サンチャゴの道をサリアからサンチアゴ・デ・コンポステーラまで115キロ歩く人の色々まとめ

カミーノ・デ・サンチャゴ=サンチアゴの道は1000年以上も人々が歩き続けている巡礼街道で世界遺産。この記事はサンチアゴの道で一番有名なカミーノ・フランセス=フランスの道をサリアからサンチアゴまで115キロ歩く人の為の解説書。私は歩いて本当に良かった、足が痛くなったけど足はそのうち治る。大きな悟りが直ぐに与えられるわけでは無いけれど「どうしよう、無理!やっぱりやめよう」ともし迷っている人がいたら恐がらずに是非最初の一歩を踏み出して歩いてみると良いと思いまとめた記事です。

サンチアゴの巡礼道「カミーノ・デ・サンチアゴ」を115キロを歩く


サンチアゴの道とは

サンチアゴの道はスペイン北西部にある聖地サンチアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼街道。1000年以上前から続いている巡礼路でいくつかの道があるが一番有名なのがフランスの道。

サンチアゴの道フランスの道ルート
筆者作成サンチアゴの道

ピレネー山脈のフランス側から約800キロの巡礼街道。サンチアゴ・デ・コンポステーラは聖ヤコブの遺体が埋葬されたカトリックの聖地。スペイン語で道をカミーノという。サンチアゴの道をカミーノ・デサ・ンチアゴ、略して定冠詞を付けて「エル・カミーノ」と呼ぶ。

サンチアゴの道<エル・カミーノ>の歴史

サンチアゴとは

イエス・キリストの12弟子のひとり聖ヤコブの事をスペイン語でサンチアゴという。イエス・キリスト亡き後スペインに布教にやって来たと言われているがその後エルサレムでヘロデ・オアグリッパにより首を切られて殉教。サンチアゴの弟子たちによりその遺体は船に乗せられ「行先は神のおぼしめしのまま」と天使に導かれガリシアに埋葬された、という言い伝えがあった。

サンチアゴの道、聖ヤコブの遺骸を運ぶ弟子たち
筆者撮影サンチアゴの道パドロンの教会にあるメダル

9世紀のある星が瞬く美しい夜に羊飼いたちが星の真下に洞窟を発見そこに聖ヤコブの遺骸を見つけた。

その時代スペインではイスラム教徒から領土を奪い返すレコンキスタの戦争をやっていた、聖ヤコブはキリスト教徒を守る守護聖人となり「神はそれを望んでおられる」と宗教的な情熱と結びついてヨーロッパ全体に広がって行った。サンチアゴ・マタ・モーロと呼ばれレコンキスタの象徴になって行った。

聖ヤコブ
筆者撮影

 

歩くのに必要なのはクレデンシアル

クレデンシアルとは

クレデンシアルは巡礼者の通行証、巡礼者のパスポートになる。巡礼者用の宿泊施設アルベルゲの泊まったりサンチアゴデコンポステーラに到着して巡礼証明書を発行してもらう時に必要になる。

従来は自分が通う地区の教区教会で発行していた。現在はエル・カミーノにある教会や巡礼事務所やアルベルゲで発行してもらう。

クレデンシアルを持っていると観光施設の割引があったりホテルも巡礼者料金がある場合がある。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*アルベルゲに泊まるにはクレデンシアルが必要

*サンチアゴ到着後に巡礼証明書を発行するのに毎日2か所のハンコを押してサンチアゴに到着する必要がある。

クレデンシアル
筆者撮影サンチアゴの道

 

*クレデンシアルを日本で手に入れる

日本のサンチアゴの道友の会で発行している。料金1000円。

日本のサンチアゴの道友の会のクレデンシアルを購入できるページです。

http://www.camino-de-santiago.jp/credential/get.html

 

