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サンチアゴの道をサリアから115キロ歩いてきた私たちの旅の記録。夫に「カミーノを歩く」仕事が入ったのだ。秋にサンチアゴの道を日本からのお客様と100キロ歩くという。それでは時間があるうちに下見に行っておこうどうせ行くなら「2人で楽しみましょう」と私も同行することになったその旅の記録。
私たちのサンチアゴの道の記録
マドリードからサリア
5月14日、この日は夫が仕事だったので出発は午後になった。待っている間に私は弁当を準備して13時45分マドリードを出発。キャンピングカーで国道6号線通称コル―ニャ街道をひたすら走る。
マドリードからサリアまでは517キロほとんど高速道路で快適。
今回キャンピングカーにしたのはサリアでの前泊と後泊が出来るのが理由。マドリードを出て休憩したのはガソリンを入れた1回のみで18時32分サリアのマグダレーナ修道院に到着した。517キロを4時間45分だ、悪くは無い、いやいやこれは上等です。
早速マグダレナ修道院でクレデンシアル(巡礼者手帳)にハンコを押してもらう。スタート地点のハンコ押印の儀式だ。サンチアゴ・デ・コンポステーラで巡礼証明書を作るにはクレデンシアルのスタート地点のハンコとその日付、毎日の宿泊地と更に最低1個のハンコが規則。
19時前、この時期スペインの太陽はまだまだ上の方にある、サリアの街を少し散策しよう。
夕陽が当たってマグダレナ修道院の壁に文字の影が出来てなんだかとても綺麗。
巡礼路の街なので道に沿って建物が続く。先に「道」が出来てあとから「街」が出来た様子が良くわかる。街道沿いはアルベルゲとバルとお土産物店が続く。サンチアゴの巡礼者達は沿道の街の重要な資金源に違いない、今も昔も。巡礼者には街道の街が無くては歩き続けられないのだからお互い支えあっている関係だ。
「サリアに車で着く途中家具の販売場が多かったなあ」この辺りの樫の木の木彫り職人が昔から有名なんだと思う。素敵な物があったが明日から歩くので無事帰ってきたらお土産に何か買おうか(これは結局忘れてしまって何も買わずに帰った)。バルの入り口にも木彫りの看板が素敵。ではここのバルに入ります。
サリアに無事到着のお祝い。「おっ」ペレグリーナ(巡礼者の女性名詞)という名のビールがあった。
でも今日はリベイロ(ガリシア産)の白ワインをいただきます。つまみにトルティージャがでた。
さあ早く休みましょう。明日は人生初の21.5キロを歩くのだ、早く起きて暗いうちから出発です。
今日はマグダレナ修道院の横にキャンピングカーを止めて眠ります。おやすみサリア。
カミーノ1日目、サリアからポルトマリン21.5km
朝7時30頃出発。本当はもっと朝早く暗い時間に出発する予定が遅くなった。いつも適当な私たちの旅はこうだ。カミーノは早く出発して早く着くが基本らしい。公的なアルベルゲは早くいっぱいになるので(今の所パブリックのアルベルゲに泊まる予定)早く出発して早く到着するというのが掟のようだが、まあいいね。何とかなる、てか結局どっちでもいいのだ。
ストックは夫が持っていた山登りのものを持ってきたが重さを計ったら300グラムもあって最後まで悩んだ。「2本あると良い」とどこかに書いてあったが2本で600グラムになってしまう。5日間で荷物の重さ6キロ以上、もう減らせるものはない。
出発間際に300グラムのストックを車に残し夫が木の棒で以前に作ってくれたものを持って行くことにした。これなら邪魔になれば途中で捨てられる。
では出発7時30分、朝の太陽が気持ちいい、今日は快晴だ。出発はマグダレナ修道院を正面に見て右の方に歩いていくと➡がすぐにあるので迷うことは無い。
マグダレナ修道院からサリアの街を出てしばらく下って行く。
軽いトレッキングコースの様な道で木が茂っている中を歩いていく。すれ違う人や追い抜いていく人に声をかけると書いてあった。「ブエン・カミーノ~」ちゃんと返事が戻って来る「ブエン・カミーノ~」今始めたばかりの新参者なのにベテラン気取りだ。
矢印やモホンMojon(サンチアゴの道にある石の道しるべ)がしっかりあって探して目的地に着くゲームに参加している気分だ。
緩やかな登りのある気がしげった道で歩きやすいハイキングコースといった感じだ。
