エビのアヒージョ100年の老舗<カサ・デル・アブエロ>

スペインを旅行するなら絶対食べたいおすすめ

旅行の楽しみは絶対食べ物が大きい。スペインは美味しいものがいっぱいありますがバルだと色んなものをあれこれ試して楽しめます。まずはおすすめしたいのが「エビのアヒージョ」。マドリードには老舗のバルが沢山あって迷ってしまったときはここに是非行ってみてください。絶対おすすめです。中心部ソル広場からすぐ。

バリオ・デ・ラス・レトラス

この地域の名前はバリオ・デ・ラス・レトラス。文学の地域と呼ばれる一角はなぜか今はバルや飲食店がいっぱいでいつも賑やか。16世紀から17世紀にセルバンテスやケべド、ローペ・デ・ベガ等の文学者たちが住んだ地区です。このあたりは今風のかっこいいお店もいっぱい出来ていて近くの「サンタ・アナ広場のテラス」でおいしいビールというのもとっても素敵です今日は100年以上営業しているお店エビのアヒージ老舗バルにご案内します。

カサ・デル・アブエロ

カサは家、アブエロはおじいちゃん。「おじいちゃんの家」という意味のバル。本店は椅子のない小さな店舗。1906年創業なので正確には111年前から営業です。オリーブオイルにニンニクと岩塩だけの味付けなのに何故か自分の家でこの味が再現できない。エビのアヒージョはスペイン語で「ガンバス・アル・アヒージョ

今は4代目で同じファミリーで今もやっているそう。最初はボカディージョ(サンドイッチ)屋だったらしいですが1940年ころからエビを初めて今に至っている。エビのメニューはフライと鉄板焼きとアヒージョ。

もちろん注文が入ってから作ってくれる。入口の横に小さなキッチンがあっておじさん達交代でアヒージョ作り。小さなガスコンロが沢山あってそのうえでジュージューと目の前で作って出てくる様はまるでたこ焼き屋さん。平日でも何時もいっぱいです。地元の人達もやって来て一杯飲んでエビのアヒージョを食べたらすぐに出ていく。「バルで長居はしない」これスペイン風。

向かい側にも店舗。

本店のバルはいつも混んでいて椅子も無いのでギューギューの所で立って食べたくない方はこちら。本店より空いていて広くて椅子もある。道挟んで向かい側です。本店で作ったのを運んでいるので味は一緒。足痛いしいっぱい歩いたしなんて時座りたい時は是非こちらへ。

 

注意

どちらもスペイン人が来る時間はかなり込みます。お昼の13時30以降から16時、夜の20時以降から23時。できれば少しその時間を少し外していきましょう。お昼の12時からノンストップでずっと開いています。

エビだけじゃなくてもっと色々食べたいときはこちら

 

もう少し他の物も食べたいしゆっくりしたい方にお勧めなのはこちら。すぐ近くにもう一軒カサ・デル・アブエロ。こちらはレストランなのでメニューも沢山あります。割といつも空いているので落ち着いてゆっくりあれこれ食べたいときはこちらがいいです。もちろんエビのアヒージョもあります。

 

 

アスパラガスの鉄板焼き

パエリア一人分から。通常最低2人前なのでこれは嬉しい。

ほかにも子豚とかタコとかイカとか何でもあるので居酒屋風にいろいろ頼むのも楽しいです。もちろんエビのアヒージョもあります。

手長エビは鉄板焼きにしてくれます。

このあたりずっとバルなので迷子になりながら気に入ったところ梯子して楽しんでください。

もう一軒なら

私たちはもう一軒ならムール貝屋さんで仕上げます。店内はムール貝で装飾されていて食べた後のムール貝がお店の床に散乱しています。床にゴミが落ちているほどスペイン人が立ち去った後=すなわち地元民ではやっている安くて美味しい店のしるし。

周りは今風のかっこいいお店ばかりになったけど流行おくれの昭和の香りのまま頑張っているバルです。色んな味付で楽しめてアリオリ(ニンニクとオリーブのソース)やピカンテ(ピリ辛)何種類もあります。他にポテトやタコもあります。

他記事です

中心部にはこんなバルもありますよ <ビールを頼むとタパスが無料で付くバル >

スペイン語を使いましょう。バルで困らないようにスペイン語のお勉強用。           <バルで使えるスペイン語>

 

行き方

メトロ1号線2号線3号線 ソル下車徒歩5分(ソルからヘロニモス通りをプラド美術館方面に歩くとムセオ・デル・ハモンがある。そこを右に曲がると突き当り右手)

下にお店のホームページとトリップアドバイザーです。

http://lacasadelabuelo.es/

TripAdvisor (トリップアドバイザー)

本店 la casa del abuelo  calle victoria 12  毎日12:00から00:00

レストラン calle Nunez de Arce 5  毎日12:00から01:00

*新店舗がマヨール広場からトレド通りに入ったところに。マヨール広場界隈からならそちらへ。

まとめ

この界隈バルが軒並み続いていて歩いているだけで楽しめます。どこに入っても失敗なしです。道が入り組んでいて斜めに交差しているのでいまだに私は迷子になります。それも楽しんでスペイン旅行マドリードおすすめのバル街。絶対本場のエビのアヒージョ試してお帰り下さい。

 

*治安について(カタルーニャ独立関係含む)

カタルーニャ独立問題2017年10月17日

カタルーニャ州知事から明確な回答が無く今後の相談交渉の要望。木曜日朝10時までの猶予期間となっています。街は特に問題なく日々の生活が行われていますがバルセロナご旅行の方はいつも最新の情報を手に入れて下さい。

カタルーニャ独立問題2017年10月16日

スペイン時間午前10時にカタルーニャ州首相はスペイン政府からの通告文に答えなければならない。10月10日に「独立宣言をしたのか否か」というのが争点。独立宣言をした場合スペイン憲法155条が適用される可能性があるがさらに3日間の猶予(木曜日)。バルセロナ旅行中の方は情報収集を常にしてください。危険はないと思いますがデモ隊などには近寄らないようにしてください。

カタルーニャ独立問題2017年10月11日

本日マドリードの中央議会でカタルーニャについて議論される。155条発動は未定だが首相はカタルーニャとの会話の糸口を探すとボールを投げた状態。

マドリードの街は平和です。おそらくバルセロナも。ニュースを見ていなければ何も起こっていない以前のスペインのままです。旅行されるのに特に問題は無いですが念のため情報収集に努めてください。

 カタルーニャ独立問題2017年10月10日

本日10月10日18時からカタルーニャ州知事プッチデモンによる独立宣言がある予定で混乱が予想されましたが独立宣言延期となりました。明日10月11日中央政府が会議を開き憲法155条を発動するか決定するようです。発動されるとカタルーニャの自治権剥奪となりさらに混乱の可能性はあります。カタルーニャ旅行中の方はニュースや情報の収集をしてください。

カタルーニャ独立問題に関して2017年10月9日

本日10月9日マドリードは普通です。ニュースは事件を報道するの全国混乱の中のような印象があるかもしれませんが殆どの地域では平静な毎日です。明日10月10日にカタルーニャ州政府が独立を表明すればスペイン政府は憲法155条を発行しカタルーニャ自治権はく奪に動く可能性ありです。バルセロナ旅行中の方は人の多い所やデモ等に近寄らないようにしてください。

