キャンピングカーでピレネー山脈オルデッサ国立公園とアジェルベの廃村へ。2018年5月24日~28日

 

ピレネー山脈のオルデッサは夫の大好きなデスティネーションのひとつで私たちは度々訪れる。フランスとスペインの国境を形成するピレネー山脈は3000メートル級の山が430㎞にわたってそびえ地中海側から大西洋側へ横断するハイキングコースや様々な登山道、スキー場がある国立公園だ。オルデッサがスペインの国立公園になって2018年は100周年祭にあたる。”オルデッサ・イ・モンテ・ペルディード国立公園”として1918年にスペインで最初に設置された2か所の国立公園のひとつにあたる(もうひとつはピコス・デ・エウロパ国立公園)。世界遺産としてはフランス側にまたがる「ピレネー山脈のモン・ペルデュ」として1997年に複合遺産に指定されている。そのピレネーの山の中に友人のアントニオ氏が廃村丸々全部を購入して修復をはじめ村の再生を目指してルーラルハウスを建築中なのでキャンピングカーで尋ねに行って来た。

 

5月24日:1日目マドリードからトルラ・オルデッサとブハルエロ502キロ

お弁当を作って朝10時にキャンピングカーで出発。5月にマドリードが曇り空なんて事は珍しいし目的地オルデッサの天気予報は雨なのだ。ポンチョと傘とお弁当を持って出発。

キャンピングカーの旅オルデッサ
筆者撮影

暫く走っているうちに青空が見えて来た。ほらね晴れた。ガソリンはソリアに入ると不思議と値段が安い。巷ではRepsolが一番質が良いと言われているのでなるべく探すのはRepsolだ。ここは1L=1,229€、他より格段安い(他は1,28から1,3€)。サラゴサ街道180キロ地点覚えておこう。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

安いので車がゴボゴボ言うまで満タンにして出発。

キャンピングカー
筆者撮影

マドリードからサラゴサ経由、ウエスカを通りピレネーに入って行くが途中はまだ工事中。この工事が終わったら随分近くなるねえ。でもあと何年かかるんだろう。

ウエスカの道路
筆者撮影

険しい山と悪天候で工事が出来る時期が非常に短いのだ。

 

15時30分にトルラTorlaの駐車場到着。約500キロを5時間半ほどで全て無料の道路だから有り難い。トルラはオルデッサに登る起点になる村で大きな駐車場やインフォメーションがあり綺麗なお手洗いがある。ここで休憩してお弁当をいただきます。

トルラの駐車場
筆者撮影

トルラの教会と後ろに氷河に削られたピレネー山脈。この景色を見ただけでも来てよかったと言う気分になった。

トルラ駐車場
筆者撮影

トルラからオルデッサ、そして更に山深くへ入って行く。普通車で行けるのか?と思うような道をしばらくドライブ。ほとんど対向車は無い、というかみんな恐れをなしてここには入ってこないのだ。

オルデッサからモンダルエゴへ
筆者撮影

はじめのうちだけは舗装されているが途中からそれも無くなり水たまりと石ころの中を30分くらいの移動。

ピレーネ―キャンピングカーの旅
筆者撮影

ブハルエロに到着。山小屋とキャンプ場があってここの駐車場で今日は泊まろう。ピレネーの谷間で横に清流、簡単に来れないので人が少なく空気が荒れていなくて聖地みたいなところです。

オルデッサからモンダルエゴ
筆者撮影

フランス国境はすぐそこでサンチアゴの道の一部でもある。


ブハルエロの山小屋は通年営業、今はオフシーズンだがすでに宿泊している登山客もいた。

モンダルエゴ
筆者撮影

ここの山小屋の食事は美味しいのだ。夕食はキノコのリゾットと白豆の煮ものと赤ワインをグラスで幸福な気分になった。

モンダルエゴの山小屋の夕食
筆者撮影

この山奥でこの値段でこんなおいしいものが合計22€50cent。

モンダルエゴの夕食
筆者撮影

21時頃やっと少し暗くなってきた。風の音と川の流れ、鳥の鳴き声しか聞こえない贅沢な環境。テレビも無く電話も繋がらず、Wi-Fiは20時間で1ユーロだったけどしょっちゅう切れて長い長いパスワードを永遠に入れ直し続けるがついに力尽き、寝ます。

モンダルエゴ
筆者撮影

 

5月25日:2日目ブハルエロからブロト14キロ

鳥の鳴き声で目が覚める朝は贅沢だ、おはようブハルエロ。

ブハルエロ
筆者撮影

山小屋でコーヒーとクロワッサンの朝食。昨日の夕食時にも隣にいたカップルとしばらく会話をする。カタラン人のリタイヤーしたご夫妻でレリダから来た人達だった。いつも自分たちの畑で作った野菜などオーガニックな物を食べているので昨日のここの食事の後少し胸焼けがしたそうだ。

モンダルエゴ
筆者撮影

 

私たちは昨晩「美味しいね~」と感動したので笑顔の後ろにショックは隠せなかった。最初はピレネーの事や食事の事等あたりさわりのない会話をしていたが次第にカタルーニャの歴史やら独立やらちょっと複雑な話になってしまった。が、生のカタラン人の話が聞けたのは興味深かった。彼らは独立支持者だった。別れを告げ、私たちは昨日の道を戻って行く。

 

モンダルエゴ
筆者撮影

ブロト(Broto)で昼食前にアントニオ氏と合流。今度は本物のジープが待っていた。アントニオ氏は今ではホテルを複数経営しサラゴサに家も数件持つ実業家だが子供のころは父親に連れられて羊飼いや博労(バクロウ)として働いていた。学校なんか行ってないよと常々言っている。

そのアントニオがピレネーの廃村ごとまとめて購入し再生している。工事を始めて3年位、やっと宿泊するところが完成したその廃村へジープで向かう。

アジェルベ・デ・ブロトAjerbe de brotoは1976年頃に最後の家族が去った後、もう誰も住まない廃村になった。山の中の不便なところで元は100人ほどの人口があり自給自足の生活をしていた。友人のアントニオ氏が数年前に村ごと購入し修復を始めた。スペイン語で「カプリチョッソ」、「気まぐれ」で始めたらしい。

ピレネーアジェルベ
筆者撮影

私たちに「どれでもひとつ家をくれる」というが舗装道路がないので資材を運ぶのも大変で修復に何年もかかるだろう。修復の費用は「最低500万円くらい」と軽く言われたが私たちには大金だし年に何回来れるだろう。一年の半分は雪に閉ざされる所だ。ジープも必要になる。

ピレネーアジェルベ
筆者撮影

アントニオはここを本当に愛しているので村の隅々まで見せてくれ熱く語ってくれた。

アジェルベ
筆者撮影

何回も「1日過ごせば好きになるよ、でも2日過ごすともっと違う何かが見えるって」

アジェルベ
筆者撮影

今年は雪が沢山残っていた。そう、先週も雪だったのでアントニオの工事は進まないのだ。

ピレネー山脈
筆者撮影

 

今日はブロトに戻りアントニオ経営の小さなホテルで宿泊。夜遅くマドリードから来る友人たちと合流して夕食。アントニオはこれからジープで廃村に戻り明日の私たちのベッド用マットレスを運ぶと言っていた。タフやなあ。

5月26日:3日目ブロトからアジェルベへ

朝、ブロトのホテルからアントニオのジープに乗り再び凄いガタガタ道を山へ移動。8時30分出発でほぼ予定通りだ。(スペイン人と過ごしていて予定通りというのは凄い事なのだ!)今日は霧で何も見えないが見えなくても前進あるのみらしい。どんどん登って行く。

ピレネー
筆者撮影

霧で前があまり見えないカーブの道で横は崖、大きな石が転がっている。落石注意なんてもちろん書いてないし書いてあっても意味が無い。今、私の上に落ちてこなかった幸運を喜ぶのみだ。

ピレネー山脈
筆者撮影

昨日は遠くの山まで見えたが今日は霧の中、暫くしたら車を止めて焚火が始まった。勝手に火をつけていいのか!とか日本だと問題になるのかもしれないけど、どうやらアントニオは村を買ったのではなくて山ごと買ったらしい。ここはアントニオの持ち物なのだ。

ピレネーの旅
筆者撮影

「雨が降るよ」とアントニオ。風や空気で天気がわかるらしい。突然先を急ぎアントニオの村アジェルベに到着。パンとチーズとワインとハムのランチ。山でいただくと本当においしい。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

いくつかの建物の修復は終わっていてカマドが有る調理室が出来ていた。日本のいろりの様な石のかまどに大きな切株が燃えていてここでお肉を焼いたりスープを温めたりできるし建物全体の暖房にもなっていて中は暖かいエコなシステムだ。アントニオが目指すのは昔のまま。

この村にいろんな家族が住んでいて様々な人生があった、もう既にいない人達の知らない人生に思いを馳せる。

アジェルベ
筆者撮影

アルフォンソはアントニオがスカウトして来てここで働きながら暮らしている若者。アントニオも毎日家に帰るのでアルフォンソは羊みたいな犬とここで2人暮らし。「ここの暮らしは気に入っている。山は孤独だけど都会はもっと孤独だよ。」と話していた。アルフォンソの人生に何が有ったんだろう。

アジェルベの村
筆者撮影

羊の様なワンちゃんは怪我をしていた子犬をアルフォンソが拾って育てたという。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

「じゃあみんなはシエスタの時間。僕は家族と過ごすからまた明日~」とアントニオは行ってしまった。そうだ今日は日曜日だった、スペイン人にとって家族と過ごす大切な日に付き合わせてしまった事に気が付いた。私たちは言われた通りシエスタ、そして夜まではのんびり、本当にのんびり何もしない贅沢な時間を鳥の声を聴きながら過ごした。アントニオが言った通り1日でここが好きになった。

アジェルベの村
筆者撮影

夕食はアルフォンソのしきりでバーベキュー。

ピレネーの廃村、アジェルベ
筆者撮影

ロンガニーサというアラゴンの渦巻きソーセージと子羊のあばら肉の炭火焼き。

キャンピングカーの旅、アジェルベのバーベキュー
筆者撮影

寝室はベッドが12個程でこの大きなマットレスを昨日の夜に運んでくれたらしい。あの石がゴロゴロの山道を夜中に・・・だ。

アジェルベの寝室
筆者撮影

寝室の下は談話室で暖炉に火が燃えていて建物全体が温まる暖房システムになっている。

ピレネーアジェルベの村
筆者撮影

夕食後いつ眠ったかの記憶も無く起きたら朝でした。

5月27日:4日目アジェルベからブロト

山の朝は気持ちが良い。アントニオの予言通りあと1泊してもいい様な気分になっていた。

朝8時、約束通りアントニオがジープで迎えに来た、時間通りだ。今日はお天気は随分良いみたい。

キャンピングカーの旅、アジェルベ
筆者撮影

お天気も良いので歩いて途中まで降りていくことになった。植物や鳥などを見ながらケモノ道をハイキング。

大きな鷹のツガイが飛んでいくのが見えた。

ピレネーオルデッサ
筆者撮影

鳥や花を楽しみながらの1時間ほどの下り道のハイキングを楽しんだ。

ピレネーの村アジェルベ
筆者撮影

ジープに乗りオルデッサが見えるところへ移動する。

世界遺産はピレネーの山奥の峻厳な環境に適応しながら暮らしてきた牧畜や段々畑なども含まれる。今も世界遺産の中を牛飼い達が牛を移動しながら暮らしているのだ。

ピレネー、オルデッサ
筆者撮影

私たちはジープを止めて少し歩く。

キャンピングカーの旅、アジェルベ
筆者撮影

30分程歩いて行くと谷の底にオルデッサの河と滝が見えた。森林限界の感じからここは2300メートル位の標高。氷河に削られた険しい景色。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

動物がいるよ。アントニオは大きな双眼鏡で鳥や動物を見つけて教えてくれるマサイ族みたいだ。

ピレネー山脈、オルデッサ
筆者撮影

「えっ」アントニオが急ぎはじめた。「急ごう!濡れたくないなら」と言われジープに戻る。雨が来るらしい。道はあるようなないようなところだったので一人残されたら大変だ、絶対一人では帰れない。

ジープで山を下りてアントニオが生まれた村に行く。すれ違う人全員アントニオの友達か親戚らしい。誰かとすれ違うたびに話し込んでいる。

ピレネーの村
筆者撮影

 

午後はシエスタの時間が設定されていた。スペインでは大切な事のひとつだ。ホテルに戻って休憩していたら天気が崩れ大きな氷の塊が降って来た。アントニオの天気予報はスペインの国営放送より正確だ。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

夕食はアントニオのお兄さんが経営しているレストランでペロチコという小さなキノコと炭火で焼いた大きな骨付き肉で旅の最後を祝いアントニオと別れた。

ブロトの夕食
筆者撮影

5月28日:4日目ブロトからマドリード470キロ

今日は帰らなければ。午後まで時間があるのでオルデッサのハイキングコースの最初だけ歩いてみた。本当は往復17キロの「コラ・デ・カバージョ」まで行く有名なコース。最初の滝まで約1時間。高山植物も少し咲き始めている川に沿ったなだらかなコース。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

今年は水量が凄い。雨が多い春だったので滝の水流がとんでもなく多い。

 

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

山から下りてピレネーの登山の起点トルラTorlaへ。街の名前はトルラ・オルデッサに変更された。人口300人ほどの街だが廃村から来たらえらく都会に感じる。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

レストランやホテルも有り夏の登山シーズンは人口が5倍に増える。

トルラの街
筆者撮影

そろそろトルラを出発してマドリードへ戻らなくては。途中どこかでランチでも食べてゆっくり帰りましょう。

キャンピングカーの旅、帰り道
筆者撮影

天気は目まぐるしく変わって行き前方は晴れているのにバックミラーに映る雨雲。

キャンピングカーの旅、ピレネー
筆者撮影

そしてついに雨雲に追いつかれ降り始めた。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

タイヤが2センチは浮いて走ってる感じで怖かったですが無事にマドリードに帰着。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

19時30分無事到着。毎回外から戻って来るとマドリードが巨大な街に感じられる。アントニオに無事に帰ったよと電話を入れたら「来週も来る?」と本気で言っていた。

走行距離:980キロ(キャンピングカーの移動距離)

使ったお金:約540€

リポイ(リポール)Ripoll の街とサンタマリア修道院のロマネスクの彫刻

 

リポーイ(リポール)Ripollはカタルーニャ州ジローナ県にあるピレネーふもとの小さな街。カタラン語だとリポイと呼びスペイン語だとリポールで日本語はリポールやリポーイ等様々のよう。バルセロナから近郊電車で約2時間で到着できる小さな街。ビック(VIC)と絡めて周遊の旅にするのも良いしその後ピレネーに入るのも良いと思う。ロマネスクのサンタマリア修道院の彫刻が有名です。この辺りはバリバリ独立派地域で独立旗=エステラーダがどこにでもあるが観光する分には関係なく人々は他の小さなスペインの街と同じで親切で素朴で人懐っこい。

リポイ(リポール)


リポイ(リポール)バルセロナから行き方と時刻表

バルセロナのサンツ駅から近郊線で約2時間なのでバルセロナから日帰りや途中のビックとリポイで終日で遠足、又はピレネーの方へ移動も絡めて周遊コースに入れると旅行の幅が広がる。。

下はバルセロナ近郊線の時刻表

http://www.renfe.com/GA/viajeros/cercanias/barcelona/index.html

スペイン国鉄Renfeのバルセロナ近郊線の時刻表。OrigenをBarcelona santz,DestinoをRipoll Fechaに希望の日にちを入れると時刻表が出てくる。