*クレデンシアルをマドリードで手に入れる

マドリードでクレデンシアルを手に入れる方法は2つ。

①マドリード王宮近くのサンチアゴとサンホワンバウティスタ教会で無料で発行。

Real Iglesia Parroquial de Santiago y SanJuan Bautista

住所 Calle santiago24

寄付金が必要。クレデンシアル発行の後「お参りしてください」といわれるので後ろにあるサンチアゴ像でお参りをして1€~2€、もちろんもっと沢山でも。

月曜から土曜10時から13時、18時から20時

日曜、祝日11時から13時、18時から20時

*パスポートやDNI等身分証明書。

*巡礼を始める場所と日付けを聞かれる。

*本人のみ可能

 

②マドリードのサンチアゴ友の会で発行ー2€

Asociacion de Amigos de los Caminos de Santiago de Madrid

住所 Calle de Carretas14

火曜日と木曜日19時から21時

水曜日11時から13時

*パスポートやDNI等の身分証明書

*身分証明書のコピーで代理申請可能

*2€の手数料が必要

*クレデンシアルをカミーノで手に入れる

各地の巡礼事務所やアルベルゲ、教会などでもクレデンシアルを発行している。マグダレナ修道院も発行するアルベルゲのリストに出てくる。私は「万が一行ったら無かった」という事を想定して念のためマドリードで入手しておいた。

 

巡礼証明書La Compostelaをもらうには最低100キロ歩く事

*サンチアゴの道は沢山の道がありどの道を歩いても良いしどこから始めても良い。

*サンチアゴの道を歩いた証明書=La Compostelaをもらうには徒歩で最低100キロ、自転車と馬は最低200キロと規定がある。

*毎日カミーノを歩きながら最低2か所のSELLO=ハンコをクレデンシアル(巡礼手帳)に押し、日付も書く事。

クレデンシアル
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴに到着後巡礼事務所に持って行くと巡礼証明書(無料)が発行される。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

 

 

マドリードからサリアへの行き方

マドリードからサリアへの移動は私たちはキャンピングカーで移動しサリアのマグダレーナ修道院の前に車を置いて5日間で歩き路線バスでサリアに戻って来た。在住者で車ありならこれが一番無駄が無いはず。

レッカー車の会社が車をサリアからサンチアゴに200€で移動してくれるサービスがあった。サリアに車を置いてサンチアゴに着いたら車をピックアップできるサービスだ。結局200€は勿体ないので私たちは路線バスでサリアに戻ったが便利なサービスではある。

マドリードからサリアにバスや鉄道で移動

日本や他の国からマドリードに入りサリアに行く方法は3つ。簡単でおすすめは①の長距離バスでルーゴ、乗り換えてサリア

①マドリードからルーゴ行きの長距離バスにのり(約6時間30分~7時間)ルーゴからサリア行きの路線バス(約30分)に乗り換える。

*マドリードからルーゴ(LUGO)

バス会社ALSA  マドリード南バスターミナルからEstacion sur de autobuses

(ALSAはマドリードのバラハス空港ターミナル4からも出発している)

ALSAの時間を調べるページにリンクします。出発地と目的地を英語やドイツ語、フランス語も選べる。

ALSA

 

*ルーゴからサリア(SARRIA)

ルーゴに着いたらMonbusのバスに乗り換える。バス会社Monbusのページ。出発地と目的地を入れて日付を選択、右上から英語も選べる。

https://www.monbus.es/en

②マドリードからサンチアゴまで路線バス又は飛行機、鉄道で行き、サンチアゴのバスターミナルからサリア行きのバス会社Monbusのバスに乗る。

バス会社Monbusのページ。出発地点と目的地、日付けを入れると時間が出てきます。右上の所から英語も選べる。

https://www.monbus.es/en

③マドリード・チャマルティン駅からサリア行きのスペイン国鉄Renfeに乗る。本数が少なく日によって時間が違うので注意。

*月曜から金曜と日曜はトレン・ホテルという夜行寝台列車が出る。マドリード・チャマルティン発22時30分サリア着朝6時50分51€90c(時間や値段は季節や連休などに変更があるので必ず確認してください)