2017年8月バルセロナ中心部テロ後

テロとその関係者は逮捕か射殺されましたが以前どこで何が起こってもおかしくない状態です。旅行する方は情報収集を欠かさず、人が多いところは気をつけて・・・と言われても困りますよね。今厳戒態勢の中警察がどこにでもいて安全を感じます。何も起こらないことを祈るのみです。出かけるときは身分を証明できるもの、パスポートのコピーと日本大使館の電話番号等をできればポケットや安全ベルトに入れておきましょう。

日本の外務省がやっている旅レジに登録をすると日本語で旅先の安全情報を受け取ることが出来ます。言葉のわからない所で事件があったとき等に便利なので登録することをお勧めします。

https://www.ezairyu.mofa.go.jp/tabireg/

2017年8月末現在町は平静を取り戻しました。テロリストについても色々な事がわかって来たようです。駅や空港、美術館等は機関銃を持った警察が巡回しています。

人々はテロに屈しないためには日常生活を続けることだとコンサートに行ったりお祭りに行ったりしてまるで何もなかったようです。

 

以下はテロの前に書いた盗難に関して実際にあったケースの紹介

20017年現在の治安

スペインの治安はそんなに悪くはないんです。この写真はある小さな村でパン屋さんがパンを配って置いていったところ。小さな村でよく見る光景。誰も盗んでいかないし信頼関係がある社会でないと成り立たないシステム。本来スペインの社会はこんな感じです。大都会では残念ながら外国人スリ集団が活躍していて観光客を狙っています。楽しい旅行をする為に知っているだけで防げることが沢山あります。殺人事件なんてほとんど聞いたことないですし通り魔的な事件もありません。ほとんどスリや置き引き。それも気が付かないうちになくなっていたというケースです。だからちょっとした注意で防げる事件ばかりです。

旅行を素晴らしい思い出にする為にその傾向と対策をレポートします。

ほとんどはちょっとしたスキを狙ってのスリ 本当にあったケース

食事をしているときに背もたれに掛けていた貴重品が入ったバッグが盗まれた。

靴の試着をしているときに椅子の横に置いたパスポートを入れたカバンが無くなった。

リュックに入れた貴重品が知らない間になくなっていた。

話しかけられてしばらくして気が付いたら横に置いたカバンが無くなっていた。

食事をしているときにテーブルに置いたスマホが気が付いたら無かった。

地下鉄で空港から町に向かうとき何人かに囲まれて夫婦2人とも貴重品が盗まれた。

仲良くなって一緒にビールを飲んだら眠ってしまい目が覚めたら貴重品が無くなっていた。

ホテルの朝食の時座席確保ように置いたカバンが戻ったらなかった。

このようにちょっと気をつければ防げたはずのスリがほとんどです。まずは狙われない用にする。国防と同じです。リュックは体の前に。ハンドバッグに貴重品は絶対に入れないで体の中に隠せるタイプの貴重品袋を使う。夜バルに行くときは大金やパスポートは腹巻が鉄則。人の集まるところはスリも沢山いると思っていつも警戒してください。

高級ホテルでの置き引き等 実際にあった手口

ロビーで待ち合わせている間に横に置いたカバンが無くなった。

ホテルの喫茶でお茶をしている間に背中にかけたバッグが消えてなくなった。

部屋に置いていたアクセサリーが無くなった・

何人かで一緒に歓談中すぐ横に置いていたカバンが他の物にすり替えられていた。

ホテル入り口で夜遅く煙草を吸っていたら手に持っていたバッグをひったくられた。

等これらもちょっとした注意で防げそうな事ですね。

こんな事件もありました。高級ホテルのロビーです  本当にあった不思議な話2

旅に出る前に

クレジットカードの番号と連絡先はカードに書いてありますので控えておきましょう。パスポートのコピーも必ず持っておきましょう。盗難にあった後の処理にかかる時間が短縮されます。いろんな連絡先なども一緒に盗難にあうことが多いです。最低必要なところは別にメモしましょう。腹巻型の貴重品袋は便利です。今は100均でも売っていますので持ってきましょう。

日本大使館

マドリッド日本大使館 住所 calle Serrano 109                                            9:30~13:15/ 14:45~17:30  ( 7月8月9:00~14:30) tel:915 907600

バルセロナ領事部 住所Avenida Diagonal,640                                                      9:00~13:00 /15:00~16:00 tel:932 803433

 

地域によってあまりお勧めできない場所もある。

ホテル選びは慎重に。個人旅行でホテルを選ぶ場合はホテルの場所の治安も調べましょう。場所によってはあまりおすすめできない地域もあります。旅行中は朝出かけたり夜遅くなったりスーツケースを持って出かけたりするので治安の安全な地域のホテルに泊まりたい。値段だけで決めずに安全性や利便性も考えて取りましょう。

テロについて

今のところISIL関係のテロは起こっていませんが念のため情報はいつも持っていましょう。警察が未然に防いでいて毎日のように関係者が逮捕されています。多くの人が集まる閉鎖されたところにはなるべく近づかない。家族や一緒に旅行している人の連絡方法は考えておきましょう。

最後に

治安に注意が必要なのは基本大都市だけです。地方都市はまず問題ありませんがアンダルシアのセビージャ、グラナダ、マラガなどは時々盗難があります。やはりいつでもどこでも注意をしましょう。

外国からきているプロのスリ集団達がほとんどです。全く気が付かないうちにカバンから貴重品だけが消えています。または何人かで仕掛けてくる劇場型もあります。

ちょっとした注意で旅行が楽しいまま終わるかとんでもない思い出になるかが決まります。日本が安全なのでうっかりしてしまう事があると思いますが狙われないように、狙われても大丈夫なように工夫をしていれば後は大丈夫。スペイン人は何かあったらみんな走って助けに来てくれますよ。

ブエンビアッヘ~

マドリード海軍博物館

海軍博物館

マドリード、スペイン海軍総本部の横にある博物館。カラベラ船やキャラック船の時代から無敵艦隊そして最近にいたるまでの船の模型が展示してあります。船好きでなくても美しい船の模型は圧巻、充分楽しめる博物館です。プラド美術館すぐそばなのでマドリッドで時間があれば是非お勧めです。

展示は時代ごとで最初は北海や地中海で活躍していた船やベネチア艦隊の船から始まる。

船の発展が良くわかる

1200年代のノルウェー船模型

1200年代地中海の貿易船模型

1300年代地中海の貿易船模型

 

ベネチアのカラック船模型 1500年ころ

スペインのカラック船模型 1500年ころ

 

カラック船

カラック船(キャラック船)は15世紀に地中海で開発された帆船。スペインではNaoポルトガルではNauと呼ばれた。ずんぐりしているが大西洋の高波でも耐えられた。もともとは物資、貨物を運ぶため貿易船として開発されたが戦闘用にも甲板が安定していて砲台を置くことも可能だった。ただあまりにも大きく突風での転覆や回転性能などの小回りの弱点があった。

 

カラベル船(カラベラ船)

もともとは北ヨーロッパで開発された商業船。13世紀から14世紀頃イタリアのジェノバ3で開発される。基本3本マストで3角帆を装備した外洋航海可能な帆船。スペインではCoca と呼ばれる。50トンから200トンの間で当時は中型船。ポルトガルのエンリケ航海王の時代に大西洋へ航海が始まり遠洋航海用に開発された。バルトロメオ・ディアスの喜望峰発見はこのt船。コロンブスの1回目は3隻のうち2隻がカラベル船1隻はカラック船。高い操舵性を持つことから探検活動が盛んになった主にスペイン・ポルトガルの探検家達に愛用された。

サンタ・マリア号模型

カラック船コロンブスの第1回目の航海。

ニーニャ号模型

カラベル船 コロンブスの第1回目航海

天球技や地球儀

 

