マニュアル「スペイン人の取り扱い方」スペイン人について理解を深めるために。

スペイン人

よくイギリス人が2人いたら2つの政党ができると言われるが
スペイン人が2人いたら絶対に3つ出来る

反骨精神旺盛で幼少の頃にみんなで同じ動きをさせないので                 何だかてんでバラバラ、動きだけじゃ無くて考え方も。子供の時にみんな一緒にお遊戯とか運動会の整列行進とかは無い。

でも仲間意識はとっても強くて信頼をいったん手に入れたらとても大切にしてくれる。乳児から保育園に入るからなのか仲間といるのが大好き。横の繋がりは大切にする人達です。

大切すぎて縁故主義とか身内主義が横行しています。

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1: 挨拶は何処でもマスト絶対。

スーパーやコンビニで日本であいさつなんてしないと思いますが

まずは挨拶は常識です。「オラー」でいいので。スーパーやバル、美術館やタクシーとにかく人にあったら挨拶をしましょう。エレベーターで乗り合わせた人にも挨拶をします。お店で
店員さんに声かける時も「ディスクルペ」とか「ペルドン」など丁寧に話しかけましょう。

レストランなどでウェイターさん忙しそう〜〜〜だけど追加何か頼みたい時の魔法の言葉は
「クアンド・プエダ・ポルファ」「出来る時にでいいので、お願い」と声をかけると割とすぐ「ディメ・ディメ」「なに、なに」って来てくれますよ。
先ずは何処にいっても誰と会っても挨拶をしましょう。あ、にっこり笑ってね。

挨拶をしないと横柄だと思われるんですね。日本だと無言で何でもできますがヨーロッパでは知らない人にも挨拶をかわします。意外と楽しい出会いになったり気持ちが通じたような気がして幸せな気分になれますよ。一番簡単な挨拶オラ―を覚えておきましょう。

 

2: 絶対的に持っているのが人間は皆平等意識。

神の前には皆一緒。なので必ず嫌われるのが上から目線。無礼な態度がとっても嫌がられます。お金払っている人ともらっている人も同等。お客様とバルのおじさんも対等です。政治家と私も、社長と貴方も。親切にした人と、してもらった人も同格「ありがとうございました〜ー」と深々と頭をさげるとびっくりされるし席を譲っても軽く「グラシアス」時には無言。
「やってあげたのにけしからん、お礼も無い」なんて誰も思わない。当たり前のことを普通にしただけだから日本の感覚だと礼を言え〜「無礼じゃ〜謝れ〜〜」となるかと思いますが。
文化の違いとご理解下さい。

 

3 :相手の気持ちを探る習慣が無いので察し無くていいし察してくれなくても怒らない。

慣れるまで戸惑うかもしれませんがこの辺がストレートで直球でわかりやすく楽なところ。日本人の優しいところで相手の事を先に考えて「こんなこと言ったらこう思うだろう」とか「こんな事したらこういう風に思われる」とか考えない。日本人のこれは特殊能力なんだと思っています。スペイン人はそんな能力は持っていないのでだた喜ばせたいとか親切にしたいとかはありますが。なにげに遠慮したり察してくれるところもあるんです。基本わからないことは主張したり話し合ったりして解決です。

4、待つことに慣れましょう

相手が何かやっている時に強引に何か言うと大抵無視。
日本でも嫌がられると思いますがこれは間違いの元。
少し待ちましょう。
又は無視じゃなくて聞こえていない事も
耳が遠いのとスペイン人は話し声が大きいから小さい声は聞こえないように
脳がプログラムされているんじゃないかなあ。
みんな集中力が凄いので何かやっている時に別のこと言われるのダメなんです。




5:とにかく会話力が必要(テーマは何でも大丈夫)

みんな何処いってもよく喋ってる
日本じゃ黙って行動する方が美徳ですが
こちらは話しをして理解し何かを作っていく文化。
子供の時から自分の意見を持つように育てられる。
政治家が国会で用意された紙を読んでるなんて見たことない。
とにかく口は達者で小さな子供でもしっかり意見を持っている。
無駄に話しているようですがそこには重要なコムニケーション。

 

今日の会話が明日のトラブルの解決になる事ってあるんです。
本当にそれで何度も窮地脱出ありました。

6、大きな声で目を見て話そう

スペイン人の声は大きい。何人かいると相手より大きな声で話そうとするからもっと声は大きくなる。あまり小さな声では聞こえないのか無視されるのが落ち。後はしっかり目を見て話しましょう。日本ではあまり相手の目を見ないほうが良いようなケースがありますがバルでビールを注文するときさえもしっかり相手を見つめましょう。

(火傷に注意)

怒らせたらすごい罵声を浴びます
どこにこんなにボキャブラリーがあるんだというくらい相手を罵る言葉が泉の様に怒りに任せて溢れ出るので、スイッチ押さない様。あ特に、セニョーラね。女性。

 

簡単なスペイン語を使ってみましょう

簡単なスペイン語ができるだけでスペイン人との距離は縮まります。うまく話せなくても挨拶や簡単な飲み物の名前が言えるだけで対応は絶対に違う。簡単なスペイン語が話せる記事もありますので時間があるときに見てください。

