サンルーカルのビーチ競馬と休みの日程がはまるなんてまさかの奇跡だ!何年も前から行ってみたいけど行ってなかったお祭り。これは「行くしかない」と何も調べず飛び出した。カディス県のサンルーカル・デ・バラメダとついでにポルトガルのサンビセンテ岬、帰り道にエストレマドゥーラ県のグアダルーペへキャンピングカーで旅した記録。
1日目:8月21日マドリード~サンルーカル661キロ
朝10時、夫が朝の仕事に行っている間にお弁当を作って出発。マドリードからカディス方面は南へ向かうアンダルシア街道と南西へ向かうエストレマドゥーラ街道があるが今回はエストレマドゥーラ街道で移動。
筆者撮影、エストレマドゥーラ街道
途中トルヒージョを通る、インカ帝国を破壊したピサロはトルヒージョ出身。コンキスタドーレス達はこのエストレマドゥーラ出身者が多いのだけれど何故なんだろう。「ここはとっても貧しかったから」というだけでは納得できない。他にも貧しい地域は有ったのにここだけ突出している。少しだけ街の中心部へ行ってピサロの写真をパチリ。
筆者撮影、トゥルヒージョのピサロ像
ピサロは出生もあまり定かな事はわかっていなくて父親は軍人だったようだが母親は召使い?、生まれた家も定かではない。ペルーで仲間割れした末相手を殺害し、その親族に暗殺された。その遺体はペルーに残る。
筆者撮影、トゥルヒージョ
トゥルヒージョがあるこの街道はメリダからセビージャに続く銀の道に繋がっている。アステカを滅ぼしたコルテスはメリダ近くメデジンの出身。コロンブスの新大陸発見後のスペインの船はセビージャに入港していてセビージャには多くの一攫千金を求めた人々が集まっていた。そこからの様々な人や情報がエストレマドゥーラには銀の道を通り入って来ていたはずだ、と何となく腑に落ちた。さあ前に進もう、今日は650キロの移動だ。
筆者撮影
トゥルヒージョから約152キロのサフラに少し寄ってみる、と夫。サフラは支倉常長の同行者の侍がキリスト教に改宗しディエゴ・ハラミーニョ何某かの家臣になったが給金の支払いを断られ奴隷のように焼き印を押された云々の話がある。侍の日本名は定かでないが髷を切ってキリスト教徒になっていた。スペイン国王に提訴し日本に帰る許可を得てメキシコまで向かったらしいがその後の消息は不明らしい。何のあてもなく街が見たくて立ち寄った。
筆者撮影、サフラのパラドール
サフラの街に入るとすぐ大きなお城が見えて来た。15世紀の建築を後に改装、現在は国営ホテルになっている。サフラはエストレマドゥーラ州だけどアンダルシアの様な街並みだ。
筆者撮影、サフラの街
途中お弁当を食べてカディス県サンルーカルのビーチ近くのキャンプ場到着18時20分、まだ夏の太陽は頭の上。サンルーカルから4キロの隣町のキャンプ場、というか駐車場にキャンピングカーの為の設備があるACという施設。
筆者撮影、チクラナキャンプ場
想像したよりちゃんとキャンプ場で天幕を張ったりテーブルを出したり皆さん長期滞在者みたいだ。車一台12€なので家族全員で来れば家にいるより安いかもしれない。私たちは残りのお弁当を食べて少しお昼寝。ここはスペイン人家族のが多いから話声が大きいなあ、夏休み満喫風。
すぐそこが大西洋、海に沈む夕日を見に行った。夏の夕陽は21時過ぎ。
筆者撮影、チピオナ
近くでビールを買ってきて無事の到着をお祝いした。一本70セント。
筆者撮影
隣のキャンピングカーのセニョーラの声がとても大きくて内緒話できないタイプの人だね、他人の話が全部聞こえるのもあまり居心地がいいものではない、ちょっと出かけよう。キャンプ場の横に有るバルでマンサニージャ小瓶一本6€。この辺はシェリー酒のなかでも更に独特のコクがあるマンサニージャが主流。