1492年コロンブスはイサベル女王の援助のもとインドを目指してパロス港を出港。サンタマリア号(カラック船)に提督のコロンブス、ピンタ号とニーニャ号にピンソン家族が航海長として乗船し船員集めもピンソン家族に依頼。イサベル女王からの援助だけでは資金が足りなかったので船主たちに援助してもらう必要があり。ピンソン家族は熟達した船乗り達で彼の貢献なしでは大陸発見はあり得なかった。

六分儀 オリジナル18世紀

天体や物標の高度末平方向の角度を測るための道具。弧が60度なので360分の6で六分儀と呼ばれる。今でもほとんど形が変わっていないのが凄い。

使い方が良くわからないけど当時のいろんな道具が色々展示されています。

レパントの海戦

左端がローマ法王ピオ5世 館内の照明が光ってうまく写真がうまく取れない。

1571年今のギリシャのレパント沖での戦い。ヨーロッパ史初めての大海戦だった戦争。オスマントルコの地中海での前進を防ぐためにスペイン、ベネチア、ローマ法王、スペイン配下のイタリア諸都市、マルタ騎士団などが参加しキリスト教徒軍の勝利。

ガレー船

主に人力で櫂を漕いで進む軍船。古代からあった船の形。レパントの海戦が双方がこのガレー船で激戦を繰り広げた。構造が複雑で建造費が高くつき水封の調達が難しくなりレパントの海戦がガレー船の頂点だったと言われる。

 

 

ガレー船模型

ドン・ファン・デ・アストゥリアス

レパントの海戦でキリスト教連合艦隊総司令官。24歳だった。フェリペ2世の腹違いの弟。かっこよくて女性にもてもて。スコットランドのメアリースチュアートとの結婚話が持ち上がり本人はスコットランド国王になれるので乗り気で熱望。そのころにペストかチフスで死去。

 

 

往時のセビージャの街。大型船が大聖堂のすぐ横まで入っていた様子がわかる。

 

 

ホワン・デ・コサの地図 オリジナル1500年

この博物館の目玉はこれのようです。

ヨーロパで初めて新大陸を地図に描いた人物。左側がアメリカ大陸。コロンブスの1回目と2回目の航海に随行。合計8回の新大陸の航海に随行している。現コロンビアで先住民族に槍で刺されて死亡。

ラクダがかわいい

 

おしゃれな携帯用磁石 18世紀

インク壺。18世紀。揺れる船内で報告書や手紙を書くのは大変だったでしょうね。

 

ガレオン船

カラック船が発展した形式。4-5本の帆柱を備え1列から2列の砲列を持つ。」荷物が多く詰めてカラックよりスマートなので速度が出る。これがのち大量の砲を備えた戦列艦に発展していく。風の力で走るので漕ぎ手がいらないのでスペースが大きく物資を多く運べた。スペインのガレオンは派手さを意識し性能は悪くスピードもあまり出なかったので海賊の襲撃に弱かった。

 

ガレオン船 17世紀終わりから18世紀

ガレオン船 17世紀終わりから18世紀初め

 

この後スペインは凋落の時代を迎えるので負けた戦争はあまり展示なしでした。知らない海戦の絵も沢山ありオランダ・イギリスに相当やられたなあという感想。

インフォメーション

航海博物館 住所 paseo del Prado5 プラド美術館からすぐ

時間 火曜から日曜 10時から19時 8月10時から15時

入場無料 寄付金3ユーロ



いつも空いていて喧騒から離れて楽しめる博物館です。船やスペインの歴史をゆっくり堪能できます。大航海時代や無敵艦隊の頃を思いながら船乗りたちの夢や絶望が伝わって来る思いです。船好きでなくても楽しめる博物館です。

バルで使えるスペイン語<旅行中に必要な簡単なスペイン語・バル編>

バルで使えるスペイン語

スペインを旅行すると絶対お世話になるバル。どこの町でも自動販売機はなくてもバルはある。こんな良いもの世界中にあればいいなと本気で思います。是非旅行中にバルでコーヒー飲んだり定食食べたりビール飲んだり楽しんでください。

スペイン人の日常生活に欠かせないものでどんな小さな村に行っても必ずバルはあります。最初はちょっと居心地悪いけどすぐに馴染んできますので気にしないで入りましょう。

スペイン語は発音が簡単なので大きな声ではっきりカタカナで書いて発音すれば通じます。

まずは挨拶

オラ!hola!

オラはスペイン語で英語のハーイみたいな気さくな挨拶。日本で知らない人に挨拶しませんがこちらは一つの礼儀なので必ず挨拶しましょう。エレベーターに乗り合わせたりお店の店員さんにも挨拶を忘れずに。

 

呼びかけ

オイガ oiga もしもし

「oir」「聞く」というスペイン語の動詞、命令形の丁寧な形です。バルでも街で道を聞くときでもホテルのレセプションの人でもいつでも使える呼びかけ言葉です。

ぺルドン perdon

スペイン語で英語のパードンと同じ感じで使えるのでこれも覚えておくと便利です。

ポルファ・ボール por favor

(こちらの記事にバルの入り方や注文の仕方を書いています。) バルの入り方

スペイン語で英語のpleaseプリーズにあたる言葉でいろんな時に使えますね。ちょっと長いですが覚えておくと便利な言葉です。呼びかけるときでもお願いしますという意味でも使えます。

そうするとお店の人がカウンターの方から

ケ・デセア? que desea ?何をお望みですか?

ケ・テ・ポンゴ?que te pongo?何を置きますか?

注文 querer~

quererは欲しいというスペイン語の動詞、一人称はquiero キエロ

正確には「キエロ・ 数・品物・ポル・ファボール」 となります。

スペイン語の 構文の順序は英語と同じ キエロは英語のI wantにあたるのでI want one coffee with milk please だと

キエロ・ウン・カフェ・コン・レーチェ・ポルファボールとなります

実際は最初のキエロは飛ばして言っても大丈夫なので最後のポル・ファボールはなるべくつけましょう。

朝食

(良かったらこの記事も読んでみてください) スペインの食事は1日5回、朝食編

<コーヒーの種類>

カフェ・コン・レーチェ cafe con leche  ミルクがたっぷり入ったコーヒー

カフェ・ソロ cafe solo  エスプレッソコーヒー

カフェ・コルタード cafe cortado  エスプレッソに少しミルク

チョコラーテ・コン・チューロス chocolate con churros  ホット・チョコレートとチュロス

<パン>

パン・コン・トマテ pan con tomate パンにオリーブオイルとおろしたトマト

ナポリターナ デ クレマ napolitana de crema  カスタードクリームが入った菓子パン

<ジュース>

スーモ・ナランハ・ナトゥラル zumo naranja natural 絞りたてオレンジジュース

<それ以外の飲み物>

セルベッサ cervesa ビール

アグア agua お水

サングリア sangria サングリア

~ありますか

アイ ~?hay~?~ありますか?

英語の「Is there?」 何かあるかを聞くときに使えます。バルはお品書きがない事も多くどこ行っても決まったものしかないので~ありますか?と聞くときに使えます。お品書きも朝食だと看板に手書きだったり何も書いてなかったりなので質問をして尋ねる必要があるとき使えます。無言でほとんど何でもできる日本からだと面倒くさいですがこれも旅の楽しさ。

アイ・チュロス?hay churros? チュロスありますか?

アイ・ガスパチョ?hay gaspacho ? ガスパチョありますか?

アイ・カルタ・エン・ハポネサ?hay carta en Japonesa?日本語メニューありますか?まずないけど。

アイ・カルタ‣エン・イングレス?hay carta en Ingres?英語のメニューありますか?