ヨーロッパからの人が多いなと感じる。スペイン人より英語を話す人が多いかも。ドイツ語やフランス語、スペイン語はメキシコの人や、ポルトガル語はブラジルからの人達にもあった。アジアからは韓国からの巡礼者が圧倒的に多い。
途中怪しい東欧風女性3人組が署名を求めていた。マドリードの地下鉄で観光客を獲物と狙う集団に似ているなあと思っていたら、前を歩いていたイギリス人風男性は署名して寄付金をねだられていた。「こんなところにまで出没するのか・・・」とちょっと気持ちが引き締まった。
カミーノを歩く人達は皆善良で通り過ぎる村の人も親切なので人を信用しきった心のすきを狙ってくるところがプロだ。「すべてを信用しすぎない警戒」は必要だと思った。
歩き続けると登りもあるが木蔭の多い歩きやすい道が続く。
「1日に最低2個のハンコを押して目的地に行くこと」と書いてあったな。途中様々なところで「ハンコ=Selloセージョあります」と書いてある。「ふんふん、これだな」カフェテリアや教会等でクレデンシアルにハンコを押す事でちゃんと歩いた証明になるようだ。
サリアを出て約2時間で「Perscalloペルスカージョ」の矢印で道路を超える
交差点から1キロ程のところにパン屋さんがやっているカフェを発見、やっと休める、「休憩だ~」ハンコを押してコーヒーとビスコッチョをいただきます。そしてお手洗いへ。
ビスコッチョは日本のカステラの原型。ここで作っているに違いない、目茶美味しかった。今までの人生で食べたビスコッチョで一番だ。
ここで夫はメモ帳もボールペンも用意していなかったことが判明。「ボールペン貸して~」「え~」「誰の下見やってんの?ったく」まあ、いつもの事なのですが。
ここから10分程歩いたところにもう少し大きなバル・レストラン。ここはキッチンもあって食事も出来るようだ。
さっきの所はパン屋さんだけれどこちらはレストランなのでお食事メニューも充実していた。
私たちはガイドブックも無しで歩いているので見つけたところですぐに休憩してしまうが最初の所は混んでいてお手洗いも並んでから。そして少し歩くともう1軒、いや2軒そちらが空いていたケースは数えきれない、調べることは大事だと痛感。
ガリシアの農耕地を見ながら前に進みます。きれいな景色を見ると幸せな気分になれるんだなあ。
暫く歩いたので荷物を降ろして休憩。昨日の残りのおにぎりと茹で卵を平らげた。お菓子や果物、スナックをいつも出しやすい所で持っていると休憩の時に楽しめていいですね。口に何か食べ物を入れた時に人間の脳の幸福ホルモンがジワッと出てくるな等と日常ではあまり感じない事を思う。
後ろから日本語が聞こえて来てびっくりして「あら、こんにちは~」と話しかけた。別々に歩いている女性2人で色んな所で一緒になってまた再会したばかりらしい。ひとりで歩く人が多いなあ・・・
暫く歩くとなんだか人だかりが出来ていて「何?」って覗いたら「わあ~ここからサンチアゴまで100キロ」のモホン=石の道しるべでした。800キロ歩いてきた人は感慨深いだろうなアと思いながら私も「ペルドーンすみません」小さくなって一枚パチリ。さっき歩き始めたばかりですが・・・
その後1キロ程歩くと、なんだろ?ここは?
ここで休憩してください無料ですと書いてある。
サンチアゴまで99キロ地点位の所に無料の休憩所。地元の農家が場所を提供してくれていて飲み物や食べ物、お手洗いも使わせてくれる。これはありがたい、なんか陽気なセニョールが「Corazon grande a compartir=広い心は分け合いましょう」と言っている。
Donacion=寄付金と書いたところに少額入れていくようになっていて私たちも3€程の小銭を入れた。全然入れない人もいたり紙幣が入っていたり人の事は気にしないで自分に払えるだけ払えばいいという事だ。飲み物や果物やお菓子等、有り難い。
ログローニョから来たカップルと同席になった。去年のサン・マテオ祭楽しかった話で少し盛り上がった。さあ出発しましょう。
十字架に石を積んでいるのは神社の鳥居に石を置くのと似ているなあ。人間の行動は深い深い所で繋がっているのかもしれない。
最後はずっと太陽が当たる道だ。有り難いのは西に向かって歩くので午後になるまで顔に日が当たらない。
時々地図が置いてあって現在地を確認できる。ポルトマリンまであと少しだ。アメリカに住んでいる韓国人のセニョールが「日本人ですか」と片言の日本語で話しかけてきてしばらく話しながら歩いた。
矢印が二つに分かれていてどっちでも着けるみたい。左は歴史的な道で右は迂回路なのか?