筆者撮影
明日はゆっくりだから夜更かしの一日目終了。おやすみ~
移動距離 661キロ
有料道路7.3€
ガソリン35€
ビール2.1€
マンサニージャ6€
2日目:8月22日 サンルーカルのビーチ競馬、連泊日
朝はのんびり8時頃まで寝ていた。競馬が18時からなのでお昼頃に出発してサンルーカルに向かう。4キロ離れているのでこの日差しの中歩くのはやめてバスに乗る。時刻表を信じたのが間違いで13時40分のバスが来たのは14時10分だった。地元っぽい人は14時頃に来ていたのは遅れるのを読んでいたのかは不明。
筆者撮影
バスに約30分揺られてサンルーカルへ。途中はかなり大きな別荘ばかりだった。空き地が時々あるけど10年後にはすべて別荘になっているだろう。
バス停から目指すカビルド広場は近くだった。バルやレストランが沢山ある広場で大変な賑わいだ。
筆者撮影、サンルーカルのカビルド広場
バルビノというバルに入った。日本の朝の満員電車位の混み方のバル。カウンターまでたどり着けるか・・・
筆者撮影
トルティータ・デ・カマロン(小エビが入った天ぷら)とエビの茹でたのを注文。水を頼んだら隣のセニョールが「アグア?何という冒涜」と言ってワインをおごってくれた。
筆者撮影
早く出かけ過ぎた、この暑い中どこで時間を過ごしましょう・・・・街をあても無く散策する。
筆者撮影
広場やパティオ、白い町並み。
筆者撮影
14世紀のムデハル様式の教会サンタ・マリア・デ・ラ・オ教会。最後のオはどういう意味なのかな?もちろんお昼休みで入れません。
その先にメディナシドニア宮殿、内部見学はもうできないけどお茶が飲めるみたいです。ここで休憩しましょ。
筆者撮影、サンルーカル、メディナシドニア宮殿
細部にわたり手が行き届いたお屋敷で中が喫茶店。
筆者撮影、メディナシドニア宮殿
錬鉄細工が素敵でした。
筆者撮影、メディナシドニア宮殿
17時頃そろそろ浜辺に向かって出発。知らない街を歩くのは楽しい。この辺りはアンダルシアン種の馬が有名でこの建物は馬の飼育場みたいだった。馬に走る速さだけでなく美しさを求めて品種改良を繰り返し創られたのがアンダルシアン種の馬。
筆者撮影
ここはプラタ通りという名前。プラタ(銀)通りは南米からもたらされた銀を扱った商人が住んだに違いない。サンルーカルは大航海時代に多くの船が出港している。ここからグアダルキビール川をさかのぼってセビージャへ戻って行った。セビージャにはピミエンタ(胡椒)通りがある。胡椒は当時貴重品で胡椒富豪が登場した。
筆者撮影
銀通りの横にはたばこ屋。タバコも南米からコロンブスが持って帰って来た。
筆者撮影
さあビーチへ行こう。まだ太陽はてっぺんだし、パラソルは無いし日陰なんてありそうにない。
筆者撮影
いつもの事だけれど、ちゃんと調べて来ていないので大体の想像だけで動く私たち。17時30頃にビーチに来たらまだみんな楽しそうに泳いでた。
筆者撮影
多分ここを馬が走るところにビニールの柵、ここから見るんだね。準備のいい人はパラソルとか椅子とか冷蔵庫とか持ってとっくに場所取りしているけど隙間は有るのでどこでも見れそう。歩いていたらテレビカメラを持った人が立っている所が丁度カーブになっている。絶対ここが写真撮るのにいいに違いない、ここに決めた。
筆者撮影、サンルーカルビーチ競馬
周りの人に聞いてだんだんわかって来たのは今日は8回のレース。まずは次のレースで走る馬が左から右へ移動を始めた。これで馬の調子やジョッキーの感じを見て子供達がやっている小屋で馬券を買う。