すぐに使えるスペイン語1<キーワード>

バルで使えるスペイン語

スペインの食事は1日5回、バルは生活の中心。メニューの見方も解説。スペイン人てこんな人達です。

スペインでは食事を一日に5回いただきます。そしてバルは毎日の生活の中心なのです。いろんな国によって習慣に様々な違いがあり旅をすると戸惑う事も多いですがスペインの大きな違いは食事の時間。昼食は14時以降で夕食は20時以降。スペイン人と夕食の約束をすると夜の21時や22時という事も度々です。そして食事はなんと1日5回あるのです。朝食は通常2回やってきます。お昼が正餐で山盛りの食事で本来家族そろってテーブルを囲みました。19時頃におやつの時間がやって来て夕食は21時~22時頃に簡単に。これが一般的なスペインの食事の仕方です。

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 朝食は2回


<1度目の朝食>

スペイン人最初の朝食は朝起きて家でコーヒーと小さなガジェータというビスケットのみ。卵焼き焼いたり絶対しません。トマトやレタスや野菜なんて絶対食べない。とっても簡単な朝食で家を出ます。

<2度目の朝食>

そして11時前後2回目の朝食の時間がやってくる。労働者は朝15分間の休憩時間がある。この休憩時間は労働者の義務なんです。これが2度目の朝食。この朝食も卵やソーセージ食べる人はいない。

この時間に街のバルに行くと大変な喧騒の中、朝食を食べているスペイン人達。休憩時間に休憩なんてしないでみんな大声でお喋りです。市役所や銀行や色んな会社のオフィスからみんな交代でバルにやってくる。座ってゆっくりなんて人はあまりいなくてカウンターで立ったまま、無茶混んでいても何とかカウンターにたどり着く。15分の休憩だから少し待てば場所はできるのです。

<マドリードのバルで朝食の時間>

バルの中
筆者撮影

 

町中のバルが活気付きカウンターで老いも若きもコーヒーにチュロスや菓子パン常連さんは毎朝同じもの頼むのでバルの主人は覚えていて「いつもの?」なんて聞きながらテキパキと次から次からお客さん達をさばいていく。

この手際のいい事と言ったら芸術です。あっという間にカフェを1個づつエスプレッソマシンで作って出していく。向こうでは「お金取って〜」「クアント?」「カフェ・コン・レーチェだけどミルクは温めね」「カフェ・ソロだけどカフェインないのでね」注文が細いのも大変だ。15分しかないので時間がかかっては致命傷。

お客さんも一気に頼んで仲間とおしゃべりしてあっという間に居なくなる。まるで嵐、いや台風。

何処のどなたですか?スペイン人は一度に2つの事しないって言ってたの。バルの主人は別の生き物でこの短い朝食時間に全力で戦う戦士だ。

朝食をdesayuno デサユノと言います。「ayuno」断食 それに「des〜否定形」が付いて朝食。断食の終わり。英語でもbreakfast 「fast」が断食それをbreak するわけで夕食からの長いファスティング終わって最初の食事。

<朝食の看板>

バル朝食の看板
筆者撮影

朝食のメニューの見方

朝食例

上の看板はマドリードのあるバルの朝食の看板です。どのバルでも大体似たような感じ。コーヒー又は何か暖かい飲み物とパン、それにオレンジジュース(絞たて)をつけると割り増し料金。

Café o infusión
コーヒーかお茶系

Bolleria churros o tostado

菓子パン類、チュロス、トースト

mini zumo de naranja

ミニ・オレンジ・ジュース

<コーヒーはミルクの量で名前が違う>

朝はミルクたっぷりのカフェオレが普通 =カフェ・コン・レーチェ

コーヒーたっぷりミルク少なめだと= カフェ・マンチャード

ミルクたっぷりコーヒー少なめ =レーチェ・マンチャード

エスプレッソに少しミルク だと= カフェ・コルタード
エスプレッソ は= カフェ・ソロ

スペイン人は更に細かく注文。こういう事には絶対エネルギーを惜しまない主義。

ミルク入れる時に「¿ como quieres leche?」「ミルクはどんながいいの?」と聞聞いてくれるかもしれません。熱いミルクと温めのミルクが入った入れ物持ってきてくれて好みの熱さに調整してもらう。「カリエンテ」「熱いの」とか「テンプラーダ」「温め」とか。スペイン人はあまり熱いのが飲めない人が多く少しぬるめ「テンプラーダ」にする人多し。

<お茶類>

コーヒーが飲めない人はお茶類も有ります。

紅茶 ストレート= テ・ソロ
ミルクティー= テ・コン・レーチェ
カモミルティー =マンサニージャ
菩提樹ティー= ティラ

<菓子パン、チュロス、トースト>

Bollerías. は菓子パン類 やクロワッサン等、tostada はトースト
四角いパンもだけどクロワッサンを焼いてもらったりパン・コン・トマテ等も一般的です。

大体どこでも2〜3ユーロで朝食メニューやってます。ホテルの朝食付けないでバルで楽しむのも良いですね。

朝食は通常12時までやっています。

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食事の中心は昼食


1日の食事で一番の大きな食事は昼食です。14時30頃から始まるので随分日本より遅い。昼食のレストランが開くのは早くて13時頃から。大抵のレストランにお昼の定食が有るのでお得に飲み物とデザートが付いて値段が設定されている。

