スルバラン(フランシスコ・デ・スルバラン){プラド美術館スペイン17世紀黄金世紀の巨匠達}

 

 

スルバランはスペイン17世紀バロック期に登場した画家。同時に多くの天才画家達が登場したこの時代を17世紀スペイン黄金世紀と呼ぶ。国王フェリペ4世の時代、世界を手に入れていたスペインは宗教改革や戦争で緩やかに下り坂を迎えた。対抗宗教改革に国中が燃え上がりトリエント公会議の後の厳しい宗教裁判が行われた時代、書物だけでなく絵画に関しても検閲が行われていた。歴史的にカトリックの擁護者の国スペインでは厳しい異端審問が行われていた為画家達への注文は宗教画に限られた。唯一例外的に宮廷で肖像画と神話画が注文されている。純粋なカトリック信仰が残ったスペインの民衆も敬虔な信仰心と祈りの中で生きていた時代だった。忘れてはいけないのは当時のスペインの画家達は芸術家というより職人。身分も高くは無くただひたすら神を信じ自分に与えられた才能を真摯に作品に投影していった。

スルバラン(フランシスコ・デ・スルバラン)

1598年11月7日―1664年8月27日

 

エストレマドゥーラの小さな村フエンテ・デ・カントス(ポルトガル国境近く)に生まれる。スルバランが生まれた時エル・グレコ(1564-1616)はトレドで晩年を過ごしていたしベラスケス(1599-1660)は1年後に生まれ、ムリーリョ(1618-1682)は19歳後輩になる。スルバランとベラスケスは共にセビージャで徒弟時代を過ごしている。スルバランの父親はバスク人の商人だったが息子の絵の才能を見抜き生まれた街で絵の勉強をさせていた。15歳で今は無名のセビージャの画家ペドロ・ディアスに弟子入りした。ここでアロンソ・カノやプランシスコ・パチェコと出会ったようだ。

セビージャでの成功

セビージャの街は新世界への船が入港する華やかで豊かな時代だったが同時に一攫千金を狙う野心家も集まる荒れた街でもあった。

<16世紀のセビージャ、グアダルキビール川に入って来る船>

16世紀のセビージャ
De atribuido a Alonso Sánchez Coello – [2], Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1713560
1617年19歳で結婚しレジェーナで3人の子供が生まれ地元のエストレマドゥーラの修道院や教会から注文を受けて仕事をしている。

スルバランは次第に生まれた街では名の知れた画家になっていた。1625年に裕福な10歳年上の未亡人と再婚し彼の仕事と経済状態は良くなった。1626年にセビージャのドミニコ会の修道会からの注文で8か月で21作品を書き上げた。そのひとつが磔刑のキリスト、画家29歳の作品。この時からセビージャに移住している。

<1627年磔刑のキリスト、シカゴ・インスティテュート>

スルバラン、磔刑のキリスト
De Francisco de Zurbarán – 1. Art Institute of Chicago2. Web Gallery of Art:   Image  Info about artwork, Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15400705

この時代に磔刑図は非常に多くさまざまな画家によって描かれていてほぼ同時期にベラスケスが描いたものがプラド美術館にある。どちらの作品もベラスケスの師匠のプランシスコ・パチェコによるキリスト教図像学に忠実にキリストに穿たれた釘は4本、頭は少し右に倒れている。

<キリストの磔刑、1633ベラスケス、プラド美術館>

ベラスケス、キリストの磔刑

Cristo crucificado
VELÁZQUEZ, DIEGO RODRÍGUEZ DE SILVA Y
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

新しい修道院が次々と建立されスルバランは大がかりな作品の注文を受けるようになり成功を収めた。1628年セビージャの履足メルセス会修道院から同時に22点の注文を受けた。

<セビージャのメルセス会修道院>

セビージャ、メルセス会修道院
De © Benoît Prieur / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34597349

履足メルセル会修道院は13世紀セビージャがイスラム支配から解放されてすぐに作られた修道院でその建物が現在セビージャ美術館になっている。

その中の遺体安置所に置かれた「聖セラピオ」は傑作と言われる作品だが大変残念な事に現在アメリカのワーズワースの美術館にある。衣装の量感や質感、白い色が何度も丁寧に塗られている。一滴の赤い血も描くことなく聖人の拷問の痛ましさと殉教を表している

<聖セラピオ1629年、ウォッズワース・アーシニアム>

スルバラン・聖セラピオ
wikipedia public domain Object history
Deutsch: Urspr. im Mercenarier Kloster in Sevilla
Source/Photographer Wadsworth Atheneum

聖セラピオは13世紀のメルセル会修道士。ムーア人の捕虜となったキリスト教徒の身代わりに敵地へ行き殉教した聖人。暗闇の中で白い修道衣が光に照らされている明暗法はカラバッジオの影響。両手の指の描写や衣服のひだの量感が素晴らしい。

 

また同じ修道院の回廊の為に修道院創立者ペドロ・ノラスコの生涯というテーマで大作を描いた。静謐で禁欲的な作品は注文主の希望で当時の画家は注文主からの希望通りに忠実に描く職人だった。

<聖ペドロ・ノラスコに現れた聖ペテロ1629年、プラド美術館>

スルバラン、聖ペドロ・ノラスコの生涯
museo del prado

メルセス会修道院の創立者聖ペドロ・ノラスコの生涯。右側の聖ペドロ・ノラスコにその名前の由来になった聖ペテロが現れた。聖ペテロは逆さ十字で殉教したイエスキリストの弟子。痛ましい殉教の聖ペテロの苦しそうな目の表情のリアル、暗がりの中の聖ペドロ・ノラスコの衣装の美しい白い布地の量感が美しい。

<聖ペドロノラスコの幻視1628~29 プラド美術館>

スルバラン、ペドロ・ノラスコの生涯
museo del prado

聖ペドロ・ノラスコの幻視。上の作品と同じ聖ペドロ・ノラスコの生涯のシリーズ。左上にエルサレムの街、右側に天使が天から降りて来てエルサレムを指さしている。天使のピンクとブルーの衣装の素材感、聖人の腰から下がるロザリオが美しい。これらはプラド美術館で鑑賞できる。