これ頼んでない

間違って頼んでないものが来た時。

ノー・エ・ペディード・エスト no he pedido esto.これは頼んでいません。

間違って違うものが来たらはっきり言いましょう。

お支払い

最後にお支払い。しばらく食べたり飲んだりする場合も最後で大丈夫。

バルだと「クアント・エス?」 cuanto es ? いくらですか?

レストランだと「ラ・クエンタ・ポル・ファボール」 清算お願いします



ぼられないですよ。私は一度もないし聞いたこともないです。おつり間違って少なかったり多かったりはあると思いますがみんなスペイン人一般的に真面目なので安心してバルに行きましょう。そしてスペイン語を使ってみて下さい。

最後はアディオースadios さようなら。また明日来るならアスタ・マニアーナ。

ブエン・ビアッヘ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教画は意外と面白い。楽しむポイントを解説。

美術館を楽しむ鍵はキリスト教とギリシャ神話

ヨーロッパの美術館を回るとキリスト教の宗教画とギリシャ神話が中心。楽しむためには基礎的な知識が必要です。ほんの少しの知識で美術館は何倍も楽しくなるものです。

今日はキリスト教の宗教画の楽しみ方をご紹介。プラド美術館の作品を中心にそれ以外の物も交えてキリスト教の聖人達を見ていきます。

アトリビュート(象徴物)もともとはうまく絵が描けなかった頃これが誰それ聖人かがわかるように少しづつ決まっていったもので曖昧なものもずいぶん多い。

鍵  聖ペテロ

イエス・キリストの一番弟子ペテロはもともと漁師。イエスが彼を弟子にするときに「私についてきなさい。貴方を人間を釣る漁師にしてあげよう。」「そして貴方をペテロ(岩)と呼びその岩の上に我々の教会の基礎を作ろう」「貴方にこの鍵を捧げよう。天国の鍵を」ということで彼の象徴物は鍵。たいてい黄色い服を着て天国の鍵を持っています。ペテロが殉教したところが今のサンピエトロ寺院。私は貴方をペテロ(岩・イタリア語でピエトロ)と呼びその岩の上に我々の教会を…の言葉が成就したということでバチカンのサンピエトロ寺院がカトリックの総本山に。ローマ法王はペテロの後継者。

ジュゼップ・リベラ(ホセ・リベラ)

聖ペテロ  黄色い服に鍵 プラド美術館

リベラの時代はスペインの宮廷でのスペイン画家はあまり重宝されずイタリアのナポリで活躍した。カラバッジョの明暗法を継承しレアリズムの画家として人気。聖人を描いているのに理想像ではなく現実の人間臭い感じがリベラらしいところです。額の皺の深さにモデルはおそらくナポリの漁師。

 

 

エル・グレコ

聖ペテロ 黄色い服に鍵 グレコの家博物館

エル・グレコはギリシャ人画家。トレドに移住してほとんど注文主が教会だった。ベネチアで修業したので彼の色はベネチア派からの四原色。シリーズで12弟子を描いている現存する中のひとつ。聖ペテロ。トレドのエル・グレコの家に行くとシリーズ12弟子全員そろってが見れます。

 

 

ルーベンス

聖ペテロ 鍵  プラド美術館

フランドルの画家ルーベンスは画家だけでなく人文学者で外交官もやっていた。イタリアのマントバ公からスペイン王フェリペ3世へのプレゼントを抱え外交官としてスペインにやって来る。通常は黄色い衣装なんですがグレーっぽいですね。

 

 

逆さ十字 聖ペテロ

同じく聖ペテロはローマで逆さ十字の刑に会うので逆さ十字の絵も。聖ペテロが逆さ十字に会ったところにサン・ペテロ教会(イタリア語でサン・ピエトロ教会)創られた。今のカトリックの総本山です。

カラバッジョ

聖ペテロ バジリカ・デ・サンタ・マリア・デル・ポポロ(ローマ)

エウヘニオ・カヘス

聖ペテロ トレド大聖堂

盃 聖ヨハネ

12弟子のヨハネはキリストに最も近く愛された。たいていいちばん年齢も若く作品になる。エフェソスで毒のお酒の飲まされて殺されかけたが盃が蛇になって逃げていって助かったという話から象徴物は盃。

エル・グレコ

聖ヨハネ プラド美術館  お約束通り若く誠実そうに。盃にドラゴン。

 

 

ルーベンス

聖ヨハネ プラド美術館  ルーベンスらしく肉感的。肌の色の透明感や髪の巻き毛が綺麗。盃を持っています。

 

 

洗礼者ヨハネ 毛皮と生首

同じヨハネですがこちらはもっと年上。イエス・キリストのまたいとこで荒野を禁欲生活をおくりながら人々に水を使って洗礼を行っていた。ラクダの毛皮をまとっていたので象徴物の一つは毛皮。イエス・キリストにも洗礼を行ったので良く絵画にキリストの洗礼の場面がある。「悔い改めよ、天国は近づいた」とお説教していた。最後はヘロデ王とサロメの策略で斬首されるのでサロメが生首を持っている絵画もよくあります。

毛皮

エル・グレコ

洗礼者お羽キリストの洗礼     プラド美術館                          右側が洗礼者ヨハネ腰に毛皮  かなり晩年の物なので縦に引き伸ばされている感じ。

エステバン・ムリーリョ

幼子の洗礼者ヨハネ  プラド美術館

毛皮見えにくいですが背中側のあたり。犠牲を現す子羊。

 

 

レオナルド・ダ・ビンチ

洗礼者ヨハネ ルーブル美術館                                    誘ってる感じですがお約束の毛皮を着て十字架を持っているので洗礼者ヨハネです。

生首

洗礼者ヨハネは「悔い改めよ、天国は近づいた」と言って人々にお説教をしていた。エルサレムの王ヘロデ・アンティパスが兄弟の妻を娶ったのを非難していた。妻ヘロデアの娘がサロメ。王の誕生日会でサロメがうまく踊った褒美に欲しいものは「洗礼者ヨハネの首」と言ってっ首を切られて亡くなったのが洗礼者ヨハネ。その特異性と聖書の中の重要性から絵画のテーマに古くから使われている。オスカーワイルドの戯曲やシュトラウスのオペラなど数々の作品になっている。

ティチアーノ

洗礼者ヨハネの首 プラド美術館

カラバッジオ

洗礼者ヨハネの首 マドリッド王宮

カラバッジオらしくドラマチックで光の扱いも舞台みたいにドキッとさせる。

 

 

聖母マリアの服の色

聖母マリはは基本赤い服にブルーのベール。おそらく12世紀頃から真実、慈悲を現すブルーに血や愛を現す赤が使われる。その他純潔をあらわユリ、12の星の冠や三日月などがアトリビュート(象徴物)として一緒に描かれる。例外はフランドル絵画ではブルーのみ又はブルーの服に赤いベールの場合もある。19世紀にローマ法王ぴお9世により無原罪の御宿りの教義において聖母の衣装は白になる。

 

ベラスケス

聖母戴冠  プラド美術館

エル・グレコと工房

聖母マリア プラド美術館

フラ・アンジェリコ

聖母マリア プラド美術館   アルバ家からプラド美術館が最近入手2200万ユーロ位?。15世紀の板にテンペラ。ブルーの色が鮮やか。

 

 

青という色は人間が本質的に好む色かもしれません。生命は海からやってきたなら命の根源を感じるからなのか様々な絵画に綺麗なブルーが使われそれを見た人間が癒されてきた。ブルーはラピスラズリからとるのでたいへん高価なもので希少価値のあるものであったのも聖母に使うのにふさわしいと昔の人は感じたのかもしれません。

