「堺」への旅の記録、鉄砲鍛冶と茶の湯と南蛮人

堺は戦国時代の自治都市で商人たちが納めた豊かな街だった。明との貿易で栄え鉄砲が伝来するとあっという間に鍛冶屋たちが大量の鉄砲を作り火薬の原料の貿易にも手を染めた。キリスト教が伝わった頃豊かな商人が茶の湯を楽しみ活躍していた。フランシスコ・ザビエルがしばらくお世話になった豪商「日比谷了慶」がキリスト教徒に改宗しているという。そんな堺の街が見たくて行って来た旅の記録

堺へ

神戸からJRで大阪駅へ、環状線に乗り換え新今宮から南海電車で堺東に到着。大阪駅以外は混雑は無く堺に着くと人はのんびりしていて親切だった。

南海電鉄の堺東駅を降りるとインフォメーションが有ったのでそこで色々教えていただいた。街を動くのにバスに自由に乗れるフリーパス切符は2種類あったが土地勘が無いのどちらがいいか不明なまま500円の安い方を購入。バスと路面電車に乗り放題でモニュメントは割引があって結構便利でした。

まずは徒歩で堺市役所の21階展望台へ。ここに少し展示が有るのとまずは高い所から町を見てみよう。10時からボランティアのガイドさんがいて色々教えていただいた。

堺市役所
堺の旅、筆者撮影

実は私が見たかった時代の堺の街は応仁の乱と大坂夏の陣で焼けてしまい残っていなかった。その後徳川幕府によって堺の街は再建された。大和河も江戸時代に付け替えが行われ当時の港は埋め立てられていた。代二次世界大戦でも戦火を受けておりそんな中も古いお寺や神社が良く残ったと思う。

堺市役所の展望台から仁徳天皇陵が綺麗に見えるが今回の旅の目的は堺の商人と茶の湯なので今回はここから見るだけです。

堺の街
堺、筆者撮影

早速先ほど購入した一日切符を使ってこの黄色いバスで移動。市役所前から大小路(オオショウジ)まで。大小路は当時の国境でここから北は摂津の国、南は和泉の国だった。

堺のバス
堺、筆者撮影

西高野街道は平安時代からの京都や大阪から高野山への街道。元は天皇や貴族を中心に行われた高野山詣でが次第に庶民の参道となったそう。

ここから今度は路面電車に乗り替える。この電車は天王寺まで40分程で行けるらしい。

 

高須神社という駅で降りて鉄砲鍛冶屋敷へ向かう。この地域が戦国時代の鉄砲鍛冶が住んでいたところらしい。

風情のある建物が残る地区で散策していて楽しい。そして知らない街を歩くとウキウキする。

 

種子島に火縄銃が伝わった後堺の商人が種子島で銃の作り方を覚えて帰って来た。元々産業技術が盛んだった堺で火縄銃が大量に作られるようになったのは偶然ではない。この界隈に沢山の鉄砲鍛冶が住んでいたんだと嬉しくなった。

<堺、鉄砲鍛冶屋敷跡>

鉄砲鍛冶屋敷は中には入れず外から見るだけだったが戦国時代の堺の活気ある街を想像しながら散策した。この近くに鉄砲町という町名が残る。

 

 

伝統のある刃物屋が続く。想像だが江戸時代になって平和になると鉄砲が使われなくなり技術者たちは再び刃物を作りはじめ今に至るのではないか、と思ったりした。

 

戦国時代の街は残っていないが江戸時代初期の町屋が残るというので行ってみた。そんなに大きくは違わないだろう。

内部は蔵や茶室や縁側等が保存されていてボランティアガイドの方が歴史の事などを説明してくださった。今も個人の所有という400年前の屋敷は木の梁がしっかり組まれていて中に入ると安ど感がある創りで良く戦争で焼けなかったと感心した。

 

路面電車に2駅ほど乗りザビエル公園へ。

 