1630代年はスルバランの頂点をなす時期。セビージャ大聖堂のサンペドロ礼拝堂の祭壇の制作やへレス・デ・ラ・フロンテーラのカルトゥジオ会の祭壇、グアダルーペの王立修道院に修道士たちを描いた大作を残している。

<グアダルーペ修道院の回廊にあるスルバランの作品>

 

グアダルーペ修道院
monasterio de guadaluupe
マドリードへ

セビージャで成功をおさめたスルバランは1634年マドリードの宮廷に呼ばれる。このチャンスをくれたのは友人ベラスケスだった。既にペラスケスは宮廷画家としてマドリードで活躍しており同郷の2人の画家は同じ時期にセビージャで徒弟時代を過ごしていた。マドリードでブエンレティーロ宮殿の諸王の間を飾る作品が描かれる。ベラスケスのブレダの開城を筆頭に12点の戦争画が用意されることになった。

<ベラスケス作ブレダの開城、プラド美術館>

ベラスケス、槍

Las lanzas o La rendición de Breda
VELÁZQUEZ, DIEGO RODRÍGUEZ DE SILVA Y
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

 

スルバランは1625年のカディスの街が英国軍の攻撃にさらされた時にスペイン側が追いやった歴史的勝利の場面を描いた。

<カディス防衛1634年、プラド美術館>

スルバラン、カディス防衛
museo del prado

実はこの作品の評価は低く英雄の活躍の大胆さや勝利の場面の緊迫感に欠けると言われている。スルバランは修道院で光を放つ画家だったのだ。

同じくブエンレティーロ宮の為にギリシャ神話のヘラクレスの偉業のテーマの作品群を10点制作している。スルバランの神話画も戦争画もこの時の宮廷からの注文のみで生涯にわたって宗教画を描いた画家だった。これらはプラド美術館で鑑賞することが出来る。

<ヘラクレスの牛の退治1634年、プラド美術館>

スルバラン、ヘラクレス牛退治
Hércules y el toro de Creta
ZURBARÁN, FRANCISCO DE
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

ギリシャ神話の中に出てくる長いお話でヘラクレスはゼウスが人間との浮気で生まれた子供。嫉妬をしたゼウスの正妻ヘラによって人間では不可能なとんでもない挑戦をさせられることになった。そのひとつがクレタ島の巨大な牛の退治だった。それらヘラクレスの偉業をスルバランは作品にしている。ヘラクレスの体の筋肉等人体研究がされている。

マドリードで「宮廷画家」の名を手に入れたがスルバランは翌年にはセビージャへ戻っている。

アッシジの聖フランシスコ

その後セビージャの修道士の共同体からの注文と思われるシリーズで描いたアッシジの聖フランシスコ。

<アッシジの聖フランシスコ1630-35年頃、ロンドン・ナショナルギャラリー>

スルバラン、フランシスコデアッシジ
De Francisco de Zurbarán – http://www.nationalgallery.org.uk/paintings/francisco-de-zurbaran-saint-francis-in-meditation/27646, Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=160387

上の作品とほぼ同じ物がメキシコシティーのソウマヤ美術館にある。2度目の結婚の妻が亡くなり画家になった息子も同じころペストで死亡している。画家の作品に更に深い静謐さが現れるのはこの時代。カラバッジオの明暗法の影響がみられ禁欲的な修道士の内面が感じられる。

<自分の墓にいるアッシジの聖フランシスコ、1630-34アメリカ・ミルウォーキー美術館>

スルバラン、自分の墓のアッシジの聖フランシスコ
Milwaukee Art Museum
Communications Department
700 N. Art Museum Drive, Milwaukee, WI 53202

 

(下)同じアッシジの聖フランシスコのスルバラン晩年記の作品。カラバッジオのテネブリズム(明暗法)は使わず背景に空が描かれている。衣装の擦り切れた素材感の技術が素晴らしい。

<聖フランシスコ、1659年プラド美術館>

スルバラン聖フランシスコ

San Francisco en oración
ZURBARÁN, FRANCISCO DE
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado
神の子羊

生贄として神にささげられる子羊はイエス・キリストの象徴。犠牲や従順、信仰を現す。

<神の子羊1640年、プラド美術館>

スルバラン、神の子羊
Agnus Dei
ZURBARÁN, FRANCISCO DE
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

 

足を縛られた子羊の無力さの正確な表現、神に対する従順を的確に表す。他に何も宗教的な物は描かれていないが、力なく横たわる子羊に強い信仰心を感じさせる。1640年妻と息子をペストで亡くした頃の作品。

スルバランの描く聖女たち

スルバランは単身で聖女たちを何点も描いている。それぞれ美しい豪華な衣装に身を包んでいて繊細な描写が素晴らしい作品。手にの宗教的象徴物(アトリビュート)を持ち聖人画と分かるがまるで近代の肖像画のように描かれている。当時の豪華な衣装、宗教画だと思わずファッションの特集の様に衣装の美しさも楽しめる。

 

<聖カシルダ又はポルトガルの聖イサベル1640年頃、プラド美術館>

聖イサベル
Santa Isabel de Portugal
ZURBARÁN, FRANCISCO DE
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

長い間薔薇を象徴物とする聖カシルダと呼ばれていたが最近ではポルトガルの聖女イサベルとの解釈もある。

*聖カシルダ=9世紀に生まれたムーア人の王女。父の意に反してキリスト教となり殉教した。手に持つバラの花は聖カシルダの象徴物。捕らえられた時にパンをキリスト教徒の為に持って行こうとしていたが捕まった一瞬パンがバラの花に変わった奇跡があった。

