東京ステーションホテルに泊まって皇居見物。高齢の母を連れての旅シリーズ。

皇居に行って来た。高齢の母(88歳)が皇居にゆっくり行ってみたいというのだ、行くしかない。日本に一時帰国する7月、梅雨の真っただ中だがホテル探しから始まった。パレスホテルが一番皇居に近いが近すぎてタクシーに乗れないのは困る、で東京ステーションホテルに2泊予約を取った。ほぼ自分の忘備録。

東京ステーションホテルと皇居見学


神戸から新大阪、ひかりで東京へ

新大阪駅から東京行き。私は外国人用のJRのパス1週間を在住地スペインで用意、母はジパング倶楽部で3割引きで新幹線の切符を購入。デメリットはどちらも「のぞみ」は乗れない。

 

JRパス
筆者撮影

という事でJR新大阪駅「ひかり」の扱いが低いのでホームは端っこの方だ。

新大阪駅
筆者撮影

今日はグリーン車の8号車、いつも富士山が見えるCD席を選ぶ、が本日は曇り空で富士山姿を見せず。

新幹線ひかり
筆者撮影

ひかりの東京行きはいつも空いている。こんなに沢山列車を走らせる必要があるんだろうかと心配する。

新幹線ひかり号グリーン車内部
筆者撮影

旅の楽しみは駅弁やおにぎりやサンドイッチ、どれも美味しそう。今回は新大阪駅で「中の島ビーフサンド」を購入した。

中野の島ビーフサンド
筆者撮影

高級品、ですが滅多にいただけない物なので。

仲の島ビーフサンド
筆者撮影

新幹線ひかり号約3時間で東京駅到着。

JR東京駅
筆者撮影

東京ステーションホテルは丸の内南口が近いみたいだけれど表示が見つからず、八重洲口の方から改札を出た。中で移動できるでしょ、きっと。

東京駅
筆者撮影

結局一旦外に出て正面入り口から東京駅ステーションホテルに。八重洲南口からだと直接ホテルの方へ入る通路がある。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

まだ早いのでいったんホテルに荷物を預けて皇居に行く。「荷物お願いしまーす。」

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

 

東京ステーションホテル

2003年に国の重要文化財に指定された東京駅。その東京駅に1915年に開業したホテルが東京ステーションホテル。2012年に改装が終わりリニューアルオープンした。東京駅にあるという立地で非常に便利、今回は皇居に行く目的なので丁度いいと東京ステーションホテルに2泊の予約にした。ツインルーム一泊6万円強で2泊で13万円程支払った。

チェックインは15時から。皇居を見て戻って来たが少し早かったので喫茶でお茶します。少し並んだが10分程で席に案内された。

東京ステーションホテルの喫茶
東京ステーションホテル、筆者撮影

広々していて優雅な空間、隣の席とも距離があって座席が広い。母はアイスティーとケーキ、私はアイスコーヒー。

東京ステーションホテル喫茶
東京ステーションホテル、筆者撮影

15時になった、母を喫茶に残してチェックインに行く。チェックインはタッチパネルのタブレットで個人情報の確認とサイン。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

ロビーのスペースはかなり狭いなあ、でもここは東京駅だから仕方がない。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

荷物は既に部屋に入れてくれていた。宿泊者専用のエレベーターで2階へ。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

駅を利用しているので横に長い。こんなに歩くとは思わなかった。ほぼ丸の内南口から北口への移動となった。300メートル程の移動は足の悪い母にはつらかった。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

スタンダードルームのパレスサイド。32平米は少し狭い。部屋のグレードは色々あって40平米、80平米等、部屋のクラスを上げると広くなる。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

デスク周りにコンセントが無いのは不便だった。インターネットも殆どつながらず。横に長い形状の為なのか、面倒くさいので自分が持っていたポケットWi-Fiに繋ぐ。ホテルに確認しなかったので私のやり方が悪かったかもですが。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

バスルームは手すりが丁寧に付いていて使い易い。高齢者と一緒でも問題なしだ。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

洗面台はひとつ。タオルやシャワージェル等は良いものが使われているのが判る。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

湯沸かし器、各種お茶やコーヒー。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

ハンディ―フォンは自由に外に持って出れるタイプ。これはありがたかった。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

部屋の窓からの景色。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

朝食ビュッフェは3階のアトリウム。天上部分に屋根を付けて太陽光線が入るように改築したらしい。

東京ステーションホテル朝食
東京ステーションホテル、筆者撮影

天井が高く広々とした空間、お料理も美味しく2日間とも1時間以上朝食を楽しんだ。

東京ステーションホテル朝食
東京ステーションホテル、筆者撮影

両側に並ぶビュッフェは一方が洋食で反対側が和食。

東京ステーションホテル
東京ステーションホテル、筆者撮影

玉子焼きコーナーにいるコックさんは随分年配のベテランだった。料理長か?キッチンの中にも監修する人が必要なはずだし、と母としばらく「あ~だ、こ~だ」と会話に花が咲いた。女同士の会話は何でもネタになる。

東京ステーションホテル朝食
東京ステーションホテル、筆者撮影

*部屋の近く、JR東京駅丸の内北側よりに宿泊者専用エレベーターがあり普段はそこから出入りした。

*地下に温浴施設あり、見に行ったが一旦ホテルのエレベーターから別のエレベーターに乗り換え。すなわちホテル内ではなく着替えたりが面倒で行かなかった。

*東京ステーションホテルは全体的に満足。立地、サービス、部屋、食事全部満足です。

皇居見学へ行く


今回の東京滞在の目的は皇居見学。突然「皇居が見たい」と言われても「えっ皇居って何を見るの?」と調べてみると皇居は広大で見学できるところも分かれていて色々規定があることが分かった。