リポイ(リポール)歴史

リポーイ(リポール)は5世紀にゲルマン民族の大移動の時、西ゴート王国の支配下に入り、その後南からイスラム教徒がやって来てピレネーを超えフランス迄遠征した時に支配を受ける。フランク王国のカール大帝がイスラム教徒を破り今のフランスからカタルーニャへやって来て現在のバルセローナを占領した。そして砦を創り辺境領を置いたのがバルセロナ伯爵領の始まりとなる。878年にギフレ1世多毛王(Wifred el Velloso)がバルセロナ伯爵に任じられる。(ギフレ1世が初代カタルーニャ君主)。888年にバルセロナ伯ギフレ1世はカタルーニャをイスラム教徒から奪回しリポイに聖母マリアに捧げるベネディクト会の修道会を創らせた。

リポイ(リポール)中世の図書館

リポーイ(リポール)の図書館はキリスト教世界でも最も蔵書の多い図書館だった。ローマやトレドとも交流が有り、キリスト教の宗教書や神学書にとどまらず非キリスト教的な古代ギリシャの文献や科学書の写本を数多く所有していた。オリバ修道院長の登場により文化の中心地となり人々は遠くからやって来た。修道士ジェルベールはフランスのオーリヤックからリポーイ(リポール)にやって来て音楽や数学を学んだ。修道士ジェルベールは後にローマ法王になった人物。

リポイ(リポール)サンタマリア修道院


開館時間

夏、4月から9月:10時から14時、16時から19時

冬、10月から3月:10時から13時30分、15時30分から18時

日曜祝日:10時から14時

休館:12月25日、26日、1月6日

 

リポイのサンタマリア修道院は当時のものとしては現在の教会正面の入り口と回廊のみが残る。最初の教会は9世紀に。オリバ修道院長が1032年に聖別した。

見どころは正面のロマネスク入り口

12世紀半ばに創られた正面のロマネスク入り口は石で掘られた聖書。旧約聖書の様々な場面とペテロとパウロの物語。

リポイ、サンタマリア修道院
筆者撮影

正面は旧約聖書の場面が多い。モーゼのエジプト脱出やソロモン王等。

リポイ、サンタマリア修道院
筆者撮影

アーチの入り口付近は四季を現す彫刻で写真は秋に豚にいっぱい食べ物を食べさせているところ。

リポイサンタマリア修道院
筆者撮影

脱穀しているところやブドウの収穫等の日常とカレンダーが可愛い。

リポイサンタマリア修道院
筆者撮影

 

回廊(クラウストロ)

回廊(クラウストロ)の柱頭彫刻も時間忘れて楽しめる。教会側に近い方が一番古いもの。

リポイサンタマリア修道院
筆者撮影

中世の教会彫刻にかなり頻繁に人魚が出てくるのは何故なんだろう。

リポイサンタマリア修道院
筆者撮影

天使が笛を吹くのに思いっきり口をプーっとしている感じが出ている。

サンタマリア修道院
筆者撮影

街はコンパクト


ピレネーのふもとの街リポイはコンパクトで歩いてすぐに回れる。サンタマリア修道院から旧市街はすぐ、広場やお店等を見ながら散策。

リポイの街
筆者撮影

少し坂を上るとアントニオガウディ―のお弟子さんが作った小さな礼拝堂が有る。ジョアン・ルビオ氏の1912年の作品。

リポイの教会ガウディ―の弟子作
筆者撮影

おとぎの国に出てきそうな可愛い礼拝堂。

リポイの教会、ガウディ―の弟子作
筆者撮影

アントニオガウディは鉄の細工などを柔らかい仕上げにしたが、細部にガウディ―の影響がみられる。

リポイ、教会、ガウディ―の弟子の作品
筆者撮影

駅の近くのサンチアゴカラトラバの橋

リポイ、サンチアゴ・カラトラバの橋
筆者撮影

リポイまとめ


ピレネーのふもとの街リポイは小さな街でさっと見るだけなら2時間ほどで廻ってしまう。圧巻はサンタ・マリア修道院でロマネスク好きの方なら時間を忘れて楽しめるでしょう。スペインは地方都市に行くとまだまだ昔のスペインが残っていて人々は素朴でみんな驚くほど親切で人懐っこい。バルセロナにいて一日時間があれば是非近郊の小さな街へ足を延ばしてみてください。

ビック(VIC)はバルセロナから日帰りできる小さなお勧めの街

 

ビックはバルセロナから70キロ北にあり鉄道で1時間30分で到着出来る中世が残る小さな街。スペインの魅力は地方都市にありせっかくスペインに来ているのにバルセロナやマドリードだけで終わるのはもったいない。是非とも近郊の小さな都市にも行ってみよう。ビックは治安も良く物価も安いので一泊するのも良いと思う。年中ホテル不足のバルセロナより安く宿泊できること間違いなし。今日はバルセロナから鉄道で簡単に行ける中世の街ビックを紹介します。

ビック


ビックの歴史

2世紀頃にローマ人が元々あった街を利用して小高い丘の上に神殿を作り街を発展させた。ゲルマン民族の大移動でビシゴート族はそれらの神殿を利用して城郭を作った。イスラム教徒がしばらく支配するが街は再び9世紀ギフレ多毛王の時にキリスト教徒の手に入り大聖堂が11世紀に作られた。18世紀のスペイン王位継承戦争でブルボンのフェリペ5世に反乱を起こした最初の街でその後カタルーニャの自治権は奪われた経緯が有るのでこの辺りは非常に強い反中央でカタラン独立の意識が強い。

バルセロナから鉄道で

バルセロナ・サンツ駅からR3号線で1時間14分から1時間35分。乗り換えなし。

下はバルセロナ近郊線の時刻表。Origen をBarcelona Santsに、 DestinoをVicにしてfechaに希望の日にちを入れると時刻表が出てきます。かなり頻繁に出ていますが帰りの時間のチェックも忘れずに!

http://www.renfe.com/viajeros/cercanias/barcelona/

駅についたら徒歩でマヨール広場を目指す

まずはビックのマヨール広場を目指そう。鉄道の駅から徒歩6分程で到着する。スペインの街には(カタルーニャの街にも)たいてい大きな広場マヨール広場があり昔から人が集まったり式典を行ったりした。ビックのマヨール広場で日曜日と火曜日は市が立つ。広場のムードはイタリアの中部の街に似ている。近くにインフォメーションが有るので地図をもらって観光を始めると良い。

ビックの街
筆者撮影

珍しいのは広場が土なんです。石では無く土が敷き詰められている。

*この辺りはカタルーニャ独立意識の強い地域で独立旗が多いですが街は平静で人々は親切です。

 

ビックの街
筆者撮影
旧市街を散策

ビックの街はバルセロナの旧市街のゴシック地区と似ている。坂道のある小さな街で入り組んだ細い通りにお店やレストランがあり治安もいいのでうろうろあてもなく歩いてお買い物をしたりバルに入ったり楽しめる。

ビックの街
筆者撮影

あてもなく中世の街をさまよい歩くのは楽しいものです。

ビックのローマ神殿

ビックのローマ神殿:毎日11時から13時、18時から20時、日曜日18時から20時、月曜定休日

街の一番小高い丘にあたるところにある2世紀ころのローマ神殿。897年にギフレ王により城郭となりその後モンカダ家により城は住居として使われた。その後大聖堂の司祭たちの住居として使われていたが一時は刑務所にも使われたという。1882年にモンカダ城が壊れた折偶然中から神殿が発見され修復した。スペイン国内に現存する完璧な姿で残るローマ神殿は2つしかないらしくそのひとつはこのビックのローマ神殿。2016年には地下に通路が発見されておりローマ時代に神殿の中央から水を50メートル先の広場へ運ぶための物ではないかと想像されている。神殿のまわり一帯にまだ発見されていない遺跡が多く眠っているはずだ。今は街が管理する展示会場として使われているので無料で入れる。

ビックのローマ神殿
筆者撮影
ビック大聖堂

ビック大聖堂の正面は新古典様式(ネオクラッシック様式)で18世紀終わりから19世紀初めにかけて作られた。

ビックの街
筆者撮影

 

ビック大聖堂の鐘楼と地下納骨堂は11世紀のロマネスク時代の物が残る。地下納骨堂は内部から有料で入ることが可能。

ビック大聖堂
筆者撮影

 

ビック大聖堂内部は無料で自由に見学可。ミサの時間は入場は可能だが写真や観光は遠慮しましょう。静かにミサに出席するのは問題なしです。

ビック大聖堂内部
筆者撮影

内部の壁画はカタルーニャの画家ジュセップ・マリア・セルトの作品。1930年から描きはじめたが内戦で焼けてしまった。セルトは戦後すぐに筆を執り再び描きはじめ完成させた。彼はこの大聖堂の中に埋葬されている。

ビック大聖堂内部
筆者撮影
ビック司教区美術館
ビック司教区美術館
De Joanjoc – Foto pròpia (Own work), Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2254531

ビック司教区美術館入場時間

<4月から9月>

火曜から土曜:10時から19時、日曜祝日:10時から14時

<10月から3月>

火曜から金曜:10時から13時、15時から18時、土曜10時から19時、日曜祝日:10時から14時

ビック司教区美術館は大聖堂の横にある美術館でビックの近隣の教会にあった芸術作品が展示されている。ロマネスクからゴシック、ルネッサンス等の彫刻や絵画など29000点が展示されている。ロマネスクファンは必見の美術館です。

<ビック司教区美術館のホームページ>

https://www.museuepiscopalvic.com/es

 

ローマ神殿からビック・カテドラルは徒歩2分、カテドラルからビック司教区美術館はすぐ横。

 

 

それ以外

街にはモデルニズム建築が点在していてそれも楽しい。モデルニズモは19世紀に流行した建築様式で当時のカタルーニャのリッチ層が建築家に家や家具を作らせた。フランスのアールヌーボーやオーストリアのセセッションの時代で今はガウディ―が有名だが当時はガウディはその中の一人の建築家に過ぎなかった。カタルーニャ全般(他の都市にも)に19世紀のモデルニズモの建築物が残る。

ビックのモデルニズモ建築
筆者撮影

川が流れる街でロマネスクの橋、Puente Quaralt=クワラルト橋はビックにかかる唯一の橋だった。度々戦争と街の拡大で破壊され最後の破壊はスペイン内戦でその後に修復された。

ビック
筆者撮影

ビックのレストランとバル


私たちはビックのマヨール広場でお散歩中の地元の女性に教えてもらったおすすめレストランで食事をした。教えてもらったバルの方は地元人気店で満員で入れず外から見るだけに。マヨール広場界隈にいくつも飲食店がありどこで食べても美味しいはず。

DI VICNUS

火曜から日曜:13時から15時30分、21時から23時30分

月曜定休日

マヨール広場からすぐのカタルーニャ料理レストラン

ビックのレストラン
筆者撮影

 

DI VICNUS店内

ビック、レストラン
筆者撮影
ビックのレストラン
筆者撮影

 

前菜は2種類を2人でシェアー

トマトのタルタルとパルメザンチーズの前菜

ビックのレストラン
キャンピングカーの旅

キノコのリゾット

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

メインにエントレコット一皿を2人でシェアー

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

 

合計約54€とチップを3€ 置いてきました。来ているお客さん達はリッチ層な感じでムードのいいレストラン。お料理のカテゴリーとレストランの雰囲気でこの値段は安い。

レストランDI VICNUSのお店のホームページ

http://www.divicnus.com/gastronomic

BARMUTET

8時30分から23時まで毎日営業

DI VICNUSのすぐ向かい側にあるバル。実はこちらのバルに入りたかったけど21時頃はすでに満員でとても入れず。お散歩のセニョーラに勧めてもらったバルです。ワインのボトルが沢山並んでて魅力的でした。

ビック、レストラン
筆者撮影

小さなバルはワイン片手に語り合う人達で賑やかでした。。

ビック、レストラン
筆者撮影

ビックのバルBarmutetのホームページ

http://www.barmutet.cat/

最後に


私たちはキャンピングカーの旅でコスタ・ブラバに行く途中に、実はついでに行ったビックだった。街はこじんまりしていて綺麗で治安も良く人もみんな親切でした。あまり観光客もいないので街がざわついていなく、食事が美味しく人値段も安くまた絶対にリピートしたい街となりました。バルセロナから近いので旅行中の方はちょっとビックに足を延ばしてみてはいかがでしょう。

キャンピングカーでカタルーニャの遺跡やダリの故郷カダケスやフィゲーラスとアラゴンの旅

2012年から夫氏手作りキャンピングカーでスペインとヨーロッパの旅をしています。自分の忘備録として旅を記録に残し、どなたか読んでくださるか不明ですが公開することにしました。

キャンピングカーの旅2018年5月。今年は悪天候が続き旅に出れない春だった。やっと2人とも1週間の休みというか、正確には仕事が無い1週間が有ったのでで以前から行きたかったコスタ・ブラバのアンプリアスの遺跡とカタルーニャを巡って来た旅の記録。

マドリードからビックへ(5月10日)

朝、仕事の後11時マドリード出発。マドリードから目的のアンプリアスまでは756キロあるので今日は途中のVICビックまで行くことにする。マドリードはスペインのほぼ中央にあるのでどこに行くのも遠いけどどこに行くのも便利。天候は5月中旬というのにまだ不安定。

マドリードからカタルーニャ途中
キャンピングカーの旅

 

マドリードから国道2号線(A2)通称サラゴサ街道。国道なのでほとんど無料の快適な道路でマドリードを出ればほとんど渋滞なし。

マドリードからの道路
キャンピングカーの旅

サラゴサからレリダは一部有料道路に入る。12,70€

途中2回休憩してビック到着。

ビックの街はバルセロナのゴシック地区に似ているなあ。小雨の中ビックの散策。大聖堂博物館はもう閉まっていて明日の10時まで開かないので今回は無理でした。ロマネスクの壁画があるみたいなので又来たい。

ビックの街
筆者撮影

スペインのキャンピングカー・サイト(FURGO)であらかじめ調べていた駅近くのカレフール横の駐車場で止めて夕食へ。今日は無料駐車場泊。*FURGOは夫氏のバイブルで口コミでヨーロッパ中のキャンピング地が紹介されている。

ビック駐車場
キャンピングカーの旅

夜旧市街まで徒歩10分程。マヨール広場で犬の散歩中のセニョーラに夫が「どこか美味しいレストラン教えてください」と勧めてもらったDI・VICNUSへ。場違いな服装でちょっと躊躇したけどお店の人に「旅行中でこんな服装でもいいですか?」と聞いたら快諾してくれた。どこに行ってもみんな人はとても親切で感じが良い。

ビックのレストラン、ディビクヌス
筆者撮影

トマトと生ハム

ビックのレストラン
キャンピングカーの旅

キノコのリゾット

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

エントレコット

ビックレストラン
キャンピングカーの旅

地元のワイン

夕食代53、79€

本日走行距離646キロ

歩いた距離:11キロ

ビックからリポーイ、アンプリアス(2日目)

ビックからリポーイは37キロ約30分の距離。雪が積もったピレネー山脈が見える。フランス国境はすぐそこだ。ジローナ県はカタランのバリバリ独立派が多いところなのでどこも独立旗と政治犯釈放を求める黄色いリボンが目立つ。お天気はいまいちで寒い。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