スペイン国鉄Renfeのページです。出発地と目的地、日付を入れて検索できます。

http://renfe.com

サリアのバスターミナルから

サリアのバスターミナルからカミーノの出発地点マグダレーナ修道院アルベルゲまでは徒歩15分、最後に少し登りがある。

サリアの街にはさまざまなタイプの宿泊施設があるのでそれぞれの旅に合った所を探すと良い。

サンチアゴの道サリアのバス駅
筆者撮影サンチアゴの道

サリアのバスターミナルはバスの出る時間くらいしか人はいない。タクシーもいなかった。お手洗いは無料で使える。駅を出てすぐにスーパーマーケット有。

(写真下)正面の丘の上に有るのがマグダレーナ修道院アルベルゲ。丘の上なので最後は少し登坂になる。

サンチアゴの道サリアから
筆者撮影サンチアゴの道

歩道にサンチアゴの道の象徴ホタテのモザイクで気分は盛り上がります。

サンチアゴの道
筆者撮影サンチアゴの道

サリアのマグダレナ修道院アルベルゲ

マグダレナ修道院のアルベルゲについて

一泊10€

ベッド数110

予約可

時間11時から23時、出発は6時から8時30分の間

営業は3月15日から11月2日まで

(下)ホームページ日本語で見れます

http://www.alberguesdelcamino.com/ja/sarria/albergue-monasterio-de-la-magdalena/

サンチアゴの道持ち物と持って行って良かった物

ここでは5~6日間でサリアから115キロを歩く場合の持ち物リスト。アルベルゲにも泊まる場合もありで必要な物。パスポートやお金クレジットカードなど基本的な物以外でまとめてあります。予算があってすべてホテルやペンションに泊まるならシャンプーやS字フック選択物干しは不要。

荷物はなるべく軽くする努力が必要。女性で6キロ~7キロ位までが良いと思う。

*リュック=私は40Lのリュックををマドリードのデカトロンで30€ほどで購入した。サイズは30Lでも充分だが私は別の機会にも使えるように大きめのを購入した。なるべく軽いのを選ぶといい。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*クレデンシアル巡礼者用のパスポート

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*寝袋(私は既に持っていたオールシーズン用で行ったが1.1キロもあった、冬以外はもう少し軽いのでもいい)新しく買いたくなかったのでこれ。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*小さなバッグ(クレデンシアルやお金などすぐに出せるように)この黒いバッグはマドリードの中国人ショップで2€位、貴重品とクレデンシアルとスマホ、リップクリーム等をここに入れていた。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*歩く靴=履きなれた靴で登山靴かトレッキング用の靴の裏がしっかりしたもの。砂利道やぬかるみもあるくが急な山道は無い。

*日焼け止めクリーム。写真下は私が普段から使っているスペインのAveneの温泉水で作った日焼け止めクリームSPF50。これ一本で2か月は持つ絶対焼けないすぐれもの。16€50c位。肌色の色付きと色なし白がある。スペイン各地の薬局で購入できる。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*帽子、登山用の布地の物と悩んだ末麦わら帽子にした。マドリードのマヨール広場近くで10€。折りたためるのでいらない時はリュックに入れられる。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*ポンチョ=リュックごと頭からかぶれるタイプのもの。

*トレッキング用のサンダル(豆が出来て靴を履けないとき、シャワーの時とスリッパ兼用)途中で足に豆が出来た靴が履けなかったので靴下をはいた上にこのサンダルで歩いた。トレッキング用サンダルで検索すると沢山出てきます。

サンチアゴの道持ち物
筆者作成サンチアゴの道持ち物

*トレッキング用のストック=絶対合った方がいい、心の支えにもなった。なるべく軽めのを一本は最低持って行くと転ばぬ先の杖になる。

*S字フック=アルベルゲでシャワーを浴びるときに貴重品をシャワーブースの中にかけたりシャンプーなどをかけるのに使う。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

*洗濯物干し=靴下や下着等洗濯したものを干す場所が確保できない場合があるのでなるべく軽い物をひとつ持って行った。

サンチアゴの道持ち物
筆者作成サンチアゴの道持ち物

*バッテリーバンク=私は持って行ってよかった。個人的にスマホをよく使うので毎日充電が必要、アルベルゲでコンセントがベッドの近くにない、コンセントは既に誰かに確保されていた等。

サンチアゴの道の持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*耳栓とアイマスク=アルベルゲでのイビキ対策用

