大航海時代の始まり、スペインとポルトガルの世界制覇への道。

サンタマリア号

 

スペインではレコンキスタが進んでいき遂にグラナダが陥落(1492)した。そしてコロンブスがイサベル女王からの援助を手に入れスペインは大航海時代に入って行く。様々な技術の発達やイスラム教徒との交流で世界観が広がって新しい時代がやって来た。

スペインより一足早く大航海時代に入っていたのは隣のポルトガル。地中海は遠くそこではすでにイタリア諸都市やカタルーニャが活躍している。大西洋に面したポルトガルは早くからエンリケ航海王の登場で大西洋へ出ていた。

<大航海時代のリスボン>

リスボン
By Duarte Galvão (1435-1517) – Crónica de Dom Afonso Henriques de Duarte Galvão, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15332858

*エンリケ航海王子(1385年~1433年):ポルトガル王ジョアン1世の息子。自らは航海せず王位にもついていないが熱心にアフリカ西岸探検に取り組んだ。ザグレスの航海学校は有名だが本当にあったかは疑問視されている。最大の功績はボジャドール岬を超えたことで長い間これを超えると「急流がある」や「グツグツ煮えている」や「恐竜がいる」などと船乗りたちに恐れられていた。

<発見のモニュメント、右端がエンリケ航海王>

発見のモニュメント、リスボン
発見のモニュメント、筆者撮影

ペストの流行や十字軍遠征、航海術の発達や世界地図の作製と当時のヨーロッパの世界観が広がって行きスペインとポルトガルが競って大海原へ出ていきいずれは日本へ到着する。種子島に南蛮人がやって来る直前までの歴史のお話。

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大航海時代の準備


十字軍遠征

キリスト教の聖地エルサレムはイスラム教徒の聖地でもある。セルジューク・トルコ朝が領土を拡大しアナトリア(現トルコ)に進出すると脅威を感じたビザンチン帝国(東ローマ帝国)のローマ皇帝はローマ法王ウルバヌス世に救援を求めた。

これを受けたローマ法王はクレルモン公会議を開いて十字軍遠征を呼びかけ、諸侯や騎士たちが立ち上がり第1回十字軍が1096年に出発。「神はそれを望んでおられる。あなたがもしも死んでしまっても、魂は救われるだろう!」

<第1回十字軍遠征>

十字軍遠征
wikipedia
public domain

十字軍遠征は約200年間合計8回にわたりキリスト教徒側の勝手な大義名分のもと蛮行と破壊行動が繰り広げられた。結局失敗に終わるが東方貿易が活性化しベネチアやジェノバなどのイタリアの都市国家が東方貿易で利益を得て発展していく。

最大の功績は、東方の進んだ文化がヨーロッパにもたらされたのだ。

プレスター・ジョン伝説

12世紀のヨーロッパ、十字軍遠征盛んな頃に「遠く離れた東方にキリスト教徒が住んでいる。その指導者プレスター・ジョンが十字軍を助けてくれエルサレムの奪回を助けてくれる」という伝説があった。

<東方見聞録にある挿絵、キリスト教国の君主オンカン>

東方見聞録に出てくるオンカン
wikipedia
public domain

15世紀になるとポルトガル人たちはプレスター・ジョンはアフリカにあり豊かな黄金の産地であると思い込む。イベリア半島に残るイスラム教徒を挟み撃ちにし豊かな黄金を手に入れたいを言う思い入れが大航海時代を推進させていく。

世界地図

現存する最も古い世界地図は紀元前600年のバビロニア、その後古代ギリシャの学者達によって既に地球を球体であることを前提として創られたものがあった。(いったん中世のヨーロッパではこれが否定される)この時代にほぼ正確に地球の大きさを測ったりしている事には驚く。

<プトレマイオスの世界地図の再現、150年頃>
プトレマイオスの世界地図
By Credited to Francesco di Antonio del Chierico – Ptolemy’s Geography (Harleian
public domain
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=193697

マルコポーロの東方見聞録や十字軍の遠征でそれまでの世界地図は大きく改良される。

*マルコポーロは1254年頃にベネチアの商人の家で生まれた。17歳頃に父と叔父と24年間15000㎞の貿易の旅をした。帰還した後ベネチアが敵対していたジェノバと戦争になり志願して従軍し捕虜になったときにこの旅の話をほかの捕虜に話した。それをまとめたのが東方見聞録。

