お客様と北スペインを廻って来た。サン・セバスティアンからブルゴスからサント・ドミンゴ・デ・シロスの修道院そしてレオンとサンチアゴ等を見学して現地7泊8日。今回のお客様は4年前に南スペインとポルトガル、その後ペルーを一緒に旅行した方。「お盆休みに北スペイン」とご希望があり旅した記録、ほぼ自分用忘備録ですが北スペイン旅行のコース作りの参考になると思うので公開します。
<お盆の時期の注意>
*8月のお盆の季節はヨーロッパの人もバカンスで大量に動く時期なので何でも予約は早めに、特に飛行機とホテル。
*レストラン等はスペインの場合バカンスの時期に長期に閉める場合があるので注意が必要。サン・セバスティアンやビルバオの星付きレストランで8月に休む店が沢山。
北スペインの旅、8月にサン・セバスティアンからブルゴス、レオンとサンチアゴへ
1日目成田空港からイベリア航空でマドリード、合流してサン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルへ。
成田空港からのイベリア航空が50分遅れての到着。乗り継ぎが1時間45分なので50分遅れだと55分で移動だ、間に合わないかも、と朝から本当~に心配したが何とかぎりぎりで搭乗できた、というか飛行機が待ってくれていた。
あらかじめマドリード空港のカスタマー・サービスで乗り継ぎフライトに東京便が送れいている連絡と到着時に案内を頼んだがどこまでワークしたかは不明。
マドリード~サンセバスティアンはプロペラ機とジェット機の場合がある。今回はプロペラ機。マドリードから約1時間20分でサンセバスティアン到着。
大型観光バスよりちょっと大きいくらいの感じの飛行機。雲の上から夕陽が綺麗。
お客様はビジネスクラスでしたが座席番号1が最後部席で飲み物が出ただけでした。値段いくら違うんでしょ~?
55分の乗り継ぎで人は走ったくらいなのでスーツケースは絶対に間に合わない?と思っていたが奇跡的に全部出てきた。スペイン恐るべし。
空港からサン・セバスティアンの街まで20分程移動。ホテル、マリア・クリスティーナ、チェックイン。
<サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナホテル>
サン・セバスティアンのホテル、マリア・クリスティーナはサン・セバスティアン唯一の5つ星ホテル。
<サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテル>
サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテルは1912年開業だが近年リノベーションを行って使い勝手が良くなった。現在はマリオット・グループのラグジュアリー・コレクションに入っていてエレガントなとっても素敵なホテルです。
今ホテルの値段は時期により激しく変動し、残りの部屋が少なくなるほど高くなって行く航空券と同じシステム。予定が決まれば早めに予約するに越したことはないです。
<サンセバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルロビー>
サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルの詳細を動画にしてみました。参考にしてください。
2日目は車でサン・セバスティアンからビルバオとビスカヤ橋、サントゥルセの鰯とゲルニカ
サン・セバスティアンからビルバオは約100キロ、車で約1時間10分位。路線バスも頻繁に出いている。さあ車の準備が出来た。出発しよう。
お天気予報は雨だったが時々パラパラふる程度。ホテルの傘をお借りして持って行く。8月でも朝の気温は14度位、日中は日差しが強く23度くらいまで上昇。
ビルバオ・グッゲンハイム美術館観光。大きなワンちゃんはジェフ・クーンズの作品。年に2度お花が変えられる。内部からお水が出るシステム。
<ビルバオ・グッゲンハイム美術館のプピー>
建築家はフランク・オー・ゲイリー。航空機の設計に使うコンピューターシステムで脱構造主義の建築を作る。素材は薄く伸ばしたチタン。
ビルバオとグッゲンハイム美術館についての記事です。
ランチはサントゥルセの漁師の街まで移動。サントゥルセ(バスク語サントゥルツイ)はビルバオ湾の入り口に面する港湾都市。火力発電所がある。
レストランは港近くのHogar de Pescador オガール・デ・ぺスカドール
