「サンティアゴ様」個人情報

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聖ヤコブ

ヘブライ語で本名ヤーコブ
人種 ユダヤ人
職業 漁師

出身地 ガリラヤにあるベツサイダ
父親 の名前 ゼベダイ
兄弟の名前 ヨハネ

 

キリストの十二弟子の1人で一番最初の頃の弟子
雷の子と呼ばれたほど気性が激しかった

 

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「ゼベダイの子ヤコブ」と呼ばれ「アルファイの子ヤコブ」(小ヤコブ)と区別される

 

旧約聖書にもよく出てくる名前ヤコブがスペイン語化するとティアゴ。

聖人の「サン」が付いて「サン・ティアゴ」が「サンティアゴ」又は「サンチャゴ」になる
英語で「サン・ジャイムス」
フランス語で「サン・ジャック」

 

象徴物はホタテの貝殻

 

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海に打ち上げられたからとかレコンキスタの時にある騎士の体がホタテの貝殻で覆われたとか諸説色々有りますが共通した何かは私は見つけられていません

 

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フランスでレストランに行くとメニューに「サン・ジャック」
とあったらホタテ貝です。

 

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ホタテは巡礼者の手形。                                        そしてお皿にもなったしスプーンにもなった。

キリストに最初について行った一人

 

「私について来なさい。あなたを人間を釣る漁師にしてあげよう」
そう言われてすぐ仕事辞めてついて行った。
漁の網とかお父さんとかいたのに置いて行っちゃいます。
兄弟2人一緒にですよ〜。

 

ペテロとヨハネと3人で良くキリストの側で奇跡を見ているが
ペテロやパウロ程聖書に登場しないので詳細不明だそう。

 

兄弟のヨハネはキリストに最も愛された弟子で良く絵画では美青年に描かれます。
3人とも気性が荒かったらしいけど喧嘩しなかったか心配

スペインで布教活動

実はサンティアゴがイベリア半島にきたかどうかは定かでは無い

長い間伝説になっていた。イベリア半島で得た弟子は7人。長らく居たのに(多分7年か9年だったと思う)たったの7人です。あまりに誰もついてきてくれないので「神様・マリア様・イエス様 なんで?」人知れずかなり悩んでいた時期もあったらしい。マリア様が空から降りてきて「このジャスパーの柱の上に教会を建てなさい」と言ったのが今のサラゴサ。その柱の上に作ったのがサラゴサのピラール大聖堂。ピラールはスペイン語で柱の事。スペイン人の名前に良くピラールという人がいるけどこれはマリア・ピラール。柱のマリア様。ちなみにこの奇跡はマリア様の多々在るご出現奇跡中唯一「聖母ご存命中」の奇跡です。(他のはみんな亡くなってからずっと後)

エルサレムで首を切られて殉教

エルサレムに戻ってヘロデアグリッパにより惨殺された。紀元44年。彼の弟子がこのご遺体をなんとか守ろうと石の船に乗せ、行き先は神の思し召しのまま

 

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風に流され流されガリシアに着いたと言われている

遺体の発見

時は経ち起源後813年。星が綺麗に瞬いていた夜。
星を追っかけた羊飼いが星の真下に洞窟を発見。洞窟に首のない遺体

字が読めない羊飼い達は地元の司教様に相談した。するとその石棺に聖ヤコブと書いてあった。

 

これは大変だーーー慌てて遺体を埋葬してお祈りをして教会を作った。

 

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当時の歴史的背景

時はスペインにシリアからのイスラム教徒がやってきて半島全体がイスラム化。
ビシゴート王国は崩壊し貴族達はすでに持てるだけの財宝を持って北のほうの
山の中で戦っていた。

フランスではツールポワチエの戦いでフランク王国が勝利を収め
カール大帝が戴冠した頃。

(西ゴート王国が崩壊してイスラム教徒が入って来るあたりの歴史をまとめた記事)西ゴート(ビシゴート)王国の崩壊

そんな時に聖ヤコブの遺体がスペインで発見され
サンチアゴ様のご加護のもと異教徒と戦って
「あなたが死んでしまっても魂は間違えなく天国へ行けますー」
そういう時代だった。

西ゴートの崩壊からイスラム教徒が入って来るあたりの歴史はこちら レコンキスタの始まり

 

カトリックでは最後の審判に人々は怯えていた。罪を償うために人々は巡礼をし始めた。

 

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その道が次第に踏み固められ整備され今の「サンティアゴの道」になった

 