<マルコポーロの旅のルート>
マルコポーロの旅
Author
Travels_of_Marco_Polo.svg: *Asie.svg: historicair 20:31, 20 November 2006 (UTC)
derivative work: Classical geographer (talk)
derivative work: Classical geographer (talk)

 

1375年に交易が盛んだったカタルーニャでかなり正確なカタロニア地図が作られていて地中海からアラビア半島や紅海、ペルシャ湾やインドが描かれた地図が作られている。

<カタロニア地図の再現 1375年>
カタラン地図
By Cresques Abraham – pubulic domain
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=670189

その後マルテル図が1490年にドイツの地理学者によってすでに喜望峰が描かれた地図が作られている。

<マルテル図 1490年>
public domain
Artist Heinrich Hammer the German (“Henricus Martellus Germanus”)
Author Ptolemy
<トスカネッリの地球球体説>

イタリア、フィレンツエの地理学者で天文学者で数学者のトスカネッリは当時のフィレンツェの知識人たちの中心にいた。友人にブルネレスキ(建築家)やアルベルティ(建築、芸術、多方面の天才)がいて様々な知識や学問が集積していた。ドイツを旅した折ギリシャ人哲学者に会い古代ギリシャ人「ストラボン」の事を知る。その後友人に書き送った手紙に西回りでモルッカ諸島へ行けるという夢のような計画が述べられていた。この手紙の筆写版をコロンブスが手に入れていたらしい。

<トスカネッリの世界地図>

トスカネッリの世界地図
wikipedia public domain
Source Narrative and critical history of America, Volume 2
Author Justin Winsor

*ストラボン:紀元前63年頃~23年頃。古代ローマ帝国ギリシャ系の地理学者、歴史家、哲学者。彼の旅はイタリアから地中海沿岸都市、エジプトやエチオピアにいたりその見聞を17巻にいたる「地理書」に残した。

航海術の発達

今でも技術の発達は世界を変える。航海術が飛躍的に発展しそれまでのヨーロッパ人の世界が地中海から大西洋へ広がって行った。

様々な発見は偶然から始まる。大航海時代がやって来るにあたり何世紀もかけて準備がなされた。

船の形の変換

{ガレー船}

もともと古代からヨーロッパで使われいた船はガレー船と言ってたくさんの漕ぎ手を必要とする大型船だった。多くの漕ぎ手の食糧や飲料水を必要とし風に弱く遠洋航海には向いていなかった。風向きの良く変わる地中海では大きなマストよりこの方が都合が良かった

ガレー船
wikipedia CC
Source my own photograph, digitally worked by me
Author Myriam Thyes

{ジャンク船}

中国では古くから三本マストの木造船大型ジャンク船を使っており羅針盤を使い商人たちがインド洋まで出ていた。乗組員500人という大型の船や、もう少し小ぶりの船で乗組員200人くらいの中型船があった。明時代にはアラビア半島やアフリカの東海岸に到着している。

鉄砲を日本に伝えたポルトガル人が乗って来た中国のジャンク船はこのタイプ。

中国のジャンク船
wikipedia public domain
Source http://collections.rmg.co.uk/collections/objects/102565.html
Author Rock Bros & Payne

{ダウ船}

アラビア人たちは紅海やペルシャ湾を拠点に中国や東南アジア、アフリカ東海岸で交易をやっており優れた航海技術を持っていた。彼らが使ったのはダウ船という今のヨットのような一本マストと三角帆で季節風を利用して巧みな航海技術で海のシルクロードで交易をやっていた。

ダウ船
wikipedia
public domain

ヨーロッパ人達よりも早くに中国人やアラビア人達はアジアで進んだ技術で航海をやっていてバスコ・ダ・ガマのインド航路発見に水先案内人として活躍したのはアラビア人だった。インド航路はヨーロッパにとっては「発見」でもアラビア人にはすでに知られた航路でしかなかった。

中国やアラビアの進んだ帆船が次第にヨーロッパに伝わって行き船の形が進化していく。

{キャラック船}

15世紀に地中海で開発された形の船。スペインではこの型の船をナオと呼ぶ。遠洋航海を前提に作られた大型船で乗組員と物資貨物を大量に搭載できる。欠点は巨大すぎて小回りが利かず強風に弱い。