筆者撮影
レースは約30分毎。馬は本物のサラブレッド。
筆者撮影、サンルーカルのビーチ競馬
筆者撮影、サンルーカルビーチ競馬
私も馬券を買ってみる事に。一口50セント。当たったら3倍の配当のようだ。馬券売り場は手作り風の小屋で子供たちが営業。
筆者撮影
馬券を買うとおまけが着いてきた。子供たちの手作りの可愛いものがいっぱいおいてあって「好きなの選んでね~」
筆者撮影
隣のセニョールは地元の人みたいで小さな息子と一緒に馬の事をあーだこーだ言いながら見ている。こうやって育って行くんだね。
筆者撮影、サンルーカルビーチ競馬
馬券売り場は何か所もあってそれぞれ手作り感たっぷり。
筆者撮影
最後のレースだけゴール地点で見る事に。21時になったのでもうほとんど太陽は水平線。8月の干潮になるこの時期のこの時間に終わるように設定されているようだ。
筆者撮影
ゴールの所は正面から馬の写真が撮れるかと思ったがそうでもなく障害物が多すぎ。写真撮りたい人はやはり真ん中あたりのカーブがおすすめです。
筆者撮影
ひとつだけゴール地点にいて良かったのは終わった馬が夕日を背にパドックに戻って行くのが見れた。どれもとっても美しい馬で間近に見れたのは興奮した。
筆者撮影
「さあ道が混む前に帰ろう」と歩いていたら幸運にもタクシーが通った。キャンプ場横のバルに直行して夕食。21時45分頃まだ誰も来ていない。この辺りはマドリードより更に夕食が遅い。
筆者撮影
懲りずにトルティータ・デ・カマロン。ここは一個1ユーロ。
筆者撮影
アボガドのサラダとマグロの煮物を頼んだ
筆者撮影
ランチ20€
お水2€
タクシー11€
夕食15€
3日目:8月23日サンルーカル~サンビセンテ岬427キロ
おはようサンルーカル。朝食はキャンピングカーで済ませ、隣の声が大きいセニョーラが起きる前に出発しよう。支払いに行った夫がイチジクを貰ってきたというか許可を取って自分で木からもぎ取って来たらしい。甘くておいしい~
筆者撮影
今からどこに行くかまだ決まっていないけど「サンルーカルの河口が見たい」と私。グアダルキビール河が大西洋に流れるところで大航海時代の船が行き交った場所だ。
筆者撮影
馬で朝のお散歩中の人とすれ違った。セニョリート風の優雅なオーラのある人達だった。この辺の馬主さんたちかも・・・。ここからドニャーナに行く船が出るみたいだ。ドニャーナは国立公園で世界遺産にも指定されている自然保護区。
筆者撮影
サンルーカルのサル(塩)通り。昔はここで塩を取ったのか塩問屋が住んでいたのか。海岸沿いにバルがたくさん並んでいて夜は賑やかに違いない。海にたたずむセニョールはこの辺の親分みたいな風格だった。
筆者撮影、サンルーカルの河口
小さな教会は入れなかったけど中をのぞくと船を守る綺麗な聖母像。船乗りたちがここで旅の安全をお祈りして出港していったのかも、と思った。
支倉常長一行は帰り道に随分ここで滞在したようだ。その頃にこの教会があったかは不明。
筆者撮影、サンルーカルの教会
「暑いのがもう嫌だ」と夫がいうのでポルトガルのサンビセンテ岬は涼しいに違いない、と突然予定外の隣の国へ行くことにした。私たちには計画というものが無い、よく言えば自由だ。
筆者撮影、サンルーカルからポルトガルへ
その前にパロス・デラ・フロンテーラでコロンブスが滞在したラ・ラビダ修道院に寄って行こう。前回来たときに入れなかったのを後悔していた。
筆者撮影