皇居(見れる部分)はザックリ3つの部分に分かれている

皇居の地図
宮内庁ホームページより筆者作成

①皇居外苑=いつも自由に入れる

②東御苑=公開時間なら自由に入れる⇐無料

東御苑休園日:月曜日と金曜日(天皇誕生日以外の国民の祝日は公開)⇐月曜日が祝日で公開した場合は火曜日が休園。12月28日から1月3日まで。行事がある日

開園時間:春9時から17時、夏9時から16時、冬9時から16時

季節によって変動します。詳しくは宮内庁ホームページから確認してください。

 

③皇居参観(見るのは上の地図の緑のマーカーで印をしたところ)=毎日午前と午後、定員500人、宮殿、2重橋に入れる⇐入場無料、要身分証明書

午前と午後、事前予約200名と当日300名⇐予約なしでもたいてい大丈夫だと思う。

(それ以外に北の丸公園、一般参賀、桜の季節の乾通り一般公開がある)

この記事では私たちが入った②皇居東御苑と③皇居参観について書いています。

で、まず初日は②の皇居東御苑に行きました

東京ステーションホテル前からタクシーに乗って大手門、じゃ近すぎて申し訳ないと思ってぐるっと「皇居廻りをひとまわり回って貰って大手門へお願いします」といったらどうやら東京不慣れなタクシー・ドライバー。いろんなところで曲がる所間違えて「舌打ち」が聞こえる。 東京の道路はそう簡単ではないようだ。最後に「大手町でしたっけ?」と大手町で降ろされそうになり「いえッ、皇居に行くんです、大手門」。タクシー代3500円程、余計な事しないで直接行けばよかった・・・・。教訓=東京のタクシードライバーは不慣れな人も多い。

皇居東御苑てなに?

徳川将軍の居城だった江戸城の本丸、二の丸、三の丸や大奥があったところ。江戸城の中核だった。現在は皇居付属庭園となり公開している。

皇居東御苑

皇居東御苑の入り口は3か所、大手門(おおてもん)、北桔橋門(きたはねばしもん)、平川門(ひらかわもん)

皇居東御苑
宮内庁ホームページより筆者作成

皇居に行くなら「正門の大手門から入るのが正当じゃない?」と思い大手門から入場。大手門は1620年江戸城修復時に伊達政宗によって建てられた。

 

皇居東御苑、大手門入り口
皇居東御苑、筆者撮影

入口で手荷物検査、持っているカバンの中身を警察が検査。簡単な手荷物検査で危険物さえなければカバンの大きさとかは規定は無いようでした。

皇居東御苑、大手門
皇居東御苑、筆者撮影

中に入ったところで小さな入場票をもらう、出るときに返却するので失くさないように。

皇居、東御苑
筆者撮影

同心番所(写真下)は幕府の下級武士たちの詰所。

皇居
皇居東御苑、筆者撮影

綺麗に切られた立派な石垣。

皇居
筆者撮影

フリーWi-Fiと観光ガイドが有りました。

皇居
筆者撮影

百人番所(写真下)。江戸城最大の検問所。ここには百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組の4組が交代で昼夜問わず警護にあたっていた。

皇居見学
筆者撮影

二の丸庭園(写真下)は3代将軍家光の命で1630年に作られた庭園。家光と秀忠の茶会が催された。

皇居東御苑
皇居東御苑、筆者撮影

本丸のあたりは工事中でした。また次回ゆっくり見学します。

本日月曜日で閉館日だったが祝日で入ることが出来たのは良かった。おまけにお天気予報は雨だったが曇り空。暑くも無くてのんびり観光楽しめた。

2日目皇居参観

雨だった。「もう行かない」という母を説得してタクシーに乗る。桔梗門(ききょうもん)とタクシードライバーに言ってもわからなかった。そんなもんなんだ、と思った。教訓:タクシードライバーが東京を知っていると思ってはいけない。

皇居一般参観

*9時から整理券配布(公式ページから予約も可能)

*10時から見学⇒中国語⇒英語⇒日本語の順

*見学は約1時間で終了

私たちは9時過ぎに桔梗門到着。少し列が出来ていたが並んだと言うほどではない。

皇居拝観
筆者撮影

身分証明書が必要です。入口で渡されたこの紙に必要事項記入。これは建物の中に入ってからゆっくり書ける。

皇居拝観
筆者撮影

この看板を目印に並ぶ。

皇居見学
筆者撮影

 

皇居拝観
筆者撮影
皇居拝観
筆者撮影

 

皇居拝観
筆者撮影

待合室で書類を書いて首からかける証明書をもらう。ここにショップとお手洗い。ほぼ外国人で日本人は少ない印象だ。

皇居見学
筆者撮影

途中でグループから離れたり出来ないらしい。係りの人が「車いすがありますよ」と勧めてくれた。母のペースで歩いていたらグループには追い付かない、そりゃそうだ。

皇居見学
筆者撮影

富士見櫓。江戸城にはもともと19の櫓があったそう。現在は3つのみ残る。

皇居見学
筆者撮影

ガイドさんの説明を聞きながらまわる。が、車いすを押してグループに追いつく頃にはもう説明は終わっている感じ。仕方が無い。

皇居見学
筆者撮影

宮内庁

皇居見学
筆者撮影

長和殿。毎年新年と天皇誕生日に行われる一般参賀で両陛下が立たれる所。意外と低いなあと感じた。

皇居見学
筆者撮影

 

