シュルレアリスムを簡単にわかりやすく説明してみた

シュルレアリスムというと最初にダリやミロの絵を思い浮かべる人が多いと思う。スペインの近代画家のピカソ、ミロ、ダリを理解しようとすると必ず出てくる言葉がシュルレアリズムだ。

シュルレアリスムは20世紀の芸術運動で無意識の世界を扱った、もともとは自動書記=オートマティスムと言って文章を自動的に描いていきそのスピードを速めるという実験から始まった。この記事ではちょっと難しいシュルレアリスムを簡単にわかりやすく解説してみる。

シュルレアリスムとは


シュルレアリスムの前にシュルレアルとは?

シュルレアルはフランス語、Surシュルは接頭語の「~の上」にと言う意味でここでは「~の上」=「超」という意味で使われている。レアルは現実なのでシュルレアルは超現実。

日本で時々広告等のキャッチコピー等に使われる「シュールな~」というとあまりにも現実から離れた非現実的な現象と言う意味だ。本来のシュルレアルというのはその逆で滅茶苦茶現実的という意味の「超現実」。「超早い」「超安い」とか「超かわいい」と言う時に使う「超」なので滅茶苦茶に現実という超現実の事をシュルレアルという。

シュルレアリスムはシュールではないのです。

という事で「シュールな世界」「シュールな絵画」など日本では奇抜で想定を超えたという意味で使われる「シュール」はシュルレアリスムの本来の意味から離れて独り歩きをしてしまった。

そしてシュール・レアリスムという言い方は間違いで正しくはシュルレアリスム。シュルレアルでひとつの単語でそれがイスム=主義という言葉が付いてシュルレアル主義。シュールで切り離さないしシュール・レアリスムではなくシュルレアリスムなのです。

シュルレアリスムは最初は文章だった

アンドレ・ブルトン

シュルレアリスト、アンドレ ブルトン
De Henri Manuelhttp://obviousmag.org/dos_vestigios_da_medusa/174breton.jpg, Dominio público, Enlace

シュルレアリスムはアンドレ・ブルトンというフランス人が始めた芸術運動。アンドレ・ブルトンは詩人で文学者で大学では医学と心理学を学んだ。

アンドレ・ブルトンは第一次世界大戦の時に精神病院で務めているが、この時の体験がシュルレアリスムの登場に大きく影響を与えているだろう。精神病院で戦争のストレスで苦しむ兵士にフロイトの精神分析の自動書記に触れ後の自動記述=オートマティスムに展開していく。

オートマティスム=自動書記とは

アンドレ・ブルトンが実験した自動書記=オートマティスムはとにかく何も考えずに文章を書く。そしてそのスピードをどんどん速くしていくと超越的な文章になって行く。余分な物が無くなって次第に物事の本質や心の深い深い部分=無意識の世界に到着する。又は超越な存在と繋がって行く、という感じだ。

理性や社会や立場や常識を取り払って人間の思考を表に出していく。私たちの考えや行動は理性や立場によっていつも拘束されているのだ。そこからの開放を目指した。

文章を書くのはシュルレアリスムだ

そういえば書くという行為自体が自動的だ。手紙にせよレポートにせよ文章を書いているときに最初から構成をすべてきちんと作って書いているケースの方が少ないのではないか。自然に自動的に頭の中にある物を組み立てて書いていくうちに文章が出来ていく、又は手が勝手に文章を書いていく感じは誰にでもあるだろう。

これは無意識の部分から泉の様に溢れてくるワードを手が書いていく作業。

そう、書くという行為は無意識とつながっているのだ。

アンドレ・ブルトンは自動書記の実験をしながらどんどん書くスピードを速くする実験をしてその文章を発表した。そしてシュルレアリスムが始まった。

フロイトの影響

アンドレブルトンが第一次世界大戦で精神的に壊れた兵士の治療にあたりフロイトの精神分析に出会っている。当時フランスではフロイトは未だあまり知られていなかった。

個人の意識より無意識や夢、偶然性などを重視したフロイトの無意識の世界がシュルレアリスムに大きく影響を与えている。

アンドレ・ブルトンが自動記述で書いた溶ける魚

1924年にブルトンがシュルレアリスム宣言と共に刊行した作品。自動記述で書いていったものが刊行された。内容はブルトンの記憶の泉から湧きだした物語。

シュルレアリスムの絵は大きく分けると2種、ミロ型とダリ型⇚私が勝手に分けました

*ミロ型*

自動記述を利用し自意識が介在出来ない状況下で絵を描き無意識の世界を表現。具象的な物が無く記号的なイメージで抽象画に近づいていく。

ミロの壁画
wikipedia Public Domain

*ダリ型*

不条理な世界やあり得ない組み合わせを写実的に絵に描いた。夢や無意識の世界でしか起こらない奇妙な世界を様々な作品にした。

サルバドール ダリ 
wikipedia Public Domain

シュルレアリスムは絵画だけではなく本や映画や彫刻や写真等幅広い芸術作品になっている。

シュルレアリスムまとめ


ダリやミロ等の絵画からシュルレアリスムを理解しようとする場合が多いと思うが絵から入るとなぜこんな不思議な作品を画家が描いたのか悩む。本来は文章から始まり自動記述を理解すると何故シュルレアリスムの絵画があの様な不思議な作品になって行ったかが理解できる。

シュルレアリスムを理解するのに無意識や自動記述は避けて通れない事柄なのです。芸術家たちがもっと深い深い所へ、遠い世界へ到達しようとした作品がシュルレアリスムの絵や彫刻や映画になった。

旧約聖書に挑戦⑤バベルの塔の物語、こうして人の言葉はバラバラになったのです

旧約聖書の創世記11章1節から9節に出てくる短いお話がバベルの塔の物語。ノアの箱舟の後の人間たちが登場し非常に難解で解釈も様々だ。

旧約聖書の創世記バベルの塔の物語


旧約聖書、創世記のバベルの塔

バベルの塔、ブリューゲル
By ピーテル・ブリューゲル – Levels adjusted from File:Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Tower_of_Babel_(Vienna)_-_Google_Art_Project.jpg, originally from Google Art Project., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22179117

この物語は絵画やテーマやゲームでも聞いた事がある人が多いのではないか。旧約聖書の創世記のノアの箱舟の物語の後に続く短い物語だ。バベルと言う名前はへブル語で混乱を現す言葉から来ているそう。

旧約聖書バベルの塔はノアの箱舟の後の物語

洪水の後神は人間に約束をされた。「私はもう二度と洪水を起こさない。産めよ増えよ地に満ちよ」

そしてそしてノアは洪水の後350年生き950歳で神に召された。

バベルの塔の聖書部分

聖書を読んでいこう<旧約聖書創世記第10章>

ノアの子セム、ハム、ヤぺテの系図は次の通り。洪水の後彼らに子が生まれた。

ヤぺテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤリン、トマル、メセク、テラス。ゴメルの子孫は・・・と延々と名前が続き、人間が増えて洪水の後様々な土地に分かれて住んでいた。

バベルの塔の絵
wikipedia Public Domain

<旧約聖書創世記第11章>

全地は同じ言語で同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得てそこに住んだ。

彼らは互いに言った。

「さあ、レンガを造って火で焼こう」

こうして彼らは石の代わりにレンガを得て、漆喰のかわりにアスファルトを得た。

彼らはまた言った。

「さあ、街を造り塔を建てよう、その塔の先がを天に届くほどの。そして我々は名を上げて、全地の表に散るのを逃れよう。消え去ることが無いように」

神は降りて来て人をバラバラにして多言語にした

バベルで混乱する人間の版画
wikipedia Public Domain

時に神は降りて来て人の子たちの建てる街と塔を見て言われた。

「民はひとつで、皆同じ言葉である。彼らは既にこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはやこのままでは済まないであろう。さあ、我々は下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」

こうして神は人をすべての地に散らされたので彼らは街を造るのをやめた。これによってその街の名はバベルと呼ばれた。神がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。

旧約聖書バベルの塔の解釈

バベルの塔の解釈は「人間が塔を造り神に挑戦しようとしたので神は塔を壊した」というのが一般的な解釈。

今では実現不可能な計画の事をバベルの塔という。

バベルの塔は歴史?

バベルの塔の話は神話とする説が支配的だ。そしてバベルの塔という言葉は聖書には出てこない。

「人はそこに街と塔を築いた。街の名はバベル」

というのが聖書の記述だ。

バベルはヘブライ語で「ごちゃまぜ」という意味、アッカド語では「神の門」を意味するという。

バベルの塔があった場所は?

旧約聖書でバベルと呼ばれた場所は現在のイラクの首都バグダッドの南に位置していて後にバビロンを呼ばれる。この地域にはジグラットと呼ばれる巨大な遺跡が発見されておりバベルの塔はジグラットだったと考えられている。

ジグラット

シュメール人たちは元々山岳に住んでいた。彼らが平地に降りて来たときに高い所で祈れるように神殿を造ったという説がある。

チグリス・ユーフラテスの両河にはさまれる肥沃な土地はメソポタミアと呼ばれ世界最古の文明の地だ。メソポタミアはギリシャ語で両河の間という意味だそう。

河によってもたらされた肥沃な大地だがこの大河は度々氾濫を起こし激しい洪水をもたらした。

洪水に備える高い塔=ジグラットを造ったという説は納得が出来る。

バベルの塔は7階建て

ある説ではバベルの塔は7層で高さ90メートル、最上階には神殿があった。バベルの塔の7層は各曜日を示しておりその曜日が太陽の周りを廻る惑星と対応していたという。

もしかしたらこれがバベルの塔かもというのがある

バビロンにあるエテメンアンキのジクラットは一辺が90メートルの正方形、高さも90メートルという巨大な建築物。このジグラットの内部に焼きレンガやアスファルトが使われていてこれこそが旧約聖書に出てくるバベルの塔という説がある。紀元前7世紀ネブカドネザル2世の時に完成した。

バベルは歴史か神話か

バベルの塔がジグラットなのはどうやら信憑性がありそうだ。物語は後からついてきたとしても。今も沢山のジグラットが残るという。これらのジグラットは後にペルシャの征服とアレキサンダー大帝の遠征で廃れていったらしい。

聖書はこの辺りから実在した歴史上の王や街や史実との関わり合いが現実化して来たがいまだ謎は多い。

旧約聖書の創世記はこの後多くの子孫が生まれそしてアブラハムが生まれる。

 