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サンティアゴ様には三つの姿

サンティアゴ様は幾つかの姿があって
12使徒のサンティアゴ
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マタモーロ・サンティアゴ(モーロ人殺し)
これはさすがに最近は問題になっています。
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巡礼姿のサンティアゴ
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スペイン全体の守護聖人

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聖年

7月25日がサンティアゴの日 その日が日曜日になる年を聖年と呼び聖年に巡礼をすると多くの免罪がある。聖年にだけ開けられる扉があってそこから大聖堂に入ると多くの罪が許される。聖年は11年、6年、5年、6年ごと。前回が2010年 次の聖年は2021年。

昨年は慈しみの特別聖年(フランシスコローマ法王の宣言)で免罪の門が開けられました。

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サンティアゴ・デ・コンポステーラ

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聖ヤコブはキリストの12弟子のひとり。約2000年前に実在した人です。でもその後は伝説と史実が混じりあう。スペインに伝導に来たかどうかも定かではなくエルサレムでヘロデオ・アグリッパによって首を切られて殉教している。

サンティアゴ デ コンポステーラ

星降る野原の聖ヤコブ「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」 街の名前です。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ
街の名前でこれほど素敵なネーミングは他にあるのか知らないですがとっても詩的な名前の街は伝説から始まる。

<巡礼姿のサンチアゴ>

聖ヤコブ

聖ヤコブをスペイン語でサンチアゴ、野原をカンポ 、星をエストレージャ
全部くっつけて「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」

スペイン北西部ガリシア地方にあるカトリック3大巡礼地のひとつ。今はその道が世界遺産になっている。そして多くの人が今も歩いている。

11世紀頃セルジューク・トルコの侵入で聖地パレスチナへの旅行が危険になり
サンティアゴへの巡礼はエルサレム、ローマと同じくらい賞賛される様になった。

「カミーノ」は道

それに定冠詞「エル」をつけると「 エル・カミーノ」「The Road」「あの道」と言うとサンティアゴの道だけを指す。

<道を歩く人>

カミーノ
今の「道」に「巡礼」という言葉から受ける禁欲さは無い。でもそこにはなにかピュアな物。みんなが持っている心の奥底に流れる神聖な何かがある。きっと人間は自分の本質の中にある何かを探して旅に出るんだと思う。

 

この「道」が導いていく終着点。それが「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」

<サンチアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂>

道が導くサンティアゴデコンポステーラ
道は何種類もあり様々な地域から中世の旅人が歩いてここまでたどり着いた。片道の旅だった人や到着さえできなかった人もさぞいた事でしょう。

フランスの道をスペイン国内だけで約800キロ。ピレネー山脈のフランス側の街サン・ジャン・ピエ・ドポーという町から歩くと1日20キロ歩けて40日間もかかる。

巡礼証明証が欲しければ最低徒歩で100キロ、自転車は200キロが必要。辿った街でクレデンシアル(巡礼者用のスタンプ帳)にハンコを押していき最後にサンチアゴの街の巡礼者オフィスに持っていき証明書を作ってもらう2ユーロ。

*クレデンシアルは日本でも購入可能。通常歩き始める街の巡礼者オフィスで2ユーロで購入する。

 

別に一度に全部歩かなくても無くても大丈夫、仕事や学校の関係で長いお休みが取れないなら何度かに分けても構わない。そして何年かけても大丈夫。

 

パウロ・コエーリョの星の巡礼がベスト・セラーになり道が再び見直された。アメリカ人の女優シャーリーマックレーンとかブッシュ大統領の娘とかいろんな人が歩いています。

 

物語はここから始まる

 

物語の始まり
西暦813年星が綺麗に瞬いていた。その星を追いかけて行った羊飼いが達が洞窟を発見。

その洞窟の中にサンティアゴ様の遺体を発見した。サンティアゴ・デ・コンポステーラから20キロ南のパドロンという町に教会がありその時船をつないだ石が祭られている。

<パドロンの教会、船が繋がれていた石>

パドロンの教会
遺体はサンティアゴに運ばれ埋葬するために最初は小さな教会が作られ時代と共に大きくなり拡張して行った。

教会周りの門前町は「カンプ・ステラ」「星の野原」と呼ばれる様になって栄えていった。巡礼の街はみんな細長くて街道が先に出来て街が出来ていった様子がわかる。

 

巡礼者が増えるたびに教会を大きくしていく必要が出来寄付金を集めたり誰かの援助だったりで教会が大きくなって行った。今のサンチアゴの大聖堂は巨大です。

栄光の門 プエルタ・デル・グロリア

12世紀巡礼盛んなロマネスク時代に石工「マテオ」により彫られた栄光の門が素晴らしい
「マエストロ・マテオ」「マエストロ」はスペイン語でで先生、師匠なので「マテオ師匠」と呼ばれた石掘り。(現在修復中で見れませんが2017年中に完成予定)