定食はスペイン語でmenu del dia メニュー・デル・ディア。バルやレストランの入り口に看板が出ていたりメニューが貼ってあったりします。

<定食の品書き>

定食のメニュー
筆者撮影

primero  プリメロ 前菜から一品

segundo  セグンド 2枚目のお皿から一品

bebida   ベビーダ 飲み物(ワイン、ビール、水、コカ・コーラやジュース類)ワイン頼むと一本置いて行ってくれるところも結構ありますよ。あまりいいワインじゃないですが。安物のワインを定食屋で食べるときはガセオサという少し甘い炭酸水で割って飲みます。ビノ・コン・ガセオサと言って少し飲みやすくなる。

postore o cafe ポストレ デザート又はコーヒー

ランチ激戦区はマドリード中心部でも11ユーロ位から定食があります。一皿と飲み物で7ユーロ等お店によって色々。人がいっぱい入っているところは安くておいしいのは間違いなし。

午後のおやつの時間


午後19時頃なるとまた街のバルは混み始める。又しても立ったままおしゃべりしながらおつまみとビールのセニョールや、テーブル席でケーキを食べながらおしゃべりするセニョーラたち等で活気に満ちてくる。

バルのタパス

夕食は21時とか22時


夕食は基本軽く家で食べるときはハムとチーズとか玉子焼きとか簡単な事が多い。しっかり料理する家庭は少なく外に出るならバルでビールとおつまみで済ませる事も。この頃にまた街のバルは人であふれかえる事に。

スペイン、バル

 

レストランで食事となるとこの遅い時間でも真剣に食事に取り組むことになるので終わると23時。食前酒から始め、前菜・メイン・デザートでワインもしっかり頼んで食後酒までいただくと2時間はかかりますので覚悟が必要。

アサドールドノスティのお肉

 

 

まとめ


1日5回の食事ですが通常はランチにしっかり食べて遅い夕食は軽いので生活のリズムとしては健康にいいかもですね。忘れていけないのは昼食は14時以降夕食は20時以降です。旅行中の方はバルを最大限に利用すれば早めに軽い夕食で済ませたり朝食を遅めにしたりでメリハリをつけられますね。スペイン人の一日はバルに始まりバルに終わる。朝食から夜のお酒までバルは生活に欠かせないものです。スペインに行ったら絶対バルを利用しましょうただ、食べすぎ注意ですね。

 

サンティアゴ様(聖ヤコブ)個人情報。スペインの守護聖人サンティアゴ様とはいったい何者か。

ヘブライ語で本名ヤーコブ、人種 ユダヤ人、職業 漁師、出身地 ガリラヤにあるベツサイダ、父親 の名前 ゼベダイ、兄弟の名前 ヨハネ。

キリストの十二弟子の1人で一番最初の頃の弟子。雷の子と呼ばれたほど気性が激しかった。スペインに来たかどうかは実は定かではない。

 

サンチアゴ(聖ヤコブ)

巡礼姿のサンチアゴ様

santiago pelegrino
筆者撮影

 

「ゼベダイの子ヤコブ」と呼ばれ「アルファイの子ヤコブ」(小ヤコブ)と区別される。旧約聖書にもよく出てくる名前ヤコブがスペイン語化するとティアゴ。聖人の「サン」が付いて「サン・ティアゴ」が「サンティアゴ」又は「サンチャゴ」になる。英語で「サン・ジャイムス」フランス語で「サン・ジャック」

 

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象徴物はホタテの貝殻

 

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キリスト教の聖人達には象徴物というのがある。サンチアゴの象徴物はホタテの貝殻。海に打ち上げられたからとかレコンキスタの時にある騎士の体がホタテの貝殻で覆われたとか諸説色々有りますが共通した何かは不明で諸説様々な事が言われている。ホタテは巡礼者の手形として使われた。そしてお皿にもなったしスプーンにもなったので便利なグッズだった。

フランスでレストランに行くとメニューに「サン・ジャック」とあったらホタテ貝です。

 

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キリストに最初について行った一人

 

新約聖書に書かれているように「私について来なさい。あなたを人間を釣る漁師にしてあげよう」イエス・キリストにそう言われてすぐに漁師の仕事を辞めてついて行ったのがサンチアゴ。弟のヨハネと2人で漁の網も置いて、一緒にいた父親さえ置いて付いて行った。

 

新約聖書の中にペテロとヨハネとサンチアゴは3人で良くキリストの側で奇跡を見ているがペテロやパウロ程聖書に登場しないので実は詳細が不明です。2000年前の事なので書かれたものが残っていません。