*ポルトガルの聖イサベル=ポルトガルの王に嫁いだアラゴンのイサベルは貧しい人々にいつも奉仕していたが王はあまり快く思っていなかった。貧者にパンを届けに出かけるイサベルを見つけ咎めようとした王がイサベルが衣装に隠している篭を見るとパンが薔薇に変わった奇跡があった。

<聖カシルダ1630-35、ティッセンボルネミッサ美術館マドリード>

スルバラン、聖カシルダ
De Francisco de Zurbarán – Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid, Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19491619
スペインの没落

30年戦争での戦費やペストの流行等スペインの現状は次第に画家達にも影響を与え大規模な注文が亡くなった。又新しい画家ムリーリョの登場で時代は変わって行った。スルバランの厳格な宗教感よりムリーリョの甘美なマリアの方が大衆受けしたと私は思っている。

 

<無原罪の御宿り、ムリーリョ、プラド美術館>

ムリーリョ、無原罪の御宿り
By バルトロメ・エステバン・ムリーリョ – The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=155969

 

 

セビージャの街はアメリカ大陸へ向かうガレー船が停泊する港だった事もあり新大陸向けに画家達は作品を描き始め収入源にした時代。次第に注文が減ったスルバランも1640年頃から新大陸向けの物を描き始めたその頃の物は大量生産で工房の手が入り玉石混合。

聖ウーゴの食卓と奇跡

セビージャ、グアダルキビール川の対岸にあるカルトゥジオ会修道院からの注文で描かれた「慈愛の聖母」と「聖ウルバヌス2世と聖ブルーノ」と共に描かれた一枚が「聖ウーゴと食卓の奇跡」。

<聖ウーゴと食卓の奇跡1645年、セビージャ美術館>

スルバラン、サンフーゴの奇跡
De Francisco de Zurbarán – Museo de Bellas Artes de Sevilla, Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3118429

*奇跡の物語=復活祭前のある日カルトゥジオ会を創設した聖ブルーノと仲間の修道士たちは聖ウーゴから与えられた肉を食べるか食べまいか迷っていると突然意識を失い四旬節の間眠ってしまう。聖ウーゴが45日後の復活祭に彼らを訪ねると目を覚ました修道士たちの目の前でその肉が灰に変わったという奇跡。

圧倒されるほど大きな作品で修道士たちはほぼ投身大。「今、目覚めた!」奇跡の一瞬の臨場感がある。テーブルクロスや衣装の白色の美しいトーンがスルバランらしい。食器に光が当たり素材感がスルバランの静物画の丁寧な静謐さを感じる。

スルバラン静物画

<静物画1650年頃、プラド美術館>

スルバラン、静物画

Bodegón con cacharros
ZURBARÁN, FRANCISCO DE
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

静物画というジャンルは1600年頃にフランドルとスペイン、イタリアで同時に描かれ始めた。スルバランはそこにある自然物を正確に描写しているだけでなく質素な修道院の生活を想像させ精神性をの高さ、暗い背景に浮かび上がる一直線に並んだ焼き物がまるで聖画のようなムードを讃え他の画家の静物画と一線を引く。

 

スルバラン最後の時代

1658年既に60歳の画家はセビージャでの仕事を失いマドリードに活路を見出そうとする。アルカラ・デ・エナレスのフランシス会修道院のレ・マルケの聖ヤコブ等が知られている。スルバランの最後の作品は「聖母と赤子キリストと洗礼者ヨハネ」。現在スペイン北部バスク地方のビルバオ美術館にて展示されている。

<聖母と赤子キリストと洗礼者ヨハネ1662年、ビルバオ美術館>

museo bellas artes Bilbao

画家はその2年後1664年マドリードで病死。質素な家具や衣類等の財産目録が残るそうだがかなり貧しかった。マドリードのレコレトス通りにあったコパカバーナ修道院に埋葬されたが修道院は19世紀に破壊され埋葬されていた画家の墓も行方不明。

まとめ

スルバランの作品は世界中に散らばっていてプラド美術館でさえも多くは無い。1835年にスペインで修道院永大財産廃止令が出て多くの宗教画が世界中に分散するという残念な事が有った。しかしそれによって次第に世界各地でスルバランの作品が知られ評価されるようになり後年ピカソ、クールベ、マネなどによって賛辞されている。フランシスコ・デ・スルバランは深い宗教性のある心の届く作品を残した素晴らしい画家だった。

 

聖書と絵画。絵画で読み解く新約聖書。宗教画を楽しもう。

絵画で聖書が読めたら楽しい、現在も小説よりアニメの方が好きな人も沢山いるに違いないしそれは500年前も同じだった。美術館にある宗教画は字が読めない人にも聖書がわかるように描かれた。絵画で聖書を読んでいこうという記事です。

聖書を知ったら絵画はもっと楽しい


ヨーロッパの美術館は宗教画が満載だ。でも宗教画が好きな日本人は私はあまり見たことがない。でも、ちょっとだけ知っていると美術館はもっと楽しくなります。

まずは、聖書って?


聖書はキリスト教の聖典→聖書には旧約聖書と新約聖書が有る

旧約→人類の歴史

実は分厚い聖書の75パーセントは旧約聖書で占められていて天地創造から始まる旧約は興味深いが読み解くのにはかなりの知識と忍耐が必要になる。

新約→イエス・キリストの生涯

新約聖書の方はイエス・キリストの生涯が中心で馴染ある題材の物が多く親しみやすい。

<12世紀のギリシャ語の新約聖書>

12世紀のギリシャ語の聖書
wikipedia public domain
Source Codex Harleianus 5557 (minuscule 321 in the Gregory-Aland numbering)
Author Unknown

新約聖書はギリシャ語で書かれているって知ってる?