車輪  アレキサンドリアの聖カタリーナ

アレキサンドリアの知事の娘。3世紀頃当時の最高の教育を受けたカタリーナは母親の影響でキリスト教徒に。迫害者ローマ皇帝マクセンティウスのもとに行きキリスト教の迫害を非難する。手足を車輪に括り付けて転がされるという拷問を命じられるがカタリーナが触ると車輪はひとりでに壊れた。その後斬首刑。

カラバッジオ

聖カタリーナ  ティッセン・ボルネミッサ美術館

カラバッジオのドラマチック感が出ていて挑戦的な視線。今振り返ったばかりな感じ。 光の当たり方などドキッとする作品。綺麗な赤い座布団の上には殉教聖人を現す棕櫚の葉っぱ。

 

フェルナンド・ヤネス

聖カタリーナ プラド美術館

足元に壊れた車輪。

 

眼球 聖ルシア(サンタ・ルチア)

びっくりな絵ですがシラクサの聖ルシアはディオクレティアヌスの時代キリスト教を捨てるよう強要される。のどを切っても死なないので目をくりぬかれた。ルシアはラテン語で光という意味luxから。今も光の神様。目の悪い人の守護聖人。冬至の少し前12月13日がサンタ・ルシアの日。一年で最も日照時間が短い時期に光に帰ってきてもらうためサンタルシアを祝った。

作者不詳

聖ルシア(ルチア) プラド美術館  お盆の上に目玉が2個 棕櫚は殉教聖人を現す。ギョッとしますが見ているうちに見慣れます。

スルバラン

聖ルシア(聖ルチア) フランス・シャルトル美術館  お盆に目玉

乳房 聖アガタ

シチリア島カターニアの裕福な貴族の生まれの美しい娘。子供の頃にカトリック教徒として神に身を捧げる決意をしていた。ローマの総督が彼女の美貌と財産に目をつけ求婚するが断られ腹いせに牢屋に入れ乳房を切り落とす。祈り続けると傷が完治するがそのあと火あぶりの刑で殉教。

スルバラン

聖アガタ フランス・モンペリエ・ファーブル美術館  これもギョッとします。もっとむごい感じものあります。スルバランの聖女達はファッション雑誌みたいで綺麗です。

目元・口元・ほうれい線まわりの乾燥小ジワに!【エテルノ 美容液】

残酷なのが多かったですかしら・・・キリスト教の宗教画は色々見ているうちに面白くなってきませんか?美術館はいろんな切り口で楽しめます。プラド美術館に行ったら知っている聖人たちを探してみてください。

プラド美術館を有名な作品見逃さずに効率よく回れるコースを考えました。         <プラド美術館無駄なく回る1時間コース>

 

アスタ・ルエゴ

スペインの歴史ダイジェスト版

いつ頃人類がスペインにたどり着いたかはまだ不明な点が多いが180万年から150万年前と考えられている。20世紀に発見されたいくつかの遺跡の発見の中でアタプエルカ(ブルゴス県)でまとまった人骨が発見され43万年前の物と言われる。(世界遺産)

アルタミラ洞窟

1875年アマチュア考古学者が娘と草原を歩いていると娘が洞窟の中へ入って行って壁画を発見。約2万年前の牛や鹿の後期石器時代マドレーヌ文化のもので生き生きとした生き物たちが描かれている(世界遺産)そのあとフランス・スペイン国境あたりでラスコーなど数々の壁画の発見に繋がる。

(カンタブリア アルタミラの洞窟)

 

巨石文化

紀元前2000年ころの巨石文化。いまだにどういう民族が残したか不明。エーゲ海のクレタ島や地中海のマルタ島などの関連があるかも。主にアルメリアなどの地中海とバレアレス諸島に集中。巨石文化はイベリア半島からヨーロッパに広がりフランスのカルナックやイギリスのストーンヘンジ等へ伝わって行ったと言われる。

( アンテケーラのドルメン)

 

タルテッソス

紀元前1000年ころ南西部グアダルキビール河のほとりに誕生した国。スペインの歴史に謎の部分が多い。旧約聖書に出てくるタルシュス。金銀銅錫の集散地だったが突然姿を消した謎の文化。伝説のアトランティスではないかと言われている。

ケルト・イベロとフェニキア

紀元前900年ころからインドヨーロッパ語族がピレネー山脈を越えて入って来る。先住民族イベロ族と混血を繰り返し今のスペイン人のルーツとみなされるケルト・イベロ族が形成される。又海洋民族のフェニキア人が岩塩や錫を求めてやって来てカディスを建設。

(ケルトの遺跡  ガリシア・サンタ・テクラ)

 

ギリシャ人

フェニキアから幾分か遅れてスペインにやってきたのがギリシャ人。彫像や芸術をスペインにもたらした。土着のものと融合してグレコ・イベリアと言われる美しい様式が生まれた。アリカンテの近くで出土したエルチェの婦人像がその代表.。

(エルチェの婦人像 マドリッド国立考古学博物館。)

カルタゴとローマ

フェニキアの植民地カルタゴがスペインに入って来るとギリシャ人を駆使し今のイビサを建設、シチリアにまで支配権を拡大しローマと衝突。そしてポエニ戦争が始まる。第1回ポエニ戦争は新興国ローマが勝利。負けた将軍がイベリア半島に移住する。その息子がハンニバル。第2回ポエニ戦争は28歳のハンニバルが像を連れてピレネー・アルプスを越えてローマへ進軍するがローマの勝利。そして第3回ポエニ戦争でカルタゴは破壊される。そのあとイベリア半島にローマ人が入ってくる。

ローマの支配

かなりの抵抗もあり200年の歳月をかけて制圧し半島をイベリア半島はローマ化。アウグストゥス帝の時代から5賢帝の時代に多くの寺院や水道橋、劇場などが作られる。オリーブやマグロの塩漬け、小麦、ワイン、金や銀がイベリア半島からローマに輸出される。 。

(メリダの劇場)イタリア半島以外で最も大きな遺跡

キリスト教の伝来とビシゴート

紀元後1世紀中頃スペインにキリスト教が伝来。最初は殉教者を多く出すが次第に深く根差していく。ローマ帝国が分裂し末期状態になりゲルマン民族の大移動。スペインにはビシゴート族がやって来てビシゴート王国。その首都がトレド。

ビシゴートは先住民のイスパノ・ローマと融合しカトリックに改宗。ビシゴートは内紛が多く血なまぐさい事件が続き政治は不安定、民衆の不満に乗じてイスラム教徒がやって来る。

イスラムの侵入

スペインの歴史がほかのヨーロッパと違うのがここから。711年イベリア半島を虎視眈々と狙っていたアラブ系ベルベル人を主力とするイスラム教徒(サラセン帝国・首都シリア)がジブラルタル海峡を渡って半島に侵入。

ビシゴート王国の崩壊。イスラム教徒は寛大な政策を取りキリスト教徒と共存したのが半島征服をたやすくした。イスラム教徒は半島南部を支配。その地域はシリアのウマイヤ朝支配下のアル・アンダルスと呼ばれる。キリスト教徒として人頭税などを払う人をモサラベ、イスラム教徒に改宗した人をムラディと呼ぶ。

スペインの歴史をもう少し詳しく>>ビシゴートからイスラムの侵入               <西ゴート(ビシゴート)王国の崩壊>

 