歴史的な道を行きます。
「うわ~」ポルトマリンの街が見えて来た、写真で見たことがあるやつだ。「すごいッ、着いたんだ」ゆっくりだけど歩けば着く、当たり前だけど感動した、21キロも歩いたんだと驚いた。
ポルトマリンの標識が嬉しい。
「到着だ~」とここで脱力しかけたらなんとこの階段を登って行くらしい。階段の下で力尽きた人が何人か座っていた。みんな冗談を言ったり声をかけていく。「ここは関所か?」「上まで頑張ったらビールをおごるから頑張れ!」とか言っているのはスペイン人たち。こういう他人と冗談を言い合える人間同士の距離感が好きだ。
階段を登って更に登り坂をが待っていた、がんばれ。ポルトマリンの看板があった。「写真撮って~」とラテン・アメリカ風のスペイン語を話す女性に頼まれた。ひとりで歩いているらしい。「はいはい、パチリ」スマホの画面中央が割れていて旅の長さを想像させた。
パブリックのアルベルゲに到着14:30、という事は21キロを7時間かけて到着。「この時間だと遅すぎでもう泊まれないかもね~私はホテルでも良いよ~(にっこり)」と言いながらアルベルゲに入って聞いてみたら「まだベッドありますよ」にちょっとがっかり。受付でクレデンシアルと身分証明書を見せて6€x2を支払う。
ハンコを押してもらい荷物を降ろし到着した実感に浸る。
使い捨てのシーツを渡され部屋番号を言われた。部屋だけ決まっていてベッドはどこを使っても良いらしい。「今月は未だ空いているのよ、来月から混むわね。」と受付の女性。
出口に近いベッドの下の段を2つキープして混む前にシャワーを浴びます。「え~うそでしょ」夫がシャワージェルを持って来て無いって。「私のを使う?」「少ししか持って来て無いのに~」「ったく~」
シャワーブース。予想通りシャンプーとか置くところなし。ベンチだけあったので脱いだ服はそこに置けた。
「S字フックがあると便利」と友達に言われて持ってきた、ここで活躍。念のため貴重品はシャワー室の中まで持参した。
公共スペースは広々していて綺麗に掃除されている。スペインはどこも掃除が行き届いている自信がある、と私が威張ることでもないが・・・
キッチンには鍋が一つ置いてあった。後ほど韓国人のグループがラーメンを作って鍋ごと食べていた。ズルズル音をさせ食べていて韓国も音をさせて食べるんだと勉強になった。
裏側の庭に洗濯機と洗濯場、800キロの長旅の人はありがたいでしょうね。
選択物干し場もあり洗濯バサミはみんな自前のようでした。無い人の洗濯物は落ちていたので。
一息ついたら街へ出かけて9月の仕事で夫のグループが宿泊するホテルを見に行って下調べ。
近くにあったサンペドロ教会、でも閉まっている。
街の中心部に商店やスーパー、バルやレストランが集まっている。ロマネスク様式のサン・ホアン教会や市役所があるあたりがセントロ=中心部だ。
サン・ホアン教会、ロマネスクの入り口の彫刻が素敵で見とれる。
サン・ホアン教会の入り口の彫刻は両手を口にくわえて「あわわ~」って言ってる感じが気に入った。この足はどうなっているんだろう、としばらく考え込んだ。
街にお店が何軒かあり必要な物はたいてい購入できる、サンダル、ストック、寝袋、雨具、シャンプー、日焼け止め。
途中であったスペイン人の3人組に声をかけられた。「モニカ~(私?)ジントニック飲んでるぞ~」途中の山道で1人が膝が痛そうに歩いていてポルトマリンに着いたら「ジントニックで洗礼だ」と言っていた人達だ。
教会の前のバル・レストランで夕食をいただきます。Platos Combinadosプラトス・コンビナードスはお皿にお肉も野菜も乗った一品で終われる代物。頼んだのと違うのが来たけど注文を取りに来た店主らしきセニョールは肩をすくめるのみでした。
「ガリシア人はケチ」とよくカステジャーノ達が言うのはこれに違いない。お店で働くラテン・アメリカ人風のカマレラに「店主は耳が悪いんじゃない?」と言ったら、「そうだそうだ、本当にそうなのよ」と笑いながら激しく同意していた。向こうにいる店主にはそれも聞こえていないみたいだった。
機嫌を直してアルバリーニョの白ワインで無事到着を乾杯。教会ビューで色々2人でお喋りして過ごす夕食、ひとり人旅の人はどうやって時間を過ごすんでしょう。まだ明るいけれど明日の準備をして早く寝ましょう。誘眠剤と耳栓とアイマスクで私はベッドに入った後すぐに記憶が無い。
サンチアゴの道2日目<ポルト・マリンからパラス・デ・レイ22キロ>