新約聖書は当時の共通語のギリシャ語で書かれている、新約聖書は大体紀元50年から120年頃に書かれていて、聖書の中に登場する人々が話していたアラム語やへブル語ではなく、さらにすでにローマ帝国の時代だったにもかかわらずラテン語ではなくギリシャ語で書かれている。

弟子たちはこの物語がより広い世界で読まれるためにギリシャ語を選んだ。それほどギリシャ語は当時の広い世界で使われていた言語だった。

素晴らしい科学の発見を日本語で発表するより英語で論文を書く方が多くの人に読まれると考えれば理解できる。後にギリシャ語からラテン語に訳された。

このページでは新約聖書の物語をプラド美術館の絵画を中心に受胎告知やイエスキリストの誕生等をみて行きます。

 

聖書と絵画:受胎告知 


「おめでとう、恵まれたお方。主があなたと共におられます。」ナザレの大工ヨセフと婚約していたマリアの所に大天使ガブリエルが現れてこう言ったと新約聖書に記述があります。

 

受胎告知は非常に人気がある場面で様々な時代に様々な作品が描かれている。ここでは何人かの画家の作品を見ながら国際ゴシックからバロックまでを並べて時代によって絵画が変換していった様子をご紹介。

 

受胎告知

①聖母マリアが聖書を読んでいたところに天使が降りて来たので聖書が描かれる。

②マリアは驚いているか怖がっている、または恥じらっている、または受け入れている。

③純粋を現す白いユリが描かれる。

④マリアの衣装は赤い服にブルーのマント(時には逆又はほかの色なども有る)

*実は旧約聖書の「イザヤ書」に「見よ乙女が身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエル(神は我々と共におられます。という意味)と呼ばれる」という記述がありマリアはそこを読んでいた。新約聖書にはマリアが聖書を読んでいたとは書かれていなく実は初期の絵画には出てこない。11世紀頃から次第に描かれるようになってきた。

受胎告知の日は3月25日。クリスマス(イエス・キリストの誕生)の9か月前で、中世ヨーロッパで使っていたカエサル歴の一年の始まりの日だった。そのすべての始まりの日に聖母マリアは受胎告知を受けた。

 

 

<シモーネ・マルティーニ、1333年、ウフィツイ美術館>

聖母マリア、嫌がってる?

シモーネ・マルティーニはイタリアのシエナの画家で国際ゴシック期に属す。

同じ時代のフィレンツェの画家たちが現実の世界を正確に描いたのと対照的に優雅な動きや現実にはあり得ない神の世界を可視化して宗教画を残している。

この作品は板に金箔を使ったもので左側の天使の後ろ側に揺れる布地がシエナらしい優美な動き。マリアは驚いて怖がっている。

public domain
Source/Photographer The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH.

聖母が恥じらいながら振り返って「え?な、な、なんですか?」とジワリと逃げ腰な動作が感じられる。天使の衣装の後ろ側が揺れて動いているのがたまらなく好きです。

天使がユリではなくオリーブを持っているのはユリの花が政敵フィレンツェの象徴なのであえてユリは向こうに置いたという説がある。

184センチx210センチという巨大な板に描かれたテンペラ画でその前に立つだけで迫力に煽られそうになる祭壇画です。

<受胎告知、フラアンジェリコ、1425年頃、プラド美術館>

90年ほど経ったので絵画が発展しているのがわかります?

例えば遠近法が使われている、二次元の世界に三次元が描けている。

現実のフィレンツェの部屋のムードを宗教画に取り入れることでより一層物語を現実的に描いた。

フラ・アンジェリコは質素なドメニコ会修道士。その「祈る姿が美しく、キリスト磔刑図絵を描くときはうっすら涙をを流していた。」と伝えられいつも「天使のような微笑みを讃えていた」。フラ・アンジェリコの本名はグイード・ディ・ピエトロ。

フラアンジェリコ受胎告知
public domain
Accession number P00015
Source/Photographer Galería online, Museo del Prado

未だ国際ゴシックの特色を残す作品で彼の10点ほど現存する受胎告知の一枚。

左側の天使の衣装の曲線が美しく、天使が本当に今空から降りて来て衣装が揺れている。左側には旧約聖書のアダムとイブの楽園の追放が描かれている。

<受胎告知、レオナルド・ダビンチ、1472年頃、ウフィツイ美術館>

さらに50年ほど経った、50年弱しか経っていないとは思えない程の現実感。

え?よく見ると、聖母の右手が長いんです。

この絵は壁の上の方に置かれる予定で描かれ、見る人の位置を考えての事と言われている。

この作品は師匠のベロッキオとの共同作だがレオナルド20歳頃のおそらくデビュー作。

お約束通り左に天使、手にユリの花を持って右側の聖書を読むマリアに表れている。

レオナル・ド・ダビンチは科学者や発明家としても活躍をした天才で絵画で完成されたものは実は15点程で非常に少ない。完璧主義でその興味は多岐に渡りあらゆる方面で天才的だった。

 

受胎告知、レオナルド
By レオナルド・ダ・ヴィンチ – sAErNLFH1KFYmw at Google Cultural Institute, zoom level maximum, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=13514513

部屋の中で行われている場面だが遠景が綺麗に遠くまで描かれてるのは受胎告知としては珍しい。

<受胎告知、エルグレコ、1570年、プラド美術館>

エルグレコも受胎告知を沢山描いていて現存するのが14点。

今までと大きな違い?

マリアと天使の位置に注目していただきたい。他の画家達の作品はマリアが右側で天使が左側にいた。エルグレコは全ての受胎告知でこのように描いているが理由は諸説で良くはわかっていない。

 

エルグレコ、受胎告知
By エル・グレコ – [2], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27348

ちょっと、「ぽっちゃり」してません?

エル・グレコがまだベネチアにいたころの作品で、若い頃のエル・グレコはぽっちゃりした絵を描いていた。26センチx20センチのは大変小さな作品。

床の線に注目してください!