兄弟のヨハネはキリストに最も愛された弟子で良く絵画では一番若く美青年に描かれます。3人とも気性が荒かったと書かれています。

スペインで布教活動

実は歴史的にはサンティアゴがイベリア半島に来たかどうかは定かでは無い。

ただそれは長い間伝説として人々の間で伝わっていた。イベリア半島で得た弟子は7人。長らく居たのにたったの7人です。あまりに誰もついてきてくれないので「神様・マリア様・イエス様 なんで?」人知れずかなり悩んでいた時期もあったらしい。マリア様が空から降りてきて「このジャスパーの柱の上に教会を建てなさい」と言ったのが今のサラゴサという町でその柱の上に作ったのがサラゴサのピラール大聖堂。ピラールはスペイン語で柱の事。今もサラゴサのピラール大聖堂へ行くとその時の柱が信仰の対象になっている。スペイン人の女性の名前に良くピラールという人がいるけどこれはマリア・ピラール。柱のマリア様という意味です。ちなみにこの奇跡はマリア様の多々在るご出現奇跡中唯一「聖母ご存命中」の奇跡です。(他のはみんな亡くなってからずっと後の奇跡)

エルサレムで首を切られて殉教

イベリア半島での布教があまりうまくいかないのでエルサレムに戻ったがヘロデ・アグリッパにより紀元44年に惨殺された。サンチアゴ(聖ヤコブ)の弟子がこのご遺体をなんとか守ろうと石の船に乗せ、行き先は神の思し召しのままと船を出し、そして風に流され流されガリシアに着いたと言われている。ついたのがパドロンという町で今もその時の船が横付された石が祀られているサンチアゴ教会がある。

<パドロンのサンチアゴ教会にある彫刻>

santiago
筆者撮影

 

遺体の発見

時は経ち起源後813年、星が綺麗に瞬いていた夜だった。星を追っかけた羊飼いが星の真下に洞窟を発見し、その中に首のない遺体を見つけた。字が読めない羊飼い達は地元の司教様に相談した。するとその石棺に聖ヤコブと書いてあった。これは大変だーーーと慌てて遺体を埋葬してお祈りをして教会を作った。それが今のサンチアゴ・デ・コンポステーラにある大聖堂の始まり。

<サンチアゴ・デ・コンポステーラの聖ヤコブの墓>

tumba santiago
筆者撮影

当時の歴史的背景

スペインにシリアからのイスラム教徒がやってきてビシゴート王国は崩壊し半島全体がイスラム化していた。ビシゴート王国は崩壊し貴族達はすでに持てるだけの財宝を持って北のほうの山の中で戦っていた。

今のフランスではゲルマン民族の大移動の後のフランク王国の時代、北上して来たイスラム教徒を732年ツールポワチエの戦いで破った。その後カール大帝が戴冠しキリスト教を保護しローマ帝国を再び復活させようとしていた時代だった。

 

そんな時に聖ヤコブの遺体がスペインで発見されサンチアゴ様のご加護のもと異教徒と戦って「あなたが死んでしまっても魂は間違えなく天国へ行けます。」となったのは偶然ではない。

 

当時の人々が人生で最も恐れていたのは神と死だった。人は必ず死ぬ、死んだ後に神により最後の審判が行われ日々の行いで天国か地獄へ振り分けられる。その最後の審判に人々は怯えていた。教会は「悔い改めよ」と人々に説教をし人々は罪を償うために人々は巡礼をし始めた。巡礼をすればすべての罪が許されるのだから。

<サンチアゴの道にある教会の彫刻、最後の審判>

camino de santiago
筆者撮影

その道が次第に踏み固められ整備され今の「サンティアゴの道」になった。巡礼者の為に警備団が作られ宿泊所が出来ガイドブックまで作られた。王達によって病院や救護施設が整備され巡礼者たちを守った。少人数で歩くと危険なので警備団や僧侶や音楽隊や金貸しや道化師や娼婦まで一緒にグループを組んで歩いた。それが今のサンチアゴの道の始まり。日本のお伊勢参りの様に人々はフランスやドイツなどからこぞってサンチアゴ参りをするようになった。

 

<サンチアゴの巡礼街道を歩く巡礼者>

camino de santiago
筆者撮影

サンティアゴ様には三つの姿

サンティアゴ様は3つの姿がある。12使徒のサンチアゴ、モーロ人殺しのサンチアゴ、巡礼姿のサンチアゴと教会の祭壇等に作られるときはこれらの姿で現される。

<12使徒のサンティアゴ>

santiago
筆者撮影

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<マタモーロ・サンティアゴ(モーロ人殺し)>

<巡礼姿のサンティアゴ>

santiago
筆者撮影

スペイン全体の守護聖人がサンチアゴです。

サンチャゴの道をサリアからサンチアゴ・デ・コンポステーラまで115キロ歩く人の為の色々まとめてみた

聖年

7月25日がサンティアゴの日 その日が日曜日になる年を聖年と呼び聖年に巡礼をすると多くの免罪がある。聖年にだけ開けられる扉があってそこから大聖堂に入ると多くの罪が許される。聖年は11年、6年、5年、6年ごと。前回が2010年 次の聖年は2021年。

2016年は慈しみの特別聖年(フランシスコローマ法王の宣言)で免罪の門が開けられました。

 

<バスク地方>バスク人が住むパイス・バスク。スペインは多民族国家

スペイン17州のひとつ「パイス・バスク州。」ピレネー山脈の麓からビスケー湾にかけバスク人が住んでいる地。彼らはそこを「エウスカル・ドゥナック」と呼ぶ。「バスク語を話す人」と言う意味のバスク語。

