模様を書いて武器を強くして行った過程を見ていくと、人間の心はそんなに変わっていなくて技術が進歩しただけ、と感じる博物館です。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
<マンモス象の牙や巨大な鹿の角等>
筆者撮影
人間がどのように道具を発展させて進化してきたか、生きていくために工夫して発展して来た様子が時代を追って楽しめる。最初は単純な石を丸くしたり尖らせたりしていたものから焼き物の壺を作り食物を保存するようになった。
筆者撮影、マドリードの国立考古学博物館
生きる為の食べるものから精神世界に必要な小さなお守りの様なものを創ったり、文字や絵を掘って記録を残すようになる
筆者撮影、マドリードの国立考古学博物館
石器時代から青銅器時代と時代順に展示されていて次第に道具だけではなく綺麗な物や付加価値が付いたもの、副葬品や宗教的な物が出てくる。いつの時代も「死」は大きな問題だったなあと思う。
<目の付いた偶像・紀元前3000年>
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
手のひらに乗る小さなものでアップにするとこんな感じで愛嬌があって可愛い。
筆者撮影
マドリード国立考古学博物館で私が一番好きなのが上の写真のアラバスタ―(雪花石膏)で作られた目が付いた偶像。紀元前3000年頃のエストレマドゥーラ地方グアダルキビール川の谷で出土。可愛い顔がジョアン・ミロの作品みたいで同じ時代に多くの目が着いた偶像が作られている。今から5000年も前の物とは思えない親近感がわくひとつ。
これらはおそらくテリトリーの境目に使われたようだ。下の写真も石にメッセージが掘られていて近代アートの様で楽しい。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
1階は古代からフェニキアやタルテッソス、ローマ等
上の階、1階に登るとスペインにやって来た古代の様々な民族の足跡が展示されている。フェニキア人たちは有能な商人で実力のある船乗りだった。地中海は波が穏やかで物を運ぶには内陸よりは海運の方が便利だったからフェニキア人は東地中海からエジプト、ギリシャからスペインへと物を交換して文化を伝える役割を果たす。彼らはセビージャからウエルバのあたりに銀を求めてやって来ている。下の写真はフェニキアの聖職者だがエジプトの影響がみられる。
<フェニキアの聖職者>
筆者撮影、マドリードの国立考古学博物館
小さいのでアップで取ったのが下。紀元前7世紀頃の物で青銅と金でできている。カディスの聖職者と呼ばれているがエジプトの神官のようにも見えることから商人の守り神だったという説もある。
<フェニキアの聖職者の拡大>
筆者撮影、マドリードの国立考古学博物館
<ティマテイロ・デ・カラセイテ>
写真上、ティマテイロは伝統的に香油を燃やすための入れ物と考えられていたがこの下の絵の様に宗教的な儀式で大きな入れ物を置く為の台ではないかと考えられている。紀元前675年から526年までの物で発見されたのは高貴な人物の大きなお墓から。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
古代のブローチ。大きな展示物が沢山ある中展示ケースの中には様々な小さな素敵な物があって古代の人達が衣服につけたブローチやベルトのバックル等も今私たちが使っている物と変わらない。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
写真下は「アリセダの財宝」と呼ばれるタルテッソスの金の装飾品。タルテッソスは今のセビージャあたりに存在した古王国。紀元前9世紀から紀元前6世紀頃まで栄えた王国だった。長い間伝説上の王国と言われていたが現在では実在したことが分かっている。このタルテッソスが旧約聖書に出てくるタルシュスという説もあるがなぜか突然滅びている。謎の大陸アトランティスだという説まであるが今だ謎。
<タルテッソスの金の指輪>
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
こちらは「カランボロの財宝」で同じくタルテッソス。1958年に土木工事をしていたら金のブレスレットが発見されその周りから沢山の金の装飾品が発見された。昔からこの辺りに宝が眠っていると村人の間では言われていたそうだ。左下の首飾りにぶら下がる丸いものはハンコになっている。
<カランボロの財宝>
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
<バサの婦人像=Dama de Baza・紀元前4世紀>
筆者撮影
写真上:バサの婦人像は紀元前4世紀の女神でセロ・デ・ロス・サントス(グラナダ県)で出土されたお墓の奉納品。石像の前に写真の様に武器とフェニキアの壺が副葬されており高貴な人物の墓だと思われる。
<ガレーラの貴婦人・紀元前5世紀>
筆者撮影
写真上:ガレーラの貴婦人=Dama de Galeraは紀元前5世紀頃のアラバスター(雪花石膏)製のお墓の副葬品。アラバスターはエジプトで取れる石で光を通す最高級の石材。おそらくフェニキアで紀元前8世紀に作られた物。女神を現し頭の所から液体=香りの付いた神聖な油、を入れると胸から乳の様に出てくる仕組みになっていて宗教的な事に使われた。掌に乗るサイズで繊細な彫刻が当時のフェニキア人の美学を感じる。
