マドリッド市内から空港ターミナル4への行き方4つの方法

 

マドリッド・バラハス空港ターミナル4へのマドリード市内からの行き方を説明します。マドリードの空港は市内から14キロしか離れていないので他のヨーロッパ主要都市に比べても近くて便利です。注意は空港ターミナルは4つに分かれていて乗る航空会社グループによってターミナル1から4まで有るのでどこに行くのか先に知っておきましょう。国際線と国内線という分け方ではなくエアーラインのグループごとに分かれています。通常Eチケットに出発ターミナルが記載されています。各ターミナル間を無料のバスが巡回しています。

ここでは市内からターミナル4への行き方の4つの方法を説明します。

マドリードのバラハス空港ターミナル4はワンワールドグループすなわちイベリア航空、フィンランド航空、英国航空等とそのコードシェア便(日本航空のロンドンから等)、エミレーツ、ダカール等が使っています。ターミナル4からは無料バスが他の各ターミナルへ巡回しています。

マドリード市内からターミナル4に行くには4つの方法。①タクシー、②エクスプレスバス、③レンフェ(スペイン国鉄)、④地下鉄(メトロ)の順で説明します。どこから出発するかで一番便利な方法を選んでください。

*逆ルート*

日本などからターミナル4に飛行機で到着後、空港から市内への移動の場合はこちらの記事をクリック

マドリード(バラハス)空港からマドリード市内へ移動。<ターミナル4の場合>

マドリードの空港ターミナル2の場合の記事はこちら

マドリッド 空港ターミナル2から市内と市内から空港の行き方の説明

タクシーは安全です

やはり安心安全はタクシー。M30環状線高速道路内は30ユーロ均一。ホテルなどから電話で読んでもらっても同じ値段、均一料金です。街の流しのタクシーも沢山走っていてマドリードは流しのタクシーも安全ですので乗って大丈夫です。朝や午後のラッシュアワーは少し渋滞があり30分~40分、それ以外の時間は20分位で空港まで着きます。

マドリードの流しのタクシーは上に緑のランプがついていれば空車、又はドライバーの横に緑色の字でLIBREと出ていると空車。

マドリードタクシー
筆者撮影

流しのタクシー止め方:手を挙げて止めるのは日本と同じ。ドアーは自分で開閉する。

チップ:荷物が重いとか沢山ある、またはずいぶん待たせたなどの時は少額チップを払う事もあるが1€とか2€の少額で大丈夫です。荷物重いのが2つあったら1€とかでとっても喜んでくれます。

ドライバー以外に4人乗れますがスーツケース大きいの4つは車のトランクに乗りきらないのでもう一台必要です。。荷物のサイズと車のトランクのサイズのよります。

ドライバーにスペイン語で「アエロプエルト、テルミナル・クアトロ ・ポル・ファボール。」又は英語で「エアポート・ターミナル4・プリーズ」と言ってください。タクシーは危険は無く怖くないですので安心して乗って大丈夫です。

エクスプレス・バス

次はエクスプレスバス。5ユーロで市内から空港へ約30分で運んでくれる。

始発アトーチャ駅からシベーレス広場経由で空港へ(時間によってはシベーレス広場発があるので注意)空港到着するとターミナル1・2・3・4の順に止まります。

バスの前から乗ってドライバーに5ユーロ支払う。50€紙幣20€紙幣は断られます(おつりが無い等)。10ユーロ紙幣か5ユーロ紙幣を準備しておきましょう。(50€紙幣で8人分払うとか20€紙幣で3人分払うなら大丈夫)

*切符は最後まで無くさないようにしてください。(時々抜きうち検査。正しい切符を持っていないと罰金です)

アトーチャ駅空港行きバス乗り場

アトーチャ駅の空港行きエクスプレスバスの乗り場は少しわかりにくい。空港行きバスの表示は無い。目指すはセルカニーアスCercanias=スペイン国鉄近郊線の標識。セルカニーアスCercanias=スペイン国鉄近郊線の改札からエスカレーターで上に登って行くと写真下の所に着ける。

アトーチャ駅のバス乗り場の写真

空港行きエクスプレスバス
筆者撮影

 

 

 

 

 

写真はセルカニーアスCercaniasの改札出口。ここから地上階にエスカレーターで登って行く。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

表示はこんな感じで下の写真の表示の上の文字の小さい字Salida Avda Ciudad de Barcelonaの方へ進み上に上るエスカレーターを見つけてください。標識文字下のPuerta de Atochaは新幹線Aveの方への案内なので注意です。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

エスカレーターに乗って地上階へ登って行く。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

登り切ると市バスの乗り場が有るのでこの景色が見えたら左後ろへ振り返ると空港行きバス乗り場。

マドリードアトーチャ駅
筆者撮影

バスの後ろに塔の上に時計が見えるので目印に。

 

 

マドリード空港行きエクスプレスバス
筆者撮影

アトーチャ駅の空港行きバス乗り場への行き方をビデオにまとめました。

 

アトーチャ駅からの時刻表の写真です。上が平日,下が土日祝日になります。早朝深夜も走っている24時間バスで空港まで約30分。15分から20分の間隔で走っています。上が月から金、下が日曜祝日。

時刻表
(注意)時間によってはシベーレスのみ。時刻表で確認できます。

*バス会社の公式ページです。別ウィンドウで開きます。

<空港行きエクスプレスバス路線と時刻pdf>

 

バスはターミナル1,2,3,4の順で止まります。到着ロビー(地上階)に着くので出発ロビー(1階)へ登って下さい。出発Departures又はスペイン語でSalidasを目指す。

 

電車<レンフェ>2019年11月まで一部工事有で注意

*チャマルティン駅界隈に宿泊でチャマルティンからレンフェに乗る以外は乗換が多すぎるのでお勧めしません


工事最新情報*2019年6月1日から11月未明まで空港行きの一部が工事に入ります。アトーチャ駅~レコレトス~ヌエボス・ミニステリオが工事に。

スペイン国鉄マドリード空港行きの工事
筆者作成マドリード空港行き鉄道の工事

<この工事中にレンフェを使っていくなら以下の3つの方法>

*「アトーチャ~ソル~チャマルティン」と「チャマルティン~空港ターミナル4」は通常通り運行。(ターミナル2にはいかないので空港間のバスを利用)

*アトーチャ~ソル~チャマルティンまで行きメトロ10号線でヌエボスミニステリオ、メトロ8号線に乗り換えて空港ターミナル1、2かターミナル4に行く。

*レンフェが代替え無料バスを運行。「アトーチャ駅~レコレトス~ヌエボスミニステリオ」ヌエボスミニステリオからレンフェに乗ってターミナル4に。乗り場は下を参照

 

<レンフェの無料代替えバス乗り場アトーチャ駅>

赤い丸のParada SE EMT

アトーチャ駅バス乗り場
筆者作成鉄道工事中の代替えバス乗り場

<レコレトス通りの代替えバス乗り場>

写真下の赤い丸にParada SE EMTと書かれたところ。

レコレトスのバス乗り場
筆者作成、鉄道工事中のバス乗り場

<ヌエボス・ミニステリオの代替えバス乗り場>

写真の赤い丸の中にParada SE EMTと書かれた所。

ヌエボス・ミニステリオからアトーチャに行く無料バスです。

ヌエボスミニステリオの代替えバス乗り場
筆者作成代替えバス乗り場

 

*******以下は工事していない時の通常状態の場合の記事です******

その次におすすめはRenfeスぺイン国鉄です。私は個人的にこれを一番使っています。地下鉄よりスリも少なく比較的すいているので安心です。段差も少なく大きな荷物があるときなどはメトロよりレンフェの方が楽でしょう。

どこから空港に行くかにもよりますがアトーチャ駅 ヌエボス・ミニステリオ駅からだと乗り換えなしで2.6ユーロです。

<スペイン国鉄近郊線の路線図>空港は中央より少し右上のC-1と薄い青で書いてあるところです。

マドリードレンフェ近郊線路線図

 

アトーチャ駅からだと30分でターミナル4に着きます。電車の内部の写真。時刻によりますが比較的すいているので大きなスーツケースを持っていても安心です。

通勤時間帯(8時~8時30分)はプリンシペピオ~アトーチャ~ヌエボスミニステリオ~又はアトーチャ~ソルは混んでいます。

スペイン国鉄ターミナル4
メトロ(スリに注意)

最後にメトロ(地下鉄)ヌエボスミニステリオから地下鉄8号線で空港ターミナル1,2と4に行くことが出来ます。どこから乗るかによって地下鉄が便利な場合は利用することになりますね。ほかの方法に比べてスリが一番多いので注意してください。

メトロ路線図。

メトロ路線図

メトロの切符は2017年よりICカード式になりました。Multiというカードを購入しそこにチャージしていくタイプで日本のsuica やicocaと同じです。紙の切符が無いので一回しか乗らなくてもMultiを購入する必要があります。一枚買えば複数人で使うことが可能です。

*空港の場合3ユーロの空港サプリメントが必要になります。出発の切符購入時でも到着の空港でも機械でムルティーカードに追加できます。

マドリードメトロカード

切符は自動販売機でタッチパネルです。画面の左上に英語を選べる所が有ります。解らなければ係員がいるので教えてもらってください。

メトロの切符自販機

どこから移動するかで一番いい方法を選んでください。

<マドリード地下鉄の乗り方と切符の買い方の記事>

マドリードの地下鉄(メトロ)乗り方や切符の買い方。(注意)2018年ICカード導入で紙の切符は無くなりました

 

ターミナル4

 

チェックインカウンターはモニターで探すことが出来ます。ターミナルが大きいので出発時刻の2時間前に空港に着けるように行くことをお勧めします。スペインの連休前後等チェックインカウンターが非常に混んでいることもあります。

ターミナル4は機能的な空港で建築も素敵です。
リチャード・ジェームスというイタリア生まれのイギリス人建築家の傑作。
波打った天井が建物にリズムを与えていて音楽が聴こえてきそうです。

ターミナル4
太陽の自然光が入るように工夫されています。
ターミナル4太陽光が入る
ガウディを意識したような自然界の森と木と木漏れ日なんでしょうか

木漏れ日
ファーストフード店で使いそうな黄色が全然安物っぽくなくて外に行くほど
色のグラディエーションがブルーになって行く。
建築も楽しめるターミナルです。

手荷物検査の中


シェンゲン内(ヨーロッパの関税協定)のフライトH,J,K,は中に入るとすぐエスカレーターを降りて出発時刻30分前にゲートへ。H5やJ13という風にアルファベットの後に数字が出ます。各モニターに約50分前位に発表されます。エスカレーターを降りていくとサラやマンゴ、ロエベ、マックスマラ、靴屋等様々なブティックが入っています。

パスポート・コントロールがあるフライト(シェンゲン外、イベリア航空で日本とかエミレーツでドバイへ等)のフライトはM,R,S,Uと書いた方へ進む(電気自動車に乗ります)。パスポートコントロールを受けてサテライトの方へ。こちらのショップは免税店でお酒や香水などが中心です。ブティックを見たい場合は先に済ませてから電車に乗りましょう。

注意:パスポートコントロールは時間がかかり混む事がありますので余裕を見て移動してください。

 

マドリード(バラハス)空港からマドリード市内へ移動。<ターミナル4の場合>

スペイン旅行の準備とモデルコース、旅行に必要な物は何?

 

スペインの旅行の準備を始めたけどどこ何日で廻る?どこに行こう?何がいるの?どうやって行くの?スペインの旅行の準備に必要な最初に知りたい事をまとめました。スペインは日本の1.3倍の国土。首都のマドリードは中央にあって北にフランス、西にポルトガルと国境を接している。南は地中海を挟んでモロッコ。ジブラルタル海峡のスペイン側は今も英国領で歩いて国境を越えられる。パリやロンドン、フランクフルト、アムステルダムなどから飛行機で2時間から3時間で主要都市に繋がっている。簡単なモデルコースを考えてみました。

 

スペイン旅行の準備


首都はマドリード。スペインのほぼ中央にあり大抵の航空会社でマドリードに飛ぶことが出来る。人気のバルセローナはカタルーニャ州にありフランスの南にあるのでバルセロナ行きのフライトがヨーロッパ各都市から出ている。南スペインアンダルシアならマラガに直接ヨーロッパの各都市から飛行機で繋がっているし、北部ならバスク地方ビルバオ、サンセバスティアンやガリシア地方のサンティアゴに飛行機で入ることが可能だ。旅行の目的や行きたい所に合わせて入り口を決めると良い。

スペイン地図

日本からスペイン


日本からの場合は飛行機で来ることになりヨーロッパ系、日系、アジア系、中東系各航空会社がマドリード、バルセローナ、マラガ、ビルバオ、サンチアゴ等に乗り換えで日本から就航している。

*イベリア航空日本スペイン直行便が週5回成田空港からマドリードへ。2016年10月から復活し週3便だった路線が2018年から週5便に増えた。イベリア航空エアバスはA330-200、機材が小さくスペイン人の訪日でいつも混んでいるので予約は早めに。東京近辺からはこれが最短でマドリードまで約14時間ノンストップ。

イベリア航空ホームページ http://www.iberia.com/jp/

*ヨーロッパ各大手航空会社が東京羽田、成田、関空等から欧州主要都市経由で。ルフトハンザ、エアーフランス、KLMオランダ航空、スイス航空、ブリュッセル航空、アリタリア航空等。ロンドン経由なら英国航空も有りだ。

*日本国空と全日空は東京羽田又は成田、関空からヨーロッパ各都市へその後同グループ会社のコードシェア便で各都市へ。

*エミレーツ、カタール等中東航空会社、ドバイやドーハ経由でマドリード、バルセローナへ。値段は安いですが長時間フライトになるのは覚悟。

*トルコ航空がイスタンブール経由でマドリード、バルセローナへ

*大韓航空、中国航空はソウル、北京からノンストップ便、キャセイがシンガポールからノンストップ便を飛ばしている。

 

 

スペイン国内移動


地図で見ると近くに見えますがスペインは日本より大きな国です。マドリードからバルセロナは624キロあります。

飛行機

・各主要都市間は<イベリア航空>とイベリア航空のLCC会社<イベリアエクスプレス><ブエリング航空>又は<エアーノストラム><エアーヨーロッパ>が各都市を結ぶ

・ライアンエアー>>アイルランドの格安航空会社。一部のスペイン国内路線を飛んでいる。

新幹線(AVE)

・スペイン新幹線>>マドリード〜コルドバ〜セビージャ、マドリード〜コルドバ〜マラガ、マドリード〜バレンシア、マドリード〜バルセロナ、マドリード〜セゴビア〜バジャドリ。マドリード〜グラナダ間工事中。マドリード 〜サンティアゴは途中在来線のレールを走る。

<スペイン新幹線路線図>

 

スペインアベの路線
renfe

 

長距離バス

・長距離バス各社が全国網羅している。道路事情が非常に良いので安くて便利。

*最大手のALSAのページです。

https://www.alsa.es/destinos-nacionales

ALSAは大きな都市を外国まで結んでいるバス会社でそれ以外にも各都市を長距離バスが結んでいます。

 

旅行期間


長いほどたっぷり旅ができるがお休みの都合や料金や又は長すぎるのも疲れる等いろいろありますね。10日間~12日間ほどあればかなり楽しめるはず。今主流は「短く何回も」のようで6泊8日位の日程が人気。金曜日から金曜日まで8日間でも実際現地では6泊、エミレーツ航空などを使うとさらに遠いので5泊になる。フライトは値段だけではなくせっかくのお休みの時間も有効に使うならイベリア航空か日系又は欧州系エアーラインでヨーロッパ都市乗り継ぎで16時間から20時間(乗り継ぎ時間による)くらいで着きたい。

初めてのスペイン・モデルコース6泊8日


初めてのスペインで<現地6泊8日>なら例えば(日本から8日間になります)

「①マドリード3泊、新幹線移動でバルセロナ3泊」

「②マドリード2泊グラナダ2泊バルセロナ2泊、都市間の移動は飛行機」

「③マドリード2泊、新幹線でコルドバ下車、コルドバからグラナダはバス移動でグラナダ2泊、飛行機でバルセロナへ移動して2泊」

「④ルフトハンザやエアーフランスでビルバオから入国2泊、バスでサンセバスティアンへ移動し3泊し近郊の小さな街を日帰りで楽しむ。ビルバオに戻り1泊して帰国」

「⑤マドリード2泊長距離バスでサラゴサ一泊、長距離バスでバルセロナ3泊」バスは新幹線より値段が安いので節約できてついでにサラゴサも見てしまう。サラゴサはローマの遺跡や大聖堂、ムデハル様式の建築物など意外と見るところが多い。

「⑥マドリード2泊新幹線でバレンシア2泊、鉄道で移動してバルセロナ2泊」バレンシアはあまり日本で知られていないが街は綺麗で物価も安くもちろん治安も良い。マドリードとバルセロナにバレンシアを入れるのもとってもいいと思う。

モデルコース8泊10日


「①マドリード2泊コルドバ経由でセビージャ1泊バスでグラナダへ移動し1泊バスでマラガへ移動し1泊、飛行機でバルセロナへ移動しバルセロナで3泊」

「②マドリード2泊新幹線でコルドバ経由でマラガへ移動し3泊(マラガ連泊しながらグラナダやミハス等へ日帰り移動)飛行機でマラガからバルセロナへ移動して3泊」

「③マドリード3泊新幹線でバレンシアへ移動し2泊、バスか鉄道でバルセロナに移動し3泊」

大手旅行会社のツアーだと無駄なく回れる。初めてのスペインはツアーで回るのもひとつの方法。効率よく見どころを網羅してくれる、その分旅の本当の楽しみは奪われる。コースを作る参考にもなりますので各社ツアーの内容を一度見てから計画を立てるのも良いと思う。

スペインの世界遺産


文化遺産40件自然遺産3件複合遺産2件合計45件。

人気世界遺産

1・アントニガウディの作品群(サグラダファミリア教会等)

2・古都トレド

3・アルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区

4・セゴビア旧市街とローマ水道橋

5・サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街

6・バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサンパウ病

7・ブルゴス大聖堂

8・アラゴンのムデハル様式の建築物

9・コルドバ歴史地区

10・メリダの考古遺跡群

 

順位は世界遺産オンラインガイドを参考にしました。https://worldheritagesite.xyz/europe/spain/

私の個人的な好みではトレドの中世の街、セゴビアの水道橋、グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータ、バルセロナの街並みやガウディ―の建築。北スペインでバスク地方のサンセバスティアンで食べ歩き、ビルバオのグッゲンハイム美術館。サンティアゴデコンポステーラの聖地。一度のスペイン旅行では廻りきれませんね。

 

必要な持ち物


*3か月以上有効のパスポート(3か月以内ならビザは不要)と念のためコピー

*海外旅行保険(カードの保険だとカバーされないケースが多いです。よく調べて保険に入ってきましょう)

*クレジットカード(ビザ、マスターが一番使える)は個人旅行の場合絶対必要です。宿泊ホテルのデポジットとして提示を求められます。ネットでモニュメントの入場券を買うのもクレジットカードやデビッドカードが役に立ちます。紛失した時の為に連絡祭電話番号やクレジットカードの番号は控えましょう。

*現金(日本で両替した方がレートがいい。)日数にもよりますが最低300~500ユーロはキャッシュを持ってきましょう)クレジットカードが何故か使えない、盗難にあう、様々なケースが想定できます。プリペイドカードやデビットカードも使えます。各社色々ありますので調べて作って来ましょう。

*腹巻型か首からぶら下げる貴重品袋(大都会での盗難置き引きが多発。パスポートと現金は腹巻に入れて行動)

*電気の差し込み口C型のプラグ。日本の電子機器などを充電する時に必要。(電圧は220ボルト)

*髭剃り、歯ブラシ、櫛、スリッパ、髪のトリートメント等(ホテルのカテゴリーによりますが5つ星以上でない限り付いていません。)

*常備薬、薬は同じものを探すのは大変です。特に命にかかわるものは飛行機に乗るときも手荷物で。スーツケースが目的地に着かないケースもあります。ロストバゲッジに備えて一泊分くらいの物は手荷物で持ちましょう。

実はスペインの魅力は田舎の街


有名な都市でサンプルを創りましたが実はスペインの魅力は小さな田舎の都市。テレビなどでバルセローナ等有名都市が特集されることが多いが少し足を延ばして素朴な小さな街へ行くと旅行の幅も広がって本当のスペインの良さを体験できると思う。例えばバルセロナからビックやマドリードからチンチョン、サンセバスティアンからオンダリービアと言った小さな街に路線バスで簡単にアクセスできるので余裕があれば是非行っていただきたい。昔の素朴なスペインがまだそこには残っている。

スペイン旅行のベストシーズン<スペインの気候と祝祭日>旅行の予定をたてる前に

マドリード観光、散策モデルコースとおすすめバル、初めてのマドリードなら外せないスペイン広場からマヨール広場、そしてバル街へ

マドリードの中心部だけなら歩いて楽しめる。この記事ではスペイン広場から始めて簡単な散策のあとにおすすめのバル巡り、マドリード散策モデルコースを作ってみました。最後にサンミゲール市場とマッシュルーム屋さんやマヨール広場でバル巡りを楽しんでください。

歩いて楽しむマドリード散策コース


スペイン広場(Plaza de España)⇐2019年6月から工事が始まりました。

スペイン広場は2019年6月から約2年間の改修工事が始まりました。周りが高い塀に囲まれて近づけなくなっています。次の項目エジプトの神殿から観光を始めてください。

スペイン広場
メトロ10番線と3番線「プラサ・デ・エスパーニャ」下車。グランビア通りや王宮のすぐ近くで街の中心です。スペイン広場というとローマが有名ですがマドリッドのスペイン広場が本家本元です。

スペイン中どこにでもスペイン広場がありますがマドリードのスペイン広場はドン・キホーテとサンチョ・パンサで有名です。写真中央。

この2人はラ・マンチャの男という小説の主人公達で左が憂い顔の騎士ドン・キホーテ。当時流行の騎士道精神の本を読みすぎて頭がおかしくなって自分も本の中に出てくる騎士の様な気がして旅に出た。となりでロバに乗っているのが一緒に来た従士のサンチョ・パンサ。約400年前の小説に出てくる主人公たちが出迎えてくれます。後ろの白い石像は作者のミゲール・セルバンテスです。

時期によってはお店が出ていたりイベントをやっていたりしますがマドリードを訪れた世界中の人達が必ず写真を一枚とる場所だそうです。

マドリード歩いて楽しむコースをビデオで

エジプトの神殿(Templo de Debod)

スペイン広場のメトロの出口から10分ほど歩いて行くとなんとエジプトの神殿がある公園がある。

Templo de Debod=デボ神殿という名のナイル川にあった2000年以上前の神殿で無料で入る事が出来る。

アスワン・ハイ・ダムを造る時水没する事になった沢山のモニュメントのひとつ。
それらを救うためにスペイン政府が援助したお礼にエジプト政府から贈られた。
「神殿のプレゼント」なので桁外れの贈り物です。
マドリードにあるエジプトの神殿マドリードにあるエジプトの神殿
入場無料無料。上記写真に開館時間が出ています。

4月1日~9月30日10時~2時と午後6時~8時、            10月1日~3月31日10時~2時と午後4時~6時。           土曜日曜祝日は9時30分~午後8時。                   休館日:月曜、1月1日、6日5月1日12月25日。