床の大理石の線で遠近法、向こうに向かって線を一つの点に向かって狭めていく透視技法。後ろの遠景にベネチアの街が見える。鮮やかな色彩もティチアーノやティントレット等の影響。

<受胎告知、エルグレコ、プラド美術館>

同じ画家の絵?というくらい描き方が変わった。

突風が起こって天使がヒュ〜っと風と一緒に降りてきた感じ、聖母はびっくりして振り返ったところ。

天上界の天使たちがまさに綺麗な音楽を奏でていて絵を見て音楽を感じるってすごいなって思いませんか。

この絵もマリアが左側です。

受胎告知、エルグレコ
This is a faithful photographic reproduction of a two-dimensional, public domain work of art.

 

受胎告知と呼ばれているが実際は聖母に神の子が宿ったその瞬間を描いたものでエル・グレコらしい美しい色で神秘の世界が描かれている。

聖母マリアのモデルはエル・グレコの奥様です。

エルグレコの聖母はいつも同じ女性がモデルで後にエルグレコの妻になったヘロニマというトレドの女性。

キリスト教徒同士だがエルグレコはギリシャ正教徒だったため正式の結婚は許されなかった。エル・グレコは受胎告知を生涯にわたって描いているがこの作品はドーニャ・マリア・アラゴン学院大祭壇画用に描かれたもので6枚の絵画で構成される大きな祭壇になる予定だった。これはおそらく中央に置かれるはずだったもの。

<受胎告知、ムリーリョ、1660年、プラド美術館>

最初のシモーネマルティーニから330年も経過した。

写真さえ超えた?

この時代の画家たちの作品は写実画どころか写真さえ超えている。現実の世界に登場しそうな程の写実の中で行われる聖書の場面を絵画に真摯に描いた。

 

ムリーリョ、受胎告知

La Anunciación
MURILLO, BARTOLOMÉ ESTEBAN
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

スペインのバロック画家バルトロメオ・エステバン・ムリーリョは南スペインのセビージャで生まれた。画面全体が薄もやに包まれたような幻想的な作品で甘美な天使や聖母マリアを多く描いた画家。

中央に精霊を現す白い鳩が飛んでいてマリアの右側に純潔を現す白いユリとさっきまで読んでいた聖書。

胸の前で手を合わせる驚きながら受け入れている風の聖母。手前に手仕事用の篭が置いてあるのはムリーリョの作品の共通点でさっきまで手仕事をしていた現実感を出している。

マリアはムリーリョの奥様

ムリーリョの聖母マリアもエルグレコと同じでいつも同一人物がモデル。聖母マリアや天使たちが甘美で美しく当時のヨーロッパで大変人気が有ったのがムリーリョの作品。

聖母マリアの問題点「えっ、問題あるの?」はい、あるんです。

聖母マリアってそんなに偉かったの?ってことが問題になっている。聖母マリアは聖書の中での扱いは少なくプロテスタント諸派は聖人化していない。

でも、人間が求めているのは許してくれる存在、女神、母性的な優しさなんです。

ユダヤ教やキリスト教の唯一神の神は厳しい父親的な神で人間にすぐに罰を与える。

スペインの各教会には美しいマリア像が人々の信仰の対象に、今もなっている。

<マカレナのマリア、セビリア>

マカレナのマリア像、セビージャ
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José Luiz Link back to Creator infobox template
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(required by the license) © José Luiz Bernardes Ribeiro / CC BY-SA 3.0

 

聖書と絵画:聖母のエリザベス訪問 


聖書に出てくる聖母が天使から受胎告知を受けたころ親戚のエリザベスも懐妊した。受胎告知の折に聖母はこれを天使から告げられる。

エリザベスは長年子供が出来ず年老いていたのでマリアは神の力に驚きエリザベスを訪問した。(ここでは日本で使われているエリザベスを使いましたがスペイン語ではイサベルです)

<聖母のエリザベス訪問、ラファエル工房、1517年、プラド美術館>

ラファエロ・サンティは若くして成功し異例なほどの大規模な工房を経営していた。37歳で死去した惜しまれる画家のひとり。マリアの画家と呼ばれたラファエルの描く聖母マリアは美しい。

聖母のエリザベス訪問 ラファエルの工房
La Visitación
PENNI, GIOVANNI FRANCESCO,ROMANO, GIULIO
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

 

工房の弟子の作品だがおそらくラファエルの手も入っているだろう。右側のマリアの美しい表情などにラファエルらしい繊細な魅力がある。背景の風景にヨルダン川で洗礼者ヨハネによって洗礼を受けるイエスキリストが描かれている。

 

聖書と絵画:キリストの誕生、羊飼いの礼拝 


聖書に「さあ、ベツレヘムへ行って主がお知らせくださった出来事を見てこようではないか!」の記述がある。

イエス・キリストが誕生したころイスラエルはローマ帝国の支配下にはいっており初代皇帝アウグストゥスの時代。「人口調査をせよ」との命令が出たので人々は自分の故郷へ帰って行った。

ヨセフはダビデの家系でその血統だったのでユダヤのベツレヘムというダビデの街へ帰って行った。すでにマリアは身ごもっており月が満ち男の子を産んだ。

羊飼いたちが群れの番をして野宿をしていると天使が現れた。「今日ダビデの街で救い主がお生まれになった。あなた方は飼い葉おけに寝ている赤ん坊を見つけるであろう」(ルカによる福音書)ベツレヘムにある家畜小屋で羊飼いたちはマリアとヨセフと幼子を見つけ天使が言ったお告げが本当だったと語り合った。

羊飼いたちの礼拝は14世紀中頃から盛んに描かれるようになった場面。

<羊飼いたちの礼拝、エル・グレコ、1612年、プラド美術館>

これはエル・グレコが亡くなる直前に描いた画家最後の作品。トレドにある小さな教会の祭壇画の為に描かれエル・グレコの葬儀がこの祭壇画の前でおこなわれた。

エルグレド、羊飼いたちの礼拝

Adoración de los pastores
EL GRECO
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