スペインの歴史アルアンダルスについての記事 <アル・アンダルス、スペインでイスラム支配が始まった>

後期ウマイヤ朝

シリアで続いていたウマイヤ朝が革命で倒されアッバース朝に。首都はダマスカスからバグダッドへ。カリフの座を追われたウマイヤ家の血を引く王子がスペインに逃げてくる。そしてコルドバを首都に後期ウマイヤ朝。正当の王子がやって来てスペインでイスラム王朝が始まった。その時に作られた回教寺院がメスキータ。後に929年アブ・ドラーマン3世は自らをカリフ(王)としアルアンダルスをウマイヤ朝カリフ王国とする。コルドバは栄華を極め数学、医学、天文学、化学などの中心なる。

後期ウマイヤ朝についての歴史の記事 後期ウマイヤ朝

(コルドバ メスキータ)

レコンキスタと聖ヤコブの遺体の発見

イスラム化しなかった北スペインの山岳地帯でビシゴートの貴族の末裔ペラーヨは722年コバドンガの戦いで初めてイスラム教徒を撃破。

(コバドンガ  サンタ・クエバ)

レコンキスタの始まり。アストゥリアス王国を作りイスラム社会からの避難民やフランスからの貴族戦士たちを受け入れ戦って土地を奪い返していく。フランスではカール大帝が戴冠しレコンキスタを始めていた。ちょうどそのころ聖ヤコブの遺骸の発見。

白い馬に跨った聖ヤコブがイスラム教徒と戦ってくれる奇跡が起こる。「神はそれを望んでおられる」というスローガンのもとレコンキスタが進んでいく。1031年コルドバの陥落1248年セビージャ陥落。

スペインの統一とグラナダの陥落

キリスト教徒がレコンキスタを進めながら少しずつ国がまとまって行きカスティーリアの王女とアラゴン・カタルーニャの王子フェルナンドの結婚でほぼ統一。イスラムの最後の砦はグラナダ王国。カスティーリア王国に高額の税金を払う立場を取ながらアルハンブラ宮殿で千一夜物語が繰り広げられていた。22代254年間続くスペインの歴史に残った最後のイスラム王朝。

(アルハンブラ宮殿ライオンの中庭)

1481年キリスト教徒軍がグラナダ攻撃をはじめ1492年に陥落。その年にコロンブスがイサベル女王の援助のもと西回り航海へ。大航海時代の幕開け。

黄金時代

カトリック両王の5人の子供たちは成長すると政略結婚の駒となるが不運に見舞われていく。長男ホワンは結婚式の途中で亡くなり長女イサベルはポルトガル王に嫁ぐが産褥死。その息子もすぐに死去。次女ホワナはブルゴーニュ公フィリップ美公と結婚。王位継承者となるがフリップ美公突然の死のあと発狂(カルロス5世の母親)一番下のカタリーナの結婚相手はイギリスのヘンリー7世の息子アーサーと結婚も数か月後に死別。その弟ヘンリー8世と再婚するが彼に愛人ができ離婚されロンドン塔に幽閉。その娘がメアリー・チューダー。愛人の娘がエリザベス1世。     発狂したホアナは6人の子供を産みその長男に王位継承権が移動。カルロス5世(カルロス1世)遺産相続でスペイン、アメリカ大陸、南イタリア、とハプスブルグ領土を手に入れる。ここからスペインの歴史の黄金時代。

(カルロス5世。ティチアーノ  プラド美術館)

 

カルロス五世の息子がフェリペ2世。ポルトガル領土を手に入れスペインの領土は最高に。日の沈まぬ大帝国。スペインの歴史の黄金時代。日本からこの王様に合わせるため九州のキリシタン大名の子供たち天正遣欧少年使節がやって来る。イギリスのエリザベス女王との敵対関係の末無敵艦隊が英国海軍に負けたのもこの王様の時。慎重王と呼ばれた寡黙で冷静、威厳のある国王です。

(フェリペ2世 ティチアーノ  プラド美術館)

 

日本から伊達藩の使い支倉常長が謁見した国王。  ここから政治にあまり興味のない世襲制の国王が続く。

(フェリペ3世 ベラスケス プラド美術館)

 

 

フェリペ4世 最初の結婚がフランスのブルボンの王女。その娘がフランス国王ルイ14世に嫁ぐ。2回目の結婚相手は姪でオーストリアハプスブルグの王女。生まれた長女がマルガリータ王女。ベラスケスのラスメニーナスの中央にいる女の子。

(ベラスケス・フェリペ4世とラスメニーナス ベラスケス プラド美術館)

 

スペインハプスブルグの終焉

次に生まれた長男がカルロス2世。

(カルロス2世 カレーニョ・デ・ミランダ プラド美術館)

スペインの代々のハプスブルグ家は親戚同士の婚姻を繰り返す。フェリペ4世の息子カルロス2世はその結果体が弱くてんかん持ち。子供がないまま1700年に死去。ブルボンとも親戚関係を持っていたこともあり王位継承権を巡ってハプスブルグ対ブルボンの戦争になる。結果ブルボンの勝利。ルイ14世の孫がフェリペ5世として即位。スペイン・ブルボン朝の始まり。この戦争でスペインはジブラルタルをイギリスに割譲。いまだにイギリス領土です。

スペイン側からこの先がイギリス

カルロス4世とフェルナンド7世

フェリペ5世の息子カルロス3世は立派な王様だったが次のカルロス4世は世襲制の無能な国王。ゴヤのカルロス4世の家族の肖像画に登場。真ん中より少し右。この時代にナポレオン戦争。次に国王になるのがさらに無能なフェルナンド7世。左から2番目。

(カルロス4世と家族 ゴヤ プラド美術館)

 

フェルナンド7世は娘しかいなかったのでブルボンの王位継承の法律を変え女王にする。イサベル2世として即位。その息子ががアルフォンソ12世。米西戦争の敗北キューバの独立プエルトリコの割譲、フィリピンの売却。16世紀の日の沈まぬ国は斜陽の時代を突き進む。 アルフォンソ13世は16歳で即位するも国内の民族問題モロッコの反乱、アナーキストの台頭、そして亡命。

(アルフォンソ13世 トーマス・マルティン スペイン歴史アカデミー)

 

スペイン内戦

左右両勢力の対立激化政治家の暗殺事件そして軍事クーデター。スペインは長い内戦に突入。内戦でヘミングウィーやジョージオーウェル等が国際旅団でスペインにやって来る。多くの知識人階層が外国に亡命。芸術家たちもフランスに亡命する。ピカソやミロなどがパリ万博に作品を展示し戦争の悲劇を人々に訴える。 バスク地方のゲルニカの爆撃 。

この戦争は1939年反乱軍の勝利で終わりスペインはフランコの独裁政権が始まる。独裁政権下はバスクやカタルーニャは自分たちの言葉を話す事も禁止され抑圧をうける。国連から脱退。冷戦時にアメリカが反共反ロシアでスペインに近づいてきて北太平洋条約機構に加盟。フランコは晩年中道政策を取り始める。 1975年独裁者フランコが死去し前国王ホアン・カルロスが即位。議会を開いて首相を任命し議会制民主主義の国になる。 1992年バルセロナ・オリンピックとセビリア万博が行われ世界に近代スペインを表明。同じ年にオリンピックと世界万博が同時に行われたのは史上初めてだったそうです。

現代

国民一人当たりのGDPは日本とほぼ同じ。平均寿命日本とほぼ同じ。食物自給率120パーセント。官民連携事業の受注世界一。世界の交通事業の40パーセントを請け負う。

 