スペイン人が来るよりもっと前から住んでいた人達。半島がローマ化して行った時も組み込まれずローマ人を追い返した勇敢な民族だ。ローマの後にやって来た西ゴートもバスク人の反乱に手を焼いている。反骨精神旺盛で簡単に強いほうに転がらない。そして今もスペインからの独立を求めている。フランス側にもフランスバスクという地域があってバスク人が住んでいる。国境という概念が無かったころから住んでいる人達です。バスクは一度も国を持ったことはない。

 

 

バスク語

バスク語は言語系統不明でインド・ヨーロッパ語族には入らない。旧ロシア連邦のジョージア共和国(グルジア共和国)で話している言葉と似通っているらしいがまだまだ学者の間でも共通の見解はない。

日本語との共通点を指摘している学者もいるが不明。

 

パイス・バスク地方の人口は215万人しか居なくバスク語話者はたったの60万人程。その言葉が8個の方言に分かれているので学者達を悩ませている。人口の60パーセントが血液型RHマイナスと言う特殊性だそうです。

 

バスクはフランス側にもフランス・バスクがあって近代国家の国境で分断されている地域。
人口比率はスペイン側80パーセント、フランス側20パーセント。

 

 

世界で活躍

この少数民族が優秀で勇敢。個性的で凄い。世界史に出てくるレベルのバスク人が大勢います。

 

大航海時代世界一周したのはセバスチャン・エルカノ(マゼランは途中で亡くなっています。)イエズス会の創設者イグナチウス・デ・ロヨラ。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル。日本人の魂を持っていたソーブール・カンドウ神父。(フランス・バスク)広島で被爆しながら日本人の為に活躍したペドロ・アルーペ神父。音楽家サラサーテや哲学者ミゲール・デ・ウナムノ・・・

 

そしてサッカーの「アトゥレティコ・ビルバオ」は選手はバスク人だけの強豪チームです。
肉体的特徴はガッチリ体格が良く首が太め、鼻が鷲鼻で野性味ある。

 

独裁者の時代は弾圧

フランコの独裁政権下は抑圧されバスク語を話すことを禁止された。

大きな街ではほとんどバスク語を聞くことは無かったようです。しかし山あいの村では家族の間で大切に話し継がれていた。


独裁者亡き後再び民族運動が起こり今は学校でもテレビでもアニメでもバスク語が使われるようになりました。

今はスペインの法律で2カ国語併記が決まっているので道路標識や案内にスペイン語とバスク語が併記されている。右がスペイン語左がバスク語。

<バスク語とカスティーリア語の2カ国語表記の標識>

スペイン語とバスク語併記の看板

スペインの中で最も豊かな地域

山があって谷があって海があって作物が豊かで景色にリズムがある。人々は働き者で勤勉だ。バスクだけのGDPはヨーロッパ平均よりうんと上を行く。多くの日本の人たちが持つスペインのイメージとは、たぶん程遠い。バスク発祥の大きな金融会社やエネルギー会社はヨーロッパでも上位の優良企業。

 

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パイスバスクまとめ

 

スペインというとフラメンコと闘牛とパエリアだと思っていませんか?スペインもほかのヨーロッパの国ともども民族問題を抱える多民族国家なのです。そして多面性を持った国なのです。独立を求める過激派組織と政党は最近は少し静かになりましたが以前はテロも有りました。世論調査をすると独立を求める人口は減っています。

バスクは食べ物が美味しい。豊かで海と山に囲まれているので素材が豊か。景色も変化に富んでいて楽しめます。工業都市ビルバオにはグッゲンハイム美術館、フランスとの国境サンセバスティアンには個性的なレストラン。フランスバスクまでもすぐ近くなので周りの街の見学もしながら楽しめる地域です。

 

バルに行こう。スペインでバルの入り方ノウハウ、注文の仕方や支払い方。

スペインに行ったらバルに行こう。絶対にどこの街もバルがある。憶せず気にせず入ってしばらくすれば居場所が出来る。朝は朝食、昼は定食、夕方におつまみが出て夜は一杯飲める。スペインの生活に欠かせないのがバル。

常連さんばかりのバルでも別に誰も嫌がらないのでどんどん入りましょう。周りの人なんか気にしないで何処かに隙間を見つければそこが貴方の場所です。この記事ではスペインでのバルの入り方や注文の仕方を説明します。

 

ラス・ブラバス
筆者撮影

スペインにいるならバルに行こう


バルは生活の一部

バー(Bar )と書くと日本では「お酒飲むところ」だけどスペインのバルはもっと健康的な雰囲気。子供連れや女性客やおじいちゃんおばあちゃん老若男女皆んなでやって来る生活の一部。

細長いカウンターがある飲食店、棒状の物を英語でバー(Bar)スペイン語でバル(Bar)  朝はコーヒーや朝食からお昼時は定食もあったり夕方はおやつやおつまみ。お酒もあるしスペイン人の日常に欠かせない生活の一部。それがバル。
同じ時間に同じバルに行くと同じ席に同じおじさん毎日いるの。本当に生活の一部なんです。