旧約聖書に挑戦④洪水の物語とノアの箱舟

この「旧約聖書に挑戦」では①創世記の天地創造から②アダムとイブの楽園追放、③ではカインとアベルの物語で人類の最初の殺人事件が起こった。そしてここでは④洪水の物語を扱います。このノアの箱舟の洪水の物語は旧約聖書の創世記の中で初めて史実と関連付けられており考古学者たちの好奇心を長い間刺激し続けている。

旧約聖書、洪水の物語とノアの箱舟


旧約聖書、洪水の物語

旧約聖書の創世記、アダムとイブの物語で神はこの世には悪が力を増したと告げる。アダムとイブの息子のカインは弟アベルを殺し人類最初の殺人事件が起きた。その後人間は増えていくが悪がこの世にはびこり神はそれらの悪を洗い流すため大洪水を起こされた。

旧約聖書アダムとイブの子孫たち

アダムとイブの最初の2人の子供がカインとアベル。アベルはカインに殺されカインは神に追放された。アダムとエバは再び子供を授かり何世代もの後にその子孫たちは世界中に満ちた。しかし世の中は乱れ暴虐に満ちた。全ての人が道を乱していた。

神は深く嘆き

「私が造った人間たちを滅ぼしてしまおう。動物も鳥もすべて。あれらを造った事を私は後悔している」

旧約聖書、神の心に叶う男ノア

ノアの箱舟、動物たちの乗船
De Edward Hicks, American, 1780 – 1849 (1780 – 1849) – Artist/Maker (American)Nació en: Langhorne, Pennsylvania, United States. Murió en: Newtown, Pennsylvania, United States.Detalles del artista en Google Art Project – aQFz9qNv8QS26Q en el Instituto Cultural de Google resolución máxima, Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21886421

そんな邪悪な世界でただ一人の男だけが神の心に叶う者だった。

その男の名はノアといった。

神はノアに言われた。

「私はこの世界を洗い流してしまうつもりだ。お前は特別な船を造りなさい。大きな箱の形をした船を。船は糸杉の木で作り中に沢山の部屋を造りなさい。内側と外側はアスファルトで塗り3つの階を造り横に扉をひとつ付なさい。この地上の物は全て滅ぼされるが私はあなたと特別な契約を結ぶことにする」

ノアは神が言われた通りにした。

神はまたノアに言われた。

「私はあなたと契約を結ぼう。あなたはあなたの妻と子供、子の妻達と共に箱舟に入りなさい。全ての生き物の中からつがいを箱舟の中に入れてその命を保たせなさい。全ての種類の生き物が再び地で産み育つように」

ノアはその通りにした。

洪水が起きる

システィーナ礼拝堂の大洪水の天井画、ミケランジェロ
wikipedia Public Domain

 

ノアは家族と動物、鳥たちと共に箱舟に入った。7日の後に洪水が始まった。

洪水が起こったときノアは6百歳だった。雨は40日間昼も夜もやまずに降り続き水は山を覆った。地上の動くものすべて、鳥も家畜も獣も地に這う物も、全ての人も皆滅びこの世から拭い去られた。

水は150日間にわたり地上にみなぎった。

ノアと共に箱舟に守られたものだけが助かった。

神はノアを忘れなかった

何日も過ぎた後、神は風を送られた。嵐の雲は吹き散らされ水はゆっくりと引いて行った。

水が地から引いて150日の後の7月17日、箱舟はアララトの山にとどまった。水は更に引いて10月になり山々の頂が見える様になった。

40日経ってノアは箱舟の窓を開いて渡りカラスを放った。渡りカラスはあちらこちらへ飛び回った。

それからノアは鳩を放った。鳩は足を止めるところが見つからずに箱舟のノアの所へ戻って来た。

それから7日経ってノアは再び鳩を放った。鳩は夕方になってノアの元に戻って来るとオリーブの若葉をくちばしにくわえていた。

更に7日待って鳩を放ったところもうその鳩はノアの所には戻ってこなかった。

数日が過ぎ水は更に引きノアは周りに土を見る事が出来た。

神はノアに言われた。

「さあ、お前と妻、息子とその妻たちは箱舟から出るがよい。そして全ての動物と鳥を自由にしてやりなさい。そうすれば彼らは子を産み地に広がって行くであろう」

そしてノアはそのようにした。

約束の虹

約束の虹
wikipedia Public Domain

それからノアは祭壇を築き洪水から守ってくださった神に感謝をした。

神は喜ばれノアに約束された。

「もう2度とこのような形で世を滅ぼしたりしない。人は弱く、悪の誘惑を退けられない事を私は知っている。約束しよう、この世が続く限りいつも種をまくときが有り、収穫の時があることを。寒いときも暑いときも、夏も冬も昼も夜もあることを。生きとし生けるものはこの言葉を信じて良い。だから、産み、育て、この地を生き物で満たすのだ。約束のしるしとして、私は大地に虹をかけよう。空が雲に覆われて暗いとき、虹のアーチがかかったなら、それは私が言った事を覚えているという印である。全ての生き物と人への約束を私は決して忘れないし破らない」

おなじ虹を見ても

私はこの旧約聖書の部分が好きだ。旧約聖書のこの部分を知っていれば虹を見るたびに神の約束を思い出すだろう。「ああ綺麗な虹が出ている」で終わるより「旧約聖書で神は人間をもう苦しめないと約束してくれた虹が出ている」と思って虹を見ると随分深いものがある。

旧約聖書創世記ノアと神との契約

神はノアとその子らを祝福して言われた。

「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這う全ての物、海の全ての魚は恐れおののいて、あなた方の支配に服し、すべての生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。先に青草をあなた方に与えたように、私はこれらの物を見なあなた方に与える。しかし肉を、その命である地のままで、食べてはならない。あなた方の命の血を流すものにあ、私は必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟であるひとにも私は人の命の為に、報復するであろう」

「私があなた方とたてるこの契約によりもはや二度と洪水は起こらない。これはあなた方およびあなた方と主にいるすべての生き物との間に世々限りなく、虹は私が立てる契約のしるしである」

洪水の話は歴史なのか神話なのか

実は似たような洪水の話は古代のあらゆるところに残っているという。その洪水伝説のなかで旧約聖書の洪水の物語と共通点が多いのがバビロニア神話のギルガメッシュ叙事詩。

ギルガメッシュ叙事詩は紀元前3000年頃にメソポタミアで書かれており世界最古の物。旧約聖書より2000年位前に書かれた物語だ。

箱舟のサイズは黄金比

ノアの箱舟のサイズの比率は30:5:3.これは旧約聖書に記述されている具体的な数字。この比率は今も大型タンカー等を造る時に使う最適な比率であるというのは驚きだ。

ノアの箱舟が着いた山は?

旧約聖書、創世記にはノアの箱舟が着いたアララトの山は古代アルメニアの地域にあると記されている。現在のトルコにアララトという山がありそこがノアの箱舟が着いた所だという説が最も有力だ。

ノアの箱舟が発見された?

長い間多くの探検家がノアの箱舟を探していた。2010年に中国とトルコ探検家チームがトルコのアララト産の山頂付近で船の木片を発見したと発表している。表九400メートル地点で発見された構造物で炭素年代測定を行ったところ4800年前の物と確認されたらしい。

旧約聖書ノアの箱舟まとめ

どうやら洪水があった事は事実。だが地球規模の洪水ではなく地域的な洪水が何度か起こってその物語が様々な民族で継承されていたのに違いない。箱舟の遺構が本物なら巨大な船を作る技術や多くの動物と150日間も箱舟で生活できたのかと疑問はまだまだ残る。

旧約聖書に挑戦⑤バベルの塔の物語、こうして人の言葉はバラバラになったのです

 

 

 

旧約聖書に挑戦③カインとアベルの物語

旧約聖書に挑戦③はカインとアベルの兄弟の物語。小説やドラマに取り入れられるこの物語は人類最初の殺人事件だ。人間の神への愛や嫉妬、嘘や罪と罰がテーマになっている。

旧約聖書、カインとアベルの物語


カインとアベルはアダムとエバの息子たち

アダムとエバは楽園を追放されたあと子供を授かった。兄カインが生まれた後弟アベルも生まれた。カインは土を耕すものになりアベルは羊を飼うものとなった。

時が立ちカインとアベルは神に捧げものをする。兄カインは地の産物を神に捧げ、弟アベルは羊の群れの中の初子の最も肥えた物を捧げた。

神は不公平

神はアベルとその捧げものを喜ばれたがカインとその捧げものは喜ばれなかった。カインは憤りそして顔を伏せた。

神はカインに言った。

「なぜ顔を伏せるのですか?正しい事をしているのでしたら顔を上げなさい。もし正しい事をしていないのでしたら罪が門口に待ち伏せをしています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」

嫉妬したカインはアベルを誘って出かける

カインは弟アベルに言った。

「さあ野原へ行こう」

カインとアベル、ルーベンス
wikipedia Public Domain

 

そこでカインはアベルを襲った。これが人類最初の殺人事件。

神はカインに言われた。

「あなたの弟アベルは何処にいますか?」

カインは答えた。

「知りません。私が弟の番人でしょうか?」

カインとアベルの15世紀の絵
Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=431380

神は言われた。

「あなたは何をしたのですか?あなたの弟の血の声が土の中から私に叫んでいます。あなたは呪われこの土地を離れなければなりません。この土地はあなたの手から弟アベルの血を受けたからです。あなたが土地を耕しても土地はもはやあなたの為には実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」

カインは追放される

カインとアベル
museo del Prado

カインは神に言った

「私の罰は重くて背負いきれません。あなたは私をこの土地から追放されました。私は地上の放浪者となり私を見つける人は私を襲うでしょう」

神は言われた。

「いや、そうではない。誰でもカインを襲うものは7倍の復讐を受けるでしょう」

神はカインが襲われないように彼に印をつけられた。そしてカインはエデンの東、ノドの地に住んだ。

カインの子供が生まれ子孫が増える

カインは妻を持ち子供が生まれた。その子の名前はエノクといった。エノクに子供が生まれその子にも子供が生まれた。

 

カインの子孫が全ての職業の元

カインの子孫が物を造る職業人の祖先となったと旧約聖書にある。

カインの子孫が築いたエノクの街に3人の兄弟がいた。トバルカイン、ヤバル、ユバル。それぞれ鍛冶屋、遊牧民、音楽家の祖先。

カインと言う名前も鍛冶屋鋳造者を意味する。

 

アダムにも再び子が生まれた

アベルは殺されカインは追放された。2人の息子を失い悲しみに暮れるアダムとイブに神は子を授けた。その子の名前はセツといった。アダムはその他に2人の子供を得て930歳まで生きた。その後9代後にノアが産まれた。