テラス席は予約が出来ないので上の階レストランに予約をいれた。テラスは既に満席状態。予約の13時半に上の階のレストランに行ったらお店の人にびっくりされた。時間が早すぎるのだ。(スペイン人のランチは14時30分くらいからです。)
<サントゥルセ・オガール・デ・ぺスカドール>
手長えびとエビのどっちが迷ってお店の人にお勧めか聞いたら「絶対エビッ」甘く新鮮でトロットロッ~。
<サントゥルセのレストランにて>
もちろんイワシを頼みます!これも新鮮でおいしかった。スペインの古い歌に「ビルバオからサントゥルセ~イワシ、イワシ~」というのがあるのです。
<サントゥルセのレストランにて>
帰り道に世界遺産ビスカヤ橋に車ごと乗車して対岸に渡ることにする。
<ビスカヤ橋>
ビスカヤ橋は世界で最も古い運搬橋。日本の明治26年に完成した。ポルトガレーテの労働者がゲッチョの富裕層の地区に働きに行くのに渡し舟しかなかった。
<ビスカヤ橋がある地区、サントゥルセ~ポルトガレテ~ゲッチョの地形>
人々の往来の為に橋を架けると大きな船が入れなくなる。ここはビルバオに向かって大型船が入って来るところだ。解決策として考えられたのがこの運搬橋。写真下のぶら下がっているゴンドラに人と車が乗る。
<ビスカヤ橋>
これだけは説明を聞いてもピンと来ないので自分の目で見る事をお勧めします。ビルバオからメトロで来ることが可能だ。
ビスカヤ橋についての詳しい説明はこちらの記事をどうぞ。
サン・セバスティアンに戻るにはまだ少し早いので「ゲルニカに行ってみましょうか?」
ゲルニカはスペイン内戦の時に爆撃を受け破壊された小さな街。非武装の街をナチス・ドイツの空軍が飛行機から爆弾を落として一般市民が犠牲になった。
有名なピカソの「ゲルニカ」はこの町の名前。パリ万博のスペイン館の為にピカソが描いたもので、そのパリ万博は科学を絶賛する「科学と芸術」というテーマだった。
「私たちの生活を素晴らしい未来へ連れて行ってくれる」はずの「科学」が無差別に民衆に向かい爆弾を落とした。その衝撃的な事実を世界中に知らせる為「科学」を絶賛する万博に発表した作品がゲルニカ。現在はピカソのゲルニカはマドリードのソフィア王妃芸術センターにあります
<ゲルニカにあるゲルニカのセラミックの複製>
ピカソのゲルニカと同じサイズで作られたセラミックが壁に飾られている。すぐ近くの議事堂も見学することが出来る。議事堂はバスクの自治の象徴。そこには爆撃から奇跡的に焼け残った聖木が置かれている。
<ゲルニカの聖木>
ではサン・セバスティアンに戻りましょう。サンセバスティアンの街の両側に小高い山がある。モンテ・イゲルドとモンテ・ウルグル(下の地図参照)その間に貝殻の形ののコンチャ湾がある地形。
モンテイゲルドはフニクラ(登山列車)か車で登ることが出来、もうひとつのモンテ・ウルグルは徒歩で登ることが出来る。今日は車でイゲルド山にやって来た。
コンチャ湾が綺麗に見える絶景ポイントです。山は遊園地になっていて家族連れがゴーカートに乗ったり急流すべりを楽しんだり。
夕食はサン・セバスティアンの港の漁師の店へ。モンテ・ウルグルのふもとはサンセバスティアンの港になっている。
<サン・セバスティアンの港>
漁師の店が何軒かあり夏しか営業していない所が殆どですが一部冬もやっている。
<サン・セバスティアンの港>
サン・セバスティアンというとバル街と星付きレストランばかり紹介されていますが港のレストランもおすすめですよ~。
<サン・セバスティアンの港>
チャングーロはサンセバスティアン料理、わたりカニの味噌を玉ねぎやトマトなどで調理した味噌の部分がおいしい。
<サン・セバスティアン料理のチャングーロ>
店主のおじさんが鰹の料理を御馳走してくれた。後は大きなヒラメをグリルでいただきました。(写真撮り忘れ)
おやすみなさい~
3日目サン・セバスティアンからフランス・バスクへ
今日は国境を超えてフランス側へ行く。遠い方へから行きましょうと、サンセバスティアン⇒ビアリーツ⇒サンジャンドリューズ⇒オンダリビアと移動する。
サン・セバスティアンからビアリーツまでは車で約1時間。ビアリーツはナポレオン3世が妻のエウヘニア(スペイン人貴族)と訪れて大変気に入った所。その後沢山のフランス人貴族たちが訪れるようになった優雅な街。ホテル・ド・パレやエウジェニー教会、聖母の岩などを見学した。
バカンス客でどこも随分賑やかだ。30分程移動してサン・ジャン・ド・リューズ(スペイン語だとサン・ホアン・デ・ルッス)
国境を超えただけで言葉も習慣もフランス式に変わる。そしてフランスでは12時にランチがいただけるのだ。予約した店はTXULUPAルイ14世の館のすぐ近く。