入ってからさあどうする

バルに入ったらまずは「オラー」と挨拶。Holaは英語のハーイ見たいな気さくな挨拶です。日本でお店に入って挨拶しない事が多いかもしれませんがこちらではお買い物でもレストランでもバルでも知らない人でも必ず挨拶をします。なのでバルに入ったら大きな声で「オラー」と挨拶をしてください。これはとっても大切な事です。あ、にっこり笑って、ネ。

バル・サントゥルセ
筆者撮影

 

スペイン人て一見愛想悪い人もいるけど人の事気にしてないからなんです。愛想笑いとか絶対にしないしお客様様様〜とへりくだらない。お客さんを「神様」なんて絶対に思っていないので「えーっ」てな対応も時々あるけど気にしない気にしない。「神の前では皆平等。」これぞスペイン人の人生感。めちゃ偉い人もあんまり踏ん反り返ってないしサービスする方もへりくだっていない。なのでしばらくして慣れてくると何とも居心地がいいのです。

 

大事な事は相手が誰でも態度は同じ。「自分は自分だし人間は平等」というのがまずは前提なんです。それも知った上で、「オラー」と言って入っていこう。

せかさない事。これ大事

バルに入りました。カウンターに無茶苦茶いっぱい人がいる。カウンター中のセニョールはさっきから他のお客さんと楽しくおしゃべり中だ。

ここは一発大きな声で「ヘイ〜〜エクスキューズミー」なんてとっても上手な英語で声をかけると多分当分順番は回って来ない。もしかしたら永遠かも………

カサ・ラブラ
筆者撮影

 

暫くはジーーーーーッと様子を見て相手がこっちを見てくれるまで見つめる。
そうただ見つめる。(スペイン人なら気にせずおしゃべりして気長に待つんですが。)

ちょっと右手を上げるくらいは大丈夫。そうすると大抵は3分以内に「Hola !que les pongo?」「何します」こう言ってもらったらラッキー。やっと注文が出来る。そう、大事な事はせかさない、なんです。

ビールを注文

「ビールを2つ下さい」=「ドス・セルベッサ・ポルファボール」
とガイドブックに書いてあるけど通常バルでは小さなコップ(日本の喫茶店でお水入れるくらいの)に生ビールを注ぐ。このタイプを「カーニャ」と言います。スペイン人は何軒かのバルを梯子するので大きなコップでビールを飲むと2軒目や3軒目に行けなくなる。だから「カーニャ」で小さなコップで飲んで次へ行くのです。

正解は*ドス・カーニャス・ポルファボール

*ビールをひとつください=「ウナ・カーニャ・ポルファボール」、ビールをふたつ下さい=「ドス・カーニャス・ポルファボール」と最初の数字を変えて使ってください。お店によっては小さなおつまみが着きます。写真はマヨール広場近くのニェル。ビールにおつまみが付きます。2敗目頼むと別の物が付くんです。

 

バルのタパス

バルは朝食から夜のお酒まで

バルは朝食からお昼の定食や夜のお酒まで大抵ずっと開いていて何でもやっている。朝の11時頃はスペイン人の2度目の朝食、スペイン中のバルは劇混みです。

バルによってしっかりしたキッチンを持っている店ならカウンターで美味しい料理を試す事が出来る。壁の黒板にお品書きがあって Racion と書いてあったら一皿料理 Tapas と書いてあったら小皿料理。(ただキッチンはずーとやっているわけではなくレストランの営業時間の少し前からの場合が多いので注意)

店主のセニョールと仲良くなって明日も明後日も通ったら一杯奢ってくれるなんてことも良くあります。

お支払いは最後で大丈夫


色々頼んだ後まとめて最後に支払ってもいいし一杯づつ払っても大丈夫です。お店によって様々なので周りの人の様子も観察しましょう。
支払いは空に字を書く感じでも通じるしスペイン語で「クアント・エス?」
又おじさんがあっち向いてたらこっち向くまでジー〜ーッと見つめて「クアント・エス?」又は省略して「クアント?」でも通じます。

「カーニャ」一杯お店や地域によるけど1.2ユーロとか1,5ユーロです。観光地などは大きめのコップで2ユーロとか2,5ユーロも。それくらいならチップおいても置かなくても構わない。お釣りが出たら10セント20セントくらい残していきます。

もしかしたらさっきの心が通じたおじさんが「もう払ったヨ」何て事も結構あるんですよ。

バルで少しスペイン語ができるとその経験はもっと楽しいものになります。スペイン語は発音が簡単なのでローマ字読みで大抵通います。少しだけでもスペイン語の単語や言い回しを使ってみてください。

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まとめ「バルに絶対行こう」


マドリッドはツーリスティックな所が増えて人気店は超忙しく働いている人も外国人で昔のスペインの暖かさが表面上見えにくくなってきたけれど観光客ばかりのお店を外せばそこはやっぱり私の大好きなスペインがまだまだある。

 

アンヘル・シエラ
筆者撮影

是非ともスペインに来たらバルに入ってください。ちょっと待たされたり言葉が通じなかったり間違ったりストレスも多いかもしれないけれど、日本に帰って自販機でコーヒー買ったりとかチェーン店のコーヒー屋さんに行った時、絶対泣きたくなる位懐かしい思い出になってる。