理解に苦しむカインとアベルの物語

この物語の意味や教訓は何だろう。

カインも神に捧げものをしたのに何故神はカインの捧げものを喜ばなかったのか。心理学ではカイン・コンプレックスという言葉も有る。親からの愛情の差による兄弟間の嫉妬の事だ。

アベルは持っている物の中で一番良いものを神に捧げたがカインの贈り物はそうではなかった。「顔を伏せた」とあるのは心にやましい何かがあった、神に捧げたものが一番良いものではなかったのかもしれない。

旧約聖書に挑戦④洪水の物語とノアの箱舟

一神教の神はキビシイ、そしてすぐ怒るし不公平なのだ

旧約聖書の神は人間を罰して追放するのだ。アダムとエバをエデンの園から追い出した時もそうだった。大体最初から不公平で理不尽だ。

旧約聖書の神は完ぺきではないのだ。すぐに怒るし、だいたい不公平でやる事が理不尽だ。

でもその後どうやら人間にチャンスは取っておいてくれるようで、聖書によるとその後の人類は追放されたアダムとイブの子孫と、これも追放されたカインの子孫なのだから。

ここに「日本人と神」と「キリスト教徒(ユダヤ教徒、イスラム教も含め)と神」の関わり合いの違いがあり、考え方の違いの根本があるかもしれない。

 

旧約聖書に挑戦②エデンの園の物語ーアダムとイブは神と共に暮らしていたんです

旧約聖書の最初の5つの章はモーゼ5書と呼ばれモーゼが書いたと伝えられている。実際は異なる時代の合成文書であるという説もあるようで今も謎の世界だ。旧約聖書の創世記は天地創造から始まりエデンの園やノアの箱舟等のどこかで聞いたことがあるお話。このページではエデンの園のアダムとイブの物語を楽園追放までを読み物にしてみた。

旧約聖書エデンの園の物語


旧約聖書の創世記2番目のお話はエデンの園

旧約聖書の創世記の天地創造で神は7日間をかけて世界と人間を造り1日休まれた。

下の絵はプラド美術館にあるボスの快楽の園両側の木の扉を閉めた状態。天地創造の地球、植物が創られ始めたところ。

ヒエロニムスボスの快楽の園
By ヒエロニムス・ボス – Originally uploaded to the English Wikipedia by w:User:Blankfaze., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=148810

旧約聖書ーそして神は人間を造った

神が世界を造ったときそこには植物は無く雨も降らず耕す人もいなかった。神は土を手に取り人間を造った。神はその鼻に息を吹き込むとその男は生きた。

神は東の方、エデンにひとつの園を設けて造った人をそこに置かれた。神はエデンの園に「見ると美しく食べるとおいしい木」を土からはえさせ、さらに園の中央には「命の木と善悪を見分ける知恵を与える木」をはえさせた。

神はそこが彼の家になるようにして男に言われた。

「この園の世話をしなさい。ここはお前が必要な物を何でも与えてくれるであろう」

「だがひとつだけ、やってはいけない事が有る。この善悪を知る木の実だけは食べてはならない。この実を食べると死んでしまうだろう」

それから神は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。彼に合う助けてを与えよ」そこで神は土を手に取り全ての動物と鳥とを形作られた。

神はそれらを男のもとに連れて来てそれぞれに名前を付けるように言われてた。そこで男は全ての動物と全ての鳥に名前を付けたがそれらの中には男の仲間になり助け手になる物はいなかった。

そこで神は男を深く眠らせ、彼が眠っている間にそのあばら骨を取りそこから女を形作られた。男は神が造られた女を見た時、自分が本当の助け手を得たことを知った。

下の絵はプラド美術館にあるボスの快楽の園の部分、神がアダムにエバを合わせた場面。

ヒエロニムス・ボスのエバの創造
By ヒエロニムス・ボス – Galería online, Museo del Prado., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45147809

「ああ、私はやっと自分と同じ種類の物を見つけた。これは私の骨の骨、肉の肉。男から取ったものだからこれを女と名付けよう」

男は女と一緒にいる事が嬉しくてたまらなかった。ふたりとも裸であったか恥ずかしいとは思わなかった。

下の絵は同じくプラド美術館のボスの快楽の園の左側部分。様々な生きとし生ける生き物と神とアダムとイブが描かれている。

ヒエロニムスボス、快楽の園部分
By ヒエロニムス・ボス – Galería online, Museo del Prado., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45147809

旧約聖書ーエデンの園、禁断の実

蛇は神が造られたこの世の物でもっともずる賢い生き物だった。ある日園の中で座っている女に蛇は近づいて囁いた。

「ひとつ聞きたい事が有るのです。神様はこの園のどの木の実も食べてはいけないとおっしゃったのですか?」

女は答えた「どの木の実を食べてもいいのよ。園の真ん中にある木の実以外はね。死んでしまわないように」

蛇は声を出さずに笑って体を震わせた。「それは本当の事ではないよ。神様は貴方たちを騙すためにそういわれたのさ。あなたたちがこの実を食べたら善悪を知って神の様になってしまうからね」

女は木の実を見た。すると木の実は大変美しく、見つめているうちに神の様に賢くなるって素晴らしいと思えてきた。

彼女は木の実を取って食べ、男にも与えた。

その実を食べたとたんに彼らは自分が裸であることが恥ずかしいと思いイチジクの葉を取って腰を覆った。

下の絵はプラド美術館にあるドイツのデューラーのアダムとイブ。イブの横に禁断の実と蛇が描かれている。

デューラーのアダムとイブ
Galería online del Museo del Prado de Madrid
wikipedia Public Domain

夕方になって神は園に来られた。男と女は木の間に隠れた。

神は2人を探しに来られ「お前たちはどこにいるのだ?」と大きな声で呼ばれた。

男は「いらっしゃるのが判ったので隠れました。裸でしたので」

神は悲しい声で「お前たちが裸だと誰が言ったのか?お前たちはあの禁じられた木の実を食べたのだね」

男は神に

「女が私にあの木の実をくれました」

神は女に聞いた

「なぜそんな事をしたのか?」

女はうなだれて答えた

「蛇が私を騙したのです」

旧約聖書ー楽園追放

ギュスターブ・ドレ楽園追放
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=81967

神は蛇に言われた。

「お前はこの事をしたので全ての生き物の中で最も呪われる。お前は腹で這い歩き一生チリを食べるであろう。私はお前と女に恨みを置く。人々はお前を忌み嫌いお前の頭を踏み砕き、お前は毒のある歯で人の踵に噛みつくであろう」

次に神は女に言われた。

「お前は苦しまなければならない。私はお前の産みの苦しみを大きくする。あなたは夫に従い彼はあなたを治めるであろう」

最後に男に言われた

「あなたは私が食べてはいけないといった木の実を食べたのであなたは一生苦しんで地から食べ物を取る。収穫を得る為に辛く苦しい労働をしなければならない。地は茨とアザミを強くはびこらせお前の必要な植物を枯らそうとする。辛く苦しい労働の一生が終わるとお前の肉体は土に帰るであろう」

アダムという名の男は妻の名をエバと名付けた。

神はアダムとエバに動物の皮で作った服を与えエデンの園から彼らを追放させた。

それから園の東に羽の生えた生き物ケルビムと燃える剣を据えられた。

もうこれで誰も命の木に近づくことは出来なくなった。

旧約聖書に挑戦③カインとアベルの物語

旧約聖書エデンの園の物語最後に

旧約聖書に挑戦します。難解で長文の旧約聖書、内容は人類の創造から始まって読み進めると意外と面白い物語になっている。分厚い旧約聖書を手に取るチャンスがある人は少ないかもしれないがヨーロッパ旅行をするなら少しだけ知っていると絵画等の理解にとても役に立つ。

旧約聖書に挑戦①創世記の天地創造の物語。神は7日間かけて世界を造って休まれた。

旧約聖書はユダヤ教徒とキリスト教徒の聖典である。旧約の約は約束の約で神との約束の書。ユダヤ教徒にとっては唯一の聖書で旧約という言葉はキリスト教徒が付けた名前。

旧約聖書は39巻によって構成されていてイエス・キリストが生まれるより400年位前までのイスラエルの歴史が書かれている。この旧約聖書を少しずつ解りやすくまとめてみる事にした。この記事では旧約聖書の最初の天地創造を読みやすい物語にしてみた。

旧約聖書の天地創造


旧約聖書、はじまりは天地創造の物語

旧約聖書の天地創造は聖書を開くと最初のページに書かれている物語で神が6日間かけて地球の色々や人間を造り7日目に休んだと書かれている。

人間は古くから世界のすべてがどのようにして始まったのかを理解しようとした。その疑問に答えを与えようとしたのが旧約聖書の天地創造だ。

旧約聖書、創世記の天地創造を読んでみる

旧約聖書、創世記第一章

初めに神は天と地を創造された。地は形なくむなしく闇が淵の表にあり神の霊が水の表を覆っていた。

1日目-光

神は言われた。「光あれ」すると光ができ神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け闇を夜、光を昼と呼ばれた。夜が過ぎ朝が来た。1日目が終わった。

2日目ー空と水

それから神は言われた。「水の間に大空があって水と水を分けよ。」そのようになった神はその大空を天と名付けた。夕となり朝となった。第2日目が終わった。

下の写真はヒエロニムス・ボスの快楽の園、扉部分を閉めた状態。創世記の天地創造の人間が作られる前の世界だと言われている。

ヒエロニムスボスの快楽の園
By ヒエロニムス・ボス – Originally uploaded to the English Wikipedia by w:User:Blankfaze., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=148810

神はまた言われた。水はひとつの所に集まり乾いた土地が現れるように。神はその乾いた地を陸と名付け水の集まったところを海と名付けられた。神は見て良しとされた。

3日目ー植物

神はまた言われた。全ての種類の実がなる果樹を地にはえさせよ。そしてそのようになった。地に植物が生まれた。夕となり朝となった。第3日目が終わった。

下写真はミケランジェロの水と大地の分離・システィーナ礼拝堂。サンピエトロ寺院のミケランジェロの天地創造の部分。

システィーナ礼拝堂の天地創造
By ミケランジェロ・ブオナローティ – Web Gallery of Art[1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1551130
4日目-太陽と月と星

神はまた言われた。空に昼と夜を分け、1年の季節を分ける光があるように。そしてそのようになった。神は昼を照らすように太陽を創られ夜を照らすように月を造られた。神は星も造られた。すべてが良かった。夜が過ぎ朝が来た。4日目が終わった。

下の写真はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画の天地創造、太陽、月、植物の創造。

ミケランジェロ天地創造、星と月

5日目-水と空の生き物

神は言われた。「水には生き物があふれるように、空には鳥たちが群がるように」神は海の生き物とあらゆる種類の鳥を造られた。何もかもが良かった。夜が過ぎ朝が来た。5日目が終わった。

6日目-人間

神は言われた。「何もかもすべて良いのこの世界の世話をする人間を作ろう」人は神に似たものに造られそこに住むために神は美しい世界を与えられた。神は喜ばれた。夜が過ぎ朝が来た。6日目が終わった。

このようにして宇宙のすべてが完全になった。

7日目-休息

7日目までにすべてを終えられ神は休息された。神は7日目を祝福されその日を他の日とは違った特別の日とした。

 

旧約聖書の創世記はいつ書かれた?