現在はその外側にさらに大きな門が出来ている

ロマネスク時代は彫刻が素朴で表現力がなかった時代なのに彫刻の聖書に出て来る聖人達の表情が生き生きしていて今にも動き出しそう。一人一人の表情が本当に豊かに作られていて見ているだけで楽しくなる。

 

栄光の門
栄光の門
上の半円アーチにある旧約の預言者達がまるでコンサートホールで音楽家達が隣同士お喋りしている様な感じ。
指揮者が来る前のリラックスした時間を演奏者達が過ごしている様な臨場感。只今修復中(2017年4月)で写真は工事中の栄光の門に貼られたビニールシートです。

 

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7月25日が日曜日になる年を聖年という。遺体がコンポステーラに運ばれた日。聖年に免罪の門が開けられ、ここから大聖堂に入ると特別な恩寵をうけられる。次の聖年は2021年。120回目の聖年になるそう。

免罪の門
免罪の門外から
運が良ければ巨大な香炉が動くのを見ることが出来る。ボタフメイロト言って大きな香炉に香をたいて大聖堂中これを揺らして清める。これは巡礼者から大きな寄付があった時のみです。

重さ80キロ、160センチの高さの銀製の香櫨。お清めの香で本当は巡礼者の臭い消し。当時ずっと歩いてきた巡礼者が何十人も集まってきたら相当な匂いだった。

 

巡礼者は長かった道を思い出し導いてくれた神に感謝する。今日は沢山の巡礼団が各国からやって来ていて奇跡的にボタフメイロが見れました。

*大聖堂は巡礼者の為24時間お祈りが出来るようになっているので一年中いつでも入場無料で入れます。お祈りの場所なのでふさわしい行動が必要。写真やビデオは許可されています。

ボタフメイロ
サンティアゴの道は実はサンティアゴで終わらずさらに70キロ西に行ったフィニステーレで終わる
フィニステーレ
0キロの道標
巡礼者達が最後に使った物を燃やしていった残骸です
フィニステーレ

ゴミにしか見えないけど・・・それぞれの想いでの詰まったスニーカーやシャツやカバンです。

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え〜〜大聖堂にニワトリ?「 サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ」

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サンティアゴの道<サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ>

巡礼や宗教に奇跡はつきもの。このサンティアゴの道は1000年も人々が何かを求めて歩いた道。色んなドラマがあったに違い無いし今日も誰かが怒ったり泣いたり。喧嘩したり笑ったり、そして奇跡が起こっているに違いない。

 

「サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ」
「石畳の聖ドミンゴ様」
という名前の街
彼はサンティアゴの道に病院や橋や石畳の道を造った修道士
この街の大聖堂に眠っています
石畳の聖ドミンゴのお墓
この辺りはリオハ州。スペインワインの中でも取って置きの優れものの産地。綺麗に手入れされたぶどう畑を進んで行くと遠くに教会の塔が見えて来た。中世の旅人に取っては、いや、今歩く人達にも目印や目標より心の支えだと思う。

 

サント・ドミンゴの大聖堂

 

 

奇跡

ここで奇跡があった。昔々巡礼が命掛けだった頃、ある若者が両親と遠くからサンティアゴ目指して歩いて来た。やっとこさこの街に荷物を降ろして宿を取った。その旅籠の娘が若者に一目惚れ。迫るは言い寄るはあの手この手で若者に「付き合ってくださいッ」。しかし若者は冷たく「無視」して宿を立ち去る準備。悔し紛れに娘は若者の荷物に銀のコップを忍び込ませた。そして「彼は泥棒〜〜」と訴えた

 

当時の法律では泥棒は絞首刑。若者は捕まり広場で吊るされた。ところが、1ヶ月経っても若者は吊るされたまま生きている両親はサンティアゴの巡礼を終えて戻ってきてビックリ。そして若者は両親に「どうか判事に私の無実を話して下さい。私は聖ドミンゴ様に守られております。」

何とか判事に謁見が許された両親、判事は食事中。チキンの丸焼きを頬張る寸前「フン!そやつが生きているなどど言うのはこのニワトリが生きていると言うのと同じ事ジャ!」すると突然丸焼きチキンが立ち上がりコッコロコッコッコ〜〜(スペイン語だと鳴き声これ)と鳴いて若者は絞首刑台から降ろされ両親と故郷へ帰って行ったとさ。