鮮やかな色彩と光の使い方に晩年のエルグレコの熟練がみられる美しい作品。現実の世界を超えた超越的な物を感じさせる。天上界の天使たちが集まって来ている。大きな工房で弟子を雇っていたエルグレコだがこの作品は隅々にいたるまで画家本人の作と言われている。

<羊飼いの礼拝、ムリーリョ、1650年頃、プラド美術館>

ムリーリョのマリアは甘美で美しく、お祝いに駆け付けた人々は当時の現実の世界にどこにでもいたであろう人々。エル・グレコの現実の世界を超越した作風と対照的。

羊飼いたちの礼拝

Adoración de los pastores
MURILLO, BARTOLOMÉ ESTEBAN
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

あえて天使のいない空間に身近なの出来事のような感じを与える。犠牲を現す羊が右にいて登場人物の視線がすべてキリストに注がれているが、左端の牛だけがこちらを向いている。

聖書と絵画、東方三賢者の礼拝 


「ユダヤの王としてお生まれになられた方はどこでしょう。東の方でその星を見たので拝みにやってきました」イエスはユダヤのヘロデ王の時代に生まれた。その時東方から3人の賢者がヘロデ王のもとに来て尋ねた。

ヘロデ王はたまたま王になっていたが本物の王が生まれると聞いて動揺し偉い学者を集めてその子がどこで生まれるかを調べさせた。と聖書の中に書かれている「ベツレヘムの馬小屋です」これは実は旧約聖書に書いてある物語。ヘロデ王は三賢者に「その子を見つけたら教えいただきたい。私も言って拝みたい。」と伝えた。

三人の賢者が出発すると東の方から星が出て彼らを導いた。そしてその星の止まった家に入ると赤ん坊のイエスが飼い葉桶の中に眠っていて捧げものとして黄金,乳香、没薬を贈った。三賢者は帰り道にはヘロデに合わずに帰って行った。

三人というのは聖書には記述は無く後からつけられた。

 <東方三賢者の礼拝、ベラスケス、1619年、プラド美術館>

 

東方三賢者の礼拝ベラスケス

Adoración de los Reyes Magos
VELÁZQUEZ, DIEGO RODRÍGUEZ DE SILVA Y
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

 

 

ベラスケス20歳頃の作品でまだセビージャにいたころに描かれた初期のもの。

登場人物のモデルはマリアが結婚した妻のファナ、幼子イエスキリストはこの年に生まれた娘のフランシスカ、手前にひざまずくのが画家ベラスケス、背後の横顔の老人が師匠のパチェーコ。絵を描くのにモデルが必要なので画家たちの身近な人々が度々モデルになった。

<東方三賢者の礼拝、ルーベンス、1628年、プラド美術館>

 

東方三賢者の礼拝
La Adoración de los Magos
RUBENS, PEDRO PABLO
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

 

ルーベンス壮年期の作品。ベルギーのアントワープ市庁舎を飾るための物だった。オランダの独立戦争の休戦協定を記念して描かれた作品で休戦の平和の喜びが画面全体に出ている。

衣装の描写も丁寧で三賢者が持つプレゼントも豪華に描かれている。右端の少し上に馬上に乗るのがルーベンス本人。この作品を後にスペイン国王が購入しスペインに渡ったあとルーベンスがスペインに再訪した折に自分を付け加えた。

聖書と絵画:エジプト逃亡


「立って、幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして貴方に知らせるまでそこに留まりなさい。ヘロデが幼子を探し出して殺そうとしている。」

ヨセフの夢に天使が現れヨセフはエジプトに逃亡、ヘロデはベツレヘムにいる二歳以下の男の子を殺したが予言によってイエス・キリストは助かった「やっぱりヨセフは偉い!」という事になっている。

*幼児虐殺は「旧約聖書のエレミヤ書」の中にも出てくる場面。旧約の出来事が予言の様に繰り返された・・・となる記述は新約聖書に多いがこの幼児虐殺はマタイによる福音書のみに出てくる場面で歴史的事実は不明。ヘロデ大王は実在した人物で紀元前4年に亡くなっている。キリストの誕生を西暦0年とすると整合性に疑問が残る部分なのです。今の歴史学者はイエスキリストが生まれたのは紀元前7世紀から4世紀の説を取っている。300年も開きがある。

 

<エジプト逃亡、エル・グレコ、1570年、プラド美術館>
エジプト逃亡、エルグレコ

La huida a Egipto
EL GRECO
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

アニメのようで愛らしい作品。風景がこれほど沢山描かれたエル・グレコの作品は珍しい。未だエル・グレコがベネチアにいたころの習作で17センチx21センチの小さな板に描かれたもの。

<エジプト逃亡、ムリーリョ、1647年、デトロイト美術館>
ムリーリョ エジプト逃亡
wikipedia
public domain

幼子イエスの顔が写実的でまさに生まれたばかりの赤ちゃん。ムリーリョ30歳頃の作品。登場する人々の衣装は17世紀の庶民が来ていた衣装をまとっている。ヨセフはたいていどの宗教画でも扱いが軽いのですがこのヨセフは随分かっこいい。

ベラスケスの初期の東方三賢者に出てくる幼児キリストと非常に似ている。

 聖書と絵画、無原罪の御宿り


無原罪の御宿りは聖書には出てこない題材でカトリック独特の信仰のひとつ。

キリスト教の考え方では人間はみな生まれながらにして罪を持って生まれてくる。旧約聖書に出てくるアダムとイブが神との約束を破って禁断の実を取って以来私たちは罪深いのです。

<エヴァ、デューラー プラド美術館>

エヴァ、デューラー
https://tabispain.com/nuevo-testamento-prado/

神の怒りは収まらず私たちはエデンの園から追放され、日々労働をしなければ食べ物を得ることが出来なくなり、女性は苦しんで子供を産み、人はみな年老いて死んでいく。

<アダムとイブの追放、ゴヤ、1771年、プラド美術館>

アダムとイブの楽園からの追放
Expulsión de Adán y Eva del Paraíso
GOYA Y LUCIENTES, FRANCISCO DE
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