いつ旧約聖書の創世記が書かれたかは聖書には書いてないが紀元前1440年から1400年頃。イスラエル人がエジプトを脱出してモーセの死までの期間だと言われている。

旧約聖書の創世記は誰が書いた?

旧約聖書の中の創世記から申命記までの最初の5巻は「モーセ5書」と呼ばれモーセによって書かれたと考えられている。創世記以外のモーセ5書はモーセが生きた時代の出来事でモーセが記したと考えられているが創世記については未だモーセは生まれていない。へブル人の記録が粘土板に残されていたものや霊感で神から与えられたものを書いたのではと考えられている。旧約聖書のモーセ5書をモーセが書いたを否定する学者もいて今だ謎。

旧約聖書に挑戦②エデンの園の物語ーアダムとイブは神と共に暮らしていたんです

旧約聖書の創世記、天地創造まとめ

これが旧約聖書の一番最初に書かれている天地創造。神が7日間かけて世界を造り人間を造って休まれた。だから1週間は7日間で日曜日はお休みなのです。旧約聖書の創世記の天地創造は様々な絵画の主題にもなってるので身近に感じられるテーマ。

マドリード・アトーチャ駅の解説書、新幹線乗り場やメトロとの連絡口、空港行きエクスプレスバスの乗り場を図解入りで説明

アトーチャ駅はマドリードからスペイン新幹線AVEや各種特急、マドリードの空港ターミナル4と市内を繋ぐセルカニアス(国鉄近郊線=Cercanias)、メトロ(地下鉄)等が集まるマドリードの中心的な駅。マドリードの空港行き24時間バスもアトーチャ駅から出発する。旅する人が判りやすいようにアトーチャ駅の解説書を作ってみた。長い記事なので目次から必要な項目へジャンプできます。

マドリード・アトーチャ駅の場所と構造


アトーチャ駅の場所

アトーチャ駅の場所はマドリードの南寄りにありプラド美術館から約1キロ南、徒歩15分の非常に便利なところにある。

メトロ、スペイン国鉄近郊線セルカニアス、路線バスとスペイン新幹線が乗りいれていてアクセスは抜群だ。

<アトーチャ駅場所>

マドリード、アトーチャ駅
筆者作成

アトーチャ駅の構造

アトーチャ駅はかまぼこ型の駅舎で1992年まで現在植物園の所まで鉄道が入っていた終着型の駅舎。

写真下、旧駅舎は現在植物園になっていて飲食店や切符売り場等がある。1992年までここまで線路が入っていたのだ。

この写真はアトーチャ駅2階の入り口から撮ったもの。写真の奥の明るいアーチが見える所から外に出るとソフィア王妃芸術センターが正面に見える。

<アトーチャ駅旧駅舎>

アトーチャ駅構内
筆者撮影

下図を見ていただくとアトーチャ駅のかまぼこ型というのが理解できると思う。図の右下の方の赤い字<出入り口0階>から外へ出たらソフィア王妃芸術センターが道路の向こうに見える。

上の写真は下の図の左にある赤い字<出入り口2階>からソフィア王妃芸術センター側の出口に向けて撮ったもの。

<アトーチャ駅構造図>

アトーチャ駅構造
筆者作成

下の写真はソフィア王妃芸術センター側の入り口、ここから入ると植物園になっている旧駅舎の中に入る。

<アトーチャ駅入り口>

アトーチャ駅
筆者撮影

アトーチャ駅は3階建て

アトーチャ駅建物内部は3階建てで、下の図の様に0階1階2階となっている。

<アトーチャ駅構造図>

アトーチャ駅構内図
筆者作成

スペイン新幹線AVEに乗るホームは全て0階だが待合室に入る出発口すなわち手荷物検査場が2か所、行先によって0階と1階に分かれている。

*0階=トレド、バレンシア等

*1階=バルセロナ、コルドバ、セビージャ、マラガ等

手荷物検査を受けた後待合室で待つ。待合室に無料トイレとカフェ等がある。

新幹線出発時刻の30分程前にゲートが発表されるのでそこでもう一度切符のチェックを受けてホームへ移動する。

上の構内図、左下の方からメトロとセルカニアス(国鉄近郊線)に0階で繋がっている。

上の構内図、左上の方に空港行き24時間エクスプレス・バスの乗り場がある。

 

アトーチャ駅に乗り入れているメトロ、セルカニアス、AVE、空港行きバス


アトーチャ駅には①メトロ②スペイン国鉄近郊線Cercaniasセルカニアスと③スペイン新幹線AVE、④24時間空港バス乗り場がある。

それぞれを詳しく説明していきます。

メトロは1号線のアトーチャ・レンフェ

メトロは青い線1号線、Atocha Renfeアトーチャ・レンフェという駅。1号線ソル駅(SOL)から4つ目のAtocha Renfeアトーチャ・レンフェがアトーチャ駅。

<マドリード、メトロAtocha Renfe>

アトーチャ、メトロの駅
筆者作成

メトロ1号線のアトーチャ・レンフェのメトロの駅と鉄道のアトーチャ駅とは構内で繋がっている。写真下の赤い矢印の先の方にメトロのアトーチャ・レンフェの改札口がある。

<アトーチャ駅構造図>

アトーチャ駅
筆者作成

 

マドリードのメトロは各駅にエレベーターが設置されているのでスーツケースがあってもアクセスは問題なし。スーツケースを持っていると目立つのでスリに注意です。

<メトロ、アトーチャ・レンフェ、>

アトーチャ駅メトロ
筆者撮影

地下鉄の出口Salidaの標識と別にAscensorアッセンソールの矢印がエレベーター、大きなスーツケースを持っていたらこの標識を見つけましょう。

<メトロ・アトーチャ・レンフェ駅>

アトーチャ駅、メトロ
筆者撮影

本来は車いすや高齢者、ベビーカー用に作られているがスーツケースでも遠慮なく使って大丈夫。スペインでは弱い人を優先させる習慣があるので廻りの様子を見て使ってください。

<メトロ、アトーチャ・レンフェ駅エレベータ―>

アトーチャ駅メトロのエレベーター
筆者撮影

逆コースでスペイン新幹線AVEや長距離鉄道でアトーチャ駅に着いて地下鉄に乗るならメトロのアトーチャ・レンフェへ行くのはメトロの標識を探すだけだ。

<メトロ、アトーチャ・レンフェ>

メトロでソルからアトーチャに着いて1階の新幹線乗り口へ行くには近道がある

実はメトロでSolソルからアトーチャに着いたら旧駅舎まで行かずに新幹線1階の乗り換え口へ直接行く事が出来る。

メトロのアトーチャ・レンフェを1号線でSolソルから来たら一番近い出口はここ。Estacion Ferrocarril=鉄道駅、Cercanias=国鉄近郊線の方へ進む。スーツケースがあればAsensor=エレベーターへ。

<アトーチャ駅、セルカニアス>

出口に来るとCercanias=セルカニアス国鉄近郊線の標識。

<アトーチャ駅、セルカニアスの標識>

アトーチャ駅
筆者撮影

メトロ、アトーチャ・レンフェの改札を出たら標識はまだCercaniasのみ。AveアベとかPuerta de Atochaプエルタ・デ・アトーチャとかは無い。

<アトーチャ駅、セルカニアスの標識>

アトーチャ駅
筆者撮影

Cercaniasセルカニアス、Estacion De Ferrocarilエスタシオン・フェロカリルに向かっていく。

<アトーチャ駅、標識>

アトーチャ駅
筆者撮影

このまま真っ直ぐ進んでいく

<アトーチャ駅、新幹線乗り換え口>

アトーチャ駅
筆者撮影

写真下の右側、AVEの出発ロビーのモニターが見える。その向こうに1階の待合室に入る手荷物検査場。

<アトーチャ駅、新幹線乗り換え口>

アトーチャ駅
筆者撮影

1階の乗り換え口の手荷物検査が見えて来た、バルセロナやセビージャ、マラガ方面へ出発ならここから入ると一番近い。メトロの改札から2分の移動。

<アトーチャ駅、新幹線1階乗り口>

アトーチャ駅
筆者撮影

下の図の赤い丸印の所にいる。1階の横の方から手荷物検査を受けて待合室に入る事が出来る。

<マドリード、アトーチャ駅1階乗り換え口>

アトーチャ駅
筆者作成

近道で行くとアトーチャ駅の植物園になっている旧駅舎は見れない。時間があってアトーチャ駅旧駅舎を見に行くなら一旦Cercanias=セルカニアスの方へエスカレーターを降りてPuerta de Atochaの標識を見ながら移動になります。

近郊線=Cercanias=セルカニアス

スペイン国鉄Renfeレンフェのマドリード近郊線の事をスペイン語でCercaniasセルカニアスという。マドリード市内と郊外の都市や空港ターミナル4を結んでいる。

<セルカニアス路線図>

アトーチャ駅セルカニアス
筆者作成

マドリードの市内を歩いていても踏み切りや立体交差が無いがマドリードの地下にメトロと別に国鉄のセルカニアスも走っているのだ。

<セルカニアス・アトーチャ駅>

アトーチャ駅セルカニアスのホーム
筆者撮影

セルカニアスでアトーチャ駅に着いたらメトロはこっちとホームの足元に書いてある。ここにはAVEや空港行きバスの表示は無いのでメトロの方へ出ていく。

<セルカニアス・アトーチャ駅のホームにあるメトロへの表示>

アトーチャ駅セルカニアス
筆者撮影

 

Salidaはスペイン語で出口の事、メトロはあっちの矢印。

アトーチャ駅
筆者撮影

アトーチャ駅のセルカニアス出口の改札。

アトーチャ駅
筆者撮影

下の図はアトーチャ駅のセルカニアスの位置。メトロの駅より少し手前にセルカニアスの駅がある。

<アトーチャ駅、セルカニアス位置>

アトーチャ駅
筆者作成

写真下の奥の明るい方に登って行くと空港行きの24時間バス乗り場に行くことが出来る。

<アトーチャ駅、セルカニアス改札口>

アトーチャ駅
筆者撮影

スペイン新幹線AVEに乗るなら改札を出て左の方へ進む。

<アトーチャ駅、セルカニアスの位置>

アトーチャ駅
筆者撮影

新幹線の乗り口はPuerta de Atochaプエルタ・デ・アトーチャの標識に向かって進む。

<アトーチャ駅、プエルタ・デ・アトーチャの標識>

アトーチャ駅、プエルタデアトーチャ
筆者撮影

 