堺の商人が活躍した頃はこの近くに港が有りフランシスコ・ザビエルがお世話になった日比谷了慶(ヒビヤリョウケイ)のお屋敷はここに有ったらしい。何かの本で読んだのだが「当時の木造の屋敷としては珍しく3階建てだった」とあったのを記憶している。ガイドの方に聞くと「3階建てなら蔵だったのかも」という返事だった。木造住宅はあり得ないようだ。蔵に茶室があったりそこでミサを挙げたりした話も何かで読んだ記憶が有る。茶室の神聖さとカトリックのミサが結びついても不思議はないと思う。

<ザビエル公園>

 

公園に白い敷石が有りここが堺の港だったと書いてあった。

ザビエル公園の先に堀が有った。もちろんこの堀は宣教師の時代より後だが堺はベニスのようだとイエズス会の宣教師が書き残している。町中に堀が巡らされ荷が運ばれていたに違いない。

更に路面電車に乗って千利休屋敷跡へ。この電車は何回も乗りました。10分おきくらいに来て解り易いので旅行者に便利だった。

路面電車
筆者撮影

宿院という名は室町時代からの呼び名らしく当地に有る住吉大社の御旅所を宿院と呼んだという説がある。

堺、筆者撮影

日比谷了慶と千利休が交流が有ったはずでザビエル公園がある了慶の屋敷から利休の屋敷まで約850メートル徒歩10分の距離。もっと近いと想像していたが歩ける距離ではあると思ったが、千利休の屋敷もここだったかは定かではない。

千利休は堺の豪商の長男として生まれた。利休は秀吉の政権下で力を持ち内政にも影響力を持った。切腹を強いられた理由には諸説あるが秀吉の朝鮮出兵に反対だった事が上げられている。

結局朝鮮出兵の失敗が関ケ原になり堺は大坂夏の陣で焼け野原になる。徳川家康の時代を迎え堺の街は再建された。新しい街が都市計画の元創られ千利休の屋敷がどこだったかは判っていないらしい。

 

「さかい利晶の杜」は千利休や茶の湯の事が詳しく展示されていた。利休の利と堺出身の与謝野晶子の晶で「利晶の杜」のようだ。

 

南宗寺(ナンシュウジ)

大きな境内のお寺で明日はお祭りらしく準備が始まっていた。千利休が修行をしたお寺だそうで今もお茶会で有名。広大な敷地に枯山水の庭等があった。

 

最後に堺市博物館へ。ここだけ場所が離れていて時間を気にしながら大急ぎで歩いて行った。仁徳天皇陵の近くで広大な森の中にあった。展示場はそう大きくは無いので1時間もあれば見れる感じ。映像が2回が行われるようでひとつは見逃してしまった。もう一度ゆっくり見に来たい博物館でしたので又来ます。

 

博物館の中もボランティアのガイドさんがいらして色々教えていただいた。一番説明したかったのは古代みたいでしたが戦国時代あたりの事を沢山質問して丁寧に対応してくださいました。

この屏風は住吉祭の神輿が堺へ渡って来る様子が描かれた見事なもので当時の堺の街の様子が良くわかる。

 

火縄銃の仕組みが図解。日本に火縄銃が伝わったときに種子島の刀鍛冶が自力で解決できなかったのがネジだった。どこにネジが使われていたのがが詳細にわかる。

日本の地図に都と堺が描かれていた。

 

もう暗くなったが最後に開口神社(アグチジンジャ)に行って御参りをした。海に向かって口を開けるという意味らしい。海と交易委とかかわって来た堺らしいネーミングだと思った。この神社の横の会所で堺の有力商人の代表が集まり街の自治を行った。いわゆる「会合衆」の会合だ。与謝野晶子が子供の頃遊んだという。

 

丸一日良く動いた。神戸まで今日中に帰れる時間だけれど余韻に浸りたいので堺に泊まることにした。ネットで見つけたビジネスホテルは堺市役所近くのダイワロイネット堺東。このホテル・グループは一度仙台で泊まった事が有ったので即決。ロビーが広々していて安心感があった。ダブルルーム一泊10400円。場所が良く清潔で安くて満足でした。

 