*軽い誘眠剤=私はスペインの薬局で売っているDormidinaを持って行った。似たようなものがカミーノの薬局でも購入できる。

サンチアゴの道持ち物
筆者作成サンチアゴの道持ち物

 

*登山用パンツ2本=今履いているパンツと予備を1本。ポケットが沢山ついている速乾性の物が便利。

*スポーツブラとシャツや下着=干しててあまりセクシーじゃないのを探した。でもヨーロピアンは気にしていない模様。

*パジャマ兼部屋着のシャツとジャージのうすいの

*薄いダウンジャケット

*山用のヤッケ

*虫刺されパッチ=どこでやられたか不明だがのみかダニにやられた。

*小さい懐中電灯=暗い中準備する時用。スマホのバッテリーを使いたくないので。

大抵の物は現地でも購入できる。常備薬、虫刺されパッチはスペインにないので日本からどうぞ。

大丈夫、心配せずに出発しよう

「荷物を持ってそんなに歩ける?」「途中で歩けなくなったら大変だし」と思って躊躇している場合は現地に色々なサービス(以下)があって何とかなるので最初の一歩を歩きだすといいと思う。スペイン語が判らなくても各地簡単な英語が通じ絶対に誰かが助けてくれる。一歩足を前に出せば何とかなる。

*荷物は運んでくれるサービスがあり3€で次の目的地に持って行ってくれる。

*タクシーも電話番号がいろんなところに書いてあり途中で呼ぶことが出来る。

*歩けばとにかく着く。

巡礼なのか

巡礼というと禁欲的なイメージが有るが目的地に着くため毎日歩くゲームだ。様々な思いの人達が同じ方向に歩くことによって何かを手に入れる。手に入るのは今ではなくもっと遠い将来かもしれない、いや重い荷物を背負って歩いたから大きな代償が与えられるかは不明だ。ただ帰って来てから感じるのは歩いていた時が一番幸せだった。目的は「富士山に登りたい」や「サグラダファミリアが見たい」と同じでいいと思う。宗教的な解釈に縛られる事無くただ歩くために行く、そして目的地だけは用意されているのだ、それがサンチアゴの道。

サンチアゴに着いたらサンチアゴ様にハグをしましょう

大聖堂の中央祭壇の横から階段を登ると聖ヤコブ像に後ろからハグが出来る。

サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂内部
筆者撮影サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂

その後反対側から階段を降りると地下にサンチアゴ様のお墓がある。

サンチアゴの道サンチアゴの大聖堂内部
筆者撮影サンチアゴの道サンチアゴの大聖堂

サンチアゴ・デ・コンポステーラに到着したらサンチアゴの大聖堂に埋葬されるサンチアゴのお像にハグをして地下にあるお墓詣りをします。カトリック教徒でなくても大丈夫。サンチアゴの道はもともとサンチアゴ様詣で、その為に歩いたのだからご挨拶しましょう。

大聖堂は9時から20時、入り口はプラテリアの門のみ(現在工事中の為)

サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂
筆者作成サンチアゴ大聖堂入り口

 

*2019年はサンチアゴ大聖堂内部は工事中でミサは行われない。したがってボタフメイロも無い。巡礼者用のミサはサンフランシスコ教会で12時から。

*工事は2020年7月に終了予定。次の聖年2021年に向けての工事。

*栄光の門は予約制で約45分のガイディングツアーのみ。栄光の門を見る場合は当日では予約はほぼ不可能。ネットから早めの予約することをお勧めする。

*栄光の門は13世紀サンチアゴの大聖堂の入り口だった。ロマネスクの素晴らしい彫刻で聖人達の表情や動きなど12世紀の物とは思えないが素晴らしさ。10年間の修復を終えて公開された。

 

サンチアゴの聖年

7月25日が日曜日になる年をサンチアゴの聖年=アニョ・サントという。聖年にだけ免罪の門から大聖堂に入ることが出来そこから入った人には多くの罪が許される。

サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂の免罪の門
筆者撮影サンチアゴの道

次の聖年は2021年。最近では1993年、1999年、2004年、2010年が聖年で免罪の門が開けられた。2016年はローマ法王からの特別聖年という事で一年間免罪の門が開けられた。