:補足1市内の移動はセルカニアスの方がメトロより便利な事が有る:

市内の移動はアトーチャからなら行先によってはメトロに乗るよりセルカニアスに乗る方が早い事が有る。例えばマドリード北にあるチャマルティン駅へアトーチャ駅から行くなら絶対レンフェの方がメトロやタクシーより早くて便利だ。

アトーチャ駅セルカニアス
筆者撮影

:補足2アベに乗る時と降りた後セルカニアスが無料になる:

スペイン新幹線AVEで到着してセルカニアスに乗る場合とその逆、セルカニアスに乗ってアトーチャ駅へ行ってスペイン新幹線AVEに乗る場合は無料で乗ることが出来る。

タッチパネルに触れる

アトーチャ駅の切符の機械
筆者撮影

Combinadosというボタンにタッチ

アトーチャ駅切符の機械
筆者撮影

行先を選んでタッチ。アルファベット順になっているのでSolソルとかChamartinチャマルティンとか。

アトーチャ駅切符の機械
筆者撮影

光っているところに切符のコードをかざす。

アトーチャ駅切符の機械
筆者撮影

無料の切符が出てくる。これでそのまま改札を通ることが出来る。行先がセビージャならセビージャ到着時にも市内のセルカニアスなら同じ方法で切符を出す事が可能。

アトーチャ駅切符
筆者撮影

(距離に制限があるので市内のみ、出発まで3時間以上ある場合などは使えない)

スペイン新幹線=AVE

旅行している人でアトーチャ駅に来るのはスペイン新幹線AVEに乗る人が殆どだろう。

注意:一部のAVEと特急はチャマルティン駅出発なので切符を見て確認しましょう。

アトーチャ駅の構造の所で説明しているがここにジャンプして来た方もあるので再び。

スペイン新幹線AVEアベの出発口(手荷物検査を受けて待合室に入るゲート)は0階と1階の2か所に分かれている。

*0階はトレド、バレンシア等、

*1階はバルセロナ、コルドバ、セビージャ、マラガ等

*スペイン語で、0階=Planta Bajaと1階=Primera Plantaと表示。空港の様に出発ゲート表示モニターがあるのでそれで確認できる。下写真参照

アトーチャ駅
筆者撮影

*出発口の所で切符のバーコードのチェック、その後手荷物検査。(お水など液体物を持っていても大丈夫)

アトーチャ駅スペイン新幹線アベの切符売り場

スペイン新幹線の切符を現地で購入する人もいるかもしれない。トレド行きなら予定に合わせてマドリードで買う事もあるので切符売り場の説明もしておく。

上から見た写真だとこの位置。0階の壁沿い。

アトーチャ駅新幹線切符売り場
筆者撮影

新幹線切符売り場は構造図ではこの位置です。

アトーチャ駅、スペイン新幹線切符売り場
筆者作成

アトーチャ駅切符売り場スペイン語で=Venta de billetes

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

明日以降の出発の場合はこの機械でまず番号札を手に入れる。

アトーチャ駅、切符売り場
筆者撮影

写真下、タッチパネルになっているのでタッチ。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

写真下Venta Anticipada=明日以降の切符販売、右の方の国旗を触ると英語やフランス語に変わる。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

写真下、番号が書いた紙を取ってモニターを見て自分の順番を待つ。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

何番の人はどこのカウンターに行くという案内版。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

Salida Proxima Hora=直ぐに出発の新幹線の場合はここに並ぶ。

アトーチャ駅切符売り場
筆者撮影

 

新幹線アベに乗るのにタクシーでアトーチャ駅に到着した場合

スペイン新幹線AVEに乗るのにタクシーでアトーチャ駅に向かう場合が多いと思う。

アトーチャ駅
筆者撮影

タクシードライバーに「Estacion de Atocha,AVE、エスタシオン・デ・アトーチャ・アベ」と言うと上の図の「2階の出入り口」の所で降りる事になる。

スペイン新幹線AVEに乗る場合はここからアトーチャ駅に入るのが一番わかりやすい。

アトーチャ駅、タクシーを降りたところ
筆者撮影

タクシーを降りてアトーチャ駅構内に入ると写真下の赤い字「2階出入り口」の所から入る。1階出発口なら1つ下へ、0階出発口なら2つ下へ移動して矢印の方へ。(左右にエレベーターもあるので使いやすい方を利用すると良い)

アトーチャ駅構造
筆者作成

アトーチャ駅タクシーを降りて構内に入ったところ、ここは2階。

アトーチャ駅
筆者撮影

 

アトーチャ駅の1階新幹線乗り場からセビージャへアベでの移動を動画で説明しています。

メトロかセルカニアスでアトーチャ駅に着いた場合

メトロかセルカニアスで着いたらPuerta de Atochaプエルタデアトーチャの標識を探して0階か1階の出発口へ。

アトーチャ駅構内
筆者作成

写真下の標識の様にPuerta  de Atochaプエルタ・デ・アトーチャがスペイン新幹線AVEの乗り場。

アトーチャ駅標識
筆者撮影

メトロとセルカニアスからプエルタ・デ・アトーチャに移動すると先に0階の出発口がある。Salida Planta Baja とゲートが13,14,15ですの標識。

<アトーチャ駅、0階出発口>

マドリード、アトーチャ駅
筆者撮影

ここで切符を見せてバーコードかQRコードのチェックを受け手荷物検査の後待合室へ。

<アトーチャ駅、0階の出発口>

マドリード、アトーチャ駅
筆者撮影

バルセロナやセビージャへ行く1階の出発なら更に進んでから右の方へ移動

<アトーチャ駅、0階から1階へ移動>

アトーチャ駅
筆者撮影

動く歩道のスロープを登って行き1階の出発口へ

<アトーチャ駅、1階へ上るスロープ>

アトーチャ駅
筆者撮影

写真下、表示はSalidas Planta 1

<アトーチャ駅、1階の出発口の手荷物検査場>

アトーチャ駅
筆者撮影

アトーチャ駅空港行きエクスプレス・バス乗り場

アトーチャ駅から空港行きのエクスプレス・バスに乗る乗り場が判りにくい。スペイン国鉄Renfeと関係が無いのアトーチャ駅構内に「空港エクスプレス・バス乗り場」への表示が全く無いのだ。

*空港行きエクスプレスバス乗り場はスペイン国鉄近郊線=セルカニアスから地上に登った所。写真下はアトーチャ駅のセルカニアスの改札口。奥の明るい方へエスカレーターで登って行く。

<アトーチャ駅、セルカニアス改札口>

アトーチャ駅
筆者撮影

<アトーチャ駅、セルカニアス改札すぐのエスカレーター>

アトーチャ駅、セルカニアス
筆者撮影

円筒形のガラスの建物の中に上に登って行くエスカレーターがあるので地上階まで移動する。

<セルカニアス改札すぐのエスカレーター>

アトーチャ駅、空港行きエクスプレスバス乗り場
筆者撮影

*下の地図の空港行きエクスプレス・バスの乗り場、かまぼこ型の旧駅舎2階の出入り口すぐ近くです。旧駅舎から2階まで登って外へ出ても空港バス乗り場に行くことが出来る。

アトーチャ駅構内

この地図の様にソフィア王妃芸術センターの入り口の反対側。スペイン国鉄近郊線Cercaniasセルカニアスの改札から地上へ上がったところにマドリード空港行きエクスプレス・バスの乗り場がある。

アトーチャ駅構造
筆者作成

目印はレンガの丸い建物のすぐ横。この建物がスペイン国鉄近郊線セルカニアスの入り口になりその横にマドリード空港行きの24時間バス乗り場がある。

アトーチャ駅、空港行きバス乗り場
筆者撮影

動画でアトーチャ駅の空港行き24時間エクスプレス・バスの乗り場を解説しています。

アトーチャ駅の荷物預けロッカー

アトーチャ駅には荷物を預けるところがある。場所は旧駅舎の植物園、バーガーキングの近く。

アトーチャ駅の荷物預け
筆者撮影

スペイン語でConsigna=コンシグナ

アトーチャ駅荷物預け
筆者撮影

先に危険物チェックの手荷物検査を受ける。

アトーチャ駅荷物ロッカー
筆者撮影

入り口に現金のみと書いてある。

アトーチャ駅荷物預け
筆者撮影

サイズによって値段が4段階に分かれている。

アトーチャ駅荷物預け
筆者撮影

時間は5時30分から22時20分。

アトーチャ駅の荷物預け
筆者撮影

アトーチャ駅のトイレ

アトーチャ駅のトイレは手荷物検査の中にそれぞれ無料のトイレがある。手荷物検査より外側だと有料のトイレが旧駅舎の植物園になっている部分にある。

アトーチャ駅の有料トイレ
筆者作成

60セント支払って中に入る様になっていて有料だけありいつも綺麗に清掃されている。

アトーチャ駅近辺のバル

アトーチャ駅の中にもバルや飲食店、バーガーキングもある。すぐ横にあるメンデスアルバロ通りに行くと地元の人も行くバルやレストランが並ぶ。

<アトーチャ駅構内図>

アトーチャ駅
筆者作成

下図の様に0階のメトロの反対方向に出口がある。

<アトーチャ駅、構内図>

アトーチャ駅、メンデス・アルバロ通り
筆者撮影

表示はSalida Mendez Alvaro サリーダ・メンデス・アルバロ。ここから外へ出ると地元の人達が行く庶民的なバルやレストランが何軒か並ぶ。

<アトーチャ駅、メンデス・アルバロ通りへの出口>

アトーチャ駅
筆者撮影

<アトーチャ駅横、メンデス・アルバロ通り>

アトーチャ駅、メンデスアルバロ通り
筆者撮影

メンデス・アルバロ通りにあるバル・レストラン、この先に何軒か並んでいるので気に入った所へどうぞ。

<アトーチャ駅横、メンデス・アルバロ通り>

アトーチャ駅、メンデスアルバロ通り
筆者撮影

写真でメニューが出ている店もあって定番の物なら大体ある。

<アトーチャ駅横、メンデス・アルバロ通り>

アトーチャ駅外、メンデスアルバロ通り
筆者撮影

アトーチャ駅を短い動画で紹介しています

 

