スペイン南部にある「ジブラルタル海峡」。ヨーロッパとアフリカが一番近い海峡で約14キロメートルしかない。そこに立てばアフリカに手が届きそうだ。地中海と大西洋の入り口で今も多くの船が行き交う重要な地点。そこにあるジブラルタルト言う町は今もイギリス領だ。何故スペインにイギリス領があるのかという歴史のお話です。
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ジブラルタルは今もイギリス領
ジブラルタル海峡
ジブラルタル海峡はたったの14キロメートルでもうそこにアフリカが見える。
地中海と大西洋の入り口になっている重要な海峡で対岸はモロッコ。
古代にはギリシャ人がヘラクレスの柱と呼んでいた。フェニキア人たちはここを通り抜けブリテン島の錫やアフリカ西海岸から金を手に入れ商売をしていた。後にカルタゴ人ローマ人ゲルマン民族と様々な民族たちが通って行った。その後この地に遠征して来たイスラム教徒ウマイヤ朝の司令官のターリク・ブン・ジヤードの名前からターリクの山=ジャバル・アル・ターリク=ジブラルタルになった。
ここは昔からマグロ漁で有名。今も大西洋から地中海に入るマグロと地中海から大西洋に出ていくマグロを捕る。すでに古代ローマ人がここのマグロを捕って塩漬けにしていた遺跡が残っている。写真はジブラルタルすぐ横にあるカルテイアの遺跡。かなり綺麗に残る遺跡だ。
<カルテイアのローマ遺跡>
ローマ人たちは四角い石の入れ物でマグロの塩漬けを作り本国へ船で運んだ。
ジブラルタルは1713年からイギリス領
海峡の岩があるあたりは現在イギリス領でスペイン側から入るには今もパスポート検査がある。毎日スペイン側から労働者が歩いて出勤している面積7平方キロメートルの小さなところに3万3000人のイギリス人が住んでいる。と言っても醸し出すムードはアンダルシア人で人々は英語とスペイン語のバイリンガル。政治的に非常にデリケートなところで今も両国の扁桃腺になっている。
スペイン・ハプスブルグ家の終焉
ここがイギリス領になったのは約300年前の事。スペインにカルロス2世という王様がいた。写真下はプラド美術館にあるカルロス2世の肖像画。不幸の始まりは王子はどこかの王女としか結婚できなかった。スペイン・ハプスブルグの王達は子供達を親戚王族同士で結婚させ続けその結果が遂にこの王の元へやって来た。カルロス2世は3歳まで歩けず8歳まで話せなかった。癇癪もちで2度結婚するが世継ぎを残さず39歳で他界しヨーロッパ全体を巻き込んだ戦争の原因になった。(スペイン王位継承戦争)
<カルロス2世、カレーニョ作プラド美術館>
プラド美術館に有名なベラスケスのラス・メニーナスという作品がある。ベラスケスの大作で中央に王女と奥の鏡の中に国王夫妻がいる
<ラスメニーナス、ベラスケス作プラド美術館>
奥の鏡の中の国王フェリペ4世は若くして即位した国王だ。ヨーロッパの強国スペインも少し陰りを見せ始めた頃の王で2度結婚している。鏡の中の隣の王妃は2度目の結婚の王妃マリアーナ。マリアーナは王の妹の娘なので叔父と姪の結婚にあたる。
フェリペ4世の最初の結婚はフランスの王女でフランス王アンリ4世とマリード・メディシスの娘イサベル・デ・ブルボン。
<イサベル・デ・ブルボン、ベラスケス作プラド美術館蔵>
フェリペ4世の最初の妃との間の8人の子供が生まれている。大切な皇太子として生まれたのがバルタサール・カルロスだった。(写真下)
<バルタサール・カルロス、ベラスケス作プラド美術館蔵>
ところが大切な皇太子が若くして亡くなってしまいイサベル王妃は1644年に42歳で亡くなっている。
さらに複雑になるのがフェリペ4世とイサベル・デ・ブルボンの末娘マリア・テレサがフランス王ルイ14世に嫁いでいる。
<マリア・テレサ、ベラスケス作ウィーン美術館蔵>