サンチアゴに着いて巡礼証明書をもらう場所

サンチアゴの大聖堂があるオブラドイロ広場から徒歩3分の所。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

パラドールから下り坂と階段を降りて右に曲がった所に入り口。巡礼者が到着する13時頃は混みあっているので並びたくない場合は少し時間をずらして入ると良い。

*入り口でクレデンシアルのチェックがある。

*内部は撮影禁止

*証明書は無料。

*別途何キロ歩いたかの証明書が必要か聞かれる。3€で発行してくれる。

サンチアゴの道巡礼証明書
筆者撮影サンチアゴの道の巡礼証明書

サンチアゴ大聖堂から巡礼事務所徒歩3分

サンチアゴの道の旅を3分のビデオにまとめてあります。

サンチアゴの道をサリアから歩いて感じた事

*カミーノは荷物を作る所から始まっていた。要らないものをどんどんリュックから出していくときに「道」の本質が見えて来た。

*毎日朝早く歩き始めると森の中の臭いが時間によって変わって行くのがわかったし鳥の鳴き方が雨の日や曇りの日で違って聞こえた。景色がキラキラ輝いて巡礼者が歩く音や肌に感じた空気は一生忘れない。

*ゆっくりでも歩けば着くことに驚いた。30キロも歩いたのは人生で初めてだったがとにかく歩いて行けば着くという単純な事に感動した。

*サンチアゴに着いたら不思議と哀しくなった。心が空っぽになって脱力した。到着した事で目的を失ってしまったことに気がついた。

*思い返すと毎日重い荷物を持って苦しいと思いながら歩いていた時が一番幸せだった。

*ひとりで歩いている人が多くてずっと一人で歩くともっと心の深い深い所まで旅が出来るのではと思った。

*次はピレネーを超えて歩きたい、冬もいいかも、と夢は膨らんだ。

下はサンチアゴのパラドールを動画にしました。宿泊してもいいしお食事だけでもいい、お茶を飲みに行ってもいいですね。

サンティアゴ様(聖ヤコブ)個人情報。スペインの守護聖人サンティアゴ様とはいったい何者か。

ヘブライ語で本名ヤーコブ、人種 ユダヤ人、職業 漁師、出身地 ガリラヤにあるベツサイダ、父親 の名前 ゼベダイ、兄弟の名前 ヨハネ。

キリストの十二弟子の1人で一番最初の頃の弟子。雷の子と呼ばれたほど気性が激しかった。スペインに来たかどうかは実は定かではない。

 

サンチアゴ(聖ヤコブ)

巡礼姿のサンチアゴ様

santiago pelegrino
筆者撮影

 

「ゼベダイの子ヤコブ」と呼ばれ「アルファイの子ヤコブ」(小ヤコブ)と区別される。旧約聖書にもよく出てくる名前ヤコブがスペイン語化するとティアゴ。聖人の「サン」が付いて「サン・ティアゴ」が「サンティアゴ」又は「サンチャゴ」になる。英語で「サン・ジャイムス」フランス語で「サン・ジャック」

 

象徴物はホタテの貝殻

 

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キリスト教の聖人達には象徴物というのがある。サンチアゴの象徴物はホタテの貝殻。海に打ち上げられたからとかレコンキスタの時にある騎士の体がホタテの貝殻で覆われたとか諸説色々有りますが共通した何かは不明で諸説様々な事が言われている。ホタテは巡礼者の手形として使われた。そしてお皿にもなったしスプーンにもなったので便利なグッズだった。

フランスでレストランに行くとメニューに「サン・ジャック」とあったらホタテ貝です。

 

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キリストに最初について行った一人

 

新約聖書に書かれているように「私について来なさい。あなたを人間を釣る漁師にしてあげよう」イエス・キリストにそう言われてすぐに漁師の仕事を辞めてついて行ったのがサンチアゴ。弟のヨハネと2人で漁の網も置いて、一緒にいた父親さえ置いて付いて行った。

 