アトーチャ駅まとめ


アトーチャ駅を利用する人の参考書を作ってみた。アトーチャ駅に行くのはスペイン新幹線に乗る場合が多いと思うが乗換や空港行きのエクスプレス・バスを利用する場合もあると思いそれぞれのパターンを想定して書いてみた。アトーチャ駅は世界の素敵な駅のひとつ。列車に乗る予定が無くても是非見に行ってください。

これから海外移住や海外長期滞在者へのアドバイスとか注意とか心構え、というか過去の自分への言葉

「海外移住のアドバイスとか注意とか心構え」とかすごい題材ですが偉そうなことは何にも言えな長い自分の海外生活を振り返って過去の自分に言ってあげたい事として考えてみた。これから日本を出る人や長期滞在になる人の道しるべになればと思う。

私は海外移住組、アメリカに1年住んだ後現在スペインのマドリードで暮らしている。こんなに長く暮らすとは想像していなかったので後ろを振り返って時間の長さにびっくりしている。「何年ですかって?」「30年ですッ」

長期海外生活をするにあたっての注意と心構え


これから海外移住を考えている人やそろそろ3年経ったなあ、とか5年経ったなあ、悩んでいる人もいると思うので自分の経験を振り返って過去の自分に言ってあげたい言葉にしてまとめてみた

「良い人達」がいる環境に自分を置く

周りにいる人によって環境大はきく変わる。出来るだけ良い人達と良い関係を長く持つことは非常に大切。偶然に大きく左右されるが心がけているのと無防備なのは違う。

働けるなら働く

仕事をして自立するのは大事。働くことで経済的にも人間的にも自立が出来る。そして仕事で一緒に苦労した仲間が出来ると人間関係の幅が広がり信頼関係が深い。

健康に気をつける

毎日食べるものが体を作る。日々の食事のバランスに気を配ろう。日本人が西欧型の食事を続ける事による特定の病気など食事と健康の関係は様々なところで指摘されている。

外国にいる事に満足してただ滞在しているんじゃない?

と自分に時々問いかける。

カルチャーショックは時間が解決する

誰にでも起こるカルチャーショック。日本国内の引っ越しでもたいていの人に起こる現象だ。

最初は嬉しくてとてもハッピーで過ごす蜜月期間、次第に嫌な部分に目が行き始めて最悪な気分になる苦悩期間、すべてを受け入れてもう一度好きになる満足期間。

実際はこの波を何度も経験しながら暮らす事になる。最悪な苦悩期間が長く続き低迷したまま帰国した人もいた。せっかく外国で暮らすチャンスを手に入れたのだから最悪な時間を過ごすより楽しく幸せな方が良いに決まっている。引く波があれば押す波も必ずやって来る。

お金は有った方が良い

お金は力、全てではないが有る方が良い。お金が無いからあきらめることが世の中には非常に多い。「お金は力」は心の底に据えておこう。海外移住組は夢を追いかけるタイプが多いので、「お金じゃない」ではなく「お金は大事」をあえて心に。

目標というか長期予定は持った方が良い

私は最初は1年の予定で暮らしていた。来年は帰るからと少しずつ滞在が長くなった。5年とか10年とか予定と目標があれば着地点はもっと違ったと思う。

日本の事をもっと知っておく

住んでいる国の事を少し知ったら日本の事をもっと知った方が良い。日本のいろんなことを説明できた方が良い。

親には出来るだけ逢いに帰る

若いときはお金も無いし親はいつまでもいると思っていたので時々しか帰らなかった。気が付いたら見送る親がだんだん小さくなって寂しそうで辛くなって泣けた。余裕が出来たらなるべく逢いに帰るべし。帰るだけでこんなに喜んでくれる存在は他にそうは無い。

日本は何でも優れていると思うのを捨てる

「日本だったらこうなのに」「日本人ならこうしてくれる」となんでも日本は良いを捨てよう。ここは日本じゃ無いし意味が無い。

外国被れな嫌な奴にならない

「日本はどうしてこうなの?」「日本人てなんでこうなの?」とかを日本に住む日本人に口に出して言わない。

そして態度や考え方の日本的なところを捨ててしまう人もいるが日本人ぽい色々を忘れないよう、私は肝に銘じて生きている。

そんなに嫌いなら帰れば?

時々スペインとスペイン人の悪口しか言わない人がいる。そんなに嫌いなら帰ったらいいと思う。

要注意は意外と日本人

来たばかりの日本人をカモにする輩がいる。後から来た日本人をいじめる先輩もいる。意外と注意は日本人。

まとめ


以上海外へ移住又は長期滞在する人達への注意事項まとめ。若い人を想定して書いてみたが改めて今の自分にもう一度言っても良い内容だと思った。人生は長いようで短い。楽しい人生を送るためには知恵と知識があった方が良い。その役に立てたらと思ってまとめてみた。

 

サン セバスティアンのマリア クリスティーナ ホテルで素敵でゴージャスな滞在はいかが?

美食の街サンセバスティアンにあるマリアクリスティーナホテルは1913年に作開業した歴史あるホテル。最近リノベーションが終わり使い勝手が良くなった。マリアクリスティーナホテルについてのレポートです。

マリア クリスティーナ ホテル


サン セバスティアンの唯一5つ星ホテル

マリア クリスティーナ ホテルはサン セバスティアンにある唯一の5つ星ホテルです。鉄道の駅やバスターミナルから徒歩で10分、中心部のバル街へも徒歩5分と非常に便利な所にある。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテルの場所>

サンセバスティアン マリアクリスティーナホテル
筆者撮影

近年リノベーションが終わり使い勝手が良くなりマリオット・インターナショナルが展開するのラグジュアリー・コレクションに仲間入りした。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル入り口>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

豪華なロビー回りはここにいるだけでゴージャスな気分にさせてくれる。ここで働くレセプションや朝食レストランの人達もとっても感じが良かった。高級ホテルにお金を使うというのはこういう対応を受けるという事だなと思った。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

お部屋のタイプは様々で今回はクラッシック・ダブル=ダブルルームのシングルユースだ。

お部屋のカテゴリーはデラックス、ジュニアスウィート、スウィート、ファミリーロイヤルスウィートと別れておりベッドもキングサイズやシングルベッド2つ等選べるので予約する時に選択してください。

ホテルの公式ページを見るとテラス付きのお部屋もあって残りの生涯で泊まる日は、きっとないだろうなと確信した。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

お水は毎日コンプリメント=ホテル側のサービス、で一本付いていた。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

私にとってデスク周りは重要で広い事とコンセント。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

デスクは充分広く使いやすかった。そしてここはデスク前にコンセントが2つとベッドサイドの両側にあったので「充電=命」な私には非常にありがたい。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

ベッドの両側にもコンセントなのでスマホは枕元において充電できる。これとっても重要です。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

ベッドの寝具やリネンも良いものが使われているのが充分わかった。この部屋に2人は狭いだろうけど・・・

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル、ベッド>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

バスルームはこんな感じ。鏡の廻りの蛍光灯は良く見えていいですね。バスルームが明るくて広いのはうれしい。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル、バスルーム>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

バスタブとシャワーブースが別についているたいぷでタオルもフカフカでした。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル、バスルーム>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

アメニティ―類はもちろんですがマウスウォッシュを毎日入れてくれたのは嬉しかった。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

シャワーは固定式=上からジャーとくるタイプハンドタイプ両方が付いている。ヨーロッパの古いホテルはシャワーが固定式で使いにくいことが多いのだ。これはよく宿泊客の気持ちを汲んでいる。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

マリオット以前がどうだったか記憶にないけれども全体的に使い勝手が良くなった感じだ。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

朝食レストランもとてもエレガントで従業員の人達も感じが良かった。3泊もしたら顔なじみになって誰がコーヒーで誰が紅茶かも覚えてくれていた。こういうところも旅の楽しみのひとつ。

<サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテル、朝食レストラン>

サンセバスティアンのマリアクリスティーナホテル
筆者撮影

サンセバスティアン映画祭の時は有名人が宿泊

毎年秋に行われるサンセバスティアン映画祭の時は隣にある劇場と川向うの国際会議場が利用される。そして唯一の5つ星ホテルであるマリアクリスティーナは有名人と映画関係者でいっぱいになります。

 

サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテルを動画でまとめてみました。

サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテルまとめ


100年前に作られた歴史あるホテルがマリオットの手で生まれかわりラグジュアリーコレクションに入った。旅の楽しみは様々だが素敵なホテルで特別な時間を過ごすのもひとつの楽しみ。私がスペインで一番好きなホテル、マリア・クリスティーナ・ホテルの紹介です。

北スペインの旅、サン・セバスティアンからブルゴス、レオンとサンチアゴへお仕事の旅の記録

お客様と北スペインを廻って来た。サン・セバスティアンからブルゴスからサント・ドミンゴ・デ・シロスの修道院そしてレオンとサンチアゴ等を見学して現地7泊8日。今回のお客様は4年前に南スペインとポルトガル、その後ペルーを一緒に旅行した方。「お盆休みに北スペイン」とご希望があり旅した記録、ほぼ自分用忘備録ですが北スペイン旅行のコース作りの参考になると思うので公開します。

 

<お盆の時期の注意>

*8月のお盆の季節はヨーロッパの人もバカンスで大量に動く時期なので何でも予約は早めに、特に飛行機とホテル。

*レストラン等はスペインの場合バカンスの時期に長期に閉める場合があるので注意が必要。サン・セバスティアンやビルバオの星付きレストランで8月に休む店が沢山。

 

北スペインの旅、8月にサン・セバスティアンからブルゴス、レオンとサンチアゴへ


1日目成田空港からイベリア航空でマドリード、合流してサン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルへ。

成田空港からのイベリア航空が50分遅れての到着。乗り継ぎが1時間45分なので50分遅れだと55分で移動だ、間に合わないかも、と朝から本当~に心配したが何とかぎりぎりで搭乗できた、というか飛行機が待ってくれていた。

あらかじめマドリード空港のカスタマー・サービスで乗り継ぎフライトに東京便が送れいている連絡と到着時に案内を頼んだがどこまでワークしたかは不明。

マドリード~サンセバスティアンはプロペラ機とジェット機の場合がある。今回はプロペラ機。マドリードから約1時間20分でサンセバスティアン到着。

イベリア航空、サンセバスティアン行き
筆者撮影

大型観光バスよりちょっと大きいくらいの感じの飛行機。雲の上から夕陽が綺麗。

サンセバスティアン行きのイベリア航空
筆者撮影

お客様はビジネスクラスでしたが座席番号1が最後部席で飲み物が出ただけでした。値段いくら違うんでしょ~?