リポーイの中心部まで車で入れて、とりあえず止めたけど白い点線の所は料金を払うんだろうか?9時までは不要なはずだし誰かに聞こうとコーヒーを飲みに入ったカフェテリアで「今日はお祭りだからどこでも止めて大丈夫」と教えてもらう。凄い!、見たかったロマネスク彫刻があるサンタマリア修道院すぐ横だ。

リポーイ
筆者撮影

サンタマリア修道院のロマネスク彫刻は圧巻。しかもお祭りで無料で入場。11時からミサが始まるのでそれまでに内部をゆっくり見学。

リポーイサンタマリア修道院
筆者撮影

クラウストロの柱頭彫刻も時間を忘れて楽しんだ。

サンタマリア修道院、リポーイ
筆者撮影

修道院の食事のテーブルで祈っているのか泣いているのか。

リポーイのサンタマリア修道院
筆者撮影

天使が笛を吹くのに思いっきり口をプーッとしてる感じが可愛い。

サンタマリア修道院
筆者撮影

 

街を歩き回って丘の方でガウディのお弟子さんが作った小さな礼拝堂を発見。

リポーイ
筆者撮影

サンチアゴ・カラトラーバの橋があるというので片道1キロほど歩いて行って来た。曲線がカラトラーバらしく綺麗な橋だがあまり大切にされていない感じ。随分街の端の方だし時間が無ければわざわざ来なくてもいいと思う。

リポーイの橋
筆者撮影

リポーイを出発し綺麗な中世の街べサルを目指す。リポーイからべサルは51キロ約50分。

キャンピングカーの旅
筆者撮影

べサル(Besalu)の街。小さな綺麗な街をあてもなく散策。

べサル
筆者撮影

川に囲まれた小さな街で地元では有名らしく沢山の観光客が散策していた。レストランやお土産物屋が並ぶ賑やかな街だ。独立旗が目立つがスペイン語も結構聞こえて来た。

べサルの街
筆者撮影

べサルからアンプリウスは約46キロ、40分。アンプリウスは遺跡のすぐ横に無料の駐車場があった。沢山のキャンピングカーが既に止まっていたので私たちも今日はここで泊まる感じ。

アンプリウス
キャンピングカーの旅

遺跡はキャンピングカーを止めた駐車場のすぐ横なので見学に出発。アンプリアスは国内唯一のギリシャとローマの遺跡が両方隣同士に残っているケース。

アンプリアスの遺跡
筆者撮影

ギリシャ遺跡の中を2時間以上歩きローマの遺跡につく頃にはもうくたくた。このローマの遺跡はまだ20%しか発掘されていないらしい。掘ったらいくらでも出てくるけど土の中にいてもらった方がきっと安心安全で格安なんだと思う。ローマ遺跡に着く頃にはどうでもよくなっていて省略して戻った。

アンプリアスの遺跡
筆者撮影

コスタ・ブラバの海岸沿いの遺跡なので5月でもうすでにリゾート客が来ていた。お昼は遺跡の横のチリンギート(露店)でボカディージョ(サンドイッチ)

アンプリアス
キャンピングカーの旅

夜は歩いてサン・マルティの街へ。最初にギリシャ人が住み着いた島だったところが今は陸続きになっている。ギリシャ人が来るより前のイベロ族の遺跡もあるという話だった。

アンプリウスの横のサンマルティ
筆者撮影

丘の上の小さな街で広場に3軒レストランが並ぶ。どこも似たようなメニューで一番混んでいる店で夕食。

アンプリアス夕食
筆者撮影

ほろ酔い気分で約1キロキャンピングカーの駐車場までの散歩道。夜のコスタブラバの海岸線。「海が見たい」と今年の春から言っていたら実現したなあ。言ったら実現するとか何かで読んだけどこういう事なのか?

コスタブラバの夜
キャンピングカーの旅

移動距離151キロ

食事代:昼ボカディージョ10,50€、夕食37€

歩いた距離:16キロ

アンプリアスからダリの家ポルト・リガドとフランス・カタランへ(3日目)

朝起きたらキャンピングカーが増えていた。夜中にやって来たらしい。

アンプリアスの駐車場
キャンピングカーの旅

さて今日はどこへ行くかコーヒー飲みながら会議。朝起きてお湯沸かしからコーヒー入れるのも夫の仕事です。私は起きたらコーヒー飲むだけ。

キャンピングカー内部
キャンピングカーの旅

お隣のフランス人もそろそろ朝食でセニョールがせっせと準備中。イスとテーブルが出てくるところがうちとはえらい違う。奥さんはテーブルのセットが出来た頃に起きてくる感じ。

アンプリアスの駐車場
キャンピングカーの旅

 

最初の予定ではピレネー・カタランに向かうつもりが雪が降っているらしく地中海で過ごす事に予定変更。

カタルーニャの地図
キャンピングカーの旅

お天気予報では今日は強風と雨。気温も低く寒い、5月中旬というのにだ・・・。アンプリアスを出発しコスタ・ブラバをフランス方面へ北上しダリの故郷へ向かおう。

アンプリアス出発して移動中
キャンピングカーの旅

途中夫氏がこの辺りに「運河があるリゾートの街が有るはずだ」というので探してみる。ローセスのあたりはプライベートジェット用の空港やヨット店が続く高級リゾート地。エル・ブジ(既に閉店した有名レストラン)もこの近くで営業していたのが良くわかった。

グーグルマップで見ると桟橋が続く所がありこれだ!エンポリオブラバという地名らしい。

エンポリオブラバの地図
キャンピングカーの旅

アンプリアスからエンポリオ・ブラバ22キロ約20分がちょっと迷子になり随分うろうろした。

ベネチアの現代版で自宅まで船で行ける様に設計されている。何と1973年に開発されたリゾート地というからびっくり。

エンポリオブラバ
キャンピングカーの旅

コスタ・ブラバはコスタ・デル・ソルよりも高級なリゾート地(マルベージャは別として)が多く海岸線殆どがとんでもないリッチな人達に買い占められている。広大な別荘の前にプライベートの船。今のペースで100回生まれ変わって働いても買えない、人生なんて不公平にできていると納得。

エンポリオブラバ
キャンピングカーの旅

エンポリオ・ブラバで驚愕したあとは出発してダリの家ポルト・リガドへ向かう。26キロ約40分カーブが続く片側一車線の道を延々とドライブする。雨じゃなくてよかった。そして夫はカーブ好きなのだ。

ポルトリガドへのくねくね道
キャンピングカーの旅

ポルト・リガドは素朴な漁村だった。入り江のこんな小さな漁村が残っていてこれは奇跡だ。この辺りはほとんど高級別荘から庶民層のマンションと隅々までリゾート開発されていてがっかりしていたところだったので小さな素朴な漁村が新鮮だ。

ポルトリガド
キャンピングカーの旅

ダリがアメリカから戻ってガラと暮らすために購入した家が今はダリの家美術館になっている。卵とU字の棒はダリの作品によく出てくるモチーフ。

ダリの家美術館入場料11€

予約制になっているが少し待って入場。大きな荷物はダリ美術館の前に預けるところがある。(ネットで予約できるがしなくても少し待てば入れると思う)中は少人数ごとでガイドと説明を聞きながら移動。私たちはカスティーリア語とフランス語の説明で廻る。カタラン人がいたのでガイドさんが「外国人(私たちの事)はカタラン語わからないのでカステジャーノで説明してもいいかしら」と聞いていた。なるほど、これでクレームなしだ。

ポルトリガド
キャンピングカーの旅

ダリの家美術館内部はダリが使った部屋や道具などがそのまま残りダリの遊び心が随所にみられる。

ポルトリガド
キャンピングカーの旅

 

ポルト・リガドからカダケスは徒歩でも行けるようだがキャンピングカーで移動。カダケスにはダリの父親が持っていた別荘がありダリの初期の絵に頻繁に出てくる街だ。有料駐車場に車を止めて街を散策。カダケスはポート・リガドより随分大きな街の印象を受けた。

カダケスのダリ
筆者撮影

ダリ家の別荘を探して海岸線をさまよい歩く。見つからないのでついに夫は海の前の扉が開いていた豪邸の中へ入って聞いている。私は随分驚いたが豪邸のセニョールは優しい紳士で丁寧に教えてくれた。

カダケスの街
筆者撮影

今はダリ家とは関係のない家族の所有で独立旗が揺れていた。すぐ横にガリシア・ロルカに捧げた碑。学生時代のロルカがダリを訪ねて来たらしい。2人はここでどんな話をしたんだろう。

カダケスのロルカに捧げた碑
キャンピングカーの旅

 

そして風が吹き滅茶苦茶寒い中、意地で海の前のテラスで震えながらした食事は美味しかった。カタルーニャはどこも安くておいしい。

ランチ
キャンピングカーの旅

パエリアとブティファラとお水とノンアルコールビールで27.5€

ダリの絵に残る教会迄登って行く。昔はここも小さな漁村で丘の上だけに村が有ったんだろうなあ。

カダケスの街
キャンピングカーの旅

丘に登ると街と入り江が綺麗に見渡せる。カダケスは入り江と丘に囲まれた優しい綺麗な街だった。ダリはここで幸せな青年時代の夏休みを家族と過ごしたし、この教会にも来たはずだとか考えながら村を歩いた。

カダケスの街
キャンピングカーの旅

駐車料金2,35€(4時間くらいは止めていたと思うけど安い)

カダケスでは場所が無く泊まれないので今日の宿泊地を探して岬へ登って行く。キャンピングカーの旅では毎回岬の灯台あたりに景色が良い無料の駐車場に泊まる。岬好きの私たちはクレウス岬へぐるぐる曲道を進めていった。

クレウス岬
キャンピングカーの旅

やっとの思いで岬についたが風が強くて止めているキャンピングカーが揺れ危険を感じる程だ。ビュービュー風の音で居心地が悪くこれは眠れないだろうと又しても移動する事に決定し今日は放浪の日となる。

クレウス岬
キャンピングカーの旅

それではフランスまで行ってしまおうと突然予定変更。フランス・カタランのペルピニャンの街が見たいと私が言い出す始末。優しい夫は良いよと出発するが途中の道が渋滞の様でさらに予定変更して国境のスペイン側のドライブインで休憩してバーガーキングで夕食となった。マックよりバーガーキングが美味しいとか言いながらわびしい夕食を何とか盛り上げる。

途中の休憩所
キャンピングカーの旅

ここで泊まる話も出たが、休憩所の設備はフランス側の方が断然良いので国境を越えてから泊まることにする。工事渋滞も幾分緩和したようなので出発。あ、ガソリンはスペインの方が安いのでスペイン側でいれるのを忘れずに!。

フランス国境
キャンピングカーの旅

それにしても雨と風と寒さでこれはピレネーに行かなくて良かった。スペインフランス国境はこんな感じで何もなく通過。

フランス国境
キャンピングカーの旅

フランス・カタランに入ったのでフランス語でようこそカタルーニャへと書いてある。ああ、こういうのが見たかったから来たんです。

フランス国境
キャンピングカーの旅

 

さあ高速道路の最初のエーリアに入って泊まることに。フランスはどこも設備が良くキャンピングカー用に広い場所が用意されている。ベンチや汚水を流すところもある。カフェテリアに行けば大抵Wi-Fiも繋がり場所によってはシャワーもついているのだ。

フランス側の休憩所
キャンピングカーの旅

私たちが着いた時、既にキャンピングカーが何台も止まっていた。トラックとは分けて場所が作って有り泊まってくださいという感じで周りに木陰とテーブルとベンチ。

フランス側の休憩所
キャンピングカーの旅

バス程の大きなキャンピングカーに小さな車を牽引してる車はドイツナンバー。大きすぎて動きにくいと思うけど中は快適でしょうね。キャンプ場についたら小さな車で街の観光やお買い物に行く、フランスかドイツの年配者のキャンピングカーでよく見るタイプだ。

フランス側の休憩所
キャンピングカーの旅

私たちは今日はここで就寝です。

移動距離184キロ

ガソリン代60€、駐車場:2.35€、有料道路:2.50€

食事:昼食28€、夕食18€(バーガーキング)

歩いた距離:11キロ

ペルピニャンからコスタ・ブラバへ(4日目)

静かでぐっすり眠れた。風はピレネーから吹いているのか冷たい。コーヒーを飲んで出発。

ペルピニャンへの途中
キャンピングカーの旅

ペルピニャンはフランス・カタランの中心の街。スペイン風の城門から町に入る。30年戦争でフランス軍に侵攻されその後のピレネー条約でフランス領となる。カタルーニャはスペイン側とフランス側に分断された民族なのだ。

ペルピニャン
キャンピングカーの旅

道の標識はフランス語とカタラン語の併記。

ペルピニャン
キャンピングカーの旅

それにしても寒いのでやっぱりスペインへ戻りましょう。帰り道に独立旗を発見してここまで来た甲斐あったような気がする不思議な心境。

ペルピニャン
キャンピングカーの旅

ペルピニャンを出発してから駅にダリの絵があることが判明し愕然となる。ダリはパリへ行くたびに通るペルピニャンの駅に随分思い入れがあったらしい。またペルピニャンに来ることは有るんだろうか。行き当たりばったりの旅をしているとこうなる。

スペインへ向かう帰り道は国道を走ってみた。景色は国道の方が断然良い。雪のピレネー山脈が見える。しつこいようだがピレネーに行かなくて良かった。行っていたら今頃凍えているに違いない。

ペルピニャンからスペインへ
キャンピングカーの旅

 

国境を越えてスペイン側へ。ここの国境も全く何もなくただ通過。

国境
キャンピングカーの旅

スペイン帰国。たったの一日のフランスでも兎に角スペインに帰って来ると安心する、カタルーニャでもバスクでも良いのです。普段「ったくスペインは~」とか言っていてもスペインに帰ると安心するのだ。100%日本人ですが心はスペイン人なのです。

国境
キャンピングカーの旅

 

行先が定まらない中フィゲーラスに何年かぶりに行きましょうと突然言い出す私。良いよという優しい夫。ダリにゆかりの地を訪ねているのでフィゲーラスのダリ劇場美術館へ行くことにする。ペルピニャンからフィゲーラスは58キロ約1時間。

フィゲーラスのダリ劇場美術館
キャンピングカーの旅

入場料:14€

かなり混んでいるがここも予約するほどではないと思う。本日日曜日ですが入場券を購入してすぐに入場できた。

内部は玉石混合だがやはり初期の作品がかなり見れるのは嬉しい。丁度行って来たカダケスの風景が有った。

フィゲーラス、ダリ劇場美術館
筆者撮影

丁度この部屋の地下にダリのお墓が有る。深い眠りから先日起されてしまったダリだが又黄泉の国へ戻れたかしらと思いを馳せる。

フィゲーラス、ダリ劇場美術館
筆者撮影
フィゲーラス、ダリ劇場美術館
筆者撮影

ダリを堪能したのでプボールにもこの際行ってしまう事にした。プボールはダリが妻のガラにプレゼントしたお城が有り内部が見学できる博物館になっている。フィゲーラスからプボールは39キロ約35分。ナビが無ければ絶対に着けない様な所だった。

プボールへ
キャンピングカーの旅

ダリがガラにこのお城をプレゼントした折ガラは「あなたからの申し出のお城を受け取ることにします。ただ貴方が私を訪ねるのは書面で許可を取ってからにしてください」と手紙を書いている。2人の関係は一体どういう感じだったのか、一生に一度くらい言ってみたいセリフです。