 

という奇跡があったとされ大聖堂に今もつがいの真っ白なニワトリが飼われています

大聖堂に鶏

ちょっと写真じゃ見えにくいですが上の箱の中に二羽のニワトリ。

 

大聖堂に鶏
世界に数々素晴らしい大聖堂が有るけれど中にニワトリが飼われているのはここだけです。

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だけどこの両親吊るされた息子置いてサンティアゴ行ったんだ〜〜冷たいなあ。

サンティアゴの道のほかの記事です

プエン・テ・ラレイナ 女王様の橋

許しの峠puerto de Perdon

サンティアゴの道、パンプローナ

 

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蛇口からワインが出てくる「ワインの泉」

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イラチェ

プエンテ・ラ・レイナから更に西へ進む
この辺りずっとぶどう畑
スペインの有名なワインの産地です

 

綺麗に手入れされたぶどう畑を見ながら移動すると
Iracheという小さな村に出る
村より大きな修道院
イラチェの修道院
教会部分は無料で入れます(お昼休み有)
イラチェの修道院の教会

ワインの泉

小さな坂道を下ると巡礼者の為にここのワイナリーが「ワインの泉」
どうぞ御自由にお飲みくださいと蛇口からワイン
ワインの泉
ちょっと見逃しそうな所に矢印
ワインの泉
ワインの泉
でもそこには条件が書いてあります
ワインの泉、条件
条件・無茶に飲むのでなく・楽しんで・持っていく分は購入しましょう
ワインの泉
ここで飲む分だけにして下さいと遠回りに書いてあります・右は水で左がワイン
ワインの泉
結構おいしいワインです

実はやめようと思ったらしい

先代のここの社長が親戚とかに随分反対されて
ちょっと落ち込んでいた事も有ったそうですが
巡礼者に喜んで貰えるならと反対を押して続けて
先代の社長が亡くなった今も後継者たちによって続けられています。

実はある日本人の女性がサンティアゴの道を歩いている途中この街で先代の社長に会いに行って「あなたは素晴らしい。ありがとうを伝えに来ました」彼女の言葉で継続を決意したそう。

凄い心が広いなあ
以前私もここのおじさんに随分お世話になりました
今回はお昼時だしシエスタ中じゃ悪いのでご挨拶無しで帰ります
ワインの泉
あ、ペットボトル持って行こうと思ったあなた
web カメラついてますよ〜ん

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サンティアゴの道ほかの記事はこちら                                 サンティアゴ・デ・コンポステーラ

プエンテ・ラ・レイナ 女王様の橋 

大聖堂に鶏、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ

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プエンテ・ラ・レイナ 女王様の橋

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道が先にできた

許しの峠から更に西へ進むと遠くに教会の塔が見えて来る。サンティアゴ教会の塔。
巡礼街道は宿場町。嬬恋なんかと同じで道が先に出来て道沿いに街が出来たので細長い。
プエンテ・ラ・レイナの道
次第にインフラが整って病院や救護院が作られ護衛団や石畳や橋がかけられた。

 

ここはナバーラ王国の王妃が巡礼者の為に橋をかけたのでプエンテは橋レイナは女王様。
女王様の橋
12世紀頃建立。何と800年以上も巡礼者を見守ってきた橋です。

サンティアゴ教会

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サンティアゴ教会も同じ頃のロマネスク建築。入り口の花弁アーチ、素朴なロマネスク彫刻に見とれてしまう
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教会はミサ中で無ければ自由に入れます。サンティアゴ様に旅の無事をお願いしましょう。
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サンティアゴの道もう少しでワインの産地。ほかのサンティアゴの道の記事はこちら     蛇口からワインが出てくる「ワインの泉」
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許しの峠  puerto de Perdon

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星に導かれ

パンプローナを出て暫くすると小さな村を抜けて行く
次第に登りになって峠に登っていく
「許しの峠」

 

昔、旅が命がけだった頃
怪我や病気でもうこれ以上旅を続けられなくなる事が多かった
旅人を待っていたのは最悪「死」
でも許されるように
ここまで来れたらサンチアゴ迄行けなくても許されるように
この丘につけられた名前

許しの峠

「puerto de Perdon」
許しの峠
モニュメントは中世の旅人たち
片道切符の旅人たちが天の川のお星様に導かれ西へ西へサンチアゴ様に詣でに
許しの峠
風が強くて吹き飛ばされそう
近くに風力発電機がドンキホーテの突進を待っているみたいだった。

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サンティアゴの道のほかの記事はこちら プエンテ・ラ・レイナ 女王様の橋

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