皇居見学
筆者撮影

2重橋の内側から。向こうに石橋が見える。

皇居見学
筆者撮影

伏見櫓。3代将軍家光の時に京都の伏見城から移築された。

皇居見学
筆者撮影

晩餐会場

皇居見学
筆者撮影

約1時間2キロ程の見学。雨の中だったが面白かった。また季節のいい時、お花が綺麗な時期に来てみよう。

 

雨が随分降って来た。パレスホテルでお茶とサンドイッチで休憩。

パレスホテルはゴージャスで一度泊まってみたいホテルだが値段も一流です。お茶とサンドイッチで6500円ほど支払った。

東京ステーションホテルと皇居見学まとめ


東京は緑が多いなあというのが第一の感想。東京は何度も来ていたが見るものなどないと思っていた。是非また別の季節、お花が綺麗な時に来てみたいと思った。東京ステーションホテルも満足だ。次に泊まるかといえばちょっと考えるが、東京駅直結というのが良い。母と一緒の旅の条件はあまり歩かせない、ある程度のレベルのホテル、で丁度よかった。

 

 

夕陽が浦木津温泉の旅館「夕彩響季」へ高齢母を連れて一泊旅行の記録(2019年1月)

高齢者を連れての旅行は色々下調べが大変だ。毎回高齢の母との鉄道を使っての旅行は乗り継ぎや旅館の設備等をかなり調べてから予約をする。今回は1泊2日で丹後半島の夕陽が浦温泉へ行って来た旅の記録。ほぼ自分の忘備録です。

 

行きは京都から天橋立経由

母との旅の条件は

1あまり歩かせない

2乗り継ぎは走れない

3ホームの移動に階段は無理

4旅館は温泉だけど和洋室タイプでベッド付

5旅館の食事は椅子席

6騒がしい旅館はダメ

という何かと難しい母の要望にあう旅館を探した後JRの乗り継ぎ等を調べ上手く行きそうなら予約を入れる。今回は「遠くには行きたくない」という希望だったので美味しいカニを食べに丹後半島に行くことにしたが、今度は「食事がカニ尽しは嫌だ」というのでカニとお肉も有るメニューで探す。色々注文が多いのだ。

旅館は夕日が浦温泉の「響季(ひびき)」7部屋だけの旅館でバリアフリー、お部屋の前が海で和洋室ベッドに食事は椅子席。これにしようとほぼ決めた後JRの乗り継ぎに悩んだ。

京都タンゴ鉄道路線
京都タンゴ鉄道ホームページよりお借りしました

 

JRから途中京都タンゴ鉄道に乗り換える事になるが乗換駅の情報があまり無くて困った。ホームの階段の有無や駅間の移動等詳細がわからないのだ。JRのみどりの窓口でタンゴ鉄道の切符は購入できるのか等とネットで調べているうちに京都から「はしだて号」という特急に乗ると乗り換えなしで京都タンゴ鉄道に乗りいれていることが分かった。「これにしよう~」そして帰りは豊岡経由で尼崎からJR神戸線に乗って帰って来る事が出来そうだ。

2019年1月10日JR摂津本山駅出発

JR本山駅を朝8時37分の普通電車、次の芦屋で快速に乗り換え京都駅に9時41分到着。45分程乗り継ぎ時間が有るのでどこか座れる所を探す。京都駅で改札から出してもらいグランビア・ホテルのロビー喫茶に行こうと決めた。ところがこれが思ったより移動距離があって随分歩き最初の大クレーム。なだめながら歩いてもらってホテルのロビー喫茶へ。コーヒーとサンドイッチの朝食をいただきました。

京都駅ホテルグランビアのテールーム
筆者撮影

メニューにある「カフェラテ」と「カフェオレ」の違いが納得出来ずイタリア語とフランス語の違いで同じ物でしょ?と思ったがホテルの人に罪は無いので黙って注文。

ホテルのロビー喫茶は値段が高いけど静かで落ち着くので母も好きなんです。

京都駅ホテル喫茶
筆者撮影

45分の乗り継ぎなので大丈夫だと思ったがミックスサンド作成の15分が命取りになり最後は時間切れで一気にいただきました。

京都駅ホテル喫茶
筆者撮影

コーヒーが1050円なのね、ホテルだけあって値段も立派でした。でも美味しかったしサービスもムードも満足。

京都駅ホテル喫茶
筆者撮影

JR京都駅はかなり大きい。「特急はしだて」が出るホームは京都駅北西側の端の方の31番ホーム。またしても随分歩かせたので2度目の大クレーム。高齢者を連れての旅は大変だ。

JR京都駅
筆者撮影

10時25分発はしだて3号入線してきました。はしだてはJR山陰線から京都タンゴ鉄道を通り天橋立まで行く特急。

はしだて3号路線
JRお出かけネットページよりお借りしました

次のはしだて5号は宿泊地の夕日が浦温泉まで行くようだがひとつ早い「はしだて3号」に乗って天橋立で降りて軽く見学をしてみようと母に内緒で決めた。「はしだて3号」は287系の新型車両。

JR特急はしだて
筆者撮影

つるんとした可愛い顔の特急電車でした。

JR特急はしだて
筆者撮影

グリーン車は1号車、京都天橋立まで乗車券は摂津本山から夕陽が浦温泉。

JR特急はしだて
筆者撮影
はしだて号グリーン車
筆者撮影

車両の一部がグリーン車仕様でA,Bが並び席通路をはさんでC席。平日という事もあり電車内はガラガラ。窓からの景色は山の上の方は雪が薄く積もっていた。

JR特急はしだてグリーン車
筆者撮影
JR特急はしだてグリーン車
筆者撮影

お手洗いは普通席を通り過ぎて次の車両間まで移動が必要でした。スペース上仕方が無いんでしょうね。これに関しては母は特にクレームなしでしたが「グリーン車にも専用お手洗いをお願いします・・JRさん」とつぶやく。