だめだ~サンルーカルでのんびりしすぎた。このまま行っても修道院はお昼休みなのでポルトガルに直行することに又しても予定変更。ガソリンはスペイン側の方が安いので入れていく。
国境はもちろん無い、注意はポルトガル以外の車は国境を越えたところでクレジットカードの登録が必要。有料道路を通ると自動的に引き落とされる仕組み。この手続きをしておかないと警察に捕まると罰金らしい。前回は要領が解らず時間がかかったけど今日は係りの人がやってくれて簡単だった。夏のピークだからなのかも・・・ポルトガル到着~
筆者撮影ポルトガルへ
サグレス岬はエンリケ航海王子が航海学校を作ったと言われているところ。写真の白い建物だけれど実際航海学校を風と海流の強いここに作ったわけは無く、学者を集めて地理や海流やコンパスの使い方や風の向きなどを研究したところだった。
筆者撮影、サグレス岬
凄い景色だけどカメラには収まりきれません。
筆者撮影
直ぐ近くのサンビセンテ岬へ移動。今日はここでランチにします。サラダを作って買って来たホットドッグとで簡単に。
筆者撮影、サグレス岬
イギリス人がやっているドイツの白ソーセージのホットドッグ。サグレス岬の証明書付で一個3.5€
筆者撮影
サンルーカルがあんなに暑かったのは夢だったか、ここは風が強くて寒い。下北半島みたいな強い風が吹く。
筆者撮影、サンビセンテ岬
キャンピングカーがどんどんやって来てあっという間に駐車場はいっぱいになった。ポーランドから来ているキャンピングカーが有った。遠いなあ。
筆者撮影、ビセンテ岬、ポルトガル
サンビセンテ岬からの夕陽は綺麗だった。海に沈んでいく太陽に何かを感じない人はいないだろう。
筆者撮影、サンビセンテの夕日
夕食はキャンピングカーでカップ焼きそば。ロマンチックな夕陽とのギャップが凄い。
移動距離427キロ
キャンプ場2日 24€
ガソリン 60€
ホットドッグ 7€
4日目:8月24日サンビセンテからマサゴン460キロ
アルガルベ地方は以前に既にゆっくり回っていてファロやアルブフェイラはもう行ったので何処に行こう?調べていたらビーチ沿いに岩礁の凄い景色があるみたい。ここに行きたい~
筆者撮影、アルガルベ、ポンタデピエダデ
何か所か見れる場所が有るがポンタ・デ・ピエダードという灯台に行ってみる事にした。どこでも無料で駐車できるのは有り難い。人を使ったり管理する方がお金がかかるという事か?
凄いッ不思議なな寄峰奇岩の景色が続く。
筆者撮影、ポンタデピエダード
安全の為に遊歩道が作られているけれどここからだと絶景は見えない。
筆者撮影
どこにでも同じような事を考える人がいる様で誰かが壊していった隙間から崖っぷちに行ってみよう。
筆者撮影、ポンタデピエダド
岩の上を歩けるようになっていて時々危険なところもあるけれどこれは凄い景色。
筆者撮影
海岸から船で廻れるみたいで沢山小さな船が出ていた。私たちは一時間くらい上から歩いて景色を堪能。
筆者撮影、ポンタデピエダデ
ほぼ帰り道に夫が「サングラスがない~」ちょっと戻って来ると言って探しに行ってちゃんと見つけて来たのには感心した。いつも私が落としたものを必ず見つけて帰って来る。これは才能、能力。
筆者撮影
随分景色を堪能した。「船はもう乗らなくていいねえ~」どこかでランチしましょ。ポルティマオという町が近いのでそこに移動。南ポルトガルらしい綺麗な街だった。
筆者撮影、ポルティマオ
昔は漁村だったと思うけど今はヨットハーバーがあるリゾート地
筆者撮影、ポルティマオ
中心部のレストランで私はイカの炭火焼き、夫はスズキのグリル
筆者撮影、ポルティマオ