バルでスペイン語を使ってみましょう。下の記事はバルで使えるスペイン語講座です。

バルで使えるスペイン語<旅行中に便利な簡単なスペイン語・バル編>

オウレンセの温泉。いい湯だな、露天風呂。はいスペインですよ〜〜。そして無料。

ガリシア州のオウレンセには露天風呂があります。ここはなんと2000年前にローマ人が温泉を見つけて入っていた歴史の古い温泉。イベリア半島にやってきたローマ人は200年くらいかけてこの地をローマ化して行ったので今でもあちらこちらにローマの遺跡が残っています。ローマ人はこんなに最果てにまでやって来て温泉楽しんでいたそこに日本風の露天風呂が出来ました。無料ではいれます。

ガリシア州オウレンセの温泉


温泉と書いてある

日本人の建築家の方の設計だそうで日本の露天風呂の様になっているが男女混浴で水着を着てビーチに行く感覚で温泉に入ります。そして無料。

ローマ人の頃から温泉

 

オウレンセ市内に4か所の露天風呂

オウレンセの源泉76度で市内に4箇所それぞれの泉質も違うようです。ミーニョ河のほとりに2か所

*Chavasqueiraチャバスケイラ

こじんまりしていて私はこちらがお気に入り。

 

オウレンセの温泉

すぐ横にカフェテリアとお手洗い、有料部分が有ります。着替えるところは無いので地元の人達は家から水着を着てその上にワンピース等。終わったら上手に着替えて帰って行きます。タオル等も持参でカバンは目の届くところにおいておく。

 

*Outariz オウタリッスの露天風呂

オウタリッスのほうは広い範囲に露天風呂があってリゾート地風。芝生が大きいので一日のんびりするのにはもってこい。ここもカフェとお手洗い、有料部分が敷地内にある。

 

オウレンセの露天風呂

 

地元の社交場

管理されていていつもきれいにお掃除されています。色々規則もあってとても清潔です。管理人のおじさんもいて色々目を光らせてくれているので安心。朝のうちは地元のおじいちゃんおばんちゃんの社交場。地元の人同士はガリシア語で話しているけどカステジャーノも話せるから何か聞けば気さくに輪に入れる。大体温度は43度くらいに保たれていて湯船によって温度を変えてある。

オウレンセの露天風呂

近くにお手洗い。バル。バルで軽食食べれます。カップラーメンがあって驚いた。タオルは持参しましょう。芝生でごろりと休憩できるので下にひくものあったらいいですね

洗い場や着替えるところはありません

洗い場とか着替えるところはなく石鹸も使えません。シャワーがあるので軽く汗を流して入りましょう。無料なので着替えるところもありません。地元の人は水着の上に着替えやすい服を着て上手に脱いだり着たりしていました。

本来自治体の税金で賄われてい地元の人たちのものをみんなに開放。有り難いのでレストランやホテルでお金を使って地元にお金を落としていきましょう。

絶対水着着用です。

 

もう1つのフランスの道。ヴェズレー。

サンティアゴの道 ヴェズレー

フランスからサンティアゴに向かうルートはル・ピュイの道、アルルの道、ヴェズレーの道。とパリの道。
実際はベルギーや東欧等フランスよりもっと向こうからサンティアゴを目指した長い道。
1000年も前の話です。

 

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フランク王国、時代はカール大帝の戴冠、イスラム教徒との軋轢、カトリックの宗教的熱狂。
ヴェズレーは多くはベルギーの方からの巡礼者が通過していった街
今はヴェズレーの道の出発点

 

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フランスの美しい村にも選ばれた事がある綺麗な村です。
丘の上にサント・マドレーヌ寺院
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マドレーヌ寺院

実はここにマグダラのマリア様のご遺体が安置されていて修道士達によって大切に見守られています
なのでマリア・マドレーヌ=マグダラのマリア

 

フランスには沢山マドレーヌ寺院がありますがマグダラのマリア信仰が根強い訳です。
(実はここのマグダラのマリアの遺体は偽物説もあり本物は南仏のマクシミリアンと言うのが
今では有力説のようですが長きに渡って人々に信仰されてきました)

ロマネスクのタンパン

見所はマドレーヌ寺院のタンパン
ロマネスク時代のもので素朴な彫刻

 

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ロマネスク時代とサンティアゴの道が多くの人に歩かれた時代が重なるのは偶然ではなく
人の往来が激しくなり、教会建築様式が道と一緒に伝わっていった。

 

巡礼者も1人で歩くのは危険なので仲間だけじゃなくて道化師や娼婦や修道士や金貸しや
偽医者やらと歩いてその中に石工がいたはず。
ヴェズレーからサンティアゴ・デ・コンポステーラ1691キロメートル
1日25キロ歩けたとして68日

 

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アレ、道路工事中?