内部に入るとヒエログリフ(象形文字)が綺麗に残っている。
アメン神に捧げた神殿で2400年ほど前のもの。内部一番奥に石室があり秋分の日と秋分の日は朝日が真っ直ぐここに届く設計。二階に上がるとナイル川沿岸の地形図が展示されています。

神殿から外へ出て広場の奥の方へ行くとマドリードの郊外の森が展望できます。夕方来ると夕陽がとっても綺麗でマドリード夕日絶景のスポットです。(夏は夕日になるのが22時とかですが・・・)

王宮(Palacio Real)

再びスペイン広場方面に戻り東に向かうと歩いて13分ほどでマドリード王宮があるオリエンテ広場へ


王宮

マドリード王宮ともオリエンテ宮殿とも呼ばれてる白い綺麗な宮殿。1738年日本の江戸時代、徳川吉宗の頃に作られた王宮、現在は迎賓館。

特に公式行事が無いときは公開されているので入場することが可能。ブルボンの王様達が夏の初め暮らした王宮で内部は殆どそのまま公開されている。家具や絵画、天井画、晩餐会の大広間は現在も使われている。入口は上記写真の一番向こう側(アルムデナ大聖堂側)から。

入場時手荷物検査あり。内部の最初階段を登るまで写真撮影可能。王様達の暮らしたお部屋になるところから写真禁止。

冬季(10月~3月)10時~午後6時                   夏季(4月~9月)10時~午後8時

休館日 1月1日、1月6日、5月1日、10月12日、12月24日(15時で閉館)12月25、12月31日。さらに各公式行事、又予告なく閉鎖することが有ります。

 

プラサ・デ・オリエンテ(Plaza de Oriente)

王宮の前の綺麗な広場がオリエンテ広場(Plaza de Oriente)。お散歩する人達でいつも賑わっている。

マドリードのオリエンテ広場
De Luis García (Zaqarbal) – Trabajo propio, Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=789047

中央の騎馬像はフェリペ4世、プラド美術館の名作「ラス・メニーナス」の鏡の中にいるスペイン王でベラスケスの絵をもとに作った。

オリエンテ広場のフェリペ4世像
筆者撮影

 

ベラスケスが描いたフェリペ4世騎馬像
De Diego Velázquez – [1], Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4727424
注意:このあたりにスリが観光客に混じって時々やってきます。上手に隙を狙って知らないうちにお財布をすって行くプロの外国からきているスリ集団に注意。乱暴ではないのでちょっと気をつければ大丈夫です。

オペラ座を左に見ながら進むとカフェ・オリエンテというエレガントなカフェレストランがある。ここでお茶をするのもおすすめ。

カフェオリエンテ

朝食や食事も出来て夜は王宮を見ながらワインも楽しめます。スペイン国王もお食事に来る有名店。

このあたり王宮が見えるところに素敵なレストランやカフェテリアが沢山ある。夜は王宮の間接照明を楽しめる。(夏は暗くなるのは22事以降です)

王宮からラマレス広場                                                  (palacio Real~Plaza de Ramales)

王宮を背中に右のほうへ、緩やかな登坂を登って行くと
その先に可愛いパン屋さん。お散歩中のわんちゃん駐車出来ますの看板。

かわいいパン屋さん、ワンちゃんパーキング

広場にはベラスケスのパネルが
ここはベラスケスが埋葬されていた教会があったそう
ナポレオン戦争で破壊され画家のお墓は今も行くえ不明。

ベラスケスが埋葬されていた教会あと

サンティアゴ広場からサンミゲール市場へ

ラマレス広場から右手の方にサンチアゴ通りの方へ歩いて行くとサンチアゴ教会(Iglecia de Santiago)。マドリッドからサンティアゴの道を始める人はここからです。


サンティアゴ教会を背中にサンティアゴ通りを歩きます。小さなレストランや小売店が並ぶ良いムードの通りです。ちょっと路地に入るとルティエール(楽器工房)やゴヤが住んでいた家が残る。

ルティエール
ゴヤが住んでいた家
大きな通りにでたらそこはマヨール通り(Calle Mayor)。

マヨールはスペイン語で大きなという意味でマドリッドが首都になった頃に造られた大通り。フェリペ2世がトレドからマドリードに首都を移動したころに作られた通りです。

16世紀頃日本は戦国時代に作られた街が残るのがこのあたりです。。

サン・ミゲール市場(Mercado San Miguel)

目指すはサン・ミゲール市場。昔は本当に生鮮食料品を扱う市場だったが今はマドリッド人気スポットの飲食店が入るフードコートになっている。
中に色んなバルが入っていてここだけで充分楽しめます。随分混んでいるのと少し値段は高めで最近は地元の人は来ないツーリスティック。バルの人もあまり感じ良くないのが残念で私は行かなくなった。

朝の10時から夜0時ころまで毎日開いているので。真ん中に座れるように椅子とテーブルがあるのであちらこちらで買ったものをそこで座って楽しめる。ただいつも満員。

サンミゲール市場サンミゲール市場

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*サン・ミゲール市場のトイレは中で飲食したレシートを持って行けば無料。

マヨール広場(Plaza Mayor)

通りを挟んで四角いマヨール広場に行こう。1617年に造られた広場でお祝いの式典やお祭り、魔女裁判などに使った広場で今もクリスマスマーケットやワインまつり等年中賑やかです。真ん中の騎馬像はフェリペ3世。江戸時代に伊達藩の遣いが謁見した王様。

マヨール広場
マヨール広場
哀愁あるスパイダーマン。こういう路上アーティストも楽しめます。

 

サン・ミゲール市場の横の下り坂にはメソンと呼ばれる居酒屋は全部
昼12時頃から開き始め夜中まで営業。

アルコ・デ・クチジェロス(arco de cuchilleros)

 

アルコデクチジェロスはこの通りの名前。マヨール広場とサンミゲール市場の間のこの通りは洞窟のような細長い居酒屋風の飲食店が並びます。このあたりのレストランをメソン=mezonと呼びここは地元の人達も訪れる古くからあるバル街。

マッシュルーム屋さんやスペインオムレツ屋等が並ぶ。

マドリード・アルコ・デ・クチジェロス

マッシュルーム専門店(Mezon del chanmipinion)

メソン・デル・チャンピニオンに行ってみよう。マッシュルームの鉄板焼きを100年以上焼き続ける店だ。ここは人気店でいつもお客さんで混みあっているがみんなお目当てはマッシュルーム、そんなに長居はしないので少し待てば大丈夫。

マドリードマッシュルーム屋

 

メゾンデルチャンピニオン

メゾン・デ・チャンピニオンは細長い小さなお店。入ってすぐはカウンターでスペイン人は立ったままビールやワインにマッシュルームを2~3人に一皿で食べたらすぐに立ち去る。奥に小さなお部屋があって座ることも可能。少し混んでいてもお店の人に座りたい風のジェスチャーをすれば理解してくれて空いたら案内してくれる。

<マッシュルーム屋奥の座れるところ、壁にマッシュルーム>

マッシュルーム

 

マッシュルームだけなのでみんなそんなに長くはいないので少し待てば大丈夫。スペイン人はギューギューに無茶苦茶混んでいてもカウンターですが。

<入ってすぐのカウンターの所>写真は割と空いていた日です。

マッシュルーム屋

アツアツのマッシュルームを鉄板で焼いて岩塩とハムとオイルだけで調理。絶妙の美味しさなので是非とも試してください。

マッシュルーム

鉄板の熱気でガラスが曇った中ひたすらマッシュルームを焼き続けるおじさん。

マッシュルーム

注文の仕方:先に飲み物、その後食べるものをを頼みましょう。2人でマッシュルーム一皿でも十分です。ほかにチーズやハムとしし唐ピーマンが有ります。これも鉄板焼きでとっても美味しいですよ。指さして頼んでください。

<しし唐ピーマン・pimiento de Padron>

マッシュルーム屋

マッシュルーム以外にもこのあたりに昔から続くお店が並んでいますので何件も梯子しながら楽しめます。

ヘミングウェイが通った有名店Botin

ギネスブックに載っているレストランで同じメニューを300年近く出し続けている。ヘミングウィーが絶賛したので人気が高まりアメリカ人がマドリードで絶対に来るお店。

名物はっ子豚の丸焼きで生後3週間以内の子豚をさっくりお料理。母親のミルクだけしか飲んでいないのでお肉に臭みが無くミルクの味と言われている。

子豚がダメな人が一緒の場合の為に魚や野菜料理なども有ります。

年中絶対予約しないと無理なお店です。行くと決めたら予約をしましょう。

<ボティンでメニューを見る人達>
ヘミングウェーが通った子豚料理屋ボティン

<ギネスブック>ヘミングウィーが通った子豚料理屋のギネスブック

1725年からの営業で約300年同じメニューで勝負しているのでギネスブックに登録されている。

<ボティンBotin> 住所 Calle arco de cuchilleros 17  電話913664217

時間 営業毎日13:00~16:00 20:00~0:00

私のおすすめは、最初に生ハム(ハモンイベリコ)はシェアーで、前菜にニンニクスープ(ソパ・カステジャーナ)メインに子豚(コチニージョ)ワインはハウスワイン(ビノ・デラ・カサ)が安くておいしい。約1人45ユーロ位。

 

マヨール広場界隈

マヨール広場に面してテラスのお店が沢山有ります。

マヨール広場からトレド通り(Calle Toledo)の方へ(奥に教会が見えるアーチです。)上の広場のフレスコ画の有る建物を背中にして下って行く通り。

<むこうにサンイシドロ教会が見えるアーチを下るとトレド通り>

エビのアヒージョ専門店が支店を出しました。100年エビのアヒージョ作り続ける「カサ・デル・アブエロ」

テラス席はいつもいっぱいですが

カサデアブエロ マヨール広場

店内は割と空いていてエビ以外にも色々あります。そろそろ疲れて来て座りたい感じだったらこちらへ。二階にもテーブル席が有るので座れる確率高いです。

 

カサデアブエロ マヨール広場

エビのアヒージョgambas al ajillo

カサデルアブエロ マヨール広場

これは絶対美味しいので試して帰ってくださいね。

下はマドリードのおすすめバルの記事です、参考にどうぞ。

マドリードおすすめバル6軒、昔ながらの地元人気店をご紹介します<バル編です>

 

この地区の飲食店の大体の営業時間

ほぼ年中無休(12月24日、25日、1月1日は休み)

サンミゲール市場は10時から1時

マッシュルーム屋さん等バルやメゾンは昼12時から1時

レストランは13時から16時、20時から24時

バルで一息ついたらプエルタ・デル・ソル、ソル広場へ

ここからソル広場はすぐそこ。ソル広場(puerta del sol)プエルタ・デル・ソルにには地元のデパート(エル・コルテ・イングレス)やお店、地下鉄の駅スペイン国鉄の駅がある。

 

ソルからプラド美術館迄歩いて15分、美術鑑賞するのも良しソル界隈でお買い物を楽しむもよし。下の記事はソル広場界隈のショッピング案内です。

マドリードでショッピングならまず中心部セントロ地区へ。マドリード・セントロ徹底調査。スペイン・ブランドがここで完結。

アルハンブラ宮殿の歴史と技術と観光の仕方、グラナダ王国<イスラム建築の最高芸術>

 

アルハンブラ宮殿は南スペインのグラナダにある世界遺産。その技術と観光の仕方と歴史についてまとめました。「宮殿」という言葉から受けるヨーロッパの王宮とは違い全体が一つの「都市」を構成するスペイン・イスラム芸術の最高峰。見学する季節や時刻で随分印象が変わる。できればゆっくりした時間の中で太陽の位置で変わって行く影の動きや噴水の水の音、ヘネラリーフェから風に乗ってやって来る花の香を感じたい。

注意:アルハンブラ宮殿は現在入場予約制。非常に予約が取りにくいので予定が決まり次第ネットで予約を入れましょう。ページ最後に予約先アドレスがあります。

アルハンブラ宮殿
wikipedia cc Alejandro Mantecón-Guillén

アルハンブラ宮殿


アルハンブラ宮殿注意事項

アルハンブラ宮殿は現在入場時間予約制。当日券枠は少なく希望の時間に入れない事も。

*時間の予約はナスール(ナサリエス)宮殿の入場の事。時間に遅れると絶対入れません。

*アルハンブラ宮殿入場時に身分証明書が必要。

*ヘネラリーフェに関しては午前と午後に分かれているだけ。午前午後はナスール宮殿の予約の時間に準じる。

*アルハンブラ宮殿内カルロス5世宮は無料で自由に入れる。

*それ以外の敷地内も入場券なしで自由に歩ける。

*写真はフラッシュなしで撮れる。

アルハンブラ宮殿見取り図
筆者作成

アルハンブラ宮殿見学

アルハンブラ宮殿は計画性を持って創られた宮殿ではなく何世代にも渡って増改築を重ねた都市複合体。化粧漆喰やタイル、天井や儚い水の音等を楽しみながら進んでいきましょう。順路になっているのでそれに従って進んでいくと以下の順にみることが出来ます。

アルハンブラ宮殿カルロス5世の宮殿

自由に入れるので時間のあるところで見学。内部の博物館に彫刻や寄木の扉等が展示されている。この丸い中庭は音響が最高に良いので6月にグラナダ音楽祭の会場になる。

アルハンブラ宮殿見取り図
筆者作成

<アルハンブラ宮殿カルロス5世宮>

アルハンブラ宮殿内カルロス5世宮殿
筆者撮影

アルハンブラ宮殿・入場券のチェック

カルロス5世宮の少し先に個人とグループは別に入場口が作られている。そこでアルハンブラ宮殿の入場券のバーコードのチェック。指定時間より早くは入れない、又指定時間から30分の間に入らないと入場できないので注意。アルハンブラ宮殿見学中切符は合計4回チェックがあるので最後まで失くさないように。

アルハンブラ宮殿入場券
筆者撮影
アルハンブラ宮殿メスアール宮から見学
アルハンブラ宮殿見学用地図
筆者作成

アルハンブラ宮殿に現存する中で一番古い部屋。そしておそらくアルハンブラ宮殿の中で一番改造を強いられている場所なので往時の姿は留めていない。この部屋には裁判所があったがキリスト教徒の時代に変更がされ礼拝堂として使われた。奥にはミヒラブというメッカの方角を示す窪み。アラビア文字や漆喰彫刻、天井の寄木細工が繊細で美しい。

<メスアール宮入口・壁面全体が幾何学模様>

アルハンブラ宮殿メスアール宮
筆者撮影

 

アルハンブラ宮殿コマレス宮

「大使の間」と呼ばれる大広間を含むコマレス宮はアルハンブラ宮殿の中で最も重要な核をなすもの。アラヤネスの中庭(写真下)には大きな池がありそこに映るコマレスの塔は水の上にあるように見える。

アルハンブラ、コマレス宮
筆者撮影
アルハンブラ宮殿大使の間

アルハンブラ宮殿にやって来た使節と王が謁見に使った大広間。天井は寄木細工で満天の星空をイメージして創られている。平面すべてに漆喰のアラベスク模様。弱小国になっていたグラナダが最高の見栄を切って外交官たちと謁見をした。明るい外からやって来た使節はうす暗い大広間に入り目がくらむ。後ろと前の光で王が光輝いて見える仕組みだった。この部屋でコロンブスがイサベル女王から宝石箱を受け取ったと言われている。

<アルハンブラ大使の間の天井・白は象牙が使われている>

アルハンブラ宮殿コマレス宮殿
筆者撮影

アルハンブラ宮殿の技術

アリカタード<石を使った象嵌>

アリカテ(ペンチの様な物)でタイルを切り取り組み合わせていく。模様はすべて幾何学模様。タイル作りのプロセスは粘土の分離から。土を細かく砕き水と混ぜこねて形にしていく。モザイクの為には発色が肝心。緑には銅青、コバルト黄色には鉄とマンガン。赤の混合の秘密は今もわからない。かまどを作り木材を燃やして900度の温度で24時間かけて焼き24時間かけてさました。

アリカタード
筆者撮影

神秘学と数学

アルハンブラ宮殿はイスラム教徒達の生活の場、偶像崇拝の禁止の為イスラム装飾は生き物の形を作らない。基本的には反復するリズム、果てしなく繰り返される模様が空間を埋め尽くし無限を感じさせる。

アルハンブラ、アラベスク模様
筆者撮影

二次元空間における回転対称性を分類するとその数は17種類しかない。このアルハンブラ宮殿ではすべての回転対象を使って壁面を飾っている。

<私が一番気に入っているタイル。水の動きの様に見える>

アルハンブラ、モザイク
筆者撮影

 

アラベスク模様の基本はユークリッド幾何学。ピタゴラス(BC582頃~496)が体系化しアルジャワリ(800-860)が拡張した三角法の基礎。または我々の手の届かないところに永遠不滅の完璧な存在があるとするプラトン(BC427~347)のイデア論がアラベスクの発展に影響している。

アルハンブラ
筆者撮影

 

四角形は四つの等辺を持っていることから自然界の等しく重要な要素と考えられていた。土、空気、火、水の四大元素。どの一つを欠いても物質世界は滅亡する。正四角形を重ねた八角の星はイスラム教徒が好んで使った形。インドで発見されたゼロをヨーロッパに運んできたのもイスラム教徒。「アラビア数字」という進んだ数学はアラビア人がヨーロッパへ運んだ。

アルハンブラ宮殿
筆者撮影

 

アルハンブラ宮殿 ライオンの中庭

ここからはアルハンブラ宮殿内のスルタン達(王達)のプライベートな空間。列柱の森が砂漠のオアシスを感じさせる。

ライオンの中庭
筆者撮影

12頭のライオンは12角形の水盤を支えている。ライオンは10世紀から11世紀頃のものだと想定されている。口から水を出すライオンは太陽を現わす円盤を支え12頭は黄道帯の12宮であり12か月である。4x3の12も古代から良く使われた数。12頭のライオンはソロモンの神殿にあった12頭の鉄の牡牛であり海を支えている。この海は天空の水がめも表していて海でもあり天空でもある。

ライオンの口からは水が出るためには水圧が必要。アルハンブラ宮殿は丘の頂上に創られておらず中腹にある。丘の頂点には今も貯水池がありシエラネバダから水路によって水が貯められている。それぞれの場所に必要な水が流れるよう標高差と管の太さで水量と水圧の計算がされている。

アルハンブラと光

アルハンブラ宮殿の建築は完璧に東西南北を向いている。それによって窓から入る光が時間を教えてくれる。もともと不規則な地形を谷や起伏を埋め立てることによって整列させてある。

夏のグラナダの太陽は容赦なく高い所から照らしつける。高い位置で運行する太陽が各部屋には差し込まないので夏は涼しい。冬の低い位置で運行する太陽はより奥の部屋にま光を届けるので冬は暖かくなる。

アルハンブラ
筆者撮影

アルハンブラ宮殿鍾乳石飾り

イスラム建築の天井に良く使われるのが鍾乳石飾り。イスラム教創始者モハメッドは最初は迫害を受けていた。しばらく鍾乳洞の洞窟の中で隠れて暮らしていた時に大天使ガブリエルからコーランのインスピレーションを授かったことに由来する。アルハンブラ宮殿のライオンの中庭に面するに「二姉妹の間」の天井も鍾乳石様式で飾られている。平面図は四角形だが八角形の星の形にし5416の断片を張り合わせてある。当時はさらにその上の窓は色ガラスで時刻と共に光が移り変わっていくように創られている。天井に移される光が動くイメージ。空間の中の際限のない変化は天空をイメージしたもの。

<二姉妹の部屋の天井、窓には色ガラス壁は彩色されていた>

アルハンブラ宮殿2姉妹の間の天井
筆者撮影

アルハンブラ宮殿の庭「ヘネラリーフェ」

アルハンブラ宮殿見取り図
筆者作成

アルハンブラの建物から外へ出て順路を20分程登って行くとヘネラリーフェ(Generalife)に着く。アラビア語で楽園という意味の庭園。当時とはかなり様子は変えられているとはいえ庭園の本質は失われていない。楽園と同時にアルハンブラに住む王家への食糧を供給する農園や果樹園だった。そして小高いヘネラリーフェに香りの良い果樹や花を植えて宮殿に良い香りが流れる仕組みになっていた。

アセキアの中庭

内側に向いて作られた庭が安心感を与え水の音が心地よい。真夏のうだる暑さの中でもここは水と風の流れで涼しいように高度や方角を計算し設計されていいる。最近の発見では雨の音を再現するための管もあったようだ。

<アセキアの中庭・水の音が心地よい>

アセキアのパティオ
筆者撮影

水とイスラム教徒

飲み水や宗教儀式の清め、入浴等イスラム教徒は当時のキリスト教徒よりも水と密接に繋がっていた。農業や庭園への供給の為に用水路をくまなく創り水を供給した。王宮だけではなく市街地にも街の人々の為の灌漑設備が創られていた。

砂漠で水は宝、色の無い砂漠の民には花々の極彩色は憧れの対象。アルハンブラは水と色をふんだんに使った宝と夢の宮殿都市。

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アルハンブラ宮殿入場券<絶対予約要です>

アルハンブラ宮殿当日券は早朝から並んでも買えないケースが続出ですの予定が決まったらネットで予約を入れてください。

<予約の仕方>

2017年から予約の仕方が変更になっています。下の公式ページ(日本語)から予約が出来ます。予約が大変難しくなっているので予定が決まり次第予約をしておくことをお勧めします。

Alhambra De Granada.org
以前は代行サービスで購入できましたが現在本人(最高10枚まで)しか購入できなくなり入場時に本人確認の為のパスポートのチェックが有ります。

アルハンブラ宮殿行き方

まずはグラナダへ

グラナダへはマドリードから飛行機で1時間、バルセロナから約1時間30分

マドリードから路線バスで約5時間

鉄道(新幹線は工事中ですがまだ未開通)。

マラガから路線バスで約2時間15分

セビージャから路線バスで3時間

コルドバから路線バスで2時間15分

*モデルコース:マドリードから新幹線(アベ)でコルドバへ移動(約1時間45分)コルドバから路線バスでグラナダへ(2時間15分)

グラナダ市内からアルハンブラ宮殿

*徒歩:ヌエバ広場(Plaza Nueva)からゴメレス坂を25分くらい登って行くと裁きの門。門から中に入れるが切符売り場は更に城壁沿いに15分くらい登って行く必要がある。

*バス:グラナダ市内を走るC3アルハンブラバスに乗ると切符売り場まで。カテドラル前やヌエバ広場にバス停がある。

*タクシー:ヌエバ広場にタクシー乗り場。

 

アルハンブラ宮殿の歴史

イスラム教徒がやって来た

西暦711年ジブラルタル海峡を渡ってやって来たイスラム教徒により西ゴート王国が滅ぼされイベリア半島はイスラム化した。南スペインはアル・アンダルスと呼ばれシリアのダマスカスのウマイヤ朝支配下にはいる。ところが本家のシリアで革命が起こりウマイヤ朝が倒された(750年アッバース革命)。シリアからウマイヤ家の王子が1人逃げて来てコルドバを首都に後期ウマイヤ朝を始める(756年)。

<コルドバ・メスキータ内部>

メスキータ
筆者撮影

 