夜は近くの飲み屋街へ行った。昭和な感じのアーケード街はスペインのバル街みたいで沢山の人がビールを片手につまみを取って語り合っていた。リラックスしたムードで提灯が素敵でレトロ。

 

チリのワインで乾杯して本日は無事終了です。

最後に

東洋のベニスと呼ばれた堺に南蛮人や宣教師が活躍した時代の物を求めて旅をした。応仁の乱と大坂夏の陣で火の海になり私が見たかった時代の物は何も残っていなかった。堺の豪商たちの富や財産も焼かれて悔しい思いをし泣いた人達もいただろう。しかしその後も堺の技術産業は残り今も「日本の物づくりの街」の代表だ。形がある物を丁寧に作っている人を見ると安心する。街は思った以上にしっとりとして綺麗だった。

石巻のサン・ファン・バウティスタ号、慶長使節団の船の復元船を見に行ってきました。

船の名前はサン・ファン・バウティスタ号(洗礼者ヨハネ号)というガレオン船。江戸時代にメキシコ経由でスペインとローマへ行った侍たちがいた。宮城県月の浦港からメキシコのアカプルコまでを約500トン級のガレオン船で約3か月かけて旅をしている。このガレオン船を数少ない資料から再現して展示しているのが三陸の石巻にあるサン・ファンパーク。2011年の東日本大震災とその後の強風で被害にあい随分傷みが激しい。船の損傷が激しく2020年には解体という記事も読んだので慌てて見に行って来た。神戸から日帰りを目指したが無理、途中のローカル線の乗り継ぎが悪く片道7時間以上かけ滞在時間1時間半という旅の記録。

慶長使節団とは


1613年伊達政宗の命により支倉常長率いる使節団がメキシコへ向けて出発。同乗したのは支倉常長(はせくら・つねなが)代表およびスペイン人宣教師のルイス・ソテロとスペイン人探検家のセバスティアン・ビスカイーノ、常長(つねなが)一行仙台藩の藩士と商人達、幕府の役人と船大工や散髪屋兼外科医や奴隷もいたらしく総勢180人。使節の目的は通商貿易と銀の抽出技術を手に入れる事が目的。最近の説では伊達政宗はキリスト教徒と共に討幕の計画を立てていたというのもあるようだ。当時のメキシコはヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)と呼ばれスペイン領土としてメキシコ副王が統治していた。一行はメキシコにしばらく滞在するがスペイン側は日本でキリスト教徒達が迫害を受けている事を知っておりメキシコ副王にスペイン国王フェリペ3世の許可が必要と言われる。一行はアカプルコから陸路ベラクルス(大西洋側)へ移動しスペイン船に乗り換え、セビージャ港から本国スペインに上陸。その後マドリードでスペイン国王フェリペ3世に謁見しフランスの地中海を経由しローマへ向かう。ローマ法王パウルス5世に謁見している。再びセビージャ経由で大西洋を超えてサン・ファンバティスタ号は彼らを迎えマニラに戻る。その後のサン・ファン・バウティスタ号はマニラでスペインへ売却されたというが詳細は不明。

サンファン・バウティスタ号の航路
筆者撮影

彼らの旅が凄いのは400年前に大西洋と太平洋両方を越えている事だ。

石巻サン・ファン館


上記の支倉常長率いる慶長使節団が宮城県石巻の月の浦からメキシコまで大西洋を往復した船、サン・ファンバウ・ティスタ号が復元され1993年に進水した。ところが2011年の東日本大震災の津波で大きな被害を受け重要な展示物も流されてしまったそう。船は激しく破壊されたが船自体の流出は免れていた。ところが今度は震災翌月の強風でマストが折れ大きな損傷を受けていた。

サンファンパーク
筆者撮影

大震災後カナダのブリティッシュ・コロンビア州から木材提供の打診がありベイマツや杉が寄贈された。2013年に修復が終わり慶長使節出港400年祭に合わせて再び一般公開を果たす。

サン・ファン館内部


サン・ファン・バウティスタ号

現在老朽化が激しく船内に入れず外から見るだけでした。9個の丸の九曜紋は伊達政宗の紋章のひとつ。(ひとつというのは伊達政宗は他にも紋章を持っていた)。船の全長約55メートル、最大幅約11メートル、メインマストの高さ32メートル。