この2人の結婚式が行われたのがスペイン・フランスの国境にあるサン・ジャンド・リューズ。今はフランス・バスク側の綺麗な町で観光客に人気がある。マリーはいつまでもフランス語をうまく話す事が出来ず夫のルイ14世には多くの愛人がおり孤独な人生をベルサイユ宮殿で44歳で終える。彼女がスペインからチョコレート(カカオ)をフランスに持って行った。
さて父王フェリペ4世に話を戻そう。国王の大切な仕事のひとつは世継ぎを残す事、皇太子が無くなり王妃もこの世にいない。「では次」と王の再婚相手に決まったのが亡くなった息子の婚約者オーストリア・ハプスブルグの王女マリアーナ。
<マリアーナ、ベラスケス作、プラド美術館蔵>
親戚のオーストリア・ハプスブルグ家はカルロス5世以来の親戚関係。マリアーナの母親はフェリペ3世の娘、という事は叔父と姪の関係になる。もとは息子の嫁になるはずはバルタサール・カルロス皇太子が無くなったのでその父親と結婚したというわけだ。そして生まれた長女がマルガリータ王女。
<王女マルガリータ、ベラスケス作ウィーン美術史美術館>
マルガリータ王女の次に待望の男子が誕生した。カルロスと名付けられるが生まれた時から様子がおかしい。先天性疾患を数々持ち合わせ癇癪を起し知的障害も有ったようだ。父王亡きあとスペイン国王となる。
<カルロス2世、カレーニョ作プラド美術館>
国内は経済破綻が続き戦争もある中ルイ14世の弟の娘と結婚しているが子供無く妻は先立つ。再婚もするがカルロス2世の行動はますます怪しくなり1700年に後継者を残さず決まらずに没した。結果スペイン・ハプスブルグ家の最後の王となった。
スペイン王位継承戦争
カルロス5世から続いたスペイン・ハプスブルグ家は巨大な帝国を築いてきたがここに終焉。その結果ヨーロッパ大混乱の末戦争になる。親戚のオーストリア・ハプスブルグとこちらも親戚のフランス・ブルボンの戦い「スペイン王位継承戦争」は約13年間も戦った。代々のハプスブルク支配を嫌った各国がフランスに味方をしてこのときイギリスが上手く立ち回り戦略上重要な地中海と大西洋の入り口の片足を持って行った。
複雑な住民の民意と近辺の人々
未だにイギリス領土です。毎日7千人のスペイン人が国境を越えて働きに行く。
Brexitのときは95,9パーセントがEU残留に票を投じた。イギリスがEUから離脱するとスペイン側からの労働者は仕事を失う。ジブラルタル側のイギリス人も陸の孤島となってしまう。
スペイン側は直ぐ「ジブラルタルのスペイン返還でもわが政府は構わない」
と発表したがジブラルタル首相は「見当違いも甚だしい。絶対スペインの一部にはならない」という声明。
ただ国境を封鎖されれば往来は船か飛行機のみの孤島。イギリスのBrexitが再びこの辺りを揺らしている。今後の展開に目が離せない状態だ。この辺りのスペイン側海岸線には多くのイギリス人リタイヤー組が別荘を持っている。今後のBrexitの準備でスペイン在住イギリス人がスペイン国籍を取るケースが増えているという。
はじめまして、山岸俊枝と申します。
興味深く拝読しました。
親戚関係はからきし苦手でヨーロッパの歴史はなかなか踏み込めずにいるのですが、細かいところは抜きにしていろいろあったのね、と思うことにします。
イベリア半島の位置が争奪戦を激しいものにするということでしょうか。
移り変わりも大きいように感じます。
今回あらためてイギリスが世界で「うまく立ち回った」ことを学びました。覇権争いが続く中、生きてきた人たちがいるからスペインは魅力的なのかな。
争いを越えたいですね。
山岸様
ヨーロッパの歴史は複雑に絡み合っていて本当に面倒臭いですね。スペインの歴史は仕事なのでお勉強しましたが
他の国は「まっいいか」で済ませています。
ご訪問有難うございました。