コルドバ・カリフ王国は10世紀アブデラーマン3世の時にシリアから独立。コルドバのメスキータ(回教寺院)はさらに拡張され街には大学や図書館、病院があった。後期ウマイヤ朝はその後11代250年の間は大きな内紛も無くコルドバ・イスラム王朝は栄華を極めヨーロッパのどの国とも比較できないほどの洗練された先進地域となった。

<コルドバの街、当時の面影が残る白い村>

コルドバの旧市街
筆者撮影

レコンキスタが始まる

11世紀初頭の権力闘争によりコルドバ・カリフ王国は分裂し後期ウマイヤ朝は1031年滅亡。北の方からキリスト教徒のレコンキスタ(国土回復戦争)が始まっていた。

<最初のキリスト教徒が勝利を得たコバドンガ>

コバドンガ
筆者撮影

トレドは再びキリスト教徒の手に落ち南スペインはタイファと呼ばれる小さなイスラム諸国が出来る。グラナダもその一つだった。北アフリカのアルモラビデ族がイスラム教徒の支援に入りいくつかの地域を支配下におさめる。12世紀にはアルモアデ族が入って来て領土を取り戻すがキリスト教徒軍はナバス・デ・トロサの戦いでイベリア半島北半分を取り戻した。イベリア半島のイスラム教徒の斜陽の時代、この混乱期にグラナダの丘の上に創られたのがアルハンブラ宮殿。

アルハンブラ宮殿ナスル王朝

「モハメッド・イブン・アラマール・イブン・ナスル」のちの「モハメッド1世」はハエンのアルホナの領主。ここはキリスト教徒との戦いの前線地帯だ。時代はコルドバが1236年に陥落しセビージャも間もなく陥落という頃。斜陽のイスラム教徒の王朝として1238年前述の「モハメッド1世」が始めたのがナスル王朝(日本は鎌倉時代)、グラナダ王国の始まり。

アルハンブラ宮殿の建築

<グラナダ最初の王モハメッド1世>

アルハンブラ宮殿、最初の王モハメッド

「モハメッド1世」はグラナダの丘の上に既にあった要塞を居城と決める。キリスト教徒に勝利するのは不可能と読んだ彼は協定を結ぶに至る(1246年対カスティーリア王フェルナンド3世)。カスティーリア王国に税金を支払いグラナダを首都とするアルメリアからジブラルタルまでの地域の独立が謳われていた。すでにあった要塞を改築し60年かけて水道を設置しアルカサバ(要塞)を拡張し宮殿を創った。(その宮殿部分は後に壊されて現存していない。)「モハメッド1世」の外交政策というと聞こえがいいがあらゆる周りの敵たちの顔色を窺いながらの外交。その息子「モハメッド2世」と2代70年の間にグラナダ王国は基礎を固めアルカサバを拡張していった。これがアルハンブラ宮殿の誕生。この時代は宮殿という華麗な物ではなく守りの城、要塞だった。

<アルハンブラ・アルカサバ>

アルカサバ
wiki Alcazaba in Alhambra, Granada
Author Michal Osmenda

アルハンブラ黄金時代

ナスル王朝の全盛期は「ユースフ1世」(1333年~54)とその息子「モハメッド5世」(1354年~91)の時代。「ユースフ1世」の時代にコマレス宮を中心とする部分が創られモハメッド5世の時にアルハンブラ宮殿内のライオンの中庭を中心とする建物が創られた。今見るアルハンブラ宮殿の主要の部分。

<水面に映るコマレス宮殿>

コマレス宮殿
筆者撮影

<ライオンの中庭は王達のプライベートな空間>

ライオンの中庭
筆者撮影

スルタンの力は絶大で王国の重要人物で構成される諮問委員会、裁判所が存在した。グラナダの街にはマドラサ(コーラン解釈の学校)や病院が置かれた。絹・織物市場や穀物取引所があり商業も盛んであった。「モハメッド5世」の後ナスル朝は約100年存続するがアルハンブラ宮殿以外の新しい建物はほとんど創られていない。

グラナダ王国の資金源

<ジブラルタル海峡>

ジブラルタル海峡
筆者撮影

ジブラルタル海峡は地中海と大西洋の入り口。当時そこを持っていたグラナダ王国は地中海の海上貿易に影響力を持っていた。その当時の海洋国家ジェノバは西地中海の制海権を持っておりジブラルタル海峡を越えられるかどうかは死活問題。グラナダ王国と条約を結び資金を援助し優遇措置を得ていた。ジェノバからの資金がグラナダ王国の経済やアルハンブラ宮殿で生活する王達を支えていた。

<1400年頃のジェノバ共和国の支配地域と海路>

1400年ころジェノバの支配権
Kayac1971
Permission
(Reusing this file)
GFDL e Creative Commons CC-BY-SA tutte le versioni (3.0, 2.5, 3.0, e 1.0), sono l’autore

 

斜陽のグラナダ王国

美しいアルハンブラ宮殿内部では次第に快楽的な生活が主流になる。長い繁栄と平和に退廃した無能な王が続き有力軍人達の対立でグラナダ王国内部の混乱。レコンキスタが続く中キリスト教国カスティーリアがジブラルタル海峡を略奪。それまでの資金源が奪われた。さらに敵対していたカスティーリアとアラゴンが王子王女の結婚によって連合国家になる。これがイサベルとフェルナンドの結婚(1469年)

カトリック両王の結婚

グラナダ王国内部

アルハンブラの内部では骨肉の争いが起こっていた。歴史から学ぶことは多い。すべての王国の崩壊は内部から始まる。

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国王は息子に裏切られる

国王アブルハサン(ムルアセン)の息子ボアブディル(モハメッド12世)はその母アイーシャと協力して反乱を起こし父王の王位を奪う。実はアイーシャはイスラム創始者モハメッドの血を引く高貴なお方。最初はモハメッド11世と結婚していたがその死後アブルハサンと結婚してボアブディルが生まれている。国王アブルハサンはキリスト教徒の美しい娘に恋をする。改宗奴隷だったイサベル・デ・ソリスを寵愛し妻にし王妃アイーシャと息子ボアブディルは苦渋の中で辛酸をなめていた。

アルハンブラ最後の王ボアブディル

母アイーシャと結託しボアブディルは父から王位を奪い取る。王としていざ戦争へ出かけるが1483年キリスト教徒とのルセーナの戦いで捕虜になり再び父王アブル・ハサンが復帰。キリスト教徒側は相手側の内部の揉め事を知っていたようで、内乱で自滅するのを計算しボアブディルにカスティーリアへの税金の約束を取り付けグラナダへ戻す。グラナダでは叔父ザガルが実権を握っており再び内戦となる。1485年ボアブディルは戦況不利と悟るとキリスト教徒側に逃げ込んだ。叔父のザガンがモハメッド13世として即位。ボアブディルはキリスト教徒と手を組み叔父ザガルと戦争。ザガルが降伏し再びボアブディルはグラナダ王としてアルハンブラ宮殿へ復帰できると信じていたようだがキリスト教徒はグラナダからの全撤退を求めた。ボアブディルが裏切られたと気づいた時には既に打つ手は無かった。包囲されたアルハンブラ宮殿は1492年1月2日無血開城。

<上院議会場にあるアルハンブラ宮殿の陥落の絵19世紀プラディージャ>

グラナダの陥落
De Francisco Pradilla – See below., Dominio público, Enlace

アルハンブラの陥落

ひとつの歴史の終焉。1237年から1492年255年の間に21人の国王達が千一夜物語を過ごした夢のまた夢は終わった。アルハンブラ宮殿の陥落。

ボアブディルが一族郎党を引き連れシエラネバダを超えるとき最後に振り返りアルハンブラを見て涙した。母アイーシャは「おまえが男として守り切れなかったアルハンブラを見て女のように泣くがよい」と言ったそう。その峠は今も「ススピロ・デ・モーロ」「モーロ人の溜息」と呼ばれている。

<グラナダ議会場にあるボアブディル家族のアルハンブラ宮殿からの撤退>           白い服の女性が母アイーシャ

アイーシャ・アルハンブラ宮殿の出発
Aixa, de blanco en el centro de la obra de Manuel
Gómez-Moreno (1880), pintada en Roma

 

<最後の王ボアブディル>

ボアブディル王

ボアブディルはシエラネバダの山岳地帯に領土を与えられたがモロッコのフェズまで行きそこで暮らして生涯を終える。今もシエラネバダのアルプハラにグラナダの落人たちが住んでいた白い村が残る。

<シエラネバダのアルプハラにある白い村>

アルプハラス
筆者撮影

その後のアルハンブラ宮殿

最も輝かしき戦利品アルハンブラ宮殿に入ったキリスト教徒たちはその美しさに驚愕した。カトリック両王の孫カルロス5世はアルハンブラ宮殿を帝国の中心にする予定だった。すでにアメリカ大陸を手に入れハプスブルグ領土も手に入れたカルロス5世皇帝にはアフリカをも含む大帝国の野望があった。時代はコンスタンティノープルが陥落してオスマン・トルコが東地中海で勢力を持っている頃。ウィーン攻略をしたトルコのシュレイマン大帝に攻撃を仕掛けるのに格好の場所だった。

<プラド美術館にあるカルロス5世ティチアーノ作>

カルロス5世
museo del prado

しかしアメリカ大陸の発見後経済的関心が大西洋に移りフェリペ2世は父王カルロス5世の宮殿造営を引き継ぐがそれは終わることはなかった。

19世紀ロマン派の時代

<19世紀の版画に出てくるライオンの中庭>

アルハンブラ19世紀版画
El Patio De Los Leones 1833 David Roberts

時は流れ人々の記憶にさえなくなったアルハンブラ宮殿は廃墟となり忘れ去られた。そこにロマ族が住み浮浪者が滞在しこの城を気に留める者はいなかった。そして更に時は変わりロマン派の時代。古いお城などが見直されていたころアメリカ人作家ワシントンアービングがロシア人の友人とアルハンブラを訪れ旅行記と城にまつわる物語を出版した。「アルハンブラ物語」1832年初版、1851年改定版がベストセラーとなりアルハンブラ宮殿は広く世界に知られることになった。

<アメリカ人作家ワシントンアービング>

ワシントンアービング

 

アルハンブラ宮殿まとめ

アルハンブラ宮殿はスペインで最も入場者が多く切符の入手が難しい世界遺産です。アルハンブラ内部は光の動きや水の音を楽しみながら見学してください。

カミーノ・デ・サンチアゴをサリアからサンチアゴまで歩いた私達の旅の記録

サンチアゴの道をサリアから115キロ歩いてきた私たちの旅の記録。夫に「カミーノを歩く」仕事が入ったのだ。秋にサンチアゴの道を日本からのお客様と100キロ歩くという。それでは時間があるうちに下見に行っておこうどうせ行くなら「2人で楽しみましょう」と私も同行することになったその旅の記録。

私たちのサンチアゴの道の記録


マドリードからサリア

5月14日、この日は夫が仕事だったので出発は午後になった。待っている間に私は弁当を準備して13時45分マドリードを出発。キャンピングカーで国道6号線通称コル―ニャ街道をひたすら走る。

マドリードからサリアへ移動
筆者撮影
マドリードからサリア

マドリードからサリアまでは517キロほとんど高速道路で快適。

今回キャンピングカーにしたのはサリアでの前泊と後泊が出来るのが理由。マドリードを出て休憩したのはガソリンを入れた1回のみで18時32分サリアのマグダレーナ修道院に到着した。517キロを4時間45分だ、悪くは無い、いやいやこれは上等です。

サンチアゴの道 サリア
筆者撮影 サンチアゴの道
サリア マグダレーナ修道院

早速マグダレナ修道院でクレデンシアル(巡礼者手帳)にハンコを押してもらう。スタート地点のハンコ押印の儀式だ。サンチアゴ・デ・コンポステーラで巡礼証明書を作るにはクレデンシアルのスタート地点のハンコとその日付、毎日の宿泊地と更に最低1個のハンコが規則。

サンチアゴの道サリアのハンコ
筆者撮影サンチアゴの道

 

19時前、この時期スペインの太陽はまだまだ上の方にある、サリアの街を少し散策しよう。

サリアの街の入り口
筆者撮影、サリア

夕陽が当たってマグダレナ修道院の壁に文字の影が出来てなんだかとても綺麗。

サンチアゴの道
筆者撮影

巡礼路の街なので道に沿って建物が続く。先に「道」が出来てあとから「街」が出来た様子が良くわかる。街道沿いはアルベルゲとバルとお土産物店が続く。サンチアゴの巡礼者達は沿道の街の重要な資金源に違いない、今も昔も。巡礼者には街道の街が無くては歩き続けられないのだからお互い支えあっている関係だ。

サンチアゴの道、サリアの街
筆者撮影

「サリアに車で着く途中家具の販売場が多かったなあ」この辺りの樫の木の木彫り職人が昔から有名なんだと思う。素敵な物があったが明日から歩くので無事帰ってきたらお土産に何か買おうか(これは結局忘れてしまって何も買わずに帰った)。バルの入り口にも木彫りの看板が素敵。ではここのバルに入ります。

サンチアゴの道出発地サリア
筆者撮影

サリアに無事到着のお祝い。「おっ」ペレグリーナ(巡礼者の女性名詞)という名のビールがあった。

サリアのバルで巡礼者という名のビール
筆者撮影サンチアゴの道

でも今日はリベイロ(ガリシア産)の白ワインをいただきます。つまみにトルティージャがでた。

サンチアゴの道、サリアのバル
筆者撮影サンチアゴの道

さあ早く休みましょう。明日は人生初の21.5キロを歩くのだ、早く起きて暗いうちから出発です。

サンチアゴの道、サリア
筆者撮影サンチアゴの道

今日はマグダレナ修道院の横にキャンピングカーを止めて眠ります。おやすみサリア。

カミーノ1日目、サリアからポルトマリン21.5km

朝7時30頃出発。本当はもっと朝早く暗い時間に出発する予定が遅くなった。いつも適当な私たちの旅はこうだ。カミーノは早く出発して早く着くが基本らしい。公的なアルベルゲは早くいっぱいになるので(今の所パブリックのアルベルゲに泊まる予定)早く出発して早く到着するというのが掟のようだが、まあいいね。何とかなる、てか結局どっちでもいいのだ。

サリア マグダレーナ修道院
筆者撮影 サリア マグダレーナ修道院

ストックは夫が持っていた山登りのものを持ってきたが重さを計ったら300グラムもあって最後まで悩んだ。「2本あると良い」とどこかに書いてあったが2本で600グラムになってしまう。5日間で荷物の重さ6キロ以上、もう減らせるものはない。

サンチアゴの道の出発
筆者撮影サンチアゴの道

出発間際に300グラムのストックを車に残し夫が木の棒で以前に作ってくれたものを持って行くことにした。これなら邪魔になれば途中で捨てられる。

では出発7時30分、朝の太陽が気持ちいい、今日は快晴だ。出発はマグダレナ修道院を正面に見て右の方に歩いていくと➡がすぐにあるので迷うことは無い。

サンチアゴの道 サリア
筆者撮影サンチアゴの道サリア・マグダレーナ修道院

マグダレナ修道院からサリアの街を出てしばらく下って行く。

サンチアゴの道
筆者撮影 サンチアゴの道 サリアから出発

軽いトレッキングコースの様な道で木が茂っている中を歩いていく。すれ違う人や追い抜いていく人に声をかけると書いてあった。「ブエン・カミーノ~」ちゃんと返事が戻って来る「ブエン・カミーノ~」今始めたばかりの新参者なのにベテラン気取りだ。

サンチアゴの道 サリアから
筆者撮影 サンチアゴの道 サリアから出発

矢印やモホンMojon(サンチアゴの道にある石の道しるべ)がしっかりあって探して目的地に着くゲームに参加している気分だ。

サンチアゴの道の道しるべ
筆者撮影、サンチアゴの道の道しるべ

緩やかな登りのある気がしげった道で歩きやすいハイキングコースといった感じだ。

サリアからサンチアゴの道
筆者撮影 サリアから

ヨーロッパからの人が多いなと感じる。スペイン人より英語を話す人が多いかも。ドイツ語やフランス語、スペイン語はメキシコの人や、ポルトガル語はブラジルからの人達にもあった。アジアからは韓国からの巡礼者が圧倒的に多い。

サンチアゴの道 サリアからポルトマリン
筆者撮影

途中怪しい東欧風女性3人組が署名を求めていた。マドリードの地下鉄で観光客を獲物と狙う集団に似ているなあと思っていたら、前を歩いていたイギリス人風男性は署名して寄付金をねだられていた。「こんなところにまで出没するのか・・・」とちょっと気持ちが引き締まった。

サリアからポルトマリン
筆者撮影

カミーノを歩く人達は皆善良で通り過ぎる村の人も親切なので人を信用しきった心のすきを狙ってくるところがプロだ。「すべてを信用しすぎない警戒」は必要だと思った。

歩き続けると登りもあるが木蔭の多い歩きやすい道が続く。

サンチアゴの道、サリアを出て歩く道
筆者撮影 カミーノ

「1日に最低2個のハンコを押して目的地に行くこと」と書いてあったな。途中様々なところで「ハンコ=Selloセージョあります」と書いてある。「ふんふん、これだな」カフェテリアや教会等でクレデンシアルにハンコを押す事でちゃんと歩いた証明になるようだ。

サリアを出て約2時間で「Perscalloペルスカージョ」の矢印で道路を超える

サンチアゴの道、ペルスカージョ
筆者撮影

交差点から1キロ程のところにパン屋さんがやっているカフェを発見、やっと休める、「休憩だ~」ハンコを押してコーヒーとビスコッチョをいただきます。そしてお手洗いへ。

サンチアゴの道サリアから2時間で休憩
筆者撮影

ビスコッチョは日本のカステラの原型。ここで作っているに違いない、目茶美味しかった。今までの人生で食べたビスコッチョで一番だ。

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

ここで夫はメモ帳もボールペンも用意していなかったことが判明。「ボールペン貸して~」「え~」「誰の下見やってんの?ったく」まあ、いつもの事なのですが。

ここから10分程歩いたところにもう少し大きなバル・レストラン。ここはキッチンもあって食事も出来るようだ。

サンチアゴの道、ペルスカージョの後の休憩所
筆者撮影

さっきの所はパン屋さんだけれどこちらはレストランなのでお食事メニューも充実していた。

私たちはガイドブックも無しで歩いているので見つけたところですぐに休憩してしまうが最初の所は混んでいてお手洗いも並んでから。そして少し歩くともう1軒、いや2軒そちらが空いていたケースは数えきれない、調べることは大事だと痛感。

サンチアゴの道、ペルスカージョの後のバル
筆者撮影

ガリシアの農耕地を見ながら前に進みます。きれいな景色を見ると幸せな気分になれるんだなあ。

サンチアゴの道、街道の風景
筆者撮影

暫く歩いたので荷物を降ろして休憩。昨日の残りのおにぎりと茹で卵を平らげた。お菓子や果物、スナックをいつも出しやすい所で持っていると休憩の時に楽しめていいですね。口に何か食べ物を入れた時に人間の脳の幸福ホルモンがジワッと出てくるな等と日常ではあまり感じない事を思う。

サンチアゴの道
筆者撮影

後ろから日本語が聞こえて来てびっくりして「あら、こんにちは~」と話しかけた。別々に歩いている女性2人で色んな所で一緒になってまた再会したばかりらしい。ひとりで歩く人が多いなあ・・・

暫く歩くとなんだか人だかりが出来ていて「何?」って覗いたら「わあ~ここからサンチアゴまで100キロ」のモホン=石の道しるべでした。800キロ歩いてきた人は感慨深いだろうなアと思いながら私も「ペルドーンすみません」小さくなって一枚パチリ。さっき歩き始めたばかりですが・・・

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

その後1キロ程歩くと、なんだろ?ここは?

サンチアゴの道サリアからポルトマリン
筆者撮影サンチアゴの道

ここで休憩してください無料ですと書いてある。

サンチアゴの道 無料休憩所
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴまで99キロ地点位の所に無料の休憩所。地元の農家が場所を提供してくれていて飲み物や食べ物、お手洗いも使わせてくれる。これはありがたい、なんか陽気なセニョールが「Corazon grande a compartir=広い心は分け合いましょう」と言っている。

サンチアゴの道、無料休憩所
筆者撮影

Donacion=寄付金と書いたところに少額入れていくようになっていて私たちも3€程の小銭を入れた。全然入れない人もいたり紙幣が入っていたり人の事は気にしないで自分に払えるだけ払えばいいという事だ。飲み物や果物やお菓子等、有り難い。

サンチアゴの道
筆者撮影

ログローニョから来たカップルと同席になった。去年のサン・マテオ祭楽しかった話で少し盛り上がった。さあ出発しましょう。

サンチアゴの道
筆者撮影 サンチアゴの道

十字架に石を積んでいるのは神社の鳥居に石を置くのと似ているなあ。人間の行動は深い深い所で繋がっているのかもしれない。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

最後はずっと太陽が当たる道だ。有り難いのは西に向かって歩くので午後になるまで顔に日が当たらない。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

時々地図が置いてあって現在地を確認できる。ポルトマリンまであと少しだ。アメリカに住んでいる韓国人のセニョールが「日本人ですか」と片言の日本語で話しかけてきてしばらく話しながら歩いた。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

矢印が二つに分かれていてどっちでも着けるみたい。左は歴史的な道で右は迂回路なのか?