<エルチェの婦人像・紀元前5世紀>
筆者撮影
写真上:「エルチェの婦人像」はここ国立考古学博物館で最も有名な展示品のひとつ。アリカンテ県にあるエルチェで発見された為「エルチェの婦人像」と呼ばれ、紀元前5世紀頃の物。端正な顔立ち、薄い唇、綺麗な鼻筋や細かい彫刻はギリシャの影響とおそらくフェニキア的な物が含まれる。目には宝石が入っていたと想像されている。エルチェの婦人が女神なのか女王なのか司祭等神に仕える身なのかまだ議論中。端正な顔が品格があり美しい。
<オスーナの彫刻>
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
オス―ナの彫刻はセビージャ県のオス―ナで発掘された紀元前3世紀頃の物。埋葬用の物か記念碑なのかよくわかっていない。
<オス―ナの彫刻、フルートを吹く少女>
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
<オス―ナの彫刻、戦士>
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
副葬品の数々。古くから人間は亡くなった人があの世で困らない為に副葬品をお墓に入れた。足が悪い人の為に杖のミニチュアやあの世で怖い目に合ったら助けてくれる牡牛等。人間の心は昔も今もそんなに変わっていない。これらはローマ以前のイベリア半島のお墓から出土された副葬品。牛はいつの時代も良く使われる神聖な生き物。そういえば「牡牛が美しい」という感覚を持った思のはスペインに来てからだ。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
筆者撮影
写真下・捧げものを持つ女性は紀元前3世紀頃アルバセテで発掘されている。宗教的な場所に置かれていたもので大抵は女性、手に何か捧げものを持っている。巫女など神とつながるのは女性の方が多いのは様々な時代共通で万国共通。
<捧げものを持つ女性、アルバセテ>
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
紀元前5世紀頃の牛。オス―ナの大きなお墓の側から発見されている。見張りや守りの意味が有った。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
フェニキアの植民地カルタゴが次第に強力になり地中海を支配しイベリア半島にもやって来た。今はセレブの避暑地のイビサ島の丘の上にカルタゴは集落を作っている。
<イビサの婦人像>
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
イビサの婦人像はおそらく女神像。紀元前4世紀頃の物で鋳物。頭や服に植物が使われている。豊穣を現す。
<カルタゴのペンダント>
筆者撮影
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
写真下はマジョルカ島のCosttitxの出土品で紀元前5世紀から3世紀頃の青銅製の牛の頭。地中海世界では牛は古代から神聖視されてきた動物。青銅を型にはめて創るが角の部分は別に作って接着したであろう。角の曲線と牛の顔のバランスが絶妙で美しい。これ、ほしい物のひとつ。
<コスティッの牡牛・紀元前5世紀から3世紀>
筆者撮影
ローマ帝国の支配下
イベリア半島は次第にローマ帝国の支配下に入りスペイン中に道路が建設され街が作られていった。最初は沿岸地帯に街を作り内陸部に道路網を広げて橋を架け街を作り人と物が移動した。
<イベリア半島のローマ帝国時代の道路網>
筆者撮影
<タコのモザイク・紀元後2~3世紀>
筆者撮影
写真上:可愛いタコのモザイクはレオンの近くの村=Villaquegjidaで出土。レオンはローマ時代に作られた重要な街なので多くのローマの遺跡が今も残る。タコに何か重要な意味があったかは不明だがユーモラスなタコの表情に思わず見とれる。レオンは内陸だけど何故タコなんだろう・・・。
<漁師の道具・紀元後1世紀~2世紀>
筆者撮影
写真上:タコのモザイクの周りにはローマ時代の道具が展示されていて青銅の漁師たちの釣りの道具、針等が展示されている。
写真下はローマ時代のポンプ。炭鉱などで水をくみ上げるための物。ローマ人が土木建築の為に使った技術は今使われているものとあまり変わらない。
筆者撮影、マドリードの国立考古学博物館
綺麗なガラスの入れ物。割れずに良く残ったと感心する。香水瓶や食器やコップ等はローマの貴族たちの生活がいかに洗練されていたかを感じさせる。
筆者撮影
様々な大理石の彫刻。この辺りで疲れて来てざっくり見渡して次へ移動。実はスペインに古代ローマの出土品は珍しくなくてどこにでも大量に残っているので私の中で扱いが軽いのです。スミマセン偉大なローマ帝国様。
筆者撮影
写真下はローマのモザイク。上流階級の住んだ家をヴィッラと呼び家の床をモザイクで飾った。これをどうやってここまで持って来たのか?、バラバラにしたら修復不可能なのでいくつかのパーツに分けたのかもしれないが巨大なモザイクが沢山展示されている。
筆者撮影
ローマ人に好まれた題材でヘラクレスの12の難行。英雄ヘラクレスが様々な難行をこなしていくところが大きなモザイクになっている。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
西ゴート(ビシゴート)王国時代