コンクの教会。最後の審判。

サンティアゴの道

フランスからのサンチアゴの道で最も美しい街、コンク。

フランスの「最も美しい街」にも選ばれた事があり本当に綺麗で

子供の頃に読んだ絵本に出てきそう。
木組みの家から小人達が出てきそうです

 

コンクの街並み

中心にサント・フォア教会

あまり馴染みのない聖人ですが4世紀に殉教した女の子がフォアちゃん

キリスト教を捨てずに殉教して聖人になって
その彼女の聖遺物が納められている。
巡礼者達の守護聖人として人気があったらしい。

ロマネスク彫刻

ここの秘宝は正面のタンパン
最後の審判

 

サント・フォア教会のロマネスク彫刻タンパン
ロマネスク彫刻の最高傑作です。もっと近くでいつまでもいつまでも見ていたい
キリストの向かって右側が地獄で絶対地獄の方が面白い。これを見たら800年位前の人達は本当に恐ろしかったと思う。ぎゃーとかヒィ〜とか声が聞こえてきそうです。

 

最後の審判、地獄
最後の審判、地獄
ガブッ
最後の審判、地獄
ヒィ〜地獄はこんなに怖いぞ悔い改めよーサンチアゴへ行くんだーそうすれば赦されるー
そういうメッセージ
image.jpeg コンクの教会

フランスの小さな村は魅力的です。サンティアゴの道にある綺麗な街の記事         もう1つのフランスの道。ヴェズレー       「ル・ピュイ」道はフランスから始まる
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「ル・ピュイ」道はフランスから始まる

サンティアゴの道、フランスの道

サンティアゴの道は幾つもルートがあってその1番有名なのがフランスの道

出発地の1つと言われるル・ピュイの道
正確には ル・ピュイ・オン・ヴレ

ル・ピュイ
サンティアゴまで1600キロメートル
1日25キロ歩けたとして63日もかかる
着くことより始めることが大事なのでしょうか。
歩きながら考えることや何かを感じることが道なんでしょうか。

ル・ピュイ大聖堂

大聖堂は東方の影響を受けた様な佇まい
コルドバのメスキータやエジブトの神殿の様
ノートルダム 我々の聖母 大聖堂
ル・ピュイの大聖堂
ピュイのマリア様は黒いんです
赤子キリストを抱いた黒い聖母子像 (本物は消失)
オリジナルは言い伝えによると第7回十字軍の時に聖王ルイによって寄贈されたと言われ
エジプトの土着のイシス神、又はコプト教等諸説ある様です
ル・ピュイの黒いマリア様
年に1度マリア様お神輿で外に出るそうです
キリスト教は長い年月の間にそれぞれの文化とうまく折り合いをつけ、
土着の神様や信仰と混ざりながら定着した。
人間は自分の求めている形に神様を変化させてきたのかもしれない
サンティアゴ様
あ、サンティアゴ様
何だか知らない街で親しい人に会ったような気持ちになれた。

フランスのサンティアゴの街ほかの記事はこちら                          もう1つのフランスの道。ヴェズレー 

コンクの教会。最後の審判

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え〜〜大聖堂にニワトリ?「 サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ」

サンティアゴの道<サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ>

巡礼や宗教に奇跡はつきもの。このサンティアゴの道は1000年も人々が何かを求めて歩いた道。色んなドラマがあったに違い無いし今日も誰かが怒ったり泣いたり。喧嘩したり笑ったり、そして奇跡が起こっているに違いない。

 

「サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ」
「石畳の聖ドミンゴ様」
という名前の街
彼はサンティアゴの道に病院や橋や石畳の道を造った修道士
この街の大聖堂に眠っています
石畳の聖ドミンゴのお墓
この辺りはリオハ州。スペインワインの中でも取って置きの優れものの産地。綺麗に手入れされたぶどう畑を進んで行くと遠くに教会の塔が見えて来た。中世の旅人に取っては、いや、今歩く人達にも目印や目標より心の支えだと思う。

 

サント・ドミンゴの大聖堂

 

 

奇跡

ここで奇跡があった。昔々巡礼が命掛けだった頃、ある若者が両親と遠くからサンティアゴ目指して歩いて来た。やっとこさこの街に荷物を降ろして宿を取った。その旅籠の娘が若者に一目惚れ。迫るは言い寄るはあの手この手で若者に「付き合ってくださいッ」。しかし若者は冷たく「無視」して宿を立ち去る準備。悔し紛れに娘は若者の荷物に銀のコップを忍び込ませた。そして「彼は泥棒〜〜」と訴えた

 

当時の法律では泥棒は絞首刑。若者は捕まり広場で吊るされた。ところが、1ヶ月経っても若者は吊るされたまま生きている両親はサンティアゴの巡礼を終えて戻ってきてビックリ。そして若者は両親に「どうか判事に私の無実を話して下さい。私は聖ドミンゴ様に守られております。」

何とか判事に謁見が許された両親、判事は食事中。チキンの丸焼きを頬張る寸前「フン!そやつが生きているなどど言うのはこのニワトリが生きていると言うのと同じ事ジャ!」すると突然丸焼きチキンが立ち上がりコッコロコッコッコ〜〜(スペイン語だと鳴き声これ)と鳴いて若者は絞首刑台から降ろされ両親と故郷へ帰って行ったとさ。

 

という奇跡があったとされ大聖堂に今もつがいの真っ白なニワトリが飼われています

大聖堂に鶏

ちょっと写真じゃ見えにくいですが上の箱の中に二羽のニワトリ。

 

大聖堂に鶏
世界に数々素晴らしい大聖堂が有るけれど中にニワトリが飼われているのはここだけです。

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だけどこの両親吊るされた息子置いてサンティアゴ行ったんだ〜〜冷たいなあ。

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