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

歴史的な道を行きます。

サンチアゴの道、歩く巡礼者
筆者撮影、サンチアゴの道

「うわ~」ポルトマリンの街が見えて来た、写真で見たことがあるやつだ。「すごいッ、着いたんだ」ゆっくりだけど歩けば着く、当たり前だけど感動した、21キロも歩いたんだと驚いた。

サンチアゴの道
筆者撮影

ポルトマリンの標識が嬉しい。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

「到着だ~」とここで脱力しかけたらなんとこの階段を登って行くらしい。階段の下で力尽きた人が何人か座っていた。みんな冗談を言ったり声をかけていく。「ここは関所か?」「上まで頑張ったらビールをおごるから頑張れ!」とか言っているのはスペイン人たち。こういう他人と冗談を言い合える人間同士の距離感が好きだ。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

階段を登って更に登り坂をが待っていた、がんばれ。ポルトマリンの看板があった。「写真撮って~」とラテン・アメリカ風のスペイン語を話す女性に頼まれた。ひとりで歩いているらしい。「はいはい、パチリ」スマホの画面中央が割れていて旅の長さを想像させた。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

パブリックのアルベルゲに到着14:30、という事は21キロを7時間かけて到着。「この時間だと遅すぎでもう泊まれないかもね~私はホテルでも良いよ~(にっこり)」と言いながらアルベルゲに入って聞いてみたら「まだベッドありますよ」にちょっとがっかり。受付でクレデンシアルと身分証明書を見せて6€x2を支払う。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

ハンコを押してもらい荷物を降ろし到着した実感に浸る。

使い捨てのシーツを渡され部屋番号を言われた。部屋だけ決まっていてベッドはどこを使っても良いらしい。「今月は未だ空いているのよ、来月から混むわね。」と受付の女性。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

出口に近いベッドの下の段を2つキープして混む前にシャワーを浴びます。「え~うそでしょ」夫がシャワージェルを持って来て無いって。「私のを使う?」「少ししか持って来て無いのに~」「ったく~」

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

シャワーブース。予想通りシャンプーとか置くところなし。ベンチだけあったので脱いだ服はそこに置けた。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

「S字フックがあると便利」と友達に言われて持ってきた、ここで活躍。念のため貴重品はシャワー室の中まで持参した。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

 

公共スペースは広々していて綺麗に掃除されている。スペインはどこも掃除が行き届いている自信がある、と私が威張ることでもないが・・・

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

キッチンには鍋が一つ置いてあった。後ほど韓国人のグループがラーメンを作って鍋ごと食べていた。ズルズル音をさせ食べていて韓国も音をさせて食べるんだと勉強になった。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

裏側の庭に洗濯機と洗濯場、800キロの長旅の人はありがたいでしょうね。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

選択物干し場もあり洗濯バサミはみんな自前のようでした。無い人の洗濯物は落ちていたので。

サンチアゴの道、ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影、サンチアゴの道

一息ついたら街へ出かけて9月の仕事で夫のグループが宿泊するホテルを見に行って下調べ。

近くにあったサンペドロ教会、でも閉まっている。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

街の中心部に商店やスーパー、バルやレストランが集まっている。ロマネスク様式のサン・ホアン教会や市役所があるあたりがセントロ=中心部だ。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

サン・ホアン教会、ロマネスクの入り口の彫刻が素敵で見とれる。

 

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

サン・ホアン教会の入り口の彫刻は両手を口にくわえて「あわわ~」って言ってる感じが気に入った。この足はどうなっているんだろう、としばらく考え込んだ。

サンチアゴの道、ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

街にお店が何軒かあり必要な物はたいてい購入できる、サンダル、ストック、寝袋、雨具、シャンプー、日焼け止め。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

途中であったスペイン人の3人組に声をかけられた。「モニカ~(私?)ジントニック飲んでるぞ~」途中の山道で1人が膝が痛そうに歩いていてポルトマリンに着いたら「ジントニックで洗礼だ」と言っていた人達だ。

教会の前のバル・レストランで夕食をいただきます。Platos Combinadosプラトス・コンビナードスはお皿にお肉も野菜も乗った一品で終われる代物。頼んだのと違うのが来たけど注文を取りに来た店主らしきセニョールは肩をすくめるのみでした。

サンチアゴの道 ポルトマリン
筆者撮影、サンチアゴの道

「ガリシア人はケチ」とよくカステジャーノ達が言うのはこれに違いない。お店で働くラテン・アメリカ人風のカマレラに「店主は耳が悪いんじゃない?」と言ったら、「そうだそうだ、本当にそうなのよ」と笑いながら激しく同意していた。向こうにいる店主にはそれも聞こえていないみたいだった。

サンチアゴの道ポルトマリンの夕食
筆者撮影サンチアゴの道

機嫌を直してアルバリーニョの白ワインで無事到着を乾杯。教会ビューで色々2人でお喋りして過ごす夕食、ひとり人旅の人はどうやって時間を過ごすんでしょう。まだ明るいけれど明日の準備をして早く寝ましょう。誘眠剤と耳栓とアイマスクで私はベッドに入った後すぐに記憶が無い。

サンチアゴの道2日目<ポルト・マリンからパラス・デ・レイ22キロ>

気が付いたら朝だった、それくらい良く眠れた。朝6時前に起きて暗いうちから準備。6時30分に出発。夫は隣の人の巨大いびきで眠れなかった様子。しかも出発前の友人の引っ越しの手伝いの後遺症でギックリ腰の前兆らしい、お気の毒。

サンチアゴの道 ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

暗いうちから沢山の人達が無言でキビキビ準備していて不思議とこちらの気分も高揚してくる。「静かにちゃんとキビキビしなくちゃッ」懐中電灯が役立った。

サンチアゴの道、ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

6時25分ポルトマリンのアルベルゲを出発。まだ暗い中出発するとなんか頑張っています感あって嬉しい。

サンチアゴの道、ポルトマリン出発
筆者撮影、サンチアゴの道

暫く軽い登りが続く。雨が降りそうだ。後で調べると5キロの道のりで200メートルほどの高低差の所を登って行く。あ~少し明るくなって来た、景色が綺麗で森の臭いが変わって行く。

サンチアゴの道
筆者撮影、サンチアゴの道

見晴らしが良い所でみんなポンチョをつけ始めた、霧雨が顔にあたる。手がかじかんで冷たい。最後に家に手袋を置いてきたけれど有っても良かった。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

歩き始めて約2時間(7.7キロ)サンチアゴまで84キロ地点にカフェ。ここまで休憩するところ全くなし。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

暖かいコーヒー飲みましょう、混んでいるけど仕方が無い。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

カフェ・コン・レーチェ(ミルクコーヒー)とパン・トスタード・コン・アセイテ(トーストにオリーブオイル)で朝食。暖かいコーヒーでホ~ッと一息。暖かい物を口にすると落ち着くね~。他の旅人たちも皆顔がほころんでいる。カフェx2とトスタードx2で5€60C

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

そこから1キロ程歩いたところにもアルベルゲ・カフェがあった。ハンコだけ押したけれどあまり感じが良くなかったなあ。「巡礼者は迷惑なのか?」とちょっとムッとなった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

そしてさらにしばらく歩いたところに木蔭があるカフェがあった。素敵な木蔭でここまで頑張ればよかった。調べていないので毎回混んでいる一個目に入る私たち。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

今日は木のあまり木が無いコースなのかなあ、登りも多い

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

石の道しるべに数字がかいてある。サンチアゴまで79.957キロ、当たり前だけれど確実に減っているのでダイエットみたいで嬉しい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影、サンチアゴの道

暫く歩くとサンチアゴまで78、1キロ、間違いなく歩けば数字は減って行く。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

 

ポルトマリンを出て約3時間半ほどの所に割と大きなバル・レストランventas o cruceiro。ここはアルベルゲもやって重要な宿場町なのかも、自転車を沢山積んだ車が止まっている。ここから自転車をレンタル出来るんだろうか。バルの中に入るとプラトス・コンビナードスやタパスがあって休憩や食事にもよさそうだった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

すぐ後ろに小さな礼拝堂があった。中にいた随分年配のセニョールが「ここはテンプル騎士団の管轄なんだよ」と色々説明してくれた。「ハンコを押すときに手を添えて押したい所に持って行って欲しい」と言われて初めて目が不自由な事が判った。小銭を入れる箱があったので少額置いてきた。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

教会の横にクルセイロ(石の十字架の目印)と大きな樫の木。大きな木を見ると嬉しくなる。時間があれば木の下でお昼寝がしたい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

ポルトマリンから4時間30分程は歩いたか、小さな村の建物の入り口の果物にフリーと書いてある。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

と中に入って行ったら「コーヒーやお手洗いどうぞ。ハンコもありますハグもします」と書いてある。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

キリスト教系の組織みたいだけれど後で勧誘されるか?と少し構えたが心配無用だった。少し座らせてもらってコーヒーをいただきお手洗いを借りた。他の巡礼者と少し会話をして寄付金箱に小銭を入れて出てきた。「グラシアス」「ブエン・カミーノ」

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

外にfuente del peregurino巡礼者の泉と書いてある。水を自由にくめるようになっていた。有り難い。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

ここの下り坂は自転車の人はいいなあ。さっきのアルベルゲの所からレンタルで移動する人達なのか。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

 

12時を過ぎてもう目的地パラスデレイにもう入るみたい。既に5時間半は歩いたわけだ。村らしくなって来た。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

これはトウモロコシを乾かして保存する入れ物らしい。ネットで検索した時に出てていた~、と嬉しい。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

で、もう街かと思ったがまだ街道が続く

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

パラスデレイに入る手前に9月のグループが宿泊するホテルがあったので先にチェックに入った。わあ~素敵な所~私もここが良いなあ・・・でも予算オーバーでしょうね。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

昨日眠れなかった夫は「今日はアルベルゲには泊まらないぞッ」と言っているので「やった~」とペンシオンか個室のアルベルゲを探す。ネットで調べて個室で部屋40€の所があった。

パラスデレイの街の入り口にあるO Castelo。重い荷物と20キロの移動で疲れ切った体で入ったら階段が待っていた。そこまでは調べきれなかった。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

部屋にはベッドが5つだけどお2人でお使いください。

サンチアゴの道ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

想定通りシャワーのみでしたが、清潔で静かで快適でした。

サンチアゴの道、ポルトマリンからパラスデレイ
筆者撮影サンチアゴの道

キッチンも自由にどうぞという事で夜はここで食べようか?

サンチアゴの道パラスデレイのペンション
筆者撮影サンチアゴの道

シャワーを浴びて夫に私流の「ぎっくり腰の調整体操」を享受した。具合が良くなったので街に出よう。スーパーで夕食用の食糧を買いこみお昼はレストランで食べましょう。美味しい物を探すのは夫の仕事で感が良いのか外れることは滅多にない。

「ここが良い」パラスデレイの街の中心(と言っても知らずに通り過ぎそうな中心部)にあるレストランの定食をいただくことに

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

10€で前菜・メイン・デザートがそれぞれチョイスできてワインもついている定食メニュー・デル・ディアだ。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

前菜はガルバンソ=ひよこ豆にした。暖かい物でしっかり胃袋に届くものが食べたい気分だ。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

お皿はガリシアの磁気サルガデロスに統一されていた。メインに子牛のグリル。

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートにティラミス

サンチアゴの道パラスデレイのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

ワインはラベル無しのリベイロ(ガリシア)の赤が1本「どん」と真ん中に。フルーツジュースの様で軽くて美味しかった。スペイン人のひとりで歩いているセニョーラが食事に入って来て挨拶をした。今日は色んな所で一緒になった。

食事のあとガイドブックを購入した。2種類あったけど薄くて軽いミシュランの物にした。もっと早く購入しておくべきだった。

サンチアゴの道ガイドブック
筆者撮影サンチアゴの道のガイドブック

 

ペンションに帰ってお昼寝、洗濯、明日の準備をして夕食はテラスでワインとサラダと買って来たハムとかで軽く済ませる。

サンチアゴの道パラスデレイのホテルで自炊

お昼にしっかり食べたのでお腹は減っていない、軽くて充分。

サンチアゴの道パラスデレイの夕食
筆者撮影サンチアゴの道

「食べたら寝るだけ」という素敵にシンプルな毎日。これが人間の生きる本当の姿に違いない。何も心配事は無い、あす起きたら歩けばいいのだ。

夫「誘眠剤~ちょうだい」私「え~自分の分しか持って来て無いし・・」「ったく」

 

サンチアゴの道3日目<パラスデレイからアルスーア29.5キロ>

 

とにかく良く眠れた。夫もぐっすり眠れ腰の痛みも良いらしい。起きたらベッドの横に荷物が散らかっていて自分でビックリした。兎に角寝たらしい、それくらい疲れていた。

ベッドの枕元にあった。Levantate con energia y peregurina con alegria. 韻を踏んでいて元気が出るのでこれを呪文に今日の約30キロを乗り切ろう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

夫がキッチンでコーヒーとパンの朝食を準備してくれた。暖かいコーヒーを飲めるだけでありがたいと思える。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

7時20分出発、出発は予定より遅いけど充分休んだので満足。今日も少し小雨。もし今日30キロ歩ければ1日余裕が出来てサンチアゴで1泊泊まれるのだ、やってみよう。無理なら途中で泊まればいい。

 

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

宿場町らしい風景、雨上がりの湿った空気も悪くない。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

それにしてもひとりで歩く人が多いなあ。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

私たちはずっと話しながら歩いていてそれも楽しいけれど、ひとりの人は心の深い深い所まで旅をしながら歩いているのかも。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

「あれっ」人だかりが出来ている、「なになに?」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

どうやらクレデンシアルのセージョに蝋の押印をしてくれるらしい。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

「日本人か?」と聞かれた。「そうだよ」と答えると「来年東京に行く。パラリンピックだ」それで彼が車いすだったことに気が付いた。La Huella 足跡という意味の蝋を付けてくれた。「スエルテ~幸運をね~」と言い合った。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

そこにバルがあったのでコーヒーを飲んでお手洗いを使っていく。コーヒー1€20x2

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

直ぐさきにもバルがあって、どうやらここと仲が悪いらしく向こうからしきりにラッパの音で牽制していてこっちのバルの主人も何だかんだ言い返している。なんか松竹新喜劇みたい。こっちのバルにみんなが入って行くので次のバルはそれが面白くなくて悪口を言い合っているらしい。カミーノは人生の道やなあと実感する。色んな人達が道にいてそこには様々なドラマがある。

少し先に教会、この村の教区教会のようで入り口入ったところでセージョを押してもらって少し小銭を入れる。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

 

モホンの上に履きつぶした靴を置いて行くのが流行りなのか。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

いよいよメリデに着いた。パラスデレイから15キロ地点で9月のグループはここで宿泊だ。街に入る手前に橋が架かっている綺麗な街だ。15キロなんて何でもない。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

橋のたもとのバルレストランが良い感じだった。9月はここでランチも良いねとメニューを見せてもらった。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

国道の方に行って9月のグループの宿泊ホテルをチェック。ホテルのオーナーはとても感じの良い人で色々教えてくれた。メリデはタコが有名でホテルの近くの店を教えてくれたのに今更いかなかったことに後悔している。この日は30キロ歩くので気持ちに余裕が無かったのだ。さあ前に進もう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

メリデを出たらまた木が茂った綺麗な街道。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

自転車に荷物を積んで引っ張るのも大変でしょうね。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

メリデを出て4.5キロでボネンテという村、教会があり国道と交差している。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

暫く登り坂が続き次の村カスタニェーダの集落にバルがあった。14時になってお腹も減ったので休憩しましょう。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

一つ目はやめて次のバルに入って「トルティージャでも食べましょう」と荷物を置いて座ったら「トルティージャは無い」と愛想悪く言われてしまった。前のバルにはもう戻りたくないし、ちょっとしょんぼりしながら前に進む。「ガリシア人愛想悪すぎっ」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

川のほとりにベンチが有ったのでここで休憩する事にした。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

昨日買った缶詰とマドリードから持ち歩いている生ハムと昨日の残りのパン。これで充分美味しいランチになった。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

森の中を歩いて行く。時間によって森の臭いが違うのだ。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

アルスーアの標識が見えた。

 

あともう少しの所からまさかの登り坂。もう気力のみで一歩一歩、前は見ないで自分の足だけを見て歩いて行きそして到着した。歩けば着くんだと知った。

9月のツアーの下見をしたペンションで力尽きもう立てない。値段を聞いたら少し安くしてくれるというしここに泊まる事にした。ペンション・ア・ルア部屋40€で朝食別。明日食べるんだったら朝食もひとり3€でいいよ。優しさが身に染みた。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

部屋の写真も撮り忘れ次の朝に取ったので乱れた状態です。

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

バスルームはもちろんシャワーのみですが熱いお湯が充分でました。

 

お掃除も行き届いた清潔なお部屋でした。

 

巡礼の街はどこも先に道が出来た後街が出来たので細長い。道沿いに宿場町が発展していったのが良くわかる。

街の中心部ではガイタ(ガリシアのバグパイプ)のコンクールの様で村人が集まっていた。

30キロも歩いたからにはお祝いをしなければ。夕食は美味しい所をみつけましょう。ネットで検索したらここが一番というので来てみたのが「カサ・ネネ」「Casa NENE」

19時30分頃予約なしで入ったら「今は満席、15分位まったら何とかなる」と言う。結局30分位待って「忘れられている?」って頃にどうぞと2階に。「やっぱりガリシア人て愛想悪いよね~」

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

2階に案内され、なんと小さなレストランでこれは待っても仕方ないと納得。 ほとんどが道を歩いている人達のようだけれどちょっと綺麗な服装の人もいてちゃんと着替えを持って来ているんだねえ、と感心した。

メニューはどれも今風のメルカード創作料理風。前菜にエビのフライ

何を食べたのか全く記憶にない一品

ソロミージョ牛肉のフィレの焼いた料理

ワインはガリシアのゴデージョというぶどうの白ワインを一本

サンチアゴの道パラスデレイからアルスア
筆者撮影サンチアゴの道

食事の後の記憶が殆どなく起きたら朝だった。何と平和な毎日なんでしょう。

サンチアゴの道4日目アルスーアからオーペドローソ19km

朝食は7時から、と言われ混んでいると困ると急いでやってきたら誰もいなかった。昨日のレセプションの女性がキッチンにいて「卵食べる?」

サンチアゴの道アルスアのペンション
筆者撮影サンチアゴの道

簡単なブッフェだが果物もあって巡礼者には充分だ。さっきキッチンで卵作ってた女性はもうホテルの方のレセプションで出発のお客さんの手続きをしていた。スペイン人働かないって言ってる人誰?

7時45分アルスーア出発

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

今日は雨は大丈夫な感じ。2.4キロ40分位歩いたプレグントゥーニョに1件目のカフェ更に20分程でもう一軒カフェがあった。

サンチアの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

昨日の雨で道はぬかるんでいるが今日は足に豆が出来て靴を履くと痛いので靴下を履いてトレッキング用のサンダルを履いて歩いた。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

遠くから「ジントニック~」と聞こえてきた。ポルトマリンで合ったスペイン人の3人組のセニョールたちだ。見違えるほどのスピードで歩いていった。ジントニックを飲んだら元気になるよとか言っていたなあ。なんだか戦友にあった気分だ。

アルスアから6キロ地点、2時間半位でカルサダという集落にカフェ。お手洗いが女性の方が壊れていて列が出来ていた。ジントニックのおじさん達はここで休憩らしい。私たちはもう少し進んでみよう。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ビール瓶で作った門があるバル。ビール瓶に日付と名前がはいっている。沢山の人達が飲んでいったビールに歴史。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ビール瓶で作った免罪の門プエルタ・デ・ぺルドンと書いてある。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

更に先にはアルベルゲの壁に巡礼者の履きつぶした靴を植木鉢にして飾ってあった。靴は巡礼の象徴やね。800キロ歩いたら潰れるのかな。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

時々で会う逆向きに歩く人、何故なんだろう。サンチアゴは後ろ。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

次の村ボアビスタに着いた。休憩所があるみたいなので覗いてみる。ここは写真屋さんもやっていて記念写真を撮ったらサンチアゴで受け取れるという。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

外にポートレート写真が飾ってある。Casa da boaVista眺めが良い家かな、ガリシア語はほとんどポルトガル語やね。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

建物の中はとっても素敵でお手洗いも男女別で綺麗。農家がやっているんだと思う、広い農地が見えるテラスでコーヒーをいただき休憩。荷物を降ろすとホッと一息だコーヒー2杯で3€80centは少し高めかもしれないが美味しいコーヒーでした。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

更に2キロ程歩いたところに村があった。Salcedaサルセダ。サンチアゴまで28キロ位の地点。定食8€は安いけど見るだけ。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

ここから1キロ弱位、サンチアゴまで27.3キロ位の所で国道に面したところにもう一軒。広いParrilladaと書いてある炭焼きもやる本格的レストラン。

更に2キロほどでレストランがありこの辺りは休憩するところは沢山あった。

あとサンチアゴまで25.026キロ。少しづつ近づいている。必ず減って行くのが嬉しい。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ

13時ア・ルアに着いた。ここはは9月のグループが宿泊するところ。5時間程で18キロ歩いたことになる。素敵なペンションはお掃除終わったばかりみたいなので扉の外から9月のグループの件で少し話をした。サンチアゴの道のペンションはどこも13時頃には入れるようだ。みんな早く出ていって早く着くからという事ですね。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

あと1キロで本日の目的地オーペドロ―ソに到着です。「今日はどうしよう?」「せっかく寝袋背負って歩いているのでもう一泊位アルベルゲに泊まってみようか?」と私たちの意見がまとまりパブリックのアルベルゲに行ってみる。

サンチアゴの道アルスーアからオーペドローソ
筆者撮影サンチアゴの道

丁度ペドローソの街に入ってすぐにアルベルゲがあった。

サンチアゴの道オーペドロ―サ
筆者撮影サンチアゴの道

なんだか機嫌が悪そうなセニョーラが受付け「ベッドは有ります」。身分証明書とクレデンシアルを見せてひとり6€x2を支払い使い捨てシーツを受け取る。

サンチアゴの道オーペドロ―サのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

ベッド番号32と33、2段ベッドの上と下だ。ベッドの準備をしてシャワーを浴びて洗濯をして出かけます。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

公共エーリアは広々していた。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

コイン式の洗濯機。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

洗濯物を干すのも競争率は高い、既にいっぱいだ。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

ここのアルベルゲが良かったのはベッドごとに電気があった。

サンチアゴの道オーペドローサのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

今夜の睡眠用に誘眠剤を買いに薬局に行った。私が持ってきたのは飲み切ったので購入する。

サンチアゴの道オーペドローサの薬局
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴの道らしく足の豆用品が全面に出ていた。

サンチアゴの道オーペドローサの薬局
筆者撮影サンチアゴの道

ランチは薬局で夫が美味しい店を教えてもらっていた。地元民に聞くのが一番だ。薬局からも近い「お肉ならここ」と言われたらしい。Asador Pedrouzo

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

入ったところは満席だったが奥の方に案内された。お肉のメニューでサラダとデザートもついてひとり15€。アツアツの鉄板で自分で焼きながらいただく。

美味しいハウスワインもついてサラダとポテトフライ。

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートにチーズケーキ。

サンチアゴの道オーペドローサのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

話しかけてきたのはアメリカに住む中国人。去年日本に行ってとても気に入ったので又行きたいらしい。サンチアゴの道はフランスから歩いているという。

ランチにしっかり食べたのでもう夕食はいらない感じだった。明日の準備をして果物とピスタッチオで終了して早くねます。今日は夫も誘眠剤を飲んで眠れるでしょうか。

サンチアゴの道5日目ペドローソからサンチアゴ20キロ

今日はサンチアゴに着くので周りの人達もみんななんだかソワソワしている気がする。早くから動きはじめて6時頃にはざわついていた。夫も今日は眠れたようだ。持っていたコーヒーを電子レンジで沸かしたお湯で作ってくれた。6時50分出発。街を出るのに矢印が無くて少し遠回りをしたようだ。昨日のレストランの方から行けばよかった。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

早朝の森の臭いや鳥の声、毎日歩いているから少しわかって来た。時間によって森の臭いが変わって行くのだ。歩いているときに胸の奥の方からフツフツ沸き上がって来る幸福感に満たされる。脳から出る幸福ホルモンとは別のシステムの様な感じでもっと原子的な人間の根源の奥深い所から湧きだしてくるような不思議な感覚だ。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

せっかく買ったガイドブックに出ているSan Antonという村は通過しなかった。このガイドブックなんだかあちらこちらで違っているなあ。1時間程歩いたところにバル、トンネルを超えてもう一軒バル。私たちは休憩なしで歩く

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

その後軽い登り、しばらく行くとまた人だかり。覗いてみたら蝋のハンコを押してくれるらしい。並んでいるからここは通り過ぎる。もうハンコも随分集まったしね。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

モホンに大きな石を積み上げた人、すごい力持ち。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴ空港の近くを歩く。飛行機が降りてくるのが間近に見えた。

空港の敷地の金網のすぐ横がサンチアゴの道なんだ、というか「道」の方が先にあったんだよね。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

Labacollaラバコジャの村に入ったところに2軒バルがあった。休憩しよう。コーヒー2とドーナッツ2で4.6€

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

大きな豪邸が続く住宅街を歩く、登りが続く。

 