イベリア航空サンセバスティアン行き
筆者撮影

 

55分の乗り継ぎで人は走ったくらいなのでスーツケースは絶対に間に合わない?と思っていたが奇跡的に全部出てきた。スペイン恐るべし。

空港からサン・セバスティアンの街まで20分程移動。ホテル、マリア・クリスティーナ、チェックイン。

<サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナホテル>

サンセバスティアン、ホテル、マリアクリスティーナ
筆者撮影

サン・セバスティアンのホテル、マリア・クリスティーナはサン・セバスティアン唯一の5つ星ホテル。

<サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテル>

サンセバスティアン、マリアクリスティーナホテル
筆者撮影

サン・セバスティアンのマリア・クリスティーナ・ホテルは1912年開業だが近年リノベーションを行って使い勝手が良くなった。現在はマリオット・グループのラグジュアリー・コレクションに入っていてエレガントなとっても素敵なホテルです。

今ホテルの値段は時期により激しく変動し、残りの部屋が少なくなるほど高くなって行く航空券と同じシステム。予定が決まれば早めに予約するに越したことはないです。

<サンセバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルロビー>

サン・セバスティアン、マリアクリスティーナホテル
筆者撮影

サン・セバスティアン、マリア・クリスティーナ・ホテルの詳細を動画にしてみました。参考にしてください。

2日目は車でサン・セバスティアンからビルバオとビスカヤ橋、サントゥルセの鰯とゲルニカ

サン・セバスティアンからビルバオ

サン・セバスティアンからビルバオは約100キロ、車で約1時間10分位。路線バスも頻繁に出いている。さあ車の準備が出来た。出発しよう。

サンセバスティアン、マリアクリスティーナホテル前
筆者撮影

お天気予報は雨だったが時々パラパラふる程度。ホテルの傘をお借りして持って行く。8月でも朝の気温は14度位、日中は日差しが強く23度くらいまで上昇。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館観光。大きなワンちゃんはジェフ・クーンズの作品。年に2度お花が変えられる。内部からお水が出るシステム。

<ビルバオ・グッゲンハイム美術館のプピー>

グッゲンハイム美術館
筆者撮影

建築家はフランク・オー・ゲイリー。航空機の設計に使うコンピューターシステムで脱構造主義の建築を作る。素材は薄く伸ばしたチタン。

グッゲンハイム美術館
筆者撮影

ビルバオとグッゲンハイム美術館についての記事です。

ビルバオとグッゲンハイム美術館<世界で最も成功した再開発ビルバオ効果の街と近代アート>

 

ランチはサントゥルセの漁師の街まで移動。サントゥルセ(バスク語サントゥルツイ)はビルバオ湾の入り口に面する港湾都市。火力発電所がある。

レストランは港近くのHogar de Pescador オガール・デ・ぺスカドール

サントゥルセのレストラン
筆者撮影

テラス席は予約が出来ないので上の階レストランに予約をいれた。テラスは既に満席状態。予約の13時半に上の階のレストランに行ったらお店の人にびっくりされた。時間が早すぎるのだ。(スペイン人のランチは14時30分くらいからです。)

<サントゥルセ・オガール・デ・ぺスカドール>

サントゥルセのレストラン
筆者撮影

手長えびとエビのどっちが迷ってお店の人にお勧めか聞いたら「絶対エビッ」甘く新鮮でトロットロッ~。

<サントゥルセのレストランにて>

サントゥルセのレストラン
筆者撮影

もちろんイワシを頼みます!これも新鮮でおいしかった。スペインの古い歌に「ビルバオからサントゥルセ~イワシ、イワシ~」というのがあるのです。

<サントゥルセのレストランにて>

サントゥルセのレストランでいわし
筆者撮影

帰り道に世界遺産ビスカヤ橋に車ごと乗車して対岸に渡ることにする。

<ビスカヤ橋>

ビスカヤ橋
筆者撮影

ビスカヤ橋は世界で最も古い運搬橋。日本の明治26年に完成した。ポルトガレーテの労働者がゲッチョの富裕層の地区に働きに行くのに渡し舟しかなかった。

<ビスカヤ橋がある地区、サントゥルセ~ポルトガレテ~ゲッチョの地形>

ビスカヤ橋の架かっている周辺地図
筆者撮影

人々の往来の為に橋を架けると大きな船が入れなくなる。ここはビルバオに向かって大型船が入って来るところだ。解決策として考えられたのがこの運搬橋。写真下のぶら下がっているゴンドラに人と車が乗る。

<ビスカヤ橋>

ビスカヤ橋
筆者撮影

これだけは説明を聞いてもピンと来ないので自分の目で見る事をお勧めします。ビルバオからメトロで来ることが可能だ。

ビスカヤ橋についての詳しい説明はこちらの記事をどうぞ。

ビスカヤ橋は世界遺産、ビルバオからメトロで簡単にいけます

 

サン・セバスティアンに戻るにはまだ少し早いので「ゲルニカに行ってみましょうか?」

ゲルニカはスペイン内戦の時に爆撃を受け破壊された小さな街。非武装の街をナチス・ドイツの空軍が飛行機から爆弾を落として一般市民が犠牲になった。

有名なピカソの「ゲルニカ」はこの町の名前。パリ万博のスペイン館の為にピカソが描いたもので、そのパリ万博は科学を絶賛する「科学と芸術」というテーマだった。

「私たちの生活を素晴らしい未来へ連れて行ってくれる」はずの「科学」が無差別に民衆に向かい爆弾を落とした。その衝撃的な事実を世界中に知らせる為「科学」を絶賛する万博に発表した作品がゲルニカ。現在はピカソのゲルニカはマドリードのソフィア王妃芸術センターにあります

<ゲルニカにあるゲルニカのセラミックの複製>

ゲルニカにあるゲルニカの陶板
筆者撮影

ピカソのゲルニカと同じサイズで作られたセラミックが壁に飾られている。すぐ近くの議事堂も見学することが出来る。議事堂はバスクの自治の象徴。そこには爆撃から奇跡的に焼け残った聖木が置かれている。

<ゲルニカの聖木>

ゲルニカに残る聖木
筆者撮影

ではサン・セバスティアンに戻りましょう。サンセバスティアンの街の両側に小高い山がある。モンテ・イゲルドとモンテ・ウルグル(下の地図参照)その間に貝殻の形ののコンチャ湾がある地形。

サンセバスティアンの地図

 

モンテイゲルドはフニクラ(登山列車)か車で登ることが出来、もうひとつのモンテ・ウルグルは徒歩で登ることが出来る。今日は車でイゲルド山にやって来た。

サンセバスティアン、コンテ・イゲルド
筆者撮影

コンチャ湾が綺麗に見える絶景ポイントです。山は遊園地になっていて家族連れがゴーカートに乗ったり急流すべりを楽しんだり。

夕食はサン・セバスティアンの港の漁師の店へ。モンテ・ウルグルのふもとはサンセバスティアンの港になっている。

<サン・セバスティアンの港>

サン・セバスティアン、港
筆者撮影

漁師の店が何軒かあり夏しか営業していない所が殆どですが一部冬もやっている。

<サン・セバスティアンの港>

サン・セバスティアンの港
筆者撮影

サン・セバスティアンというとバル街と星付きレストランばかり紹介されていますが港のレストランもおすすめですよ~。

<サン・セバスティアンの港>

サンセバスティアン、港のレストラン
筆者撮影

チャングーロはサンセバスティアン料理、わたりカニの味噌を玉ねぎやトマトなどで調理した味噌の部分がおいしい。

<サン・セバスティアン料理のチャングーロ>

サンセバスティアン
筆者撮影

店主のおじさんが鰹の料理を御馳走してくれた。後は大きなヒラメをグリルでいただきました。(写真撮り忘れ)

おやすみなさい~

サン・セバスチャン・美食の街の歴史と美味しいおすすめバルと港の漁師のレストラン

3日目サン・セバスティアンからフランス・バスクへ

今日は国境を超えてフランス側へ行く。遠い方へから行きましょうと、サンセバスティアン⇒ビアリーツ⇒サンジャンドリューズ⇒オンダリビアと移動する。

サンセバスティアンからフランスバスクの地図
筆者作成

サン・セバスティアンからビアリーツまでは車で約1時間。ビアリーツはナポレオン3世が妻のエウヘニア(スペイン人貴族)と訪れて大変気に入った所。その後沢山のフランス人貴族たちが訪れるようになった優雅な街。ホテル・ド・パレやエウジェニー教会、聖母の岩などを見学した。

ビアリーツ、聖母の岩
筆者撮影

 

バカンス客でどこも随分賑やかだ。30分程移動してサン・ジャン・ド・リューズ(スペイン語だとサン・ホアン・デ・ルッス)

サンジャンドリューズ
筆者撮影

国境を超えただけで言葉も習慣もフランス式に変わる。そしてフランスでは12時にランチがいただけるのだ。予約した店はTXULUPAルイ14世の館のすぐ近く。

タコのグリル

舌平目のグリルなどをいただいた。

サンジャンドリューズのレストラン
筆者撮影

国境超えて20分位の所なのに食事の時間だけでなく、お値段も一気にフランス式になった。スペインは安くて美味しい良い国やな、と改めて感じる。

食事の後ルイ14世の館を見学。ルイ14世がスペインの王女と結婚式を挙げた時に3か月程滞在した建物で今も当時の持ち主が所有だそう。フランス人のガイドさんが英語で色々説明してくれて楽しかった。

 

サン・ジャン教会はバスク風の建築で教会には珍しく木で作られている。ルイ14世とスペインの王女の結婚式がここで行われた。今も地元の人々がやって来る教区教会になっている。

サンジャンドリューズの教会
筆者撮影

お買い物はエスパドリーユやバスク・リネン、お菓子等。

サンジャンドリューズ
筆者撮影

ルイ14世の結婚式にお菓子を出したアダムで作っている焼き菓子が今のマカロンの元になったそう。

<サンジャンドリューズのアダム>

サンジャンドリューズのお菓子屋アダム
筆者撮影

 

スペイン側へ戻ってオンダリビアへ、サン・セバスティアン空港はこの街にある。サン・セバスティアンから23キロ程、フランスとの国境の街だ。新市街地のバル街も楽しいが今日は旧市街だけ。