気が付いたら朝だった、それくらい良く眠れた。朝6時前に起きて暗いうちから準備。6時30分に出発。夫は隣の人の巨大いびきで眠れなかった様子。しかも出発前の友人の引っ越しの手伝いの後遺症でギックリ腰の前兆らしい、お気の毒。
暗いうちから沢山の人達が無言でキビキビ準備していて不思議とこちらの気分も高揚してくる。「静かにちゃんとキビキビしなくちゃッ」懐中電灯が役立った。
6時25分ポルトマリンのアルベルゲを出発。まだ暗い中出発するとなんか頑張っています感あって嬉しい。
暫く軽い登りが続く。雨が降りそうだ。後で調べると5キロの道のりで200メートルほどの高低差の所を登って行く。あ~少し明るくなって来た、景色が綺麗で森の臭いが変わって行く。
見晴らしが良い所でみんなポンチョをつけ始めた、霧雨が顔にあたる。手がかじかんで冷たい。最後に家に手袋を置いてきたけれど有っても良かった。
歩き始めて約2時間(7.7キロ)サンチアゴまで84キロ地点にカフェ。ここまで休憩するところ全くなし。
暖かいコーヒー飲みましょう、混んでいるけど仕方が無い。
カフェ・コン・レーチェ(ミルクコーヒー)とパン・トスタード・コン・アセイテ(トーストにオリーブオイル)で朝食。暖かいコーヒーでホ~ッと一息。暖かい物を口にすると落ち着くね~。他の旅人たちも皆顔がほころんでいる。カフェx2とトスタードx2で5€60C
そこから1キロ程歩いたところにもアルベルゲ・カフェがあった。ハンコだけ押したけれどあまり感じが良くなかったなあ。「巡礼者は迷惑なのか?」とちょっとムッとなった。
そしてさらにしばらく歩いたところに木蔭があるカフェがあった。素敵な木蔭でここまで頑張ればよかった。調べていないので毎回混んでいる一個目に入る私たち。
今日は木のあまり木が無いコースなのかなあ、登りも多い
石の道しるべに数字がかいてある。サンチアゴまで79.957キロ、当たり前だけれど確実に減っているのでダイエットみたいで嬉しい。
暫く歩くとサンチアゴまで78、1キロ、間違いなく歩けば数字は減って行く。
ポルトマリンを出て約3時間半ほどの所に割と大きなバル・レストランventas o cruceiro。ここはアルベルゲもやって重要な宿場町なのかも、自転車を沢山積んだ車が止まっている。ここから自転車をレンタル出来るんだろうか。バルの中に入るとプラトス・コンビナードスやタパスがあって休憩や食事にもよさそうだった。
すぐ後ろに小さな礼拝堂があった。中にいた随分年配のセニョールが「ここはテンプル騎士団の管轄なんだよ」と色々説明してくれた。「ハンコを押すときに手を添えて押したい所に持って行って欲しい」と言われて初めて目が不自由な事が判った。小銭を入れる箱があったので少額置いてきた。
教会の横にクルセイロ(石の十字架の目印)と大きな樫の木。大きな木を見ると嬉しくなる。時間があれば木の下でお昼寝がしたい。
ポルトマリンから4時間30分程は歩いたか、小さな村の建物の入り口の果物にフリーと書いてある。
と中に入って行ったら「コーヒーやお手洗いどうぞ。ハンコもありますハグもします」と書いてある。
キリスト教系の組織みたいだけれど後で勧誘されるか?と少し構えたが心配無用だった。少し座らせてもらってコーヒーをいただきお手洗いを借りた。他の巡礼者と少し会話をして寄付金箱に小銭を入れて出てきた。「グラシアス」「ブエン・カミーノ」
外にfuente del peregurino巡礼者の泉と書いてある。水を自由にくめるようになっていた。有り難い。
ここの下り坂は自転車の人はいいなあ。さっきのアルベルゲの所からレンタルで移動する人達なのか。
12時を過ぎてもう目的地パラスデレイにもう入るみたい。既に5時間半は歩いたわけだ。村らしくなって来た。
これはトウモロコシを乾かして保存する入れ物らしい。ネットで検索した時に出てていた~、と嬉しい。
で、もう街かと思ったがまだ街道が続く
パラスデレイに入る手前に9月のグループが宿泊するホテルがあったので先にチェックに入った。わあ~素敵な所~私もここが良いなあ・・・でも予算オーバーでしょうね。
昨日眠れなかった夫は「今日はアルベルゲには泊まらないぞッ」と言っているので「やった~」とペンシオンか個室のアルベルゲを探す。ネットで調べて個室で部屋40€の所があった。
パラスデレイの街の入り口にあるO Castelo。重い荷物と20キロの移動で疲れ切った体で入ったら階段が待っていた。そこまでは調べきれなかった。
部屋にはベッドが5つだけどお2人でお使いください。
想定通りシャワーのみでしたが、清潔で静かで快適でした。
キッチンも自由にどうぞという事で夜はここで食べようか?