キャンプ場があってそこに売店とレストランがあった。もうこの辺りはサン・マルコになる。サンチアゴはすぐそこだ。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

キャンプ場から更に1キロほど歩いたところにもレストランがあった。ここは街にあるようなレストランでメニューをみたら食べてみたくなるようなものがある。この先のサンマルコに泊まって次の日サンチアゴに入るような予定ならここでランチもいいと思う。私たちはサンチアゴに本日中に着きたいので前に進んだ。

サン・マルコ教会に到着。ここはサンチアゴの観光をするときにグループのお客様と時々やって来る所でモンテ・ゴソのすぐ近くだ。ローマ法王ヨハネパウロ2世が1998年に訪れた記念のモニュメントがある。そして世界のカトリックの若者の祭典が行われたときに大きなアルベルゲが作られた。にここで宿泊して明日の早朝にサンチアゴに入る人も多いに違いない。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ、サンマルコの教会
筆者撮影サンチアゴの道

サンマルコ教会から少し巡礼の道から外れていつものモンテゴソのモニュメントに行った。旅行会社のサンチアゴの観光のパンフに乗っているところなのでここはバスでやって来て写真を撮る場所、実際カミーノを歩いている人はあまり行かないようだ。天皇陛下が皇太子だった時に日西友好行事で訪問されて遊歩道が綺麗に整備された。

サンチアゴの道オーペドローサからサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

ここからサンチアゴ・デ・コンポステーラの街まで「たったの5キロ」が随分長く感じた。歩くところが今までの様なウキウキする綺麗な森じゃないからだと思う。

サンチアゴの道、サンチアゴ・デ・コンポステーラ
筆者撮影サンチアゴの道

車が走る大きな道路やスーパーやガソリンスタンドを見ながら、サンチアゴの街は大都会なんだと感じた。マドリードから直接到着した時の印象と同じ町に入った時の感じ方がこんなに違うんだねえ。

旧市街に入って行くポルタ・ド・カミーニョに着いた、かつてここには巡礼者が街に入る城門があった。今は名前だけが残るここからサンチアゴの旧市街に入る。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

巡礼の門を入るとセルバンテス広場を通り抜け大聖堂に到着だ。

サンチアゴのサンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

こんなに待ち焦がれたサンチアゴの到着なのに、もう終わってしまうんだと大聖堂に近づくほどに切なくなった。「泣いてしまう程嬉しい」に違いないと想像していたので自分の心の動きに動揺した。心が空っぽになったのだ。

サンチアゴの道サンチアゴ・デ・コンポステラ
筆者撮影サンチアゴの道

大聖堂は現在工事中で中に入れるのはプラテリアの入り口からで9時から20時のみ。まずはサンチアゴ様にご挨拶をします。リュックをその辺に「ぽいっ」と置いて中に入った。

サンチアゴの道サンチアゴデコンポステーラ
筆者撮影サンチアゴの道

サンチアゴ様のお墓にご挨拶に行こうと思ったらものすご~く混んでいた、私たちはもう少し後で戻ることにして巡礼オフィスに向かいます。この時間は巡礼者が皆歩いて着くので混むんですね。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

巡礼オフィスも大混雑で40分程並んで証明書を手に入れました。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

別途3€支払うと「歩いたキロ数を書いた証明書」がでる。カウンターで何か聞かれたらこれですが夫よく話を聞いていなくて「シーシーはいはい」と言って購入していた。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

ランチはこの近くの評判が良いレストランに予約なしで行ってみたら「この席で良かったらどうぞ」と案内された。

A Horta do Obradoiro オブラドイロ広場から徒歩すぐの所。

サンチアゴの道サンチアゴのレストランオルタドオブラドイロ
筆者撮影サンチアゴの道

イカスミのリゾット

サンチアゴの道サンチアゴのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

オックステール

サンチアゴの道サンチアゴのレストラン
筆者撮影サンチアゴの道

デザートはガリシアのデザートでフィジョア、クレープの中にクリームやアイスクリームが入っている。

宿泊はモナステリオ・サンフランシスコ・ホテル、最後だけちょっといいホテルに泊まりたかった。

サンチアゴの道、サンチアゴサンフランシスコホテル
筆者撮影サンチアゴの道

ネットでホテルの公式ページから探すと巡礼者値段で割引料金一泊朝食付きダブル・ルーム1部屋175€。

サンチアゴの道サンチアゴ、サンフランシスコ修道院ホテル
筆者撮影サンチアゴの道サンフランシスコホテル

 

休憩の後午後に大聖堂に入ったら随分空いていてゆっくりサンチアゴ様にご挨拶をしてきました。膝をついてお墓に向き合ったら空っぽになった心がじわじわと何かで満たされていって涙が出た。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

翌日、サリアに戻ります

久しぶりのホテルでのんびりできた。チェックアウトをして朝からもう一度大聖堂に戻りサンチアゴ様に挨拶をした。あとは帰るのが惜しくてサンチアゴ・デ・コンポステーラの街をうろうろ。時間があればフィニステーレまで行ったに違いないが帰らなくては、仕事が待っている。サンチアゴの台所「アバスト市場」のタコ屋は月曜も開くらしいので行ってみた。(スペインでは市場の魚屋は月曜日休みなので)

サンチアゴの道、サンチアゴのアバスト市場のタコ屋
筆者撮影サンチアゴの道

新市街地に出来ているメルカード・ラ・ガリシア―ナはマドリードのサンミゲール市場の様なフードコート仕立て。寿司屋もあった。

サンチアゴの道サンチアゴの
筆者撮影サンチアゴの道

バスターミナルに早めに歩いて行って15時30分のルーゴ行きのバスに乗りましょう。窓口に誰も来なくて心配になったが14時45分窓口に人がやって来た。切符を買う時に「サリアまで行くんだけど~」といったらサリア直行があるけど「15時発はあっちの会社」「エーあと2分」とダッシュしたのは私たちだけでは無かった。調べ方が甘かったが、ぎりぎり間に合った。

 

サンチアゴからサリアは約3時間のバスの旅。5日間かけて歩いた距離をバスで3時間で戻るのは不思議な気分だ、歩いた道とは違うルートだけれど。

サリアのバスターミナルに到着。

マグダレナ修道院まで歩いて戻って行った。キャンピングカーが無事待っていてくれた、少しだけ心配していたので安心。

一緒に歩いた杖は家まで持って帰る、もう捨てられない。

サンチアゴの道サリアに戻ったところ
筆者撮影サンチアゴの道サリアのマグダレナ修道院

車のエンジンを掛けて、さあ出発。この時期は22時頃まで明るいので行けるところまで行って休もう。

 

途中お腹が減ったのでラーメンを作っていただきます。

 

カスティーリア・レオンに入るとどこまでも平ら。カミーノもここはつらいだろうなあ。

私は途中記憶を失っていたが気が付いたらマドリードに帰って来ていた。12:30マドリードの家に無事到着。

サンチアゴの道の旅を3分間のビデオにまとめてあります。

カミーノが終わって

あっという間のサンチアゴの道の旅でした。マドリードで日常に戻ってこれを書いているが、まだ歩いていた時の森の臭いや鳥の声を思い出す。辛かったけど重い荷物を持って道を歩いている時が幸せだったと後から気が付いた。道は人生なんだなあ。

 

サンチャゴの道をサリアからサンチアゴ・デ・コンポステーラまで115キロ歩く人の色々まとめ

カミーノ・デ・サンチャゴ=サンチアゴの道は1000年以上も人々が歩き続けている巡礼街道で世界遺産。この記事はサンチアゴの道で一番有名なカミーノ・フランセス=フランスの道をサリアからサンチアゴまで115キロ歩く人の為の解説書。私は歩いて本当に良かった、足が痛くなったけど足はそのうち治る。大きな悟りが直ぐに与えられるわけでは無いけれど「どうしよう、無理!やっぱりやめよう」ともし迷っている人がいたら恐がらずに是非最初の一歩を踏み出して歩いてみると良いと思いまとめた記事です。

サンチアゴの巡礼道「カミーノ・デ・サンチアゴ」を115キロを歩く


サンチアゴの道とは

サンチアゴの道はスペイン北西部にある聖地サンチアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼街道。1000年以上前から続いている巡礼路でいくつかの道があるが一番有名なのがフランスの道。

サンチアゴの道フランスの道ルート
筆者作成サンチアゴの道

ピレネー山脈のフランス側から約800キロの巡礼街道。サンチアゴ・デ・コンポステーラは聖ヤコブの遺体が埋葬されたカトリックの聖地。スペイン語で道をカミーノという。サンチアゴの道をカミーノ・デサ・ンチアゴ、略して定冠詞を付けて「エル・カミーノ」と呼ぶ。

サンチアゴの道<エル・カミーノ>の歴史

サンチアゴとは

イエス・キリストの12弟子のひとり聖ヤコブの事をスペイン語でサンチアゴという。イエス・キリスト亡き後スペインに布教にやって来たと言われているがその後エルサレムでヘロデ・オアグリッパにより首を切られて殉教。サンチアゴの弟子たちによりその遺体は船に乗せられ「行先は神のおぼしめしのまま」と天使に導かれガリシアに埋葬された、という言い伝えがあった。

サンチアゴの道、聖ヤコブの遺骸を運ぶ弟子たち
筆者撮影サンチアゴの道パドロンの教会にあるメダル

9世紀のある星が瞬く美しい夜に羊飼いたちが星の真下に洞窟を発見そこに聖ヤコブの遺骸を見つけた。

その時代スペインではイスラム教徒から領土を奪い返すレコンキスタの戦争をやっていた、聖ヤコブはキリスト教徒を守る守護聖人となり「神はそれを望んでおられる」と宗教的な情熱と結びついてヨーロッパ全体に広がって行った。サンチアゴ・マタ・モーロと呼ばれレコンキスタの象徴になって行った。

聖ヤコブ
筆者撮影

 

歩くのに必要なのはクレデンシアル

クレデンシアルとは

クレデンシアルは巡礼者の通行証、巡礼者のパスポートになる。巡礼者用の宿泊施設アルベルゲの泊まったりサンチアゴデコンポステーラに到着して巡礼証明書を発行してもらう時に必要になる。

従来は自分が通う地区の教区教会で発行していた。現在はエル・カミーノにある教会や巡礼事務所やアルベルゲで発行してもらう。

クレデンシアルを持っていると観光施設の割引があったりホテルも巡礼者料金がある場合がある。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*アルベルゲに泊まるにはクレデンシアルが必要

*サンチアゴ到着後に巡礼証明書を発行するのに毎日2か所のハンコを押してサンチアゴに到着する必要がある。

クレデンシアル
筆者撮影サンチアゴの道

 

*クレデンシアルを日本で手に入れる

日本のサンチアゴの道友の会で発行している。料金1000円。

日本のサンチアゴの道友の会のクレデンシアルを購入できるページです。

http://www.camino-de-santiago.jp/credential/get.html

 

*クレデンシアルをマドリードで手に入れる

マドリードでクレデンシアルを手に入れる方法は2つ。

①マドリード王宮近くのサンチアゴとサンホワンバウティスタ教会で無料で発行。

Real Iglesia Parroquial de Santiago y SanJuan Bautista

住所 Calle santiago24

寄付金が必要。クレデンシアル発行の後「お参りしてください」といわれるので後ろにあるサンチアゴ像でお参りをして1€~2€、もちろんもっと沢山でも。

月曜から土曜10時から13時、18時から20時

日曜、祝日11時から13時、18時から20時

*パスポートやDNI等身分証明書。

*巡礼を始める場所と日付けを聞かれる。

*本人のみ可能

 

②マドリードのサンチアゴ友の会で発行ー2€

Asociacion de Amigos de los Caminos de Santiago de Madrid

住所 Calle de Carretas14

火曜日と木曜日19時から21時

水曜日11時から13時

*パスポートやDNI等の身分証明書

*身分証明書のコピーで代理申請可能

*2€の手数料が必要

*クレデンシアルをカミーノで手に入れる

各地の巡礼事務所やアルベルゲ、教会などでもクレデンシアルを発行している。マグダレナ修道院も発行するアルベルゲのリストに出てくる。私は「万が一行ったら無かった」という事を想定して念のためマドリードで入手しておいた。

 

巡礼証明書La Compostelaをもらうには最低100キロ歩く事

*サンチアゴの道は沢山の道がありどの道を歩いても良いしどこから始めても良い。

*サンチアゴの道を歩いた証明書=La Compostelaをもらうには徒歩で最低100キロ、自転車と馬は最低200キロと規定がある。

*毎日カミーノを歩きながら最低2か所のSELLO=ハンコをクレデンシアル(巡礼手帳)に押し、日付も書く事。

クレデンシアル
筆者撮影サンチアゴの道

 

サンチアゴに到着後巡礼事務所に持って行くと巡礼証明書(無料)が発行される。

サンチアゴの道の証明書
筆者撮影サンチアゴの道

 

 

マドリードからサリアへの行き方

マドリードからサリアへの移動は私たちはキャンピングカーで移動しサリアのマグダレーナ修道院の前に車を置いて5日間で歩き路線バスでサリアに戻って来た。在住者で車ありならこれが一番無駄が無いはず。

レッカー車の会社が車をサリアからサンチアゴに200€で移動してくれるサービスがあった。サリアに車を置いてサンチアゴに着いたら車をピックアップできるサービスだ。結局200€は勿体ないので私たちは路線バスでサリアに戻ったが便利なサービスではある。

マドリードからサリアにバスや鉄道で移動

日本や他の国からマドリードに入りサリアに行く方法は3つ。簡単でおすすめは①の長距離バスでルーゴ、乗り換えてサリア

①マドリードからルーゴ行きの長距離バスにのり(約6時間30分~7時間)ルーゴからサリア行きの路線バス(約30分)に乗り換える。

*マドリードからルーゴ(LUGO)

バス会社ALSA  マドリード南バスターミナルからEstacion sur de autobuses

(ALSAはマドリードのバラハス空港ターミナル4からも出発している)

ALSAの時間を調べるページにリンクします。出発地と目的地を英語やドイツ語、フランス語も選べる。

ALSA

 

*ルーゴからサリア(SARRIA)

ルーゴに着いたらMonbusのバスに乗り換える。バス会社Monbusのページ。出発地と目的地を入れて日付を選択、右上から英語も選べる。

https://www.monbus.es/en

②マドリードからサンチアゴまで路線バス又は飛行機、鉄道で行き、サンチアゴのバスターミナルからサリア行きのバス会社Monbusのバスに乗る。

バス会社Monbusのページ。出発地点と目的地、日付けを入れると時間が出てきます。右上の所から英語も選べる。

https://www.monbus.es/en

③マドリード・チャマルティン駅からサリア行きのスペイン国鉄Renfeに乗る。本数が少なく日によって時間が違うので注意。

*月曜から金曜と日曜はトレン・ホテルという夜行寝台列車が出る。マドリード・チャマルティン発22時30分サリア着朝6時50分51€90c(時間や値段は季節や連休などに変更があるので必ず確認してください)

スペイン国鉄Renfeのページです。出発地と目的地、日付を入れて検索できます。

http://renfe.com

サリアのバスターミナルから

サリアのバスターミナルからカミーノの出発地点マグダレーナ修道院アルベルゲまでは徒歩15分、最後に少し登りがある。

サリアの街にはさまざまなタイプの宿泊施設があるのでそれぞれの旅に合った所を探すと良い。

サンチアゴの道サリアのバス駅
筆者撮影サンチアゴの道

サリアのバスターミナルはバスの出る時間くらいしか人はいない。タクシーもいなかった。お手洗いは無料で使える。駅を出てすぐにスーパーマーケット有。

(写真下)正面の丘の上に有るのがマグダレーナ修道院アルベルゲ。丘の上なので最後は少し登坂になる。

サンチアゴの道サリアから
筆者撮影サンチアゴの道

歩道にサンチアゴの道の象徴ホタテのモザイクで気分は盛り上がります。

サンチアゴの道
筆者撮影サンチアゴの道

サリアのマグダレナ修道院アルベルゲ

マグダレナ修道院のアルベルゲについて

一泊10€

ベッド数110

予約可

時間11時から23時、出発は6時から8時30分の間

営業は3月15日から11月2日まで

(下)ホームページ日本語で見れます

http://www.alberguesdelcamino.com/ja/sarria/albergue-monasterio-de-la-magdalena/

サンチアゴの道持ち物と持って行って良かった物

ここでは5~6日間でサリアから115キロを歩く場合の持ち物リスト。アルベルゲにも泊まる場合もありで必要な物。パスポートやお金クレジットカードなど基本的な物以外でまとめてあります。予算があってすべてホテルやペンションに泊まるならシャンプーやS字フック選択物干しは不要。

荷物はなるべく軽くする努力が必要。女性で6キロ~7キロ位までが良いと思う。

*リュック=私は40Lのリュックををマドリードのデカトロンで30€ほどで購入した。サイズは30Lでも充分だが私は別の機会にも使えるように大きめのを購入した。なるべく軽いのを選ぶといい。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*クレデンシアル巡礼者用のパスポート

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*寝袋(私は既に持っていたオールシーズン用で行ったが1.1キロもあった、冬以外はもう少し軽いのでもいい)新しく買いたくなかったのでこれ。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*小さなバッグ(クレデンシアルやお金などすぐに出せるように)この黒いバッグはマドリードの中国人ショップで2€位、貴重品とクレデンシアルとスマホ、リップクリーム等をここに入れていた。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道

*歩く靴=履きなれた靴で登山靴かトレッキング用の靴の裏がしっかりしたもの。砂利道やぬかるみもあるくが急な山道は無い。

*日焼け止めクリーム。写真下は私が普段から使っているスペインのAveneの温泉水で作った日焼け止めクリームSPF50。これ一本で2か月は持つ絶対焼けないすぐれもの。16€50c位。肌色の色付きと色なし白がある。スペイン各地の薬局で購入できる。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*帽子、登山用の布地の物と悩んだ末麦わら帽子にした。マドリードのマヨール広場近くで10€。折りたためるのでいらない時はリュックに入れられる。

サンチアゴの道持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*ポンチョ=リュックごと頭からかぶれるタイプのもの。

*トレッキング用のサンダル(豆が出来て靴を履けないとき、シャワーの時とスリッパ兼用)途中で足に豆が出来た靴が履けなかったので靴下をはいた上にこのサンダルで歩いた。トレッキング用サンダルで検索すると沢山出てきます。

サンチアゴの道持ち物
筆者作成サンチアゴの道持ち物

*トレッキング用のストック=絶対合った方がいい、心の支えにもなった。なるべく軽めのを一本は最低持って行くと転ばぬ先の杖になる。

*S字フック=アルベルゲでシャワーを浴びるときに貴重品をシャワーブースの中にかけたりシャンプーなどをかけるのに使う。

サンチアゴの道ポルトマリンのアルベルゲ
筆者撮影サンチアゴの道

*洗濯物干し=靴下や下着等洗濯したものを干す場所が確保できない場合があるのでなるべく軽い物をひとつ持って行った。

サンチアゴの道持ち物
筆者作成サンチアゴの道持ち物

*バッテリーバンク=私は持って行ってよかった。個人的にスマホをよく使うので毎日充電が必要、アルベルゲでコンセントがベッドの近くにない、コンセントは既に誰かに確保されていた等。

サンチアゴの道の持ち物
筆者撮影サンチアゴの道持ち物

*耳栓とアイマスク=アルベルゲでのイビキ対策用

*軽い誘眠剤=私はスペインの薬局で売っているDormidinaを持って行った。似たようなものがカミーノの薬局でも購入できる。

サンチアゴの道持ち物
筆者作成サンチアゴの道持ち物

 

*登山用パンツ2本=今履いているパンツと予備を1本。ポケットが沢山ついている速乾性の物が便利。

*スポーツブラとシャツや下着=干しててあまりセクシーじゃないのを探した。でもヨーロピアンは気にしていない模様。

*パジャマ兼部屋着のシャツとジャージのうすいの

*薄いダウンジャケット

*山用のヤッケ

*虫刺されパッチ=どこでやられたか不明だがのみかダニにやられた。

*小さい懐中電灯=暗い中準備する時用。スマホのバッテリーを使いたくないので。

大抵の物は現地でも購入できる。常備薬、虫刺されパッチはスペインにないので日本からどうぞ。

大丈夫、心配せずに出発しよう

「荷物を持ってそんなに歩ける?」「途中で歩けなくなったら大変だし」と思って躊躇している場合は現地に色々なサービス(以下)があって何とかなるので最初の一歩を歩きだすといいと思う。スペイン語が判らなくても各地簡単な英語が通じ絶対に誰かが助けてくれる。一歩足を前に出せば何とかなる。

*荷物は運んでくれるサービスがあり3€で次の目的地に持って行ってくれる。

*タクシーも電話番号がいろんなところに書いてあり途中で呼ぶことが出来る。

*歩けばとにかく着く。

巡礼なのか

巡礼というと禁欲的なイメージが有るが目的地に着くため毎日歩くゲームだ。様々な思いの人達が同じ方向に歩くことによって何かを手に入れる。手に入るのは今ではなくもっと遠い将来かもしれない、いや重い荷物を背負って歩いたから大きな代償が与えられるかは不明だ。ただ帰って来てから感じるのは歩いていた時が一番幸せだった。目的は「富士山に登りたい」や「サグラダファミリアが見たい」と同じでいいと思う。宗教的な解釈に縛られる事無くただ歩くために行く、そして目的地だけは用意されているのだ、それがサンチアゴの道。

サンチアゴに着いたらサンチアゴ様にハグをしましょう

大聖堂の中央祭壇の横から階段を登ると聖ヤコブ像に後ろからハグが出来る。

サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂内部
筆者撮影サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂

その後反対側から階段を降りると地下にサンチアゴ様のお墓がある。

サンチアゴの道サンチアゴの大聖堂内部
筆者撮影サンチアゴの道サンチアゴの大聖堂

サンチアゴ・デ・コンポステーラに到着したらサンチアゴの大聖堂に埋葬されるサンチアゴのお像にハグをして地下にあるお墓詣りをします。カトリック教徒でなくても大丈夫。サンチアゴの道はもともとサンチアゴ様詣で、その為に歩いたのだからご挨拶しましょう。

大聖堂は9時から20時、入り口はプラテリアの門のみ(現在工事中の為)

サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂
筆者作成サンチアゴ大聖堂入り口

 

*2019年はサンチアゴ大聖堂内部は工事中でミサは行われない。したがってボタフメイロも無い。巡礼者用のミサはサンフランシスコ教会で12時から。

*工事は2020年7月に終了予定。次の聖年2021年に向けての工事。

*栄光の門は予約制で約45分のガイディングツアーのみ。栄光の門を見る場合は当日では予約はほぼ不可能。ネットから早めの予約することをお勧めする。

*栄光の門は13世紀サンチアゴの大聖堂の入り口だった。ロマネスクの素晴らしい彫刻で聖人達の表情や動きなど12世紀の物とは思えないが素晴らしさ。10年間の修復を終えて公開された。

 

サンチアゴの聖年

7月25日が日曜日になる年をサンチアゴの聖年=アニョ・サントという。聖年にだけ免罪の門から大聖堂に入ることが出来そこから入った人には多くの罪が許される。

サンチアゴの道サンチアゴ大聖堂の免罪の門
筆者撮影サンチアゴの道

次の聖年は2021年。最近では1993年、1999年、2004年、2010年が聖年で免罪の門が開けられた。2016年はローマ法王からの特別聖年という事で一年間免罪の門が開けられた。