新約聖書の中にペテロとヨハネとサンチアゴは3人で良くキリストの側で奇跡を見ているがペテロやパウロ程聖書に登場しないので実は詳細が不明です。2000年前の事なので書かれたものが残っていません。

兄弟のヨハネはキリストに最も愛された弟子で良く絵画では一番若く美青年に描かれます。3人とも気性が荒かったと書かれています。

スペインで布教活動

実は歴史的にはサンティアゴがイベリア半島に来たかどうかは定かでは無い。

ただそれは長い間伝説として人々の間で伝わっていた。イベリア半島で得た弟子は7人。長らく居たのにたったの7人です。あまりに誰もついてきてくれないので「神様・マリア様・イエス様 なんで?」人知れずかなり悩んでいた時期もあったらしい。マリア様が空から降りてきて「このジャスパーの柱の上に教会を建てなさい」と言ったのが今のサラゴサという町でその柱の上に作ったのがサラゴサのピラール大聖堂。ピラールはスペイン語で柱の事。今もサラゴサのピラール大聖堂へ行くとその時の柱が信仰の対象になっている。スペイン人の女性の名前に良くピラールという人がいるけどこれはマリア・ピラール。柱のマリア様という意味です。ちなみにこの奇跡はマリア様の多々在るご出現奇跡中唯一「聖母ご存命中」の奇跡です。(他のはみんな亡くなってからずっと後の奇跡)

エルサレムで首を切られて殉教

イベリア半島での布教があまりうまくいかないのでエルサレムに戻ったがヘロデ・アグリッパにより紀元44年に惨殺された。サンチアゴ(聖ヤコブ)の弟子がこのご遺体をなんとか守ろうと石の船に乗せ、行き先は神の思し召しのままと船を出し、そして風に流され流されガリシアに着いたと言われている。ついたのがパドロンという町で今もその時の船が横付された石が祀られているサンチアゴ教会がある。

<パドロンのサンチアゴ教会にある彫刻>

santiago
筆者撮影

 

遺体の発見

時は経ち起源後813年、星が綺麗に瞬いていた夜だった。星を追っかけた羊飼いが星の真下に洞窟を発見し、その中に首のない遺体を見つけた。字が読めない羊飼い達は地元の司教様に相談した。するとその石棺に聖ヤコブと書いてあった。これは大変だーーーと慌てて遺体を埋葬してお祈りをして教会を作った。それが今のサンチアゴ・デ・コンポステーラにある大聖堂の始まり。

<サンチアゴ・デ・コンポステーラの聖ヤコブの墓>

tumba santiago
筆者撮影

当時の歴史的背景

スペインにシリアからのイスラム教徒がやってきてビシゴート王国は崩壊し半島全体がイスラム化していた。ビシゴート王国は崩壊し貴族達はすでに持てるだけの財宝を持って北のほうの山の中で戦っていた。

今のフランスではゲルマン民族の大移動の後のフランク王国の時代、北上して来たイスラム教徒を732年ツールポワチエの戦いで破った。その後カール大帝が戴冠しキリスト教を保護しローマ帝国を再び復活させようとしていた時代だった。

 

そんな時に聖ヤコブの遺体がスペインで発見されサンチアゴ様のご加護のもと異教徒と戦って「あなたが死んでしまっても魂は間違えなく天国へ行けます。」となったのは偶然ではない。

 

当時の人々が人生で最も恐れていたのは神と死だった。人は必ず死ぬ、死んだ後に神により最後の審判が行われ日々の行いで天国か地獄へ振り分けられる。その最後の審判に人々は怯えていた。教会は「悔い改めよ」と人々に説教をし人々は罪を償うために人々は巡礼をし始めた。巡礼をすればすべての罪が許されるのだから。

<サンチアゴの道にある教会の彫刻、最後の審判>

camino de santiago
筆者撮影

その道が次第に踏み固められ整備され今の「サンティアゴの道」になった。巡礼者の為に警備団が作られ宿泊所が出来ガイドブックまで作られた。王達によって病院や救護施設が整備され巡礼者たちを守った。少人数で歩くと危険なので警備団や僧侶や音楽隊や金貸しや道化師や娼婦まで一緒にグループを組んで歩いた。それが今のサンチアゴの道の始まり。日本のお伊勢参りの様に人々はフランスやドイツなどからこぞってサンチアゴ参りをするようになった。