<日本に来たポルトガルのキャラック船>

wikipedia public domain
Source Kobe City Museum
Author Kano Naizen

{キャラベル船}

少し小型のキャラベル船は座礁の危険が少なく沿岸地帯や河川には入れたので未知の世界での探検に向いていた。

<ポルトガルのキャラベル船>

ポルトガルのカラヴェル船
By Unknown – Livro das Armadas, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28565761
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 羅針盤

磁石が南北を示すことを発見したのは中国人が最初。陸の見えるところを航海していた時代なら方向は目視できるが目印の無い海の中、方角と位置を確認する作業は生死にかかわる。11世紀には既に中国で航海に使われそれをアラビア商人がヨーロッパに伝えた。海の上で正確に方向を知るための羅針盤が発展し実用化し使われた。

ペストの流行と胡椒

黒死病と言って恐れられたペストはヨーロッパの人口を一気に減少させたが当時の食糧難を救った側面があった。

病原体が発見されるまで伝染病がうつるのは臭いによると信じられていたため臭いを消す香辛料が高額で取引されていた。また多少臭いの強い肉を食べる場合もあり香辛料は貴重品で胡椒と銀が同じ値段だったと言われている。シルクロードを渡ってベネチアの商人の手を通ると高額になる胡椒を直接西回りで手に入れようと思った男が登場する。

コロンブスの登場


コロンブスには今だ謎の部分が多い。出生地もいまだに正確にはわかっていないがポルトガルのジョアン2世国王に仕えて船に乗っていた事は間違いない。

<コロンブス>

コロンブス
wikipedia public domain

マルコポーロの東方見聞録に興味を持ちトスカネッリの地球球体説を知り西回り航海を考えた。ポルトガルはすでにアフリカ西海岸セネガルの奴隷貿易をやっていて暴利をむさぼり、1488年喜望峰に到着。バルトロメオ・ディアスの喜望峰発見でインド洋が近い事を手に入れたポルトガルにとってコロンブスの提唱する西回りに意味が無くなってしまった。

<喜望峰発見のバルトロメオ・ディアス>

バーソロミューディアス
wikipedia CC
Source
Bartolomeu_Dias,_South_Africa_House.JPG
Author
Bartolomeu_Dias,_South_Africa_House.JPG: RedCoat (en:User:RedCoat10)
derivative work: Biser Todorov (talk)

 

ポルトガル王の援助をあきらめスペインへやって来たコロンブスはウエルバにあるラ・ラビダ修道院で滞在した。修道院長のフワン・ぺレス神父はコロンブスの話に感銘を受け様々な援助を惜しまなかった。その縁で知り合ったメディナ・セリ公から紹介されカトリック両王に謁見が許された。

当時グラナダへの戦争(最後のイスラム王朝陥落戦)をやっていたスペインに費用は無く一旦断られコロンブスはあきらめてフランス王に援助を求めて旅立つところだった。

<グラナダの陥落>

グラナダの陥落
De Francisco Pradilla – See below., Dominio público, Enlace

1492年グラナダの陥落の直後イサベル女王の伝令がコロンブスを追いかけピノス・プエンテの村の橋の上でコロンブスに追いついた。もしも、この時追いつかなければコロンブスはフランス王の援助で出港していたかも、中南米がフランス語圏になっていたかもしれないという歴史のひとこまです。

<イサベル女王とフェルナンド王>

カトリック両王の結婚

陥落したアルハンブラ宮殿でイサベル女王から宝石箱を譲り受けそれを売って船の準備の一部にした。

ピンソン兄弟

実はイサベル女王からの援助だけでは航海の準備には不十分だった。特に船員の数は足りなく「よそ者と未知の航海へ乗り出そう」という船員などいなかった。この国では今でもコネが力を発揮する、当然当時もそうだったに違いない。よそ者など誰も信じていないのだ。

前述のラ・ラビダ修道院フワン・ぺレス神父がマルティン・アロンソ・ピンソンを紹介してくれて状況が一変する。パロス港で海運業をやっていたピンソン家は優秀な船乗りで船員や航海に必要な様々なものを提供してくれた。特に航海技術や操舵技術においてピンソン兄弟の経験と知識はコロンブスの航海に大きく貢献している。