サンチアゴに着いて巡礼証明書をもらう場所

サンチアゴの大聖堂があるオブラドイロ広場から徒歩3分の所。

サンチアゴの道サンチアゴ
筆者撮影サンチアゴの道

パラドールから下り坂と階段を降りて右に曲がった所に入り口。巡礼者が到着する13時頃は混みあっているので並びたくない場合は少し時間をずらして入ると良い。

*入り口でクレデンシアルのチェックがある。

*内部は撮影禁止

*証明書は無料。

*別途何キロ歩いたかの証明書が必要か聞かれる。3€で発行してくれる。

サンチアゴの道巡礼証明書
筆者撮影サンチアゴの道の巡礼証明書

サンチアゴ大聖堂から巡礼事務所徒歩3分

サンチアゴの道の旅を3分のビデオにまとめてあります。

サンチアゴの道をサリアから歩いて感じた事

*カミーノは荷物を作る所から始まっていた。要らないものをどんどんリュックから出していくときに「道」の本質が見えて来た。

*毎日朝早く歩き始めると森の中の臭いが時間によって変わって行くのがわかったし鳥の鳴き方が雨の日や曇りの日で違って聞こえた。景色がキラキラ輝いて巡礼者が歩く音や肌に感じた空気は一生忘れない。

*ゆっくりでも歩けば着くことに驚いた。30キロも歩いたのは人生で初めてだったがとにかく歩いて行けば着くという単純な事に感動した。

*サンチアゴに着いたら不思議と哀しくなった。心が空っぽになって脱力した。到着した事で目的を失ってしまったことに気がついた。

*思い返すと毎日重い荷物を持って苦しいと思いながら歩いていた時が一番幸せだった。

*ひとりで歩いている人が多くてずっと一人で歩くともっと心の深い深い所まで旅が出来るのではと思った。

*次はピレネーを超えて歩きたい、冬もいいかも、と夢は膨らんだ。

 

スペインとポルトガルの旅、マラガ,マルベージャからリスボンとポルトの旅の記録2019年

ポルトガルに久しぶりに行って来た。今回のお客様は2年前にバスク地方を一緒に旅行した方。「今年のゴールデンウィークに南スペインからポルトガルに」と打診がありプライベートカーで旅した記録、自分用忘備録。

 

日程はマドリード新幹線でマラガ、車でマルベージャ、リスボン、オビドス、コインブラ、ポルト


1日目イベリア航空にてマドリードに到着

お客様は成田空港からマドリードまでイベリア航空直行便にて18時30分到着。この時期はまだまだ太陽は空の上にある。イベリア航空の直行便は座席数が少なく特にビジネスクラスは17席しかないので半年以上前に航空券だけ先に購入していただいた。兎に角東京マドリード間イベリア航空は今スペイン人達の訪日観光で人気で非常に取りにくい。旅は中身は何とかなるという事。

ポルトガルの旅
筆者撮影

宿泊ホテルは老舗の5つ星ウェリントンホテル。高級住宅街サラマンカ地区にあり闘牛祭の時は有名闘牛士が宿泊するホテルだ。マドリードの5つ星ホテルの中ではこじんまりしていて私個人的に好きなホテルのひとつ。

<マドリード、ウェリントンホテル入り口>

ポルトガルの旅、
筆者撮影

チェックインの後ホテルの近くのバルに出かける。アルボラ(albora)はミシュランのレッドガイドで星ひとつのレストラン。そのアルボラのバル部門でワインと生ハムをいただくことに。ここはいつも混むので開店20時30分に入って何とか座れた。

<マドリード、ミシュラン星付きレストランアルボラ>

ミシュラン星付きレストラン、アルボラ
筆者撮影、Madrid albora

 

「お腹はあまり減っていないです」との事で軽く生ハムを。ここはホセリート(Joselito)のビンテージ物(年代もの)の生ハムがあって2013年14年15年と選べる。どの年のが良いか聞いたら「2014年が最高」とお店の支配人。ではそれでお願いします。

<マドリード、ミシュラン星付きレストラン・アルボラの生ハム>

マドリードの星付きレストランのバル、アルボラの生ハム
筆者撮影 albora jamon iberico

ワインと生ハムでしばらくお話をして外に出たらすっかり暗くなっていた。

<マドリード、ミシュラン星付きレストラン、アルボラ>

マドリード、ミシュラン星付きレストラン、アルボラ
筆者撮影

もう一軒バルのはしごをご希望でアルボラの迎えにあるColonial de Goya。テラスでワインとおつまみ。爽やかな風が吹いてテラスが気持ちいい時期になりました。

<マドリード、バル・レストラン、コロニアル・デ・ゴヤ>

バル・レストラン、コロニアルデゴヤ
筆者撮影、Colonial de Goya

グラスの赤ワインとおつまみを注文。前の旅行の思い出や今回の旅行の事などをしばらく楽しく過ごして終了

マドリードのバル・レストランのテラスでつまみとワイン
筆者撮影、バル・レストラン、コロニアル・デ・ゴヤ

ウェリントンホテル

マドリード ウェリントンホテルのレセプシオン。

マドリード、ホテル・ウェリントン
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントン

マドリードウェリントンホテルの部屋。

マドリード、ホテル・ウェリントンの部屋
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントンの部屋

バスルームの洗面所は2つ付いたタイプ。

マドリード・ホテル・ウェリントンバスルーム
筆者撮影、マドリード・ホテル・ウェリントン

 

2日目マドリードからマルベージャ

ウェリントンホテルの朝食は朝7時から。エレガントなレストランは朝食にしか使っていな。

ホテル ウェリントンの朝食会場
筆者撮影、マドリード、ホテル・ウェリントン

果物や甘い物、ハムソーセージ等がそろったブッフェの朝食です。

ホテル ウェリントンの朝食
筆者撮影

ホテルを出発してマドリード・アトーチャ駅に到着。アトーチャ駅の構内は1886年に完成した頃のまま使われており内部は熱帯植物園になっている。

アトーチャ駅内部
筆者撮影、アトーチャ駅

スペインは新幹線に乗る時手荷物検査がある。持っている手荷物やスーツケース、ハンドバック等をすべて機械に通す。飛行機程の厳しい検査ではないので水やクリーム状の物は問題なし。

 

列車が出るホームは出発の約30分程前に掲示板にでるのは空港とほぼ同じ要領。もともとスペイン新幹線AVEのコンセプトは飛行機のサービスを地上で。座席はプレフェレンテというビジネスクラス仕様なのでアトーチャ駅のラウンジを利用。飲み物を自由に取れてここも空港のラウンジを意識して作られている。

アトーチャ駅のビップルーム
筆者撮影、アトーチャ駅

出発の訳30分程前になるとホームが掲示板に発表になる。アトーチャ駅には改札は無く発表されたホーム番号に列が出来るのでそこに並んで係り切符を見せバーコードのチェックを受ける。

アトーチャ駅
筆者撮影、アトーチャ駅

スペイン新幹線AVEのプレフェレンテクラスの座席はA通路、BC

スペイン新幹線内部
筆者撮影

各座席に充電ができるよう各種のソケットが付いていた。日本のタイプも大丈夫。

スペイン新幹線
筆者撮影

暫くするとメニューが配られてきて朝食です。さっきホテルでいただいたばかりですが。

スペイン新幹線、食事メニュー
筆者撮影

今回は朝なので朝食だけれどランチの時間ならもう少ししっかりしたものが出る。

スペイン新幹線、食事
筆者撮影

9時35分にマドリード、アトーチャ駅を出たアベは12時22分マラガ、マリア・サンブラーノ駅到着。ドライバーと合流の後、ランチ場所に移動。今日は総選挙の日曜日、スペイン人達は選挙の後家族で食事に行くので混む前に先に食事をしておきましょう。

マラガ駅
筆者撮影

マラガ市内から東に海沿いを移動したEL TINTEROエル・ティンテロに到着。マラガの海岸沿いにあるレストランでお天気がいいので海の見えるテラス席で。

マラガ レストラン エル ティンテロ
筆者撮影

地元では知られたマリスケリアで小さなイワシが墨で焼かれていく。

マラガのレストラン イワシを焼くところ
筆者撮影

暫くしたら随分混んできた。

マラガ レストラン エル・ティンテロ
筆者撮影

エルティンテロはキッチンで準備が出来た食べ物をカマレロ(ウェイター)が運んでくるのを好きなものを取る飲茶の様なシステム。イカなら「カマレロ~カマレロはいらんかい?」とか「イワシが焼けたよ~イワシ~アツアツのイワシ~」とか言いながら席を廻って来るのが面白い。

マラガのエルティンテロ
筆者撮影

食事のあとはマラガの街を少し散策しましょう。絵を描くお客様なのでピカソ美術館とピカソの生家を訪れた。

マラガのピカソの生家
筆者撮影

マラガはフェニキア人ややって来て作った街。その後カルタゴやローマ等がやって来ていて街にローマの遺跡、その上に有るのはイスラム時代の要塞跡。

マラガのローマの遺跡
筆者撮影

このままマルベージャに行くには少し早いので白い村ミハスに行ってみた。地中海沿岸にはイスラム教徒の時代に人々が暮らした美しい白い村が沢山ある。少しだけ綺麗なところを散策。

ミハスの白い村
筆者撮影

ミハスは随分観光地化しすぎてもうあまり面白くは無いけれど絵的には良い所が沢山ある。

ミハスの白い村
筆者撮影

ミハスからマルベージャは車で約30分で到着。ホテルはマルベージャの市内のアマレ。

マルベージャ ホテル アマレ

マルベージャ、ホテル・アマレは比較的新しいホテルでここに宿泊するのは初めて。街の東橋の方にありホテルはビーチのすぐ前。近くにスーパーもあり立地は非常に便利。

マルベージャアマレビーチロビー
筆者撮影

ホテルは機能的でインテリアはミニマリスタ。

 

マルベージャ ホテル アマレビーチロビー
筆者撮影

マルベージャ、ホテル・アマレの部屋。シンプルで狭いけれど海に面したお部屋なので充分満足。

マルベージャ ホテルアマレの部屋
筆者撮影

バスタブなしのシャワーオンリーだったけど一泊なので問題なし。シャワーブースが透明の壁で同宿者がいるとどうなんだろうと思ったがちゃんと目隠しも出来るようになっていた。

マルベージャ ホテル アマレ 部屋
筆者撮影 マルベージャ ホテルアマレ

マルベージャ、ホテル・アマレのテラスからは地中海が見える。

マルベージャ ホテル アマレ部屋
筆者撮影 マルベージャ ホテル アマレ

夕食は徒歩で行けるところにした。レストラン・サンチアゴはマルベージャの老舗高級マリスケリア(魚介類料理レストラン)、念のため予約を入れておいた。時間が有ったのでレストランに先乗りして海側の座席を予約。

マルベージャのレストラン サンチアゴ内
筆者撮影 マルベージャ レストラン サンチアゴ

前菜に魚介のスープ(sopa de marisco)。コクと深みがあって美味しい、家では出ない味だ。

マルベージャ レストラン サンティアゴ
筆者撮影 マルベージャ レストラン サンティアゴ

ウナギの稚魚アングーラス(angulas)。アングーラスはマドリードだと「当日じゃ無理」とか「季節外れで今は無理」とか言われる一品。場所柄セレブな人達が多いので持っているのか?味付けはアヒージョ、オリーブオイルとニンニクのソテー。

marbella restaurante santiago
筆者撮影 マルベージャ レストラン サンティアゴ

ウナギが取れなくなり日本のすり身の技術でほぼ似たような食感の物が作れる。Gulas(グラス)として食材店で販売されている。技術的には目を入れる事が出来るらしいが本物との区別の為にすり身のGulasグラスには目はつけない。こちらは二つ目が入った本物です。

ウナギの稚魚
筆者撮影

メインにセントージョを注文。日本のタラバカニに似た種類だけど味は少しさっぱりだった。

Marbella resutaurante santiago
筆者撮影、マルベージャ サンティアゴ レストラン

3日目マルベージャからリスボン

朝少し早く目が覚めたのでひとりで海辺をお散歩した。波の音が気持ちいい。

Marbella
筆者撮影

今日はリスボンまで690キロの移動の日。軽めに朝食をいただいて出発する。朝食レストランは果物や卵料理やハム類など豪華でした。

Marbella hotel amare
筆者撮影

私は朝は基本果物のみ。ホテルのブッフェはついつい色々食べたくなってしまうのでまず先に果物を取ってお腹を満足させてから他の物少しいただく。食べ過ぎない為の私の戦略。

Marbella Hotel Amare
筆者撮影

さあ移動です。マルベージャからセビージャは200キロの距離。車で2時間程で到着してスペイン広場を見学。

Sevilla Plaza Espana
筆者撮影

アルフォンソXIII世ホテルでお茶をしてから馬車に乗った。

Sevilla
筆者撮影

約40分程で街を廻ってくれる。パッカパッカという馬車のリズムで緑の公園を廻って心地いい時間でした。

セビージャの馬車観光
筆者撮影

今日は移動が長いので食事は早めに軽く頂きます。カテドラル近くのラ・アソテアはセビージャに3軒店舗がある創作タパスで有名な店。

セビージャ バル・アソテア
筆者撮影

オープンしてすぐに入ったがしばらくすると満席になった。

セビージャのバル アソテアの内部
筆者撮影

これはcoquinaコキーナという小さい貝とアーティチョーク、地中海沿岸で取れるシジミくらいの大きさの貝でオリーブオイルとニンニクで炒めてある。

セビージャのアソテアでコキーナス
筆者撮影

Carabineroカラビネーロのオーブン焼き。カラビネーロは赤い大きめのエビでスペインの高級食材だ。全長30センチくらいの大きな真っ赤な海老でウエルバで取れる。カラビネーロはエビだけど味はカニの様で甘みがあり美味

セビージャのアソテアでカラビネーロ
筆者撮影

食事をしたら出発。今日は長い移動日なので国境を超えて次の目的地Faroファロへ。スペインとポルトガルの国境は検査も無く通過。時差が一時間あるので時計をポルトガル時間に変える。

ポルトガルのファロはアルガルベ地方の小さな可愛い街でローマ時代から都市があった。

ポルトガルのファロの街並み
筆者撮影

当てもなく街を彷徨うがどこにカメラを向けても絵になる。軽くスケッチをしながら散策をしてここは出発。

ポルトガルのファロの街
筆者撮影

 

ファロからリスボンは278キロ、リスボンは大都会だ。標識が出てくる頃から車も増えてきた。

ポルトガルの高速道路
筆者撮影

ポルトガル人はのんびりしているのに車の運転は乱暴でヨーロッパで一番交通事故が多い街がリスボン。どっちから車が飛び出してくるか予想が出来ない。

リスボンのホテルはぺスタナパレス。19世紀の宮殿でカカオで財を成した富豪のお屋敷。マドンナが暮らしていた事もあるという。今はぺスタナグループのホテルでぺスタナはサッカーのクリスティアンロナルドも経営者の一人だ。

大きなお庭もありプールもついている。

リスボン ホテル ペスタナ パレス
筆者撮影

共有エーリアがエレガントで部屋から外に出るたびにサロンを通過するがこの空間が気分が良い。

リスボン ホテル ペスタナ パレス
筆者撮影

部屋はセミダブルのベッドルームでリネンも良いものが使われていて快適だった。

リスボン ぺスタナパレス部屋
筆者撮影

バスルームは洗面台が2つ付いたタイプに大きめのバスタブ。

リスボン ぺスタナパレス 部屋
筆者撮影

 

本日は疲れたので夕食はホテルでいただきます。

リスボン ホテル ぺスタナ パレス
筆者撮影

辛口のスパークリングワイン

リスボン ホテル ぺスタナ パレスの夕食
筆者撮影

魚介のスープ

リスボン ホテル ぺスタナパレス 夕食
筆者撮影

これは何をいただいたのか記憶が無く写真だけ存在。

リスボン ぺスタナパレス 夕食
筆者撮影

これもお肉系だったと思います

リスボン ぺスタナパレス 夕食
筆者撮影

長い移動で疲れ切っていたのか、でもホテル夕食にして正解でした。

 

4日目リスボン

リスボンホテル ペスタナパレス 朝食
筆者撮影

リスボンのホテル、ペスタナパレスの朝食。エレガントな朝食会場です。

リスボン ホテル ペスタナパレス 朝食
筆者撮影

ビュッフェも豊富で素敵なレストランなので朝から気分が良い。

リスボン ペスタナパレス 朝食
筆者撮影

リスボン今日は終日あるので最初にグローリア線のケーブルに乗る。今も地元の人に使われているが観光客でいっぱいだった。生活している人は迷惑だろうな~と。

 

リスボンのトラム
筆者撮影

車両は落書きですごいことになっていて夜止めている間に書かれてしまうそう。あっという間にサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台まで。5分も乗っていないのに3€80セントは高いな。地元の人は定期を持っていて観光の皆さんはツーリストカードで乗っているみたいなので一回ごと買うと割高になる。

リスボンのトラム
筆者撮影

丘の上からリスボンの街がきれいに見える。

リスボン
筆者撮影

街中の石畳が白と黒の大理石で丁寧に敷き詰められていた。雨の日は滑るでしょうね。

リスボンの街
筆者撮影

中心部まで下って行くとストリートアーチストが歌っていた。その歌がお客様のすでに故人の奥様がお風呂で良く謳っていた曲だそうで「きっと今奥様一緒に旅行中ですね~」旅をしていると不思議な事は良く起きる。

ロシオ駅の後ろ側にあるレストランでランチ。

リスボンのランチレストラン
筆者撮影

 

Cozinha da Estacao駅のキッチンという意味のレストラン。

リスボンの駅のレストラン
筆者撮影

子羊のあばらのグリル

リスボンのランチ
筆者撮影

牛肉のソテー

リスボンのランチ
筆者撮影

食後はアルファマ地区を散策。車でポルタ・ド・ソルまで行って坂道を下りながら。

リスボン、アルファマ地区
筆者撮影

細い通りの向こうにテージョ川が見える

リスボン アルファマ地区
筆者撮影

夜はファドが楽しめるお店に。スペインのフラメンコと同じで地元の人が楽しむファドのレストランはもう存在しない、と言われその中でも団体の来ないお店を進めてもらった。Sr Vinhoはミスターワインと言う意味のポルトガル語。こじんまりした店で開店は20時だが歌は21時から。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

小さなレストランがあっという間にいっぱいになった。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

食事は野菜のスープ

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

バカリャウ(タラ)のカタプラーナ。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

女性が3曲歌って休憩が入り男性が3曲。このまま夜中まで続くようだが私たちはこれで失礼します。

リスボン ファドレストラン
筆者撮影

 

5日目リスボンからポルト

リスボンからポルトへ、途中オビドスとコインブラを経由して行く。リスボンからオビドスは車で1時間なのでリスボンから日帰りも可能。駐車場にはリスボンからのツアーのバスが止まっていた。オビドスは今回のお客様の想いでの場所で40年前にアマポーラが咲いていた原っぱを探しに行く。

オビドスの街
筆者撮影

昨日までの太陽はどこに行ってしまったのか雲が出て風がビュービュー吹いて寒い。

オビドスの街
筆者撮影

城壁の中を散策してお城まで登って行く。お城は現在ポウサーダ(国営ホテル)になっている。高台から軽くスケッチをして思い出の原っぱを探すけれども見つからず、人が多くて寒くてちょっとがっかりされた様子で「もう行きましょう」、内心「ほっ」としたのはオビドスのランチにしなくて良かった。

オビドスの街
筆者撮影

オビドスからコインブラは135キロ、1時間15分ほどで到着。大学の図書館の入場が予約制で取りにくいらしいのでコインブラ大学の総合図書館へ。旧コインブラ大学の広場だけなら無料で入れる。図書館のみ時間指定なので入る場合は先に図書館の時間を予約する事。私たちはランチの後に戻って来る事にした。

コインブラ大学
筆者撮影

コインブラ大学の入り口「鉄の門」。ここから入って中庭を見学するだけなら切符は必要なし。中世の大学生はこの門を入ったら学問の事しか考えてはいけなかったという。

コインブラ
筆者撮影

今日はコインブラ大学の今年の卒業予定の学生たちが記念撮影をする日だったようで学部ごとにマントを着て写真を撮っていた。

コインブラ大学
筆者撮影

学生さん達みんなピッカピカに輝いていました。

坂道を下って大聖堂の横のレストランで軽くランチをいただきます。

コインブラの大聖堂
筆者撮影

大学生も来る小さな食堂。OTrovadorオ・トロバドールは中世の吟遊詩人という意味。小さなレストランは平日は学生さん達も来るらしい。

コインブラのランチ
筆者撮影

野菜のクリームスープ

コインブラのランチ
筆者撮影

黒豚のオーブン焼き

コインブラのランチ
筆者撮影

食事の後もう一度大学に戻って図書館の予約の時間までを過ごす。広場の中央にディニス一世。コインブラ大学は1290年にディニス1世によって創設された。

コインブラ大学
筆者撮影

この広場の奥に行くとコインブラの街とモンデゴ川。

コインブラ大学
筆者撮影

図書館は広場の奥の方の右側階段を降りたところから。予約の時間が来たら順次中に入り最初は学生牢から見学。中世の大学は大学独自の法律で運営されておりそれを破った学生が閉じ込められた牢獄。

コインブラ大学
筆者撮影

コインブラ大学見学のあとはコインブラの街を軽く散策。坂道を下って行く。

コインブラの旧市街
筆者撮影

ポルトガル人は川が流れる入り江の街が好きやね~橋を渡って対岸にコインブラの街並みを見る。

コインブラの街
筆者撮影

コインブラを出発しポルトへ向かう。120キロ約1時間20分。ポルトは明日終日あるのでまず街を対岸から見学するためにガイア地区に向かう。この地区はポルトワインのワイナリーがある所で先にポルトワインを一杯いただくことに。

ポルト
筆者撮影

ポルトを流れるドウロ川。

ポルト
筆者撮影

ガイア地区に沢山の飲食店があり今日は祝日で家族連れが沢山。

ポルト
筆者撮影

ポルトのホテルは中心部近くのインファンタ・ザクレス。ロケーションも満足な落ち着いたヨーロピアンスタイルのホテル。

ポルト ホテルインファンテ サグレス
筆者撮影

古いホテルは隅々まで贅沢で階段の手すりなども素敵でした。

ポルト ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

エレベーターは旧式の扉を自分で開けるタイプ。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

入ると椅子が有るのは気に入った。2階まで登る短い時間、毎回座っていました。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

お部屋はシンプルな作りでデスク廻りが使いにくいのはヨーロッパの古いホテルにありがちですね。ここでパソコン開けて仕事する想定のない時代のホテルなので仕方が無い。

ホテル・ポルト・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

バスルームもクラッシック。今回は1人部屋なのでいいけれど洗面台がひとつでした。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