プボールのダリ・ガラお城博物館入場料:8€

プボール城
筆者撮影

ガラが生前使っていたベッドをガラ亡きあとのダリは使用した。孤独な晩年の日々の中、火災でダリが死にかけたのもこの部屋だった。

プボル城
筆者撮影

広い庭園には象が3頭。初期のダリの聖アントニオの幻想に出てくる足が長い象がまるで庭園を自由に歩き回っているみたいだった。

プボール城
筆者撮影

地下にガラのお墓。ダリは自分も横に埋葬されるつもりで並んで作ったが最晩年のダリの意志でフィゲーラスの劇場美術館にダリは埋葬された。本当にダリの意志だったのかは実は不明。

プボール城ガラのお墓
キャンピングカーの旅

ダリの寂しさを共感してしまい最後はメランコリックな気分になったが、美味しい香りに誘われお城の前にあるレストランに移動。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

レストランのメニューの表紙はダリの絵。店内に昔の新聞が貼ってありダリも訪れた店のようだ。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

前菜にグリーアスパラのグリル。黄色いソースはロメスコソース。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

日曜日のお昼15時頃という事もあってレストランは満席に近い。この小さな村のどこからこれだけの人々がやって来たんだろう。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

子羊の炭焼き

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

ブティファラ(カタランソーセージ)も炭火焼きで美味しい。

プボールのレストラン
キャンピングカーの旅

デザートにチーズケーキと飲み物はガス入りの水35,80€

プボールを出発してパルス(Pals)という小さな村を訪ねる。コスタ・ブラバの典型的なゴシックの小さな村。

パルス
キャンピングカーの旅
パルスの村
キャンピングカーの旅

さて今日は海の側で泊まりたいと私。どこか適当にドライブしていたら良い所有るでしょうとコスタブラバの海岸線へ出るが行けども行けども別荘地帯で私たちを拒否するような門構えの豪邸ばかり。とても車を止めて泊まれそうなところがない。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

延々と海に向かって別荘地が続く中を放浪。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

こんな景色を独り占めして豪邸が作られていて年に3か月とかしか使わないんでしょッとひとりごちる。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

Faro= 灯台という標識を見つけ登ってみるといい感じで広場があって泊まれそうだ。眺めも良いのでここにしよう。Faro de Parafrugell de San Sebastiaというところに止める。灯台はレストランになっていて更に上にホテルが有った。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

ホテルはそれほど豪華には見えなかったが一泊270€、私が休憩している間に夫は調べに行って仰天して戻って来た。どっちにしても泊まらないから大丈夫よ。山の上にイベロ族の遺跡が有った。

イベロの遺跡
キャンピングカーの旅

さてカップラーメンのディナーがやって来た。お湯さえ沸かせば手軽にいただけるのでキャンピングカーの旅には欠かせないアイテムだ。できれば日本製のものが美味しいので日本帰国時にはたんまり買って来る。

カップラーメン
キャンピングカーの旅

キャンピングカーの窓からコスタブラバの夜景。寒くて外に出たくないので車からパチリ。夜景ビスタで今夜はいい夢見れそう。

コスタブラバの夜景
キャンピングカーの旅

深い眠りの中、夜中に車の横に若者集団が集まり暫くお喋りしていたのは夢か?と思ったが夫もやっぱり声を聴いたというので現実らしい。

移動距離:182キロ

入場料合計:30€

食事:41€

歩いた距離:12キロ

 

コスタ・ブラバから内陸へ(5日目)

朝は毎日早く目が覚める。コーヒーを飲んで出発7時30分。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

コスタ・ブラバの海岸線をドライブ。さてどこへ行こうか。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

サン・フェリウはコスタ・ブラバでも有名な街なのでちょっと見てみる事に。海岸線にはカフェテリアが並びヨットハーバーがある。

サンフェリウ
キャンピングカーの旅

10世紀のベネディクト会の修道院跡。サンフェリウはこの修道院から始まった。

サンフェリウ
キャンピングカーの旅

曲がりくねったカーブが続くが時々海に向けてスペースがあって車を止めて景色が楽しめる。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

水のブルーが透明。

コスタブラバ
キャンピングカーの旅

 

トッサ・デ・マールの入り江とお城が見えて来た。

コスタブラバ
筆者撮影

入り江の海岸線にレストランが並ぶ漁港。お城へ登って行こう。

トッサデマール
キャンピングカーの旅

水平線の向こうはコルシカ島だそう。ここに立つとカタルーニャは地中海の島々を制覇していたというのが良く理解できる。ここで冷たい飲み物を飲みました。景色代込なので高かった。

トッサデマール
キャンピングカーの旅

この辺りは海岸線には宿泊出来ない事がやっと理解でき内陸を目指す事にした。もうマドリードに向けて移動、折り返し地点。地図を見て適当に良さげなところをあて物の様に探す。カルダス・デ・マラビージャにローマの遺跡があり温泉が出るらしい。行ってみよう。

ローマ時代の浴場後が有った。小さな遺跡で無料です。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

ビッチーカタランの温泉付きホテルがあって驚いた。19世紀の建物で当時の上流階級の社交場だったそうです。水着持って来ていないし今回は見るだけ。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

村役場みたいなところの広場のレストランで定食をただきます。12,5€は田舎の村にしては高いねえ。そして注文するまでに15分くらい待ち、出てくるのにさらに15分。まあのんびりしています。高いだとか遅いだとかブツブツ言っていたら一人分の前菜のスモークサーモンがドンと置かれた。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

メインのヒラメのオーブン焼きは丸々ヒラメが一匹でびっくり。もちろん一人分です。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

私はエビのカクテルとマッシュルームのグラタンを頂きました。

デザートのアイスクリーム。

カルダス・デ・マラビージャ
キャンピングカーの旅

 

泊まるところを求めてさらに移動していると遠くにモンセラが見えて来た。ロヨラが瞑想したマンレサはこの先だけど今回は通過。

キャンピングカーで移動
キャンピングカーの旅

内陸になるとだんだん道が真っ直ぐになって来た。広いからいくらでも道路が作れる。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

タレーガという知らない村の駐車場、作曲家の名前と同じなので来てみたが何という事無い村でした。トラックが沢山止まっている村のパーキングで止めて今日はここで寝ます。

駐車場
キャンピングカーの旅

移動距離:300キロ

ランチ:25€、トッサデマールの展望台飲み物:8€

歩いた距離:9キロ

サラゴサとピエドラ修道院(6日目)

ぐっすり眠りコーヒーを飲んで出発。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

レリダ近くになると畑に果物やオリーブ、時々ぶどう。豊かな農産品の生産地。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

いつも通過だけするレリダの街に入ってみよう。丘の上に大きなお城と教会の塔が見える。

レイダ
キャンピングカーの旅

丘の上にあるのは旧大聖堂で後陣はロマネスク。この辺りは18世紀の戦争でかなり被害を受けたようだ。

レイダ
キャンピングカーの旅

お城から市街地が良く見える。どこでも高い所に登るに限るね。スペイン王位継承戦争でカタルーニャがコテンパンにやられたときにこの町もフランスとスペインの軍によって破壊され併合された。哀しい歴史は300年前でも語り継がれている。

レイダ
キャンピングカーの旅

レリダの観光はこれくらいで、さあスペインへ戻ろう(カタルーニャもスペインですが)。スペインに入ると早速牛の看板。これはオスボルネ社のブランデーの看板だけれどもスペイン・ナショナリズムの象徴とされ、カタルーニャやバスクでは見ないし作ってもすぐ壊される。

キャンピングカーにて
キャンピングカーの旅

サラゴサに到着。今迄と違って駐車するのに苦労した。サラゴサは大きな町だ。写真はサラゴサのピラール聖堂。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

街の入り口にローマの街道の遺跡。ローマ時代サラゴサはカエサル・アウグスタと呼ばれた重要な街だった。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

ローマの劇場跡が住宅街にありどこでも掘ったら遺跡が出てきそう。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

サラゴサのピラール聖堂は聖母マリアが生前に現れた唯一の奇跡。聖ヤコブのところにジャスパーの柱と共に現れここに教会を作りなさいと現れた。その柱がこの白い布地の中にある。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

ゴヤの銅像と後ろにLa Seu=大聖堂。ゴヤはサラゴサの近くの村で生まれている。ピラール聖堂の天井画のいくつかはゴヤの作品。

サラゴサ
キャンピングカーの旅

サラゴサを出発しモナステリオ・デ・ピエドラへ向かう。乾燥したアラゴンに突然現れる水脈。周りも次第に果樹園が増えて来る。この辺りは温泉ALHAMA de Aragon=アルハマ・デ・アラゴンの保養地で有名だ。

キャンピングカーにて
キャンピングカーの旅

ピエドラ修道院到着。無料駐車場に車を止める。今日はここで泊まるようですね。パウロ・コエーリョの作品に出てくるピエドラ河はここです。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

キャンピングカーにある物で簡単な食事。

キャンピングカーにて
キャンピングカーの旅

ピエドラ修道院自然公園

入場料:16€

今年は雪と雨の多かった冬なので水量が想像以上。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

約1時間30分程でゆっくり楽しめた。クロアチアのプリトビッツエ公園を小さくしたような所です。まわりは月面の様なアラゴンなのにこの大量の水はいったいどこからやって来るのだろう。

下の写真は上から滝つぼを見下ろしている。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

滝が何層も続く不思議な景色でここは地上の楽園。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

駐車場は20時頃で誰もいなくなり今日はここで宿泊です。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

旅にはいつもバイオリンを持参で場所があったら演奏、というか練習。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅

夕食はカップ焼きそばでチーンとちょっと沈む。いやいやこれ美味しい,又買って来ようっと。

キャンピングカーの食事
キャンピングカーの旅

移動距離:330キロ

途中コーヒーとクロワッサン:8€

ガソリン:70€

高速代:14,70€

歩いた距離:12キロ

マドリードへ(7日目)

鳥の声で目覚めるのは悪くないものだ。誰もいない森の中でさわやかな目覚めは今日も良い1日になりそうな気がしてくる。

ピエドラ修道院
キャンピングカーの旅

高速道路までしばらく果樹園や湖を見ながらのドライブ。

キャンピングカー
キャンピングカーの旅
アラゴンの景色
キャンピングカーの旅

早く出発しすぎてマドリードで渋滞にはまる・・・トホホなパターン。

本日走行距離:236キロ

合計走行距離:2031キロ

使ったお金2人で約600€

無事帰宅。旅は帰って来るところが有るからこそ楽しいし無事に帰ればそれで成功に違いない。次の旅までアスタプロント~

マドリードで噂のイタリアン・レストラン「ドン・ジョバンニ」へ行って来た

 

スペインで美味しいイタリアン・レストランは以前は希少価値だった。地中海をはさんで向かい側の国なのにパスタの文化がスペインには無いのだ。マドリードでイタリアン・レストランに入ってパスタを頼んで失敗するケースが続出だったがここ最近本格的なイタリアンが増えて来た。最近は何軒か美味しいパスタが頂けるレストランがあるが今日は最近マドリードで話題になっているシチリア人の経済学者が経営するイタリアン・レストラン、ドン・ジョバンニに行って来た。

ドン・ジョバンニ・イタリアン・レストラン


イタリアン・レストランのシェフは経済学者

オーナーシェフはシチリア島出身の経済学者アンドレア・トゥルバレーリョ氏。パスタの原料こだわり材料はイタリアまで買いに行くそう。さらに卵は重要と丁寧な業者を選んで購入しているという事だ。数学者らしくレシピの数字を守れば必ず美味しくできるという考え方で丁寧に数字に従って作っているらしい。

ドン・ジョバンニ

ドン・ジョバンニ・レストラン入り口は普通のスペインにどこにでもあるバル・レストラン風。場所も普通の市内の住宅街なので特に用事が無ければわざわざ来ない地区だ。

ドン・ジョバンニ・レストラン
筆者撮影

14時に予約をしたが早めに到着した。実は当日朝レストランから予約の確認の電話がかかって来て驚いた。13時半ころ、開店早々でまだどなたも来ていませんが今日も満席だそう。今のうちにレストランに了解を得て店内の写真を撮らせていただいた。

ドン・ジョバンニ・レストラン
筆者撮影

かなり広い店舗でざっくり見て100人くらいは座席があるでので想像していたのより随分大きなレストランだ。20席位の厨房が見える個室もあるという事。

ドン・ジョバンニ・レストラン
筆者撮影

ではいよいよ注文しましょう。メニューの表紙はオーナー、アンドレア氏の似顔絵。奥の壁にも額に入った似顔絵がかかっている。

ドン・ジョバンニ・レストラン
筆者撮影

まずはワインを頼む事に。シチリア出身のシェフなのでシチリア・ワインのリーズナブルな値段の物をお願いした。スペインでは20€位の所が普段飲みの値段(お財布具合で皆さん違いますが)でこれは18€。スペイン語で言うなら「Una botella de vino tinto recommendable de Sicilia,con un precio adecuado, por favor」となる。

 

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

シチリアのワインはあまり知られていないが結構美味しい。

ワインと一緒にアペリティボが出てきました。パリパリのパンはサルデーニャ島のパンでパーネ・カラザウ、下にハムが置いてある。スペインだとパンの上にハムだねと言いながらいただきました。他のテーブルを見ると別のアペリティボのテーブルも。

レストラン・ドン・ジョバンニ
筆者撮影

メニューにない「fuera de carta」「フエラ・デ・カルタ」をヘッドウェイターが口頭で。言われるままにおすすめの前菜「ブッラータ」「Burrata」という水牛のチーズを注文。ブッラータはフレッシュチーズでモッツァレーラの仲間。モッツァレーラ・チーズの中に更に中に生クリームを押し込めて袋詰め(本来はツルボランの葉)した濃厚なチーズ。

滅茶苦茶美味しいですが濃厚過ぎて2人では辛かったが、ほぼ完食。

<ブッラータ・チーズは2人でシェアー>

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

シェアーはスペイン語で「compartir」=「コンパルティール」

スペイン語で注文すると「vamos a compartir una de Burrta entre dos」となる。

パンいりますかと聞かれたので「Si」と答えると今度はピザ地のパンでニンニク風味のオリーブオイルがかかっている。想定外のパンでイタリアのどの地域のパンなの分かりませんが美味しかったです。

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

 

 

パスタはレストランお勧めの「イカとアサリのリングイーニちょっとピリ辛」「linguine con calamares y almejas un poco picante」と夫はやっぱりスパゲッティーはトマトソースに限ると「スパゲティー・ボロネーゼ」「espagueti bolonese」を注文。

<イカとアサリのリングイーニちょっとピリ辛>

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

<スパゲッティ・ボロネーゼ>

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

予定ではこの後お肉を注文するつもりでしたがお店の人に止められてやめて良かった、もう不可能でした。周りの人達も前菜にサラダ、メインにパスタ、その後デザートやコーヒーで終了の人が多かったです。

デザートにティラミスをひとつだけ注文しました。

<デザートのティラミス>

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

精算は合計で78,30€、チップは3€おいてきました。スペイン語で清算は「la cuenta ,por favor」「ラ・クエンタ、ポルファボール」

 

ドンジョバンニ・レストラン
筆者撮影

パスタのレベルが格別でした。ピザも美味しいらしいのでまたリピートします。今話題のイタリアン・レストランなので行く方は予約必須です。

ドン・ジョバンニ・レストラン・データ

場所はレティーロ公園の南側、アトーチャ駅から少し東の方へ移動したところ。アグマール・ホテル近く。

住所:Paseo de la Reina Cristina 23,Madrid

電話:91-434 8338

時間:13:30~16:00/20:30~0:00

月曜日定休

<レストラン公式ページ>

http://www.dongiovanni.es/

<レストラン地図>

 

ブエン・アプロベッチョ~

 