次第にローマは終焉を迎えゲルマン民族の大移動が始まる。スペインには西ゴート(ビシゴート)がやって来てトレドを首都に西ゴート(ビシゴート)王国が始まった。西ゴート(ビシゴート)王レケスビントの王冠。
筆者撮影
西ゴート(ビシゴート)は最初はキリスト教のアリウス派だったが異端となったためカトリックに改宗する。初期キリスト教時代の十字架等が展示されている。
筆者撮影
金銀細工に長けていた西ゴートのベルト。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
イスラム時代、アル・アンダルース
西ゴート王国は内紛が多く混乱していた。スペインは違うと言われるイスラム支配時代が始まった。「サモラの容器」は象牙に繊細な彫刻がされた入れ物はこの博物館の宝のひとつ。作者の名前は不明だがサモラの名人として知られていた、964年より以前の物。アラビア語でコルドバのカリフ、アルハカム2世のプレゼントと彫られている。これどうやって作った?正確に細かい唐草模様を円周に同じ比率で手で掘っている。
<象牙のサモラの容器>
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
繊細なイスラム芸術の数々が展示されている。イスラムの教えに偶像崇拝の禁止が有るので本来イスラム圏の芸術作品に生き物の形の物は無いがアルアンダルースのイスラム教徒は鹿とか鳥とかを作品にしている。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
コルドバカリフ王国の時代の噴水の一部。10世紀頃の物で青銅製に金の象嵌で植物模様。おそらく対で他の動物の物があったはず。口から水が出る様になっていた。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
14世紀のアルハンブラ宮殿の巨大な壺。ハエンで作られたもので幾何学模様の彩色。今もグラナダ焼きのお皿やコップはこの色が使われる。細部に至るまで模様が描かれている。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
ムデハル様式:レコンキスタが進みキリスト教徒の時代になってもイスラム的な物が好んで使われた時代が有った。これは寄木細工の天井でキリスト教徒時代の物。特にトレドではレコンキスタの後もイスラムの科学者たちが重宝されていた。
<ムデハル様式の天井>
アラビア語風に漆喰で作った装飾。空間を植物模様や文字で埋め尽くすアラビア文化に憧れてレコンキスタの後のキリスト教徒達がアラビア風に装飾をしたものをムデハル様式という。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
中世キリスト教美術
8世紀から15世紀のキリスト教徒の時代の物が展示されている。
ドン・フェルナンドとドーニャ・サンチャの象牙のキリスト像。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
1063年にレオン王フェルナンド1世とその妻サンチャに捧げられた。おそらくスペイン中世最初のキリストの磔刑像つきの十字架像。それまでは十字架のみでキリスト像がある物は無かった。イエスキリストの大きな黒目がぱっちりでうつむき加減なのがすてき。アップで。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
足の指の細部まで丁寧に彫刻されていて足の下に逃げているような人間はおそらくアダム。後ろ側も細かい装飾が有るので見逃さないよう。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
それ以外にも中世のロマネスク教会の柱頭彫刻や石棺等が展示されている。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
十字架のキリストと聖母と聖ヨハネ。手前12世紀ロマネスク時代の物でおそらくサラマンカの教会。ロマネスク・ラブな私はくぎ付けです。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
近代になり技術が発達し大航海時代を迎えていった。この後の展示は銃や家具やガラス器等になる。後は他でも見れるようなものなのでとっとと出口へ向かいます。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
もうひとつだけ見ておくとしたら南米からの展示品。コロンビアやペルーからもたらされたもの。征服者たちがインカやアステカから奪ってきたもので形をとどめている物は珍しいのではないか、と思ったのでパチリ。
筆者撮影、マドリード国立考古学博物館
最後に
マドリードの国立考古学博物館は私のおすすめモニュメント。もしマドリードが旅行の最初か最後ならここを一周廻るだけでスペインの歴史全体に触れることが出来、旅の予習か復習になる事間違いなし。素敵な彫刻や古代のブローチ等目の保養になります。時間がない場合は先史時代は飛ばして1階の古代から西ゴート、イスラム、中世と駆け足で1時間ほど見ても価値があるのでマドリードにお越しの際は是非とも時間を作って訪れてくださいませ。
マドリードの美術館・博物館には無料で入れる時間がある。マドリード各モニュモント入場無料の情報をまとめてみた 。