はしだて3号
筆者撮影

 

車窓から福知山城が見えた。ここは明智光秀のお城らしい。城は明治の初めに取り壊された後、昭和61年に市民運動で再築されたのが現在の福知山城。ここで乗り換えにしてお城を見る案も考えたんだった。うちの母はお城好きでお城見学なら意外と頑張ってくれる。しかし駅から遠くタクシーを使うにしても時間が読めなく乗り継ぎ時間に見学するには無理があるので諦めた。

福知山城
筆者撮影

特急は途中スイッチバックもあり約2時間で天橋立到着。

天橋立駅
筆者撮影

駅はエレベーターが有り移動は問題なしでご機嫌な私たち。

天橋立駅エレベーター
筆者撮影

エレベーターが有るのは調査済みだったがここからが大変。「乗り継ぎ2時間取ってあるから」と発表すると母は「駅で座って待ってるわ~」とめんどくさがり「ちょっとだけ散策しよ」と言うと「どこいくのん?何にもないって~」「やめとこ~」と母のネガティブ発言が始まる。

天橋立駅
筆者撮影

騙して透かして母を歩かせるのも一苦労だ。近くの文殊堂まで連れていく。駅を出て右に少し歩くと文殊堂に到着です。正式名称は知恩院。知恵の神様文殊菩薩を祀っている。今日は1月10日、文殊堂は「えべっさん」の御参りの人でにぎわっていた。。

天橋立駅周辺
筆者撮影

天橋立には車やバスで何度も来ているがいつも有名な「又覗きの丘」の所だけしか行っていなく鉄道で来るのは初めてで私はとっても新鮮だ。次回は夫か友達とゆっくり来る事にします。

天橋立駅周辺
筆者撮影

知恵の輪は船の安全の祈る灯篭だそう。この輪を3回くぐると文殊様の知恵を授かるという言い伝えがあるという。くぐるって?この輪の中に入るのか?頭を入れるのか?行き交う人の動きを見ても皆さん様々でしたが頭だけを3回入れるというが正解の様でした。私は見ただけで終了。

 

天橋立駅周辺
筆者撮影

石のベンチが有ったのでの母を座らせ「ちょとだけそこまで行って来る~」と一人で散策。知恵の和の先に橋があって渡って行くと橋にロープが張られはじめて慌てた。係りの人に「戻れなくなりますか?」と尋ねたら「5分くらいですよ~」。この橋は船が通り度に90度水平に回転する橋で天橋立と陸の文殊堂の方を繋ぐ橋だそう。大正15年に手動で回す橋が作られ昭和35年にに電動の廻船橋になった。

天橋立駅周辺
筆者撮影

もう少し先まで行きたかったが駅に戻りましょう。お土産物屋さんを冷やかしながら駅に戻った。

天橋立駅周辺
筆者撮影

乗り継ぎは特急に乗ることにします。指定席を取ろうとしたら駅員さんが「空いてますからいりませんよ~」と提案してくれ特急券だけ購入。

天橋立駅周辺
筆者撮影

お腹が減ったので何か買って来よう。しかしこの辺りの名物鯖寿司は母は食べない。若い頃に鯖にあたってひどい目に合ったらしくそれ以来口にしていない。「鯖のアレルギーは無い」と何度説明しても全く聞く耳なしでめんどくさいので我が家では母は鯖アレルギーで解決している。年を取るという事はこういう事なのだ。

駅の売店で見つけた牛の稲荷寿司を買ってみた。好みを知っているのは選ぶときに楽だ。これなら絶対食べてくれるのが見ただけで解る。

牛稲荷寿司
筆者撮影

ホームに早めに行くと一両しかない可愛い電車がやって来た。これに乗って行くのも良かったかも。いやいや座れないと大変な事になるので特急で良かったんです。

天橋立駅
筆者撮影

特急は丹後の海という観光列車で自由席はかなり混んでました。「駅員さん~話が違うヨ~」と思ったがとりあえず何とか2人一緒に座れてセーフでした。

特急丹後の海
筆者撮影

「特急はしだて5号」約40分で夕陽が浦温泉到着しました。旅館にあらかじめ送迎をお願いしていたので駅から送迎車で5分程の移動。駅前にはお土産店もタクシー乗り場も無い。