この後結局スペインに戻ることに。ポルトガルは小さいのだ、少し走ればすぐ国境。あ、ラ・ラビダ修道院に閉まる前に着けそうだからパロス・デラ・フロンテーラへ行こう。「間に合った~」ここはコロンブスが国境を越えてスペインに入ったときに滞在している。ポルトガル王から西回り航海の援助を断られ失意の中息子のディエゴとここで滞在した。今日私たちが通った街道あたりを通ったに違いない。
筆者撮影、ラ・ラビダ修道院
ここの修道院長がコロンブスの夢のような話に耳を傾けイサベル女王に紹介してくれた。バジャドリのシマンカスにあるコロンブス関連の書類のコピーなどが展示されている。コロンブスのイサベル女王あての手紙や日記、新大陸航海の様々な文物が展示されている。
筆者撮影、シマンカス文書館のコロンブス関係の書類のコピー
イサベル女王が発行したコロンブスのパスポートのコピー。
筆者撮影、イサベル女王発行のコロンブスのパスポートコピー
ピンソン兄弟もここでコロンブスと話したはずだ。ピンソン兄弟はパロス・デラ・フロンテーラの船主一家でピンソン兄弟の協力なしにはコロンブスの最初の航海の出発はあり得なかった。この町ではコロンブスよりピンソンの方が人気だ。
筆者撮影、ラ・ラビダ修道院
近くの港にコロンブスが第一回目に使った3隻の船の実物大の模型がある。外からパチリ。
筆者撮影、サンタマリア号
今日も海の近くに泊まりたい、今日はこの近くで泊まるところを探そう。
筆者撮影
「そうそう、マサゴンという面白い名前の町があって~」そのへんで泊まるところ探してみましょう。と行ってみたら以前に泊まったところだった。記憶から完全に抜けていた。ここも無料の駐車場があった事を思い出す。
筆者撮影、
既に沢山キャンピングカーで家族連れが来ていた。夏のシーズンだからねえ。
夕食は横に有るチリンギート(屋台のバル)で海を眺めながら。
筆者撮影
ワインとイワシとトルティータ・デ・カマロンで夕食
筆者撮影
野菜不足なのでトマトサラダを追加。滅茶苦茶美味しいトマトでした。
筆者撮影
ワインは今日はボトルでたのんだのでほろ酔い気分でおやすみなさ~い。
筆者撮影
移動距離:460キロ
ポルティマオ駐車2.6€
ポルティマオランチ23.5€
ララビダ修道院7€
駐車場チップ1€
マサゴン夕食 22€
5日目:8月25日マサゴンからグアダルーペ440キロ
おはよう大西洋、今日は海とお別れして内陸に向かいます。
筆者撮影
アンダルシアは隅々まで広大な畑で水田や果物畑が続く
筆者撮影
この辺りでガソリンを入れていこう値段が安い。
筆者撮影
セビージャ方面の高速道路へ乗りエストレマドゥーラを北上する。メリダは古代ローマの遺跡が綺麗に残る世界遺産。イタリア半島以外では一番多く完璧に遺跡が残る。今日はここは通過して先に進みます。
筆者撮影
メデジンは征服者コルテスの出身地。コルテスは今のメキシコ、アステカを滅ぼした。ここのローマの遺跡を見ていこう。
筆者撮影
丘の上に大きな要塞が有り街には様々な時代の教会や遺跡が残る。要塞はアラブ風だ。
筆者撮影
中世の教会の中がオフィスになっていてローマの遺跡が展示されていた。ここに入らなければ無料で要塞に登っていける。
筆者撮影
ローマの悲劇や喜劇に使った面
筆者撮影
ローマの劇場は2003年頃に綺麗に修復したと内部のビデオで説明が有った。
筆者撮影、メデジンの遺跡
小さな遺跡なので観光は直ぐに終了、上の要塞は暑いので省略。
スペインは多様だ、景色はどんどん移り変わり畑が樫の木林になった。この辺りはイベリコ豚の放牧地で有名なハブーゴ村も近い。黒豚いないかな?