<パロス・デラ・フランテーラのピンソン兄弟>

ピンソン兄弟
Source Own work
Author Miguel Ángel “fotógrafo” 2007

パロス・デラ・フランテーラに行くとコロンブスの銅像も通りの名前も見当たらない。街の英雄はピンソン兄弟なのです。

アレキサンドル6世の即位


1492年は世界史的な事件が続いた不思議な年でグラナダの陥落、コロンブスの出港、フィレンツェではメディチ家のロレンツォの暗殺と続いた。そしてスペインのボルジア家ローマ法王の登場。カトリックの頂点にあたるローマ法王という地位は最も人間のどろどろした部分が渦巻いていた世界だった。そこに好色で強欲な好人物が登場する。

<ローマ法王アレキサンドル6世>

アレキサンダー6世

金と権力と女を手に入れたアレッサンドロ6世は愛人との間に子供までいた。法王選挙で払える限りの袖の下をばら撒いて自分に投票させた超やり手スペイン人ローマ法王の登場となる。

アルカソバス条約とトルデシージャス条約

発見の時代にスペインとポルトガルの海での領有権をはっきりさせる為1479年ポルトガルはアゾレス諸島、マデイラ諸島、ヴェルデ沖岬を領有しスペインはカナリアス諸島を領有すると取り決めたのがアルカソバス条約。地図に左右に線を引き地球を横割りにした条約だった。

コロンブスが1493年に戻って来るとアルカソバス条約では到着した土地の領有はポルトガルの物になる。スペイン側は時のローマ法王アレキサンドル6世に自分たちの領有についての訴えを起こした。スペイン人ローマ法王があまりにもスペイン有利な回勅を発行したのでポルトガルがスペインに乗り込んできてトルデシージャスで会議が行われた。

<トルデシージャスの街>

トルデシージャスの街
wikipedia CC
Source http://www.flickr.com/photos/jlcernadas/6348008109/in/set-72157629525535730
Author Jose Luis Cernadas Iglesias

1494年に地球に新しい境界線を引いたのがトルデシージャス条約。今度は地図に南北に線を引いて地球を縦に割った。

下の地図の点線の方がアレキサンドル6世の引いた線だったが会議で少し西へ引き直したのがトルデシージャス条約の線。この後ポルトガルはブラジルへ到着する。今も南米でブラジルのみはポルトガル語圏なのはこの線より内側にポルトガルはブラジルを発見したから。

change from wikipedia cc
Source Own work
Author JjoMartin

ポルトガルはこの線より東へ、スペインは西へ行くことが決まる。ポルトガルは東へ向かい喜望峰を通過してバスコダガマのインド航路発見に繋がる。

バスコ・ダ・ガマ

トルデシージャス条約でポルトガルは東回りでアジアに向かうことが決まり、すでに喜望峰が発見されているので東回りでインドに派遣されたのがバスコダガマ。1497年にリスボンを出発。

<バスコダガマのリスボン出港>

バスコダガマのリスボン出港
wikipedia public domain
Author John Henry Amshewitz

途中モザンビークではイスラム教徒から砲撃を受けるがマリンディでは歓迎されアラビア人の水先案内人を雇って1498年にムガール帝国のインド、カリカットに到着。

<喜望峰からインドのバスコ・ダ・ガマのルート>

バスコダガマのルート
By User:PhiLiP – self-made, base on Image:Gama_route_1.png, Image:BlankMap-World6.svg, GFDL, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4805180

 

バスコダガマの持って行ったポルトガル交易品はカリカットで取引されている品物に比べるとみすぼらしく馬鹿にされたと記録に残る。

カリカットの王との間に揉め事や監禁事件が起こり胡椒を積み人質を取って逃げるように退散してリスボンに戻って行く。

その後ポルトガル商人はインドから更に中国へ渡って行き活躍し、中国人には南蛮人と呼ばれる。

<中国の南蛮人>

中国の何番人
By Français : Kano Naizen, 1570-1616 – リスボン国立古美術館, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=353039

そしてポルトガル商人が乗った中国のジャンク船が台風の風に流されて種子島に到着するのはあともう少しだ。

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