夕陽が浦温泉駅
筆者撮影

母も私も観光地っぽい賑やかな温泉は好きではないのでこのひなびた感じは問題なし。

夕陽が浦温泉駅
筆者撮影

旅館「響季」到着しました。

夕陽が浦温泉旅館入り口
筆者撮影

到着するとお茶と和菓子で一息つきながら宿帳を記入。靴は履いたまま自分の部屋まで移動。

旅館響季入り口
筆者撮影

部屋が7室しかない2階建ての旅館。エレベーターが有る事を確認済みで2階の部屋をリクエストした。海を見るのには2階の方が見えるかなと思った。

夕陽が浦温泉 響季
筆者撮影

お部屋は2階突き当りの夕帆。全室が室和洋室でベッド付で海の前オーシャンフロント旅館だ。

夕陽が浦温泉、旅館響季
筆者撮影

浴衣

作務衣

テラスに出るには今日は寒かった。暖かい頃なら海を見ながらテラスでのんびり過ごすのも良いでしょうね。

夕陽が浦温泉 響季
筆者撮影

冷蔵庫の飲み物は自由にお飲みください。

コーヒーとお茶はエスプレッソマシーンで。コーヒーは嬉しかったがポットと急須が有った方が自由にお茶が飲めるなあと思った。

大浴場が無く部屋の温泉のみ。アメニティ類はこんな感じ。

夕陽が浦温泉、響季
筆者撮影

全館バリアフリーでお風呂の中も手すりや台座など配慮が感じられた。

夕陽が浦温泉、響季
筆者撮影

必要だと思うところに手すりが付いている。

夕陽が浦温泉 響季
筆者撮影

窓は両側にスライド式に開くようになっていて海を見ながら入浴が出来る。手前にも手すり。

夕陽が浦温泉、響季
筆者撮影

窓を全開にするとテラスに繋がっているのでおしゃべりしながらユックリ入れますね。

夕陽が浦温泉、響季
筆者撮影

生憎の曇り空です。夏は海水浴客が来るんでしょうか。ビーチに人がいるとこのお風呂の静けさはどうなんだろう。果たしてくつろげるものなのかと疑問に思った。夕食前にマッサージをお部屋に頼んで二人並んで50分間ほぐしてもらった。

夕陽が浦温泉、響季
筆者撮影

夕食は1階に降りて個室でいただきました。

夕陽が浦温泉、響季、夕食
筆者撮影

冬の日本海はやはりカニです。松葉ガニを中心にしたコース。丹後半島のあたりで水揚げするカニは特に品質、味ともに最高級。

夕陽が浦温泉、響季夕食
筆者撮影

ワインを一本注文。

夕陽が浦温泉、響季夕食
筆者撮影

新鮮なお刺身。

夕陽が浦温泉、響季夕食
筆者撮影

丹後半島の沖合は直ぐに200メートルの急斜面になっているそうでそこに定置網漁でカニを日帰りで取って来るので鮮度も良く味は最高です。

夕陽が浦温泉、響季、夕食
筆者撮影

松坂牛。

夕陽が浦温泉、響季
筆者撮影

カニ鍋の後の雑炊はお腹いっぱいでお断りしました。

朝食は7時半にお願いして1階の個室にて。

夕陽が浦温泉響季朝食
筆者撮影
夕陽が浦温泉響季、朝食
筆者撮影

チェックアウトは11時。朝食の後私はもう一度お風呂に入る。単純泉でお湯は管内循環式でいつでもたっぷりで暖かかったです。

旅館について

夕陽が浦温泉 夕彩Resort響季

今回は楽天トラベルから予約を入れた。ポイント貯めているので。

夕陽が浦温泉 響季公式ページ

旅館はほぼ満足。1泊2日2食付きで2人合計で約8万円。大浴場が無いのが物足りないが他の宿泊客に一度も会わず過ごせたのは良かった。部屋でのんびり過ごす人にはいいだろう。仕事もしようとコンピューター持参で行ったがデスクが無くコンセントもソファーの近くになかったのは苦労した。仕事持ち込みで高齢者と来る人もいることを今後配慮してくださるといいですね。お食事担当の方もお部屋担当の方も親切で丁度いい距離感でした。松葉ガニは最高に美味しかったです。宿泊料金の半分は食事代でしょうね。

1月11日神戸へ帰る

 

旅館の送迎で駅に向かう。駅で市役所の観光局のアンケートをやっていて長い長いアンケートに答えた。京都のこの辺りはマイナー観光地でこれから取り組んでいくのだろう、アンケートは観光の目的や旅館の満足度など多岐に渡っていた。

夕陽が浦温泉駅
筆者撮影

駅のホームはひとつだけなので階段無しで到着も出発も同じ改札を出たところ。

京都タンゴ鉄道夕陽が浦駅
筆者撮影

 

10時09分発の宮豊線で豊岡へ。単線で一両編成の電車にゆられ約33分で豊岡へ。

京都タンゴ鉄道
筆者撮影

地方のローカル線は楽しい。

豊岡で乗り継ぎ便のようなJRがあったけれど念のためさらに次の電車にしておいたが乗換は通路を通って歩くだけでJRのホームに着いた。これなら高齢者でも5分もあれば乗り継げる。

豊岡駅京都タンゴ鉄道とJRの乗り換え
筆者撮影

仕方が無いので駅で時間をつぶすが母は椅子に座って待っている宣言。

豊岡駅乗り継ぎ
筆者撮影

小さなキオスクと駅前にスーパーが有るだけだった。夕陽が浦から同じ電車だった男性は別の旅館の板長だそう。最近は中国の船が底からカニをさらって行くのでカニが少なくなってもう日本人の口に入らなくなるかもと話していた。

豊岡駅
筆者撮影

JR特急コウノトリ号は城崎温泉から大阪に向かう特急だ。

JR豊岡駅
筆者撮影

11時3分豊岡発のコウノトリ14号は14時16分尼崎着。

JRコウノトリ号
筆者撮影

コウノトリ14号のグリーン車。殆どお客さんいませんでした。

JR特急コウノトリ号
筆者撮影
JR特急コウノトリ号
筆者撮影

私たちは尼崎で降りてJR神戸線に乗り帰宅。

JR尼崎駅
筆者撮影

今回の旅行に使ったお金

旅館1泊2食 76000円+消費税6080=82080

入湯税150円x2=300円

JR往:乗車券 摂津本山~夕陽が浦木津温泉4020円x2=8040円

特急グリーン車京都~天橋立3600円x2=6200円

特急券 天橋立~夕陽が浦木津温泉x2=?