まとめ

長いスペインの歴史を5分で読めるようにまとめてみました。各項目ごとに詳しい歴史を書いて行きます。旅をするのに少しだけ歴史を知っていると見るもの訪れるところの価値もグッと上がって行きます。楽しい旅を~

 

ビスカヤ橋 世界遺産

「橋」と思って行くとこれは「橋」なのかと悩む

頭の中にある「橋」の概念をまずは取り去って行きましょう。120年以上前にこんな発想で橋を作った人がいた。ビルバオから12キロ。ビルバオは鉄鉱石が取れてローマ時代から重要な街。鉱工業で栄えたビルバオに沢山の大型船が入ってくる。

明治26年完成 120年以上前の技術

丁度ここは労働者地区ポルトガレテと対岸の富裕層地区ゲッチョを往来する人々の為に渡し舟があった。橋を架けると下を大型船が通れない、背の高い橋にすると急勾配で登れない。そこで橋ではなくてゴンドラが往来する運搬橋が架けられた。
1893年日本は明治26年エッフェル塔が1889年完成なのでその4年後です。

下の写真の白い四角いのがゴンドラでここに車と人が乗り川のあちら側とこちら側を行き来する。渡し舟がぶら下がっているイメージ。

渡るのは公共の交通機関ですが別料金で上に上ることも出来ます。両方の橋げたにエレベーター。売店で切符を買って歩いて渡ることができます。5ユーロ位。時々エレベーターが壊れて反対側からしか降りれなかったりします。

当時の革新的な技術を用いた鉄製のワイヤーが使われている。
164メートルの距離を2分弱かけて渡る。6台の自動車と300人の人を運ぶことができ24時間大体8分毎。運賃はビルバオの交通と一体化しているためバスや地下鉄と同じ切符が使える。

 

残念ながら写真がいいのが行方不明で携帯に残っていたものですが。

 

建築家はエッフェルの弟子

建築家はアルベルト・パラシオ。パリのエッフェル塔の建築家ギュスターフ・エッフェルの弟子。エッフェルは鉄の技師。鉄の技術がこの橋を支えた。アルベルト・パラシオはほかにマドリッドスペイン銀行、クリスタル宮殿、アトーチャ駅を作っている。

運搬橋

船を通すために橋を高くすると急こう配を登って行くか導入経路を長くする必要がある。それを解消できたのが運搬橋。現在もフランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、ロシアに運搬橋が現存する。その最古がビスカヤ橋。

行き方

ビルバオから地下鉄 ゲッチョ側最寄りarreta ,ポルトガレテ最寄り portugalete なの行きはゲッチョで降りてビスカヤ橋を渡ってポルトガレテから戻ってくる、またはその逆。どちらも橋の近辺にバルやスーパー、公衆トイレあり。

ビルバオはメトロ2本しか線ががないのでわかりやすい                      <L1>arreta <L2>portugalete。

 

TripAdvisor (トリップアドバイザー)


 

Ñeru ビールに無料のおつまみ

マドリッド中心部のSidreria(シードラ屋)

マドリードおすすめバル。スペイン旅行中必ずお世話になるのがバル。このお店はビールを頼むとタパス(おつまみ)無料です。昔はおつまみ付けるバルが普通にあったけど最近はマドリッドでは少なくなった。ビール1,5ユーロで無料のタパス(おつまみ)。地元の人がたくさんやって来るお店なので地元民に混じってバルを楽しむのにおすすめです。

すぐそこはマヨール広場やサン ミゲール市場という賑やかな1等地。華やかなツーリスト向けのお店が沢山ある界隈に古くから続く地元民のバルがある。

アストゥリアス料理のバル・ レストランです。アストゥリアスはスペイン北部の山岳地帯。バル・ レストランは大抵奥がレストランで手前に細長いバル。地元のお客さん達がひっきりなしにやってくる。看板にsidreriaとあるのはシードラ屋ですという意味でアストゥリアスはリンゴの発泡酒の産地。シードラはリンゴの発泡酒。

 

みんな1杯飲んだら出ていく感じです。

2杯目頼むとまた別のタパス

生ビール1杯「ウナ カーニャ」と頼むと何が良い?と聞いてくれて私は「トルティージャ エスパニョーラ」 スペインオムレツ。ポテトが入ったオムレツでスペインのバルの定番メニュー。もちろんシードラでもワインでもおつまみ付きます。言葉通じなくても目の前においてあるのを指さしてもいいし隣の人のを指さしで「あれ」で通じます。

 

トルティージャ作りたてでボリュームあります。

地元ピープルのバルは床にゴミを捨てる。最近はあまり見なくなってきたけどここにはまだ本物のスペインが残っていた。

じゃあ2杯目 いきまーす。「オートラ・ カーニャ・ ポルファ」「もう1杯ビールください」と「頼むと何にする?」「選べるんだ。」「何がありますか?」と聞くとチーズか魚のフライだそうで魚のフライにしました。

地元のおじさん達は1杯ビール飲んでおつまみでさっさと帰って行く。「バルで長居はしない」スペイン人の鉄則。私は2杯めのおつまみ片口鰯のフライ。値段はビール代だけで1,5ユーロですよ〜170円位です。友達はシードラとチーズ。牛とヤギのチーズのミックスで臭みの無い柔らかい味。もうこれでお腹いっぱいになりましたがレストラン部門見に行きましょう。

大抵のバルには奥や階下にレストラン部門があってすわってゆっくり前菜メインデザートとコースでお食事ができます。お昼は定食<メニューデルディア> <menu del dia >があってアラカルトより割安でお食事ができます。

 

階段下はレストラン・定食16ユーロ

たいていのバルは奥にレストラン。ランチ13時夕食20時から。

定食16ユーロ

定食は menu del diaメニューデルディア。

下の写真がお品書き primeros 前菜  から一品segundos  メインから一品bebida 飲み物 ビール、ワイン、ミネラルウォーター、ジュース類など。 postore o cafe デザートかコーヒーで16ユーロ

デザートはたいてい口頭で今日何があるか教えてくれる。プリン、アイスクリーム、季節の果物、など。

前菜

fabes con almejas  大きな白い豆の煮込みにアサリ入り

gaspacho

夏はこれですね

ガスパチョに入れますか?野菜の切ったのを持ってきてくれます。と聞いてくれるのでお好きな物を。パン、きゅうり、ピーマン、トマト。全部入れても大丈夫。私はいつも<全部少しづつ> <ウン・ポコ・デ・トド>

 

メイン

bonito con tomate カツオのトマト風味

 

 

calamares negros イカの墨煮

デザート

cuajada  凝乳

natilla カスタード・クリーム

 

清算はラ・クエンタ

ラ・クエンタというか空に字を書くジェスチャーで清算。請求書はテーブルに持ってきます。座ったまま会計。カードだとテーブルに機械を持ってくるので暗証番号を入れる。 チップは2人で1ユーロで大丈夫。カードで払ってもチップは現金でね。請求書が入っていたお皿にチップだけ置いて立ち去ります。

行き方

Restaurante ÑERU  c/Bordadores,5

地下鉄5号線opera 下車徒歩5分(1号線、3号線sol から10分、3号線callaoから10分)マヨール広場からすぐ。

下にお店の公式ウェブサイトとトリップアドバイザー入れておきます。

http://www.restauranteelneru.com/

旅行の前に口コミチェック!