 

が、マリアは母親に宿った時に既に汚れの無い「無原罪」だった。

よく誤解される「マリアがキリストを宿した時に無原罪だった」ではなく、「聖母マリアがその母アナに宿った時に無原罪だった」その御宿りをお祝いする日が12月8日となりカトリックの祝日です。

聖母マリアのお誕生日は9月25日、なので計算は合うようになっています。。

<無原罪の御宿り、ムリーリョ、1678年、プラド美術館>

無原罪の御宿りのマリアは白い服にブルーのベール。下弦の三日月がお約束ですがムリーリョは上弦の三日月にのせた。

無原罪の御宿り

La Inmaculada Concepción de los Venerables
MURILLO, BARTOLOMÉ ESTEBAN
Copyright de la imagen ©Museo Nacional del Prado

綺麗なマリア像はこの時代大変人気があり厳しい父親的な神から受け入れていくれる女神や母親的な信仰対象を求めていた人々に受け入れられていく。

 

「無原罪の御宿り」の教義に関しては度々公会議で議論され、異端になりかけたこともあった。イエス・キリストは救世主で罪なき神の子だがその母親までも罪なき人にするのはどうか・・・・、というわけです。

正式にカトリックの教義になったのは1854年ローマ法王ピオ9世の時。反宗教的な社会情勢に対抗しての策とも言われているが随分反対もあったようです。

*ちなみにこのピオ9世は史上最長のローマ法王在位の方でいイタリア統一運動やナポレオン3世や大変な時代を乗り切った。日本の「26聖人」を聖別したのはこの方です。

カトリックの国では12月8日は祝日で本来この日からクリスマスの準備が始まり12月25日のキリストの誕生から東方三賢者の日1月6日までがクリスマスとなります。この時期カトリックの国を旅行する方は祝日の注意が必要です。

宗教画の決まり事、知れば楽しく鑑賞できる聖人達のアトリビュート=象徴物

宗教画の決まり事、知れば楽しく鑑賞できる聖人達のアトリビュート=象徴物

ほんの少しの知識で美術館は何倍も楽しくなる。

宗教画、知れば楽しく鑑賞できる


今日はキリスト教の宗教画の楽しみ方をご紹介。キリスト教の宗教画には決まり事があって持っている物で誰かわかるようになっている。

この持っている物を「象徴物」=「アトリビュート」と呼ぶ。

プラド美術館の作品を中心にキリスト教の聖人達を見ていきます。

アトリビュート=象徴物

これを知っていたら絶対楽しめる宗教画

キリスト教の宗教画は苦手な方が多いかも。でもアトリビュートや決まりを抑えれば楽しく鑑賞できます。

もともとはうまく絵が描けなかった頃、聖人が誰かわかるように少しづつ決まっていった。

聖ペテロは黄色い服に鍵


黄色い服に鍵=聖ペテロ

イエス・キリストの一番弟子「ペテロ」はもともと漁師。

聖書によると

イエスはペテロに鍵を授けた。

「私についてきなさい。貴方を人間を釣る漁師にしてあげよう。」

「そして貴方をペテロ(岩)と呼びその岩の上に我々の教会の基礎を作ろう」

「貴方にこの鍵を捧げよう。天国の鍵を」

ということで彼の象徴物は「鍵」

たいてい黄色い服を着て天国の鍵を持っています。


知ってました?ローマ法王はペテロの後継者

ペテロが殉教したところが今のサンピエトロ寺院。私は貴方をペテロ(岩・イタリア語でピエトロ)と呼びその岩の上に我々の教会を…の言葉が成就したということでバチカンのサンピエトロ寺院がカトリックの総本山に。ローマ法王はペテロの後継者。


では鍵を持っている聖ペテロを見ていきましょう。

ジュゼップ・リベラ(ホセ・リベラ)の聖ペテロ

<聖ペテロ、プラド美術館>

*ジュゼップ・リベラはスペインではあまり評価されずイタリアのナポリで活躍した画家。

*カラバッジョの明暗法を継承しレアリズムの画家として人気。

*聖人を描いているのに理想像ではなく現実の人間臭い感じ。額の皺の深さにモデルはおそらくナポリの漁師。

 

エル・グレコの聖ペテロ

<聖ペテロ、トレド・グレコの家博物館>

エル・グレコはギリシャ人画家。トレドに移住してほとんど彼の注文主は教会だった。

シリーズで12弟子を描いていてそれぞれの聖人が象徴物を持っている。

 

ピーターポール・ルーベンスの聖ペテロ

<聖ペテロ、プラド美術館>

ルーベンスは画家だけでなく人文学者で外交官もやっていたエリート。

イタリアのマントバ公からスペイン王フェリペ3世へのプレゼントを抱え外交官としてスペインにやって来る。

 


こっちも聖ペテロ↓↓↓

「逆さ十字の刑」も聖ペテロ

同じく聖ペテロはローマで逆さ十字の刑にされるので逆さ十字の絵も。


知ってました?

ローマのサン・ピエトロ寺院は聖ペテロが逆さ十字に会ったところに造られた教会。


カラバッジオの聖ペテロ=逆さ十字

<聖ペテロ ローマ、バジリカ・デ・サンタ・マリア・デル・ポポロ>

エウヘニオ・カヘスの聖ペテロ=逆さ十字

<聖ペテロ トレド大聖堂>

では他の聖人達も見ていきましょう


少し女性っぽいのが聖ヨハネ↓↓↓

聖ヨハネの象徴物は「盃」


聖ヨハネ

キリストに最も愛された。

たいてい年齢も若く女性的か中性的に作品になる。

エフェソスで毒のお酒の飲まされて殺されかけたが盃が蛇になって逃げていって助かったという話から象徴物は「盃」


エル・グレコの聖ヨハネ

<聖ヨハネ プラド美術館>

聖ペテロと比べると若くて中性的な感じなのがよくわかる。

手に蛇がついた盃を持っている。

ピーターポール・ルーベンスの聖ヨハネ

<聖ヨハネ プラド美術館>

肌の色の透明感や髪の巻き毛が綺麗。

やはり手に盃を持っている

*手に盃を持っていて若い男性、ちょっと中性的か女性的だったら聖ヨハネで間違いなし。


こちらも名前はヨハネですが別のヨハネ↓↓↓

洗礼者ヨハネは毛皮と生首


毛皮を着ていたら洗礼者ヨハネ

洗礼者ヨハネって誰?