JR帰り 乗車券 木津温泉~摂津本山3850円x2=7700円

特急券グリーン車豊岡~尼崎4480円x2=8960円

京都駅喫茶 3700円

マッサージ 6000円x2=12000円

夕食ワイン 4000円+消費税320円=4320円


合計約133300円

母がJRジパング倶楽部会員だが同一区間往復101キロ以上ではなく適応されなかった。3割引きになるので次回はもっと上手く使いましょう。

 

「堺」への旅の記録、鉄砲鍛冶と茶の湯と南蛮人

堺は戦国時代の自治都市で商人たちが納めた豊かな街だった。明との貿易で栄え鉄砲が伝来するとあっという間に鍛冶屋たちが大量の鉄砲を作り火薬の原料の貿易にも手を染めた。キリスト教が伝わった頃豊かな商人が茶の湯を楽しみ活躍していた。フランシスコ・ザビエルがしばらくお世話になった豪商「日比谷了慶」がキリスト教徒に改宗しているという。そんな堺の街が見たくて行って来た旅の記録

堺へ

神戸からJRで大阪駅へ、環状線に乗り換え新今宮から南海電車で堺東に到着。大阪駅以外は混雑は無く堺に着くと人はのんびりしていて親切だった。

南海電鉄の堺東駅を降りるとインフォメーションが有ったのでそこで色々教えていただいた。街を動くのにバスに自由に乗れるフリーパス切符は2種類あったが土地勘が無いのどちらがいいか不明なまま500円の安い方を購入。バスと路面電車に乗り放題でモニュメントは割引があって結構便利でした。

まずは徒歩で堺市役所の21階展望台へ。ここに少し展示が有るのとまずは高い所から町を見てみよう。10時からボランティアのガイドさんがいて色々教えていただいた。

堺市役所
堺の旅、筆者撮影

実は私が見たかった時代の堺の街は応仁の乱と大坂夏の陣で焼けてしまい残っていなかった。その後徳川幕府によって堺の街は再建された。大和河も江戸時代に付け替えが行われ当時の港は埋め立てられていた。代二次世界大戦でも戦火を受けておりそんな中も古いお寺や神社が良く残ったと思う。

堺市役所の展望台から仁徳天皇陵が綺麗に見えるが今回の旅の目的は堺の商人と茶の湯なので今回はここから見るだけです。

堺の街
堺、筆者撮影

早速先ほど購入した一日切符を使ってこの黄色いバスで移動。市役所前から大小路(オオショウジ)まで。大小路は当時の国境でここから北は摂津の国、南は和泉の国だった。

堺のバス
堺、筆者撮影

西高野街道は平安時代からの京都や大阪から高野山への街道。元は天皇や貴族を中心に行われた高野山詣でが次第に庶民の参道となったそう。

ここから今度は路面電車に乗り替える。この電車は天王寺まで40分程で行けるらしい。

 

高須神社という駅で降りて鉄砲鍛冶屋敷へ向かう。この地域が戦国時代の鉄砲鍛冶が住んでいたところらしい。

風情のある建物が残る地区で散策していて楽しい。そして知らない街を歩くとウキウキする。

 

種子島に火縄銃が伝わった後堺の商人が種子島で銃の作り方を覚えて帰って来た。元々産業技術が盛んだった堺で火縄銃が大量に作られるようになったのは偶然ではない。この界隈に沢山の鉄砲鍛冶が住んでいたんだと嬉しくなった。

<堺、鉄砲鍛冶屋敷跡>

鉄砲鍛冶屋敷は中には入れず外から見るだけだったが戦国時代の堺の活気ある街を想像しながら散策した。この近くに鉄砲町という町名が残る。

 

 

伝統のある刃物屋が続く。想像だが江戸時代になって平和になると鉄砲が使われなくなり技術者たちは再び刃物を作りはじめ今に至るのではないか、と思ったりした。

 

戦国時代の街は残っていないが江戸時代初期の町屋が残るというので行ってみた。そんなに大きくは違わないだろう。

内部は蔵や茶室や縁側等が保存されていてボランティアガイドの方が歴史の事などを説明してくださった。今も個人の所有という400年前の屋敷は木の梁がしっかり組まれていて中に入ると安ど感がある創りで良く戦争で焼けなかったと感心した。

 

路面電車に2駅ほど乗りザビエル公園へ。

 

堺の商人が活躍した頃はこの近くに港が有りフランシスコ・ザビエルがお世話になった日比谷了慶(ヒビヤリョウケイ)のお屋敷はここに有ったらしい。何かの本で読んだのだが「当時の木造の屋敷としては珍しく3階建てだった」とあったのを記憶している。ガイドの方に聞くと「3階建てなら蔵だったのかも」という返事だった。木造住宅はあり得ないようだ。蔵に茶室があったりそこでミサを挙げたりした話も何かで読んだ記憶が有る。茶室の神聖さとカトリックのミサが結びついても不思議はないと思う。

<ザビエル公園>

 

公園に白い敷石が有りここが堺の港だったと書いてあった。

ザビエル公園の先に堀が有った。もちろんこの堀は宣教師の時代より後だが堺はベニスのようだとイエズス会の宣教師が書き残している。町中に堀が巡らされ荷が運ばれていたに違いない。

更に路面電車に乗って千利休屋敷跡へ。この電車は何回も乗りました。10分おきくらいに来て解り易いので旅行者に便利だった。

路面電車
筆者撮影

宿院という名は室町時代からの呼び名らしく当地に有る住吉大社の御旅所を宿院と呼んだという説がある。

堺、筆者撮影

日比谷了慶と千利休が交流が有ったはずでザビエル公園がある了慶の屋敷から利休の屋敷まで約850メートル徒歩10分の距離。もっと近いと想像していたが歩ける距離ではあると思ったが、千利休の屋敷もここだったかは定かではない。