サンファン館のサン・ファン・バウティスタ号
筆者撮影

実際のサン・ファン・バウティスタ号の出発地は月の浦港なのでここからまだ12キロほど移動したところ。新説で月の浦港は石巻の月の浦ではない説もあるようです。

サン・ファン・バウティスタ号
筆者撮影
サンファン・シアター

ハイビジョンで支倉常長の旅の再現と津波の後に作られた慶長の大津波に関しての2種類の映像約20分。特に400年前の慶長大津波の説は新しい視点で伊達政宗が何故慶長使節団を派遣したか等が解り易く紹介されている。この2本の映像を見るだけで慶長使節の事が良く理解できこれは楽しかった。

展示室

写真や模型で使節団の事が展示されている。2011年の東日本大震災でかなりの展示物が流されたのは本当に残念。サンファンバウティスタ号の模型が数種置かれている。

サンファン・パーク船の模型
筆者撮影

 

解り易いように写真や展示物で支倉常長や慶長使節団の事が説明されていて面白かった。

サンファンパーク展示物
筆者撮影

行き方:仙台からJRかバス


仙台~石巻

JR仙台駅から東北本線仙石東北ライン快速で石巻まで約1時間。1時間に1本程度の電車。他に宮城交通ミヤコ―バスで仙台から石巻行きがある。

下:クリックすると仙台から仙石線時刻表

http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301331/down1_04101011.htm

JR仙台駅
筆者撮影

JR石巻駅はアニメの聖地らしくアニメファンがいっぱいいた。石ノ森章太郎さんが宮城出身らしく石ノ森漫画館という施設があるようで駅に到着するなりアニメの世界。

JR石巻駅
筆者撮影
JR石巻駅
筆者撮影

 

石巻の駅から乗り継いでJRの石巻線というローカル線で行くつもりが乗り継ぎ1時間30分とあまりに長いので駅前から45分後に出る宮城交通ミヤコ―バスに乗る。乗り場2番。注:このバスがサンファンパーク前に止まるのは土日のみ。平日は汐見台から歩く。

JR石巻駅
筆者撮影

ミヤコ―バス鮎川線平日時刻表

http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/59b790df-fa40-4c6e-97d1-7d8fc0a80203/

ミヤコ―バス鮎川線土日時刻表

http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/59b790ea-ba80-475d-ac1a-3958c0a80203/

サンファンパーク行き方
筆者撮影

 

JRの場合は石巻線で石巻から2つめ「渡波・わたのは」で降りて徒歩25分又はタクシー5分

渡波駅
筆者撮影
渡波駅
筆者撮影

JR石巻線時刻表

http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301431/down1_04202031.htm

渡波駅
筆者撮影

 

渡波駅前にタクシー

JR渡波駅
筆者撮影

タクシーがいない場合はタクシー会社に電話

jr渡波駅 タクシー電話番号
筆者撮影

歩く場合は駅を後ろにしてまっすぐ10分直進してこの橋を渡る。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

渡りきったら右に曲がる。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

入り江沿いをしばらく歩いていく。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

入り江から左に曲がり最後は登り坂。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

登り坂を7分くらいで到着です。登りがつらい場合は行きはタクシーを使うと良いでしょう。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

下:サンファンパーク公式ページです

https://www.santjuan.or.jp/

まとめ


以前から石巻のサン・ファン・バウティスタ号を見ようと思っていたのですがあまりにも不便で後回しにしていました。震災で損傷し、船が修復されたら行こうと思っていたら船の老朽化が激しく2020年に解体の話が新聞に出ていて慌ててやって来ました。丁度支倉常長の慶長使節をまとめようと調べていたところで色々勉強になりました。乗り継ぎが大変でしたが単線のローカル線も楽しく石巻のリアス海岸も美しかったです。展示場も楽しく映像も楽しめました。興味がある方は解体される前にどうぞ~。仙台市博物館(仙台青葉城横)と合わせてみると慶長使節団についてさらに深まります。