タコのグリル
舌平目のグリルなどをいただいた。
国境超えて20分位の所なのに食事の時間だけでなく、お値段も一気にフランス式になった。スペインは安くて美味しい良い国やな、と改めて感じる。
食事の後ルイ14世の館を見学。ルイ14世がスペインの王女と結婚式を挙げた時に3か月程滞在した建物で今も当時の持ち主が所有だそう。フランス人のガイドさんが英語で色々説明してくれて楽しかった。
サン・ジャン教会はバスク風の建築で教会には珍しく木で作られている。ルイ14世とスペインの王女の結婚式がここで行われた。今も地元の人々がやって来る教区教会になっている。
お買い物はエスパドリーユやバスク・リネン、お菓子等。
ルイ14世の結婚式にお菓子を出したアダムで作っている焼き菓子が今のマカロンの元になったそう。
<サンジャンドリューズのアダム>
スペイン側へ戻ってオンダリビアへ、サン・セバスティアン空港はこの街にある。サン・セバスティアンから23キロ程、フランスとの国境の街だ。新市街地のバル街も楽しいが今日は旧市街だけ。
サン・セバスティアンに戻り夕食は地元のバルで
では、おやすみなさい~
4日目サンセバスティアンからブルゴス、サント・ドミンゴ・デ・シロス、レオン
今日はマリア・クリスティーナホテルをチェックアウトをして移動日。移動距離が約560キロというスケジュール。
シロスの修道院がお昼休みで14時に閉まる。再び開くのが16時30分、それに合わせて時間の調整をする。
サン・セバスティアンからブルゴスは214キロ約2時間15分。バスク州からカスティーリア・レオン州に入った。景色が変わって行く。
エル・シドの銅像。エル・シドはレコンキスタの時の英雄。古い映画でチャールトンヘストンとソフィアローレンの物があるがまた新しい映画が作られるようだ。
プラタナスの並木道が遊歩道になっている。スペインの街はどこも緑が多く遊歩道が広く取られていてゆったり人が歩いている。森の中に街がある。
凄い人だと思ったら、今日ブエルタ・エスパーニャ(自転車競技)がブルゴスから始まる開会式の真っ最中だ。
ここはサンタマリア門。ブルゴスの街に入る城門。
沢山の選手達がウォーミングアップで走っている。
ブルゴスは大聖堂が世界遺産だ。フェリペ2世が神の御業と称えた荘厳な建築。
内部は様々な祭壇や彫刻、絵画等があり、中央考査部の天井の透かしが素晴らしい。その下にエルシドが埋葬されている。
ランチは大聖堂近くのRincon de Espanaリンコン・デ・エスパーニャ。子羊の炭火焼きやグリーンアスパラ等何皿かをシェアーしていただいた。
サント・ドミンゴデ・シロスの村へ60キロ移動する。村の人口250人ほどだがこの街が有名になったのは修道士たちによって歌われるグレゴリオ聖歌と修道院にあるロマネスクの回廊。
それとロマネスク回廊を見学する。ロマネスク彫刻は柱頭彫刻を楽しむがここでは角のパネルが素晴らしい。800年程前に修道僧たちが歩きながら祈った四角い回廊をクラウストロという。
<サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院クラウストロ>
<サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊クラウストロ>
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院とグレゴリオ聖歌についての記事です
ホテルはマヨール広場に面するNHcoleccion Plaza Mayor。古い建物をうまく利王して内部は綺麗に改装されていて快適でした。
シングルで狭いですが私には充分、清潔で使いやすいホテルでした。ホテルのスタッフもとっても感じよかった。ロケーションがマヨール広場内というのが最強です。
<レオンのホテルの部屋>
<レオンのホテルのバスルーム>
夕食は直ぐ近くのバリオ・ウメドBarrio Humedo、飲食店街へ。サンマルティン広場は22時というのに家族連れでどこも賑わっていた。・
レオンの知り合いに教えてもらったタベルナは座る席がもうなかったのでその向かい側の店に入った。どこで食べても絶対美味しいのだ。
生のホワイトアスパラ(缶詰ではない)を茹でてオリーブオイルとマヨネーズ。
有機のトマトだそうです。甘くて美味しかった
お肉やデザートもいただきましたが写真撮り忘れ。エントレコットEntrecotサーロインステーキもとっても美味しかったです。
おやすみなさい。