千利休は堺の豪商の長男として生まれた。利休は秀吉の政権下で力を持ち内政にも影響力を持った。切腹を強いられた理由には諸説あるが秀吉の朝鮮出兵に反対だった事が上げられている。

結局朝鮮出兵の失敗が関ケ原になり堺は大坂夏の陣で焼け野原になる。徳川家康の時代を迎え堺の街は再建された。新しい街が都市計画の元創られ千利休の屋敷がどこだったかは判っていないらしい。

 

「さかい利晶の杜」は千利休や茶の湯の事が詳しく展示されていた。利休の利と堺出身の与謝野晶子の晶で「利晶の杜」のようだ。

 

南宗寺(ナンシュウジ)

大きな境内のお寺で明日はお祭りらしく準備が始まっていた。千利休が修行をしたお寺だそうで今もお茶会で有名。広大な敷地に枯山水の庭等があった。

 

最後に堺市博物館へ。ここだけ場所が離れていて時間を気にしながら大急ぎで歩いて行った。仁徳天皇陵の近くで広大な森の中にあった。展示場はそう大きくは無いので1時間もあれば見れる感じ。映像が2回が行われるようでひとつは見逃してしまった。もう一度ゆっくり見に来たい博物館でしたので又来ます。

 

博物館の中もボランティアのガイドさんがいらして色々教えていただいた。一番説明したかったのは古代みたいでしたが戦国時代あたりの事を沢山質問して丁寧に対応してくださいました。

この屏風は住吉祭の神輿が堺へ渡って来る様子が描かれた見事なもので当時の堺の街の様子が良くわかる。

 

火縄銃の仕組みが図解。日本に火縄銃が伝わったときに種子島の刀鍛冶が自力で解決できなかったのがネジだった。どこにネジが使われていたのがが詳細にわかる。

日本の地図に都と堺が描かれていた。

 

もう暗くなったが最後に開口神社(アグチジンジャ)に行って御参りをした。海に向かって口を開けるという意味らしい。海と交易委とかかわって来た堺らしいネーミングだと思った。この神社の横の会所で堺の有力商人の代表が集まり街の自治を行った。いわゆる「会合衆」の会合だ。与謝野晶子が子供の頃遊んだという。

 

丸一日良く動いた。神戸まで今日中に帰れる時間だけれど余韻に浸りたいので堺に泊まることにした。ネットで見つけたビジネスホテルは堺市役所近くのダイワロイネット堺東。このホテル・グループは一度仙台で泊まった事が有ったので即決。ロビーが広々していて安心感があった。ダブルルーム一泊10400円。場所が良く清潔で安くて満足でした。

 

夜は近くの飲み屋街へ行った。昭和な感じのアーケード街はスペインのバル街みたいで沢山の人がビールを片手につまみを取って語り合っていた。リラックスしたムードで提灯が素敵でレトロ。

 

チリのワインで乾杯して本日は無事終了です。

最後に

東洋のベニスと呼ばれた堺に南蛮人や宣教師が活躍した時代の物を求めて旅をした。応仁の乱と大坂夏の陣で火の海になり私が見たかった時代の物は何も残っていなかった。堺の豪商たちの富や財産も焼かれて悔しい思いをし泣いた人達もいただろう。しかしその後も堺の技術産業は残り今も「日本の物づくりの街」の代表だ。形がある物を丁寧に作っている人を見ると安心する。街は思った以上にしっとりとして綺麗だった。

石巻のサン・ファン・バウティスタ号、慶長使節団の船の復元船を見に行ってきました。

船の名前はサン・ファン・バウティスタ号(洗礼者ヨハネ号)というガレオン船。江戸時代にメキシコ経由でスペインとローマへ行った侍たちがいた。宮城県月の浦港からメキシコのアカプルコまでを約500トン級のガレオン船で約3か月かけて旅をしている。このガレオン船を数少ない資料から再現して展示しているのが三陸の石巻にあるサン・ファンパーク。2011年の東日本大震災とその後の強風で被害にあい随分傷みが激しい。船の損傷が激しく2020年には解体という記事も読んだので慌てて見に行って来た。神戸から日帰りを目指したが無理、途中のローカル線の乗り継ぎが悪く片道7時間以上かけ滞在時間1時間半という旅の記録。

慶長使節団とは


1613年伊達政宗の命により支倉常長率いる使節団がメキシコへ向けて出発。同乗したのは支倉常長(はせくら・つねなが)代表およびスペイン人宣教師のルイス・ソテロとスペイン人探検家のセバスティアン・ビスカイーノ、常長(つねなが)一行仙台藩の藩士と商人達、幕府の役人と船大工や散髪屋兼外科医や奴隷もいたらしく総勢180人。使節の目的は通商貿易と銀の抽出技術を手に入れる事が目的。最近の説では伊達政宗はキリスト教徒と共に討幕の計画を立てていたというのもあるようだ。当時のメキシコはヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)と呼ばれスペイン領土としてメキシコ副王が統治していた。一行はメキシコにしばらく滞在するがスペイン側は日本でキリスト教徒達が迫害を受けている事を知っておりメキシコ副王にスペイン国王フェリペ3世の許可が必要と言われる。一行はアカプルコから陸路ベラクルス(大西洋側)へ移動しスペイン船に乗り換え、セビージャ港から本国スペインに上陸。その後マドリードでスペイン国王フェリペ3世に謁見しフランスの地中海を経由しローマへ向かう。ローマ法王パウルス5世に謁見している。再びセビージャ経由で大西洋を超えてサン・ファンバティスタ号は彼らを迎えマニラに戻る。その後のサン・ファン・バウティスタ号はマニラでスペインへ売却されたというが詳細は不明。