オンダリビア
筆者撮影

サン・セバスティアンに戻り夕食は地元のバルで

サンセバスティアンのバル
筆者撮影

では、おやすみなさい~

4日目サンセバスティアンからブルゴス、サント・ドミンゴ・デ・シロス、レオン

今日はマリア・クリスティーナホテルをチェックアウトをして移動日。移動距離が約560キロというスケジュール。

サンセバスティアンからブルゴス、レオン地図
筆者撮影

シロスの修道院がお昼休みで14時に閉まる。再び開くのが16時30分、それに合わせて時間の調整をする。

サンセバスティアンからブルゴスへ
筆者撮影

サン・セバスティアンからブルゴスは214キロ約2時間15分。バスク州からカスティーリア・レオン州に入った。景色が変わって行く。

エル・シドの銅像。エル・シドはレコンキスタの時の英雄。古い映画でチャールトンヘストンとソフィアローレンの物があるがまた新しい映画が作られるようだ。

ブルゴスのエルシド
筆者撮影

プラタナスの並木道が遊歩道になっている。スペインの街はどこも緑が多く遊歩道が広く取られていてゆったり人が歩いている。森の中に街がある。

ブルゴスの遊歩道
筆者撮影

凄い人だと思ったら、今日ブエルタ・エスパーニャ(自転車競技)がブルゴスから始まる開会式の真っ最中だ。

ここはサンタマリア門。ブルゴスの街に入る城門。

ブルゴス、サンタマリア門
筆者撮影

沢山の選手達がウォーミングアップで走っている。

ブルゴス、サンタマリア門
筆者撮影

ブルゴスは大聖堂が世界遺産だ。フェリペ2世が神の御業と称えた荘厳な建築。

ブルゴス大聖堂
筆者撮影

内部は様々な祭壇や彫刻、絵画等があり、中央考査部の天井の透かしが素晴らしい。その下にエルシドが埋葬されている。

ブルゴス大聖堂
筆者撮影

 

ランチは大聖堂近くのRincon de Espanaリンコン・デ・エスパーニャ。子羊の炭火焼きやグリーンアスパラ等何皿かをシェアーしていただいた。

ブルゴスのレストラン
筆者撮影

 

サント・ドミンゴデ・シロスの村へ60キロ移動する。村の人口250人ほどだがこの街が有名になったのは修道士たちによって歌われるグレゴリオ聖歌と修道院にあるロマネスクの回廊。

サント・ドミンゴ・デ・シロス
筆者撮影

それとロマネスク回廊を見学する。ロマネスク彫刻は柱頭彫刻を楽しむがここでは角のパネルが素晴らしい。800年程前に修道僧たちが歩きながら祈った四角い回廊をクラウストロという。

<サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院クラウストロ>

<サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊クラウストロ>

 

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊
筆者撮

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院とグレゴリオ聖歌についての記事です

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院<ロマネスク回廊とグレゴリオ聖歌>

ホテルはマヨール広場に面するNHcoleccion Plaza Mayor。古い建物をうまく利王して内部は綺麗に改装されていて快適でした。

レオン。nhホテルプラサマヨール
筆者撮影

シングルで狭いですが私には充分、清潔で使いやすいホテルでした。ホテルのスタッフもとっても感じよかった。ロケーションがマヨール広場内というのが最強です。

<レオンのホテルの部屋>

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

<レオンのホテルのバスルーム>

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

 

夕食は直ぐ近くのバリオ・ウメドBarrio Humedo、飲食店街へ。サンマルティン広場は22時というのに家族連れでどこも賑わっていた。・

レオン、サンマルティン広場
筆者撮影

レオンの知り合いに教えてもらったタベルナは座る席がもうなかったのでその向かい側の店に入った。どこで食べても絶対美味しいのだ。

レオンのサンマルティン広場
筆者撮影

生のホワイトアスパラ(缶詰ではない)を茹でてオリーブオイルとマヨネーズ。

レオンのレストラン
筆者撮影

有機のトマトだそうです。甘くて美味しかった

レオンのレストラン
筆者撮影

お肉やデザートもいただきましたが写真撮り忘れ。エントレコットEntrecotサーロインステーキもとっても美味しかったです。

おやすみなさい。

レオン、マヨール広場
筆者撮影

 

5日目レオンの観光後オーセブレイロ峠、コル―ニャ経由でサンチアゴデコンポステーラ

レオンからコル―ニャとサンチアゴ
筆者撮影

ホテルNHプラサマヨールの朝食。簡単でしたが充分。

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

今日は週に2回の朝市の日だった。ホテル前のマヨール広場に周辺の農家が生鮮食料品を運んで来て売っている。

レオン、ホテルNHマヨール広場
筆者撮影

ホテルから大聖堂は徒歩5分くらい。大聖堂はゴシック様式で内部の壁を極力少なくすることによって窓を大きく開けてステンドグラスを使った。コバルトを使うと青くなる等、職人たちの経験値が弟子に継承され何年もかけて創られた。

レオン大聖堂
筆者撮影

ガウディの作品がカタルーニャ地方外に3つあるうちのひとつがレオンにあるカサ・ボティン。注文住宅で現在は銀行の所有になっている。

レオン、カサ・ボティネス
筆者撮影

カサ・ボティンに向かってガウディさんがベンチに座って仕事をしていた。

レオンにあるガウディ、カサボティンの前
筆者撮影

 

レオンを出発してセブレイロ峠へ。セブレイロはサンチアゴの道を歩く人達を苦しめる最後の険しい峠にある村。

<サンチアゴの道のモホンという道しるべ>

オーセブレイロ峠
筆者撮影

セブレイロはサンチアゴの道を歩く人達を苦しめる険しい峠にある小さな街。街にはケルト人たちが残した丸い石組に藁ぶきの屋根を付けるパジョサ有る。冬歩く人はきついだろうな~

<セブレイロ峠にあるパジョサ>

セブレイロ峠のパジョサ
筆者撮影

パジョサはケルトの残した住居の形。丸く積み上げた石組の上に藁の屋根。今も住居として使われている。

 

セブレイロで毎回来るレストランが「今日は食事は出せないよッ」「え~」「あっちの店に行ったら?」と教えてくれた店に入った。

ガリシアのスープでカルド・ガジェゴ、素朴なスープで美味しいのです。サンチアゴ

オーセブレイロ峠、ソパガジェゴ
筆者撮影

イカのリング揚げとエンパナディージャというガリシアのパイ、ポークソテーをいただいた。

オーセブレイロの食事
筆者撮影

 

ガリシア人は愛想が悪いので有名だ。少し話すと打ち解けるのですが他のスペインの地域の人に比べて最初のとっつきが悪い。ここのセニョーラも最初は愛想無かったけどだんだん打ち解けて一緒に写真。後で写真を見たらにっこり笑ってくれていた。

コル―ニャへ。ヘラクレスの塔は世界遺産。これは灯台で中にローマ時代の灯台がある。2世紀には存在が知られていたというから驚きだ。アレキサンドリアの大灯台をモデルにしたと言う。

コル―ニャのヘラクレスの塔
筆者撮影

コル―ニャの観光はサックリにしてサンチアゴへ向かいます。

サンチアゴに着く前にモンテ・ゴソへ。ここはサンチアゴを目指して歩いてきた人々が最初にサンチアゴの大聖堂を目にする丘で「歓喜の山」と呼ばれている。

モンテ・ゴソ、歓喜の丘
筆者撮影

最終目的地サンチアゴに到着、オブラドイロ広場は凄い人。

サンチアゴの大聖堂
筆者撮影

サンチアゴは大聖堂の横にあるパラドール(国営ホテル)に宿泊。イサベル女王によって創られた救護院。サンチアゴの道を歩く巡礼者の為の病院兼宿泊施設だった。

サンチアゴデコンポステーラのパラドール
筆者撮影

夕食はホテルで。

サンチアゴデコンポステーラ、パラドール
筆者撮影

夕食は前菜とメイン、デザート各5種の中から選べるようになっていた。

前菜はトマトと人参の冷製スープ

サンチアゴデコンポステーラ、パラドールの夕食
筆者撮影

子牛のステーキは思ったよりボリュームが凄かった。

サンチアゴデコンポステーラ、パラドールの夕食
筆者撮影

夜は大聖堂に照明があたり綺麗に輝きます。明日が満月だそう、大聖堂の横にお月さまという想定外の景色にうっとり。

サンチアゴデコンポステーラ、大聖堂
筆者撮影

<サンチアゴのパラドールの廊下>

サンチアゴデコンポステーラ、パラドール
筆者撮影

<サンチアゴのパラドールの部屋>

サンチアゴデコンポステーラ、パラドール部屋
筆者撮影

パラドール泊

6日目サンチアゴの観光

サンチアゴの観光は大聖堂が中心。

大聖堂の現在の正面が18世紀の物でロマネスクの門がその中にある。傷みが激しくずっと修復をしていたが今年から予約制で見学が可能になった。

サンチアゴ大聖堂の栄光の門
CC BY-SA 3.0 wikipedia

あらかじめ栄光の門の入場を予約して見学。説明はスペイン語のみ、約30分間の栄光の門と10分かん彫刻家の展示場で移動もいれて約45分の見学。

ランチはパラドールすぐ近くのLa carreta、魚介類のレストランです。

サンチアゴのレストラン、ラ・カレータ
筆者撮影

前菜に魚介のスープ、あとはシェアーしていただきます。

ガリシアに来たらこれ、タコのガリシア風

サンチアゴのレストランでタコ
筆者撮影

小ぶりのホタテ貝。

サンチアゴのレストラン、ホタテ貝
筆者撮影

ムール貝のワイン蒸し

サンチアゴのレストラン
筆者撮影

後はサンチアゴの街の散策とお買い物でのんびり過ごしました。

最後の夕食はパラドールにて

タコのパテとカルパッチョ

サンチアゴのパラドールの夕食
筆者夜はパラドールにて

アサリとタコの煮込み料理

サンチアゴのパラドールの夕食
筆者撮影

ピアノの演奏も素敵でした。

サンチアゴデコンポステーラ
筆者撮影

8月15日、聖母マリア昇天祭で満月、奇跡が起こりそうな素敵な夜でした。

7日目サンチアゴからマドリード経由で日本

サンチアゴ空港は市内から車で15分くらい。

サンチアゴデコンポステーラの空港
筆者撮影

飛行機は約1時間でマドリードへ。

マドリード空港ターミナル4
筆者撮影

ターミナル4のサテライトへ移動しお見送りしてお別れ。

楽しい旅でした~Hasta Pronto.

北スペイン、バスクからサンチアゴの旅まとめ


8月の中旬でも北スペインは朝の気温14度、雨が降ったり寒かったりだった。持ち物に傘と軽めのジャケット、でも日差しは強いので帽子も必要。ジャケットの脱げば半袖になれるような服装がベスト。現地7泊の短い旅行でしたが海や山やフランスや色々バリエーションのある旅になりました。

この旅の動画版です。