シャワーを浴びて夫に私流の「ぎっくり腰の調整体操」を享受した。具合が良くなったので街に出よう。スーパーで夕食用の食糧を買いこみお昼はレストランで食べましょう。美味しい物を探すのは夫の仕事で感が良いのか外れることは滅多にない。
「ここが良い」パラスデレイの街の中心(と言っても知らずに通り過ぎそうな中心部)にあるレストランの定食をいただくことに
10€で前菜・メイン・デザートがそれぞれチョイスできてワインもついている定食メニュー・デル・ディアだ。
前菜はガルバンソ=ひよこ豆にした。暖かい物でしっかり胃袋に届くものが食べたい気分だ。
お皿はガリシアの磁気サルガデロスに統一されていた。メインに子牛のグリル。
デザートにティラミス
ワインはラベル無しのリベイロ(ガリシア)の赤が1本「どん」と真ん中に。フルーツジュースの様で軽くて美味しかった。スペイン人のひとりで歩いているセニョーラが食事に入って来て挨拶をした。今日は色んな所で一緒になった。
食事のあとガイドブックを購入した。2種類あったけど薄くて軽いミシュランの物にした。もっと早く購入しておくべきだった。
ペンションに帰ってお昼寝、洗濯、明日の準備をして夕食はテラスでワインとサラダと買って来たハムとかで軽く済ませる。
お昼にしっかり食べたのでお腹は減っていない、軽くて充分。
「食べたら寝るだけ」という素敵にシンプルな毎日。これが人間の生きる本当の姿に違いない。何も心配事は無い、あす起きたら歩けばいいのだ。
夫「誘眠剤~ちょうだい」私「え~自分の分しか持って来て無いし・・」「ったく」
サンチアゴの道3日目<パラスデレイからアルスーア29.5キロ>
とにかく良く眠れた。夫もぐっすり眠れ腰の痛みも良いらしい。起きたらベッドの横に荷物が散らかっていて自分でビックリした。兎に角寝たらしい、それくらい疲れていた。
ベッドの枕元にあった。Levantate con energia y peregurina con alegria. 韻を踏んでいて元気が出るのでこれを呪文に今日の約30キロを乗り切ろう。
夫がキッチンでコーヒーとパンの朝食を準備してくれた。暖かいコーヒーを飲めるだけでありがたいと思える。
7時20分出発、出発は予定より遅いけど充分休んだので満足。今日も少し小雨。もし今日30キロ歩ければ1日余裕が出来てサンチアゴで1泊泊まれるのだ、やってみよう。無理なら途中で泊まればいい。
宿場町らしい風景、雨上がりの湿った空気も悪くない。
それにしてもひとりで歩く人が多いなあ。
私たちはずっと話しながら歩いていてそれも楽しいけれど、ひとりの人は心の深い深い所まで旅をしながら歩いているのかも。
「あれっ」人だかりが出来ている、「なになに?」
どうやらクレデンシアルのセージョに蝋の押印をしてくれるらしい。
「日本人か?」と聞かれた。「そうだよ」と答えると「来年東京に行く。パラリンピックだ」それで彼が車いすだったことに気が付いた。La Huella 足跡という意味の蝋を付けてくれた。「スエルテ~幸運をね~」と言い合った。
そこにバルがあったのでコーヒーを飲んでお手洗いを使っていく。コーヒー1€20x2
直ぐさきにもバルがあって、どうやらここと仲が悪いらしく向こうからしきりにラッパの音で牽制していてこっちのバルの主人も何だかんだ言い返している。なんか松竹新喜劇みたい。こっちのバルにみんなが入って行くので次のバルはそれが面白くなくて悪口を言い合っているらしい。カミーノは人生の道やなあと実感する。色んな人達が道にいてそこには様々なドラマがある。
少し先に教会、この村の教区教会のようで入り口入ったところでセージョを押してもらって少し小銭を入れる。
モホンの上に履きつぶした靴を置いて行くのが流行りなのか。
いよいよメリデに着いた。パラスデレイから15キロ地点で9月のグループはここで宿泊だ。街に入る手前に橋が架かっている綺麗な街だ。15キロなんて何でもない。
橋のたもとのバルレストランが良い感じだった。9月はここでランチも良いねとメニューを見せてもらった。
国道の方に行って9月のグループの宿泊ホテルをチェック。ホテルのオーナーはとても感じの良い人で色々教えてくれた。メリデはタコが有名でホテルの近くの店を教えてくれたのに今更いかなかったことに後悔している。この日は30キロ歩くので気持ちに余裕が無かったのだ。さあ前に進もう。
メリデを出たらまた木が茂った綺麗な街道。
自転車に荷物を積んで引っ張るのも大変でしょうね。
メリデを出て4.5キロでボネンテという村、教会があり国道と交差している。
暫く登り坂が続き次の村カスタニェーダの集落にバルがあった。14時になってお腹も減ったので休憩しましょう。
一つ目はやめて次のバルに入って「トルティージャでも食べましょう」と荷物を置いて座ったら「トルティージャは無い」と愛想悪く言われてしまった。前のバルにはもう戻りたくないし、ちょっとしょんぼりしながら前に進む。「ガリシア人愛想悪すぎっ」