 

<サンチアゴの巡礼街道を歩く巡礼者>

camino de santiago
筆者撮影

サンティアゴ様には三つの姿

サンティアゴ様は3つの姿がある。12使徒のサンチアゴ、モーロ人殺しのサンチアゴ、巡礼姿のサンチアゴと教会の祭壇等に作られるときはこれらの姿で現される。

<12使徒のサンティアゴ>

santiago
筆者撮影

image.jpeg
<マタモーロ・サンティアゴ(モーロ人殺し)>

<巡礼姿のサンティアゴ>

santiago
筆者撮影

スペイン全体の守護聖人がサンチアゴです。

サンチャゴの道をサリアからサンチアゴ・デ・コンポステーラまで115キロ歩く人の為の色々まとめてみた

聖年

7月25日がサンティアゴの日 その日が日曜日になる年を聖年と呼び聖年に巡礼をすると多くの免罪がある。聖年にだけ開けられる扉があってそこから大聖堂に入ると多くの罪が許される。聖年は11年、6年、5年、6年ごと。前回が2010年 次の聖年は2021年。

2016年は慈しみの特別聖年(フランシスコローマ法王の宣言)で免罪の門が開けられました。

 

え〜〜大聖堂にニワトリ?「 サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ」

サンティアゴの道<サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ>

巡礼や宗教に奇跡はつきもの。このサンティアゴの道は1000年も人々が何かを求めて歩いた道。色んなドラマがあったに違い無いし今日も誰かが怒ったり泣いたり。喧嘩したり笑ったり、そして奇跡が起こっているに違いない。

 

「サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ」
「石畳の聖ドミンゴ様」
という名前の街
彼はサンティアゴの道に病院や橋や石畳の道を造った修道士
この街の大聖堂に眠っています
石畳の聖ドミンゴのお墓
この辺りはリオハ州。スペインワインの中でも取って置きの優れものの産地。綺麗に手入れされたぶどう畑を進んで行くと遠くに教会の塔が見えて来た。中世の旅人に取っては、いや、今歩く人達にも目印や目標より心の支えだと思う。

 

サント・ドミンゴの大聖堂

 

 

奇跡

ここで奇跡があった。昔々巡礼が命掛けだった頃、ある若者が両親と遠くからサンティアゴ目指して歩いて来た。やっとこさこの街に荷物を降ろして宿を取った。その旅籠の娘が若者に一目惚れ。迫るは言い寄るはあの手この手で若者に「付き合ってくださいッ」。しかし若者は冷たく「無視」して宿を立ち去る準備。悔し紛れに娘は若者の荷物に銀のコップを忍び込ませた。そして「彼は泥棒〜〜」と訴えた

 

当時の法律では泥棒は絞首刑。若者は捕まり広場で吊るされた。ところが、1ヶ月経っても若者は吊るされたまま生きている両親はサンティアゴの巡礼を終えて戻ってきてビックリ。そして若者は両親に「どうか判事に私の無実を話して下さい。私は聖ドミンゴ様に守られております。」

何とか判事に謁見が許された両親、判事は食事中。チキンの丸焼きを頬張る寸前「フン!そやつが生きているなどど言うのはこのニワトリが生きていると言うのと同じ事ジャ!」すると突然丸焼きチキンが立ち上がりコッコロコッコッコ〜〜(スペイン語だと鳴き声これ)と鳴いて若者は絞首刑台から降ろされ両親と故郷へ帰って行ったとさ。

 

という奇跡があったとされ大聖堂に今もつがいの真っ白なニワトリが飼われています

大聖堂に鶏

ちょっと写真じゃ見えにくいですが上の箱の中に二羽のニワトリ。

 

大聖堂に鶏
世界に数々素晴らしい大聖堂が有るけれど中にニワトリが飼われているのはここだけです。

格安の海外用WiFiはワイホー

だけどこの両親吊るされた息子置いてサンティアゴ行ったんだ〜〜冷たいなあ。

サンティアゴの道のほかの記事です

プエン・テ・ラレイナ 女王様の橋

許しの峠puerto de Perdon

サンティアゴの道、パンプローナ

 