マドリードの美術館・博物館には無料で入れる時間がある。マドリード各モニュモント入場無料の情報をまとめてみた 。

 

マドリードには沢山の美術館・博物館があり美術館巡りでだけで充分楽しめる街だ。国立美術館がマドリード市内に14館、市立州立とプライベートを合わせると30館以上ありプラド美術館を代表に素晴らしい作品を鑑賞できる。そしてその中の多くの美術館・博物館に無料で入れる時間や日があり並ぶのを覚悟すれば(プラド以外はあまり並ばない)世界の最高峰の美術コレクションや古代の出土品を無料で見れるのだ。時間さえあればお金はなくてもアートに触れられるようにという太っ腹なシステムで万人にアートをという政策。そんなに貧乏でなくてもせっかく無料なのだからここは便乗させてもらおう。そう、外国人でも旅行中でも在住者でもみんな無料なのです。という事でマドリードを訪れたら是非とも行きたい美術館・博物館とその無料の時間をまとめてみました。

マドリード美術館・博物館無料で入れる時間のリスト


①プラド美術館

スペイン王家のコレクションを中心に展示している国立美術館に無料で入れる。スペイン3大巨匠エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤのほかデューラー、ルーベンス、ティチアーノ、ボッシュ、ブリューゲル、レンブラント等豊富なコレクションを楽しめる。

プラド美術館
筆者撮影

入場料:15€

開館時間:毎日10時から20時、日曜祝日10時から19時

18歳以下と25歳までの学生無料。65歳以上は半額。

<プラド美術館公式ページ>

<プラド美術館無料の時間>

毎日:月曜から土曜18時から20時

日曜祝日:17時から19時

注意:各無料の時間の1時間くらい前から列が出来始めます。ヨーロッパの人が旅行する復活祭やメーデー等の連休の時は長い列が出来ます。

5月18日、11月19日は終日無料


 ②ソフィア王妃芸術センター

プラド美術館には19世紀までのコレクションでそれ以降のアートが納められているスペイン国立近代美術館の事をソフィア王妃芸術センターを呼ぶ。ピカソのゲルニカが有名ですがピカソの初期やミロの初期、ダリの初期なども有り他でお目にかかれない近代絵画や彫刻が鑑賞できる。

ピカソの青衣の女

ソフィア王妃芸術センター
筆者撮影

入場料:10€

開館時間:10時から21時、日曜10時から19時(変更有)

休館日:火曜日

18歳以下、65歳以上無料、25歳までの学生無料

<ソフィア王妃芸術センター公式ページ>

<ソフィア王妃芸術センター無料の時間>

毎日:月曜から金曜の19時から21時

土曜日:19時から21時

日曜日:13時30から19時

4月18日、5月18日、10月12日、12月6日は終日無料

参考:入場口が2つありサバティーニ(ガラスのエレベーター側)の方は無料の時間に列が出来る日もあるが後ろ側に新しいヌーベル入場口が有りそちらは無料の時間も比較的すいている。(時々サバティーニにも無料時間に列が出来る事もあります)

下の写真はサバティーニの入り口の入場券を買う列。

ソフィア王妃芸術センター
筆者撮影

下の写真(右寄り)は同じ時のヌーベルの入り口。ほとんど誰も並んでいない。

ソフィア王妃芸術センター
筆者撮影

③ティッセン・ボルネミッサ美術館

プライベート・コレクションとは到底想像できない質と量を誇るティッセン美術館。ティッセン男爵2代にわたる個人コレクションが展示されている。13世紀のプリミティブ絵画からルネッサンス、バロック、ロココ、印象派、キュービズム、抽象絵画、ポップアート、と殆どすべての時代の絵画をここで鑑賞できる素晴らしい美術館です。

ティッセン美術館
筆者撮影

入場料:12€

開館時間:10時から19時

18歳以下無料、学生と65歳以上割引あり

<ティッセンボルネミッサ美術館公式ページ>

<ティッセン・ボルネミッサ美術館無料の時間>

毎週月曜日:12時から16時

普通の月曜日なら12時に行くと随分並んでいますが13時頃は並ばずに入れる。例外は復活祭の連休やメーデー等はヨーロッパの旅行客で長い列になる時も。


④マドリード国立考古学博物館

Museo  Nacional Arqueologico

19世紀にスペイン王室の収集品をまとめて展示する為に作られたスペイン国立博物館。先史時代のものからフェニキア、カルタゴ、ローマ、ビシゴート、イスラム、中世とここでスペインの歴史を堪能できる。展示の仕方も広々としたところにゆったり置いてあり考古学好きでなくても足を延ばすと楽しめる。入場料払っても3€なので無料じゃなくても是非訪れていただきたい博物館です。

国立考古学博物館
筆者撮影

入場料:3€

開館時間:9時半から20時

休館日:月曜日

<国立考古学博物館公式ページ>

<マドリード国立考古学博物館無料の時間>

土曜日:14時から20時

日曜日:9時半から15時

4月18日、5月18日、10月12日、12月6日は終日無料


⑤王立サン・フェルナンド美術アカデミー

18世紀に設立された絵画、建築、彫刻の芸術学校。国王カルロス3世の時代に現在の場所に邸宅を買い取り改装。音楽部門も設置され美術館と画廊が設けられた。ゴヤはこのアカデミーのディレクターを務め、ピカソ、ダリ、は在籍者だったスペインの一流の芸術学校併設の美術館。ゴヤのイワシの埋葬や自画像を代表に絵画、彫刻、タペストリー、銀細工や陶磁器も展示されている。ソルのすぐ近くなのでショッピングの途中などにもいかがでしょう。

ゴヤ、イワシの埋葬
De Francisco de Goya – Mirar abajo., Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18394275

 

入場料:8€

開館時間:10時から15時

月曜休館、8月休館

18歳以下、25歳以下の学生無料

25歳以上の学生、65歳以上は4€

<王立サンフェルナンド美術アカデミー公式ページ>

<王立サンフェルナンド美術アカデミー無料の時間>

毎週水曜日(祝日の場合除く):10時から15時

5月18日、10月12日、12月6日は終日無料


⑥マドリード王宮

オリエンテ宮殿とも呼ばれるスペイン・ブルボン家の王達が初夏に過ごした宮殿。現在は迎賓館として使用しており公式行事や国際会議等に使われている。公式行事が無いときに一般公開されている。

マドリード王宮
筆者撮影

入場料:10€

マドリード王宮開館時間:冬季10時から18時、夏季10時から20時

10月12日は冬季時間だが17時から21時も開館

5歳以下無料

<マドリード王宮公式ページ>

<マドリード王宮無料の日と時間>

5月18日、10月12日終日無料

下はEU在住者(公式の滞在許可証提示)のみ無料

10月~3月:月曜から木曜16時から18時、

4月~9月:月曜から木曜18時から20時


⑦ソローヤ美術館

光の画家と呼ばれるホアキン・ソローヤのマドリードのアトリエが美術館になっている。小さな美術館にソローヤの美しい作品がたっぷり。マドリードの富裕層の邸宅を見るのも楽しくお庭もセンスが良い。短時間で鑑賞できるので是非とも足を運んでみてください。入場料支払ってもたったの3€です。

ソローヤ美術館
筆者撮影

入場料:3€

開館時間:火曜日から土曜日9時半から20時、日曜日10時から15時

休館日:月曜日

18歳以下と25歳までの学生、65歳以上は無料

https://www.mecd.gob.es/msorolla/inicio.html

<ソローヤ美術館無料の時間>

土曜日:14時から20時

日曜日:10時から15時

4月18日、5月18日、10月12日、12月6日は終日無料


⑧海軍博物館

マドリード海軍博物館はスペインの海軍本部のすぐ横にある国立博物館。無敵艦隊の時代の船の模型や絵画コンパスや地図が納められている。歴史好きや船好きの方には楽しい博物館です。プラド美術館からすぐなので時間があれば寄り道をするといいですね。ファン・デ・コサの書いた1500年の地図は初めてアメリカ大陸が描かれたもの。

海軍博物館
筆者撮影

入場料無料:協力費3€はボランティアで

開館時間:10時から19時 8月10時から15時

休館日:月曜日

<国立海軍博物館公式ページ>

<海軍博物館無料の時間>

毎日無料です。入口で協力費の3€支払っても支払わなくでも大丈夫。

 


⑨ 国立装飾博物館

1912年に設立された国立美術館で建物は貴族の邸宅。建築も素晴らしいが約1万点のコレクションは宝飾品やインテリア、ガラス製品や宝石や陶磁器等。中には日本の物もある。美しい焼き物で飾られたキッチンは必見。

 

国立装飾博物館
筆者撮影

入場料:3€

開館時間:火曜から土曜9時30分から15時と木曜17時から20時、日曜祝日10時から15時。

休館日:月曜日

<国立装飾博物館公式ページ>

<国立装飾美術館無料の時間>

木曜:17時から20時

土曜:14時から15時、日曜終日無料

4月18日、5月18日、10月12日、12月6日終日無料


⑩マドリード市立歴史博物館

1929年に創設された市立歴史博物館は18世紀の病院だった建物。16世紀のマドリードの地図や当時の街の絵があり街の発展の様子がわかる。当時から都市計画の元に街を拡張している事と当時の地図や平面図が保存されているのが興味深い。マドリードの街がどのように発展して来たかの歴史が良くわかる。

アドリード市立歴史博物館
筆者撮影

入場料:無料

開館時間:10時から20時

休館日:月曜日

<マドリード市立歴史博物館公式ページ>

<マドリード市立歴史博物館無料の時間>

毎日終日無料


⑪デスカルサス・レアレス修道院

スペイン国王カルロス1世(神聖ローマ帝国カルロス5世)の娘ファナ・デ・アウストリアが設立した修道院。マドリードの最も賑やかな中心部の近くにありながら一歩足を踏み入れると16世紀の世界。約2世紀にわたって貴族の女性達が俗世から離れて暮らしたクララ会の僧院。ルーベンスの下絵で織ったタペストリーやティチアーノやブリューゲルなども鑑賞できる。

 

レアル・デスカルサス・レアレス修道院
筆者撮影

入場料:6€

開館時間:火曜から土曜 10時から14時、16時から18時半

日曜祝日10時から15時

月曜、公式行事、州の祝日に休館

入場は20名のグループに分かれてスペイン語の説明を聞きながら約1時間15分ほど。当日並んでも入れない事もあるのでネットで予約をお勧めします。

<デスカルサス・レアレス修道公式ページ>

<デスカルサスレアレス修道院無料の日と時間>

5月18日、10月12日終日無料

下はEU在住者(公式の滞在許可証提示)のみ無料

水曜日と木曜日の午後はEU在住者は無料。


⑫セラルボ美術館

作家で美術愛好家だったセラルボ公爵の寄贈した作品が納められている。豪華な邸宅が素晴らしく回廊や広間を見ながら絵画や調度品、コインや彫刻屋甲冑、考古学的出土品等を楽しめる美術館。

セラルボ美術館
筆者撮影

入場料:3€

開館時間:火曜から土曜、9時30分から15時、木曜日17時から20時(木曜が祝日の場合は午後閉館)

日曜祝日:10時から15時

休館日:月曜日

<セラルボ美術館公式ページ>

<セラルボ美術館無料の時間>

木曜:17時から20時

土曜:14時から15時

日曜日:終日無料

4月18日、5月18日、10月12日、12月6日は終日無料


⑬国立ロマンティシズム美術館

19世紀のロマン派の時代の伯爵の邸宅に絵画や家具、装飾品を集めてオープンした美術館。ゴヤの絵もある。

入場料:3€

開館時間:夏9時半から20時、冬9時半から18時半、日祝10時から15時

18歳以下と65歳以上は無料

休館日:月曜日

<ロマンティシズム美術館公式ページ>

<ロマンティシズム美術館無料の日と時間>

土曜日:14時から15時

日曜日:終日無料

5月18日、10月12日、11月16日、12月6日終日無料


⑭ラザーロ・ガルディアーノ美術館

美術愛好家ホセ・ラザロ・ガルディアーノが集めたコレクションがスペイン国家に遺贈された。セラーノ通りの邸宅に中世の金銀細工や宝飾品や象牙細工などが展示されている。絵画のコレクションは素晴らしくボッシュやスルバラン、エル・グレコ、ボッシュ等個人のコレクションの幅の広さに驚く。

入場料:6€

開館時間:10時から16時半(日曜~15時)

休館日:月曜日

<ラザロ・ガルディアーノ美術館公式ページ>

ラザロガルディアーノ美術館無料の時間

毎日:15時半から16時半

日曜:14時から15時

毎月第1月曜:17時から21時


⑮ゴヤのパンテオン(サン・アントニオ・デラ・フロリダ教会)

正式名称はサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ教会。花咲く聖アントニオ教会という名前で天井画はゴヤのフレスコ画。聖アントニオの奇跡の場面が描かれている。毎日のミサで使われる蝋燭の煤でフレスコ画が痛んでしまうので同じ形の教会を横に作り毎日のミサはそちらで行われている。ゴヤはボルドーで亡くなるが後に遺体が移管されており現在ゴヤのお墓にもなっている。

サンアントニオデラフロリダ教会
筆者撮影

入場料:無料

開館時間:火曜から日曜9時半から20時

休館日:月曜日

<ゴヤのパンテオン、マドリード市観光ページ>

<ゴヤのパンテオン入場無料の日と時間>

毎日入場無料


⑯デボ神殿

エジプトのナイル川にあった神殿がマドリードに贈られた。アスワン・ハイダムの建設で水没する様々な神殿を守ろうと各国が援助をした。スペイン政府もそのひとつで援助のお礼に水没するはずだった神殿がプレゼントされた。中に入るとヒエログリフ(象形文字)が綺麗に残るのを見ることが出来る。

デボ神殿
筆者撮影

開館時間:火曜から日曜祝日10時から20時

休館日:月曜

入場無料

<デボ神殿、マドリード市観光ページ>

<デボ神殿無料の時間>

毎日入場無料



注意:休館日以外にほぼ全てのの美術館やモニュメントは12月25日、1月1日、1月6日、5月1日に休館。美術館によって11月1日、8月15日、12月24日、12月31日閉館。それぞれの美術館に確認してください。

紹介したのは一部の美術館でマドリードにはまだまだ多くの美術館博物館があり無料の日時が設定されている。マドリードはアートの宝庫で時間さえ許せば無料で素晴らしい作品を楽しめる街です。

無料時間、開館時間等はは予告なく変更されることが有ります。

スペイン旅行、マドリードから日帰りで行けるおすすめ世界遺産の街

マドリードの地下鉄(メトロ)乗り方や切符の買い方。(注意)ICカード導入で紙の切符は無くなりました

 

マドリードの地下鉄(メトロ)の乗り方や切符の買い方について説明します。マドリード地下鉄(メトロ)の切符は2017年11月から全てICカードに変わり紙の切符は無くなった。一回乗るだけでもICカード=MULTIムルティを購入することになるがMULTIムルティは一旦買えばチャージしながら使っていける日本のSUICAや ICOCAと似ている。違いは複数人で一枚のMULTIムルティを使いまわしても大丈夫、そして市バスにも使う事が可能。日本の切符の様にどこの駅からどこの駅までではなく何回乗るかのチャージ。ただ複数人で使う場合は同じ目的地で降りる場合のみ可能となる。地下鉄(メトロ)の出口に改札は無いが時々抜き打ちの検査があり切符を持っていいないと無賃乗車扱いとなるので注意が必要。必ず同じ行程を移動する場合のみ一枚のICカードで使えると思ってほしい。(同じ駅で下車する場合のみ)