川のほとりにベンチが有ったのでここで休憩する事にした。
昨日買った缶詰とマドリードから持ち歩いている生ハムと昨日の残りのパン。これで充分美味しいランチになった。
森の中を歩いて行く。時間によって森の臭いが違うのだ。
アルスーアの標識が見えた。
あともう少しの所からまさかの登り坂。もう気力のみで一歩一歩、前は見ないで自分の足だけを見て歩いて行きそして到着した。歩けば着くんだと知った。
9月のツアーの下見をしたペンションで力尽きもう立てない。値段を聞いたら少し安くしてくれるというしここに泊まる事にした。ペンション・ア・ルア部屋40€で朝食別。明日食べるんだったら朝食もひとり3€でいいよ。優しさが身に染みた。
部屋の写真も撮り忘れ次の朝に取ったので乱れた状態です。
バスルームはもちろんシャワーのみですが熱いお湯が充分でました。
お掃除も行き届いた清潔なお部屋でした。
巡礼の街はどこも先に道が出来た後街が出来たので細長い。道沿いに宿場町が発展していったのが良くわかる。
街の中心部ではガイタ(ガリシアのバグパイプ)のコンクールの様で村人が集まっていた。
30キロも歩いたからにはお祝いをしなければ。夕食は美味しい所をみつけましょう。ネットで検索したらここが一番というので来てみたのが「カサ・ネネ」「Casa NENE」
19時30分頃予約なしで入ったら「今は満席、15分位まったら何とかなる」と言う。結局30分位待って「忘れられている?」って頃にどうぞと2階に。「やっぱりガリシア人て愛想悪いよね~」
2階に案内され、なんと小さなレストランでこれは待っても仕方ないと納得。 ほとんどが道を歩いている人達のようだけれどちょっと綺麗な服装の人もいてちゃんと着替えを持って来ているんだねえ、と感心した。
メニューはどれも今風のメルカード創作料理風。前菜にエビのフライ
何を食べたのか全く記憶にない一品
ソロミージョ牛肉のフィレの焼いた料理
ワインはガリシアのゴデージョというぶどうの白ワインを一本
食事の後の記憶が殆どなく起きたら朝だった。何と平和な毎日なんでしょう。
サンチアゴの道4日目アルスーアからオーペドローソ19km
朝食は7時から、と言われ混んでいると困ると急いでやってきたら誰もいなかった。昨日のレセプションの女性がキッチンにいて「卵食べる?」
簡単なブッフェだが果物もあって巡礼者には充分だ。さっきキッチンで卵作ってた女性はもうホテルの方のレセプションで出発のお客さんの手続きをしていた。スペイン人働かないって言ってる人誰?
7時45分アルスーア出発
今日は雨は大丈夫な感じ。2.4キロ40分位歩いたプレグントゥーニョに1件目のカフェ更に20分程でもう一軒カフェがあった。
昨日の雨で道はぬかるんでいるが今日は足に豆が出来て靴を履くと痛いので靴下を履いてトレッキング用のサンダルを履いて歩いた。
遠くから「ジントニック~」と聞こえてきた。ポルトマリンで合ったスペイン人の3人組のセニョールたちだ。見違えるほどのスピードで歩いていった。ジントニックを飲んだら元気になるよとか言っていたなあ。なんだか戦友にあった気分だ。
アルスアから6キロ地点、2時間半位でカルサダという集落にカフェ。お手洗いが女性の方が壊れていて列が出来ていた。ジントニックのおじさん達はここで休憩らしい。私たちはもう少し進んでみよう。
ビール瓶で作った門があるバル。ビール瓶に日付と名前がはいっている。沢山の人達が飲んでいったビールに歴史。
ビール瓶で作った免罪の門プエルタ・デ・ぺルドンと書いてある。
更に先にはアルベルゲの壁に巡礼者の履きつぶした靴を植木鉢にして飾ってあった。靴は巡礼の象徴やね。800キロ歩いたら潰れるのかな。
時々で会う逆向きに歩く人、何故なんだろう。サンチアゴは後ろ。
次の村ボアビスタに着いた。休憩所があるみたいなので覗いてみる。ここは写真屋さんもやっていて記念写真を撮ったらサンチアゴで受け取れるという。
外にポートレート写真が飾ってある。Casa da boaVista眺めが良い家かな、ガリシア語はほとんどポルトガル語やね。
建物の中はとっても素敵でお手洗いも男女別で綺麗。農家がやっているんだと思う、広い農地が見えるテラスでコーヒーをいただき休憩。荷物を降ろすとホッと一息だコーヒー2杯で3€80centは少し高めかもしれないが美味しいコーヒーでした。
更に2キロ程歩いたところに村があった。Salcedaサルセダ。サンチアゴまで28キロ位の地点。定食8€は安いけど見るだけ。
ここから1キロ弱位、サンチアゴまで27.3キロ位の所で国道に面したところにもう一軒。広いParrilladaと書いてある炭焼きもやる本格的レストラン。