蛇口からワインが出てくる「ワインの泉」

イラチェ

プエンテ・ラ・レイナから更に西へ進む
この辺りずっとぶどう畑
スペインの有名なワインの産地です

 

綺麗に手入れされたぶどう畑を見ながら移動すると
Iracheという小さな村に出る
村より大きな修道院
イラチェの修道院
教会部分は無料で入れます(お昼休み有)
イラチェの修道院の教会

ワインの泉

小さな坂道を下ると巡礼者の為にここのワイナリーが「ワインの泉」
どうぞ御自由にお飲みくださいと蛇口からワイン
ワインの泉
ちょっと見逃しそうな所に矢印
ワインの泉
ワインの泉
でもそこには条件が書いてあります
ワインの泉、条件
条件・無茶に飲むのでなく・楽しんで・持っていく分は購入しましょう
ワインの泉
ここで飲む分だけにして下さいと遠回りに書いてあります・右は水で左がワイン
ワインの泉
結構おいしいワインです

実はやめようと思ったらしい

先代のここの社長が親戚とかに随分反対されて
ちょっと落ち込んでいた事も有ったそうですが
巡礼者に喜んで貰えるならと反対を押して続けて
先代の社長が亡くなった今も後継者たちによって続けられています。

実はある日本人の女性がサンティアゴの道を歩いている途中この街で先代の社長に会いに行って「あなたは素晴らしい。ありがとうを伝えに来ました」彼女の言葉で継続を決意したそう。

凄い心が広いなあ
以前私もここのおじさんに随分お世話になりました
今回はお昼時だしシエスタ中じゃ悪いのでご挨拶無しで帰ります
ワインの泉
あ、ペットボトル持って行こうと思ったあなた
web カメラついてますよ〜ん

格安の海外用WiFiはWi-HO!

サンティアゴの道ほかの記事はこちら                                 サンティアゴ・デ・コンポステーラ

プエンテ・ラ・レイナ 女王様の橋 

大聖堂に鶏、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ

プエンテ・ラ・レイナ 女王様の橋

道が先にできた

許しの峠から更に西へ進むと遠くに教会の塔が見えて来る。サンティアゴ教会の塔。
巡礼街道は宿場町。嬬恋なんかと同じで道が先に出来て道沿いに街が出来たので細長い。
プエンテ・ラ・レイナの道
次第にインフラが整って病院や救護院が作られ護衛団や石畳や橋がかけられた。

 

ここはナバーラ王国の王妃が巡礼者の為に橋をかけたのでプエンテは橋レイナは女王様。
女王様の橋
12世紀頃建立。何と800年以上も巡礼者を見守ってきた橋です。

サンティアゴ教会

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サンティアゴ教会も同じ頃のロマネスク建築。入り口の花弁アーチ、素朴なロマネスク彫刻に見とれてしまう
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教会はミサ中で無ければ自由に入れます。サンティアゴ様に旅の無事をお願いしましょう。
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サンティアゴの道もう少しでワインの産地。ほかのサンティアゴの道の記事はこちら     蛇口からワインが出てくる「ワインの泉」

許しの峠  puerto de Perdon

星に導かれ

パンプローナを出て暫くすると小さな村を抜けて行く
次第に登りになって峠に登っていく
「許しの峠」

 

昔、旅が命がけだった頃
怪我や病気でもうこれ以上旅を続けられなくなる事が多かった
旅人を待っていたのは最悪「死」
でも許されるように
ここまで来れたらサンチアゴ迄行けなくても許されるように
この丘につけられた名前

許しの峠

「puerto de Perdon」
許しの峠
モニュメントは中世の旅人たち
片道切符の旅人たちが天の川のお星様に導かれ西へ西へサンチアゴ様に詣でに
許しの峠
風が強くて吹き飛ばされそう
近くに風力発電機がドンキホーテの突進を待っているみたいだった。

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サンティアゴの道のほかの記事はこちら プエンテ・ラ・レイナ 女王様の橋