夕食はホテルから徒歩でレストランアバディアドポルト。ここはネットで見つけたレストラン。ポルトガル風オジヤをいただきにきました。

ポルトのレストラン
筆者撮影

一応電話で予約をしておいた。結構大きな店舗だったがすぐにいっぱいになった。ツーリスティックな感じではなく地元のポルトの人達も沢山来ていた。

ポルトのレストラン アバディアドポルト
筆者撮影 ポルトのレストラン アバディア ド ポルト

大変美味しかったので又ここはリピートします。

ポルトのレストラン アバディア ド ポルトで魚介のオジヤ
筆者撮影 ポルトのレストラン アバディア ド ポルト

私たちが出るころには入り口に列が出来ていた。できれば予約していくことをお勧めします。

6日目ポルト滞在

ポルトのホテル、インファンテ・ザクレスの朝食。ヨーロッパ調のサロン。

ポルト ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

ポルトガルに来たらやっぱりこれでしょ。パシュテル・デ・ナタ。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

果物も豊富でした。

ポルト・ホテル・インファンテ・ザグレス
筆者撮影

ポルトの観光は川の河口まで車で移動。要塞があった。要塞の名前がサン・フランシスコ・ザビエルなのでちょっと降りてみた。

ポルト観光
筆者撮影

要塞の先の村が漁師町と聞いたが随分近代的な建物が続いていてポルトの人達の別荘や週末用のマンションのようだった。グーグルマップを見ていたら市場があるようなので行ってみましょう。

ポルト
筆者撮影

魚市場に様々な魚、これはエイ?これ食べるんだ、ポルトガル人。

ポルト
筆者撮影

ポルト中心部に戻って大聖堂まで車で移動して後は徒歩で下って行きます。

ポルトの街
筆者撮影

ポルトも入り江の丘に作られた街。頂上に大聖堂があるのでここから下って行けば旧市街を見ながら川まで登りなしで散策が出来る。

ポルトの街
筆者撮影

入り組んだ街並みが面白くどこを見ても絵になる景色。

ポルトの街
筆者撮影

ドーロ川まで下って対岸に昨日のガイア地区が見える。

ポルトの街
筆者撮影

ランチはタコ飯屋に。Casa Areixoカーサアレイショは随分前に来て気に入っていたのでここは是非「お客様にタコ飯を」と予約をしておいた。

ポルトの街
筆者撮影

12時開店と同時に入店。ゴールデンウィークで日本の方が沢山来られていた。皆さんどうして目を合わせないんだろう、と思った。どっちかというの目をそらすというか視界に入れない感じなのが不思議だった。軽く笑顔とか会釈とか、挨拶すればいいのにと思うのですが・・・誰とも挨拶できずに寂しかった。

ポルトのタコ飯屋
筆者撮影

タコ飯はタコの入ったご飯とタコのフライ。これで2人前

ポルトのタコ飯屋
筆者撮影

厨房、写真撮らせてください~

ポルトのタコ飯屋
筆者撮影

食事の後はドーロ川クルーズに。50分のショートクルーズ。

ポルト ドゥエロ川遊覧船
筆者撮影

暑い時間でしたがやはりデッキで船旅を楽しみました。

ポルト ドゥエロ川遊覧船
筆者撮影

隣にいたのはスペイン人カップルでバスクのピルバオの人達だった。写真撮る時に邪魔にならないように動いてくれたりで少し会話をした。

ポルト ドゥエロ川遊覧船
筆者撮影

ホテルで軽く休憩の後徒歩で夕食に行く途中サン・ベニート駅へ。セラミックが綺麗な駅で写真スポット。

ポルト 駅
筆者撮影

行きたかったレストランが今日は満席でこちらへ。Cozinha dos Loilosコシーナドロイロス。早く着いたらまだ従業員の食事中でした。すみません。

 

ポルト、レストラン
筆者撮影

旅の最後のお食事を発泡性ワインで乾杯

ポルト
筆者撮影

豚肉の骨付きリブ

ポルト レストラン
筆者撮影

パスタをいただきました。

ポルト レストラン
筆者撮影

最後にポルトワインで仕上げてホテルに戻ります。一人で最後にポルトの夜景を取りにドン・ルイス1世橋に戻る。

ポルトの夜景
筆者撮影

 

 

7日目ポルトからマドリード経由で日本へ

ポルトの市内から空港は15分程で到着。

ポルトの空港
筆者撮影

最後にポルトの空港でパシュテル・デ・ナタとコーヒーで仕上げました。

ポルト
筆者撮影

マラガからポルトガルの旅のビデオです

スペインとポルトガルの旅のまとめ

随分久しぶりのポルトガルだったがあまり変わっていなくてホッとした。ポルトガルの人々は穏やかで優しい感じが伝わって来た。スペインと世界を分割した野心があった大国のイメージは皆無だ。ポルトガルまた行きます。

 

ボス<ヒエロニムス・ボス>謎の画家が描いた愚かな人間と不思議な生き物たち

ヒエロニムス・ボス(ボッス)は現オランダの「ス・ヘルトーヘン・ボス」で生まれた画家。実は生年や画家の詳しい生涯についてあまりわかっていない。イタリアのレオナルド・ダビンチとほぼ同時代の画家だ。後にサルバドールダリ達のシュルレアリストたちに絶賛され見直された画家である。現存するボスの真筆とみなされているのは25点ほどの油彩画と20点余りの素描のみ。ヒエロニムス・ボスの作品と謎に迫ってみた。

ヒエロニムス・ボス(1450?~1516)


ヒエロニムス・ボスの生誕地

ボスは現在のオランダにあるス・ヘルトーヘン・ボスという小さな街で生まれている。グーグルマップで調べてみるとアムステルダムから88キロほど南に下った車で1時間の街だ。

ヒエロニムス・ボスの生きた街は現在人口14万人程でオランダの北ブラバント地方に属する。当時は毛織物産業で豊かに繁栄しておりブルゴーニュ公国に含まれた。祖父も父も画家の家系で父親の兄弟も画家だった事が解っている。

スヘルトーヘンボスの街
Source Transferred from nl.wikipedia to Commons.
Author Karrow at Dutch Wikipedia

イタリアではルネッサンス時代に入り絵画では遠近法が確立しレオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)がヘリコプターを飛ばそうとしていた時代にヒエロニムス・ボスは想像を超える魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界を描いている。

ヒエロニムスボス
バレンシア美術館、筆者撮影

今から500年も前のヨーロッパ、神が世界のすべてを支配していた。闇の中には悪魔たちが今よりも身近にいたに違いない。町のゴシック教会には多くの魔物が彫刻されておりこれらは人々に地獄の恐ろしさを感じさせていたはずだ。イタリアでルネッサンスの画家達がこの世の春を謳歌している頃、アルプスの北ネーデルランドでは神秘的なゴシック主義の作品が好まれグロテスクな悪魔が人々の生活を支配していた。

<ブルゴーニュの教会のガーゴイル達>

 

ゴシック教会
筆者撮影

ヒエロニムス・ボスの時代に既にボスは人気画家で工房を抱え弟子達を使って制作していたようだが多くの作品が後の宗教改革や戦争で壊されているのは残念だ。ボスの時代に工房作だけではなく追従者や偽物が既に出回っていたらしい。ボスは当時それくらいの人気画家だったという事だ。

同時代のネーデルランドの画家に「ヤン・ファンアイク」「バンデル・ウェイデン」「ピーター・ブリューゲル」がいる。

ヒエロニムス・ボスの生涯

ボスの生涯は不明な部分が多く生年も正確にはわかっていない。断片的な事実を組み合わせ、想像の中である程度の事が判っているのみなのだ。

ヒエロニムス・ボスの肖像
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ヒエルニムス・ボスは画家の家系に生まれている。正式名はヒエロニムス・ファン・アーケン(Jheronimus van Aken)。通称私たちが読んでいる「ボス」「ボッス」という名前は出生地から来る。ボスは署名をしていない作品も多く、又署名があっても偽物もあり画家の署名がある中で真筆は8点程らしい。

ヒエロニムス・ボスの祖父も父も3人の兄弟たちも全員画家だったが家族達の明確にわかっている作品は残っていない。唯一ボスの生誕地ス・ヘルトーヘン・ボス(s-Hertohenboch)の現大聖堂のフレスコ画の壁画がボスの祖父の物といわれている。

ヒエロニムス・ボスは子供のころから家族の元で修業時代を過ごしておりス・ヘルトーヘン・ボスは当時毛織物産業で賑わった豊かな街だった。資産家の娘と結婚し画家としての名声も手に入れ工房に弟子を持って作成をしていた。

ヒエロニムス・ボスは聖母マリア兄弟会という宗教団体に入っておりそこからの注文の仕事も有った。聖母マリア兄弟会は富裕層や社会的地位の高い人達の集まりだったようでボス本人も教養があり社会的地位が高かったと想像できる。作風からボスはキリスト教異端説や異色の画家説を唱える専門家もいるが敬虔なカトリック信者だったに違いないと私個人的に考えている。

<ヒエロニムス・ボスの葬儀が行われた大聖堂>

ヒエロニムス・ボスの葬儀が行われた教会
By Karrow, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3190262

1516年に画家ボスはス・ヘルトーヘン・ボスで亡くなりシント・ヤンス大聖堂の聖母マリア兄弟会の礼拝堂で葬儀が行われた。ボス夫妻に子供はいなかった。

ヒエロニムス・ボスの注文主とコレクター


スペイン国王フェリペ2世

ヒエロニムス・ボスの最も熱心なコレクターはスペイン国王フェリペ2世(1527年~1598年)で現在のプラド美術館やエル・エスコリアル修道院、パルド―宮殿に多くのボスの作品が展示されている。

<フェリペ2世ティチアーノ作>

フェリペ2世

フェリペ2世の手元に来るまで

だがフェリペ2世の時代既にボスは天国の住人だ。フェリペ2世の手元にヒエロニムス・ボスの絵が来るのを知るには少し歴史の知識が必要だ。

フェリペ2世のコレクションの一部はスペイン貴族ディエゴ・デ・ゲバラの持ち物だった。

ディオゴ・デ・ゲバラ
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ディエゴ・デ・ゲバラはスペインの貴族でネーデルランドで生涯の多くの時間を過ごし歴代の君主に仕えた人物。この時代ネーデルランドはスペインの領土だった。ディエゴ・デ・ゲバラはボスの作品を所蔵しており所蔵品の多くはディエゴ・デ・ゲバラの庶子フェリペ・デ・ゲバラに受け継がれた。フェリペ・デ・ゲバラは人文主義者で美術に造詣が有った人物らしい。その死後フェリペ2世が買い取った。

ヒエロニムス・ボスが活躍したネーデルランドはブルゴーニュ公国に含まれる。フランス東部のブルゴーニュ公国は羊毛産業で栄えフィリップ善良公の時代大変な先進地域だった。ネーデルランドを手に入れシャルル突進公の娘マリード・ブルゴーニュが後継者となる。

マリ―ドブルゴーニュ

マリー・ド・ブルゴーニュの結婚相手がハプスブルグ家のマクシミリアン1世。仲睦まじい2人の長男のフィリップ美公(1478~1506)はネーデルランドを統治する。

<マクシミリアン1世とマリ―ドブルゴーニュと家族>

カルロス5世の家族

フィリップ美公は後スペインの王女ファナ(別名狂女ファナ)と結婚する人物でスペインにやって来るなり傍若無人の振舞いの末何故か突然死している。麻疹にかかったとも暗殺されたとも言われている。

フィリップ美公

1504年フィリップ美公がヒエロニムス・ボスに「最後の審判」を注文して前金をボスが受け取っている事が判っているがこの祭壇画が完成したかどうかは不明だ。フィリップ美公の長男カルロス(1500~1558)は後に神聖ローマ帝国皇帝になるが幼い頃のカルロスの摂政マルガレーテ(1480~1530)はボスの「聖アントニウスの誘惑」を所蔵していたようだ。

マルガリータ大公妃
ce Musée municipal de Bourg-en-Bresse
Author Hugo Maertens

マルガレーテはフィリップ美公の妹でスペインの皇太子ホワン(イサベル女王とフェルナンド王の長男)と結婚するが半年で未亡人になり祖国へ戻り再婚。再び未亡人となり甥のカルロス(後のカルロス5世)の摂生をした人物。マルガレーテは義理母のイサベル女王と親交があり生涯にわたりお互い尊敬しあっていた。

これらのボスの作品の所持者たちはみんな敬虔なカトリック信者で禁欲的な人々だった。

 

ヒエロニムス・ボスの生きた時代背景

15世紀末のヨーロッパは戦争が多く病気が流行り世紀末感が漂っていた。オスマントルコがコンスタンティノープルを陥落させ人々は日々震撼とした中で生きていた。魔女や悪魔が信じられており魔女狩りや魔女裁判が行われていた頃だった。

終末観の中で人々はこの世の終わりや最後の審判を恐れていた、又はそれでも地獄を恐れず快楽的な生きかたをする人々を戒める必要があったのかもしれない。

<ヒエロニムス・ボス、最後の審判部分>

ボス、トゥヌクダルスの幻視部分
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スペイン王女ファナがブルゴーニュに嫁いだ時に「ブルゴーニュの民衆の享楽的な生活に驚いた」と記録がある。あまりにもひどいのでファナ王女とお連れたちは修道院に引っ越して暮らしている。

<スペイン女王ファナ1世、狂女ファナ>

スペインファナ王女
Johanna I van Castilië
ca. 1500; 34,7 x22,4 cm
Spaans Nationaal Beeldenmuseum, Valladolid

意外に思われるかもしれないが当時のスペインは宗教的で禁欲的な国民性でフランドルは快楽的だった。

<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑部分>

ボス、聖アントニウスの誘惑
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終末観が漂う時代に人々の正しい生き方を問う書物が既に書かれていた、人々にそれを視覚的に訴える絵を描いたと考えても不自然ではないと思う。

ヒエロニムス・ボスが描く人間像


ボスが描く醜い人間

それにしてもヒエロニムス・ボスの作品は独特だ。特に人間の醜悪の表情の表現が極めている。神の威厳や崇高性より人間の醜さを多く表現している。同時代の全ての画家が神の栄光を描いていた時代だった。

<ヒエロニムス・ボス、受難>

ボスの絵
バレンシア美術館、筆者撮影

人間が持つ恐ろしさ、人の心の奥に潜む醜さが漂う。

<ヒエロニムス・ボス、受難>

ヒエロニムス・ボス
筆者撮影

まるで世の中で一番恐ろしいのは人間だと言わんばかりのグロテスクな表情。

<ヒエロニムス・ボス、受難>

ヒエロニムス・ボス
バレンシア美術館、筆者撮影

実はこれらの醜い人間たちは全て宗教画の中に出てくる。この作品は「受難」、イエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘を登って行く周りにいる人間たちだ。左から右に移動しながら人々がひどい言葉を浴びせかけているのが聞こえてくるようだ。(このバレンシア美術館の受難は工房作と言われている)

<ヒエロニムス・ボス、受難>

ボス、キリストの磔刑
筆者撮影

ボスの描く愚かな人間と教訓的作品

手品師又はいかさま師

ヒエロニムス・ボスの描く人間には醜い人間と共に愚かな人々が多く登場する。

<ヒエロニムス・ボス、手品師1494年?1502年?工房説もあり>

ボス、手品師
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右側の赤い服の手品師はカップと真珠の手品を披露しようとしているところだ。すぐ下にいる犬は道化師の恰好をしていて男の腰にぶら下げた篭からフクロウが覗いている。フクロウは邪悪のシンボルだ。

<ヒエロニムス・ボス、手品師部分>

ボス、手品師
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向かえにいる間抜け顔の人物。よく見ると口の中から蛙が覗いており手品のテーブルにも蛙がいる。蛙は汚れや悪を象徴する又は騙される男の愚かさを象徴しているのだろう。

その周りの様々な階級の人間たちの視線はばらばらだ。

<ヒエロニムス・ボス、手品師部分>

ボス、手品師
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騙される男の後ろではメガネの男が腰にぶら下げた財布を盗もうとしている。

愚者の石の除去

<ヒエロニムス・ボス、愚者の石の除去1486年以降>

ボス、愚者の治療
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ヒエロニムス・ボスのこの作品はプラド美術館所蔵の小作品。愚者が頭が悪いのは石が詰まっているからでその石を取り除いてもらっている様子。これは実は当時の馴染のテーマで当時の娯楽に寸劇が上演されていたらしい。左側の男はニセ医者で頭に逆さに被った漏斗(ジョウゴ)は他のボスの作品にも出てくる。逆さの漏斗(ジョウゴ)は偽や倒錯を意味する。

<ヒエロニムス・ボス、愚者の石の除去部分>

ボス、愚者の石の除去
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ネーデルランドでは「頭の石を取り除く」は詐欺を働くという意味があるという。

これらの作品を見て思うのは今も昔も人間はあまり変わっていない。騙すワルや騙される間抜け、それに対する感じ方や考え方も500年前のヨーロッパも今の日本もそれほど違わない気がしている。

阿呆船又は愚者の船

「阿呆船」又は「愚者の船」と訳された下の作品は現在ルーブル美術館所蔵でトゥリプティクス=三連祭壇画の一部だった。

<ヒエロニムス・ボス、愚者の船 1510-15年頃>

ボス、愚者の船
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<ヒエロニムス・ボス阿呆船拡大図>

ボス、愚者の船
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10人の様々種類の人々が小舟に乗って彷徨っているが中央の修道士と音楽を奏でる修道女が上からぶら下がったパンを食べながら歌っている。

<ヒエロニムス・ボス、阿呆船部分>

ボス、愚者の船
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左下の方では船の外側の飲み物を取ろうとする男を女が壺で殴ろうとしているようだ。

<ヒエロニムス・ボス、阿呆船部分>

ヒエロニムス・ボス阿呆船部分
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上の帆では旗にイスラム教徒の三日月が見えその下に七面鳥が括りつけられているが男がそれをナイフで奪おうとしている。その下の怪しい男は1人で酒を飲んでいるようだ。(写真下)

<ヒエロニムス・ボス、阿呆船部分>

ボス、阿呆船
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文学に見る阿呆船

実はこのようなモチーフは15~16世紀の北方ヨーロッパの文学や絵画に散見されるようだ。人文主義者セバスティアン・ブラントの寓意詩「愚者の船(阿呆船)」を描いたのではないかという説がある。セバスティアン・ブラントの「愚者の船(阿呆船)」は1494年に発表された風刺小説。

<セバスティアン・ブラントの愚者の船>

愚者の楽園ナラゴニアに向かう愚か者たちの物語。ありとあらゆる階層の狂った人々が一隻の船に乗り合わせ阿呆国ナラゴニアを目指す。欲張りや無作法者や権力に固執する者など当時の教会の腐敗や権力者を風刺した物語。さらにその続編「阿呆女たちの船」がジョス・ド・バードによって書かれこれらの著作が作品の源であると考えられている。

<エラスムスの痴愚神礼賛>

1509年に執筆され1511年に初版が刊行された痴愚神礼賛はネーデルランド出身のデジデリウス・エラスムスがトーマスモアの客人としてロンドンにいた時に書いている。痴愚の女神が当時の人々の生活や聖職者の偽善を風刺した書物。

実は祭壇画だった

最近の研究でこの絵はトリプティクス=三連祭壇画で写真下の「快楽と大食いの寓意」「守銭奴の死」「放蕩息子」は同じ祭壇画を構成していたと考えられている。カトリックの<7つの大罪>と<4つの終わり>を現す祭壇画だった。

<ヒエロニムス・ボス、快楽と大食いの寓意>

ボス、大食の寓意
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中央にあった「カナの婚宴」は現存しておらず「快楽と大食の寓意」と「阿呆船」が左側、右側に「守銭奴の死」そして中央後ろに放蕩息子があったという説があるがいまだ研究者の間では決定的ではないようだ。

<ヒエロニムス・ボス、守銭奴の死>

ボス、守銭奴の死
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守銭奴の死はカトリックの7つの大罪のひとつ欲深さを描いたもの。異常な執着を持つ欲深い守銭奴が強欲に富を貯める様と死神がやって来た場面を描く。

 

<ヒエロニムス・ボス、放蕩息子>

ボス、放蕩息子
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ロッテルダムの美術館蔵の本作品は四角い中に円形の絵だった物が後年に4隅が切り取られ8角形になったと考えられている。ルカ福音書の「放蕩息子」と考える説と「放浪者」と呼ぶ研究者もいる。この絵はトリプティクス=三連祭壇画の後ろ側にあったと考えられている。

ヒエロニムス・ボスの卵と楽器と楽譜


ヒエロニムス・ボスの絵によく出てくるテーマに卵と楽器と楽譜がある。ボスの卵は何を象徴しているのだろう。生命の誕生や原点なんだろうか。またはもっと深い深い醜いドロッとした生々しい何かなのかもしれない。

ヒエロニムス・ボス・卵のコンサート

下の絵は卵のコンサート。1480年頃のボスの初期の作品で現在はフランスのリールの美術館所蔵。卵の中から修道士に導かれた異様な人々が楽譜を見ながら歌っている。

<ヒエロニムス・ボス、卵のコンサート>

ボス、卵のコンサート

左下には楽器を持った動物と修道士からお金が入った袋を盗もうとしている男。その右下には猿が笛を吹いている。左下は卵の下から手が出ていて焼き魚に手をかけているが魚を焼いていたのはなんと猫だ。

<ヒエロニムス・ボス、卵のコンサート部分>

ボス、卵のコンサート
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楽譜から生えている木には蛇が巻き付いている。歌っている人物の頭の上に建物とフクロウ。頭にジョウゴを被る男(他のボスの作品にも出てくる)、手前の人物はハープを弾いているようだが顔がゆがんでいるのは聞くも堪えない音なのか。いったいどんな歌を歌っているのだろう。

<ヒエロニムス・ボス、卵のコンサート部分>

ボス卵のコンサート
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実はこの楽譜の音楽は研究されていて15世紀の不敬な愛の歌、人々は神に祈らずに愛の歌を歌っている。卵の右下には紳士が裸の女性とテーブルを共にしている。

<ヒエロニムス・ボス、卵のコンサート部分>

ボス、卵のコンサート
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ヒエロニムス・ボス、最後の審判の卵

写真下のヒエロニムス・ボスの作品はウィーンの美術アカデミー付属美術館所蔵で1506年頃(諸説あり)の作品。左から右に物語が展開していく三連祭壇画。

<ヒエロニムス・ボス、最後の審判>

ボス、最後の審判
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最期の審判はカトリックの人生観で人生を終わる時に裁判が行われ天国か地獄に落とされる。卵は矢に刺されておりそこから生き物の頭と足が出ている。

<ヒエロニムス・ボス、最後の審判部分>

ボス、最後の審判の部分
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ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑の卵

<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑>

ボス、聖アントニウスの誘惑
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このテーマはボスが描き続けた主題のひとつで3世紀のエジプトで裕福な家庭に生まれた聖アントニウスが財産を捨て荒野で修業を続けた。神に祈る聖アントニウスを悪魔たちがありとあらゆる方法で誘惑しようとする場面だ。11世紀に疫病が流行った時に聖アントニウスに祈ると救われるという奇跡が起こったそうでそれ以来病を治す聖人として崇められた。

この作品は三連祭壇画で左側に修行する聖アントニウスを空高く担ぎ上げ墜落させた。聖アントニウスを助けている赤い服の男性が画家ボス本人という説がある。

<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑部分>

ボス、聖アントニウスの誘惑
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その下に卵と鳥の様な生き物が描かれている。

<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑部分>

ボス、聖アントニウスの誘惑
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ヒエロニムス・ボス、トゥヌクダルスの幻視の卵