サンファン・バウティスタ号の航路
筆者撮影

彼らの旅が凄いのは400年前に大西洋と太平洋両方を越えている事だ。

石巻サン・ファン館


上記の支倉常長率いる慶長使節団が宮城県石巻の月の浦からメキシコまで大西洋を往復した船、サン・ファンバウ・ティスタ号が復元され1993年に進水した。ところが2011年の東日本大震災の津波で大きな被害を受け重要な展示物も流されてしまったそう。船は激しく破壊されたが船自体の流出は免れていた。ところが今度は震災翌月の強風でマストが折れ大きな損傷を受けていた。

サンファンパーク
筆者撮影

大震災後カナダのブリティッシュ・コロンビア州から木材提供の打診がありベイマツや杉が寄贈された。2013年に修復が終わり慶長使節出港400年祭に合わせて再び一般公開を果たす。

サン・ファン館内部


サン・ファン・バウティスタ号

現在老朽化が激しく船内に入れず外から見るだけでした。9個の丸の九曜紋は伊達政宗の紋章のひとつ。(ひとつというのは伊達政宗は他にも紋章を持っていた)。船の全長約55メートル、最大幅約11メートル、メインマストの高さ32メートル。

サンファン館のサン・ファン・バウティスタ号
筆者撮影

実際のサン・ファン・バウティスタ号の出発地は月の浦港なのでここからまだ12キロほど移動したところ。新説で月の浦港は石巻の月の浦ではない説もあるようです。

サン・ファン・バウティスタ号
筆者撮影
サンファン・シアター

ハイビジョンで支倉常長の旅の再現と津波の後に作られた慶長の大津波に関しての2種類の映像約20分。特に400年前の慶長大津波の説は新しい視点で伊達政宗が何故慶長使節団を派遣したか等が解り易く紹介されている。この2本の映像を見るだけで慶長使節の事が良く理解できこれは楽しかった。

展示室

写真や模型で使節団の事が展示されている。2011年の東日本大震災でかなりの展示物が流されたのは本当に残念。サンファンバウティスタ号の模型が数種置かれている。

サンファン・パーク船の模型
筆者撮影

 

解り易いように写真や展示物で支倉常長や慶長使節団の事が説明されていて面白かった。

サンファンパーク展示物
筆者撮影

行き方:仙台からJRかバス


仙台~石巻

JR仙台駅から東北本線仙石東北ライン快速で石巻まで約1時間。1時間に1本程度の電車。他に宮城交通ミヤコ―バスで仙台から石巻行きがある。

下:クリックすると仙台から仙石線時刻表

http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301331/down1_04101011.htm

JR仙台駅
筆者撮影

JR石巻駅はアニメの聖地らしくアニメファンがいっぱいいた。石ノ森章太郎さんが宮城出身らしく石ノ森漫画館という施設があるようで駅に到着するなりアニメの世界。

JR石巻駅
筆者撮影
JR石巻駅
筆者撮影

 

石巻の駅から乗り継いでJRの石巻線というローカル線で行くつもりが乗り継ぎ1時間30分とあまりに長いので駅前から45分後に出る宮城交通ミヤコ―バスに乗る。乗り場2番。注:このバスがサンファンパーク前に止まるのは土日のみ。平日は汐見台から歩く。

JR石巻駅
筆者撮影

ミヤコ―バス鮎川線平日時刻表

http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/59b790df-fa40-4c6e-97d1-7d8fc0a80203/

ミヤコ―バス鮎川線土日時刻表

http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/59b790ea-ba80-475d-ac1a-3958c0a80203/

サンファンパーク行き方
筆者撮影

 

JRの場合は石巻線で石巻から2つめ「渡波・わたのは」で降りて徒歩25分又はタクシー5分

渡波駅
筆者撮影
渡波駅
筆者撮影

JR石巻線時刻表

http://ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301431/down1_04202031.htm

渡波駅
筆者撮影

 

渡波駅前にタクシー

JR渡波駅
筆者撮影

タクシーがいない場合はタクシー会社に電話

jr渡波駅 タクシー電話番号
筆者撮影

歩く場合は駅を後ろにしてまっすぐ10分直進してこの橋を渡る。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

渡りきったら右に曲がる。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

入り江沿いをしばらく歩いていく。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

入り江から左に曲がり最後は登り坂。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

登り坂を7分くらいで到着です。登りがつらい場合は行きはタクシーを使うと良いでしょう。

サンファンパーク行き方
筆者撮影

下:サンファンパーク公式ページです

https://www.santjuan.or.jp/

支倉たちがサン・ファン・バウティスタ号で出港する歴史をまとめた記事です。

支倉常長率いる慶長使節団とサン・ファン・バウティスタ号出港まで。日本とスペインの交流の歴史

 

まとめ


以前から石巻のサン・ファン・バウティスタ号を見ようと思っていたのですがあまりにも不便で後回しにしていました。震災で損傷し、船が修復されたら行こうと思っていたら船の老朽化が激しく2020年に解体の話が新聞に出ていて慌ててやって来ました。丁度支倉常長の慶長使節をまとめようと調べていたところで色々勉強になりました。乗り継ぎが大変でしたが単線のローカル線も楽しく石巻のリアス海岸も美しかったです。展示場も楽しく映像も楽しめました。興味がある方は解体される前にどうぞ~。仙台市博物館(仙台青葉城横)と合わせてみると慶長使節団についてさらに深まります。