まとめ

スペイン旅行でマドリードにいるなら絶対おすすめのバル。マドリードにあるタパス無料のバル。マヨール広場やソル広場も近く散策の途中で寄ってみてください。地元の人が大勢いるので交流のチャンスです。基本椅子なしですがバルのカウンターの奥の方にひとつだけ4人掛け位のテーブルとイスがあります。誰もいなければ座って大丈夫です。

ブエン・アプロベッチョ~良いお食事を~

スペイン人の人生観

人生で大事な事

とにかく楽しむことが上手で参った。

楽しませてもらうのを待っていなくて自分で勝手に楽しんでいる。

街を歩いていても難しい顔で歩いている人はあまりいない。

スペイン人はみんな楽しそうだ。

 

そう大事なことは「人生は楽しむためにある」

 

 

お喋りしていてもエネルギッシュで顔と顔がくっつきそう。

なのにすごい大きな声で話している。

耳悪いんじゃないの?

どっかに金鉱でも見つけたわけ?

一緒に話すとこちらはヘトヘトになる。

 

パーソナルディスタンスというのがあって

文化によって人と人が話すときの距離が違う。

アングロサクソンは遠くてラテンは近い。

スペイン人のパーソナルディスタンスは目茶近い。

目がクラクラする。

後ろに下がると向こうが近づくから又下がる。

人生観

仕事でも子育てでも悲壮感がない。

貧しい人も病気の人も離婚した人やシングルマザーも

 

知り合いのスペイン人の男性が離婚して

「僕のエックスワイフ(離婚した前奥さん)に彼氏ができてさ~

この間紹介されたよ。今その彼と暮らしているんだって。

僕が買った家にね」

って明るく話してくれた。

 

もちろん問題がないわけでも悩みや苦しみが無いわけでもないけど

若者の失業や政治家の汚職、問題山積みだけど。

今この時間は楽しむためにあるなら楽しく過ごすのよ~という考え方。

もう遺伝子レベルだと思う。

 

「ライフ・ワーク・バランス」というの言葉をご存じでしょうか。

人生の中で仕事と自分の時間のバランス。

これがすごくいいのがスペイン。

残業なんかしないし、単身赴任も無い。

仕事が終わったらあっという間にみんな自分の趣味の時間。

金曜日は午前中で仕事は終わる会社が沢山ある。

バカンスは年間4週間確実に消化。

 

自殺者より交通事故死のほうが多い。

それはそれで問題ですが。

 

先日学校の子供たちの宿題が多すぎると言って父兄会が学校に抗議。

だって、家族で楽しむ時間減るでしょうって

ピカソのゲルニカ(ソフィア王妃芸術センター)

ゲルニカ

ピカソの「ゲルニカ」という作品がある。

 

現在マドリッドにある近代美術館「ソフィア・王妃芸術センター」の珠玉の逸品。
「Centro de arte Reyna Sofia」

 

「ゲルニカ」は人類にとって非常に大切な作品。

もうこの美術館から出ることは無い。

image.jpeg
この写真自分で撮ったものです。

以前撮影が許可されていた時期があって。
もっと色々撮ればよかった。
その許可は直ぐに無くなってしまったから。

ピカソ

「ピカソ」と聞くと何をイメージしますか?
「変な絵を描く人?」
「歪んだ顔を描く奇人?」

 

丁度写真機が小型化して画家たちが失業した時代があった。
それまでの既存の写実画をカメラがやってくれる時代がやってきた。

 

神様は全てを準備して天才をこの世に送り込む。

ゲルニカは町の名前

「ゲルニカ」は町の名前
パイス・バスク (バスク州)にある工場も無ければ武器も作っていない今も存在する小さな町の名前。

スペイン内戦

スペイン内戦、または市民戦争と呼ばれる悲惨な戦争があった。
内戦なのでスペイン人同士が戦った戦争です。

第一次大戦後国内で民衆の不満が高まり共和派と保守派の対立が大きくなり
国王アルフォンソ13世の亡命、内政の混乱、フランコの登場。

内戦が始まると列強各国が集まって会議を開くが結局は自国の利益が大事。イギリス・フランスはスペインが共産国になるのは困るので不干渉政策。当時ドイツでヒットラー、イタリアでムッソリーニが登場していた。彼らは反乱軍フランコに援助をはじめる。最後にロシアがスペイン共和国軍に援助を決めスペイン内戦は後ろに大国が先端技術を実験する場。今のシリアの内戦と同じで後ろに大国や魔の商人達の思惑が絡んだ代理戦争になる。

ドイツのヒットラーとスペインのフランコの利害関係が一致。バスク地方は鉄鉱石や石炭などが取れ造船などもやっている重工業地帯。そこを手に入れようと思ったドイツのヒットラーがコンドル部隊を送って来る。一般市民に対し飛行機から無差別に爆弾を落とし街を陥落させる威力の練習場とする。

ゲルニカ

ゲルニカは小さな町です。
町のお祭りの日を選んで着飾って出てきた民衆に向かいフランコに要請されたドイツのコンドル部隊が無差別に民衆に向けて爆弾を落とした。

 

町は焼け野原になり人々は希望を失い家族を殺された。
家は焼かれ子供達は死んでいった。
若者は夢を奪われ未来を失った。残ったのは絶望と憎しみ。

パリ万博

丁度その頃スペイン人のアーティスト達はパリに亡命していた。
ピカソやミロ達。

 

そのパリで7度目の国際万国博覧会が行われることに。万国博覧会のテーマは「科学技術と日常生活の芸術」科学がメインのテーマ。
亡命スペイン人アーティスト達が助け合って祖国のパビリオンに飾るものを
準備し始めていた。

ゲルニカの爆撃

1937年4月26日ゲルニカの爆撃。
小さな小さな町をドイツのコンドル部隊が2時間半にわたって爆撃。当時飛行機が発明されたころ人々は大きな爆音を立ててやって来る飛行機さえも驚いてみたに違いない。そこから爆弾が投下された。お祭りを楽しみにやって来た民衆に向けて。

暫くして飛行機がいなくなった後防空壕に避難した人たちが戻ったようだ。死体の中から家族を探し怪我人を助けたりしているところにもう一度飛行機が戻って来て低空飛行をはじめ機関銃を持った兵士が民衆を狙い撃ちした。

 

爆撃後の廃墟の写真が新聞に発表されピカソはしばらく沈黙した。
そして構想を全て変更し6月4日にこの作品を完成させた。

ピカソからのメッセージ

縦3,5メートル横7,8メートルの巨大な作品には今もピカソからのメッセージ
image.jpeg
ある時ナチスドイツがピカソに「あなたが描いたんですか」
と聞きに来た。
ピカソの返事は
「違いますよ、あなた達がやったんです」

 

1937年パリ万博のテーマ
「科学技術と日常生活の芸術」
科学技術を絶賛する万博にこの作品がスペイン館に置かれた意味は大きい。

ソフィア王妃芸術センターアクセス

メトロ一号線アトーチャ駅から徒歩3分

プラド美術館から徒歩10分(paseo del Prado)

ガラスのエレベータの間を入っていくと切符売り場です。

開館時間、休館日、無料の時間等

月曜~土曜 10時―21時(火曜日休館日)

日曜 10時~19時

休館日 火曜日(1月1日、6日、5月15日、12月24,25日31日変更有)

平日の19時からと日曜13時30分から無料

写真撮影ーゲルニカとその周りの部屋は全部禁止。                       それ以外はフラッシュなしで。 ビデオは禁止。

 

入場するのにセキュリティーチェック

空港とほぼ同じ要領だと思ってください。(液体のものは持って入れます。)

大きなカバン、大きめのリュックサック、刃物、棒状の長いものはダメ。

杖の先が金属のものはダメ(先がゴムのものは大丈夫)

荷物を預けるところがあります。

念のため貴重品は出しましょう。