<ボス、トゥヌクダルスの幻視・ラザロ・ガルディアーノ美術館蔵>

ボス トンダロの幻視
museo lazaro gardiano

上の絵はトゥヌクダルスの幻視(マドリードのラザロ・ガルディアーノ美術館蔵)スペイン語ではトンダロの幻視=vision de Tondaloと呼ぶ。工房作と言われているが左上にやはり卵が描かれている。

<ボス、トゥヌクダルスの幻視部分>

ボス・トゥヌクダルスの幻視
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卵から黒い煙が上っていて割れた卵の中に人がいる。

*トゥヌクダルス(トンダロ)の幻視は12世紀にアイルランドの修道士が1148~49年頃に執筆した物語。放蕩三昧の若き騎士トゥヌクダルスがある日友人の家に呼ばれ食事をしているときに意識不明になりあの世の淵を体験してとんでもない拷問を受けて改心した。今度は天使が彼を最高の天国がのぞける所に案内し肉体に戻って来た後その体験を口述したという内容。後にダンテの神曲に影響を与えたという物語。

<ボス、トゥルヌダルスの幻視部分>

ボス・トゥヌクダルスの幻視
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<トゥヌスダルスの幻視ウィキペディアより一部抜粋>

トゥヌクダルスと天使が先へ進むと氷の張った湖の上に2本の脚、2つの翼、長い首、鉄のくちばし、鉄の蹄の火を噴く獣を見た。獣は魂を食べて胃袋で拷問したのち氷上に魂を産み落とした。・・・・

この物語に出てくる地獄の魔物たちはまさにボスの作品に出てくる生き物達だ。

ヒエロニムス・ボス、快楽の園の卵と楽器と楽譜

写真下はマドリードのプラド美術館にある快楽の園。ボス最晩年(1503~4年頃)の作品だ。スペイン国王フェリペ2世が晩年生活をしたエルエスコリアル修道院の寝室に置いて自分を戒めていた作品だ。この作品だけでも長い記事になりそうな興味深い生き物が沢山出てくる。

<ヒエロニムス・ボス、快楽の園>

ヒエロニムスボスの快楽の園
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左がエデンの園、中央が現生、右側が地獄と理解されているその地獄中にいる卵人間。

割れた卵の中が居酒屋になっている。振り返る男の顔がボス本人ではないかという説がある。

<ヒエロニムス・ボス、快楽の園部分>

ボス快楽の園一部
museo del prado

卵の下には音楽家たちと楽譜が出てくる。音楽は快楽への入り口、当時の音楽は教会の祈り以外は堕落した快楽への入り口。

<ヒエロニムス・ボス、快楽の園>

ボス、快楽の園の楽器
museo del prado

リュートの下の楽譜に描かれている音楽は悪魔の音程「トライトーン」だと言う。トライトーンは不協和音で気持ちが不安になる音程、当時教会はトライトーンを禁止していた。楽譜の隣の人物のお尻にまで楽譜があって鼻で笛を吹く生き物が演奏している、何とも不気味な光景だ。

ボスの卵とダリの卵

後のシュルレアリストたちに影響を与えたのがボスの作品だ。サルバドール・ダリの卵はおそらくボスの作品からの影響でダリの様々な作品に卵が出てくる。写真下はフィゲーラスのダリ劇場美術館の卵。

フィゲーラスのダリ劇場
筆者撮影

写真下はカダケスにあるダリの家美術館にある卵。

ダリの家の卵
筆者撮影

彼らを魅了した卵の魅力はその生命力なのか神秘なのか、又はもっとドロッとした隠微なイメージなのか。スーパーに並ぶ卵の無機質さとはかけ離れている。

ヒエロニムス・ボスが描く生き物たち


今まで見て来たようにボスの時代は地獄や悪魔や恐ろしい生き物が身近にいて伝説や物語が身近にあったに違いない。トゥヌクダルスの幻視の様な恐ろしい煉獄や地獄や拷問、阿呆船や痴愚神礼賛の様な面白い話が他にもあったに違いない。

<ヒエロニムス・ボス、快楽の園部分>

ボス・快楽の園部分
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それにしても不思議な生き物たちを無数に描いたボスの果てしない想像力に驚愕する。

<ヒエロニムス・ボス、聖アントニウスの誘惑部分>

ボス、聖アントニウスの誘惑部分
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今、目の前に真っ白い画用紙を渡されて一体何を描くことが出来るか、私たちの想像力は本来乏しいのだ。

ボス
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ヒエロニムス・ボスまとめ


500年も前の絵とは思えない興味深い作品を数々描いたボスだが画家のプライベートな事はあまりわかっていない。もっと多くの作品を残しているはずだが消失したのは残念だ。ひとつの作品だけでも読み解いていくと長い長い記事になるのでここでは画家の全体像を考察してみた。

マドリードのプラド美術館で快楽の園を中心とする10点の作品を見ることが出来る。快楽の園や聖アントニウスの誘惑などはそれぞれでひとつのテーマとして記事にしたいと思案中。

 

修道院ホテル<モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ>ピレネーの谷間にある5つ星修道院ホテルに行って来た

修道院ホテル<モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ>に行って来た。ピレネー山脈の谷間にある修道院だった建物を利用して創られた豪華ホテルだ。夏は近郊のトレッキングコースや山登りの長期滞在で賑わうらしい。

修道院ホテル、モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ


ピレネー山脈

ピレネー山脈はスペインとフランスの間にそびえる3000メートル級の山脈で楽しみ方は様々だ。本格的な登山から軽いハイキングコース、岩登りもあればきれいな村も沢山ある。山歩きに疲れたらちょっと素敵なホテルでのんびりするのも良いものです。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ・ホテル
筆者撮影

アラゴン州のウエスカにある修道院ホテル、モナステリオ・デ・ボルタ―ニャは5星ホテルのわりに値段が100€~150€(ツイン一部屋の値段・季節により変動)で宿泊できる。

バルセロナからだと車で約3時間、サラゴサからなら1時間程で到着できる。

部屋のタイプは様々で新館のスタンダードからスイートルーム、別棟のビジャもありゴージャスな滞在も意外と安価に滞在できる。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャホテル外観
筆者撮影

写真上はビジャ(別棟)。車でビジャの前まで行けて家族や親しい友人たちと2ベッドルームの部屋で滞在する事も可能だ。

 

修道院ホテル、モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャはその名の通りモナステリオ=修道院だった建物だ。17世紀の裸足のメルセル会の修道院を利用している営業しているゴージャスなスパホテル。新しく増築した部分も修道院部分とうまくバランスがとれていて落ち着いた内装に統一されている。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

共有スペースがゆったりしていて置かれている家具等もセンスが良い。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

家具はバリ島の物が多くどれも素敵な物ばかり。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ・ホテル
筆者撮影

修道院なので礼拝堂もあり結婚式にも利用できるそうだ。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

 

修道院ホテル、モナステリオ・デ・ボルタ―ニャの部屋

私たちは3月のオフシーズンに宿泊した。オーナーの友達と知り合いの関係で一番いい部屋にグレードアップしてもらった。ベッドはキングサイズで縦より横幅が長い。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

丁度コの字型にでっぱた角部屋で眺めは抜群だ。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

バスルームはシャワーブースとバスタブが分かれたタイプ。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

バスルームにも窓があって自然光が差し込む。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ・ホテルのレストラン

夕食は20時30分から。この時間に来てもまだ誰もいなくて一番乗りです。大きなホールのレストランは天井は木で柱の無い大きな空間。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

メニューはスペイン語と英語。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

私は前菜にフォアのリンゴ風味

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

メインにリゾット

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

夫は魚を注文

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

デザートはレストランのおすすめでこの地方のお菓子を注文。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

私たちがそろそろ終了する頃にスペイン人が少しずつ夕食の開始。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

 

修道院ホテル、モナステリオ・デ・ボルタ―ニャのスパ

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

予約制でスパを利用できる。私たちが行った時はオフシーズンで大きなスパプールは工事中。ジャグジーに入ってくつろぎました。カップルの個室マッサージもあってスペイン人のお客さん達はそちらが多かったみたい。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ
筆者撮影

サプライズでカバの差し入れをしてもらってジャグージーでくつろぎました。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ・ホテルの朝食

夕食レストランの地下に朝食用のレストラン。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ・ホテル
筆者撮影

朝の8時に行っても他の皆さんまだまだ就寝中、どなたもいませんでした。ビュッフェは果物や各種パン、ソーセージやチーズ類と豊富なメニュー。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ・ホテル
筆者撮影

チーズやハムはさすがスペインの品揃え。

モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ・ホテル
筆者撮影
モナステリオ・デ・ボルタ―ニャ・ホテル
筆者撮影

 

修道院ホテル、モナステリオ・デ・ボルタ―ニャまとめ

アラゴン・ピレネー山脈でトレッキングの後にちょっと豪華なスパホテルに宿泊するのはいかがでしょう。元修道院で豪華ホテルのわりに値段が手ごろなのがありがたい。同じレベルでパラドールだと値段は倍ほどする。車が無いといけない分素朴で静かな環境が残る。有名観光地をいっぱい見て回る旅も良いけれど、ここは魂ごと癒されるサンクチュアリーだ。

マドリード、ティッセン・ボルネミッサ美術館、主要作品と廻り方。マドリードで美術館三昧。

マドリードのティッセン・ボルネミッサ美術館は個人のコレクションだったとは思えない豊富な量と素晴らしい質を備えた美術館。マドリードのこの地区はプラド美術館とソフィア王妃芸術センターとティッセン・ボルネミッサ美術館で黄金の三角地帯を形成している。マドリードには大小合わせて90個の美術館・博物館がある中この3つの美術館は絶対外せないマドリードのアート・スポット。是非とも訪れてアートに浸ってみてください。今日はティッセン・ボルネミッサ美術館についてご紹介します。

 

ティッセン・ボルネミッサ美術館マドリード


ドイツの鉄鋼財閥ハインリッヒ・ティッセン・ボルネミッサ男爵とその息子のハンス・ハインリッヒ・ティッセン・ボルネミッサ男爵(どちらも故人)の2代にわたる個人のコレクションでプライベート・コレクションとしてはイギリスのエリザベス女王の物に次ぐ世界第2位のボリューム。古典絵画から近代絵画にいたる幅広いコレクションが特徴で13世紀から21世紀の8世紀にわたる西洋美術史をここで堪能することが出来る世界でも数少ない美術館です。

*毎週月曜日は12時から16時まで無料。12時に開館になり随分並んでいますが13時30くらいなら並ばずに入ることが可能です。本来の休館日にマスターカードの協力で無料で開放しています。

ビジャ・エルモサ宮殿

ティッセン・ボルネミッサ美術館の建物は元は19世紀の貴族のお屋敷ビジャ・エルモサ宮殿。その後一旦銀行家に購入されたが後にスペイン政府に売却されプラド美術館の管轄になり特別展などに使われていた。

<マドリード、ティッセン・ボルネミッサ美術館入り口>

ティッセン美術館
筆者撮影

その後ティッセン・ボルネミッサ・コレクションのスペイン政府へ誘致の話の折にこの建物を提供することでティッセン男爵と交渉がまとまる。ティッセン側は同時にヨーロッパの他の都市とも交渉しており特にロンドンは有力候補地だったが展示場のロケーションではマドリードが断然有利、中心部でプラド美術館の至近距離でありエレガントな建築物を提供で決定に至った。

建物の改装はスペイン人建築家ラファエル・モネオ氏によって1990年3月に行われ1992年700点のティッセン男爵のコレクションが運ばれた。その後1993年にスペイン文科省にティッセン・コレクションは売却された。ハンスハインリッヒ氏は5度の結婚をしておりこれらの絵画や財産の遺産相続で揉めていた。彼と父親のコレクションがバラバラにならないようにというティッセン男爵の願いで売却にいたる。

<マドリード、ティッセン・ボルネミッサ美術館入り口>

ティッセン美術館
筆者撮影

敷地内に入りカフェテリアとブックショップ、入ってすぐのサロンまでは入場券なしで入れます。ブック・ショップは楽しいものがいっぱいありムージアム・ショップとしてはレベルが高い。スカーフやネクタイ、文房具品や食器、アクセサリー等素敵なお土産が見つかる。(写真下)

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ショップ>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

ティッセン・ボルネミッサ美術館内部

*写真撮影可能(フラッシュ無し)で手荷物検査も無しです

*日本語のオーディオガイドが出来ました。5ユーロで簡単な説明ですが50点の作品を説明を聞きながら回ると事が出来ます。

 

切符を買うとこの大きなホールを進んでいく(写真下)。ここまでは切符が無くても入れます。広々したホールはスペイン人建築家ラファエル・モネオ氏の改築。

<マドリード、ティッセン・ボルネミッサ美術館内ホール>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

少し先の右側に切符の検査が有るのでそこで購入した切符を見せるとエレベーターで2階へ上がりましょう。建物は3階建てで0階1階2階となります。時代順に上から下へ展示されていますので古いものから順にみていくとヨーロッパの美術史全体を把握できます。20世紀美術にいきなり行く場合は切符の検査ある地上階フロア―に展示されています。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館エレベーター>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

 

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2階から=イタリア、プリミティブ絵画

ティッセン・ボルネミッサ美術館は時代ごとに展示されているので2階から1階そして0階と順番に見ていくと13世紀から現代にいたるヨーロッパの美術史を時代を追って鑑賞できる。最初の部屋はイタリアのプリミティブ絵画、13世紀の聖母像や未だ遠近法を知らなかった時代の素朴な作品が展示されている。

下の作品は板絵。1290年頃のフィレンツェの教会の物。教会建築がロマネスクからゴシックに移行した頃にこういう板絵が描かれるようになった。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館イタリア13世紀>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

中世の世界は全て神様によって支配されていた頃の教会の祭壇画。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館イタリア13世紀>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

 

ドイツの中世絵画

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ドイツ中世>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)ドイツの中世の画家の作品でイエスキリストの弟子達が当時の普通の家の中で書き物をしていたり奇跡が起こったり、家の中の道具やテーブルなどが丁寧に描かれている。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ドイツ中世>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)ドイツ中世絵画の聖人シリーズの一枚。聖マルコが福音書を書いているところ。無心に書いている感じが伝わる。部屋にある家具や置物が当時のドイツで家庭にあったのかと思わせる。

フランドル絵画

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ヤン・ファン・アイク>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

ヤン・ファン・アイクの受胎告知。小さな作品ですがティッセンボルネミッサ美術館のコレクションの最高の物のひとつ(私個人的に一番好きな作品です)。グリザイユで丁寧に描かれた彫刻の影と布地の量感等が素晴らしい。絵のサイズが解るように部屋の全体像も入れてみました。ヤン・ファン・アイクは顔料に少し油を混ぜた最初の画家で色に透明感を手に入れた初めての画家。柵も無く絵に近づけるので近くで鑑賞できる。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館フランドル>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

こんなに小さな作品でこっそり隠して持って帰れそうなくらいです。この辺りは同時代のフランドル絵画が展示されています。

ルネッサンス

ドメニコ・ギルランダイオの「ジョバンナ・トルナブオーニの肖像」はティッセン美術館で一番有名な作品。ここからルネッサンスに入り人間が描かれるようになった。ギルランダイオは15世紀後半にフィレンツェで活躍した画家でミケランジェロの師匠にあたる。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ネッサンス>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)板にテンペラ画、横顔の肖像画としては最高に美しい宝石といえる作品で衣装の豪華さや宝石等輝いている絵画。ジョバンナトルナブオーニはフィレンツェのメディチ家のロレンツォ・デ・トルナブオーニと結婚。この絵はジョバンナトルナブオーニが亡くなった後注文されたもの。後ろの背景に聖書とサンゴのロザリオが描かれ信仰をほのめかしている。

 

(下)ホルバインのヘンリー8世イギリス王。次々と妻を取り替え処刑したりロンドン塔へ送ったイギリス王。最初の結婚はイサベル女王の娘カタリーナ。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館>

ティッセンボルネミッサ
筆者撮影

皮肉にもヘンリー8世の隣にカタリーナの肖像画が置いてある。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

カタリーナ・デ・アラゴンはスペインのイサベル女王の娘で切望されイギリス王に嫁ぐが侍女のアン・ブリンが気に入ったヘンリー8世により離婚される。離婚が許されないカトリックでローマ法王からヘンリー8世は破門され英国国教会が作られた。カタリーナは最後までプライドを保ち凛々しく過ごした。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ラファエル>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

ラファエルの描いた少年。沢山の作品の中でも目を引く綺麗な絵でティッセン男爵個人の審美眼がうかがえる。こちらを振り返ったばかりの視線、髪の巻き毛も美しい。小さな作品なのですぐ近くで画家の筆のタッチまで見ることが出来ます。

ベネチア絵画

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ベネチア>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

ここはエル・グレコとベネチア絵画。エルグレコはベネチアで絵を修行した。初期の受胎告知と晩年の物が並べておいてあるので作風の変化が良くわかる。

スペイン17世紀絵画

ジュゼップ・デ・リベラのキリストの埋葬。晩年の作品でタッチが柔らかくぼかした技法。聖母の悲しむ表情、明暗法とドラマチックな場面がカラバッジオを思わせる。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館リベラ>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

 

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館スルバラン>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)フランシスコ・デ・スルバランの聖女シリーズの一枚で聖カシルダ。スペインの17世紀の巨匠のひとりスルバランは美しい聖女を等身大で何枚も描いている。

 

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館カラバッジオ>

ティッセンボルネミッサ美術館
By ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ – The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=148804

カラバッジョのサンタ・カタリーナ2019年修復が終わったばかりの作品。聖女がふっと振り向いたばかりのドキッとする様な視線、豪華な衣装と膝のクッションに位の高い人物である事がわかる。車輪は聖女の殉教に使われた道具。

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オランダのバロック期レンブラント

オランダの画家レンブラントの自画像。オランダ絵画の黄金期に活躍したレンブラントの1642年頃の作品なので有名な「夜警」が描かれた同時代の作品。レンブラントは他に例を見ない程の自画像を描いている。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館レンブラント>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

この頃は裕福だったレンブラントだが彼は晩年財政難この絵の約15年後には自宅を売却することになる。

 

1階はオランダ絵画から印象派等

<マドリード、ティッセン・ボルネミッサ美術館オランダ風俗画>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

16世紀頃のオランダ絵画は楽しいものが多い。当時の民衆の生活や居酒屋、楽器も持った人々や子供達等が生き生きと描かれている。この時代スペインではキリスト教の厳格な絵画しか描かれていなかった宗教改革の真っただ中、対抗宗教改革が行われ魔女裁判や異端審問所が活躍していた。オランダでは裕福な商人たちによって民衆の生活の様子の作品の注文が有った。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館オランダ風俗画>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

ダビッドテニエルの風俗画の部分を拡大。居酒屋で集まる庶民の話声が聞こえてくる。オランダの作品は楽しい。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館オランダ風俗画>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)ヤン・スティーン、田舎の結婚式の部分を拡大。楽器を持った人が演奏していて楽しそう。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館オランダ風俗画>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)ダビッド・テニエールの田舎のお祭りの部分。酔っ払いが倒れていて介抱している人やヤレヤレと話している人や騒々しいお祭りの雰囲気が伝わって来る楽しい作品。

フランス絵画から印象派へ

印象派は人気がありこの美術館でも鑑賞する人が多いコーナー。エドゥアルド・マネ、ビンセント・バン・ゴッホ、トゥールーズ・ロートレック、クロード・モネ、エドガー・ドガ等豊富に楽しめる。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館マネ>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮

(上)エドゥアルド・マネの亡くなる前年の作品で「正面からのアマソナ」

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ロートレック>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)ロートレックの男性

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ドガ踊り子>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)ドガの踊り子、くるくる回っている美しいバレリーナ。いつも人でいっぱいです。

 

地上階0階

地上階に降りると20世紀のコレクションが納められています。ピカソやブラックのキュービズムからアンディーウォーホールやロスコ―等の現代絵画が展示されています。

キュービズムを同時にブラックとピカソが始めた。ほぼ同時期に楽器を持つ人物をブラックとピカソが描いている2枚が隣同士に並んでいる。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館キュービズム>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ブラック>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)キュービズムで描かれたブラックのマンドリンを弾く女性。マンドリンを弾く手が動いているのが見える。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ピカソ>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)同じころにピカソがキュービズムで描いたクラリネットを弾く男。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ミロ>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)ミロの構造という名の作品、ブルーが綺麗でした。説明不可能。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館ピカソ>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)ピカソの鏡を見る道化師。1923年の作品。

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

(上)マルク・シャガールの鶏。シャガールはユダヤ系ロシア人の画家で後にフランス国籍を取得。一旦故郷へ戻った後にパリで描いた作品。随分毒舌家で知られた人物だが作品はメルヘンで可愛い。

アメリカ現代絵画

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

<マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館>

ティッセンボルネミッサ美術館
筆者撮影

マーク・ロスコ―の無題。ロスコーはユダヤ系ロシア人でアメリカで活躍した。ロスコーはアメリカ現代絵画の画家、フロイトやユングに没頭し無意識の世界に興味を持っていた画家。大きな作品の前で深いロスコーの色を見つめていると瞑想の世界へ連れていかれる様な錯覚を覚える。66歳で私生活の問題や病気で悩み自殺している。

近代絵画は殆どが息子のティッセン男爵のコレクション。拡張部分に妻のカルメンティッセンのコレクションも展示されている。

マドリード、ティッセンボルネミッサ美術館を動画でご案内します。

行き方

地下鉄:5号線バンコデエスパーニャから徒歩10分又は2号線セビージャから徒歩10分

バス:マドリードの街を縦に走るカステジャーナ通りからの場合14番27番のバスが直ぐ近くに止まります。

プラド美術館斜め前:ネプチューンの噴水をはさんで斜迎え側。

 

ティッセンボルネミッサ美術館・開館時間や値段

住所:Paseo del Prado 8

常設展:火曜日から日曜日  10時から19時

値段:12ユーロ オーディオガイド:5ユーロ

美術館共通チケット「パセオデルアルテカード」29ユーロ60セント。プラド美術館、ソフィア王妃芸術センター、ティッセンボルネミッサ美術館の共通切符

毎週月曜日 12時から16時まで無料

毎週土曜日:特別展時間延長10時から21時

休館日:1月1日、5月1日、12月25日

 

*ティッセンボルネミッサ美術館公式ページです。特別展などはこちらから調べてください。

https://www.museothyssen.org/

プラド美術館の廻り方。エルグレコ、ベラスケス、ゴヤ、ベネチア絵画等 無駄なく回る地図付き解説。  

最後に


ティッセン・ボルネミッサ美術館は個人のコレクションとは思えない程の作品の質と量で約800年にわたるヨーロッパの美術史を楽しめる美術館です。この記事では筆者の個人的な好みで作品を紹介しましたが素晴らしい作品がまだまだ沢山有ります。月曜日は無料なので私はなるべくその時のお邪魔しています。絵画好きにはたまらない素晴らしい作品をすぐそこまで近づいて鑑賞できる美術館で写真も撮れるのが有りがたいです。マドリードで時間があればプラド美術館からすぐ近くなので是非とも楽しんでください。

個人のコレクションとは思えない質と量、もちろん財力は当然ですがティッセン男爵の絵画に対する愛情が感じられるコレクションです。