この道路は銀の道と並行して走っているので銀の道高速道路。ローマ時代に北スペインから銀や鉱物等をセビージャまで運び船に積んでローマ迄運ぶために作ったた銀の道ビア・デラ・プラータ。
筆者撮影
最後は山道をグアダルーペに向かって登って行く。グアダルーペは標高640メートルにある聖地。16世紀に日本からの少年使節も宿泊している。
筆者撮影
筆者撮影
グアダルーペについたら大変な人だかりでどうやらお祭りらしい。石の広場に砂が敷かれていてところどころに鉄の柵が有るのは闘牛か牛追いが有るに違いない。
筆者撮影
今日はパラドールに泊まろうと決めていたので何とか街に入ったけどパラドールの駐車場は天井が低くて無理、パラドールの人に教えてもらったところへ行こうとすると前にも後ろにも進めなくなり周りの人が集まって来た。10秒ほどでグアルディア・シビル(スペイン国家治安警察隊)がやって来たのは誰かが電話してくれたのかも。
救出され安全に車を止められるところに誘導してくれてた。グアルディア・シビルさんいつも悪口言っていてごめんなさい。とっても親切で笑顔で感じ良かったです。
パラドールにチェックインを済ませてお昼ご飯は街で食べよう。
筆者撮影
街はとっても小さい。
筆者撮影
適当に街を歩きまわってあとは夫の野生の勘で決めるのが我が家風。
筆者撮影
入り口にフランシスコ・カノというバイオリニストが住んでいたとセラミックが貼ってある。ここが良い、ここにしよう、知らない音楽家だけどね。
筆者撮影
筆者撮影
入り口のバルは小さいけれども中は奥まで広く家族連れが沢山食事中だった。レストランは地元の人が多い店が間違いない。
アミューズにモルシージャ(豚の血入りソーセージ)とパテ。どちらも美味しい。
筆者撮影
前菜は焼きピーマンのサラダをシェアーで
筆者撮影
私はイベリコのセクレトの炭焼き。セクレトは秘密という意味で豚の脇腹のあたりを言うらしい。イベリコ豚の中で一番おいしいと言われている部分。
筆者撮影
夫はアスパラとエビの卵あえ。
筆者撮影
デザートはチーズケーキをひとつだけ。
筆者撮影
食後酒はレストランのおごり。リンゴが入ったリキュール。
筆者撮影
合計34.80€
筆者撮影
食後は少しお部屋で休憩します。私のラッキーナンバー13号室。
筆者撮影
部屋の入り口の横にはスルバランの絵の模写。グアダルーペに来たひとつの理由は修道院にあるスルバランが見たかった。部屋に帰るたびにこの絵が見れたのは嬉しかった。
筆者撮影
夜の闘牛祭りは18時30分と言われた。いろんな人に念のため確認したらみんな18時30分と言ったが始まったのは19時頃だった。
ゴヤの版画集に出てくるみたいな村の闘牛祭り。
筆者撮影
子供連れも一緒にやんややんやと騒いで牛をはやし立て襲ってきたら必死に逃げる。
筆者撮影
牛のさばきがうまい人が何人かいてびっくりした。
筆者撮影
暑い中何頭か見て疲れたので途中でホテルに戻った。テラスでビールとおつまみで簡単な夕食。
筆者撮影
部屋のテラスからお庭とメイン・ダイニングが見える。優雅にお食事をする人達のナイフが食器にあたる音と噴水の音が響いていて優雅。
筆者撮影
21時頃ギターのコンサートが始まった。ルイス・マヌエル・モレーノというエストレマドゥーラでは有名なギタリスタだそう。さっきの喧騒とは別世界、月がほぼ満月でとっても素敵な夜でした。あ、夫は先に寝てしまいましたが・・・トホホ
筆者撮影
ガソリン代108€
メデジン入場料7€
ランチ35€
夜のビール3€
8月26日:グアダルーペからマドリード258キロ
朝食は街のバルでコーヒーを飲もうと出かけたが日曜日の朝、どこも開いていない。無理か「帰ろう・・・」と思ったら一軒だけ人でごった返しているバルが有った。
筆者撮影
ここに入ろう。チュロスが人気らしくみんな大量に買って持って帰るみたい。私たちもチュロスを。これってポラスのサイズだけど?って聞くと「チュロスはぐるぐる巻いていいるのを言うのよ」と返事が「ごもっとも」コーヒーも美味しかった。コーヒー2つとチュロス3つで3€