マドリード地下鉄(メトロ)


基本情報

マドリードの地下鉄(メトロ)は解り易く便利。1号線から12号線とR線で合計13路線は色分けされていて非常に明確。

時間:朝6時から02時まで(最終メトロ発01:30分)頻繁に動いている。

マドリード地下鉄
筆者撮影

注意:夏休みなど人の少ない時期にひとつの路線全駅が長期間の路線工事に入る時があります。必要区間に無料バスが走ります。又は工事で一時的に閉鎖されている駅なども有ります。

マドリード地下鉄路線図(Plano de Metro)は各地下鉄の駅に無料で置いてあるので自由に取れる。いつも持っておくと便利です。

マドリード地下鉄切符
筆者撮影

マドリード地下鉄路線図

マドリード地下鉄路線図
metro de madrid

マドリード地下鉄切符の種類

sencillo 一回券=1,5€から2€(5駅目まで1,5€/6駅目1,6€/7駅目1,7€と上がり10駅以上は2€均一)出るときに検札はない。(という事は1,5€でどこまでも行けるわけですが乗るのから買うという事です)

 *初めて購入の時のみICカード「ムルティー」の金額2,5€が加算される*1回券は購入の日のみ使用可

Abono 10 Viajes10回券10回分の回数券(市バスも可で複数人でも使える)12,20€(物価高騰中につき2023年6月30日まで半額中)

*初めて購入の時のみICカード「ムルティー」の金額2,5€が加算される。

 

Targeta Turisticaツーリスト切符=1日券から7日券まで。市バスと市内のレンフェ(スペイン国鉄)にも乗れて空港サプリも含む。当然ですがツーリスト切符は1人1枚購入が必要。

1日券8,4€、2日券14,20€、3日券18,40€、4日券22,60ユーロ5日券28,80€、7日券35,40€(6日券は無い)

 

どのくらい使うのか、ホテルの位置や1日の動き方でかなり個人差がある。空港から乗るならツーリスト切符は空港サプリメントの3€とムルティーが含まれるので1日券を購入するとお得感ありますね。それぞれの動きによって違うのでどれを買うのか考慮してみてください。

マドリードはタクシーも安くて安全です。夜遅くや荷物が多いときはタクシーを勧めています。

*空港からのメトロにはスリもいますので貴重品に注意。

<マドリード地下鉄ICカードムルティーmultiこれです>

マドリードメトロカード

路線は色分けされていて解り易い

黄色は3号線、茶色は4号線、グレーは6号線と色分けされている。写真一番下の緑のSALIDAは出口の事。

マドリード地下鉄
筆者撮影

 

改札は全て自動改札機で入る時は体の右側にMUTLI(ICカード)を持ち緑色の所にタッチ(他の種類の機械もある)すると正面のガラスの入り口が開く。駅によって入口の形は様々。

マドリード、メトロ乗り方
筆者撮影

ここにMULTI(ICカード)をタッチすると扉が開く。

マドリード、地下鉄乗り方
筆者撮影

各号線の番号や色と最終駅の名前を確認しながら進めば行先のホームに着けるようになっている。

マドリード地下鉄
筆者撮影

ホームにも3号線なら黄色という風に色で確認でき解り易い。

マドリード地下鉄
筆者撮影

ホームに次の電車あと1分の掲示板。地下鉄は頻繁に来る。

マドリード地下鉄
筆者撮影

乗り換える場合は写真の様に3号線はこっち4号線はあっちと矢印があり、さらに最終駅の名前を見ながら進むと乗りたい地下鉄ホームへたどり着ける。

マドリード地下鉄
筆者撮影

 

外へ出るときは検札はないのでSALIDA=出口の矢印に進み下の写真の様に頭上に緑の矢印がある方へ進むと自動的に扉があく。

マドリード地下鉄

地下鉄の駅によってはこのように簡単な出口も。いずれにしても出口には切符の検札は無い。SALIDAという標識を目指していけば外に出られる。

マドリード地下鉄
筆者撮影

SALIDAの標識。地下鉄駅により出口が何か所かあったり更に道の両側に出口があったりするときはこのようにどちらが近いかの矢印がある。

マドリード地下鉄
筆者撮影

 

マドリード地下鉄(メトロ)切符の買い方


マドリード地下鉄切符の自動販売機の基本操作

 

マドリードの地下鉄の切符は全てタッチパネルの自販機で有人切符売り場は無い。

アドリード地下鉄切符売り場
筆者撮影

自販機タッチパネルの最初の画面はこれ。「メトロ・デ・マドリード」「マドリード地下鉄」のロゴが出ている。この画面に触れると購入画面に変わる。

マドリード地下鉄、切符自販機
筆者撮影

タッチパネルに触れると購入画面に変わる。このままだとスペイン語。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

左上に言語を選択できるボタン。英語、フランス語、ドイツ語から選べる。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

左端のイギリスの旗の所を手で触ると画面が英語になる。使いやすい言語を選んで使ってください。

マドリード、メトロ切符自販機
筆者撮影

初めて切符を買う場合はMULTIと一緒に切符を購入します。この右側のAcquire card=カードを入手をタッチ。すでにMULTIがあれば左側のInsert Your Card=カードを入れるをタッチする。(下の方に別途MULTIを持っている場合の項目あり)

マドリード地下鉄、自販機
筆者撮影
10回券の場合

ここから10回券の買い方。ツーリストパスや一回券は下の方別項目。英語に変更しても一部はスペイン語のままです。この状態だと一番上の1VIAJE=1回券が選択されている。10回券を購入なら右側の矢印を触り10VIAJESを選択する。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影
マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

右側の矢印をタッチして10VIAJESを選択し下のACEPTOボタンにタッチ。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

画面が変わりメトロブス10回券と一番上が選択されているので下のACEPTOボタンにタッチ。金額は12,20€と出ている。再び下のACEPTOボタンにタッチすると画面が変わる。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

10回券の金額12,20€ににMULTIの値段2,5€が加算され14,70€となった。20回分入れるなら右下の+を押して数字を2にする。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

これで良ければ下のACEPTOボタンにタッチする。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

レシート必要ですかの画面になるので必要ならSI不要ならNOにタッチ。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

カチッと音がしてお金を入れるところとクレジットカードの差し込み口が提示される。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

 

支払い方は下の方「マドリード地下鉄自販機の支払い」に説明してあります。

ツーリストパスの場合

最初の画面から右側の矢印を下の方へ移動しAEROPUERTOをもう一度押すとツーリスト切符に文字が変わる。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

写真の様に矢印を下していくと「DE 1A 7DIAS」「1日券から7日券のツーリスト切符」選択されている文字が変わった。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

これで良ければ下の緑色の文字ACEPTOボタンにタッチする。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

通常と子供という意味の画面に変わる。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

通常の市内利用ならTURISTICO ZONA AツーリストゾーンA。郊外線に乗る場合はその下のすべてのゾーン用になる。地下鉄マップで確認して選んでください。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

ここでは通常のツーリスト切符を選択。このままだと1日のツーリスト切符なので2日券や3日券の場合は金額の上の矢印で変更できる。下の緑色の文字ACEPTOにタッチする。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

合計金額が表示された。空港からの場合の空港サプリメント3€もMURUTIの2,5€も含まれる。これで良ければ下の緑色の文字ACEPTを押して支払い。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

コインや紙幣を入れる場所とクレジットカードを差し込む場所が支持されるので支払って完了。支払い方は下の方「マドリード地下鉄自販機の支払い」に説明してあります。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影
一回券の購入の場合

マドリードの地下鉄は以前均一料金だったが今は最高2€まで値段が変わる。最初の5駅目までは1,5€で6駅目は1,6€7駅目は1,7€。なので一回券の場合のみ行先を選ぶことになる。

1VIAJE=1回券の所の色が少し違うので選択したことになっている。

マドリード地下鉄自販機
筆者撮影

画面下の緑色の文字ACEPTO ボタンにタッチすると画面が下の写真の様に変わる。

メトロマドリード地下鉄切符
筆者撮影

 

通常のメトロ市内ならAゾーン(地下鉄の路線図で確認できます)写真下は一番上のSENCILLO METRO ZONA AはA-Zoneの一回券が選択されている。これで良ければ下の緑のACEPTO 文字ボタンにタッチする。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

画面が下の写真の様に変わりの次は行先を探す。まずは何号線に乗るのかで地下鉄(メトロ)の号線の一覧が出るので路線図で調べておいてその番号を押す。ここでは3号線でソルへ行くことにします。黄色い3をタッチ。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

画面が下の写真の様に変わり今度はアルファベット順に駅名が出るのでSolを見つけてタッチする。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

(下)MULTIの2,5€とソルまでの一回券1,5€で4€と金額が表示された(乗る駅の数によって最高2€まで)。下の緑の字ACEPTOボタンにタッチする。もし二人分買うならその上の数字を1から2に+で変更できる。(繰り返しになりますが1枚のMULTIで2回分入れて2人で使えます)

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

ACEPTを押すと下の様に画面が変わる。これはレシートが必要かどうかの質問。いるなら上の緑のYes,不要なら下のNoにタッチする。赤いびっくりマークは一回券は本日しか使えませんよの注意。

レシート必要ならYESにタッチ

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

レシート不要ならNOにタッチ

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

 

マドリード地下鉄自販機の支払い

カチッと音がして料金を入れるところに電気が着くのでカードか現金で支払い。現金はコインと紙幣が可能。

 

カードならここへ。カードの場合はここにクレジットカードを挿入。

マドリード地下鉄(メトロ)切符自販機
筆者撮影

画面が暗証番号を入れてくださいになる。大切な暗証番号は片手で隠して入れましょう。

マドリード地下鉄自動販売機
筆者撮影

 

暗証番号入力用のパネル。最後にOKを押して終了。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

 

コインならここへ入れる。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

機械の種類がいくつかあってお金を入れるところが違うが紙幣の場合は下の写真の様にユーロの紙幣の絵が入っている。

注意:50€紙幣や20€紙幣も入るがおつりはコインになり全部20セントと50セントで出てくる可能性もある。スロットマシンみたいになります。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

ムルティーを持っている場合

ムルティーを既に持っていてチャージする場合を説明します。画面にタッチして左側のInserte su tarjeta=あなたICカードを入れてくださいにタッチすると次の画面でICカードを入れてくださいとなる。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

ムルティーを入れるところが電気で光るのでそこにムルティーを差し込む。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

後は上記説明の初めて切符を買う場合と同じで一回券を買う場合は下のACEPTOをタッチ。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

一回券を買う場合のみ移動駅数で1,5€から2€の違いがあるのでどこまで行くかの細かい設定。ここからは上記を参照してください。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

10回券を買う場合も上記と同じで右側の矢印をタッチして10VIAJESに移動させ下のACEPTOをタッチして選択する。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影
マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

合計12,20€なのでクレジットカード又は現金で支払いをする

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

レシートいりますかの質問なので必要ならSi不要ならNoをタッチすると支払いとなる。カード、現金で支払いが可能です。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

支払い方法は上記を参照してください。

空港から又は空港へは空港サプリメント3€が必要


空港から地下鉄に乗る場合と空港に到着する時のみ3€のサプリが必要。持っているMULTIに後からチャージも出来るし初めて空港から購入するなら同時にサプリメントを入れて購入もできる。または購入した後に再び3€のサプリメントを加算も可能。空港は通常係りの人が何人かいる。わからなければ助けてもらいましょう。

写真はマドリード・バラハス空港ターミナル2の地下鉄切符売り場。着いたばかりの外国人の観光客が多いのでいつも混んでいます。

マドリード地下鉄
筆者撮影

 

エレベーター正面は随分人がいましたが横の方は誰も並んでいません。混んでいたら周りを少し確認すると空いている機械があることも。

アドリード地下鉄切符売り場
筆者撮影

 

空港から市内へ地下鉄の場合

上記説明と同様にタッチパネルに触れて進んでいきこの画面になる。今このままだと一番上の1回券(1VIAJE)が選択されているのでAEROPUEROTOに右側の矢印を触って下げていく。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

選択すると下の様に支払い画面に変わる。MULTIが2,5€、10回券が12,20€、空港サプリメントが3€合計17,70€。これで良ければ右下の緑の字ACEPTOをタッチ。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

下の画面は上記と同じくレシートいりますかの質問なので必要ならSI不要ならNOを押して支払いになります。カード、コイン、紙幣で支払えます。(クレジットカードのみの機械もある)

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

 

市内から空港到着時も機械で支払える

市内から空港に行くときも先に3€の空港サプリメントをチャージしておくことも出来るし、到着した時に自販機で3€のサプリをチャージすることも可能。たまたま残っている回数券で地下鉄に乗って空港に到着した場合、到着地の空港でもサプリメントの3€を支払うことが出来る。

(下)マドリード空港ターミナル4の地下鉄到着のホールに3€のサプリメントを入れる機械が並んでいる。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮影

タッチパネルに触れると下の写真の様に[ICカードを入れてください]と表示されるので自分のMULTIカードを入れて3€を支払い自動改札へ進む。3€のサプリメントがチャージされていないと改札は通れない。

マドリード地下鉄切符自販機
筆者撮

最後に

以上マドリード地下鉄の乗り方と切符の買い方をまとめました。説明を読むと長いですがタッチパネルに触って進んでいくと簡単に使えます。制服を着たマドリード地下鉄の職員がいるので困ったら手伝ってもらえる。お金を出し入れする時、電車の中はスリなどに注意してください。マドリードの地下鉄は非常に解り易く便利です。使いこなすと旅行者の強い味方となります。くれぐれも盗難だけは注意して楽しいご旅行を~。BUEN VIAJE!