*イエス・キリストのいとこで荒野を禁欲生活をおくりながら人々に洗礼を行っていた。

*ラクダの毛皮をまとっていたので象徴物の一つは毛皮。

エル・グレコの洗礼者ヨハネ

<キリストの洗礼、プラド美術館>

エル・グレコ、キリストの洗礼のヨハネ
public domain

上作品の下半分拡大図↓

エル・グレコ、キリストの洗礼
pubic domain wikipediaより

右側の男性が腰に毛皮を巻いているので洗礼者ヨハネ。聖書の場面でイエス・キリストに洗礼を施しているところ。

エステバン・ムリーリョの洗礼者ヨハネ

<幼子の洗礼者ヨハネ・プラド美術館>

毛皮見えにくいですが背中側のあたり。

 

レオナルド・ダ・ビンチの洗礼者ヨハネ

<洗礼者ヨハネ・ルーブル美術館>

誘ってる感じですがお約束の毛皮を着て十字架を持っているので洗礼者ヨハネです。


「私が欲しいものは洗礼者ヨハネの首」

洗礼者ヨハネは首を切られて殉教したので「首」

 

洗礼者ヨハネは「悔い改めよ、天国は近づいた」と言って人々にお説教をしていた。

エルサレムの王ヘロデ・アンティパスが兄弟の妻を娶ったのを非難していた。

妻ヘロデアの娘がサロメ。

王の誕生日会でサロメがうまく踊った褒美に欲しいものは「洗礼者ヨハネの首」と言ってっ首を切られて亡くなった。

ティチアーノの洗礼者ヨハネの首

<洗礼者ヨハネの首 プラド美術館>

サロメがお盆に洗礼者ヨハネの首を持って踊っている。

カラバッジオの洗礼者ヨハネの首

<洗礼者ヨハネの首 マドリッド王宮>

やはりサロメが洗礼者ヨハネの首を持っている。


女性で赤い服にブルーのベールは絶対マリア

聖母マリア

イエス・キリストの母マリア

*基本赤い服にブルーのベール。

*おそらく12世紀頃から使われていた。

*真実や慈悲を現すブルーに血や愛を現す赤が使われる。

*その他の象徴物→純潔を表すユリ、12の星の冠や三日月など

例外はフランドル絵画ではブルーのみ又はブルーの服に赤いベールの場合もある。

19世紀にローマ法王ぴお9世により無原罪の御宿りの教義において聖母の衣装は白になる。

 

ベラスケスの聖母マリア

<聖母戴冠  プラド美術館>

エル・グレコと工房の聖母マリア

<聖母マリア プラド美術館>

フラ・アンジェリコの聖母マリア

<聖母マリア プラド美術館>

 

ブルー青は希少だった

ブルーはラピスラズリからとるのでたいへん高価なもので希少価値のあるものであったのも聖母に使うのにふさわしいと昔の人は感じたのかもしれない。

生命は海からやってきたなら命の根源を感じるからなのか様々な絵画に綺麗なブルーが使われそれを見た人間が癒されてきた。

 


アレキサンドリアの聖カタリーナ=車輪 

聖カタリーナまたはサンタ・カタリーナって誰?

*アレキサンドリアの知事の娘。

*3世紀頃当時の最高の教育を受けたカタリーナは母親の影響でキリスト教徒に。

*迫害者ローマ皇帝マクセンティウスのもとに行きキリスト教の迫害を非難する。

*手足を車輪に括り付けて転がされるという拷問を命じられるがカタリーナが触ると車輪はひとりでに壊れた。

*その後斬首刑。

カラバッジオの聖カタリーナ

<聖カタリーナ ティッセン・ボルネミッサ美術館>

カラバッジオのドラマチック感が出ていて挑戦的な視線。綺麗な赤い座布団の上には殉教聖人を現す棕櫚

棕櫚の葉は殉教聖人を表す

フェルナンド・ヤネスの聖カタリーナ

<聖カタリーナ プラド美術館>

足元に壊れた車輪。

聖ルシアは「眼」

びっくりな絵ですがシラクサの聖ルシアはディオクレティアヌスの時代キリスト教を捨てるよう強要される。のどを切っても死なないので目をくりぬかれた。ルシアはラテン語で光という意味luxから。今も光の神様。目の悪い人の守護聖人。冬至の少し前12月13日がサンタ・ルシアの日。一年で最も日照時間が短い時期に光に帰ってきてもらうためサンタルシアを祝った。

スルバランの聖ルシア

<聖ルシア・フランス・シャルトル美術館>


聖アガタは乳房

聖アガタって誰?

*シチリア島カターニアの裕福な貴族の生まれの美しい娘。

*子供の頃にカトリック教徒として神に身を捧げる決意をしていた。

*ローマの総督が彼女の美貌と財産に目をつけ求婚するが断られ腹いせに牢屋に入れ乳房を切り落とす

*祈り続けると傷が完治するがそのあと火あぶりの刑で殉教。

スルバランの聖アガタ

<聖アガタ フランス・モンペリエ・ファーブル美術館>

お盆の上に眼。

スルバランの聖女達はファッション雑誌みたいで綺麗です。


宗教画は意外と面白いのまとめ

象徴物を知っているだけで美術館の時間が楽しくなります。知らない街で知っている聖人に出会うだけで旅はもっと豊かになります。

象徴物はもっと沢山あって探していくと面白いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。