更に2キロほどでレストランがありこの辺りは休憩するところは沢山あった。
あとサンチアゴまで25.026キロ。少しづつ近づいている。必ず減って行くのが嬉しい。
13時ア・ルアに着いた。ここはは9月のグループが宿泊するところ。5時間程で18キロ歩いたことになる。素敵なペンションはお掃除終わったばかりみたいなので扉の外から9月のグループの件で少し話をした。サンチアゴの道のペンションはどこも13時頃には入れるようだ。みんな早く出ていって早く着くからという事ですね。
あと1キロで本日の目的地オーペドロ―ソに到着です。「今日はどうしよう?」「せっかく寝袋背負って歩いているのでもう一泊位アルベルゲに泊まってみようか?」と私たちの意見がまとまりパブリックのアルベルゲに行ってみる。
丁度ペドローソの街に入ってすぐにアルベルゲがあった。
なんだか機嫌が悪そうなセニョーラが受付け「ベッドは有ります」。身分証明書とクレデンシアルを見せてひとり6€x2を支払い使い捨てシーツを受け取る。
ベッド番号32と33、2段ベッドの上と下だ。ベッドの準備をしてシャワーを浴びて洗濯をして出かけます。
公共エーリアは広々していた。
コイン式の洗濯機。
洗濯物を干すのも競争率は高い、既にいっぱいだ。
ここのアルベルゲが良かったのはベッドごとに電気があった。
今夜の睡眠用に誘眠剤を買いに薬局に行った。私が持ってきたのは飲み切ったので購入する。
サンチアゴの道らしく足の豆用品が全面に出ていた。
ランチは薬局で夫が美味しい店を教えてもらっていた。地元民に聞くのが一番だ。薬局からも近い「お肉ならここ」と言われたらしい。Asador Pedrouzo
入ったところは満席だったが奥の方に案内された。お肉のメニューでサラダとデザートもついてひとり15€。アツアツの鉄板で自分で焼きながらいただく。
美味しいハウスワインもついてサラダとポテトフライ。
デザートにチーズケーキ。
話しかけてきたのはアメリカに住む中国人。去年日本に行ってとても気に入ったので又行きたいらしい。サンチアゴの道はフランスから歩いているという。
ランチにしっかり食べたのでもう夕食はいらない感じだった。明日の準備をして果物とピスタッチオで終了して早くねます。今日は夫も誘眠剤を飲んで眠れるでしょうか。
サンチアゴの道5日目ペドローソからサンチアゴ20キロ
今日はサンチアゴに着くので周りの人達もみんななんだかソワソワしている気がする。早くから動きはじめて6時頃にはざわついていた。夫も今日は眠れたようだ。持っていたコーヒーを電子レンジで沸かしたお湯で作ってくれた。6時50分出発。街を出るのに矢印が無くて少し遠回りをしたようだ。昨日のレストランの方から行けばよかった。
早朝の森の臭いや鳥の声、毎日歩いているから少しわかって来た。時間によって森の臭いが変わって行くのだ。歩いているときに胸の奥の方からフツフツ沸き上がって来る幸福感に満たされる。脳から出る幸福ホルモンとは別のシステムの様な感じでもっと原子的な人間の根源の奥深い所から湧きだしてくるような不思議な感覚だ。
せっかく買ったガイドブックに出ているSan Antonという村は通過しなかった。このガイドブックなんだかあちらこちらで違っているなあ。1時間程歩いたところにバル、トンネルを超えてもう一軒バル。私たちは休憩なしで歩く
その後軽い登り、しばらく行くとまた人だかり。覗いてみたら蝋のハンコを押してくれるらしい。並んでいるからここは通り過ぎる。もうハンコも随分集まったしね。
モホンに大きな石を積み上げた人、すごい力持ち。
サンチアゴ空港の近くを歩く。飛行機が降りてくるのが間近に見えた。
空港の敷地の金網のすぐ横がサンチアゴの道なんだ、というか「道」の方が先にあったんだよね。
Labacollaラバコジャの村に入ったところに2軒バルがあった。休憩しよう。コーヒー2とドーナッツ2で4.6€
大きな豪邸が続く住宅街を歩く、登りが続く。
キャンプ場があってそこに売店とレストランがあった。もうこの辺りはサン・マルコになる。サンチアゴはすぐそこだ。
キャンプ場から更に1キロほど歩いたところにもレストランがあった。ここは街にあるようなレストランでメニューをみたら食べてみたくなるようなものがある。この先のサンマルコに泊まって次の日サンチアゴに入るような予定ならここでランチもいいと思う。私たちはサンチアゴに本日中に着きたいので前に進んだ。
サン・マルコ教会に到着。ここはサンチアゴの観光をするときにグループのお客様と時々やって来る所でモンテ・ゴソのすぐ近くだ。ローマ法王ヨハネパウロ2世が1998年に訪れた記念のモニュメントがある。そして世界のカトリックの若者の祭典が行われたときに大きなアルベルゲが作られた。にここで宿泊して明日の早朝にサンチアゴに入る人も多いに違いない。