 

マドリードで美味しい生ハムを食べるならメゾン・シンコ・ホータス、イベリコのベジョータがあるお店

 

美味しい食べ物が沢山あるスペインですが絶対食べて帰りたい物のひとつが生ハム=ハモン=Jamon。ところが生ハムはまだ日本では正しく紹介されておらず最高級品はほとんどスペイン国内で消費されるので日本で食べるチャンスはあまり無い。今日は生ハムの中でも最上級のイベリコのベジョータがあるメゾン・シンコ・ホータスというレストランを紹介します。

*とっても個人的な意見ですがパエリアは日本のパエリアの方が日本の方の口にあうのでスペインで食べなくても良いと思っていますが本物の美味しい高級生ハムはスペインでしか食べれないので試して帰っていただきたい!と強く思っています

メゾン・シンコ・ホータス


ワイナリーと牧場とレストランを経営する多角経営の企業が展開するメゾン・レストラン。現在マドリードに3店舗バルセロナとセビージャにそれぞれ1店舗ずつ。ここが持つ生ハムはカテゴリー最上級のイベリコのベジョータ。自社経営の牧場からやって来る自信の最高級生ハムを楽しめるメゾン・レストランです。

生ハムにはカテゴリーがあり豚の種類や豚の食べる飼料によって細かくクラス分けされている。メゾン・シンコ・ホータスには最上級のイベリコ(Iberico)のベジョータ(Bellota)が必ずある。その産地はハブーゴ村という生ハムの聖地にあたる地区だ。お店の名前シンコ・ホータスのシンコはスペイン語で数字の5、ホータはアルファベットのJの事。5つ星ホテルや3つ星レストランなどの格付けあるがここはハムの格付けを自社で5つJとレストランの名前に付けた。

<メゾン・シンコ・ホータス入り口>

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

 

生ハムの種類・カテゴリー


スペイン語でハム全体をハモン=Jamonというが一般的には生ハムの事だけをハモンと呼ぶ。日本でハムと呼んでいる物はハモン・ヨークやハモン・コシードと呼ばれている。そのハモンは更に豚の種類と食べた飼料で細かく分かれている。日本人にとってのマグロに似ている扱いでスーパーマーケットでも庶民派レストランでも高級レストランでもとにかくどこでも目にするがその違いは非常に大きい。

ハモン・セラーノ=Jamon Serrano

セラーノはスペイン語で山の事で山のハムという意味。日本でレストラン・メニューにある「生ハムメロン」に使うのはこのセラーノ・ハム。スペインのホテル朝食のブッフェに良く並んでいるのもこれです。主に白豚で豚の種類のほとんどがこの白豚。

ハモン・イベリコ=Jamon Iberico

今は希少価値が高くなったハモン・イベリコ(イベリコ豚)は黒豚で爪の所が黒いのでお店でつるしてあると爪の所を見ると良くわかる。イベリコ又はパタネグラとも呼ぶ。白豚より成長が遅く大量生産に向かないので広大な牧場で1ヘクタール当たり一頭位の基準で放牧する。

更にカテゴリー分け

その中でもドングリ畑で放牧をしたものだけをBellota=ベジョータと呼ぶ。ベジョータはスペイン語でドングリの事。途中他の飼料も与え放牧したものをセボ・カンポ、放牧をせず人工飼料も与えた黒豚をセボと呼び分けている。生ハムのラベルに明示されている。

メゾン・シンコ・ホータスはイベリコのベジョータの聖地ハブーゴからやって来る本物のパタネグラを持っているレストランなのです。

コルタドール・デ・ハモン=ハム切り職人

更に生ハムの味を左右するのはハムの切り方。マグロも切り方や仕留め方が味を左右するのと同じで生ハムも切り方が重要になる。機械切りの店も多い中ここは手で職人が丁寧に切ってくれる。脂身と赤みを上手にナイフを上下させながら一番おいしい状態に切ってくれるお店です。

 

 

メゾン・シンコ・ホータス・セラーノ店


メゾン・シンコ・ホータスは現在マドリードに3店舗。今日はセラーノ店に来ました。この辺りはハイソな地域で来ている方々もエレガントな感じで夏はテラスも素敵です。

<メゾン・シンコ・ホータス、セラーノ店>

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

店舗は小さく30席ほどのこじんまりしたお店です。写真下の右寄りにぶら下がっているのが生ハム=ハモンイベリコ。実はハモンというと後ろ足の事で前足はパレータと別の名前で呼ぶ。メニューには前足(パレータ)と後ろ足(ハモン)の両方ありハモン(後ろ足)の方が脂がのって美味ですがパレータ(前足)の方を好む人もいる。

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

(下)メゾン・シンコ・ホータスのメニューの最初のページ。一番上がハモンJamon(後ろ足)で2列目がパレータPaleta(前足)。値段は最初が一皿(ウナ・ラシオン)の値段で次のはハーフ・ポーション(メディオ・ラシオン)の値段。ハモンを一皿が24,5€ハーフポーションだと18€、パレータだと一皿が20,5€でハーフポーションで15€になる。

<メゾン・シンコ・ホータスのメニュー>

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

(下)カウンターに生ハムが置いてある。爪に注目、黒いのはパタネグラと呼ぶイベリコの証。

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

(下)生ハムを注文したので早速コルタドール(生ハム切り職人さん)が切りはじめたところをお断わりして写真撮らせていただきました。真剣勝負です。

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

切り方で味が違うと言われる生ハム切りはプロの職人の仕事。スペインでは生ハム切り職人のコンクールまである大変熟練のいる仕事。「あの人が切るハモンが食べたーい」と言われる職人がいるのだ。

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

(下)丁寧に一切れ一切れお皿に乗せていきます。赤みの間に少し白っぽい点が見えるのがイベリコの特徴。味は、甘い。高級マグロのトロに似ている。全く塩気を感じない口の中でとろける脂の甘味が心地良い。赤ワインのとの相性が抜群です。メゾン・シンコ・ホータスはワイナリーも持っているので美味しワインが有ります。

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

2人で一皿位は量的に丁度いいと思う、というかそれくらいは食べて帰ってくださいッ!スペイン語で注文の仕方は「ウナ・ラシオン・デ・ハモン・イベリコ・ポルファボール」ハーフポーションでいいなら「メディオ・ラシオン・デ・ハモン・イベリコ・ポル・ファボール」となります。ラシオン(racion)が一皿でメディオ・ラシオン(medio racion)が半分です。

生ハムと一緒にパン・コン・トマテpan con tomate はどうですか?と聞かれます。パンにトマトの擦ったものを塗ってある一品。これと一緒にハモンを頂きます。

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

夕食ならハモンとワインとパン・コン・トマテで終わってもスペイン的に丁度いい(スペインでは夕食は軽い)、もう少ししっかりいただきたい場合はカルタ(品書き)に色々なものがあります。これはイベリコ豚のステーキ。

イベリコの肉は焼いて食べるのに少し野性味が有るので味のしっかりしたソースでいただきます。中身が少しピンク色位が一番おいしい食べ方。70度過熱が豚肉を一番おいしく頂ける温度で菌も無くなるので桜色位で絶妙な焼き加減となる。

メゾン・シンコ・ホータス
筆者撮影

メゾン・シンコ・ホータスは現在スペイン合計5店舗、マドリード3店舗です


今回はセラーノ店(アメリカ大使館近く)に行ってきましたが他にマドリードならホルヘ・ホワン店(国立考古学博物館近く)とパドレ・ダミアン店(レアル・マドリード・サッカー場近く)、セビージャは闘牛場近くとバルセロナのランブラ・カタルーニャ店が有ります。うまく時間がある時に是非美味しい生ハムを召し上がって帰ってくださいね。

メゾン・シンコ・ホータスのホームページです

https://www.cincojotas.es/restaurante-5-jotas/

*注意*以前あったマドリードのアレナル店とサンタ・アナ店は現在閉店しています。このホームページにある5店舗(上記に書いた)が現在営業中。

グーグルマップ付けておきます。

その後のカタルーニャ独立問題、プッチダモン元カタルーニャ知事ドイツで逮捕から釈放

 

カタルーニャ独立問題、激動のその後。国際逮捕状が出てからドイツで逮捕されたカルラス・プッチダモン元カタルーニャ州知事、ところが4月7日に7500ユーロの保釈金で釈放されマドリードに激震が走った。一方カタルーニャ議会は今だ州知事を選任できずこのままだと再選挙の可能性も見えて来た。スペイン中央政府は独立派のカタルーニャ政府を何としても握りつぶしたい用だがここに来てカタルーニャ独立問題は国際問題化し始めた。自分の忘備録としてまとめました。

選挙からプッチダモン氏の逮捕までを振り返ってみた

過去記事と重複するが10月1日の違法の独立投票の結果は43パーセントの投票率と90パーセントの独立賛成、しかも投票箱は公式の物ではなく同じ人物が2度3度投票したケースもあったという信用度の低い投票結果。これで「民主主義だ」と声を高らかに主張する独立派。その後の本格的な大企業のカタルーニャからの本社移転が続きこれが本当にカタラン人たちが望んでいた事なのかと思う。欧州の民族問題は複雑で、お金に支配されない信条を持つ人々が住んでいるこの国ではそれも良しなのかもしれない。1975年まで独裁者により弾圧されていたカタルーニャの人々は何を手に入れ何を失ったのか。

カタルーニャの独立の歴史はこちらの記事をどうぞ

<カタルーニャの独立問題、なぜこんなに揉めているのかまとめてみた>

独立宣言から時系列で


2017年10月10日

世界中のジャーナリストが注目をした違法のカタルーニャの独立投票が終わり力で押さえつけた「悪のスペイン政府xかわいそうなカタルーニャ」の構図は間違いなく世界に発信された。これだけでもカタルーニャの独立運動は成功だったかもしれない。その後の最初の州議会の日が10月10日だった。この期間にプッチダモン州知事はヨーロッパ各国に政治的介入を求めていたがおそらくこの日は朝から議会内部は喧々諤々だったに違いない。プッチダモン州知事は腰が引けているようにも見えたがCUPとANCは本気で独立へ向かってまっしぐらだ。

独立宣言と撤回

この日私もテレビの前で実況中継を見ていた。10月10日は朝から州議会場のあるシウダデーラ公園の州議会場はジャーナリストたちと議員や職員以外の立ち入りは禁止されていた。夕刻には地元の独立派の人々用にスクリーンが準備され独立宣言を祝う準備は完璧に見えた。ところがプッチダモン氏は独立を宣言した後すぐにその効力の停止を発表した。しばらく凍り付いたその場は落胆する独立派のカタラン人たちの脱力する姿で埋め尽くされた。

憲法155条

10月11日

スペイン首相マリアーノ・ラホイ氏は独立宣言をしてすぐに撤回したカルラス・プッチダモン州首相に「あれは独立宣言だったのか、その解答を待つ」と5日間待ちましょうとポールを投げた。独立宣言だった場合は憲法155条が発動しカタルーニャの自治は一旦中央政府の元にわたる。

*スペイン憲法155条一部抜粋=自治州が憲法もしくは他の法律により課せられた義務を履行せず、又はスペインの全体利益を深く損なう行為をなすときは内閣は上院の承認を得て必要な措置及び自治州に対し支持を与えることが出来る。

10月16日

憲法155条の適応についてはマドリードの与党だけでなく条件付きで野党の社会党との合意を結ぶ。

カタルーニャ州知事プッチダモン氏は明確な返答を避けスペイン首相マリアーノ・ラホイ氏に対話を求めたが拒否される。カタルーニャ警察署長トラペロ氏とカタルーニャ民族会議代表(ANC)ジョルディ―サンチェス氏、とオムニウム代表のジョルディー・クシャール氏はマドリードのAUDIENCIA NACIONAL(中央管区裁判所)に出頭命令。9月20日のカタルーニャ州政府関係者の逮捕を受けての住民デモの扇動が理由らしいが警察署長トラペロ氏は保釈金とパスポートの没収で釈放され、サンチェス氏とクシャール氏はそのまま刑務所(マドリード郊外ソトレアル)で拘束され今も刑務所にいる。

10月19日

スペイン中央政府からカタルーニャ政府への「あれは独立宣言だったのか?」の問いの最終期限日プッチダモン州首相は再び「対話」を求め「もし中央政府が憲法155条でカタルーニャ政府の機能を剥奪するならカタルーニャは分離独立峰を議会で正式に採択する」との返答にスペイン中央政府は憲法155条の適応を決定。

スペイン上院で155条の適応が決定した。

10月26日

カタルーニャの独立派の内部は一枚岩ではなく「強靭独立派=CUP」「スペイン政府の中で強い自治権のままうまくやって行きたい派=PDeCAT」の連合政権で着地点が見つからない。CUPとCTRの独立支持政党は中央政府が憲法155条の手続きを終える前に一方的独立宣言=DUI(DeclaracionUnilateral de Independencia)を採択しようとしていたが経済界と結びつきが強いPDeCATは憲法155条が採択される前に上手く立ち回れたらと後ろで動き始めた。

中央政府はカタルーニャに「議会を解散し州議会選挙を実施した場合憲法155条の適応はしない」と語りかけたがその条件はカタルーニャには不利な条件でどちらも全く歩み寄りを見せず平行線が続く。「すり合わせ」や「折り合いをつける」という考えは全く無い。

10月27日

政府上院はは憲法155条をカタルーニャ政府に適応すると承認しカタルーニャ州議会は「DUI=一方的独立宣言」を採択した。検察はプッチダモンら州政府幹部を「反逆罪」等の容疑で告訴し、中央政府は同時に12月21日にカタルーニャ州議会選挙をすると発表。憲法155条による自治権停止は選挙までの期間となる。

ブルッセルに登場したプッチダモン氏


カタルーニャ政府の解体

中央政府はカタルーニャの自治政府の様々な機関を解体した。全国管区裁判所はプッチダモンら(元)カタルーニャ政府幹部を11月2日にマドリードへの出頭を命令。出頭しない場合は逮捕状が発行されることになる。10月30日にはカタルーニャ側も選挙に向けて動き出した。

ブリュッセル

そんな中プッチダモン元州知事と5人の州政府元幹部がベルギーのブリュッセル突如現れた。ベルギーは北部と南部のデリケートな民族問題を抱える国で欧州議会がある。そこにやって来たカタルーニャの独立派幹部たちはベルギー政府にとっては招かれざる客だっただろう。その数日前にベルギーの移民相が「もしプッチダモンがベルギーに亡命を求めるならば可能性がある」と発言していた。始めは政治亡命かと報道されたがその後の記者会見でプッチダモン氏は「安全を確保し正当な裁判」を求める為と語った。

プッチダモン氏らは辣腕弁護士ポール・ベカルシト氏を雇い入れた。ベカルト氏は以前にバスクのテロのメンバーを亡命させた人物。そして11月2日の裁判所の出頭には応じずモニターによっての審問を希望した。スペイン検察庁はこれにより「亡命の危険」があるとの理由で召喚に応じた元州政府幹部を刑務所に送り身柄を拘束した。

2017年12月21日カタルーニャ選挙とその後


12月21日カタルーニャ選挙

カタルーニャ各政党は選挙に向けて動き出した。カタルーニャ議会の定数は135、投票率82パーセント、比例代表制で過半数は68議席。結果、独立派(3党合計議席)70、得票率47,49%、反独立派(3党合計議席)57、得票率43,49パーセント、中間派10。合計を見れば独立派が過半数だったが独立派の中は一枚岩でなく「独立」のみが共通の連合政権。この選挙で一番議席数を増やしたのは反独立派のシウダダーノスだった。シウダダーノスには都市部に生活するスペイン人労働者階級の支持者が多い。経済活動活発なカタルーニャには1950-60年頃からスペイン南部から多くの国内移民が働いておりこの層の代弁者だ。

<カタルーニャ議会場>

カタルーニャ議会場
Description
Català: Parlament de Catalunya, al parc de la Ciutadella (Barcelona)
Date 16 April 2011
Source Own work
Author Enfo
動けないカタルーニャ

選挙で勝利した独立派の内部が共有するのは「独立」だけの連合政権で州首相選びが難航する中ベルギーにいる前カタルーニャ州首相カルラス・プッチデモン氏で何とか合意を得た。議会総会は1月30日と決まったが彼は昨年10月1日の違法選挙と独立宣言により国家反逆罪の疑いでスペイン政府から告訴されておりスペインに戻れば即刻逮捕、有罪となれば最大30年の禁固刑が待っている。そこでプッチダモン氏が出した案はベルギーから遠隔でインターネットを使って議会に出席して州知事に任命されるという案だったがこれは政府与党の圧力の元却下された。プッチダモン氏はスペイン最高裁判所に対して逮捕されずに首相指名投票に出席できる方法を模索したが万策尽きた。

この日はプッチダモン氏が何らかの方法で州議会に登場して州首相に任命されるのではないかとスペイン政府は神経をとがらせていた。空からパラシュート、いや車のトランクに隠れてでもスペインに入国するのではないかという事でカタルーニャ州議会場周辺は厳しい警備が行われた。独立派の人々はプッチダモンの顔がコピーされた紙のお面をかぶり街に出て警察を混乱させた。しかし1月30日に予定されていた州議会は州知事候補者の出席が無いまま流れた。

混乱の中での州首相選び

プッチダモン氏を合法的に州首相とする方法は全て不可能となり拘留されているジョルディー・サンチェス氏を州首相に決めようとするが最高裁が仮釈放をするわけも無くこの話も立ち消える。3月20日、そこで保釈金で釈放中のジョルディ・トゥルイユ氏を新たな州首相候補と決めた。