5日目レオンの観光後オーセブレイロ峠、コル―ニャ経由でサンチアゴデコンポステーラ
ホテルNHプラサマヨールの朝食。簡単でしたが充分。
今日は週に2回の朝市の日だった。ホテル前のマヨール広場に周辺の農家が生鮮食料品を運んで来て売っている。
ホテルから大聖堂は徒歩5分くらい。大聖堂はゴシック様式で内部の壁を極力少なくすることによって窓を大きく開けてステンドグラスを使った。コバルトを使うと青くなる等、職人たちの経験値が弟子に継承され何年もかけて創られた。
ガウディの作品がカタルーニャ地方外に3つあるうちのひとつがレオンにあるカサ・ボティン。注文住宅で現在は銀行の所有になっている。
カサ・ボティンに向かってガウディさんがベンチに座って仕事をしていた。
レオンを出発してセブレイロ峠へ。セブレイロはサンチアゴの道を歩く人達を苦しめる最後の険しい峠にある村。
<サンチアゴの道のモホンという道しるべ>
セブレイロはサンチアゴの道を歩く人達を苦しめる険しい峠にある小さな街。街にはケルト人たちが残した丸い石組に藁ぶきの屋根を付けるパジョサ有る。冬歩く人はきついだろうな~
<セブレイロ峠にあるパジョサ>
パジョサはケルトの残した住居の形。丸く積み上げた石組の上に藁の屋根。今も住居として使われている。
セブレイロで毎回来るレストランが「今日は食事は出せないよッ」「え~」「あっちの店に行ったら?」と教えてくれた店に入った。
ガリシアのスープでカルド・ガジェゴ、素朴なスープで美味しいのです。サンチアゴ
イカのリング揚げとエンパナディージャというガリシアのパイ、ポークソテーをいただいた。
ガリシア人は愛想が悪いので有名だ。少し話すと打ち解けるのですが他のスペインの地域の人に比べて最初のとっつきが悪い。ここのセニョーラも最初は愛想無かったけどだんだん打ち解けて一緒に写真。後で写真を見たらにっこり笑ってくれていた。
コル―ニャへ。ヘラクレスの塔は世界遺産。これは灯台で中にローマ時代の灯台がある。2世紀には存在が知られていたというから驚きだ。アレキサンドリアの大灯台をモデルにしたと言う。
コル―ニャの観光はサックリにしてサンチアゴへ向かいます。
サンチアゴに着く前にモンテ・ゴソへ。ここはサンチアゴを目指して歩いてきた人々が最初にサンチアゴの大聖堂を目にする丘で「歓喜の山」と呼ばれている。
最終目的地サンチアゴに到着、オブラドイロ広場は凄い人。
サンチアゴは大聖堂の横にあるパラドール(国営ホテル)に宿泊。イサベル女王によって創られた救護院。サンチアゴの道を歩く巡礼者の為の病院兼宿泊施設だった。
夕食はホテルで。
夕食は前菜とメイン、デザート各5種の中から選べるようになっていた。
前菜はトマトと人参の冷製スープ
子牛のステーキは思ったよりボリュームが凄かった。
夜は大聖堂に照明があたり綺麗に輝きます。明日が満月だそう、大聖堂の横にお月さまという想定外の景色にうっとり。
<サンチアゴのパラドールの廊下>
<サンチアゴのパラドールの部屋>
パラドール泊
6日目サンチアゴの観光
サンチアゴの観光は大聖堂が中心。
大聖堂の現在の正面が18世紀の物でロマネスクの門がその中にある。傷みが激しくずっと修復をしていたが今年から予約制で見学が可能になった。
あらかじめ栄光の門の入場を予約して見学。説明はスペイン語のみ、約30分間の栄光の門と10分かん彫刻家の展示場で移動もいれて約45分の見学。
ランチはパラドールすぐ近くのLa carreta、魚介類のレストランです。
前菜に魚介のスープ、あとはシェアーしていただきます。
ガリシアに来たらこれ、タコのガリシア風
小ぶりのホタテ貝。
ムール貝のワイン蒸し
後はサンチアゴの街の散策とお買い物でのんびり過ごしました。
最後の夕食はパラドールにて
タコのパテとカルパッチョ
アサリとタコの煮込み料理
ピアノの演奏も素敵でした。
8月15日、聖母マリア昇天祭で満月、奇跡が起こりそうな素敵な夜でした。
7日目サンチアゴからマドリード経由で日本
サンチアゴ空港は市内から車で15分くらい。
飛行機は約1時間でマドリードへ。
ターミナル4のサテライトへ移動しお見送りしてお別れ。
楽しい旅でした~Hasta Pronto.
北スペイン、バスクからサンチアゴの旅まとめ
8月の中旬でも北スペインは朝の気温14度、雨が降ったり寒かったりだった。持ち物に傘と軽めのジャケット、でも日差しは強いので帽子も必要。ジャケットの脱げば半袖になれるような服装がベスト。現地7泊の短い旅行でしたが海や山やフランスや色々バリエーションのある旅になりました。
この旅の動画版です。