サンマルコ教会から少し巡礼の道から外れていつものモンテゴソのモニュメントに行った。旅行会社のサンチアゴの観光のパンフに乗っているところなのでここはバスでやって来て写真を撮る場所、実際カミーノを歩いている人はあまり行かないようだ。天皇陛下が皇太子だった時に日西友好行事で訪問されて遊歩道が綺麗に整備された。
ここからサンチアゴ・デ・コンポステーラの街まで「たったの5キロ」が随分長く感じた。歩くところが今までの様なウキウキする綺麗な森じゃないからだと思う。
車が走る大きな道路やスーパーやガソリンスタンドを見ながら、サンチアゴの街は大都会なんだと感じた。マドリードから直接到着した時の印象と同じ町に入った時の感じ方がこんなに違うんだねえ。
旧市街に入って行くポルタ・ド・カミーニョに着いた、かつてここには巡礼者が街に入る城門があった。今は名前だけが残るここからサンチアゴの旧市街に入る。
巡礼の門を入るとセルバンテス広場を通り抜け大聖堂に到着だ。
こんなに待ち焦がれたサンチアゴの到着なのに、もう終わってしまうんだと大聖堂に近づくほどに切なくなった。「泣いてしまう程嬉しい」に違いないと想像していたので自分の心の動きに動揺した。心が空っぽになったのだ。
大聖堂は現在工事中で中に入れるのはプラテリアの入り口からで9時から20時のみ。まずはサンチアゴ様にご挨拶をします。リュックをその辺に「ぽいっ」と置いて中に入った。
サンチアゴ様のお墓にご挨拶に行こうと思ったらものすご~く混んでいた、私たちはもう少し後で戻ることにして巡礼オフィスに向かいます。この時間は巡礼者が皆歩いて着くので混むんですね。
巡礼オフィスも大混雑で40分程並んで証明書を手に入れました。
別途3€支払うと「歩いたキロ数を書いた証明書」がでる。カウンターで何か聞かれたらこれですが夫よく話を聞いていなくて「シーシーはいはい」と言って購入していた。
ランチはこの近くの評判が良いレストランに予約なしで行ってみたら「この席で良かったらどうぞ」と案内された。
A Horta do Obradoiro オブラドイロ広場から徒歩すぐの所。
イカスミのリゾット
オックステール
デザートはガリシアのデザートでフィジョア、クレープの中にクリームやアイスクリームが入っている。
宿泊はモナステリオ・サンフランシスコ・ホテル、最後だけちょっといいホテルに泊まりたかった。
ネットでホテルの公式ページから探すと巡礼者値段で割引料金一泊朝食付きダブル・ルーム1部屋175€。
休憩の後午後に大聖堂に入ったら随分空いていてゆっくりサンチアゴ様にご挨拶をしてきました。膝をついてお墓に向き合ったら空っぽになった心がじわじわと何かで満たされていって涙が出た。
翌日、サリアに戻ります
久しぶりのホテルでのんびりできた。チェックアウトをして朝からもう一度大聖堂に戻りサンチアゴ様に挨拶をした。あとは帰るのが惜しくてサンチアゴ・デ・コンポステーラの街をうろうろ。時間があればフィニステーレまで行ったに違いないが帰らなくては、仕事が待っている。サンチアゴの台所「アバスト市場」のタコ屋は月曜も開くらしいので行ってみた。(スペインでは市場の魚屋は月曜日休みなので)
新市街地に出来ているメルカード・ラ・ガリシア―ナはマドリードのサンミゲール市場の様なフードコート仕立て。寿司屋もあった。
バスターミナルに早めに歩いて行って15時30分のルーゴ行きのバスに乗りましょう。窓口に誰も来なくて心配になったが14時45分窓口に人がやって来た。切符を買う時に「サリアまで行くんだけど~」といったらサリア直行があるけど「15時発はあっちの会社」「エーあと2分」とダッシュしたのは私たちだけでは無かった。調べ方が甘かったが、ぎりぎり間に合った。
サンチアゴからサリアは約3時間のバスの旅。5日間かけて歩いた距離をバスで3時間で戻るのは不思議な気分だ、歩いた道とは違うルートだけれど。
サリアのバスターミナルに到着。
マグダレナ修道院まで歩いて戻って行った。キャンピングカーが無事待っていてくれた、少しだけ心配していたので安心。
一緒に歩いた杖は家まで持って帰る、もう捨てられない。
車のエンジンを掛けて、さあ出発。この時期は22時頃まで明るいので行けるところまで行って休もう。
途中お腹が減ったのでラーメンを作っていただきます。
カスティーリア・レオンに入るとどこまでも平ら。カミーノもここはつらいだろうなあ。
私は途中記憶を失っていたが気が付いたらマドリードに帰って来ていた。12:30マドリードの家に無事到着。
サンチアゴの道の旅を3分間のビデオにまとめてあります。
カミーノが終わって
あっという間のサンチアゴの道の旅でした。マドリードで日常に戻ってこれを書いているが、まだ歩いていた時の森の臭いや鳥の声を思い出す。辛かったけど重い荷物を持って道を歩いている時が幸せだったと後から気が付いた。道は人生なんだなあ。