<ジョルディ―トゥルイユ氏>

ジョルディ―トゥルイユ
wikipedia
CC BY 2.0Description
Jordi Turull a la sessió de control del Ple del Parlament
Date 15 October 2014, 12:04
Source Jordi Turull a la sessió de control del Ple del Parlament
Author Convergència i Unió

 

ところがその翌日3月21日にスペイン最高裁はそのジョルディ・トゥルイユ氏を含む独立派幹部に召喚状を出した。緊急にカタルーニャ議会は総会を前日3月22日に開きトゥルイユ氏がマドリードに行く前に州首相に決めようとしたが、ここで一枚岩でない独立派の弱点が浮き彫りになった。CUPがトゥルイユ氏に賛成に票を投じず過半数に届く事が出来ない。(ジョルディ―・トゥルイユ氏は資本主義派でアルトゥール・マスの流れの人物、CUPは反資本主義を掲げるグループ)そしてこの日も新首相を決められ無いままとなる。

翌3月23日前州政府閣僚たち6人がマドリードの最高裁判所に呼び出されたがその中にマルタ・ルビラ氏の姿が無かった。置手紙「スイスへ行く」を残して消えた。(スイスにはCUPのアナ・ガブリエルが既に亡命しているので何らかの形で合流するであろう)マドリードに出頭した5人はそのまま刑務所に監修された。

衝撃のニュース


ドイツでプッチダモン氏逮捕

同日3月23日スペイン最高裁判所よりプッチダモン元カタルーニャ州首相達6人に一旦取り下げられていた国際逮捕状が出された。その時ジュネーブの国際人権フォーラムに参加していたプッチダモン氏はその後フィンランドのヘルシンキへ向かい24日にヘルシンキ大学での討論会に出席する予定だった。危険を感じたプッチダモン氏はヘルシンキから姿を消した。ベルギーに帰る飛行機の予約をしていたが空港にはあらわれず再び「プッチダモンを探せ」が始まった。後から分かったのは彼らはフィンランドからフェリーでスウェーデン、デンマークそしてドイツに入りベルギーに向かおうとしていたらしい。スペインのCNI(CIAのような組織)はフィンランドで既にプッチダモン氏の車に発信装置を取り付けて動きを掴んでいた。動きを掴んだCNIはドイツ国境を越えたところでドイツの警察に連絡を入れ逮捕に至ったニュースはスペイン中を激震させた。さらにこの車に同乗して運転していたのはなんとカタルーニャの警察官だった。

さらに激震は続く

プッチダモン氏はドイツのNeumunsterの刑務所に収監されスペイン当局は身柄引き渡しを要請した。ここで問題はスペインの法律では反逆罪で逮捕状が出ているプッチダモン氏だがドイツの司法の反逆罪と解釈の違いである。ドイツの反逆罪は「暴力を伴う場合」となるのでプッチダモン氏の場合は当てはまらないとのドイツ司法の判断となり4月5日に7万5000ユーロ(訳1000万円)の保釈金で仮釈放された(ANCが資金を準備)。ドイツ検察庁もその決定に異議なしと発表しスペイン側には再び激震が走った。

刑務所から出て来たプッチダモン氏は待ち受けた世界各国のジャーナリストに対し英語で「スペイン政府による人権抑圧と政治犯にの囚人がいることは欧州の恥だ」と語った。

スペイン与党の面目丸つぶれ

国家反逆罪が適用されればスペインへの強制送還となるが暴力が伴わない為適応されないとすれば罪状は「公金横領=公金による不正な選挙」のみとなる。同時にベルギー検察も3人の元カタルーニャ州政府幹部たちを保釈金無しで開放した。こちらも国家反逆罪が認められなくスペインへの引き渡しはおそらく無くなった。

すでに3月10日クララ・ポンサティ―氏(元教育委員長)はベルギーからスコットランドに移動していた。彼女はもともとスコットランドの大学教授だったがカタルーニャ州政府に関わっていた為プッチダモン氏達とベルギーに亡命していた。今回スコットランドの大学に復職することになったがスコットランドの大学側は国際逮捕状が出ることは承知の上での復職の承認である。国際逮捕状に対し英国警察は自主的に出頭を求め、ポンサティー氏は3月28日警察に向かうが身柄は解放された。保釈金4万ポンド(約600万円)に対しては彼女の支持者たちがスコットランドでカンパを呼びかけるとたちまち5倍の20万ポンド(約3000万円)が集まった。そう、スコットランドはイギリスからの独立運動が盛んでカタルーニャの独立運動に対しては寄り添っている立場なのだ。

国際問題化

逮捕状が出る前にプッチダモン氏はスイスに亡命中のCUPのアナ・ガブリエル氏とジュネーブでスペイン政府のカタルーニャに対する弾圧について活動している。カタルーニャの独立問題はここに来て国際問題化し始めた。これをカタルーニャ側が計算して動いていたとは到底思えないがスペイン政府にとっては想定外の展開となってきた。プッチダモン氏らの動きを見ているとヨーロッパにかなりのカタルーニャ支援組織やカタルーニャの地下組織があり援助をしているに違いない。そしてANCに代表される民間組織の潤沢な資金はおそらく海外からも調達されているのだろう。これらはフランコの独裁政権時代からコネクションに違いなく私たち日本人には想像の出来ない団結力とシステムを持っていると思う。今後のカタルーニャについても目が離せない状態です。

最後に


フランコ後のスペインの中でカタルーニャは自治権を取り戻し経済的にも発展し多くのカタラン人たちはそれ程独立を強くは望んでいなかったのではないか。現カタルーニャ議会も独立派と反独立派は約半分ずつ。何度選挙を繰り返してもまずこれに変化はないだろう。浮動票が少なく多くが考えを変えない支持層。経済発展を遂げたカタルーニャには国内移民の2世3世も多く住んでいて純粋カタラン人たちとの間には大きな溝がある。この溝が深くなった功罪はカタルーニャの政治家たちにあり私利私欲に走り焦点を独立に見せかけ扇動していった背景がある。民衆は振り回されカタラン人のそしてスペインの中で大きく人々が分断されて不信感のみが増大した。多くの企業がカタルーニャから逃げて行き行先が見えない中カタルーニャは21世紀に再びズタズタにされた。

 

マドリード、(元)ミシュラン2つ星有名シェフが経営するカジュアル・レストランVi Cool

 

マドリードのおすすめレストランはいくつかこのブログで紹介していますが個人的にオヤジ系バルやレストランが居心地がいいのでクラッシックなお店ばかりを紹介してきました。「こんなところも行くんですッ」という事で今日はウエルタス通りにある「Vi Cool」=「ビ・クール」をご紹介。ウエルタス通りはソルの近くのサンタ・アナ広場からパセオ・デ・プラドに伸びている通りで沢山飲食店が並んでいます。そこにカタラン人有名シェフ、セルジ・アローラ氏がカジュアル店を2011年にオープンしました。星付きレストランだと100ユーロから200ユーロ位のコースが普通ですがここでは創作料理を一皿10ユーロから20ユーロで楽しめます。

 

Sergi Arola セルジ・アローラ


セルジ・アローラ氏はスペインで最も有名なシェフのひとり。最初はレストラン「エル・ブジ」のオーナーシェフ、フェラン・アドリア氏の元で修業した。今では世界各地にレストランを展開しテレビにも出ている有名人でミシュランの星付きレストランも経営していた(現在閉店)。最近はプライベートで色々問題があるようですが(Holaという芸能雑誌による)、料理とは関係ないのでここでは省略。今どきのスペインのヌエバ・コシーナ=創作料理の中心にいるシェフのひとりです。Vi Coolはそのセルジ・アローラ氏の料理を手ごろな値段で楽しめるカジュアル・レストラン。そのVi Cool のお昼の定食をレポートします。

*「エル・ブジ」は世界で一番予約が取れないと言われたカタルーニャのジローナ県のロサスという小さなな街にあった有名レストラン。座席50席のレストランに60人の従業員。人気が出過ぎて「自分の料理を見失った」とオーナー・シェフのアドリア氏は突然店を2011年に閉店し、今は料理の研究に没頭している。営業していた時も半年は料理の研究に費やし閉店、残りの半年のみ営業していた。(私はスペイン人のこういうところが好きでお金に支配されない人生観を持つ人達)

 

マドリード、ウエルタス通りCalle de Huertas

ウエルタスはスペイン語で畑という意味でこの辺りは16世紀は菜園だった。この通り沿いと交差する小道に沢山バルやレストランがあり週末は地元の人々や観光客でいっぱいだ。地元では有名な飲食街でこの辺りどこで食事をしても失敗はあまりない。

<マドリード、ウエルタス通り>

ウエルタス通り
筆者撮影

(上)写真は平日の13時頃に撮ったので随分空いていますが週末の夜はスペイン人がカップルや家族とバル巡りに出てくる地域です。そのウエルタス通りの12番地に今回紹介するVi Coolはある。ソル広場から徒歩7分、サンタ・アナ広場の方から歩けば3分、プラド美術館からでも1キロ弱なので徒歩10分程。

<Vi Cool入り口>

マドリード、レストラン
筆者撮影

お昼の開店は13時。平日なので予約もしないで13時に行きました。入って予約してないですがと伝えると「今日は空いているから大丈夫よ~どこでも好きなところへどうぞ」。店内は斬新な装飾で明るい。

<Vi Cool  店内>

マドリード、ビ・クール店内
筆者撮影

<Vi Cool メニュー>

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影

(上)カルタ(お品書き)は昼夜同じですがお昼はMenu del dia=今日の定食があり前菜+クラッシック前菜+メイン+デザートで13,90ユーロ。ドリンク別。これはお得なので今日はメニュー・デル・ディア=お昼の定食をいただきます。(カルタ=お品書きはスペイン語と英語が併記されていました。)

内容は季節によって変わると思いますが本日のメニュー・デル・ディアの内容。

{前菜}

野菜のビチソワに焼きリンゴとネギとヤギのチーズ

又は

シーザースサラダ

又は

ほうれん草のカネロニ

{クラッシック前菜}

私たちのパタタスブラバス

又は

キムチ風味のチキン手羽

{メイン}

クリーミーなお米料理

又は

ハンバーガー

又は

サーモンの照り焼き

とワインを一本今日はリベラ・デ・ドゥエロのバリーカ19ユーロを頼みました。若いワインで少し硬い飲み口、もう少し上を頼めばよかった。

<ワイン・リベラ・デ・ドゥエロ>

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影

Menu del Dia de Vi Cool


定食は前菜、メイン、デザートの中からチョイス制なので2人で違うものを頼んで両方味見出来るようにした。選んだのはビチソワとカネロニ、チキンとパタタス・ブラバス、ハンバーガーとお米料理を注文。レストランの人も「vais a compartir?」「分けて食べるの?」と聞いてくれたので「Si」「シー」

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影

 

(下)最初にパン・コン・トマテ・イ・アホ。これはカタルーニャ地方で普通に食べる物。(パンにすりおろしにんにくとトマト)セルジ・アローラ氏はバルセロナ出身のカタラン人ですからね。アホはスペイン語でニンニクの事です。生のニンニクが入っているので薄皮はそのまま(手に臭いが着かない様に外さない)半分に切って自分でパンにすり込んでからおろしたトマトを乗せていただきます。

<パン・コン・トマテ、この横に生のニンニクが入っている>

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影
entrantes callientes 暖かい前菜

(下)フランス料理の冷製スープ「ビシソワ」をスペインではビチソワと呼ぶ。スペイン語で「アホ・ブランコ」という言い方もありニンニクの利いた夏の冷製スープ。ここのは野菜クリームという感じで常温、中に小さな焼きリンゴとゴートチーズ。

<ビチソワ>

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影

(下)カネロニもカタランの家庭料理です。パスタの中にほうれん草のクリームが入っていてオーブンで焼いて上にベチャメル・ソース(グラタン風ソース)。これは手間のかかる料理で自分で作ろうと思うと大変。

<ほうれん草入りのカネロニ>

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影
entrantes clasicosクラッシック前菜

(下)パタタス・ブラバスはポテトにピリ辛ソースが乗ったスペイン・バルの定番料理ですがこちらはちょっとおしゃれにアレンジ。カリッと揚げたポテトの上にクリームと中にマヨネーズ。つまみとしては最高、可愛いし。

<パタタス・ブラバス>

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影

(下)このチキンはまるで日本の居酒屋メニュー。何故か名前のキムチ味は感じず醤油の利いた衣。ネギがさっぱり感を出していい感じ。誰かキムチを間違って教えたか・・・?

<チキン手羽のキムチ風味>

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影

 

Principales メイン

(下)Arroz Cremoso=アロッス・クレモソ=クリーミーなお米というのは日本だとリゾットの訳が解り易いかも。魚介の味がしっかりして少しアルディエンテで丁度よかった。

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影

(下)ハンバーガーは本当にハンバーガー(パンにはさまれた)とは想定していなかった。ハンバーグが来ると思っていたらパンにはさまれたハンバーガーでびっくり。(スペイン語でハンブルゲッサというと両方を意味する。)でも大変満足。お肉もしっかりでパンもこだわりが感じられた。これはまたリピートしたい。そして付け合わせのポテトの揚げ具合が丁度良く100点満点でした。

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影
Postre デザート

(下)デザートのチーズケーキは割とあっさり。こってりチーズケーキ好きには物足りないかもです。

<チーズケーキ>

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影

(下)季節の果物を綺麗にカットして盛り合わせでした。

<フルーツ盛り合わせ>

マドリード、レストラン、ビ・クール
筆者撮影

メニューに出ていないデザートも教えてくれましたが今日は大好きなチーズケーキと果物で終了しました。

La cuenta 精算

メニュー・デル・ディア2名分とワインで46,8ユーロ。チップは2ユーロ置いてきました。

*お店のホームページが有るのですが店舗が他にもあり混乱しやすいページだったのでここではあえて載せませんでした。各レストラン紹介サイトなどで検索してください。

Vi Cool Madrid    住所 calle Huertas 12

毎日 13時から16時 20時から0時

時間や休みは変更がありますので注意。夜は予約したほうがいいでしょう。

<地図はソル広場から徒歩で>

 

最後に


定食の13,90ユーロはお得です。私は再びアラカルトで夕食に行きたいと思いましたが一緒に行った夫は「まあまあ」だそうでした。定食よりワインが高いのが我が家の問題、というか私の問題です。飲まない場合は定食なら安く上がりますね。有名店や星付きレストランに行くと最低ひとり200ユーロなのでマドリードでちょっとミシュラン星付きシェフの味を安価に試したいならいいのではと紹介しました。私は絶対次回アラカルト・メニューで夜に行きます。ではブエン・ビアッへ~

(補足*HOLA記事から料理と関係ないけどやっぱり書いとく事に)

セルジ・アローラさんはマドリードで1998年にLa Brocheで人気が出て次々レストランをオープン。マドリードにミシュラン2つ星獲得「Sergi Arola Gastro」で話題になったが当時のスペインの経済破綻の影響をもろに受けてしまった。そして今では当たり前の「メニュー・デグスタシオン」のみのカルタと「お客様はジャケット正装お願いします」も時代にマッチしなかった。そして長年一緒に成功への道を歩いてきた奥さんと離婚、テレビ番組で知り合った女優と話題に、でもすぐ別れ・・・今下り坂なのが残念。星付きレストランも2017年から閉店中です。早く元気になってまた話題になっていただきたいです。