筆者撮影
帰り道に修道院に付随するオスペデリアを見に行った。今も修道士が生活している修道院の一部がホテルになっていて今回パラドールとどちらにしようか悩んだ。2つ星でショボいと哀しいからやめたけど遜色なしで次回はこちらに泊まってみよう。値段もうんと安い。
筆者撮影
オスペデリアの中庭、今も10人ほどのフランシスコ会の修道士が生活しているという。
筆者撮影
建物の回廊も修道院らしい。レセプシオンのセニョールが親切に色々見せてくれた。また泊まりに来ます、有難う。
筆者撮影
いよいよグアダルーペの修道院へ。10時からと聞いたので少し早めに切符売り場へ。「入場は人数がある程度集まってからになりますので10時30分に入口へ。」と言われた、結局10時30分からなのね。その間に教会へ。
筆者撮影
グアダルーペの黒いマリア像。すべてのイスパニックの守護聖母。修道院の観光の最後にカマリンに入ると、このマリア像がくるりと回るようになっていてすぐ近くで拝むことが出来る。
筆者撮影
一人の牛飼いが迷子になった牛を探していると聖母が現れここを掘るように街の司祭に告げる様に、そして司祭がやって来てここを掘ると聖母像が発見された。その場所に小さな聖堂を作り時代と共に発展したのがグアダルーペの始まり。アルフォンソ11世はグアダルーペのマリアに加護を求めた後にサラードの戦いでイスラム教徒との戦いに勝った。それ以来スペインのレコンキスタの中心になった聖母像。
筆者撮影
コロンブスが最初の航海から戻った後神のご加護に感謝するためにグアダルーペに巡礼に来ている。南米の先住民たちが教会前で洗礼を受けていたところでもある。教会の中に洗礼を受けるインディオの絵、心がチクリと痛んだ。
筆者撮影
内部はこの中庭以外写真撮影禁止。大体40人くらいのグループでスペイン語の説明を聞きながら観光。お目当てのスルバランの絵は最後の方の礼拝堂だったがそれ以外にも素晴らしい絵画や彫刻作品が有った。
筆者撮影
毎年9月8日がグアダルーペの聖母の日でプロセシオン(山車)が出るという。修道院の観光は1時間少し、ホテルのチェックアウト12時ぎりぎりになった。急いでパラドールに戻り荷物をまとめてチェックアウト。
筆者撮影
レセプシオンの人が「昨日は本当にごめんなさい」「ってなにがあったかしら?」どうやら昨日到着時に車を止められずにグアルディアシビルに救助された件らしい。「大丈夫、そんなこともありますよね~ッもう忘れてたし」。というか謝られたことにびっくりした。
さあ車に戻ろう。狭い坂道の段差があるところに止めたので大丈夫かな。
筆者撮影
こんな状態で車は無事でした。
さあ帰りましょう。帰り道の街道の途中に展望台があった。巡礼者がここからグアダルーペを見て歓喜したところらしい。
筆者撮影
小さな街に大きな修道院。街より修道院の方がうんと大きい。
筆者撮影
横に小さな礼拝堂。グアダルーペへの巡礼者たちがここまで来た感謝の祈りをささげたところ。
筆者撮影
この辺りはコルク樫の林。ドングリが出来る樫の木だが皮がコルクになるので剥がされた後が木の下の部分で赤茶色になっている。約9年位でまた皮が厚くなる。ワインのふたや住宅の暖房材などに使う。
筆者撮影
マドリードに向かう道に出た。今回は予定より一日早く家に帰る。旅は無事に帰れば成功です。
筆者撮影
走行距離:258キロ
コーヒー3€
ホテル130€
修道院10€
合計走行距離2065キロメートル
使ったお金合計542€
最後に
サンルーカルのビーチ競馬は長年の夢だったので本当に行けて良かった。ただ一つ残念なのは写真を撮ることに夢中になって競馬を楽しめなかったし馬をゆっくり見ていない。競馬をずっとカメラのレンズ越しで見ていた事かな。また行きたいと言ったら夫は卒倒するかもです。18時から21時まで炎天下で全部のレースを見ましたが20時頃少し太陽が傾いてから見に行っても良いかもしれない。ピサロやコルテスやコロンブスは予定外だったけど丁度ペルーに行った後だったので頭の中で色々繋がった旅でした。